ク ラ ウゼ ヴ ィ ッ ツ とテ ク ノ ロ ジ ー
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『
戦
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』
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年は, カール ・フォン ・クラウゼ ヴィッツ(
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周 年 に当 り,81
年 は死後1
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周年 に当 り,8
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年はかれ の主著 『戦争論』(
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の刊行 開始1
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周年 に当るO この生誕2
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周年 に際 し七, 東 西 ドイツを は じめ各地 で記 念行事 が な された が,西 ドイ ツの クラウゼ ヴ ィ ッツ協会(
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年設立)は,主 として タラ ウゼ ヴィッツ思想の現代的意義を明 らかにす るた め,記念論文集 『戦争な き自由 とは- 現代 にお ける政治 と戦略の使命』(
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)
を編 さん し,刊行 した。 この書は, 日本の クラウゼ ヴィッツ研究委員会 (委員長郷 田豊)によって,外国語 としてほ どの 国 よ りもはや く日本語に完訳 され,1
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2
年5
月に 日本工業新 聞社か ら刊行 された。 原書の企画が 日本に伝 えられて執筆への参加が 要請 され るや,軍事思想史専攻 の浅野祐吾 (以下 敬称を略す)が結局, これに当ることにきまった。 その際浅野 は,戦前におけるわが国-のクラウゼ ヴィッツ思想の流入 ・影響のなかで,特 に社会思 想界や マル クス主義の分野での実状が どのよ うで あ ったのか,私の もと-種 々の質問をよせて協力 を求め られたので,私は微力 なが らおよぷかぎ り の資料 と知識 を提供 した。 浅野論文 は,「近代 日本 におけるクラウゼ ヴィッ ツの影響」 の表題を もって,前 出記念論文集の第 3部 に収録 されているが, これは明治建軍以来, 第2
次大戦 にいたる日本の軍部を中心に,一般の 社会思想界 にまでお よぶ クラウゼ ヴィッツ思想の 紹介 とうけいれ,それの解釈 と影響 などを,初め て包括的系統的にまとめあげた論文であ り,浅野 はその終 りの部分で,第2
次大戦後の状況にもふ小
山
弘
健
れて,7
0
年代にはクラウゼ ヴィッツ研究の新 しい 段階 に入 った といえる,いまや 叩戦争論』を基盤 としつつ, これを止揚 して現代の 日本独 自の理論 を樹立す る姿勢が採 られつつある--」 と,強調 している (『戦争な き自由とは』,邦訳5
3
3
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ペー チ,以下すべて邦訳のぺ-ジ)0 前記の よ うに,
1
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年 とクラウゼ ヴィッツ記 念の年がつづ くなかで,わが国では一種 のクラウ ゼ ヴィッツ ・リバイバル現象がおこった。前出記 念論文集の訳出のほかに,かれにかんす る労作が あいついで公けにされ,従来の水準を こえる豊富 な成果が示 された。単行書 にかぎってみて も,莱 軟 な筆致で もってクラウゼ ヴィッツの評伝 を 日本 で初めて独立の著書にまとめた郷田豊の 『天才戦 略家 クラウゼ ヴィッツの生涯』(
1
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2
年6
月),簡 潔なが ら 『戦争論』のユニークで優れた解説書で あ る井門満明の 『クラウゼ ヴィッツ 「戦争論」入 門』(
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2
年8
月),新庄宗雅 の綿密な訳業である ロー トフェルス『クラウゼ ヴィッツ論』(
1
9
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2
年4
月)お よびケ ッセルほか 『クラウゼ ヴィッツ研究 論文選』(
1
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3
年3
月)の2
書, クラウゼ ヴィッツ 原著の旧訳 (外山卯三郎) に新たに浅野祐吾が解 題 を付 した新版 『ナポ レオンのモス ク ワ遠征』(
1
9
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2
年 ), このほか,大橋武夫による大部のF
「戦 争論」解説』, 同 じく rタラウゼヴ ィッツ兵法j(
1
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8
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年4
月)- などが,それである。 これ らの 「出版 ブーム」 とな らんで,最 も注 目 すべ きは, 日本 クラウゼ ヴィッツ学会が少数の熱 心 な研究家たちによって組織 され,1
9
8
0
年春か ら 定期の研究例会を もちだ した ことである。 これの 設立の中心であった浅野代表 が8
2
年秋 に急逝 され たため,井門代表があ とをついで現在 にいた って いる。学会の8
3
年6
月の例会において,私は 「タ ラウゼ ヴィッツと軍事技術」 と題 して報告す る機 会を もったが(
『学会報』第1
0
号に要 旨を掲載), 本稿は この報告に若干の資料的補強 と理論的補充 - 73-を加 えて成 った ものである (資料 の 1部でお世話 かけた前原透氏に感謝 したい)0 全体 としてまだ大づかみな問題提起に とどまっ ているが,今後 この問題の解明のための出発点 と して うけとって もらえは幸いであ る。
1
F戦争論』 における技術の位置づけ まず軍事技術(
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につい て,私はこれをつ ぎのよ うに要約的に定義づけて いる。「軍事技術 とは,広 い意味では軍事 目的に使 われ るすべての物材,すなわち兵器その他の軍需 品,種 々の軍事施設な どを開発 し,生産 し,運営 し,使用 してい く技術の ことである。主 としては, 開発 ・生産 ・操作 までをふ くむ兵器体系の技術を 指す」(弘文堂版 『科学史技術史事典』,1983年, 拙稿 「軍事技術」, なお,拙著 『図説世界軍事技術 史』,1972年,においてよ り詳 しく,広義,狭義, 最狭義の3つの意味での軍事技術 の規定づけをお こな っているので,参照のこと)0 それではクラウゼ ヴィッツは,
『戟争論』におい て技術,軍事技術 について, どの よ うな位置づけ を与 えているだろ うか。かれによれば,
「軍事的行 動 としての戦争」は一種の強力行為であ り,
「この よ うな強力行使は,諸種の技術お よび科学 の- さ いの発明を採用 して装備 につ とめ, もって相手の 強力行使に対抗 しよ うとす るのである」(上,2
9
ペ ージ,以下すべて岩波文庫版 『戦争論』による)0 この簡単な ことば以上に,かれは科学や技術につ いて具体的 にふれてはいない。 これは,かれが戦 争 における 「種類を異にす る2通 りの活動,すな わ ち闘争に備えるための活動 と,闘争その もの と 杏,区別す る必要がある」 とし,前者の活動を戦 争指導および戦争の理論の対象か ら排除 して しま うか らである。 この点 にかん して,かれはつ ぎのよ うに説明 し ている。「武器や装備の製作は,闘争そのもの とは 別個の活動である。 これは闘争のための準備 にす ぎないので あ って,闘争 の遂行そ の もので はな い」,
「そ れ だ か ら本 来 の意 味 に お け る戦 争 術(
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は,この与 えられた手段,すなわ ち武装 され装備 された戦闘力を,闘争において使 用す る術である。そ して,この意味の戦争術 には, 戦争指導(
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とい う名称が最 も適 し ている。 これに反 して広義の戦争術には,戦争の ための- さいの活動が属す ることになる。従 って また戦闘力を創設す るに必要 な全般的活動,すな わち徴兵,武器,装備お よび訓練が, これに属す るわけである」
(上,1
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1
ページ)。 以上 とおなじことを これのあ とにもくり返 しつ つ,戦闘力の創設,訓育,保持をたてまえ とす る 「戦争 の準備 に必要な知識 と技能」のすべてを, かれは戦争指導 の対象か ら外 して しまい, このよ うに限定 された狭義戦争術,戦争指導の理論,戟 闘力使用の理論はすべて 「異語同義」 にはかなら ない, とい う (上,1
5
2
ページ)0 要す るに, クラウゼ ヴィッツによれは,戦争術 には広義 と狭義の2
つの意味がふ くまれていて, 後者が戦争指導,本来の意味における戦争術であ り,科学や技術の進歩 にもとづ く兵器 ・軍需品 ・ 要塞施設 ・交通輸送機関などの発達 とその軍事的 影響 についての考察は,戦争 の理論,戦争指導の 理論 の ワク外のもの となるのである。 クラウゼ ヴィッツの こ うした軍事技術にたいす る評価 と位置づけほ,当時の社会の技術的生産的 水準の うえか ら考 えられなければならない。当時 は経済史的には,いわゆるマニュファクチ ュア時 代,す なわち前政株制工業の時代に属 している(前 出,
『図説世界軍事技術史』,119ページ)。 フラン スをみて も,「資本主義経済体制の門前に到達 した はか りで,鉄砲は数少ない職人の腕 によって造 る はかなかった。 ナポ レオンの銃砲がルイ王朝時代 の ものだ った理 由もここにある」
(前出,
『クラウ ゼ ヴィッツ 「戦争論」入門』,1
7
ページ)o Lたが って, フランス革命 ・ナポ レオン戦争 は,なん ら 画期的な新兵器や新装備の出現 とむすびついてお らず, イギ リスですでに進行中の産業革命 も,大 陸ではナポ レオン没落後に本格的には じま り, さ らにクラウゼ ヴィッツ死後の段階 にいた っては じ めて,戦略戦術上 に直接影響す るよ うな新兵器 シ ステムや 軍 隊 輸 送 機 関 を生 み だ した ので ある (前出,
『図説世界軍事技術史』,1
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ページ)0 クラウゼ ヴィッツが対象 とした フランス革命 ・ ナポ レオン戟争は,旧体制の変革 にもとづ く近代 国民戦争のいわば原型であ り, ブルジ ョア民主主 義の確立 に対応す るナシ ョナ リズム確立のための 対外的軍事的発現であ った。かれの思想は,前期的 なアブソ リュ-チズム (絶対王政)の時代 の戦 争 との歴史 的 性質 の ちがいを直接 に反 映 してお り,体験 と省 察 による両戦争形態の対比のなかか ら,戦争の全 体 としての本質的規定 と戦争行為 に おけ る諸要素 ・諸範 ちゅうの内部的連関性 とを追 求 し,は じめ て これ を体系的に組みあげ るこ とに 成功 したので ある。 クラウゼ ヴ ィッツは時代の制約によって, 自己 り死後に産業 革命が もた らした生産的大発展 とそ れに よる戦争 様式 ・形態上の変化を,予想はで き なか った。鉄道の普及による軍隊輸送の進歩,機 械工業の発達 による銃砲機構の改革, これ らすべ てをかれは知 らず に終 った。 また一方 において,資本主義体制の発展 による
1
9
世紀後半 か らの新事態,戦争史の視角か らは, 産業資本主義 の確立 に ともな う商品販売 ・原料資 源か くとくのための国外市場めざしての武力的進 出,それに よる国民戦争の時代(
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)
か ら 植民地侵略戦争 の時代への世界史的転換, さらに2
0
世紀にかけて,独 占資本主義の基礎上での植民 地市場の再分割をめ ざす帝国主義戦争 と,それに 対抗す る反帝民族独立戦争 との時代の開幕 な ど, 近代戦争の歴 史的性質の変化について も,当然 ク ラウゼ ヴィッツはまった く知 ることがで きなか っ た。 これ ら近 代戦争の歴史的性質の変化は,すべ て産業革命後 の資本主義経済体制の上向的発展 に もとづ くものであ り,その大 きな特徴は,国民戦 争 とちがって戦争 の動機 と目的のなかに経済的要 素を直接内在 させているところにあ った。 要す るに,戦争の現実の手段や方式の うえで も, 戦争 の動因や 目的の点で も, クラウゼ ヴィッツが 戦争指導か ら除外 した技術的生産的要因 と経済的 要素が重要 な意味あいを もって きは じめ,戦争術 全体の うえで次第に決定的な役割をはたす よ うに なって きたのである。 以上の具体 的な事情は後述す るとして,戦争観 と戦略論における思想上の変化は,1
9
世紀後半か ら, ドイツ兵学界において フォン ・ブルーメや フ ォン ・ベル ン-ルデ ィの著書の うえに反映 してい る (この点 については,拙著 『増補軍事思想の研 究』,1
9
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年,1
2
2
ページ以下を参照の こと)0 しか し,以上の ことか らクラウゼ ヴィッツの戦 争理論が1
9
世紀後半か ら存立理 由を失 った とみ る な らば,根本的 なあや ま りである。む しろ反対 な のである。重要 なのは,かれが技術的生産的要因 がおよぼす戦争 の手段や形態上-の影響をまった く考慮せず に, また経済的発展にもとづ く近代戦 争 の歴史的性質 のその後 の変化 を全 然 予 想せず に, もっぱ らみず か らが体験 した近代戦争 の原型 を対象化 し, これを前期的な王朝戦争 とげんみつ に対比 させ ることがで きたか らこそ,す なわ ち一 定の歴史的条件の規制 の もとでかえって典型的 な 範例を典型的なかたちで もって思惟の対象にす え ることがで きたか らこそ,戦争の本質 と軍事的範 ちゅうの内部的連関性 を初めて解 きあかす こ とに 成功 した,とい うこ とである。戦争の本質的な概念 と全体を規定す る基本要田を明確に し (『戦争論』 第1,第2,第8編),軍事的行動の内的構造を論 理的必然性の連鎖 を通 して解明す るこ とによって (同, 第3-第 7編),す なわち戦争本質論 と戦 争指導 (戦略,戦術)の理論の原型をみ ごとには りあげることによって, ク・ラウゼ ヴィッツは後代 のすべての戦争 ・軍事思想にたい して, ゆるぎの ない礎石をす えつけたのである。 2 技術的進歩 によるクラウゼ ヴィッツ理論 の検 討 クラウゼ ヴィッツにおける戦争理論 の ワク組み の設定が,1
9
世紀前半の社会経済的状況 と生産技 術的水準 によって条件づ けられていた ことを述べ たが,そ うした ワク組み設定の限界性 は,1
9
世紀 後半か ら明白に表面 に現われて きた。 その代表的 事例は,鉄道の普及による軍隊輸送力 の画期的向 上 と,それが もた らした戦略計画の大変化であ っ た。大陸の軍部が鉄道輸送を利用 しだ したのは, タラウゼ ヴィッツの死後2
0
年 ちか くた った1
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-50年の時期 とされているが,これの軍事 史的意義 に ついて極めて要領 よく記述 している- ジ ョ・ホル ポルソの 「プロシ ア流 ドイツ兵学」か ら,引用 し てお くことにす る。 「鉄道 は新 しい戦略的考慮事項を生みだ した。 軍隊はナポ レオンの進軍速度の6倍の速度で移動 す ることがで きた。そ して全戦略の基本である"時 間 と場所"の要素 は,新 しい脚光を浴 びて登場 し た。高度 に発達 した鉄道輸送を もってい る国は, 戦争の ときに重要かつ決定的な利点を もつ もので - 75-ある。動員速度 と軍隊の集中速度は,戦略計画の 重要要素になった。実際,動員 と集中の時間表は, 最初の閑進命令 (戟略的基礎配置) と同様,来 る べ き戟争を予期 してつ くられた参謀の戦略計画の 核心 となったのである」
,
「戦略にお よはす政治の 影響によ り,将帥 は不確実 な要素に直面す ること があるが,モル トケは動員 と最初 の軍隊の集中は 開戦のず っと前 か ら準備で きるものだか ら,十分 計画すべ きものだ とい う考 えを持 っていた」(エ ド ワー ド・ミー ド・アール編著 F新戟略の創始者』,Ma
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,1943,所収,山田 ・石 塚 ・伊藤共訳本 ,上,169-71ペー ジ)0 ここにい う軍事的行動開始前の鉄道輸送 の完備 のいかんが,それの開始後に 「重要かつ決定的 な 利点」を発揮す るとい うことは, クラウゼ ヴィッ ツのい う広義戦争術の意義がそれだけ重大化 した ことを意味す る。戦闘力の準備についての術が, 戦闘力の使用 についての術に対 して比重をたかめ たわけであ り,狭義戦争術の ワク組みでは もはや 戦争指導の全体 に対応で きな くなった ことが明 ら かである。 広義戦争術の範 囲の,特 に技術的要因が もつ重 要性は,20世紀 に入 って-そ うたかまった。 フラ ンツ ・ヨセ フ ・ヴィッシンダがい うよ うに,「
『戦 争論』の中ではたんに1
つの副次的意義 しか与 え られなか った テクノロジー」が,その後 「技術時 代」の開始 とともにます ます戦争行為 に決定的な 役割をはたす よ うになった(「戦略の要素 としての 軍備 と技術」,前 出 『戦争 なき自由とは』,所収, 305ページ)。 こ うした傾 向の1
つの頂点である第1
次世界大 戦が,初めて国家総動員の概念を生みだ し,主 と して経済 ・産業 ・生産労働力の戦時動員が戦局の 運命を支配 し,戦争方式の大変革を もた らした こ とは,周知の とお りである。 ここでは,戦闘力 と 戟線を維持す るための物資 ・産業 ・労働力の動員 規模が予想 されなか ったほ どの広が りと期間 ・af示 したため,伝統的 な戦略観念は完全にふ きとんで しまった。広 ・狭 の戦争術の区分けす ら,事実 に おいて不明確 にな って きたのである。 したが って 第1
次大戦後の軍事思想界に, クラウゼ ヴィッツ -の否定的意見が さまざまのかたちで登場 して き たの も,ふ しぎとはいえない。 そのなかでアメ リカ海軍のマイヤースは, クラ ウゼ ヴィッツが戦闘力使用の術に限定 した戟略の 規定 は もはや時代お くれ とな り,戦略はいまでは 平時 ・戦時をつ うず る連続的の もの とな り,政治 (外交)は戦略 に従属すべ きである, とした(
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。戦略概念に限定 して考 えるかぎり,これ が一定の妥当性を もっ ことは否定で きない。 重要 なのは,戦争本質の概念についてル ーデ ソ ドル フが提起 した クラウゼ ヴィッツ全面否定論で ある。かれはその 『全体戦争論』において,
「戦争 お よび政治は, ともに国民の生存のために奉仕す るが, なかんず く戦争 は国民の生存意志の最高の 表現である。 したが って政治は戦争指導 に奉仕 し なければな らない」 と述べ, ここか ら 「クラウゼ ヴィッツのたてたすべての理論は, もはや全 く廃 棄 されねばならない」とす る。全体戦争 (総力戦) では,至上権力を もつ軍の最高指揮官が,外交 ・ 経済 ・宣伝 などの- さいを掌握 し,指導すべ きで ある。ルーデソ ドル フは,政治 と戦争指導 の関係 の逆転規定 が政治家 た ちをいかに激昂 させ よ う が,無謀な ミリタ リス トの意見だ とい う反撃を招 こうが,「そんなことは現実の要請をなん ら変 えさ せ るものではない。現実は戦争の遂行 と国民生活 の保護のために, まさに私の要望 と全 くおな じこ とを要求 しているか らだ」 と力説 している(
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,1935)0
だが, このよ うな戦争 の全体 としての本質概念 を根本か ら改変 しよ うとす る立論が,い きす ぎで, まちが っていることはい うまで もない。おな じ第1
次大戦の体験 を したイギ リスの ロイ ド・ジ ョー ジは,その回想録で,
「戦略の包含す るものはたん に軍事問題だけではな く,そのなかには最高政策 の多 くの要素がふ くまれている」 とのべて,む し ろルーデソ ドル フとは逆 に,最高政策が軍事問題 以外の多 くの 「戦略」課題をにな うことを明 らか にしている(
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)
0 国家の最高の政策 と指導 に軍事問題や戦争政策 が不可分の要素 となって織 りこまれて きたため, クラウゼ ヴィッツ的次元を こえる政治 と戦争 の関 係規定や戦略の拡大概念が必要 となって きた こと は否定で きない。だが この ことは, クラウゼ ヴィ ッツの設定 した政治的戦争の論理の原則が存立意 - 76義 を うしな った ことを, け っして意味 しない。 ル ーデ ソ ドル フの提言の動機 は理解で きるものがあ るが,戦争指導 における政治の優位 を否定す るそ の主張は,正 しい とはいえないのである。 ドイツ自体 において も,た とえはゼ-ク トが, 「政治家は財政,外交お よび軍を も統轄す る」 と のべて,ル ーデソ ドル フの最高指揮官の独裁 に否 定的であ り(GedankeneinesSoldaten,1928), ル ーデソ ドル フの書が出た3年後 に刊行 された , ナチス支配下 の1書において も, テンペ/I,ホ- フ が 「技術はその進歩によって,戦争遂行の手段,形 式 お よび方針 な どを変化 させ る。 しか し戦争の最 も内面の本質 については,決 して これを変化 させ るものではない」 とい って,戦争現象上の変化 と 本質的な変化 を区別 し,前者を後者 に直結 させ る ことを拒否 している (DeutschenWehrpolitiku. Wehrwissenschaften,1938)
0
戦争形態 の大変化によって,広義戦争術の成功 的運用 な くして現代戦の勝利があ りえない ことが 明確 となった として も,それは戦闘力使用の術 と しての狭義戦争術が無価値 となった ことを意味 し ない, とい うことを指摘 しておかねばな らない。 総動員型戦争 において も第1
次大戦段階では,戟 闘力 (戦線) の維持のための経済 ・物資の動員で あ り,終局 の決定はなお戦闘力 (戦線)の保持 と 勝利 にかか っていたのである。 3 第2次大戦 とクラウゼ ヴィッツ理論 第2次大戦 は第1次大戦型の総動員方式をこえ る総力戦方式 を生みだ した。 1国の経済力 ・労働 力重点の動員 は,経済 ・社会 ・文化 ・イデオロギ ーの総力動員- と深化 し,経済戦 ・物材戦 ・思想 戦 ・心理戦 な ど非軍事的 な戦争概念を 日常化 させ た。技術兵器 の新体系が現われ,後方 と前線の区 別,戦聞員 と非戦闘員の区別,軍需物資 と民生用 物資の区別 な ど,総動員型の方式でなおの こされ ていた区別 は,総力戦の展開のなかで次第に実質 的 にな くな っていった。国土全体の戦場化 と人的 物的資源の全戦力化が要請 され,実現 されたので あ る。 第2次大戦 の こうした形態 ・様式上の変化に も かかわ らず, クラウゼ ヴィッツの政治 と戟争の関 係 におけ る政 治優位 の基 本 思想 はゆ るが なか っ た。8
0
年代, ウル リッヒ・デイ ・メジ-は,
「この クラウゼ ヴィッツの根本思想は現代的 な意義があ り,現代にも適用す ることがで きる」ものであ り, 共産主義諸国にも通用す る, としてい る(「政治指 導 と軍事力」,前出 『戦争 な き自由 とは』,所収, 117-19ページ)0 しか し,伝統的な戦略概念を こえる総力戦時代 の戦略概念が要請 されて い る ことは明 らかで あ り,た とえは リデル ・-- トは,戦争遂行を指導 すべ き政略 として,
「大戦略 (高級戦略)」,
「戦略 (軍事的な純戦略)」を設定 している (Strategy, 1967)。 浅 野祐吾 も旧戦略概 念 にたい して,
「大 戦略」
「総合戦略」
「国家戦略」 な どの新概念をみ ちぴきつつ,軍事戦略を総合戦略の一環 としての 「部分的総合戦略」として位置づけている (『軍事 思想史入門』,1979年)0 この問題では, レイモソ ・ア ロンが クラウゼ ゲ イッツとの関連を意識 して,明快 につ ぎのよ うに のべているのは,注 目にあたい しよ う。「1945年以 降,現代 においては, クラウゼ ヴィッツとの関連 性を失わずに,国家政策を政治的戦略 と表現す る こともで きる」,なぜな らば,今 日の「国家政策は, 従来 よ りも多 くの戦略的要素,すなわ ち,他 の諸 国に対す る国家 目標の設定, 目標達成 のための方 策 の選択,抵抗す る意思の保持,戦闘即応 の軍隊 に必要 な予算の配分,お よび戦時において必要 な 資源の確保 , をふ くんでいる」か らである。 かれ は これ に加 えて,
「宣伝,わが意図の是認 と顕示, 貿易の非軍事的手段 としての使用 も, 国家政策の 範 ちゅうである」という(
「タラウゼヴイツツにおけ る政治的戦略の概念」,前出 『戦争な き自由 とは』, 所収,6
5
,6
9
ページ)oこの考 えは,さきに引用 し た第1次大戦時の ロイ ド・ジ ョージの戦略観 の延 長線上 にあると,み ることもで きる。 さらに, フランスの戦略論者 アン ドレ ・ポーフ ルの考 え方 に即 して, ゴ ッ トフ リー ド・グライナ ーが,
「総合戦略」なるものの内容を どの よ うに と らえているかを,みてみ よ う。「総合戟略は,防衛, 外交,経済の各専門分野における戦略 に区分 され るが,それ ら各種の戦略的要因の総合把握が強 く 求め られ ることは当然である。そ してその整合を はかることは, クラウゼ ヴィッツの理念における よ うに政治指導者 の掌中にあ る」(
「NATO
諸国 - 77-の高級指揮官教育における政治 と軍事の関係」,前 出『戦争 な き自由とは』,所収
,4
0
7
べ -ジ)。 この 見解は さきのゼ -ク トの考 え と一致す るものであ り,われわれはここに,今 日のイギ リス,フランス, 西 ドイツをつ うじて タラウゼ ヴ イツツ理論の庶型 が,新 しいかたちの戦略概念 として再構成 されて いることを知 りうるのである。 4 現在 における戦争本質問題 と 「現代型」
絶対的戦争 ところで,現在提起 されている重要 な問題 は, 第2次大戦の終幕 に現われた核兵器のその後の発 展,特 に7
0
年代 に一応 の整備をみた核 ミサイル兵 器 システムによるグ ローバルな戦略体制が,戦争 の理論 にどのよ うな影響 と変化を与 えたか とい う ことである。 もちろん この よ うな大問題 を小稿で あつか うことは不可能 なので, ここではクラウゼ ヴィッツの思想 とのかかわ りに しぼ って,問題点 をのべ ることに したい。 問題 はまず,核戦争 の可能性 とい う新 しい事態 に当面 して,軍事思想の うえに初めて, これによ って 「戦争の本質」が変革 された とす る見解が現 われた ことである。その1
つの例 として,マンフ レッ ド・ヴェルナ-紘,いまや核兵器 ・核戦争が 人頬に言語に絶す る破滅的な結果を もた らしかね ないため,戦略思想 ・戦争の本質 ・世界の様相を 一変 させた, とい う(「/(ワ-ゲームにおける核兵 器」,前 出『戦争 なき自由とは』,所収,2
3
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ページ)0 しか し,核戦争 の破壊力 については, キ ッシンジ ャーの 「総力戦 が万一 にも生起すれば米 ソは とも に破滅す るであろ う」
(『核時代の外交』)とい うこ とば とともに,常識化 されてお り,特 にこれを戦 争本質の変革の理 由 とす るには,あま りに一般的 にす ぎる。 ヴェルナ-は先 につづいて,今 日人頬 は,
「戦争が と り返 しのつかない ものにな り,政治 の継続でな く,政治の終 えんを意味す るであろ う との恐怖心 によって,入校 自身に平和が強制 され ていることを知 っている」(
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ページ) とのべて いるが, このなかにクラウゼ ヴィッツ思想 との関 連 において問題 を追求す る手がか りがある。 いま政治が戦争のはたすべ き目的を設定 し,そ の開始を決定 した として, いったん開始 された戦 争が相互に政治の存在その ものを完全抹消 して し ま うな らば,政治は戦争 の終結 を決定す ることは で きない。政治 と戦争の関係は,現代の最高兵器 システ ムによる戦略体制 の もとでは一方通行的で あ って,政治一戦争一政 治 とい う回路が成立 しな い ことになる。政治-戦争 の一方通行だけで,戟 争-政治の フィー ドバ ックが きかず, したが って 政治か ら政治へのサイクルが成 りたたない とす る と, これは政治 と戦争の関係に もとづ く戟争の本 質的概念が変化 した ことを意味 し, クラウゼ ヴィ ッツの基本命題 が ここで は適用不可能だ とい うこ とになる。 これ までは, どのよ うな技術的生産的進歩 とい えども,それの影響は戦争 の手段 ・形式 ・様式 な どの実態上の変革にとどま り,戦争の全体 として の本質的規定 まで も変え うるものではなかった。 政治 と戦争の関係を逆転 させ よ うとしたルーデソ ドル フの誤 ま りはすでに指摘 したが,かれの提言 は核戦争の時代であって も成立で きない ものであ る。 しか し,戦争行為が二度 と政治に環流 しない とい う全 く新 しいテクノ ロジー的要因による戦争 の変化 は, まさにクラウゼ ヴィッツ以来の政治 と 戦争 の関係の原則をゆるが し,戦争の本質概念の 修正を要求す るものであ る。 戦争 を規制す る政治そ の ものが戦争 によって覆 滅すれば, ここではおのず か ら戦争 自体が戦争 の 目標 とな り,その限界は論理の うえで どこに も設 定 され な くなる。 この意 味で核戟争は,戦争形態 上の変革であると同時に,それが政治母体 に規制 され る相対的性格を うしな うとい う意 味 にお い て,それ 自体 として 「絶対 的戦争」の性格を もつ。 クラウゼ ヴィッツの 「絶対的戦争」 の概念は, 政治その他の現実的要田 を捨象 し,思惟の抽象化 の作業 によって導出された純粋概念であ った。そ の意味で 「現実の戦争」 とげんみつに区別 され る が,その方法論が論理的 な もの と歴史的なもの と の統一 の うえにたてられ ていたか ぎ り, 2
つの戦 争は統一的に把握 されね はな らなか った。 クラウ ゼ ヴィッツ自身,
「もしわ れわれが,絶対的戦争 を 紡沸 させ るよ うな現実の戦争を,今 日この眼で見 なか った とした ら,戦争 の絶対的本質 なるものの 概念は とにか く実在性を もつ ものである, とい う われわれの主張 に疑いを さしは さむ人があ ったか も知れない。 フランス革命戦争 とい う短 い前奏 曲 - 78-ののちに,勇猛果敢 なナポ レオンがたちまちに し て,戦争を この点 まで発展 させたのである
」
(r戦 争論』,下,2
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ページ) と,述べている。 これをいいかえれば,政治母体が体制問対立 に よって体制変革を指向す るような 「絶対的」性格 を もつ ときは,その戦争 もまた クラウゼ ヴィッツ のい う 「無限 の剛力」を要求 される 「絶対的」性 向を もたざるをえない とい うことである。 ブルジ ョア革命に よってナシ ョナ リズムの対外的確立を め ざす国民戦争 は,敵対勢力である封建的絶対主 義的勢力の体制変革 によってのみ終結 しうるとい う意味で,現実 にか ぎ りな く絶対的戦争 にちかず く 「絶対的」 性向を もっていた。 この意味での絶 対的戦争は,現在で もた とえば資本主義対社会主 義の体制問対立 の軍事的表現 として,存在す る可 能性がある。 だが, この意味での絶対的戦争 は, クラウゼ ヴ ィッツが国民戦争の現実か ら抽象化 し た概念規定 の延長線上 にあるものであ り,論理的 な もの と歴史的 なもの との統一 の方法論で とらえ うるものであ る。 ところが,現代の技術的要因が もた らした新事 態 の特質は,こ うした政治 と戦争の論理 を こえて, 「政治の延長 としての戦争」「政治 目的のための手 段 としての戦争」
「戦争における政治指導の軍事指 導-の優位」 などの基本命題をすべて無意味にす るところの,直接に現実性を もった「絶対的戦争」 を成立 させた, とい う点にある。すなわち,戦争 様式 ・形態上 の変革だけでな く, クラウゼ ヴィッ ツが設定 して こんにちまで通用 して きた政治的戦 争 の本質規定 が存立不可能 とな って きたので あ る。 くり返 していえば, クラウゼ ヴィッツにおける 絶対的戦争 と現実の戦争の論理,戦争 とは他の手 段 を もってす る政治的交渉の継続であ るとす る原 則は,1
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世紀 か ら2
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世紀 にかけての どの ような戦 争 の形態上 の変化, また どの よ うな戦争の歴史的 性質の変化 に もかかわ らず,妥当性をもっていた。 それがいまや軍事技術上の新 システムの整備 とと もに, これ らのクラウゼ ヴィッツの論理 と原則を の りこえる新事態が現われた。体制間対立の実在 性を ヌキに して, したが って思惟の抽象化のプロ セスを無視 して,それ 自体 として直接 に絶対的性 格を具有す る戦争が出現 したのである。戦争 は こ の時点 において,純粋概念 としての「絶対的戦争」
であるのではな く,直接に現実的可能性を もった 「絶対的戦争」 として成立す る。 この絶対的戦争 においては,政治 と戦争の既存の論理 がそのまま では通用 しな くなるのである。5
むすぴ- クラウゼ ヴィッツを超 えて 「クラウゼ ヴ ィッツ」へ 従来の軍事力が戦争において最大限に破壊や殺 傷の, またそれ らによる脅威の機能を発揮す るも のであったの とは正反対 に,現在の核戦力はそ う した機能の現実化を抑制す ることを要求 されてい る。核兵器体系は,在来兵器の ような 「戦争の勝 利のための主要手段」ではな くて,「戦争の抑止の ための手段」であ り,それ以外 に利用がで きない とい う自己否定的兵器なのである。最近, このよ うな核兵器 にもとづ く核戦略の解説書 を書 いた久 住忠男は,
「クラウゼヴィッツの 『戦争論』の理論 体系」が 「現在の核戦略にもピク リとあてはまる 永遠の生命 を もっている」 とい う。その理 由は, 久住によれは,「クラウゼ ヴィッツは戦争の原則の 1つ として暴力の無限界的行使をあげているが, もし現実の世界で暴力が極限点に到達す ると, こ の原則 は適用で きな くなると論 じてい る」。ところ が核戦争は この暴力の極限点を意味す るか ら,無 限界的行使の原則は適用で きな くな り,「戟争の政 治上の 目的がふたたびその姿を現わ さざるをえない
」, ここにクラウゼ ヴィッツの理論 があてはま る, とい うわけである (『核戦略入門』,1
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年, 2-3ページ)。だが問題 は, この政治の規制が核 戦争に通用す るのか とい うところにあ る。 久住 は このあ とで,
「クラウゼ ヴィッツの『戦争 論』以来,
『戦争 は政治の延長』と考 え られて きた が,核兵器を使 った結果が世界の破壊を もた らす よ うな戦争を,単 に 『政治の延長』 とい った単純 な考 え方では じめ ることはで きな くな った」(
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ページ)として, さきの 「永遠の生命」もつ ク ラウゼ ヴィッツへの疑念を表 白してい る。後の論 理が正 しいのであ って, ここに核戦争 の現代型絶 対的戦争 としての意味が内合 されて い るので あ る。 こんにちの核均衡の状態の下での核戦争 の脅威 をな くす るための現実政策 として,久住 もい うよ - 79-うに
,
「2
つの形 の核管理政策,す なわち『核軍縮』 と核による 『抑止戦略山 が とられている。 この抑 止力で しか使 えない核戦力を,戦争抑止力 として 有効に役立たせ るためには,たえず これを戦争遂 行力 として準備 し強化 し,即応性を もたせておか ねばならない(
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ページ)。抑止力の効果を遂 行力の うらづけで保証す る,そのため限 りな く核 戦力を増強 して限 りな く核戦争 にちかずいてい く とい うところに,核戦略の根本矛盾がある。はた して人類は,今後もこの 2律背反の業苦か ら脱す る ことがで きないのであろ うか。 一方で,現実 には通常兵器による在来戟略 と通 常戦争が世界のいた るところで展開 されてお り, これ と限定核戦争や全面核戟争の可能性 との関係 を どのよ うに明確 に して現代戦争の全体像を組み たてるのか, この ことも現代の戦争理論は問われ ている。 イギ リスの戦史学者マイケル ・- ワー ドは,最 近 の論稿の1
つで作戦的,後方支援的,社会的, 技術的 とい う戦略 の4つの次元をあげ,第2次大 戦後の戦略ポイン トを指摘 しつつ,核時代 におけ るこの4つの次元の分析の意義を強調 してい る(TheFo
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,日本 クラウゼ ヴィッツ学会 にお け る赤 木完爾 の 報告 に よる)。 これについて中村丈夫 は