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『梅園奇賞」は文政十一年刊の二冊、朱地題篭に「第一集」(二八丁)
「第二集」(二四丁)とする。第一集は器物など、第二集は初めに鈴・経
巻・太刀等を模刻した後、古筆資料二九点を収める。本稿はその影印・
翻刻と解題である。
巻末には、
文政十一年戊子嘉平月幕勒上梓森川世黄校合
浪華野梅園蔵板
圖
千種利兵衛刀
とする刊記と、その後に「東都書林雁金屋青山清吉、近江屋吉川半七」
の書津名を記す。これによると、野梅園が編纂した後、森川世黄が校合 とする刊記と、その後に「
の書津名を記す。これに』
『梅園奇賞」で注目されるのは、4後白河帝の「大方広仏華厳経」、6
後鳥羽帝『新古今集』(水無瀬切)、妬後京極良経公「雲州消息切」の三
点がMOA美術館蔵「翰墨城」に、7後嵯峨帝「御手判切」が京都国立
博物館蔵『藻塩草』にそれぞれ見いだせることである。梅園はどのよう の手を加えたと知られる。 『梅園奇賞』所収古筆資料の影印・翻刻と解題
にして古筆家に伝えられていた右の古筆手鑑を目にすることができたの
か、またそこからなぜこれら四点だけを抜き出して模刻したのか、その
選択の基準など問題になってくる。それに水無瀬切に下絵が描かれてい
るが、依拠したはずの『翰墨城」の断簡にはそのような根跡もないし、
現存する他の水無瀬切にも下絵など存在しない。どのような事情がある
のか興味深いところだが、これは指摘するにとどめておきたい。
なお、本稿には静嘉堂本を用いた。影印・翻刻を御許可いただいた静
嘉堂文庫に御礼を申しあげる次第である。
(担当解説・1~別伊井春樹皿~羽新藤協三)
新伊 藤井 協春 三樹
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朝臣道真〃
奉行去年七月廿七日下諸寺井長谷寺宣旨従五位下行左大史兼春宮大属壬生忌寸望村
遣唐副使従五位上守右少弁兼行式部少輔文章博士讃岐介紀朝臣
長谷雄
中納言兼右近衛大将従三位行春宮大夫藤原朝臣時平
58
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七十七代謹雅仁鳥羽帝第四皇子崇徳帝弟在位三年四十三落飾
法諄行真建久三年崩六十六白紙金泥書称法勝寺切
八十二代鯉尊成高倉帝第四皇子安徳弟初称顕院二十出家法瀧良然製和歌又工画延応元年崩舩隠岐国六十此書称清水切
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後徳大寺左大臣
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古今和寄集巻第十六
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(虫損)出紫閾口東望山岳半雲根之暗
蹟翠嶺而顧家郷悉没煙樹之深鵡
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長安城之遠樹百千万菫霄青順 眺望
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こシろにそいるふゆのよのつき
き題不和増基法師
ふゆの夜にいくたひはかりねさめして
ものおもふやとのひましらむらん
ふかき障子に雪深あしたにたか鼻りしたる所を民部卿長家
とやかえりしらふのたかのこひをなみ
雪けのそらにあはせつるかな
たかかり鷹狩を能因
早春
紫塵鍬蕨人挙手碧
玉寒蘆錐脱嚢
内宴春暖
69
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= 回
煙霞無跡昔誰栖 桃李不言春幾暮 傳野無人路漸滋 華山有馬蹄猶露 巣為後厨春雲 新路如今穿宿雪葱 凍鎗波洗菖苔漿 氣舞風硫新柳髪
早春即事
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みやつかひしけるひとをひさしくまか
(虫損)らてむかへにまかりたれと弾みにも□
てさりけれは
よひのまにはやなくさめよいそのかみ
ふりにしとこもうちはらふへく
いせといふひとに
いせのうみにあそふあまともなりにしか
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わひぬれはつれは
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たなはたも
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ける 妬後京極良經公雲州消息之切蒙恩喚朴躍之甚以何比之但空座右之命若是潮屏
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文政十一年戊子嘉平月蟇勒
上梓森川世黄校合
浪華野梅園蔵板
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千種利兵衛刀
72
1長谷寺縁起賊
長谷寺に蔵される縁起の賊文の部分を模刻したもの。道真の筆跡と伝
える。なお、『集古浪華帖第三』に、「菅原道真公書」として「長谷寺縁
起文」が収められるが、|ここに示されるのはその巻末である。
2嵯峨帝金光明最勝王経注釈巻四
『新撰古筆名葉集』に「飯室切香紙、墨字経、所々弘法大師麺
テ加筆アリ」と見える。飯室切には、この注釈切と、『勝璽経」を垂
た断簡の二種が存し、書体を異にする。いずれも白点が付される。
所々弘法大師胡
3白河帝
仏説観無量寿経
『新撰古筆名葉集』には「蓮華王院切同(白紙)金字経、銀罫ノ上
下二金銀蝶烏ノ下画アリ、黒点ハ後人ノ書入ナリ」とする。切名称は、
白河天皇の御願寺蓮華王院(三十三問堂)に伝えられたことによるので
あろうか。「蓮華切」とも称す。
4後白河帝
大方広仏華厳経
『新撰古筆名葉集」に「法勝寺切白紙、金字経、金罫上下子持スジ」
とする。この切は、「翰墨城』に押されたものと一致する。「翰墨城」は
粉二
「勝璽経」を書写し 古筆家了仲(一六五六’一七三六)の所伝とされるので、『梅園奇賞」の編者は、そこから抜き出して模刻したのであろう。5後鳥羽帝
法華経従地涌出第十五
『新撰古筆名葉集』に「清水切白紙、墨字経、銀罫一行毎二銀泥ニ
テ上二天蓋、下二蓮座アリ」とする。ただし、偶頌の部分は、一句ごと
に銀泥で天蓋と蓮台を描く。『翰墨城』「藻塩草」などに、同種の清水切
が押される。
6後鳥羽帝
新古今集巻十六雑上(一四四五)1(一四四七詞書)
『新撰古筆名葉集』に「水無瀬切四半、新古今、寄二行書、又大同
小異ノキレアリ、名物ニアラズ」とする。本断簡は「翰墨城』に押され
た一葉とまったく一致するものの、ただこれには下絵がない。水無瀬切
は『藻塩草』『見ぬ世の友」「文彩帖』など比較的多いが、いずれも下絵
はないし、「古筆名葉集」にもそのような指摘は見いだせない。すると、
『翰墨城」を模刻するにあたって、本断簡には窓意に下絵を加えたので
あろうか。
7後嵯峨帝
願文
73
新古今集巻一春上三四I(三六詞書)
後深草院については、「新撰古筆名葉集」に常盤切とする仮名書状を見
いだすだけである。現存するのもほとんどがその書状で、それ以外には
知られない。
u後宇多帝 Ⅲ後宇多帝
古今集巻十物名四二四I(四二七詞書)
後宇多院筆とする古今集は、弓ちくれ』に巻二十の一葉が収められて
おり、松木切と称している。ただそれは一首一行書きで本断簡と異なる
し、また『翰墨城』や『藻塩草』に押される松木切は兼行集である。 9後深草帝 「新撰古筆名葉集」に「御手判切願文、字ノ上二朱ニテ御手ノ形ア
リ」とする。本断簡は、「藻塩草」所収切を模刻したもの。御手判切の名
称は右に記すように、朱によって手形の捺されているのに由来する。「藻
塩草』は筆で描いたのだが、ただそれを模刻しながらここでは省略して
いる。8筆者不詳
法華経観世音菩薩普門品第二十五
迫伏見帝古今集巻十二恋二五六一
「新撰古筆名葉集』に「巻物切古今奇、二行書、佐理卿ウッシ」と
するのが、これに相当する。佐理筆の古今集を、伏見天皇が模写した伝
本という。堀川切の名称は、『見ぬ世の友」に付されて以来用いられる
が、由来は不明。なお本断簡は、『翰墨城」に押された一葉を模刻したも
のである。
弱後伏見帝 M伏見帝
出典末詳 胆伏見帝後撰集巻十六雑二二六○「新撰古筆名葉集』に「筑後切雲紙、巻物、後撰、拾遺ノ奇、三行
或ハチラシ、金銀砂子紙モァリ」とするが、後撰集・拾遺集のほかに古
今集の筑後切も存する。後撰集巻二十の一巻を伝える誉田八幡宮本の巻
末には「永仁二年十一月五日書詑」とあるので、伏見天皇三十歳の書写
と知られる。 未詳
74
源氏物語浮舟巻
『新撰古筆名葉集』に「四半源氏、朱書入点アリ」「六半源氏」と
するのを見いだす。近衛家伝来の『大手鑑』には升形本の若紫巻十行の
一葉が押されるが、これは右の指摘の六半切であろうか。本断簡は升形
本ではないが、筆跡など『大手鑑』の切と近似する。あるいは数行分裁
断されているのかも知れない。
焔後二条帝
和漢朗詠集巻下草四三八’四四一
『新撰古筆名葉集』に「巻物切朗詠、上下二墨罫」とするが、後二
条天皇筆とする和漢朗詠集の断簡はこれまでまだ目にしていない。本断
簡がそれに相当するのかどうか、模刻だけに界罫の有無も不明である。
Ⅳ花園帝仮名書状
『新撰古筆名葉集』に「萩原切真名、ム
モアリ」とするのが、本断簡に相当するので
城』『見ぬ世の友』『藻塩草」にも押される。
に「萩原切真名、力
肥後醍醐帝
歌集『新撰古筆名葉集』に「吉野切中四半形、寄恋述懐、御自詠、古寄 名、杉原紙、消息、経ウラ
本断簡に相当するのであろうか。萩原切は、『翰墨 交リー首、チラシ書」とする。現存する吉野切は、いずれもこのように散らし書きで一首を書くが、後醍醐天皇の自詠歌集かどうかは不明。珀麗司基忠公
古今集巻十六哀傷八二九
『新撰古筆名葉集』に「小倉切四半、雲紙、古今、続後撰、寄二行
書、弟子極二家基公トアリ、誤ナリ」とする。、小倉切には古今集と続後
撰集があった由だが、後者は今のところその例を知らない。小倉切は、
『翰墨城」『藻塩草』などにも押される。
釦後光厳帝
源氏物語若紫巻
後光厳天皇の源氏物語については、『新撰古筆名葉集』に「同西半)
雲紙、白紙、源氏又は歌合詞書等類切多シ」とする。類切が多かったよ
うで、白鶴美術館の『手鑑」にはそれぞれ筆跡の異なった二葉が押され
るが、本断簡ともまた別である。ただ、『翰墨城」の若菜上巻物と「藁叢」
(河野文化館)の横笛巻切とは同筆のつれと思われる。
迦藤原行成
和漢朗詠集巻下閑居宍一三’六一六、六一八’六二○、六一三
’六二三)、眺望(六二四’六二六)
『新撰古筆名葉集』には、行成筆朗詠集について「法輪寺切巻物朗巧
鷹狩を↓鷹狩を鈴妙計(認)
の如く異同を示すので、流布本系本文とは別の本文であったことが知ら
れる。 配筆者不詳
後拾遺集巻六冬三九○(下句)’三九四(詞書・作者)
模刻の際の原拠については未勘であるが、本断簡の本文を流布本のそ
れと比較すると、
冬夜月を↓冬のよの月を掛野か(知)
、、雪深あしたたか弾りしたる所を↓雪のあしたたか愛りしたる所を読侍 塑筆者不詳
和漢朗詠集巻下山水(四九九・五○○)
現存する多くの朗詠集の切の中で、本断簡と一
出し得ず、目下のところ原拠についても未詳。 本断簡とま 詠、浅黄紙キラ砂子、飛雲アリ」、「安宅切朗詠巻物、金銀下画、歌二行書」、「巻物切朗詠、墨罫銀砂子、少片カナ反り点アリ」等の記載があるが、いずれも本断簡の原拠とは認め難く、結局のところ不詳。「閑居」
(蝿~唖のうちの師・翅の二句を欠いているが、その理由についても
未詳。ける(郷) ったく一致するものは見
記後京極良経
雲州消息(明衡往来)巻上末第三四
本断簡は『翰墨城』六五「巻物切」の模刻である。『翰墨城」では「巻
物切」と記すのみであるが、本断簡に「雲州消息之切」とあるように、 躯筆者不詳
業平集(西本願寺本系統)一七(歌)’一九(上句)
『まつかげ』二○の藤原公任筆尾形切雪月影帖』中’一では行成筆と
する)とまったく一致するので、尾形切の模刻である。ただ、本断簡が
丸唐草下絵であるのに対して、尾形切は『新撰古筆名葉集』に「尾形切
四半、歌仙家集、胡粉地雀鳥虫草水藻ノ下画アリ」とある如く下絵が異
なる。あるいは、模刻の際に窓意に下絵を変えたのであろうか。 酔藤原公任
和漢朗詠集巻上早春(一二・一三)、鴬(七○)、巻下草(四三
九)、仙家(五四八)
公任筆と伝承する朗詠集の切は、大内切・太田切・唐紙朗詠集切等を
はじめ数多く伝存するが、本断簡と一致するものは見出し得ない。本断
簡が一二、一三、七○、四三九、五四八の如く飛び飛びに抄出されてい
ること、また、通行の朗詠集本文と比べた場合、「内宴春暖」(週)、「早
春即事」宛)の題を有し、各句の作者注記「野」(篁)」「都(良香)」「菅
(道真と「保胤」「江(朝綱)」を欠くこと等になお問題を残すが、未勘。
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内容は雲州消息の一部分である。『新撰古筆名葉集』に「巻物切雲州消
息、紙五色金銀下画アリ」とあるのに該当しようか。小松茂美氏は、『翰
墨城』の解説で、これを『本朝文粋」の如きものからの抄出かとされ、
ぺんやくた恩暖を蒙り、朴躍の甚しき、何を以てかこれに比せん。但だ座右の命 ぺんやく恩暖を蒙り、朴躍の甚しき、..かくごとぢようろうと定め、是の若きの廟屏…
と訓じられるが、翻刻した如
翻 刻 し た 如 く
拾遺集巻十二恋(七七三)
「新撰古筆名葉集」には「小色紙歌チラシ書」とあるが、本断簡に
該当せず、模刻の原拠については未詳。この歌は「拾遺抄』(巻七、恋
二、二八四)にも存し、流布本『集』『抄」が共に第二句を「ゅシしき」
とするのに対して、本断簡は「いまれし」とする点が異なる。
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n″』今乖隠一匡銭ぶぶ陶宇に上も憩叩
仮名法華経(?)
本断簡は「仮名法華経之切」とするが、『法華経』にこの本文は見出し
得ない。結局のところ未勘であるが、『新撰古筆名葉集』に「経切墨罫
墨字朱墨星アリ」とするのにあるいは該当するか。 記後京極良経
四後京極良経
妙法蓮華経序品第一 後京極良経遺集巻十二 、 ●●「蒙恩喚」「空座右之命」であろう。 模刻の際の原拠の切については未勘。
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