恋とピアノ
上品な客間。奥に入り口ドア。左に暖炉。――右、前景にドア。
右、中景にピアノ。椅子、ソファー、テーブル等々。
第一場
バチスト、リュシル
バチストは小型円テーブルの上の片づけ。リュシルはピアノの前 に座り、出来るだけ素早い音階練習。
バチスト リュシルの演奏を夢中になって聴いた後で。ブラ ヴォー!・・・すみませんが、マドモワゼル、それ にしても、まるで台風みたいですな!・・・ああ!
リュシル えっ、「台風」ですって? 音階練習よ。
バチスト あっしは台風って呼ばせてもらいます、マド モワゼル・・・その方が想像力に訴えかけるっても んだ! しかるに、「音階」なんてくだらんです、
マドモワゼル。ドアを吹き抜けてくる田舎の風さな がらだ。(風の鳴る音を真似る。)まったくもってこう です。
リュシル かもしれないわね、でもパリでは音階練習と 言うのよ。
バチスト 当然でしょうな! 何でも英語に訳す癖があ りますから。
リュシル さあ、その話は終わり・・・ねえ、母はもう 出かけたのかしら?
バチスト 15分も前に。
リュシル ああ、いずれにしても、苦行だわ! 母がど こに行ったか知らないの?
バチスト ええ。
リュシル 当ててみて!・・・「出廷」しに行ったのよ・・・
バチスト 出廷?
リュシル そうよ、第9軽罪裁判所にね。
バチスト 奥様が裁判所に?・・・
リュシル まあ! 安心して、ただの証人としてだから。
御ぎょ
者しゃ
事件の! 警官侮辱だかなんだか、これ以上延 期できないとかで。つまり、それで母が出廷しに行っ たって訳なの。
バチスト ああ! あっしが出廷してやりたいもんだ。
リュシル まあ、何てばかなことを! さあ、ピアノの 練習をさせて。お前の御ご託たくで私の時間を無駄にさせ ているのよ。少なくとも、ピアノは好き?
バチスト ああ! マドモワゼルの演奏なら、たぶん。
でも、あっしのならノーです。
リュシル まあ、弾けるの?
バチスト ええ、マドモワゼル。村で母が一台持ってお りました。
リュシル まあ! それで使ってたの?
バチスト ええ、マドモワゼル、食品庫に。田舎じゃ、
ピアノを台無しにして楽器にする金なんてないんで さあ。
リュシル あっ! 音楽と言えば、もうすぐお客さんが 訪ねてくるから。私のピアノの先生よ。とても有名 な先生。いわゆるマエストロ、「ウン・マエストロ・
ディ・プリモ・カルテッロ」よ。
バチスト ため息。 また英語だ。
リュシル それに、どうもお目にかかれないような風変 わりみたいよ。名前はね・・・あぁ! いやだ、本 当は知らないんだわ、でも、とても有名な名前よ。
バチスト 考えて。 モリエール?
リュシル 違う。
バチスト 確か、モリエールっていうのは、鋳鉄の水飲 み場を作ったやつだ、そうモリエール。
リュシル まったくもう、どうでもいいわ! その男の 人が、マダムは在宅ですかと訊いてくるから。
バチスト 外出していますと答えます。
リュシル そうじゃなくて。お通ししてちょうだい、私 がおもてなしするから。
バチスト でも、マドモワゼル、奥様がいないのに?
リュシル ええ、母とは話がついているの。ほかにどう しようもないの。とんでもないわ、マエストロなの よ! つまらない家庭教師のようにまた出直してく ださいと頼んだりはできない。マエストロと約束し たら、きちんと時間を守らないといけないの。全然 時間を守らなくてもいいのはマエストロだけなの。
バチスト 傍白。 召使いとは正反対。
リュシル とにかく、分かった? その男の人が来たら、
お通しして。さてと、音階練習をさせて。
バチスト退出。リュシルはピアノに向かう。
桑 原 隆 行
フェドー「恋とピアノ」翻訳と解説
第二場
リュシル ひとり、ピアノを前に座り。 ドレミファソラシ ド、ドシラソファミレド。ふうっ! つまらない わ! でも覚えないといけないのね!・・・今日、
ピアノを弾けなきゃ結婚してもらえないんだもの。
でも、思うにそんなことで結婚はしないんじゃない かしら。ドレミファソラシド。特に音階練習が。
まったく! 退屈だわ!・・・でも、指がほぐれる らしいから・・・まるで指がほぐれてないと良い奥 さんにはなれないみたいね!・・・あぁ! 若い娘 たちが遠慮なく話してもいいのなら・・・私と結婚 したいと思ってくれる人にはただ、こう言うわね。
「ムッシュー、これが私よ! 二十歳になります、
ピアノは弾けませんが、あなたにもフルートを吹け るようにと要求はいたしません。結婚はコンサート じゃなくて・・・それは・・・それはよく分からな い何かよ・・・でも、とにかく、演奏するために結 婚するんじゃないわ! ピアノがなくても私と結婚 したいと思うのなら、承諾だわ! 嫌なら、これで 失礼しますわ・・・」以上終わり!・・・ただ、私 たち若い娘は、いつでも自分を犠牲にしなければな らないのね。
第三場
リュシル、バチスト
バチスト マドモワゼル、男の人が! マドモワゼルが 言うように「水キ ・ プ リ ム ・ ロ
に勝るは、泳カ ル パ ・ ロぐ鯉」のマエストロが お見えです。
リュシル まあ! 先生が!
バチスト 名刺を。
リュシル エドゥアール・ロリヨ。へえ、おかしな名前 ね。まあ、いいわ! お入れして。ところで、ブラ ンデュスの店からだって?
バチスト どうですかね、マドモワゼル。
リュシル すぐにお通しして。
リュシル退出。
第四場
バチスト、それから、とてもエレガントなエドゥアール
バチスト どうぞお入りください! マドモワゼルが少 しお待ちいただくようにとのことです。
エドゥアール ひどく動揺して。 マドモワゼルがお待ち いただ・・・私にお待ち・・・、それでは、名刺を 渡していただけたんですね? よかった、でも、あ
のですね、私の名前を見て、そう、何て言ってまし た?
バチスト 「へえ、おかしな名前ね!」と。
エドゥアール あぁ! それだけ?・・・
バチスト 私が聞いたのはそれだけですが。
エドゥアール それはどうも。
バチスト退出。
第五場
エドゥアール ひとり。 さあ、確かに世に出るぞ。二 週間前からパリにいる。トゥルーズからやって来た んだが、全然田舎臭くなんかないぞ。だから訛りも ない、おそらくダンケルクで育ったからだな。若く、
エレガントで、富豪・・・そうさ、15000リーヴル の年金がある・・・田舎じゃ、これで富豪になるに は充分なのさ。要するに、この財産のおかげで、ぼ くがパリジャンの中で最高のパリジャンだと言って くれる友だちを持つことができる! 自分でもそう 思っているけどね。ぼくの服は一流の仕立屋の服、
美容師はカリスマ美容師! ため口で話せる王子も いるし、連れ歩ける子爵も! つまり、全部持って いる、肝心なこと以外は全部。ひとかどの者に見せ る愛人関係以外は! それで、思ったのさ、「デュ バロワ嬢に会いに行こう!・・・」とね。みんなが パリで最高に上品な女たちのなかのひとりのように 話題にしているから! 彼女のことは知らない、で もすごくいい女のはずさ、それにすぐにひとかどの 男に見せてくれるあの女優たちのひとりなんだし!
住所を調べた、それでここにいる! ここはすごく いい・・・ここが客間・・・すごく上品な・・・そ れであのドアは?・・・おそらく面して・・・うー ん! 後で分かるだろうさ。
第六場
エドゥアール、リュシル
リュシル 楽譜を持って来て。 ムッシュー、お待たせし てすみませんでした。でも、楽譜が見つからなかっ たので。
エドゥアール ひどく動揺して。 あぁ! 見つからな かったと・・・でも構いませんよ、マドモワゼル。
リュシル まあ! でもわたし、楽譜がないとだめなん です。(彼に座るように合図。)ではどうぞお座りくだ さいな。
エドゥアール 実際、音楽は実に素晴らしい芸術ですよ、
マドモワゼル。
リュシル ええ! すべての中で最も素晴らしいもので
すわ、ムッシュー。(傍白。)わたし、よく思われたい。
エドゥアール 音楽は大好きですよ、ぼくは!(傍白。)
彼女の好みにおもねっておくか。
リュシル たとえば、初めが大変なの。
エドゥアール ほんとうに、初めなんてあったかな。
リュシル 傍白。 すごい自惚れ屋。でも芸術家はぜん ぶそうだから。(大声で。)ワグナーはお好きですか、
ムッシュー?
エドゥアール ワグナー? 薬剤師の?
リュシル 薬剤師?
エドゥアール トゥルーズの薬剤師では?
リュシル そうではなくて、音楽家の。
エドゥアール 音楽家? ああ! そう、ワグナー。噂 は聞いたことが・・・そう、演奏するみたいですね。
リュシル 傍白。 えっ、みたいですって・・・
エドゥアール ええ、もちろん、噂は聞いています。(傍 白。) こっちが質問するかな。(大声で。)すみません が、マドモワゼル。
リュシル では、モーツァルトはどう思いまして?
エドゥアール いや本当、どう思うと言われても何も、
マドモワゼル、でもすみませんが、ぼくは・・・
リュシル それなら、ムッシュー、あなたのお好きな作 曲家は?
エドゥアール ええ?・・・それは・・・コルディヤール。
リュシル コルディヤールって、その人誰?
エドゥアール ぼくの友人のひとりです。
リュシル まあ!
エドゥアール そう! 才能ある音楽家。「シカゴの シャレ者」の作詞家です。
リュシル 知らないわ!
エドゥアール ああ! すごくいいですよ。(口ずさむ。)
シカゴのヤツりゃ、イキときた、
コンゴから遠く離れたシカゴでは。
カモどもはみんなビックリさ、
それがシカゴのシャレ者!
なんてすてきなんだ・・・でもすみませんが、マド モワゼル、私たちの話、私たちの話ばかりで、その 間、あなたに説明しませんでしたが・・・
リュシル 何をです、ムッシュー?
エドゥアール ここにぼくがいる理由を。
リュシル あぁ! すぐに分かりましたわ!
エドゥアール えっ! 分かったと・・・
リュシル もちろん。
エドゥアール (傍白。) パリの女というのは頭がきれる もんだ!
リュシル 要するに、ムッシュー、あなたを待っていま したの。
エドゥアール びっくりして。 ぼくを待ってい・・・そ れでは、ぼくを知っているんですか?
リュシル 私が? 全然知らないとでも? でも構わな いわ、知り合ったんだから。
エドゥアール 確かに、ぼくら・・・ぼくらは・・・(傍 白。)ひとりでになんとかなるさ・・・
リュシル あなたは大フ ァ ッ シ ョ ナ ブ ル
変な人気だそうですけれど。
エドゥアール とても腕の良い仕立屋を使っているので。
リュシル そうじゃなくて、とても有名な方だと言いた いの。
エドゥアール ああ! もちろんですよ。
リュシル おそらく音楽院を出たんですわね。
エドゥアール 音楽院?・・・ああ! そう、ポワソニエー ル通りですね! もちろん・・・前を通りましたよ!
(傍白。)なんで音楽院の話なんかするんだろう?
リュシル 一等賞をお取りになったということではな かったかしら?・・・
エドゥアール えっ?・・・ああ、ずっと昔のことです ね。九歳でした、それに綴りの一等です! まった く話題にするにも及びません。(傍白。)なんて妙な 会話なんだ。
リュシル 傍白。 この人、少し変わってるわ。
エドゥアール 突然。 マドモワゼル、ぼくはエドゥアー ル・ロリヨと申します。二十五歳。
リュシル いい年齢ね。
エドゥアール 自惚れて。 とてもいい年齢ですとも!
リュシル しかしながら、私たちに関したことで言うと、
年齢はどうでもいいことです。
エドゥアール 本当に?
リュシル もちろん。
エドゥアール ああ! 本当に、あなたは・・・しかし ながら、若い方がいいと正直に言ってもらっても。
リュシル ねえ!ねえ! 老人の方が経験豊かだわ。
エドゥアール 経験豊か、確かに! でもねえ、それだ けでは足りませんよ。
リュシル 「老人に力があれば!」と言われるのは存じ ています、でも諺では「若者が物知りなら!」とも 言われていますわ。
エドゥアール ええ! でもぼくは、マドモワゼル、物 知りです。
リュシル ああ! あなたのことを言っているのじゃな いの、ムッシュー。あなたが力量を示されたことは 周知のことですから。
エドゥアール えっ! ご存知で! へえ! その話は 止めましょう!
リュシル それに、私にも力量を示していただきたい の!
エドゥアール ぼくが?・・・
リュシル もちろん。
エドゥアール 有頂天で。 もちろん・・・もちろん喜んで。
でも、あなたのいいときに。でも、ぼくが来たのは
そのためじゃないですか? あなたに力量を示して あげられたら! ああ! 天にも昇る気持ちだ!
リュシル ええと、あの、ムッシュー、どケ ス ク ・ ヴ ゥ ・
うされたん でザ ヴ ェすか?
エドゥアール ぶしつけに。 何スを持ってるって、マド・ ク ・ ジ ェ モワゼル? マドモワゼル、財産を持ってるんです。
リュシル まあ! それじゃ、ただ芸術が好きで・・・
エドゥアール ああ! それと芸術家が、マドモワゼル、
芸術家が好きだから。
リュシル お辞儀して。 ムッシュー! (傍白。)とても 趣味のいい人だわ。
エドゥアール 要するに、マドモワゼル、ついでながら、
どうしてもあなたに言いたいのですが・・・ぼくは、
すべての問題、何と言いますか、金銭的なすべての 問題についてはうるさいことは言いませんので。
リュシル でも、ムッシュー、思うに、レッスン料のこ とは言われているはずですけれど。
エドゥアール レッスン料?
リュシル ええ。
エドゥアール 全然、何も言われていませんが。(傍白。)
むしり取ろうっていうのか。
リュシル あのですね、ムッシュー、週4回のレッスン で月400フランですの。
エドゥアール 啞然として。 えっ!それは・・・レッ スン毎に?
リュシル ええ、ムッシュー。
エドゥアール 月400フラン。それだけ?
リュシル 何です、ムッシュー、それでは充分ではない と?
エドゥアール 傍白。 パリの生活費は高いという話 だったのに。
リュシル 何だかご不満みたいですけれど?
エドゥアール 実際、驚いてしまったので・・・
リュシル まぁ! うるさいことは言わないと約束され たではないですか、ムッシュー、それに、あのね、
すべてがうまくいけば! いいですか! 月末には ちょっとした特別手当を断りはしないものだと言っ てもいいです。
エドゥアール ああ、そう!・・・ああ! よろしいで すとも!・・・ぼくも思っていました・・・ええ、
ええ、ええ、(傍白)承知してるさ、ちょっとした特 別手当ね。
リュシル つまり、以上、ムッシュー! それに、こう した家のことを担当しているのは私じゃないの、だ から、充分ではないと思うのなら、よくって、私の 母に話してくださいな。
エドゥアール いやはや! お母さんがいる?
リュシル 何とおっしゃいました?
エドゥアール つまり、お母さんがいる・・・本当の?
リュシル おっしゃっていることが分かりませんが、
ムッシュー。思うに母には会っているはずです、そ うでなければ、あなたはここにはいないでしょから。
エドゥアール ああ! ええ、ええ、確かに。(傍白)
まったく話が分からん。
リュシル よかった! それでは、ムッシュー、母と話 をつけてくださいな。
エドゥアール いやはや!!
リュシル それでも、母がほんの少しの変更にも応じる かどうかは疑わしいけれど。
エドゥアール 応じてくださらない、本当に?
リュシル ほとんど確かね。
エドゥアール よろしい! そうしなければならない以 上、マドモワゼル、受入れます。月400フランでO Kです。
リュシル 週4回のレッスンで?
エドゥアール 4回のレッスンで。
リュシル さあ、結構なことね、ムッシュー。ところで、
よろしければ、始めましょう。
エドゥアール えっ!・・・始めるって・・・こんなふ うに、すぐに?
リュシル 探し物が見つからないまま。 ええ、よければ。
(傍白。)おかしいわね! どうしちゃったのかし ら?
エドゥアール 傍白。 何だ一体! 何を探してるん だ?
彼も目で探す。
リュシル 傍白。 やだ、部屋に忘れたきたんだわ。(大 声で。)ちょっとお待ちくださいな、すぐ戻りますか ら、ムッシュー。
エドゥアールは頭を下げる。リュシルは退出。
第七場
エドゥアール、それからバチスト
エドゥアール ふむ! 短く済んだ! あぁ! この家 じゃ軍隊式なんだ。畜生! 一、二、前に、進め!
これが進歩だ! なんて田舎は遅れてるんだ・・・
つまりだ、このちょっとした色事がぼくをすごく世 に出してくれるわけだ。彼女は出ていった・・・あ そこから・・・
彼はリュシルが退出したドアのほうに向かう。
バチスト 楽譜を持ってきてエドゥアールに渡す。 どうぞ、
ムッシュー。
エドゥアール 何ですか?
バチスト マドモワゼルが「葉脈動物の鈴 Les son- nettes de bête à veine」 と 呼 ん で る 本 で、 ム ッ シューに渡すように言われましたんで。
エドゥアール 驚いて。 「葉脈動物の鈴」?
バチスト はい。きっと植物学の本でしょ。
エドゥアール 読んで。 ああ! 「ベートーベンのソナ タ Les sonates de Beethoven」。
バチスト 本当に? かもしれませんです、でもそれ じゃもう、何の意味にもならんじゃないですか。
エドゥアール でも、彼女はぼくにこれをどうしろと?
バチスト たぶん、読んでほしいんでしょ。
エドゥアール そう? ありがとう。
彼は再びドアのほうに向かう。
バチスト すみませんですがムッシュー、どちらに行く のかお分かりで?
エドゥアール もちろんだよ、きみ、もちろん。
バチスト えっ! では、その部屋が・・・
エドゥアール おい! 何? ひょっとして? 言え よ・・・(ポケットから1ルイ金貨を出して。)だから、
さあ、言えよ。
バチスト 物欲しげに金貨を見て、傍白。 1ルイ金貨!
(大声。)へぇ! そこは・・・そこは寝室です。
エドゥアール えっ! 寝室か、ヴィーナスの神殿、ひっ そりとした聖堂・・・
バチスト マドモワゼルの母上がおやすみになる、ええ、
ムッシュー。
エドゥアール 仰天して、金貨をポケットに戻す。 えっ!
なんだって! 母上だって! 母上・・・、でもま さかそんな!
バチスト 傍白。 それで! おいらの金貨は?(大声。)
すみませんが、ムッシュー。手を差し出す。
エドゥアール 硬貨を渡しながら。 あっ! これはまさ に・・・ほら20フラン。
バチスト でも、ムッシュー、こりゃ1フランです。
エドゥアール そうか、かまわん、ともかく取っておけ。
バチスト退出。
第八場
エドゥアール、それからリュシル
エドゥアール 母親、母親だって・・・なのに、ぼくは 思い込んでいたと・・・あ〜あ! 高い金を払って 手に入れた情報がこれか!・・・
リュシル 手にかなり長い棒を持って。 ムッシュー、これ だけしか見つかりませんでした。
エドゥアール 何です、それは?
リュシル 指揮棒ですわ!
エドゥアール それで、何のために?・・・
リュシル だって、これがないとうまく演奏できないと 思って。
エドゥアール これはまた、おかしなことを考えるもん
だ。
リュシル ほら、そこにいて。椅子に座って、拍子をた とた い てってください。
エドゥアール 椅子をつかむ。 えっ!と言われても・・・
(傍白。)今は家具をたたかせたがってるのか?
リュシル さあ、ほら! (ピアノのところに行く。)あっ!
あまり上手じゃないの、先に言っておくけれど。
エドゥアール 傍白。 ああ! フリーメイスンみたい な試練だ。
リュシル さあ、始めましょう! 拍た子をとって!た い て エドゥアール まあ、いいですけど。でも言っておくと、
少しほこりが出ますよ。
リュシル ほこりですって? さあ、さあさあ!
彼女は曲を弾き始める。
エドゥアール リュシルの後ろで、椅子をたたき始め、いっぱ いほこりを出す。 いずれにせよ、惨めだな! まっ たく。
リュシル ところで、ムッシュー、拍子をとってくれて ないわね!
エドゥアール いや出来るようにやってますよ!
彼は続ける。
リュシル 振り向いて。 まぁ! ムッシュー、ひどいほ こり! 何してるの?
エドゥアール 何って、ほら、たたいてます。
彼女はくしゃみする。
リュシル でも誰がそうしろと言いました?
エドゥアール そりゃ、あなたですよ、マドモワゼル。
リュシル 私が?
エドゥアール あなたがたたけと。
リュシル えっ! そう、拍子をね!
エドゥアール ああ! 拍子! たたかなければならな いのは拍子?
リュシル そうですとも! (傍白。)本当におかしな先 生だわ!
エドゥアール 額を拭って。 これはまた、何としたこ と!
リュシル さあ、また始めましょう!
彼女はまた曲の演奏を始める、エドゥアールは後ろでどうにかこ うにか拍子をとる。少しずつピアノを離れ、拍子をとりながらも 舞台中央まで来る。
エドゥアール 傍白。 ああ、なんたる情事! ああ!
女優のパトロン役というのもすべてがバラ色という わけではないんだ。音楽なんて皆目分からないのに 拍子をとらなくてはならない・・・友人たちに見ら れたら、物笑いにされる!・・・(リュシルは演奏を止 め、エドゥアールが独り言を言いながらも拍子をとっている のを見る。)ぼくは演奏してくれなんて頼んじゃいな い・・・それなのに! 退屈な曲を我慢して聴かな ければならないざまだ・・・それも結局へたくそな
演奏を。こんなことのために来たんじゃないぞ、ぼ くは!・・・つまり、ひとかどの男になるぞ。
リュシル ところで! ムッシュー、何をしてるんです か!
エドゥアール ほら、拍子をとってるんです。
リュシル でも、わたし、ずいぶん前から演奏を止めて いますけど。
エドゥアール ああ! すみません。
リュシル 傍白。 まあ、この人とてもぼんやりしてい るのね。
エドゥアール マドモワゼル、きっとお疲れなのでは?
リュシル わたしが? ちっとも、ムッシュー。
エドゥアール いいですか、音楽はとても素晴らしいも のですが、やりすぎてはいけません。
リュシル だって、始めたばかりでしてよ。
エドゥアール 傍白。 なんと、始めたばかりだと!(大 声で。)でも、もう充分過ぎます、マドモワゼル、充 分過ぎますよ!
リュシル それでも、ムッシュー、週4回しかレッスン がないし、レッスンは一時間だけなんですからね。
エドゥアール だからこそなんです・・・一時間ずっと ピアノを聴かされたら、ぼくらには時間が残らな い・・・
リュシル 何のための?
エドゥアール 困惑して。 えっ? 何のためって・・・
他のことのためです!
リュシル 傍白。 まあ、この人ちょっと頭がおかしい んじゃないかしら!
エドゥアール じゃなくて、ねえ、ぼくを信じて、ピア ノは放っておきなさい! ぼくが帰れば、時間はあ るんですから。さあさあ、蓋を閉めて!
彼はピアノの蓋を閉める。
リュシル 座りながら、傍白。 まさか、これが彼流のレッ スン法なの!
エドゥアール 彼女の側に座る。 さて、お話しましょう!
親愛なるマドモワゼル――こんなふうに呼ばせてく ださい――あなたは牡か蛎きは好きですか?
リュシル 驚いて。 ムッシュー!・・・
エドゥアール 牡蛎はお好きかとお尋ねしているのです。
リュシル 椅子を後ずさりさせる。 とても、ムッシュー。
(傍白。)不安だわ。
エドゥアール 手帳を出してメモする。 それでは、牡蛎 は決まりと!・・・では魚介スープは、どうです!
おいしい魚介スープはどう思いますか?
リュシル 少し不安げに。 一度も食べたことがありませ ん。
エドゥアール ああ! それは結構!(メモする。)牡蛎 と魚介スープ、よし!・・・ところで、何か要望でも?
リュシル 何も。
エドゥアール そもそも、ぼくは最善を尽しますから、
ご安心を。
彼は手帳に書き続け、一枚やぶって折り畳む。
リュシル 幸い、おとなしい狂気だわ。
エドゥアール 封筒はありますか、マドモワゼル?
リュシル そこに、ムッシュー、そこのテーブルに。
エドゥアール テーブルに座る。 深夜は何もなさらない んですよね?
リュシル わたし?
エドゥアール ええ、芝居の後です、今夜。
リュシル でも、今夜は芝居には行きません。
エドゥアール あぁ! 休演ですか? そうか! なお いいぞ。
リュシル 傍白。 このまま独りで出ていかせておくわ!
エドゥアール 封筒を取り、住所を書いて、小声で読む。
モンマルトル通り、ブレバン氏。これでよしと!
こうすれば、深夜に個室をとっておいてもらえる。
(大声で。)親愛なるマドモワゼル、召使いを呼んで いただけませんか?
リュシル 呼び鈴を鳴らす。 今、来ます、ムッシュー。
エドゥアール ありがとうございます。
バチスト 入る。 マドモワゼル、お呼びでしたか?
エドゥアール 手紙と銀貨を渡して。 いいかい、きみ、
この手紙をメッセンジャーボーイに渡して、すぐに その住所に届けてもらえんだろうか。
バチスト わかりました、ムッシュー。
リュシル 遠くまで行かないで。バチストは退出。
エドゥアール さて、よしと! さあ、何についてお話 するとしましょうか?・・・ねえ、少し、あなたの こと・・・あなたの成功について話しませんか・・・
なにしろ、ぼくはまだその芝居を見ていないもので すから。
リュシル どの芝居ですの?
エドゥアール えっ! 『居酒屋の女将』ですともさ!
リュシル まあ! 若い娘向きの芝居ではありませんね。
エドゥアール だって、若い娘じゃありませんからね、
ぼくは。
リュシル あなたはそうじゃない、分かりきったことだ わ! だから、あなたのために話しているわけじゃ ないの。
エドゥアール えっ! いいですか、今夜行くんです。
リュシル ああ! そうなの、ええ、いい考えですこ と!(傍白。)わたしが興味をもつと思っているのか しら。
エドゥアール だって、あのですね、これはただあなた のためなんですよ。
リュシル 驚いて。 まあ! わたしのためですって・・・
エドゥアール ああ! ひとえに!
リュシル ご親切にどうも。(傍白。) かわいそうな人、
彼の歳ではみじめね!
エドゥアール あっ! 目下、あなたの話題でもちきり ですよ!
リュシル 啞然として。 わたしのことで?
エドゥアール もちろん! パリ中が賛美しています!
あなたの名前はみんなが口にし、すべての新聞があ なたを褒めちぎる!
リュシル 啞然として。 わたしを?
エドゥアール だから、あなたにはたくさん賛美者がい るんですよ!
リュシル まあ!
エドゥアール あなたに恋い焦がれる人がいっぱいいる んです!
リュシル ムッシュー・・・
エドゥアール ところが! いや、あなたはこのあらゆ る称賛、あらゆる賛美にも目がくらむことがない!
そこで、いつも、栄光の最中で謙虚に、平然として おられて、外部のことには無頓着のようだ。名声は しばしば高慢を連れてくるものですが、あなたに影 響を及ぼすことはなく、あなたのもてなしはとても 感じがいいので、あなたの前でもすぐに気楽な気分 になる。だから、ねえ、ぼくがさっきおずおずと震 えながらあなたのところに来たとき、あなたは追い 返したりせずに招き入れてくれました、演奏で・・・
たくさん演奏してくれさえして歓待してくれまし た、それで、失敗を予想していたのに勝利を勝ち取っ たのです! 追い出されるんじゃないかと不安でし た、ところが、単に居させてくれるだけでなく、光 栄にもブレバンの店でちょっとした夜食をとること を承知してもいただけた。ねえ、マドモワゼル、親 愛なるマドモワゼル・・・、言わせてください、あ なたは天使のような人だ。
リュシル おびえて。 充分ですわ、ムッシュー、もう 結構よ・・・
エドゥアール とんでもない! いいえ、充分じゃあり ません! ぼくは金持ちで、財産があります! あ なたのお望みのものは何でも持たせてあげたいんで す! どんな気紛れも即座に叶えてあげたい!・・・
月400フラン、本当にそれで? でも、その二倍だっ てあげますよ! 三倍だって! あなたの望む以上 を! 食事のたびに牡蛎を食べればいい、お好きな んだから! でも、ぼくを、ぼくのことも少しは好 きになってほしい。(彼女の手をとる。)ねえ、ぼくを 少しは好きになってくれますよね?
リュシル おびえて。 まあ! 放してくださいな、ムッ シュー!
エドゥアール 何と! ぼくのことが分かっていないと は! 『ロメオとジュリエット』、『ポールとヴィル ジニー』、『ダフニスとクロエ』、『エロイーズとアベ
ラール』は読んだことはないんですか? つまり!
以上がぼくそのものなんです、ジュリエットのいな いロメオ、ヴィルジニーを奪われたポール、クロエ を探し求めるダフニス、そしてアベラール・・・い や、アベラールは関係ないか・・・つまり、ぼくが 選んだのはあなたで・・・好きなのはあなたなので す、恋で気が変になったのです!
リュシル おびえて。 気が変! やっぱりだわ・・・
まあ! 大変、どうしよう? おびえて、後ずさりする。
エドゥアール 来て、ぼくの側に来てください。
リュシル あっ! 放して!
エドゥアール なんです、こわいんですか?
リュシル あぁ! どうか、放して!
エドゥアール ところで、あなたを苦しめたくありませ ん。でもだから、そんなふうに震えないでください、
さあさあ、ぼくの発言の中にあなたをこわがらせる ようなことがありましたか?・・・しかしながら、
とても・・・理屈にあったことしか言っていないの に!
リュシル 震えながら。 ええ、ええ、ムッシュー、と ても理屈にあった。(傍白。)絶対逆らってはいけな いわ。
エドゥアール 座りながら。 ねえ、ご覧のように・・・
ぼくはとても平静です、座りましたよ!・・・これ でもうこわくない、でしょ?・・・正直、子供じみ ていましたね。
リュシル まあ! ムッシュー、あんな話をわたしに!
エドゥアール まあまあ! では初めてなんですか、こ んふうに話しかけられるのは?
リュシル まあ! ムッシュー。
エドゥアール しかしながら、思うに芝居では・・・
リュシル 芝居では?
エドゥアール もちろん! 女優なら・・・
リュシル 女優! 誰が?
エドゥアール そりゃ、あなたが。
リュシル わたしが! 女優!
エドゥアール 間違っていたかも知れないと疑いながら。
ええ、もちろん!・・・
リュシル 絶対そんなことなくってよ、ムッシュー!
エドゥアール えっ! 何ですって! あなたは・・・
あなたは・・・でない?・・・
リュシル 全然違います!
エドゥアール 間違っていたかも知れないと疑いながら。
デュバロワ嬢では?
リュシル デュバロワ嬢ですって、なんて馬鹿なこと を!
エドゥアール ああ! 冗談でしょう? 本当は冗談な んでしょう?
リュシル 本当のことよ、誓って。
エドゥアール でもそれじゃ、ぼくには・・・分からな いな・・・頭がはっきりしない・・・どうしてここ にいるんだ?
リュシル 実際、ムッシュー、わたしにも分からない わ・・・どうしてかしらね。
エドゥアール 混乱して。 あっ! あなたにも分から ない?・・・ぼくみたいに・・・どうしてなんだろ う・・・ぼくら二人とも、どうしてなんだろうと思っ ている・・・(傍白。)絶対に滑稽にみえるはずだ。
リュシル 突然。 待って・・・分かった気が、そうだわ、
それよ!・・・お隣さんは女優なの、その人がデュ バロワ嬢のはずだわ、すると、あなたは家を間違え たのね、以上。彼女のところは2番地の2、ここは ただの2番地。
エドゥアール 啞然。 えっ! ・・・何番地ですって?
リュシル 2番地! もちろんよ!
エドゥアール 啞然。 えっ! 2番地・・・まったく 驚きだ! 家を間違えて隣の家に・・・それに対し てぼくは・・・ぼくの帽子はどこです?
リュシル はいどうぞ、ムッシュー。
エドゥアール ああ! マドモワゼル、申し訳ありませ ん、お恥ずかしい・・・
リュシル さあ、誰でも間違うことはありますわ、ムッ シュー。ねえ、わたしだって、あなたをピアノの先 生と間違えていたんですもの。
エドゥアール ぼくを、ピアノの先生と! だって、ぼ くは弾けませんよ。
リュシル あなたをわたしの演奏で疲れさせ、あなたに 拍子をとらせたわけはそれでなの、拍子をとるのは ずいぶんへたでしたけれど、それは当然だと思わな
いといけないわ。
エドゥアール あっ! それは一度もオーケストラの指 揮者なんてやったことはありませんからね、ぼくは、
ね!
リュシル とにかく、ムッシュー、すべては説明がつい たし、解決ね。
エドゥアール 申し訳ありませんでした。
リュシル お辞儀して。 ムッシュー、さあ、自由を返 してあげますね!
エドゥアール 分かりました、マドモワゼル。
リュシル デュバロワ嬢はお隣ですからね。
エドゥアール ああ! もうデュバロワ嬢のところは行 きません、はっきり言って、もう行きたくなくなり ました。(少し興奮して。)マドモワゼル、いつかその うち、たぶん近々、失礼ながらあなたに紹介される 日があればと思っています。
リュシル まあ! 社交界で再会しますわ。
エドゥアール 今日はとても奇妙なかたちでお知り合い になれましたが、そんなふうに正式に交際を始めら れたらいいなと思っています。
リュシル 偶然の助けがあるといいですね、ムッシュー。
エドゥアール ああ! 必要な場合は、ぼくが偶然を助 けますよ、マドモワゼル・・・(お辞儀。)マドモワゼル!
リュシル お辞儀。 ムッシュー。
エドゥアール マドモワゼル・・・(傍白。)さて、ひと かどの男になるためにやって来たんだが、それがこ んなブルジョワ家庭でとは思ってもみなかった。
幕
解 説
自分の文章を引用することから始める。「翻訳に用い たのは、Feydeau, Par la fenêtre et autres pièces, La- rousse, 2006. である。「窓から」を始め、「恋とピアノ」、
「極悪人」、「婚約者の卵」の四編が収められている。ど れもが好奇心を刺激するタイトルである。「窓から」以 外の作品も、機会と翻訳エネルギーがタイミングよく結 びつくことがあれば、訳すかもしれない。」(「フェドー
『窓から』翻訳と解説」福岡大学研究部論集2010年11月)
つまり、用いたテキストは同じで、その中の「恋とピア ノ」を機会と翻訳エネルギーがタイミングよく結びつい たゆえに訳すことができた次第である。さらには今年5 月出版予定の翻訳小説の校正をしていた時期でもあり、
エルキュール・ポワロ言うところの灰色の脳細胞が翻訳 意識に染まっていたことも幸いしたかもしれない。
「恋とピアノ」の初演はコーマルタン通り、アテネ劇 場。作品が出版されたのは1883年、作者フェドーが21歳 のときのことである。(同じ年の文化的、芸術的出来事 を指摘しておくと、スティーブンソンの『宝島』、ニー チェの『ツァラトゥストラかく語りき』、ユゴーの『諸 世紀の伝説(3)』が主なるものである。) フェドーは 同年12月に「運悪く」兵役でルーアンに送られ、第74歩 兵連隊配属となる。
「恋とピアノ」を一層享受できる助けになると思われ る特徴を指摘しておく。リュシルという若い娘がピアノ の家庭教師を待っている。そこにエドゥアールという若 い男が――実は間違って――訪ねてくる。最初から二人 は共に勘違いしている。リュシルはエドゥアールをピア ノの先生だと思い込むし、エドゥアールは評判の女優―
―彼女に色々手ほどきしてもらいひとかどの男になる意 気込みなのだ――を相手にしていると思い込んでいる。
勘違いが解消されて芝居は幕となる。だから、勘違いが 解消するのを妨げて、最後まで勘違いを引き延ばす仕掛 けが作者フェドーの劇作術の見せ所であり、観客の笑い
を誘う所になる。冷静な第三者である観客も、馬鹿馬鹿 しくて愚かで滑稽な勘違いにつき合ってみようという気 になる。
勘違いを維持する技法は人物、言葉、状況、感情など いくつものレベルで、効果的に駆使されている。たとえ ば、エドゥアールは田舎者の間抜けな人物――間抜けと いうのはフェドーの芝居に遍在する典型の一つである―
―という設定であるから、パリの事情には疎くても当然 だし、色々間違うこともあるだろうと観客は納得する。
言葉による勘違いの例も多数見受けられる。リュシルと エドゥアールがオプセルヴァトワールを話題にしている 場面を思い浮かべてほしい。同一の単語の多義性が巧妙 に用いられている。言葉の喜劇性はフェドーの真骨頂と も思えるほどに見事であり、作者が嬉々として言葉遊び を楽しんでいるような印象を観客は受ける。状況につい て言うと、間違いを正してくれる母親が舞台からは排除 され、不在の状況が初めから用意されている。そして、
リュシルは、エドゥアールを変な先生だと思いながらも 好奇心の方が勝り、ピアノの練習には飽き飽きしたとひ とり不満を洩らしていたのとは違い、この若い男との会 話には飽きることがない。それに、好奇心は恋の始まり なのだ。さて、芝居はズレの連鎖と増幅でねじれた糸が 何かを契機にまっすぐに復元するように勘違いも解消 し、新たな展開、その後を予感させて終わる。
最近よくピアノ曲を聴く。全部を挙げることはできな いので何枚かだけに止めて紹介しておくと、エディ・ヒ ギンズ・トリオ『アモール』、キース・ジャレット『マ イ・ソング』、ニューヨーク・トリオ『過ぎし夏の想い 出』、ハロルド・メイバーン・トリオ『ミスティ』、ボ ブ・ジェイムズ『レストレス』等々。それは無為のぼん やりした時間にしずかに流れていることもあれば、こう して原稿を打ち込んでいるときに余りに美しい旋律を聴 かせて心地よい短い休憩と夢想をもたらすこともある。
いくら聴いたところで、「恋とピアノ」のように恋をも たらしてくれるわけではないけれど。まあ、それはいい。