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東京芸術大学附属図書館蔵『利久居士茶道百首』攷―附釈文―

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東京芸術大学附属図書館蔵『 利久居士 茶 道百首』攷―附釈文―

趙亜男

*

江戸時道におて、千利休の教えと見れるを和歌の形にした「利休道歌」が世に伝わりく知らる。在にいっても、「利休道歌」「利休首」の注釈書類が相いで出版されり、茶者やたちに愛用されている。小論は、これま検討さいない東京芸術大学附属図書館所蔵の『利久居士茶道百首』以下芸大本と称す)を研究対象とし

その成立年代と構紹介したうえ、他伝本と校合、芸大本と「紹鴎百首」との分析し、本伝本の意義を試論した

本と校合結果紹鴎諸伝本と同じ歌を数首持ってることから、「休百系統より百首」系統により近いが分かった。そし筒井紘一氏を代表とする先研究成果踏まえ小論はの説

する。芸大本は、千利休以降茶の湯が遊芸化から精神化へと発展しる江戸中後期、ある流派の茶人が侘茶の宗を目指して千利休の冠し作しである。現存諸本のなかに百整っる最古のとして、そには作者の集意識が現れて考え

最後に、茶道百首の究に新しい情供することと、茶道流派にける家元シテムの成立と発展に対す研究に、本の意義があ論じ

キーワード:「利休利久茶道百首百首

*ちょ

茶書文献

137

(2)

1

はじ

において、利休の教れるも歌の形にした「利休道歌」が世に伝わり、よく知られいる。現在におい利休道歌」利休百首」の注釈書類が相次い出版さてお

残されいる 『利休百首』『遠州百首』『南坊二百首』と称する四つ ので。こ ある時点たのが「茶道百首」と呼ばれるも 道歌を生み出す茶道界の動向に刺激され江戸初期の 連する記述が次の二見られる。 次に、筒井紘一氏著『茶書の系譜中には百首の系統に関 ると指摘した 首』紹鴎茶百首』『遠州侯茶道百首』とは同じ系統に それらが三つの系統に分れと、そし吃茶詠一百四十七 月)吃茶詠一百四十七首』本の伝本との校合 百首歌中心に―」語研究藝篇○七年一 めぐる石研究る。氏は「利休教歌の系統と展開― 先行研究で、まず注目したいは「茶道百首」の系 に関わる研究がそれほどなされないの実情る。 してしてれて心が (1)、茶の初心者や茶人たちに愛用される。それに対

(2)

江戸後期になると以上の百首歌とは別系統に属する道歌・教訓歌もいくつか伝えらる。

(3)

または同伝本のを行い、較した果、休百首」、「紹鴎百首」、州百首」という題はつ結局は数首のがあ 持つものであるとことであ

芸大本と「紹鴎百首」との関係とその意義の解明を試みたい。 成立年代と構成内容を紹介し、さらに他伝本と校合 論は、先研究成果まえて大本を取り上げ、まずその いるにもかかわらず、検討されてこなかった。小 文学研究資料「日本古典総合目録データベース」収録さ 本と略称する)が上述したような特別の存在る。本書は国 東京芸術大学附属図書館所利久居士茶百首』以下芸大 は、一つ一つ調する他な る。したがっ、記されいる諸本が実際にどの系統に属す するものではないことも、本文の列と内を比較すれば分か してべて同一 として記載さいることが確認。なかには、同書と 首」、「紹百首」、「遠州百首」という三つの作品が茶道百首 『国書総目録』古典籍総合を調べろ、休百 (4)という結論を付け

芸大本の書誌立年

京芸術大学付属図書館上野校地図書館本館に所蔵さり、整理番号791/4ある。袋綴。縦二三・六×横十九糎栗色表紙があり、左上に縦十四×二・九糎の題簽が貼付される。外題は以下の通り利久居士茶道百首久羅婦山香道壽賀に序文がれ、上に「東京

╲ 術大学

╲ 図書

という単郭朱色の蔵書印が見れる以外、他所に蔵書は存し

(3)

ない。『利久道百首、異なる日付が二箇所記される。一箇所は巻頭に附される序文の直後にある。慶長三戌年利休居士十月札朔日宗易もう一末尾安永二巳年霜月朔日岩波氏舄

((

ママ

)

慶長期(一五九六~一五)『見咲三百首和歌が既に版行されたと見られる。しかも筒井紘一氏は『茶書の系譜』それに利休百首道歌の原形なす歌がられてい、『三百首と利休百接な連を

そのまま信ずとはできない 初にまとめたの「慶長三年」といとになるわけだが 前に発表された論文には、筒井氏は「本書によると利休百首」 それに関『茶書の系譜』には論及ないが、同書より一年 と略称する)の奥書には「慶長三年三月日」と記されいる。 され湯百首附続湯百首』(以下今日庵 さらに、慶長(一五九八)の年紀は日庵文庫 (5)

がで 書が「利休」の名首にた最あるということ 永五年(一七○八)よ数年以前るから、 し元禄年間には「乙丑」の年はない。だが、湯秘抄』 元禄年間にまとたものあるがわかる。 して そして、今庵本の代につて、同は次の (6)と述べいる。

(7)

芸大本の成立年代についは、写本の末尾に書かれいる日 付によると、安永二年(一七七三)に書されたと判断すとができる。前述した筒井氏見解に照ら合わせ見ると、芸大本のは今日庵本よ十年遅いといとになる、筒井氏「慶長三年」憑性は期れないが、芸大本文に書かれいる「書侍れは漸百首にに基づけば、慶長期には「茶湯百首」と意図的にまとめ文芸的営為がに始まった可能性が全くないわけではないと考える。というは、茶湯の歴史においてよく注目される数出来事が慶長期に起きたからである。代表なことをれば、疑問とされる慶長三年には、一番知られいるのは千利休の切腹に導いた人物となる豊臣秀死去ろう。そして長四年九九)長近(宗和の父)将とほか三十人ほど堺衆との花見に出かけ、「利休妄魂額を打ニナイ茶屋」持ち出したと『松屋会記』に記録されいる休が自殺して以降、わび茶の道統がたようだが、慶長年間千少庵とその子宗旦は利休の茶の湯ぐる再興活動も開始しる。谷端昭夫氏が指摘しいるように、「慶長年間は政治史上豊臣川勢力が相争う激動期あった。茶道史でもこれは同様で、利休亡新たな茶の湯が模索され、幾らかのスタイルが形られ始めいた

と考える の教諭目的に、道百首」をまとめとはありうる推定 道統を取り戻とし人たちは道の心や手前の次第 当時のの湯主流とし及しよとして、あるいはわび茶の の下、を代表と武家の茶者は武家茶 (8)その

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(4)

芸大本と紹鴎百首の関係

芸大本利久居士茶道百首「炭寸法之覚」(原本に付けられて、「十六首和百首歌」小論者が後に付した題名)という三つの部分よりされる。小論「炭寸法之覚」は後考委ね、まず「二十六首和歌」にいてめる

1 芸大本「 二十六首 和 歌 」と「 武 野紹鴎茶 歌百首」 「それ以外 の 紹

鴎茶道歌」の関係

まで調査しえ本と板本のみならず、先行研究においても「十六類似一首も見えな唯一、根藩資料調査研究委員会によっ編集した『史料井直弼のの湯上』に収録され、井伊直弼がまとめた『茶集』

の異なる箇所に傍線を付した) に二首つ見出された。以下はその対照ある(両本文 (9)「武野紹鴎茶歌百首」と「それ以外の紹鴎茶道歌」

【表一】芸大本二十六首和歌」「武野鴎茶歌

貴人なとあい客ならは我たな貴人なと相ハ我かたな

はなかみしてかへにもたせよはな紙しきて壁にもたせよ

こほしさより少さけこほしハ膝先へ出

おけきをうつにものけりすゝ 芸大本二十六首和歌」「そ外の道歌」

上のたなくはんと羽箒外にまた上の棚鐶と羽箒にまた

羽とかうはもかさるものなり羽と香合とかさるものなり

茶巾を水さしのまへもは又茶巾を水指のうへもしハ又

ひさくお置へき棚の端

右の対照表から分かるよに、十六首和歌」武野紹鴎百首」た、「二十六首和歌」それ以外の紹鴎茶道歌」とは同じ意味を持つ漢字と仮の置外完全に一致する。傍施した四箇所に存在しる相違除けば両者は同様のものと見られる。さて、「とはようなるのだろうの疑問を解明するために、まず注目したいのが野紹鴎茶歌百首」と「それ以外の紹鴎茶道歌」の間に書き加え伊直弼の注記る。

右紹鴎茶歌百首世々数本あり入たる歌と又除きたる歌と互ニ乱し一様なす、上ニわすハ分ニ入た歌ともをゑらむ也、猶右之外ニ伝はり記す

(10)

右の注記か分かるのは次の三点となる①紹鴎茶歌百首が世々数本流布しいた②収録された和歌が混乱したため「武野紹鴎茶歌百首」は不完全で③「それ以外鴎茶道歌補充したものこの、「は恐らく井伊直弼が当時触れた〈紹鴎茶歌集成〉のようなもの

(5)

となっいたのだろう次に、同書は『茶道歌本文だけその書誌情報、成立、容などについ詳しく指摘いる。の校合成果によると、「武野紹鴎茶歌百首」の内八十一首外の紹鴎茶道歌」五十三首の内二首が続群書所収『紹鴎茶湯百首』下続群書本と称すほぼ同じある。上述した井伊弼のと併ると、「武紹鴎茶歌百首「それ以の紹鴎茶道歌」の底本は続群書本以外別に存在すとには疑問のがな文学研究資料館「日本古典籍総合目録デス」に録されいる鍋島報効会から佐賀県立図書館に寄託の『紹鴎百首』(以下佐賀本と称す)は続群書本の異本るにもかかわず、修氏の研究成果

鴎百首系統に属する異本の一部分ある蓋然性が高い 以上の、「二十六和歌」続群書本と佐賀と同じ 存在するが分かる (11)を参考佐賀本の他にも異

2 芸 大 本「百 首 和歌 」と続群 書本、佐賀本の関係

各伝本との関係をかにため、れを次の七本の伝と校し、和歌列と有無を文末の和歌配列表にした休百首和歌』(架蔵本)江戸後期九十首②版本茶湯百慶應本)宝暦二年(二)九十四首慶應義塾三田メデセンター請求記号:一二八―八―③写本『利休謌』(東大1)江戸九十四首東京大学総合図書館南葵文庫所蔵 請求記号:Y十―五六④写本『利休百首』東大本2)暦二年七九十八首東京大学図書館南庫所請求記号:Y十―六八⑤写本『利休教諭百首蔵本2)江戸後期九十九首⑥写本『紹鴎佐賀江戸後期百首鍋島報効会から佐賀立図書館に寄託請求:九九一―二○三九―九一・⑦写本『紹鴎百首』書本)文政一年(一八二八)

百五首マイクロ請求記号十―一四六―一―六一文末のを概観するに、②慶應本③東大本1は配列におい全に一致し、①架蔵本1は両本との配列が異なるが歌の有無がほぼ一緒め、三伝本は同じ系統(小論で應本系統と称す)に属するとが一目瞭然ある芸大本は他の対して、どのようなあるのだろうかの歌の有無状一見するだけらかなように芸大本、⑦続群書本と⑥佐賀本三伝本の内八首の和歌が上述した慶應本系統の三伝本と④東大本2めた四伝本の伝書に存せず、さらに芸大本と⑦続群書本両本の内の二首も見えない。芸大本、⑦続群書本と⑥佐本三伝本の異同り分かりやすくするめに、文末に対照表をした(後掲【表二―一、二―二照)傍線を施した部分を除けらかに三本本文は一致しいる。他の伝本に比べ芸大本にのみ存在する歌と芸大本にのみ存在しない歌がそれぞれ数首あことに基づて、芸大本は⑦続群書本、⑥佐賀本と同系統に属するとまいえない

141

(6)

が、少なくとも慶應本系統より、芸大本は⑦続群書本、⑥佐賀本により近いというとは認めいと思う。

「二十六首和歌「百首和歌」に見る芸大本の意義

文献資義を判断するとき、重要な手段と見られる制作者の分析る。しかし、芸大本の制作者が不明のため本節でその内容「二十六首和歌」「百首和歌」がかりとして芸大本の意義考察したいと思う首和のすべて節でとはに明にした。異なる歌というものの、掛物・茶入る歌は七伝本かり、露地に関しは「利休教歌三十一首」

られ一つ特別な存は貴人に関する歌 (12)に同類のも見

なとあい客ならは我かたなはなかみへにもたせよ

前文ように、歌は「武野紹鴎茶歌百首」にもある。ほかにはではないが、烏鼠集』には貴人に対する文が四十五か条がある

(13)。 『

遣いをす条文が七か条あると桑田忠親氏が「片桐石州と茶道芸術」指摘いる。「道」

「百首ては、実数百首に整ている の色彩が残された 箇条』続い芸大本はその変遷の末尾にあり、「家茶道」 るため、貴人条文が逓減しる『烏鼠集』と『石州三百 (14)の色彩を持貴人点式 につ

は次の通 論を進めたい。成立時期かべると、上述した三伝本の順序 いるか、そし歌の入れ替えと異動に示されるもいて 芸大本、佐賀本、護普須磨』間にどような関係持っ (15)を加、同百首の持つ

芸大本(一七七三年)紹鴎百首佐賀本(一八一八~一八九八年)法護普須磨(一八五六年

内容に関ては、芸大本と佐賀本につい対照しると、賀本は芸大本に比べ手前の心得や炭前、茶及薄茶に関わる十四首の和歌を添加しとがわかる

(16)

何に道具扱ふ其時は取手はかろおく手重かれ

口広き茶入の茶は汲と云せはき口をはすくふとそ云

筒茶碗ふかは底よりふきかれ内へ手はやらぬもの

客になり炭するならはいつとも薫物なとは客たかぬもの

崩れ其白炭をとり上て又もまた置はなき

風炉には炭はなきもの見ぬ迚も見ぬそ見ると知へし

何に道具置付かゑる手は恋し人に別るるとし

茶入より其茶すくはは心得中後すくゑれか秘事也

湯を茶碗に入る其時は柄杓はくな我が肱を

花見より帰りの人に茶の湯せば花取来る絵も花も置

不時なとに客の手前を心はささは慎しめ

右の手扱ふ時は我心左の方の手の内にも

は道に又遅くところどころにむらあるをい

(7)

板床に葉茶壺茶入名物をかさらぬものと伝へ

紹介を心に」二五二六一頁参照)らの和歌は法護にも存る。それか、上記四首のほか、芸大本と佐賀本両本と対比すると、法護普須磨はそれぞれ八首、十首のと修業和歌加した。

「芸大本と佐賀本両本ない八

稽古とは一よりらひ十をしり十よりかへもとの

茶の湯をハこころに染にかけす耳そはめ聞事も無

水と湯と茶巾茶筅に箸やし柄杓と心あたらよし

茶はさはあつくもてなせよ道具はいつも有合にせ

茶の湯にハ寒菊に木葉実落青竹枯木暁のしも

茶の湯とハ只湯をわし茶を点てかりなる事と知へ

本来もないにしへの法な極る本来の法

規矩左法護り盡し破るとも離るると「芸大本に存佐賀本に存しない二首

目にも見よ耳にもふよ香をききてとゐつつ能合点せよ

ひをは塵芥そかし書物し張にな黎明期の茶の裏千家十一代玄々斎宗室の

(17)

「利休居士教諭百首詠」翻刻一七九~一八○頁参照)

逆に、芸大本にあった十三首の和歌は佐賀本と法護普須磨にはなく、佐賀本にあった十の和歌は法護普須磨にもない。しかも、十三首と十二首は完全に異なる内容る。「芸大本に存佐賀本と法護普須磨に存しない十三首」

花いけはゑんのらすなその花のつる物な 其花のゑんのきしる時はあかたふたつ合に白

いけはあいをきな続よくさい〳よくかてんせ

細口の花いけならはいつと水す入生るもの

四畳半大目にむかはふり三つめ大小による

き釜さくは内へいるなへかけおけ

わくちとてふちへふな

よの中にふくささはきをてまはしにきりてふくはこのま

ひさひの

音たかく茶んのふを茶杓に又なきあやまりそかし

下手を見す人らへのつとはしれす

功つめ習はぬといつとなくしせんにかなふふしりけり

よしあしはそのにしへの和尚よりつたへをきし書物にとへ(本稿芸大本翻刻参照「佐賀本に存し法護磨に存しない十二首」

茶杓翻しをたた人多しとてくもの

夏ならは炭をさいろうかな火はし地の香ぬる物としへし

夏なとは水次もまたかねかよし冬は塗たる志の片口

夏目に濃茶をたていつとするときは服紗に

我呑しすすきの跡をいたたきてあやまるあしらひと聞

輪口を姥口すへに居へてよきされとかふ見合て

中央に香匙筋指すならは灰左なり火はし右なり

薄板は長み一尺寸五分ろさは九寸とそ

絵によて花に心はおぬ風にく草花はなし

兼てより約束しける客ならは心は真に業はかろ

壺に茶をたるにはすくふともくむともいすさしぬくと云

何にも花を拝見する時は扇るをぬきて見るもの

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参照

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