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T.S.Eliot の JohnDonne 批評の背景*

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(1)

2 8 7

T.S.El i o t

Jo h nDo nne

批評の背景*

中世への憧れ‑

El i o t

、1 9 21

年の評論

= Me t a phy s i c alPo e t s "

の中で

、Sa mu e l J o hns o n

形而上詩人たちについて 「彼 らの こころみは常 に分析的であった」 と非難 した のに対 して、

Do n ne

一派の弁護 を試 みて 「チ ャップマ ンには、特 に思考 を直接 感覚的 に捉 えた り、思考 を感情 に作 り上 げた りす ることが見 られ るが、 これ は まさにダ ンに見出だされ るものである

1と述べている

この ような弁護 は、 こ の評論 の

2

年後 に発表 された

1 9 2 3

年 の

… J o hnDo n ne "

の中 に明瞭 に見 て取 れ

そ こで

El i o t

は言 っている。「ダンの精神 の構成分子 は秩序 と調和である。

彼の感情 の広が りは大 きいが、その統一 ほ ど際立 った ものではない ‑‑ それ は チ ャップマ ンの作品 に充満 してい る統一 と同 じものである

チ ャップマ ンに と って、思想 は強烈 な感情 で、 その感情 は、 それぞれ別 の感情 を持 っている思想 で ある

」2

この 「統一」 こそ

、El i o t

の若 き日の博 士論 文 で扱 われ た

F, H.

Br a d l e y

哲学 に見 られ る一元論への傾斜、 そ して

H Tr a di t i o na ndt heI ndi vi d‑

ualTa l e n t "

の根底 を支 えている歴史観 な どに一脈通 じる ものなのである

の ような

El i o t

Do nn e

の中 に見た 「統一」 は

1 0

年後の

1 9 3 1

年 の

" Do nn e i n

●本稿 は日本英文学会第

6 7

回大会 (筑波大学

、1 9 9 5

5

21

日)で発表 した ものに加筆修正 をした ものである。

1

T.S.El i ot ,Se l e c t e dEs s a y s( London:Fa be r & Fa be r ,1 9 6 6 ) ,p. 2 8 6 .

2 T.S.El i ot ," J o hnDonne

,"

TheNa t i o n & t heAt h e na e um ( J une9 ,1 9 2 3 ) ,p. 3 3 2 .

(2)

2 8 8

0urTi me"

で 「ダンには思考 と感受性 との間にはっきりとした分裂があった

」1

とい う一文で撤回 されて しまう

このように見 るな ら

El i o t

Dome

批評 は、彼の

" Mi l t on"

論が、しば しば、

最初

Mi l t on

を攻撃 し、後 になって自分 の意見 を取 り消 したの とは逆 に、最初、

Donne

を評価 し、その後 こき下 ろして行 くとい う形で要約 され、これがその ま ま、一つの知識 として放置 されがちである。

Ⅰ . A. Ri c har ds

の言葉 を使 うな ら、

El i ot

の批評論 に見 られ る意見 の 「逆転 と撤回

」2 ( r e ve r s al sandr e c ant at i ons )

である

しか し、一方

、El i o t

自身の声 に耳 を傾 けるな ら、彼 は

1 9 5 6

年の

" The Fr ont i e r sofCr i t i c i s m"

で 「詩人たちに関す る私 の評価 は、私の生涯 を通 じて ほ とん ど変わっていない3と述懐 し

、1 9 6 1

年の

" ToCr i t i c i z et heCr i t i c"

の中 では

" Mi l t onI I "

" Mi l t onI "

の 「撤回」で はな く 「発展

」( de vel opme nt )

ある と言 っている4。 そうは言 って も

El i ot

の発言 には、当然 の ことなが ら、そ の ような ことでは捉 え切れない ものが含 まれてお り、その点が一層重要である。

本稿では

El i ot

Donne

批評 の変化の背景 を、彼 の中世への傾斜 との関わ り合 いを根底 に据 えて

、1 9 21

年か ら

1 9 3 1

年 までの間の

Donne

への言及の系列 の中で 捉 えるとともに、最近

Ronal dSc huc har d

編纂 によって 日の目を見 るようにな った

1 9 2 6

年 の 「クラーク講座」 (

" TheCl ar kLe c t ur e s

") を踏 まえなが ら5、彼 の詩作品 を通 して、考察 して行 きたい。

1

T.S.El i ot

,

" Donnei nOurTi me

,"

A Gar h Z ndf o rJo hnDo nne1631‑1931,edi t e dby The odor eSpe nc e r( Cambr i dge:HaⅣar dUni ver s i t yPr e s s ,1 9 3 1) ,p. 8 .

2 Ⅰ .A.Ri c har ds

,

" OnTSENot e sf oraTal katt hei ns t i t ut eofCont e mpor ar yAr t s

,"

Th eMa na ndHi sWo 7 1 k s ,e d.Al l anTat e( A Del t aBook1 9 6 6) ,p. 8.

3 T.S.El i ot ,OnPo e t 7 ya ndPo e t s( TheNoondayPr e

s

s ,1 9 6 8 ) ,p.1 1 8.

4 T̲ S. El i ot ,ToCn' t i c i z et heCn' t i c( London: Fabe r & Fa be r ,1 9 6 5 ) , p. 2 4 .Cf . Shuni c hi Mur at a

,"

T.S.El i otandDrJonhs on:Conc e r ni ngMi l t on

,"

Enl i ght e ne dG7 1 0 V e S ,e di t e dby E.Har a,H.Oz awa,P.Robi ns on( Shohakus ha,Tokyo,1 9 6 8) ,pp. 2 2 3‑ 2 3 9.

5 TheVa n' e t i e so fMe t a ph y s i c alPo e t 7 γ・TheCl a 7 1 kLe c t uy l e Sa tTn' ni t yCo l l e ge ,Ca m‑

b nL d ge ,I 926andTheTumb ul lL , e c t u7 1 e Satt heJo hnsHo pk i nsUni v e r s i t y ,1933, e di t e d &

i nt r oduc e dbyRonal dSc huc har d( London:Fabe r & Fabe r ,1 9 3 3) .Cf

̲村 田俊一訳

F T. S.

エ リオ ッ ト文学批評選集 一 形而上詩人達 か ら ドライデ ンまで‑ 』 (松柏社

、1 9 9 2 )

(3)

2 8 9

1 9 31

年 に見 られ る

El i o t

Donne

批評 の 「撤 回」に関 して、「感受性 の理論」

Re mydeGo ur mo nt

との関係で論 じた

F. W. Ba t e s o n

は、

El i o t

1 9 4 7

年の

" Mi l t o nI I "

の一節1を引用 して、 この事実 を認 めているものの、

「 El i o t

は、英 詩が

1 7

世紀 にこうむった変化の本質 に、 その源泉 ほ どに興味 を持 っていない」

と言 っているだ けである2。 また現代 象徴派の立場 か ら 「感受性 の分裂

」( Di s s o‑

c i at i on of Se n s i bi l i t y)

を論 じた

Fr ank Ke r mode

は、 この ことに関 して、

Ro s e mo ndTuve

女史が

Do nne

を 「現代のイメジの詩人であった」 とす る理論 を踏 まえなが ら 「エ リオ ッ トは

、1 9 31

年の三百年祭 に、 ダンが廃れ ることを早 くも予言 した とき、おそ らく、 この ことを幾分、感 じていたのだ ろう

」3

と述べ ているだけである。

El i o t

1 9 3 1

年の

Do nne

批評 の 「撤 回」を考察す るにあたって、先ず

El i o t

詩的資質の変化 を見 ることが大 きな鍵 になるようである

一般的に言われてい ることであるが

、El i ot

は初期 の作品 において

Dome

か ら既 に詩人 としての感 受性や形而上詩 の技巧 を学 び とった。 それ は、イメジの中に内在 された思考 と 感情 の融合の一致、 あるいは 「対立物 の一致」 とい う形で、感受性 の分裂 を歌 った

H Whi s pe rofI mmor t al i t y"

の詩 を含 む

1 9 2 0

年の

Ay l aI ( o sPr e c

の各編や

Th eWa s t eLa nd

あた りに意識的 に用い られている

。 El i o t

1 7

世紀 を背景 と した

Do nne

の影響 は単 に技術 的な詩作の面だけでな く、

" Ge r o nt i on"

をはじめ として、改宗 した年 の

1 9 2 7

年か ら書 き始 め られた

As h‑ We dne s d b y

以降 には、

1 ̀ Ibel i e vet hatt hege ne r alaf hr mat i onr e pr e s e nt e dbyt hephr as e" di s s oci at i onof s e ns i bi l i t y" ‑ r e t ai nss omeval i di t y; butlnow i ncl i net oagr e ewi t hDr .Ti l l yar dt hatt o l ayt hebur de nont hes houl de r sofMi l t onandDr yde nwasami s t ake

.'

" Mi l t on II, "On Po e t 7 γa ndPo e t s

,9.173.

2 F. W.Bat e s on

,

" Cont r i but i onst oaDi c t i onar yofCr i t i calTe r ms , Ⅰ Ⅰ .Di s s oci at i onof Se ns i bi l i t y , "Es s a y si n

Cn

' t i c i s m,vol umeI ,1 9 51( Swe t s & Ze i t l i nge rN,V.Ams t e r dam

,

1 9 65 ) ,p. 3 0 9 .

3 Fr ankKe r mode

,

" Di s s oc i at i onofSens i bi l i t y

,"

Ro mant i cI mL qe( London:Rout l e dge

andKe ganPaul ,1 9 6 6) ,p. 1 4 7 .

(4)

2 9 0

Loui s L .Mar t z が Po e t り O fMe di h z t i o n ( Yal eUni ve r s i t yPr e s s ,1 9 71 )

で展 開 している黙想の形式 とい う形で、その痕跡が読み取れ る1。 しか し、改宗 を境 にして

El i ot

の詩 は、

Vi r gi

lを経たダンテ的詩境 に加 えて

Lanc el otAndr e we s

に見 られ る 「純粋 な」宗教心 と平易で効果的な表現技術 を通 してダ ンテ的発想 の高見 まで昇華 されて行 くので ある。 この辺 の

Da nt e

の影響 に関す る議論 は

1 9 3 7

年の

Ma r i oPr az

" T. S. El i otandDant e" ( TheSo ut he r nRe v i e u ) , Vo

l.

Ⅰ Ⅰ ,No. 4,Se pt e mbe r ,1 9 3 7 )

で明 らか にされている ところであるが、 その背景 となってい る 「中世主義」 を見逃すわ けには行 かない。

El i ot

に見 られ る中世 に対す る関心 は、 これか ら触れて行 くことになる「クラ ーク講座」で明 らかになることと思 うが、彼の作品 を吟味す るな ら、いろい ろ な ところに跡付 けることが出来 ると思 う。た とえば

Th eWa s t eLand

の表題 が もともと中世 の漁夫王伝説 ない しは聖杯伝 説 に由来 して い る こ とや、

As h‑

We dne s d a y

に見 られ る

Dant e

の痕跡、 また

TheMur de ri nt heCat he dT l al

Be cke t

が最初 に舞台 に登場 した時、口にした例 の科 白 ‑ 「彼 らは知 って もお り知 らな くもある、行動 とは忍従であ り、忍従 は行動であることを ‑

‑ 」( The y knowanddonotknow,t hatac t i oni ss uf f e r i ng/Ands uf f e r i ngi sa c t i on‥. )

に含蓄 されている中世の人々 を悩 ませた 「神 の予知 と人間の 自由意志」の 問 題 な ど は

、S t .Augus t i ne

Boe t hi us

、 そ して

1 3

世 紀 後 半 の

S t .Thomas Aqui nas

な どが取 り組 んだ問題 である。 もしスコラ哲学の言葉 をほのめか して いる と思われ る詩 を見出だそ うとす るな ら

TheHo l l o u )Me n

5

節 に見 られ る 「観念 と実在の間 に影が落 ちる」 と歌 った以下三連 にわた る ところな どがあ る。

Be

t

w een

t h ei

dea

And

t

he

re

a

l i t y

1拙論 「 T. S. El i ot の風景 について 」F

英文学研究』第66巻第

1

号 (日本英文学会、1

9 89)

pp. 2 4‑ 29 。参照

(5)

2 91 Be t we e nt hemot i o n

Andt hea c t Fal l st heSha do w

ForThi nei st heKi n gdo m Be t we e nt hec onc e pt i on

Andt hec r e at i o n Be t we e nt hee mot i o n Andt her e s pons e Fal l st heSha dow

Ll f ei sV e

r

yl o n g Be t we e nt hede s i r e

Andt hes pa s m Be t we e nt hepot e nc y Andt hee xi s t e nc e Be t we e nt hee s s e nc e Andt hede s c e nt Fal l st heShadow

ForThi nei st heKi n gdo m

ここに見 られ る 「観念」 と 「実在」、「運動」 と 「行為」、「概念」 と 「創造」等 といった相反す る二項対立的な ものの間 に 「影」が落 ちる とい うことは、El

i ot

の宗教的発展か ら言 うな ら、懐疑的精神 と信仰の兆 しを表 しているもの と見 ら れ るが1、これ らの言葉 には、実現 されず潜在的な特質 を持つ もの と、実現 され た もの といった きわめてスコラ哲学的な ものがある。 この二元論 を克服せんが ために、言 うなれ ば、魂 と神 の内面的な間隙 を埋 めるために、祈肩書の 「主の 祈 り」の一行が前後二回にわた って挿入 されているのである。

この ような

El i ot

の中世的な ものへの傾斜 は、逆 に

Donne

の中に近世的要素 を発見 して、彼 の

Donne

評価 を変 えて行 く要因 となるのである

。1 92 6

9

月の

" Lancel otAndr ewes "

で は、1

91 9

年の

" ThePr eac herasAr t i s t "

で既 に見抜 いた

Donne

の個性 ‑ 「エゴは彼 [ダン]の作品の中で完全 な表現 となって見 1拙論

「 T. S. El i o t の Vi aMe d i a について」

F英文学研究』第

5 7

巻第

2

号 (日本英文学会、

1 9 8 0 ) 、pp. 1 7 8 ‑ 1 8 0 0

(6)

2 92

られないが、人 目を盗 んだ ような形でだ け説教 に見 られ る

1‑ に触れなが ら、

El i ot

、Donne

Andr ewes

を比較 して「この二人の うち、アン ドルーズは中 世 的だ と言 っていいだ ろう

彼 は純粋 であ り、教会 と伝統 につながっているか らである ・‑ダ ンの方が よ り近世的である

」2

と述べている。また、同 じ年の

12

に書かれた

HSi rJohnDav ies"

、1 932

年の

Se l e c t e dEs s a y s

には収録 されなか った ものの、興味 あることには 「忘却か ら救われて

」3 1 957

年 の

OnPo e t 7 yand Po e t

sに

Mi l t on

再評価 の論文 と一緒 に入れ られた ものであるが、この評論では

Davi es

Donne

と同時代 の二 流詩人たちよ り 「中世的」である とい う理 由で、

その詩的資質が賞賛 され てい る4。問題 は、 この よ うに

El i ot

Donne

の中 に

「中世的」ではな く 「近世的」の ものを見出だ して行 く態度が、何故

Donne

価 の変化 につなが って行 くのか とい うことである。 この鍵 となるのは先 ほ ど触 れた

" T. S.El i otandDant e"

の著者である

Praz

との出会 いが大 きな要因 にな っているように思 える。この出会いは

1925

年 に

Praz

の『英国 における

17

世紀主 義 とマ リーノ風 の詩

』( Se c e nt i s moeMar i ni s moi nI n ghi l t e nl a:Jo hnDonne

‑ Ri c h ar dC7 1 a S h aw)

が出版 された時、

Ti me sLi t e y l a 7 ySu p pl e me nt

El i ot

にこの本の書評 をお願 い した ことに始 まる

。El i ot

は、早速、その当時 リバ プー ル大学の専門課程 の講師であった

Praz

に手紙 を書 き、 この本 に関す る自分 の 情熱 を記 した。

1

" ̀ The r ei st heEgo, t hepar t i c ul ar , t hei ndi vi dual

,I."

Donnewa sa nEgoi s t , butnotan e goi s toft her e l i gi ous ,t hemys t i c alt ype .Pe r ha pshewa ss ome t hi ngl e s si mpor t an t .At al le ve nt shewa ss ome t hi nge l s e ;andi twasanEgowhi c hnowhe r ei n hi swor ksf ind s c ompl e t ee xpr e s s i o n,andonl yf ur t i ve l yi nhi ss e r mons

.'

" ThePr e a c he ra sAr t i s t

,"

The At he na e um ( Nove mbe r2 8 ,1 9 1 9 ) ,pp. 1 2 5 2 ‑ 3 .

2 T.S.El i ot ,Se l e c t e dEs s a y s ,pp. 3 5 1 ‑ 2 .

3 ̀ Thi spape ro nSi rJ ohnDavi e swhi c happe ar e di nTheTi me s Li t e 7 1 aT ySu p pl e me nti n 1 9 2 6 ;i twa sr e s c ue df r o m obl i vi on,a ndr e c omme nde df ori nc l us i onhe r e ,by

M

r .J ohn Haywar d . ' " Pr e f a c e

,"

0 乃Po e t r ya ndPo e t s ,p. xi .

4 T,S.El i ot ,OnPo e hya ndPo e t s ,p, 1 5 4 .

(7)

2 9 3 私 は、冬 の期間ケ ンブ リッジの トリニテ ィ ・カレッジでお話 しす る ことになってい る F 英国 にお ける 1 7 世紀 の形而上詩』 に関す る幾 つかの講座 で、あなたの F 英 国 にお ける 1 7 世紀主義 とマ リー ノ風 の詩』の本 に多 く言及す るで しょう。私が ここで言いた い ことは、我々の どんな学者 によるどんな もの も ‑ セ ンツベ リー、あるいはグ リア ■●

ソン、 またゴスによる もので さえ‑ 批評 的噂好 と判 断、 そ して学識 の広 さ ( 強 さ) で、あなたの本 と比較 出来 る もの はない とい うことです。実際、あなたが幾つかの点 で私 の先手 を打 っている とい うことに少 しねたみ を感 じてい ます。それ は、ラムゼイ 女史 に関す る批評 、 タ ンとグイ ドウ ・カヴ ァルカ ンテ イの比較 と対象、 そ して、 その 当時のイエズス会 の重要性 を力説 した点 なのです。 こうい う点 は私 に も思い浮 かんだ のですが、 あなたが最初 にお話 したのです

1。

そ して、 El i o t は、翌 月 H Anl t al i anCr i t i co nDo nneandCr as ha w" と題 して 、 この本 の書評 を書 くの で あ る。 そ の 中 で El i o t が Pr az を評 価 した の は、 Pr az が Rams ay 女 史 に よ る 『ダ ンの 中世 的諸 教 義 主 義 』( Le sDo c t r i ne sme J di e ' v al e s c he zDo nne ) に見 られ る Do nne の詩 の 中世 的 要 素 の読 み す ぎ を指 摘 した点 で あ る

誰 も [ プラッツ]ほ ど 1 7 世紀 と 1 3 世紀 の宗教 の間の大 きな違 い に気づいてはいない。

それ は心理学 と形而上学の違 いであ る。 ここで、プラッツ氏 は、 また、イギ リスのダ ン批評 で 目につ く欠点 であった もの を埋 め合せ ることが出来 る。 つ ま り、ダ ン と、ダ ンテの時代 の形而上詩人達 との比較 である。 これ は、彼が軽 く触 れただ けで、 もっ と 詳 し く調べては しか った要点である。プラ ッツ氏が ・‑・行 なってい るの は、あの字間 的な定評 のあ るメア リ ・ラムゼイ女史 による Fタンの中世的諸教義主義』 とい う本 の 行 き過 ぎのい くつかの修正 で あ る。 ラムゼイ女史 は ・‑・ダ ンの中 に中世精神 の人 間 を見 る傾 向が ある。‑‑ しか し、プラッツ氏 の、ダ ンは教育 と文学鑑賞 において中世 的で あるが、精神 と感受性 においてはルネ ッサ ンスであ る とい う見方 は、ラムゼイ女 史 よ りは的 を射 ている と思 う

2。

1

Th eVan‑ e t i e so fMe t a ph y s i c alPo e t

ry

,p. 1 0,5 8.

2 ' Noonei smor ea war et hanh eoft hewor l dofdi f fe r e nc ebe t we e nt her e l i gi onoft he

s e ve nt e e nt hc e nt ur ya ndt hatoft het hi r t e e nt h.I ti st hedi f fe r e nc ebe t we e nps yc hol o gy

andme t ap hys i c s .He r eSi gnorPr azi sa bl et os uppl ywhathasbe e nac ons pi c uousde f e c t

ofEngl i s hc r i t i c i s m ofDonne :ac ompar i s onbe t we e nDo nnea ndt heme t aphys i c alpoe t s

oft hea geofDant e .Thi si sapoi ntupo nwhi c hhet ouc he sl i ght l y,andwhi c hwewi s h

hem i g hte xam i nei ngr e at e rde t ai l .WhatSi g no rPr azpe r f or ms

,...

i sac or r e c t i onof

(8)

2 94

つ まり

、El i ot

、Ramsay

女史の指摘 に対 して、中世精神 と近代精神 の違 いを 形 而上学

( met aphysi cs)

と心理 主義

( ps ychol ogy)

の違 いで あ る と主 張 す る

Pr az

を支援 している

。 Ramsay

女史が

Donne

の中に中世主義 を読 み込 む背景 の一つには、

W. ∫. Cour t hope

が述べているように、「最近 の三世代 の間、英国 人 の好 み を色づ けて きた中世 的感情 の復興」があった ようで あ る1。 しか し、

Donne

が中世 的精神 を持 っていた と主張 す る

Ramsay

女史 に反対 す る

El i ot

の態度 は

、 1 927

年の

"Shakes pear e and t he St oi ci s m of Seneca"

の中で、

Rams ay

女史の 『ダ ンの中世的諸教義主義』 に反対 して 「私 にはダンの中に如 何 なる 『中世主義』 も、如何 なる思想 も、認 めることは出来 なか った

」2

と言っ ていることにはっき りと窺 い知 ることが出来 る。この ような

El i ot

の態度 は、そ の後、た とえば

1 930

年 の

"RhymeandReason,ThePoet r yofJohnDonne

"3

1931

年の

"Donnei nOurTi me"4

等 に散見 され るが、 この辺の考察 を真 っ正面 か ら展開 していったのは、いま触れた

"Shakes pear e and t he St oi ci s m of Seneca"

の中で

Ramsay

女史へ の反論 を表明 した前 の年、つ ま り、先 ほ どの

s omeoft hee xc e s s e soft hats c hol ar l yands t andar dbook , " Le sDoc t r i ne sme di e val e s c he zDonne"byMi s sMar yRams ay.Mi s sRams ayi si nc l i ne d‥.t os e ei nDonn e… a ma nofme di e valmi nd… Butwet hi nkt ha tSi gnorPr az ' svi e w i sne ar e rt oa c c ur a c y:

t hatDo nn ewasme di e vali nhi se duc at i onandi nhi st as t e, butRe nai s s anc ei nmi ndand i ns ens i bi l i t y

.'

H AnI t al i anCr i t i conDonn eandCr as haw

,"

Ti me sLi i e y l a T ySu z P pl e me ni

( De c e mbe r1 7 ,1 9 2 5 ) ,p. 8 7 8 .

I

W.J.Cour t hop e ,A Hi s l o 7 yO fEn gl i s hPo e t 7 y ,Vol .I I I( Mac mi l l an,1 9 2 4 ) ,p p. 1 6 7 1 8 .

2 T.S.El i ot ,Se l e c t e dEs s a y s ,pp. 1 3 8 ‑ 9 .

3 ̀ Nori st he r ea nye vi de nc ef ors ayl ngt hatDo nn ehada" me di a e valmi nd" , Ort hathi s me r i ti st oha vee xp r e s s e dadual i s m ofme di a e valan dmode r ni nhi swor k.Hehadr e a d agoodde alofs c hol as t i cp hi l os op hy, butnotmor et hana nyot he rt he ol ogi a nofhi st i me;

a ndt hel i s tofhi sr e adi n gwhi c hhadbe e nc ompi l e ds howsofhi sownt i meandt he ge ne r at i onbe f or e .Ont hec ont r ar y,hi ss e r i ouspl aywi t hi de ass e e mst obep e c ul i ar l y mode r n, a ndt omakehi m atl e as tasmode m asMont ai gnue ; hi sde l i ghti ni de a sasi de as , i nt he or i e sast he or i e s ,i sanyt hi n gbutme di a e val . 'T.S.El i ot , " Rhymean dRe as on,The Poe t r yofJ o hnDonne

,"

TheLi s t e ne rI I I .6 2( l gMar .1 9 3 0 ) ,p. 5 0 3 .

4 ' ThatDon newa swel lr e adi ns chol as t i cp hi l os op hyi sundoubt e d;butt he r ei sno

r e a s ont os uppos et hathewa sanybe t t e rr e adt hanHooke r ,ort hathewass ode e pl y

i n 月ue nc e dbyme di ae valt houg htasHooke r . 'A Gay l a ndf orJo hnDo nne ,p. 7 .

(9)

2 9 5 Pr az

への書簡 に見 られ る

1 9 2 6

年の

1

月か ら3月にか けてお こなった

F英国 に おける

1 7

世紀の形而上詩』に関す る幾つかの講座」、つ ま り「クラーク講座」(

" On t heMet aphys i calPoe t r yoft heSe ve nt e ent hCe nt ur ywi t hSpeci alRef er ence t oDonne, Cr as hawandCowl e y" )

なのである。 この 「クラーク講座」は、El

i ot

が 「個人的で私的な苦悶」 を経験 して 「人生の最 も暗 い瞬間」 と考 えていた頃 準備 された もので、その意味で、詩人 として転換期 となるものである1。そ して、

この講座 は 「知性 の崩壊」 (

" TheDi s i nt e gr at i onoft heI nt el l e c t " )

とい う題

3

部作 の うちの

1

TheSc ho o lo f Do nne

の一部 となるはずであったO他

2

巻 は

El i z ab e t h anDr ama

Th eSo nso fBe n

とい う題 になる予定であっ た2。 しか し、 この講座 は

" Donnei nOurTi me"

に見 られ るように、その 「テ ーマが十分 に論 じつ くされていたので、 これ らの講座 を一冊の本 にす るのは妥 当ではないように思われた

」3

とい う理由で、今 まで決 して出版 され ることはな かったが、 この 「知性 の崩壊」 こそが

El i ot

1 9 2 1

年 に初 めて持 ち出 したあの 有名 な 「感受性 の分裂」 にかかわ ることなのであるO

ところで

1 9 2 1

年の "TheMetaphys

i

calPoets"で、Eliotは、確か に形而上詩 人の流れ を英国の伝統のみな らず、 ヨー ロッパの伝統で主流であることを発見 しているものの、 この詩的精神の崩壊 を

「 1

7世紀」 に 「英国の精神 に起 こり」

Mi l t onとDr yde nによって悪化 した ものだ と、時間的 にも空間的 に も限 られた

領域内で考 えている4。しか し、El

i ot

1 9 4 7

年の

" Mi l t onI I "

で この発言 を撤 回

1

Er i cGr i f ht h s

,

" Bo u n d a r i e so fLo v e ,El i o t ' ss e a r c hf o rf u s i o ni n p o e t r ya n di n ma r r i a g e

,"

Ti me sLi t e r aり S u p Pl e me nt ( J u l y8 ,1 9 94) ,p . 3.

2 " Th eCl a r kL ec t u r e s "[ Au t ho r ' sPr e f a c e ] ,TheVan' e t i e s o fMe h 砂h y s i c alPo e t r y ,p.

41 .

3 A Ga r l a ndf o rJo hnDo nne ,p . 4 ,Cf . TheVan' e t i e so fMe t a ph y s i c alPo e t

,p. 2 5 ,

4 " Th eMe t a p h y s i c a lPo e t s

,"

Se l e c t e dEs s a y s ,p p. 2 8 6 ‑ 2 8 8 .

(10)

2 9 6

し、 その原因 を 「英国のみで はな くヨー ロッパ に求 めなけれ ばな らない

1と言 っているが、 この撤 回の背景 には、

El i ot

TheUs eo fPo e t 町 a ndt heUs e o f Cn' t i c i s m

の中で 「ある一時期 の詩 について十分 な理解 に到達 しようとす る な らば、我々 は、 自ずか ら、 は じめ一見 した ところで は、詩 と何 ら関係 もない と思われ るよ うな問題 の考察 に導かれ る

」2

と言 った考 えが あ るよ うに思われ る。 この一節 は

El i ot

を注 目すべ き人物 と見 ていたケ ンブ リッジ学派の一人 で ある

Bas i lWi l l e y

TheSe v e nt e e nt h‑ Ce nt u り Ba c k gy l D und

の序文で引用 した ところで もある

この ように、詩 を 「外部的 な標準」によって評価 す る態度 は、

Mi l t o n

を批判 した

El i o t

の立場 で もあった3。 実際

、El i ot

が 「クラーク講座」

" Do nneandt heMi ddl eAge s "

の中で述べてい るように、

Do nn e

の形而上 詩 の特殊 な型 についての定義、見解 に達す るためには、彼 を 「歴史の中」 に置 かなけれ ばな らなか った4。 この ような ことか ら当然 の こととして

Da nt e

の存 在が浮かび上が って くる

。 El i ot

が これ まで

Dant e

と形而上詩 に触 れてい る と

ころは、先 ほ ど触れた

Pr az

の 『英国 にお ける

1 7

世紀主義 とマ リーノ風 の詩』の 書評 として書 いた

" AnI t al i a nCr i t i co nDo nnea ndCr a s haw"

の中に見 られ る だ けであ る。 しか し

、El i o t

は、 ここで

Pr az

が この結 びつ きを 「もっ と詳 し く 調べては しかった要点 である」 と残念 が ってい る

この 「クラーク講座」の刊

1 ̀ I fs uc hadi s s oci at i ondi dt akepl ac e,Is us pe c tt hatt hecaus e sar et oocompl exand t oopr of oundt oj us t i f yourac c ount i ngf ort hec hangei nt e n sofl i t er ar ycr i t i c i s m.Al l wecans ayi s ,t hats ome t hi ngl i ket hi sdi dhappen;t hati thads ome t hi n gt odowi t ht he Ci vi lWar ;. ‥t ha twemus ts e ekt hecaus e si nEur ope, noti nEngl andal one; andf orwhat t he s ecaus eswe r e,Wemaydi ganddi gunt i lwegott oade pt hatwhi c hwor dsand c onc e pt sf ai lus

.'

" Mi l t on

II,"

OnPo e t 7 γa ndPo e t s ,p.1 7 3 .

2 T.S.El i ot ,TheUs eo fPo e t り a ndt heUs eo fCn' t i c i s m ( London:Faber & Faber

,

1 9 68 ) ,p. 7 6. C f .̀ [ T] he r ei ss ome t hi ngi nt e gr ala bouts uc hgr e at ne

ss

,ands ome t hi ng s i gn泊canti nhi spl ac ei nt hepat t e r nofhi s t or y,wi t hwhi c hwehavet or e ckon.Andi n e s t i mat i n gf orour s el ve st hegr e at ne s sofapoe twehavet ot akei nt oac c ountal s ot he hi s i o D Ofhi sgr eat ne s s . 'I b i d, . p. 8 8 ̲

3 T.S,El i ot

,

" Mi l t on

I,"O

nPo e t り andPo e t s ,p. 1 64 .

4 " TheCl ar kLe c t ur e s

,"II

,TheVan' e t i e so fMe h 砂h y s i c alPo e t

ry

,p. 9 0.

(11)

2 9 7

行 に よって、は じめて

Dant e

と形而上詩 の結 びつ きが本格 的 に取 り扱 われたの で あ る1。

この ような立場 か ら考 えるな ら、 この 「クラー ク講座」の狙 い は

Da nt e

を柱 とした

1 3

世紀 の中世 ヨー ロ ッパ の視点 に立 って

、1 7

世紀 の詩 を批判 し、思想の 崩壊 が存在論

( ont ol o gy)

か ら心理学

( ps yc hol ogy)

へ と、客観 的価値 か ら主観 的真実へた どるまさにグロー ヴ ァル な歴史観 にあった ようで あ る. この辺 の こ

とを 「クラー ク講座」 の中で は次 の ように述 べてい る。

政治的論争に熱中 し窮地にある神学は、中世が廷 らせた純粋な考 え、つまりギ リシ ャの無私の精神の光 を消 し去ったが、宗教的感傷 を消 し去ってはいない。逆に、1

6

7世紀の宗教的熱情 は、自然の加速で急速に燃焼 しているの と同 じように、それ自身驚 くべき激 しい熱で燃 えている。そして、人間の好奇心は、一方に逸れて しまうと、別 な方向に変わって しまう。宗教 と神学は、形而上学的真理を放棄 して

、1 7

世紀 に心理 学の方向で展開 している。 これはプラッツ氏が うまく特筆 した修正である2。

つ ま り

El i ot

が この 「クラー ク講座 」で訴 えた ことは、

1

3世紀 か ら

2 0

世紀 までの ヨー ロ ッパ の思想史 を中世 と近 世 に分 け、 この思想 史 の流 れ に応 じて中世 は

ThomasAqui nas

、近世 は

De s c ar t e s

の哲学が それぞれ を表 し、 これ に呼応 す る文学史 で は

Dant e

Donne

が代 表 して い る と言 ってい る こ とであ る。 そ し て、 この中世 と近世 の転換期 を

1 7

世紀 と見 てい る。 これ を ヨー ロ ッパ 的 な文学 史観 に立 って言 うな ら、「ダ ンテは

1 0

貢、ダ ンは

1

頁、ラフオル グは脚注

」3

の分 量 に相 当す る もので、もはや

Donne

は中世 の

Dant e

Gui doCaval c ant i

で は な くなった とい うこ とで あ る。 中世 を代 表 す る

Dant e

の光輝 の前 に

Donne

色槌 せ て行 くので あ る。

この辺 を もう少 し纏 めて言 うな ら、

De s car t e s

以前 は、 ヨー ロ ッパ の精神 は 1高柳俊一

「 T. S.

エリオットのクラーク講座 ‑ダンテと形而上詩の伝統‑

F英語 青

』( May1 ,1 9 9 4 ) 、p p . 6 0 ‑ 6 1

、参照。

2 " Cl a r kLe c t u r e s "I I ,I b i d. ,p . 7 8 .

3 " Th eTu r nbu l lLe c t u r e s "I I I ,I b i d. ,p. 2 9 0 .

(12)

298

比較的統合 されていたが、それ以後、感情 と思考、主観 と客観 とい う形で分裂 して しまった。 この ような歴史観 をイメジの立場か ら述べ るな ら

、1 7

世紀後半 に支配的なったデカル ト的思考のために、 もはや人々は中世的な類比 によって 認識す ること ‑ つ まり、知、情、意の各機能が分化す る以前の原始的心性で ある直感 に始 まる類比的思考

( anal o gi c alt hi nki ng) ‑1

が不可能 になって きた のである。スコラ的な思考方法 は、中世的宇宙観 の崩壊 と共 にその存在理 由を 失い、思考 は単 なる道具 としてか ろうじて存在す ることになる

.El i ot

The Ho l l o u )Me n

の言葉 をもじって言 うな ら、神 において 「本質

」( e s s e nc e)

と 「

」( e xi s t e nc e )

が同 じであった中世的な宇宙観 に亀裂が生 じ、 その間に 「影」

が落ちたのである。 まさに 「デカル ト的世界像がスコラ的世界像 に とって変わ ったので あ る

。」2 El i ot

は この統合 され た感 受性 を古典 主義 と結 びつ け

De s ‑ c a r t e s

の分裂 をロマ ン主義 に結 びつけている30

El i ot

の 関 心 は

、1 9 3 0

年 の 彼 の

" Thi nki ngi nVe r s e ,ASur ve yofEar l y Se ve nt e e nt h‑ Ce nt ur yPoe t r y"

で も触れ られていることであ るが4、「視点の相 違、つ まり、カン トが生 まれ る前の数世紀間 に起 こった真の コペルニ クス的改 革、言 うな らば、古典的なスコラ哲学 とそれ以降のすべての哲学の間にある真 の深淵 を特徴づ ける相違 をはっきり定義す ること」なのである。 この 「相違」

1 S. L Be t he

ll,

" TheNat ur eofMe t aphys i c alWi t ,

"

i nFr ankKe r mode, e d.

,

Di s c u s s i o ns o fjo hnDo nne( Bos t on,1 9 62 ) ,1 3 6‑ 1 4 9.

2 Bas i lWi l l e y ,Th eSe v e nt e e nt h‑ Ce nt u り

z c k gT 1 0 und( LondonandHenl e y:Rout l e dge

& Ke ganPaul ,1 97 9 )p, 8 5 .

3 " TheCl ar k Le ct ur e s "

II

,The Van' e t i e s o f Me t a ph y s i c alPo e t

,p. 8 0,8 4

,

" The Tur n bul lLe c t ur e s " I ,I b i d"p. 2 6 2.

4 ̀ I nt het hi r t e ent hc e nt ur ys uc hs ci e nc ease xi s t e dcoul dbe丘t t e di nt ot het he ol o gl Cal

∝he me;t hewor l doft houghthadani mpr e s s i veuni t y;S ot hatonemi ghts ayt hatt he

di s t i nct i onbe t we e nphi l os ophe r sandt he ol ogi anshar dl yexi s t e d.St .ThomasAqui nas

,

St .Bonave nt ur a,ande venDunsScot uswe r ephi l os ophe r sandt heol ogl anSatOnc ean d

asonet hi ng.Dur i n gt hes i xt e ent hc e nt ur yt woi mpor t antt hi n gshappe ne dwhi c har e

qui t edi s t i nc t ,Thei mpor t antpoi ntaboutt heCopemi c anr e vol ut i oni nas t r onomyi snot

t hati tc ont r ove r t e dt he o f f ic i alas t r onomyoft heChur c h.I ti sr at he rt hati ta f f ir me dt he

s t andi ngofas epar at es ci enc e. ' T .S.El i ot

,

" Thi nki n gi nVe r

se

,A SuⅣe yofEar l y

Se ve nt e ent h‑ G三 nt ur yPoe t r y

,"

Th eLi s t e ne y( Mar c h1 2 ,1 9 3 0) ,p. 4 4 2 .

(13)

299

が生 じるのは「デカル トが、精神 に刻印 され る 『観念』の印象 を鹿 につけられた 封印の跡 になぞ らえる時、つ まり、彼が我々が知 っているのは対象の世界では な くて、 これ らの対象についての我々 自身の観念であるとはっき りと述べ る と きなのである

。 」El i o t

は、 この ように述べて、物体が観念 に呼応 して存在す る と推論す るのは 「蓋然性

」( pr o ba bl e me nt )

によってだけだ とす る

De c ar t e s

Me di h 2 t i o n

の第

6

番 目をあげている1

.El i o t

は、 この

De s c ar t e s

Me di h 2 t i o n

" Donn ei nOurTi me "

の中で再 び取 り上 げて、

Don ne

De s c ar t e s

の先駆 者である として、

Donn e

は 「観念の意味 を追い求めることで はな く、 それ を捉 え、猫の ようにそれ と戯れ、弁証法的に展開 して、観念の中で宙ぶ らりんにな っている最小限のそれぞれの情緒 を引 き出す ことである」と述べている2。 この ような考 えは

De s c ar t e s

によって、事物 は我々の精神 における事物 の 「表象」

においてでなけれ ばその事物 を知 ることが出来ない とい う主観 的観念請

( s u b‑

j e c t i vei de al i s m)

へ導かれて行 く 「認識表象論

」( r e pr e s e n t a t i onalt he or yo f kno wl e d ge)

の哲学 に集約 されて行 くものである3。 これは、当然、神秘主義文 学の違 いによって説明 され る

Dan t e

Donn e

の恋愛詩 に関係 して行 くが4、そ れ はさておいて、「クラー ク講座」第

7

講座 で

El i o t

は、ダンテ とダンの本質的 な違 いを「要約す るなら ‑‑ ダ ンテにあっては、感情の体系 にまさに相 当す る 思考の体系があるのに、 ダ ンの場合 は、だだ感情 の流れ に相当す る思考 のある 種 の流れがあるだけである」と言 っている5。 この比較対照 は、前 に触れた よう

1 " TheCl ar kLe ct ur e s "

,Th eVan' e t i e so fMe t a ph y s i c alPo e t

w

,pp. 8 0‑ 8

1.

2 A Cα r l andf o rJ o hnDo nne ,pp. l l ‑1 3.

3 Mowbr ayAl l an ,T .S .El i o t ' sI mpe 7 S O nalThe o り O fPo e t り ( Le w i s bur g:Buc k n el l Uni ver s i t y,1 97 4) ,pp. 2 7‑ 3 2.

4 " TheCl ar kLe c t ur e s "I l l ,TheVan‑ e t i e so fMe t a ph y s i c alPo e t 町 ,pp. 9 3‑ 1 3 8.

5 " TheCl ar kLe ct ur e"V I I ,TheVan' e t i e so fMe t a ph y s i c alPo e t r y ,p. 2 0 0,Cf .̀ I nDonne

wehavet heme t aphys i calde ve l opmentoff e e l i ngandal s ot hecos mol ogl C albel i e f .I n

Donnewes t i l lhaveac onvi nc e dChr i s t i an,butt hebel i e fi smuc hnar r owe di ns cope; hi s

t he ol ogl Calor t hodoxyandhi spe r s onalpi e t yar ecor r ode dbyas c e pt i c i s m,notyet

e xpl i c i t ,aboutphi l os ophi c alt mt h i nge ne r alhehasno ac c e pt e d c os mol ogy.

'

" The

Tur nbul lLe c t ur e s "I I I ,I b i d"p. 2 9 6,

(14)

3 0 0

に、「クラー ク講座」において

Da nt e

と形而上詩人が は じめて結 びつけ られた こ とか ら引 き出 された ものであ り、まさに

De s c a r t e s

を通 した

Don ne

の近代性 を 洞察 した ものである。 この ように考 えるな ら

De s c ar t e s

の思想 はその まま

1 7

紀 中頃以後 の英国の文学的歩 みに呼応 してい る と考 えられ るようである

El i o t

De s c ar t e s

につ いて触 れ られてい る ところはそ う多 くはないが、 そ の一端 は

1 9 2 6

年 の

Ne w Cnl t en' onに載せた書評 の中 に見 られ る O

この書評で は

He r be r tRe ad

ParRamonFe r na nde z

が対象 となって い る

ここで

El i o t

は、彼 らを心理学的態度 と形而上学的 (存在論的)態度の二 つの異 なる型 を代表 す る批評家 として分類 し

、Fe r na nde s

は心理学 を存在論 に優先 させてい る と言 っている. この心理主義優先 の立場 を

、El i o t

は「デカル ト的視点

」( a Car t e s i an poi ntofvi e w)

と呼んでいる1

。El i o t

の反 デカル ト主義 は、経験主義的、心理 主義的傾 向 を厳 し く批判 した

F.班.Br adl e y

哲学 を通 して、 さ らに徹底 した形 で受 け継がれた もの と見 られ るが2、彼 が 「パ スカル論」 (

" The ̀ Pe ns さ e' o f Pa s c al " )

を書 いた とき、

De s c a r t e s

批判 の根 拠 として

J ac que sMar i t ai n

Thy l e e R e j T or mey :

Sをあげている ところにはっき りと窺 い知 る こ とが 出来 る3.

El i o t

Ma r i t ai n

対す る関心 は、彼が

Pr az

へ手紙 した

1 9 2 5

年、 フランス南部 に出か け 「クラー ク講座」の準備 の傍 ら彼 の著作 を読 み4、 その後

1 9 2 7

年 に彼 が

Cr

i

t e n' on

Ma r i t ai n

の "P

oet r y a n

dR

e

li

g ion"を掲載 した ことに窺

い知 るこ とが出来 るが、

El i o t

は この

Thy l e e R e j T oml e Y :

Sの書評 の中で、

Ma r i t ai n

は 「デ カル トは天使 的思考 の型 を求 めた人 間的思考 を感 じ とって い る」 と言 って い

1 Ne w Cn' t e r i o n 4( Oc t o be r1 9 2 6) ,pp. 7 5 41 7 5 5.

2 F.H.Br adl e y ,A L ) Pe a T m C ea ndRe a l i t y ( Oxf or d,1 9 6 8) ,p. 6 4 ,2 7 9.Cf .̀ The r ei s ,i n t hi ss e ns e,not hi ngment al ,andt he r ei sc e r t ai nl ynos uc ht hi ngascon s c i ous ne s si f c ons ci ous ne s si st obeanobj e c tors ome t hi n gi nde pe nde ntoft heobj e c t swhi c hi thas . ' T.

S,El i ot , Kno wl e d gea ndE砂e n' e nc ei nt h eph i l o s o ph yo fF.H. By a dl e y( London:Fabe r &

Fabe r ,1 9 6 4 ) ,p. 8 3,

3 T.S.El i ot ,Se l e c t e dEs s a y s ,p. 41 5 .

4 Pe t erAckr oyd ,T̲ S.El i o t ( London:Hami s hHami l t on) ,p. 1 5 5.

(15)

3 0 1

1。

Ma r i t ai n

にしてみれば、人間が天使 の思惟 を持 つ と考 えた

De s c ar t e s

許 す ことが出来 なかったのである。 トマス神学 によるな ら知 の世界 と感覚の世 界 は認識論的 に不可分 な もの として人間 に与 えられたのである。ところが

De s ‑ c a r t e s

は知 を感覚か ら独立 させた

。El i o t

Pas c al

の一節 ‑ 「私 はデカル ト

を許 すわ けにはいかない。彼 はその全哲学 の中で、で きれ ば神 な しで済 ませた い と思 った。だが、彼 は世界 に運動 を与 えるために、神 に最初 のひ と弾 きをさ せないわ けにはいかなかった。 それがすめば、 もはや彼 は神 を必要 としない」

を引用 して、「彼 [パ スカル]はデカル トの失敗 した ところで成功 している、

デカル トには幾何学的精神 の要素が多す ぎるか らである

」2

と言 ってい るのは、

反デカル ト的立場 を典型的に表 しているもの と思 う

。El i ot

が 「パ スカル論」を 書いたのは改宗後で、当然 なが らその

De s c a r t e s

批判 には神学的な視点が含 ま れている。それ は、直接 には

Ma r i t ai n

の、間接的 には

St . Tho ma sAqui na s

思想か らきている

。Pas c al

に とって神 は、理性が知 る存在で はな く、心情が「 じる」存在であった。 しか しなが ら

、El i ot

Pa s c al

が頭 よ り心 を、理性 よ り 非理性 を重ん じた とは解 していない。実際

、El i ot

は「パ スカル論」で

Pa s c al

心情

( c oe ur )

には理性 の知 らない論理がある」とい う言葉 を世間で正 し く引 用 されていない ことを指摘 した上で 「パ スカルの用語法では、心情

( he ar

t)が 本 当の心情 であれば、それは真 に理性的な ものである。彼 に とって、科学 の問 題 よ りも大 き く、難 し く、そ して重要である と思われた神学 の問題で は、全人 格がかかわって行 くのである

」3

と言 っている。 これはまさに知性 と感性 の統合 と言 うべ きもので、 この本来の 「統合」が如何 にして崩壊 して行 ったのか とい うことを論証 しようとしたのが 「クラー ク講座」なのである。だか らこそ

El i o t

1 T.S.El i ot

,

" Thr e eRe f or me r s

,"

Ti me sLi t e T l aり Su z ・ Z ) l e me nt( Nove mbe r8 ,1 9 2 8 ) ,p.

8 1 8 .

2 T.S.El i ot ,Se l e c t e dEs s a y s ,p. 4 1 5 .

3 I b i d. ,p. 41 6.

(16)

3 0 2

Ma r i t ai n

によって

Aqui nas

の神学哲学だ けでな く中世 ヨー ロッパ文化、文 学の持 っていた秩序 と統一性 の感覚 を

、Dant e

Aq ui nas

を拠 り所 として、現 代 の混沌 を理念の面で救出す ることが出来 るのではないか と考 えたのである。

I

El i o t

De s c a r t e s

以前の統一 された

Dant e

を中心 とす るラテ ン中世 に憧 れ て行 く姿 は、英国国教会への改宗の頃 に書かれた

Da nt e

の濃 い影 を落 としてい

As h‑ We dne s dd

yを境 に して、牧歌的

( pa s t o r a

l)な ものを背景 に自らを理想 的始源状態に回帰 させ ようとす る彼の描 いたパス トラルな風景 にも見 られ る

この辺の分析 は

As h‑ We dne s da y

3

章 の、 あや しげなふ くらみのついた窓か ら見 られ るまばゆい春 の景色、第

4

章 の下地 となってい る

Dant e

の 「地上楽 園」、 また、 この章 に取 り入 れ られ た

Dant e

の 言 う 「高 い夢

」( t hehi ghe r d r e a m)

、そして第

6

章 に見 られ る 「追憶 の風景」な どか らも窺 い知 ることが出 来 る。 そして、 これ らの風景 は

Fo ur

Q

uar

t

e

tsの牧歌的なヴィジ ョンの場 とも なっている木々の間で群れ遊ぶ子供達の 「蓄夜 園

」( t her os e ‑ gar d e n)

への回帰 とつ らなって行 く1。

W. W. Cr e g

によるな ら、牧歌 は本質的 に回帰的なテーマ を取 り扱 い、ある意味で歴史の過程 を逆転 し、その由来か らして、一種の願望 成就 を念願す る文学で、感情 と思考 との原始的形態への回帰のテーマをも取 り 扱 うことになる2

。El i o t

は改宗 を境 に して、この ようなパ ス トラル・ヴィジ ョン

Donne

にではな くて

、Dant e

に投射 して行 くことになるのである。そ して、

この中世 ラテ ンの特質 となっている 「理想的景観

」( Thel de alLand s c ape )

ある牧歌的風景 は、 とりもなおきず堕落以前 の楽園を暗示 している

この堕落 以前 の楽園においては、当然の ことなが ら、「名付 けること

」( na mi ng)

と 「

1拙論

F蕎葎園』への回帰

‑T, S. El i ot

の F子供』のイメー ジを巡 って

F文経論叢』

3 0

巻第

3

号 (弘前大学人文学部

、1 9 9 5 ) ,pp. 9 3‑ 1 1 2

0

2 W.W.Cr e g ,Pa s t o r a lPo e t 7 ya ndPa s t o r a lDr a ma( London: A ̲H.Bul l e n,1 9 0 6)

(17)

3 0 3

識す ること

」( kno wi ng)

は実質的に同 じ行為 なのである

。El i o t

" Swi nbur ne asPoe t "

の中で言 っていることであるが 「言語 は健康 な状態 にあっては、その 対象物 を提示 し、言語 と対象が見分 けがつかない くらい対象物 に密着 している のである」1。 この辺 は、「創世記

」2

、1 0

章、

1

1章、 また、古典 的典拠 として

J o hnMi l t on

Par a di s eLo s t

の第

8

( l l.3 4 9 ‑ 5 4 )

に見 られ る例 の鳥や獣 に

名 を与 え、彼 らの性 を知 り分 けた」な どをあげることで論 じられ る ところで ある

。 El i o t

に とって 「我々 は事物が (エデ ンの園の動物の ように)さまよいな が ら名前 に出会 い命名 され るのを待 っていることを空想す るように、その よう に、名前が私たちの頭 の中で さまよいなが ら事物 を待 っている と空想 して もよ いのである

。」2

最 も高度 な詩的イメジは

、El i ot

が形而上詩の定義で使 った言葉 を使 うな ら、あたか もキ リス トの受肉の ように 「一瞬、肉の痛 ましいあ らゆる 喜 びで抽象性 を纏 うこと

」3

なのである

彼 は、言葉 と物 の どち らが一方 に先立 つ とす る立場 は とらなか った。つ ま り

、El i o t

は主体 (主観)と客体 (対象)との 二分法 を前提 とす ることを否定 しているのである

彼 の

"Ul ys s e s ,Or de r ,and My t h"

に見 られ る神話 に対す る関心 は、

El i ot

の 「感受性 の分裂」の理論、文化 の崩壊 に関す る有力な理論 と密接 に関係 していることは明 白であるが、 この中 で興味 あることは

W.H.Thake r ay

Swi f t

批判 に対 して

、El i ot

Swi f t

" A Voya get ot heHouyhn hnms "

の結論 は 「人間精神が これ まで獲得 した最 も大 きな勝利 の一 つ

」4

で あ る として

Swi f

tを弁 護 して い るが、 これ は単 に

Swi f t

のペ シ ミズムの問題 だ けでな く、 7‑ イ ヌム の言 語 の 中 に

Gul l i u e r' s

Tr au e

由第

3

5

章で紹介 され る 「ラガー ドー学士院

」( t heGr andAc ade my o fLa ga do)

の言説 に関す る一連 の企画の背後 にある当時の人工的国際語、いわ

l T.S,El i ot ,Se l e c t e dEs s a y s ,p. 3 2 7 .

2 T.S.El i ot ,Kno u ) l e d gea ndEx pe n' e nc ei nt hePhi l o s o p yo fF.H.BT d

le

y( London:

Fa be r & Fa be r ,1 9 6 4 ) ,p. 1 3 5 .

3 … TheCl ar kL ec t ur e s "

,TheVay i e t i e so fMe h 砂h y s l ‑ c olPo e t

ry

,p. 5 5 .

4 T.S.El i ot

,

"Ul y s s e s ,Or de r ,andMyt h

,"

Di al ,LXXV.5( Nov.1 9 2 3 ) ,p. 4 8

1.

(18)

3 04

ゆる 「エデ ン語」の問題 と何 らかの関係があるように思われ る。 この辺 は

、1 7

世紀のいわゆる普遍語

( uni ve r s all an g ua ge )

の試みを行 った

J o h nWi l ki ns

AnEs s a yTo wwdsaRe alCh wa c t e randaPhi l o s o phi c alLa n gu qe( 1 6 8 8 ) 、

さらには、

Umbe r t o Ec ho

の 『完全言語の探求

』( La r i c e r c a de l l a l i n gua pe r f e t t a)

な どか ら興味深 く考察 され るところであるが、

El i ot

の内部で はこの

「ェデ ン語」への願望が中世 ラテ ン語 とい う形で表れているようである

つ ま

、El i o t

1 9 2 9

年の

" Dan t e"

、Da nt e

の 「普遍性

」( uni ve r s i t y)

を強調 し『 曲』の普遍性 は

Da nt e

個人の産物 である というよ りも、彼の時代のイタ リア語 が普遍的 ラテ ン語か ら発達 した事実 に求 め られ るべ きである と言っている

1

。こ の ように考 えるな ら、知性 と感性の融合 を求 める

El i o t

の統一性 は、彼 自身の内 部で喪失 した とい うので はな く、む しろ、その願望が

Donne

か ら

Dant e

に、も っ と大 きな史観 か ら言 うな ら

1 7

世紀英国ではな くラテ ン中世 に移 って行 った と 考 えるべ きである

この興味の変化 は、彼が成長するにつれて

Dan t e

に対す る 志向 と共 に、彼 自身の内部 に鮮明 に浮かび上が り、それが逆比例 して

Dome

価 に反映 して行 った と考 えられないだ ろうか。

Bas i lWi l l e y

によるな ら 「デカ ル ト的精神 は、散文の世界 と詩の世界 をよ りはっきり分離 させ る傾 向を強め

T.

S .

エ リオ ッ トが形而上詩人以後起 こって きた と言 っているあの感受性 の分裂 を促 す ことになった

」2

のである

。 El i ot

Donne

の心性の中に、近世的、科学 的な論理的思考 を見出 し、 これ を批判す るようになったのである

。El i ot

" A Not e sonTwoOde sofCowl e y"

で言 っていることなのだが、神学か ら科学へ の移行 は 「思考 と感情 を分裂 し、混同させて行 く運命 にあるあの進行の遅 い病 の 兆 候

」3

を こ うむ る こ と に な る

。 El i ot

に とっ て

Dant e

の 詩 の 枠 組 み は

1

T.S.El i ot ,Se l e c t e dEs s a y s ,p. 2 3 9.

2 Bas i lWi l l e y ,Th eSe v e nt e e nt h‑ Ce nt u r yBa c k gr o und ,p. 8 3.

3 T.S.El i ot

,

" A Not e son Two Ode sofCow ie y , "Se v e nt e e nt h Ce nt ur y St udi

es,

Pr e s ent e dt oSi rHe r be r tGr i e r s on( oxf or d:Att heCl ar e ndonPr e

s

s ,1 9 3 8) ,p. 2 3 8.

(19)

305 Aqui na s

の知性 と感覚の調和 を基盤 に した真実 の信仰 に基礎 をおいてい るけ れ ども、

Dome

は 「人間の精神が大筋 において跡付 けることが出来た存在 に浴 ける統一、実在 と観念 との関係 とい う中世思考の範噂の意味 において、信念の

1ではな くなって きたのである

。El i ot

に とって 「形而上詩の理論」は 「信仰 の歴史の理論

」( t he o r yofhi s t or yofbe l i e f )

2を も含 む ものなのである。 この ような ことか ら、

El i ot

" Donnei nOurTi me "

の中で 「ダ ンには、思考 と感 受性 の間 にはっき りとした分裂があった」 と述べたのである。

しか し、 ここで注意 しなけれ ばな らない ことは、

El i ot

はその文 の後 にす ぐ

Donne

はその 「裂 け目を中世的でない彼 自身のや り方で、彼の詩 において埋 め ようとした」と言 っていることである。

El i ot

Donne

批判 の根拠 は今 まで考 察 した ことか ら見 るな ら

、De c a r t e s

か ら導 き出 され る近世的思考であった。一

、El i ot

" Donnei nOurTi me "

の結びで 「ダンは常 に、英語の数少 ない偉 大 な改革者で守護者の一人であると認 め られ るべ きである」 と言 って彼 の業績 を称 えている。「ダ ンの改革的な活動 は、その前の革命、つ ま り劇 に見 られ る無 韻詩の改革が尾 を曳いているうちに行われたので、 ドライデ ンほ ど直接的 には っき りしている ものではない。 シェイクス ピアの時代 に とって、無韻詩 は、熱 烈な思考 を伝 える完全 な媒介物」であったが 「拝情 詩 は相変わ らず楽器 や舞台 設定 に依存 している状態であっ た

。 」Do nne

はこの「拝借詩の可能性」を広 げた のである。つ まり、「エ リザベス朝演劇 の無韻詩 に主 に見 られ る思考 と感情 の複 雑 な結合 は、ダ ンと共 に、短 い、幾分拝情 的な詩へ移行」したのである3。 の ような一節 を念頭 に置 くな ら

、El i ot

が 「ダ ンには、思考 と感受性 との間 には っきりとした分裂があった」 と言 ったのは、あ くまで もヨー ロッパ思想史の立 場か らなされた ものである。

Donne

には「中世的ではない彼 な りのや り方で」、

1 T.S.El i ot

,

" Donnei nourTi me

,"

A Gar l andf o rJo hnDo nne ,p . 8 .

2 " TheCl ar kL ec t ur e s

,"

VI I I ,Th eVan' e t i e so fMe t a ph y s i c alPo e t

,p. 2 2 0 .

3 T.S.El i ot

,

" Donn ei n OurTi me

,"

A Gar h mdf o rJo hnDo nne ,p. 1 4 ,1 6 .

参照

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