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比較経済体制論のフロンティア

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比較経済体 制論 の フロンテ イア

I は じめ に

比較 経済体制論 (comparatve economic systems,以下 CESと 略す)が 経済学 の世 界 で市民権 を得 たのは1950年代 であ る。 その 当時 ア メ リカでは大学 の経済 学教 育 に CESが 力日え られ,ス タン ダー ドな教科 書が書かれ るよ うになった。 その背景 には東西冷戦体制 の定着 とい う現実 が あ った。 資本主義対社会 主義 と い うパ ラダイム をベ ー スに して両体 制 の構 造特質,構 造変化 お よび経済パ フォ ー マ ンスの走量的比較分析 な どが精 力的 に展開 された。 しか し,理 論王国 とも い うべ きア メ リカの経済学界では CESの 地位 は低 く,当 初 は経済学のスラム 街 の住 人扱いであつた。研究成果が積 み重ね られ るにつれて C E S の 地位 は向 上 は したが,つ いに一級市民の列に加 えられることはなかった。グラー ゴ (B. 1 ) Dallago)の 言葉 を借 りれ ば,CESの 地位 は今 もって 「か な リマー ジナ ル」 な の であ る。 これ に対 し ドイツの CESは 比較 的 良好 な処 遇 を受 けて きた。 この 国の経済 学 は,歴 史学 派以来 の伝 統 が あ るだけに,体 制や構造や制度 な どの経済 の質 的 世 界 の研 究 に本領 を発揮 して きた。 ド イツ経 済学 は本 来 的 に経 済体 制論 であ っ た。 第 2次 大戦後 に ドイツが東西 に分裂 し,そ れ ぞれ において ソ連型管理社会 主義 と社会 的市場経済 (Soziale Marktwirtschaft)の実 験 が進行 す るにつ れ て 両体 制 に関す る比較研 究が精 力的 に展 開 され,質 量 ともに豊 か な成果 が蓄積 さ れ た。 もっ ともこれは西 ドイツの話 であ る。東 ドイツの経済学 界 にお いて も経 浩 敏 田 福 1)Dallago〔3〕p。61.

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根論叢 第 313号 済体 制 の比較研 究 は相 対 的 に高 いス テー タスに あ ったが, そ の 内容 た るや貧 困 以外 の何物 で もなか った。 マル クス教 条主義 か らす る資本主義 罵倒 と管理社会 主義礼 讃 に終始 していたか らであ る。 1 9 6 0 年代 にな る と,経 済 の質 的世 界の研 究 に本領 を発揮 して きた西 ドイツの 経 済学界 に もア メ リカ経済学 の グローバ リゼー シ ョンの波が押 し寄せ て きた。 2 ) め 60年代以降,ドイツ経済学の 「プラグマティズムヘの転回」 とか「アメリカ化」 とかが しきりにいわれるようになった。このような動 きによって伝統的な経済 体制の定性的比較研究は後退するようになった。現実の動 きがそれに輪 をかけ た。1960年代のソ連 。東欧において高まりを見せた経済改革は多くの国で下火 4 ) に な り, と りわけ ソ連 で は 「停 滞 の 時代 」(1968年-1985年 )が 到 来 した。 この ため1970年代 に な る と,社 会 主義 へ の 関心 が薄 れ,CESそ の もの も停 滞 の時 代 を迎 えた。 英語 圏諸 国 も事 情 は同 じで あ った。 1980年代 に な る と,英 語 圏お よび ドイツ語 圏 で社会 主義へ の関心が再 び高 ま った。 その きっかけ となったのは ポー ラン ドにおけ る 「連帯」主導の民主化要 求運動 とソ連 のペ レス トロイカであ った。両 国 におけ る政 治面 での民主化 と経 済面 での市場社会 主義 の実験 開始 は研 究者 の注意 を引 きつ け た。 資本主義対社 会 主義 パ ラダイムの 中で社会 主義 の変化傾 向に関す る議論 が展 開 され た。東欧 の経 済学者 の 中に も両体 制 の第 3の 体 制へ の収飲 を説 く論者が現 れ た。ユー ゴ ス ラヴ ィアの ホルバー ト (B.Horvat)は 両体 制 の 自主管理 型社 会 主義 へ の収 敏 を,チ ェ コス ロヴ ァ キ ア の シ ク (0。Sik)は 両体 制 の 人 間 的経 済 民 主 主 義 ゆ (Humane wirtschaftsdemokratie)への収束 を説いた。 1989年の東欧革命 と1991年の ソ連の消滅は,資 本主義対社会主義パ ラダイム の中に安住 していた研究者に破壊的 ショックを与 えた。社会主義の崩壊 は体制 比較のパ ラダイム転換 を迫 っているように思 えたか らである。英語圏, ドイツ 2)Tuchtfeldt〔14〕S.40. 3)Herder_Dorneich〔9〕S.3. 4)Wagener〔 15〕p.169. 5)詳 しくは福 田〔6〕第 7章 を参照 されたい。

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比較経済体制論のフロンテイア 3 語圏お よび東欧圏の研究者の多 くがパ ラダイム転換 を日にす るようになった。 社会主義の崩壊 によって社会主義対資本主義パ ラダイムの存在理由がな くなっ た とい うのである。体制移行 を的確 に把握す るための新 しいパ ラダイムの構築 が叫ばれ るよ うにな り,こ の流れの中でた とえばア メ リカの新御l度派 (New lnstitutionalism)サイ ドか ら取引費用 をベー スに した比較分析が台頭 して きた。 筆者は この ようなパ ラダイムシフ トの動 きにあえて背 を向けて きた。伝統的 パ ラダイムで体制移行 は十分 に把握できるのではないか と考 えたか らである。 パ ラダイム転換 を日にす るのはや さしい。新 しい, または新 しく見える流行 り の説に便乗す るのはや さしい。 しか し,新 しいパ ラダイムが伝統的パ ラダイム よ りも認識能力が高い とい う保証は どこに もない。逆の場合 も十分考 えられ る。 こ うい う思 いをもって筆者は伝統的パ ラダイムにこだわ り続け,筆 者な りの体 6 ) 制移行論 を世 に間 うて きた。筆者の説は言 うほ どの ものではないか もしれない が,幸 いい くつかの反応があった。 た とえば韓国の朴賛億教授は筆者の説 を取 り上 げ,筆 者の説 を伝統的 CESに 分類 し,こ れでは現在進行 中の体制移行 を の 的確 に把握 で きない と断 じた。パ ラダイムが古い とい うのである。筆者の予想 した反応であった。 これ までの筆者の主張には説明不足の面があったか もしれ ない。本稿 でいま一度筆者の主張 したいことを整理 してみたい。 I I C E S の 分類 ゆ 経 済体 制 の比較研 究 は二つ に大別 され る。縦 断的比較 (Langungsschnittver‐ gleich)と横 断 的 比較 (Querschnittvergleich)であ る。前 者 は人類 史 的 なパ ー スペ クテ ィブ を もって各 時代 に登場 した経済体 制 を通時的 に比較す る もの であ る。歴史学派の発展段階論が典型的にそ うであるように,縦 断的比較は比較静 学的特徴 をもっている。 横 断的比較 は, ソ連 。東欧 。中国において社会主義が定着す るようになった 6)福 田〔6〕第 4章 お よび福 田〔7〕第 3章 ,第 4章 を参照 されたい。 7)本卜〔1〕p.28. 8)詳 し くは福 田 〔4〕第 2章 お よび福 田〔7〕第 1章 を参照 されたい

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根論叢 第 313号

20世紀半 ば に盛 んになった。横 断的比較 は内容 的 に二つ に区別 され る。静 態的 比較 (statischer Vergleich)と動 態的比較 (dynamischer Vergleich)であ る。 静 態 的比較 は時 間 を一定の時点 または一定の期 間に固定 しておいて複数の経済 体 制 を分 類 した り,各 経 済体制 の特徴 を明 らか に した り,各 経済体制 の経済的 パ フォーマ ンス を計量的に比較 した りしよ うとす るものである。 その原型は今 世 紀 の両大戦 間の時代 に現 れ た。 ロシア革命 以後 の ソ連 におけ る社会 主義 の制 度化 と,1920年 代 か ら1930年代 にかけ て戦 わ され た経済計算論争 が契機 とな っ て資本 主義対社会 主義 パ ラダイムの祖 型が形づ くられ た。静学的比較 が ピー ク に達 したの は1950年代 か ら1960年代 にかけてであった。 動態的比較 は時間の流れの中で複数の経済体制が どの ように変化 しているか を確定 しようとす るものである。つ ま り,経 済体御1の変化の内容 と変化の方向 の確定がその任務 となる。 この方面の研究が台頭 したのは1960年代 である。そ の直接の きっかけ となったのはソ連 。東欧におけ る経済改革の開始であった。 1960年代 を代表す る動態的比較 は,オ ラングのティンバーゲン(J.Tinbergen) や ア メ リカのガル ブ レイス (J.K.Galbraith)らに よって提 唱 され た収 赦 論 の (convergence theory)である。 これは資本主義 と社会主義の相互接近お よび 両体制の第 3の 経済体制への収飲 を説いた。 収飲論 の登場以後,動 態的比較が多彩 に展開 され るようになった。移行論, 並進論,接 近論がその主な ものである。移行論 は収敷論批判の形 をとった。 ソ 連 。東欧の守 旧派マルキス トは資本主義の社会主義への移行 を説 き,西 ドイッ の新 自由主義者ヘ ンゼル (K.P.Hensel)は 社会主義 の資本主義への移行 を予 言 した。1960年代後半か ら1970年代初頭 にかけてのことである。 並進論 は資本主義 と社会主義は経済体制jの基層 レベルでは没交渉的に並進 し てい ると説いた。並進論 も1960年代 には収飲論批判の形 をとったが,1970年 代 か ら1980年代前半にかけては時代 を代表す る説になった。 その背景にはソ連 ・ 東欧におけ る経済改革の停滞 と挫折 とい う現実があった。1960年代 にはタール 9)詳 し くは福 田〔5〕第 2章 を参照 されたい。 10)詳 し くは福 田〔5〕第 2章 お よび福 田〔6〕第 2章 を参照 されたい

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比較経済体制論のフロンティア 5 ハ イム (K.C.Thalheim)ら が,1970年 代か ら1980年代 にかけてはェルマ ン (M.

Ellman)や ボー ン ス テ ィ ン (M.BOrnstein)や コル ナ イ (J.Kornai)らが並 進論 を唱 えた。 接近 論 は1980年代 に登場 した。 これ はユー ゴス ラヴィアお よびハ ンガ リー に 制度化 され た市場社 会 主義 が体 制 レベ ル で西側 の資本主義へ接近 しつつ あ るこ とを説 いた。筆 者 の説が その代 表 であ る。1980年代末 にはホルバー トや シクに よって新 しい収飲論 が唱 え られ た。 前述 の とお りであ る。 以上 の動 態的比較 はいずれ も資本主義対社会主義パ ラダイム を前提 に してい た。つ ま り,資 本主義 と社会 主義 の対 置の中で各体制 の変動 の内容 と変化の方 向を確定 しようとした。変化の方向に注 目す ると,収 飲論では両体制の相互接 近 と第 3の 経済体制 (たとえばティンバーゲンのいう最適体制 opdmum regime) への収束が説かれ,移 行論では資本主義の社会主義への移行 または社会主義の 資本主義への移行が説かれ,並 進論 では両体制の平行運動が説かれ,接 近論で は市場社会主義の資本主義への接近 と管理社会主義 と資本主義の並進が説かれ た。 いずれの説 も資本主義 と社会主義の併存 とい う体制構図の中での体制運動 を問題 に したのである。 III 新 しい移行問題 東欧革命 とソ連の消減は動的体制構図 を一変 させ た。旧ソ連 。東欧諸国では 共産党の後 を襲 った非共産党政権 が社会主義 を破壊 し,資 本主義 を建設す るよ うになった。新 しい体制移行 (systemic transformatiOn)問題 の登場 である。 今次の体制移行 は従来の もの とは根本的に違 うのだろうか。考 えてみれば20 世紀は体制移行の時代 であった。 ロシア革命以後,資 本主義の揺監期にあった ロシア ・ソ連は1930年代半ばに管理社会主義に移行 した。第 2次 大戦後にソ連 圏に組 み込 まれた中欧諸 国 (東ドイッ,ポ ーラン ド,チ ェコスロヴァキア,ハ ン ガ リー)は ,1950年 代 に,先 進段階の資本主義 (東ドイツ,チ ェコ)ま たは中進 11)詳 し くは福 田〔5〕第 3章 ,福 田〔6〕第 2章 お よび福 田〔7〕第 3章 を参照 されたい

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段 階 の資本 主義 (ポー ラン ド,ハ ンガ リー)か らソ連型管理社会 主義へ移行 した。 資本 主義 の初期 段 階 に あ ったバ ル カ ンの共産 諸 国 は1940年代 後半 か ら1950年代 にか け て ソ連 型管理社会 主義 に移行 した。ユー ゴス ラヴ ィアでは1950年代 に, ハ ンガ リー では1960年代未以降に ソ連型管理社会主義か ら市場社会主義へ の移 行 が行 われ た。 もっ とも,両 国の体 制移行 は体 制 間移行 では な く,社 会 主義 の 枠 内 での移行 で あ った こ とに注意 しておか ねば な らない。 この ようにみれば現在進行 中の体制移行 はその方向性の″点で従来の もの とは 異なるこ とが分 か る。従来の体制移行が資本主義か ら社会主義へ とい う方向 を た どったのに対 し,今 次の体制移行 は丁度その逆に社会主義か ら資本主義への 軌道上 にある。 多 くの論者が指摘す るとお りである。 社会主義か ら資本主義への移行 とい うのは歴史に例のない新 しい動 きである (もっとも, ドイツにおける1933年か ら1948年までの国家統制経済をナチズムのイ デオローグのように国家社会主義 Nationalsozialismusと捉えるならば,西 ドイツに おいて1948年6月 の通貨改革 ・経済改革以降に実施 された社会的市場経済への移行 政策が最初の社会主義から資本主義への移行 ということになる)。問題 は この よ う な体制移行 をどのように捉 えるかである。ひ とつの選択肢は伝統的な資本主義 対社会主義パ ラダイム を放棄 し,こ れにかわる新 しいパ ラダイムを形成す るこ とである。 このように主張す る論者は比較的多い。 しか し,筆 者の知 る限 り, 今 の ところ説得力のあるパ ラダイムは登場 していない。 もうひ とつの選択肢 は, 伝統的なパ ラダイムに依拠す るこ とである。筆者が この道 を選択 したこ とは前 述の とお りである。 その論拠は,ポ ス ト社会主義諸国におけ る非共産党政権が, 国 ご とに鮮 明度 に違 いはあるものの,体 制l移行 の出発 にあたって資本主義への 移行 を宣言 し,そ れ を実行 して きた, とい う事実 にある。 中欧 を例 に とると, 12)詳 し くは福 田〔6〕第 1章 を参照 されたい。 1 3 ) ド イ ツ語 圏 で は シ ュ トラ イ ス ラー ( E . W o S t r e i s s i e r ) やカ ン ツ ェ ンバ ッハ ( E . K a n z e n b a c h ) が その代表 である。 これにつ いては福 田〔6 〕第 4 章 を参照 され たい。我 国 では関西大学の竹下教授や神戸大学の吉井助教授がパ ラダイム転換 を主張 している。竹下 ( 1 2 〕, 竹 下 〔1 3 〕, 吉 井 〔1 7 〕。

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1 比 較経済体制論のフロンティア 7 どの 国の新 政 府 も EU諸 国 (とりわけ西 ドイツ)の 資本 主義 を手本 に しつ つ 国 情 に応 じて資本 主義 を建 設す る とい う模倣 的革新 の戦略 を採用 した。今 次 の体 制移行 は資本 主義 とは異 な る第 3の 経済体 制へ の移行 なのでは ない。今 次 の体 制移行 は資本主義 と社会 主義 の対 置の 中で十分 に把握可能 なのであ る。 伝統的 なパ ラダイムを放棄 しようとす る論者が放棄の論拠 としているのは, 社会主義が崩壊 しつつあるのだか ら,従 来の資本主義対社会主義の比較は意味 を失 った とい うものである。 これは一面では正 しい。つ ま り,静 態的な横断的 比較 とい う意味ではその とお りだ といえる。現在,社 会主義が崩壊 しつつある のだか ら,今 後は時間 を固定 した形での静態的比較は意味 をなさな くなるだろ う。 ただ し,そ れはロシア ・中欧 。東欧のポス ト社会主義諸国に限ってのこと である。 中国や北朝鮮 な どでは当分 の間,途 上国型社会主義が存続す るだろう。 これ らと途上国型資本主義 との静態的比較 は今後 とも継続 してい く必要がある。 パ ラダイムシフ トを考 えている論者の主張は一面では間違 っている。かれ ら は従来の CESに 動態的 な横断的比較があるこ とを知 らないのだろ うか。社会 主義の崩壊 とその資本主義への移行 の問題は まさしく従来の動態的比較のテー マなのである。前述 したように,1970年 代初頭にヘ ンゼルがそうした比較 を試 みている。 また方向は丁度逆 ではあるが,1960年 代後半にソ連圏の教条的マル キス トが資本主義か ら社会主義への移行 を主張 した。今次の体制移行 は当時の 移行論 と同 じような動態的比較 で十分 に把握 できるのである。 筆者はこの ように考 えて,東 欧革命か らこのかた今次の体制移行の把握に努 めて きた。以下,筆 者の移行論のエ ッセンスを述べておこう。 IV 筆 者の移行論 1.三 つ の比較 基準 資本 主義対社会 主義パ ラダイムの 中で動 態的比較 の観 ″点か ら今 次 の体制移行 を的確 に把握す るため には適切 な基準 を設定 しなければ な らない。筆 者 はそ う した比較 の ための主要 な基準 として三 つ の もの を選択 して きた。所有 方式,相 互調整 方式 お よび上下調整 方式 であ る。 これ らは いずれ も経済体 御1の基本的構

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成要素 で あ る。所有 方 式 は生産 手段 の所有制 度 で あ る。相 互調整 方 式 は需要 と 供 給 の調整 方式,い わゆ る資源 配分 システム で あ る。上 下調整 方式 は個 別 経 済 (企業,家 計 な ど)に 対 す る国家 の干 渉 方 式 で あ る。 この よ うな基 準 三 元 論 を, 筆 者 は 「所有 ,相 互 ・上下調整 の三 元論 」 と呼 んで きた。 2.移 行 論 の課題 体 制移行 の タイプ にはふ たつ の ものが あ る。体 制 内移行 と体 制 間移行 であ る。 体 制 内移行 とは同一 の経済体制 内でのあるサブシステムか ら他 のサブシステム ヘ の移行 の こ とであ る。体制 間移行 はあ る経済体 制 か ら他 の異質 の経済体制へ の移行 を意味す る。体制 内移行 と体 制 間移行 に共通す る主要 な研 究課題 は,体 制 の変化 の 内容 の把握 と変化 の方 向の確 定 のふ たつ であ る。現在進行 中の体 制 移行 は い うまで もな く体 制 間移行 であ る。 3.並 進 ・接近 ・移行 ソ連 ・東欧諸国に社会主義が登場 し,そ れが崩壊す るまで資本主義 と社会主 義 は どの ような運動 を展開 しただろうか。筆者の考 えでは両体制は並進→接近 →移行のシュプールを描いてきた。 口'シア革命以後 ソ連 では社会主義 の建 設が開始 され,試 行錯誤 を経 たの ち 1930年代半ばに管理社会主義が制度化 された。管理社会主義は基本的に,国 有, 中央管理経済 (国家計画機関の物財バランスによる需給調整)お よび指令 (ノルマ 制)の 組み合 わせか ら構成 されていた。 欧米先進諸国に制度化 されていた資本主義は1930年代 に質的に変化 した。19 世紀型の 自由資本主義が誘導資本主義へ移行 したのである。 これはい うまで も な く体制 内移行 であるが,そ の直接 の きっかけ となったのは1930年代初頭の世 界大恐慌 であった。資本主義は私有制 を根幹 とす る経済体制 であるが,私 有制 その ものに変化 が生 じたのではない。 どこが変 わったのか。筆者の考 えでは上 下調整方式が変化 したのである。 自由資本主義 は基本的に私有,市 場経済お よ び 自由放任か ら構成 されていたが,た えず景気変動 とそれに伴 う失業・貧富格 14)福 田〔5〕第 1章 を参照 されたい。 15)詳 し くは福 田〔6〕第 4章 お よび福 田〔7〕第 3章 を参照 されたい。

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比較経済体制論のフロンティア 9 差 な どの社 会 問題 の発生 に悩 まされ ていた。 これ らの問題 の解決 の ため に再 び 国家が経 済へ の干渉 を強め るよ うに な り,1930年 代 に上下調整 方式が 自由放任 か ら誘 導ヘ シフ トした。 それに ともない私有,市 場経済,誘 導の組 み合 わせ か らな る誘 導 資本主義 が成立 した。 1930年代半ばに誘導資本主義 と管理社会主義が併存す るようになった。 その 後両体制は,い わば対立す る形で並進 した。1940年代の後半になると,東 欧諸 国が ソ連圏に組み込 まれたために管理社会主義が一挙 に拡大 した。 ソ連圏に最初の分裂運動が発生 したのは1950年代初頭である。ユー ゴスラヴ ィアが管理社会主義 を放棄 し,市 場社会主義へ移行 した (体制内移行)。この市 場社会主義は社会有 (労働者自主管理),市 場経済,誘 導の組み合 わせ を基本 と す るものであった。1960年代 になると,経 済改革の動 きの中で市場社会主義へ の機運が高 ま り,1968年 にはハ ンガ リーがそれへの移行 を開始 した。 この国の 市場社会主義の基本構造は,国 有,市 場経済,誘 導の組み合 わせ であった。 市場社会主義の登場 によ り,誘 導資本主義 と管理社会主義の並進 とい う運動 構 図が次第に崩れ, ソ連 。東欧におけ る社会主義の二極化 と市場社会主義の誘 導資本主義への接近 とい う新 たな運動が生 じた。市場社会主義は時の経過 とと もに市場経済お よび誘導の両面で誘導資本主義 に接近 していったのである。 た だ し,市 場社会主義が全面的に誘導資本主義に移行 しつつあった とはいえない。 市場社会主義は依然 として公有 をベースに していたか らである。市場社会主義 は社会主義の一線 を越 えるものではなかった。ユー ゴスラヴィア とハ ンガ リー 以外のソ連や東欧諸国は,1980年 代 にポー ラン ドとソ運が市場社会主義の実験 を試み た とはいえ,管 理社会主義 に止 まっていた。 第 2次 世界大戦後か ら東欧革命 まで社会主義 は分裂運動 を展開 したが,誘 導 資本主義の方はその間微動だに しなか った。つ ま り,私 有,市 場経済,誘 導の 組み合 わせ 自体 に変化 は生 じなか った。1980年代末の東西諸国の動的体制構図 は,市 場社会主義の誘導資本主義への接近 と誘導資本主義 と管理社会主義の並 16)福 田〔5〕第 3章 を参照 されたい。

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進 とい う形 をとっていた。 4.体 制移行 の方向 東欧革命 とソ連 の消滅 はこの ような動的体制構 図を一変 させ た。革命後に管 理社会主義の国で も市場社会主義の国で も体制問移行政策が開始 された。それ は何 よ りも所有方式の転換に示 されている。 どの国で も公有か ら私有への転換 政策 (現存国有企業の私有化,私 企業の新設)が 強力に推進 された。所有方式 を 経済体制の主柱的基盤 と考 える筆者の立場 よ りすれば,公 有か ら私有への転換 は体制間移行 を意味す る (これに対し,相 互調整方式と上下調整方式の面での変化 は体制内移行 ということになる)。つ まり,社 会主義か ら資本主義への移行 である。 筆者が今次の体制移行 を 「社会主義か ら資本主義へ」 と捉 えるゆえんである。 1990年代 の動的体制構 図は,管 理社会主義 と市場社会主義の誘導資本主義への 移行 とい うことになる。 5.体 制移行 の原因 社会主義か ら資本主義への移行 を促 した原因は何か。筆者は主要 な原因は二 つあった と考 える。経済的原因 と政治的原因である。 ①経済的原因 経済的原因 とは経済の停滞である。管理社会主義 も,市 場社会主義 も低効率 トラップに落 ちて崩壊 して しまった。 なぜか。筆者はその究極 の原因は両体制 の基本構造にあると考 えて きた。管理社会主義は基本的に国有,中 央管理経済 お よび指令の組み合 わせか ら成 り立 っていた。 このセ ッ トは効率的見地か らす れば最悪の組み合 わせ であった。国有 は国有企業の予算制約 をソフ トに し,中 央管理経済は一一 国家計画機関が需要 を正確に把握できなかったために一―需給 のアンバ ランスをもた らし,指 令 は国有企業にレン ト・シー キングの行動 をと らせ,量 至上主義の行動 を強要 して,低 品質 とイノベー ションの停滞 をもたら した。国有,中 央管理経済,指 令の一つひ とつが効率的に問題 を抱 えていたの である。 これ ら二つがセ ッ トになったことでマイナスの相乗効果が働 き,管 理 17)中 欧諸国の私有化政策につ いては福 田〔6〕第 5章 を参照 されたい 18)詳 し くは福 田〔6〕第 4章 お よび福 田〔7〕第 3章 を参照 されたい。

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比較経済体制論のフロンテイア 11 社会 主義 は低効 率 トラ ップ に落 ちて しまった。

管理社会 主義 を制 度化 した ソ連 。東欧諸国は低効率 トラップか ら脱 出す るた め に,経 済改革 を行 わ ざるをえな くな った。ヘ ンゼ ルの言葉 を借 りれば 「実験

へのシステム強制F)(Systemzwang zum Experiment)に

従わされた。これらの

国々は,管 理社会主義 を制度化 したばか りにその機能不全 と低効率 に追 い立て られ,頻 繁 に経済政策お よび経済制度の変更 と修正 を余儀 な くされ,こ の意味 で次か ら次に政策 ・制度改革の実験 を強要 されたのである。筆者はこれ を 「追 い立て られた実験舌°と呼んで きた。1960年代 の経済改革は,大 がか りなもので あった とはいえ,そ うした実験のひ とつにす ぎなか った。管理社会主義 は機能 的に安定性 を欠いていたのである。 ハ ンガ リーは1960年代末に管理社会主義か ら市場社会主義への移行 を開始 し た。効率 とい う冷厳 な経済原則に追い立て られた挙句の窮余の選択であった。 以来22年間にわたって市場社会主義の実験が繰 り広げ られたが,そ の実験 も結 局 は低効率 問題 を解決 で きずに失敗 して しまった。 なぜか。筆者はその究極 の 原因はこの国の市場社会主義 の基本構造にあると考 えて きた。国有,市 場経済, 誘導の組み合 わせがその基本構造であった。筆者の考 えでは市場 と国有 をセ ッ トに したばか りに市場社会主義 の実験 は失敗 したのである。市場社会主義のデ ザ イナー たちは当初,国 有の もとに市場 を導入 しさえすれば 「国有企業があた か もマーケ ッ ト・ア クター として行動す るr)と考 えた。 しか し,現 実は期待 ど お│りにはならなか った。実際には国有が市場の足籾│にな り,市 場 の円滑な作動 を妨 げた。筆者はこれ を 「固有 のブ レー キ効果」 と呼んで きた。国有制 を温存 したばか りに国有企業の ソフ トな予算制約 の問題が解決 されなか ったこ と,官 僚 が市場へ の参 入 と退 出 を規制 したために企業 間に競争がほ とん どな く,「悪 貨 を駆逐す る」 とい う市場の選別機能が阻害 され,イ ノベー ションも停滞 した 19)Hensel〔8〕S.349. 20)福 田〔7〕第 1章 を参照 されたい。 21)こ の文章はコルナ イに対す るインタビュー を収録 した BosSanyi〔2〕p.317から引用 した。 22)福 田〔6)pp.9093.

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12 彦 根論叢 第 313号 こ と,な どが ブ レー キ効 果 の実例 であ る。 ユー ゴス ラヴ ィアの市場社会主義 の実験 も失敗 した。 その究極 の原 因はや は り社 会 有 ( 労働者 自主管理) の ブ レー キ効 果 にあ った。ハ ンガ リー の市場 社 会 主義 と同様 の機 能 障害 に悩 まされ続 け たのであ る。 ②政治的原因 社会主義か ら資本主義への移行 の直接の きっかけ となったのは東欧革命 であ った。 この革命は政治革命 とい う性質 をもっていた。つ ま り,共 産党独裁 とい うオー トクラシーか ら政治的プルー ラ リズムに立つ欧米型議会制民主主義への 転換 とい う性質 をもっていた。東欧革命はペ レス トロイカによって不安定にな っていたソ連にカタス トロフィー ・ショックを与え,ソ 連の消滅 を誘発 した。 コルナイが強調す るように,資 本主義への移行に果たした東欧革命の役割は大 きい。だが,決 定的であったのではない。東欧革命が社会主義崩壊の触媒の働 きをしたのは事実だ として も,そ れが体制移行 の究極 の原因であったのではな い。経済の停滞 こそが よ り根本的かつ決定的な原因であった。つ まり,経 済の 停滞が東欧革命 を招 き,東 欧革命が触媒 となって体制問移行が生 じた とい う因 果違鎖があったのであ る。 V 移 行の特徴 先 に20世紀は体制移行 の時代 と述べ た。今か ら振 り返ってみ ると,特 にユー ラシア地域 で体制移行が発生 したことが分か る。最初 の ものはソ連におけ る資 本主義か ら社会主義への移行 であった。 この動 きは第 2次 大戦後に東欧諸国, 中国,北 朝鮮,ベ トナムに波及 した。第 3の 波は1990年代 におけ るロシア ・中 欧 ・東欧諸国での社会主義か ら資本主義への移行 である。中国 とベ トナム も資 本主義 を射程 に入れた体制改革に乗 り出 した。 先進諸国では1930年代 に 自由資本主義か ら誘導資本主義への移行が生 じた。 体制 内移行 である。 その後今 日に至 るまで60年にわたって誘導資本主義が体制l 23)Komai〔 10〕.コルナ イ説につ いては福 田〔6〕第 4章 お よび福 田〔7)第 3章 を参照 されたい 24)詳 しくは福 田〔6〕第 4章 お よび福 田〔7〕第 3章 を参照 されたい。

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比較経済体制論のフロンティア 13 レベ ル での変化 を蒙 るこ とな しに存続 して きた。 国別 にみ る と,体 制移行 の頻度 と深度 の点 で トップ に くるのは ドイツであ る。 第 1 次 大戦 中の統制経 済の実験,ナ チ ズム時代 の国家社会 主義 とい う名 の国家 統制経済の実験,第 2次 大戦後におけ る西 ドイツでの社会的市場経済 という名 の誘導資本主義の実験 と東 ドイツにおけるソ連型管理社会主義の実験,そ して 1990年代 におけ る東 ドイツの社会的市場経済への移行が,100年 に も満 たない 間に次々 と展開 された。20世紀の ドイツはビッグバ ンの国であった。それでい て, しか も二度の大戦に敗北 しているのに,経 済大国の地位 を築いた というの は驚嘆に値す る。筆者 自身は, ドイツの成功は西 ドイツ時代の40年にわたる社 会的市場経済の実験が成功 したことによる, と考 えている。社会的市場経済の モ ッ トーは 「可能 な限 りの市場,必 要 な限 りの国家」であった。市場経済 をベ ー スに した民間主導の経済運営が予想以上に奏功 したのである。 以上の うち体制間移行 に共通す るのは移行 に先立って異常事態が発生 してい るこ とである。つ ま り,い ずれの場合 に も戦争や革命が先行 した。 ソ運におけ る体制移行 には第 1次 大戦 とロシア革命が先行 した。東欧 ・中国 ・北朝鮮 ・ベ トナムにおけ る社会主義への移行 の前には第 2次 大戦 と共産主義革命があった。 西 ドイツにおけ る社会的市場経済への移行 には第 2次 大戦が,東 ドイツにおけ る管理社会主義への移行 には第 2次 大戦 と共産主義革命が先行 した。今次の体 制移行 の前には東欧革命があった。 体制移行 の主体 は異常事態の中で成立 した新政権 であった。社会主義への移 行 を担 ったのは共産党政権 であった。今次の資本主義への移行 を担っているの は非共産党政権 である。 経済体制の移行 を可能に したのは新政権の登場 とともに形成 された新 しい政 治 システムであった。 しか も新 しい政治 システムの形成の方が時間的に先行 し た。1930年代か ら1950年代 にかけての資本主義か ら社会主義への移行は共産党 独裁 とい うオー トクラシー ・システムの成立 を待 って行 われ た。 この意味で “autocracy first,sOcialism later"で

あった。今次の資本主義への移行 には議 会 制 民 主 主 義 とい うデ モ ク ラ シー ・シ ス テ ム の 形 成 が 先 行 して い る。

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democracy first,capitalism laterル で ぁ る。 オー トクラシー の もとで実施 され た社会 主義へ の移行 戦略 は ラデ ィカ リズム であ った。 比較 的短 い タイムスパ ンの 中で資本主義 をス クラ ップ し,社 会 主義 を建 設す る とい うもの で あ った。 デ モ クラシー の も とで行 われつつ あ る今 次 の 体制l移行 戦 略 は ラデ ィカ リズム とグラデュア リズムに区別 され る。前者の道 を 選 択 したの は ロ シア,東 ドイツ,チ ェ コス ロヴ ァキア,ポ ー ラン ドな どであ る。 これ に対 しハ ンガ リー,ル ー マニア,ブ ルガ リアな どは グラデ ュア リズムの移 行 戦略 を採 用 した。社会 主義 をス クラ ップす るか たわ ら時 間 をかけ て ステ ップ 。 バ イ ・ステ ップで資本主義へ の ソフ トランデ ィングを果 たそ うとす る戦略 であ る。 今 次 の体 制移 行 を過 去 の体 制移行 と対 比 させ る と,ひ とつ の重要 な違 いが浮 か び上 が って くる。過去 の体 制移行 がマ ル クス主義 の イデオ ロギー をベー スに した政 治 主導 の移行 であ ったのに対 し,1990年 代 の体制移行 はそ うしたイデ オ ロギー な しの効率 に追 い立 て られ た移行 であ る とい う特徴 をもってい る。資本 主義 か ら社会 主義へ の移行 は,資 本 主義 の行 き詰 ま りか らや む な く選択 され た もの では なか った。社 会 主義へ の移行 の ス ター ト時点 で ソ連 。東 欧各 国 は,国 ご とに初期 ,中 進,先 進 の違 いはあ ったが,資 本主義 の軌道上 にあ った。 その 当時 どの国で も国民生活 は混乱 していたが,そ れ は資本主義 の機能麻痺か らき たの では な く,戦 争や革命 に起 因 した。戦争や革命 の直前 まで資本主義 は比較 的順 調 に機 能 して いた。 それ をス クラ ップ したの は資本 主義 を敵対視 す るマ ル クス主義 者 た ちの暴 力革命 であ った。 かれ らは資本主義 とは正 反対 の管理社会 主義 をデザ イン し, これ を制度化 した。 資本主義 か ら管理社会 主義へ の移行 は, 共産 主義社会 とい う理 想 の実現へ の第 1歩 と位 置づ け られ た とい う意味 で,前 向 きの能動 的 な実 験 であ った (ついでにいってお くと,ユ ー ゴスラビアでの管理 社会主義か ら市場社会主義への移行 はソ連 との政治的対立 を契機 に していたが,そ の基礎 には 自主管理 を柱 とす るチ トー主義のイデオロギーがあった。ハ ンガ リーの 場合 は低効率 トラップか ら抜け出すための移行 であ り,そ の基礎 にはカー ダール主 義 とい うプラグマティズムがあった)。

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比較経済体制論のフロンテイア 15 これに対 し,今 次の体制移行 は社会主義の行 き詰 まりか ら余儀 な くされた と い う意味で受動的な性質 を帯びている。管理社会主義に して も,市 場社会主義 に して も低効率 トラップか ら抜け出す ことがで きずに挫折 した。資本主義への 移行 は政治主導ではあったが,理 想社会の実現 とい う使命感に燃えたイデオロ ー グ的革命家によるものではなかった。体制移行 を指導 してきたのは自由主義 に親近感 をもつテ クノクラー トであった。体制移行 のスター トの時点で理想的 経済体制に関す るノーマティブな論議があったわけで もなければ,資 本主義に 代 わる第 3の 経済体制1に関す る設計図が書かれたわけで もなか った。かれ らが 手本 に したのは現実 に存在す る誘導資本主義, と りわけ EU諸 国の ものであっ た。 テ クノクラー トたちは,誘 導資本主義 を手本に しつつ,国 情に応 じてそれ に改良 を加 えるとい う模倣的革新の戦略 を採用 した。 誘導資本主義 と管理社会主義が併存す るようになった1930年代か ら今 日まで の時間軸 を設定す ると,体 制 レベルでの変動 を重ねて きたのは社会主義の方で あったこ とが分 か る。 この問,誘 導資本主義はその基本構成の面では微動だに しなか った。つ ま り,時 間軸に対 し平行の運動 を展開 して きた。 このことは誘 導資本主義が効率面 では比較的良好 なパ フォーマ ンスを残せ たこ とを意味 して いる。 これに対 し社会主義の方は効率 とい う冷厳 な経済原則に追い立て られ る 形 で誘導資本主義へ接近 し (ユーゴスラヴィア,ハ ンガ リー),結 局 は ソ連 。東 欧全域で誘導資本主義への移行 を強い られた。 VI 社 会主義の教訓 ソ連 。東欧におけ る社会主義の実験は,国 民経済的規模 で公有方式 を制度化 す ると,そ の国の経済は低効率 トラップに落 ちることを示 している。 このこと は誘導資本主義 と比較す るとす ぐに分か る。東西 ドイツを例 に とると,労 働生 産 性 の東西比 と一 人 当た り平均 実 質賃金 の東 西 比 は ともに 1対 3で あ った (1989年)。誘導資本主義は私有 をベースに している。効率基準 よ りすれば公有 25)福 田〔7〕pp.1819.

(16)

根論叢 第 313号 よ り も私 有 の 方 が優 れ て い る こ とが分 か っ た。

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て い る。 「西欧の経済発展 は技術進歩で ン ( C . W a t r i n ) の指摘は的 を射 社会主義の失敗は,経 済体制はその構成諸要素の組み合わせ方に決定的な ミ スがあると必然的に崩壊す る, ということを教 えている。管理社会主義は機能 的には弱い組み合 わせ であった。国有,中 央管理経済お よび指令の組み合わせ は効率的には最悪の組み合 わせ であったか らである。半面,意 味的には強い結 合 であった。 この組み合 わせ には国家主義のイデオロギーが貫かれていたか ら である。三つの構成要素 は国家主義で互 いに強回に結びつけ られ,意 味的一貫 性が保 たれていた。管理社会主義が ソ連 でお よそ60年,東 ドイツやチェコスロ ヴァキアで40年ほ ど存続 しえた理 由のひ とつである。 しか し,意 味的結合の強 さも機能的な結合の弱 さか らくる低効率のカタス トロフィー運動によってブレ ー クされて しまった。市場社会主義は機能的には弱い組み合わせであった。国 有 もしくは社会有が市場 に対 してブレー キ効果 を発揮 したか らである。市場社 会主義は意味的に も弱い結合 であった。社会主義 イデオロギー をベースに した 国有や社会有は個人主義 をベース とす る市場経済 と意味的に対立 したか らであ る。市場社会主義の体制的基盤は機能的に も意味的に も施弱であった。 筆者はこの ような見方に立 って,経 済体制の設計にさい しては機能連関 と意 味連関 を基準に しなければならない, と考 えて きた。経済体制の設計 とは要す るに構成諸要素 を組み合わせ る作業なのであるが,そ のさいには機能的一貫性

と意味的一貫性を同時に満たすようにしなければならない。所有方式,相 互調

整方式,上 下調整方式を機能 と意味の両面からセットで捉え,そ れらの最適組 み合わせ を考えなければならない。筆者はこのような方法を「ワンセット思考」 2 8 ) と名づ けた。 ソ連の体制デザイナーたちは機能的一貫性 を深 く考 えることもな しに国有,中 央管理経済,指 令 を組み合 わせ て管理社会主義 を作 り上げた。ュ 26)Watrin〔 16〕S.120. 27)詳 し くは福 田〔7〕第 6章 を参照 されたい。 28)福 田〔6〕pp.8889.

(17)

瓦 F I I I I I I I I I I I I I I I I I I I I I I I I 比較経済体制論のフロンティア 17 - ゴ スラヴィアやハ ンガ リーの体制デザ イナーたちは機能運関 も,意 味運関 も 深 く問 うことなしに公有に市場 を接合 してしまった。筆者はこのようなや り方 を 「組み立て主義」 と呼んできた。管理社会主義 と市場社会主義が ともに崩壊 した背後にはこのような設計の誤 りがあった。 VII お わ りに 資本主義対社会主義の構図の中で両体制の運動 を把握す る作業は今後 とも続 け る必要がある。 ソ連 ・東欧におけ る社会主義の実験は終了 した。 コルナイの 言葉 を借 りれば 「社会主義は完結 した歴史の 1章 になって しまった]°。 それだ けに社会主義の発生か ら崩壊 に至 るまでの運動過程 を資本主義のそれ と比較 し つつ通時的に,か つ体系的に把握す ることが可能 となった。今 こそ CESの 本 領 を発揮す る時である。上述 したように,社 会主義は資本主義 との対抗関係の 中で並進→接近→移行 の運動 を展開 して きた とい うのが筆者の考 えである。 これ と並 んで CESの 現在 のフロンティアは移行経済の研究である。 「比較 移行研究」 (comparative trnasformation studies)と呼↓ゴれている領域 である。

この方面の研究は三つに分類 され る。体制移行 に関す る一般論,体 制移行の戦 略論および国別の比較研究である。筆者の体制移行 に関す る一般論は本稿で述 べ た とお りである。そのほか筆者は資本主義対社会主義パ ラダイムをベースに して ラデ ィカ リズムの移行戦略 を説 き,私 有化政策 と貨幣化政策 (つまり資本・ 金融市場の制度化)に つ いて国別 の比較研究 を行 って きた。 これ らの研究 を通 して筆者 は伝 統 的 な CESの 有用性 を論証 して きたつ も りであ る。伝 統的 な CESを 経済学博物館の陳列棚 に展示す るのはまだ早す ぎる。 2 9 ) 福 田〔6 〕p p . 8 5 8 6 , 8 9 9 0 . 30)Kornai〔 10〕p.391. 31)Pickel, wiesenthal〔11〕p.127. 3 2 ) 福 田〔6 〕第 5 章, 第 6 章, 福 田〔7 〕第 4 章, 第 5 章。

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引 用 文 献

〔1 〕朴賛億 「『ポス ト社会 主義』時代 におけ る比較経済体 制論 のパ ラダイム転 換」, 『比較 経 済 体制1 研究』, 第 4 号 , 1 9 9 7 年, p p . 2 6 - 3 4 。

〔2 ) B o s s a n y l , K . , A n l n t e r v i e w w i t h J a n O s K o r n a i , i n t t σt t θ夕σθ% θ物″α, V 0 1 . 4 2 ( 3 ‐4 ) , 1 9 9 0 , pp.315‐328.

〔3〕Dallago,B。,The economic system tthe comparative approach and a tentative agenda, i n E c ο% ο物″S 筋筋夕s , V o l . 2 1 , N o . 1 , 1 9 9 7 , p p . 5 9 ‐6 5 .

〔4〕福 田敏浩 『比較経済体制論原理一 形態論的アプ ローチー 』,晃洋書房,1986年 。 〔5〕福 田敏浩 『現代 の経済体制論』,晃洋書房,1990年 。

〔6〕福 田敏浩 『体制転換の経済政策一社 会主義か ら資本主義ヘー 』,晃洋書房,1996年 。 (7〕福 田敏 浩 『移行 経済 の研 究一理論 と戦略― 』,滋賀大 学経 済学部研 究叢書 第28号,1997年 。 (8〕Hensel,K.P.,Der Zwang zum wirtschaftspolitischen Experiment in zentral gelenkten

ヽVirtschaften,inルあ/2妨σカタγNc″θ%α″び力ο%ο物ル″物冴Stattsサ滋,Bd.184,1970,S,349‐359. 〔9〕Herder‐Dorneich,P.,Ordnungstheorie‐ Ordnungspolitik‐Ordnungsethik,inル ″γう物σカプ物/

ハ1タクタ呂θブルなoた夕θんθ%οクタル,Bd.8,1989,S.3‐12.

〔10〕Kornai,Jり TんCS°c虎冴佑サSysル物 :冤あ夕炉冴ガ″σttEびθ%θ竹ノゲ Cθ物物″%続 ,Princeton,1992. 〔11)Pickel, A., H.Wiesenthal, 切 物夕 てP物%ブ Eゅ タタ杉物夕%″!D夕うα″タタg 道弟ろοtt Tん タタじ均少り ,

Tγα%sガ″θ%7物 夕οり,α%ガ筋夕邑ヘサCクタタタ″%E砂 夕″夕物C夕,Boulder,1997.

〔12〕竹下公視 「経済体制論 と『制度の経済学』」,『経済論 集』(関西大学),第 44巻第 2号 ,1994 盗「, pp.165-189。

(13〕竹下公視 「現代経済 システムの特質一制 度 と歴史の視 ″点か ら一 」,『経済論集』(関西大学), 第47巻第 1号 ,1997年 ,pp.1-39。

〔14〕Tuchtfeldt,E.,Konvergenそder Wirtschaftsordnungen P,in θRDθ ,Bd。21,1969,S.35‐ 5 8 .

〔15〕Wagener,H.― J.,SecOnd Thoughts P i Economics and Econonlists under Socialisln, in拘 々わS,V01.50,Fasc.2,1997,pp.165‐187.

〔16〕Watrin,C.,Vorn sozialistischen zum privaten Eigentum,in月物物あク控マγ乃力″bクCカラ″/ ルケケな oあり牧s‐勿%冴C夕s夕′なびゑプ後汐θ″″々,35.Fahr,1990,S.119‐127.

〔17〕吉井 昌彦 「社会 主義経済体制崩壊 と比較経済体 制論一二元論か ら多元論ヘー」,F比 較経 済体制研 究』,第 II期創刊号,1994年 ,pp.64-72。

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