上越教育大学障害児教育実践センター紀要,第
13巻
,7‑12,平成
19年
3月
根拠に基づ く教育実践 と心理学
意 羅 修 吉*
特別論文
根拠 に基づ く教育実践 においては,①対象児が抱 える困難 とその背景, さらに活用可能 な資源 を明 確化す るアセスメ ン トを実施 し,② それ らの情報 と先行研 究の知見 を基盤 として支援計画 を作成 ・実 行 し,③ その効果 について検証 し適切性 な らびに効率性 を吟味す るこ とで支援計画の維持 あるいは修 正 の判 断 を行 う, といった循環 を形成す る必要がある。根拠 に基づ く教育実践 に対 して心理学が貢献 で きる点 としては,認知諸機能 に関す る査定 ・評価方法 を開発す ること,子 どもの認知特性 を理解す る上での理論的枠組 み を提供す ること,の 2 点 を指摘す ることがで きる。本稿 では,心理学が これ ら の点で貢献す る際 に解決すべ き課題 について論考す る。
1.根拠 に基づ く教育実践
現 在 , 「根 拠 に基 づ く医 療
(Evidence‑Based Medicine;EBM)」 あ る い は 「根 拠 に基 づ く実 践
(Evidence‑BasedPractice;EBP)
」 とい う用語 は, 医療関連諸領域 において既 に定着 した もの となってい る
。EBMとは, 医療 関係者が現時点で客観的 に最 も信 頼で きる と思 われ る根拠や証拠 を提示 した上で,患者 一人一人の特有の臨床症状や価値観や期待 な どを考慮 した医療 を行 うための行動指針 の ことである。す なわ ち
,EBMは,科学 的な手法 に よ り得 られた最新 の信頼 性の高い情報 に基づ いて患者個人あるいは集団のヘ ル スケアを実践す ることを目標 としている。治療者側 の 経験則 に依拠す るだけではな く,研 究の蓄積 とその知 見の効果的な活用 を重視す ることによ り,ヘ ルスケア の質を向上 させ る とともに不必要 な医療行為 を可能 な 限り低減 させ ることが期待 されている。 この動向は, まずは医療 関連領域 に広が り,臨床心理学や学校心理 学 を含 む 心 理 学 関 連 諸 領 域
(e.g.,
American PsychologicalAssociation,2005a,2005b;Gettinger&
Stoiber,2006;Kratochwi
l l&
Shernou,2004:Sherno氏 Kratochwill ,&
Stoiber,2003;丹野
,2001;内山 ・坂野,
2004;Westen&Bradley,2005;Winocur,Palmer, Stuss,Alexander,Craik,Levine,Moscovitch.&
Robertson,2000),
そ して 教 育 の 領 域
(e.g., Duchnowski,Kutash,Sheffield,&
Vatlghn,2006;Lyon&Chhabra,2004;Slavin,2002;Soriano,Duenas,
● 香川大学教育学部
&
LeBlanc,2006)において も急速 に波及 して きてい る。
EBM
や
EBPの理念 は,発 達 障害 のあ る子 どもたち へ の支援 に関わる教育実践 の領域 において も考慮 され るべ き内容 を含 んでお り,その重要性 を指摘す る意見 が述べ られ る ようになって きた
(e.g.,恵
薙,2002;平 谷
,2001;大庭
,2005;宇野
,2004)。最近,教育実践や 心 理 臨床 の 領 域 で は
,Evidence‑Based Practice(EB㌢)
あ るい は
Evidence‑BasedIntervention (EBI ) とい う用語 が使用 されてい る1 ) 。 医療 と教 育 の違 いは存在す るが,教育的支援であろ うと,支援す る側が 自らの経験則や直感あるいは先輩や権威 ある者 の ( 根拠 な き)言説 に依拠す るので はな く,客観的 な 情報 を もとに確 か な理論的根拠 を主軸 とした支援計画 を作成す ることが求め られてい る。 また,支援 の実施 に際 して,その支援計画の適切性 や効果 を検証 し,支 援計画 を変更 ・修正す る といった仮説検証的な循環 を 形成す る必要があ る。す なわち,根拠 に基づ く教育実 践 は,①対象児が抱 える困難 とその背景, さらに活用 可能 な資源 を明確化す るアセスメ ン トを実施 し,② そ れ らの情報 と先行研 究の知見 を基盤 として支援計画 を 作成 ・実行 し,③ その教育的介入の効果 について検証 して適切性 な らびに効率性 を吟味す ることで支援計画 の維持 あるいは修正の判断 を行 う, といった循環 プロ セス を形成す ることが望 ま しい
2)0
この ような根拠 に基づ く教育実践 を可能 にす るため
に,心理学 なかで も認知 に関わる心理学 あるいは今 日
急速 に発展 してい る認知神経科学 は,如何 なる貢献が
意 羅 修 書
可能であろうか
3)。大 きくは2点 を指摘することがで きるであろう。一つは,認知諸機能に関する査定 ・評 価方法を開発するであ り, もう一つは,子 どもの認知 特性 を理解する上での理論 ( 概念)的枠組みを提供す ることである。両者は,相互 に独立す る ものではな く,相乗的に発展する関係にあるといえる
。心理査定 は,単に診断 し選別するためのものではな く,対象児 の認知特性 を明 らかにす ることを目的 としている限 り,最新の認知科学や神経科学の知見 を考慮 した手続 きの設定や課題材料の選択が重要 となる。われわれに とって必要 なのは,単 に測定す るための検査 ではな く,その背景に理論的枠組みを有 した検査である。逆 に言えば,理論的枠組みに関する研究は, より洗練 さ れたアセスメン ト技術の開発を基盤 として成立するも のであ り,新たなアセスメン トの開発が理論的枠組み を変更するきっかけとなる可能性がある。発達支援 に 関わる心理学研究者は,以上のような貢献をその役割 として,現場の教育実践者 と緊密 な協力関係 を形成 し,根拠に基づ く教育実践 を構築するための一翼 を担 うことが求め られている。
2.
「 査定 ・評価」研究における方法論的課題 心理学を立脚点 とした場合,査定 ・評価は,根拠に 基づ く教育実践の要 となるものであるといえる。知的 機能を査定 し,その結果に基づいて実行 された教育実 践の効果を評価することは,個別の支援計画の根拠 を 本人や周辺の支援者に提供する上で極めて重要な作業
となる。
これまで実験的な認知心理学 は,基本的には,人 ( あるいは動物)の認知機能に関する一般法則 を解明 することを目的として きた。このような一般法則 を探 究するという傾向,すなわち法則定立的アプローチ
4)は,障害を対象 とした場合には,原因論的研究を推進 してきたといえる。原因論的研究は,主 として,手続 きに群研究を採用する。一般にいえば,多人数か らな る群 を対象 とした研究の成果は,集団の代表性が高 く,結果の信頼性が増 し,得 られた知見が一般化 され る可能性が高い。個体 問の再現性 を重視す る群研究 は,障害領域においては,研究の標的 となった疾患の 原因論的理解に大 きく寄与 してきた0‑万,教育実践 の現場は,当然のことなが ら,対象 となる子 どもの特 性 を重視することになる。心理学研究が子 どもの特性 の査定 という点で教育実践に貢献するためには,一般 法則の探究のみならず,個人差要因の探究すなわち個 別性の把握を視野に入れること ( 個性記述的アブロー
チ)が必要 となる。
支援 という観点か らみた場合,原因論的研究の意義 は,そこで捷供 された標的疾患の基底的な障害に関す る仮説が,個の状態 を推察 し理解する上で有効なプロ トタイプ とな りえているか どうか とい う点 に収束す る。発達障害の領域における原因論的研究は,残念な が ら,各個の治療教育プログラム作成のために参照さ れるようなプロ トタイプを提供するには至っていない ように思われる。 自閉症や注意欠陥/多動性障害など 個々の状態像 に大 きな差異が存在する症候群では,そ れ らを概するプロ トタイプは,抽象的にな り過 ぎて, 個 を理解する上での利用可能性が低下する傾向が生じ やすい。すなわち,原因論的研究で提供 されるプロト タイプは,それが包括的になればなるほど,個別性が 排除される危険性 を有 している。ある疾患群 とその疾 患 を伴わない統制群 を設定 した群比較研究において, ある指標で有意な群間差が認め られたとしても,その 検査が個々の子 どもの機能査定に役立つことを直接的 に支持するわけではない。いずれかの群 において当該 検査の遂行に困難を示す ものが少人数で もいれば,統 計的な有意差 を得るのに充分な差異 を得ることが可能 であるか らである
(e.g.,Grodzinsky&Barkley, 1999)。 この ような点を危倶 し,例 えば自閉症に関す る研究のなかには,疾患内の異質性や各事例の独 自性 を強調す る もの
(Happe,Ronald,&
Plomin,2006; waterhouse,Wing,&Fe
in,1989),あるいは適切な研 究デザインとして単一症例研究を推す意見が出されて いる
(Dunn,1994)。以上 よ り,発達障害を対象領域 とした場合には,症例研究の蓄積の延長線上に位置づ くような群研究が,いいかえれば,事例間の共通項を す くい上げるとともに群内の多様性 を尊重するような 研究が求め られているといえる。
現時点では,これ らを充足するような研究方法につ いて共通理解が形成 されているとはいえない。 しかし なが ら,現段階でいえることは,今後期待 される研究 パ ラダイムでは,症候群の等質性 と異質性,個人差, 事例の独 自性,個体内再現性,教育効果の多様性など が鍵概念 となるであろう, ということである。個人の 状態にあわせた,ある程度の厚みをもった事例的検討 を基盤 として,症候群の群たる共通特性 について綿密 な分析 を して行 くことが重要であると考 える。 しか ち,そのような研究か ら導 き出されるプロ トタイプと しての理論的枠組みは,発達 という時間軸を持つ必要 がある。心理学が子 どもの発達支援 に貢献するには, 以上の点を考慮に入れなが ら,確固とした事実に依拠
‑ 8‑
書字の流れ 状 況理解
意 図
・ 思考 の生成
輪郭 的言語 形式 の生 成
書字 系列の生成
書字出力
根拠に基づく教育実践と心理学
認知系 価値評価系
図 1 書字産出に関わる認知系と価値評価系
して個に応 じることがで きるプロ トタイプを構築する ことが求め られていると考える。
3.
支援に必要な
4つの理論的枠組み
学習に困難を有する子 どもの支援 に関連する心理学 的な理論的枠組みには,多種多様なものが存在する。
ここでは,実際に支援計画を作成す. る上で必要 と思わ れる
4つの水準について考察する。
上越教育大学におけるわれわれの研究グループは, 日本特殊教育学会第
42回大会で 「 書字学習 を支援す る :根拠に基づ く,多水準的支援 をめざして」 という タイ トルの シンポジウムを企画 した。話題捷供 とし て , 「 通常の学級 における音字学習支援 :一斉指導及 び個別指導の観点 より」( 菅風
2004), 「 特殊学級にお ける音字学習支援 :個別支援場面における事例 を通 し て」( 大庭
,2004), 「 養護学校 における音字学習支援 : 文通を活用 した学習支援方法の検討」( 大洋
,2004)を 報告 した。話題提供のタイ トルに示 された通 り,それ ぞれの教育実践は,通常の学級,特殊学級,養護学校 と異なる場においてなされたものであった。 しか しな がら,
3つの話題は,実践の場 にかかわ らず,全体 と しては音字学習支援 に際 して考慮すべ き4つの水準の
理論的枠組みを意識 したものであった。図 1にその概 要を示 した。図の左側は,書字の産出過程 を示 したも のである。中央部分は認知系で,書字そのものに関わ る認知系,それ以外の認知系, 自己調整機能 ( 実行制 御機能)の 3つに分類 されている。右側に示 したのは 価値評価系であ り,いわゆる内発的動機づけに関わる システムである。菅原
(2004)の視点は,主 として書 字 な らびに音字以外 の認知系 に置かれている。大庭
(2004)の視点は,それ ら2つの認知系 を統制する自 己調整機能に置かれている。大津
(2004)の視点は, 子 どもがそれ らの認知系 を自ら駆動 し活用するように なるために必要な内発的動機づけの役割に置かれてい る。それぞれの研究は,
4つの水準の‑ いずれかに焦点 を当てたものになっているが,実践的には4つの水準 を考慮 して支援計画を作成 し実行 してきた。 どれ も欠 かす ことができない ものであると考えている。
まとめると,心理学は,
4つの水準の理論的枠組み
を捷供することで,根拠 に基づ く教育実践 に貢献する
ことができる。 4つの水準 とは,①読字,音字,算数
などそれぞれの基盤 となっている認知系 ( 比較的独立
しているという点で領域特異的な認知系) ,②それ以
外の認知系,③ 自己調整機能 ( 実行制御機能あるいは
恵 羅 修 膏
メタ認知),④ 内発的動機づけにかかわる価値評価系, で あ る。特 別 支援 教 育 の流 れ の なか
,WISC‑ⅠⅠⅠや
K‑ABCといった心理検査が注 目されているが, それ らの検査で査定 されているのは 4 つの水準の うち主 に
② に関連す る領域である。 しか も,その水準 において す ら,教育実践 に関わる人々に対 して,最新の研究成 果 を包含 した理論的枠組みが充分 には提供 されてはい ないのが現状である。貢献への道の りは遠いが,確 か な足取 りで進めてい くことが重要であると考 える。
4.
おわ りに
発達障害 に関す る科学的証拠 は確実 に蓄積 されて き ているが,その知見 を教育実践へ と繋 ぐ道 はまだ狭隆 で見通 しが よくない状態 にある。心理学が根拠 に基づ く教育実践 に貢献す るうえで,現在,われわれは,
2つの課題 に直面 していると思われる。
一つは,現時点の科学的根拠では不確定要素 を多分 に含んだ領域 について も, 目の前 にいる困難 を抱 えた 子 どもに対 して現実的に対応 しなければな らない, と い う点である。われわれは,客観性 を持 った正確 な知 見 を充分 に持 っているわけではない。われわれが示す 根拠 は,厳正確実で安定 した知識 とい うよ りは 「 今 ま さに作 られつつある知識
」5)であ り,将来書 き換 え ら れる可能性 を含 んでいる。そ うい う意味で,根拠 に基 づ く教育実践 は , 「 今 まさに作 られつつある知識 を用 いての判断」であるといえる。 この ような根拠 に基づ く限 り,教育実践 に関わる意思決定 には見直 しをす る ためのルールが必要であ り,先 に述べ た仮説検証的な 循環 を保障する教育 システムの構築が必要であると思 われる。
もう一つは,根拠 に基づ く教育実践への貢献 には, 研究者 と教育実践 に関わる者 との協 同関係の形成が必 要 であ る, とい う点であ る。前 の段 落で述べ た よ う に , 「 今 まさに作 られつつあ る知識」 は書 き換 え可能 性 を秘めた ものである
。にも関わ らず研究者が発 した 情報 は, ( それが事実 とい うよ りは)研究者 の解釈 や 推論であって も,一般的に,客観的に正 しい情報 とし て受け止め られる傾向にある。それゆえ,研究者 は, 正確 な情報の捷供,すなわち確 固 とした知識 と 「 今 ま さに作 られつつある知識
」,事実 と解釈 ( 推論) を明 確 に区別 して捷供する必要がある。 このことは研究者 と教育実践者 との コラボ レーシ ョンにとって最 も重要 な点であるといえる
(Stern,2005)。 この協 同関係 を 成功 させ るために
,AnsariandCock(2006)は,研 究 と教育 を連結 させ る方法 について学べ るようにデザイ
ンされた教 員養成 プログラムの構 築 といったボ トム アップ ・アプローチを提唱 している。教育 に関わる科 学的根拠 をめ ぐって研究者 との コラボ レーシ ョンを担 える教育実践者 を育てるために,われわれは,教貞養 成 プログラムにおける心理学教育の役割 について改め て考 える時機 を迎 えているのではなかろうか。
読
1)
類似 した用語 につ いて は
WhiteandKratochwill (2005)を参照。
2)
この よ うな循 環 につ い て
,Hale and Fiorello (2004)は,学校神経心理学の立場か ら詳細 に説 明 している。 また,大庭
(2005)は,支援の受益 者 である子 どもや保護者 に よる評価,そ してその 評価 に対す る支援者 の評価 といった評価連鎖の構 築 とい う大 きな循環過程 について言及 し,そのこ とを根拠 に基づ く支援 の実現 に とって不可欠な作 業 としている。
3) 認知神経科学 と教育 との連携 につ いて,最近では
AnsariandCoch(2006),Goswami(2006),Posner andRothbart(2005)による肯定的な見解が示 され てい る。特 に
Goswami(2006)の見解 は,重要な 視点 を捷供 しているので参照 してほ しい。
4)法則定立的 アプローチ と個性記述 的 アプローチの
対比 については
Bell(2002渡辺他訳
2006)を参照。
5)「 今 まさに作 られつつある知識」 とい う言葉は,顔 垣
(2003)か ら引用 した ものであ る。藤垣 は,厳 密 で常 に正 しい客観性 を もった知識 に基づ く 「 硬 い」科学モデルでは現実的 に対応 で きない不確定 要素 を含 む社会的問題 について , 「 今 まさに作 られ つつ ある知識」 を前操 とした 「柔軟性 のある」科 学観 に基づ く意思決定 について論述 している。
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本稿 の前半 については恵羅
(2002)を修正 ・加筆 し た ものであ り,後半については今 回新 たに書 き加 えた ものである。
謝辞
平成 5 年
4月か ら平成
18年 6 月 までの
13年余 にわた る上越教育大学での研究 ・教育活動 において,障薯児 教育講座 な らびに障害児教 育実践 セ ンターの教員ス タッフの皆 さまか らは多大 なるご支援 をいただ きまし た。 また,研究 ・教育活動 をともに した大庭重治先生 には,研 究上意義深 く示唆 に富 む意見 を数多 くいただ きました。本稿 での考察は,大庭先生 との対話のなか で発展 しました。記 して心 よ り感謝 申 し上げます。
Contributionsofpsychologytoevidence‑based practiceineducation
ShukichiERA FacultyofEducation,KagawaUniversity
‑ 12‑