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自衛隊法121条への憲法的視点と実定的解釈--恵庭事件裁判における 利用統計を見る

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(1)

自衛隊法121条への憲法的視点と実定的解釈--恵庭

事件裁判における

著者

高木 武

著者別名

T. Takagi

雑誌名

東洋法学

11

1

ページ

29-58

発行年

1967-09

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00006154/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

自衛隊法

一二一条

む四三二一ま

への憲法的視点と実定的解釈

−恵庭事件裁判におけるー

員  次 し が き 公判の経過過程の概要 弁護側の主張 裁判所の反応 判決と判決理由 す び

高 木

宕衛隊法第︸二︸条への憲法的視点と実定的解釈 二九

(3)

東洋法学

三α

は し が き

 北海道の陸上自衛隊の演習場に隣接する牧場の経営者の兄弟︵AとB︶は、自衛隊に対して﹁演習の騒音のために牛 の乳量が減9、受胎率が低下する。﹂と抗議していたが、相手にされなかった。昭和三七年一二月コ日から三日間 自衛隊は、実弾演習を行ったが、ついにAは、二日午後、自衛隊の通信線を五カ所、Bは、翌一二臼午前、そのニカ 所を、ペンチで切断した。警察は、AとBを刑法第二六一条︵器物損壊罪︶の疑いで取調べたが、検察官は、自衛隊法        ︵王︶ 第二二条の違反︵防衛用暴物損壊罪︶として起訴した。こうした自衛隊法︵第二二条︶の適用の試みは、わが国の 憲法学の代表的選手や法律ジャナリズムーマスコミによって、自衛隊法ー自衛隊が、違憲ー無効であるといういわゆ る憲法判断の対象になるとされ、一般の関心を集め、一般も憲法判断を期待し予想したようである。ところが判決は こうした憲法判断をすることなく、もっぱら自衛隊法第一二一条の規定の解釈に終始して、兄弟の行為︵通信線切断︶ は、同条に該当する物を損傷したのではないとして、兄弟の無罪を言渡した。そこで、わが国の憲法学の代表的選手       ︵2︶ や法律ジャナリズムーマスコミから、この裁判は、強い非難をうけたようである。        ︵3︶  この﹁重大かつ奇妙な裁判﹂は、わが国の憲法学の代表的選手でもない筆者にも、つぎのようなことを考えさせ た。  わが国の憲法学の代表的選手の考えとこの裁判の裁判官のそれがこんなに異るものであるのか、いかに法学が価値 判断を加えた一種の政策学であるにしても、客観性がこうしてまったくないようなものなのか、法学には科学性がな

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 ︵姦︶ いのか、このように憲法学視点と実定行政法の解釈が平行して交わらないのか、また宮沢教授がいわれるように、こ       ︵5︶ の裁判は、﹁憲法判断とそれに伴うひとさわぎを予想し、期待した人たちは、肩すかしを食った形になった。﹂にす ぎないのであろうか。筆者は、現行刑事手続や実定行政法として自衛隊法第一二一条に密着して解釈するかぎり、 ﹁コロンブスの卵﹂にみるコロンブスではない人のようであるが、この判決は、わが国の憲法学の代表的選手や法律ジ ャナリズムーマスコミほど、﹁卑怯だ。﹂と思わない。むしろ実定法である自衛隊法第一二一条の規定の文理解釈と、 これまでのわが国の裁判所わけても最高裁判所の憲法判断に対する結果的傾向ー消極主義的傾向からは、まず憲法判         ︵6︶︵7︶ 断はないと予想していた。なぜわが国の憲法学の代表的選手が憲法判断を期待し予想したのか、なぜ﹁卑怯だ。﹂とか ﹁逃げた。﹂とか﹁ずるい。﹂というのか、憲法学とはそれだけのもので、実効性もなく、実定法の解釈の中に入るこ ともできないのか、憲法の法令審査制度は、まったく無意味な存在なのか、その意味でこの裁判は﹁重大かつ奇妙な 裁判﹂といわれるのか。こうした疑問や感慨が、つぎつぎにおこり今なお脳裏を去らない。憲法学の代表的選手のこ の裁判についての批判や意見は、必ずしも筆者を納得させないことは、わけても、憲法学の代表的選手でもなく、こ の裁判の意義を、法律ジャナリズムーマスコミに啓蒙的に規定する機会のない筆者をして、この裁判についての疑問 や感慨について、筆者なりに考えてみようとさせた。これは、これなりに意味があると考える。それは、憲法学の代        ︵8︶ 表的選手によってー啓蒙規定される一般の反応の一部でも示すことができると考えられるからである。 ︵1︶ 朝日新聞昭和四二年一月一二日、三月二九β、ジュリスト 第三七〇号 五三頁以下 ︵2︶ 参照・全国憲法研究会編﹁憲法第九条の綜合的研究﹂︵法律時報一月号第三八巻第二号通巻第四三八号。以下一月号と  自 衛隊法第二二条への憲法的視点と実定的解釈      一三

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東洋法学       三二

する。︶、﹁恵庭事件﹂︵法律時報臨時増刊四月号第三九巻第五号以下四月号とする︶など。この一月号や四月号に示されたこ  の裁判批評のほとんどが憲法判断を予想ー期待し、批判的である。しかし自衛隊法第ニコ条に対する解釈に言及したも  のも、隔靴掻痒のうらみを覚えるものも多いのではなかろうか。 ︵3︶長州一二﹁裁かれる”恵庭判決”﹂︵朝臼新聞昭和四二年五月二二日︶ ︵4︶ かつて民法の分野において同じような法律学・法学の客観性ー科学性が疑問とされ問題になった。参照・川島武宜﹁科 学としての法律学﹂、目本法哲学会編﹁法の解釈﹂、渡辺洋三﹁法社会学と法解釈学﹂など。 ︵5︶宮沢俊義﹁﹃恵庭裁判﹄について﹂︵ジュリスト︶第三七〇号二五頁 ︵6︶ 大石義雄﹁妥当な判決﹂、黒田了一﹁恵庭判決に思う﹂、﹁市原昌三郎﹃統治行為論﹄承認の立揚に立つ﹂などは、必ず  しも憲法判断を予想ー期待しなかったようである︵照月号四九頁以下︶。さきの宮沢教授や大石教授の﹁意見しは、貴重で  ある。自己の研究から考えられることを吐露することは、ある場合勇気も必要であろう。真理や価値判断は、多数決で決  定されることはなく︵参照・銀N毒。戯霧許菊9算零oお一鉱9痙姦鎗ωd鼠お拳巴①簿①夢&9甥呂巳ω鶉房。冒坤津罫  ︵るお∼8︶9巴捨小生﹁法の解釈方法としての比較法﹂東洋法学第二巻第二号四七頁以下。︶両教授のそれは多数の批  判的﹁意見﹂のなかに光っているように考えられる。この裁判について法律ジャナリズムーマスコミを批判的意見のみを  掲げたという批判はできないであろうか。 ︵7︶ 芦部信喜﹁違憲審査権と司法消極主義﹂︵ジュリスト第三七〇号六七頁以下。︶。この裁判について憲法的視点から書か  れた自衛隊・自衛力・自衛などに関する実体的労作は、まさに汗牛充棟の状態であり、これに反して手続的労作は、きわ  めて少いと考えられる。また違憲判決は、きわめて少く、違憲審査権は﹁伝家の宝刀﹂といわれている。 ︵8︶ ここでは、その意殊で、新聞の記事・解説なども資料として利用する。

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公判の経過過程

 恵庭事件の公判の経過は、当事者である検察側と弁護側の主張と対応、そしてその第三者である裁判所の当事者双       ︵i︶ 方に対する反応という過程からなるが、その概要を辿ることにする。  検察側は、自衛隊法第一二一条違反で被告人AとBの兄弟を起訴し、自衛隊法ー自衛隊の合憲性︵第九条の戦争放棄︶ を前提とし、わけても第三二!四回︵昭和四一年コ月︶の公判の論告で、自衛隊法の合憲性を積極的に主張する。こ れに対して、弁護側は、起訴︵昭塾一天年三月七日︶以前から、この公訴事実について、自衛隊法ー自衛隊がβ本国憲 法第九条の規定に違反しないかなどの釈明書を提出して、検察側に反対し自衛隊法i自衛隊の違憲性を主張する。わ けても第三四i四〇回の公判︵昭和璽犀一月︶の最終弁論において、自衛隊法1自衛隊の違憲性を詳細かっ強力に主 張し、被告人の無罪または公訴棄却をしなければならないと主張する。  裁判所は、こうした当事者の主張や対応に対して、訴訟指揮の上での反応を示す。わけても、第二七回の公判︵昭 和四一年六月三β︶で、憲法解釈について﹁憲法全体とくに憲法前文等につよくうち出されている平和主義の理念との 関連において厳格忠実にその文理に即した解釈方法をとることが正しい。﹂と述べながら、自衛隊論争は不要とし、 次回の弁護側の、この﹁自衛隊論争は不要﹂についての質問に対し﹁重要な争点を回避して判断を下すのは正しい裁      ︵2︶ 判の姿ではない。﹂とし、検察側・弁護側の双方の﹁期臼外証拠決定﹂により、一切の証拠申請を、却下または取消し、    自衛隊法第一二一条への憲法的視点と実定的解釈      三三

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    東洋法 学 証拠調の結了を宣言し、第三三回の公判︵昭和四皿年二月一〇β︶において、検察側の論告の を陳述することを禁止し、いわゆる求刑陳述を禁止する。  こうした経過を一応内容的に分けると、およそ、つぎのような過程にすることができよう。 (5)④③(2)(1) 第一ー二七回の公判 第二八i三一回の公判 第三二!三三回の公判 第三四i四〇回の公判 第四一回公判︵判決書渡ー後出⋮︶ 一部   三四 ︵情状および結論︶ ⑤を除き①から㈲までの過程について概観すると、つぎのようになる。 ①第一⋮二七回の公判 検察側は、公訴事実をあげ、Aとβの兄弟の行為は、﹁何れも陸上自衛隊の使用する防衛の用 に供する物を損壊したものであり。﹂自衛隊法第一二一条の違反とする。これに対し、弁護側は、理由をつけ、当該方面隊 は、 憲法第九条第二項の戦力と認められるか、自衛隊は、違憲であるかどうかなどの六点につき、検察側の釈明を求め る。検察側は、これを拒否し、裁判所との間に、釈明の作馬について争うが、裁判所は、違憲法令によって被告人が明白        ︵3︶ に訴追されてからならば、違憲審査権発動の義務あるとする。弁護側は、さらに釈明の理由を詳述し、裁判所に釈明命令 を求めるが、裁判所も、求釈明書の一部について検察側に釈明を命ずる。検察側は、一旦拒否するが、理由を示さずに、 自衛隊一二一条を合憲と考える旨答え、釈明書を朗読する。① 憲法第九条は、自衛力の保持の禁止をせず、② 自衛隊 法は憲法第九条に違反しないから、同法第一二一条は違憲ではなかとする。﹁被告兄弟の陳述書﹂が提出され、米軍と自衛 隊の演習の被害の状況、これに対するその主体的抵抗の実際と自衛隊の行った措置について明らかにし、弁護側は、自衛

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隊法!自衛隊を違憲とし、特別弁護人は、自衛隊達愚性と、違憲説の大多数が本件に統治行為論を適用することが不可で あるとするアンケートの結果を提示し同意見である旨を述べる。検察側は、冒頭陳述を行い、被告人兄弟に対する自衛隊 の恩恵的措置、配慮など、兄弟の通信線切断の事実と状況を示し、証入尋間請求書を提出する︵第一ー五回公判︶。  検察側は証人尋間を行い、弁護側は反対尋問を行うが、検察側の証人尋問ののち弁護側は、釈明要求書を提出し、主と        ︵4︶ して防衛力と戦力の関係について釈朋を検察側に求める︵第木t一三回の公判︶。  検察側は、これに対し釈明書を提出するが、裁判所は ① 直接攻撃・聞接攻撃・武力攻撃・国際紛争のこれらの各概 念と関係、②検察側のいう防衛力と装備についての実定法根拠を明示することを命ずる。検察側は、これらに対する釈 明を行う︵第一四ー一五回の公判︶。  ﹁︵三矢研究︶に関する求意見﹂が弁護側から提出される。弁護側は、本年工月一〇目衆議院予算委員会に提示された昭 和三八年度統合防衛図上研究・三矢計画にみる自衛隊の作戦計画は、検察側の自衛隊の実態についてこれまでの主張と矛 盾するような内容を含むが、検察側は、前臼までの主張を維持するかどうかの釈明を求める。検察側は裁判所の処置にし たがうとする。つづいて弁護側は、習頭陳述を行う。それは ① 自衛隊が憲法第九条に違反する事実 ② 同条の規定 の成立とその背景 ③ 自衛隊法のそれ ④ 自衛隊が国民生活を侵している事実 ⑤ 本件にいたる経緯と本件の実状 についてであり、四六人の証人を申請する。特別弁護人は、自衛隊の実態審理の必要に関する共同意見を陳述する。検察 側は、その実態立証を不要とし、その削除と一〇名を除く証人の不採用を求め、﹁弁護人の証人申請に対する検察官の意 見﹂を提出する。わけても立法事実の立証のために、自衛隊の実態についての立証の必要はない。その要否は、統治行為 論や政治間題の理論から考慮しなければならないと主張する。これに対して弁護側は、﹁検察官の意見に対する弁護人の反 論﹂を行い、本件に統治行為や政治問題の概念を持込むことが誤りであるとする︵第一六⋮一七回の公判︶。三矢研究の田 中証人の尋問が行われるが、弁護側は、三矢研究の現実性、自衛隊の、米極東軍従属性、米の侵略の一翼を担う可能性が あるなどの最終弁論を行う。その間、裁判所が弁護人の尋間制限や証拠排除決定を行なったので、忌避問題も出る︵第一 八ー二四回の公判︶。  弁護側が自衛隊の実態審理のために、防衛庁の防衛計画等の秘文書の取寄などを申請したので、裁判所は、① 自衛隊 自衛隊法第ニコ条への憲法的視点と実定的解釈       三五

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東洋法学

三六 の実態審理の要否 ② その審理の範囲の法的間題について、検察側、弁護側の双方に意見を求め、双方の意見が表明さ       ︵5︶ れてから﹁証拠調の順序に関する基本的見解﹂を決定として発表する︵第二五ー二七回の公判︶。 ⑧ 第二八⋮一三回の公判  弁護側はこの決定とくに自衛隊論争の不要の個所について質問ー追求する。裁判所は、重 要な争点を回避することは、正しい裁判の姿ではないなど答えるが、弁護側は、さらに違憲性についての︵自衛隊法!自 衛隊の︶判断が熟しているならば、被告人を無罪として解放しなければならないと主張する。裁判所は、これ以上の証拠 調の不要という考えにほぼかたまっている、と発表し、やがて﹁期臼外証拠決定﹂によって、 一切の証拠申請を却下ー取 消し、証拠調の結了を宣する。これに対し弁護側は、再考慮を要講し、異議申立を行い、わけても自衛隊の実態審理の必 要を説くが、認容されない。 ⑧ 第三二i三三回の公判  検察側は、論告ー求刑に入る。その要旨は、① 公訴事実 ② 自衛権と憲法第九条の解釈 ③ 自衛隊法の合憲性と違憲立法審査権の限界 ④ 情状と結論︵求刑︶にわたる。わけても②において、自衛権は、主 権国家には固有に認められ、対外主権の核心的権利であり、その放棄は許されない。憲法の平和主義は、無防備・無抵抗 を意味しないことは﹁砂川判決﹂において明示されている。自衛権は、不正な武力攻撃に対する一定限度のやむをえない 国の武力による防衛力であジ、必要かつ相当な眼度内における実力保持を前提とする。戦力と﹁自衛のための実力﹂とは 別であり、前者は国際紛争の解決手段として用いられることを予定した総合的組織力であり、後者は、国際紛争の解決手 段として用いられることを予定されてはならないし、国際平和に脅威をもつものであってはならない。③においては、自 衛のために、どの程度の実力を、どのように緯織するかは、国会と内閣が政治的裁量によって決める攻策問題であり、国 会と内閣が合憲と判断したところにしたがって定めた自衛隊法の基本的規定の、立法の合憲性についての法律判断は、一 見明臼に違憲として認められる場合のほかは、司法裁判所は、判断することはできない。自衛隊法は、憲法第九条に適合 こそすれ、萌白に違憲であるとはいえないし、自衛隊の実力の程度、行動などが自衛の範囲に限定されることについても 十分保障する規定があり、その点からも、自衛隊法の違憲ー無効とは、断定できないとする。  弁護側は、さきに検察側に公訴取消を求め拒否されたが、①の一部について異議を申立て、違法有責を一方的に論ずる ことが不公平であると主張し、本件行為について違法性阻却の事由なく有責と断定する部分を留保ー削除させることに成

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功し結局その部分以外、②と③についての論告が行われ.④を削除し、求刑が禁止される。 ㈲第三照ー四〇回の公判  弁護側の最終弁論が七β闘にわたって行われるが、それは ①憲法裁判論②憲法第九 条と自衛隊の違憲性③自衛隊の実態④自衛隊と国民生活 ⑤ 弁護公判を終っての五つの部分に分けられる。 @ 憲法裁判論︵①︶は、本件の憲法裁判性を、実体的側面、手続的側面と心理的側面から強調しているとする.㌦とがで きようが、わけても自衛隊法第一二一条の規定の解釈に直接迫っている弁論は、注目に価するであろう。④ この事件に は、二つの問題がある。その一は、自衛隊法︵自衛隊︶の違憲の問題であり、他の一は、生活を守るためには、被告人A とBの行為は、やむをえない行為でしかないことである。憲法第九条の第一項の戦争放棄の概念が重要であり、﹁戦争の放 棄﹂とは一切の戦争の放棄であり、﹁戦力﹂︵同条第二項︶は、警察力は別であるが、 一切の戦力である。防衛のための戦 力は許されるというのは、現在の政府・検察官と学説の少数であり、戦力は一切許されないというのは、学界の通説であ り弁護団の解釈である。政府のこの規定に対する解釈態度も変化し、安保条約が結ばれ、再軍備体制に入ると、自衛力漸 増に対応するような解釈を示し、自衛の戦力は許す、と取府は、解釈し、検察側も同様である。.あ裁判の意義は、重大 であり・裁判官は、司法権の独立を守り、後世の批判によくたえる裁判をすることを本件に期待する。⑧自衛隊法第一 二一条の規定によると、﹁本件の犯罪構成要件要素となる︵物︶は、防衛の用に供する物であることが対象とな勢、前提 とならなければならない。しかるに被告人AとBが損壊したというのは、﹃単なる射撃演習用の通信線﹄であるにすぎない もので・直接防衛の用に供する対象となるものでないことは、まことに明らかであり、被告人AとBの行為は、自衛隊法 第一二一条に規定する犯罪構成要件を充足するものでない。﹂。 ◎ 平和な生活をしてきた被告人Aとβの兄弟が法廷に 立たされているのは、平和な市民生活を侵害したものに対する積極的な抵抗をしたという偶然の事実があるのにすぎませ ん。裁かれなけポばならないのは、被告人AとBの兄弟でもなく、β本国民でもなく、自衛隊そのものです。 ◎ 本件 では、統治行為その他の理由で本件を憲法裁判の対象から外にし、または明白の原理にょり、自衛隊法ー自衛隊の合憲性 を認めてはいけないとする。 ㈲ 憲法第九条と自衛隊の違憲性︵②︶には、﹁憲法第九条の解釈﹂、﹁憲法の平和主義の背景と意義﹂、﹁竃法第九条制定の 背景と経過レなどの憲法第九条に関する弁論が展開され、検察側のいう自衛権.自衛力.戦力.防衛力などについて反論が 自衛隊法第ご二条への憲法的視点と実定的解釈       三七

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東洋法学      三八 行われ、その自衛隊法⋮︵自衛隊法第ご二条︶ー自衛隊論がその憲法的視点より、展開される。ここでも多数決原理的弁 論もみられる︵﹁憲法第九条をめぐる国民意識﹂、﹁自衛隊に関する法律家の憲法意識︶。自衛隊の自態︵③︶の弁論では、 可能なかぎり磨衛隊の実態を明らかにしようとされている。自衛隊と国民生活︵④︶の弁論では自衛隊の国民生活に対す る作用をわけても示す。それより﹁弁論を終えるに当たって﹂ ︵⑤︶の弁護で被告人AとBの身につまされるような﹁意 見陳述﹂が行われる。﹁私はどうして、被告という名で、ここに立たされなくてはならないのでしよう。一体何をしたとい うのです。昭和三〇年以来、ジエット機や大砲で私たちはどんなに苦しんできたか⋮⋮、自衛隊は、演習で私の生活がど んなに困ろうと⋮⋮すぐそばで大砲をうちつづけたではありませんか。私たちを人間と考えているのでしようか。﹂と訴え る。 ︵i︶ 公判経過過程については、深瀬忠一編﹁恵庭事件公判経過資料﹂︵一月号一七三貝以下︶、同﹁恵庭事件の経過とその  問題点﹂︵ジュリスト一九六七年五月二蓋翼号第三七〇号八五頁以下︶、渡辺良夫・浜隣武人﹁恵庭事件日誌﹂︵四月号九六  頁以下︶にょる。 ︵2︶ 深瀬教授は、裁判所は、憲法解釈は、文理に即した解釈方法をとるのが正しく自衛隊の合憲性の判断は自衛隊法の規  定−⋮と憲法との論理解釈にするべきであり、本件行為が正当行為であるか否かについては、事実調が先決問題であると  するなどの見解の文脈と、これに続く発言︵後出ω︶とを照合するとき、検察官の解釈は、合理的でないと裁判所がいっ  ていることは、ほぼ確実であるとされているようであるが、﹁辻裁判長は飛憲法をどのように解釈すべきかという立場にた  って、自衛隊の実体を審理するのは、現段階では必要としない。ヒとし、﹁自衛隊論争は不要﹂と報じられ︵以上朝日新聞  ﹁昭和照一年六月四目﹂︶、次回の第二八回の公判︵同月六臼︶で、弁護側は、この見解に対して質問をしている。この質問  に対し、もっとも裁判長は、﹁重要な争点を回避して判断を下すのは正しい裁判の姿ではない。﹂と答えている︵同上・六  月七日︶が、同教授の推測ー判断とは、反対の推測も成立つのが客観的であったように考えられるーもっとも、﹁発言︵記  録その六五頁︶。﹃見解﹄の文脈と照合するとき﹂︵前掲ジュリスト︶の意味を右のようにとる揚合であるが、余り明白でな  い。

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︵3︶ 昭和三七年一二月三ー二β、同月二四臼附で陸上自衛隊北部方面総監は、物品﹁管理者﹂として、AとB兄弟を﹁告  訴﹂し、被告人AとBを厳重に処罰することを警察署長に要求し、昭和三八年のはじめは、AとBの兄弟は刑法器物損壊  罪で捜査されたが、ついに自衛隊法第一二一条で起訴された。第一回の公判に先立ち恵庭事件弁護団が結成され︵九月九  旨︶、同年九月一〇日﹁釈明要求書﹂を提出するが、検察側は、釈明しない旨の意見書を同月二五臼附で提出する︵一月号  一七三頁︶。 ︵4︶ これまで検察側の立証が行われるが、一応終了し︵第二二回の公判、昭和三九年一一月九臼︶、昭和三九年一二月二顯  β弁護側は、証人申請書を提出する。これに対して検察側は、各証人は本件に関連たく、自衛隊の合ー違憲性の判断は、 法規内容に従って判断すべきであるとの意見書を提出する︵昭和四〇年一月七日︶。証人は軍事専門家、公法学者など七人  であるという︵囲月号九八−九頁︶。 ︵5︶ 裁判所は、検察側、弁護側の双方から出されている﹁自衛隊の合憲性に関する主張の一方については合理的解釈でな  いという考えになる﹂と発言する︵朝β新聞昭和四一年六月四日︶とされ、新聞は﹁同地裁の公式見解にょり、自衛隊の 実体をめぐる論争が行われる見通しは少なくなったとみられているとする。﹂さらに、新聞は、﹁裁判長の見解を弁護側が 質問という見出しで、つぎの第二八回の公判︵昭和四一年七月六β︶の模様を報ずる。﹁前團の第二七回の公判で、裁判長 が自衛隊論争が不必要だとの見解を発表したことに対し、弁護側から自衛隊法に対する違憲・合憲の判断をさけた結論を 出すつもりなのか、などの質問が出た。﹂と、もっとも、これに続いて、﹁重要な争点を回避して判断を下すのに正しい裁 判ではない、と答えた。﹂とされる︵以上、朝日新聞七月七日︶︵前出注2︶、裁判所の不明確な発言があるが、これらの新 闘の伝える弁護側の活動からは、やはり深瀬教授がされる推測⋮判断とは、反対の推測⋮判断すなわち必ずしも裁判所は、 弁護側の主張を支持するような方向をとらないという危険が客観的に存在しふ.﹄のではなかろうか。 自衛隊法第一二一条への憲法的視点と実定的解釈 三九

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東洋法学

四〇 二 弁護側の主張  弁護側の主張は、検察側の自衛隊法第一二一条違反として起訴したことの対応としてはじまる。その主張の基本は 自衛隊法i自衛隊の違憲︵憲法第九条︶であるという憲法的視点からする自衛隊法⋮自衛隊に対する解釈i認識論で ある。現実の自衛隊を目前におき、弁護側は、自衛隊法!自衛隊・戦力・防衛とは何かと検察側に釈明を要求し、統 治行為論の適用は本件では考えられないなどと検察側を牽制し、﹁三矢研究﹂ー﹁三矢計画﹂に見る作戦計画からは、 これまでの検察側の自衛隊の実態についての主張とは矛盾するが、それでもその主張を維持するか釈明を求め、自衛 隊の違憲の事実などの六点についての主張を行い、その立証のために四六人の証人を申請し、特別弁護人は、自衛隊 を憲法事実として、その基本的性格の認定のために充分な審理を行わなければならないという共同意見を提出し、わけ ても自衛隊の実態の認識へと検察側と裁判所を牽制し、さらに﹁検察官の意見に対する弁護側の反論﹂をし、統治行 為論などを不可とし、﹁三矢研究﹂の現実性、自衛隊の国際的性格︵作用︶などを論じ、自衛隊の実態審理のために いよいよ検察側わけても裁判所を牽制しようとする。しかし裁判所の微妙な反応に押えられ、検察側の論告が行われ るが、弁護側は、公訴取消し、異議申立を行い、最終弁論で、これに対し自衛隊法!自衛隊の違憲性、そのための自 衛隊の実態を執拗に主張する。つぎのようなことが、わけても員立った主張とすることができよう。  ① 自衛隊法ー自衛隊の違憲性  この違憲性を前提として弁護論が展開されたが、日本国憲法制定過程以来、目

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本国憲法第九条第一項は、一切の戦争を放棄し、同第二項は、一切の﹁戦力﹂を所持しないことを宣言したとされて きた。︹戦力は、一切許されないというのは学界の通説でもある。︺。しかし警察予備隊は保安隊1自衛隊へと移行し、 事態は一変し︹政府︵1検察側︶は、自衛力漸増に対応するように、自衛の戦力の所持は、許されると解する。︺検察 側は、本件でその自衛隊法︵第二二条︶を適用し公訴を提起したが、︹この裁判の意義は重要であり︺本件を憲法裁       ︵王︶ 判とする意図があるとしなければならない。自衛隊が違憲であるなら、自衛隊の保護法益は、憲法上無価値である。 そこで自衛隊が憲法第九条の戦力であるかどうか。戦力でないならそれは何か、﹁防衛﹂とは何かを明らかにしなけ         ︵2︶ ればならないともする。  ⑧ 自衛隊の軍事性  自衛隊法ー自衛隊の違憲性︵ω︶を確めるには、自衛隊の実態を明らかにしなければなら ない。自衛隊法では、自衛隊が直接侵路および間接侵略に対しわが国を防衛することを主な任務とする︵同法第三条︶。 そのために自衛隊は、武器を保持し︵同法第八七条︶、武力を行使する︵同法第八八条︶ものとされているが、防衛に必 要な武器ー武力の行使という概念が不明確であり、現実の自衛隊は、自衛隊法のいう自衛隊かどうかを明らかにしな ければならない。そのためには、わけても自衛隊の実態を明らかにしなければならないとする。特別弁護人も、そ の﹁実体審理の必要に関する共同意見﹂ ︵第一六回の公判︶を提出する。  ③ 自衛隊の国民生活破壊性  自衛隊は、災害派遣、基地経済などの積極面ももつが、基地建設などでは、従来 の農ー漁民の生活の基礎をおびやかし、基地の使用や演習などでは国、民の生活を侵害して、農ー漁業の自然的生産、       ︵3︶ 教育などの効果の低下をきたさせている。しかも、その補償は、不充分である。平和な生活をしてきたAとBの兄弟    自衛隊法第ニコ条への憲法的視点と実定的解釈      四一

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   東洋法学      四二

が法廷に立たされているのは、平和な市民生活の、こうした侵害に対する積極的な抵抗すなわち通信線切断という偶        ︵4︶ 然の事実によるにすぎない、ともする。  ㈲ 多数決的原理の利用  第五回の公判の冒頭陳述で、特別弁護人は、﹁自衛隊の合憲性および統治行為論適用 可否にかんするアンケート﹂の結果を参考資料として提出し、そのアンケートによれば、アンケ⋮トの対象者は三七 三名であり、その回収は一八九名︵五〇、七〇パーセント︶であり、そのうち﹁明白違憲説﹂は、一ニニ名︵六〇、四パーセ ント︶であり、多かれ少なかれ違憲説を認めている者を合せると、違憲説は一六四名︵八七、七。ハーセント︶に達し、 合憲説︵一二、三パーセント︶を圧倒する多数であることを示し、文字通りの最終弁論では、防衛のための戦力は許さ れるというのは、政府・検察官と学説の少数説であり、戦力は︸切許されないというのは、学界の通説であるとし、 弁論﹁自衛隊に関する法律家の憲法意識﹂や同﹁憲法第九条をめぐる国民意識﹂には、各種のアンケートの結果が示     ︵5︶ されている。  自衛隊法i自衛隊が違憲である。ゆえに無罪という公式のための、わけても自衛隊の軍事性︵ω︶や国民生活の破 壊性︵③︶にみられる自衛隊の実態を明臼にする試みは、自然でもあり、当然でもある。しかしこうした試みは、あ くまで、この公式への方法であって、その試み自体は、目的では決してなく、まして他の目的のためのものであって はならないし、そこに自ら限界がなければならないであろう。また効果的には、自衛隊法−自衛隊が違憲であるとい う認識に直結されなければならないであろう。試みのなかには、なるほど平和な市民生活に対する自衛隊の消極面を 深刻にし、素朴な人間的ないかりを覚えさせ、社会ー政治的矛盾を意識・認識させるものもある。しかし、そうし

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た、違憲への意識どころか、こうした自覚・意識・認識が、それなりにしかとどまっていないような試みもあるような 憾みがないであろうか。法廷は、教室や研究室ではない。弁論は、研究報告や論文ではない。論説や解説でもない。 裁判官や検察官は、研究者でもなければ学生でもない。読者でもない。  こうした自衛隊法ー自衛隊の違憲性︵O ゆ︶、自衛隊の軍事性︵②︶と国民生活破壊性︵③︶を、憲法判断への実体 的接近ということが許されるならば、手続的接近というものも考えられるであろう。本件でみられるおもな手続的接 近としては、つぎのようなことがあげられよう。  ㈲ 第五回の公判において特別弁護人は、﹁自衛隊の合憲および統治行為論の適用の可否にかんするアンケート﹂ の結果を参考資料として提出し、その方向で意見を述べ、本件では、憲法判断は、統治行為論を理由として回避され ては不可いと主張する。  ㈲ 第一七回の公判において、検察側が﹁弁護人の証入申請に対する検察官の意見﹂を提出するが、自衛隊の実態 についての立証の要否には統治行為論や政治問題の理論から考慮しなければならないとするに対し、弁護側は、﹁検 察官の意見に対する反論﹂を行い、本件に、そうした統治行為や政治問題の概念を持ち込むのが誤りであると主張す る。  ⑥ 裁判所の求釈明︵昭和四〇年五月一八日︶に応じて、第二六回の公判において弁護側は、﹁弁護側が立証の対象 にしているのは、過去に事実として存在し、また現に存在する自衛隊の⋮⋮全体であり⋮⋮自衛隊法第コニ条の構成 を限定するという、いわゆる合憲的アプロ;チといわれる解釈方法が可能であり、それに応じて証拠調の範囲も減縮    自衛隊法第一二一条への憲法的視点と実定的解釈       四三

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   東洋法学       殴四

      ︵6︶ されうる場合のあることは否定しないが、本件でそのような方法をとることは違憲審査権からの逃避にとどまる。﹂ とし、特別弁護人は、統治行為論について共同意見を述べる。  ⑥ 最終弁論の第三五回の公判において、特別弁護人は、﹁違憲審査権の本質と意義﹂を述べ、本件では統治行為 その他の理由又は明白の原理で憲法判断をさけてはいけないとする。  こうした手続的接近は、さきの自衛隊法ー自衛隊の違憲性︵①︶、自衛隊の軍事性︵⑧︶と国民生活破壊性︵③︶ のいわば実体能接近とくらべれば、乏しいともいうことができないであろうか。乏しいといえば、自衛隊法第一二一 条そのものに対する実定的解釈論も乏しいとすることができないであろうか。わずかに最終弁論の第三四回の公判に おいて、AとBの兄弟が損壊した物︵通信線︶は、﹁単なる財撃演習用の通信線﹂で、直接防衛の用に供する物では       ︵7︶ ないと主張されているのみのようである。また多数決的原理の利用も、消極的な意味で、乏しいものの指摘にならべ て、顧るならば、それは、はたして意味があったであろうか。多数決原理は、意思統一の方法としては秀れたもので あることはいうまでもないが、真理や価値判断においては、無意味である揚合が多く、あまりにも形式的であり算数         ︵8︶ 的であり傾向的である。  こうした判決−憲法判断への接近においていわば実体的であり、むしろ手続的でなく、しかも実体的である内容が 論文的に可能の限りの拡さと深さをもつようであり、アンケートの結果も加え、自衛隊法第一二一条の規定の解釈を 第二義的とするような弁論主張は、いわば、大学教授的弁論ー主張といえないであろうか。       ︵9︶  なおこれに対する検察側の主張と対応は、ある意隊での実務家的なものとすることができよう。

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︵圭︶ この断定には、論理性はないようκ思われる。こうした傾向は、すでに一の註二や5︵三九頁︶ にも見られる。 参照・深瀬・前掲ジュリスト八九頁 ︵2︶ ﹁弁護人の釈明書﹂ ︵昭和三八年九月一〇目︶ ︵一月号一七四頁以下︶。ただし︹  ︺印の間の文章は除く。 ︵3︶ 2に同じ。 ︵4︶ 3に同じ。ここでは、自衛隊の軍事性⑧と分けて自衛隊の消極的作用という意味で国民生活破壊性︵⑧︶というこ とにする。 ︵5︶ 四月号ニニ六頁二一二三頁以下 ︵6︶ 四月号一〇二頁 ︵7︶ 四月号一二三頁 ︵8︶ 参照 宍㌔≦・おΦ旨︸2ρωh犠 小生前掲四七頁 ︵9︶ 検察側の主張については、わが国の憲法学の代表的選手や弁護側の弁論などにすでに、詳細にかつ啓蒙的に批判・ 論評されているので、言及することも無駄であるので、省略することにする。ただ検察側の主張、考え、その支持者の論 説・解説などは、法律ジャナリズムーマスコミにあらわれる機会が少なかったようであり、片手落の憾みもないことはな いであろう。 豊衛隊法第ご二条への憲法的視点と実定的解釈 醒五

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東洋法学

四大 三 裁判所の反応  裁判所の反応は、弁護側の主張や対応と検察側のそれの直接または間接の対応であり、意思的な決定や見解とそう でないものとに分けることができる。まずその意思的な決定や見解をあげれば、つぎのようなことがあげられる。  ① 第一回の公判において、弁護側が検察側に、自衛隊法、自衛隊が合憲なのかどうかの釈明を求めるが、検察側 は、これを拒否するのに対して、裁判所は、検察側との問に釈明の作用について争う。その論争において裁判所は、 ﹁本件が、重要な憲法問題を含んでいることを充分知っている。新憲法下の裁判官として、訴訟の審理中、違憲の法 令によって被告が訴追されていることが明らかになれば、人権擁護のために、違憲審査権を発動する義務がある考と    ︵王︶ えている。﹂とする。なお第二回の公判において、弁護側が﹁釈明を必要とする理由﹂を論じ、裁判所に対し検察側に 釈明命令を発することを要求するが、裁判所はその自衛隊法第二二条は合憲として起訴した理由を示すように説示   ︵2︶ もする。  ⑧ 裁判所は、第二七回の公判において、 ① 自衛隊の実態審理の要否 ② 必要ならば、その範囲について検 察側、弁護側の見解を求め、双方の見解が表明されてから、 ﹁証拠調の順序に関する決定﹂を双方に告知し、その理 由としてつぎのようなことを示す。 ﹁① 憲法第九条の規範内容を明らかにするためには憲法全体とくに憲法前文等 に強くうち出されている平和主義の理念との関連において厳格忠実な解釈方法をとることが正.しい憲法解釈の態度で

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ある、わが国の内外で展開されている変転きわまりない歴史的社会的事実についての事実認識如何等によって解釈を 左右されてはならない。さもないと憲法の規範的拘束力が不当に弛緩される。 ② 自衛隊法の合憲性については、 自衛隊の諸規定と憲法第九条との関係の論理を、平和主義的憲法感覚に立脚して法理的に厳格に追求して行くことに よっても、おのずから導き出される。 ③ かような憲法判断の補助手段として、自衛隊の実態に関する事実認識が 必要になるのは、自衛隊法の合憲性につき数個の合理的解釈が並立するような場合だけである。 ④⋮⋮⋮自衛隊 法第一二一条の合理性の判断は、自衛隊法の憲法判断と不可分であり、同条の合理性に疑闘が生じたとしても、それ       ︵3︶ が問題になるのは、具体的な事案について同条を適用する時点に至った際であるが−⋮:⋮⋮⋮−﹂と。  ③ 第二八回の公判において﹁証拠調の順序に関する決定﹂について弁護側が、前回に引続いて質問を行うが、﹁本 件の最大の争点である憲法判断を回避することは違憲審査権の放棄ではないか。﹂などの質問に対して、裁判所は、  ①  ﹁本件における自衛隊の合憲性という最も根本的な争点については判断を回避しない。⋮⋮⋮訴訟の根本的争 点を回避することは裁判所として正しい姿勢ではないと考える。﹂ ② ﹁自衛隊法の合憲性について裁判所の態度が 現在かたまっているということを、法第ココ条の解釈の中にその憲法判断をどの程度折りこむかということは、必 ずしもイコールではない。⋮⋮⋮⋮⋮しかし最大限そのような憲法上の争点を回避しない形で折りこみうる余地が十    ︵4︶ 分ある。﹂とするところもある。  こうした裁判所の発言的意思的な決定や見解は、裁判所が一見憲法判断について理解があり、積極的のように認識 されるが、必ずしも、そのように理解されないように考えられるところもあるのではなかろうか。わけてもつぎのよ    自衛隊法第ご二条への憲法的視点と実定的解釈       四七

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うな点において、憲法判断について不明確または消極的であろうと指摘できないであろうか。   @ さきのωにおいて、本件の憲法問題性を認めたのちに、一般的抽象的に﹁訴訟の審理中、違憲の法令によっ て被告が訴追されていることが明らかになれば−⋮⋮⋮違憲審査権を発動する義務があると考えている。﹂とする。 この仮定と本件がどのような関係があるのか明白ではないのではないか。   ㈲ ⑧の①においては、裁判所は、きわめてもっともらしい憲法第九条の規定の解釈方法を一般的に示しながら 、結局は、その不明確な文言によって、大学教授的弁護側の主要な主張の一である自衛隊の実態審理も不要であると していると解されそうでもある。﹁わが国の内外で展開されている⋮⋮⋮歴史的社会的事実﹂とは、具体的になにを指 しているのであろうか。それについての﹁事実認識﹂とは何か。もし﹁⋮⋮歴史的社会的事実﹂に、わが国の自衛隊 を含むと解すれば、自衛隊についての﹁事実認識如何等﹂には左右されては不可であるとも解されないであろうか。   ⑥ ⑧の③において、自衛隊の実態の事実の認識が必要なのは、自衛隊の合憲性について複数の合理的解釈が並 立する場合であるとするが、本件においては、複数の合理解釈が並立しているとしているのか。さすが弁護側も﹁本 件では憲法解釈をめぐり、両当事者が対立しているが、﹂これに当るといえないかと追求する。裁判所は、この質問 に対し、﹁双方から出されている自衛隊の合憲性の主張の一方については、それは合理的解釈でない。﹂と答える。 つまり検察側または弁護側と指摘することなく不明のままに、その複数の解釈が並立していないとするのであろうか。   ⑥ ⑧の④においても、自衛隊法第ニコ条の合理性の判断は、自衛隊法の憲法判断と不十分であるとしなが ら、 ﹁それが問題になるのは、具体的事実について同条を適用する時点﹂であるとするが、現時点は、公訴事実につ

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      ︵5︶ いての審理が尽されていないので、法を適用する段階に達していないと続けている。この時点を除いて、ただ公訴事 実に審理が尽される時点のみ示している。   ㈲ ⑧においては、さすが①ー④で一瞥したような危険な不明確さがないようであるが、﹁自衛隊の合憲性﹂︵① ②︶とする文言や自衛隊の違憲性としないでただ﹁憲法上の争い黒を回避しない形で折りこみうる余地が十分ある。﹂ とするのみで、憲法判断をするとしていない点に不安を覚えないであろうか。  結局、裁判所の反応は、一般抽象ー仮定、概念の不明確などの方法をとり、問題を具体的に答えることもせず、対 照的反応︵わけても弁論側に︶である。これらの意思的な決定や見解を受容する弁護側は、それぞれ対照的な受容でき るこうした裁判所の対照的な反応を、それなりに大学教授的に受容し理解しようとし、また受容し理解することが少       ︵6︶ なくなかったのであろう。こうした対照的反応・意思的な決定や見解と、さきのO ゆに加えた釈明命令やつぎに示す裁 判所の意思的な決定や見解でない処置命令などの反応が合して、弁護側に、憲法判断を、より一層期待し予想させる のであろうか。  ④ 昭和四〇年八月一日︵第二九回の公判同年七月七目・第三〇回の公判同年九月七目︶裁判所は、検察側、弁護側双方 に対して請求証拠のうち取調未了のものは却下または取消して、証拠調を結了する旨を決定し処置する。これによっ て、事実への接近が打切られ、自衛隊法−自衛隊の合憲・違憲の判断への接近の可能性いや蓋然性があるとすること は、ある意味では自然でもあろう︵しかしそれだけでもないが︶。  ⑤ 第三三回の公判において、裁判所は、検察側の④﹁情状および結論﹂の朗読を禁止する。これによって、いよ    自衛隊法第ご二条への憲法的視点と実定的解釈       四九

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いよその憲法判断が蓋然的に期待し予想されるのが自然になるともいえる。 五〇 ︵玉︶ ︵2︶ ︵3︶ ︵4︶ ︵5︶ ︵6︶ 回避しない。﹂ 一月号一七三頁 渡辺・浜属前掲四月号九八頁 渡辺・浜口前掲四月号一〇二ー三頁 渡辺・浜自前掲四月号一〇二頁 渡辺・浜目前掲四月号一〇三頁 ωから③までの間において裁判所がわずかに﹁本件における自衛隊の合憲性という最も根本的な争点について判断を      ︵⑧の①︶として、憲法判断について積極的に書明しているのみといえないであろうか。

四判決と判決理由

判決は、入も知るようにつぎのように言渡される。        主  文   被告人両名は、いずれも無罪。   判決理由は、つぎのようである。 裁判所は、① 被告人AとBに対する本件公訴事実を述べ、 検察側の、AとBの各所為がいずれも自衛隊法第﹃二

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一条に該当するという主張を示し、 ②弁護人が、AとBの各行為が同法︵同条︶の構成要件にあたらず、同条お よびこれを含む自衛隊法全般ないし同法による自衛隊が違憲︵第九条⋮前文︶であり、同法第一二一条は、違憲無効と 主張されるから被告入AとBの各行為が﹁自衛隊の−⋮⋮使用する⋮⋮多ての他の防衛の用に供する物を損壊レ⋮ た、場合に該当するかどうかについて判断するとして ③ 自衛隊法一二一条は、財産犯罪的な性格よりむしろ﹁国 の防衛作用﹂を妨害する犯罪類型としての性格に第一次的意義があり、 ④ 罪刑法定主義からは、本条にいわゆる ﹁その他の防衛の用に供する物﹂という文言は、包括、抽象、多義的規定方法であり、立法の性質上、一応基本的な 決定を示すことによって、これを法の適用者にゆだねるばあいがすくないことは否定できない。したがって、それは 必要最低限度にとどめるべきであり、厳格解釈の要請がひときわ強く類推解釈の許容の限界についても、いっそう厳 しい制約原理が支配し、刑罰権のし意的な濫用を厳重に警戒する態度でなければならない。 ⑤ 本条の文理的構造 にてらすと、自衛隊の所有または使用する一切の物件に対する損傷行為を処罰対象とするものでないことは明白であ り、さらに自衛隊のあらゆる任務もしくは業務上必要性のある物件を対象とする法意でもないことは疑いをいれない。 本条にいう﹁その他の防衛の用に供する物﹂の意義、範囲は、同条の﹁武器、弾薬、航空機﹂が解釈上の指標たる意義          ヤ   ヤ   ヤ   ヤ       ヤ   ヤ   ヤ   ヤ と法的機能をもつ。防衛の用に供する物と評価しうる可能性なり余地のあるすぺての物件を、損傷行為の客体にとり あげていると考えるのは、妥当性を欠く。もしこうした思考方法を採用するならば、罪刑法定主義の理念に脅威をあ たえるであろう。﹁その他の防衛の用に供する物﹂とは、これらの例示物件のあいだで法的にほとんど同列に評価し うる程度の密接かつ高度な類似性のみとめられる物件を指称する。③ 物自体の機能的属性として防衛作壌のうちと    自衛隊法第ご二条への憲法的視点と実定的解釈      五一

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五二 くに自衛隊法上予定されている自衛隊の対外的武力行動に直接かつ高度の必要性と重要な意義をもつ物件であり、 ⑧自衛隊の物的︸環を構成するうえで不可欠にちかい枢要性をもつ物件であり、◎規模、構造の上で損傷行為が 加えられればその影響が深刻なものとなり危険の大きい物件である。被告人AとBの両名が切断した通信線が上記の ④、⑧と◎の点にてらすと、類似性の有無に関して実質的な疑問をさしはさむ理由があるばあいは罪刑法定主義の原 則にもとづき、これを消極的に解し、﹁その他の防衛の用に供する物﹂に該当しないものというのが相当である。 ⑥ 弁護人らは、本件当初から自衛隊法第ニコ条を含む自衛隊法全般ないし自衛隊の違憲性を強く主張している が、裁判所が違憲審査権を行使しうるのは、具体的法律上の争訟の裁判においてのみであるとともに具体的争訟の裁 判に必要な限度にのみかぎられている。本件のごとき、刑事事件にそくしていうなれば、当該事件の裁判の主文の判 決に直接かつ絶対必要な場合だけ、立法その他の国家行為の憲法適否に関する審査決定をなすべきことを意味すると  ︵1︶ する。  この判決理由は、がいして自衛隊法第コニ条の解釈と憲法判断をしない理由に分けることができるが前者につい てのみその批判の焦点をあわせることにする。  まず注目しなければならないことは、自衛隊法第一二一条の規定する犯罪類型が、刑法第二六一条にいう財産犯罪 的類型ではなく、国の防衛作用の妨害の犯罪類型であるとしていることである。ここにおいては、国の防衛作用を是 認し、これを前提としているということが示されているとしなければならない。  つぎに﹁その他の防衛の用に供する物﹂についての一定の解釈が示されていることにも注意しなければならない。

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罪刑法定主義の理念からは、本条の規定する﹁その他の防衛の用に供する物﹂は、厳格に解釈し、きわめて限定された 類推解釈のみが許されるとし︵④︶、この﹁物﹂は、﹁武器、弾薬、航空機﹂という物件との問には、﹁法的にほとん ど同列に評価しうる程度の密接かつ高度の類似性のみとめられる物件﹂であり、﹁物自体の機能的属性﹂として﹁⑧ 自衛隊の対外武力行動に直接かつ高度の必要性と重要な意義をもつ物件であり、⑧ 自衛隊の物的一環を構成するう えで不可欠にちかい枢要性をもつ物件であり、◎ 規模、構造の上で損傷行為が加えられれば、その影響が深刻なもの となり危険の大きい物件である。﹂とする。そして④、⑬と◎から点検すると切断された通信線は、この﹁その他の防 衛の用に供する物﹂に当らないとするのが相当であるとする。こうした厳格解釈i限定類推解釈は、なるほど罪刑法定       ヤ 主義の理念から肯首できるかもしれない。わけても﹁その他防衛の用に供する物﹂と規定するように、﹁武器、弾薬、 航空機﹂と﹁その他防衛の用に供する物﹂とが併列的な関係ではなく︵それでも﹁その他防衛の用に供する物﹂には、こ        れと﹁武器、弾薬、航空機﹂との間には、類推解釈は必要ではあるが︶、﹁その他の防衛の用に供する物﹂とされているから この﹁物﹂と﹁武器、弾薬、航空機﹂の間には、一層類推解釈が必要でもある。ところが罪刑法定主義の理念から、 その一層必要でもある類推解釈は、厳格でもあり限定されなければならないと考えられる。しかしそうであるからと いってその厳格i限定的類推解釈には、わけても﹁物自体の機能的属性として﹂の⑪、⑬と◎のような関係︵要件︶ が必要であるとはたして断言できるであろうか。またこの規定は、﹁その他防衛の用に供する﹂としないで、﹁その他        ヤ  ヤ の防衛の用に供する物﹂として、さきの例示物件︵﹁武器、弾薬、航空機﹂︶よりの一層の類推が認められ、むしろ必要 でもある規定である。つぎに、﹁物自体の機能的属性として﹂の⑧、⑧と◎のような﹁物件﹂に注目する限り︵例示    自衛隊法第一二一条への憲法的視点と実定的解釈       五三

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五四 物件は、意識しないで︶、このような物件は、具体的に、どのような物か容易に想像すらできないのではなかろうか︵ま た、そのよう物件は、罪条規定にいう﹁五年以下の懲役又は五万円以下の罰金﹂の程度の制裁でいいかという疑問も考えられる︶、       ︵2︶ と考えられる。こうしてすくなくとも﹁物自体の機能的属性﹂は、裁判所の独断であるとすることができよう。した がって不当に縮小された解釈ともいえそうである。  一歩ゆずって、こうした厳格限定類推解釈に目をつぶり、全面的にこれを肯首し、その文理解釈を許すとしても、 憲法前文の平和主義の規定わけても憲法第九条の戦争放棄の規定から、自衛隊法︵第ごコ条︶ー自衛隊が違憲の疑い が少しでもあるという立場からすれば、こうした文理解釈は、論理解釈として支持できないとすることもできる。そ のはじめに、判決理由は、この自衛隊法第二二条の規定する犯罪類型は、﹁国の防衛作用﹂を妨害する犯罪類型で あると、裁判所は、﹁国の防衛作用﹂を是認し、これを前提して、自衛隊法⋮自衛隊を合憲とし、いやすくなくとも        ︵3︶ 違憲とはしておらず、こうした厳格限定類推解釈をしているとすることができよう。    ︵1︶ 四月号一〇六ー八頁    ︵2︶ この裁判判決についての憲法学の代表的選手の批評のなかは、︸、その他の防衛の用に供する物﹂と﹁その他防衛の用に    供する物﹂の法的な文言的差異にふれた実定的解釈による批判はないようである。﹁その他﹂と﹁その他の﹂という規定の    法的な文言的差異については、参照・林修三﹁法令用語の常識﹂一四−六頁。    ︵3︶ 参照・新井章﹁自衛磁法および同法一二一条は憲法に違反する﹂︵四月号一九六頁︶。

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む す び  検察側によって、自衛隊法第コニ条違反として起訴されたこの恵庭事件は、そのために、はじめから自衛隊法ー 自衛隊が違憲であるか合憲であるかをめぐって、弁護側と検察側との間に、執拗な憲法論争1自衛隊の実態の審理要不 要が激しく展開される。弁護側は、四〇〇名にのぼる弁護団を結成し、わが国の憲法学の代表的選手は、特別弁護人 になり、あるいは全国憲法研究会を通じて、弁護団を直接または問接に支援する結果になる。また法律ジャナリズムー マスコ、・、は、主としてこの憲法学の代表的選手によって、この事件の裁判の経過と結果に、関心と支援︵弁護側の︶ をおくることになる。弁護側は、自衛隊法⋮自衛隊が違憲であるという基点に立ち、こうした関心と支援に支えられ ながら、大学教授的主張ー活動を行い、検察側に攻撃をかけたようである。これに対する検察側は、自衛隊法ー自衛隊 が合憲であるという基点に立ち、地味な実務家的主張をし、対応を示し、自衛隊法ー自衛隊は合憲であるという法律ジ ャナリズムーマスコミの論説や解説もほとんどみないままに、弁護側の主張⋮活動に対応し、もっぱら防禦に終始する ようである。こうした弁護側、検察側の双方の主張!活動または対応に対して裁判所の反応は、裁判の経過過程のそれ と判決において、断絶し、奇妙であるような曲線を示す。対照的であるが、憲法判断ー無罪への意味にもとれるよう な意思的な決定や見解を示し、さらにそれを確実に意味するような釈明命令、処置命令なども下し︵検察側に︶、判決 ︵ー理由︶では、自衛隊法第一二一条の規定にのみ注目しての実定解釈を下し、無罪の結論を出す。それは、余りに    自衛隊法第一二一条への憲法的視点と実定的解釈       五五

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       ︵ま︶ も不自然な、裁判の経過過程の画く軌跡から、外れる結論であるとすることができる。自衛隊法第一二一条の規定に近 視的に密着しゼロ距離照準的解釈をするのであるなら、これまでの裁判経過過程の反応は、まったく無意味でもあり 間題のある訴訟指揮ともいえよう。しかし、この︵裁判所の︶反応には必ずしも憲法判断への期待ー予想を意味するも ののみでないようであり、弁護側は、大学教授的実体的主張や受容のみでなく、違憲i無罪への手続的主張や自衛隊 法第一二一条についての実務家的実定的解釈論にもカめる必要もあるように考えられるのでなかろうか、と思われ る。判決が下される今日においては、どのような考えや意見も﹁コ・ンブスの卵﹂における意味しかないが、ー成果は ないかもしれないけれどーこの裁判の経過過程における弁護側の主張ー対応によって、憲法学も憲法判断i問題を含 む事件の裁判においては、活動することができるというものがあることが示される、といえそうである。わけても﹁憲 法前文にある﹁恐怖と欠乏から免れて平和のうちに生存する権利﹂は︵憲法︶第九条とタイアップして﹁人権としての       ︵2︶ 平和をうちたてたものだと言う﹂﹁平和的生存権﹂は、﹁恵庭事件の過程で形成されたと言う﹂からである。  判決は、無罪という結論で終った。しかし﹁国の防衛作用﹂というはかりしれず、しかもえたいのしれないものに よって、わが国のどこかで、われわれの平和な生活が侵されていることは終ってはいない。この現実を前にして、こ の裁判について書かれたり示されたりしたすべての論説や解説はどう受取られ、評価されているのか、今なおけんき ょに考えなければなるまい。 ︵玉︶清水睦 ︵2︶ 長州二一 ﹁判決の内容と裁判の経緯はここで結節するか﹂ 前掲昭和臨二年五月ニニ臼 ︵四月号四六ー七頁︶

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 ※ わが国の憲法学の代表的選手でもない筆者にはこの裁判について法律ジャナリズムーマスコミから与えられる 批判の機会はまったくない。ただ自分から進んでつくる機会のみがある。その機会も多忙な日常のため見送るのが常 であったが、この裁判の判決が出され、その前後の法律ジャナリズム!マスコミなどの論説、解説などに接し、はし がきのような疑問や感慨にとらわれた。この疑問や感慨のさきには、家永三郎﹁日本近代憲法思想史﹂の出現があり、 筆者にとっては、本書の出現はショックのようなものを感じた。その上に大石義男教授の ﹁妥当な判決﹂ ︵四月号五 〇頁︶のなかの ﹁恵庭判決を見て一番コッケイにおもわれるのは一部時流に便乗し裁判を自分らの思う方向にさしむ けようと狂奔し、僑越にもわが事なれりと錯覚し、自衛隊違憲判決まちがいなしと宣伝これつとめていたひとにぎり の学者達がまんまと肩すかしをくらったことである。﹂を読み、何かこの裁判についても筆者なりに考え、ためして みなければならないと考えるに至った。はじめは、判例研究のようなものと考えていたが、こうした初心からは、こ のような論説とも研究ともつかないものになって了った。編集委員会の決定に従うことにする。盲蛇におじずのよう に筆をとったが、多忙は、夏休近くになって激しくなる。無駄と知りながら、地方に出張する折も、原稿や資料はも ち運んだ。それだけに資料不足と時間不足に悩まされ、一応ここに体裁だけ整えたようである。また、これでも気を つかっていたが、不適当な文言を用い攻撃的な叙述もあったかもしれない。この点、記してお詑びをする。筆者の随 屋は、上空をとぶ米軍機と外を通る車でうちふるえているが、それだけに被告人AとBの気持や考えが分かるように 思える。実際侵す者は侵される者のことは分からないし、侵されない者は侵される者のことはそれほど分からない。 なお小稿執筆中本学部教授大沢章先生が死去された︵昭和㎎二年七月九日︶。先生の﹁私は死まで生る﹂とか﹁学界の権    自衛隊法第ご二条への憲法的視点と実定的解釈       五七

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   東洋法学      五八

威と学会の権威は別である﹂という言葉は今なお胸中に残っている。その後の言葉が本稿に対する筆者に勇気を与え

たのかもしれない。拙筆を欄くにあたって先生のご冥福を祈る。 ︵七月末目︶

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