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政治・行政と市民 (宮坂廣作教授退職記念号)

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政治・行政と市民 (宮坂廣作教授退職記念号)

著者名(日) 今村  都南雄

雑誌名 山梨学院大学法学論集

45

ページ 213‑228

発行年 2000‑05‑25

URL http://id.nii.ac.jp/1188/00000844/

(2)

特別講義

政治・行政と市民

今村都南雄

213 政治・行政と市民

  目   次

はじめにf﹁はじめに言葉ありき﹂

剛 ﹁国﹂中心主義からの脱却

二 ﹁政治﹂優先主義の反省

 ︵一︶ 政治←行政←管理?

 ︵二︶ ﹁公共性の空間﹂と市民

おわりに 特別講義

政治・行政と市民

213 政治・行政と市民

はじめにi﹁はじめに言葉ありき﹂│

一﹁国﹂中心主義からの脱却

ニ﹁政治﹂優先主義の反省

(一)政治←行政←管理?

(二)﹁公共性の空間﹂と市民

おわりに

都南雄

(3)

法学論集 45〔山梨学院大学〕 214

はじめにー﹁はじめに言葉ありき﹂

貴重な時間を割いていただいてお話しすることができるのは光栄です︒

 一時問ほどのお話しの題目として﹁政治・行政と市民﹂という題を頂戴しました︒本当のところは大きすぎるテ

ーマだと感じたのですが︑代替案がとっさに浮かばなかったものですから︑そのままにさせていただきました︒

 まず︑﹁はじめに言葉ありき﹂です︒人間は言葉によって生きる動物です︒赤ん坊が最初にどんな言葉を発する

か︒皆さんが大事なときにどんな言葉を話すか︒人生の最後にどんな言葉を口にするか︒それぞれ︑大いに気にな

るでしょう︒

 学問においても言葉が決定的に大事です︒とくに社会・人文科学においてはそうです︒それというのも︑私たち

は言葉を通して事物︑対象をとらえ︑理解し︑言葉を使って抽象化して命題をつくり︑理論を組み立てるからで

す︒対象をとらえ︑理解する︑これが大事なのです︒

 ここで︑ひとつお尋ねします︒皆さんは東から昇る太陽︑あるいは西に沈む太陽と正午に真上近くにある太陽

と︑どちらがどのくらい大きく見えるでしょうか︒月でも同じです︒真上の太陽や月のほうが遥かに小さく見える

はずです︒戦前の代表的な社会科学者の一人である河上肇は︑風呂屋に持っていく桶と赤ん坊に産湯をつかわす盟

のサイズの違いにたとえて歌を詠んでおります︒いろんな説明がなされますが︑一般には﹁月の錯覚﹂などと言わ

れます︒

214 

はじめに!

45 (山梨学院大学〕

貴重な時間を割いていただいてお話しすることができるのは光栄です︒

一時間ほどのお話しの題目として﹁政治・行政と市民﹂という題を頂戴しました︒本当のところは大きすぎるテ

ーマだと感じたのですが︑代替案がとっさに浮かばなかったものですから︑そのままにさせていただきました︒

法学論集

まず︑﹁はじめに言葉ありき﹂です︒人間は言葉によって生きる動物です︒赤ん坊が最初にどんな言葉を発する

か︒皆さんが大事なときにどんな言葉を話すか︒人生の最後にどんな言葉を口にするか︒それぞれ︑大いに気にな

学問においても言葉が決定的に大事です︒とくに社会・人文科学においてはそうです︒それというのも︑私たち

は一言葉を通して事物︑対象をとらえ︑理解し︑言葉を使って抽象化して命題をつくり︑理論を組み立てるからで

す︒対象をとらえ︑理解する︑これが大事なのです︒

ひとつお尋ねします︒皆さんは東から昇る太陽︑あるいは西に沈む太陽と正午に真上近くにある太陽

と︑どちらがどのくらい大きく見えるでしょうか︒月でも同じです︒真上の太陽や月のほうが遥かに小さく見える

はずです︒戦前の代表的な社会科学者の一人である河上肇は︑風呂屋に持っていく橋と赤ん坊に産湯をつかわす盟

のサイズの違いにたとえて歌を詠んでおります︒いろんな説明がなされますが︑一般には﹁月の錯覚﹂などと言わ

(4)

215 政治・行政と市民

 太陽や月に限らず︑私たちホモ・サピエンスは垂直の距離と水平の距離を同じようには評価しない︒たとえば高

さ二〇〇メートルの超高層ビルに昇って下を見ると足がすくんでしまう︒ところが横二〇〇メートルを見てもそん

なことはない︒五〇メートルでも同様です︒私たちは空間を通して対象とする事物をとらえるのですが︑その空間

モデルというのが︑実は縦と横とでサイズが違う︑扁平な歪んだ構造をしている︒私たちの心的空間は﹁ケーゼグ

ロッケ型の構造的歪み﹂を持っている︑というふうに説明されたりします︒ホモ・サピエンスはそうなのですが︑

鷹とか鷲といった猛禽類は︑ホモ・サピエンスと逆なのだそうです︒つまり︑真下二〇〇メートルにいる獲物と真

横二〇〇メートルにいる獲物とでは︑真下にいる獲物のほうがずっと大きく見えるらしいのです︒

 いま説明のなかで﹁モデル﹂という表現を差しはさみましたが︑これはもちろんファッション・モデルの話では

ありません︒本を読んでいると︑○○モデル︑×xモデルと書かれたりしますが︑分かりにくかったなら︑地図帳

のことを思い出せばよいでしょう︒地図の作り方にメルカトール図法とかボンヌ図法とか︑いろいろあることを聞

いたことがあると思います︒あれです︒横浜から船に乗ってアラスカに行く︒船の方角を見定めるにはこの図法が

向いているが︑それだと極地にいけばいくほど︑面積の歪みが出てきてしまう︒したがって面積を比較するには都

合が悪いから︑そのときは別の図法を使う︒地球儀を持って歩くわけにはいきませんから︑縦・横二次元の地図に

表わすには︑目的に合わせて異なった地図を用いることになります︒これが﹁モデル﹂だと考えてください︒

 ともかく︑科学的認識というのは︑事実を客観的に認識し︑その事実をありのままデータとして︑データにもと

づいて︑﹁かくかくしかじかであれば︑結果はこうなる﹂という命題として定式化することだ︑などと言われたり

します︒しかし︑事実というのは何か︑それが自明なことではありません︒私たちは泣いて︑笑って︑怒って︑愛 太陽や月に限らず︑私たちホモ・サピエンスは垂直の距離と水平の距離を同じようには評価しない︒たとえば高

00

メートルの超高層ビルに昇って下を見ると足がすくんでしまう︒ところが横二

00

メートルを見てもそん

なことはない︒五

0

メートルでも同様です︒私たちは空間を通して対象とする事物をとらえるのですが︑その空間

モデルというのが︑実は縦と横とでサイズが違う︑肩平な歪んだ構造をしている︒私たちの心的空間は﹁ケlゼグ

ロッケ型の構造的歪み﹂を持っている︑というふうに説明されたりします︒ホモ・サピエンスはそうなのですが︑

鷹とか鷲といった猛禽類は︑ホモ・サピエンスと逆なのだそうです︒つまり︑真下二

00

メートルにいる獲物と真

00

メートルにいる獲物とでは︑真下にいる獲物のほうがずっと大きく見えるらしいのです︒

いま説明のなかで﹁モデル﹂という表現を差しはさみましたが︑これはもちろんファッション・モデルの話では

ありません︒本を読んでいると︑

00

モデル︑××モデルと書かれたりしますが︑分かりにくかったなら︑地図帳

のことを思い出せばよいでしょう︒地図の作り方にメルカトlル図法とかボンヌ図法とか︑いろいろあることを聞

いたことがあると思います︒あれです︒横浜から船に乗ってアラスカに行く︒船の方角を見定めるにはこの図法が

向いているが︑それだと極地にいけばいくほど︑面積の歪みが出てきてしまう︒したがって面積を比較するには都

政治・行政と市民

そのときは別の図法を使う︒地球儀を持って歩くわけにはいきませんから︑縦・横二次元の地図に

表わすには︑目的に合わせて異なった地図を用いることになります︒これが﹁モデル﹂だと考えてください︒

ともかく︑科学的認識というのは︑事実を客観的に認識し︑その事実をありのままデlタとして︑データにもと

215 

づいて︑﹁かくかくしかじかであれば︑結果はこうなる﹂という命題として定式化することだ︑などと言われたり

します︒しかし︑事実というのは何か︑それが'自明なことではありません︒私たちは泣いて︑笑って︑怒って︑愛

(5)

法学論集 45〔山梨学院大学〕216

して︑となかなか複雑な感情の動物です︒その人間が︑これまた一筋縄ではいかないほかの人間とつきあい︑関係

をつくり︑人問関係を律するきまり︵ルール︶を決めて︑制度というものをつくる︒世の中の仕組みをつくりだ

す︒そのもとでいろいろな行動をとり︑過去から引きずってきたしきたりや取り決め︑制度が実際に合わなくなる

と︑それを変えて新しいものと取り替える必要が出てくる︒そうすると︑既存の制度を守ろうとする保守派あるい

は守旧派と新しい制度に組み替えよういう改革派︑変革派とでぶつかりあう場面が出てきたりします︒

 ﹁政治﹂や﹁行政﹂というのも︑そうした仕組みや制度︑しきたりに関わる人間の営みであるわけで︑それらを

言葉で表現し︑言葉を通してとらえる︒この言葉というのを︑もう少し難しくいうと︑概念︑コンセプトです︒日

本語と英語とでかなり響きが異なります︒概念というと︑頭の中であやつる抽象的・哲学的な言葉づかいが思い浮

かぶのに対して︑コンセプトといえば︑何やら軽やかな響きがする︒けれども︑そうではない︒カタカナで表現す

るとかっこがよくなる気がしますが︑そんなことで騙されてはいけない︒コンセプトを通して対象をとらえること

を概念化︑コンセプションといい︑辞書を調べてみればわかるように︑これは︑受胎︑妊娠のことでもあります︒

頭だけではない︑体でとらえる︑理解する︒そのために概念が必要とされる︒こういうことなのです︒

 ですから︑大学で勉強するということは︑あれこれの割り切りのいい定義を覚えることではありません︒定義よ

りも強い概念が大事︒これはアメリカで有名なP・セルズニックという社会学者︑現在では法社会学者の名言で

す︒

となかなか複雑な感情の動物です︒その人聞が︑これまた一筋縄ではいかないほかの人間とつきあい︑関係

216 

をつくり︑人間関係を律するきまり(ルlル)を決めて︑制度というものをつくる︒世の中の仕組みをつくりだ

45 (山梨学院大学〕

す︒そのもとでいろいろな行動をとり︑過去から引きずってきたしきたりや取り決め︑制度が実際に合わなくなる

と︑それを変えて新しいものと取り替える必要が出てくる︒そうすると︑既存の制度を守ろうとする保守派あるい

は守旧派と新しい制度に組み替えよういう改革派︑変革派とでぶつかりあう場面が出できたりします︒

﹁政治﹂や﹁行政﹂というのも︑そうした仕組みゃ制度︑しきたりに関わる人間の営みであるわけで︑それらを

法学論集

言葉で表現し︑言葉を通してとらえる︒この言葉というのを︑もう少し難しくいうと︑概念︑コンセプトです︒日

本語と英語とでかなり響きが異なります︒概念というと︑頭の中であやつる抽象的・哲学的な言葉づかいが思い浮

コンセプトといえば︑何やら軽やかな響きがする︒けれども︑そうではない︒カタカナで表現す

るとかっこがよくなる気がしますが︑コンセプトを通して対象をとらえることそんなことで嘱されてはいけない︒

コンセプションといい︑辞書を調べてみればわかるように︑これは︑受胎︑妊娠のことでもあります︒

頭だけではない︑体でとらえる︑理解する︒そのために概念が必要とされる︒こういうことなのです︒

ですから︑大学で勉強するということは︑あれこれの割り切りのいい定義を覚えることではありません︒定義よ

りも強い概念が大事︒これはアメリカで有名なP・セルズニックという社会学者︑現在では法社会学者の名言で

す ︒

(6)

﹁国﹂中心主義からの脱却

217 政治・行政と市民

 皆さんは大学に入学されて︑それぞれ勉強を始められました︒一年と少し経って︑先生方の講義を聴いたり︑演

習で討論をしたりして︑政治とは何か︑行政とはどういうものかについても︑一定程度の知識を得られたことと思

います︒ もうすでに気づかれたことと思いますが︑私たちが政治を語り行政について語るとき︑どうしても真っ先に国の

政治︑国の行政のことを頭に浮かべてしまいます︒政治家というときも︑山梨県知事や甲府市長よりも︑まず総理

大臣とか主要閣僚︑各党の党首︑政権政党の三役などを思い浮かべてしまう︒

 政治学の本を開いて政治理論を勉強しても︑やはり国レベルの政治が主に論じられています︒政党のこと︑圧力

団体のこと︑官僚制のこと︑何をとってもそうです︒これは︑今日の政治学が︑国民国家の形成とともに発展して

きたという事情と深く結びついています︒

 手元のレジュメもどきを見てください︒国語辞典がそうです︒パソコンばかり使うようになってから︑とみに漢

字に弱くなりました︒そのため︑机の横にいつも日本語辞典を用意しておかなければならなくなりました︒私が愛

用する﹃岩波国語辞典﹄︵第四版︶で︑﹁政治﹂﹁政治家﹂﹁行政﹂﹁行政官﹂といった言葉に当たってみますと︑﹁政

治﹂というのは﹁国を治める活動︒権力を使って集団を動かしたり︑権力を得たり︑保ったりすることに関係ある

現象︒▽国家以外の集団について言うこともある︒﹂このようになっています︒﹁政治家﹂は﹁国家の政治にたずさ ﹁国﹂中心主義からの脱却

皆さんは大学に入学されて︑それぞれ勉強を始められました︒一年と少し経って︑先生方の講義を聴いたり︑演

習で討論をしたりして︑政治とは何か︑行政とはどういうものかについても︑一定程度の知識を得られたことと思

もうすでに気づかれたことと思いますが︑私たちが政治を語り行政について語るとき︑どうしても真っ先に国の

政治︑国の行政のことを頭に浮かべてしまいます︒政治家というときも︑山梨県知事や甲府市長よりも︑まず総理

大臣とか主要閣僚︑各党の党首︑政権政党の三役などを思い浮かべてしまう︒

政治学の本を開いて政治理論を勉強しても︑やはり国レベルの政治が主に論じられています︒政党のこと︑圧力

団体のこと︑官僚制のこと︑何をとってもそうです︒これは︑今日の政治学が︑国民国家の形成とともに発展して

きたという事情と深く結びついています︒

217  政治・行政と市民

手元のレジュメもどきを見てください︒国語辞典がそうです︒パソコンばかり使うようになってから︑とみに漢

字に弱くなりました︒そのため︑机の横にいつも日本語辞典を用意しておかなければならなくなりました︒私が愛

用する﹃岩波国語辞典﹄(第四版)で︑﹁政治﹂﹁政治家﹂﹁行政﹂﹁行政官﹂といった言葉に当たってみますと︑﹁政

治﹂というのは﹁国を治める活動︒権力を使って集団を動かしたり︑権力を得たり︑保ったりすることに関係ある

現象︒マ国家以外の集団について言うこともあるよこのようになっています︒﹁政治家﹂は﹁国家の政治にたずさ

(7)

法学論集 45〔山梨学院大学〕 218

わることを仕事とする人︒﹂さらに﹁行政﹂は﹁国の統治作用のうち︑司法・立法以外の面の総称︒︵イ︶司法以外

で法に従って国を治めること︒︵ロ︶国会・司法裁判所以外の国家機関や公共団体が法規の範囲内で行う政務︒﹂︑そ

して﹁行政官﹂は﹁行政事務をつかさどる官吏︒﹂こういう具合です︒

 こんな政治や行政の定義でどこまで現実の政治や行政を理解できるでしょうか︒冗談じゃないよ︑こうこなくて

はいけません︒政治といえば︑国のレベルを超えた︑国境を超えて展開される国際政治があります︒これはすぐ分

かるでしょう︒しかし︑それだけではない︒東京には東京の政治︑山梨には山梨の政治があるでしょう︒皆さんの

郷里にも特有の政治があるでしょう︒

 実は︑わが家の中にもポリティクスがあって︑権力構造ができあがっている︒どうでしょうか︒私の家庭は﹁亭

主関白﹂型でしょうか︑それとも﹁カカア天下﹂型でしょうか︒権力構造というと難しく聞こえますが︑﹁亭主関

白﹂型か﹁カカア天下﹂型か︑このことです︒これを国レベルの政治過程に即していいますと︑政党と官僚集団と

で︑どっちがより大きな権力を持っているか︒こういう話になります︒学界でも︑政治と行政の関係を実体化し

て︑政治過程における双方の権力関係を論じ︑﹁党高官低﹂か﹁官高党低﹂かなどと論争するということになりま

す︒ あるいはまた︑家庭において夫婦のほかに舅とか姑を加えますと︑権力構造はさらに複雑になります︒たとえ

ば︑夫婦に夫の母を加えた三者関係についてみますと︑夫は母より強いが︑その夫は妻の尻に敷かれている︒とこ

ろが夫より強いその妻は夫の母よりも弱い︑やはり嫁と姑の関係になってしまい︑夫の母が︑何かにつけてああせ

い︑こうせい︑と嫁に指示をするとなりますと︑三すくみになってしまう︒これに似ているのが︑いわゆる政官業

218 

わることを仕事とする人︒﹂さらに﹁行政﹂は﹁国の統治作用のうち︑司法・立法以外の面の総称︒(イ)司法以外

で法に従って国を治めること︒(ロ)国会・司法裁判所以外の国家機関や公共団体が法規の範囲内で行う政務︒﹂︑

45 (山梨学院大学〕

して﹁行政官﹂は﹁行政事務をつかさどる官吏︒﹂こういう具合です︒

こんな政治や行政の定義でどこまで現実の政治や行政を理解できるでしょうか︒冗談じゃないよ︑こうこなくて

はいけません︒政治といえば︑国のレベルを超えた︑国境を超えて展開される国際政治があります︒これはすぐ分

かるでしょう︒しかし︑それだけではない︒東京には東京の政治︑山梨には山梨の政治があるでしょう︒皆さんの

法学論集

郷里にも特有の政治があるでしょう︒

実は︑わが家の中にもポリティクスがあって︑権力構造ができあがっている︒どうでしょうか︒私の家庭は﹁亭

主関白﹂型でしょうか︑それとも﹁カカア天下﹂型でしょうか︒権力構造というと難しく聞こえますが︑﹁亭主関

白﹂型か﹁カカア天下﹂型か︑このことです︒これを国レベルの政治過程に即していいますと︑政党と官僚集団と

で︑どっちがより大きな権力を持っているか︒こういう話になります︒学界でも︑政治と行政の関係を実体化し

て︑政治過程における双方の権力関係を論じ︑﹁党高官低﹂か﹁宮高党低﹂かなどと論争するということになりま

あるいはまた︑家庭において夫婦のほかに輿とか姑を加えますと︑権力構造はさらに複雑になります︒たとえ す ︒

ば︑夫婦に夫の母を加えた三者関係についてみますと︑夫は母より強いが︑その夫は妻の尻に敷かれている︒とこ

ろが夫より強いその妻は夫の母よりも弱い︑やはり嫁と姑の関係になってしまい︑夫の母︑が︑何かにつけてああせ

い︑こうせい︑と嫁に指示をするとなりますと︑三すくみになってしまう︒これに似ているのが︑いわゆる政官業

(8)

219政治・行政と市民

の持ちつ持たれつ︑グー・チョキ・パーの権力構造であり︑政治学的には︑わが国の政官業のトライアングルがど

のようにして形成され︑わが国における政策の作成・決定・実施の過程を拘束しているのか︑といった間題が論じ

られることになります︒

 これはこれで大事な政治過程論の主題ですが︑政治はこれだけではない︒先ほど申し上げたとおり︑一方におい

て︑国境を超えて展開される国際政治がありますし︑国内においても︑国のレベルとは相対的に自律した地域社会

レベルでの地域政治もしくは地方政治があります︒行政についても同じで︑国境を跨ぎ越えた国際行政があるし︑

地域における地域行政もしくは地方行政の問題があります︒国際政治や地域政治が国の政治とまったく同じであれ

ば別個に論じ︑別個に研究する必要がなくなってしまいます︒

 本日は﹁自治体行政学﹂の授業時間を割いていただいたそうですが︑国の政府レベルでの政治と行政の関係と自

治体政府における政治と行政の関係は明らかに違います︒第一︑日本では︑国レベルでは議院内閣制であるのに自

治体は首長制︑大統領制を採用している︒国レベルで政治と行政の関係を論じるとなりますと︑先ほどのように永

田町と霞ヶ関の政官関係になります︒しかし︑大統領制を採っている自治体では︑行政部の長︵知事・市町村長︶

が住民の直接公選によって選ばれた地域の政治的代表であり︑この首長と地方議会の関係も︑議院内閣制のもとで

の首相と議会との関係とは異なった編成原理によって形づくられています︒これをいっしょくたにして論ずるわけ

にはいかないでしょう︒

 さらに国際レベルを付け加えますと︑そこでは︑国のガバメント︑地方自治体と同様な形では世界政府が成り立

っていない︒国際連合は世界政府ではありません︒その国際レベルと国民国家レベルの間にEUのような︑一定の の持ちつ持たれつ︑グl

1の権力構造であり︑政治学的には︑わが国の政官業のトライアングルがど

のようにして形成され︑わが国における政策の作成・決定・実施の過程を拘束しているのか︑といった問題が論じ

られることになります︒

これはこれで大事な政治過程論の主題ですが︑政治はこれだけではない︒先ほど申し上げたとおり︑

て︑国境を超えて展開される国際政治がありますし︑園内においても︑国のレベルとは相対的に自律した地域社会

レベルでの地域政治もしくは地方政治があります︒行政についても同じで︑国境を跨ぎ越えた国際行政があるし︑

地域における地域行政もしくは地方行政の問題があります︒国際政治や地域政治が閣の政治とまったく同じであれ

ば別個に論じ︑別個に研究する必要がなくなってしまいます︒

本日は﹁︐自治体行政学﹂の授業時間を割いていただいたそうですが︑国の政府レベルでの政治と行政の関係と自

治体政府における政治と行政の関係は明らかに違います︒第一︑日本では︑国レベルでは議院内閣制であるのに自

治体は首長制︑大統領制を採用している︒国レベルで政治と行政の関係を論じるとなりますと︑先ほどのように永

田町と霞ヶ関の政官関係になります︒しかし︑大統領制を採っている自治体では︑行政部の長(知事・市町村長)

219  政治・行政と市民

が住民の直接公選によって選ばれた地域の政治的代表であり︑この首長と地方議会の関係も︑議院内閣制のもとで

の首相と議会との関係とは異なった編成原理によって形づくられています︒これをいっしょくたにして論ずるわけ

にはいかないでしょう︒

さらに国際レベルを付け加えますと︑そこでは︑国のガパメント︑地方自治体と同様な形では世界政府が成り立

っていない︒国際連合は世界政府ではありません︒その国際レベルと国民国家レベルの聞に

EU

{

(9)

法学論集 45〔山梨学院大学〕 220

範囲の国際地域における新しい政治・行政システムが形成されてきている︒こういう構図になっています︒このよ

うになっているわけですから︑政治や行政を語り論じるにも︑国のレベルの政治や行政だけで事足れりとすること

はできなくなってくる︒レベルを分けて論じ語る必要が出てくるわけです︒

二 ﹁政治﹂優先主義の反省

︵一︶政治←行政←管理?

 国のナショナル・レベルを挟んで︑国境を跨ぎ越えた国際レベル︑そして地域社会の地方もしくはローカル・レ

ベルという三つのレベルで政治や行政を論じることの重要性を強調している学者に︑松下圭一法政大学教授がおら

れます︒わが国を代表する政治学者の一人です︒私たちは親しみと尊敬の念を込めて松圭先生などと呼んでいるの

ですが︑その松圭先生が今から七年半ほど前に︑﹃政策型思考と政治﹄︵東京大学出版会︑一九九一年︶という大作

を出版しました︒先生は大変著作が多い方で︑﹃日本の自治・分権﹄﹃政治・行政の考え方﹄といった岩波新書も出

しておられますので︑さしあたりそれらの新書を読んでみられるのがよいと思いますが︑﹃政策型思考と政治﹄と

いう本は本文が三六〇ぺージという大作であり︑わが国の政治学における問題提起の著作でもありますので︑一度

手にとって見られることをおすすめします︒

 授業で諸先生が挙げられる本をはじから購入していったらたいそうお金がかかります︒そこですすめたいのが本

220 

範囲の国際地域における新しい政治・行政システムが形成されてきている︒こういう構図になっています︒このよ

うになっているわけですから︑政治や行政を語り論じるにも︑国のレベルの政治や行政だけで事足れりとすること

45 (山梨学院大学〕

はできなくなってくる︒レベルを分けて論じ語る必要が出てくるわけです︒

﹁政治﹂優先主義の反省

法学論集

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政治←行政←管理?

国のナショナル・レベルを挟んで︑国境を跨ぎ越えた国際レベル︑そして地域社会の地方もしくはローカル・レ

ベルという三つのレベルで政治や行政を論じることの重要性を強調している学者に︑松下圭一法政大学教授がおら

れます︒わが国を代表する政治学者の一人です︒私たちは親しみと尊敬の念を込めて松圭先生などと呼んでいるの

ですが︑その松圭先生が今から七年半ほど前に︑﹃政策型思考と政治﹄(東京大学出版会︑)という大作

を出版しました︒先生は大変著作が多い方で︑﹁日本の自治・分権﹄﹃政治・行政の考え方﹄といった岩波新書も出

しておられますので︑さしあたりそれらの新書を読んでみられるのがよいと思いますが︑﹃政策型思考と政治﹄と

いう本は本文が三六

0

ページという大作であり︑わが国の政治学における問題提起の著作でもありますので︑

手にとって見られることをおすすめします︒

授業で諸先生が挙げられる本をはじから購入していったらたいそうお金がかかります︒そこですすめたいのが本

(10)

221政治・行政と市民

屋での立ち読みで︑皆さんの世代では︑本棚で探し︑手にとって一〇分立ち読みしますと︑両目︑両手を通じて本

の中身が体の中に入ってきます︒一〇分の立ち読みを六回やれば一時間になります︒この蓄積が馬鹿にならないわ

けで︑それをやるとやらないでは雲泥の差がつきます︒どうか心がけてみてください︒

 横道にそれましたが︑松下先生の﹃政策型思考と政治﹄の中のほんの一節をそこに引用しておきました︒﹁都市

型社会は︑社会の存在あるいは持続自体のためのく社会工学Vとして︑行政機構を必要とする︒政治からみれば︑

政治←行政←管理となるが︑社会からみれば︑管理←行政←政治に逆転することを確認しておこう︒﹂︵二二〇頁︶

これだけですと︑何のことだか分からない︒分からなかったなら︑ぺージ数も記しておきましたから︑その附近を

開いて立ち読みをしてみてほしいと思います︒

 松下先生によりますと︑日本の社会は一九六〇年代を境として都市型社会に移行してきた︒一九八○年代になる

と都市型社会の成立がはっきりとしてきたのですが︑そこでの政治の課題は農村型社会の段階と大きく異なり︑都

市型社会に特有の様々な政策問題が次々と登場してくることになった︒政府に期待される政策対応も異ならざるを

えず︑たとえば交通政策にしろ︑住宅政策にしろ︑福祉政策にしろ︑従前の農村型社会とは変わってこざるをえな

い︒そうした政策は︑多くの場合︑それぞれのレベルの政府︵ガバメント︶から社会に向けて打ち出され︑各種の

解決を迫られている問題になんとか対処し︑できればそれぞれの問題を解決する努力を重ねることによってはじめ

て有効となる︒社会から切り離された政府というのは︑もはや政府とはいえない︒こういうことになります︒

 ところで︑そのガバメントとしての政府において政治と行政の関係は︑政治が政策を決定する︑決定された政策

を行政が執行する︑というように理解されるのが通例です︒政策は社会の様々な問題への対応ですから︑政府が中 屋での立ち読みで︑皆さんの世代では︑本棚で探し︑手にとって一

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分立ち読みしますと︑両目︑両手を通じて本

の中身が体の中に入ってきます︒

O

分の立ち読みを六回やれば一時間になります︒この蓄積が馬鹿にならないわ

それをやるとやらないでは雲泥の差がつきます︒どうか心がけてみてください︒

横道にそれましたが︑松下先生の﹃政策型思考と政治﹄の中のほんの一節をそこに引用しておきました︒﹁都市

型社会は︑社会の存在あるいは持続自体のための︿社会工学﹀として︑行政機構を必要とする︒政治からみれば︑

政治←行政←管理となるが︑社会からみれば︑管理←行政←政治に逆転することを確認しておこう︒﹂(二二

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)

これだけですと︑何のことだか分からない︒分からなかったなら︑ページ数も記しておきましたから︑その附近を

聞いて立ち読みをしてみてほしいと思います︒

松下先生によりますと︑日本の社会は一九六

0

年代を境として都市型社会に移行してきた︒

0

年代になる

と都市型社会の成立がはっきりとしてきたのですが︑そこでの政治の課題は農村型社会の段階と大きく異なり︑都

市型社会に特有の様々な政策問題が次々と登場してくることになった︒政府に期待される政策対応も異ならざるを

たとえば交通政策にしろ︑住宅政策にしろ︑福祉政策にしろ︑従前の農村型社会とは変わってこざるをえな

221  政治・行政と市民

い︒そうした政策は︑多くの場合︑それぞれのレベルの政府(ガパメント)から社会に向けて打ち出され︑各種の

解決を迫られている問題になんとか対処し︑できればそれぞれの問題を解決する努力を重ねることによってはじめ

て有効となる︒社会から切り離された政府というのは︑もはや政府とはいえない︒こういうことになります︒

そのガパメントとしての政府において政治と行政の関係は︑政治が政策を決定する︑決定された政策

というように理解されるのが通例です︒政策は社会の様々な問題への対応ですから︑政府が中

(11)

法学論集 45〔山梨学院大学〕 222

心となって︑対社会的な関係においてそれを管理する︒ですから︑政治からみれば︑政治←行政←管理となる︒

 ところが︑社会からみると︑管理が一番先にきて︑次が行政︑最後が政治というように逆転する︒すべてのこと

において︑政治がのっけから登場して︑あれこれを決定するのではない︒何か問題が発生したら︑なんとかそれを

処理し︑マネージしようとする︒地震でも﹁〇一竃事件﹂でもなんでもいい︒政治が決めて行政がそれを実施に移

すなどという悠長なことはやっておれない︒問題・事件によっては︑社会の総力を挙げて取り組まなければならな

い︒要は︑私たちの社会にどれだけそれぞれの問題︑事件に対処する管理能力が備わっているかということであ

り︑その場合︑公共的な問題や事件であれば︑政治が登場する前にやはり各行政機関に頼るところが大きい︒その

上で︑しばらくしてから政治の舞台に問題が浮上する︒だから︑社会からみれば︑管理←行政←政治ということに

なる︒こういう次第です︒

 いずれにしても︑行政が真ん中に位置づけられる︒これが︑松下先生のいう﹁行政機構の基軸性﹂です︒こうし

て︑先の著書では︑﹁市民自治つまり民主政治が要請する政治←行政←管理といっても︑都市型社会の存在条件で

ある管理←行政←政治における︑行政機構H官僚組織の社会工学型基軸性をふまえたうえでの︑︿政治Vの主導性

をいっているのである︒これが︑都市型社会の︿政治構造﹀なのである︒﹂︵二二二頁︶このように記されることに

なります︒

 難しいですね︒このように説明されても︑なんのことやら分からない︑と思うでしょう︒分からなかった何回で

も読んでみる︒繰り返し読む︒それでも分からないから︑そういう難解な一節を飛ばして次へ進む︒また気になっ

て元に戻って読み返す︒そんなことをしているうちに︑こういうことかいな︑と少しずつ︑もつれた糸がほどける

222 

心となって︑対社会的な関係においてそれを管理する︒ですから︑政治からみれば︑政治←行政←管理となる︒

ところが︑社会からみると︑管理が一番先にきて︑次が行政︑最後が政治というように逆転する︒すべてのこと

45 (山梨学院大学〕

において︑政治がのっけから登場して︑あれこれを決定するのではない︒何か問題が発生したら︑なんとかそれを

lジしようとする︒地震でも﹁︒広吋事件﹂でもなんでもいい︒政治が決めて行政がそれを実施に移

すなどという悠長なことはやっておれない︒問題・事件によっては︑社会の総力を挙げて取り組まなければならな

い︒要は︑私たちの社会にどれだけそれぞれの問題︑事件に対処する管理能力が備わっているかということであ

法学論集

り︑その場合︑公共的な問題や事件であれば︑政治が登場する前にやはり各行政機関に頼るところが大きい︒その

上で︑しばらくしてから政治の舞台に問題が浮上する︒だから︑社会からみれば︑管理←行政←政治ということに

‑222‑

なる︒こういう次第です︒

いずれにしても︑行政が真ん中に位置づけられる︒これが︑松下先生のいう﹁行政機構の基軸性﹂です︒こうし

て︑先の著書では︑﹁市民自治つまり民主政治が要請する政治←行政←管理といっても︑都市型社会の存在条件で

ある管理←行政←政治における︑行政機構H官僚組織の社会工学型基軸性をふまえたうえでの︑︿政治﹀の主導性

をいっているのである︒これが︑都市型社会の︿政治構造﹀なのである︒﹂(二二二頁)このように記されることに

難しいですね︒このように説明されても︑なんのことやら分からない︑と思うでしょう︒分からなかった何回で

も読んでみる︒繰り返し読む︒それでも分からないから︑そういう難解な一節を飛ばして次ヘ進むロまた気になっ

て元に戻って読み返す︒そんなことをしているうちに︑こういうことかいな︑と少しずつ︑もつれた糸がほどける

(12)

223 政治・行政と市民

ように︑理解できるようになる︒これが大学での勉強というものです︒割り切りのいい定義や説明を丸暗記するの

ではない︒自分で考える︒そのとき︑どういう言葉︑概念を使って組み立てるか︑これがポイントです︒

 ともかく︑政治があって行政が続き︑管理がくる︑といった捉え方だけをそのまま鵜呑みにするのではなく︑そ

こに?マークをつけましたように︑そうかいな︑と疑ってみる︒そうすると︑私たちが生活している社会からみ

て︑そんなふうに政治を優先させてとらえるだけでは駄目だということが分かってきます︒行政に対する政治の優

越性︑主導性を主張するにしても︑官僚よりも政治家のほうが偉いのが当然だから︑霞ヶ関より永田町が主導性を

発揮しなければならないんだ︑とあっさり片づけるのではいけない︑ということになるわけです︒

 ︵二︶ ﹁公共性の空間﹂と市民

 今日のタイトルは﹁政治・行政と市民﹂となっていますが︑ここで皆さんに考えていただきたいことがもう一点

あります︒それが最後の﹁市民﹂についてです︒

 市民が究極の本人であるような政治︑それが民主的政治というものであり︑そういう社会が民主的社会であると

考えられています︒本人が..鎧任畦︑.です︒英語辞典で当たってみてください︒著者︑作家のことです︒その先を

見ていただくと︑立案者︑創始者︑創造者︑張本人などという意味が出てきます︒︑︑Oo象竃︾旨げ990霞びΦ一轟︑︑

というのは︑われらの創造者︑造物主である神ということになります︒

 それはともかく︑︑.9Φ℃8覧①︑︑が張本人で︑これがオーソライズするから国会︑議会は権威がある︒その議会が

オーソライズするから内閣に権威が生まれる︒内閣がオーソライズするから行政機関に権威が認められる︒こうい ように︑理解できるようになる︒これが大学での勉強というものです︒割り切りのいい定義や説明を丸暗記するのではない︒自分で考える︒そのとき︑どういう言葉︑概念を使って組み立てるか︑これがポイントです︒

ともかく︑政治があって行政が続き︑管理がくる︑といった捉え方だけをそのまま鵜呑みにするのではなく︑

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マークをつけましたように︑

と疑ってみる︒そうすると︑私たちが生活している社会からみ

て︑そんなふうに政治を優先させてとらえるだけでは駄目だということが分かってきます︒行政に対する政治の優

越性︑主導性を主張するにしても︑官僚よりも政治家のほうが偉いのが当然だから︑霞ヶ関より永田町が主導性を

発揮しなければならないんだ︑とあっさり片づけるのではいけない︑ということになるわけです︒

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今日のタイトルは﹁政治・行政と市民﹂となっていますが︑ここで皆さんに考えていただきたいことがもう一点

あります︒それが最後の﹁市民﹂についてです︒

市民が究極の本人であるような政治︑それが民主的政治というものであり︑そういう社会が民主的社会であると

政治・行政と市民

考えられています︒本人が

E ω

丘 町 ︒ 吋

3です︒英語辞典で当たってみてください︒著者︑作家のことです︒その先を

見ていただくと︑立案者︑創始者︑創造者︑張本人などという意味が出てきます

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われらの創造者︑造物主である神ということになります︒

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が張本人で︑これがオlソライズするから国会︑議会は権威がある︒その議会が

1ソライズするから内閣に権威が生まれる︒内閣がオ1ソライズするから行政機関に権威が認められる︒こうい

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法学論集 45〔山梨学院大学〕 224

うふうになるわけで︑行政機関にもともと権威があるわけではない︒究極の本人︑張本人としての市民を見下す偉

い存在としてもともと存在するわけではない︒まず︑このことを押さえます︒

 ところが︑実際にはどうでしょうか︒国と自治体では政府の構成原理を異にしますが︑市民が選び出したはずの

議員のほうが市民よりも偉い存在となって﹁先生﹂と呼ばれたりする︒そして︑その議員よりも行政官のほうが物

事を決めるうえで大きな影響力を行使する︒自治体と中央政府の関係は︑今度の地方分権改革で両者の関係を対等

の関係になんとか転換しようとはしていますが︑依然として国のほうが地方の上に立っている︒ここでも逆転現象

が見られます︒

 政策も行政も︑誰のため︑何のために行われるかといえば︑それは﹁公共の福祉﹂を増進するためだ︑という紋

切り型の答えをすることになりますが︑その﹁公共の福祉﹂の中身は誰が決めているかといえば︑これまでのとこ

ろ︑やはり﹁中央の官﹂が絶大な役割を果たしてきました︒端的にいって︑公共性は﹁中央の官の独占物﹂といっ

た様相を呈してきました︒﹁お上﹂が決めるものであったわけです︒

 ところが︑現在進行中の中央省庁再編をもたらした﹁橋本行革﹂の処方箋である行政改革会議の最終報告では︑

興味ある指摘が繰り返し行われています︒それが︑レジュメの最後に引用しておいた︑﹁公共性の空間﹂に関する

一節です︒﹁今日︑公共性の空間は︑もはや中央の官の独占物ではなく︑地域社会や市場も含め︑広く社会全体が

その機能を分担していくとの価値観への転換が求められている︒﹂

 現在︑昨年︵一九九八年︶六月に成立した中央省庁等改革基本法にのっとった制度改革のための法案準備が行わ

れており︑連休明けには閣議決定を経て国会に上程されることになりますが︑そのもとになったのが行革会議の最 うふうになるわけで︑行政機関にもともと権威があるわけではない︒究極の本人︑張本人としての市民を見下す偉

224 

い存在としてもともと存在するわけではない︒まず︑このことを押さえます︒

45 (山梨学院大学)

ところが︑実際にはどうでしょうか︒国と自治体では政府の構成原理を異にしますが︑市民が選び出したはずの

議員のほうが市民よりも偉い存在となって﹁先生﹂と呼ばれたりする︒そして︑その議員よりも行政官のほうが物

事を決めるうえで大きな影響力を行使する︒自治体と中央政府の関係は︑今度の地方分権改革で両者の関係を対等

の関係になんとか転換しようとはしていますが︑依然として国のほうが地方の上に立っている︒ここでも逆転現象

法学論集

それは﹁公共の福祉﹂を増進するためだ︑政策も行政も︑誰のため︑何のために行われるかといえば︑という紋

‑224‑

切り型の答えをすることになりますが︑その﹁公共の福祉﹂の中身は誰が決めているかといえば︑これまでのとこ

ろ︑やはり﹁中央の官﹂が絶大な役割を果たしてきました︒端的にいって︑公共性は﹁中央の宮の独占物﹂といっ

た様相を呈してきました︒﹁お上﹂が決めるものであったわけです︒

ところが︑現在進行中の中央省庁再編をもたらした﹁橋本行革﹂の処方筆である行政改革会議の最終報告では︑

興味ある指摘が繰り返し行われています︒それが︑レジュメの最後に引用しておいた︑﹁公共性の空間﹂に関する

一節です︒﹁今日︑公共性の空間は︑もはや中央の官の独占物ではなく︑地域社会や市場も含め︑広く社会全体が

その機能を分担していくとの価値観への転換が求められているよ

現在︑昨年(一九九八年)六月に成立した中央省庁等改革基本法にのっとった制度改革のための法案準備が行わ

れており︑連休明けには閣議決定を経て国会に上程されることになりますが︑そのもとになったのが行革会議の最

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225 政治・行政と市民

終報告です︒注意を促した﹁公共性の空間﹂に関する言明は︑中央省庁等改革基本法にも︑それにのっとって作成

される内閣法以下の法律案にもいっさい出てきませんが︑この言明はきわめて重要です︒

 そこで︑皆さんに問いたいのが︑この﹁公共性の空間﹂における市民の位置づけ︑このことです︒皆さんは︑市

民というと政治や行政との関係でそれを論じ︑市民がしっかりしなければ政治も行政もちゃんとしたものにならな

い︑と教えられてきたでしょうし︑そのように考えておられるでしょう︒そのとおりです︒間違いはありません︒

間違ったことが教えられているわけではありません︒

 けれども︑それだけでいいのでしょうか︒引用した一節との関連でいいますと︑公共性というものを﹁中央の

官﹂だけに独占させないで︑そのくびきから解き放たなければならない︒もちろん︑国権の最高機関である国会で

その中身をきちんと審議させることが必要です︒そして中央の政界・官界だけでなく︑地方自治体が頑張るのでな

ければいけない︒国と自治体とを間わず︑そこでの審議過程に市民が積極的に参加・参画していかなければならな

い︒こういうことですね︒しかし︑ここで問題にしているのは︑それだけですか︑それだけでいいのでしょうか︑

ということです︒

 公共性をめぐる議論はいろいろとあるのですが︑これについては︑今度︑山梨学院大学行政研究センターから刊

行された﹃市民活動の展開と行政﹄︵中央法規出版︑一九九九年︶の中の私の論文をさしあたっての参考にしてく

ださい︒問題は︑私たちが市民について論ずるとき︑政治と行政を含めた政府︵ガバメント︶との関連でのみその

活動や役割を論じがちとなって︑私たち市民の生活圏で形成される公共空間︑それが﹁公共性の空間﹂ですが︑そ

のなかで形成される政府以外の組織集団と市民との関係を増外に置いてしまうという点にあります︒ 終報告です︒注意を促した﹁公共性の空間﹂に関する言明は︑中央省庁等改革基本法にも︑それにのっとって作成

される内閣法以下の法律案にもいっさい出てきませんが︑この言明はきわめて重要です︒

そこで︑皆さんに問いたいのが︑この﹁公共性の空間﹂における市民の位置づけ︑このことです︒皆さんは︑市

民というと政治や行政との関係でそれを論じ︑市民がしっかりしなければ政治も行政もちゃんとしたものにならな

い︑と教えられてきたでしょうし︑そのように考えておられるでしょう︒そのとおりです︒間違いはありません︒

間違ったことが教えられているわけではありません︒

それだけでいいのでしょうか︒引用した一節との関連でいいますと︑公共性というものを﹁中央の

官﹂だけに独占させないで︑そのくびきから解き放たなければならない︒もちろん︑国権の最高機関である国会で

その中身をきちんと審議させることが必要です︒そして中央の政界・官界だけでなく︑地方自治体が頑張るのでな

ければいけない︒国と自治体とを問わず︑そこでの審議過程に市民が積極的に参加・参画していかなければならな

い︒こういうことですね︒しかし︑ここで問題にしているのは︑

それだけでいいのでしょうか︑

政治・行政と市民

公共性をめぐる議論はいろいろとあるのですが︑これについては︑今度︑山梨学院大学行政研究センターから刊

行された﹃市民活動の展開と行政﹄(中央法規出版︑

)

の中の私の論文をさしあたっての参考にしてく

ださい︒問題は︑私たちが市民について論ずるとき︑政治と行政を含めた政府(ガバメント)との関連でのみその

225 

活動や役割を論じがちとなって︑私たち市民の生活圏で形成される公共空間︑それが﹁公共性の空間﹂ですが︑

のなかで形成される政府以外の組織集団と市民との関係を埼外に置いてしまうという点にあります︒

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法学論集 45〔山梨学院大学〕 226

 たとえば︑私たちの日常生活において電力の供給は不可欠であり︑実にだらしないことですが︑私たちは電気な

しには暮らせない︒それほど公共性が高い︒しかし︑それは自治体や国によって供給されているわけのものではあ

りません︒そうしますと︑電力会社との関係において私たちはどのように位置づけられるのでしょうか︒単なる消

費者に過ぎないのでしょうか︒そうではない︑ということ︑これです︒私たちは電力会社との関係においても市民

でありシチズンシップを発揮すべき存在であるということをきちんと認識しなければならない︒申し上げたかった

のは︑そのことです︒電力会社だけでなく︑JRや民間のバス会社などが相手でも同じです︒

 このところNPOが脚光を浴びていますが︑これを考えればすぐ分かるでしょう︒シチズンシップは政府との関

係でのみ成立するものではなく︑﹁公共性の空間﹂に登場する民間企業︑団体との関連でも成立するものとしてと

らえなければないないのです︒その意昧では︑本日のテーマ設定には少しく問題があるということになります︒

今︑全国の自治体は︑この秋開始される介護保険の認定作業︑来春からの本格実施を前に︑おたおたしています

が︑ここには大手商社まで参入してきます︒商社などは儲け主義の民間企業そのものだから︑公共性などと無関係

だ︑その対極にあるものだ︑などと片づけたりしますと︑介護保険の仕組みがまったく分かっていないということ

になりかねません︒私的利益に走りがちな私企業をも巻き込んで︑どのようにして公共性を担保しうるか︑それこ

そがポイントです︒

226 

たとえば︑私たちの日常生活において電力の供給は不可欠であり︑実にだらしないことですが︑私たちは電気な

しには暮らせない︒それほど公共性が高い︒しかし︑それは自治体や国によって供給されているわけのものではあ

45 (山梨学院大学〕

りません︒そうしますと︑電力会社との関係において私たちはどのように位置づけられるのでしょうか︒単なる消

費者に過ぎないのでしょうか︒そうではない︑ということ︑これです︒私たちは電力会社との関係においても市民

でありシチズンシップを発揮すべき存在であるということをきちんと認識しなければならない︒申し上げたかった

そのことです︒電力会社だけでなく︑

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Rや民間のパス会社などが相手でも同じです︒

法学論集

このところNPOが脚光を浴びていますが︑これを考えればすぐ分かるでしょう︒シチズンシップは政府との関

係でのみ成立するものではなく︑﹁公共性の空間﹂に登場する民間企業︑団体との関連でも成立するものとしてと

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らえなければないないのです︒その意味では︑本日のテlマ設定には少しく問題があるということになります︒

今︑全国の自治体は︑この秋開始される介護保険の認定作業︑来春からの本格実施を前に︑おたおたしています

が︑ここには大手商社まで参入してきます︒商社などは儲け主義の民間企業そのものだから︑公共性などと無関係

だ︑その対極にあるものだ︑などと片づけたりしますと︑介護保険の仕組みがまったく分かっていないということ

になりかねません︒私的利益に走りがちな私企業をも巻き込んで︑どのようにして公共性を担保しうるか︑それこ

そがポイントです︒

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