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Academic year: 2021

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論文審査の結果の要旨

氏名:

専攻分野の名称:博士(芸術学)

論文題名:日本統治下朝鮮における女優形成の史的研究―女優・文藝峰を中心として―

審査委員:(主査)教授

(副査)教授 教授 教授

本論文は、朝鮮女優、文藝峰の俳優としての演技力を正当に評価し、名誉を挽回するとともに、日 本が朝鮮併合していた35年間の朝鮮映画女優史を作成した。貴重な資料と優れた洞察力でまとめられ た本研究成果は、博士の学位授与に十分に値するものであると判断する。

<理由>

日本の朝鮮併合は明治431910)年から昭和201945)年で、昭和101935)年には朝鮮映画も、

サイレントからトーキーへ変わった。この進歩は俳優にとって厳しく、それまで活躍していても、ト ーキーでは生き残れなかった俳優もいたのである。

文藝峰は、昭和7(1932)年、15歳で「主なき小舟」のヒロインとして映画界にデビューし、その 後絶大な人気を得てスターの道を歩んだのであるから、サイレントからトーキーへの変化に生き残れ る現代では当たり前の俳優としての資質を持ち得ていた俳優でもあったのである。

しかしながら、独立してからは親日俳優としてのレッテルを貼られ厳しい弾圧に合ったり、夫とと もに北朝鮮に渡ったりしたこともあり、文藝峰は韓国映画史では俳優としての名前はあるが演技力と 存在感の視点での俳優としての論評はされなくなってしまったのである。

こうした経歴の文藝峰の映画における演技を評価している筆者の李瑛恩は、19歳でプロダクション にスカウトされ、22歳で俳優としてデビューし、映画、テレビで活躍、26歳で映画、「大韓民国1%」

で主役を務め、その後もテレビドラマ「大王の夢」や映画「ドスクリ 5 人兄弟」で主役を務めるなど 現役の俳優として活躍している。主役級の俳優が、大先輩の俳優である文藝峰を始め、朝鮮映画時代 の女優たちの演技を体験的に動作、台詞の言い回し、芝居の呼吸、表情等を分析しているのであるか らこそ、本論文は足が着いた他に類を見ない研究なのである。

序論

1. 研究の目的と方法

文藝峰は、昭和101935)年の朝鮮最初のトーキー映画「春香伝」に出演し人気女優となり、昭和 121937)年「旅路」は日本で公開され好評を博した。昭和 131938)年朝鮮人が自発的に製作し た「軍用列車」に出演し、初めて日本の宣伝映画に出演した女優となる。トーキー誕生から朝鮮の独 立までの間の映画の基盤を形成した時期で、最も多くの映画に出演した俳優であった。

平成152003)年から韓国映画資料院が映画の歴史を復元することを行い、文藝峰が主演した映画 が多く発掘された。文藝峰の俳優としての演技を、多様な角度から考察することによって、文藝峰の 演技力が素晴らしい事を見つけ出し、更に、映画以外の新聞評、雑誌記事、談話、撮影日誌等の基本 資料を解読し、この時代の女優史上に文藝峰を浮上させる方法を取った。

第1章 韓国・日本における朝鮮女優研究の現状と文藝峰研究

韓国の映画研究の多くは、昭和201945)年までの日韓併合時代を朝鮮映画とし、社会現象として は、朝鮮映画は日本の影響が強く、戦後の映画が韓国映画との視点が多い。朝鮮映画時代にしか活躍 していない文藝峰の俳優としての演技力の正当な評価は行われず、朝鮮映画から韓国映画で活躍した 女優であっても朝鮮映画時代の記述は作品紹介程度でしかない。朝鮮映画時代の女優の存在が軽視さ れていたかを先行研究や新聞等の研究素材を丹念に調べて、現代でも如何に等閑視しているのかと指 摘し、この時代の女優たちの演技研究が何故大切かを唱えている。

第2章 朝鮮と日本における女優の誕生

野外劇が多かった朝鮮と、芝居小屋と呼ばれる劇場の前身の日本でも、女優の誕生は演劇からであ り、朝鮮でも日本同様に男性が演じる女形の役者が女性の役を演じていた。女優として認められたの は、女性特有のきめ細やかな演技表現が観客を魅了するようになってからであり、この過程を詳細に 調査したことにより、後の映画女優誕生への足掛かりとしての成果を挙げている。

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2 第3章 朝鮮映画女優史の展開

朝鮮映画の誕生時に女形が出演した作品は存在せず、演劇活動していた女優たちが映画に出演する ようになっていた。朝鮮時代の女優 182名の出演作品・経歴・業績・活動期間のリストを作成し、1 作のみの出演者が127名、6年以上女優活動を継続した女優は15名、6作品以上出演した女優は、文 藝峰を含め 7 名であった。この結果を見出した著者が作成した「朝鮮女優列伝」、「朝鮮女優の活動 期間と作品本数」のリストは韓国映画史研究にとって貴重な資料である。

第4章 朝鮮映画女優史における文藝峰

文藝峰は移動劇団を主謀する父親のもとで幼少期から自ら進んで舞台に立っていた。実生活では、

家庭を顧みない父親を献身的に支える母親を見て育ち、生活の厳しさを味わっていた。

昭和7(1932)年の映画デビューから5年間に主演7作、助演3作の10作品に出演し、映画女優の

基盤を形成した。特にデビュー作は、文藝峰の演技が作品を盛り上げていると絶賛された。その後ト ーキー最初の映画に主演し、スター女優の道を歩んだ。代表作「旅路」は、日本でも上映され、多く の観客を動員し演技力を認められ、映画女優の道を歩み始めたと賞賛された。

昭和101935)年、「春香伝」が大ヒットし朝鮮映画界のキャスティング第1位となった。

昭和131938)年からは、宣伝映画出演も多くなったが、文芸作品へも出演している。この間の演 技評で、動いてないように動くと評価されている事は、舞台での大きな演技でなく、俳優の心の動き に合わせた僅かな演技が求められている映画の写実的な自然な演技が身に付いていることを称えてい る。映画女優として文藝峰の演技が認められることを証明した。

第5章 作品から考察する文藝峰の位置づけ

朝鮮映画界で製作された150作品の内、現在見る事が出来る作品13作品、一部欠損作品3作品、文 藝峰は最も出演作が多い女優だけあって、7作品に出演しており、4作品は主演であった。俳優たちの 過剰な演技表現は無声映画では違和感なく受け止められるが、トーキーになると不自然さが目立つよ うになった。その中で文藝峰はトーキーになると感情表現が、心に秘めた抑制した表現をするように なり、観客を引き付け、感動を呼ぶ女優であることが判った。

結論

日本から独立した後、南北に二分された朝鮮半島の南朝鮮では、一つの映画作品にも出演できなか った文藝峰は、新しい俳優人生を求めて、劇作家の夫と共に北朝鮮に渡り、映画俳優として活躍し、

時代の流れに翻弄された82歳の生涯を閉じた。

現存している作品の文藝峰の映画演技については、筆者が現在も第一線で活躍している実績と経験 から、役作りを始め、台詞の間合い、振り向きの速度、目線の配り、動き出しの方向など細部に渡っ て検証し、文藝峰が作品全編において存在感のある俳優であり、映画における自然な演技の質の高さ が分析され、朝鮮の代表的な女優であることを判明している。

これまで見過ごされてきた朝鮮時代の女優たちの経歴、業績をまとめることにより、当時の女優史 を明確化し、映画女優の誕生から映画女優の表現者としての礎を探りだすことが出来た。また、本論 によりこの時代に映画女優として多大な功績を残したにも関わらず、高い演技力については語られて こなかった文藝峰の女優としての実績と、優れた演技表現力を表舞台に出すことも出来た。更に文藝 峰の作品における存在感と、出演した映画作品が優れた作品であることを明示することも出来た。

この研究は、丹念な調査と現在活躍している女優としての筆者視点からまとめられており、この成 果は韓国映画史を研究する上で貴重な研究成果の一つであるといえる。

よって本論文は、博士(芸術学)の学位を授与されるに値するものと認められる。

令和2年1月27日

参照

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