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努力管理と時間研究

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(1)

努力管理と時間研究

−W.Baldamusの所説を中心に−

三原泰煕

(2)

努力管理と時間研究一一

w.Baldamus

の所説を中心に一一

455 

I

時間研究と作業標準決定は今日ではそれほと守表だった問題として論議され てはいない。しかしながら職務再設計の事例を批判的に検討したケリーが,

ほとんどの事例において賃金形態の変更と並んで賃金の引上げと定員の削減 が行われ,結果的に生産性向上が実現されたことを明らかにしているように

(Kelly

, 

1982)

,職務再設計,労働人間化,

QWL 

といった現代的課題にお ても,どれだけの仕事を行っか,それにたいしてどれだけの報酬を受けとる るかという問題は,誰がどのように仕事をするかという問題と並んで,仕事 の組織化や労使関係における不可欠の要素として無視できない要素である

(cf. Dunlop

, 

1958)

。またイギリスの労使関係に関する最近の調査

(Brown

1980)

によれば, 60~70年代の所得政策の影響もあるが,近年において, と りわけ小事業所において作業研究

(workstudy)

の普及が著しい。

テイラーによる時間研究の提唱以来,彼の主張した時間研究の科学性,正

(1) 

確性は完全に否定されているにもかかわらず,なお広く利用されているとい う事実は,その科学性の問題がいかに処理されているか,あるいは現実に作 業標準,作業負荷,あるいは定員がどのように決められているか, という問 題を提起する。

本稿は,主として能率に立脚して展開されてきた労働管理論(

industrial  administration)

にたいして,努力の統制を軸にして論じ労働紛争の根本 原因を賃金と努力の不均衡に求めたボールダマス

(W.Baldamus)

の所説を 紹介し,その努力管理論,努力交渉論から時間研究及ぴ課業決定を見ょうと するものである。即ち,まずボールダマスの主張の要点を示し,次にテイラ ーの時間研究と標準課業決定をそれに照らしてみることにより,上述の問題 に一歩迫ろうとするものである。

J

)後述のように,テイラ一白身の主販のうちにその科学性,正確性,客観性を否定す

る表現が見出されるが,その批判としては,決して網羅的ではないが,

Hoxie (1915) 

古林喜楽

(1936

,1

953

, 

196

7),涜利 ml 注(1

962

,1

965)

,川崎文治

(1956)

J~ J;I.

(3)

( 1

978)

、山下尚之(1

980)

, 桶 博 ( 1

963

),海道進(I

97

7 ) ,   A .  

Abruzzi 

( I  

956)

Aitken 

( 1

960)

, 

W. Gomberg (1955)等を参照されたい。

II  努力の統制と努力交渉

(1) 

努力の統制

ボールダマス

1) (W.Baldamus

1961)

はまず「産業の組織は従業員の努 力が使用者によって統制される過程を中心に展開される

J (p. 

1.……以下特 記しないかぎり同書の頁数である)と述べ, その労働の統制・制御

(indus trial  control)

を職業統制

(occupationalcontrol)

と努力の統制(

effort  control)

に分ける。

職業の統制は,職業の市場

(occupationalmarket)

において,所得格差 の変動を通じて種々の職業の人々の数を制御し,また需給の変化によって稼 得所得を制御するものである

(p.2

4,  3 6 ) 。これにたいして努力の統制には,

監督,賃金支払制度,手iJ ~閏分配制,訓練,従業員の選抜,昇進,考課,職務 評価等が含まれ,その目的はさまざまであるが,任意的契約関係にもとづく 職業市場にたいして,努力の統制には権限,規律,権力などの威圧

(coer cion)

の要素を必らず伴っているという相違がある

(p.34)

他面,ここで監督を例にとれば,監督者は労働者の努力の投入と賃金とい

う形での均衡価格の間の一定の関係が維持されるように従事しているのであ

る。もし監督がなければ,そして完全競争と労働移動を想定し,そして,労

働者がある水準の賃金に対して一時的にその努力をかえらすと仮定する。その

結果は,究極的にはその企業の競争上の地位を損うか,あるいはより多くの

労働者を悲きつけるかであろう。いずれの場合にも努力とその価格(賃金)

の間のバランスの再調整が起ることとなろう。不効率を除くところの,この

遅い,浪費的過程が不断の監督という手段によって回避されるのである。し

たがって「すべての努力の統制は,同じ意味において,職業市場システムの

延長,ないし精般化である

J(p. 3

5 ) とされるのである

2)

そして監督の過程

はまた労働者と監督者または経営者との取引の一方法)であり,職業市場を

(4)

努力管理と時間研究一‑

W. Baldamus

の所説を中心に一一

457 

通しての調整とは基本的には変らないが r より弾力的で、迅速な方法

J(p. 35) 

と考えられるのである。

( 2 )   努力の統制の機能

努力の統制は,上述のように,職業市場による制御の精微化であるが,そ の機能は

(1)

努力の安定化と

(2)

努力強度の統制とに分けられる。

努力の安定化

職業市場が,元来,所得の格差の変動と,需要と供給の変化を通して機能 するのにたいして,努力の統制は「従業員の努力をできる限りその託金が支 払われた水準にまで維持すること

J(p. 

3 5 ) である。監督については既に述 べたが,出来高払制も同じである。ひとたびそれがルーティンとして確立さ れると,それはある期間にわたって個人の努力の平均的水準を安定化する ( p .

36)

。努力の絶対的大きさが知られていないので,努力の統制においては努力 の相対的変化を外的に表現するもの,例えば 1 人当り産出量,品質,欠勤 率と頻度,規律の水準などを利用することとなる

(p.36)

企業内部の努力の統制は,ある程度は市場の命令を再生し,それを表現す るが,それにとどまらず,諸活動を高度に標準化した仕方で,同時に強

flilJ

力 を伴って,安定させる

(p.37)

。そして企業規模の拡大と統制の官僚制化は産 業経営における予測可能性と計算可能性の基礎としての安定化の要素を必要

とし,その重要性を増すのである

(p.37)

2. 

努力強度の統制

努力安定化の種々の方法において,従業貝の業績の客観的な記録は主要な 情報源である。しかし,情況が大きく変化するとき,即ち,企業規模の拡大,

新しい生産方法の採用等は新しい熟練,新しい型の労働者を必要とし,ある いは1t金支払方法の変更を伴うかもしれない。それに対応した新しい烈の努

,力の統制の創出においては,労働者の努力の強度を推定することが不可欠と なる。同じことぽ従業只についてもあてはまり,彼らもまた変りゆく情況の なかで彼らに期待されるであろう努力の強度を推定しなければ ならない。そ して両者の間で努力の強度をめぐって取引が行われることとなる。

努力強)支の統制の一手段として時間研究があるが,その成功には,特定の

(5)

情況において「要求される」努力の「正しい」水準についての普及している 観念を発見することが必要で、ある。即ち i 要求されている

J

標準時間を発 見するのに成功するか否かは,ある型の作業の正常な遂行において予め考え られている,慣習的に維持されてきた標準の発見に決定的にかかっている

4)

(p.45)

。ただこの点についてはリトラーは,ティラリズムに関連して,分業 の進展によって慣習的標準が大部分の人々にとって消滅したことが

19

世紀の 労働問題の中心にあったのであり,慣習的水準に依拠して新しい標準を発見 するというのは矛盾している

(Littler. 1982

, 

p. 61)

と批判的である。具体 的な生産標準の形での慣習的水準についていえば,その指摘はあたっている が,ボールダマスはそこに「努力」の概念を挿入することによって i 時 間 研究の真の目的は,努力標準の純粋に主観的な要素をできる限り一貫して推 量して,それに基づいて,それらに一致するょっに賃金率を調整することで ある

J(p.46)

と述べ,科学性,客観性ではなく,推量の一貫性を前面に出

している。

上記に続いて,ボールダマスはいささか唐突に

i

職務を測定する行為自 体が努力の受容できる水準を引上げるかもしれない

J

i

より正確にいえば,

賃率設定過程の目的は 許容される努力の上限を,即ち,生産制限あるいは 緊張した労使関係を伴わずに維持されうる最高の水準を発見することである」

(p. 46)

, と述べ,それは能率給の導入,生産方法の変更, 人員構成の変化 などと密接に織り合わされているが

i

努力強度の統制に関して, その支配 的目的は,従業員が企業に従うと期待される努力の強度を高めることである」

(p.47)

と結んでいる。

以上要するに,ボールダマスによれば,努力の統制は,職業市場における

所得水準と需給の変化を通しての制御と並んで,その作用を精微化し迅速化

するものであるが,それは機能的には努力水準の安定化と変化に対応した努

力水準の決定とそのできるかぎりの引上げを行なうとするものである。そこ

で,その努力水準はどのように,どれくらいに決まるか, ということが次に

関われることとなる。

(6)

努力管理と時間研究

‑w.Baldamus

の所説を中心に

(3) 

努力交渉と賃金均衡 1 .   仕事の義務

459 

ボールダマスは努力を産業労働の障害要因と結び、ついた感情より構成さ れている

(p.51)

と定義し, そ れ は 仕 事 に お け る 喪 失 感

(work depriva tion)

であるが,同時にそれを緩和し救済する相対的満足

(relative satis faction)

を伴う

5)

ので,努力は不安定かつ測定不可能で、ある。ところが,正 確であり限定的であることが契約による統制の本質を形成する, とすれば,

労働管理のこの二つの側面のギャップは埋められねばならない

(p.77)

。 こ の間にたいしてボールダマスはその答を産業雇用制度におけるすべての行動 を支配する三要素に求める。即ち,①第 1 次社会化の過程において獲得され,

社会的支持として方向づけを与える基本的価値の,間接的影響,②雇用の過 程で獲得された制度的統制による,より明確な影響,③公式統制による行動 のなお一層正確な決定,である

(p.84)

まず①についてみると,労働にたいする基本的態度,労働の義務は子供の 発達の初期の段階に,社会化の過程の中で,特に家庭内における基本的態度 の内部化によって形成される

(p.82)

。その他の社会的支持としては消費の社 会的標準,宗教的・政治的価値体系,地位願望などがあり,それらのうちに は仕事の義務と同じように,努力の維持に密接に結び、ついているものがある。

(p.88)

。しかしながら,それらは,幅広い条件にたいして有効であり,また 強力であるが,拡散的な決定因子にとどまり,そこで一層特殊的な,かっ規 制的な力として制度的統制が必要とされる。そのさい,この基本的態度は制 度による規制的制御を間接的に有効にするのである

(p.83)

2. 

努力交渉

雇用契約は賃金額については明確に規定しているが,それにたいしてなさ

れる努力や能率についての詳細な規定はなしせいぜいあいまいな,含みの

ある努力水準が書かれているにすぎない

(p.90)

。ボールダマスはべーレンド

(Behrend.  1957)

とともにここに雇用契約の不完全性とともに努力の取引の存

在を見る

(p.91)

。即ち,賃金取引においては努力の大よそ標準化された期待

が不可欠であり

6)

実際にいわゆる「生産制限」の行動が示すように,ある 1 '

1'

(7)

況で要求されると;与えられる努力の水準についての

ur

1

兵 の │ 百

J~rr: (agreement) 

がある

(pp.91‑92)

のである。

生産制限行動の参加的観察を行ったロイ

(Roy.1952)

2

種 類 の 生 産 制 限を発見したが,第

1

quatarestriction

はある生産量,収入に達するとそ れ以上の努力をしないというものであり,第

2

goldbricking

は余りに作 業標準がきっすぎて期待収入を得ることが困難であるときに最小限の努力,

能力よりはるかに低い作業しかせず,経営者に圧力を加える場合である

:(Roy. 1952.  p. 429.)

。この場合注目に値することは,種類の異なる仕事の問でも比 較されて,

bad job

goodjob

, 

hard

easy

の分類がなされていること である。ボールダマスはこの事実から,人がちがっても努力のさまざまの構 成要素を同じように経験しているにちがいないということを意味するのみな らず,粗収入についての期待をも共有していることを意味する

(p.92.)

と解 釈する。 ま た 未 組 織 労 働 者 に つ い て の 調 査

(Mathewson

1931)

Roy (1952)

, 

Lupton (1963)

の調査が示すように,出来高は労働者の統制外の環 境の変化によってしばしば変動し,それに伴って収入も変動するが,それに たいして出来高の過小申告

(underbooking)

や過大申告

(overbooking)

も 行われていたが,収入の大幅な変動を防ぐので管理者も大目に見ていたこと が明らかにされている。

上述から示唆されることは,それらが安定した,きまった賃金期待の上に 可能で、あること,及び種々の職務における経験の交換と比較の広い機会があ り,そこから努力と賃金の椋準化された観念が生じ1"非公式の契約として,

公式の雇用契約を補完する効果をもつ

J(p.94)

ことである。

以上要するに,適正な努力の評価は適正な収入についての判断と不可分に

融合しており,その結果,努力の標準はこの賃金との結合を通して一層正確

になる。そして長期にわたって安定した情況が続けば,努力の標準の動きう

る範囲は狭くなる。このよつな制度化の過程の底にあるのはつねに従業員の

経験であり,それが「究極の権威」である

)(pp.99 100)

。それゆえに1"使

用者,監督者,時間研究者は,労働者の心の中に生起する限界的な努力の標

準弘通常は業績の測定の助けを借りて,推定する以上のことはできない」

(8)

努力管理と時間研究

‑w.Baldamus

の所説を中心に一一

461 

(p.100)

のであり,ここから貸率設定や職務評価の成功には実務経験とと もに情況をよく知っていることが要求される

(Baldamus.1957.  p.  196

, 

Be hrend.  1957.  p. 510.)

のである。

3. 

情況の変化と賃金均衡

努力の統制は,一方で、は努力水準の安定化を志向し,さらに制度的統制は 期待収入からみた努力の価値の標準化をもたらす。しかし企業が変化する市 場のなかで機能するかぎり,労働市場や生産物市場の状況の変化からその努 力水準を調整する必要が生じる。そして新しい努力水準が決定されねばなら ない(努力強度の統制)。どのように, どの水準にきめられるのかというのが 次の問題である。

それにたいしてボールダマスは賃金均衡と不均衡

(wageparity

, 

dispari ty)

の概念を用いて説明する。ある水準で賃金と努力が均衡しているという 仮定の状態から出発すると,その変化には可能性として次の

12

の場合がある

(pp.118‑9)

1 .   賃金上昇,努力の低下……実際にはありえない。

2. 

賃金上昇,努力は不変……例:技術革新による生産性向上

3. 

賃金不変,努力の低下……労働時間短縮の場合

4. 

賃金上昇,努力も増加,ただし,賃金上昇率>努力増加率

5. 

賃金低下,努力も低下,ただし,賃金低下率く努力低下率

6. 

賃金上昇,努力も増加,ただし,賃金上昇率く努力増加率

(例:逓減的能率給)

7. 

賃金低下,努力も低下,ただし,賃金低下率>努力低下率

8. 

賃金不変,努力の増加……例:従業員態度の操作

9. 

賃金低下,努力不変……実際ありえない。

10.  11

金低下,努力場力

H

H

・..実際ありえない。

1 1 .   賃金上昇,努力増加,ただし増加率は同じ。例:出来高給の導入。

12.  11

金低下,努力も低下,ただし低下率は同じ。

‑5

においては労働者からみて有利な釘金不均衡

(positivewage  dis parity)

が発生し.

‑10

では労働者に不利な賃金不均衡

(negativewage 

(9)

disparity)が生じ,

1 1 と1

2

では均衡している。一般的な傾向としては,低

tl

金一低努力という型

(Gouldner

indulgencypattern)から高賃金一高努

力の型

(stringencypa ttern)への移行がみられるのであり,努力の価値は

不変であるか又はその変化は比較的小さい

(p.103)のである。

上述の変化において,努力価値の相対的低下

(negativewage disparity) 

は経営に有利で、あり従業員には不利で、あり,労働争議の発生する可能性があ る。当然のことながら,すべての変化する状況が争議を惹き起すのではなし 賃金不均衡を伴う変化が労働争議を伴うのである。ただし,すべての争議に おいて不均衡が意識されているとは限らない。例えば,公式の賃金争議とス トライキの場合には,一定の努力を前提にして賃金を引上げようとするもの であり,その時点において不均衡が意識されているとは限らない。これにた いして非公認ストや産業不安の諸形態,例えば過大な離職,欠勤,生産制限,

怠業などは努力価値にたいする不満として賃金不均衡がはっきりと意識され ている

(p.107)

といえる。さらに立入れば,すべての賃金不均衡が明示的 な労働争議を惹起すとは限らない。例えば,既述の労働の義務感が強ければ,

所与の状況において,ある限度内の不均衡は許容される

(p.111)のであり,

また一般的経済状況

(p.108

,Baldamus , 

1957.  pp.  196‑7.) 

もそれに作 用する。これらは明示的な抗争を伴つことなしに従業員に不均衡が受容され る程度を規定するのである

(pp.105‑107)

以上がボールダマスの努力管理論の要点である。

W. Baldamus

はドイツでウェーパーの伝統を汲む社会学の教育を受け,

1937

年イ ギリスに移住,種々の労働の経験の後,労働問題の調査研究生活に入

t)

,本書は

1950

年 代の

H.Behrend

との共同調査にもとづくものである。

2  )この点については

Baldamus

はR.

H. Coase (1937)

の 市 場 の 内 部 化 論 か ら 示 唆 を得ている。

3) Behrend

は,雇用契約,託金交渉には1t金卒の取引と努力の取ヨ l が 含 ま れ る こ と を指摘してし、る

(Behrend

1957. p. 505)

4)  r もし努力が主観的経験であるならば,同じ作業成杭をもっ 2 人の労働者が同じ程

(10)

努力管理と時間研究一一

W.Baldamus

の所説を中心に一一

463 

度の努力を経験するか否かを述べることはできない勺……提案に意味を持たせるに は,それが平均労働者にとって正しいと規定せねばならない。これは実際にはそれが 労働者の集団に受容可能でなければならないことを意味する。これはまた出来高率は 努力の制度化された(集団の)基準と一致せねばならないということを意味するり

(Behrend. 1957

, 

p.509) 

5)  3

種類の作業環境,作業関係に対応する仕事における喪失感

(workdeprivation) 

と相対的満足

(relativesatisfaction)

は次の通りである

(Baldamus

196

1 .  

Chapter  5‑7

参照)。

作 業 関 係 物 的 条 件 反

f

夏 ヲ 自

F'

型 ヲ 自 仕事での喪失感

tJt 

f 吾 退 屈 { 巷 d」じ~、

(Impairment)  (Tedium)  (Weariness) 

相 対 的 満 足 慣 れ 魅きつけること 不安のない状態

(Innurement)  (Traction)  (Contentment) 

6)  ,‑産業の実践においては,時間賃金で雇われようと出来高賃金で雇われようと,従 事した時間となされた仕事は原則として考慮、に入れられる。時間賃金はしばしば

piecebasis

をもち,出来高賃金は事実上すべての場合において

timebasis

をもっ

d

(Schloss

, 

1898.  p.13. quated in  Li

t t 1

er

, 

1982.  p.59.)  Littler

はこの引用に続けて,

「換言すれば,時間賃金は普通,仕事の量についての相互の期待にもとづいている。

・・同様に,出来高作業は

1

日又は

1

週当りある額を獲得するという暗黙の想定を含 むりと述べている(l

bid. Baldamus. 1957.  p. 198.

参照).

7) 

,‑科学的判断ではなし単価にたいする労働者の反応がそれが適切であるか,緩い か,きついとみなされるかを決定するり

(Behrend

1957.  p.510)

。また

Aitken

も「ど のように巧妙に経営者が巧妙に作業遂行の最良の方法

(onebest way)

を き め よ う と , もし労働者がそれをそのようにしたいと思わなければ,それは最良の方法ではな くなる

d

というR.

Wolf

の見解が

19

日年以降徐々にテイラーの伝統の後継者の問に も確立されていった

(Aitken.1960.  p. 238)

ことを指摘している。

III  テイラーの時間研究と差率出来高払制

本節では

1

で述べたょっに,ボールダマスの努力管理論からテイラーの

時間研究と課業決定及ぴ出来高単価の決定を見ればどのように見えるか,ま

(11)

たそれを通してボールダマスの理論の限界をも検討しようとするものである。

作業測定と生産標準設定においてまず第 1に,そして広く論じられてきた のは時間研究ないしそれに類する標準決定の方法における主観性ないし非科 学性である。それは時間研究の創始者であるテイラーが自らの方法と制度を

「科学的管理法」と称し,時間研究によって正確に,科学的に課業を決定で きると主張したところから始まる

(Abruzzi

1955.  p.  1)

。そこで本節ではま ずテイラーの時間研究と課業決定についての主張の要点をとり上げ¥次に実 際にどのように作業標準,課業及び単価を決定したかについて検討すること

とする。

( 1 )   時間研究と課業決定

テイラーの科学的管理の諸制度とその本質あるいはそのなかにおける時間 研究と課業決定の位置づけについては諸説があるが,それらの検討は別の機 会に譲り,ここでは時間研究の過程と方法のみに限定する。時間研究につい ては

1903

年の

r

工場管理法

J(Shop Management

, 

1903)

が詳しい。それに よれば,時間研究の手順は次の通りである

(Taylor

( 1

903)  pp.156174. 

邦訳

p.167183)

1 .   作業をその構成要素に分解する。

2. 

要素動作の時間を測定する。

3. 

不要動作を除き,遅い動作は速い動作にとって代える。

4. 

各要素動作の合計によって正味時間を計算する。

5. 

休憩,不可避の遅れの時間を余裕

(allowance)

として加える。

6. 

したがって,作業に要する時間は次のように表される。

T= (a+b+c+d

十…)

(1 +p) 

ただし, T は総時間,

a

,  b , 

c

,  d ,…は諸要素動作時間,

p

は余裕率,である。

この時間研究の過程における諸要素について,例えば,

iWJ

定回数,平均値

の意味,作業の構成(不要動作の除去,動作の置換),余裕の決定, i l ¥ l J 定す

る作業者の選択,測定中の特別手当の支給,等についてのテイラーの主張に

おける問題点が指摘され,時間研究の科学性,客観性に疑問が出され,そし

て否定されている。しかし問題はこれらの諸要素の問題にとどまらない。時

(12)

努 力 管 理 と 時 間 研 究 一 ‑

W. Baldamus

の所説を中心に一一

465 

間研究一課業決定の科学性にたいする決定的な批判は古林

(1936)

によるも のである。即ち r 科学的管理とはいいながら, 自らの科学性にたいして余

りにも無反省である

J

(古林,

1936

, 

p.94)

と述べ,エルマンスキーを援用 しながら r 時間研究は本来,実際行われている状態

(dasSeiende)

を解明 するものであって,それから直ちに標準

(dasSeinsollende)

が導き出され るべきものではない

J

(向上), r のみならず,よしんば技術的に解決された としても,能率基準なるものは技術的解決のみによって決定されうるもので はない

J

(古林,

1967

, 

p.80)

と。また藻利(1

956

)は「このようなポリシ ーによる決定を待つてはじめて解決せられうる問題を,管理技術がみずから 独自に決定しうると百断するとき,管理技術は,かえって,その科学性を放 棄して,独断に依らざるをえないであろっ

J(p. 96)

と述べ,経営政策によ る制約性を指摘している。要するに,テイラーにおいては,事実と標準経営 政策の決定と管理技術による決定,あるいは推定と評価

(Abruzzi

1956.) 

の混同,混在がみられるのである。上記の時間研究過程で見出されたものは,

一流労働者なり平均労働者がある作業に「実際に要した

J

時間,それからの 推定による「要する」時間,なのであり,課業,標準 ( r 要 す べ き 」 時 間 ) の決定には別の手続が必要なのである。

テイラーは時間研究からの課業決定について次のように述べている。まず

時間研究は一流労働者の最速作業について行われるが r 一 流 工 員 の 最 高 ス

ピードと平均工員の現実スピードとの差はかなり大きいものである。日々の

課業を決める人にとって最も困難なことは,どれくらいの能力者を標準とし

て課業を決めたらよいかといつことである。一流工貝を標準として決めるの

がよいか, もしそれがいけないとすれば¥一流と平均との中間のどの辺を目

標とすべきか

J(Taylor

,  ( 1

903)  pp.174‑5.

邦訳

p.184)

と聞い, それ'に

続 い て 少 な く と も 課 業 は 平 均 の 成 績 以 上 の と こ ろ に お か な け れ ば な ら な

いことは明らかである。それは賞与という刺戟を与えるとかならず成績がよ

くなるからである。私は多くの場合,一流工只が全力をあげないとできない

ところに課業を決め,その課業ができたらかなりたくさんの賞与をやってこ

の問題を解決した

oJ(Taylor (1903)  p.175.

邦訳

p.184)

と述べ,さらに「平

(13)

均と一流との間でどこで課業を定めたらよいか,それは主としてその工場所 在 地 の 労 働 市 場 に よ っ て 左 右 さ れ る も の で あ る り と

(Ibid.p. 175

,邦訳

p.185)

このようなテイラーの主張にたいして夙に古林(1

936)

によって r 動 作

・時間研究の分析的研究によって客観的に決定されるべき筈であったところ の課程の標準がここでは割増賃金の助けを借りることによって決定されてい る

1.(p. 84)

と指摘され,また労働市場の影響についても r かくてここで も更に労働市場が標準の決定に参与しているノ

J(p.84)

という指摘がなさ れている。

時間研究による科学的・正確な課業の

l

決定といっテイラーの主張にたい する批判としては誠にその通りであるが,むしろ注目すべきことは,かなり 高い努力を要する課業を設定し,それにたいしてかなりの収入を与えること によってそれが実行されたという事実である。「労働市場の影響」が示唆す るところの高い能力の労働者の選抜の効果も加わり(それ自体の大きさは区 別,明示されていない,浅野

1972参照),賃金と努力の均衝が成立した,

即ち,低努力一低賃金から高努力一高賃金の型への移行とみれば,努力の価 値はほぼ維持され,その課業が労働者に受容されたものと解することができ

ょう。

前述の指摘に続けて,古林(1

936)

は,実際の標準の決定について r 標 準は経営において現実に作用するとともに経営の具体的要求をばそれ自体に おいて実現しなければならならない

J(p. 92)

として,経営の利潤追求目的の 作用を受け(古林,

1967

, 

p. 8

1 . ) ,   r 課程の標準は一方に於ては一流労働者の 最良標準に向うとともに他方に於ては標準の浮動性がもたらされた

J

(古林,

1936.  P 92)

と,標準化原理の静的性格(古林,

1936.  p.85.)

と並んで,動 的性格(同,

p.86)

,浮動性のあることが指摘され,標準における矛盾とし て把握されている。この両者をボールダマスの努力の安定化を努力強度の統 制に対応させると,状況の変化に対応して新しい標準が,しかも受容されう

るかぎりの高い標準が追求されるが,ひとたび標準がさめられるやそれは静

的性格,努力の安定化機能をもつこととなり,両者は必らずしも対立するの

(14)

努力管理と時間研究

‑‑w.Baldamus

の所説を中心に一一 467  ではないと考えられる。なお「最高能率原理」に関連して後には「労働組合 の出現ないし労働組合と科学的管理者との和解の後,課業は一流労働者のマ クシマムから平均労働者のノーマルな水準に設定されるに至ったi)( 古林,

1967. p.83.)

と述べられ,最高能率原理が否定されたかのような印象を与え る。平均労働者のノーマルな水準とは何か

9)

が関われなければならないとし ても,既述のボールダマスによる努力強度の統制の支配的目的によれば,平 均労働者のノーマルな水準,受容されうる水準をできるかぎり高めることで あり,その原理は変っていないといえるのである。そして実際の標準の設定 は努力と賃金の取引,賃金均衡の追求の過程で行われるのであり,労働組合 による交渉はそれまでは非公式に行われていた取引を公式的手続に乗せたも のにすぎない

10)

ということができる。

最後に,そのなかに現状の推定と評価が含まれている時間研究と標準設定 は,手

JI

潤追求,営利原理の作用によって最高能率への傾向をもつにしても,

その経営政策・戦略は直ちに無抵抗に実現されるとはかき

a

らず

11)

テイラー自 身が指摘するように,割増賃金(賃金形態)や労働市場の作用を受け,さら に賃金の割増率についても労働市場と事業の種類

(Taylor.1895.  p. 655

邦 訳.

p.26)

によって影響されるとすれば, ここにボールダマスのいう,市場 の延長,精微化としての努力の統制という規定をみることができる。

( 2 )   金属切削作業における差率出来高払制

課業と出来高単価の決定の具体例を見るにあたって,テイラーの最初の,

そして本来の研究領域である金属切削作業の例をとり上げる。この金属切削 作 業 に つ い て は , 科 学 的 管 理 の 全 体 的 な 本 質 的 解 明 を 含 め て , 既 に 浅 野 ( 1

972 

)のすぐれた分析があり,ここでは努力交渉,賃金一努力均衡からみ た解釈以外に付加することはない。

テイラーは

1884

年に金属切削作業に差率出来高払制を適用している。当時

普通の出来高払制では標準出来高

5

個,単価は

50

歳で

1

日の収入は$

2.50

あったが,テイラーは標準課業を

10

個とし,それらを達成したときには単価

359

で支払い,収入は$

3.50

となるが,達成できなかったときは,

2.50

10

で割った

25c

の単価を適用した。この

25c

という単価では例えば

9

個でも

(15)

2.25

となり通常の収入にも達しない罰金的低賃率であった(浅野.

1972

, 

pp.82‑3)

次に 35

t

の高い貸率については

i

金属切削法

J

( 1

906)の記述から,テイ

ラ一が1 臼

88

4

年に丸型ノパ〈イト及び

は,切削速度は少くとも

1.41

倍音になつてお

I

り ),ここから標準出来高は

5

個か ら

7

個に増加したと考えられ,単価は$

2.50

7

で割りほぼ359となり,し たがって

35c

は高賃率でも高賃率でもなし工具の改善による労働生産性向 上にもとづく「普通の賃率

J

であり,それを

10

個以上生産した場合にだけ適 用し,労働強度を1.

4

倍に(1.

4X

1 .

42/2)

強めさせていたとすることがで

きる(浅野.

1972

, 

pp.82‑3)

賃金一努力均衡論からみるならば,

35 r

の単価は

10

個が

7

個の1.

4

倍 に 相 当し,

2.50 

1 .  

4= 3.50

として算出された日収入から計算されたとも考 えられる。つまり1.

4

倍の努力にたいして1.

4

倍の収入が期待され,労働者に は均衡

(parity)

として受容されたものと解される。他方,

1893

年に単価2

5

併の単純出来高払制移行の場合,出来高がどうしても

6‑8

個以上にならな かったとしてテイラーは差率出来高払制の価値を主張する

(Taylor(1903)  p.83.邦訳 p.107.)

が ,

10

個仕上げれば

7

個の場合の1.

4

の賃金になるにも かかわらず,当時の賃金の全般的引下げ率にもよるがわ1

0

個にたいする$

3.50 

からみれば,賃金一努力均衡は労働者に著しく不利に改変され,最大限の努 力をしても期待する収入を得ることはできないと感じられ,努力することを 放棄し,通常の日賃金すら獲得しない

Roy

のいうところの

goldbricking

を行ったとも解するこのができる。ここで差率出来高払制の価値を主張すれ ば,それは罰金的低賃率によって, 1 .

4

倍以上の努力を1.

4

倍の収入で引き出

していたということとなるであろう。

)藻利(1

965)

は,課業は「平均労働者の能率にもとめられるべきことを主張するべ きである。すなわち,特定の経営のその時の労働事情において達成し,維持すること のできる課業を決定することが必要なのである

υ(p.91)

としている。

9) M. Fein 

( 1

967.  1972a

, 

197Zb)

は経営者の決定する託金割増率から

normal

が逆

(16)

努力管理と時間研究

‑‑W.Baldamus

の所説を中心に一一

469 

算されていることを明らかにしている。

10) 

R .  

Hyman

, 

1975.  p. 151

, 

157

参照。なお未組織労働者の「生産制限」については,

Mathewson

,  ( 1

931)

やホーソン工場のパンク配線作業実験(進藤.

1978.  p.132‑5 

参照)を参照。

11)

欧米における労働過程論争においてその発端となった

H.Braverman 

( 1

974)

に欠 落していると一般に認められている視点である。

(Wood.(ed.)  1980. Thompson. 1983  p.77

, 

87.) 

12)

機械作業には機械による仕事の時間と人による仕事の時間に

2

分され,このような 想定が妥当であるか否かの検討が必要で、あろう。

W

以上,ボールダマスの努力管理論の要点を述べ,それによってテイラーの 時間研究,課業及ぴ単価決定をみてきたが,最初に述べたところの,時間研 究の科学性及び、標準の水準の決定に則してその要点をまとめ,最後に若干の 批判を挙げて結びとする。

(1) 

時間研究の科学性,客観性の問題

最初に述べたように.既に時間研究による課業決定の科学性,客観性の否 定は常識である。ボールダマスの努力管理論によれば,それはどのように扱 われるであろうか。

まず努力の統制は市場による制御の延長,精微化である以上,努力統制の 一手段たる時間研究もそれ自体で,技術的に努力の水準,標準を決定しうる

ものではないことは自明となる。

次に努力統制の 2機能のうち,努力安定化についてみれば,時間研究は既 存の業績,努力水準を推定しそれを明確にする限りではさしたる問題はない が,そもそも職務の測定自体がより高い業績水準を志向するものであり,ま た市場や技術の変化に対応する場合(努力強度の統制)には,労使各々によ って,なさるべき努力強度の推定が行わねばならず,そして取引によって暗 黙の協定に至る。努力は主観的でで、あるのてでで、や、全過程は直感的判断に{依衣;拠処してお

I

t

). 人 '

科学的

li

訓 抑 測 l ! 刊 川 ! I 引 │ リ 定 用 具 は 不 可 欠 で で 、 あ る と e : ' は 土 れ し 、 え ' 時間研究は努力標準の主観的

(17)

要素をできるかぎり一貫して推量してそれに一致するように賃金率を調整す ることを目的としており,そもそも客観性ではなくて推定,評価の一貫性が 重視されるのである。

( 2 )   努力水準の決定

ボールダマスの努力の概念は主観的で、あり,したがって個人,及び職場に よって異なり,また著しく不安定で、ある。そこで次にある水準に努力がきめ られる過程が問題となる。雇用における行動を規定する要素として,①労働 の義務などの社会的支持,②制度化による制御,③公式の統制,があり,① は強力であり広い条件に作用するが特定条件における特定の努力水準を規定 することはできない

②について。雇用契約は概して賃金の規定を含むが詳細な努力水準の規定 はない。この両者は雇用契約には不可欠であり,実際には賃金取引と並んで 努力の取ヲ│が行われ,その結果,努力と賃金の標準化された観念、が生じ,非 公式の契約として,公式契約を補完する。そして長期に安定した状況が続け ば,努力水準の動く範囲は狭くなる。この制度化の底にあるのは従業員の共 通の経験であり,それが究極の権威となる。この場合,使用者,監督者及び 時間研究者は労働者の心中で生起する努力の標準乞業績測定の助けを借り て推定する以上のことはできない, ということになる。

最後に,市場,技術等の変化が生じた場合には,変更後における努力価値 の維持,賃金一努力均衡の維持が重要となる。賃金一努力の不均衡,努力価 値の低下は種々の型の労働争議,労働不安の発生する原因となる。

( 3 )   評価と批判

上述の諸点から,テイラーの時間研究による課業決定の実践をみると,時 間研究による正確な課業の決定の主張の誤り,その主張と実践との相違,矛 盾はあるにせよ,実践における標準課業の設定と賃率設定は,ある程度は,

合理的なものであったと解することができる。そしてテイラーの科学的管理 を低賃金一低努力型から高賃金一高努力型への移行として位置づけることが できる。

アクロイド

(Ackroyd

1974)

は,ボールダマスのモデルがロイ

(Roy)

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