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全斗燥大統領来日に反対する
戦後三九年を経た一九八四年九月、韓国の全斗燥大統領が来日して、天皇と
会見することに対して私たちは痛苦を噛みしめ、反対を表明いたします。
なぜなら、朝鮮半島はいまだに南北に分断されたまま、北半分の朝鮮民主主
義人民共和国と日本との聞には国交もない状態です。
私たち日本人は朝鮮民族の統一をねがい、南北のすべての朝鮮民族に対して、
過去の日本が犯してきた謝罪在、日本人の国民的規模で行いたいと考えており
ます。それに対して全斗燥大統領の来日は果してふさわしいものでしょうか。
周知のように全大統領は、一九八
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年五月、民主主義を求めて立ち上った光
州市民に銃口を向け、二千人の流された血と、金大中氏を追放するという武力
行使の軍事クーデターにより政権の座につきました。そして今も民主化を願う
人々を弾圧し、良心囚を獄に閉じこめ、また在日韓国人政治犯がいまだに獄に
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また私たち日本人は過去の侵略戦争を振り返るとき、まず天皇の戦争責任に
つきあたります。日本国民、植民地統治下の朝鮮人、台湾人も﹁天皇の赤子﹂
として戦争にかり出されたのでありました。
日朝の民衆にとってもっとも気の重い存在である両者の会見は、何のため、
誰のためになされるものでしょうか。
これまでも国交正常化の美名のもとに、
両国政府闘でもたれた会談にはつね
に政治的利権のからんだものでありました。
一九六五年の﹁日韓条約締結﹂以後の日韓関係は、日本企業の韓国進出であ
り、またこんどの﹁日韓新時代﹂といわれるものは、﹁日韓米三角安保協力体
制﹂を固め、ますます東アジアに戦争の緊張を高めることになるでしょう。
核兵器が韓国に設置され、日本はアメリカの防衛を分担し、軍備費は憲法九
条のワクを越えて軍事力を強めています。
核をもっ現在の戦争は、何かのはずみで地球の破滅にさえ至る、大きな危険
性をはらんでいます。その東アジアの火種乙そ、日韓米軍事体制に思われます。
私たち﹁アジアの女たちの会﹂は、ふたたび戦争への道をあゆまないことと、
民族差別や性差別をゆるさないことから出発したささやかなグループです。
私たちはアジアの民衆との交流により、その声を聞き、民衆同志との心と心
を結ぶことによって、新しいアジアの明日を拓きたいと考えております。
一九八四年八月十五日、敗戦記念日に
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﹁光州四周年への集い
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月、市民に向けられ
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詩朗読
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黒色テント
映画
﹃
自由光州
﹄
上映
朝鮮問題と日本問題
報道されないこと
いま映画でみたことは、まぎれも なく、四年前の五月 一 八日から 二 八 日までの間に起きた事実であります。 まだ、昨日のことであったような、 じっとしておれない思いがあります が、すでに四年も経ったのだという ことを知らされながら、いま映画を みました。忘れやすい日本人の中に は、この映画をみて、誇張した編集 の仕方だと思う人々がいるかもしれ ません。しかし、いま私たちがみた のは、まぎれもない事実の一端であ り ま す 。 ﹃ 世 界 ﹄ に 絶 え る こ と な く 届けられてきている T ・ K 氏の﹁斡 固からの通信 ﹂ は、このとき、 一 つ の動かし難い証言を伝えています( 一 九八O
年八月号)。光州事態につい て東亜日報の特別取材班が書いた記 ' マ.:, ... " ・・出:..:.;;:;..:'..::" ず九九;主主ふ~;.o.;';':~品池山屯改正品~... ,臥 J.;“ぺ この事実と共に、このジャーナリス ト たちの苦闘が、いまもつづいてい る こ とを忘れてはなりません 。 今 朝 、 ワシントンにおられる令大 中 さんと芯話で話しあいました。の ちにご桁介があると思いますが、こ の集会に寄せられるメ y セ│ジを託 されました 。 そ の 際 に 、 A a J 二 日後に バッファロ │ へでかけるということ を 金 大 中 さ ん か ら 聞 き ま し た 。 ﹁ 光 州暴動を起して国家転覆を企凶した﹂ という珂耐をデッチあげて、 4 t 札T 崎 明 氏は令大 中 さんを死刑にしようとし ました。しかし、管さんを始めとす る多くの同際此論の力によ っ て生命 を救われ、全仏 1 燥氏はやむをえず令 ・ 火 中 さんを米国に追いやり、そのこ とによって政権の不安を少なくしよ う と し ま し た 。 金 大 中 さんの生命は 救われましたが、しかし、米間以外 に 出 る 円 由 は与えられておりません。 斡同に帰れば、 再 び年に入れられる 事 で す 。 ご存知のように、いまもそうです が、当時も韓国の一言論は完全な管制 ・ 抑 圧の下にあり、その中で光 州 事 態 のための特別取材班が編成されたと いうこと自体、注目されたのですが、 やはり、この特別取材班による引地 からの報告は、戒厳軍によって検閲 されボツになりました。そのために その日の東亜日報はいつもより五時 間も遅れて発行されたと、 T -K 氏は 伝えています。しかし、 T -K 氏は同 時に、ボツにな っ たその記事の 一 部 を手に入れて伝えてくれました。そ の一部をよみ返してみましょう。 ︿ とくに 一 八日と 一 九日の午前、 市街中心部に投入された戒厳軍は、 デモ群集と通りがかりの人との区別 もなしに、残忍な暴力をふるった 。 そのために市民は軍に対して敵対感 情を燃やして、放火、破壊などで対 講演する安江良介氏 こ とになっております。ヨ ーロ ッ パ からもカナダからも、金大 中 さんを 招 こ うという戸が沢山あります。し かし動けません 。 そこで、カナダに在住する韓国人 の人たちが、十数台のパスをつらね てバッファロ │ に出かけてくる、そ こで金大中さんに会おうというので す。ご存知のように、バッファロー はカナダにきわめて近いと こ ろ で す 。 昨秋には、在米韓国人の最も多い ロ スアンゼルスで、韓国政府工作員の さまざまな妨害をこえて、金大中さ んを迎えての大集会が行われました 。 在米隣国人の集会でかつてなか っ た 大集会だ っ たそうです 。 日 本 の 新 聞 は、こうしたことをもう少し報道し て然るべきと、私は思います 。 こ の 三 月のはじめに、ソウルから 私のところへ、四月卜日頃から学生 たちが激しい闘争を展開するだろう、 との述絡がありました。しかし、そ の頃はもちろん、阿川に入っても 日 本の特派民たちは、この問 ハ も 総 同 は怖かで全司 I 検政権はますます安定 している、という記引を冷いており ました 。その 結果は、ご存知の通り であります 。 山 下生たちは、間 川 八 H 以米、波状的に、きぴしい示威行動 を展開しつづけました 。 幹凶の情勢は、 じ ( 年代から今此 してきた対江と闘争と労 力 がいまも 抗 し い ま や 光 州 市 は 恐 怖 の 都 市 に変わった 。 :::錦南路に投入され た特戦団兵力は、根棒をふるい、着 剣した小銃でデモ群集の 一 府や足を突 き刺し、錦南路 一 帯はまたたくまに 血を流して倒れる群集と、それを見 守る市民たちの悲川町のあふれる阿鼻 叫喚の巷と化した 。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 軍 人 た ち は 、 とくに青年たちを、搬を脱がせパン ツのみにして手を後ろに縛り、女学 生風の恐れおののく女性たちの下腹 を蹴るかと思うと、胸を打ち帯剣で 上衣をひき裂いた 。 これを屋上から 見 て い た 市 民 た ち は 悲 鳴 を あ げ て泣き崩れた 。 : 軍人たちは頭に傷をお っ て倒れて いる市民たちを護送する特察に向っ てまで根棒をふるい ・ ::軍の暴力に よ っ て負傷した市民は数百名になる と思、えるが、正確な数は確認できな い。この状況を見守っていた 一 人の 全く同様に、 一 一 層きびしさを加えて 継続していることを、 日 本のジャー ナリズムは見ることができないので あ り ま す 。 これは、日本国民の精神 の弛緩を示しております。二人の朝鮮人の文章
今日の話に﹁朝鮮問題と 日 本問題﹂ というタイトルがついておりますが、 私にとっては朝鮮問題はいつでも日 本問題である、という考えがありま す 。 最近はとりわけでそう思われま す 。 このタイトルに関述して少しば かり話をさせて項きますが、はじめ に て 人の朝鮮人の文京を紹介します 。 A つ は、ごく沿近、私に宛てられ た、日本にいる朝鮮人からの手紙で す 。 私たち日本人のありょうが、少 し離れて見るとどのように兄、えるか ということを考えさせてくれる手紙 であります。 もう-つは、五υ
年 前 に 人 の 朝 鮮人がればいた文革であります 。 人 間 が如判に変化の吋能性の多いものか、 如何に弱いものか、如何に変わり易 いものかということを示す文章であ ります 。 あるいは、われわれが日常 に経験する現・%というものが歴史の 長い文脈の 中 におき 直 してみるなら ば、それはどういうものであるかを 考えさせる文択であります 。 警察幹部は、ハンド・マイクで忠妊 路などにたたずんでいる市民たちに 向って ﹁ どうか帰って下さい 。 軍人 の手にかかったら殺されます﹂と叫 んだ 。 そ の 声 はたまらなくな っ て涙 声に変わっていた。:::軍人たちは :路地までに走り廻りながら、ま るで狩猟でもするかのように-一O
代 の青年を探して殴った。・:軍人の 目につけば若い市民はどうすること もできなかった。これを見守ってい た市民たちは ﹁ こんなことがありえ ょうか﹂とただ地団駄を踏んだ-V
一 市 町 厚 司 ' , . _ - , i 曹;;!;~;!'"三~~:.:-~::;::-:ιF ::',、改U 、;:.:.:~;;忌'.,・ η 手~~:': :i;~:.: (~.ψ~;,;':,' ;!.,' 屯 ι~~.;γE片品~1:;.j. ~j;:.-.:争 中 山 ,~}r--:...!、Jるほお;;...:;:迂… ・・戸メリカの金大中氏
全斗燥将軍の手によって聞に葬ら れた記事ではありますが、言論弾圧 の下にありながらも事実を伝えよう とした勇敢なジャーナリストたちが 残してくれた﹁事実﹂であります 。 私に宛てられた手紙の 一 節を読み ま す 。 ﹁ロ!?法王の光 州 訪問に際して、 日本のマス コ ミは 一 斉に ﹃ 光 州 暴 動 ﹄ と い い 、 N H K などは﹁死者 一 八四 人﹂といいました 。 この数字は全斗 敗政権が発表した数字であり、実際 には最も少なくみても八OO
人 、お よそは 二 、000
人 と い わ れ て い る ことは、日本の方々はよくご存知の はずではありませんか。韓国では ﹃ 光 州 暴 動 ﹄ とはいわず、 ﹃ 光州事態﹄ とい っ ているのです。日本に住む韓 国人として強く抗議したい気持をや っ と押さえております 。 朝日新聞で はようやく﹁多数の犠牲者 : : : ﹂ と 表現はしていますが、これらの政治 的偏見をどうすればいいでしょうか 。 テレビドラマでも、商社マンが ﹃ 現 地人 ﹄ などという 言 葉 を 使 っ ていま した 。 ﹃ 内 地 ﹄ と い う 言 葉 を 使 っ て おりました 。 戦前あるいは戦争末期 に怖かれた朝鮮や渦州の日本人が思 い出されました 。 政治の反動だけで はなく、これら全ての社会的反動の 現象を問題にすべきではないかと思 われます。 この指摘に 対 してつけ加えるべき 言葉は 何 もな い でしょう。私も 、 最 近の 日 本のジャ ー ナリズムの動向に 深い憂 慮 をもっております。 五O
年 前 の文章は﹃朝鮮 人 の進む@
べき道﹄という本の﹁むすび﹂の文 章です。筆者は、この本の序文によ ると、京城帝副大学出身の朝鮮人で あって﹁無政府主義・共産主義・民族 主義・日本主義等のあらゆる思想﹂ を経た人であるといいます。本の発 行元は、緑旗述盟です。緑旗述盟と いうのは、植民地時代の皇民化政策、 即ち、朝鮮人を日本天皇の臣民にせ よという政策推進をかかげた団体で す 。 ﹁朝鮮人の進むべき道、それは日 本人となる道である。この道のみ永 遠に輝くであろう 。 その道は日本を 照らし、そして此界を照らす道であ る。その時、朝鮮史は日本史となる であろう。日本史が世界史となる時、 我々朝鮮人は完全に日本人となり世 界を動かすであろう 。 我々が口本と 述命を共にしたことは永迷に牛きる 道であって、幾何喜んでも喜びすぎ ることはないであろう。何となれば、 日本の道は世界の道であり、人類の 存続する限り日本の国家は存続する からである 。 兵理、正義、愛と力を 持った国家には永遠の勝利があるだ ろ う か ら で あ る 。 朝 鮮 人 よ / 無 限 に、自由に聞かれたる大道、日本へ の 道 を 進 め / こ の 道 に は 決 し て 我 々の祖先が繰返した隆鉄はないだろ う﹂(原文、旧カナ) これは、いま読んでみれば、皆さ gふ 山 川 ..ß'.&'i'.ωぷいず ;r:~~-" … ?U・品了山山出品ふ丸山ぬ品出品説以ヰムv山国単品砧i....:.~凶泊以三品世旬 朝鮮状勢は、表面的には ‘ こ の 二 つ の 焦点をもった楕円型のようなものと して、活発になってきております。 日本政府もこれに対応しようとして おり、日本のジャーナリズムもこの 表面の動きを専ら追い、社会党など も、ご覧のようにこうした動きによ って揺さぶられております。これに 見合うようにして、韓国の。明るい 面。を強調したがる書物や報道が急 に溢れております 。 従って、日本の 朝鮮政策の歪みや、韓国の民主勢力 の声は、日本においては急速に、ま るで問題が解消されたものであるか のように、姿を消しつつあります 。 しかし、ここに集まられた皆さん のように、四年前の光州を忘れるこ とのできない人々がいます 。三 度死 刑を宣告され、しかし国際世論によ って命を救われた金大 中氏のことを たえず心におく人々が沢山います 。 いまも誠実に闘いつづける韓国の民 衆に兵剣に目を注く人々がおります 。 目をくらませられない人々、歴史の 文脈をしっかりと杷んでいる人々で あります 。 しかしまた、民衆レベルではなく、 政権レベルの動きを重視し、あるい はそれに目を奪われて、わずか四年 前の現実を忘れたかのような人々も また多くいます。四年前の兵実、七
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年代に-賞して闘われたきびしい韓 んが驚かれたように、驚くべき、そ して悲惨なアナクロニズムでありま す。しかし、私は、苦しい中に膝を 屈した朝鮮人をあげつらうためにこ の文章をご紹介したのではありませ ん。日本人として、私にその資絡は ありません。そうではなくて、先ほ ども申しましたように、人間という ものが現実の中にあって如何に変わ っ ていくものかということを申しあ げたかったからであります 。 即 ち 、 今日の私たちにとって、まさに自分 自身の問題としてご紹介するもので あります 。目くらましの言葉
言葉をご紹介したついでに、もう .っ、こんどは A つの演説の三栄を ご紹介します 。 先 の -つ の a J 一 円 葉 は 、 方向を遠えながらも、その人々の内 心を伝えるものでありますが、これ から読もうとする 言 葉は、自分を偽 っ て 飾り、あるいは隠すために、白 分の内心と述く離れた・ 4 一 目 茶であるこ とを知りながら語られた 言 葉であり ます 。 即ち、今年はじめの韓日凶副会 で全斗燥大統領が演説をした施政方 針演説の -部であります 。 彼は 、 今年こそ韓国が附界平和の ために努力すべきであると強調した の ち に 、 こ う い い ま す 。 ﹁議員の皆 国の民主化闘争とその底にあったも のを早くも見忘れて、いま自の前に ある動きだけを、ソウルの街にみら れる表面の動きだけを現実としてと らえ、それが動かし難い現実と錯覚 している人々や報道が増えつつあり ま す 。 乱暴な 、しかし、きわめて現実的 な仮説を申しあげます 。 も し 、 一 つ だけの条件、即ち、金大中氏が韓国に 帰ることができて、拘束されている 民主勢力の自由が恢復されて、ある 程度は白白な選挙が約束されるなら ば、そのとき斡国にみられるのは何 か 。 全 斗娘政権の崩壊であります 。 こ れは現実に予見されることでありま す 。 米国政府と円本政府が 全 午敗政 権を支援しても、いま申しあげたよ うに、ある程度の民主主義が韓同に 回復されるなら、全斗娘政権は崩れ るでありましょう 。 朴政権はあのよ うにして紛れました。これには長い 時間が必要でした 。 しかし、全午検 政権は、どのような形であるかは別 として、直ちに崩れることは確かで あります 。 そして、そのことはいう までもなく朝鮮的勢に大きる変化を もたらします 。 しかし、こうした見易い、もう 一 つの現実に口を向けないのが、今日 のH
本の世論の動向であります 。 そ して、日くらましにあ っ た発 一行や動 さん。平和な惟界、正義にもとずく 世界秩序を声を高らかに叫ぶわれわ れが、われわれ自身の問題を解決す るにおいて、暴力に訴、えるならば、 臼己矛所にはかなりません。外部に 対するわれわれの、平和と正義の要 求や、このための献身は、内部のそ れが確立されてから出発しなければ なりません。・::・われわれの内部に おいては、恭- M
と正義を擁護するど のような人も、平和と正義から度外 枕されるどのような人も、存在して はならないのです 。 : : ・ ﹂ 立派な 言 葉であります 。 光州の惨 劇と金大中氏への死刑宣止円を演出し、 演じた人物が、こんどは、その暴力 の上に﹁正義と平和 ﹂を飾り立てよ うというものであります 。 私は、作 家 の ト 入 江 川 地 4 -e 郎さんが、十年前のよ肌 川 介 ﹄ に執筆された﹁けくらましの 三 葉﹂という文章を思い出しました 。 ト入江さんは、十年前に﹁状況へ﹂ というタイトルの中で 卜 二の エ y セ イを執筆され、その小の -tいで、わ れわれの危険な状況を緩い隠すため の﹁目くらましの言葉 ﹂があ る、と 指摘されたのですが、十年を経たい ま、その指摘は、い っ そう主要であ り深刻であります 。 日くらましの 言 葉がとびかい、ジャーナリズムがそ れを反復・拡大し、人々が目をくら まされている │ │ このようなことが きは、ここまでもと繁くほどに目に 立つようになってきております 。 一 例として、ここに凹月 一 六日付 ﹃ 朝日新聞 ﹄ の論説があります 。 これ には、石橋訪米を評価した上で﹁世 界に聞かれた社会党に脱皮する上で もうひとつの試金石は、これまでゼ ロ だ っ た韓国との交流をどう築いて い く かである 。 ・社会党は国際状 勢の変化を待つのではなく、自らの 判断と責任で対韓交流に踏み切るべ きだと思う﹂とすすめています 。 も っ ともらしい主張ですが、 日米関係 と 日韓関係は、u
本にと っ て令く輿な っ た次元によ っ てできております 。 社会党が韓国との交流を抑えてきた の は、﹁国際状勢﹂によるのではな く 、 日本の南北朝鮮との側係 ー ー ー 即 ち 、 日斡条約体制 1 1 が重みき っ ている からであろうと、私は問解していま した 。 何 よ り も、﹃朝 日 ﹄ 社 説 の い う ﹁ 附界に聞かれた﹂とい う の は 、 どのような意味なのでありましょう . カ ﹁世界に聞かれなか っ た﹂のは、民 主勢力を抑圧し金大中氏を殺そうと して果せず位致したような、あの朴 政権であり、光州惨劇を行い、再び 金大中氏を殺そうとし、西側諸国で すら A 致して非難せざるを得なか っ た令ヰ a 敗政権ではなか っ たのか 。 そ してまた、米年で20
年を迎えるこ(
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どんなに多いか、皆さんは十分にご 承知のはずであります 。 とりわけで、 朝鮮問題をめくって目くらましの言 葉と偽りの言葉が多いことをご承知 のはずであります。 最近、朝鮮問題が活発な動きをし ているようにみられています。たし かに、活発な動きがあり、これからも さまざまな状況をつくり出してゆく と忠われます。その動きの焦点の 一 つは、中国にあります 。 文革のきび しい時代をくぐり抜けて、経済建設 に全力をあげようとしている中国に と っ て、束アジアの緊張緩和は重要 な諜題でありましょう 。 国際政治に おける影響力を阿復したいという思 いもありましょう 。 米国の束アジア 重視の傾向もつよま っ ております。 他方、韓日凶政府は中ソ、とくに中尉 との関係をもちたいとつよく願 っ て きました 。 これには、北朝鮮の匝際 的背景にくさびを打ちこみたいとい う考、ぇ方があることはもちろんです が、ソウル・オリンヒ ッ クに象徴さ れるように、 P 川 d 能な限り対外附放政 策をと っ て、光州惨劇の記憶を薄ら げるようにし、経済問題や汚職不正 など、政権基盤を揺るがす問題を外 に転じたいという全斗娘政権の考え が 一 一 層 つよくなっております。いわ ば、中国と韓国政権の思惑、これは それぞれに違うものですが、いまの とになりますが、 一 九六五年に結ぼ れた日韓条約は、植民地支配を清算 するものではなく、加えて、基本条 約第 三 粂に韓国を﹁朝鮮半島におけ る唯 一 の合法の政権﹂と事実を歪め た認定を条約化し、南北対立に口本 が積極的に入りこんでいくという無 茶苦茶なものでした 。 その背後にあ るのは、南北対立を激化させ、極東 における軍事化を噌強させずにはい ない冷戦構造であり、その中身をな しているのは、日韓癒者といわれた 不正の構造であります 。 こうした暴 力と歪みと不正の故にこそ、日韓関 係は聞かれた関係になりえていない のであります 。 私たちが斡闘の政権に接近できな いのは、この歪んだ日斡条約体制を 私たち自身が口疋とすることになるか らこそ、できないのであります。道 集会風景場
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を閉ざしているのは、日韓条約体制 そのものであります。決して、社会 党ではありません。﹃朝日﹄のこの 社説は、意識的か無意識的にか、根 本において事実誤認をしています。 しかし、社会党自体は、こうした 社説のような主張に揺さぶられてで しょうか、朝鮮問題において最近は かなりの動揺を示しているようです。 新聞によれば、九月の全斗換大統領 来日にあたっては、これを歓迎すべ きではないかという議論もあったよ うです。さすがに、中央執行委員会 はこれを抑えて﹁歓迎しない﹂方針 を決めたそうですが、韓国政権と何 らかの結びつきをもちたいという考 えが党内にあります。その一つとし て﹁日韓関係を考える会﹂というの が準備されているようですが、その ﹁案内﹂の文には、こう書いてあり ま す 。 ﹁わが党の地図には、隣国・韓国が 白地になっています﹂と。また﹁わ が党は今日まで、朝鮮半島政策は、 北との接触のみを通じて行われ、南 との接触は拒絶してきた﹂、これで は積極中立主義をかかげてきた社会 党の任務を全うしえないと。また、 ﹁ソウル・オリンピックが決定され、 国民も世界も韓国に目が向けられて いるとき、このままではわが党は、 外交の孤児に﹂なってしまう、とい 日韓関係はいうまでもなく日韓条 約の締結を基本としておりますが、 この日韓条約体制を成立させたもの は何であったのでしょうか。 当然ながら日韓米三国の政権の選 択でありますが、主役をになったの は米国でした。米国は、一九四五年 八月一五日の日本の植民地支配の崩 壊のそのはじめから、韓国に対して 何らの定見もなく、一言でいえば、 彼らは日本に代わる新しい支配者と して臨んだのであって、従って李承 晩氏を押し立てての彼らの対韓政策 はたえず失敗しつづけ、ひどい敗北 感に悩んでおりました。また、彼ら の朝鮮に対する関心は箪事的なもの が優先しており、従って、米国は、 かなり早くから、軍事的機能は米国 が責任をもちながら韓国の内政維持 の役割は日本に担ってもらいたい、 と考えていました。米国のあっせん によって日韓会談が正式に行われた のは、一九五一年十月のことであり ました。かなり前からの構想である ことを再確認できましょう。 そして一九六五年には、米国は北 ベトナムへの攻撃を開始してベトナ ム戦争を全面化させました。米国は このエスカレ
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シヨンによって一挙 に解決しようとしたのでしょうが、 実際には、米国はすでに敗北しつつ ありました。即ち、ベトナム戦争に う主張であります。 社会党内部で、こうした意見にど ういう反論があったのか、知りませ ん。党員でもない私がこれに反論す る必要もありません。しかし、この ような一見、賢しらげな理屈は、社 会党の外にあり、増えつつあり、社 会党もこれによって動揺しているの であると思えますので、反論しまし ト ゐ 、 ﹁ J O 反論は、きわめて容易です。第一 に、この人たちの頭の中に韓国は空 白であったどというのは驚きで・あり ます。少なくともこの十数年、心あ る人々はたえず韓国の民衆に目を向 け、その誠実な、誠実であるが故に 苦闘を重ね、あるいは拷問を受け、 あるいは死なねばならなかった人々 に注視しつづけてきています。金大 中さんが殺されようとしたとき、助 命を求める街頭署名には、かつてな い署名とカンパが集まったと沢山の 人々から聞きました。皆さんはもち ろんそうでありましょうが、私も朝 鮮問題に関心をもつようになってか ら二六年の問、私の心はほとんど韓 国に向けられ、そのことによって韓 国の人々と結びあうことができ、キ ーセン観光や日韓癒着のような J 連 帯。はできていませんが、心の和解 を僅かながら求めることができるよ うになってきました。韓国が空白で よって米国経済の敏行・弱体化はす すみ、ベトナム民族の自立の前に立 ちふさがり南ベトナムの腐敗政権を 擁護しつづけたことによって、国際 的には孤立を深め、圏内的にはアメ リカン・デモクラシーへの深刻な懐 疑を生ぜしめました。そこで、米国 は、一方では対韓援助の負担を日本 に肩代わりしてもらおうとし、他方 では、韓国軍をベトナム戦争に参戦 させ国際的孤立を少しでも緩和し、 ﹁他国で自国の青年が死ぬ﹂という国 内の批判を少なくしようとしました。 日韓条約が日韓両国で強行されたこ とと韓国軍の参戦が同じ一九六五年 であったのは当然のことでありまし た 。 他方、韓国にあっては、朴政権は 一つの危機に見舞われておりました。 一九六一年五月一六日に軍事クーデ タをもって政権を手にした朴少将た ちは、前年の。四・一九学生革命の 精神を継承するために出てきたもの であり、旧勢力の不正を清算し治安 が回復されたなら民政にかえし、私 たちは箪に帰る。と公約しました。 現在の全斗燥政権と違って朴氏は立 派な、国民的スローガンを掲げたの であります。しかし、それだけに、 軍政の実質とそのスローガンとの大 きな隔りが時間の経過と共に、国民 の不信をつよめるものとなりました。 ある、という人々は、その心中を全 斗換氏によって埋めたいのでありま し ょ う か 。 第二に、社会党の積極中立主義は、 私の理解では、第二次大戦を経た上 での国民の平和思想を背景に、具体 的には、日米サンフランシスコ条約 と同時に調印された日米安保条約の 体制に反対する中で形成されたもの であります。そして、さらに一九六五 年のバンドン会議に象徴されるよう な、アジアやアフリカの反植民地闘 争と民族自決の高まりの中でつくら れた互恵・平等・自立・平和の運動 と結びついたものだと、私は理解し ています。このバンドン精神が今日 の非同盟会議に受け継がれているこ とはご存知の通りであります。日米 安保条約は、米国の冷戦政策のつよ い要請によって結ぼれたものであり、 当時は、保守党内にもこれに対する つよい反対があり、講和全権団の中 でこれに調印したのは吉田首相ひと りでありました。いま、吉田政治が 戦後再興の祖であるかのように評価 され、日米安保体制を認める政治勢 力が増えてきていますが、現実には、 ﹁不沈空母・運命共同体﹂論や﹁日韓 米軍事同盟化﹂にみられるように、 いままさに日米安保は完成に近づい ているのです。こうした状況に反対 しつづけてきた政策が社会党の積極 今日と違って、野党の政治活動は自 由であり、言論活動も自由でありま した。従って、野党も新聞も朴政権 をきぴしく批判しておりました。苦 境にあった朴政権は、米国のつよい 要請に従って、日韓条約とベトナム 参戦の二つを強行しました。これに よって朴政権が得たものはきわめて 大きなものでした。即ち、米国政府 の全面的支援を受け、また経済の工 業化・近代化の基盤を得て、さらに は日本からの資金や援助の導入にか らんで膨大な政治資金をつくり出す 仕組も手にしたのです。 日韓関係を動かしてきたもの、動 かしているものは、三つだといえま す。一つは、米国が東アジアに築い てきた冷戦体制、二つは、日米関係、 三つは、日韓癒着構造、この三つで す 。 二、三年前に元外相の木村俊夫さ んにインタビューをしたときに、木 村さんは、戦後いままで日本外交は なかった、あっても、それは日米関 係にすぎなかった、といわれたこと があります。その日米関係はいま﹁運 命共同体﹂だと嬉しげに言い放った 首相のもとにあって一層はっきりし た性格をもつようになっています。 そして、日韓関係は、六0
年代の経 済を中心とした関係から、七0
年代 の政治と経済の時代を経て、八O
年 中立論だと、私は理解しています。 積極中立論だから全斗燥政権に近づ き日韓米体制に参加しようという考 えは、全く理解に苦しみます。 第三に、﹁外交の孤児﹂を恐れて いるようですが、﹁ニュl
社 会 党 ﹂ とは即ち、原則の放棄なのかと質ね たい。私は単なる原則主義者ではあ りません。僅かな体験ですが、革新 都政第一期にその現場で働くという' 現実の経験もあります。その上で申 しあげるのですが、現実的に対応す るためにこそ、原則的立場をたえず 再確認することが必要であります。 そして、ここでは時聞がありません ので申しあげませんが、社会党がこ れまでの原則的立場を守りながら現 実に柔軟に対応し実績を重ねること は、これまでその機会と方法は沢山 ありましたし、いまもあるというこ とを強調しておきます。日韓関係の本質は何か
そもそも韓国の政権に接近すると いうことはどういうことなのか、日 韓関係の現実を重視するということ はどういうことなのか││このこと を考えるためには、今日にできあが っている日韓関係はどのようなもの か、少し根本に戻って考えてみなけ ればならないでしょう。 代には政治・経済・軍事の関係にな ろうとしています。明らかに、日韓 関係は日米関係のもとに完成されよ うとしております。 以上のように、日韓関係は三つの 要素から成っているのですが、その 結果はどういうものでしょうか││ 今日の状況をみて、いかなる立場に 立つ人でも認めざるを得ないものが いくつかあります♂ 一、先にも申しましたが、日韓基 本条約はあきらかに朝鮮の実態をね じまげたフィクションであります。 このフィクションの上に立って、日 本は北朝鮮に対しては、法的には否 定あるいは無視し、政治的・軍事的 にはこれを敵視しているのであり、 旧宗主国としての清算は三九年を経 てなお行なっていないのであります。 二、日本は韓国の軍事政権をのみ 支持し、韓国内の民主勢力とは一貫 して敵対しつづけてきております。 三、金大中氏投致事件において当 然に遂行さるべき警察の捜査活動を 中断放棄し、金大中氏に対しては氏 の安全を守れなかったことへの遺憾 の意を表しない。即ち、投致の犯罪 行為者たる緯国政府をかばいつくし たのであります。 園、﹁日韓癒着﹂といわれるように、 日樟関係に不正の構造ができ上がっ て、その究明は全くなされていません。(
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五、日米韓の三国の軍事同盟的関 係が次第につくられつつあります。 最も控え目にいっても、以上のよ うな不自然き、歪み、危険が指摘さ れざるをえません。このような日韓 の枠組を改善しようとするとき、ど んなことが起こるか││一例をあげ てみるだけで、それが日韓関係の歪 みをさらにはっきりとさせてくれま す 。 十年前、当時の外相、木村俊夫さ んは、金大中氏投致事件につづく朴 大統領夫人の殺害という緊張のつづ く中で、国会で二つの重要な発言を されました。即ち、北からの南侵の 脅威は﹁基本的には南の方が判断す る問題だが、日本政府は、客観的に みて、そういう事実はないと判断し ている﹂と、また、﹁韓国および韓 国政府を朝鮮半島全体における唯一、 合法的な政府との認識は持っていな い﹂というものでありました。当然 の理性的な発言でありますが、日韓 関係においては勇気ある発言と思わ れ ま し た 。 韓国政府はこの発言に怒り、ソウ ルでは激しい反日デモが行われ、木 村外相のワラ人形が連日のごとく焼 かれました。﹁青年決死隊﹂と称する 三十数人が日本大使館の前で小指を 切り落として大使館へ届けようとし たこともあります。ところが、一方 に、民主化闘争が激しく燃えあがり、 朴政権が窮地に立ったときであり、 民主化闘争を北のスパイの策謀によ るものだと印象づけたいために、十 年前の事件を持ち出したのでした。 その家族たちの訴えは、いま読み かえしても辛い思いにさせます。 ︽今年三つになった男の子は、村 中の子供たちから﹁お前のおやじは スパイだ﹂と罵られます。先日はナ ワで首をくくられ、ひきずり廻され たあげく木に縛りつけられて、銃殺 刑にしてやるとわめく村の子供達か ら杖のようなもので狙い撃ちをされ る場面が演じられました。母親であ る私は血を吐く思いで唇をかみまし た。全世界の人々にこの悲しみを知 ってもらいたいと思います︾ これは、死刑になった河在完氏の 夫人、李英矯さんの訴えです。 ︽最初︹一審︺、あなたを殺すとい ったとき、わたくしは、あなたに向 って泣き叫びました。あなたは、身 振りでわたしをなだめながら、大丈 夫だと、ほほ笑みをよこしてくださ い ま し た 。 二度目︹二審︺、あなたを殺すと いったとき、わたしは泣きませんで した。血の気のない顔でふり返るあ なたに、わたしを信じなさいと、胸 を叩いてみせながら、はげましを送 りました。一二度もふり返るあなたに、 月ほどすると﹃ニューズ・ウィーク﹄ は、この反日デモで自分の指を切り 落とした三十二人は﹁その芝居じみ た行動で指一本につき一一一五ドルか ら三七五ドルを政府からもらってい た﹂と報道しました。即ち、朴政権 による官制のデモだったのです。こ の異常な芝居の中に、二つのことが はっきりとよみとれます。 一つは、今日のような日韓関係が 韓国の軍事政権にとっていかに根本 的なものであり重要なものかという ことです。このいびつな日韓関係が なければ韓国の軍事政権がなり立ち 難いことを示しています。木村外相 の、当然といえる発言がいかに朴政 権の政権基盤を脅かしたことかを、 朴政権自身の反応によって知ること ができましょう。もう一つには、官 製といっても﹁反日﹂であれば韓国 の国民がこれに大規模に参加すると いうことです。﹁日韓友好﹂﹁日韓親 善﹂といっても、その底にあるのは 変わらぬ反日感情であります。
人
々
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この九月に全斗換氏が日本に来る といいます。その目的は何か、判り にくい点もありますが、ご覧のよう に、日本の新聞は、隣国の元首の初 の公式来日として歓迎すべしといっ 死なせないと、絶対に死なせないと、 わたしは胸を叩いてみせたのです。 三度目︹大法院︺、あの十三一匹の 悪魔が、ひねワつぶして殺す値さえ もない、老いぼれの、あの十三匹の 悪魔どもが、あなたを殺すといった とき、私は驚きの悲鳴をあげました。 ずたずたにちぎれるまで、子にした パラソルで法廷のベンチを叩きつけ ました。﹁助けてください、助けて ください、見物だけしないで、助け てください﹂と、声の限りに叫びま した。一九七五年五月一日︾ これは、夫、百円洪善氏を死刑にさ れた萎順姫さんが、ひそかに私に送 り届けてこられた子紙の一節です。 ﹁見物だけしないで、助けてください﹂ という声が聞こえるような、そして、 いまも耳にこぴりついているような 思いが私にはあります。 三年前に﹁韓国からの通信﹂で T-K 氏が伝えてくれたところによりま すと、一五年の刑を受けた賞鉱昇さ んの夫人、安保馨さんは、﹁スパイ の女﹂として疎外されつづけ、つい に精神病院で死んだといいます。そ の声なき声を聞くような思いがあり ま す 。 理念を唱えるだけでなく現実を重 観せよ、という声がいま私たちを覆 っています。現実を重視すべきであ ります。しかし、いまふり返ったよ て お り ま す 。 もちろん、いろいろな考え方があ ってよいと思います。しかし、いま の日韓関係のままに﹁韓国の元首﹂ を日本の国民が迎えることは、いま 述べた五つの歪みを私たちが改めて、 正式に再是認することになることを いかなる立場に立つ人も忘れてはな らないでしょう。歓迎することは、 即ち、新しい関わりを自らもつこと であることを自覚しているべきです。 これが全斗燥氏来日にかかわる第一 点であります。第二の点としては、 個人としての全斗燥氏には、やはり 四年前の惨劇の主犯として問わねば ならないことがあります。韓国の民 主勢力は、日本人が全斗換氏とその 犯罪に対してどう問うかを注視して もいるのです。第三点としていうべ きは、このような日韓関係、全斗検 氏を歓迎しようという日韓の枠には どうしても入り切れない人聞の声の あることを、私たちは改めてみつめ てみなければなりません。 その声とは││自らの生涯を犠牲 にしながら、断腸の思いで語られた 言葉であります。たとえば、獄中に ある徐兄弟の言葉であります。 ︽成長した子供たちを手許に縛っ ておき一生を過ごしてゆく世の父母 たちは、とても幸福でしょう。 しかし、オモニ、 うな全人的な言葉、人々の肺蹄を衝 く声に、私たちは耳を塞ぐことはで きないはずです。 いつも申しあげてきたのですが、 私が朝鮮問題に関心を抱き、もちつ づけてきているのは、それが朝鮮問 題というよりは、私たち自身の問題 であり、私たちの当面する課題や時 代の精神状況、そして人間としての 生き方の問題をたえず考えさせてく れるからであります。 今日の押し流されていくような私 たちの精神状況の中にあって、とく に朝鮮問題が私に諮りかけてくる問 題、問いかける言葉は、まことに貴 重であります。 五O
年前の屈服した朝鮮知識人の 一言葉をはじめに紹介しました。くり 返しますが、それは、一人の朝鮮人 の敗北を日本人である私があげつら うためではありません。深い傷を心 にもった人々でも、このように変わ るのであり、傷を受けない日本人、 ﹄ ﹀ 句 ﹀ZSZ0
・H という声に気分を よくしている日本人がどのように変 わってゆくものかを想像するために、 その憂いを申しあげるためにご紹介 したのであります。私たちの現実と は何か、真実とは何か、光州を記念 するこの日に、あらためて考えたい と 思 い ま す 。 父母と息子が離れ離れに生きてい ても、父母が涙を流すとき、息子も 涙を流すことができ、息子が涙を流 すとき、父母も涙を流すことのでき る家族があるならば、それもまたた いへんに幸せな家族であろうと、私 は信じて疑いません。 生きることに苦しみを捧げるに足 る価値がある おまえとともに涙を流す真実の股 がある限りは:::アボジ、オモニの 健康と長寿を切にお祈りいたします。 一 九 七 七 年 九 月 俊 植 ︾ ご存知のように、このご両親は 思いをはるかに遣しながら。すでに、 この世にありません。そして、兄弟 は不当にもなお獄中にあります。子 は若い女性労働者たちのために自ら 身を焼いて死に、母はその子の遺士山 を継いで闘いつづけている全泰壱・ 李小仙母子の言葉も思い出されます。 二O
年前の一九六四年、﹁人民革 命党事件﹂という事件が﹁アカ﹂攻 撃のためにデッチあげられ、四一名 の人が逮捕されました。しかし、裁 判で全くの無罪とされました。だが 十年後の一九七四年、裁判で無罪と された事件が再びむし返えされ、つ いに翌七五年に八名の被告が闇うち のような形で死刑執行されました。 一九七四年という年は、その春の﹁民 青学連事件﹂などにも見られるよう?
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弘固は草
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│中国残留妻と孤児の記録
楽土から地獄へ暗転した満州で、 集団自決を生き延ひ、いまだ戦後 なき日々を送る人々の苛慣な運命 を追った壮絶な記録。1200
円女性解放思想史
水田珠枝
真の女性解放とは何か。現代の課 題をふまえ、近代西欧女性解放思 想の形成過程を考察。2900
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光州四周年記念集会によせて
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光州義挙の四周年にあたり、日本の友人の 皆さまが、この日を記念して、韓国民どの連 帯を新し︿する集まワをもたれたことは、ま ことに感謝にたえないこどであります。同時 に、光州で亡くなられた英霊も、皆さまの集 まりを心からよろこぶことど思います。韓国 の国民がこの集まりについて知ったならば、 彼らは、いま一度、日本の民主・人権運動の 皆さまに強い連帯を自覚するでありましょう。 光州義挙をふり返るとき、当時、直接の関 連者どして死刑の宣告を受けた私どしては、 深い感慨を禁じえないと共に、光州義挙にお いて犠牲となった人々を想い、悲しみと憤q
の心情を禁じえません。 皆さまがご承知のように、韓国においては、 その問、光州をはじめとして多くの犠牲と努 力が払われたにもかかわらず、いまだに、独 裁政権は国民を抑圧し続けておq
ます。言論 の自由が全︿存在しないこどは言うまでもな く、選挙の自由も、労働運動や農民運動の自 由もありません。学生や研究者の学問の自由 も剥奪されています。しかしこのような、独 裁が国民を抑圧し続けている現状の一方で、 国民の抵抗も止むことなく続いています。 特に、今年の春に入っては、八三斗崎明氏が執 権して以来最大の闘争がくり広げられていま米国ワシントンにて
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す。このように、韓国民の自由ど正義ど、人 間の尊厳性、そして祖国の統一のための闘い が続いている以上、光州の義挙は今もなおカ 強く続いているのであります。韓国民は、路 傍の雑草のように、踏まれても踏まれても立 ち上がって、その目的を放棄することなく、 長い歴史を生きてきました。二千年の中国に よる支配を克服し、継続した日本の侵略をこ えて、韓国民の本質を維持しながら南北合わ せて大千万の大民族を保持しています。李承 晩氏ど朴正熊氏の永久執権の野望も粉砕しま した。全斗崎明氏が今のような独裁をもし続け るなら、第二の李承晩氏、第二の朴正配⋮氏の 運命を絶対にさけられないでしょう。 いま韓国では、民主勢力が総団結して闘っ ております。たくさんの苦難が前途に控えて おりますが、八十年代に民主主義を回復し統 一に進むこどは、まちがいないことだど、私 は確信しております。 韓国民主回復の最大の障害は、アメリカど 日本政府の独裁政権に対する支援にあります。 両国政府の支援があるからこそ、軍隊の全斗 燥政権に対する支援が維持されています。全 斗燦政権に対する国民の支持が会︿ないこと は、アメリカをはじめ、世界の世論が一致し て指摘しています。いまアメリカでは、韓国 に対する態度の変化を求める動きが、活発に 見られておq
ます。去るニ月には、パl
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・フランク議員などニ十名の議員が、レーガ ン大統領に手紙を出して、韓国の人権ど民主 化のために支援するよう政策の変更を求めて います。四月には、トニl
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ル議員など ニ十大名の議員が全斗燥氏に手紙を送って、 同じようなことを要求しています。アメリカ の言論は筆をそろえて、韓国の独裁政権の実 体ど国民支持の不在どを報道しながら、アメ リカの政策の変更を求めています。その他、 多くの宗教団体や人権団体が行動を共にして います。日本における皆さまの韓国民主化に 対する支援がカ強︿前進すれば、両国におけ るこのような動きは、合わさって大きなカど なり、米日両国のあやまった政策を変えるカ を発揮するものと思います。 私も、及ばずながら、皆さまのこのような 御努力に率先して参加し、最善の努力をささ げたいと思います。 今日の集会に集まられた皆さまに、心から の尊敬ど友情を送ると共に、この集会が韓日 両国民の友好ど連帯に大きな前進をもたらす 踏み台となることを、心から祈っておq
ま す 。 光州は、韓国民にとって、民主主義の聖地 であります。きょう、光州義挙の記念に参加 された皆さまと共に、速からずして、民主回 復された韓国の光州の現地において記念の集 会を共に持つことができることをねがい、か つ信じながら、皆様の御健康を祈ります。 大変ありがとうございます。(制・5
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年、父系血統主義の違憲性が国会で初めて 追及されてから8
年、旧国籍法で父系血統主 義を採って以来8
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年の道のりだった。 だが戸籍による国籍管理システムの新設、沖 縄の無国籍者・外国籍者への配慮の不足など、 改正法には国権主義的ナショナリズムの高ま りも感じられる。 男女平等の実現 国会は﹁国籍法および戸籍法改正 案﹂を全会一致で可決成立させた ( M ・ 4 ・ お 衆 議 院 、 同5
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参議院)。改 正法の施行は来年一月一日からであ 丸 山 w o 最 大 の 改 正 点 は 、 出生の時の日本父母両系に転換
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国籍取得について父母両系血統主義 を採用したことである。従来は父系 優先主義で、父が日本国民の場合に だけ子に日本国籍を認めていたが、 これからは父か母の一方が日本国民 であれば認めることになる。この改 正で日本人女性と外国人男性の結婚 から生まれた子が、日本国籍を取れ ないばかりか無国籍者になるという ケl
スは防止されることになる。 日本人と結婚した外国人が日本に 帰化をするときの粂件も、日本人の 妻には受容的だが、日本人の夫には 厳しかった。改正法では平等である。 日本国憲法の両性平等原則がやっと 受け入れられたのである。 外国姓をもっ日本人の誕生 夫婦は別姓のままだが子どもは外 国姓を名乗るということも、家庭裁 判所の許可は必要だが、可能になっ た。子は、いったんは親の戸籍に入 る。そして家庭裁判所の許可が出た 段階で、外国姓による子ども一人だ けの戸籍をつくることになる(戸籍法 一O
七 条 四 項 、 同 二O
粂 の 二 第 二 項 ) 。 これまで、日本人の正式な戸籍上 の氏は、いわゆる日本人らしい氏が ほとんどであった。例外的に、家庭 裁判所の許可を得て外国姓を漢字の 当て字または片仮名で表記している 人々がごく少数いるだけだった。外 国人が帰化する場合にも、日本人ら 日本人同士が結婚すると、どちら かの氏を共同で名乗って夫婦の新し い戸籍がつくられる。しかし外国人 と結婚した場合は男女とも、結婚に よって新戸籍をつくることができず、 配偶者の外国姓を正式に名乗るには 家庭裁判所の許可が必要だった。来 年一月一日からは国際結婚の場合も 新 戸 籍 を つ く り ( 戸 籍 法 十 六 条 三 項 ) 、 配 偶者の外国姓に変更したい場合は結 婚の日から六ヵ月以内に届け出れば 変 更 で き る こ と に な る ( 同 一O
七 条 二 項 ) 。凪
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しい氏名を使うように行政指導が行 なわれてきた。したがって今回の改 正は、日本人が通称でなく戸籍の上 で正式に名乗ることを可能にし、日 本がもはや単一民族社会ではなくな っている現実を法律の上で受容する ことになる。日本の社会に及ぼす影 響は大きいと思われる。 父 系 主 義 と 両 性 平 等 原 則 だが、われわれは改正法を全面的 に支持するものではない。理由の第 一は、現行法の父系血統主義が憲法 の両性平等に違反するという視点か らの改正ではないこと、第二は法改 正前に生まれた者への遡及効である 経過規定の条件が厳しく、特に沖縄 の無国籍者・外国籍者に対する配慮 が欠けていること、第三一に、重国籍 者増加を理由に国家主導型の強制的 国籍選択制度を導入したことである。 第一の違憲問題は既に一九七七年 に土井たか子議員が衆議院予算委員 会で指摘しているし、同年十二月に は日本で最初の国籍法違憲訴訟が起 きた。翌七八年末には第二弾の違憲 訴訟が起きた。原告は二件とも日本 人母・米国人父をもっ女児だった(詳 しくは本誌第 7 号 参 照 ) 。 この二つの訴訟は東京地裁(創・ 3 -m 州 } で も 東 京 高 裁 ( m M ・