• 検索結果がありません。

目 次 市長あいさつ 1 非核平和都市宣言に関する決議 2 世界の恒久平和を求める決議 3 平和大使派遣事業実施要領 4 平和大使 引率者名簿 6 事前研修会 7 スケジュール 8 活動報告 ~1 日目 (8 月 4 日 )~ 9 活動報告 ~2 日目 (8 月 5 日 )~ 13 活動報告 ~3

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "目 次 市長あいさつ 1 非核平和都市宣言に関する決議 2 世界の恒久平和を求める決議 3 平和大使派遣事業実施要領 4 平和大使 引率者名簿 6 事前研修会 7 スケジュール 8 活動報告 ~1 日目 (8 月 4 日 )~ 9 活動報告 ~2 日目 (8 月 5 日 )~ 13 活動報告 ~3"

Copied!
48
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)
(2)

目 次

 市長あいさつ ··· 1

 非核平和都市宣言に関する決議 ··· 2

 世界の恒久平和を求める決議 ··· 3

 平和大使派遣事業実施要領 ··· 4

 平和大使・引率者名簿 ··· 6

 事前研修会 ··· 7

 スケジュール ··· 8

 活動報告~1 日目(8 月 4 日)~ ··· 9

 活動報告~2 日目(8 月 5 日)~ ··· 13

 活動報告~3 日目(8 月 6 日)~ ··· 16

 平和大使感想文 ··· 18

 派遣後の活動 ··· 34

 平和大使通信 ··· 37

 (参考)市原市の平和祈念事業 ··· 42

(3)

1

市原市では、昭和 59 年に市議会において、核兵器の廃絶と軍 縮を訴え、世界の恒久平和を願う「非核平和都市宣言」を決議 しました。被爆地である広島に、市内の中学生の代表を平和大 使として派遣する「平和大使派遣事業」は、この宣言から 30 年 目の節目にあたる平成 26 年度に始まり、今回で 3 回目の実施と なりました。 平成 28 年 5 月 27 日、原爆投下国の現職大統領として初めて、 オバマ米国大統領が広島を訪問し、「私自身の国と同様、核を保 有する国々は、恐怖と論理から逃れ、核兵器のない世界を追及 する勇気を持たなければならない。」と訴えました。その意義は非常に大きいものであ りますが、その一方で、領土や思想などの様々な問題を巡って、今なお世界中で戦争や 紛争が起こり、核兵器も拡散し続けています。 私たち日本人は、唯一の被爆国として、戦争や核兵器の恐ろしさを、次の世代に伝え 続けていく責任があると考えています。 広島を訪問した平和大使たちは 8 月 24 日に市役所を訪れ、現地での体験や感じたこ とをありのままに報告してくれました。また、11 月に行われた市原市戦没者追悼式に 出席し、献花とともに、平和への誓いを述べてくれました。 平和大使の皆さんには、その純粋な思いや誓いを多くの方々に伝え、尊い平和を未来 へつないでいただくことを期待しています。 戦後 70 年が経過し、戦争を知らない世代が増えていく中、悲惨な体験を後世にどの ように伝えていくかが課題となっています。この報告書を手にされた皆様には、是非、 大使たちの思いを感じ取っていただき、平和について改めて考える一助としていただけ れば幸いです。 本市といたしましても、市民の皆さんと共に「非核平和都市宣言」の趣旨に則り、平 和祈念事業の更なる推進に努めてまいります。 結びに、この事業に御協力いただきました、広島市をはじめ、ボランティアの皆様、 市原市内各中学校の皆様に感謝を申し上げますとともに、地球上に核兵器や戦争がなく、 希望と誇りが持てる平和な世界が実現することを、心から祈念しまして、あいさつとい たします。 平成29 年 3 月 市原市長 小出 譲治

(4)

2

★非核平和都市宣言掲示板

世界の恒久平和は人類共通の願望である。

しかるに近年、世界において軍備の拡張は依然として続けられ世界平和に

深刻な脅威をもたらしていることは、全人類のひとしく憂えるところである。

わが国は、世界唯一の核被爆国として、また平和憲法の精神からも再びあ

の広島・長崎の惨禍を絶対に繰り返させてはならない。

市原市は、わが国の提唱する非核三原則を遵守し、すべての核保有国に対

し、核兵器の廃絶と軍縮の推進を強く訴え、もって世界の恒久平和を願うも

のである。

よって、ここに市原市を「非核平和都市」と宣言することを決議する。

昭和59年9月27日

千葉県市原市議会

★平和祈念像※ ★非核平和都市宣言記念碑※ 昭和 61 年 10 月 15 日に非核平 和都市宣言掲示板を市役所前に 設置しました。 昭和62 年 9 月 27 日に平和 祈念像と非核平和都市宣言 記念碑を市役所前市民広場 に設置しました。非核平和 都市宣言記念碑は、広島市、 長崎市から寄贈された被爆 した広島の石・長崎の煉瓦 を使用しています。 ※平成29 年 3 月 1 日現在、防災庁舎建設のため、ご覧頂くことができません。

(5)

3

※「非核平和都市宣言」30 周年を踏まえ、決議した内容

世界の恒久平和は、人類共通の願いであります。

しかし、現在この地球上には数多くの核兵器が存在し、また、紛争や戦争

も後を絶たず、人類の生存に脅威と不安を与えています。これらの紛争や戦

争は軍事力によって解決すべきものではなく、協調的・平和的な手段により

解決されるべきです。本市においても、平和な生活が脅かされる事態はあっ

てはならないことです。

本市議会は、

「非核平和都市宣言」30周年に当たり、我が国の提唱する非

核三原則を遵守し、全ての核保有国に対し、核兵器の廃絶と軍縮の推進を強

く訴え、もって世界の恒久平和を願うものである「非核平和都市」であるこ

とを再び心に刻むとともに、悲惨な紛争や戦争のない世界を強く望むもので

あります。

以上、決議する。

平成26年12月17日

市 原 市 議 会

(6)

4

1 目 的

次代を担う青少年を被爆地である広島に派遣し、広島平和記念式典への参列をはじめ、 被爆関連施設の見学や全国の中・高校生とともに行うワークショップ等を通じて、戦争 の悲惨さ、平和の大切さ、命の尊さについて改めて考える機会を提供することにより、 平和に対する理解を深めてもらう。併せて、派遣後に、報告書の作成や報告会等を開催 することで、広く市民の平和に対する意識を高めることを目的とする。

2 主 催

市原市

3 期 間

平成 28 年 8 月 4 日(木曜日)~8 月 6 日(土曜日)2 泊 3 日

4 平 和 大 使 の 構 成 及 び 引 率

●中学生 8 名(学校番号 1 八幡中学校、4 五井中学校、7 三和中学校、10 辰巳台中 学校、13 若葉中学校、16 国分寺台中学校、19 千種中学校、22 ちは ら台西中学校に在籍している生徒で、平和学習に意欲を持ち、学校 長の推薦により決定した8 名) ●引率者 2 名(市職員 1 名、市立中学校教諭 1 名)

5 平 和 大 使 の 役 割

①事前研修会(全3 回)に出席する。 ②派遣終了後、1,200 字程度の感想や記録をまとめて提出する。 ③在籍する中学校において、総合学習の時間や集会などを通じて、派遣の感想を伝承 するよう努める。 ④市民を対象とした報告会に参加するほか、家庭、地域等においても機会を捉え平和 の大切さを伝承していくよう努める。

(7)

5

6 実 施 経 過

4月 対象となる市立中学校長へ平和大使の推薦依頼 5月 対象となる中学校長から、平和大使推薦書の提出 6 月 26 日(日) 第 1 回事前研修会 7 月 10 日(日) 第 2 回事前研修会 8 月 2 日(火) 第 3 回事前研修会 8 月 2 日(火) 市長・議長・教育長へ表敬訪問(出発挨拶) 8月4日(木) ~6 日(土) 広島へ派遣 8月 24 日(水) 市長・議長・教育長へ表敬訪問(派遣報告) 9 月 9 日(金) 市政情報動画配信での派遣報告、同内容をいちはらケーブルテレビ (あいチャンネル)で放送(9 月 22 日まで) 9月以降 平和大使が在籍する各中学校において、集会などで派遣報告 11 月 16 日(水) 市原市戦没者追悼式において平和の誓い 平成 29 年 1 月 18 日(火) 勤労会館で開催された「第38 回中学生のつどい」において派遣 報告 《平成28 年 8 月 2 日 市長への出発挨拶》

(8)

6

No. 学年 名前 性別 学校

1

2

畑野

はたの

真由子

ま ゆ こ

女 八幡中学校

2

2

石倉

いしくら

しおり

女 五井中学校

3

2

むらこし

村越

柚奈

ゆうな

女 三和中学校

4

2

みやざき

宮﨑

瑠衣

るい

女 辰巳台中学校

5

2

はま

真璃乃

ま り の

女 若葉中学校

6

2

かま

たき

たく

男 国分寺台中学校

7

2

時田

ときた

美来

みく

女 千種中学校

8

2

佐藤

さとう

ふう

女 ちはら台西中学校

引率者

佐伯

さいき

あい

女 若葉中学校 教諭

引率者

おお

たか

真吾

しんご

市原市役所 企画部 人権・国際課

(9)

7

広島を訪問する前に事前研修会を3 回行いました。

・平和大使の自己紹介

・平和大使派遣事業の説明

・市原市平和祈念事業の説明

・広島について学習

・第二次世界大戦について学習

・グループディスカッション

・原子爆弾について学習

・千羽鶴作成

・被爆者体験記(市内在住者)の朗読

・千羽鶴作成

・しおりの確認

1 回(6 月 26 日)

2 回(7 月 10 日)

3 回(8 月 2 日)

(10)

8

時 間

行 程

07:45 五井駅集合 08:06~09:21 五井駅~東京駅 09:50~13:52 東京駅~広島駅(新幹線車内で昼食) 14:00 ホテル着 14:26~14:42 広島駅~原爆ドーム前駅 14:50~16:45 碑めぐり(平和記念公園内見学) 16:50~17:45 広島平和記念資料館見学 18:00~18:19 原爆ドーム前駅~広島駅 18:30 ホテル着 19:00 夕食

時 間

行 程

06:45 朝食 07:57~08:27 広島駅~宮島口駅 08:45~08:55 宮島口駅~宮島 08:55~10:15 嚴島神社参拝 10:20~10:30 宮島~宮島口駅 10:43~11:44 宮島口駅~袋町駅 11:50~12:50 昼食 12:55~13:05 徒歩で広島市役所へ 13:30~16:45 ヒロシマ青少年平和の集い(広島市役所 2 階講堂) 17:16~17:39 市役所前駅~広島駅 18:00 ホテル到着 19:00 夕食

時 間

行 程

05:50 朝食 06:32~06:47 広島駅~袋町駅 08:00~08:45 平和記念式典 09:15~09:45 袋町小学校平和資料館 見学 09:57~10:16 本通駅~広島駅 12:13~16:13 広島駅~東京駅(新幹線車内で昼食) 16:45~17:47 東京駅~五井駅 18:00 解散

(11)

活動報告~1 日目(8 月 4 日)~

9

碑めぐり(平和 記念 公園 内 見学 )

平和記念公園内の碑めぐりを行いました。案内していただいた平岡さん(広島市観光 ボランティアガイド協会)からは、当時の悲惨な様子をわかりやすく説明していただき ました。

コース

原爆ドーム 動員学徒慰霊塔 島病院(爆心地) 平和の鐘 原 爆 の 子 の 像 (千羽鶴献納) レストハウス 平和の時計塔 原爆死没者慰霊碑 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 平和の灯 原爆供養塔

(12)

活動報告~1 日目(8 月 4 日)~

10

碑めぐりスタート

(13)

活動報告~1 日目(8 月 4 日)~

11

千羽鶴の献納

平和大使が在籍する各中学校の生徒の協力により千羽鶴を作成し、恒久平和への願い を込めて「原爆の子の像」に献納しました。 ◎原爆の子の像 原爆性白血病により 12 歳で亡くなった佐々木禎子さんの霊を慰め、世界平和を呼 びかけるため、昭和 33(1958)年に建設されました。日本国内をはじめ世界各国か ら折り鶴が捧げられ、その数は年間約1,000 万羽、重さにして約 10 トンにものぼり ます。

(14)

活動報告~1 日目(8 月 4 日)~

12

広島 平和 記念 資 料館

広島平和記念資料館は、被爆の実相を伝え、核兵器のない平和な世界の実現へ貢献す るため、昭和30(1955)年 8 月 24 日に開館しました。 資料館には、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を収集・展示するとともに、 広島の被爆前後の歩みや核時代の状況などについて紹介しています。 原子爆弾の悲惨さと核兵器の恐ろしさを学び、平和の大切さを改めて考えました。

(15)

活動報告~2 日目(8 月 5 日)~

13

宮島 ・嚴 島神 社

宮島は、松島・ 天あまの橋立はしだてとならび「日本三景」の一つであり、国の特別史跡・特別名 勝に指定されています。 宮島は爆心地から16.7 キロメートル、位置的に影になっていて、直接の被害は受け なかったといわれています。 しかし、一部の地域では、窓ガラスなどが割れた、との記録や証言もあります。宮島 のお寺には、毎日多くの負傷者が運び込まれましたが、救急用品が足りず、十分な手当 てはできなかったと、証言者は悔やみます。 宮島のシンボルともいえる嚴島神社は瀬戸内海の島を背後にして、その入江の海のな かに木造建物が建ち並ぶ日本でも珍しい神社です。1,400 年の歴史と全国有数の文化財 をもち、平成8 年には原爆ドームとともに世界遺産に登録されました。

(16)

活動報告~2 日目(8 月 5 日)~

14

ヒロシマ青少 年平 和の集い

目的

中・高校生ピースクラブ参加者と、8 月 6 日前後に全国から広島に集まる青少年が一 堂に会して、被爆の実相や平和の尊さについての理解を深め、ヒロシマの地から平和の メッセージを発信するとともに、青少年を中心とした平和の取り組みを推進するネット ワークづくりの場を提供する。

参加団体(15 団体)

福島県 会津若松市、伊達市 千葉県 習志野市平和市民代表団、銚子市中学生広島派遣団、市原市平和大使 東京都 板橋区中学生広島平和の旅、国分寺市ピースメッセンジャー、千代田区平 和使節団 神奈川県 伊勢原市中学生ヒロシマ平和の旅派遣団 長野県 塩尻市、中野市立中野平中学校 愛知県 蟹江町 沖縄県 石垣市平和大使 広島県 広島市 ふくやまピース・ラボ 中・高校生ピースクラブ

中・高校生ピースクラブ

広島市に在住・在学している中・高校生を対象に、広島市と公益財団法人広島平和文 化センター平和記念資料館の主催により「ヒロシマ」「原爆」「平和」に関する様々な活 動を行っている団体です。

原爆被害の概要説明

スライドを使いながら、原爆の被害についてわかりやすく説明していただきました。

被爆体験講話

◎被爆体験証言者:笠岡 貞江さん 笠岡さんは、高等女学校1 年生だった 12 歳の時、爆 心地から3.5 キロ離れた自宅で被爆されました。その当 時の苦しく悲しい思い出をお話ししていただきました。 被爆者の思いを深く知るとともに、この悲劇を後世へ 語り継いでいかなければならない責任を感じました。

(17)

活動報告~2 日目(8 月 5 日)~

15

ワークショップ

「平和な○○をつくろう」というテーマで8 人程度のグループに分かれ、話し合いま した。 同世代の人たちと意見を交わすことで、平和に対する色々な考え方や感覚を知ること ができました。

(18)

活動報告~3 日目(8 月 6 日)~

16

<次 第>

開式 原爆死没者名簿奉納 広島市長 遺族代表 式辞 広島市議会議長 献花 広島市長 広島市議会議長 遺族代表・こども代表 被爆者代表 来賓 黙とう・平和の鐘 平和宣言 広島市長 放鳩 平和への誓い こども代表 あいさつ 内閣総理大臣 広島県知事 国際連合事務総長 ひろしま平和の歌(合唱) 閉式

平和 記念 式典

広島へ原爆が落とされて71 年となる 8 月 6 日、原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久 平和を祈念するため、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)前にお いて、被爆者や遺族をはじめ、安倍 晋三 首相、国連等国際機関、外国 91 カ国と欧州 連合(EU)の代表らも参列しました。 式典の中で広島市長によって行われた平和宣言では、核兵器のない世界を追求する勇 気を訴えた5 月に広島を訪れた米国のオバマ大統領の演説の一節を引き、「情熱を持っ て連帯し、行動を」と呼びかけました。 原爆投下時刻である午前8 時 15 分には平和の鐘やサイレンが鳴らされ、式典会場に 集まった平和大使を含む約5 万の参列者は、原爆死没者に哀悼の意を表し、あわせて恒 久平和の実現を祈り、1 分間の黙とうを行いました。 また、式典前に平和大使は、原爆死没者慰霊碑に 献花を行いました。

(19)

活動報告~3 日目(8 月 6 日)~

17

袋町 小学 校平 和 資料 館

広島市立袋町小学校(当時袋町尋常高等 小学校)は、爆心地から460 メートルの位 置にあり、原爆によって大きな被害を受け ました。 当時、多くの児童は集団疎開や縁故疎開 により被災を免れましたが、残っていた百 余名の児童、そして教職員のほとんどが一 瞬にして命を失いました。木造校舎はすべ て倒壊・全焼し、唯一鉄筋コンクリート造 だった西校舎だけが外郭のみ原形をとど め、避難場所や救護所として、児童・教職員や地域の人々の安否を尋ねる場となりまし た。人々は、床に散らばるわずかなチョークで、焼けた壁に伝言を記しました。 平成14 年、老朽化した校舎の建て替えに伴い、被爆した西校舎の一部が袋町小学校 平和資料館として保存されました。 「伝言」の書かれた内壁の一部をはじめ、残された貴重な被爆資料を展示するとともに、 被爆後の学校の様子を紹介しています。

(20)

平和大使感想文

18

平和を願って

八幡中学校 2年 畑野 真由子

8月4日から3日間、市原市の平和大使として、広島で戦争の恐ろしさや平和の大切 さについて考える貴重な体験をさせて頂きました。 広島訪問の事前学習として見た映画では、被爆者が当時のことを語ってくれました。 原爆投下後に一瞬にして地獄のような光景になり、目の前で家族が焼け死んだり、奇跡 的に生き残っても、重い後遺症で差別を受け苦労したそうです。もし、私がこのとき広 島で生活していたらと思うと、悲しくてとても耐えられません。本当に原爆の悲惨さが 伝わってきました。今でも多くの被爆者を苦しめている原子爆弾は、決して使われては いけないと思いました。 実際に広島へ行き、原爆ドームを見ま した。投下前と投下後のあまりにも変わ り果ててしまったドームを見て、改めて 原爆による被害の大きさ、恐ろしさを痛 感しました。 平和記念資料館は、一番印象に残りま した。資料館には原爆投下直後の町の様 子や大火傷をしている人々の写真、被爆した人の人形、焦げたお弁当箱などがあり、ど れも原爆の恐ろしさが伝わってくるものばかりでした。私と同世代、そして私よりも小 さな子供や赤ちゃんたちまでがたくさん亡くなっていると知り、心が痛みました。実際 に71年前、広島でこのようなことが起きていたのかと思うと、同じこのような悲劇を 二度と繰り返してはならないと強く感じました。 原爆の子の像や袋町小学校での階段を埋め尽くす、多くの千羽鶴にも驚きました。全

(21)

平和大使感想文

19

国、海外からも捧げられ、世界で多くの人々が 平和を願いながら折り鶴をおっているのだと 思うと嬉しく思いました。 また、平和記念式典にも、多くの海外の方が 参列されていました。 被爆者の高齢化が進み、平均年齢は80歳を 超えました。直接当時のお話を伺う機会が少な くなってきています。1945年8月6日、一 発の原子爆弾が何十万人もの尊い命を奪った あの日のことを決して風化させないために、被 爆者の想いを受け継ぎ、戦争を知らない次の世 代へ伝えていくことが大切だと思います。また、今回広島で見聞きし、学んだこと、感 じたことを一人でも多くの人に伝えていきたいと思います。 残念ながら、今世界には約1 万5千発の核爆弾があるといわれ、核実験や紛争が行わ れている国もあります。そのような中、今年5 月には初めて現職のアメリカ大統領であ るオバマ大統領が平和記念公園を訪問しました。世界が協力し核兵器のない平和な世界 を目指し、「平和の灯」が消える日がくることを願っています。 平和を願い、平和のためにできることは、私たちにもあります。友達同士が仲良くす るなど身近なことが平和につながると思います。一人一人の行動は小さくても、それが 集まれば、世界を変える大きな力になると思います。自分なりに平和のためにできるこ とを見つけ、行動していこうと思います。 今回お世話になりました市役所、平和大使の皆様、本当にありがとうございました。

(22)

平和大使感想文

20

被爆国日本

五井中学校 2年 石倉 史織

私は平和大使として8 月 4・5・6 日と広島に訪れ、多くのことを学び、 感じました。平和大使としてまだ活 動していなかった時の私は戦争につ いての知識が無く、原爆もただ単に 「怖い」としか考えていませんでし た。今ではその時の自分は何をして いたんだろうと後悔しています。 広島に滞在した中で特に記憶に残っているのは「平和記念資料館での見学」また「ヒ ロシマ青少年平和の集い」や「平和記念式典」です。資料館の中には私が想像していた よりも多くの物が当時のまま残されていました。その中でも私は、私と同じ中学生の女 の子のかばんが印象的でした。炭だらけになり、たくさんの穴があき黒く汚れているそ のかばんからは当時の苦しみや大変さがとても伝わってきました。同じ中学生の女の子 が恐ろしい原爆に巻き込まれて亡くなってしまったと再認識すると胸が苦しくなりま した。資料館にはその他にも影だけが残った階段や多くの資料が展示してありました。 青少年平和の集いでは、全国から15 団体、100 人以上の小・中・高校生が参加し、 一つのテーマについて話し合ったり、被爆体験をした笠岡貞江さんの話を聞いたりと貴 重な体験をすることができました。その中でも原爆を実際に体験された笠岡さんの言葉 が印象に残っています。 「私たち被爆者は、原爆に家族も夢も未来も希望も壊された。」

(23)

平和大使感想文

21

この言葉を聞いた瞬間、私は被爆者たちの今までの苦しみや原爆への憎しみが伝わって きました。こんなに苦しい思いを原爆でした方がいる、その事実を日本中に伝え、世界 に広げていかなくてはならないと私は思いました。 平和記念式典では、多くの人たちが参列をしていました。式典の中での平和への誓い で、小学生の子が堂々と立派に宣言しているのを聞いて、私たちにも何か出来ることが あるのかなと思いました。 今回、平和大使として広島に訪れることで、原爆について多くのことを学びました。 現在も日本では被爆者たちが苦しんでいます。何年経っても、心の傷は被爆者たちから は消えません。そんな苦しい中でも、私たち若い世代に傷を伝えようとしてくださる 方々がいることを私たちはしっかりと受け止め、多くの人に伝える役目があります。世 界に唯一の被爆国として私たち日本は、二度と被爆者が出ないよう世界にもっと伝えて いくべきだと思います。そのために、まずは少しずつですが私も今回学んだことを活か し伝えていきたいと思います。 まだ世界各地には多くの原爆があります。あの時の原爆よりも威力のある物もつくら れています。それに対して私たちはどのように向き合っていくべきなのかこれから先し っかりと考えていきたいです。そしていつか原爆がなくなり平和の灯が消せるような日 が来ることを願っています。

(24)

平和大使感想文

22

平和への道

三和中学校 2 年 村越 柚奈

私は、平和大使として先生に声をかけて頂いたとき、初めはすごく迷いました。なぜ なら、知らない人と関わったりする不安や、平和大使についてよく分からなかったから です。でも、学校の先生方や両親から「私の成長につながる良い経験になるよ。」と言 われた言葉がきっかけとなり、参加を決意しました。 何回か行われる平和大使の集まりを通じて広島県の歴史や、戦争、平和大使としての 責任と役割が徐々に分かっていきました。 広島に行く前、学習したことを元にしてさらに理解を深めて、実際に起こったことが どれだけ悲惨なものなのかをしっかりみて勉強してこようと思い、そして広島に行きま した。 1 日目、平和記念公園でボランティアガイドさんの説明を聞きながら原爆のあと建て られた慰霊碑などを見てまわりました。 説明を聞いていて「本当にこの場所で起こったんだ。」と思いました。地域は、とて もきれいで木々もたくさん生えていて、当時の様子を物語っているものが、原爆ドーム 以外はなかったからです。 印象に残ったことは、原爆ドー ム周辺で学生さんたちが核兵器 を世界からなくすための署名活 動をしていたことです。今まで署 名活動を見たり、こんなに平和に ついて考えている方がたくさん

(25)

平和大使感想文

23

いることにびっくりしました。 今、世界にある核兵器は昔の核兵器と比べて威力も増していると聞いたので、すごく 怖いです。なので1秒でも早く世界中からなくなることを願っています。 もう一つ印象に残ったことは、資料館で見た火傷を負った方々の写真です。すごく苦 しそうで目をそむけたくなりました。火傷を負った方の立体模型は、すごく現実的で外 国の方々も思わず目をそむけていました。 2 日目は、ヒロシマ青少年平和の集いに参加しました。初めて会う方たちばかりで、 すごく緊張しました。「平和の○○をつくろう」というテーマの中で色々な意見を出し 合い、私たちのグループが決めたのは、「平和のアプリをつくろう」です。内容は、そ の日にあった小さな幸せなどを掲示板に書いていき、同時にキャラクターを育成するも のです。このようなアプリが実現できたらすごくおもしろそうだし、平和に少しでも近 づけそうだなと思いました。 3 日目は、平和記念式典に参加しました。献花をする貴重な体験ができて良かったで す。式に参加することもなかなかできないので良い経験をさせて頂きました。 この3 日間、平和とは普通に今できていること、家族や友達がいることが平和だと改 めて思いました。二度と戦争は起きてほしくないし、体験したくないです。今、生きて いることに感謝して日々を楽しみ、みんなが心の底から笑顔になれるといいなと思いま す。

(26)

平和大使感想文

24

平和のためにできること

辰巳台中学校 2 年 宮﨑 瑠衣

私は、今回の平和大使派遣事業 で、多くのことを学びました。最 初は、「平和」ということを、あ まり深く考えたことがなく、何が 平和なのかあまり分かりませんで した。 初日の、平和記念公園内の碑め ぐりでは、原爆ドームや原爆の子 の像などを見学しました。原爆ドームは、テレビでしか見たことがなく、実際に自分の 目で見てみると、迫力を感じました。原爆の子の像の周辺では、多くの外国人が来てい て、中には折り鶴を持った人もいました。千羽鶴を飾るケースの中には、たくさんの人 から寄せられた千羽鶴が入っていて、世界中のみんなの平和への願いが、こめられてい るなと思いました。その他にも、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館や、平和記念資料 館を見学し、そこには、原爆で命を落とした人の遺品などが、展示されていました。ま っ黒こげになったお弁当箱、ボロボロになってしまった学生の夏服、懐中時計などを展 示していて、とても心が痛みました。中には、目をそむけたくなる物もあったけど、こ れが全て、71年前の現実だと思うと、辛くて見ていられなくなりそうでした。でも、 もっと辛い思いをしたのが、その時代を生きていた広島の人たちです。年齢、性別に関 係なく、人が一瞬にして命を落としてしまう、そんな愚かなことをしたのが、原爆だと いうことを、改めて思い知らされました。両親を失ってしまった子供たちが、どれだけ 寂しい思いをしたかと思うと、涙が出そうになりました。

(27)

平和大使感想文

25

2 日目のワークショップでは、被爆者 の方のお話を聞くことができました。 お話の中で「今は、何でも食べられる けど、昔はそうではなかった。」とい う話を聞いて、今、私たちはコンビニ やスーパーに行けば、何でも買えるし、 自分の満足する量が食べられるけど、 戦争中は、満足のいく食事ができなかったと思います。幸せな家庭をうばっていく、そ して人の心も変えていく戦争は、誰も幸せになれないと思います。核兵器が、早くなく なってほしいという被爆者の方々の願いを、私たちが、少しでもいいから皆に伝え、叶 えたいなと思いました。ワークショップでは、周りの人たちが全然知らない人だったの で、最初は静かだったけど、しだいに打ち解けていき、最後にはみんなで平和をテーマ にした作品を、作り上げることができました。簡単なことではないけれど、このように 世界各国の人々が、協力して、核兵器をなくしていけばいいなと思いました。 3 日目の平和記念式典では、朝早くから、大勢の人が来ていて、改めて式典の大切さ が分かりました。8 時 15 分、黙とうの時、私は、平和を次の世代へとつないでいくた めにも、今、私たちができることを精一杯すると心に決めました。そして、それを実現 させるために、私にできることは、学校のみんなや地域の皆さんに、戦争の愚かさ、平 和とは何か、普段の生活がいかに大切なのかを伝えていくことだと分かりました。 世界には、今も、核兵器を持っている国があります。もう、同じことを繰り返さない ためにも、今回学んだことをしっかりと伝えていくことが、大切だと分かりました。世 界中の人たちが、核兵器のない安心して暮せる時は、時間がかかるかもしれないけれど、 早く実現できるように、私たちがしっかり伝えていきたいです。

(28)

平和大使感想文

26

心で知ること

若葉中学校 2 年 濵田 真璃乃

皆さんはどの「広島」を知っていますか。被爆地の「HIROSHIMA」。平和の象徴 の「ひろしま」。戦前の「廣島」。観光地の「広島」。私は平和大使としての3 日間で 色々な広島を知ることができました。しかし、高いビルが連なり都会と化しても罪のな い多くの命を奪った悪がこの街を染めたことは、71 年前から今もこれから先もずっと 変わることはないのです。 広島に着いて最初に見た原 爆ドームは、テレビや写真で見 るよりも壁が分厚く感じられ ました。枠組みと外壁だけを残 した姿は、原爆の恐ろしさを表 していると思います。原爆ドー ムのような被爆建物は、保存が 難しく建て直しにお金がかかるため減少しているそうです。現在は86 棟が残っていま すが、これもだんだん姿を消してしまうのでしょうか。原爆という事実を見ただけで知 ることのできる、感じることのできる被爆建物は決してなくしてはいけないのだと思い ます。 資料館で一番印象に残っているものは、対話ノートです。ノートには平和や戦争への 想いが様々な言語で書かれており、言葉の一つひとつが語りかけてくるようでした。資 料館ですれ違う人たちのことは、国籍も年齢も名前も分かりません。けれども、国が違 っても何歳であってもどんな人であろうと、平和を祈ることは変わりないとこのノート は教えてくれました。

(29)

平和大使感想文

27

核兵器は知識とお金があればつくることができます。しかし人の命はどんなに多くの 知識があっても、どんなに多くのお金があってもつくることはできません。私たちはた った一人の存在であり、家族にとって代えのきかない唯一無二の存在なのです。 私は今まで、戦争を恐怖の過去として避けてきました。知りたくないと思っていまし た。ですが、広島へ行き自分の目で見て、耳で聴いて、手で触れることで「知らない」 ではいけないのだと強く感じました。 平和は「愛の心」と被爆された方はおっしゃ っていました。愛とは、相手を想う気持ちです。 だから平和は一人ではつくり出せません。戦争 を知り、考え、伝え合うことのできる平和の仲 間が必要です。その仲間は家族や友達に限らず、 平和という同じ気持ちを持った世界中の人と なれると思います。 戦争という過去は変えることはできません。 ただ、その過去から学ぶことはできます。私が 学んだものを平和の仲間と共有し、次の世代へ 繋げるようにこれからも平和大使としての役 割を果たしていきたいです。

(30)

平和大使感想文

28

広島について

国分寺台中学校 2 年 鎌滝 拓慎

僕は8 月 4 日~6 日までの 3 日間広島に行き、沢山のことを学びました。 1 日目は、平和記念公園内を見学して戦争や原爆の恐ろしさなどを知りました。平和 記念資料館で印象に残ったものは、「人影の石」という石と佐々木禎子さんとオバマ大 統領が作った折り鶴です。「人 影の石」というのは、人が座っ ていた時に原爆が投下されて、 熱線と爆風により灰になって消 えてしまい、そのまま影だけが 残ってしまったという石です。 禎子さんとオバマ大統領が作っ た折り鶴はとても上手で立派で した。その他にもオバマ大統領は、折り鶴と一緒にとても素晴らしいメッセージを残し ていました。 2 日目は、宮島の嚴島神社を参拝して来ました。嚴島神社は、世界遺産にもなってい て海に浮いている鳥居は、とても美しかったです。その後はヒロシマ青少年平和の集い に参加して来ました。青少年の集いでは、原爆被害の概要説明と被爆体験講話とワーク ショップなどをしました。原爆被害の説明では、広島に投下されたリトル・ボーイとい う原爆の特徴や被害状況などの説明を聞きました。被爆体験講話では、当時12 歳で現 在83 歳の笠岡貞江さんの話を聞きました。笠岡さんの話では、人の皮膚が垂れていた り、道路に人が普通に倒れていたり、放射線が含まれている黒い雨が降るという今では

(31)

平和大使感想文

29

誰にも想像がつかない様なことが、71 年前の 8 月 6 日には起こっていたということを 教えてくれました。ワークショップでは他の生徒と一緒に、「平和の○○について」や 「平和の○○を作ろう」というのを考えました。僕たちの班では、「平和の庭を作ろう」 というのにして、沢山の意見を出したりしました。なので、他の人の考えなどが分かっ たし、色々な情報を共有することができました。 3 日目の平和記念式典では、原爆死没者の霊を慰めるために沢山の人たちが色々なと ころから来ていました。平和記念式典では、改めて戦争の悲惨さが分かりました。その 後、袋町小学校を見学して来ました。袋町小学校も原爆で破壊されてしまいました。今 では造り直されていて、普段ではなかなか見ることができない、被爆した石のかたまり や沢山の千羽鶴など多くのことを学ぶことができました。 広島にいた3 日間で沢山のことを見て、沢山の人の話を聞いたりして、より多くのこ とを勉強してきました。しかも、世界遺産にもなっている原爆ドームと嚴島神社には前 から行ってみたかったのです。何故かというと、小学生だった頃「はだしのゲン」をよ く読んでいてそこで、原爆ドームのことを知り、ずっと行ってみたかったし、嚴島神社 は、社会の教科書を見てずっと行ってみたかったからです。他にも、平均年齢80 歳に なった被爆者の話しを聞いたりして、普通の人にはなかなかできるはずのない経験を沢 山でき、友達もできたのでとてもいい思い出になりました。そして平和大使の役割は、 広島のことをみんなに伝えることなので、学校へ行ったらみんなにきちんと報告できる ように頑張ります。

(32)

平和大使感想文

30

これからのために

千種中学校 2 年 時田 美来

私は広島へ行き、戦争へのイメージが大きく変わりました。行く前まで悪い歴史の一 つととらえてしまっていました。 小学校の時、初めて戦争のことについて学び、当時は「そうなのかぁ」程度でしか思 いませんでした。しかし中学校に入り考えが変わり「もっと知りたい」という思いが強 くなりました。日に日に増していく思いの中、今回の研修がありとてもいい経験になり ました。 学んだことの中で2 つ大きく印象に残ったお話が ありました。一つ目は学生の死没者についてのお話 です。当時、多くの学生が空爆の被害を少なくする ために民家を取り壊すという労働作業をさせられて いたそうです。その作業中に原爆が落とされその場 にいた人がほとんどなくなったそうです。亡くなっ た人の中には千葉の学生もいたそうです。この話を 聞き、同い年くらいで亡くなった方が大勢いてこれ からの生活を奪われたのかとしみじみ思いました。 もう一つのお話は佐々木禎子さんについてです。禎 子さんは幼い頃被爆し、その10 年後に原爆の後遺症である白血病でこの世をわずか 12 歳で去りました。亡くなる前に折り鶴を千羽以上折ったそうです。私はかわいそうだな と思いました。原爆を落とされた後も生きていけたのにと思いました。禎子さんの他に もこのような後遺症で亡くなった方は多くいて、今も苦しんでいる方も多いそうです。

(33)

平和大使感想文

31

この2 つのお話は、どちらも私たちと同じ年くらいの方の被害のお話です。今、私た ちはあたり前の平和の日々をあたり前のように過ごしています。しかし当時の人々は、 あたり前のいつ空爆がくるかわからない日々をあたり前のように過ごしていました。同 じ「あたり前」なのにその生活の内容は大きく違います。 「もし、また戦争が始まったら?」 ということを考えたことはありますか?私はありません。しかし、今はそれを考えない といけないと思います。私たちの世代が主体となる日は必ずきます。その日にむけ戦争 がまた始まったらと考えてみてほしいと思います。一人ひとりが考えれば自然に世の中 は平和になると思います。 「夢や希望にあふれた未来は、ぼくたち、わたしたち、一人ひとりが創るのです。」 この言葉は平和記念式典での子ども代表の平和の誓いです。このとおり、これから私た ち一人ひとりが意識して平和な未来を創っていかないとならないと思います。

(34)

平和大使感想文

32

伝えていかなければいけないこと

ちはら台西中学校 2 年 佐藤 風歌

広島に原爆が投下されてから、71 年が経ち、当時のことを知る人、伝える人が減ってきてい ます。私は広島に行き、色々なものを見たり聞いたりして、平和の大切さと、今の自分たちがど れほど幸せなのかを感じました。 平和記念公園には、平和への願いが込められた碑や、原爆の犠牲になった方の慰霊碑がたくさ んありました。私が特に心に残っているのは、平和の鐘です。デザインにも平和への願いが込め られていて、鐘をうつ度に核が無くなることを祈り、核エネルギーのマークや、国境の無い平和 な世界になるように、国境の無い世界 地図が描かれています。これを聞いた 時に、とても感動し、実現できるよう に小さなことでもやっていきたいと思 いました。 国立原爆死没者追悼平和祈念館と平 和記念資料館には、被爆した建物の一 部や、犠牲になった方の持ち物や写真がたくさんありました。佐々木禎子さんが折った鶴が、特 に心に残っています。佐々木禎子さんは、12 歳の時に白血病と診断され、お見舞いとして名古 屋の高校生から折り鶴が送られ、千羽折れば元気になると信じて薬の包み紙などで折り続けた鶴 は、千羽をこえました。ですが、その年の10 月に亡くなってしまいました。まだ未来がある子 の命を奪ってしまう戦争や原爆は、どんな理由であってもいけないと思いました。 ヒロシマ青少年平和の集いでは、原爆被害の説明と体験講話を聞き、ワークショップに参加し ました。原爆被害の説明では、リトルボーイの構造やきのこ雲、後遺症について学びました。体 験講話では、笠岡貞江さんの話を聞きました。笠岡さんは当時12 歳で、学校には全く行けず、

(35)

平和大使感想文

33

工場で働いていたそうです。プロペラとわ からずに鉄をみがいていたり、やっと学校 に行っても勉強はできず、竹槍の練習をし ていたそうです。8 月 6 日の日は、両親が 帰ってこなくてやっと見つかった父親は、 最初は黒こげで誰だか分からず、母の名前 を呼んで、ようやくわかったそうです。で すが亡くなってしまい、友達が親の話をしている時はとても辛かったそうです。そして、被爆し たことで、結婚や就職も難しかったそうです。 ワークショップでは、「平和の○○を作ろう」というテーマで、グループごとにたくさんの意 見がでました。実際にできそうなものもあったので、いつかできたら良いと思います。 平和記念式典では、たくさんの平和へのメッセージを聞くことができました。 広島に行って、強く感じたこと、共感したことがあります。「今の生活は当たり前ではなく、 とても幸せなこと」「人類と核兵器は共存できない」ということです。世界から戦争と核兵器を 無くすために、できることからやっていきたいです。そして、次は自分たちが平和の大切さを伝 えていこうと思います。

(36)

派遣後の活動

34

中学 校での報 告

派遣後には、それぞれ在籍する中学校で全校集会や文化祭等において報告を行いまし た。この事業を通して学んだ「平和の大切さ」を多くの生徒に伝えました。

市長 表敬 訪問 (平 成 28年 8 月 24日 市 原市 役所 )

市長・議長・教育長を表敬訪問し、被爆の実相や平和の大切さなど、平和大使がこの 事業で培った知識について報告しました。当日の模様は、市政情報動画配信及び「You Tube」で平成 28 年 9 月 9 日から配信されています。また、同内容はいちはらケーブル テレビ(あいチャンネル)で放送(平成28 年 9 月 22 日まで)されました。

「平成 28 年度市原市平和大使派遣事業」と検索して見てください

(37)

派遣後の活動

35

市原 市戦 没者 追 悼式 (平 成 28 年 11 月 16 日 )

本市関係戦没者並びに戦争死没者に対して、市をあげて追悼の意を捧げるとともに平 和を祈念するために行われている戦没者追悼式に平和大使 5 名が出席し、献花及び平和 への誓いを述べました。

平和への誓い

私は平和大使の活動をとおし、いかに平和が大切かを学びました。

これからは友達を思いやり、尊重し合い、身近なところから平和を築き、伝え

ていくことを誓います。

八幡中学校2年 畑野 真由子

平和への誓い

私は平和大使の活動を通じ、平和を願う気持ちに国境はないと強く感じまし

た。これからは、様々な場面で、様々な人と平和の願いを共有できるよう伝え

ていくことを誓います。

三和中学校2年 村越 柚奈

(38)

派遣後の活動

36

平和への誓い

私は平和大使の活動を通して、戦争のない平和な世の中をつくるには、一人

ひとりが意識していかないといけないと思いました。これからは、日々の生活

の中で、平和な未来を自分自身でも意識し、周りの人にも意識してもらえるよ

うに伝えていくことを誓います。

千種中学校2年 時田 美来

平和への誓い

私は平和大使の活動を通じ、戦争に家族や夢や希望を奪われ、今もなお苦し

んでいる方がいることを知りました。これからは、平和の実現のために、戦争

の現実を伝えていくことを誓います。

五井中学校2年 石倉 史織

平和への誓い

僕は、平和大使の活動を通じ、戦争や原爆がもたらした被害の大きさを学び

ました。これからは、戦争は二度と繰り返してはいけないこと、そして戦争の

愚かさを伝えていくことを誓います。

国分寺台中学校2年 鎌滝 拓慎

第 38回 中学 生 のつどい(平 成 29年 1 月 18日 勤 労会 館)

市内の各中学校代表者が参加する「中学生のつどい」において、この事業で学んだこ と、感じたことについて、パワーポイントを使用し、約30 分間報告しました。 平和大使は、平和について伝承していく決意を新たにしました。

(39)

平和大使通信

37

平和 大使 通信

引率者である若葉中の佐伯先生が、研修中の様子や、生徒たちの感想などを平和大使 通信としてまとめてくださいました。 【平和大使通信 No.1】 。 H28 平和大 使の メンバ ーです! ! 平 成 28 年 7 月 10 日 No.1 発 行 者 : 若 葉 中 佐 伯 愛 香 八 幡 中 真 由 子 五 井 中 史 織 三 和 中 柚 奈 辰 巳 台 中 瑠 衣 若 葉 中 真 璃 乃 国 分 寺 台 中 拓 慎 千 種 中 美 来 ち は ら 台 西 中 風 歌 平 成 2 8 年 度 の 平 和 大 使 の み な さ ん 、 今 年 み ん な の 学 校 に 平 和 大 使 派 遣 事 業 の 募 集 が あ っ た こ と 、 そ し て 2 年 生 で あ っ た こ と 自 体 と て も ラ ッ キ ー な こ と 。 希 望 し て な っ た 人 も 、 そ う で な い 人 も 、 せ っ か く め っ た に 経 験 で き な い 素 敵 な 機 会 を い た だ い た の で 、 積 極 的 に 学 ん で い き ま し ょ う ! 失 敗 す る の は 当 た り 前 。 だ っ て 誰 も 去 年 の 平 和 大 使 を 経 験 し て い る 人 な ん て い な い か ら (私 も 含 め て )。平 和 に つ い て 、自 分 の 考 え を 深 め 、そ し て 平 和 大 使 の 仲 間 た ち と 共 有 し た り 、 そ し て 自 分 か ら 発 信 し て い け る よ う に な っ た り す る と い い で す ね 。 第 1 回 目 の 研 修 会 は 、 初 め て 平 和 大 使 の 仲 間 た ち に 会 っ て 、 と て も 緊 張 し た と 思 い ま す 。 少 し 時 間 が あ い て し ま い ま し た が 、 今 日 は 2 回 目 ! 前 回 よ り も 、 自 分 か ら 積 極 的 に 行 動 に う つ し て 、 よ り よ い 研 修 会 に な る よ う に 頑 張 っ て い き ま し ょ う ! 広 島 ク イ ズ タ ワ ー 対 決 ! 休 憩 タ イ ム 第 1 回 (6/26) 研 修 会 @ 国 分 寺 台 公 民 館

(40)

平和大使通信

38

【平和大使通信 No.1】 第 1 回 研 修 会 を 終 え て 感 想 ✿ 授 業 で 原 爆 や 戦 争 に つ い て 知 ら な か っ た こ と が た く さ ん あ っ た け ど 、 知 る こ と が で き て 良 か っ た で す 。 広 島 に 前 よ り も 興 味 が わ い て き た の で 、 こ の メ ン バ ー で 行 く の が と て も 楽 し み で す 。 み ん な で 協 力 す る ゲ ー ム が と て も 楽 し か っ た で す 。 (柚 奈 ) ✿ 今 日 は 初 め て 一 緒 に 平 和 大 使 と し て 学 ぶ 人 た ち と 会 っ て み て 、や っ ぱ り み ん な 学 校 の 代 表 と し て 来 て い る の で 態 度 な ど が 立 派 だ な と 思 っ た 。一 回 目 だ っ た の で 、話 が 途 切 れ て し ま っ た り 、 話 し づ ら か っ た り 初 め は し た け ど 、 少 し ず つ 話 す こ と が で き た の で よ か っ た と 思 う 。 今 回 は あ ま り 積 極 的 に 動 く 機 会 が 少 な か っ た の で 、 次 回 か ら は も っ と 自 分 か ら 積 極 的 に 動 け る よ う に し た い 。 ま だ わ か ら な い こ と だ ら け だ け ど 、 イ メ ー ジ は わ い て き た の で 、 次 回 か ら も 平 和 大 使 と し て し っ か り と 学 ん で い き た い 。 (史 織 ) ✿ 初 め て の 会 議 で も の す ご く 緊 張 し た け れ ど 、ど ん ど ん 慣 れ て い き 楽 し か っ た で す 。ク イ ズ で は 知 ら な か っ た 事 が た く さ ん わ か り 、 広 島 に つ い て よ く 学 び た い と い う 気 持 ち が 増 え ま し た 。 家 に 帰 っ て か ら ネ ッ ト な ど で 広 島 の こ と を も っ と 調 べ て 勉 強 し て き ま す 。 次 の 会 議 で は み ん な に 迷 惑 を か け ず に 、 自 分 の 役 割 を き っ ち り 果 た せ る よ う に 頑 張 り た い で す 。 (拓 慎 ) ✿ 今 日 は 全 員 に 会 う の も 初 め て だ っ た の で 、心 配 だ っ た り 、緊 張 し た り し ま し た が 、名 前 も 覚 え ら れ た し 、 話 も で き る よ う に な っ て き た の で 、 こ れ か ら も っ と 話 が で き る よ う に な り た い と 思 い ま し た 。 広 島 や 太 平 洋 戦 争 に つ い て は ま だ 知 ら な い こ と が た く さ ん あ っ た の で 、 今 日 は 知 る こ と が で き て 良 か っ た と 思 う し 、 ま た 事 前 学 習 も も っ と や っ て お き た い と 思 い ま し た 。 今 回 戦 争 や 広 島 に つ い て 知 る こ と が で き た の で 、 も う 一 度 平 和 に つ い て 考 え て み よ う と 思 い ま し た 。 (真 由 子 ) ✿ 今 回 、初 の 研 修 会 と い う こ と で 最 初 は す ご い 緊 張 し ま し た 。け れ ど 名 前 を 覚 え る ゲ ー ム な ど み な さ ん と 触 れ 合 っ て い く う ち に 緊 張 が ほ ど け て き ま し た 。 ま た 学 習 す る 時 間 で は い ろ ん な こ と を 知 れ て よ か っ た な と 思 い ま し た 。 広 島 の ク イ ズ で は 知 ら な か っ た 事 も 多 く 、 と て も た め に な り ま し た 。 こ れ か ら 少 し 迷 惑 を か け て し ま う こ と も あ る か も し れ ま せ ん が 、 よ ろ し く お 願 い し ま す 。 (美 来 ) ✿ 最 初 は 緊 張 し て い た け ど 、ゲ ー ム を し た り 話 を 聞 い て い く う ち に 緊 張 も と け リ ラ ッ ク ス し て 取 り 組 め た 。 広 島 や 戦 争 に つ い て の ク イ ズ で 、 課 題 の 時 に 調 べ て 分 か っ た の も あ っ た け ど 、 こ れ か ら た く さ ん 知 識 を 増 や し て い き た い 。 イ ス ラ ム 国 に 拉 致 さ れ た 人 の 話 も 聞 い て 、 身 近 じ ゃ な い と 思 っ て い た も の も 何 か の き っ か け を 見 つ け て 繋 が れ る ん だ と 思 っ た 。 こ の 平 和 大 使 も 1 つ の き っ か け と し て 、 戦 争 や 平 和 に つ い て 知 る こ と に 加 え 、 平 和 大 使 の 仲 間 と の つ な が り を 深 め る き っ か け に し た い 。 ク イ ズ で 平 和 ラ ン キ ン グ や 市 原 市 の 人 口 が ピ ッ タ リ あ た っ て び っ く り し た が 嬉 し か っ た 。運 を 使 い 切 ら な い よ う に す る 。こ れ か ら 仲 間 と 頑 張 り た い 。( 真 璃 乃 ) ✿ 初 め て で 緊 張 し て い た け ど 、早 く 緊 張 が と け て 、無 言 の 時 間 も 多 か っ た け ど 、少 し ず つ 話 せ る よ う に な っ て よ か っ た で す 。 広 島 や 戦 争 に つ い て 知 ら な い こ と も た く さ ん 学 べ ま し た 。 ゲ ー ム も 楽 し め た し 、 紙 を 積 み 上 げ て い く の も 難 し か っ た け ど 、 楽 し か っ た で す 。 次 回 は み ん な と い る 時 間 が 長 い の で 、 も っ と 沢 山 話 し て 、 沢 山 の こ と を 学 び た い で す 。 (風 歌 ) ✿ 初 め て の 研 修 会 で 、学 校 も 一 緒 じ ゃ な い の で 、最 初 は と て も 緊 張 し ま し た 。だ け ど 自 己 紹 介 な ど を 通 し て 、 少 し 仲 良 く な れ た か な と 思 い ま し た 。 広 島 や 戦 争 に つ い て の 勉 強 を し て 、 改 め て 戦 争 の 悲 惨 さ が 分 か り ま し た 。 次 の 研 修 会 で も 他 校 の 人 と 協 力 し て い け た ら い い な と 思 い ま し た 。 (瑠 衣 )

(41)

平和大使通信

39

【平和大使通信 No.2】 。 平 成 28 年 8 月 2 日 No.2 発 行 者 : 若 葉 中 佐 伯 愛 香 ワ ー ク シ ョ ッ プ 練 習 気 合 い の 入 っ た 劇 ! 平 和 の ○ ○ を 作 ろ う 7 月 10 日 (日 ) 第 2 回 研 修 会 @ 市 民 会 館 休 憩 タ イ ム 千 羽 鶴 作 成 第 2 回 研 修 会 が 7 月 1 0 日 (日 )に 行 わ れ ま し た 。 午 前 中 は 原 爆 、 戦 争 に つ い て の 映 画 を み ま し た 。「 知 る こ と 」っ て 大 切 で す ね 。8 月 6 日 を な ん の 日 か 知 ら な い 若 者 、被 爆 者 の 方 た ち の 話 、 原 爆 を 落 と し た ア メ リ カ の 軍 人 た ち の 話 。 今 ま で 知 ら な か っ た こ と を 知 る こ と で 、 い ろ ん な こ と を い ろ ん な 見 方 で 見 た り 、 自 分 の 考 え を も っ と 深 め て い っ た り す る こ と が で き ま す 。 お 昼 休 み で だ い ぶ 打 ち 解 け ま し た ね ! 午 後 は ワ ー ク シ ョ ッ プ に 向 け て 練 習 を 行 い ま し た 。 自 分 の 意 見 を 積 極 的 に 言 う こ と 、 そ し て 相 手 の 意 見 を 聞 き 入 れ る こ と 。 こ れ か ら 社 会 に 出 た と き も と て も 大 切 で す ね 。 身 近 な「 平 和 」っ て そ う い う こ と な の か な と ワ ー ク シ ョ ッ プ 練 習 を し て い る み な さ ん を 見 て 、 そ ん な こ と を 思 い ま し た 。自 分 の 意 見 を 安 心 し て 言 え る 、そ し て そ れ を 認 め て も ら え る 。 当 日 の ワ ー ク シ ョ ッ プ は 初 対 面 同 士 で す が 、 積 極 的 に ね !

(42)

平和大使通信

40

【平和大使通信 No.2】 第 2 回 研 修 会 を 終 え て 感 想 ✿ 今 日 は 、映 画 を 見 た り し て 原 爆 の 被 害 が 良 く わ か り ま し た 。ワ ー ク シ ョ ッ プ で は 、み ん な と 協 力 し て 発 表 す る こ と が で き ま し た 。 当 日 で も 、 今 日 や っ た 練 習 の よ う に 発 表 で き る と い い で す 。 第 1 回 研 究 会 よ り も み ん な と 過 ご す 時 間 が 長 く て 、 一 緒 に お 昼 を 食 べ た り し て 、 前 回 よ り も 仲 良 く な れ た 気 が し ま し た 。 次 回 で 研 修 会 は 終 わ っ て し ま う け ど 、 今 日 学 ん だ こ と を 8 月 4 日 ~ 6 日 に 生 か せ る よ う に し た い で す 。 千 羽 鶴 も 教 え て も ら い な が ら 、 楽 し く 作 れ ま し た 。 (瑠 衣 ) ✿ 原 爆 に つ い て D V D を 見 て 、8 月 6 日 を 何 の 日 か 知 ら な か っ た り 、原 爆 に つ い て 私 が 知 ら な い こ と を 知 識 に で き て よ か っ た 。 目 を そ む け た く な る 時 も あ っ た け ど 、 広 島 で は も っ と 深 く 知 ろ う と 思 え た 。 ブ レ ー ン ス ト ー ミ ン グ で は 、 自 分 の 考 え を 相 手 と 共 有 し 、 グ ル ー プ で 発 表 し 合 う の が 新 鮮 で 、 自 分 に は な い 考 え や 意 見 を 聞 け て 楽 し か っ た 。 ワ ー ク シ ョ ッ プ の 時 は 初 対 面 の 人 と だ け ど 、自 分 の 考 え を し っ か り 持 っ て 、伝 え 共 有 し た い と 思 う 。鶴 は 頑 張 っ て 作 る 。 2 回 目 で 人 数 が 少 な か っ た け ど 、 そ の 分 1 人 1 人 と 多 く 話 せ た し 、 楽 し い 時 間 を 過 ご せ た 。 ま た 次 の 研 修 で も た く さ ん 話 を し て 、広 島 ま で の 時 間 で 友 情 を 作 り 、強 い も の に し た い 。( 真 璃 乃 ) ✿ 今 日 は 2 回 目 の 研 修 会 と い う こ と で 、た く さ ん の こ と を 学 べ ま し た ! 最 初 の D V D で 実 際 に 被 爆 し た 人 の 事 を 知 り 、ワ ー ク シ ョ ッ プ で は 2 つ の 方 法 を 使 い 発 表 で き ま し た 。ま た 1 回 目 の 研 修 会 よ り み ん な と 話 せ て よ か っ た で す 。 少 し 沈 黙 も あ っ た け ど 、 と て も 楽 し か っ た な と 感 じ ま し た 。 次 回 も み ん な と 仲 良 く 楽 し く 学 べ た ら な と 思 い ま す 。 本 日 は あ り が と う ご ざ い ま し た 。 (美 来 ) ✿ 2 回 目 で 一 緒 に い る 時 間 も 長 か っ た し 、ワ ー ク シ ョ ッ プ の 練 習 な ど で 、み ん な と た く さ ん 話 す こ と が で き て 、 ど ん ど ん 仲 良 く な っ て き て い る の で よ か っ た で す 。 原 爆 や 千 羽 鶴 の こ と も 、 今 ま で よ り 詳 し く 知 る こ と が で き ま し た 。次 は 表 敬 訪 問 な の で 、自 己 紹 介 を し っ か り 考 え て 、 き ち ん と で き る よ う に 、 市 長 や 議 長 、 教 育 長 も い ら っ し ゃ る の で 、 失 礼 の な い よ う に し た い で す 。 広 島 へ 行 く 時 の 荷 物 も そ ろ え 始 め ら れ る し 、 部 屋 割 り も 決 ま っ た の で 、 当 日 に 向 け て 心 の 準 備 を し て い き た い で す 。 (風 歌 ) ✿ 今 日 は 2 回 目 な の で 、 名 前 も 覚 え 、 前 回 よ り も 話 す こ と が で き ま し た 。 最 初 に 見 た D V D で 、 原 爆 の 怖 さ を 、 写 真 、 絵 、 被 爆 者 の 方 の 話 で 、 詳 し く 感 じ る こ と が で き ま し た 。 今 ま で は 、 日 本 側 か ら の 原 爆 の 様 子 を 調 べ て い た の で 、 ア メ リ カ 側 か ら の 様 子 も 調 べ て み た い と 思 い ま し た 。 学 校 で も 、 鶴 を 作 る の で 、 平 和 へ の 願 い な ど を 考 え な が ら 千 羽 鶴 を 作 ろ う と 思 い ま し た 。 次 の 研 修 は 最 後 の 研 修 会 な の で 、 今 日 よ り も み ん な と 仲 良 く し 、 新 し い こ と を し れ る と 良 い と 思 い ま し た 。 (真 由 子 ) ✿ 今 回 の 研 修 会 で は 、 こ の 前 よ り も た く さ ん の 事 を 話 す こ と が で き ま し た 。 自 然 と 笑 顔 も あ ふ れ て い た の で 、 良 か っ た と 思 い ま し た 。 今 回 は 映 画 な ど を 見 て 、 戦 争 の 恐 ろ し さ な ど を 身 近 に 実 感 し ま し た 。 つ ら い 思 い を し な が ら 、 私 た ち の よ う な 戦 争 を 知 ら な い 世 代 に 必 死 に 語 り つ い で い こ う と 協 力 し て く だ さ る 被 爆 者 の 方 の 話 を 聞 い て 、 胸 が 熱 く な り ま し た 。 次 回 の 研 修 会 は 、 市 長 へ の 表 敬 訪 問 な ど が あ る の で 、 し っ か り と 気 を ひ き し め て 取 り 組 ん で い き た い で す 。 (史 織 ) い よ い よ 次 に 会 う の は 当 日 で す ね ! ! 準 備 & 体 調 管 理 を し っ か り と ! !

(43)

平和大使通信

41

【平和大使通信 No.3】 。 広 島 訪 問 を 終 え て 8 月 4 日 ~ 6 日 の 広 島 訪 問 を 、み な さ ん が 怪 我 や 事 故 な く 、無 事 終 え る こ と が で き 、 本 当 に よ か っ た で す 。 訪 問 ま で の 研 修 会 で 、 学 習 を 進 め て き ま し た が 、 実 際 に 広 島 を 訪 問 し 、 被 爆 建 物 を 見 た り 、 ボ ラ ン テ ィ ア の 方 々 や 被 爆 体 験 者 の 方 の 話 を 聞 い た り 、 全 国 か ら の 小 中 高 生 と の ワ ー ク シ ョ ッ プ や 平 和 記 念 式 典 な ど を 体 験 し た り し て 、 千 葉 に い る と き に は 感 じ る こ と の で き な か っ た こ と も た く さ ん あ っ た と 思 い ま す 。 私 自 身 も そ う で す が 、 な か な か 体 験 す る こ と の で き な い 、 貴 重 な 機 会 を い た だ く こ と が で き ま し た 。 学 校 で み な さ ん を 推 薦 し て く れ た 先 生 方 、 広 島 に 行 く こ と を 承 諾 し て く れ た お う ち の 方 々 、 そ し て 今 回 み な さ ん に こ の よ う な 機 会 を 与 え て く だ さ っ た 市 原 市 そ し て 人 権 国 際 課 の み な さ ん に 、 感 謝 の 気 持 ち を 忘 れ な い で く だ さ い 。 そ し て 実 際 に 「 見 た 」「 聞 い た 」「 感 じ た 」、だ け で な く 、そ こ か ら 自 分 は ど う「 考 え る 」の か 、そ し て ど う 「 動 い て い く 」 の か 。 そ れ が こ れ か ら は 大 切 で す 。 戦 争 に つ い て 、 み な さ ん が ど う 考 え る の か ? 過 去 の こ と ? 忘 れ て は な ら な い こ と ? ・ ・ ・ そ し て そ の 考 え か ら 、 自 分 は ど の よ う に 動 い て い く の か ? そ れ が 大 事 だ と 思 い ま す 。 平 和 大 使 の 役 割 の 1 つ は 、 「 広 く 市 民 に 平 和 に 対 す る 意 識 を 高 め る こ と 」。 朝 か ら 晩 ま で 、 自 分 の 命 の 危 険 な く 、 学 校 に 通 っ た り 、 勉 強 を し た り 、 お う ち の 人 と 過 ご し た り す る こ と は 、 実 は 当 た り 前 の こ と で は な い の で す 。 7 1 年 前 の 日 本 で は 、 そ し て 世 界 で は 今 も 、 平 和 な 日 常 と い う の は 当 た り 前 で は な い の で す 。 だ か ら こ そ 、 伝 え て い か な く て は な り ま せ ん 。み な さ ん の 言 葉 で 、 仲 間 に 伝 え て い っ て く だ さ い 。 私 も 、 教 員 と い う 立 場 で 考 え 、 伝 え て い き ま す 。 今 ま で の 研 修 会 、 広 島 訪 問 で の み な さ ん の 表 情 は 、 と て も 真 剣 で 、 生 き 生 き し て い ま し た 。 そ の 一 生 懸 命 さ 、 素 直 さ が あ れ ば 、 こ れ か ら も い ろ い ろ な こ と を 吸 収 し 、 発 信 し て い け る と 思 い ま す 。よ く「 こ の 経 験 を 生 か し て 」 と 言 い ま す が 、 平 和 大 使 と し て 何 を 学 ん だ の か 、 自 分 で 何 を 考 え た の か 、 そ し て こ れ か ら ど う 行 動 し て い く の か が 、「 生 か す 」 と い う こ と だ と 思 い ま す 。 平 和 大 使 と し て の 役 割 は ま だ 始 ま っ た ば か り か も し れ ま せ ん 。 各 校 で の み な さ ん の 活 躍 を 期 待 し て い ま す ! 平 成 28 年 8 月 2 4 日 No.3 発 行 者 : 若 葉 中 佐 伯 愛 香

(44)

(参考)市原市の平和祈念事業

42

平和 首長 会議

平和首長会議は、原爆により数多くの尊い命が奪われた広島市や長崎市が中心となり、 その悲劇が二度と繰り返されてはならないとの信念のもと、都市間の連携を図りながら 核兵器のない平和な世界を実現することを目的に設立されました。 核兵器の廃絶を求める国際世論は、アメリカ のオバマ大統領が平成 21 年 4 月のプラハ演説で 「核兵器のない世界」の実現を提唱したことに より、機運が高まってきています。 市原市は、市議会において非核平和都市宣言 をしてから 25 周年の節目を迎えたことを機に、 その基本理念や活動主旨に賛同し平成 22 年 4 月 1 日付けで加盟しました。 ※平和市長会議は、平成 25 年 8 月から「平和首 長会議」に名称変更されました。

平和 大使 派遣 事 業(平成 26 年 度~)

市議会において「非核平和都市宣言」を決議してから 30 年の節目となった平成 26 年 度から平和大使派遣事業を実施しています。 【平成26 年度】 【平成 27 年度】

参照

関連したドキュメント

〜 3日 4日 9日 14日 4日 20日 21日 25日 28日 23日 16日 18日 4月 4月 4月 7月 8月 9月 9月 9月 9月 12月 1月

本審議会では、平成 30 年9月 27 日に「

春学期入学式 4月1日、2日 履修指導 4月3日、4日 春学期授業開始 4月6日 春学期定期試験・中間試験 7月17日~30日 春学期追試験 8月4日、5日

大正13年 3月20日 大正 4年 3月20日 大正 4年 5月18日 大正10年10月10日 大正10年12月 7日 大正13年 1月 8日 大正13年 6月27日 大正13年 1月 8日 大正14年 7月17日 大正15年

第1回 平成27年6月11日 第2回 平成28年4月26日 第3回 平成28年6月24日 第4回 平成28年8月29日

11月7日高梁支部役員会「事業報告・支部活動報告、多職種交流事業、広報誌につい

会  議  名 開催年月日 審  議  内  容. 第2回廃棄物審議会

(1) 学識経験を有する者 9名 (2) 都民及び非営利活動法人等 3名 (3) 関係団体の代表 5名 (4) 区市町村の長の代表