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駒澤大学佛教学部論集 8 021袴谷 憲昭「Bhavasamkrantisutra : 解説および和訳」

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全文

(1)

Bhavasamler

吻

ntisittra

解 説

お よ び

和

訳

袴

 

谷

 

憲

 

昭

は

 

じ

 

め

 

に

 

か つ て筆 者は , 唯 識 思 想 史の 流れ に お い て ,

Bodhisattvabhtimi

(

BBh

)

所 引

の

1

偈

に 注 目 した こ と が あっ た1) 。 本 稿は , こ の

1

偈

を含 む

Bhavasaqzkrantistitra

(

r

生存の転移 とい う経』,

BhSS

)全

体

を

考察

の

対象

とし て, い さ さ か 検 討を加 えて み よ う とす る もの で あ る。 まず,

BhSS

の 思想 史上 に おけ る意

義

を 明らか にす るた め , 必 要 事 項を

選

ん で 解 説を施 し, 次に ,

BhSS

全 体を チ ベ ヅ ト訳を

底

本に

和 訳

し,

註記

と

共

に 提 示

す

る こ とに し たい 。

 

しか るに , か か る 目的を もっ た 本

稿

が , 最も あ る ま じ き研 究

態

度 の 上 に乗 っ て

筆

を進め ね ば な ら ぬ 事 情に ある こ とを こ こ で 白状 し て お きた い 。 誠に

筆

者 の怠

慢

とい うべ きで あろ うが ,

本 稿

を

草

する

直

前

まで ,

BBh

の 問

題 箇所

を

Wogihara

本で し か

見

て い なか っ た

筆 者

は ,

参考

まで に

Dutt

本を

開

い て み て

愕

然 と し た 。

BhSS

の サ ソ ス ク リッ ト原 典が , 

A

. 

Sastri

に よっ て 既 に

校

訂 出

版

され てい る ら し く, 脚 註 は極 く当 然 の こ とと し て その 校 訂 本 を 指示 し てい た か らで ある Z) 。

調

べ た結 果, それは ノ

burnal

 of 

Orienta

 

l

 

Research

, 

Madras

(

V

−

4

)

誌

上 に 公けに さ れ た もの で , 公

刊

の

年

は

雑誌

の

巻 数

か らみ て

1931

年

の こ と ら しい 3) 。

 

か な り以 前 の , し か も原 典に

関

す る先 人の

業 績

を

参

照 しない など, 全 く

言語

道 断の 所

業

で ある か ら, 本

稿

を草 する こ とは , そ の 雑 誌入 手まで 当 然

断念

す べ きは

1

) 拙 稿 「唯 識説に お け る法 と法 性 」『駒 大仏 教学部論集』 第

5

号 (

1974

), p ,

13

,註

57

.

2)

Bodhis

αttvabhtitni ed . by N . Dutt , TSWS , Vol . 

VII

,1966 , p .

32

, n  

3

.

3

)

S

.

Hanayama

, 

BibliograPhy

 on  

BnddhismJ

 

1961

, P.

647

, 

No

.

11590

の 記 事に よ る。

 た だし, 同 じ雑誌に発表さ れ た

A

.

Sastri

の 他の論文の記事 (Nos .

11588

−

9

)に 較べ

 る と甚だ簡略なの で , あるい は実際に 参 照 し た上で の 記載で は ないか も し れ な い 。

 

BhSS

の 校訂と翻訳を扱っ た もの で ある らしい との判断は , こ の 些細な記事に よ る も

 の で ある。

(2)

(

14

)

Bhavasamlera

−ntisu−tra (袴谷 )

ず

の もの で

あ

ろ う。 し か る に ,

敢

えて そ うしな か っ た の は 次の 理 由に よ る。 日本 の 斯 学

会

に おい て , こ の 雑誌の , 少な く と も当 該 の 号は極め て 入手困難で 4) , と て も近 々 入 手 し うる とい っ た

性質

の もの で は な い こ と。 ま た ,

Dutt

が

脚 註

に お い て ,

BhSS

の 末 尾 を

意味

す る

引

用に つ

き

,

校 訂

本

第

5

頁 を指 示 してい る こ と よ り,

巻

頭に さ し て詳 しい 解 説 が

付

され て い る とは

考

え られぬ 5) こ と 。 以上 の 理 由 で , 解 説を 主 とす る本

稿

が , 当

該

雑 誌入手 後 も全 く

無意

味に な る わ けで は ある ま い と考え , 無

謀

を承 知の上 で , 敢 えて 鉄面 皮 の 振

舞

に 及ぶ

次第

で ある。 勿 論 , か く言 っ た か らとて , 入 手の

努 力

を

怠

るつ もりは な く, 入手で き

次

第,誤 りがあれ ぽ 即 刻

訂

正す る

機 会

を も ちた い と思 っ てい る。

解

説

 

原

典

と訳

本

 

BhSS

の サ ン ス ク リッ ト原 典は 公 刊されて はい るもの の , 上 記の ご と

く

,

現在

の

筆者

に は

見

る

機

会

が

恵

ま れ て い ない 。

直

ちに参 照 し うる訳 本は ・ 漢 訳

3

本, チ ベ ッ ト訳

1

本 の , 計

4

本で あるが , 大 略は 互い に ほ ぼ 一致 する6) 。

 

以 下に , そ れ ら訳 本の

題 名

と

訳

者

名

を列 挙 し て お く。

     漢  

訳

1

)

 

仏説大方 等 修 多羅 王経,

後

魏

 

菩提流支 (

Bodhiruci

)訳, 大 正 , 

No

.

575

, 

Vo1

・

14

,

948c

−

949

 a

2

) 仏 説 転 有 経, 元 魏

 

仏 陀扇 多 (Buddhasiinta)訳,大正 ,

No

.

576

, 

Vol

. 

14

,

949a

−c

3

)

仏 説 大

乗 流転

諸

有

経 , 唐

 

義 浄 , 大正 ,

No

.

577

, 

Vol

.

14

,

949c

−

950b

      チ ベ ッ ト訳

4

)

 

hphags

 

pa

 

Srid

 

pa

 

h

 

Pho

 

ba

 shes  

bya

 

ba

 

theg

 

pa

 chen  

pob

 

i

 mdo , 

Jinamitra

,

DanaSila

, 

Ye

 

Ses

 sde 訳, 

P

. ed ., 

No

.

892

, 

Tshu

,

185a8

−

187a1

:

D

. ed .

, 

No

. 

226

,

Dsa

,

175a6

−

177as

 

漢 訳 者 中,

菩

提 流 支, 仏 陀 扇 多は ほ ぼ 同時 代 の 人で あ り, 共に

中

国に 唯 識

系

の 経

論

を

伝

え た

翻 訳者

である7) こ とは ,

BhSS

の

系統

を

知

る上で も注 目して お い て

4

)

 

国会図書館 と東 大 印哲で調べ た が , 前者に こ の雑誌は な く,後者に もこ の 巻を含む  古い年次の もの は所 蔵さ れて い ない 。

5

)

 

も し後半に長 文の解説 もし くは 註 記が 含ま れて い る な ら話は 別で あ る。

6

) 細部の 相違に つ いて は , 末 尾和 訳の 註 記を参 照の こ と。 特に 註

69

, 72を見 よ。

7

) 前 者は

508

年, 後老は525年に洛陽に至 る。 年 代に つ い て は ,平 川 彰 『イ ソ ド ・中

 

国 ・日 本仏 教通 史』p .

79

の 記述に よる。 なお , 両者の 中国翻訳 史 上に お ける 役割に  つ い て も 同頁を参 照さ れ たい 。 一

301

冖一

(3)

        BhaVasaPtkrantisu

−tra (袴谷)

       

(15 ) よい 事

実

で ある。 義 浄は ,周知 の ご と く,イ ソ ドへ 留 学 し

r

南

海

寄 帰 内

法伝

』 を 著わ し, 根 本説一 切有 部 律を将 来 し た 人 と して 著 名で あるが ,彼とて 唯 識経 論 の 伝 来に 無 縁の 人で は な い 8)。

 

チベ ッ ト訳 に お い て も・

特

に

Ye

§es sde は

唯識

系

経 論

の

伝

訳を本

務

と し て い た の で は ない か と思わ れ る

節

が ある9〕 が , そ の 問

題

は さて お き, こ こで は

BhSS

チ ベ ッ ト訳 の colophOn を注 目す るに 止 め た い 。 そ れ は次 の よ うな 興

味

深い

記録

を認め て い る。

  

rGya  9・ ・ 9),

i

 mlehan  

P

・

D

・

i

…  mi  t・a 伽 /

Da

 n

・

9i

 1・  

dan

/Shu  chen  gyi・

1

・

 

tstsha 

ba

 

ban

 

de

 

Ye

 

6es

 sdes 

bsg

アur ‘訪 shus  te/shα

d

 

gsar

 chad  

feyis

尠如

bcos

  naS  gtan  

la

 

Phab

 

Pa

//

  

イ ソ ドの学 者

Jinamitra

と Dana §ila と, 大 校 閲翻訳官 ・沙 門

Ye

 i es sde とに ょ っ

 

て翻 訳 ・校閲され, また欽定 新 訳語に よっ て も, 訂正され確認 された もの 。

 

こ の colophon に よ る と , 

BhSS

は

, 欽 定

新

訳 語 (skad  

gSar

 chad )が

制定

さ れ

た

814

年

以 前に , 既 に

Ye

§es sde らに よ っ て 訳 出され てい た こ とに な る。 それ

は チ ベ

ッ トの 訳経 事 業が開 始 さ れ て 問 もない 時 期に 当る と思 われ るの で,

BhSS

は , 訳経 上 早 くか ら重

視

さ れ て い たの で あろ う

。 ま た ,

BhSS

は チ ベ ヅ ト

最

古の

IDan

 

4

加 ア ma 目録 に も,

ク

Phags

 

Pa

 

Srid

加

妙

んo 

ba

の 題 名で 記 載 さ れ て

い るt°)

。 本 目録 の 成立 は ,

812

年 とも

824

年 と もい わ れ て い る11)が,

後

者 の

説

に

8

)

 

『掌中 論』『成 唯 識 宝生論』『観 所 縁 論 釈』な ど

Dignaga

,

Dhartnapala

の 伝 訳 が あ る。

9

)

 

拙稿 「

Sahs

 rgJ ,as  

gtSO

 

bohi

 rgya  cher  

bgrel

 

Pa

一

解 説お よび和訳 」『駒 大仏教学

  

部研 究 紀要』 第 35 号 (

1977

)特に p .

8

,註

32

参照の こ と。 なお , 同 p.

1

,註

2

で

Shah

 

を未 詳 とし た こ とに つ ぎ

, 山 口 瑞 鳳先 生 よ り

Shah

は 舅の shah で

Ye

 

ges

 sde が外

 

威 sNa  nam 氏 出身で ある こ と と 矛盾す る もの で は ない との 御 教 示を 得た。 一ヒ1亅1大峻

 

「エ セ イデの 仏教綱要

書」 『仏 教 学 研究』第

32

−

33

号 (

1977

), p ,

22

の 記述は shah と

 

sna  nam を対 立 する もの と みて お ら れ る よ うで ある 。 「舅の 三 家 (shah  

gsum

)」と し

 

て の pNa  nam に つ い て は , 山口 瑞 鳳 「「吐 蕃 」 の 国号 と 「羊同 」の 位置一

1

『東洋 学報』

 

第

58

巻

3

−

4

号 (

1977

), p .

57

参 照。

10 )

 

S

,

Yoshimura

,

‘‘

The

 

Denkar

・

Ma

, 

An

 

Oldest

 

Catalogue

 

of the

 

Tibetan

 

Buddhist

  Canons

”

(芳村 『イ ソ ド大 乗仏 教 思 想研究』所収 ),  p ,

21

, 

No

,

223

.

11)

812

年説は

G

.

Tucci

, 

Mimor

 

Buddhist

 

Texts

, Pt . II, 

p

, 

48

.

824

年 説は 芳村上掲 書,

 

pp .

113

−

114

.最近 , 山口瑞 鳳先 生は, 駒沢 大学大学院の チ ベ ッ ト仏教史の講 義 (今年,

 

6

月

24

日)におい て ,

Tucci

説 を否定, 芳村博士 と は別な論 証に よっ て , 824 年説を

 

支持され た 。 その 講 義を 拝聴す る機会に 恵ま れた筆者は , この説に従いた い が, 先 生

 

の 論文が 公 け に される まで は , 白説で ない が ゆ えに , 決 定 的に 一方を採用するこ とは

 

礼儀上 差 控 え るべ きと思 う。 従 っ て 以下 暫 定 的 な記述 と なる。 一

300

一

(4)

(16)

       

.

BhaVaSamplera

’ntistitra (袴谷) よれ ば, 目録 記 載の 折 に は,

BhSS

は既に 欽

定親

訳 語に よっ て訂正 確 認 されて い たは ずで ある。 上記の colophon で は , 誰に よ っ て 訂正 さ れ確 認 された か は , 必 ず しも 明確で は ない が , 欽

定

新 訳

語

の

選

定に か か わ っ た

熟 練

の 翻 訳 官 (mlehaS  

Par

chud  

Pa

) と し て

常

に

筆

頭に 列せ られ る

Ye

§es sde  12)が ,自ら

BhSS

チ ベ ッ ト訳 の

訂

正 確 認に立合っ た に せ よ, しない に せ よ ,

IDan

 

dhar

 ma 目

録

の 成 立が

824

年だ とすれ ば , 彼が 中心的に 活躍 した 年 代は

814

年

以 前 の 方へ よ り

多

く傾む くで あろ う。 しか し, 先の colophon が , そ の 訂正確 認と同時に ,

現

チ ベ ッ ト大

蔵

経 どお りに

付

さ れ てい た もの か ど うか は

今

の とこ ろ 明 確に 追 認 す る術 を もた な い ・3)。

Bu

 stOn の 目録 を

検

す る も, 

BhSS

は

70

シ ュ ロ ク (

Su

 

log

)か らな る

Ye

Ses

 sde の 訳 と し か 記 述され て お らず, 欽

定

新 訳

語

に よ っ て

訂

正確 認 さ れた との 記

述

は

含

まな い 14)。 ただし,

Bu

 ston の

分

類で は ・ こ の

BhSS

が ・ 三 転 法 輪

(

hkltor

 

lo

 rim  

Pa

 

gsum

)中の 最 後, 勝 義 決

択

の

転 法輪

(d・n 

dam

 rnam

 

Par

 fres 

Pabi

hlehor

 

IO

 

bskor

 

bahi

 

bleah

)の も とに , 種 々 の

大乗

経 典 (theg 

Pa

 chen  

Pohi

 md ・ sde sna  

tshogs

) と し て

列 挙

されて い る15)こ とに は , 

BhSS

の 系

流

上充 分 注

意

を払 っ て お く価

値

が ある で あろ う。

 

結 偈 第

2

偈

BhSS

は , 行 為 (karman )の 連 続が い か に して 可 能かを

説

く

経

で あ るが, その趣 旨を説 く散 文

箇

所 を結ん で , さ らに

7

偈

が述べ られる 。 こ の 散 文 箇 所と

結

偈との 関 係は, 一

見

するに 必 ず しも

密

接な関 係 を もっ た もの とは 思わ れ な い が ,

BBh

に

引

か れる

1

偈は , こ の 結 偈 中の 第

2

偈

に 当 る。 ま た , こ の

第

2

偈

が極め て 重

要

な

意 義

を もっ たで あろ うこ とは , 他の

論書

に おける

引

用 も, こ の 第

2

偈

に 集 中 し てい る こ とか らも窺い 知 るこ と がで きる。 以下 に , こ の第

2

偈

引

用の

軌跡

を辿 っ て み よ う。

12

)

 

“

lo

’3δ

ba

 mkhas  

Par

 chud  

pa

 Dsia  na  se na (=Ye 

6es

 sde )

dah

■■_. 

la

 sogs  

pas

 

th・

g

・

P

・ ・舵 ・鰄 〜・吻 ・カゐ・

hi

・rgya  g・ ・ 翩

1

・s 

b

・

d

・

kyi

・ん・〃 ・ か・

8y 鰐

妣 ・・…

”・

 

sGra  sb冫・or, 

P

. 

ed

.J 

No

,

5833

.歯o,

2a2

 

ff

, お よび

Bu

 ston , 

Ches

 

hby

”

h

, 

Satapitaka

,

 

Vol

.

64

, 

f

.

8916

(

Ya

,

130a6

)

ff

に 同 じ記述が み ら れる。

13

) た だ し, 次の よ う な事例は ある。 後註55で指 摘 するよ う に , 同 じ く

ll

)an  

dkar

 ma

 

目録に 記載さ れ る

Ye

 ges sde の訳経

BhSS

と

PPSS

とで は , そ の間に 訳風の 相違

 

がみ られ る 。 こ の原 因を, 前 者が欽 定 新訳語に よ っ て改め ら れ たこ とに 求め う る な ら

 

前 者の colophon は か な り信 頼度 が高ま る で あろ う。

14

) ・

S

。

id

 

P

・ 

bPh

・ 

b

・

hi

・md ・

S

・・

1

・

9

伽 …

 

Y

・

9

・・ sdψ∫ゐ8y・ 若 ”

B

・ ・t・n,前掲書・

  f

.

9364

(Ya ,152b り.

3009u

 

log

で 1bam  

po

と数える 。

15)

 

第三転 法輪に 属す ものは , Bu ston , 前 掲 書,  f.

9242

(

Ya

,

146b2

)ff.種 々 の大 乗 経

 

典とし て

SNS

, 

LAS

な ど と共に挙 げ られて い る(

f

.927 )こ とに 注意。

(5)

BhavaSaPtkrdintisu

−tra (袴谷、 (

17

) ま

ず

,

BBh

に お い て は, 次の よ うな

箇

所で 引 用が な され る

16)

。

  

aptagamato ’

pi nirabhi1 巨

pya

−svabhavak  sarva −dharma  veditavyah /yath6ktarp bhaga ・

 

vata  evam  ev 直rtha 町1 gathabhigitena paridipayat毳

BhavasarpkraMntisu

−tre /

   yena

 yena hi n2mn 且 vai yo yo 

dharmo

’

bhilapyate

/

   na  sa sarp  vidyate  tatra dharmatparp  s薮

h

三

dharmata

//

 

iti

/

kathafi

 ca

 

punar

 

iyaip

 

gatha etam  evartharp

 

paridipyati /

 

rUpfidi ・samjfiakasya

 

dharmasya

 yad  rttpam  

ity

 evam 豆di n巨ma /yena rUpam  

ity

 evam ・袞dina nEmna  te rUpadi ・

 

sarpjfiaka  

dharm

盃 abhilapyante ’nuvyavahriyante  rapam

 

iti

 v亘 vedan6ti  v巨 vistarepa

 

yavan  nirv   am  

iti

 va

/

tatr“na  ca rUpadi ・sa 【pjfiak且 dharmAb  svaya 卑 rfip 盒dy −Atmakalp /

 

na  ca te$u tad−anyo  rUpady ・豆tmako  

dharlno

 vidya 亡e/ya punas  te§arp rUpidi ・samjfiak 互n颪ip

 

dharm 如 a甲 nirabhil 百pyenarthen  avidyam 盃nat 互 sai 頭 paramArthatah  svabhava −

dharmata

 veditavy 盃 /

  

すべ て の 存 在 が言 語表 現を越えた 性 質の もの で ある とい うこ と を , 信頼 すべ き聖 典に

 

よ っ て も, 知 るべ きで ある。 世尊は , 以上 と同じ意 味を, 偈の 朗詠 171 に よっ て 明示 しよ

 

うとし て , 『生 存の 転 移 とい う経』(

BhSS

)に お いて , 次の よ うに お っ しゃ っ た 。

   

実に , そ れ ぞれの 名称に よっ て , そ れ ぞれの存在が言語表現され るが,       補 註*

   

それ は, そこ に は存 在 し ない 。 それ こそが諸 存 在の あるがま まの 姿で ある 。

 

と。 また , こ の 偈は,どの よ うに して ,この 同じ意味を明示 し て い る の か 。 物 体な ど と命 名 される存在に は , なん で あれ , 〔それは〕 物 体で ある, な ど とい うよ うな 名称が ある が,その , 〔そ れ は〕物体で ある ,な ど とい う名称に よ っ て , 〔そ れは〕 物体 だ とか , ある い は 感 覚だ とか , ない し詳細に ,涅槃だ とい うに い た るまで の IB} , そ れ らの , 物 体な ど と 命 名され る諸 存 在が,言 語表 現 さ れ, 言 葉に発せ ら れ る。 し か し,そ こ に お い て ,物体な

 

どと命 名さ れ る諸存 在は , それ 自体で , 物 体な ど を本 質 とする もの で は ない 。 ま た ,そ れ

 

ら 〔諸 存 在〕に お い て , 物 体な ど を本 質 とする存在が, そ れ とは 別に 存在す るの で もな い 。 さ らに ,そ れ らの , 物 体な ど と命名さ れ る諸 存 在は , 言 語 表現を 超 え た意味に よれ ば,存在 し て い る もの で ある19)が , ま さに その こ とこそ が , 真 実の あ り方 とし て ,本質 的 な あるが ま まの 姿で ある と知 るべ きで あ る。

16 )

BBh

, 

Wog

量hara ed ., p .

48

, Il,

9

−22 ;Dutt ed ., p .

32

,

1

.

23

− p .

33

,1.

9

: 曇無讖訳 , 大

 

正,

No

.

1581

,

30

巻,

894c

−

895a

: 求 那跋 摩訳 ,大 正

, 

No

.1582, 同, 970a −b :玄 奘訳,

 

大正,

No

.1579 ,同 ,

489a

二

Tib

., 

P

. ed ., 

No

.

5538

, 

Shi

,

32a6

−

b3

.な お, こ の 箇 所は 既に ,

 

山口益 『仏教に お ける無 と有 との 対論』, p .

512

で論 じられて い るの で 参照の こと。

17)

BHSD

, abhiglta の項参 照 。 gathfibhigitaは

dvarpdva

の 場 合と tatpuru $a の場 合

 

と があるが,こ こ で は

Tib

.“

tshigs sesδ

ead

 

Pahi

 db)’afts ”に よ り後 者で 解 す 。

18

) 物 体 (ritpa )ない し涅槃 (nirvarpa ) に つ い て の 内容は , 拙稿 「弥 勒 請 問 章 和 訳」

  

r

駒大 仏 教 学 部 論集』 第 6 号 (

1675

), 特に p .

4

, 註 13で 述べ た よ うに , 物 体 (rapa )

 

ない し仏法 (

buddha

−dharma )の 記述が参 考に されるべ きで あろ う。 19) 上 掲 拙 稿 ,p .

10

,分 節 (26 )参 照。 一

298

一

(6)

(18)

Bhavasanzlerdntistitra

(袴谷)

 

引

用か ら知 られ る よ うに ,

B

一劭 の こ の段 は , 前 段 の 理 証 (yukti )に よる論

述

を受け て ,同 じ主題を経 証 (agama )に よ っ て述べ よ う とす る

箇

所 で あ る か ら, こ の

BhSS

の 結 偈 第

2

偈 の 引用 は極め て重 要な

意 義

を も つ 。 

BBh

に 対 する

Sagaramegha

の 註 釈は こ の 段を

次

の よ うに

説

明 す る20) 。

  

こ の よ うに , まず理 証に よっ て, すべ て の存 在が言語 表 現を越え た 性質の も の で ある

 

(sarva ・dharma  nirabhilapya ・svabhavab ) こ と を 成 立 し た の で , 〔次に そ れ を〕 経証に よ

 

っ て も成立 し ょ ら と欲 し て ,偈の意 味に よ っ て説示 するため に , 「実に , そ れ ぞ れ の 名

 

称に よっ て (yena yena 

hh

巨m 癜 vai )」 な どと 〔い うの で あ る。その〕 うち, 「そ れ ぞ れ

  の もの に よっ て (yena yena )」 とい うの は ,そ れ ぞ れ の言 語 表現 (abhilapa ) に よ っ て ,

  とい うこ と。 「それぞれの 存 在 (yo yo dharmab )」 とい うの は ,他に よ る性質 (paratantra・

 

svabhava )で ある。 「言語表現される (abhilapyate )

21]」 とい うの は

, 仮構され る (pari・

 

kalpyate ) こ とで あ る。 「そ れは (sah )」 とい うの は, 仮構さ れ た 性 質 (parika1Pita

−

 

svabhava )で ある。 「そこ に は (tatra)」 とい うの は, 他}こ よ る性質に お い て 〔とい うこ

 

とで , そこ に おい て〕は,

 

〔仮構された性 質が〕 存 在す る こ と はない の で ある 22) 。

 

ま さに ,

BBh

の

意

図

す

る経

証

の

役割

を充 分に 説明 しきっ た 註 釈 とい う べ きで あろ う。 確立 さ れ た

唯 識

思

想

の

体

系に おい て は , 仮

構

された性

質

(parikalpita −sva−

bhtiva

) が他に よ る性

質

(paratantra−svabh5va )

trC

}

t 存 在

しない とい うこ と (= na  sa

sa 【pvidyate tatra), そ の こ と が

完

成 した性

質

(parini$panna ・svabhava )に ほ か な らな

い 23)か らで

あ

る。

註釈

は充 分に その

意 味

を

汲

ん で い る と思わ れる が , そ れは 逆に 唯 識の 立 場か らの読み込み 過 剰 を示 す もの なの で あ ろ うか 。

 

事 実, 他 の 論 書に お け る こ の 偈の 引 用は , そ れ が単に 唯 識 派の 経 証た る に 止 ま らず,

中観派

に とっ て も経

証

とな り うる こ と を示 して い る。 こ の偈は ,

Bhtivavi

−

 20

) P .

ed

, 

No

.

5548

, Ri,

83b3

−5.註

釈者

S

霤aranlegha は ,

Taran

盃亡

ha

, 

C

加 3 妙ヅ3婉・

Schiefner

  

ed . pp .

166

−

167

: 寺本和訳, 

pp

.

295

−

297

に よれば, 

Kri

 sroh  lde btsan と 同時 代と さ

  

れ る ,イ ソ ド西方 Cakrayudha 王 の時 代の 人 とし て 記述さ れ , 「菩 薩地の 註 訳が非 常に

  

有名 (

Byah

 s如 縁 876J 

Pa

 ni grags  chebo )」 と あ る。 こ の 記 述のみ に よれば

8

世紀     の 人 とい うこ とに な る。

 

21

) 以上の “

yo yo dharmo ’

bhilapyate”

は,“

chos rnams  

gafi

 

dah

” と “gah  

brjod

   Pa

” に 分けて註 釈 さ れ て い るの で ,前は “ yo dharmab ”,後 1ま “yo ’

bhilapyate

” と な    っ て い たの か も し れ ない が,訳の意 味が通 りやすい よ うに 変 えてみ た。

 

22

)

 

以下 註 釈が続 くが, 第

1

偈お よ び第

3

偈に も言 及 がな さ れ るの で , 和訳 中の 註記89     に て これ を訳 す。

 

23

)

MS

, 

II

,§

4

, “

」,ohs  su 

grub

 

Pahi

 mtshan  ftid 

8ah

 she nα

/gah

 

gshan

 

gyi

 

dbah

  

gimtshanhid

 

de

 

fiid

 

la

 

don

 gyi mtshan  

fiid

 

de

 

gtan

 med  

Pa

 faid 

do

/

/

”・

  

T

ガ ηz訂 々δ,v.

21cd

‘‘

ni蕁pannas tasya (=paratantrasya )

 

pOrvepa (= parikalpitena)sad 亘     rahiata ”.

(7)

Bhavasa7

?zkrantistitra (袴谷) (

19

) veka (,

Bhavya

)の

Tarka7

’

vald (

Tl

)お よ び

Kamala

§

ila

の

Tattvasaqzgraha

・

Panjikd

(TSP ) に 引 用され るが , い ずれ の 場 合も 自らの 立 場を

論 証

す る た めに 用い られ てい る 。 前 者に つ い て は , 既 に 山 口益 博士 よっ て詳

細

な

論

及 がな されて い る24)の で ・ こ こで は 先に み た

Sagaramegha

の

註

釈 との 比

較

を な

す

に 必要 な

箇

所の み を

紹

介 す るに 止め たい 。

  

「25)

実に, そ れぞれ の名称に よ っ て (yena yena hi narnna  vai )」 とは個 別 ・一般 相

 

(sva ・samanya ・1akSarpa) 

e

こ つ い て表 現 する種 々 な る名 称と文 字 と を性 質 とするもの に よ

 

っ て , とい うこ と。 「そ れ ぞ れの 存在が 言語 表 現 される (yo 

yo

 

dharmo

’

bhilapyate

)」と

 

は , 物 体な ど言 語表 現 され るべ ぎ もの の言 葉に よる表 現。 「そ れは , そこ に は存在し な

 

い (na sa sarpvidyate  tatra)」 とい うの は, その存 在に お い て ,名 称と して の , その言

 

語表現 (abhilapa )が存 在 し ない こ とで ある。 なぜな ら, 諸存在は , 文 字を離れ た 性質

 

の もの (

yi

 

ge

 med  

Pabi

カO 

bo

 

fiid

)だか らである 。 (中略 )

26) 「そ れ こそ が , 諸存在の

 

ある が ま まの 姿で ある (dharm 鋤百!p sa 

hi

 

dharmata

)」 とい うの は , その言語表 現を超

 

え た もの こ そ, 諸存在の 真実の あ り方 (param 且rtha ) に ほ か な らない 二 と。 日常の あ り

 

方に お い て は (samv ;titab ), 識 別せ ん がた め に 名称を 設定 し, 符牒を使用 し, また そ れ

 

らに ょ っ て , その 本質 (svabhava ) の 区別に 従い ,「こ れは 牛で あ るが, 馬で も 人で も   ない 」 な ど と了解 する 。 その 本質こ そ ,牛 とい う対象 (go ・vi $aya )に ほ か な ら ない の で

 

ある。 (中略) そ れ ゆ え, 対象 (artha =vi$aya )は , あ ら ゆ る様 相に お い て , 名 称の欠 除

 

し た もの (nama −Sitnyatva)で ある か ら, そ れに よっ て , 事物 (vastu )の 本 質が 言語表

 

現 しえ ない とい うこ と は,我 々 〔唯識 ・中 観〕両派に お い て も, 共通 した こ とで ある 。

 

以 上 の

引

用を

踏

ま え て,

唯識

派に 立つ

Sagaramegha

と中

観

派に 立 つ

Bhava

. viveka との , 同 じ偈に

対

す る解 釈 の 相 違を

検 討

して み た い 。 

Bhavaviveka

も認 め て い る よ うに, vastu が nirabhiltipya で ある こ とは 両 派 に

共通

して い る 。 と

こ ろ が , 唯 識派 に と っ て は , vastu  = 

dharma

は

paratantra

−svabh 五va であ り , 認 識 主 体 (vijfiEna ) こ そ その 性 格を有 す る もの で あ る が , さ らに 「そ の認

識

主体 は , 縁 起 し た もの で あるがゆ えに ,

実体

と して

存 在

する (

dravyato

’ sti) と

認

め る べ き もの 」27)で あ る 。 一・ 方 , 中 観派 に とっ て は , その よ うな「認 識主体は , 認

識客

体

同

様

, 日

常

の あ り方に おい て こ そ (samvrtita  eva )存 在 し うる もの で あっ て, 真

実

の あ り

方

とし て (paramiirthatah )存

在

す る もの で は な い 」。 vastu =

dharma

は ,

24) 山 口益前掲 書 , pp .

511

−

517

参照 。

25

)  P .ed ., No .5256 , Dsa, 244a1 −b2.

26

) こ の 中 略箇 所は ,本 稿 註

43

の下 に 引用 する。

27

)

  

TVBh

・

S

・

L6vi

 ed ・J P ・16・L16 , “

vijfianarp  punab  

pratltyasamutpannatvad

 

dravyato

  ,

stity abhyupeya 卑 /,,,

(8)

(

20

)

Bhavasa

η

tkrantisntra

(袴谷)

7

ア

が こ の

箇

所 の

直

前に い う よ うに28)

,

真実

な らざる もの (yait 

dag

 

Pa

 min , abhit ・

tatva)で あ り, しか も真

実

で ない か らこ そ ,

外 的対象

(

bal

・yartha)と し て , 日常

の あ り方に おい て 成立す る, い わ ば通 常 の 「事物 (chose )」 である

。 し か し, 唯

識 派に とっ て は ・ そ の vastu =

dharma

は 同じ く真 実な らざる もの で あ りな が ら ,

認 識 主 体そ の もの (abhitta −parikalpa = vi垣ana)で あ

っ て 29) , そ れは

実

体 とし て存 在 す る (

dravyato

’ sti), い わ ぽ空 間に 並 置 さ れ ない 一種 の

精 神的

「

実在

(rdalite )」 で あ る。 こ こ に , vastu =

dharma

に 対 す る両 派の ニ ュ ア ン ス の 相 違が窺え る よ うに

思

わ れ る。 こ の 相

違

は ・na  sa  sarpvidyate  

tatra

の解 釈に も自ず と現わ れ て く る。 い ずれ の 立 場に ぜ よ・ こ の 句 が

paramartha

の

観点

か ら言われてい る こ とに

疑点

は ない であろ うが , 唯

識

派に と っ て は , 空 間に 並 置 され ない

精 神 的

実 在は あ くま で も実 体 と して

存在

し, そ の 「実 在 (vastu )」 に 対 し (ニ tatra), 空 間化 され

外

在化

さ れ る言

語

の 及ばぬ点 を

dharma4aip

 

dharmata

 = nirabhilapya とい うわ けで あ

る。 し か る に ・中 観 派に と っ て は ・ sarPV ;ti と して 認め られる空

間

化され外

在

化 さ

れ た 「事 物 (vastu  = 

dharma

 = 

b

盃

liyartha

)」 は , い か なる もの で あ れ

paramartha

と

し て は

常

に 言 語を離れた もの で ある こ と (yi 

ge

 med  

pahi

 ito 

bo

 

itid

二 nirabhilapya =

nihsvabhava )を

直

ちに

意 味

し て い る。 こ れに

応

じて ,

偈 中

の

tatra

の 意 味 も唯 識 派に 比べ て か な り

稀薄

に な っ て い る よ うに 思 わ れ る。 こ の よ うな

BhEvaviveka

の 立場は , 日常の あ り方に お い て 外 的 対 象 (

bahyar

亡

ha

) を認め る点で , イ ン ド

仏

教 思 想

史

一

E

で は

B

亘

hyarthavadin

と呼

称

さ れ る30) 。       ノ

 

こ の

Bhavaviveka

と立場を異に する とい わ れ る

SantirakSita

の

弟

子, 

Kama

.

la

§

ila

も, 

TSP

に お い て こ の 同 じ

偈

に 言及 するSl ) 。 偈は , 「

言語 対 象

の

考 察

(§abdartha ・parik$a)」 を 主題と す る

第

16

章に引 用 され るが,

序 章

に おい て も

第

16

章

の 要 旨を述 るなか で ,次の よ うに やは り同

偈

が 引 用 され てい る。

  

32)た と え諸特質 (upadhi ) が 存 在 しない と し て も , 相互に排 除 し あ う

 

(

itaretara

一

28

) 山口益前 掲 書, p .

508

参 照。

29 )

 MAVBh

・

Nagao

 ed ・・

 

P ・

19

・

IL 

19−20 ,‘‘abh 面taparikalpah

 

paratantrah

 

svabh 亘va 毎”

.

30

) 山口 ・野 沢 『世 親唯識の 原典解明』,P ,

155

に お ける Vinitadeva の 「有外境論者」   の 説明 を見よ。 31)

 

こ の 偈が

BhSS

の もの である こ とは

TSP

の最初の校 訂者

E

. 

Krishnamacharya

も ,

 

英 訳者

G

. 

Jha

も 気 づい て い ない よ うで ある。 最近の校訂 者

S

』 . Sastri も同様で ある

  が,

LAS

, 

Saga

亡

hakam

,

500

偈の ご と く扱っ て い る。

32

)

 

Tattvasahgraha

げ

Ac6rya

 

S

槭 剛α7α姆’α with  the 

Comme

〃 ary  ‘

Pa

毎

iikd

’

 of 

Shr

ゴ

  Kamalshila  

ed . 

by

 

S

. 

D

. 

Sastri

, 

Varanasi

,

1968

, p .15 , 

U

.

5

−−

15

 :

Tib

., 

P

. ed ., 

No

.

5765

,

 

He

,172b5 − 173a3 .なお , 序章は , 渡辺 照宏 「摂真実論 序 章の 翻 訳研 究」『東 洋 学 研 究』

 

第

2

号 (

1967

), pp .

15

−

27

で和 訳 紹 介 されて い るの で参照 さ れ た い。 特に p.

18

. 一 295 一

(9)

B

加 呶 3ση踊短 漉 3醗7α (袴谷 ) (

21

)

 

vyavrtta )事 物 (vastu )が視覚の媒 介をえて (

darSana

・

dvarayata

), 外 在的 性質の もの

 

(

bah

}r  atva )と し て執着されて 分別 (vikalpa )があ り, そ こ に映濛 (pratibimba)33)

 

を本 質 とする言 語対 象 (

Sabdartha

)が存在 する。 しか し, こ の場合, 諸 言語の 及ぶ 領 域

 

は ,真実の あ り方と して (param 盃rthata 阜) あるの で は ない 。 それはすぺ て の 分別を 越え

 

た もの だか らで ある34) 。 (中略 ) 言 語対象は , た と え仮託された形 象の もの (samaropi ・

 

takatatva )で あ っ て も, 漸 次に (

pararpparyerpa

) 事 物と結合 した もの であ る か ら , そ

  

〔の事物〕を 理 解す る た めの 原因 とは なる の で ある。 そ れ ゆ え, その よ うな事物は , そ

 

れ ら 〔言語〕の 能力に よ っ て , 明 白に さ れ るはずの もの で あ る か ら , 〔そ こ に 〕欺 瞞

 

(vipralambha )は あ り え ない 。 この 点に 関し て救護者 (Tayin ) は次の よ うに 説か れ た 。     (以下

BhSS

結 偈第

2

偈35)の 引用に つ き省略 )   以上 が, 「言 語対象の 考察」の 内容である。

 

こ の

引

用 末 尾で も

指

示さ れ て い る

TS

,

第

16

章

の

869

偈 3s) に対 し, 

TSP

は次 の よ うに

註

釈 して 再び 同 じ偈を 引 用 す る。

  

37,全 く同 じこ と を , 経 証に よっ て示 そ う として 38), 「そ れ ぞ れの (yasya yasya )」 な

 

ど (869

偈

) と言 う。 「そ れぞ れ の 対 象 (yo yo vi §ayab )」 とは , 個 別 相 ・一般 相

 

(svalakSapa −samanya ) な どで ある。 「それこそあるがま まの姿で ある (sa  hi dharmata )」

 

とは ,その 本 性 (prakrti )で あっ て , 諸 事 物 (vastfindm )の 本質 (svabhava )は , すべ

 

て の 言葉の限界 (vak −patha )を越えた もの であるJ とい う意味である39)。 ち ょ う ど次の   よ うに説か れてい る ごとし。     (以上

BhSS

結 偈 第

2

偈40)の 引用 に つ き省略 )

 

以 上 の

TSP

二

箇

所 の 引 用の み か ら , 

Kanlala

§

ila

が , 

BhSS

結 偈 第

2

偈

を ど う

解

釈 し た か を決 定 す る こ とは 困

難

で あろ う。 少な く とも,

SantarakSita

, 

Kama

−

lagila

の 著

作

の 内

実

に

疎

い

筆者

は , こ の 点に

関

して 即 断を下 すべ き

状

況に は い な い 。 従 っ て 極め て 印象 的な臆 測に な るが ,先の

Bhavaviveka

と多 少 異な る と思

33

) 渡 辺 上 掲 論文, p .23, 註 14指 摘の ご と く, Tib . “ gzugs  

brkan

” に従い pratibandha   を pratibimba と改め る。 34 ) 「しか し_」以下 こ こまで は

Tib

.に従っ て 訳し た。

35

)

BBh

所引の もの とほ とん ど同じで ある が ,“ na sa salpvidyate ” が“n含sau  salpvidyate ”   と な っ て お り,下線箇所の み が 異 る。

36

)

  

‘‘

yasya  yasya  

hi

 Sabdasya  yo yo vi$aya  ucyate /

    sa sa sa 卑vidyate  naiva  vast 亘n互単 s巨

hi

 

dharmat

亘 //”

37

) 

S

.

D

. 

Sastri

 ed ., p .

339

, IL 19−

23

:

Tib

. op . cit.,

388

 a8−

b2

.

38 )

 

“ salpspandayan ” なる も

Tib

.“

bstan

 

pa

”に よ り sarPdargayan と読む 。

39

) “

iti yavat ” とある も

Tib

.“

skes  

bya

 

dahi

 tha tshig 

go

” に

ょ

り

ity

 arthab と読む

Q

40) こ の 場 合は , 前註

35

の 場合と異 り

BBh

所 引の もの と全 く同 じ。 し か る に校訂 者は

 

前 者に 対 し ては

L

・

4S

を指示 し たに か か わ らず

, 後者で は典 拠不明と して い る 。

(10)

(

22

)

Bhavasai22krdntistitra

(袴谷) わ れ る点 を指 摘 す る こ と に し た い 。 言 語 対 象は , 真 実の あ り方か らすれ ば言 語 の

及

ぶ

領

域で は ない と否

定

されて い るが ,

恐

らく日

常

の

あ

り

方

か らは, 事

物

を 理

解

す る た め の 原 因 とし て

肯

定

さ れ て い る 。 し か も, その

場

合の

言 語 対 象

は ,

Bha

 vaViveka とは異 な り, 単な る

外

的 対

象

で はな く, 映

像

を本

質

と す る も の (pratibimbfitmaka )あるい は仮 託された形 象 (samiirvpitakiit ,a) として

認 識

主

体

の

側

(vikalpa ) を介 して 把 握 されてい る よ うに 思われる。 勿 論

Sagaramegha

の よ う に , こ の

偈

に 対 す る

純 唯 識

的

解 釈

は

認

め られ な い が , か な りの 程 度に 唯

識派

の 立       ノ

場 を取 込 んだ 内容で は あ る。 これは ,

Santarak

§

ita

−

Kamal

§

ila

の 系統 を

引

く,

BhSS

の

訳

者

Ye

 

Ses

 sde が, そ の

著

作

ITa

 

baki

褫 夕α

4

 

Par

で

述

ぺ る記 述と

ほ ぼ合

致

す る で あろ う41) 。

 

以上 で , 勘

SS

結

偈第

2

偈

を巡 る

引

用の 軌 跡を

辿

っ て み た 。 か な り早い 時 期に

BBh

で引用 さ れ , そ れ が 唯 識 派 の 系 統で解 釈 さ れ た の は

当

然 の こ と と し て, 他

方

, その 同じ偈が

中

観 派の

経

証 として も用い られて い た わ けで あるが , そ の い ず れ の 場合 も,究 極

的

に は nirabhilapya を論 証

i

す る

点

で一

致

し て い る。 し か るに ,

中 観 派で も,

BhEvaviveka

, 

Kamala

§

ila

と立場 を異にす る

Candrakirti

は

Madh

−

yamahavatdrabhasya

(

MABh

)に おい て , 同 じ

BhSS

の 散

文箇

所 をか な り長 文 にわ た っ て

引

用 し, しか も

唯識派

論

難

の た め の 経

証

と して い る42)。 し か し, こ の

点

は

BhSS

結 偈 第

2

偈

に は 直 接 関 連 しない の で , 次 項 に お い て

触

れ る こ と と し た い 。

 

成 立 と系 統

 

極め て 短い 経

典

な が ら, 上述 し た よ うに , か な り重 要な場 面で 経

証

の

役割

を

演

じて きた

BhSS

は , い つ , い か なる

系

統の 人に よっ て

生

み 出 され た もの で あろ うか 。

 

勿論 成立年 代の 決め 手は漢訳 に ある。 成立 の 下限は , 先 に み た

BhSS

結 偈 第

2

偈を

引

用 す る

BBh

の

最

古の

漢

訳, 『

菩薩

地

持

経 』か ら推 測 しえ よ う。

同

経

41

) 前掲拙稿,

p

, 

2

, 註

3

参照。 た だ し

TKh

に つ い て は , 

Pelliot

 tib. 

No

,

814

が ぜ ひ と   も参 照されね ぽ な ら ない 。 こ の

No

.

814

に 基づ い た 成果が 上 山前掲論 文である 。 筆 者   は , 別途に , 原田覚 氏か ら

No

.

814

に 関 する報 告を受 けて い た の で近 々 別 な角 度か ら

 

こ の 文献を検討し て み た い と思っ て い る。

Santarak

$ita に 関す る記述は , 上山前掲 論   文, p .40 参 照。

42

)

M

・

4Bh

, 

Tib

・, 

Poussin

 ed., 

P

.

127

. 

L

 

17

−P .

129

, 

1

. 

17

, 小川 一乗 『空 性 思想 の研究』,

 

1976

,

pp

.137 − 138 は , 

Jay

…inanda , Tsoh  kha pa の註釈を参照して い るの で, こ の引

  用に 関する

Candrakiri

系 統の立 場を知 る上で 極め て有 意 義で ある 。 た だ し, 遣 憾な が

 

ら, こ の 箇 所に つ い て は誤 訳が 目立つ の で , 拙 訳の註記で それを指摘し たい 。

(11)

Bhavasampkra

−ntisditra (袴谷 ) (

23

) に は次 の よ うに ある。  今 当 説 ,如 仏世尊 『趣 有 契経 』説 偈 顕 示。

   

如 以種種名

 

用 説 種種法

 

此 亦 無 有 彼

 

是 法法如是 『趣

有

契 経 』は

BhSS

の 原 題に 一致 し,

引

用

偈

も

恐

ら く同 じ原文で あっ た ろ う と

思

われる。 こ の

漢

訳 者, 曇 無 讖 (

Dharmak

ミema )は ,

412

年 姑 蔵に 入 っ た と伝 え られ てい る。 こ の

点

よ り

BBh

は

400

年

こ ろに は既に 成立 し て お り,

実

際

著

わ さ れ た の は 更に

50

年

ほ ど遡 り うる と推定 され る43) 。

筆

者は交 通

機

関の

発達

して い な い

古 代

の 聖

典

の 伝

来

が , 今 日的 感 覚 を基 準に 必 ず しもか な りの 年 月を

要

し た とは 考 える もの で は ない が , そ こ に

引

か れ る

BhSS

であ れ ば , 恐 ら く

350

年 こ ろに は成立 して い た の で は ない か と推測 す る。

 

た だ し, こ の 推 測に は 問 題が ない わ けで は ない 。

偈

の 引 用を根 拠に , 散

文箇

所 を

含

む

BhSS

全 体の 成立 を 推 測する か らに は , 当 初か ら両

箇

所が 一

体

の もの で あ っ た とい う前 提に 立 っ てい る わ けで

あ

るが , その 前 提は

直

ち に

首 肯

され るもの で はな い 。

現

に ,

曇

無 讖に お くれ る こ と十

数

年,

424

年 広

州 に至 っ た

求 那

跋

摩

(

Gu

ロaVarman )の 漢 訳 『菩 薩

善

戒

経

』で は 同 じ

箇

所が次の よ うに な っ て い る。  是 故 大乗経中 説 偈      一法有 多 名 実 法 中則 無 不失 法 性 故 流布於世 間

 

こ こ で は , た だ 一般 的に 大 乗

経

とい われ るの み で ,

BhSS

が具 体

的

に

指

示 され て い な い 。 し か も, 引 用の 偈 も, 直ち に

BhSS

結

偈

第

2

偈 と同じだ と は 想

定

し 難い で あろ う。 文 脈上 は確か に 対 応 す る

箇

所で ある か ら, 内 容

的

に

検討

す れ ぽ, 一

見

一

致

しない ご と

き偈

もむ しろ巧み に , その 趣 旨を伝えて い る とみ うる。 しか し, その ス タ イル は む しろ中

観

的で あ ると さえ 思わ れ る。 先に 問題の 偈 に

関

す る

Bhavaviveka

の

Tl

の

解

釈をみ た が , そ こ で 省 略 し た箇 所は 次の ご と くで あ る。

  

44)か く して , 対象に 関 して , 種々 の 音声 (9abda )や語釈 (nirukti )に よ っ て , た だ 一

 

つ の 事物 (vastu )に 対 し て 多 様に 言語 表 現さ れ る こ と, 例え ば, 水に対 し て, paniya ,

 

ap , s. ali la, nira な ど と表 現 される ご と くで ある が, その 場合に , もしそれ が 一つ の 音声

 

に ょっ て 言 語表 現 された もの を本質とする もの で ある な ら ば , それに対 し て他の音 声は

 

起 こ ら ない で あろ うし,それ ら種々 の 音声に よっ て 言 語表現 されるこ とも不 可 能と な ろ   うが, 事実は そ うで は な い 。

 

そ れ ゆ え, こ の

Tl

で は ,真 実の あ り方 と し て (pram …漁 ataり), 言語

表

現 され た 43) 宇 井 伯 寿 『印 度 哲 学 研究』第一, p .

406

参 照 。 44 ) 

P

.ed ., 

No

.

5256

, 

Dsa

,

244a3

− 5. 一 

292

 一一

(12)

(

24

)

B

加 抛 ∫αη3勉 δ漉 ε醒7σ (袴谷) とお りの 事 物は 存 在 しない こ と が 意 図 されてい る の で

あ

る。 ま さに 「一 法

有

多 名, 実 法 中 則 無」 であ る。 そ してそ の

無

自性 空の ゆ えに , 日

常

の あ り

方

と し て (sarpvrtitah )の 言 語 活

動

が成立する。 「不

失

法性 故, 流

布

於 世 間」 で ある。 従 っ て 『菩 薩

善戒経

』の こ の

偈

の 理

解

は, む し ろ

Bhavaviveka

に

近

い とさ え い え よ う。 果 し て , こ の

偈

の 引 用に 引 き続 く箇 所も, 先に 紹 介 し た

BBh

とは

力

点の お き

方

が異な っ て お り, 中 観 的色

彩

が強い 45) 。

 

如色 乃 至 涅 槃則有多名, 色無 自性, 無自性者則 無多名。 :有多名者名為流 布。

 

こ の よ うな 観 点か ら

考

える な らば, こ の 偈 に

対

す る

Bh5vaviveka

の よ うな 理 解は , 恐 らく底 流 としては ,

求 那

跋

摩

に 先立 つ こ と数 半 世 紀 前か らあ りえ た で あ ろ うと思わ れ る。 か か る底流 の 中で , こ の 問題の

偈

を 含む

経

典

群

が

成

立 し た の で

は ある まい か 。

BhfivaViveka

も

Kamala

§

ila

も求 那 跋 摩 同 様, 具 体

的

な経 名を

挙

げない 。 必

ず

しも本

偈

を

含

む経

典

がは じめ か ら

BhSS

と して 成 立し て い た と 考 える必

要

もない で あろ う。 現に ,

BhSS

の 散 文

箇 所

と

結偈箇

所 とを 比 較 す る と, 一 見 し ただ けで は同 じ趣 旨を

述

べ て い る とは了

解

し難い の で ある 。 恐 らく, 両 箇 所は , そ れ ぞ れ別な

系

統に おい て 育まれた もの で あろ う。 そ れ が, 曇 無 讖に 先 立つ こ と

半世紀

ほ ど

前

に, 現 行 の よ うに 一つ に

結

合 した

BhSS

と して成立 し て い た 。 し か も, そ の 時 期に は

BhSS

と して

単

一化 して し ま っ た形

態

の もの の み み があっ た わ けで は な い の で , 求 那 跋

摩

の 伝 え るよ うに ,た だ一

般的

に大 乗経 とい う呼

称

も行われた の で は ある まい か 。

 

で は ,

結

偈

箇

所に み られ るよ うな

趣 旨

を

育

んだ

系統

とは , い か な るもの た ち で あっ た ろ うか。 これは全 く推 測 の

域

を 出 ない が , 恐 ら く,

あ

たか も

P7

α

痂

砂 δ一 ramitd (

PP

)に ,い わ ゆ る

Byams

 shUS  

kyi

 

leha

(

BShL

) な る

章

を加え て い っ た

よ うなグ ル ープ46)が , 結

偈

の ご と き一

連

の

偈

の 製 作 者で はなか っ た ろ うか

。 す な

わ ち

PP

に

Sa7

?zdhinirmocanasidra (

Sl

>

s

)

的

趣 旨を盛 り込 も う とし た もの た ち で ある 。 か か る

推

測 の上 で ,

結 偈

第

2

偈に 対す る

BBh

の 解 釈 と, 

BShL

とを 比

較 す る な らば , rUpa ない し nirvapa (buddha −dharma ) と vastu との 関 係, さ ら に それ らすべ て が nirabhilapya だ とい う問 題の 取 り上 げ

方

は , 両者に お い て全

45

) 以上,

Bhavaviveka

を引き合に 出 し た か ら, 中 観的 とい うだ け 『 で あっ て , むし ろ般   若 経的とい うべ きか もしれない 。 46) 拙稿 「弥勒請 問章和 訳」『駒 大 仏論 集』第

6

号, pp .ユ ー

21

, お よび “

A

 

Consideration

 

on tlie 

B

冫・ams  

sus

 

kyi

 

le

轟ec from the 

historical

 point of view ”,

JJBS

, XXIV −

1

, pp .

20

−

30

  参照の こ と。

(13)

BhaVasaPtkra

−ntisfitra (袴谷) (25) く

類

似 し てい る と思わ れる で あろ う47)

。 さ らに , これ まで 問 題 と し て きた

結 偈第

2

偈は ,

Lahkdvatarasditra

(

LAS

),

第

3

章

第

82

偈, お よ び

SagAthakam

第

500

頌 と酷 似 し て い る。

参 考

ま で にそ れ を

引

用 す るの で , 比

較

され た い

48)

。

  

49)na

 hi 

yo yena 

bhavena

 

kalpyamat

)o na 

dr

§yate

  

na  ta甲 nasty  eva  gantavya 甲

dharm

的 am  eva  

dhar

 nata

/

/82

/

/

   na  hi yo yena bh五vena  

kalpyamano

 na  lakSyate /

  

na  tan nasty  avagantavya 甲

dharma

項 m  e爭a dharmata /

/

500

//

 

BhSS

が

BShL

, 

SNS

, 

LAS

三

老

に 比べ て成立 が先で あっ た か

後

で あっ たか は ,

俄

に 決 定 し難い で あろ う。 現 行 の ごと き形 態か らみ れ ば , 恐 らく

350

年

こ ろ に 成 立 して い た思われる

前

者が

後

三者 よ りも先で あっ た とい うべ きか 。 しか し, 現

行

の 形

態

に 至 る まで に は それ ぞれ が そ れ ぞ れの 成 立

史

を

も

っ た で あろ うか ら, ある

部

分は 同 じグ ル ー プ に お い て成 立が重な り合 っ て い たか も しれ ない 。

 

さ て ,

BhSS

の 散 文

箇

所が結 偈 とは別 に 成 立 し て い た とす れば , 一

体

そ れは ど うい う

系統

に

属

して い たで あ ろ うか 。 こ こ で ,

BhSS

の 大 半が , 

PitaPutras

− am 罐

gamastitra

(

ppss

) の 一

節

と ほぼ 一致 する こ とに 注 目 して お きた い 。 こ の

PPSS

は か な り長 文に わ た っ て

Siksdsamuccaya

(

SS

) セご引用 され, し か も

問

題 の

箇 所

が こ の 中に

含

まれて い る た め そ の サ ン ス ク リッ ト原 文を知る こ と が で き る5°) 。 本

来

な ら , こ の 原 文を用い て

BhSS

の そ れ と比 較 すべ

き

で ある が , 冒

頭

に 述べ た よ うに ,

筆

者 は , 今, 肝心 の

BhSS

の サ ン ス ク リ ヅ ト原 典 を

参照

する こ と がで きない 。 従っ て こ こ で は , 両 者の チ ベ ッ ト訳に よ っ て 比

較

を

試

み たい 。

47

) 前註

18

で 指 摘 し た こ とに つ い て

B

・

Bh

と

BShL

と を比 較 された い 。

48

) 前註

31

で 触れた ご と く,

TSP

の校 訂 者

Sastri

が

TSP

所 引の 偈を ,こ の 偈 に トレ

 

ース し た程 両 者は 似か よ っ て い る。 し か し, 内容的な面か らは ,

LAS

, 

III

−

78

(

Nanjio

 

ed

.、 p.

187

)

 

“

sU 亡re stttre vikalp6kta 甲 sa町〕

jf

薀・n亘mantare りa ca

/

 

abhidh …ina・vinirlnukta 甲 abhidheyam  ma  

lak

$yate //” と

BhSS

結 偈第 1 偈との 方が よ

 

り類 似 し合て い る 。

BhSS

結偈を作っ た グル ープ と

LAS

を作っ た グル ープ とは なん

 

らか の意味で重な り合 うか も知れない 。 本 稿 註

90

の 箇所の和 訳 参照の こ と。 49)

L

・

4S

, 

Nanjio

 ed ., 前者は p .

190

, 後者は p .327 . 50)

SS

, 

C

. Bendall ed ., p.244 ,1.

11

− p . 

256

,1.

3

. BhSS と一致す る部 分は ,  p .252 , 1.

 

2

− p . 

253

,

L14

で あ る。 なお , こ の 箇 所に 相 当する漢訳は , 那連 提 耶 舎 訳 『大宝積

 

経』第

73

, 大 正,

No

・ 

310

・

11

巻 P ・ 

417

 

b

−c : 日称 等 訳

r

父 子 合 集経』, 大 正 ,

 

Ne

・ 320 , 同・ 966 a・Tib ・・ P ・ed ・・ No ・

760

−

16

, 

Shi

,

153b3

−

154b3

.訳 者は

BhSS

の場 合

  と全 く同 じく,

Jinamitra

, DbUiaSila, Ye Ses sdc であ る こ とに 注意。

参照

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