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布教資料 第02集 現代と教化

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(1)

布 教 資 料 第

2

現 代

}

教 化

新宗教と既成仏教

川 添 屋~ 一我々は新宗教をどうとらえるか一

相 談 の 窓 口 か ら

村瀬嘉代子 -最近の家族や子供の問題とその対応一

都市における教化の問題点

八 木 季 生

現代社会の病理と教化

連「

広 瀬 車 爾

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布 教資料第2集

代 と 教 化

目 次 新宗教と既成仏教 川添 崇 (

1

)

我 々 は 新 宗 教 を ど う と ら え る かー 相談の窓口から 村瀬嘉代子 (47) 最近の家族や子供の問題とその対応 都市における教化の問題点 八 木 季 生 (93) 現代社会の病理と教化 広 瀬 卓 爾 ( 1

2

1) あ と が き ( 133)

浄 土 宗 布

教 研

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(5)

ーー我々は新宗教をどうとらえるか!ー ー

1

・EB

, ,

出.

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︹ はじめに ︺ 私は、新宗教が専門ではありません 。 どちらかといいますと、明治以降の浄土宗の動き を今まで追ってきたのが、中心でございまして、新宗教に専門的な考察を加えたというこ とはないのでございます 。 このお話をいただきましたときも、 一遍、専門じゃございませ んからとお断りしたんですけれども、お前でいいからやれということで、少々ためらいつ っ、お話させていただくことになりました 。 先生方、先輩方が既にご存じのことを、改め てここで、私なりにまとめて、 そしてむしろ私がここにいら っしゃる先輩方からいろ い ろ なご示唆をいただきたい 。 そういう気持ちで発表させていただきたいと思います 。 よろし くお願いいたします 。 ︹ 新宗教とは何か ︺ ま ず 一 番初めに考えてみたいのは、新宗教とは一体どういう捉え方ができるんだろうか ということでございます 。 新宗教というのは、 それはもう研究者によって様々な、概念枠 と申しますか、捉え方がされているわけでございます 。 もっとも 一 般的なのは、幕末から 今日に至るまでの民衆自身が創唱してきた民衆宗教運動である 。 そう捉えられています 。

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特に宗教社会学では民衆宗教運動というように、運動の面を強調することが多いようで す 。 つ まり、既成仏教が、国教として江 戸時代、幕府とくっつきま し て 、だんだん既成 ていった 。 それで沈滞化し、そして人々を実際に救うという救済機能、あるいは教化力が 後退していった 。 したがいまして 、そうした民衆の要求するような宗教とは若干ずれてき それに対抗する形で登場してきたのが新宗教であるという考え方が、よく宗教社 た の で 、 会学の方ではされているようです 。 これには、私などは若干問題があると考えているわけ ですけれども、こういう捉え方が 一 般的であるということで、 一 応この考え方を採用して おきたいと思うのです 。 次 に 、 その新宗教というのは、どういう特徴があるかということになります 。 一 新宗教と既成仏教 は、現世での幸福を積極的に肯定するような現世主義 。 それから、伝統的な権威や形式を 否定する反形式主義 。三 つ目に、民衆自身がこの宗教的な行為に積極的に参加し実践して いくという在家主義。この 三 つが新宗教の主要な特徴である と 言 わ れます 。 この現世主義は、言ってみれば葬祭や死後の救済への関心よりも、むしろこの世で様々 そういう姿勢です 。 それから反形式主義というのは、例えば、既成仏 な 幸 福 利 益 を 願 ・ っ 、

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教 の 一 部の堕落した僧侶や、形のみで信仰心の伴わない儀礼、あるいは、堕落した戒律な どに対する反発であります 。 在家主義というのは、専門の聖職者、僧録、僧正、僧侶の支配下で、与えられる信仰と いうものにとどまっていた民衆が、 そうではなくて、むしろ自分たちの宗教的な主体性を 取り戻そ・っとする姿勢を指します 。 この現世主義と、反形式主義と、在家主義というのは、幕末以来様々な形で展開してゆ く新宗教から、大正、昭和を経て戦後の今日に至るたくさんの新宗教に、強弱はあると思 い ま す け れ ど も 、 一 貫していると考えられます 。 こういう 三 つの特徴を持つ新宗教を、今度は教団構造と教義の面から眺めてみるとどう かであります 。 村上重良先生や新宗教の研究者がよく指摘する点でございますが、次のよ うな点が教団の構造の特徴になってくるかと思います 。 まず、教団構成員は婦人層、あるいは青年層がその活動の中心にな っ て いることが多 し 、

それから、聖職者が信者と未分化なこと 。 はっきりと僧侶と、例えば信者、檀家という ふうな画然とした区別がない新宗教が多いのです。信者であるような、指導者であるよう

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な、あるいは指導者のサブであるような、 そういう人たちが新宗教には見られるわけでご ざいます 。 また、構成員が非常に流動的でございます 。 新しくメンバ ー に入ってくる人もいれば、 出て行く人もいます 。 寺のように、檀家制度では、 一度、檀家になりますと、檀家ではな くなるということはあまり考えられませんけれども、 それとは対照的です 。 それから、儀礼や布教、学習、集会などの、集団的な行動が非常に活発に行われてい る 。 これは、既成仏教と比べますと明らかです 。 創価学会の大運動会のようなイベントは まず既成仏教には見られません 。 さらには、入信者の動機の特徴があります 。 これには現世利益、人生の様々な問題、あ 新宗教 と 既 成 仏 教 るいは生きがいの発見など、比較的は っ きりした動機が認められます 。 それから、信者は、自分が帰属している集団への非常に強い連帯感を持ち、横のつなが りを非常に重視している点が指摘できるかと思います 。 教団の構造と申しますが、新宗教をひっくるめて考えてみますと、大体このように把え られるのではないかと考えます 。 教え、教義の方ではどうかと申しますと、 や は り 、 より 具 体的な救済を提示していま

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す 。 病気の人には、実際あなたの病気は治ると断 言 します 。 あるいは家庭不和というふう な ケ l ス で す と 、 その家庭の不和を具体的に解決していこうという意志を全面に打ち出し ます 。 少なくとも姿勢の上では、具体的な救済を売り物にするといえるでしょう 。 既成仏 教ですと、あなたの病気は必ず治るというようなことはちょっと 言 いにくいと思いますけ れども、新宗教ではむしろ平気で病気や人間関係に関しての解決策を、具体的な形で出し ているのが多いわけです 。 それから、神霊の実在を主張しています 。 これはかなりリアルな形で主張されます 。 祖 先が今私に降りてきたとか、あるいは、霊魂はここに実際にいるんだとかいいます 。言 い 方を変えますと、神霊の類を教義の中心として強調しているわけです 。 それと関連いたしまして、信仰実践には、呪術、あるいはシャマニズムが深く関わって います 。 実際に、新宗教の道場などに足を運びますと、これは様々な形で行われますけれ ども、神が降りてきたとか、霊が降りてきたとか、霊が患いたとか、 そういう形の現象が 非常に多く見られるわけでございます 。 また、新宗教というのは、例えば神道と仏教、あるいは他の民俗宗教がいろいろ混じり 合ってきています 。 単 一 の体系立った宗教の形をとっているのは、むしろ少ないと 言 っ て

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いいかと思います。非常にバラエティに富んだ、複合的な形をとってくるのが普通であり ます 。 それから最後に、横の連帯の重視があります 。 人間と人聞がこういうふうにつながっ て、これが大事なんだということを、しきりにその教えの中で繰り返していくわけです 家庭とか、社会とか、教団の枠を超えた人間の結びつきにそれが敷術していきまして、 いには人類共存とかにまでいくのがよく見られます 。 新宗教の場合には、人間的な結びつ き 方 、 つまり共同体のあり方に極めて大きな関心をはらっています 。 以上のような新宗教を、さらに 二 つの系統からみることにします 。 つは日本古来の神 を中心にした習合神道系の創唱宗教です 。 ﹁ 大本 ﹂ と か 、 ﹁ ほんみち ﹂ と か 、 ﹁ p a -﹁ ひとのみち ﹂ がこれにあたります 。 あるいは、生長の家、世界救世教、天照 皇 大神宮教 な ど は 、 みんな神道系と考えることができます 。 新宗教と既成仏教 それからもう 一 つの大きな流れというのが、これはまた不思議なんですが、 日蓮系の在 家教団になっていますね。本門仏立あるいは霊友会、立正佼成会、創 価 学 会 、 こういうも のは全部日蓮系の教団に属しております 。 どうして仏教系の中でも日蓮系から新宗教運動 これはこれでまた宗教社会学のテ が起こって浄土系から起きなかったのかというのは、

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マ の 一 つだと思うんですけれども、今日はそれには 触れません 。 大体新宗教というのは、 日蓮系と神道系の大雑把に言うと、 そういうふうな流れの中で多くが生まれてきたと考え ておきたいと思います 。 ︹ 新宗教の展開 ︺ で は 、 そういうふうな新宗教が、歴史的にはどういうふうに展開をしてきたかというこ とを、次に考えてみたいと思います 。 新宗教のこの展開というのは、非常に細かくその発展の段階が区分可能ですが、今日は あまり細いことに入り込みますとちょっと趣旨と変わってきてしまうので、まず戦後を中 心 こ 、 つまり第二次世界大戦後の日本の新宗教を中心に見ていきたいと思います 。 幕末から終戦、第二次大戦中の新宗教というのを見ますと、 この時期には、明治 ・ 大 正 ですけれども、天理教とか金光とか黒住などの神道系の新宗教が、明治 二 十年ぐらいまで にたくさん成立してまいります 。 これらの教団から、例の大本や、霊友会、 それから生長 の家などが出てくるわけです 。 研究者によ っては、天理教を新宗教には入れないという研究者もいます 。 あれはもう

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ニ ュ

l

レリジョンではなく、変な言い方ですけれども、オ ー ル ド ・ ニ ュ

l

レ リ ジ ョ ン 、 い新宗教であると呼ぶ先生もいらっしゃるようです 。 これらの幕末の社会変動の中から生じてきた新宗教は、明治維新あるいは大正期の資本 主義の確立期などの、 ア ノ ミ

l

状況 (混乱期)を背景と し ています 。 これが、社会不安、 貧困などを背景に多数の信者を獲得していくわけでございます 。 これについては今日はあまり触れずに、第 二 次世界大戦後の新 宗 教がどういうふうな段 階で展開して行くかというのを主に見ていきたいと思います 。 これは便宜的な分け方でございますが、 三 つぐらいの時期に分ける方法が 宗 教社会学で はよくとられています 。 東洋大学の西山茂先生は、大体この 三 つの分け方で新 宗 教の特徴 づ けができるとされています 。 それで、私もそれを踏襲いたしまして 三 つに分けて考えて みたいと思います 。 新宗教と既成仏教 第 一 期と し ては、敗戦後の占領期です 。 この時期には、法律的な背景が現在とは全然 違っておりました 。 申請すれば宗教法人が認可されるという事情がありました 。 ですか ら、大規模教団、あるいは 小 規模教団、様々な規模の教団が、雨後の萄と形容されるくら いものすごい勢いで、全国的に生まれた時代です 。 有名な踊る宗教という、北村サ ヨ

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の天照皇大神宮教もこの時期に発生してます 。 天照皇大神宮教というのは教え自体は非常 に簡単で、明るい楽しい生活が人間の目的なんだというようなことを言って、信者を増や していくわけです 。 霊友会、立正佼成会もこの時期に勢力を伸ばしていきます。 あるいは、マスコミの注目を浴びた小さな規模の教団の中には、璽宇教というのがあり ます 。これは長岡良子さんという方が生き神でございまして、病気治しと世直しを打ち出

一 時マスコミに非常に注目された宗教であります 。 お相撲さんが信者になったり、い ろんな有名人が信者さんになってマスコミが追いかけた宗教だと思うんですが、教祖が結 局は誇大妄想狂であるというような医師の診断を受けまして、教勢はあまり振わないまま 終わってしまいます 。 占領期というのは、もちろん社会的には、激動期でございまして、 そういう宗教が、 様々な社会的な影響を受けながら生まれてきては、また消えてゆくという時代だったと思 います 。 次に第 二 期でございますが、これは 一 九五 O 年ぐらいです 。 朝鮮戦争によって生じた経 済的な特需をきっかけに、 日本は敗戦のショックから立ち直っていきます 。 経済的な復興 が本格的に始まってくる時代ですが、五

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年代から六

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年代にかけての高度成長の時代で

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す 。 日本の国力が回復して、あるいは戦前の段階をどんどん超えていく段階です 。 この時代で注目しなければいけないのは、やはり創価学会と立正佼成会であります の 二 つの教団、現在でも巨大教団の代表でございますけれども、大体この時代に今日の基 盤を確立したと考えていいと思います 。 立正佼成会は、昭和十 三 年に、庭野日敬さんと長沼妙佼が、国柱会の、村山景造さんの 協力を得まして 霊友会 から分派した団体です 。 庭 野 さ ん も 、 それから長沼も、初めは方位 とか、六曜とか、九星、姓名学、気学などの、要するに運命学的な占いみたいな、民間信 仰ですね 、そう いうふうなものをふんだんに利用し、それを結局法華信仰に結びつけて、 現世利益とか人格完成などを説いていったわけです 。 今でも佼成会にはそういう痕跡つま り占いや、姓名学の影響が残ってるかと思うんです 。 これが非常に婦人層とか中小の零細 新宗教と既成仏教 企業者に受けまして、どんどん浸透していくわけでございます 。 佼成会の発展というのは 目を見張るものがありました 。 数年前には、公称五百 三 十万の団体になっております 称ですからこれは何割引きかしなければいけないと思いますけれども、 それにしてもすご い数の信者が組織されています 。 創価 学会の方 は、昭和五年に牧口常 三 郎、戸田城聖の 二 人が設立した創価教育学会を母

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体として始まります 。 初めは小学校の先生を中心に組織していきます 。 その教学的な立場 は、日蓮宗の中の少数派の日蓮正宗という立場です 。 創価学会はよく独立した組織に見ら れるんですけれども、あれは日蓮正宗の中の 一 つ の信者組織です 。単 なる 一 つ の 講組織な その中の 一 つ の グループが肥大化していったという形で す 。 そういう創価学会なんですが、その根本的な性格は、田中智学という有名な人がいま すけれども、あの人の日蓮主義と考えられます。純正日蓮主義とも呼ばれますが、天皇崇 わ け で す 。 一 つ の 教 団 が あ っ て 、 拝と排外的な日本主義(民族主義)の影響を受けて出発しているわけです 。 一 九五 O 年頃 になりますと、非常に戦闘的な折伏大行進ということが始まりまして、 それこそお寺の中 にまで入ってきてお坊さんに論争をふっかけるという、かなり乱暴なやり方も見られたよ うです 。 それと、政治進出も見られます 。 それまでの新宗教にはちょっと見られないよう なアクティブなというか、 アグレッシブなというか、非常に行動的な活動を繰り広げたの が創価学会だと思います 。 まして、創価学会はだんだん性格を変えていきます 。 一 九六 O 年ぐらいになりますと、池田大作が会長に就任いたし 立正佼成会も創価学会も、発生してそれが展開し、 二定の規模に達する と 、 今度は安定 期に入っていくというプロセスがあります 。 そうしますと教えとか、あるいは実践、組織

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の面での合理化が起こってきます 。 教団の近代化が進められていくわけです 。 つまり、初めは呪術的というか、 マジカルな面の強い布教を打ち出して人々の現世利益 的なニ l ズに応えていきますが、運動が広がって布教対象が拡大してくると、だんだんそ の呪術的な面が薄れ、現世利益も同じように希薄化していきます 。 教えが割と理屈っぽく なっできたり、あるいは教義が文献等で裏付けをされて、だんだん教学が整備されてくる という面が見られます 。 創価学会も立正佼成会もこういう合理化を進める 。合 理化を進めていくその主要な原因 というのは、やはりマスコミから叩かれたことだと思います 。 読売事件とかで、佼成会も 一 時期叩かれました 。 マスコミ社会からそういうマジカルな面は後進的だと攻撃を受けて 軌道修正をせざるを得なかったのであります 。 ここでは新宗教が、ある意味では社会の動きに対してフレキシブルにというか、適応が 新 宗 教 と 既 成 仏 教 非常にうまいという事実を見ておきたいと思います 。 現在の創価学会にはありませんが、かつては、豊茶羅を、幸福製造機と呼び、その豊茶 羅と自分が向き合って題目を唱えると、あらゆる現世利益が得られるんだと主張しており ました 。 あるいは日蓮上人の歯が実際本山にある 。 国立戒壇が実現してくる日が近づくに

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つ れ て 、 その歯の肉が盛り上がってくるんだというようなことも 言 っ て い ま し た が 、 そ れ をもう捨てまして、 そういう神秘的なことは 一 切 言 っておりません 。 現在では神秘的な呪 術的なことは 一 切否定しております 。 現在主張されている ﹁ 生命論 ﹂ というのは、むしろ 近代科学を利用した現代人にも受け入れやすいような、合理的な主張になってきていま す 。 こうした軌道修正が非常に、たやすくできてしまう 。 こうした点が新宗教の、強いと ころだと思われます 。 立正佼成会の長沼妙佼もシャマン的です 。 拝むことによってちょっと神がかりに近いよ うなことをやって病人なんかを治してたわけですが、 そういう時代が過ぎますと、今では 久遠実成大思教主釈迦牟尼世尊というふうなものを本尊、 それから法華経と根本仏教を教 学的な拠所というふうに、 わかりやすい、 しかも 一 般受けするような教義に変更してい く 。 あるいは宗教者平和会議というのを組織して、国際的な平和運動に力を入れるという ように、社会に適応していくわけです 。 教団の近代化はかように進められていきます 。 しかし、創価学会にしても、立正佼成会 にしても、全部の信者がそうした近代化、合理化を納得してるか っ ていうと、そうではな い 。 やはり組織の下部の方では、姓名判断とか運命鑑定とかを方便として使っているよう

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です 。 そ し て 、 一 方で合理化を進め、他方で呪術的な志向を持ってる信者さんを教団の枠 の中に入れておく。既成仏教では、 こちらでこうしておいて、こちらではこういうふうに という器用な対応ができにくい 。 新宗教の場合だとそうしたことが、さほど抵抗なくでき てしまっているような気もするんでございます 。 このように、第 二 期というのは、創価学会、それから立正佼成会という 二 つの大教団 が、上手な形で教団運営を進め、すごい規模にまで発展した時期というふうに押さえるこ とができると思います 。 第三期に入りますと、創価学会とか立正佼成会の時代とはちょっと違う新宗教の動きが 見られてきます 。 この時代はもちろん、経済成長が行き詰まって、自然破壊とか公害が叫 ばれる、七 0 年代以降から今日までの時期です 。 ここに至りますと今までの新宗教とはど 新宗教と既成仏教 うも違う新しい新宗教が出てくる 。 これらの新宗教は、 よく新新宗教という 言 い方がされておりまして、ここに幾っか類刑 を考えてみるとこんなふうに言えるんではないかと思・つんです 。 一 つはセク ト的な新 宗教です 。 それから 一 つは、神秘的な新宗教 。 それからもう は、最近 ﹃ 朝 日 新 聞 ﹄ で特集された小さな神々という 三 つのカテ ゴリーがあるんではない

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かと思います 。 この他に、宗教と宗教でないものの境目にあるのが、擬似宗教的新宗教 。 小 神 セ さ 秘 ク な 的 ト 神 な 的 々 新 新 巧て 乃て 教 教 擬 新 似 新 e7 e 7 巧て 乃て 教 教 的 新 刀て 教 比較的大規模教団 シンクレテイズム 青年布教浸透 教祖と信者の接触可能、地域性、教えは単純 こういうふうな幾つかの類型が考えられると思います 。 会 ﹂ と か 、 擬似宗教的新宗教というのは、生活倫理を主張するような運動 。 例えば ﹁ 実践倫理宏正 ﹁ 倫理研究所 ﹂ と か 、 ﹁ モラロジ

l

﹂ がこれにあたります 。 これらは宗教とは自 分たちでは決して 言 いません。企業の社員教育に非常に熱心な、あるいは朝早く起きてよ く集会なんかやっている集団です 。 彼らは、我々は宗教じゃないんだといって、礼拝対象 も何も持つてない 。 しかしやっていることをよく見ますと、 ほとんど宗教集団と同じよう なことをしています 。 これらは宗教と宗教でないものの境目あたりにあるので、 よく擬似

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宗教的新宗教という言い方をされます 。 この種の教団の伸長は、宗教はいやだという人がいるからです 。 新宗教なんかに入るの はいやだけれど生きがいとか、仲間がほしいという人を組織しているといえます 。実践 理 は 、 三 百数十万人の人聞を組織している 。 モラロジ

l

は六万人、倫理研究所は十五万人 ほ ど の 、 それぞれ活動しています 。 メンバーを集めまして、 こういう運動は、神とか、超越的な存在を主張することはないんですが、人生訓といた し ま し て 、 よいことをすればよい結果が生まれ、悪いことをすれば悪いことが起こると か、天地自然の法則とか、あるいは宇宙法則というものが主張されます 。 これも 一 種の宗 教的な観念に近いものだと思われますが、 そういうことからかなりの数の、信者さん 言 っ て い い と 恩 ・ つ ん で す が ) を集めているわけです 。 新宗教と既成仏教 セクト的新宗教というのは、例えば、創価学会と激しい対立をした妙信講です 。 四谷の 創価学会の本部にトラックで乗り込んで角材で殴り合ったというようなラジカルな集団で す 。 創価学会が日蓮正宗をひん曲げたというわけです 。 非常に激しく創価学会攻撃を続け ているこの妙信講もそうですし、輸血の拒否で有名なエホバの証人もセクト的です 。 から各地の大学に拠点をもっ原理運動もそのセクト的宗教運動の中に入ると思います 。

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神秘的な新宗教というのは、

GLA

とか、真光文明教団が該当します 。 ハンドヒ

l

リン グとい っ て、手で病気を治したりします 。 あるいは真如苑も神秘的な新宗教に入れてよい と思われます 。 小さな神々というのは、無数にある 。 イエスの方舟もそうですし、例のこの間の浜辺で 焼身自殺した真理の友教会もこれに入る 。 訳のわからないような小さな教団がほんとうに たくさんある 。 セクト的新宗教と神秘的新宗教には、比較的大きな規模の教団が多い 。 それから、教義 が複合的です 。 シンクレテイズムと 言 ってますけども、教義がいろいろと錯綜しておりま して、神道系の教義と仏教が混在していたりする 。 真如苑などはその例にあたります 。 こ の 二 つの型の新宗教は最近、青年布教に熱心であります 。 青年層に 一 定の浸透をしている と 言 っ ていいと思います 。 一 方、小さな神々というのは、小規模教団ですから、教祖と信者の接触が可能なわけで す 。 セクト的新宗教や神秘的新宗教になるともう教祖とか、指導者と、 一 般信者が出会う ことはまずありません 。 しかし、この小さな神々の方は 、 規模が小さいですから、まだま だ信者と、教祖の接触が可能です 。 そしてこれは、地域が限定されておりまして 、 例えば

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神奈川県のこの地方に信者さんが集中してるとかいうようなことが多いわけです。 その教えは非常に単純で、小さな神々の方は、難しいことはほとんど言っていない 屈はほとんど言わないで、とにかく明るく、楽しく、仲良く暮らすために祖先を記りなさ いとか、非常に単純化された教えを正面に掲げております 。 今日の宗教的状況を考えてみると、このセクト的 ・ 神秘的新新宗教が 一 九七

0

年代以 降、非常に目覚しい展開を見せてきている 。 特にこのセクト的新宗教の典型が、 マ ス コ 、 でも問題になっております、原理運動です 。 そんなに会員の数が多いとは言えないのです け れ ど も 、 しかし、あの活動力というか、行動力というか、大学のキャンパスを中心とし ながら、非常に活発な活動をしている教団です 。 神秘的な新宗教の場合、この特徴は、布教に当たりましてオカルト的なと申しますか、 霊 的な現象、奇跡などを強調することです。

G

L

A

も真光もそうですし、阿含宗もそうだ 新宗教と既成仏教 と思います 。 この世の中には善霊と悪霊があって、 それが対立しているといいます 。 の不幸はその悪霊がお前にとりついてるからであって、善霊によってその悪を断たなけれ ばいけないというふうな、理論を展開いたしまして、青年層に浸透しています 。 神秘的な新宗教に入ってくる人の動機をよく見ますと、かつての立正佼成会とか創価学

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会の時代の信者さんのように、貧病争とは言い切れません 。 家庭的にもある 一 定の経済的 な満足をしています 。 病気も別にしてない 。 人間関係もそんなにうまくいっていないとは 思えないという青年が入信しているわけです 。 貧病争理論では理解できないような、そう した新しい信者層がマ﹂こに取り込まれてるのではないか 。 例えば阿含宗を例にとってみます 。 阿含宗というのは、真 言 密教に対しまして H 阿含密 教 H を言うわけですが、 この阿含宗も、人の不幸を霊障とか悪因縁、 これが人間を不幸に するんだ 。 それに対して守護霊、自分を守る霊を持て 。 例えば、非行行為を繰り返す高校 生は、そのお母さんの水子の霊障があるんだと、そういうことを 言 うのです 。 そのために 守護霊を持って、その守護霊の力でその子どもを救いなさいという 。 それから、阿含宗は 運命鑑定とか星占いの術を非常にうまくちりばめて人を引きつけているようでございま す 。 また千座行と申しまして、毎日毎日 一 定時間お勤めをさせます 。 それを千日続けると 満願いたしまして、 一 つの願い事がかなうのだと 言 います 。 この阿含宗が、どうしてこのように注目されるほど伸びてきたか考えてみたのです 。 つは修行を非常に前面に押し出してきていることです 。 機関誌を見ますと、僧侶しか持つ ていないような酒水の道具を通信販売で売っています 。 それで酒水器を使いながら修行し

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なさいと言う。かつては在家の人が酒水器など使って修法するなどまず考えられませんで した 。 そういうふうに伝統的な密教の修行法をオ ー プンにしていくということが阿含宗に 見られる 。 それから、これはもう ﹃ 中外日報 ﹄等 でよく伝えられることでございますけれども、イ べントを企画します 。 例えば阿含の星祭といいまして、京都で、数十万人を集めての柴灯 護摩をやる 。 これはテレビでも放映されます 。 また、テレビで積極的にそのコマーシャル を流すということもやっております 。 あるいは教祖がバチカンを訪問したりして、 それを 宣伝に 利用する 。 それからインテリ層の働きかけが非常に熱心でございます 。 発刊されていますが、これはかなりの知識がないとちょっと読みこなせないようなもので ﹃ ア

l

ガマ ﹄ という雑誌が 新宗教 と 既 成 仏 教 す 。 そういうのを通じまして知識層に 一定の読者 をもっ 。 教理自体はまだ完成されてると は言えませんが、青年層が何か自分で主体的に宗教に関わっていけるという材料を調えま そして積極的な教団の活動に関われるような、 そういうふうな方向をとってるのが し て 、 阿 含宗だと思 います 。

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︹ 新新宗教の 基盤 ︺ 阿含宗も含めまして、新新宗教がどういうふうな基盤から発生しているのか、話を進め ていきたいと思います 。 これはもう平凡なことですが、やはり現代社会というのは、家庭の機能が、明らかに衰 社 会 で す か ら 、 退してきでいる 。 家族と家族の結びつきが弱体化してきでいます 。 それから、競争原理の そこではもう、人間的な信頼とか、 つながりとかそういうものよりも、む しろ違う原理が働きます 。 人間が非常に不安になりやすい状況が生まれてきている 。 管理 社会というのも同じです 。 人々は、年齢とか社会階層を問わず、心理的な安定が突き崩さ れやすいような環境に生きている 。 そういうような社会全体の変 化 は注目しておかなけれ ばいけないと思います 。 例 え ば 、 イ エ スの方舟は、九州の博多にパ ー みたいなものを作っています 。 私は見学に 行ったことがありますが、 そこでその構成員が、 ほんとうに仲良く楽しそうに仕事して、 日曜日になるとお庖を締めて、教会に早変わりして、例のおっちゃんという人がお話かな ん か し て 、 みんなで楽しくやっている 。 若い女性が多いのですけれども、特別に困難な問題に直面しているような人に見えな

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ぃ 。 それでも共同体を作って、 そこで個人同士で非常に強い結びつきを作る 。 私たちは今 が 一 番幸せなんだと断 言 するのです 。 こうした小さな共同体に所属して心の平安を得てい くことに新新 宗 教 の 一 つ の断面がみられると思います 。 これは私の個人的な体験ですけれども、今、私は女子高校 二 年生のクラスを持っていま す 。 この間 一 人退学者が出ました 。 その生徒は、拒食症です 。 物は食べますけれども、食 べた後すく吐いてしまいます 。 それでどんどんやせ細 っ てきまして、体重が 三 十キロ ちょっとぐらいしかない 。 ほんとうに困ってしまったらしくて、家庭で治療に入るから学 校をやめると 言 ってまいりました 。 どちらの方に行くんですかと 言 っ た ら 、 ﹁ 内観 ﹂ うのをや っ てるところへ行くのだそうです 。 自分の心を反省して 、 問題を洗い出していく という 、宗 教に近いものだと思います 。 そういうことや っ ている施設に入りました 。 間手紙が来たのですけれども、 そこでみるみるうちに回復して、現在では食事がもうでき 新宗教と既成仏教 る 。 そ の 生 徒 は 、 そのとき自分は 一 体どういうことにな っ て い た の か 、 ほんとうにあのと き何だ っ たんだろうか つ てことを 言 ・ つ ん で す 。 親に聞きますと、もう何年も何年もそうい うような苦しみをしてきた 。 どの病院に行っても治らなか っ たと 。 内観の道場に行った ら、このようによくな っ て改 善 されてきたといいます 。 その親が泣きながら 言 うのですけ

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れども、全然問題があるような子じゃないという 。 小さいときからいい子で 、 ほんとうに 親 の 言 うことはよく聞くし、家庭では何にも問題がない 。 しかし、その内観道場で、母親 とその生徒が話し合ってみたら 、 いかに母親はこの子に無理強いをしてたか 。 過大な負担 をかけていたかがわかったというのです 。 親子関係で 言 え ば 一 見 問 題 の な い 、 理想に近い よ う な 、 そういう家族でも、実は現代社会のなかでは、何か歪んだものにな っ ているとい うことも 言 えるかと思います 。 これは、すべてのケ

l

スがそうじゃないと思いますけれど も、しかし、最近言われてる心身症の子供たちのことを考えますと、どうも 一 見何事もな いような家庭の中で、心にストレスがかかっているケ

l

スが決して少なくないような 気 が します 。 で は 、 こういうふうな青年が、 これから心の安らぎを求めていくときにはどうするかと 考えますと、やはり 一 つ は 、 これはト

l

マ ス ・ ルックマンという 宗 教学者の見解ですが、 青年は自分自身の世界というか、自分自身 の 宗 教 と い う か 、 そういうものを見 つ けようと する 。言 い換えれば宗教を個人化していく 。 教団に所属するとか、どこかそこにある集団 に自分が積極的に関わっていくことで心の平安を求めていくのではなくて、自分自身の、 個 人 化 さ れ た 、 ﹁ 見えない宗教﹂に関わっていくんじゃないかと思います 。

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それからもう 一 つは、横のつながり、友達と話し合う、先輩からいろいろ意見をいただ く、そういうふうな形がある 。 組織に関わっていく方向です 。 つまり、新宗教や新新 における横のつながりの中で、自分を見いだしていこうという方向がある 。 そこで、かつであったような祖先崇拝という、親がいて、おじいさんがいて、 そ の ず と上がいてという縦のつながりの中に心の平安を、 薄いんじゃないか 。 縦のつながりの中に、 見いだしていくような可能性は極めて つまりはっきり 言 ってしまりば祖先崇拝に生き がいを見いだしていくというのは、 これからの青年にはあまり考えられない 。 新宗教というのは、既成仏教に比べれば、仲間 -つ く り と か 、 その連帯性という点で 常に優れた対応能力を持 っ ていると思います 。 そこに入 っ てきた人に対しては、 そ の 的な欲求を満たすと同時に、社会的な連帯感と申しますか 、 人と人とのつながり、信者と 新宗教と既成仏教 信者、青年部の何とかさんと何とかさんという形で、連帯感を与えまして、生きがいを与 えている 。 そういうものが新宗教の、組織の強い面だと思います 。 新宗教は、教え自体は保守的な場合が多い 。 祖先崇拝を中心としたり供養を中心とした りしておりますから、新 宗 教といっても、教義の面では新しいとはいい難い 。 しかし、保 守的な教えではありますけれども、組織の面を見ますと、 柔 軟性がございまして、人間的

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なつながりを上手に使って生きがいを若い人に与えている 。 特に最近の新新宗教は、自分自身が何で不安なのか、自分自身が何に戸惑っているのか というような、自分自身を掴めない青年たちに、具体的な宗教的行動を通じて、 その教団 に関わ、りしていくということが見られる 。 考え方自体非常に幼稚で、あるいは短絡的であ りまして、あるいは荒唐無稽というか、非合理的であるにしても、やはり結果的には、青 年たちの宗教的な欲求を満たしていると 言 えるかと思います 。 ︹ 既成仏教のあり方 ︺ 次に、既成仏教の最近のあり方についてちょっと述べたいと思います 。 仏 教 教 団 は 、 エ スタブリッシュメントであります浄土宗でもそうですし、他の宗派でも そうなんですけれども、よく葬式仏教とか 言 われることが多いと思います 。 葬式仏教だか ら危機だというふうな 言 い方もされるのですが、そんなことはないと思います 。 もし葬式 仏教が危機であるというふうな 言 い方をするのだったら、 それはかなり昔から仏教教団は 葬祭に深く関わってきてますから、危機はもうずーっと存在したはずです 。 ところが、そ れによって仏教が衰退したとか何かというのは、少なくとも表面的には見られないわけで

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すから、葬祭仏教イコール仏教の危機だと考えることはないと思います 。 ところが今日のような非常に激しい社会変動の時代になりますと、従来のような仏教の あり方のままでいきますと、徐々にではあるけれども、危機的状況が生まれるかもしれな し 、

ここで洗建先生の指摘を参考にしてみたいと思います 。 洗 先 生 は 、 日本人の信仰には、 三 つのレベルがみられる 。 一 つ は H 教義的信仰 H で、たとえば浄土宗なら浄土宗という伝 統的宗派的教義にたつ信仰です 。 もう 一 つ は 、 H 祖先崇拝 μ で、これは、葬祭を通じて日 本人の信仰生活に深く根をおろしている 。 さ ら に 、 H 民間信仰 H があって、これは現世利 益を中心とした信仰である、としています 。 洗先生は、既成仏教が直面しているのは、教義的信仰が、 一 般にはほとんど問題になら 新宗教と既成仏教 ないくらい後退し、祖先崇拝と完全に軍離してしまっている、ことだと言います 。 つ り、檀家は祖先崇拝そのものには関心をもつが、それを祭杷する寺院や宗派へはほとんど 関心をもたない、という傾向です 。 信者さんのレベルで言えば、自分の葬式をやってくれ るのは浄土宗であってもいいし、他の宗派でもいいというふうな考え方をしてる人が多数 になりつつある 。 どうも宗派が意識されることは少なくて、他の要素、住職の人柄とか、

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寺とどのぐらい自分の家が近いとか、あるいは、あのお寺さんはお布施が安いとか高いと 28 か、そんなことを基準にして寺院が選ばれてくる 。 宗派の必然性あるいは、宗派の独自性 が大きく後退しているんではないかということを、洗先生は指摘なさる 。 いくら伝統ある宗義でも、信徒の意識から大きくずれてしまっては、 やがて教団の在立 に大きくひびいてくる、というわけです 。 一 歩進めて、既成仏教の教義が現実の人間のいろいろな苦しみとか、悩みとかいうもの に対して、どの程度レスポンスできるかというところを考えますと、どうも新宗教に比べ 4 A V ム ﹂ 、 そのところが弱い 。 例えば貧病争ならば、その解決をどういうふうに具体的に与え て い る の か 、 そういう具体的に救済を与えるような教義をどういうふうに整えていくのか を是非とも研究する必要があるのだと考えるわけです 。 これは洗先生が言うんですが、例えば浄土宗ならばこういうことだと思うのです 。 末期 がんの患者に、あるいは家庭内で様々な問題に悩んでる者に対して、念仏によって何がど うなるのかとか、なぜ念仏するのかということをしっかりと理論的に開陳できるような、 そういうふうな教えを作っていく努力をすべきだという 。 よく浄土宗のお寺へ行くと、 ﹁ このお寺のご宗旨は ﹂ という例のポスタ ー が張ってありまして、読みますと、浄土宗っ

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て書いてありまして、教えっていうのがあって、 いろいろありますね 。 お念仏によってこ ういう生活をするというのが 。 あのポスターを見ますと、どうもインパクトが弱いような 気がするのです 。 例えば、例えが悪いですけれども、デパートがもしお金を出して広告をするとした あんな、あんなって言うと怒られますか(笑 )、あの程度のポスタ ーで人の心に訴えられ るんだろうかというふうに感じます 。 こんな立派な教えを持ってる浄土宗にしては、念仏 とはこういうことだというふうなインパクトが、非常に弱いような気がしてしまいます それから、ちょっと前後するんですけれども、拝み屋さんというのが病気治しをして、 非常に人を引きつけるわけですが、 そのときだけで大体終わってしまいます 。 信者さんと その拝み屋さんとの関係は、 そのときに終わってしまうことが多いようです 。 それはどう してかというと、 それは 一 つの宗教的な世界観 やはり救済を一時的にはしますけれども、 新宗教と既成仏教 を通じての救済じゃないんです 。 つまり、教 化をしての救済ではないですから、その さんとその拝み屋さんとの関係が、どうも継続しないし、それから発展もしない 。 ところが、新宗教の場合には、教義は非常に矛盾してる場合も多いのですけれども、そ の病気治しをしてご利益が現れたり現れなかったりしながら、指導を繰り返します 。

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を繰り返しますから、救済がそのときできても、あるいはできなくても必ず 一 定のインパ クトが与え続けられます 。 だんだん信者さんの信仰世界っていうのが開けてくる 。 教化が行われる 。 拝み屋さんと新宗教の場合には、明らかに違う 。 そういうふうにやはり 現世利益ではあるけれども、新宗教の場合には、信仰訓練を行いながら教団の運動が行わ つまり れているというような点を、やはり既成仏教としては注目しなければいけないと思います 。 最後にホスピスとかターミナル ・ ケアに取り組んでいらっしゃる布教の先生方がいっぱ いいらっしゃいますが、制度宗教から組織宗教への変革努力が必要だということについて 一 言述べます 。 既成仏教に関しましては、家の宗教から個人の宗教へというふうに、 時 新宗教がしきりにそういうことを言いましたけれども、 そういう同じようなことが、既成 仏教の中でも考えられていいのではないでしょうか 。 そのためによく 言 われるのが、新しい布教法のあり方、新しい宗学を研究しようという それから、寺院と教団の中枢がもっと結びつきを強化してくる こともそうですし、住職とそれから檀信徒が、もっと密接にならなければいけないことも そうですし、在家の組織を何かお寺を直すときの、今度直すときだけの組織ではなくて、 ふ うな動きもそうですし、 も っ と信仰組織として強化していくべきだとか、あるいは若い宗侶を養成するにはどうし

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た ら い い か と か 、 そういうことがたくさん考えられるわけです 。 ところが、根本には、 そういうふうな組織をどういうふうに、何か変えていこうとして も、組織をいじって、組織の変革を狙っていっても、どうもそれだけでは教団の活性化に つながらないのではないでしょうか。 やっぱり比べてしまうのは、新宗教を眺めながら一番感じるのは、どうも教団の組織を 改革するということと別に、やはり寺院の住職 一 人 一 人が、強化エネルギ ー を拡大化して いくということです 。 私は幾つかの新宗教の若い人と話すのですけれども、 ほんとうに睡 眠時聞が四、五時間だといいます 。 そのように飛び回っている 。 そういう人が十人いれ ば、君、教団なんかどんどん発展するよ、という 。 やはり既成仏教が 一 番考えなくてはいけないのは、 そういうふうな個人個人の教化エネ 新宗教と既 成 仏 教 ル ギ l がどのくらいあるかということから、教団組織の変革も、あるいは宗学の新たな展 開も、現実味を帯びてくると思うのです 。 やはり最後は住職一人 一 人の、教化にかける情 熱だということを 一 番新宗教と既成仏教を比べて見て、強く感じます 。 私は今寺院の生活 を離れておりますので、現実の寺院における布教について知らないことが多く、先生方の ご指摘をいただかないと計りかねるところも多いんですけれども、こんなふうに考えてお

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るというふうなことで今日はご勘弁願いたいと思うのでございます 。 ( 拍 手 ) 司 会 ありがとうございました 。 新宗教について様々な角度からお話していただきまし て 、 併せて既成仏教のあり方というところまで検討していただきました 。 多少質疑の時間 を設けたいと思うのでございますが、お聞きしたいこと、あるいはご質問、またご自分の 意見等もどうぞご自由にご発言願います。 質 問 敗戦後の 一 九四

O

年、五

O

年くらいは貧病争が入口で、現代はそういう入口が別の ところに移ってきている 。青 年も別の入口から新新宗教に入ってくるような話ですけれど も、具体的に事例というか、 それをクリエ

l

卜するような形をお話しいただきたいと思い ま す 。 例えばどういうところで教団 のメンバ ー と 接 触 し て 、 そして、恐らく何らかの集会 とかそういうのに参加していくのか 。 個人的に何か喫茶庄で話したりするとか、 そういう 事 例をお話しいただけるとあ りがたいのですが 。 )11 添 それは様々だと思うのですけど 。 やはり貧病争というのは、全然なくなってるとは 思いません 。 やはり新宗教をみますと、かなりの部分で、貧病争に思い当たるような動機 というのがあって、 それで新宗教にかかわってる人もたくさんいるわけです 。 しかし、最

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近の例で見ますと、やはりどうもそうじゃなくて違う何かの動機できてる 。 お友達を求め てきてるのか、あるいは何なのか、訳のわからない動機でそういう宗教運動に関わってる 人もたくさん出てきてるということだと思・つんです 。 阿含宗などの場合には、 イベントというのはやはり大きな信者を集める 一 つのきっかけ になってるようです 。 ちょっと聞きましたら、やはりすごく積極的にやってくれるといい ます 。 教団の人が言うには、昨日まで信者であったか信者でなかったかわからないような 若い人たちが朝 三 時とか四時に集まってきて、それで柴灯護摩なら柴灯護摩、阿含の星ま つりの準備をするというんです 。 同じはっぴを着まして、阿字が後ろに書いてあるような はっぴを着まして、みんなで役割分担して、掃除から、団参の受付から、 どんどんやって ゆくのです 。 プログラムをするのは教団であっても、 そういうところで、ちょっと外側に いたような若い人が、 イベントに参加することによって、かなりアクティブな信者になっ 新宗教と既成仏教 てゆくことはあると思います 。 あとは本当に様々な形で、真光なんかの場合は、道場に連れてゆかれて本当に熱心な信 者になったとかいうことです 。 その例で 言 う と 、 イベントに参加する前はそれほど強い信仰を持っていない人、友 質 問

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達にちょっと声をかけられて、そして入った程度の人が、役割 を 与えられて自然にして行 くということですか 。

1

1

1

添 そういう面も多いそうです 。 阿含宗の場合には、 それが結構多いっていうふうな言 い方をしてました 。 質 問 例えば阿含宗、雑誌などでかなり広告をしてますけれども、ああいうのを見て、例 えば電話をしてきで入信する人も実際いるのでしょうか 。

1

1

1

;恭 そうですね 。 阿含宗の場合、どこまでどういうふうな信者さんをどういうふうにし て呼んでるのか、ちょっと聞いたこともないのですけれども、 メ ﹄ ア ィ テ l ションセンター に来ていて、阿含宗に関わってくるとか、あるいは本を読んで、読者が投書して、応答が あったんで平河出版社などに来たとか、 いろいろいるらしいのです。 阿含宗はちょっと変わった宗教だと思うのですけど 。 ああいうマスメディアをフルに 使った新宗教だと恩・つんです 。 入ってくる人も阿含宗の場合は、割と都会の人が多いよう です 。 質 問 例えば阿含宗が年間使う広報予算はどのくらいですか 。

}

1

1

添 金額は存じませんが、相当使っているようです 。 そもそもあの教団を運営してる人

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がそういうふうなメディアに関わってたことがあります 。 だから電通なんかとずいぶんつ ながっているみたいです 。 質 問 金額としてはどのくらいですか 。 大変な額だと思います。テレビのテロップを流すので、何千万とか言ってましたか ら、相当な金額じゃないでしょうか。 Jl

I

添 質 問 今のに関連するんですけれども、当然阿含宗にしても、 イベントなり宣伝なりの窓 口とか接点というのは持っていると思うんですけれども、今のお話をもう少し突っ込んだ というよりは、当然そういった新宗教は、 そういう若い人なり人の心を掴む上で、当然時 代の気分だとか、人々のニ

l

ズだとかというものに対する研究をしていますね 。 それでや はり単なる宣伝だけではなくて、必ずその企画段階で今の人のニ l ズ、どういうものだっ 新宗教と既成仏教 たら人は宗教に関わってくれるだろうか 。 その辺のところを、例えば浄土宗なんかもっと 考える可能性あるのかどうか 。 それと、私も大正大学でいろいろ実践仏教とか、伝道学と か受けさしていただきましたけども教義的な問題では現代人のニ

l

ズだとか、先ほどおっ しゃったような現代の家庭の状況とか、そういう宗教と関わるような下地に対する教義、 そういう点は非常に欠けてるんじゃないかという気がするんですが、川添さんとしての見

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解を聞かしてください 。 Jl

I

添 私は社会がこうなってるから教団の方はそれに対応してというふうなことを極端に やれとは 言 っ ていません 。 社会というのは常に変わるわけです 。 宗義なるものはしっかり した原典があるわけです 。 そんなに何かこう柔軟に、柔軟というかどんどん定義が変わっ てゆくものではないと思います 。 ただ、やはり既成仏教というのは、だんだん組織もそうですし、教義もそうですし、 そ れが整えられていくに従って、現実の救済機能というか、 そういうものから若干遊離して いくというふうな面は常に反省していく必要があると思います 。 社会のいろいろなム

l

ド 解を研究してくとか、 とか、変動とか何かに対しまして、布教研究所で例えばターミナル ・ ケアへの宗教者の見 そういうことは是非必要かと思います 。 ただ、もう 一 つ大事なの は、教団のアイデンティティというか、浄土宗とは 一 体何なのかということ 。 やはり自ら の宗教への問 いかけが大事だと思います 。 僧侶 一 人 一 人がそういうふうな問いかけを、不 断に続けてゆくしかないのではないかと私は思います 。 質 問 時代のニ

i

ズというのと同時に、具体的な社会に対する目的のようなものをもっと 持っていくんじゃないかと私は常々思・つんですが 。 例えば、擬似宗教と 言 われるようなも

(41)

のとか、世界人類何とかつてやってますけれども、ああいうようなことは、もう少し具体 的な、また教義的なものあると思うのです 。 ただ、対象ばかりを、流行ばかり追っかける んじゃなくて、当然そういうのが必要だと思うのです 。 その点について浄土宗の中での可 能性をお聞かせ下さい 。 それとあともう 一 つは、意見を言わせて下さい 。 先ほど川添さんのお話の中で、最近若 い人が縦のつながりに関心を持たなくなってるというご意見だったのですけれど、例え ば、最近お嬢さまブ

l

ムだとか、ああいうものは、縦の関係の関心ではないかなというよ うに感じます 。 それから、最近お墓参りとかが非常に増えているというような、 いろんな 原因があると思'つんですけど 。 私は縦の つ ながりに関心を持たなくなってるっていうの は、ちょっとわからないのですけど、どうでしょうか 。 Jl

I

添 難しいところですね 。 どうも祖先という 言 葉で我々が観念する言葉が、少しずつ変 新宗教と既成仏教 わり始めてる可能性はあると恩'つんです 。 つまり、我々はおじいさんとかおばあさんとか、実際会 っ た人には非常に親近感を持つ ていますけれども、 その上のずーっと累々と つ ながっている家集団というか、 そ 噌 つ い のに対してはどうなんでしょうか 。 それはこれからもずーっと変わらずにいくのかどう

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か 。 既成仏教がそれにだけよりかかっているというふうなことがもしありますと、まずい と思います 。 竹 中 大変結構なお話でした 。 ただ、伺いたい点が 二 つあります 。 先ほど新宗教の系統が 神道系と日蓮系だと 。 仏教系のさっきから大分話題に出てる阿含宗 。 それから近来非常に 教勢を伸ばしてる真知苑等々は、むしろ密教系のものです 。 その密教系がこういうふうに 出てきたということが近代の新新宗教の傾向ではないかと思うのですが、 それに対してど う考えておられるのかというのが 一 っ と 、 それから、さっき天理教のことをオールド ・ ニ ュ l レリジョンとおっしゃったが、新宗教の既成化の問題 。 先にも大分既成教団のこと はよく分析されてあるけれども、天理にしても、大本にしても、金光にしても、今、大新 宗教というか教団は、もう既に既成化の段階に入っています 。 そ の 一 つ の 例は、教団の教 祖の世襲化の問題があります 。 大部分の教団は世襲化しています 。 これをどういうふうに 考えるのか 。 むしろ逆に、既成教団の方が、管長さんとか大本山の法主などは世襲制では な い 。 ところが、立正佼成会にしても、創価学会にしても、創価学会は今度は、 今 までは 違うけど大分問題になってるとおり 。 真如苑もそうですし、そういった既成化の 一 つ の 現 れとして教団の世襲化の問題があるわけです 。 まだたくさんあるのですが、その辺をお答

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え下さい 。 Jl

I

添 やはり日蓮系と神道系の大きな教団が主力で、 それで最近になって、先生がおっ しゃるとおり、密教系の真如苑、阿含宗なんていうのが出てきたと思います 。 そ れ で はっきりわかりませんけど、やはり人々の宗教への関心というか、最近よく密教ブ

l

とか何かと言われて、不確かなものに対する関心が高い 。 神秘なものに対する関心が高い とか 言 われていますけれども、どうもそういうふうなことだけではなくて、もっと深い分 析がされなければいけないと思うのです 。 私まだそこまで勉強しておりませんので、なぜ 密教系の新宗教運動が盛んになってきたかというのは、私も関心はありますけれど、これ は先生から教えていただきたいものだと思うのです 。 これは、どうも人々が神秘志向を深めてるから密教系の新宗教が興隆してるのだとは い切れないところもあると思います 。 むしろ 、 逆に科学、あるいはサイエンスそのものに 新宗教と既成仏教 ついての関心の強い人が、矛盾なくそういうものに、密教的な宗教に関心を示していると いうのもありまして、どうもそこらへん私はいろいろ関心は持っているのですけれども、 判断しかねるところがあります 。 例の阿含 宗 の 人に聞いてみても、 そういう世の中の 的 な ニ

l

ズというのは、わからないと 言 っています 。 それとは関係なしにやってるとか、

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そ ん な 言 い方をしていました 。 りつぷ ﹄ もう 一 つの教祖の世襲化の問題というのも大きな問題だと思います 。 の霊友会なんかは、特にこれについて悩んでいると思います 。 実際、教団が、新 ﹃ いんなあ ・ と 宗教が今 一 番考えてるのは、果たしてこの勢力を、信者の数を含めまして、教勢を維持で きるかどうかということに、非常に危機感を持っている新宗教がたくさんあると思いま す 。 既成仏教に関わってる方々は、 そんな教団の危機などということは、むしろあまり おっしゃらないことが多いわけで、 それよりも新宗教の人の方が、教団は今危ないとか、 教勢が落ちているというふうな 言 い方をよくされてるように思います 。 その中の 一 つ が 、 今竹中先生がご指摘なさった、教祖の世襲化だと思います 。 教団によ っ て対応は様々だと 思いますけれども、教団のそのバイタリティというのか、 そういうものを考えていく上で は、やっぱりマイナスに働くことの方が多いのではないでしょうか 。 - ︼ 。 噌 ﹄ 、 ふ J J / 霊 友会などの場合には、うまく何かこう処理しようとして、 かなりの努力は払っ ているように聞いております 。 立 正 佼 成 会 、 それから他の教団のケ

l

ス、どういうふうに その世襲の問題を捉えてどういうふうに対応しているか、 これは私も勉強不足でまことに 申しわけございませんけれども、先生にテ

l

マを与えていただいたというわけで、勉強さ

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せていただきたいと思います 。 全 然お答えにならなくて申しわけございません 。 鷲 見 竹中先生の今の世襲化の問題も多少含むところもあるかもしれませんけれど、 はもう私は 一 教区の寺院の人間としてお伺いをしたいのです 。 私は宗教の展開というモ パークなんかのことですね 。 ああいう中で今の既成仏教というよりも浄土宗教団の場合に 一 つ大きな問題というのは、本来的に教団というようなものが実際の宗教的な 問題を支え る大きな支えであった 。 ところがいつの間にか制度化というのが進んできますと、 それ自 体が実は、今までの浄土宗としてのアイデンティティが、 それも言葉で捉えるのではなく て、そのときにもう既に教団というようなものが、生な人間の救済というか、 そういう問 題に対して大きな棚をはめておるのではないか 。 十分にできないんじゃないかと思いま す 。 ですから、先ほど川添先生は、活性化という 言葉 をお使いになりましたが 。 教団の活 性化 。 そういう意味では私はむしろ教団というようなものは、浄土宗信仰というようなも 新宗教と既成仏教 のを考案すれば、再生 という ふうな言葉の方が、適切ではないかと思 います 。なぜなら ば、この教団構造、 それから教義、こういうところ見ますと、宗門、 つまり教団としては はっきりとした新宗教と既成との違いがあるけれども、個々の寺院における宗教活動の中 そういうふうに、公的 では、かなりこういう部分は接触していると思いますね 。 そ こ で 、

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な、組織的に見たときに問題がある 。 つ ま り 、 ここでの問題は、 ひとつ新宗教と既成仏教をパラレルに並べた上で、 共通点な いしは問題をあげるとすれば、 いい言葉で 言 えば、やはり教団の組織化の過程が進みすぎ たというか、もしくは教団が大きくなりすぎたということです 。 悪い 言 葉で 言 えば、もう 教団自体が機能を果たせなくなったんじゃないかという ふ うな 気 がいたします 。 その点は どうなんでしょうか 。 J l

I

添 私も、個別の寺院では 言 ってみれば新宗教で言えば、支部のメンバーと、 その支部 長 と い ・ つ ん で す か 、 そういう形というのが、寺院の場合には住職と檀家さんという形であ ると思うんです 。 そういう形での日常活動というのは、やっぱり相当なエネルギ ー だと思 いますし、教団全体で見れば、 ほんとうにこれは過小評価してはいけないと思うんです 。 -r ﹄ 、 ふ ' ' ふ / そ れ が 、 はっきり 言 っ て限定されたものであるとい う こ と と 、 それからあと、組織 的に行われてないという点は、 新宗教に比べると、 やはり若干弱いのではないかという ふ うに感じます 。 鷲 見 今日もちょうど国際会議がありましたでしょう 。 そういうとこに出た問題は、やは り 宗 教というのはある意味で近代の合理化の過程だ っ たのではないか 。 その中で非合理的

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なものの要素というようなものが、例えば神秘的な新宗教が若い人たちのものになった 救済感、ああいうものが失われていくと、単に知的なもの、もしくは組織的なものとして の宗教になってしまって、本当に直接的な人間の救済の問題に関わるホッ トなものが、制 度があることによって逆にエネルギーを奪われたという気がします 。 これはもう先生の今 日の発表とテ

l

マ外れるかもしれませんが 。 そういった場所に、組織といいますか、 いうものと宗教の救済の問題、 それからもしくは合理と非合理の問題、こういった問題を も っ と積極的に考え直していくべきです 。 だ か ら 、 ひ ど い 言 葉で 言 え ば、むしろ原点に戻 るというのは、教団というものを単位とするのではなくて、人間もしくは救済、こういう ふうな問題に直接目を向けていくことによって、川添先生のおっ し ゃる活性 化、私なんか 新宗教と既成仏教 の言う、強いて言わせれば再生というふうな形があるのではないかということです 。 での、新宗教という言葉を使ったら既にもう現代という時間の中での概念が入ってるわけ ですけれども、今までに対する新しい運動という意味で、既成に対する新しい運動という 意味では、古来からあったわけです。それらの関係というものを捉え直していくことに よって、むしろ既成仏教はどうあるべきか、浄土宗はどうあるべきかというときには、問 いやすいと 言 えないでしょうか 。

(48)

川添 だと思います 。 決して今日の私のこの乱暴な話が、もう少し何か物を主張するとい うことではなくて、鷲見先生がおっしゃったように、既成仏教と一応新宗教を並べてみ て、そこで何か 一 つ既成教団側の現状が洗い出せるものかなというふうな感じでみてきた わけです 。 今教えていただいたことをちょっと私も持ち帰りまして十分検討させていただ きたいと思います 。 どうもありがとうございます 。 司 会 大分活発なご意見を頂戴しました 。 時間も大分経過いたしました 。 つい最近 ﹃ 浄土教から見た新宗教ノウハウ ﹄ という本が出ました 。 これは、今日おいで いただいている竹中先生にご執筆いただいてるわけです 。 念仏教化という立場に立ったと きに、新宗教のあり方とどう関わって、またお念仏が、効率的にと申しますか、より人々 の 心 を 捉 え る か 、 そういうことを我々は、模索をしながら努力していかなければいけない のではないかと思っております 。 最後に、研究所主任の宮林先生からお言葉をいただきたいと思います 。 宮 林 ありがとうございました 。 今日は竹中先生という専門家と鷲見さんという先生がお 見えになっていろいろと承ったんですが、今年は、現代における教化の問題ということを それで、まず最初に川添先生に来てもらって、 大きなテ

l

マにしたいと思っております 。

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新宗教について 三 遍伺って、さっきもニ l ズの話が出ましたけれども、我々はどうい 対応をするのか 。 浄土宗教団がどういう形でいくのか 。 浄土宗が制度化されて大体四百 年、四百五、六十年、五百年経たないんですね 。 最近になってようやく、竹中先生を中心 にしていわゆる宗規の見直しというのをやってるんですね 。 さっきおっしゃるとおり、やっぱり各寺ではそれぞれ模索をしながらやってるんですけ れども、どっちへ行ったらいいのかと試行錯誤的でございます 。 我々現場にいますとや ぱりそういうことがあるわけでして 。 まして浄土宗自体が、これで行くんだっていうよう な旗振りもなかなかできないような形です 。 ではこの辺でひとつ元祖に帰ろうといって 帰ってみても、それは教えとすれば良いのですけれども、 いろいろなこういう複雑多岐な 時代には、どういう形でいったら良いか、やっぱり現代にということもありますし、 新宗教と既成仏教 いろなことが模索中だと思うのです 。 ですからごちゃごちゃしているんで、 理して、ひとつ幾 つかの流れというものを捉えて、教 化の問題、あるいは浄土 宗教団論と いうのを考えたいという 一 つの足がかりで今日お願いしたわけですが、非常に結構なお話 一 遍ひとつ整 ありがとうございました 。 ( 淑徳 学 園教諭

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││最近の家族や子供の問題とその対応ーー

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