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新 羅 玄 一 撰 ﹃ 無 量 寿 経 記 ﹄ 諸 本 の 系 譜

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(1)

新 羅 玄 一 撰 ﹃ 無 量 寿 経 記 ﹄ 諸 本 の 系 譜

袂 袒書 陵部 蔵奈 良朝 写本 を中 心と して 袂袒

宏 信

国際 仏教 学大 学院 大学 研究 紀要 第 号︵ 平成 年︶ 17

25 Journal of the International College

for Postgraduate Buddhist Studies Vol. XVII, 2013

(2)

新 羅 玄 一 撰 ﹃ 無 量 寿 経 記 ﹄ 諸 本 の 系 譜

袂 袒 書 陵 部 蔵 奈 良 朝 写 本 を 中 心 と し て 袂 袒 南

宏 信

はじ めに

『無 量寿 経記

﹄と は康 僧鎧 訳﹃ 無量 寿経

﹄を 新羅 僧玄 一が 注釈 した もの であ る︒ 上巻 のみ が現 存し

︑そ の注 釈 範囲 は﹃ 無量 寿経

﹄上 巻に 対応 する

︒活 字版 が﹃ 卍続 蔵経

収録 され てい るの で容 易に 繙く こと が でき る︒ 内容 は﹃ 大智 度論

﹄や

﹃瑜 伽師 地論

﹄等 の経 論を 多用 して 注釈 して おり

︑特 に阿 弥陀 仏の 四十 八願 の理 解で は新 羅僧 法位 に依 拠し てい る()

︒ 恵谷 隆戒 氏は 新羅 浄土 教の 系譜 を︵ 一︶ 浄影 寺慧 遠 の浄 土教 の系 譜と

︵二

︶玄 奘・ 慈恩 等 の浄 土教

の系 譜に 大別 して いる

︒浄 影寺 慧遠 の系 統の 中に はさ らに 皇竜 寺の 系統

と︑ 法位

・玄 一の 系統 との 二つ の系 譜を あげ てい る()

︒ 玄一 に限 って 見る と︑ 恵谷 氏は

︑﹁ 玄一 の著 作は 法位 の著 作に よっ て記 した もの

や﹁ 玄一 の﹃ 無量 寿経 疏

﹄に 彼の 説を 引用 し︑ 彼が 殆ど 法位 の説 に依 って いる

と言 及し

︑具 体的 には 法位 の解 説を する のみ であ る︒ 恵谷 氏の 系譜 の分 け方 を見 ても 分る よう に︑ 玄一 はあ まり 注目 され てい ない よう であ る︒

(3)

一︑ 引用 文献 に見 る玄 一の 特徴 と生 没年 その 理由 とし て挙 げら れる のは

︑玄 一の 事績 を伝 える 伝記 がな く︑ 現存 する 著作 が﹃ 無量 寿経 記﹄ のみ とい う こと であ る︒ よっ て生 没年 は未 詳で あり

︑他 の新 羅僧 の著 作に おけ る玄 一へ の言 及や

︑自 身の 著作 の内 容か ら類 推す るし かな い︒ つま り憬 興の

﹃無 量寿 経連 義述 文賛

﹄が 玄一 に言 及す るこ とや

︑玄 一が 基

︑ 元暁

を 引用 し︑ 特に 法位

の﹃ 無量 寿経 義疏

﹄を 多用 する こと から 七世 紀か ら 八世 紀初 めの 人物 であ ろう とさ れる

︒以 下︑ 引用 文献 を整 理す るこ とで

︑今 一歩 生没 年に 関し て検 討し たい

︒ま たこ の整 理よ り見 える 玄一 の特 徴を 概観 して おく

︒恵 谷氏 の指 摘通 り法 位と 全く 同一 であ れば

︑著 述を 書き 残す 必要 はな いの であ るか ら︑ ここ に法 位と 玄一 の相 違を 明ら かに し︑ 玄一 の浄 土教 思想 にお ける 特徴 の一 端を 示し てみ たい

『無 量寿 経記

﹄の 科段 は︻ 図一

︼の 通り

︒一 方︑ 恵谷 氏が 復元 した 法位 の﹃ 無量 寿経 義疏

﹄は

︑他 の書 物に 散 在し てい る引 用を 収集 して 復元 した もの であ るの で︑ この 復元 本に よっ て科 段を 作成 する こと はで きな いが

︑以 下引 用文 献を 比較 する こと で玄 一の 特徴 と生 没年 を見 てい く︒ 法位 が﹃ 無量 寿経 義疏

で引 用す る経 論は 管見 では

︑﹃ 観無 量寿 経﹄

﹃法 華経

﹃仏 説仁 王般 若波 羅蜜 経﹄

﹃瓔 珞経

﹃弥 勒問 経()

﹃弘 誓海 慧経()

﹃摂 大乗 論﹄

︑﹃ 大論

﹃往 生論

浄影 寺慧 遠﹃ 無量 寿経 義疏

ある

︒ これ に対 して 玄一 の引 用す る経 論は

︑﹃ 法華 経﹄

︑﹃ 観無 量寿 経﹄

︑﹃ 阿弥 陀経

﹃無 量清 浄 平等 覚経

﹃称 讚浄 土仏 摂受 経﹄

︑﹃ 悲華 経﹄

︑﹃ 金光 明経

﹃瑜 伽師 地論

寿

(4)

証明

我心 第四﹁叙興分﹂  歎問合儀      如来反問

       阿難奉答

       嘆今問

         叙興世意    総

       別     以法済世

      □□□逢

      嘆問多益

      其知難重

      身興絶踰世  標立

       嘖所由

       示所以

第五﹁正説分﹂  勅聴

         対曰欲聞受旨

         広説   古仏興世

      有王修行  聞法

      発心       両頌半讚仏色相

      出家       半頌讚仏名聞

      嘆徳       両頌嘆仏福智

      讚仏   叙敬相       半頌讚仏断徳

      叙請   以頌正嘆  七頌讚仏      一頌半讚仏恩徳

      説法         十三頌自述所願   一行願作仏

       一行願修行

      反問令思       一行願願安衆

      推深請説       四行願行不退   両行対劣而明勝

      如来正説   知機        両行願摂妙土   両行挙事而顕勝

       授法        一行願摂衆生   一行請世自在王仏為我証明

       摂行        両行願仏証明   一行請世自在王以仏神力

       明摂行成      一行願能忍苦       十方諸仏令知我心

       令顕説       

       広陳願行     願必得果      観相発願

       摂果相      説相授与      依願起行

      修行時節

      明命修短

      摂行多少   

      明勝願   長行利願         

      明勝行   以偈頌      

      称願動祥         

      顕願成就         

      結前       

      起行  総明起行     

      別明起行     

       明自利行    長時修      

      明利他行    無余修      

      明兼利行    無間修      

      明行功徳    恭敬修      

       

       別明諸行  明三業調柔行    意業調柔      

       総結    明六度離著行    口業調柔      

       明神通示現行    身体調柔      

       二行      

       

釈    

釈自利行         

      釈利他行

         仏摂果相    成仏時節        明成仏   問       

         徒衆摂果相   器世荘厳        明時節   答       

       報相妙         修有善厳   所無       

       摂︵報︶命︵寿︶修短  明無悪相   問答料簡       

       徒衆多少        釈迦自嘆      

       宝樹麗         衆聖共嘆      

       楼閣槃爵        顕説無尽      

       仏寿    例釈寿命      

       明生類         徒衆寿   略歎数及徳       

       明教門       広明数量      

       勧励      総明数多      

       略明徳大      

       別願顕社会数多       

       明諸宝樹      

       明菩提樹      

       明校量顕勝

       明七宝厳殿       

       明池流狭衛   正明池流       

       明彼声       

       総題往生類       

       別顕生類   明已生者摂果相   内徳      

      明欲往生者行相   外徳      

      明衆聖崇歎     形徳斉等        

      明自土聖徳     校量顕勝   如来問   

       阿難奉答  

       如来述成    

      述成校量       

      広明勝相   明諸供具      

       明徳風      

       明華厳        ︻図一︼

(5)

︑﹃ 成実 論﹄

﹃大 智度 論﹄

︑﹃ 十地 経論

﹃菩 薩地 持経

﹃往 生論

︑﹃ 法華 音義()

﹁玄 奘云

﹁基 法師 云﹂

浄影 寺慧 遠 寿

︑﹃ 観経 疏﹄

﹁法 位云

︑﹁ 因法 師﹂

﹁弁 法師()

﹁憬 法師()

元暁

であ る︒ この 他に は﹁ 有本 云﹂

︑外 典と して は始 皇帝 によ る文 字統 一の 一環 とし て李 斯

によ って 作成 され た﹃ 蒼頡 篇﹄

︑前 漢の 始元 六年

︑桓 寛が

︑朝 廷で 開か れた 塩や 鉄の 専売 制を 巡る 討論 会の 記録 をま とめ た﹃ 塩鉄 論﹄

も引 用す る︒ 玄一 が﹁ 法位 云﹂ とし て一 三回 も引 用す るの は︑ 恵谷 氏が 指摘 して いる よう に︑ やは り法 位を 重視 し︑ 依拠 し てい ると いえ る︒ 他方 で法 位に はな い特 徴と して

﹃称 讚浄 土仏 摂受 経﹄

﹁玄 奘云

﹂﹁ 基法 師云

﹂な ど︑ 新訳 経典

︑ ある いは その 新訳 の訳 者や 弟子 を引 用し てい る点 があ げら れる

︒玄 奘は 六四 五年 に長 安に 戻り 翻訳 事業 に着 手し てい るの で︑ 法位 と玄 一と の生 存年 代を 隔て る一 つの 基準 とな り得 よう

︒つ まり これ まで は﹁ 七世 紀頃

﹂と のみ され る法 位の 生存 年代 は︑ その 没年 を七 世紀 中頃 以降 に設 定で きる

︒ また 玄一 は︑

﹃往 生論

﹄を 法位 より も多 い︑ 一八 回も 引用 する が︑ これ は偈 頌の ほぼ 半数 を﹃ 無量 寿経

﹄に 対 応さ せて いる

︒憬 興も

﹃往 生論

﹄を 多く 引用 はす るも のの 玄一 ほど では ない

︒こ れも また 玄一 の特 徴と して 挙げ られ よう

︒ 二︑ 諸目 録に 見る

﹃無 量寿 経記

﹄ まず は諸 目録 に載 録さ れる 玄一 の著 作を 参看 して 整理 して いく

︒か つて 韓普 光氏 が﹃ 正倉 院文 書﹄

﹃新 編諸 宗 寿

(6)

教蔵 目録 総録

﹄﹃ 東域 伝灯 目録

﹄﹃ 浄土 依憑 経論 章疏 目録

﹄な どで 整理 して いる が()

︑今 回は それ に加 えて

︑新 出の 目録 も追 加し

︑ま た修 正す べき 箇所 も見 受け られ たの で再 整理 して いく

︒高 麗の 義天

編 纂の

﹃新 編諸 宗教 蔵目 録総 録﹄

﹁玄 一﹂ 名を 五箇 所確 認で きる

︒ 大涅 槃經 料簡 一卷

玄一 述() 法華 經疏 八卷

玄一 述()10 小阿 彌陀 經疏 一卷

玄一 述()11 瑜伽 論疏

十七 卷 玄一 述()12 中邊 論料 簡 玄一 述()13 日本

の目 録に おい ては

︑石 田茂 作氏 が﹃

奈良 朝仏 教の 研究

﹄で

﹃正 倉院 文書()

﹄の 記録 を整 理し てお り︑

14

玄一 の著 作で は﹁ 法華 疏﹂

﹁随 願往 生記

﹂の 名前 を確 認で きる

︒そ の後 佐藤 哲英 氏が 新羅 浄土 教関 係の 著作 を抜 粋し て整 理し てお り︑ そこ には 以下 三回 の書 写が ある とす る()

15 兩卷

無量 壽經 記 玄一 集 天平 二十 年 兩卷 無量 壽經 疏 玄一

勝寳 四年

無量 壽經 述記 玄一

寳字 七年

しか し宝 字七 年の

﹁無 量寿 経述 記﹂ の記 述に つい ては

︑以 下二 箇所 の通 り︑ 玄一 の選 者名 がつ いて いな い︒ 何ら

寿

(7)

かの 誤り で載 録し たと 思わ れる

︒ (一

︶天 平寶 字七 年 七月 一日 の﹁ 大師

家牒

︵續 々修

︶/ 太師 家牒

東大 寺三 綱務 所/ 合應 請疏 三百 八十 二卷

﹂に

量壽 經述 記一 卷

(

)

とあ る︒

16

(二

︶天 平寶 字七 年 七月 五日 の﹁ 奉冩 經所 請疏 文案

︵續 々修

︶/

奈良

﹂合 令疏 壱佰 陸拾 卷

﹂に

﹁無 量壽 經述 記一 卷()

﹂と ある

17

承暦 元年

の書 写奥 書を 持つ

︑僧 蓮書 写﹃ 阿弥 陀仏 経論 並章 疏目 録()

﹄に は一 箇所 確認 でき る︒

18

阿彌 陀經 疏一 卷

玄一 の名 以外 に著 者名 不明 で﹁ 両巻 無量 寿経 疏二 巻

なる 書名 も挙 げる が︑ これ が玄 一の もの であ る かど うか かは 判断 でき ない

︒ 興福 寺の 僧︑ 永超

の﹃ 東域 伝灯 目録()

19

使 よる と以 下の 三箇 所に 名前 を確 認で きる

︒ 同經 記三 卷

「○

﹂同 疏一 卷

同經 疏三 卷

寿

(8)

「同 經﹂ とは 順に

﹃無 量寿 経﹄

﹃阿 弥陀 経﹄

﹃梵 網経

﹄を 指す

『高 山寺 聖教 目録()

﹄は 以下 の通 り︒

20

同經 疏一 卷

(

( )

(

)

21

『古 聖教 目録()

は 以下 の通 り︒

22

亦无 量壽 經記

上中 下 玄一 集 六十 三枚 法然

門人 で︑ 諸行 本願 義を 立て た覚 妙房 長西

編集 した

﹃浄 土 依憑 経論 章疏 目録()

西

では

︑玄 一の 名は 以下 二箇 所に 確認 でき る︒

23

同經 記二 卷

玄一

(

) (

) 同經 記二 卷

玄一 ( ) (

)

「同 經記 二卷

﹂で

﹁五 丁﹂ とあ るの は少 な過 ぎる

︒ 醍醐 寺所 蔵文 書で ある

﹃三 宝院 経蔵 目録

﹄の

﹁三 宝院 経蔵 顕教 聖教 目録()

﹂に は︑

24

寿

(9)

同經 記

とあ る︒ 当該 目録 は座 主義 演

が慶 長九 年

書写 した とあ る︒ その 奥書 には 永 仁六 年 あり

︑そ の時 点に おけ る蔵 書の 概要 を知 るこ とが 可能 であ る︒ 記録 の通 り下 巻が 現存 して いる ので あれ ば︑ 玄一 の思 想を 探る 上で 非常 に有 益で ある

︒ 以上

︑ま とめ ると 合計 八本 が確 認で きる

○大 涅槃 經料 簡 一卷

○法 華經 疏 八卷

○小 阿彌 陀經 疏 ) 一卷

○瑜 伽論 疏 十七 卷

○中 邊論 料簡

○兩 卷無 量壽 經記

卷︑ 或は 三卷

○梵 網經 疏 三卷

○隨 願往 生經 記一 卷 今話 題と して いる

﹃無 量寿 経記

﹄は

﹁疏

﹂﹁ 記﹂ の呼 称を 見る が︑ 次項 でみ るか ぎり

︑現 存諸 本は

﹁記

﹂の み が伝 わっ てい る︒ 巻数 に関 して は﹁ 二巻

﹂﹁ 三巻

﹂﹁ 上中 下﹂ とあ り︑ また 巻数 を記 さな いも のも あり 表記 は 区々 であ る︒ 但し 現存 本を 見る 限り

︑﹃ 無量 寿経

﹄の 注釈 範囲 が上 巻の 最後 まで であ るこ とか ら三 巻本 であ った 寿

(10)

とは 考え 難く

︑二 巻本 であ った とす る方 が妥 当で あろ う︒ また 著者 名は

﹁玄 一集

﹂﹁ 玄一 師﹂

﹁玄 一述

﹂﹁ 玄一

﹂ の表 記が ある

︒ 最後 に︑ 時代 は下 がる が玄 智 編﹃ 浄土 真宗 教典 志﹄ 附録 第三

﹁無 量寿 経﹂ の段 に﹁ 記二 巻

西

﹂と ある のを 確認 でき る︒ とこ ろが

﹁観 無量 寿経

﹂の 段に

﹁記 巻

玄一 作()

﹂と あげ る︒ 同じ く文 雄

25

録︑ 養鸕 徹定

補﹃ 蓮門 類聚 経籍 録﹄ 巻上 では

︑﹁ 大経 疏釈 類﹂ で

﹁記 二巻

﹂と あげ

︑ま た﹁ 観経 疏釈 類﹂ にも

﹁記 一巻

唐 玄一()

﹂と あげ る︒ 観経 の注 釈書 は︑ 先行 す

26

る諸 目録 には 確認 でき ず︑

﹃無 量寿 経記

﹄を 誤っ て伝 えた のか も知 れな いが

︑こ こに あげ てお く︒ 三︑

﹃無 量寿 経記

﹄の 伝本 伝本 を整 理し た結 果︑ 現存 する 諸本 は全 て︑ 現在 宮内 庁書 陵部 が所 蔵す る奈 良朝 写本 から 派生 した と予 想さ れ るの で以 下に 俯瞰 して いく

︒そ の作 業の 中で 宮内 庁書 陵部 蔵本 が伝 本中 で最 も依 拠す べき 善本 であ るこ とを 提示 した い︒ (一

︶書 陵部 蔵本 本書 は﹃ 図書 寮漢 籍善 本目 録﹄ に 雙卷 經疏 零本 三軸 奈良 朝寫 經題 釋玄 一集 書法 亦佳

寿

(11)

とあ り︑

﹁奈 良朝 写経

﹂と され てい る︒ 上巻 が三 軸に 分か れて おり

︑本 文が 一部 欠落 して いる()

︒書 誌情 報は 以下

27

の通 り︒ 請求 記号

﹁七 五五 四﹂

︒箱 号﹁ 五一 二袞 六一

﹂︒ 第一 軸は 外題 に﹁ 双巻 経疏

﹂と あり

︑こ れは 書陵 部に 所蔵 され た際 の修 復時 に付 され たも ので ある

︒首 尾・ 中間 欠︒ 料紙 は黄 楮打 紙を 使用

︒一 紙縦 二九

・三 糎︑ 横五 五・

〇糎

︑ 界高 二三

・五 糎︑ 天界 二・ 六糎

︑地 界三

・二 糎︑ 界幅 一・ 八糎

︑二 十九 行二 十四 字

︒全 八紙

︒淡 墨界

︒ 棒軸

︒虫 損が あり

︑状 態は 不良

︒全 てに 裏打 ちが 施し てあ る︒ 巻首 に朱 の蔵 書印 の一 部が 残存 して いる

︒ ここ には 他の 諸本 には 見ら れな い冒 頭箇 所が 七行 分確 認で きる

︒ 第二 軸は 外題 に﹁ 吉備 公﹂ とあ る︒ 全六 紙︒ これ は書 陵部 が所 蔵し た時 にす でに 付さ れて いた もの であ る︒ 三 軸に 別れ た時 に付 され た表 紙と 同じ 時期 の書 であ ろう か︒ 遣唐 使の 吉備 真備

共に 渡唐 した 玄 昉

は︑ 多く の仏 典を 将来 して いる()

︒い かな る由 来が あっ て

28

﹁吉 備公

﹂と 書か れた のか は知 る由 もな いが

︑﹃ 正倉 院文 書﹄ の書 写記 録に は天 平二 十年

あっ て︑ その 時真 備は 五十 四歳 であ る︒ しか も 該本 は奈 良朝 書写 であ るこ とを 鑑み れば

︑﹁ 吉備 公﹂ の筆 も何 か確 かな 由 来が あっ ての こと かも しれ ない

︒但 し次 項で 見る 様に

︑江 戸後 期の 僧侶 順 芸が 模写 した 時点 では 一巻 本の 形を 留め てい るこ とは 確か であ るの で︑ 三 軸に 分か れた 後に 表装 され て外 題に

﹁吉 備公

﹂と 書か れた のは

︑現 在よ り そう 遠く ない 時期 であ る︒ 第三 軸は

﹁双 観経 疏 阿﹂ とあ り︑ その 下に

﹂と 書い 寿

外題箇所

(右)第 1 軸(中)第 2 軸(左)第 3 軸

(12)

た付 箋が ある

︒全 九紙

︒尾 題に

﹁両 巻経 記﹂

︑次 いで

﹁釈 玄一 集﹂ とあ る︒

﹁阿

﹂が 何を 指す かは 不明 であ る︒ 現 存部 分の 巻首 に単 廊四 角朱 印で

﹁帝 室図 書止 幸﹂ とあ る︒ 全体 を通 して は﹁ 書法 亦佳

﹂と ある 通り

︑首 欠・ 中欠 なが らも 三軸 とも 丁寧 な楷 書で 書写 され てい る︒ この 欠損 を補 うの が後 述す る順 芸 書写 本で ある

︒字 体・ 字詰 め︑ 更に は破 損箇 所の 型取 りや 行間 の空 き具 合ま でが 全く 同一 であ る︒ 俱に マイ クロ フィ ルム の紙 焼き から の比 較な ので 推測 の域 を超 える もの では ない が︑ これ は隣 に置 いて 書写 した とい うよ りも

︑雁 皮等 の薄 い和 紙を 直接 重ね て書 写し た可 能性 が高 い︒ (二

︶大 谷大 学蔵 丹山 順芸 模写 本 請求 記号

﹁宗 丁

﹂︒ 巻子 一巻

︒浄 土真 宗大 谷派 の丹 山順 芸 の書 写で ある()

︒書 写時 期は

29

不明

︒書 陵部 蔵本

もの と全 く同 一の 字体

・字 詰め の巻 子で ある

︒破 損箇 所を 筆で 模っ てい て︑ それ が書 陵部 本と 全く 一致 する

︒文 字が 欠け てい て︑ 何の 文字 が書 かれ てい たの か判 断で きな い箇 所も 忠実 にそ の形 を書 写し てい る︒ この こと から 順芸 書写 本は 書陵 部蔵 本を 書写 した もの であ ろう

︒書 陵部 本は 途中

︑本 文が 欠落 して いる ので

︑こ の部 分は 順芸 が書 写し た後 に欠 落し たと いう こと にな る︒ 順芸 は黄 檗版 蔵経 と高 麗版 蔵経 とを 校訂 して いる が︑ その 作業 は三 回行 って 校了 とし た︒ 書陵 部蔵 本を 直接 披 閲し

︑字 体︑ 字詰 め︑ 破損 の状 態も その 通り に書 写し てい ると ころ に︑ 慎重 かつ 几帳 面な 彼の 性格 を伺 い知 るこ とが 出来 る︒ ただ し書 写箇 所の 冒頭 は︑ 順芸 書写 本の 方が 書陵 部蔵 本よ り七 行程 度少 ない

︒書 陵部 蔵本 の冒 頭は 蝕損 が酷 い が︑ 現在 は裏 打ち の補 修が され てい るの で︑ 冒頭 部の 判読 が可 能で ある

︒順 芸書 写本 と改 めて 比較 して みる と︑

寿

(13)

冒頭 七行 部分 は他 の料 紙と 剝が れて いる こと がわ かる

︒よ って 順芸 は書 写時 に判 読が 困難 であ った ので 省略 した ので はな いだ ろう か︒ いず れに せよ 順芸 書写 本が 忠実 に書 陵部 蔵本 を書 写し てい なが らも

︑そ の後 この 七行 は活 字に され るこ とな く 現在 に至 って いる

︒ (三

︶大 谷大 学蔵 嘉永 七年 書写 本 請求 記号

﹁宗 大

﹂︒ 外題

﹁両 巻経 玄一 記 全﹂

︑界 線無 し

︑毎 半葉 二〇 字一

〇行

︑全 四三 丁︑ 和綴 じ一 冊︑ 縦二 三・ 七糎

︑横 一六

・四 糎︒ 順芸 滅後 七年 の嘉 永七 年

に 書写 され た和 綴じ 本で ある

︒奥 書に

﹁嘉 永七 年甲 寅首 夏中 旬第 一日 謄 写竟

右原 本在 濃州 興雲 寺﹂ とあ る︒ また その 後に は別 筆で

﹁大 学寮 蔵本

﹂と ある

︒ 内容 は濃 州興 雲寺() 蔵本 を﹁ 謄写

﹂し たも ので ある

︒蝕 損等 で欠 けて いる 箇所 を筆 で模 り︑ 可能 な限 りそ の中 を

30

朱筆 で補 填し てい るが 何を 参照 して 補填 した のか は不 明あ る︒ 次項

︵四

︶の 原本 であ る︒

︵二

︶︵ 三︶ とは 字詰 め が違 うが

︑開 始の 冒頭 箇所 は順 芸書 写本 と同 一で ある

︒ま た書 写の 誤り で脱 字が ある がそ の箇 所は 書陵 部蔵 本・ 順芸 書写 本の 丁度 一行 分に 相当 する 箇所 であ る︒ この 一行 分の 脱字 から

︑濃 州興 雲寺 蔵本 とは 書陵 部蔵 本あ るい は順 芸書 写本 その もの

︑又 はそ の系 統に 属す る伝 本の

﹁謄 写﹂ を指 すこ とに なろ うか

︒し かし なが ら乱 丁や 脱字 があ り︑

﹃卍 続蔵 経﹄ も修 正し ては いる が︑ 完全 では ない

︒ (四

︶京 都大 學藏 卍續 藏本 請求 記号

﹁蔵

/一 一/ ム/ 一﹂

は表 紙の 左上 に﹁ 無量 壽經 記﹂

︑そ の下 には

﹂ とあ る︒ 表紙 と裏 寿

(14)

表紙 以外 は袋 綴じ で︑ 二箇 所で とめ てい る︒ 二丁 裏に は大 正三 年二 月五 日の 登録 印と

﹁京 都帝 国大 学之 印﹂ の印 があ る︒ 該本 は青 写真 によ る複 写で あり

︑画 像に 写る 大谷 大学 の蔵 書印 とそ の位 置か らみ て︵ 三︶ の複 写で ある こと はま ず間 違い ない

︒ 本書 には 空格

註記 が朱 筆で 施し てあ る︒ この 書き 込み は︑

﹃卍 続蔵 経﹄ 所収 の﹃ 無量 寿経 記﹄ と一 致 する こと から

︑こ れが 活字 版の 原版 にな った と思 われ る︒ また 末尾 には 墨書 で 傳云 原本 藏洛 西栂 尾寺

︑眞 宗東 派美 濃興 雲寺 本依 存本 寫︑ 帝京 大學 寮本 依興 雲寺 本轉 寫 此磨 光 大谷 大學 寮本 とあ るが

︑そ の上 には 朱筆 で× と書 かれ てお り︑

﹃卍 続蔵 経﹄ にも 反映 され てい ない

︒ 所蔵 元の 京都 大学 附属 図書 館デ ータ ベー スの 書誌 事項 では

﹁景 照本

栂尾 本ニ ヨル 転写

﹂と ある がそ の根 拠は 分か らな い︒

︵三

︶を 景照

した もの が︵ 四︶ であ るの で︑

︵三

︶の こと を﹁ 栂尾 本ニ ヨル 転写

﹂と 判断 し てい るこ とに なる

︒そ して

︵三

︶の 奥書 には

﹁原 本在 濃州 興雲 寺﹂ とあ るこ とを 勘案 する と︑

﹁栂 尾本

﹂と は興 雲寺 所蔵 本の こと を指 すこ とに なる

︒さ らに 加え るな らば

︑︵ 三︶ は︑ 前述 の通 り︑ 書陵 部本 系統 の伝 本で ある ので

︑﹁ 栂尾 本﹂ とは 書陵 部本 その もの

︑あ るい はそ の系 統の 伝本 とい うこ とに なる

︒今 想像 を逞 しく すれ ば︑ 高山 寺か ら興 雲寺

︑そ して 書陵 部と いう 伝播 を想 定で きよ うが

︑い ずれ にせ よ現 段階 では

︑興 雲寺 本と 栂尾 本と の関 係は 推測 の域 を出 るも ので はな い︒

寿

(15)

(五

︶京 都大 学蔵 写本 請求 記号

﹁蔵

/ / リ/ ﹂

︒大 学ホ ーム ペー ジの 蔵経 書院 本目 録に は﹁ 鈔本

﹂と ある

︒表 紙左 上に は 兩 卷 經 記

( 無量 壽經 ) とあ る︒ 表紙

︑字 体共 に︵ 四︶ と同 一で ある

︒袋 とじ の一 五丁

︑二 箇所 で綴 じて いる

︒本 文は

︑半 葉八 行二 十四 字の 合計 二四

〇行 で︑ 字詰 めは 書陵 部本 の第 三軸 と同 一で ある

︒料 紙は 半紙 のよ うで あり

︑登 録印 も︵ 四︶ と同 日で ある ので

︑大 正三 年二 月五 日を さほ ど離 れる もの では ない よう であ る 奥書 等も 無い ので

︑な ぜ第 三軸 に相 当す る箇 所だ けを 書写 でき たの かは 不明 であ る︒ 前半 部分 には 朱筆 での 修 正が 加え られ てい るが

︑途 中で 終わ って いる

︒ 四︑ 順芸 写﹃ 安楽 集﹄ につ いて とこ ろで

︑﹃ 丹山

幕末 を生 きた 学僧

には

︑大 谷大 学蔵 の道 綽

安楽 集﹄ 写本 の末 尾を 掲載 し︑ 以下 のよ うに 紹介 して いる

︒ 当資 料は

︑京 都高 山寺 に所 蔵さ れる

﹃安 楽集

﹄下 巻の 写本 であ る︒ 筆致 から みて

︑丹 山が 書写 した もの と考 寿

(16)

えら れる

︒驚 くべ きこ とに

︑経 典の 字句 だけ でな く原 点の 虫喰 いま で精 緻に 臨写 され てい る︒

「経 典の 字句 だけ でな く原 点の 虫喰 いま で精 緻に

﹂写 して いる こと は︑ 順芸 書写 の﹃ 無量 寿経 記﹄ と同 じ特 徴で ある

︒両 書の 字体 も似 てい る︒ 前述 の通 り︑ この

﹃無 量寿 経記

﹄が 奈良 朝写 本の 透き 写し であ る可 能性 が高 いこ とを 考え 合わ せる と︑

﹃安 楽集

﹄写 本も 同じ く奈 良朝 写本 の透 き写 しで ある 可能 性が でて くる

『安 楽集

﹄は

﹃正 倉院 文書

﹄に 十六 回も 書名 を確 認す るこ とが でき() る︒ この 図録 は﹁ 筆致

﹂か ら順 芸の もの と

31

判断 して いる が︑

﹃無 量寿 経記

と酷 似す るこ とか ら︑ 奈良 朝写 本の 字体 では ない だろ うか

︒ この 丹山 書写

﹃安 楽集

﹄の 原本 と思 われ るも のが 現在

︑野 村美 術館 に蔵 され てい る()

︒高 山寺 の印 が押 され てお

32

り︑ また

﹃高 山寺 聖教 目録

﹄に も﹁ 安楽 集二 部﹂ とあ るこ とか ら︑ かつ て高 山寺 所蔵 であ った こと が分 かる

︒諸 本校 訂の 上で の貴 重な 資料 とな る()

︒こ のこ とを 踏ま える と︑

﹃無 量寿 経記

﹄が 高山 寺に 蔵さ れて いた こと を間 接

33

的に 示す 資料 とい える

︒ おわ りに 諸本 の関 係を 図示 する と︻ 図二

︼の 通り

︒書 陵部 本を 中心 に据 え︑ 順芸 書写 本を その 欠損 を補 うも のと して 位 置づ けて

︑谷 大本 と比 較し てみ ると

︑先 に触 れた よう に︑ 谷大 本 には

︑書 陵部 蔵本 の一 行分 に相 当す る箇 所の 脱落 があ る︒ 加え て︑ 文章 の一 部に 数行 単位 で文 章が 前後 に逆 転し てい る箇 所が 確認 でき る︒ そし てそ れは

﹃卍 続蔵 経﹄ がそ のま ま踏 襲し てい るの で︑ この まま では 文章 が混 乱し てお り意 味が 通じ ない

︒ ここ に改 めて 書陵 部蔵 本の 重要 性を 確認 し︑ 定本 を作 成す る必 要性 が出 てく る︒

寿

(17)

寿

寿

順 芸 書 写 本

︵〜︶

嘉 永 七 年

︵︶

書 写 本

京 大

︵ 鈔 本

︶ 栂

尾 本

書 陵 部 本

︵ 三 軸 に 分 割

︑ 一 部 欠 落 有 り

大谷大蔵﹁原本在濃州興

雲寺﹂

開始冒頭箇所が順芸書写

本と同じ︒

順芸本の一行分の脱落箇

所あり︒

青 写 真

︵ 京 大

朱筆の補填有り︒

﹁傳云原本藏洛西栂尾寺︑眞宗

東派美濃興雲

寺  

本依存本寫︑

帝京大學寮本依興雲寺本轉

寫  

此磨光■大谷大學寮本﹂

﹃ 卍 続 蔵 経

同じ字詰め字体︒書陵部本を書写︒ 書陵部本第三軸に相当し︑同じ字

詰めである︒

活 字 化 の 際 に 反 映 さ れ て い る か

この間に三軸化

表 紙 以 外 は 袋 綴 じ で ︑ 二 箇 所 で と め て い る ︒ 二 丁 裏 に は 大 正 三 年 二 月 五 日 の 登 録 印 と ﹁ 京 都 帝 国 大 学 之 印 ﹂ の 印がある︒該本は青写真による複写であり︑画像に写る大谷大学の蔵書印とその位置からみて︵三︶の複写であることはまず間違いない︒本書には空格︵□や︶註記が朱筆で施してある︒この書き込みは︑﹃卍続蔵経﹄所収の﹃無量寿経記﹄と一致することから︑これが活字版の原版になったと思われる︒また末尾には墨書で傳云原本藏洛西栂尾寺︑眞

参照

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