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『宗教研究』季刊第5年第1輯(*115号)

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(1)

――目次――

1,

体失・不体失往生の比較宗教史的一考察,松井了穏,Ryōon MATSUI,pp.1-22.

2,

部落祭祀における政治の関係,原田敏明,Toshiaki HARADA,pp.23-48.

3,

神道と藤樹学,柴田甚五郎,Jingorō SHIBATA,pp.49-78.

4,

朝鮮仏教史の特色,特に其の朝代的表現,江田俊雄,Toshio EDA,pp.79-94.

5,

朝鮮守護神崇拝における地域的特異性,特に城隍中心に,金孝敬,Hyokyon KIM,pp.95-114.

6,

平安時代における法華超八の思想とその胚胎,硲慈弘,Jikō HAZAMA,pp.115-138.

7,

日蓮聖人の上行菩薩自覚の経路,山川智応,Chiō YAMAKAWA,pp.139-156.

8,

普賢菩薩について,神林隆浄,Ryūzyō KANBAYASHI,pp.157-174.

宗教関係主要著書目録(昭和17年),pp.175-178.

Posted in 1943

(昭和18)年

(2)

、プJ㌧心㍗十 .ト、ト 覚如上人の編著に成る﹃口侍砂†出の第十四章に相雷する所に、﹁牒央・不慣失往生の事﹂と題Lた一段がある。

これは親鸞聖人の述懐の言葉として侍へられてゐるもので、法然聖人在世の柑、其の禽下の親鸞と善意房澄基と

の間に、念彿往生の機の往生は慣失して途ぐるものか、それとも不慣失の俸にて途ぐるものかについて法文評論

が行はれた際、師法然聖人がこれを然るべく解決判定せられたといふ侍誼を記せるものである。書信親鸞の不襟

失往生説に封して、西山派の始租澄塞が慣失往生の主張を持して下らす、互に甲論乙駁して容易に決しなかつた

ので、同席の多数の人々が其の﹁勝劣を分別せんが矯めに﹂、法然聖人の謹判を仰がんとして、これを師のもと

に持ち出したところ、聖人は両者の主張を逐一怒ろに傾窮し乍ら、その何れに封してもやがて﹁さぞ﹂と鮎頭承

認せらるるのみで、﹁是非堺へ難﹂かつた。そこで衆中よりその旨重ねて申し上ぐると、聖人は

﹁善意房の鰐失して往生するよし述ぶるは諸行往生の機なれぼなカ。書信房の照失せすして往生するよし申さ

鮭央不鰻炭往生の比較宗教史的一考察

鰹失・不腔失往生の比較宗教史的一考察

桧 井 了 程

. ﹁ 、 、 1

(3)

二 饅失不鰹失往生の比較宗教史的一考察 るるは念併任生の機なればなり。︰︰ヾ念併任生には臨終の善意を沙汰せす、至心信欒の辟命の一心他力より定 まるとき、郎得往生任不遇韓の道理を善知識にあうて聞持する平生のきざみに治定する間、この械慣亡失せす と雄業事成耕すれぼ、慣失せすして往生すといはるる欺。⋮︰諸行往生の機は臨終を期し釆迎を待ち得すして は胎生適地までも生るべからす、この故に械牒亡失する時ならではその窮するところなきによカてその旨を蓮 ぶる欺﹂云々 と購央往生詮と不餞失往生詭とを、禰陀の第十八念併存生の本願と第十九修諸功徳の非本願とに夫々依瀕する詭 として見る時、何れの主張にも根接ありと一往輿へて許す判決を下された。然し、その勝劣の一段に於いては、 閻よカ﹁本願念僻の機の不濃失往生と非本願諸行往生の機の閻失往生と﹂は、﹁殴最懸隔﹂天地宥填もただなら ざる明かなるものがあつて、﹁念彿往生は彿の本願なゎ﹂﹁本願なるについて偏く十方衆生に亙る﹂、﹁諸行往生は 本願に非す﹂﹁非本願なるにょ少て定散の機に限る﹂、彿の本意よ打云ふもその封機或は主慣よカ云ふも優劣盛宴 は議論を填たすして明白であると、此度は奪って軍配を親鸞の説の側に高く挙げられたといふ俸承なのである。 〓 冒侍砂﹄β思想には非常なる宗凍的傾向的なところがあつて、殊に将士の飴流を腰しめて眞宗就中本願寺宗 困の思想的葺際的地位を高めようとする意固が であるか否か煉る疑問に属するし、その中に預るる西山瀕組の主張に封する、法鷹聖人に仮託しての判断許慣の

(4)

如きも甚だしく歪曲された不常のものたること明かである。然しその事は且く措き、璧如がこれによつて眞宗の

面目、著Lきその特色が、平生業成の安心に在ることを高調し誇負せんとしたことは疑へないところであゎ、而

も少くもこのことに関する限りに於ては、覚如の此の主張が宅も不正な誤謬に充ちたものでないこと多く云ふを

挨たないところである。

悌教にて往生を語るもの、所謂﹁唯心之禰陀己心之浮土﹂の如きを説く観念主蕃の立場は別とし、正統浄土教

系の思想に於いては、その何れもが﹁順次﹂若くはそれ以後の得益としてこれを語るに反ト、眞完が現生に於け

る一種の往生を説き、﹃歎異砂﹄の所謂﹁一向専修の人に於いて﹂﹁た空路びあるベト﹂とせらるる廻心、即ち、

﹁日頃本願他力眞宗を知らざる人、弼陀の知慧を給はりて、日頃の心にては往生かなふべから1ずと思ひて、本の

心をひきかへて本願をたのみ参らする﹂所の、他力入信の位を以てこれに充てて、これを﹁郎得往生﹂ ﹁必碍往

生﹂ ﹁平生業成﹂或は﹁平生往生﹂︵﹃専修寺御菩﹄フ八咋於ける眞書法印の用語︶等々と名くることは人のよく知 る所の如くである。、此の現生に於て語らるる往生とは、﹃愚禿妙﹄︵上︶に謂ふ所の﹁信受本願前念命終、部得往

生後念郎生﹂なるものであつて、眞悪法印の﹁⋮⋮一念の信心獲得する時節を往生と心得るで候、この位を平生

往生とも郎得往生とも説き玉ひて候﹂︵同上︶といへるが正しくそれである。冒侍砂﹄と並んで覚如の著の一な

る﹃最要妙﹄には、﹁正信侶﹂の﹁憶念瀾陀悌本願、自然即時入必定﹂の句を註解して

﹁入唐謂へらく果縛の械購破るる時ならでは往生の行業成す可らずと。然る豊︵僕僻案なり。⋮⋮往生の心行

を獲得すれぼ終焉に尭立ちて郎得往生の蓑あるべト。願令身心の二つに命終の道理相削る可き歎。無始より此

鰹英不随先任生の此較浣致史的一考察

(5)

の方生死に輪廻して出離を簡求しならひたる迷情の自力心、本願の道理を聞く所にて謙敬すれぼ、心命塞くる 時に非るや。其時療取不拾の益にも預カ、任正定衆の位にも足れぼ、これを郎待往生と云ふベL﹂ と説明Lてゐるが、これは人の死を心と身の二つに分け、無信者若くは自力主萎者の他力入信を以て心命の終焉 とそれに即する瑛生往生とに擬し、他力信者の身命の死に神即する営釜たる順次の往生と並置せLめて、その所 謂現益としての意萎を明足せんとせるものといふことが出発る。これを更によわ簡明に道破したのは眞慧の言葉 であつて、其庭では﹁現身に往生を讃得し、命終るきざみ浄土に往生するなり﹂︵﹃専修寺御書年二ノ八︶と説か れてゐるのである。

抑と現生入信位の﹁正定衆﹂と未釆往生位の﹁減産﹂とを二益として、前者を﹁械土の益﹂後者を﹁浄土にて 得べき益﹂と明刺したのは、蓮如の﹃御室空一ノ四の如きを最とすべきであらうが︰其の意は親鸞に於ても素 よカ十二分に存し、﹁信馨﹂末の﹁現生十種之益﹂の最後にも﹁入正定衆之益﹂を馨げてをるし、其他その著書 の至るところに其の趣旨が反覆説かれてゐるから、﹃最要妙.出の解繹の如きも勿論眞宗の正意を得たるものとL て些の靡ひもない所のものである。それにょつて見れぼ﹃口侍砂.出に親鸞の主張として掲ぐる﹁不慣失往生﹂な るものは、正しく親鸞の面目骨張を附判にせるものとして正鵠を得たるものといふべきであるが、これに封比せ らるる﹁慣朱雀生﹂を第十九諸行往生の既に基く非本願の得果とし、これを西山派組に強ひて押Lつけんとする 捜央不敗失往生の比較宗教史的一考察 四 4

(6)

き渚∴ のは行き過ぎであつて、眞宗の説く往生には現生不慣失の優にて得らるる郎得往生佳不退韓と共に、嘗益とLて の城虔を必至相即せLめるものとしての未発の牒失往生を意味するものとの、両者があるとしなけれぼならない。 即ち往生は餞失のものも不餞奥のものも共に親鸞の思想の中にあゎ、その何れを快くも眞宗にて説く往生が一間 化せらるる危険に陥ることとなるのである。但諸宗に於いて説く往生が未釆の慣失往生に殆んど限られてゐたの に封して云へぼ、親鸞の不饉失︵此の語は親鸞のものたること明かでないにしても︶・の優での即得往生の主張は、彼れ の強い信仰的個性によつて閻得せられた猫自の﹁御己讃﹂なるものとLて、儒教思想史ひいては宗教思想史上甚 深の憲章を牽揮せるものといふことが出乗るのである。 此の事は彼の﹁信受本願前念命絡、即得往生後念郎生﹂の句に視るる﹁前念命絡、後念郎生﹂なるものが、文 とLては善導大師の﹃往生餞讃侶﹄に出づる ﹁仰願一切往生人等、青白思量己能。今身新生彼固着、行住坐臥、必須勘心起己重蔵莫靡、尊命焉期。上衣一 ヽヽヽヽヽヽヽヽ 形似如少苦、前念命絡後念郎生彼薗、長時永劫常受無焉法楽、乃壷成併不経生死、畳非快哉。﹂ といふに淵源し、これを全く供用した文げのものであるに拘らす、その憲章に至っては大いに異るものがあつて、 善導が往生を願求する行者の生理的生命の死を基準として念の前後を分別し、身命の終焉としての命経と潮生 ︵郎得往生︶とを相即せしめてゐるのに反し、親鸞に於ては全くこれを怪事韓用して、入信の一闊に前念の命経 と後念の釦生とが集約せられ、信仰生括の深奥なる秘蓑を括焉する、極度に躍動的な硯箕的意義のものに韓義欒 質せしめられてゐることに徹して見て、極めて明かに察知し得らるる筈のものである。 捜失不鯉失往生の比較宗教史的一考察

(7)

右によつて明かである如く、餞失せゃしての往生、即ち他力の入信位に於いて語らるる往生の如きは、教義と

しては勿論親驚に固有猫得のものであゎ、Lかもそれは軍に理論的に異を立て宗蓑を玩ぶ底のものでは素よ少な

くて、親鸞の深奥なる餞験に基くものなること多言を要しないのであるが、これ藍芸に同定固式化せられたも

のとLてでなくて、個人的慣験の意識心理の問題として見て他に其例を求もるならば、沸教に於いては他の宗酪

の中に巻見せらるるものに略同様のものが往々見らるるのみならず、僻教以外の宗教の信仰に於いても類似の心

理のはたらきが相常多数に跡づけられるのでないかと息はれるのである。

親鸞が現生不返や不濃失往生の主張を導き出Lた経典とLての﹃華厳経﹄や、唐諸宗凍禽﹄や、瓦礫の買無 量毒経﹄其の他の諸文への着眼は且らく措く。時宗の開祖一遍上人の法話にも、求道の門弟を喩Lたる言葉として

﹁他力碑名の行者は、此の身はしぼらく械土に有りといへども心はすでに往生を逮げて博士にあり㍉此の旨を

面々ふかく信ぜらるべし﹂︵≡遍上人語録一‖苛

といふがあゎ、親鸞が﹃末燈砂﹄の中に

﹁浄土の虞賓信心の人は、この身こそあさ愛しき不浮遺志の身なれども、心は巳に如秀と等しけれぼ如発と等

Lと申すこともあるべしと知らせたまへ﹂

と云へると全く同致の趣きを示してゐる。﹃末燈妙﹄にはこれに引き硬いて

燈失不鯉失往生の比較宗教史的一考察 四 _J...▲ qロ

(8)

﹁光明寺の和府の般舟讃には、信心の人はその心すでに常に将士に居すと博したまへり。居すといふは、浮士 に信心の人の心つねにゐたりといふこころなぉ。これは禰勤に同じといふことを申すなり。これは等正覚を禰 勤と同じと申すによわて、信心の人は如釆と等しと申すこころなゎ﹂ と示してあゎ、前文と併せ稽ふれぼ禰一遍上人の語録の趣旨に符節を合せたるが如く合致することが知られる のであるが、故に﹁光明寺の和筒﹂云々とあるは、善導の﹃般塑二昧行道往生讃﹄を指せるにて、同書末尾に

ヽヽヽヽヽヽ000000

﹁自諸行者、凡夫生死不可貧而不厭、瀾陀浮土不可軽而不併、厭則婆婆永隔、折則浮土常居一 とあるを斯く解繹したるものと点はれる。親鸞の此の繹、果して善導の意を得たるものなりせぼ、善導にも精神 的意蓑に於ける硯賓往生の思想若くは感念が、少くも潜在的な形に於いて、伏在してゐたものと見ることも出来 るであらう。 五 他の宗教に於ける例として、形は非常に異るが、一味大いに相通する消息を潜めてゐるものとLて私の頭に浮 ぶものは、婆羅門数が供犠儀餞の意味するところを解繹したそれの教養である。 抑モ婆羅門教の信仰に於いては、人は此の世に於いて軍に一回のみでなく、二戻びまでも誕生を経験Lなけれ ぼならない差せられる。誓ぎ琶t■hp出r巴已コぷp︵とこやー、−︶ には云ふ ﹁茸際人間はこ慶び生誕する。究づ彼れは父と母とよわ生れる。次に旗犠を行ふ時、供犠が彼れに就すところ 鰻英不鰻失往生の比較宗教史的一考察

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八 鰻矢木鰻央往生の比較宗教史的︼考察 のものは彼れの第二の誕生である。最律に被れが死L、人がこれを茶毘に附する時、彼れがそこから生れる時、 そは彼れの第三の誕生である。而して人は三度び生れると稀せらるる所以は蓋しこれが薦めである。﹂云々。 此の三度びの誕生の中第一のものが、凡ての生物に共通な自然的生物撃的乃室生理的意萎のものに外ならない こと云ふ患でもなく、それはその健では専ら俗的秩序に屈するものと科すべきであるが、第二第二石もの、就中 鞘第二のものは、極度に宗教的意萎のものであつて、草薙門教にてはこの供犠儀稽に於いて賓現せらるる誕生に特 別の意義と重要性を認め、人の眞の誕生は自然的生物畢的のものに於いてせらるるのではなくて却って此の宗教 的儀躇によつて初めて全うせらるるのであるとさへ主張せられてゐるのである。即ち岩註r首ぶー.・Sp膏hi註には ﹁人は部分的にしか生れない。それが眞に世に現るるは供犠によつてである﹂ と説いて、婆羅門数倍者にとつて︰供犠が如何計り重大な生命的意萎を湛へ食 m鳶r2莞已 であるかを教へて ゐる。否それはs琶rpmen什といふよ力も寧ろ寓能の光力そのものであるのである。 大 賀際婆羅門教の供犠の一つの根本的意萎は、他の別に於けると同じく、赫々や精冨等に封する供物とLてのも のに外ならないこと勿論でぁるが、印度k於いては往々此の儀躇行焉が内在せしめてをると信ぜらるる児力が極 度に神聖潤せられ強大視せらるる結果は、そ鱒軍なる紳憲への供物たるどころか、寧ろ却って神々をすら支配し 換縦する方法でさへあつて、赫々が常にこれに従屠する計りでなく、更に進んでは世界も神々もこれから生れ、

(10)

i 駁撃享 ㌣

これによつて存緯を完うすることが出発ると確信せらるるに至つてをる程のものである。それは云はば﹁凡てで

あゎ﹂﹁絶封である﹂と云つても支障ない程の偉大な神聖力紳秘力に外ならない、と見られてゐるのである︵A・ どisy︶穿s已hi賢riqlleSur les莞ri詳eもp・金チ芝︶。供犠は真に赫々をすら含めての一切萬物の能動因であり

能生因たる児力であるから、素よカ人間の虞の誕生も専らこれに依繋するのであゎ、これに此すれぼ父母よカす

る生誕の如きは、重く云ふに足らざる不完全なる恨現若くは隷備的第二萎的意萎のものに過ぎないと云ふべきだ

とする。而して此の供犠に於てする誕生が如何にLて箕現せられ、如何なる人生的乃至宗教的意蓑を括へるもの であるかば、私が先にSyl邑b I致i氏や#ll雰r什及岩筆露二柄氏の所論に従って解明した所に轟きるから、そ れを参照せられむことを望む外ないので、故には敢て重諭しないことにする ︵﹃宗教畢紀要﹄第五輯所載拙論、 ﹁信仰と儀祀に現れたる死と復活の契機に就いて参照︶。

但盆で一言附加して置かなけれぼならないことは、此の婆羅門の、供犠よカL供犠に於てする第二の誕生なる

ものの意味する朗のものが、供犠以前の全く卑俗なる性質或は身分が、正しく供犠儀捜そのものによつて硯賓的

に神聖なるものと韓化せられ、供犠者がそれによつて云はば紳として新生し凍るところにあると信念せられてを

ることであつて、父母よりする生誕が部分的のものたるに封し、供犠が斎す朗のものこそが眞に虞箕完全な誕生

であると説く意味は、賛際此の意に外ならなかつたこと明かである。それでかかる意味の供犠は、結局非宗教的

一■ へ l 髄失不儲央往生の比戟宗教史的一考察

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鰹失不漁失往生の比較宗教史的一考察 一〇 生命の全き死と宗教的生命の全き新生とを賓現すべき唯一の重大契機を形づくる儀鰻とLて、極端なるまでに紳 m 聖成せられ重大崩せられて.をるので、その意味と、それが硯茸の人生々括の中に茸甥L婿乗せらるるものたる鮎 に於いて、縦令儀躇と純粋なる信仰、粗野と洗練、物質的と精神的、皮相と深刻の差こそあれ、一遍の﹁此の身 は械土にありと雄心は既に往生を遂げて浮土に在カ﹂とか、或は又親鸞に附託せらるる﹁不鰻失往生︵平生往生︶﹂ の信念或は宗蓑等と大いに相賀がるところがあり、雨着の信念の心理的並に論理的構造は、少くともその形相に 於いて、同一類型に鼠するものと見て敢て過言でないと云はるべきだと思ふのである。 此の新生たる入信に於いて賛現せらるるものは何であるかと云ふに、虞宗にては他力の大信の貰牒を大行たる 南無阿禰陀彿の名競の車餞そのものだと見る。釦ちこの摘陀の生命たる名蟹行の全鰐がその儀信者の心中に仝現 せられたのが信仰であ少、この信海に杢領箕現せられた大行その儀が、更に信者の口唇を通じて牽表せられたの が碑名行としての南無阿禰陀燐であづて、此の意味で他力の信心は賓撃とLての隣位の大行と二而不二たると共 に、作用としての凡位の碑名行と不可分の関係に立てるものと説くのが虞宗の葦萎である。それで虞宗の信仰と は、本釆純粋なる﹁聖﹂としての絶封他者たる摘陀の命金閣が、信者の心によつて螢餞吸取し同化し全額せらる ることによつて、信者の命そのものと化することに外なら1ずとも云はるべきであつて、﹃安心決定砂﹄には﹁辟 命﹂ の義を繹Lて

(12)

﹁知らざる時の命も阿摘陀の御命なりけれども稚けなき時は知らず、少し小慧しく自力になゎて我が命と鳳ひ たらむ折、善知識もとの摘陀の命へ辟せよと教ふるを聞きて辟命無量毒覚しっれぼ、我が命無量毒なりと信す るなヵ﹂︵同末︶ と云ひ、或は次の如き深遠琴皇息昧を湛へた語が至るところに隙顛するのである。 ﹁念僻三昧に於て信心決定せん人は、身も南無阿禰陀彿心も南無阿摘陀僻なりと息ふべきな少。⋮⋮身を極後 に撞きて見るとも報悌の功徳の染まぬ所はあるべからず、されば械法一問の身も南無阿摘陀彿なり。⋮︰心を 刺郵に千割りて見ると、も、弼陀の願行の適せ鱒朗なけれぼ、機法一閣にして心も南無阿瀾陀彿なヵ。摘陀大悲 の胸のうちに彼の常段の衆生みちくねる政に椒浩一餞にして南無阿摘陀彿なヵ。吾等が迷倒の心の底には法 界身の功徳みち/\給へる故にまた機浩一慣にして南無阿摘陀僻なヵ。⋮⋮南無の機と阿摘陀彿の片時も離る る事なけれぼ念々皆南無阿滴陀悌なゎ。されば出づる息入る息も悌の功徳を離るる時分なけれぼ皆南無阿摘陀 悌の閻なり﹂︵河本︶ ﹁念悌三昧の領簡閲けなぼ身も心も南無阿弼陀併になゎかヘヵて、其の領解言葉に硯るる時南無阿摘陀彿と申 すが美しき弘願の念悌にてあるなヤ三:﹂︵同右︶ ﹁念併二転といふは、報悌禰陀の大悲の願行は固よれ迷の衆生の心想の中に入り玉へヵ。知らずして僻襟よカ 椒法一腰の南無阿摘陀僻の正餐を成じ玉ふことなカと信知するな少。願行皆併蔑まり成することなるが故に、 弄む手柄ふる口信する心皆他力なりといふなり﹂︵同右︶ 鰻失不壊失往生の比較宗教史的一考察 一一 ⅠⅠ

(13)

膿失不渡失往生の比較宗教史的一考察 一二 ﹁今いふ灘の念彿二転といふは吾等が栴檀念すれども自の行にあらず、ただこれ南無阿禰陀彿の行を行ずるな り﹂︵同末︶ ﹁心に層ずるも正覚の一念にかへヵ、口に稗ふるも正餐の一念にかへち。例ひ千馨稀ふとも正覚の一念をぼ出 づべからす﹂︵同右︶ ﹁彿の願行の外には別に機に信心三も行三も加ふることはなき孜五㌔念併といふはこの.理カを念じ、行と いふは此の嬉しさを増井恭敬する故に、彿の正餐と衆生の行とが一慣にして離れぬなり﹂︵岡本︶ ↓故に念彿の行者になりぬれぽ、如何に併を離れむと息ふとも後塵の拒てもなきことなり﹂︵同右︶ ﹁朝なく報彿の功徳を持ちながら起き、夕なく禰陀の併智と共に臥す﹂︵同末︶ ﹁親Lといふも猶あろかな少、近しといふも猶達し﹂︵同本︶等々。 凡そ甲.安心決定妙﹄から此の種の神秘的感應の領解と菩びを引文することになると、殆んど全文その儀を引用し なければならない程のものである。 九 基督教に於てもこれと類似した思想は、既に﹃聖書﹄の中に極めて豊富であつて、 ﹁信する者は永遠の生命を持つ。我れ︵キリスト︶は生命のパンなヵ。天より降れるパンは食ふ者をして死ぬ ることなからしめたヵ。我れは天より降カL清けるパン忽カ。人このパンを食はぼ永遠に生くべし﹂︵﹃ヨハネ J2

(14)

侍﹄六・四八−五こ ﹁誠に貿に爾に告げん、入着し新に生れすぼ紳の囲を見ること能はじ。⋮⋮人は水と婁とに由りて生れざれぼ 紳の囲に入ること能はぎるなゎ。肉によりて生るるものは肉なヵ。箋によりて生るるものは蚕なり﹂ ︵同三・ 三−七︶ ﹁永遠の生命は唯一の眞の紳に在す汝と、汝の遺し給ひしイエス・キづストとを知るに在少﹂へ同一七・三︶ ﹁⋮⋮我れ︵パウニ律法に由カ、律法に向ひて死ねか。是れ紳に向ひて生きん馬めな少。我れキリストと共 に十字架に釘けられた少、もはや我れ生けるに非す。キリスト我れに在りて生けるな少。今我れ肉餞に在りて 生けるは我れを愛Lて我が薦めに己れを冶てし者、即ち紳の子を信するに由わて生けるなり﹂︵﹃ガラチャ書﹄ 二・︼九−二〇︶ 等の如き皆この型に属するものである。︵侍﹃マタイ﹄一六・二五 ﹃マルコ﹄八・三五 ﹃ルカ.超九・二四 ﹃ヨハ ネ﹄一二・二四−二五等参照︶。 而して右の﹃ヨハ、ネ侍﹄に﹁永遠の生命は⋮︰キリストを知るに在り﹂といへる場合の﹁知る﹂とは単に知的 認識作用としての﹁知る﹂の如き平凡単純のものではなくして、正しく身心の仝生命をあげての神秘的合一に外 ならないこと、﹁知る﹂といふ言葉が聖書に於いて径豊息味せらるるところと、此の場合の内容的開聯とに照して 明かであつて、それは嘗約の琴言寄ホゼアなどに好んで用ゐらるる希伯飛語のy巴︶lミ︵﹁知る﹂︶︵lミ註−鍾Ohぎ ︵﹁紳の知識﹂︶等の場合の﹁知﹂︵四・一∵ハ・六等︶と同系統に属する思想内容を含むものであるべきを息へぼ、り 澱失不健先任塵の比較素数史的一考察

(15)

鰹失不鯉失往生の比較宗教史的一考察 一四 一骨それが眞宗的に云つての槙法一慣翫類似の感念に基くものであらうことが判明すると考へられるのである。 それ故、それは正Lく﹁執持砂﹄︵覚如︶や誓西方指南紗.﹄中末︵親賛筆録︶ に所謂﹁本願や名耽、名躾や本願﹂ と云ひ、更に﹁本願や行者、行者や本願﹂といへるところに表現せられてゐるところの一、締約生命を食ひこれを 全額拝受することに於て神秘的に達成せらるる締約者との融合合一と、そのことに於てする大生命の獲得新生と をあらはすものと見て竜も支障なきものといひ得るであらうと思ゝか。 一〇 この神秘的信仰に基きこれを表現象徴する儀穏の随一最要のものが、基督教に於いては洗頑なる塑粂であるこ と明かである。 一博此の洗祀と呼ばるる聖典は、かの彿浮︵−−urihi⋮tぎ︺︶や墳罪︵已蔓㌻ヒ⋮−︶儀橙の雑多な諸形態の随一と Lて見れぼ、固よりひとり基督教のみならす非常に贋い分布範囲を持つむのであつて、水を以てするもの丈けに 限つても、近くは彿教の港頂や我国の﹁みそぎ﹂の如きがあり、﹁みそぎ﹂は﹁身削ぎ﹂だ杯と殊更複雑化し高 遠めかした解繹も出てゐるやうであるけれども.本葬は﹁水沼ぎ﹂と常識的に平明に解澤する方が寧ろ窒息を得 てゐるのでないかと考へられる。そのことは且らく差し招き、今問題の基督教に於ける沈穏は、イエスが洗嘩者 ヨハネによつてヨルダン河に受洗Lた時、紳霧偶の・如く其の上に降るを見、同時に天よわ紳の召命の撃虹聞いた ︵言タイ俸﹁≡丁一宇⊥七、≡ルコ侍﹂山一・九重二、完力鱒≡二・二丁主二、言ハネ侍.≡・二九﹂三五 Ⅰ‘t

(16)

参照︶のを韓磯として、メシア基督としての新たなる生涯に突入したといふ侍承と匪聯し、それよカ引いて異教

徒や無信者の基督教への改宗韓向或は入門を意義づけ確認する儀絶と韓暮し、任用せらるるに至つたものである

こと云ふまでもない。冒ハネ嘩皿によると、それは紳の固︵ヨハネ俸の紳の囲は天国といふに同じ︶に入るために 不可駅な新生をぼ、水と憲とによつて確保する儀穫︵三・五︶であつて、要するに基督数的秘事への荘厳々斎な

イニシエーショ ンに外ならないのである。

ム7−によれぼ、此の聖典とLての洗祀式は、最初主とLて異教徒の改宗者に施Lたもので、通例復活祭の際 に行はれ、それ以前に数週間に亙る準備儀穫を伴ったとい、ふ。而して此の準備儀鵡に於いては.祭司が異教徒た

る受洗志願者に内任せる悪鬼を光逐するためにマルコ俸七・三ニ、三四に暗示せられてある通りの、自らの唾を

候補者の唇や耳に塗りてこれを厚くことと、その胸と背とに油を塗抹することとを重要な部分と

式の本儀とLては、ニ豪びの浸穫の後に信者が新しい白衣を纏ひ監督の前に進み、監督が聖毒を招宿して後、彼 より父と子と聖璽の名に於いて祀聖せられ乍ら、額に聖油を塗られるのを主な行事としたとある︵︵r F.ソ一首r〇︸ 長針言ry。f謬−村ぎ展=一。二↑二﹀・空j。此の儀を経て初めて信者は本格的な基督者£しての生命と資格を得﹂

信徒の交ゎに加はるこどが出発たのである。

一一

如是きは固より原始基督敦に於いで見られた現象ではなくて、洗穏が聖臭とLて儀式的に固定化L倦承的形態 鯉英不渡失往生の比較宗教史的一考察 ● Ⅰ与

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膿失不渡失往生の比宗校数史的一考察 一六 を取り始めた最初の頃の状況に外ならないが、洗躇を以て斯様に基督者に封L、基沓者としての新生を確保し若 絹 くは象徴するための不可挟な聖臭と見倣すに至った理由と意萎と根接とは、最も明白な形に於いては、パウロの﹀ 洗頑の解繹に潜められてゐたのであつて、パウロは沈頑の意義を箕に左の如く深刻なる神秘的意蓑のものとして 自らも味ひ、且つ人にも説明してゐるのである。 ﹁凡そバブテズマに由りて基督に合ひし汝等は基督を衣たるなゎ﹂︵﹃ガラチア書﹄三・二七︶ ヽヽヽ、、0ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ﹁汝等知らぬか、凡そ基督イエスに合ふバブテズマを受けたる我等は、その死に合ふバブテズマを受げしを。 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ0ヽヽヽヽヽヽヽ 我等はバブテズマによ少て彼れと共に葬られ、其の死に合せられたり。これ基督父の発光によカて死人の中よ 0ヽヽ00、ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ0ヽヽヽヽヽヽヽ 少憩へらせlられ給ひL如く、我等も新しき生命に歩まんため灸五㌔我等基督に凌がれて其の死の状にひとしく 、、、 0 0、、、、、、、、 1 1 1 0 0 0、、1、、、、、1 1 1、1 0 0 0 0 e ぼ其の復括にも等しかるべL。我等は知る、我等の背き人基督と共に十字架につけられたるは.罪の牒亡びて 0ヽヽヽヽヽヽヽヽ、ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ.ヽ、、 ○ヽヽ、ヽヽヽヽ 此の後罪に専へざらん薦めなるを。そは死にL者は罪よカ脱るるなヵ。我等若L基督と共に死にしならぼ又彼 ヽヽヽヽ0ヽヽヽヽヽヽヽ れと共に活きんことを信ず。基督死人の中より怒りて復死に給はず。死も又彼れに主とならぬを我等知れぼな り。其の死に給へるは罪につきて一度び死に給へるにて、其の活き給へるは紳につきて活き給へる孜五㌔斯く −ヽ.、ヽヽ0ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ0ヽ の如く汝等も己れを罪につきては死にたる者、紳につきては基督イエスに在わて活きたると息ふべし﹂去]ロマ 書﹄六・三−一一︶ 〓一

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′ ㌧ パウロの此の解繹は、洗頑を単に卑俗が卑俗性を消却除去せられて神聖なるものへと特質せらるる儀絶として のみでなく、紳の子イエス基督と、経って伸そのものと、紳成約に合云口牒することによつて完成せらるる基督 者の、寧ろ異質の基督者への、回心経験を意蓑づけるものとして味解Lてゐるのであり、聖粂的儀躇としてはこ の種の精神的経験を象徴する憲章のものに外ならないのである。洗躇が如是き性質のものであるならば、それは 正しく親鸞の云ふ﹁信受本願前念命路、即得往生後念郎生﹂の購験に基く、不牒失往生或は平生往生の教養と同一 性質の信仰臥基調として成立する儀稽であつて、斯る経験が性質上、﹃歎異砂﹄にも云へる如く一同起的のもの であるべきである︵十六章︶限り、洗鰻式も基督者にとめては一同限りゐ儀穏でなけれぼならぬこと明かである。 謬乞i賢の主張.は、洗稽をぼ右のパウロ的意義に於いて、眞の自律的精神的なる基督数的回心と取りたるがた めに小兄受洗を否定し、これを宗教的に目覚めたる自主的個人の、罪に死L新生に歩み入るための儀絶とLて、 一回起的に施さるべきものとなすものであり、より古き再洗躇派A巨b毒ti賢は、洗樽が本釆の精神的意萎を忘 れて、形式的な儀嘩と化L、何等同心経験の如きを得たる筈もなき小兄に、洗祀を施す習俗の一般化せるに封す る痛烈な抗議として現れたものである。それは一見洗躇の一回的性質を無税し躁欄する非違の如くにも見ゆるけ れども.その再洗を主張するは、小妃受洗の如きが抑モ洗祀の本萎を無税し躁欄せる非違のものと信ぜられたが ために陥りたるやむを得ざる極端詮なるにて、流俗化せる基督教の聖典洗祀には、斯くの如き異端を雷然輩出せ しめざるを得ざるべきヂレムマを自らの中に含んでをつたと云はなけれぼならぬのである。 蓋し儀薩は凡そ如何なるものにもあれ、それ自らの中に神秘的にトて党的なる教具性を内在的に包癒する・易 け 隆夫不壊失往生の比較乗数史的l考察 一七 、 ト,ゝ

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鰹失不鰹先任曳の比較宗教史的一考察 一八 の如くに盲信せられ易きものであり、又盲信せられ勝ちなるものであるが故に、基督教の洗祀も其の例に洩れす、 後世に於いては本務のパウロ的なる意蕃より離脱退下Lて、その含むと信ぜられた兇約数異性の故に、信仰の意 義を未だ解せざる小妃にこれを授け、進んでは既に過去に此の世を去りたる亡者の救はれんがために、彼れに代っ て代理受洗をするが如き奇怪なる風習をさへ生するに至ったのであつて、再洗教徒の中の少くも穏和なるものは、 斯る無意義なる弊風より基督教を救はんとして、その最初の運動を出菱せLめたと見るべきであるからである。 〓ニ パウロ的憲章に解せられた沈祀は、彼の聖餐式の秘蓑と同棲に、其沓との合一によりその死と復活に参輿L、 以て永生の聖潔に達する保護を賛す斯のものであつて、この儀稽の背後に潜められた信念に封しては、聖餐式の 根底に積る信念と全く同様に、彼の﹃ガラチア書﹄の﹁我れ基督と共に十字架につけられたり、最早我れ生くる に非す、基督我が内に在りて生くるなり﹂︵二・二〇︶との神秘主萎がそのままに安雷するものと考へられる。 曝それが聖餐の聖典と異るところは、洗橙が非基督数的なるものより基督数的なものへの根本的な韓向に卸する ものとして、一同起的意萎に於いてなさるる象徴的儀薦なる鮎に存するのであらう。 基督者に取っては、受洗以前の被れの仝牒を形成する所のものは罪であり、罪を離れて被れの存在はなかつた のである ︵何となれぼ﹁アダムは乗らんとする者の型﹂であつて、此の﹁一人より罪世に入り、罪より死凍り、 人骨罪を犯﹂Lて﹁死凡ての八に及びたる﹂ものなるが故である=ご.ロマ書﹄五・一四、一二︶ から、洗頑がパ 王8 / ・ ●

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ゥロの主張する如く、基督との完全なる合饉合一を象徴L、保讃し、表現L、慣得せしむるものと解せらるべき

ものである限りに於いては、それによつて賓され、或は意蓑せられるものが、誠に従前の彼れの生命全鰐、存在

の凡ての絶封約乗紹であり、それに郎Lて同時的に賛現せらるるものが、基督の廻りと共なる新生命への復活再

生でなけれぼならないこと、多言を要しないところである。

此の意味に於いて、それは外的儀穏と純平たる内的信仰との差別こそあれ、彼の親轡ゐ﹁岳絡、郎生﹂の感得

や﹃執持砂[bに所謂﹁辟命の一念の聾得﹂を以て﹁婆婆の終り臨終﹂とせるもの、さては誓帖外和讃tbに﹁超世 の悲願聞きし﹂他力の信者を、﹁有漏の械身は攣らねど心は浮土に遊ぶ﹂者とL、生死を超えたる身とLて悦び 謳へる信仰慣鹸等と、基底を同じくする共通性のものとLて、解讃せられなけれぼならない消息を潜めたるもの

といふも過言でないのである。

但眞宗的信仰に於いては、﹁煩悩具足の身を以て巳に覚を開くといふこと・⋮︰以ての外の苺﹂︵ア教具警︶一束 葦︶とある如く、硯身の此の往生の讃得を以て究局的のものと見すして、究局的なるものは何廃蓬も釆世の得ぬ であり、饉失Lての往生に即する成悌に在りとするのであつて、﹃高愴和讃﹄にもある如く、﹁煩悩具足と信知 Lて本願力に乗ずれぼ、即ち碩身すてはてて、法性常襲澄せLむ﹂るのである。甥生に於いて心浮土に棲み遊び、 加得往生の畢茫得るは﹁有漏の碩身攣ら空﹁あさまLき不滞蓬悪の﹂︵﹁﹁末燈讃一っ︶此の身の優にてあれど、譜大

浬墳の大果ふ忙得るは、飽くまで有漏の﹁璃身棄て果てて﹂のものでなけれげならないのである。加ち現生の往生

は﹁一心命葺きて﹂の精神的新生であつて、心滞土に遊び属する主観的讃得であり、釆世順次の得生は﹁身命蓋き

磯失不髄失往生の此較素数史的一考察 一九 19

(21)

一四

斯くの如きはそも何故であるか、文金き意味に於ける往生が後者に在り、通例浮土教に於いてはその賓甥澄得

のみにて満足しゐたりしを、親鸞のみ現箕の郎得往生住不返韓を何故特に力説Lなけれぼならなかつたか。 此の問題は宗教史の問題としても、宗教心理畢や宗教哲畢の問題とLても、清文悌教畢眞宗教畢の問題として も、極めて重要な意蓑を荷ふものに外ならないが、今これを根本的に解明する飴裕と飴力なきを悲Lまねぼなら

ぬ。然し比戟宗教史の問題としてこれに類するものを他に求むれぼ、婆羅門の第二石誕生と第二の誕生の関係の

如きは且く間はす、沸教白襟の中にても彼の有飴淫楽・無飴捏奨の関係の考察は、此の問題の究明に大いに示唆

を輿ふるに相違あるまい。

更に基督教に其の例を求むれぼ、アウダスティヌス等に始る﹁小不死﹂︵訂巨Or邑i夏Ⅰ己n〇r︶﹁大不死﹂︵Ⅰ宇 mOr邑it諾m且Or︶の関係の如き、多少これに顆する性質が見られない詩ではなからうと息ふ。 勿論﹁小不死﹂といふめは、人類の始租アダムの堕落以前の状態とか、基督教を知らぎりL古代の聖賢や無邪 気にLて罪と堕落なきかに見ゆる小党の永生如何んとかいふ顆の、それ自身とLては必すしも基督数的同心の含 む生命的慣倍の問題と直接の開聯を持たない問題から生起し凍ったものであるに蓮ひないが、然L茸際上それが 膿央不捜失往生の比較論数史的︼考察 二〇 て﹂の得果であつて、単に主観的のものに留らす、一往客観的杢鰻的存在論的に眺めらるべき蕃趣を含む如くで ある。 20 ●

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基番数々理変の中で斯くの如き意味わものとして取り扱はれたか香かは別問題とLて、道理の問題とLては、こ れを基督数的回心の位に伴ふ生命的慣倍の議論として韓養して毒も支障ある所以を見ない筈である。 この意味に特化Lて使用することが容さるるものとせば、﹁小不死﹂と﹁大不死﹂とは、要するに﹁不醍失往 生﹂と﹁慣失往生﹂との開聯に比すべき関係を措ひ乗るのであつて、前者が精神的意表に於て見られたパブテズ マに即して得らるる不死永生の問題なるに封Lて、後者は該教の所謂天国に於ける信者の発光の問題と限定せら れ得べき筈のものである。 而して如是く問題を欒容提起し乗るは基督教としても必ずしも強群不嘗の廃置とは辞し難く、充分その然るべ き所以を有するものと見なくてはならない。何となれぼ加特力紳畢の典型とも稀すべきトーマス■アキナスの見 解に於いても、基督者の理想であり信仰者に賓現せらるべき最高慣倍とLての浮宿︵出e∼きu︵le︶も、その至高絶 大なるものは、入信位たる紳の智 り、而もかかる思想はトーマスに特殊偶襲のものと見らるべきでなくして、パウロ等にも既にその新芽或は含蓄 が潜んでゐたと考へられるからである。 蓋しパウロの主張した洗鰻や聖餐に於ける信者と基督との融合々一の紳秘的葦硯の思想は、それ白襟完全囲満 せる聖潔の賓硯であつて、理としては基督の徳性靂性が琴慣信者の有となる筈のものであるから、其魔に何等罪 悪の力を振ふべき飴地を舜しあるべき筈のものでなく、パウロも救の終局に於いてなほ斯くの如き罪悪の残存を 見た澤でないに拘らず、単に基督者に韓向Lたる丈けのものに封しては罪悪よりの梶封脱却を見得すLて、基督 隙矢木隠失往生の比較宗教史的一考察 2Ⅰ

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駿東不鰻英往生の比耗宗教史的一考察 二二 に合せられその死と共に死しその復活と共に復活L、基督と完全に合牒Lて基脅その中に在って生くる筈なる彼 れ白身に於いて、庸﹁願ふところの善は之れを行はす却つて願はぎるところの轟は之れを行へ﹂る ︵言マ芦出 七・一九︶ ﹁悩める人﹂︵同二四簡︶、即ちその﹁疲蟹に他の法ありて我が心の法と戟ひ、我れを嬢にLて我が肢 牒の中にをる罪の法に従はするを悟れ﹂る人︵同二三簡︶を感じない諸には行かなかつーたからである。 教理の問題として、此の信竣の罪悪の間領什愉パウロの紳畢に於ける一の難鮎の幼く見られて挙り、その鮎親鸞 の罪悪視の含むものと大いに異るところがあるが、主親的痛感の由題とLては両者に甚だ類似したところのある を感ぜざるを待ない。然Lて親鸞に於ける餞失・不問失の差別相関の間蔑も、結局は﹁有漏の兢身﹂とか﹁不浮 造意﹂の意械とかの語が示すやうに、宿業の問題、業感の果鰐としての肉鰐及び罪悪の反省の問題と、開聯せL めすしては、到底解き得ないところのものであぉ、この間題の解明には右に述ぶるが如き基背教碑畢更に含まる る諸問題の追求が、側面よりの大いなる助けと在ることを息はない繹には行かないのである。 フ′′}

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こ1に部落といふのはその内容の限定が必ずしも明確ではない。蓋しそれも今日の所謂部落が種々の欒相を持 ってゐるからだけではなく、むしろ厳密に限定せらるべきものが、観念以上に瑞賢に遁却って存しないからであ る。かくて今は暫く大鰐に於て礪立した存在にして某国生活の軍使をなすものを指して缶く。世に所謂村落にし て且つ密集したものを以てこゝにいぶ部落と解してぉく。 部落の成立濫はそこに歴史性が認められねぼならない。従って古代聾生の部落と近代成立の部落とには、種々 の鮎に於てその性格の相違があるとしなくてはならない。併しその何れにしても部落が何等かの生活様式による 紆禽某国であることに欒カはない。 而Lて日本の部落には亦た自らその性格に一種の特徴があるとしなくてはならない。第一には地形的に山川島 喚に特殊の状況を持つこと、第二には生産目標が栢米にあること、第二言は部落要素が多く民族的に結合されて 部落祭祀に於ける政治の関係

部落祭祀に於ける政治の関係

原 田 敏 明

二三

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二四 部落祭祀に於ける政治の関係 をること、大隈これらの條件に支配されて部落そのもの1性格に定住性を輿へ、その構成要素に限度がありーか くて部落の社食結合を強敵なるものたらしめてをる。 かゝる部落に於てはその構成員に特に際立った階級的差違がない。職業的にも一色になつてをカ、殆んど商工 約分此もなく農嚢耕作を主とするのが寧ろ本釆の姿であるといつてよい。而かも農耕敢禽に於て、その土地の関 係にも地主といふ階級を見す、従つて小作といふこともなく、大館等質の成員よりなるといふのが、本邦農村部 落の木原的型態であるといつてよい。蓋し地主階級の如きは経済的にも部落を越えた存在であカ、農業耕作を螢 む部落の成員に封しては少くとも異質的な存在である。 かくして地主の存在は新しきだ臍的欒化に基くものであり、この鮎が新田開墾地の如く特殊の資力と能力とを 必要とするところに、地主乃至部落の指導的位置をとるものゝ草生を見る所以でもある。名主のもとに名子の支 配されるやうな制度が、特に関東の如く、どちらかといへぼ新開地域に多いのもそのためであつて、近畿地方に 見る宮座又はそれに該嘗する制度に於て、窪成員の問にもと′1踵清的階級が無く、それが生することによつて 座の組織が崩壊する所以も亦たこ1にあるとLなくてはならない。 この同質成員から成る部落に於ては、その成員たるの資格は、部落に於ける日常の生括をなすものであ少、そ れが農耕社食に於て其の一点として農尭耕作を営むことにあるのは謂ふまでもない。さうしてこの農耕の作業か ら遊離したものは、猫ケ商エだけでなく、凡そそれらのものはその社食からは拒否さるべきものとなる。従って その部落社食に於てその成長隠農耕を括常することに依ってその公の生括に参興するのである。而Lてその農耕 2

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k.ヽ 浄紆∵㌧∵㍉㌣宣∵ たるや水田耕作を主とするもので、第一に土地に封する定着性の強いこと、第二に個人労働でなく共同労働に依 存すること、第三に男性努力を必要とすること、これらの鮎から、少くとち男性中心の豪族を畢僚とする共同祀 脅となる。かくて部落政令の行政は男性によつて措営され、婦女子の輩はむしろその公的生活から拒否されるも のとなる。而して公的な男性の生括は極めて薬園的性格を探るに封Lて、婦女子の生活は極めて私的であカ、個 人的な性格を持つ。男性が義の生活を措常するに封Lて女性は裏の生活を靖督するともいへる。 ニ か1る部落社食に於ては凡有ることがらがこの男性を中心とし、政治も経臍も男性の穂首するところであると 同時に、更に道徳生括に於ても宗教生活に於ても、この男性を中心として動いてゐるのである。それはもと/\ 凡てもの1考へ古からが男性を中心とLてなされ七ゐるからで、捉ってその社食に於ける道徳も宗教もその他凡 有ることがらが、男性中心の生酒形態のうちに求められねぼならないと謂ふべきであらう。 かくて例へば道徳といつても牌又宗教といつても、それを吾々が今日一般に考へがちな常識を以て、農耕的な 部落社食のうち把求めることは誤カである。か1る意味に於ては部落社食に於ける宗教もその部落の賓際生清、 即ち政治生活のうちにあり、凡そ政満と解せらるものとは分つべからざる形に於て結合したものといはねぼなら ない。かくて男性中心の社食に於てはその政治が男性によつて澹嘗せられるが如く、その宗教も男性によつて塘 嘗せられるものとなる。而して多くは政治の括富者が直ちに宗教の括嘗者であるといふことになるのである。 部落祭祀に於ける政治の掬係 一一式 25

(27)

部落祭祀に於ける政由の馳係

二六

此の場合に謂ふところの宗教とは農耕的部落吐合の生活行事が儀薩化されたもので、敢へていふならば、それ

が即ち部落の祭祀で、祭祀もその本釆の性格としてはその部落生括、特に政治から遊離して存するものではなく、

むしろ腰祀はその行政の行事化されたものと謂ってよい。この病態こそ、一般に祭政一致と謂はれるもの1眞の

姿であゎ、而かもそれは祭と政とが未だ分たれない状轡であるとしなくてはならない。乃ちこの祭政未分の状態

が部落祀合に於ける本釆の性格であ恵ものから、一方祭と政とが分離することによつては種々の欒相を呈して凍

る。殊に政治形態の欒遷が、それとの関係に於て祭祀そのものに重大なる結果を将残して禿ることになる。

祭政の分離は同時にその他あらゆる生活の分化でもある。併しこの分離は直ちに両者の背反を意味するもので

はない。政事が祭事から分離しても、祭事の括雷者が文政尊の括富者となヵ、祭と政との一致は依然とLて存在

する場合が多い。さなきだに祭事がその祀脅の政車と矛盾することなく、調和されてをるといふことは極めて多

いことである。

但し祭事は政事の上に立つものではあつても、祀脅の政事によつて支配されて行く。司祭者が同時に行政者で

あつたものから、行政者が司祭者を統治して行くことゝなる。殊に部落が多くの部落と共に国家的に統一され組

織化されて行く場合には、部落の祭祀は、統一されたるその部落の政治を邁Lて国家的に統一されて行く。

此の場合、部落の政治が国家によつて尊重される時には、部落の傍流は白から薔展存摸し、又は国家の中に受

け容れられる。それと同時に部落の祭祀も亦た政治的に取り上げられて、祭祀そのものも一瞥政治的な性格を探

る。従って祭祀の港常者もその政治の括富者と同様に時代の公的生活を捧督する男性となる。即ち男性司祭者が

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益己蟄展し、それに反して女性司祭者はその勢力を萎微せLめて行く。これ畢尭宗教生括の公的方面が昂揚せら れたものと謂ふべきであらう。 ごれに反して一方祭祀が政治的に抑歴せられる場合がある。これは同じく政治といつても、その祭祀を支持L てゐる政治とは凡そ相戻るものであわ、在釆の政治が新Lき政治によつて支配せられる場合に惹起されることが らである。新しき政治が在席の政治を支配するためには養殖の政治を否定する。この場合に在席の政治と密凛な る関係にあつて而かもそれの根底をなす祭祀が、新Lき政治によつて否定されることになる。即ち新しき政治に ょって、在釆の政治を括嘗するものも否定さるれぼ、又その祭祀の拾嘗者も否定されて乗る。 こゝに部落生活の公的方面を槍嘗する男性は祭祀の上でも抹殺され、又は退場し、これに引き代へてその私的 生活を背負ふ女性司祭者が蟄展Lて来る。これ蓋し蕾秩序は破壊せられ一部落の集囲結合は崩壊して、その生活 は少くとも一應は都的な借人的なものとしてのみ残存せLめられるからである。所謂﹁みこ﹂はかうLた状況に ょって蟄生若しくは蟄展せLめられたものと見ることが出乗る。 lニ 燃為にこれまで一般に宗教的儀頑に開興するものとしては、本釆赫耐性に富む女性を適嘗とL・これがために 卒女を祭祀の第一なる約束とL、一方巫でなくLて硯即ち女子でなくLて男子を以てすることも古くからあるが、 併Lこれを蟄生的に見れば硯は第二次的階梯に入つて巫に代るものとする。 部落祭祀に於ける政治の闇俺

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部落祭祀に於ける政治の関係

二八

宗教的性格を特に女性に見ることは、大健からいつてこれまで一般に認められたことではあるが、併しそれは 宗教といふことを如何に見るかといふことが、その根底にあつて生するものと謂ふべきであらう。 女性が男性に戟べて神秘的性格を持つといふことがその大きな特性とされるところでもあらうが、併しかゝる 神秘性を以て宗教的内容を決定するところに、改めてこゝに考慮すべきものがあるのでは無いかと思ふ。 これまで我が国では巫︵みこ︶と稀せられるものが一般に女性であり.これに封して男の場合は硯即ち﹃伊呂 ヲトコミコ 波字類抄﹄にこれを﹁ヲノコカムナギ﹂と訓み、﹃梁塵秘抄﹄に﹁東には女はなきか男巫、さればや紳も男には 憑く﹂とあるやうに、少くとも中央では女性が﹁み乙﹂として宗教的行為をし宅併しこの場合にはその宗教的 行薦なるものが、極めて私的な、神秘的な叉個性的な性格を探ったものであり、そこには公的な性格の極めて少 いものとなつてをる。 然るに宗教といふものが、果してそれほどに私的なものであるか、一讐ボ教に於て認められる集囲的性格から しても、それら私的な叉個性的なものは、むしろ第二次的な性格であゎ、敢へていふならぼ呪術的性格でもあつ て、これに対して宗教的性格は更に公的な集囲的なものでなくてはならないのである。 もとよわ故に呪術的性格として指摘したものも亦たこれ一種の宗教的なものとして、廣蓑の宗教といふ内に包 含せLめるならば、凡そ宗教といふ内には、廉く公的なものゝ外に私的なるものをも包含せしめることが最も穏 嘗である。更にいふならぼ、それら公私の直別をしないところに本釆の姿相があるのではあるまいか。 而して私的な呪術的な行馬の如き、恨令これを叔て宗教と辞しても呪術と解しても、既に或る程度に進んだも / ′

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、 J、− のであつて、所謂宗教に備行するものでは無いのではあるまいか。即ち呪術行焉の如きは相常に進んだ段階に於 て始めて聾生し得るものではあるまいか。 かくして東北亜細亜を中心として知られるシヤマニズムの如きも、今日一般には極めて私的な個性的な要素を 強調Lて理解されてゐるが、このことがシヤマニズムの性格を主とLて女性的なものと規定し、それをむLろ起 原的洩るものゝ如くにも解して凍てゐる所以である。 併しシヤマニズムは決して私的なものに限るべきでもない。たゞ今日謂ふところのシヤマニズムなるものが、 その方面を強調Lてをるところに、今日のシヤマニズム理解に一の先入主的なものがある。それが今日宗教を見 るに営つての考方の根底をなしてをるといふべき鮎があらうかと思ふ。 而して尊貴シヤマニズムといふべきものには、単に私的方面のみならす、更に公的方面が充分に存する。これ は菜園儀頑として存し、又更に国家儀槽とLて聾展して凍てもをる。さうしてその私的方面に於て娠女子が主た る位置を占めることの多いのと比戟すれぼ、一方の公的方面に於ては正にその正反封の事茸を示すのである。 かゝる見地から、我が国古代の宗教について、特にこれを所謂石神道について見れぼ、それは決Lて宗教の私 的方面をいふのではない。廣く宗教といふには種々の方面があつても、神道はむしろその公的方面、集圏的方面 についていふのである。経つて古代の紳道を見るに嘗つても宗教の公的方面、集囲的方面に於て、その正統的な ものを見出すべきであつて、これを巫女約諾教に見ることは決して環雷でないのである。 かゝる意味では神道に於て主たる位置を占める人格的存在は、これを巫女その他の女性に於て見ることなく、 部落祭祀に於ける政治の関係 二九 29

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部落祭祀に於ける政治の関係 三〇 むしろ男性的存在に見るべきで、これが亦た寄算に於ては、神主、祀、碗宜筆殆んど男性的存在とされる所以 でもある。 一餞男性と女性との社食的関係は、各民族の社食組織の相違によつて種々にあり得る。男性がその社食を指導 するところはよく父権制社食とされ、女性が重要なる位置をとる社食に於ては母権制といふ。何れにLても男女 両性は相封的地位にあり、男性が支配する政令では、女性は従属の位置におかれる。従って男性が公約であれば、 女性は私的性格をとり、男性が表であれぼ、女性は裏となる。 四 もと′\神社そのものは、単に紳敢だけで存在するものでなく、又、神社を私有することに依つて存在する、も のでもない。神政には必ら・ず、これを奉祀する薬園があり▼、その集囲を招いて神社はなく、集園の生活はその紳 虻を中軸とLて蒋動するものであつた。従って神社は集囲に於ては極めて公的なものである。かゝる意味に於て も、神社の祭祀に開興するものが男性即ち公的存在なるものであることが、むしろ嘗然のことであるといつてよ い。恰かも集囲の行政者が男性であるが如くに神社の祭祀者も亦た男性であるのである。 何れにしても宗教は本来その社食生括のうちに存するものであるので、宗教の組織も亦たその社食の組識の上 に成立たなくてはならない。かくて男性が虻倉組織に於て支配的な位置を探るところでは、その宗教に於ても支 配的位置を探る。両Lて日本の場合は正にさうした状態に置かれたものである。それに比戟して満洲地方、即ち 、ミ・)

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′・ し・ ▼、 、

所謂シヤマニズムの行はれる地方ではその趣を異にする。第一地理的関係もあらうが、極めて早く開けた中葦と

地を連ね、殊に屡†中央支部の勢力の犯すところとなカ、政治的には中央の支配を受けたことが一再ではなかつ

た。かうLた政治的関係がその地方の在乗の政治的社食組織を破壊し、破壊することによつて中央の資力を伸張 Lて禿たのである。即ち地方本凍の公的生括は幾度か崩壊し、それによつて私的な、又は個人的なものとしての

み存在せしめられた。これには文一方文化の聾展に伴ふ個性の襲展も手侮つてをることではあらうが、かうした

事情がその宗教をして今日見る所謂シヤマニズムの如き、その行事たるや私的方面多く、その司祭着たるや女性

的性格を強くして禿た所以であらうと考へる。

これらの事茸を一骨適確に且つ手近に示すものとLて、こ1には朝鮮に行はれてをる洞祭について顧みること

ゝする。洞察については是までも総督府などから報告されて、社るところであるが、こゝでは特に京城府附近に於

ける二三の事例を饗げて一應の説明をする。先づ以て洞発といふのは日本に於ける氏神祭と極めて類似したもの

であるといふことだけを指摘Lておく。 京城府龍江町は漠江に近いところ、嘗地名を京畿道癒江面東幕上里といふところで.そこでは洞祭の行はれる

ところが二ケ研にある。一方は現在既に靡放となつてをる。部落の上手高壷に場所を占めてゐるが、今は更に一

段と小高い複方隣接地に、小さいながら耶蘇合壁が建てられて誓¢。現在はこの食堂も寂蓼たるものであるが、

曾つては部落の祭場たる紳堂を見下Lて、新進の宗教の意気込を見せたものであらうと、感慨深く想像せしめら

れる。今はその部落紳の堂字も填たれ、里人の案内で僅かにその跡を知り、その隅に積まれた瓦壁の残骸を認め

部落祭祀に於ける政治の縄侍 ヽ 、 、ヽ 、 ● 三一 3Ⅰ

(33)

こゝに安置された祭神囲も今日はその部落に住む或る老女の宅内に祭られ、その老女が巫女としてこれに奉仕

してゐる。但しこ1に注意すべきことは、この家にも主人がゐて巫女は猫身着ではないことゝ、その家が一般民

家よ力も直別され且つ富裕でもないことである。かぐて曾つての部落の紳も今はその意義を全く持たないものと

なつてゐる。

これに較べれば同じ龍江町のうちでも、今一つの場合は、現在も猶ほ瓦茸の堂字があカこれエ紅明徳堂と解し、

狭いながら部落の高基に一廓をなしてゐる。堂内に入れぼ二面は祭神固を以て繰らし、こ1の祭神を億空清軍夫 妻といふ。︵総督府蟄行﹃部落祭﹄十五頁参照︶

此の畳字も昔は部落祭のためのものであつた。併し今となつ七は、もとよカ部落の祭祀も一應行はれるが、併

し又椴令部落のものに限られてゐても、その祭祀は個人の所願を執力行ふところとなり、その部落民各自の崇敬

によるものとなつてをる。而して部落としての祭祀はむしろ従属的なものになつてをる。この公的儀頑に封して

私的儀蔭の優勢であることは、その常任の司祭者が現在巫女となつてをるものと密接なる関係がなくてはならな

い。

即ちこの明徳堂と同一廓内に、而かもその具に捧へて民屋が一軒あり、そこには大嶺子供よ少なる一家族が居

住し、その主嬉がこの明徳堂の堂守を猪首する巫女である。こ1でも巫女の配偶者は全く祭祀に開興することな く、文豪庭としても決Lて上暦といふことは出釆ない。 部落祭祀に於ける政治の関係 ることが揖乗るにすぎない。 三二 32

(34)

龍江町に隣接した部落に大輿町がある。こゝは、古く龍江面東幕下里と辞したところ、今は同じく京塊府内に 編入されてをるが、一腰に京城街商方の此の地方が漠江を軽へ、水道の要地に常り、これまで僻村であつたにL ても、既に早くから都市的性格を多分に帯びてゐたことは特に考慮に入れねぼならないことである。而して、こ ゝにも他の多くの例に漏れす紳堂は部落での中央高基地鮎に奉密されてをる。石階も荒れ崩れかけたる土塀に固 まれて瓦茸の堂字があゎ、光恵堂といふ。一億墜将軍を祀少、こゝでも堂守は老巫女である。 これらに見るところは、部落祭祀が軍に部落祭祀といふだけでなく、部落民の中、特に信仰L希望するものに ついて、その所願の場所であるといふことである。そこには部落の政治/的結合に既に大いに欒化したものがあカ、 これが都市的にその信仰の個人化Lて釆た結果であることはいふまでもない。然るに洞察そのものゝ本来の性格 は専ら部落的なものである。躍って更に都合地を去るところ、個人的性格の少く部落結合の強い地鮎に行けぼ、 今日に於ても猶ほ雲泥の相違を見ることが出発る。 五 今京城府の東北方、北漠山を硝ミ西に仰ぐやうなところ、牛耳洞に於ける洞察の斎場を見るに、こ1は、正し くは京畿道高陽郡崇仁面牛耳運といふべきところで、京城府を去る決Lて遠いところではないが、これをさきに 拳げたものと比較すれぼ、こゝには非常に大きな相違を持つ。 部落は現在約百戸まゎ成カ、その北方高毒の地に祭壇を設ける。こ1には紳堂が無く松林中、部落を眼下に見 部落祭祀に於ける政治の関係 三三 33

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デ ノ 部落祭祀に於げる政治の簡保 三四 おろすところに廣場あゎ、横八尺縦衰尺高二尺に石を以て囲んだ硬を造り、こ1を祭物厭備の場所とL、その後 方稽ミ高きところに梯叢あり、こゝを紳壇とLて樹枝に紙幣を附けたもの ︵沖竿︶を建て1をる。此の伸竿はそ \の後方遥かに仰がれるこ肩山︵北漠山の一部といゝご の紳憲を迎へるもので、その意味ではこの洞祭は部落祭で あると同時に山祭でもある。祭器庫に首る建物があるのみで、紳堂もないだけに、紳も山神といふ外に祭神が無 い。祭祀も洞祭即ち部落祭以外に別に個人の所願を執り行ふこともない。経って司祭者も年々新たに選定される 三人の火主があるのみで、他に見るやうな堂守となる巫女もない。こゝに於ては洞察は全く部落の祭祀としての み存在するので、その個人の所願は行はれない。この紳堂が無くて祭器庫だけあるところに、洞祭の原始形態を 偲ぼせるものがある。この祭器庫は一の堂弼であつて、平常は祭祥序となるが、祭日に雨天の場合はこ1を賓場 とし飲両︵直舎に該常する︶の場所とする。これを紳酷の例に餃ぶれぼ賓庫乃至賓殿と稀するもの、而Lてこれ が粛場として常用せられると竃堂乃至弄殿といふに該嘗する。而かも山神を招いて飲宿するところからいへば、 堂河にも嘗少、さきに垣げた例に於て、紳堂の厳存するものと極めて近い関係にあるものとLなくてはならない。 又洞紳が同時に山神であるといふことも、こゝに於ける特例ではなく他にも屡ミこれを見るので、これが又洞 察の原始形態の一面を示すものではなからうか。この鮎については、内地の厄神祭祀に於ても寮モ見るところで、 而かも山神の祭られる所以が決Lて所謂山岳崇蒔に諸富するものでもなく、むしろ部落の鏡守の紳として、殊に 水の紳として祭られるものであるが如く、こ1でも畢に山岳崇拝といふだけでなく、部落の守護神としての山繭 であつたとしなくてはならないやうに思ふ。このことは洞紳が多く部落の高毒に且つ山附きに祀られてあること 34

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からも考へられることではあるまいか。この鮎は猫す内地の場合を以て傍讃とすることの沼凍るといふだけでな

く、後にも述べるやうに琉球に於ける山神をも同様に考へ合はすべきであらうと鳳ふ。

この牛耳塵の山祭と同様の形式を探る洞祭は他にも屡モ見るところであつて、それは部落的性格の最も強いも

のといふべく、それだけ部落結合の強いところに多く見る現象ではあるまいか。かくて洞祭には部落の男子のみ

が参輿L、その内から選ぼれた火主が司祭着たる位置をとる。火主は部落に於ける特殊の身分位置を占めること

になぉ、且つ格別の精進潔粛をし、部落生活に密接なる関係を持ち、従って部落に於て極空し政治的性格の窺い

ものといふことが出乗る。

然るに此のもとからの部落的結合は、部落が潮攻都市化することによつて、又その経済機構が近代化すること

によつて、漸次崩壊Lて行て傾向を辿る。このことが部落祭祀を衰頑に赴かしめるに大きな作用をなすことは謂

ふまでもない。

かくLて洞祭が本釆の部落祭祀から墾質されたものとなつて行くと同時に、それは韓近の朝鮮統治が統一的に

なヵ、国表的性格を強くすることによつて二博その傾向を促進せトめてをることを注意せねぼならない。即ち部

滞が部落的性格を喪失することによつて、その部落の政治と密接なる関係を持った洞祭は嚢へ、こゝに部落生活

を支持した男性中心の祭祀行事が重要な意味を無くすると同時に.一面私的宗教方面を誉田する巫女の行事が民 衆の生活を支配L、又細萱祭祀に重要なる役割を演じて凍るとい、Lかべきである。 併Lこの傾向も濁り錬近の朝鮮統治だけに原因するものではなく・一面に近代支明から受ける影響の必然の結 部落祭祀に於ける政治の関係 三五 3S

参照

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