長崎大学教育学部教育科学研究報告 第48号 73〜88(1995年3月)
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戦前の社会事業分野における
「精神薄弱」概念の歴史的研究Ⅱ(上)
―全国社会事業大会等における「精神薄弱」
関係用語・概念の検討―
平 田 勝 政
A Historical Study on the Conception of
"Mental Deficiency" through the Field of Social Welfare iin Japan before World War Ⅱ (the Second Report‑1)
Katsumasa HIRATA
〈目
次〉
第1章 第2章 第3章
はじめに一研究の経過・成果と本研究の課題・方法一
1.第1期における大会の特徴と代表的な「精神薄弱」概念の検討 (1)第1期における大会の特徴
(2)第1期における「精神薄弱」概念の検討一乙竹岩造を中心に一 2.第2期における大会の議論の特徴と主要な「精神薄弱」概念の検討 (1)第2期における大会の議論の特徴
(2)
3.第3期における大会の議論の特徴と「精神薄弱」概念の検討 (1>第3期における議論の展開過程と「精神薄弱」概念の特徴
(2)
おわりに一まとめと今後の課題一
〈註〉
戦前の社会事業関係雑誌における「精神薄弱」関係資料の全体的特徴 戦前の社会事業関係雑誌における「精神薄弱」関係用語の変遷とその特徴 (以上,本紀要第46号)
戦前の社会事業大会等における「精神薄弱」関係用語・概念の変遷とその特徴
(上)
本号
〈資料1>全国社会事業大会・全国児童保護事業大会における「精神薄弱」関係 の協議題・決議・建議等内容一覧(その1・本号)(その2・次号)
長崎大学教育学部教育学教室
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長崎大学湯育学部教育科学研究報告 第48号はじめに一一研究の経過・成果と本研究の課題・方法一
本研究は,近現代の日本において「精神薄弱」という用語が,どのような経緯で歴史的 に登場・定着し,また,「精神薄弱」という概念が,医学・心理学・教育(教育学・教育実 践)・社会事業の各分野でどのような特徴を持ちながら,歴史的に形成・確立・変容してき たのか,その全体像を解明していこうとする一連の研究作業の一環である。
周知のように,現在,1992年を転換点にして「精神薄弱」という呼称(用語)は,マス コミ・関係団体等で「知的障害」に変わってきている。しかし,現行法上の用語・概念と しては依然として「精神薄弱」のままである。新しく登場した「知的障害」という呼称が,
不適切語として何年(何十年)後かに第二の「精神薄弱」とならないためには(また,そ うさせないためには),①「精神薄弱」という用語・概念の形成・確立・変容の歴史,②不 適切語(差別語)へと転落していく諸要因とそのメカニズム,③①②をふまえて「知的障 害」をもつ人々が,共に社会の主人公として「人間の尊厳」を打ち立てていく道すじとそ のための諸条件,の解明が不可欠である。マスコミ等の対応が先行して学問的対応(基礎 研究)が遅れている現状を克服していくために,また,周期的にくり返される「精神薄弱」
をめぐる議論を今度こそ一過性のものにしないために,筆者は,歴史研究の立場から学術 的基礎研究を積み重ねていくものである。
筆者のこれまでの研究成果としては,茂木俊彦・高橋智氏との共著『わが国における「精 神薄弱」概念の歴史的研究』(多賀出版 1992年 以下『精薄史研究』と略記)に,共同研 究の中で分担してきた①「児童研究」誌(日本の部)(→第1章),②「神経学雑誌」「精神 神経学雑誌」(→第2章),③主要な教育雑誌(→第4章),の検討結果が,その前提である 文献資料目録とともに,収録されている。共同研究体制解消後の継続研究としては,上記
③の教育(教育学・教育実践)分野に関わって,次の④⑤がある。⑥は,③④⑤の研究の 前提となった文献目録である。
④戦前の教育学分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究一教育学者の乙竹岩造と樋 口長市の検討を中心に一「長崎大学教育学部教育科学研究報告」第44号 PP.59−78 1993年3月
⑤戦前の教育実践分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究1(上)(下)一東京高師 附小「特別学級」歴代担任教師の検討を中心に一「長崎大学教育学部教育科学研究報告」
第45号 PP.139−1671993年6月
⑥戦前日本の「精神薄弱」関係資料目録(1)一教育雑誌を中心に一「長崎大学教育学部 教育科学研究報告」第39号 PP.107−131 1990年6月
上記③④⑤⑥により,残された課題はあるが,教育分野における「精神薄弱」関係用語・
概念の歴史的形成過程とその基本的特徴及び到達点の解明に一定の目処をつけることがで
きた。
本研究は,これまでの一連の研究作業の中で立ち遅れていた戦前の社会事業分野におけ る「精神薄弱」関係用語・概念の歴史的形成過程とその特徴・到達点を,上記の教育分野 でおこなったと同様の研究方法論で検討しようとするものである。
すでに予備的作業として,下記の⑦が示すように戦前の社会事業雑誌に散在する「精神 薄弱」関係資料の目録作成をおこない,さらに下記の⑧に見るように,その目録の資料(359 件)を手がかりに社会事業分野における「精神薄弱」関係用語の変遷とその特徴の検討を
平田:戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究H(上)
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おこなってきた。
⑦戦前日本の「精神薄弱」関係資料目録(H)一社会事業関係雑誌を中心に一「長崎大学 教育学部教育科学研究報告」第45号 PP.131−1381993年6月1)
⑧戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究1一社会事業関係雑誌にお ける「精神薄弱」関係用語の検討を中心に一「長崎大学教育学部教育科学研究報告」第 46号PP.53−651994年3月
その結果,戦前の社会事業分野における「精神薄弱」関係用語の変遷には,次のような 時期区分と特徴づけができることがわかった。
・第1期(1902〜1915年):「低能児」という用語が大勢を占めている時期。
・第2期(1916〜1925年):「精神薄弱児」という用語が継続性をもって使用されはじめ,
「低能児」とほぼ互角の使用頻度をもって推移していく時期。
・第3期(1926〜1929年):「精神薄弱児」という用語の使用頻度が,全体として「低能児」
を上回っていく時期。
・第4期(1930〜1932年):「精神薄弱児」の使用頻度が低下して,再び「低能児」が,「精 神薄弱児」の使用頻度を上回る時期。
・第5期(1933〜1943年):「精神薄弱児」という用語の使用頻度が,再び「低能児」を上 回り,やがて大勢を占め定着していく時期。
一方,全国社会事業大会・全国児童保護事業大会の協議事項・決議等において代表的に 使用されている「精神薄弱」関係用語は,前記の論文⑧の表4が示しているように,第七 回全国社会事業大会(1925.5)までは,「低能児」「白痴」が支配的になっている。しか し,第七回大会の決議に基づいて翌年開催された第一回全国児童保護事業会議(1926.12)
では,用語として「精神薄弱児」が明確に使用されており,戦前の社会事業分野における 重要な転換点を形成している。その用語上の転換は,第二回全国児童保護事業会議(1930.
11)が,再び「白痴児・低能児」を使用しているように,継承・定着するまでには至らな かった。「精神薄弱児」という用語が,定着し支配的となっていくのは,第3回全国児童保 護i事業大会(1934.6)以降のことである。それは,第3回大会の席上で,林蘇東が,近
く「精神薄弱児愛護協会が設立される」(傍点筆者)と言明しているように,日本精神薄弱 児愛護協会(1934.10.22)の発足が決定的な要因になっている。
以上のことをふまえて,本研究では,戦前の社会事業分野における「精神薄弱」関係用 語・概念の歴史的形成・展開過程を,次の3期に区分して把握していきたい。
〈第1期〉「低能児(白痴)」が支配的な時期。いまだ「精神薄弱」問題が明確な協議の対 象とはなっていない第一回全国慈善同盟大会(1903年)から第四回全国救済事 業大会(1917年)までを含んだ1902年から1919年までの時期。
〈第2期〉「低能児(白痴)」から「精神薄弱児」への移行期(転換期)。第五回全国社会事 業大会(1920年)から第二回全国児童保護事業会議(1930年)までを含んだ1920 年から1933年までの時期。1920年代後半に顕著となる「精神薄弱児」への転換 の兆しを含みつつも,依然として「低能児(白痴)」が根強く存在・存続してい る時期
〈第3期〉「精神薄弱児」が用語として支配的となり,精神薄弱者保護法制定実現の運動と 相侯って「精神薄弱」概念とその処遇体系が明確化していく時期。第三回全国
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長崎大学教育学部教育科学研究報告 第48号児童保護事業大会(1934年)から紀元二千六百年全国社会事業大会(1940年)
までを含む1934年から1943年までの時期。
以下,各時期における特徴を,全国社会事業大会・全国児童保護事業大会等での議論を 手がかりに,精神薄弱者保護法制定運動における「精神薄弱」概念に焦点化しっっ,整理・
検討していきたい。なお紙幅の関係で,本稿を目次にあるように(上)(下)に分けて掲載 していく。
1.第1期における大会の特徴と代表的な「精神薄弱」概念の検討 (1)第1期における大会の特徴
第1期は,前述のように第一回全国慈善同盟大会(1903年)から第四回全国救済事業大 会(1917年)までを含んだ1910年代を中心とする時期である。この時期の最大の特徴は,
大会の各部会の協議対象に「精神薄弱」関係の問題が全く位置付けられていないというこ とである。協議題としては,〈資料1−Nα4>が示すように2),第四回大会において二,三 件登場してはいるが,協議された部会はバラバラであり,「精神薄弱」問題として明確には 対象化されてはいない。ただ次の第2期に連続していく重要な問題としては,社会問題と
しての精神病者問題の顕在化がある。つまり,中央慈善協会が,「精神病院ノ施設ヲ普及セ シムルノ手段如何」という協議題を提出し,その「決議」で,「精神病者」が全体の約3.8%
(約13万人中5千人)しか収容されていない現実を「国家社会二及ボス害毒即殺人,放火,
強盗,強姦等実二恐ル可キモノアリ」としてその「防止ノ策」として精神病院の設置普及 が要望されていることは注目される。同時期に刊行された中央慈善協会発行の『精神異常 者と社会問題』(1918年)と合わせて考える時,社会問題としての「精神薄弱」問題が,精 神病者問題に包含されながら顕在化してきていることが確認できる。
このように第1期の大会では,「精神薄弱」問題は,ほとんど協議の対象にはなってはい ない。そこで,目を転じてこの第1期を中心に展開された感化救済事業講演会に注目して みたい。
表1は,内務省が,1908(明治41)年から1921(大正10)年15年間に渡って開催した感 化救済事業講習会(→社会事業講習会)中の「精神薄弱」関係講習科目名とその講師名を 整理したものである。
「精神薄弱」関係用語・概念と関わって注目すべき特徴の第一は,講習科目名の「低能児 教育(法)」や「低能(性)児童に対する注意」が示すように,すべて「低能児」という用 語が使用されていることである。表1が示すように「精神薄弱」関係の科目が講習内容とし て明確に位置づけられた時期は,初回の1908年から1918年までの10年間(通算第15回まで)
であるが,この時期に社会事業界において「低能児」という用語が支配的となるのは,感 化救済事業講習会の影響であるとみてよい。
第二は,その講習会の講師の中でも,乙竹岩造が,最も多く登場していることである。
表1が示すように,東京で開催された中央の講習会では,初回から第6回まで(1908〜1913 年)を連続して担当し,また通算第15回目の第8回地方講習会(1918年)にも登場してい
る。このことから,「乙竹の低能児教育法は,感化救済事業界でもひとつの実践の指針となっ た」3)と指摘されているように,社会事業界への乙竹岩造の影響は,その「低能児」という 用語・概念とともにきわめて大きいものがあったといえる。そこで,以下では,乙竹岩造
平田 戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究H(上)
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表1 感化救済事業講習会における「精神薄弱」関係講習科目等一覧
訳
ハ
講習会名・開催期間・開催地受講生数
講師名・講習科目名(「精神薄弱」関係)講習会記録 第1回感化救済事業講習会
340名 石井亮一(滝野川学園長):白痴教育実験談内務省地方局編『感化救
1
(1908.9.1〜10.7)於・東京平均292名 乙竹岩造(文部省視学官):低能児教育
済講演集』上巻・下巻元良勇次郎(文学博士):精神操練に就て 1909年
第2回感化救済事業講習会 128名 乙竹岩造(東京高等師範学校教授);特殊教 不明 2 (1909.10〜?) 於・東京 育
第3回感化救済事業講習会
114名片山国嘉(医学博士):精神病者の救済
不明(1910.11.15〜11.30)於・東京 三宅鑛一(医学博士):感化救済事業と精神病との関係
3
乙竹岩造:低能児教育
〈実験談〉加藤昌昌(愛知県豊橋育児院理事)
:低能児の結婚と其保護に就て
第4回感化救済事業講習会
92名三宅鑛一:精神病者取扱に関する心得
不明 4(1911。10.20〜11.2)於・東京 乙竹岩造:低能児教育
第5回感化救済事業講習会
145名乙竹岩造:低能児教育法 内務省地方局編『第五回
(1912.11.11〜11.30)於・東京 三宅鑛一:病的児童の取扱方法 感化救済講演集』上巻・
5 〈実験談〉北村浩(高知慈善協会副会頭) 下巻 1913年 一
:低能児の院内教育
第6回感化救済事業講習会
163名乙竹岩造:低能児教育
不明 6(1913.10.16〜11.1)於・東京 三宅鑛一:病的児童の保護
第7回感化救済事業講習会
136名石井亮一:白痴教育
内務省地方局編『第七回感7
(1914.10.5〜10.15)於・東京
化救済講演集』1915年7月第1回感化救済事業地方講習会 196名 和田豊種(医学博士) 内務省地方局編『第八回心
8
(1915.7.12〜7.21)於・大阪市
:低能児童に対する注意 化救済講演集』1916年7月第2回感化救済事業地方講習会 104名 特になし
『内務省主催感化救済地
9
(1915,9,1〜9.10)於・仙台市 方講演集』*編者・発行
年・発行所不詳
第3回感化救済事業地方講習会 111名 榊保三郎(九州帝国大学医科大学教授) 不明10 (エ916.3.2〜3.H)於・福岡市 :低能性児童に対する注意
第4回感化救済事業地方講習会 344名 北林貞道(医学専門学校教諭)
愛知県内務省編『内務省
11
(1916.7,3〜7.12)於・名古屋市
:低能性児童に対する注意主催感化救済事業地方講
習会講演集』1917年
第5回感化救済事業地方講習会 214名 川村文平(北海道札幌師範学校教諭)北海道慈善協会編『内務
12
(1916.8.15〜8.24)
:低能性児童に対する注意省主催感化救済事業地方
於・北海道札幌市 三宅鑛一:異常児 講習会講演集』1917年
第6回感化救済事業地方講習会 215名 塚原政次(広島高等師範学校教授) 内務省地方局編『第十三回
13
(1917.2.19〜2.28)於・広島市
:低能性児童に対する注意 感化救済講演集』1917年2月第7回感化救済事業地方講習会 211名
三宅鑛一:低能性児童に対する注意
不明 14(1917,6.11〜6.20) 於・金沢市
第8回感化救済事業地方講習会 127名
乙竹岩造:低能児教育
「社会と救済」第2巻第2号,15
(1918,3.7〜3.16) 於・東京市
第3号,第4号(1918)に連載第9回感化救済事業地方講習会 278名 特になし 不明
16
(1918,7.17〜7.26)於・京都市
第10回感化救済事業地方講習会 174名 特になし 不明
17
(1918.8.1〜8.10)於・新潟市
第11回感化救済事業地方講習会 194名 特になし
『内務省主催第十八回感
18
(1919.2.17〜2.26)於・熊本市 化救済事業講演集』*編
者・発行年等不詳
第12回感化救済事業地方講習会 371名 特になし 不明
19
(1919.6.2〜6.11)於・岡山市
第13回感化救済事業地方講習会 301名 特になし 不明
20
(1919.8。5〜8.14) 於・津市
第14回感化救済事業地方講習会 144名 特になし 不明
21
(1919.8.20〜8.29)於・秋田市
(出典)阪野貢著『感化救済事業講習会の15年』(1978年)より作成。なお,第1回〜第8回社会事業講習会(1920.
1〜1922.10については,明確な「精神薄弱」関係の講;習科目はないため省略。
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長崎大学教育学正教育科学研究報告 第48号に注目してみたい。
(2)第1期における「精神薄弱」概念の検討一乙竹岩造を中心に一
乙竹の「低能児」概念の変遷と到達点については,「はじめに」で述べた拙稿(=論文④)
で整理・検討しているが,ここでは社会事業分野の関係者に対して乙竹が提示した「低能 児」概念と教育的処遇観がどういうものであったのか,その要点を整理しておきたい。
感化救済事業講習会における乙竹の講習記録で現在確認できるものは,表1が示すよう に第1回,第5回,第15回の3回分である。ここでは,前述の論文④では未検討であった
『第五回感化救済講演集』所収の乙竹論文「低能児教育法」を中心に検討しておきたい。
内容的には,第15回の講習会記録とほぼ同じであり,社会事業関係者向けの講習内容の特 徴をみてとることができる。
ではまず,乙竹は,感化救済事業関係者を対象にしていかなる「低能児」概念を提示し たのか,また,それは,教育分野で展開した「低能児」概念とどう異なるのか,その点に ついてみていぎだい。
乙竹は,「低能児といふ者は,感化事業であるとか育児事業であるとかいふやうな方面に お衡はりの方々には極めて密接な重大な関係を有って居る…例へぼ感化事業に於いて相手 とする所の不良児といふ者の中には,…低能児も沢山ある…。それから又育児事業に於い て相手とするところの孤児であるとか貧児であるとかいふやうな子供の中にも能く調べて 見ると此の低能児が存外沢山ある…」と述べて,「感化育児等の諸事業」が,「低能児」問 題とその教育に「頗る重大且つ密接な関係を有って居ること」を確認している。その上で,
「低能児の原因」,「低能児の特徴」,「低能児の取扱」の3本柱で講義を展開している。以 下,「低能児」概念に関わる所の「原因」と「特徴」からを見てみよう。
まず「低能児の原因」から見ていくと,「甲 先天的原因(遺伝に因るもの)」としては,
①「有機的薄弱」(=両親・祖父母などの「身体が非常に弱い」こと),②「結核」,③「二 心」,④「大酒」,⑤「神経上の故障」(気狂,ヒステリー,気抜け,失神等),⑥「血族結 婚」,⑦「妊娠期中の母体の健康状態及誕生時の状態」をあげ,「乙後天的原因(境遇に 因るもの)」としては,①「栄養不良」,②「疾病」(脳膜炎等神経系統の病気,鼻・耳の病 気等),③「教育」(無教育,過教育等)をあげている。
次に,「低能児の特徴」を見ていくと,「甲 身体の方面」では,①「身長体格の大きさ の割合に目方が少ない」こと,②「頭蓋」の過大(脳水腫)・過小(小頭症),③「歯牙」
の生え方の遅れ,④「顔面」の眼・耳・鼻・口等に現われる「心意の働き」(眼の動き,音・
言語への反応,鼻汁・開口等),⑤「全身の筋肉」の働きの弱さ,⑥「四肢の運動」に現わ れる手指・足の不器用さ(=「手と足の器用さ」と「精神の器用さ」との密接な関係),⑦
「寝小便」,等をあげている。「乙心意的方面」としては,①「感覚知覚の不確実」さ,
②「注意の散漫」,③「観念の浅薄・不定」(=観念の上滑リ,曖昧さ,変わり易さ),④「観 念の聯合の不確実」さ(→感覚知覚の「聯合の力の発達して来ないといふ事が,実に低能 児に現はれる所の一つの特徴」であり,「低能の低能たる所以を表す」),⑤「感情の不調子」
(喜怒哀楽の情の極端な激変),⑥「意思の不定」(意思の作用の極端な頑固さ・変わり易 さ),⑦「道徳上の過癖」(嘘言),⑧「色情の非行」,をあげている。
そして,上記した「低能児の原因」と「低能児の特徴」を考慮すれば,「低能児を鑑定す る」に必要な「大体の標準といふものが得られる」と述べている。ここに述べられている
平田:戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究H(上)
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「低能児」概念は,「知性上の低能」を中心にしつつも「徳性上の低能」や生後の不適切な 教育・環境要因による仮性の「低能」を含んでおり,『低能児教育法』で乙竹が採用・支持
したところのドモールの「低能」概念であり,極めて広義である。乙竹が,学校教育分野 に限定していうところの「低能児」の標準,すなわち「病気其他の事情では無く,全く能 力薄弱の為に引続き二年間進級することが出来ない者」という規定とは,判断の指標が異 なっているといえる。乙竹は,社会事業分野の関係者向けには,ドモールの概念に依拠し た広義の「低能児」概念を普及させ,教育分野とは異なる対応をしていたといえる。
さて,上記の「標準」に依拠した「鑑別」によって明らかになった「低能児は特別に離 して特に注意した教育を加へるといふことが,根本の原則になる」という別学の見地から,
乙竹は,「補助学級」「補助学校」の必要性とともに,「感化院」や「種々の救済教育を施す 所の設備」においても,他の子と「離して特別の注意を加へたる特別の教育を施すといふ
ことが,一つの根本問題として第一要件であろう」としている。
その「特別に編制せられたる学級」の「取扱」の「一般的注意」としては,①「思い切っ て程度を低くし,又其教へる事柄を少なくする」こと,つまり「教授事項を少くする代り,
其特に撰んだ事柄だけは之を根本的に授けるといふこと」,②教授方法としては,「一番基 礎になる事を繰返し繰返して,…噛んで含めるやうに教へて,其基礎がシッカリ出来上ら 無ければ次の事は教へない…丁度石垣を築いて行くやうに土台から一々堅固に築き上げる といふ考で教えることが,何より必要」なこと,そのためには,③「宣明教授」(Demonstra−
tion Unterricht)という「総ての事を子供に感覚的に具体的に活動的に而かも有ゆる方面 に訴へて教へる仕方」が必要なこと(何故なら「頭の悪い為の低能もあるが,知識の這入 る有らゆる窓が曇って居る為に低能なのが実は多い」から),また④「多くの低能児には栄 養不良なのが多い」ことから「栄養上の注意」が必要なこと,⑤「訓育上の注意」として
は,「低能児」だから「賞罰」の「標準を下げ」るというのではなく,通常の子どもの取り 扱いと同様,必要と判断した場合に明確な賞罰が必要であること,その前提として「総じ て躾け方は教育者の人格に因って其の効果を異にする」が故に「最も重要なることは教育 者其人の人格の修養であること」,があげられている。
「取扱」の「特殊的注意」としては,①「手芸手工」が「特に大切であり,又必要である」
こと(何故なら,手芸手工は「身体に器用を増すのみならず…精神の器用を増し乃ち心意 の錬磨…に重大な関係を有っている」からであり,同時に「一芸を覚へ一壷に長じて他人 の厄介にならずに自分の力で自分の口を糊するだけの勤労の出来る人間となる」ための「生 産的職業的の基礎を養ふ」ことになるから),②「農芸」の重視(農芸の教育的意義に着目
して),③「体操遊戯」の重視,等をあげている。
2.第2期における大会の議論の特徴と主要な「精神薄弱」概念の検討 (1)第2期における大会の議論の特徴
第2期の各大会における「精神薄弱」関係の主要な議論は,〈資料1−Nα5〜9>に整理 している通りである。以下,特徴的な点を確認しておこう。
第一は,第五回全国社会事業大会(1920.6)においではじめて部会の協議対象に「白 痴,低能児」が明確に登場し,以後,「精神薄弱児」を使用した第一回全国児童保護事業会 議(1926年)を例外として,その用語の下で議論が展開していったことである。
80
長崎大学教育学部教育科学研究報告 第48号第二に,この第五回大会から「白痴,低能児」が登場する背景には,〈資料1−Nα5>の 岩崎佐一の意見・説明が示すように,日本において社会問題(犯罪・貧困等)としての「低 能児」問題が現実問題として無視できない段階,すなわち何らかの政策的対応が求められ
る段階に立ち至ったということがあげられる。この点が,明治40年代における学校教育問 題としての劣等児・低能児問題の顕在化に対する対応が,乙竹岩造による「社会政策」「刑 事政策」上の重大問題であるという指摘と啓蒙にもかかわらず,当局を支配していた慈善 主義と相倹って,消極的対応に終わったことと決定的に違う点である。この第2期には,
社会問題化した「低能児」問題を含む児童保護問題とその対策の全体像の明確化とその立 法化(=児童保護法の制定)を企図する内務省の積極的対応策が明確に存在していた4)。
例えば,第五回大会と期を一にして発表された添田敬一郎(内務省地方局長)の論文「我 邦児童保護の現在及将来」(「社会と救済」第4巻第3号1920年6月)は,児童保護事業の 範囲・種類・施設について述べる中で,明確に「特殊児童保護」問題とそれへの対応策に 論及している。具体的には,①「国民教育普及の問題」に関わって,「万民等しく文化的生 活に浴すべき権利を有す」という見地から,「不具者,貧困者」等の「特殊児童」=「最弱 者」を義務教育から排除している就学猶予・免除規定の見直し・撤廃と特殊教育振興の必 要を提起し,②「劣等児保護」としては,「学校内に於て学科の進歩の遅鈍なる者」を,「精 神異常者と称する精神薄弱者と精神低格」と明確に区別して,「劣等児」ととらえ,その学 校内の「劣等児」が「将来は浮浪者となり窮民となり,不良少年犯罪者に化する者」とな
る頻度が高いことを根拠に,「劣等児保護」のための施策の必要を提起している。この「権 利」思想を内に含んだ社会防衛論的・社会効用論的児童保護対策は,田子一民(内務省地 方局社会課長)の見解5)とも一致するものでもあり,大正デモクラシー高揚期に特有の社 会連帯主義を思想的背景にもっていた。この内務省が提起する児童保護事業は,すで拙稿 で一定解明しているように,文部省普通学務局第四課(=社会教育課)に引き取られて就 学児童保護事業となり,1920年代における「劣等児・低能児」等の教育振興策として展開
されていくこととなるのであった6)。
第三の特徴として注目すべきは,社会問題としての「精神薄弱」問題の解決をめぐる議 論に,精神衛生運動が,1920年代後半から優生思想を含み込んでイニシアチブを発揮して きたことである。1930年の第二回全国児童保護事業会議の議事録(資料1−Nα9)は,そ のことを示している。協議題十五の「児童ノ精神衛生思想ヲ普及発達セシムル方法如何」
をめぐる議論をリードしている小峰茂之は,精神衛生運動の必要を痛感し,わが国におい てその運動を推進しようとした「最(も)熱心なる首唱者」7)であり,日本精神衛生協会設 立(1926年12月)の産みの親といってよい人物あった。小峰は,「救済治療的教育」策とし て「促進学級及補助学級」を小学校に編成することをはじめとして「白痴院,低能児学校 の設立」を提案する一方,「予防政策」として「白痴,低能者」等を「去勢」するよう「優 生学的処置」の実行を提案している。その提案は,建議案に「白痴,低能児…ヲ去勢スル 法律ヲ制定スルコト」を盛り込むまでに至ったが,去勢については「人道上から非難があ る」「去勢の項だけは除外することを望みます」「自然に反する」等の反対意見によって最 終的に削除された。留意しておきたいことは,議事録が示すように,その建議案の作成委 員には,「精神薄弱」施設関係者の川田貞治(次)郎と藤本克己が参加していることであ る。とくに,川田は,上記の反対意見に対して,「私は,去勢の項を入れて差支へない」と
平田:戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究H(上)
81
反論しており,その真意については慎重な吟味をしなければならないが,「人間の尊厳」に 関わる重大な問題を含んだ発言をおこなっている。優生思想については,1920年の第五回 大会において岩崎佐一が「低能児学校」設立の建議を趣旨説明する際に,「優種学上」の見 地を持ち出していたところに,思想的影響の一端を窺うことができたが,10年後には「精 神薄弱」問題の解決手段して,関係者の賛意を得て優生学的な予防政策が「去勢」という 形で登場するに至ったことは,1920年代に優生思想が関係者によリ深く浸透していること を意味している。人権保障の視点から,「精神薄弱」概念とその処遇の歴史を解明しようと している本研究にとって,今後の社会事業分野の人物研究に重要な検討課題を提起してい るといえる。
全体をまとめると,第2期は,社会問題としての「精神薄弱」(=白痴・低能児)問題の 顕在化を前提に,その問題解決策しての,①「白痴・低能児」概念の明確化と鑑別法の確 立,②鑑別所の設立,②白痴院・低能児学校の設立,等をめぐって議論が開始され,いく つか具体的な提案が登場するようになり,さらに,「特殊教育令」の制定等が決議される大 会もあったが,全体としてそれらの議論を集約し,具体案をもって運動を展開していくと いう段階にまでは至らなかったといえる。また,第2期の議論の基底となる思想には,社 会連帯主義思想に基づくものと精神衛生運動を支える優生思想に基づくもの,の2つがみ られた。前者は,「権利」思想を含みながら主に1920年代前半を支配し,後者は1920年代後 半から台頭し,1930年代以降に支配的となっていくのであった。
〈(上)の註〉
1)その〈訂正・増補版〉は,日本教育学会第53回大会(於・東北大学1994年8月)において,発表資料 の一部として配布した。
2)<資料1>の作成にあたっては,雑誌「慈善」→「社会と救済」→「社会事業」等における大会特集 号と各大会(会議)報告書によった。各々の出典は,〈資料1>の中に記してある。なお資料収集の面 では,日本社会事業大学図書館に大変お世話になった。記して感謝する。
3)山田 明:乙竹岩造『低能児教育法』の歴史的位置(『日本児童問題文献選集19低能児教育法』所収 日本図書センター)p.121984年
4)寺脇隆夫:大正8〜10年段階の児童保護立法構想に関する資料「社会事業史研究」第8号 pp.131−169 1980年,を参照。
5)拙稿:障害者の人権思想の源流を求めて一一近代日本における障害者の人権思想の生成と発展一(山住 正己編『文化と教育をつなぐ』国土社 1994年所収)pp.325−327,を参照。
6)拙稿:大正デモクラシー期における文部省社会教育課と特殊教育 都立大「教育科学研究」第5号 pp.49−651986年,を参照。
7)日本精神衛生協会の成立「精神衛生」第1号 pp.2−3 1931年
(付記)本稿は,日本教育学会第53回大会(於・東北大学 1994年8月)において配布した資料と口頭報 告の前半部分を,修正・加筆したものである。
82
長崎大学教育学部教育科学研究報告 第48号<資料1>
全国社会事業大会・全国児童保護事業大会における「精神薄弱」関係の協議題・決議・建議等内容一覧(その1)
No 大 会 名
「精神薄弱」関係の協議事項・決議等 主要な参加者名
1 第一回全国慈善同盟大会 詳細不明・特になし 特になし
(1903.5.11〜13於・大阪)
※なお開催期日が,1903年4月という記述もある。
2
第二回全国感化救済事業大会 特になし 特になし
(1910.5.21〜23於・名古屋)
3
第三回全国慈善事業大会 特になし
脇田良吉(白川学(1915.11.15〜16於・京都) 園・大会受付係)
4
第四回全国救済事業大会 レ協議部会(第一部:一般的救済一救貧,救済行政等) 呉秀三,三宅鑛
(1917.11.3〜5 於・東京) 「(9)病弱,老衰,不具若クハ低能ニシテ生活能力充分ナラサ 『
一(中央慈善協
ルモノニ対スル救済機関ヲ設置スルコト。(真哉会及自立 会評議員)※「社会と救済」第1巻第2号
会提出)(大会記念号)より作成 決議
岩崎佐一
機関ヲ設置スルコト。」
(桃花塾)
レ協議部会(第二部:児童保護一育児,社会教育,感化教育其他ノ特殊教育)
「(3)失侍児童救育所二野テ白痴児童(精神病者ヲ含ム)ヲ救 川田トク
育スルノ可否。(前橋育児院提出) (茨城・弾弓園
決議 職員)
別置シテ専門的ニスルヲ可トス。」
レ協議部会(第三部:救療,養老,災害救護,婦人救済等)
岡野豊:四郎「(1)精神病院ノ施設ヲ普及セシムルノ手段如何。 (井ノ頭学校教
(中央慈善協会提出)
員)
決議
…政府事業トシテ経営セラレンコトヲ望ム。
(理由)
全国ノ精神病者ハ約十三万人アリテ此内病院二収容サレ居 ルモノハ僅二五千人内外ナリト云フ。サンバ残余ノ患者ハ 約十二万五千人ノ多数二上リ,其家族ノ迷惑甚ダ同情スベ キモノアルト同時二之レカ国家社会二丁ボス害毒即殺人,
放火,強盗,強姦等実二恐ル可キモノアリテ其結果ハ云フ 迄モ無ク政府ノ三二依リテ処置セサル可カラサルナルニ依 リ,之レが防止ノ策トシテモ精神病院ハ当然政府が経営ス
ベキモノト思惟ス。…」5
第五回全国社会事業大会 レ協議部会(第一部会:社会事業に関する法制及行政其他) 石井亮一
(1920.6.3〜5 於・東京)
「七.精神異常児及劣等児鑑別所ノ普及及方法如何
(滝野川学園(中央慈善協会評議員生江孝之提出)」
長)
※「社会と救済」第4巻第4号 ↓
(大会記念号)より作成 「此種施設が我邦現下の社会状態に於て緊要」と提出者の生
岡野豊四郎
江が説明するも,「結局宿題として研究すること」となる。 (東京育成園駒↓
沢公園主任)〈決議〉→「宿題トス」
レ協議部会(第二部会:児童保護一胎児保護,育児事業,感 岩崎佐一 化,白痴,低能児教育,貧児教育,徒弟教育,浮
(桃花塾長)浪児及被虐待児保護等)
「一.現時駅子二半テ如何ナル児童保護事業ノ施設ヲ急務ト 菊池俊諦 ナスヤ (中央慈善協会提出)」
(武蔵野学院 *説明者・田子一民(中央慈善協会評議員)@ ↓ i「精神薄弱」問題に関係する意見)
長)
①小林古意(神奈川)の意見
「我が同胞中に不就学のもの十一万余に達し,猶ほ寄留届
をもなさざる者は計算より抹消せられ居ると云へば実際
上の不就学者の数は驚くべきものあらん。而して彼等の
多数は主として貧窮より来るものなり,我国に於ける不
就学者収容機関は統計上僅かに六十二に過ぎず実に心細
き限りなり。予は我国刻下の急務として是等の機関の増
設を望む者なり。」平田 戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究H(上)
83
②岩崎佐一(大阪)の意見
「大阪の岩崎佐一氏は,刻下の急務として精神薄弱者教養 の必要を唱へ,現時の感化院若しくは孤児院に於ける児 童の七割乃至八割が精神薄弱なるに拘らず何れも彼等に 対する方法を講ぜられざるを指摘して,教育上及社会上
の見地より是が看過すべからざる所管を論ず。」@ ↓
@ 〈決議〉
「東京市内ヨリ特別委員十二名ヲ選ビ之が研究審議ヲ委託 シ,其ノ結果ハ之ヲ『社会と救済』二公表シ,之旧基キ
次回ノ大会二野テ更二審議スルコト」「九.府県費ヲ以テ低能児学校ヲ設置スルコトヲ建議スルノ
可否(大阪救済事業同盟会提出)」*説明者・岩崎佐一
@ ↓
@(説明の内容)
「岩崎佐一氏説明の労をとり,刑事政策上,経済上,古品 学上等の見地よりして精神薄弱者に対する特別教育の必 要を述べ,最近世人を驚愕せしめし大阪の殺人犯罪の兇 行者が白痴なりし事実を紹介し,其他詳しき統計を挙げ
一
て,種々之が必要を立酒する処あり,而かも兎角低能児 学校の振はざる所以は低能児数の明確に知られざると,
社会被害の程度の不明,低能児教育に対する期待の余り に大き過ぎざるが為めなるも之れを等閑に附していては 社会に不安を増進せしむる許りなり,故に社会生活の安 全を期する上にも放置し置く能はず,宜しく府県費を以
て之が設立を計るべきなりと論ず」→議論の結果,「多数 を以て提出案可決す」@ ↓
@ 〈決議〉
「建議スルコトニ可決ス」
6
第六回全国社会事業大会
レ協議部会(第一部会:胎児,乳児,学童,労働少年等の保護)呉秀三(東京府
(1921.1!.4〜7 於・大阪)
「一.胎児保護,嬰児保育,児童虐待防止,低能児,労働少 松澤病院長・社 年ノ保護及教育等児童保護二関スル法令ヲ制定セラレン 会事業協会評議
※「社会事業」第5巻第9号
事ヲ其筋へ建議スル事 員)
(大会記念号)より作成 (石川県社会事業協会提出)」
↓ 川本宇之介
「多数の賛成を以て建議する事に可決」 (文部省嘱託)
レ協議部会(第二部会:不良児,低能児,白痴児,被虐待児,
不具児,病弱児等の保護)
熊谷直三郎
〈議案〉
(内務省社会局「十.全国各地方二国費又ハ地方費ヲ以テ児童鑑別所並低能 嘱託)
一
児学校ヲ設立セラレンコトヲ其ノ筋へ建議スルコト
一 (石川県社会事業協会提出)」
菊池俊諦
↓
(武蔵野学院(提案理由)
長)
「低能児白痴児等の異常児に対する保護の施設は,社会政策上重要問題の
一なるは言を俊たず。…低能児,白痴児,病弱児等の異常児に対する施
岩崎佐一
設に就ては,其の数甚だ僅少にして殆ど絶無に近しといふも過言にあら (桃花塾長)ざるが如き状態にあり。而して近時不良少年浮浪児童等の漸次増加の傾
向あるは甚だ憂慮すべき現象にして,しかも之等の多くは低能,白痴に
土屋兵次
基因する所少からざるは識者の夙に認むる所なり。且是等の児童にして (大阪市児童相 普通の如く小学校に就学するものあるが如き,自他共に多大の不利害悪 談所書記)を醸すべきことは又言を倹たざる所なり。以上によりて之を稽ふる時
は,斯種異常児の保護施設に乏しきは単に当該児童のみの不利不幸にあ
島村保穂
らずして,累を善良なる児童及社会各方面に及ぼすべきもの勘からざる (大阪市児童相 は明なる事実なりと信ず。而して之に対する施設は全国各府県に普く設談所)
置するを理想とすれども,少なくも枢要の各地方に分布設置を必要なり と認めらる。而して之が実施に際しては特殊専門の技能者を要し,且つ 設備に於いても少なからざる経費を要すべきものなり,之れ国費又は地 方費を以て設立せられんことを希望する所以なりとす。」
84
長崎大学教育学部教育科学研究報告 第48号↓
i討議)
「・池田千年君,日高武六君,武田慎治郎君一大賛成なり。
・川本宇之助君(文部省嘱託)一日本児童に適せる鑑別 すら無きを以て,現今は鑑別法を研究しつつあり。そ
の後,鑑別所を設くるの予定なり。・某二一賛成,然し実現は時日を要すること故,呉博士
より鑑別上今採る方法を聞きたし。・呉秀三二一低能児学校は,一日も早く設立したし。別 に提案したる鑑別所案も本案と同様なるが故に撤回せ
ん。倦て鑑別方法は,大体左の如し。低能児一低格児
↓ ,/↓
q能ピ 行為に欠点あるもの 病的昂奮性
病的軽挑性 病的放恣性 病的紛争性
・池田千年君一文部省嘱託に対し,失敗の原因を調査あ
りたしと希望す。・呉秀三君一低能児を,低毒児と改めよ。
・武田慎治郎君一低格児にては範囲広くなるも差支なき
や。
・呉秀三君一文字が当嵌まらぬと云ふのみ。
・部長一一採決 満場一致可決。」
「十一.感化院及育児面面二収容スルニ適セサル白痴若クハ 強度ノ精神薄弱児(又ハ精神低格児)二対スル保護 所ノ設置ヲ其ノ筋へ建議スルコト
(山口県県立育成学校長 来栖守衛君)
(京都府慈善協会提出)」
@ ↓
@(提案理由)
「提案面一白痴若くは強度の精神薄弱児(又は精神低格児)
}
は,全国に於て幾許の数に達せるか其詳細は未だ知る能 はずと錐も,之を想像するに蓋し数万を下らざるべし。
翻て之を保護教育する場所を見るに,僅々一二の私設に 於て之を試みるに過ぎずして,其他何等の設備あること を聞かず。回れ実に我社会事業の一大欠点にして洵に遺 憾とする所なり。故に右保護所の設立は現下の急務なる
を信じ,ここに本議題を提出せり。」
@ ↓
@ (討議)
「・呉秀三君一本案に賛成なるも本問題は左の如く修正し たし。白痴院の必要は説く要なし,精神薄弱児の下括弧 を削り『保護所ノ設置』を『設備ヲ設クル』と改めたし。
・提案者一異議なし。
・部長一採決 修正の上満場一致可決」
*総会決議においても,十,十一は同様に決議される
7
第七回全国社会事業大会 レ部会(第一部:児童保護一胎児,乳児,幼児,学童,貧児, 呉秀三
(1925.5.13〜16於・東京)
労働少年,被虐待児,不良児,低能児,白痴児,浮浪 富士川游
児等)※部長 田子一民 川田貞治郎
※『第七回全国社会事業大会
〈議案名→決議〉 (藤倉学園)報告書』及び「社会事業研
「十九.児童鑑別所の急設を其筋に建議すること」脇田良吉
究」第13巻第6号より作成 ↓ (兵庫県 池田千年) (白川学園)「満場一致を以て原案通り可決」
岩崎佐一
「二十.精神低格者にして特別の保護を要するもののために (桃花塾)
国立収容所を設置せられんことを其筋へ建議するこ 池田千年
と」 (愛知県社会事業協会) (土山学園)↓
菊池俊諦
呉秀三の意見より,「国立収容所」が「国立及び府県 (武蔵野学院長)
立収容所」と修正され,可決
平田 戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究H(上)
85
「二十一.低能児学校を国費を以て設立せられんことを建議
しては如何」 (兵庫県 池田千年)↓※池田千年置提案理由の説明あり
可決
「二十二.各府県に府県立低能児学校を建設することを其筋
に建議しては如何」 (静岡県 満留進)@ ↓
@ 可決
「二十三.特殊児童の教育法如何」 (佐賀県 進徳学院)
「二十四.感化院及矯正院に於て教育する能はざる児童を如
何に処置するを最も適当とするか」↓ (兵庫県 池田千年)
「二十三.二十四.の二案を一括して単に意見の交換に止む」
レ第一部特別講演
異常児童の本能に就て 杉田直樹
8
第一回全国児童保護事業会議 レ特別委員会 菊池俊諦
(1926.12.2〜4 於・東京)
議案:児童扶助法制定に関する件 (武蔵野学院
↓
長)
※『第一回全国児童保護事業 決議事項に「一.病弱,精神薄弱,不具児二対シテハ扶助ノ
会議報告書』より作成 年齢ヲ相当延長シ得ルコト」とあり 青木誠四郎 レ第二部会(部長一留岡幸助 副部長一菊池俊諦 監事一小 (文部省)
澤一,青木誠四郎)
議案:精神薄弱児童保護教養に関する件 石井亮一
↓ (滝ノ川学園)
「協議案説明書」の説明
「今日精神薄弱児童の数の多いことは宴に驚くべきものがあ 川田貞治郎
ります。然るに彼等に対する保護教養の不備なる現状は, (藤倉学園)蕾に彼等の存在が普通教育の能率を削ぎ,育児事業,感化
事業等の障害をなしつつありのみならず,可能なる彼等の 岩崎佐一 智能の発達をも妨げ,以って社会の負担を重くし,其の疾
(桃花塾長)患を醸成しつつあります。故に此際彼等を保護教養すべき
方法,施設等に就て,研究熟議の上良案を得たいのであり 岡野豊四郎
ます。
(筑波学園主)参考一児童保護号 青木氏所説「低能児の保護教養』」
↓
本田親二
〈注目すべき協議内容〉 (東京市視学)
①中島清春(神奈川県・駆血学院長)の提案 池田千年
「一.低能児教育令ヲ制定スルコト (土山学園)
ω精神薄弱児童二対スル特殊ナル教科課程並二教則ヲ定
ムルコト(ロ)精神検査ノ結果低能児ナリト鑑別セラレタル者ハ命令
ヲ以テ之レヲ特殊教育所為収容スルコト
の此ノ種特殊教育所ノ課程ヲ了リタル者ハ之レヲ小学校 卒業同等ナリト認定スルコト
二.各府県二精神鑑別所ヲ設置スルコト
α)鑑別土目毎年一定ノ時期二於テ各小学校ヲ巡視シ検査 鑑別ヲ行フコト
(ロ)被鑑別児童ハ当該小学校白及担任教師ノ観察考査ニヨ ル推選旧基ヅクコト
の鑑別員二於テ精神薄弱ナリト認メタル者ハ之レヲ該学 校長並二監督官庁二報告スルコト
三.精神薄弱児童ヲ収容スル特殊教育所ハ之レヲ府県立ト シ全児童ヲ収容スルニ足ル寄宿舎ヲ附設スルモノトス
α)教育所ノ設備バー般小学校山廊シ遜色ナキマデニ完成ヲ期スルコト
@収容児童ノ家庭ノ状況ニヨリ学資ノー部曲シクハ全部
ヲ給与スルコトの教育所ノ事業担当者ハ社会事業二従事スル者ヲ以テ之
レニ充ルツコト←)小学校,精神病院,少年保護機関殊二感化院等トノ聯
絡ヲ密ナラシムルコト
86
長崎大学教育学部教育科学研究報告 第48号㈱教育所卒業児童二対シテハ社会委員,方面委員其ノ他 ノ社会団体トノ聯絡ヲ図り常二其ノ保護指導二留意ス ルト二二適当ナル職業紹介等ニモ便宜ヲ与フルコト」
②村山午朔(静岡盲唖学校教師)の提案
「私は,意見書を提出します。精神薄弱児童の教養に就ては 一般に低能児教育と考へられ易い。更に程度の低い普通学 校に於ても取扱はれ得るものの教養に付いても考へたい。
A.一.国立県立性能鑑別所ノ設置
二.小学校令ノ改正(低能児令ノ前二)イ.一学級児童数
ロ.特別学級特別学校ノ組織ヲ明示スルコト 三.師範教育ノ改善
特殊教育二対スル知識ノ向上
四.学校診療其ノ他社会的医療ノ設置ト連絡 五.特殊教育二対スル父兄ノ理解ヲ塗師ルコト 六.保護委員制度ノ拡充其ノ他ノ社会事業トノ連絡 B.白痴院ノ設置
白痴ヲ収容隔離スベシ」
一 ↓
謫 部委員会での議論
「四.精神薄弱児に就て
精神薄弱児童に就ては部会に於ても感化院のみが話題と なり,中心を外れた観あるは結局,精神薄弱児の概念が 一般にないことによる。この点川田氏より専門的説明あ り。川田氏は,劣等児,白痴児は厳格に分類して,特殊 教育令を制定せらるるやう建議することを発議し可決す 五.特殊教育講習会を開催すること
この点は視学,及小学校長,児童保護事業家を招集して
講習会をしばしば行ふことに可決」@ ↓
@ 決議要項
「三.町田精神薄弱児童二対シテ特殊教育令ヲ制定セラレタ
キコト尚ホ劣等児ト低能児ノ分類及名称ヲ油糧ニシ置キタキ
コト一
以上三項目ヲ単二建議スルニ止マラズ其ノ趣旨ヲー般二
普及シ而シテ当直ヲ喚起スルコト」9
第二回全国児童保護事業会議 レ第三部会(議長一留岡幸助 副議長一古谷新太郎,菊池俊 菊池俊諦
(1930.11.18〜20於・東京)
諦)
(武蔵野学院〈協議題〉
長)
※『第二回全国児童保護事業
「一.心身異常児ノ処置如何 (大阪 弘済会)会議報告書』より作成 二.大都市二言公立ノ身心異常児童保護施設ヲ急設セシ 大西永次郎
ムベキ機運促進二関スル件
(文部省学校衛(愛知県児童研究所長 石川七五三二) 生官)
三.都市小学校二於ケル身心異常児並二不良児ノ教育二
関スル適当ナル方案 川田貞次郎
(愛知 広幡尋常小学校長 野澤保千代) (藤倉学園)
四.感化院二於ケル特殊異常児ノ取扱二関シ有効ト認メ
ラルル保護施設如何 久保寺保久
(佐賀県立進徳学院長 御厨勝一) (八幡学園長)
五.中間性児童ノ収容所ヲ国費ヲ以テ設置スルコトヲ其
ノ筋二建議スルコト
岡野豊四郎
(東京 少年保護事業聯盟) (筑波学園長)
一(中略)一
一五.児童ノ精神衛生思想ヲ普及発達セシムル方法如何 藤本克己
(東京府社会事業協会幹事小林正金/医学博士小峰茂之)」
@ ↓
毎黶̀五は,一括して「第三議題 異常児童保護方法二関
(滝乃川学園)
スル事項」となる。
**一五は,単独で「第五議題」となる。
平田 戦前の社会事業分野における「精神薄弱」概念の歴史的研究H(上)
87
・「第五議題」をめぐる論議と決議
(提案理由一説明者・小峰茂之)
「…今,我国小学校児童の現在数を一千万と仮定して,之を
換算すれば二十五万余の低能児が学齢児童中に居る…(し かし)…適当の教育を受けて居る者は非常に少ない…不良 少年に就て見ますと,忌数現在丸丸万と称せられ,其内感 化院に収容せられて居る者は,僅か二三千に過ぎず,他は 家庭其他に放任せられ,何等の保護,感化教育も受けず…
放置された状態であります。是等の現状を見,思を彼等の 将来に及ぼす時,甚だ憂慮すべきものがあります。我国の 犯罪数の年々増加して行くのも当然の事であって,国家百 年の長計の為に寒心に堪えず,児童の精神衛生思想及発達
を叫ばざるを得ないのであります。第二国民たる児童の精神衛生を完全にするは,第一に予 防の力と,第二に救済治療的教養の力の二つがあると思ひ ます。第一の予防政策としては,低能児や不良少年を如何 にせば其の発生を予防し得るかと謂ふ事,第二は現在ある 低能児や不良少年を如何にして救済教養治療するかと云ふ
事であります。私は,具体案として左の事項を提唱致します。
(1)優生学的処置予防政策
禁酒,徽毒予防,去勢(精神病者,白痴,低能児,癩痛
患者),体質改善(2)妊婦の保護機関設立(巡回看護,相談,収容,物質的供
給)
(3)国民一般の精神衛生知識の向上(巡回講演,展覧会)
(4)常設研究所設立
犯罪者,自殺者,精神病者,白痴者,酒客,其他精神異
常者の調査研究をなす。救済治療的教育
(1)各小学校に促進学級及補助学級編成
(2)各自治団体に児童局設置(特殊児童及び不良少年の保護,
職業的教育,殊に感情教育,精神分析学的治療及其他調
査研究)(3)幼稚園保母及小学校教員の心理学的精神病学の講習並に
小学校児童の性能検査施行
(4)病院的な学校を設立して医師と教育家との共同の治療的
教育
(5)国家及自治団体に於て酒客病院,癒痴病院,白痴院,低
能児学校の設立
⑥矯正院,感化院及其他是等に類似する収容所の増設及拡
張と,其の内容の充実」@ ↓
u議長 只今の小峰博士の御提案に対して,皆様御賛成です
か。」→「一同 賛成」@ ↓
@ 委員会のまとめ(建議案作成)
「…今や世界ノ予防医学ハ…心身ノ保健衛生ノ両全ヲ期 スルタメニ精神衛生ノ振興ヲ策スル機運二到着シタ。…我 ガ国国民精神ノ健全ナル発達ヲ計ル訓点ハ第二国民タル児 童ノ精神衛生ノ発達二宮タネバナラヌ。依テ左記ノ如キ施 設ヲ速カニ実施セラルル様切望シテ止マザル次第デアル。
右建議ス。
年月日 第二回全国児童保護事業会議
内務大臣司法大臣 弐心 文部大臣
左 記
白痴,低能児,小児精神病者及ビ癩痴ノ病者ヲ去勢スル様
法律ヲ制定スルコト
88
長崎大学教育学部教育科学研究報告 第48号一.国家及ビ自治団体二児童局ヲ設置シ特二児童ノ精神衛 生ノ向上発展ヲ計ルコト
二.児童ノ精神衛生研究所ヲ設置スルコト
三.酒客病院(アルコホール中毒者病院),癩病病院,白痴 『
院,低能児学校ヲ国家及ビ自治団体二於テ設立スルコ g 委員長 東京 小峰 茂之
委 員 同 小林 正金 委 員 同 川田貞次郎 委 員 同 河田 茂
委 員 同 藤本 克己」
*「去勢」に対して,「アメリカに於ては人道上から非難があ
る」等の反対意見があり,下線部は最終的には削除される。
なお川田貞次(治)郎は,「私は,去勢の項を入れて差支へ ないと思ひます。」と述べ,賛成している。
(1994年10月31日受理)