新 羅 玄 一 撰 ﹃ 無 量 寿 経 記 ﹄ 諸 本 の 系 譜
袂 袒書 陵部 蔵奈 良朝 写本 を中 心と して 袂袒南
宏 信
国際 仏教 学大 学院 大学 研究 紀要 第 号︵ 平成 年︶ 17
25 Journal of the International College
for Postgraduate Buddhist Studies Vol. XVII, 2013
新 羅 玄 一 撰 ﹃ 無 量 寿 経 記 ﹄ 諸 本 の 系 譜
袂 袒 書 陵 部 蔵 奈 良 朝 写 本 を 中 心 と し て 袂 袒 南
宏 信
はじ めに
『無 量寿 経記
﹄と は康 僧鎧 訳﹃ 無量 寿経
﹄を 新羅 僧玄 一が 注釈 した もの であ る︒ 上巻 のみ が現 存し
︑そ の注 釈 範囲 は﹃ 無量 寿経
﹄上 巻に 対応 する
︒活 字版 が﹃ 卍続 蔵経
﹄︵ 三十 二巻 に︶ 収録 され てい るの で容 易に 繙く こと が でき る︒ 内容 は﹃ 大智 度論
﹄や
﹃瑜 伽師 地論
﹄等 の経 論を 多用 して 注釈 して おり
︑特 に阿 弥陀 仏の 四十 八願 の理 解で は新 羅僧 法位 に依 拠し てい る()
︒ 恵谷 隆戒 氏は 新羅 浄土 教の 系譜 を︵ 一︶ 浄影 寺慧 遠︵ 地論 宗︶ の浄 土教 の系 譜と
︵二
︶玄 奘・ 慈恩 等︵ 唯識 系︶ の浄 土教
︵円 測・ 憬興
・太 賢・ 遁倫 等︶ の系 譜に 大別 して いる
︒浄 影寺 慧遠 の系 統の 中に はさ らに 皇竜 寺の 系統
︵円 光・ 慈蔵
・元 暁・ 義湘
・義 寂︶ と︑ 法位
・玄 一の 系統 との 二つ の系 譜を あげ てい る()
︒ 玄一 に限 って 見る と︑ 恵谷 氏は
︑﹁ 玄一 の著 作は 法位 の著 作に よっ て記 した もの
﹂︵ 五九 頁︶ や﹁ 玄一 の﹃ 無量 寿経 疏ママ
﹄に 彼の 説を 引用 し︑ 彼が 殆ど 法位 の説 に依 って いる
﹂︵ 六一 頁︶ と言 及し
︑具 体的 には 法位 の解 説を する のみ であ る︒ 恵谷 氏の 系譜 の分 け方 を見 ても 分る よう に︑ 玄一 はあ まり 注目 され てい ない よう であ る︒ 国際 仏教 学大 学院 大学 研究 紀要 第十 七号
平成 二五 年三 月
二五
一︑ 引用 文献 に見 る玄 一の 特徴 と生 没年 その 理由 とし て挙 げら れる のは
︑玄 一の 事績 を伝 える 伝記 がな く︑ 現存 する 著作 が﹃ 無量 寿経 記﹄ のみ とい う こと であ る︒ よっ て生 没年 は未 詳で あり
︑他 の新 羅僧 の著 作に おけ る玄 一へ の言 及や
︑自 身の 著作 の内 容か ら類 推す るし かな い︒ つま り憬 興の
﹃無 量寿 経連 義述 文賛
﹄が 玄一 に言 及す るこ とや
︑玄 一が 基︵ 六三 二~ 六八 二︶
︑ 元暁
︵六 一七
~六 八六
︶を 引用 し︑ 特に 法位
︵唐 代︑ 七世 紀︶ の﹃ 無量 寿経 義疏
﹄を 多用 する こと から 七世 紀か ら 八世 紀初 めの 人物 であ ろう とさ れる
︒以 下︑ 引用 文献 を整 理す るこ とで
︑今 一歩 生没 年に 関し て検 討し たい
︒ま たこ の整 理よ り見 える 玄一 の特 徴を 概観 して おく
︒恵 谷氏 の指 摘通 り法 位と 全く 同一 であ れば
︑著 述を 書き 残す 必要 はな いの であ るか ら︑ ここ に法 位と 玄一 の相 違を 明ら かに し︑ 玄一 の浄 土教 思想 にお ける 特徴 の一 端を 示し てみ たい
︒
『無 量寿 経記
﹄の 科段 は︻ 図一
︼の 通り
︒一 方︑ 恵谷 氏が 復元 した 法位 の﹃ 無量 寿経 義疏
﹄は
︑他 の書 物に 散 在し てい る引 用を 収集 して 復元 した もの であ るの で︑ この 復元 本に よっ て科 段を 作成 する こと はで きな いが
︑以 下引 用文 献を 比較 する こと で玄 一の 特徴 と生 没年 を見 てい く︒ 法位 が﹃ 無量 寿経 義疏
﹄︵ 恵谷 復元 本︶ で引 用す る経 論は 管見 では
︑﹃ 観無 量寿 経﹄︵ 六回
︑︶
﹃法 華経
﹄︵ 二回
︑︶
﹃仏 説仁 王般 若波 羅蜜 経﹄︵ 一回
︑︶
﹃瓔 珞経
﹄︵ 一回
︑︶
﹃弥 勒問 経()
﹄︵ 一回
︑︶
﹃弘 誓海 慧経()
﹄︵ 一回
︑︶
﹃摂 大乗 論﹄︵ 二 回︶
︑﹃ 大論
﹄︵ 一回
︑︶
﹃往 生論
﹄︵ 二回
︑︶ 浄影 寺慧 遠﹃ 無量 寿経 義疏
﹄︵ 一回 で︶ ある
︒ これ に対 して 玄一 の引 用す る経 論は
︑﹃ 法華 経﹄
︵四 回︶
︑﹃ 観無 量寿 経﹄
︵五 回︶
︑﹃ 阿弥 陀経
﹄︵ 一回
︶︑
﹃無 量清 浄 平等 覚経
﹄︵ 六回
︶︑
﹃称 讚浄 土仏 摂受 経﹄
︵一 回︶
︑﹃ 悲華 経﹄
︵一 回︶
︑﹃ 金光 明経
﹄︵ 一回
︶︑
﹃瑜 伽師 地論
﹄︵ 三八 巻二
新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
二六
証明
力
我心 第四﹁叙興分﹂ 歎問合儀 如来反問
阿難奉答
嘆今問
叙興世意 総
別 以法済世
□□□逢
嘆問多益
其知難重
身興絶踰世 標立
嘖所由
示所以
第五﹁正説分﹂ 勅聴
対曰欲聞受旨
広説 古仏興世
有王修行 聞法
発心 両頌半讚仏色相
出家 半頌讚仏名聞
嘆徳 両頌嘆仏福智
讚仏 叙敬相 半頌讚仏断徳
叙請 以頌正嘆 七頌讚仏 一頌半讚仏恩徳
説法 十三頌自述所願 一行願作仏
一行願修行
反問令思 一行願願安衆
推深請説 四行願行不退 両行対劣而明勝
如来正説 知機 両行願摂妙土 両行挙事而顕勝
授法 一行願摂衆生 一行請世自在王仏為我証明
摂行 両行願仏証明 一行請世自在王以仏神力
明摂行成 一行願能忍苦 十方諸仏令知我心
令顕説
広陳願行 願必得果 観相発願
摂果相 説相授与 依願起行
修行時節
明命修短
摂行多少
明勝願 長行利願
明勝行 以偈頌
称願動祥
顕願成就
結前
起行 総明起行
別明起行
明自利行 長時修
明利他行 無余修
明兼利行 無間修
明行功徳 恭敬修
別明諸行 明三業調柔行 意業調柔
総結 明六度離著行 口業調柔
明神通示現行 身体調柔
二行
釈
釈自利行
釈利他行
仏摂果相 成仏時節 明成仏 問
徒衆摂果相 器世荘厳 明時節 答
報相妙 修有善厳 所無
摂︵報︶命︵寿︶修短 明無悪相 問答料簡
徒衆多少 釈迦自嘆
宝樹麗 衆聖共嘆
楼閣槃爵 顕説無尽
仏寿 例釈寿命
明生類 徒衆寿 略歎数及徳
明教門 広明数量
勧励 総明数多
略明徳大
別願顕社会数多
明諸宝樹
明菩提樹
明校量顕勝
明七宝厳殿
明池流狭衛 正明池流
明彼声
総題往生類
別顕生類 明已生者摂果相 内徳
明欲往生者行相 外徳
明衆聖崇歎 形徳斉等
明自土聖徳 校量顕勝 如来問
阿難奉答
如来述成
述成校量
広明勝相 明諸供具
明徳風
明華厳 ︻図一︼
回︑ 八三 巻八 回︑ 九六 巻一 回︶
︑﹃ 成実 論﹄︵ 一回
︑︶
﹃大 智度 論﹄︵ 一二 回︶
︑﹃ 十地 経論
﹄︵ 一回
︑︶
﹃菩 薩地 持経
﹄︵ 一回
︑︶
﹃往 生論
﹄︵ 一八 回︶
︑﹃ 法華 音義()
﹄︵ 一回
︑︶
﹁玄 奘云
﹂︵ 一回
︑︶
﹁基 法師 云﹂︵ 六回
︑︶ 浄影 寺慧 遠︵﹃ 無量 寿経 義疏
﹄等 四 回︶
︑﹃ 観経 疏﹄︵ 慧遠 カ︑ 一回
︑︶
﹁法 位云
﹂︵ 一三 回︶
︑﹁ 因法 師﹂︵
五回
︑︶
﹁弁 法師()
﹂︵ 一回
︑︶
﹁憬 法師()
﹂︵ 三回
︑︶ 元暁
︵一 回︶ であ る︒ この 他に は﹁ 有本 云﹂︵ 三回 や︶
︑外 典と して は始 皇帝 によ る文 字統 一の 一環 とし て李 斯︵
?~ 紀元 前二
〇八 ら︶ によ って 作成 され た﹃ 蒼頡 篇﹄︵ 一回 や︶
︑前 漢の 始元 六年
︵紀 元前 八一 に︶
︑桓 寛が
︑朝 廷で 開か れた 塩や 鉄の 専売 制を 巡る 討論 会の 記録 をま とめ た﹃ 塩鉄 論﹄
︵一 回︶ も引 用す る︒ 玄一 が﹁ 法位 云﹂ とし て一 三回 も引 用す るの は︑ 恵谷 氏が 指摘 して いる よう に︑ やは り法 位を 重視 し︑ 依拠 し てい ると いえ る︒ 他方 で法 位に はな い特 徴と して
﹃称 讚浄 土仏 摂受 経﹄
﹁玄 奘云
﹂﹁ 基法 師云
﹂な ど︑ 新訳 経典
︑ ある いは その 新訳 の訳 者や 弟子 を引 用し てい る点 があ げら れる
︒玄 奘は 六四 五年 に長 安に 戻り 翻訳 事業 に着 手し てい るの で︑ 法位 と玄 一と の生 存年 代を 隔て る一 つの 基準 とな り得 よう
︒つ まり これ まで は﹁ 七世 紀頃
﹂と のみ され る法 位の 生存 年代 は︑ その 没年 を七 世紀 中頃 以降 に設 定で きる
︒ また 玄一 は︑
﹃往 生論
﹄を 法位 より も多 い︑ 一八 回も 引用 する が︑ これ は偈 頌の ほぼ 半数 を﹃ 無量 寿経
﹄に 対 応さ せて いる
︒憬 興も
﹃往 生論
﹄を 多く 引用 はす るも のの 玄一 ほど では ない
︒こ れも また 玄一 の特 徴と して 挙げ られ よう
︒ 二︑ 諸目 録に 見る
﹃無 量寿 経記
﹄ まず は諸 目録 に載 録さ れる 玄一 の著 作を 参看 して 整理 して いく
︒か つて 韓普 光氏 が﹃ 正倉 院文 書﹄
﹃新 編諸 宗 新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
二七
教蔵 目録 総録
﹄﹃ 東域 伝灯 目録
﹄﹃ 浄土 依憑 経論 章疏 目録
﹄な どで 整理 して いる が()
︑今 回は それ に加 えて
︑新 出の 目録 も追 加し
︑ま た修 正す べき 箇所 も見 受け られ たの で再 整理 して いく
︒高 麗の 義天
︵一
〇五 五?
~一 一〇 一︶ 編 纂の
﹃新 編諸 宗教 蔵目 録総 録﹄︵ 一〇 九〇 に︶
﹁玄 一﹂ 名を 五箇 所確 認で きる
︒ 大涅 槃經 料簡 一卷
玄一 述() 法華 經疏 八卷
玄一 述()10 小阿 彌陀 經疏 一卷
玄一 述()11 瑜伽 論疏
十七 卷 玄一 述()12 中邊 論料 簡 玄一 述()13 日本
の目 録に おい ては
︑石 田茂 作氏 が﹃
写経 より 見た る
奈良 朝仏 教の 研究
﹄で
﹃正 倉院 文書()
﹄の 記録 を整 理し てお り︑
14
玄一 の著 作で は﹁ 法華 疏﹂
﹁随 願往 生記
﹂の 名前 を確 認で きる
︒そ の後 佐藤 哲英 氏が 新羅 浄土 教関 係の 著作 を抜 粋し て整 理し てお り︑ そこ には 以下 三回 の書 写が ある とす る()
︒15 兩卷
無量 壽經 記 玄一 集 天平 二十 年︵ 七四 八︶ 兩卷 無量 壽經 疏 玄一
勝寳 四年
︵七 五二
︶ 無量 壽經 述記 玄一
寳字 七年
︵七 六三
︶ しか し宝 字七 年の
﹁無 量寿 経述 記﹂ の記 述に つい ては
︑以 下二 箇所 の通 り︑ 玄一 の選 者名 がつ いて いな い︒ 何ら
新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
二八
かの 誤り で載 録し たと 思わ れる
︒ (一
︶天 平寶 字七 年︵ 七六 三︶ 七月 一日 の﹁ 大師
惠美 押勝
家牒
正倉 院 文 書/
︵續 々修
三帙 十裏
︶/ 太師 家牒
東大 寺三 綱務 所/ 合應 請疏 三百 八十 二卷
﹂に
﹁﹁
請*
無﹂
量壽 經述 記一 卷*
﹁十 五﹂(
﹂)
とあ る︒
16
(二
︶天 平寶 字七 年︵ 七六 三︶ 七月 五日 の﹁ 奉冩 經所 請疏 文案
正倉 院 文 書/
︵續 々修
三帙 十裏
︶/
﹁*
奈良
﹂合 令疏 壱佰 陸拾 卷之
中四 卷黄 紙及 表无 帶梨 軸 十卷 黄紙 及表 綺帶 梨 軸百 五十 二卷 白紙 黄表
綺帶 梨軸
宮一 切經 内之
﹂に
﹁無 量壽 經述 記一 卷()
﹂と ある
︒
17
承暦 元年
︵一
〇七 七︶ の書 写奥 書を 持つ
︑僧 蓮書 写﹃ 阿弥 陀仏 経論 並章 疏目 録()
﹄に は一 箇所 確認 でき る︒
18
阿彌 陀經 疏一 卷玄 一︵ 三六 ウ三
︶ 玄一 の名 以外 に著 者名 不明 で﹁ 両巻 無量 寿経 疏二 巻︵ 三六 ウ二
﹂︶ なる 書名 も挙 げる が︑ これ が玄 一の もの であ る かど うか かは 判断 でき ない
︒ 興福 寺の 僧︑ 永超
︵一
〇一 四~ 一〇 九五 編︶ の﹃ 東域 伝灯 目録()
﹄︵ 一〇 九四 年成 立︑ 今は 院政 期か ら鎌 倉時 代初 期の 写
19
本で ある 高山 寺所 蔵本 を使 用︒ に︶ よる と以 下の 三箇 所に 名前 を確 認で きる
︒ 同經 記三 卷玄
︵一 二〇 オ八
︶
「○
﹂同 疏一 卷玄 一師
︵二 二オ 一︶ 同經 疏三 卷玄 一師
︵三 八ウ 六︶ 新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
二九
「同 經﹂ とは 順に
﹃無 量寿 経﹄
﹃阿 弥陀 経﹄
﹃梵 網経
﹄を 指す
︒
『高 山寺 聖教 目録()
﹄は 以下 の通 り︒
20
同經 疏一 卷
(朱 色︶
﹁玄 一造
」( )
(
﹃無 量壽 經疏
﹄)
21
『古 聖教 目録()
﹄︵ 一一 七五 年~ 一一 八〇 年の 書写
︶は 以下 の通 り︒
22
亦无 量壽 經記
上中 下 玄一 集 六十 三枚 法然
︵一 一三 三~ 一二 一二 の︶ 門人 で︑ 諸行 本願 義を 立て た覚 妙房 長西
︵一 一八 四~ 一二 六六 が︶ 編集 した
﹃浄 土 依憑 経論 章疏 目録()
﹄︵
﹃長 西録
﹄︶ では
︑玄 一の 名は 以下 二箇 所に 確認 でき る︒
23
同經 記二 卷五 丁
玄一
(一
〇ウ ) (
﹃無 量壽 經記
﹄) 同經 記二 卷五 十八 丁
玄一 (一 四ウ ) (
﹃阿 彌陀 經記
﹄)
「同 經記 二卷
﹂で
﹁五 丁﹂ とあ るの は少 な過 ぎる
︒ 醍醐 寺所 蔵文 書で ある
﹃三 宝院 経蔵 目録
﹄の
﹁三 宝院 経蔵 顕教 聖教 目録()
﹂に は︑
24
新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
三〇
同經 記
在下 卷 玄一 集
とあ る︒ 当該 目録 は座 主義 演︵ 一五 八八
~一 六二 六︶ が慶 長九 年︵ 一六
〇四 に︶ 書写 した とあ る︒ その 奥書 には 永 仁六 年︵ 一二 九八 と︶ あり
︑そ の時 点に おけ る蔵 書の 概要 を知 るこ とが 可能 であ る︒ 記録 の通 り下 巻が 現存 して いる ので あれ ば︑ 玄一 の思 想を 探る 上で 非常 に有 益で ある
︒ 以上
︑ま とめ ると 合計 八本 が確 認で きる
︒
○大 涅槃 經料 簡 一卷
○法 華經 疏 八卷
○小 阿彌 陀經 疏︵ 阿彌 陀經 疏) 一卷
○瑜 伽論 疏 十七 卷
○中 邊論 料簡
○兩 卷無 量壽 經記
︵兩 卷無 量壽 經疏
︑無 量壽 經疏 二︶ 卷︑ 或は 三卷
○梵 網經 疏 三卷
○隨 願往 生經 記一 卷 今話 題と して いる
﹃無 量寿 経記
﹄は
﹁疏
﹂﹁ 記﹂ の呼 称を 見る が︑ 次項 でみ るか ぎり
︑現 存諸 本は
﹁記
﹂の み が伝 わっ てい る︒ 巻数 に関 して は﹁ 二巻
五丁
﹂﹁ 三巻
﹂﹁ 上中 下﹂ とあ り︑ また 巻数 を記 さな いも のも あり 表記 は 区々 であ る︒ 但し 現存 本を 見る 限り
︑﹃ 無量 寿経
﹄の 注釈 範囲 が上 巻の 最後 まで であ るこ とか ら三 巻本 であ った 新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
三一
とは 考え 難く
︑二 巻本 であ った とす る方 が妥 当で あろ う︒ また 著者 名は
﹁玄 一集
﹂﹁ 玄一 師﹂
﹁玄 一述
﹂﹁ 玄一
﹂ の表 記が ある
︒ 最後 に︑ 時代 は下 がる が玄 智︵ 一七 三四 袞一 七九 四︶ 編﹃ 浄土 真宗 教典 志﹄ 附録 第三
﹁無 量寿 経﹂ の段 に﹁ 記二 巻玄
一撰
︒出
㆓東 域長 西二 録㆒
﹂と ある のを 確認 でき る︒ とこ ろが
﹁観 無量 寿経
﹂の 段に
﹁記 巻□
玄一 作()
﹂と あげ る︒ 同じ く文 雄
25
︵一 七〇
〇袞 一七 六三 輯︶ 録︑ 養鸕 徹定
︵一 八一 四袞 一八 九一 増︶ 補﹃ 蓮門 類聚 経籍 録﹄ 巻上 では
︑﹁ 大経 疏釈 類﹂ で
﹁記 二巻
○東 域伝 灯目 録作
㆓三 巻㆒
﹂と あげ
︑ま た﹁ 観経 疏釈 類﹂ にも
﹁記 一巻
唐 玄一()
﹂と あげ る︒ 観経 の注 釈書 は︑ 先行 す
26
る諸 目録 には 確認 でき ず︑
﹃無 量寿 経記
﹄を 誤っ て伝 えた のか も知 れな いが
︑こ こに あげ てお く︒ 三︑
﹃無 量寿 経記
﹄の 伝本 伝本 を整 理し た結 果︑ 現存 する 諸本 は全 て︑ 現在 宮内 庁書 陵部 が所 蔵す る奈 良朝 写本 から 派生 した と予 想さ れ るの で以 下に 俯瞰 して いく
︒そ の作 業の 中で 宮内 庁書 陵部 蔵本 が伝 本中 で最 も依 拠す べき 善本 であ るこ とを 提示 した い︒ (一
︶書 陵部 蔵本 本書 は﹃ 図書 寮漢 籍善 本目 録﹄︵ 一九 三〇 中︶ に 雙卷 經疏 零本 三軸 奈良 朝寫 經題 釋玄 一集 書法 亦佳
新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
三二
とあ り︑
﹁奈 良朝 写経
﹂と され てい る︒ 上巻 が三 軸に 分か れて おり
︑本 文が 一部 欠落 して いる()
︒書 誌情 報は 以下
27
の通 り︒ 請求 記号
﹁七 五五 四﹂
︒箱 号﹁ 五一 二袞 六一
﹂︒ 第一 軸は 外題 に﹁ 双巻 経疏
﹂と あり
︑こ れは 書陵 部に 所蔵 され た際 の修 復時 に付 され たも ので ある
︒首 尾・ 中間 欠︒ 料紙 は黄 楮打 紙を 使用
︒一 紙縦 二九
・三 糎︑ 横五 五・
〇糎
︑ 界高 二三
・五 糎︑ 天界 二・ 六糎
︑地 界三
・二 糎︑ 界幅 一・ 八糎
︑二 十九 行二 十四 字︵ 第二 紙︶
︒全 八紙
︒淡 墨界
︒ 棒軸
︵新 補︶
︒虫 損が あり
︑状 態は 不良
︒全 てに 裏打 ちが 施し てあ る︒ 巻首 に朱 の蔵 書印 の一 部が 残存 して いる
︒ ここ には 他の 諸本 には 見ら れな い冒 頭箇 所が 七行 分確 認で きる
︒ 第二 軸は 外題 に﹁ 吉備 公﹂ とあ る︒ 全六 紙︒ これ は書 陵部 が所 蔵し た時 にす でに 付さ れて いた もの であ る︒ 三 軸に 別れ た時 に付 され た表 紙と 同じ 時期 の書 であ ろう か︒ 遣唐 使の 吉備 真備
︵六 九五
~七 七五 と︶ 共に 渡唐 した 玄 昉︵
?~ 七四 六︶ は︑ 多く の仏 典を 将来 して いる()
︒い かな る由 来が あっ て
28
﹁吉 備公
﹂と 書か れた のか は知 る由 もな いが
︑﹃ 正倉 院文 書﹄ の書 写記 録に は天 平二 十年
︵七 四八 と︶ あっ て︑ その 時真 備は 五十 四歳 であ る︒ しか も 該本 は奈 良朝 書写 であ るこ とを 鑑み れば
︑﹁ 吉備 公﹂ の筆 も何 か確 かな 由 来が あっ ての こと かも しれ ない
︒但 し次 項で 見る 様に
︑江 戸後 期の 僧侶 順 芸が 模写 した 時点 では 一巻 本の 形を 留め てい るこ とは 確か であ るの で︑ 三 軸に 分か れた 後に 表装 され て外 題に
﹁吉 備公
﹂と 書か れた のは
︑現 在よ り そう 遠く ない 時期 であ る︒ 第三 軸は
﹁双 観経 疏 阿﹂ とあ り︑ その 下に
﹁巻 末ニ ハ両 巻経 記ト アリ 又釈 玄一 一巻 ト記 セリ
﹂と 書い 新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
三三
外題箇所
(右)第 1 軸(中)第 2 軸(左)第 3 軸
た付 箋が ある
︒全 九紙
︒尾 題に
﹁両 巻経 記﹂
︑次 いで
﹁釈 玄一 集﹂ とあ る︒
﹁阿
﹂が 何を 指す かは 不明 であ る︒ 現 存部 分の 巻首 に単 廊四 角朱 印で
﹁帝 室図 書止 幸﹂ とあ る︒ 全体 を通 して は﹁ 書法 亦佳
﹂と ある 通り
︑首 欠・ 中欠 なが らも 三軸 とも 丁寧 な楷 書で 書写 され てい る︒ この 欠損 を補 うの が後 述す る順 芸︵ 一七 八五 袞一 八四 七︶ 書写 本で ある
︒字 体・ 字詰 め︑ 更に は破 損箇 所の 型取 りや 行間 の空 き具 合ま でが 全く 同一 であ る︒ 俱に マイ クロ フィ ルム の紙 焼き から の比 較な ので 推測 の域 を超 える もの では ない が︑ これ は隣 に置 いて 書写 した とい うよ りも
︑雁 皮等 の薄 い和 紙を 直接 重ね て書 写し た可 能性 が高 い︒ (二
︶大 谷大 学蔵 丹山 順芸 模写 本 請求 記号
﹁宗 丁
﹂︒ 巻子 一巻
︒浄 土真 宗大 谷派 の丹 山順 芸︵ 一七 八五 袞一 八四 七︶ の書 写で ある()
︒書 写時 期は
29
不明
︒書 陵部 蔵本
︵奈 良朝 写経 の︶ もの と全 く同 一の 字体
・字 詰め の巻 子で ある
︒破 損箇 所を 筆で 模っ てい て︑ それ が書 陵部 本と 全く 一致 する
︒文 字が 欠け てい て︑ 何の 文字 が書 かれ てい たの か判 断で きな い箇 所も 忠実 にそ の形 を書 写し てい る︒ この こと から 順芸 書写 本は 書陵 部蔵 本を 書写 した もの であ ろう
︒書 陵部 本は 途中
︑本 文が 欠落 して いる ので
︑こ の部 分は 順芸 が書 写し た後 に欠 落し たと いう こと にな る︒ 順芸 は黄 檗版 蔵経 と高 麗版 蔵経 とを 校訂 して いる が︑ その 作業 は三 回行 って 校了 とし た︒ 書陵 部蔵 本を 直接 披 閲し
︑字 体︑ 字詰 め︑ 破損 の状 態も その 通り に書 写し てい ると ころ に︑ 慎重 かつ 几帳 面な 彼の 性格 を伺 い知 るこ とが 出来 る︒ ただ し書 写箇 所の 冒頭 は︑ 順芸 書写 本の 方が 書陵 部蔵 本よ り七 行程 度少 ない
︒書 陵部 蔵本 の冒 頭は 蝕損 が酷 い が︑ 現在 は裏 打ち の補 修が され てい るの で︑ 冒頭 部の 判読 が可 能で ある
︒順 芸書 写本 と改 めて 比較 して みる と︑
新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
三四
冒頭 七行 部分 は他 の料 紙と 剝が れて いる こと がわ かる
︒よ って 順芸 は書 写時 に判 読が 困難 であ った ので 省略 した ので はな いだ ろう か︒ いず れに せよ 順芸 書写 本が 忠実 に書 陵部 蔵本 を書 写し てい なが らも
︑そ の後 この 七行 は活 字に され るこ とな く 現在 に至 って いる
︒ (三
︶大 谷大 学蔵 嘉永 七年 書写 本 請求 記号
﹁宗 大
﹂︒ 外題
﹁両 巻経 玄一 記 全﹂
︑界 線無 し︵ 上部 四糎
︑下 一糎 の空 き︶
︑毎 半葉 二〇 字一
〇行
︑全 四三 丁︑ 和綴 じ一 冊︑ 縦二 三・ 七糎
︑横 一六
・四 糎︒ 順芸 滅後 七年 の嘉 永七 年︵ 一八 五四
︶に 書写 され た和 綴じ 本で ある
︒奥 書に
﹁嘉 永七 年甲 寅首 夏中 旬第 一日 謄 写竟
右原 本在 濃州 興雲 寺﹂ とあ る︒ また その 後に は別 筆で
﹁大 学寮 蔵本
﹂と ある
︒ 内容 は濃 州興 雲寺() 蔵本 を﹁ 謄写
﹂し たも ので ある
︒蝕 損等 で欠 けて いる 箇所 を筆 で模 り︑ 可能 な限 りそ の中 を
30
朱筆 で補 填し てい るが 何を 参照 して 補填 した のか は不 明あ る︒ 次項
︵四
︶の 原本 であ る︒
︵二
︶︵ 三︶ とは 字詰 め が違 うが
︑開 始の 冒頭 箇所 は順 芸書 写本 と同 一で ある
︒ま た書 写の 誤り で脱 字が ある がそ の箇 所は 書陵 部蔵 本・ 順芸 書写 本の 丁度 一行 分に 相当 する 箇所 であ る︒ この 一行 分の 脱字 から
︑濃 州興 雲寺 蔵本 とは 書陵 部蔵 本あ るい は順 芸書 写本 その もの
︑又 はそ の系 統に 属す る伝 本の
﹁謄 写﹂ を指 すこ とに なろ うか
︒し かし なが ら乱 丁や 脱字 があ り︑
﹃卍 続蔵 経﹄ も修 正し ては いる が︑ 完全 では ない
︒ (四
︶京 都大 學藏 卍續 藏本 請求 記号
﹁蔵
/一 一/ ム/ 一﹂
︒︵ 四︶ は表 紙の 左上 に﹁ 無量 壽經 記﹂
︑そ の下 には
﹁上
︵殘 册︶ 下︵ 佚失
︶﹂ とあ る︒ 表紙 と裏 新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
三五
表紙 以外 は袋 綴じ で︑ 二箇 所で とめ てい る︒ 二丁 裏に は大 正三 年二 月五 日の 登録 印と
﹁京 都帝 国大 学之 印﹂ の印 があ る︒ 該本 は青 写真 によ る複 写で あり
︑画 像に 写る 大谷 大学 の蔵 書印 とそ の位 置か らみ て︵ 三︶ の複 写で ある こと はま ず間 違い ない
︒ 本書 には 空格
︵□ や︶ 註記 が朱 筆で 施し てあ る︒ この 書き 込み は︑
﹃卍 続蔵 経﹄ 所収 の﹃ 無量 寿経 記﹄ と一 致 する こと から
︑こ れが 活字 版の 原版 にな った と思 われ る︒ また 末尾 には 墨書 で 傳云 原本 藏洛 西栂 尾寺
︑眞 宗東 派美 濃興 雲寺 本依 存本 寫︑ 帝京 大學 寮本 依興 雲寺 本轉 寫 此磨 光■ 大谷 大學 寮本 とあ るが
︑そ の上 には 朱筆 で× と書 かれ てお り︑
﹃卍 続蔵 経﹄ にも 反映 され てい ない
︒ 所蔵 元の 京都 大学 附属 図書 館デ ータ ベー スの 書誌 事項 では
﹁景 照本
栂尾 本ニ ヨル 転写
﹂と ある がそ の根 拠は 分か らな い︒
︵三
︶を 景照
︵影 照︶ した もの が︵ 四︶ であ るの で︑
︵三
︶の こと を﹁ 栂尾 本ニ ヨル 転写
﹂と 判断 し てい るこ とに なる
︒そ して
︵三
︶の 奥書 には
﹁原 本在 濃州 興雲 寺﹂ とあ るこ とを 勘案 する と︑
﹁栂 尾本
﹂と は興 雲寺 所蔵 本の こと を指 すこ とに なる
︒さ らに 加え るな らば
︑︵ 三︶ は︑ 前述 の通 り︑ 書陵 部本 系統 の伝 本で ある ので
︑﹁ 栂尾 本﹂ とは 書陵 部本 その もの
︑あ るい はそ の系 統の 伝本 とい うこ とに なる
︒今 想像 を逞 しく すれ ば︑ 高山 寺か ら興 雲寺
︑そ して 書陵 部と いう 伝播 を想 定で きよ うが
︑い ずれ にせ よ現 段階 では
︑興 雲寺 本と 栂尾 本と の関 係は 推測 の域 を出 るも ので はな い︒
新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
三六
(五
︶京 都大 学蔵 写本 請求 記号
﹁蔵
/ / リ/ ﹂
︒大 学ホ ーム ペー ジの 蔵経 書院 本目 録に は﹁ 鈔本
﹂と ある
︒表 紙左 上に は 兩 卷 經 記
上 殘册 下 佚失
( 無量 壽經 ) とあ る︒ 表紙
︑字 体共 に︵ 四︶ と同 一で ある
︒袋 とじ の一 五丁
︑二 箇所 で綴 じて いる
︒本 文は
︑半 葉八 行二 十四 字の 合計 二四
〇行 で︑ 字詰 めは 書陵 部本 の第 三軸 と同 一で ある
︒料 紙は 半紙 のよ うで あり
︑登 録印 も︵ 四︶ と同 日で ある ので
︑大 正三 年二 月五 日を さほ ど離 れる もの では ない よう であ る 奥書 等も 無い ので
︑な ぜ第 三軸 に相 当す る箇 所だ けを 書写 でき たの かは 不明 であ る︒ 前半 部分 には 朱筆 での 修 正が 加え られ てい るが
︑途 中で 終わ って いる
︒ 四︑ 順芸 写﹃ 安楽 集﹄ につ いて とこ ろで
︑﹃ 丹山
幕末 を生 きた 学僧
﹄︵ 越前 町織 田文 化歴 史館 編︑ 二〇
〇八 年︶ には
︑大 谷大 学蔵 の道 綽︵ 五六 二
~六 四五
﹃︶ 安楽 集﹄ 写本 の末 尾を 掲載 し︑ 以下 のよ うに 紹介 して いる
︒ 当資 料は
︑京 都高 山寺 に所 蔵さ れる
﹃安 楽集
﹄下 巻の 写本 であ る︒ 筆致 から みて
︑丹 山が 書写 した もの と考 新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
三七
えら れる
︒驚 くべ きこ とに
︑経 典の 字句 だけ でな く原 点の 虫喰 いま で精 緻に 臨写 され てい る︒
「経 典の 字句 だけ でな く原 点の 虫喰 いま で精 緻に
﹂写 して いる こと は︑ 順芸 書写 の﹃ 無量 寿経 記﹄ と同 じ特 徴で ある
︒両 書の 字体 も似 てい る︒ 前述 の通 り︑ この
﹃無 量寿 経記
﹄が 奈良 朝写 本の 透き 写し であ る可 能性 が高 いこ とを 考え 合わ せる と︑
﹃安 楽集
﹄写 本も 同じ く奈 良朝 写本 の透 き写 しで ある 可能 性が でて くる
︒
『安 楽集
﹄は
﹃正 倉院 文書
﹄に 十六 回も 書名 を確 認す るこ とが でき() る︒ この 図録 は﹁ 筆致
﹂か ら順 芸の もの と
31
判断 して いる が︑
﹃無 量寿 経記
﹄︵ 書陵 部蔵 本︶ と酷 似す るこ とか ら︑ 奈良 朝写 本の 字体 では ない だろ うか
︒ この 丹山 書写
﹃安 楽集
﹄の 原本 と思 われ るも のが 現在
︑野 村美 術館 に蔵 され てい る()
︒高 山寺 の印 が押 され てお
32
り︑ また
﹃高 山寺 聖教 目録
﹄に も﹁ 安楽 集二 部﹂ とあ るこ とか ら︑ かつ て高 山寺 所蔵 であ った こと が分 かる
︒諸 本校 訂の 上で の貴 重な 資料 とな る()
︒こ のこ とを 踏ま える と︑
﹃無 量寿 経記
﹄が 高山 寺に 蔵さ れて いた こと を間 接
33
的に 示す 資料 とい える
︒ おわ りに 諸本 の関 係を 図示 する と︻ 図二
︼の 通り
︒書 陵部 本を 中心 に据 え︑ 順芸 書写 本を その 欠損 を補 うも のと して 位 置づ けて
︑谷 大本 と比 較し てみ ると
︑先 に触 れた よう に︑ 谷大 本︵ 京大 本︶ には
︑書 陵部 蔵本 の一 行分 に相 当す る箇 所の 脱落 があ る︒ 加え て︑ 文章 の一 部に 数行 単位 で文 章が 前後 に逆 転し てい る箇 所が 確認 でき る︒ そし てそ れは
﹃卍 続蔵 経﹄ がそ のま ま踏 襲し てい るの で︑ この まま では 文章 が混 乱し てお り意 味が 通じ ない
︒ ここ に改 めて 書陵 部蔵 本の 重要 性を 確認 し︑ 定本 を作 成す る必 要性 が出 てく る︒
新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
三八
新羅 玄一 撰﹃ 無量 寿経 記﹄ 諸本 の系 譜︵ 南︶
三九
【図 二︼
﹃無 量寿 経記
﹄の 諸本 関係 図 順 芸 書 写 本
︵〜︶
嘉 永 七 年
︵︶
書 写 本
京 大
︵ 鈔 本
︶ 栂
尾 本
書 陵 部 本
︵ 三 軸 に 分 割
︑ 一 部 欠 落 有 り
︶
大谷大蔵﹁原本在濃州興
雲寺﹂
開始冒頭箇所が順芸書写
本と同じ︒
順芸本の一行分の脱落箇
所あり︒
青 写 真
︵ 京 大
︶
朱筆の補填有り︒
﹁傳云原本藏洛西栂尾寺︑眞宗
東派美濃興雲
寺
本依存本寫︑
帝京大學寮本依興雲寺本轉
寫
此磨光■大谷大學寮本﹂
﹃ 卍 続 蔵 経
﹄
同じ字詰め字体︒書陵部本を書写︒ 書陵部本第三軸に相当し︑同じ字
詰めである︒
活 字 化 の 際 に 反 映 さ れ て い る か
︒
この間に三軸化