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史料紹介 : 川瀬正彦家史料 : 江戸時代の女性の旅

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Academic year: 2021

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史 料 紹 介

史料紹介 川瀬正彦家史料

―江戸時代の女性の旅―

長浜市の川瀬正彦氏から史料館がお預かりしている古文書の整理作業中に、「安政元甲寅三月廿日出立 西国順拝名所記」という表題の旅日記が見つかりました。今回は、この史料についてご紹介しましょう。 この旅日記の末尾には「柴田氏 自芳尼 順拝仕」と記されており、「自芳尼」なる女性によって作成された ことがわかります。(川瀬家と「柴田氏」がどのような関係にあったのか、詳しいことは今のところ不明です) 女性による旅日記は大変めずらしく、それだけでも価値のあるものです。 最近は江戸時代の「女性旅」の研究が盛んとなり、我々の想像以上に当時の女性たちは活発に旅をして いたことが明らかになってきています。自芳尼は、そうした活発な女性旅行者の一人でした。彼女と同行者 たち(男性一人を含む)は、安政元年(1854年)3月20日に彦根を出発して、いわゆる西国三十三ヶ所巡り に加えて、伊勢神宮など各地の数ある名所をいっしょに廻ろうとするたいへん贅沢なコースの旅に出たので す。 彼女たちは、まず最初に西国三十三ヶ所の三十二番札所・観音正寺を訪れ、安土の浄厳院など近江の名 所をいくつか見てから、鈴鹿越えをして伊勢神宮に参詣しています。さらに紀州に入って那智の瀧を見物 (「日本一の瀧」と誉めています)したり、湯の峰温泉で入浴を楽しんだりしています(ここでも「日本一の湯」と 誉めていて、どうやら紀州が気に入ったようです)。 しかし高野山では、自芳尼たちは男性と区別されて「女人堂」という所に泊まったり、大門をくぐらずにその 外の山からお堂や塔を眺めたりしています。これはいわゆる「女人禁制」の実例です。現代の感覚からすれ ばとんでもないことですが、前近代の神社仏閣では女性を穢れた存在として締め出すか、立ち入れる場所を 制限することが多かったのです。 (史料館 青柳周一)

参照

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