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安倍川上流梅ヶ島温泉の地質と災害について

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(1)

安倍川上流梅ヶ島温泉の地質と災害について

著者 岩橋 徹

雑誌名 静岡大学地学研究報告 : 地学しずはた

巻 1

号 1

ページ 17‑34

発行年 1967‑12‑25

出版者 静岡大学地学教室

URL http://doi.org/10.14945/00005772

(2)

第 第 1 月

(  1 9 6 7 年 3 月 1 1日 受 理 〉

1 .   . ;   え 3 ず き さ

昭 和 41 年 9 月 25B 0 時頃,御前崎西方に上陸した台関 1 26 号は,時速 65 Kmの速度で,本州中部山 岳地穫を通り,山形市付近をかすめて三睦沖に抜けるまで,わずか 24 時間しかかからないという,

秋台風 K よく例をみる超スピードぶりを示している O ζ の台風は,たまたま,本列、 i 南岸沿いに停滞し ていた秋雨前線を刺激して,台風上陸部の 24自 22時までの 13 時開 K ,すでに 50 mm という雨量そ 降らせ,地下水を飽和させたばかりでなく,山腹や渓流を流下する地表水の量をも次第 K 増加させて いたとみられる O ヲ i 続いて,台風は翌 25日 3 時までの 5 時間 K ,さらに 260 捌, とくに

前の 0 時から 1 時までの 1 時 間 K 110 鰍以上の驚異的豪雨を梅ヶ島一帯に集中させている O このため に,土石脅混えた鉄砲水が梅ケ島温泉旅館街を津波のように襲い,瞬時に死者@行方不明 26 人 と い う{参事をまねいたのである O 他方,山梨県南都留郡足和田村の根場@西潟両部落も同様,土石流花見 舞われ,合計 94 人の死者@行方不明者奇出している(黒田和男ら, 1966)  0 

は災害の跡も生々しい 9 月 28自,および緊急災害復旧工事が進められていた 12 月中旬の 2 回 , 現地一帯を調査する機会をえたので, ζ ζ 花見開したことをまとめて,今後のこの種の災害の予防 料としたい 0

9 月 28 B の調査には,静岡県林務部から栗田憲二部長をはじめ関係職員が, ま た 静 岡 大 学 農 学 部 から熊谷直敏助教授が参加され,現地で右益な御助言と御便宜を与えられた。また,静岡大学理学部 の桐谷文雄教授,土隆一助教授,教養部の鮫島輝彦助教授から貴重な御意見壱頂いた。こ ζ に記して を表する O 乙 ζ K 掲げた 9 月 26 日撮影の写真,および 9 月 28日撮影のものの一部は県治山諜職 員が撮影したものである O 掲載を許された当局の御好意 K 淳く感謝する O なお,図面脅浄書して頂い た半田孝司氏 K 厚く御礼申し上げる O

2 . 地 形

梅ヶ島温泉は静岡市の北方約 40 Km,安倍 ) 1 1 の最上流に位置している O 温泉地は海抜 900 'lJ& 内外の 高さにあり,その北西方約 3 Kmの地点から北北東約1. 5  Kmの地点にかけて,大谷嶺( 1 9 9 9 .  7  'lJ&  )  ,  八 紘 嶺 ( 1  9  1  7 .   9  'lJ&  ) など,温泉地からの比高が 7 0 0 ' " ' ‑ '1 , 000 仇花達する急峻な山稜が孤状記続き,

静岡,山梨両県を分ける分水嶺となっている O 一方,大谷嶺から南高東へ,次第に低くなる山稜がの

来 静 岡 大 学 教 育 学 部 地 学 教 室

‑:‑17‑

(3)

ぴて,安倍J1 1 のー支流大谷J1 1 の流域との間の分水嶺となっている O

ζ の地域の地形は浸食輪廻の上からみると,早壮年期 K属し,山稜や山頂部に比較的平担な高原状 地や平頂峯が残されている O しかし,谷に面した山腹は激しい開析をうけて急斜面となっている O

上記の 2 つの山稜が臨む地域のほぼ中央 K,北北西から南南東へ流下する三河内 ) 1 1 が渓谷を刻U> o

三河内J1 1 からは,さらに本谷沢@アマハタ沢@七段沢@東沢,その他無名の多くの沢が樹枝状または 羽毛状の派生しているが,いずれも急勾配の V 字谷を形成している O 三河内J1 1 流域には,山腹や渓流 K沿って大薙崩,五色崩 p 沖二叉崩など約 90 カ所の,大小の崩壊地(第 1 図)があって,その脚部に は通常 p 比較的念、勾艶の安息角を示す崖錐がみられる O 降 雨 C とに躍錐から多量の砂擦が渓流に供給

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4

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五 在

第 1函 安倍川上流三河内川流域会よびその甫部の水系と崩壊地 林 野 庁 治 山 課 ( 1 9 6 6   )資料 K よる。小枠内は第 3 図の範顕を示す。

1 8  ‑

(4)

されるため,

を除いたところは, i と 少佐く, を

~'o とく iと J I   i ま ケ

で , 50 れ以上におよぶことがある O

らみると,

と,ブオッサ . . ‑ : : r

して L' る O さらに 5 Krn付近をほ

している O 地方?

とされている一

と ,

富山;

している O

~ 4 1 5  

下 部 r ~ (砂岩) J  警 ) 第 2 図 梅ヶ品温泉周辺の地質調各国 兼高靖之ら 1 9 5 8 の地質図を一部修正

山地の

た~,

  ζ i

〈恐らく てい

を通る る

その西側に

の 〉とみられてい

などが,そ の関係で

してし 1 る O

i 上流三河内Jl I 流域に に よ り , 大 谷 川 @ の 2 J 書 記 分 け ら れ ( ら , 1958) , 

K分布している O

は 北 北 東 一   ζ i

谷川}曹は梅ヶ島温泉付近以西 K分布し,さ らに岩椙 i とより上@下部記分けられる O 大 谷 崩 付 近 以 語 の 三 河 内 ) 1 1 上流部に分布する

は,暗灰 な で、,摩さ 1 0   ~ 30m の灰自色砂岩層をはさむ ζ とがあ る O 見掛の層厚は 1 , 500m 以上。大谷川

の東側に帯状に分布する同層下部層は i と灰黒色 緑灰色の砂岩からなり,しばしば 薄い はさみ,縞状を ことがあ る o ( 第 l図 版 中 右 〉 見 掛 け の 層 厚 は

約 800 悦 O

温泉地の東側に広く分布する湯の森層は,

ときに砂岩@頁岩互層をはさむ ζ とがあるが,

一般に頁岩優勢の地層である O 頁岩にはさまれる数枚の塩基性凝灰岩層は F 走向方向によく連続する ので F 鍵層として役立っている O

19 ‑

(5)

̲ ' / l f l

内 ) 1 1 流域の瀬戸Jl I 一般走向は 1 0 , . . . . . . ,   3 0   o E て 傾 斜 は 的 鉛 OW であるが,流域外東 部』とは背斜構造があり, 7 0 ' " ' ‑ ' 9 0 0 E の傾斜角を示している O 大局的にみれば,本流域内の瀬戸)   1 1 群の構造は単斜構造であるが,いたると ζ ろ K 過摺曲構造ゃ衝上断層が発達し,その細部構造はきわ めて複雑である O

ζ のような激しし 節理や亀裂〈第 1 図版

をうけた瀬戸川麗群の岩石は,比較的堅硬であるが,縦横 ζ i 走る微細な

?中左)のために風化されやすく F 指弱化して崩壊しやすい。とくに本層群 中の頁岩は ζ の傾向が著しく p 鱗片状に崩壊する O 本地域 K ,次代述べるような崩壊地が多いのは p

瀬戸Jl I 層群の岩石が主に上述のようと C 性質をもっ ζ とに起因していると考えられる O

4 . 崩 壊 地

安倍 ) 1 1 やその北方,山梨県側の雨畑 J I I ,春気 ) 1 1 などの流域山地は,上述のように岩石が亀裂や節理 に富むという地質的条件のほかに,山腹斜面が急傾斜であるという地形的条件,気温の日周変化 y

周変化が比較的大きく,かっ多雨地帯であるという気候的条件などが重なり,日本でも有数の崩壊地 地帯を形成している。三河内Jl I 流域では,日本三大崩れのーっとされている大谷崩( 104.8 ha  ,大谷川 上 流 ) ~とはるかにおよばないが,安倍Jl I 流域 5 大崩れの 2   4  . .   5 . . 位 i とランクされる大薙崩( 9 . 5  ha )  五 色 崩 ( 5 . 9   ha )  ,沖二叉崩( 3 . 9   ha  )のような大規模なものから,無名の中@小規模のものまで加

えると,およそ 90 カ所の崩壊地を数えることができる(第 1 図 ) 0 その総崩壊面積は 5 0 . 3ha  ,三河 内Jl I 流域総面積 565.9 ha の約 9 . 7 %  ~ζ 当上崩壊地総生産土砂量は約 211 万 d と算出されている

(林野庁治山課, 1966  )。この資料によると,崩壊は山腹傾斜と関係があり,一般 K傾 斜 角 が 大 き い 程崩壊笛所数,崩壊面積が大であり 9 土砂生産量も大となっている O しかし々がら,山腹傾斜角の出 現頻度におのずから限界があり, 5 0 0 以上の傾斜角そ示す ζ とが少なくなるので,その角度が 4 5 ' " ' ‑ ' 49 0 のとき,崩壊館所数,崩壊面積の,それぞれ総崩壊箇所数,総崩壊面積に対する割合が最大とい う結果がでている O

また,地質別の崩壊笛!所数,崩壊面積の割合をみると,

大きい差異が認められないが,崩壊生産土砂量は

と砂岩層との間 i と,それほど に多く(全生産土砂量の 6 5 場 入

砂岩層に少ない〈 35 弱) ζ れは本流域で 加なく, ,まぽ同数の崩壊を起しているが,

岩や の崩壊箇所では 1 m 2 当り 6 m 3 の土砂を しているのに対し,砂岩層の崩壊地では?

1  m 2 当り 2.7m 3 を生産しているので, の風化,崩壊は,砂岩のそれに比べて急速 に地表から深く進行することを示しているのでめろう O

ζ i 山腹斜面方位別の崩壊笛所数,崩壊面積の占める割合をみると,圧倒的 K南西氏傾く斜面が多 い(総崩壊箇所数の 40 %,総崩壊面積の 42 ~番) ζ れは,恐らく ζ の方向の沢では雨量が多く,気 温の変化が比較的大で,地質構造,とくに節理@亀裂@断層@地層の走向傾斜などが関係して原閣と なっているのであろう O

なお,今回の豪雨による大規模な新生崩壊は認められていないが,渓流沿いに堆積していた農錐の

20 

(6)

,今回の われて生じた i ま られた O

5 .   と

a )  

3 図に示すように三河内 J I は , 曲部を境として?上流側R. 3 軒 , 下 流 側 代 5 られていた。このほか,喜久監の東側,河床から の

を受けていない O

あるが舎 もっともひどい被害をうけたのは,

で、予われている O 各旅館の 1 階はほとんど

7 者 1 1 ~ζ 当る 18 人以上の生命がここ 砂 原 と 化 し

2 ,  3 ,  5 関 販 ) ,  筋コンクリート

々と堆積し

?砲弾告あ

C ときは 2 踏 ま で ほ と ん ど 土 砂 に伝っている O 主 失

た よ う に う が か れ p 建 物 の 角 は 内 部 の 鉄 筋 が む き

2  m  ~とおよぶ大転石が

してできた無数の るほど,深くえぐ をささえたた は 7

)  ,上流 ζ i 向う i とは 7 、 で

りとられている 2 図 版 中 2) ζ れより下流の旅館は y

めか F 木 造 建 に も か か わ ら ず y 主要物はほとんど流出をまぬがれている O しかし流路にあたった 物の一部は倒壊流出したり F 角をとられたりし p また F 左岸の宕壁が建物に接近して狭窄部をつく

る泉屋旅館の一階などでは?壁や柱が無残にむしりとられ F 二 階 の 床 が 抜 落 ち て い る ( 第 3 関 版 下) 0 また F 泉屋の二階を支えている H 型 鏑 柱 〈 断 面 約 10 x  20  c 初)は F くの字形に押し曲げられ p

を混えた土石流の激しさを物語っている O

̲ ' / l r l

内Jl I 屈曲部の外側(河川の攻撃斜面)R.建てられていた大衆浴場は土台から流されて,わずか

に房根の一部を残して倒壊流出している〈第 4 国 版 上 p 中 1左〉。屈曲部の下流 K並 ぶ 建 物 は , 上 流 部ではほとんど軒先近くまで,下流部では 1 m‑ ほど砂擦に埋没している O 寒 風 亭 前 に 駐 車 し て い た 中 型 パ ス は , 前 後 の 窓 を 打 抜 か れ , パ ス の 内 部 は 土 砂 で 厚 く 埋 め ら れ , 外 板 の 塗 料 は や す り を か け た よ う に削りとられている(第 4 国 版 下 ) 0 

め 梅 ケ 島 温 泉 上 流 お よ び 下 流

大 薙 崩 の 沢 が 三 河 内 J I I R.合流する点のやや上流には 最大直径 6~7 7'ï&R. およぶ大小の転石が i

ζ 堆積しており〔第 1 関 版 上 左 ) ,高さ約 2 7'i&,底辺の厚さ 70" ‑ '   80cm の コ ン ク リ ー ト 擁 壁 が 幅 7

‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 8 m に わ た っ て 破 壊 さ れ て い る ( 同 図 版 上中央) 0 河 合 流 点 の 下 流 40‑ ‑ ‑ ‑ ‑50 慨 に あ る 三 河 内 本 谷 ダム〈高さ約 18 悦 F 天端 44 悦〕は F 災害前にすでに満杯になっていたが y 堰 の 上 流 側 両 翼 は , 放 水 蕗 面 よ り 約 3 悦の高さまで砂撲で被われ,新しい河岸段丘を形成している O さらに ζ の 段 丘 面 よ り 比 高 約 3 悦の高さまで F 草 木 が 薙 ぎ は ら わ れ て い る の で , 最 大 洪 水 面 は 放 水 路 面 か ら 約 6 悦の高さにあ ったものと考えられる O 壊 堤 放 水 路 部 の 左 岸 側 斜 面 は ほ と ん ど 無 傷 で あ る が , 右 岸 側 斜 面 の コ ン ク リ ートはかなり磨耗し F 張 石 が 剥 ぎ と ら れ て い る ( 第 6 図 版 中左) 0 洪 水 中 の 数 時 間 に こ の よ う に 激 しい磨耗を生じているので F 相 当 多 量 の 大 @ 巨 擦 が ζ こに衝突しながら通過したものと考えられる O

ζ れ よ り 下 流 に は , 随 所 K 岩壁や崖錐端が側亥Ij,をうけ,潅木や雑草の葉がむしりとられ,小規模な

‑ 21 ‑

(7)

路 記 路 ) ) 湾 流 ミ

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同 船

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叫 判 中 明

基 ( ( 高 旅 楼 ' 躍 動 部 車 ス 吋 曜 蒸 嫁 水 月 動 か

洪 9

自 パ さ 湯 梅 梅 被 伊

↑ 鰭 関 関

/ 4 W J 1 2 3 4 5 5 7 3 1 ω η

図 図

第 3 図 1 9 6 6 年 9 月 2 6 日,災害誼後の梅ク

‑22 ‑

(8)

を生じている している

8 悶 版 中 右 ) 0 また F 一一内Jl I R  るところで、は

5 図版 O 

東 沢 @ 三 河 内 J I I 合 流 点 の 麗 上 流 に は p 三河内Jl IR

i

ζ 谷 騒 が 広 く な わ , 今 国 の 豪 雨 時 比 堆 積 し た と み ら れ る y

あり,この上流鎚では,

I J )   ,  現 河 床 か ら 約 4 ' " ' ‑ ' 5 仇の高さに残されている〈第 7図版 上) 0 ま た ? 狭 準 部 の 右 岸 側 i とは,大小の

め ら れ た 懇 み が あ り , 同 様 に 狭 容 部 下 流 の 三 河 内 J 1 1 本流にひちけている O 恐 ら く 洪 水 時 に 容 部 が 流 木 や 転 石 で 壊 止 め ら れ , 本 位 が 上 昇 し , 流 路 を か え て 右 関 の 窪 み を 通 し て 砂 擦 を 吐 出 し た が , あ る 時 期 に 狭 窄 部 の 自 然 堰 堤 が 決 壊 し て 河 床 が 低 下 し , 上 記 の 河 岸 段 丘 を 残 し た も の と み ら れ る O

東沢@三河内Jl I 合 流 点 付 近 か ら , 下 流 の 三 河 内 橋 ま で は , 谷 幅 が 広 く , 流 路 が ゆ る や か K蛇 行 し て いる o J 1 1 の 両 岸 に は 黒 邑 頁 岩 の 掘 中 擦 を 主 と し , 灰 白 色 砂 岩 の 中 大 擦 を 含 む 新 生 の 砂 擦 層 の 断 面 i と縞状の平行(一部斜交〉葉理が認められる〈第 5 , 7 関 版 ) 0  は 比 較 的 淘 汰 が よ く , ほ と ん ど泥質分を含まむし'1 0 今 自 の 豪 雨 で 堆 積 し た 砂 磯 麿 の j 享さは,美子屋付近で 5‑‑‑6l n ‑ (旧 河 床 よ り 約 7 ' " ' ‑ ' 8 仇 ) .寒風亭付近で 2 ' " ' ‑ ' 3l n ‑ , 三 河 内 矯 下 流 付 近 で 2""'3 乱 。 東 沢 合 流 点 と 三 河 内 橋 と の 間 に 堆 し た 砂 擦 の 最 は 概 算 7万 d , 三 河 内 橋 と そ の 下 流 約 400 l n ‑地点間の堆積量は 5万 ば 以 上 と 算 定 さ れ る O 現 地 の 人 の 話 に よ る と , 洪 水 は 2' " ' ‑ '   3 団 代 わ け で , 波 状 K 襲来したというが,河岸段丘の断面』と は同時汚食のような明瞭な証跡を残していなし'1 0 し か し , 断 面 に は 粗 大 礁 の 多 い 部 分 と 縮 擦 の 多 い 部 分 が 交 互 に 重 な っ て い る の で , た え ず 流 路 を 変 え な が ら 断 続 的 K砂 擦 が 供 給 さ れ , 堆 積 し た も の と み られる。

寿旅館付近左岸の急、勾配の斜面からは大量の土石が押出され,崖錐状薦状地を形成している O そ の 末端で植林地帯が浮き 2" " ‑ '   2 .   5  l n ‑の厚さで被覆され,一部の樹木が持関されている(第 7 国 版 中 1

O 三河内播下流では y 谷 幅 が さ ら に 広 く な り 多 量 の 砂 擦 を 堆 積 し て い る O 新 堆 積 層 の 厚 さ は 明 ら かでないが?両岸の植林の埋積状態、からみて p 少なくとも 2'""3 悦 以 上 の 厚 さ の 堆 砂 が あ る も の と み

られ?下流数Kmにわたる河床におびただしい流木や温泉地から流出した建物の残骸が残されている ( 第 8 図 版 下 ) 0 

6 .     * '

以上のような調査結果や, ζ れ ま で の 研 究 資 料 e 情 報 @ などをもとにして,次のようえ Cζ

とが考えられる O

1  )  今回の災害を引起した地質的要因として?本地域の瀬戸Jl I 層 群 は 地 質 時 代 に 激 し い 地 殻 変 動 を う け ? 著 し く 擾 乱 さ れ た た 非 ? 頁 岩 ば か り で な く , 砂 岩 も 断 層 や 亀 裂 @ 節 理 に と み ? 脆 弱 化 し て い るので?風化崩壊しやすい O 従 っ て 砂 擦 の 生 産 が 活 発 で , 流 域 に 広 大 な 崩 壊 地 域 を 生 じ さ せ , 崩 壊 地 内 や そ の 末 端 に 崖 錐 と し て 多 量 の 砂 擦 を 堆 積 さ せ た O こ の 巌 錐 は 酉 結 し て お ら ず ? 急 斜 面 K かろうじ て 安 定 を 保 っ て い る の で ? 集 中 豪 雨 に よ っ て 容 易 に 流 出 す る と い つ こ と が 挙 げ ら れ る O

2  )  気象的要因として, 5  0慨 の 降 雨 を み た 後 ? 数 時 間 R :2&0慨 と い う 驚 異 的 豪 雨 が こ の 地 に 集 中 し た 乙 と が 挙 げ ら れ る O

︒ ︒

ワ 削

(9)

3 )  地 形 的 要 因 と し て ? 海 抜 2 , OOO m‑ 内外の山稜が本地域告騨風のように臨んでいるので p 足和 田村の場合と同様,豪雨の集中を容易にさせた O また温泉地が三河内'"の下流 i とあるため ? ζ の 流 域 K降った雨水の大部分が事樹枝状の支流を経て本流 K集められ p あ た か も 瀦 斗 K撒かれた 7 1 くがその日 から激しく噴出するように?温泉地を襲ったと考えられる。!

4 )  今回の降雨で大規模な新生崩壊はみられないが?激しい降雨によって?無数の崩壊地の内外 に堆積している機砂が?一斉に持続的に渓流に供給され,このために流水の流量や見掛けの比重を 加させ?破壊力を強め p さらに渓流沿いの麗錐や風化した岩壁を破壊削剥して?雪だるま式記流量と 破壊力を増大させたとみられる O

5 )  本流や支流の各所にみられる狭容部は p 流 木 や 転 石 K よって堰止められ?その上流側代多 の砂擦が堆積するが?この堰堤は断続的に決壊するため?温泉地 K 断続的に津波のような強大な

流となって押寄せ?建物を破壊し?一帯および下流域を厚く埋積したと考えられる O

6 )  祖泉旅館の大部分は無謀な乙とに三河内Jl I 下流の河川敷に建てられていた O ζ の 人 命 @ に対する災 るべくして起った とさえいうことができる O

文 献

兼高靖之@能 4 名 (1958) ,安倍 ) 1 1 上流地域地質調査.地学しずはた, no.  1  5,  p.  1  1  ‑ 1  6  .  笠原芳雄@他 2 名 (1957) ,安倍) 1 1 上流大谷川流域の地質.地学しずはた, no.  1  2,  t.  9  ‑ 1  3  黒田和男@他 2 名 (1  966 )  ,災禍の足和田村長尋ねて.地質ニュース, n  o .   1  4 7 .   p.  33 ‑ 3 5 .   林 野 庁 治 山 諜 (1966 )  ,荒廃危険地帯調査報告一安倍川上流地域一(治山調査報告 ‑x)

静岡県消防防災課 (1966),静濡地域およびその周辺地域の防災上の諸問題. p.  31 ‑53. 

‑ 24‑

(10)

額 説 明 罷 殻

〈上) 内 J I I 合流点付近の三河内

〈左)は著しく捧舌しきれ,

ム 上流穣 0 0 層の砂岩(中央〉およ

6"'7mv とおよぶ 砂が供給,中央コンクリート

〈中在〉七段沢口下流約 180m , (  9 ・ 28) 0 

は 7 . . . . . . . 8 m 〈昭和 41 年 9 ら 28日

:  80 0 E) 

,以下括弧内の数字は撮影月臼) 0 

内 J I I 右岸の大谷川 である恋人 多い

は約 l 悦 (9 ・ 28) 0 

〈幅約 5 m)  (9 ・ 28) (中右)

(下〉七段沢入口下流約 50 m ,新生崩壊による

2 関 蝦

(上〉寿霊旅館の 2 階の窓持は室内の砂磯の重みで外記張出している O 災害前の三河内 1 1 1 は運動場のように広くなっ た新堆積面下 K 埋没。洪水末期 直後の本流は旅鰭の左側に移る( 9 ・ 26) 0 

( 中 1 )下流側から寿震を望む。埋積面は i 日河床より約 7 . . . . . . . 8 悦高。新生堆積簡には洪水末期の流路を示す浅い溝が 刻まれ,粗大な擦が並んで、いる (9 ・ 26) 0 

( 中 2) 戦禍を想、わせる寿麗 2 階。建物の角が剤取られ,

(下左〉主流は寿屋の左舗を流下したため,流木や穣径 2 " " " " 3m 

は土石流による無数の傷痕 (9 ・ 28) 0 

,左山脚は表土が削剥され,岩盤が広 く露出。寿屋屋上記中 大擦が堆積 z 最大洪水面は旧河床より約 10  m 高 ( 9 . ・ 28) 。

(下右)寿態下流側 K堆積した瀬戸 J I I 層群源の砂岩転石〈麗径約 2 m)  (9 ・ 28) 。

3 閣 版

(上)左端はさかや,中央と右は泉盤。 1 階はほとんど埋没,

流側の柱や壁は破壊流失 (9 ・ 26) 0 

2 階にも 60  c 1 l l 以 下 し?上

(中)中央はさかや, は雨旅舘の間告手前記流れたため,砂磯層 ζ i 流路が刻まれ,在撲が堆積。さ かやの一部は倒壊流失 (9 ・ 26)

(下左)泉患玄関付近 O 右額 U K 岩惑がせまっている〈狭窄部〉ため,建物側面が破壊流出( 9 ・ 28)

〈下右〉泉農側面の鉄柱は p くの字型 K曲り 2 踏 の 床 は 抜 落 ち 階 は ほ と ん ど 樫 没 p 土お流のすさまじさを物語 る o (9. 28) 

ヰ 諮 販

(上〉泉源付近三河内 ) 1 1 屈曲部。おは泉盤玄関制, は全壊 F 一部流失した大衆浴場。中央および右端K自動車の 残援。正面の堆積面は土石流最盛期花形成,中 末期に主流が泉患の右側に移ったため,堆積層が浸食され,

断面が生成。 (9 ・ 26)

( 中 l 左〉大衆浴場の壊状。手前岸と対岸との間の木橋は跡形もなく流失( 9 ・ 28) 

〈中 l 右〉泉麗玄関前から下流は,災害の前後で流路 K 著しい変化がないが,河床が 1~2m 高まっている O 遠景右 岸 i と新生河岸段丘。自動車の内部は砂擦で議され,土石流の衝撃をうけて大破( 9 ・ 28) 0 

( 中 2 左〉寒異亭は軒先まで埋没( 9 ・ 28) 0 

〈 中 2 右〕洪水末期 K流水が手前からパスの左側を通って,遠景の喜久塵の玄関を襲ったときにできた流路が残されて l " " る ( 9 ・ 28) 0 

(下)パスの窓はほとんど破られ,内部は窓の高さまで砂擦で樫められ,外板の塗料は削りとられている (9 ・ 26 ・

9 ・ 28) 0 

第 5 密 販

(上)左前景から,清香旅館(1 階壊没) ,日 ,寒風亭(麗根) ,喜久監。本流の左右 K新生河岸段丘を形成。

v h U  

9 ω  

(11)

最大洪水面は白色の祖泉パイプの高さを越える O 現段丘韻より約 2 , . . . . , , 3 m 高 (9.26)0

〈 中 1 )吉田愚前の舗装道銘の一部が削剥流失。右岸 K 縞状の新生河岸段丘 (9 • 26)  0 

( 中 2,下〉両岸に河岸段丘形成。下流より湯の島館 (2 榛) ,喜久最(石垣〉清香,泉展。建物の上流側 l 階は床 上 1 ~ 2 悦埋没。柱は折損または流失。最大洪水面は 1 階 軒 先 を 越 え る は ・ 28) 0 

第 告 閣 腹

(上左)三河内本谷ダム(堤高約 18 m ,  44 m) の堆砂状況。在正面の沢は大薙崩 K続く O 遠景の撲の 径は 6' " ' ‑ '   7  m  (9 • 28)  0 

(上右)向ダム上流右岸側 p 新生平担面は放水路面より 3 制高 (9.28)0

〈中左)同ダム放水路右岸{閣の浸食状況。 2 ‑ ‑ ‑ ‑ 3 列の張石が剥がされ,コンクワート堤体もかなり 28)  0 

(中右)七段沢合流点付近の側刻状況。

し て い る ( 9 .  

〈下左〉七段沢入口下流約 150 1 1 も付近の三河内 J I I 。 4悦以上の転石。両岸は河床より高さ 5 . . . . . . .6  1 1 もまで,流 水のため洗われている O

(下右)東沢合流点付近の三河内 J I I 。 2 " " " " 4 m の転在が多いがタこ ζ では,必ずしも転石のすべてが今回の豪雨 で運ばれたものではない。

第 7 罷 版

(上)東沢合流点付近の三河内 1 1 1 狭察部(中央暗部) ,最大洪水時の地積屈は現湾床より 4‑‑5m 高(在上方の人物 がいる平坦面がその時形成された堆積面) 0  ζ の狭窄部が流木や転石で自然、にダムアップされたとき,本流は 右{離の転石のある付近を越えたことがわかる (9

28)  0 

( 中 1 右〉狭窄部の近写 p 砂岩頁岩の縞状互震の徴招曲構造がみられる O

( 中 1 左〉寿監付近の新生産錐状扇状地。植林が深さ約 2m 埋積 (12

0

18)0

〈 中 2) 寿震上流。左端北上記の薦状地の末端部がみられる。 遭難者発掘のため,右側の段丘が切遇され,三河内 J I I は災害前の流路に復旧。災害後 3 日間で河床は下刻され,比高 4 . . . . . . . 5 m の新生段丘を形成 (9.28)0

〈下〉梅ヶ島温泉入口の三河内橋付近の堆砂状況。舗装道路の一部が流失 (9 • 26)  0 

8 臨 版

(上左〉三向内橋より下流。厚さ 2 ' " " 3 悦!日向床が埋積され,右前景 K乗用車が増没,発掘中 (9. 28) 0  (上右〉同橋下流側左岸に残された段丘面(高さは水面より約 5 m)  (9.  28)  0 

(中左〉温泉下流約1. 2  Km付近の堆積状況 (9 ・ 28)0 

(中右〉温泉下流約1. 8 Km,安培 J I I 右岸の大規模な麗錐群が道路を摩く i 襲攻,機は人頭大以上,瀬戸川謄群大谷川層 下部砂岩よりなる (9 • 26 )  0 

(下〉温泉下流約 3 Km付近の安倍 J I I i 可床におびただしい量の流木。旅館の柱材や建具・

28)  0 

‑ 26‑

@衣類などが散見 (9 •

(12)

岩 橋 徹 : 第 1図版 静 岡 大 学 地 学 研 究 報 告 第 l 巻 第 1 号 , 1 9 6 7 年 1 2 月

‑27‑

(13)

岩 前 徹 : 第 2図版 静 岡 大 学 地 学 研 究 報 告 第 1 第 l 号 , 1 9 6 7 年 1 2 月

‑28‑

(14)

岩 掻 徹 : 第 3盟版 静岡大学地学研究報告‑ 第 1 第 1 1 9 6 7 年 1 2 月

‑29‑

(15)

岩 橋 徹 : 第 4 図版 静 岡 大 学 地 学 研 究 報 告 第 l 巻 第 1 号 , 1 9 6 7 年 1 2 月

‑30‑

(16)

岩 橋 徹 : 第 5 国版 二 静 岡 大 学 地 学 研 究 報 台 第 l 巻 第 l 1967 年 1 2 月

‑31‑

(17)

岩 橋 徹 : 第 G図販 静 岡 大 学 地 学 研 究 報 告 第 1 巻 第 l 号 , 1 9 6 7 年 1 2 月

‑32 

(18)

岩 橋 徹 : 第 7 図版 静岡大学地学研究報告二 第 l 巻 第 1 号 , 1967 年 1 2 月

‑33‑

(19)

{~.橋徹:第 8 図版 静 岡 大 学 地 学 研 究 報 告 第 1 巻 第 1 号 , 1 9 6 7 年 1 2 月

‑34‑

参照

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