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密教文化 Vol. 1985 No. 150 007生井 衛「説主出現の二態――TS. XXVI の視座から―― PL136-L126」

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(1)

密 教 文 化

出 現

の 二

TS. XXVIの

視座 か ら

bodhaya jato 'smi jagaddhitartham anyata bhavotpattir ayam mameti/ caturdisam simhagatir vilokya varnim ca bhavyarthakarim uvaca//

Buddhacarita 1-15 序 そ の 方 は、 そ の 時、 そ の場 に出 現 され る や 「これ が 最 後 の生 存 で あ る」 と宣 説 な され、 そ の生 涯 を通 じて仮 相 の生 の終 滅 を如 実 に示 した ま われ た。 そ の方 の この世 へ の 出現 を ど う捉 え る べ き か、 伝 統 の永 い歴 史 の 内 に再 三 再 四 問 わ れ て き た。 しか し、 そ の本 来 の意 義 が明 白 に認 識 され、 それ を そ う表 現 す る に足 る認 識 の確 実 性 を確 認 して い くに は、 あ るい は、 数 世 紀 もの歴 史 的経 過 が要 せ られ た のか も知 れ な い。 仏教 の宗 教 と し ての特 異 性 は、 人 間 と して誕 生 され た釈 尊 が、 神 々 を も超 え た 真理 の具 現 者 とみ な され る点 に あ る。 仏 教 的 精 神 界 に、 地 上 世 界 に救 世 主 と して降 誕 せ る もの の父 た る神 は実 在 しな い。 む しろ、神 々 で さえ もが そ の覚 悟 を待 ち そ の説 法 を うなが す者 と して そ の役 割 を果 た した の で あ る。 仏 陀 は、 こ の地 上 世 界 の救 世 者 に完 結 す る もの で はな く、天 上 界 を も更 に超 えて神 々 の 世 を救 う者 で も あ る。 な ぜ な ら、神 々 とい え ど も<輪 廻 内 存 在>で ある か ぎ り、 究 極 の解 脱 を得 て は い な い の だ か ら。一 方、 仏 陀 は、 世 界 の如 実 相 の認 識 に よ る解 脱 者 と して終 始 す る もの な の で もな い。 なぜ な ら、輪 廻 内 の苦 しむ も の を 救 うに は、 それ にふ さわ しい だ け の徳 性 と力 を もっ全 能 者 に して こそ、 そ れ を 成 しえ る のだ か ら。 〈 輪 廻 内存 在 〉 の苦 に 疲弊 す る者 を導 くに 一 時 の安 寧 の 揚 を神 変 を も っ て化 作 す る幻 化 師 で もな け れ ば な らな い。 歴 史 的存 在 と して の釈 尊 に あ ま た の威 神 力 が帰 され るの は、 単 な る伝 説 化 も し くは神 話 化 とい う人 為 的思 惟 の付 托 な の で は な い。 人 間 釈 尊 が後 世 の人 々 の

(2)

-136-理 念 化 に よ っ て神 格 化 され る とい う史 観 に殊 更 に立 っ要 は な い。 歴 史 の皮 相 を 離 れ、 そ の根 源 的 意 味 にお い て仏 教 の思 想 展 開 を見 る な ら、 この世 に もた ら さ れ た そ の教 え は、 釈 尊 の この世 へ の出 現 を契 機 と して そ の本 源 へ の遡 行 を方 向 づ けた とい うべ き も の で あ ろ う。末 法 に向 う歴 史 的 時 間 の方 向 に流 され る か ぎ り、 仏 教 徒 は そ の本 源 か ら遥 か に離 れ て い く。 ま さ に こ の世 で そ の教 え の実 現 が な され 得 ね ば な ら な い とす る者 達 の切 実 さ、 こ の現 実 の身 の あ る が ま ま に次 の 世 をた の まず して釈 尊 の境 地 に至 らん とす る宗 教 的 熱 情 が、 そ の場 に あ の甚 深 の教 え を顕 現 せ しめた ので あ る。 こ うし て、 仏 教 は、 常 恒 に説 法 し続 け る実 在 の認 識 へ と道 を開 い た の で あ る。 当時 の最 高 の正 統 的哲 学 学 派 の理 論 を前 に して、Santaraksita/Kamalasila は、 仏 教 の伝 統 が 培 っ て きた 知 識 論 と論 理 とに依 っ て、 明晰 な論 議 を展 開 して 仏 陀 へ の信 仰 を開 陳 し てい る。 そ の精 徴 な理 論 は、 幾 多 の先 人 が整 備 した教 理 を承 け それ を深 化 す る も ので あ る。 そ の思 想 史 的 位 相 か ら見 て も、彼 等 の著 作 の 内 に そ の仏 陀観 を的確 に把 捉 す る こ とは決 して容 易 な こ とで は な い。 とい う の も、 そ の著 作 は、 当時 の思 想 史 的 状 況 が 要 請 して い た諸 問 題 の 検 討 を主 題 と して い る か ぎ り、イ ン ド思 想史 の位 相 的 理 解 な く して は正 確 に解 読 され得 な い か らで あ る。T(attva) S (amgraha)は、 特 に この よ うな観 点 か ら見 て、 著 述 当 時 の思 想 史 的状 況 を 反 映 す る重 要 な 文献 と して良 く 知 られ 珍 重 され てき て い る。 しか し、 そ の著 作 の成 され る視 座 は、 はた して どれ 程 明確 に され た とい え る だ ろ うか。 二 十 五 章 に亘 る<破 邪>の 後 に行 なわ れ る論 議 で顕 わ され る認 識 は、 ど の よ うな宗 教 的認 識 で あ った の か。 彼 等 が そ こ に立 脚 して<破 邪>を 行 うそ の視 座 を、 特 に仏 陀 観 つ ま り<全 知 者>と しての 仏 陀 の存 在 に 関 す る認 識 との 関連 の上 で、 若 干 の考 察 を試 み て み た い。 とい うの も、 時 ・空 的 に は全 く別 の揚 に 展 開 され た仏 教 思 想 の根 本 的 視 座 と、78. XXVI著 述 の視 座 との間 に は、 極 め て 相 似 の もの を 見 い出 し得 る と思 わ れ る か らで あ る。 あ る い は、 そ の各 々 の位 相 に あ っ て変 容 され 得 な い真 理 と して の核 心 を、 そ の各 々 の内 に相 照 しあ うの を見 る こ とが で き る よ うに思 われ る か らで あ る。 こ の小 論 は、 そ の課題 へ の取 組 み の 内 で、 全 体 的構 想 の 内 の特 に基 調 とな る部 分 のみ を論 ず る も ので あ る。 他 の位 相 に お け るそ の核 心 の 展 開 に つ い て は、 順 次、 明 し てい くこ と に した い。 説 主 出 現 の 二 態

(3)

本 論 で採 り上 げ る資 料 は、主 に次 の諸 論 述 で あ る。

I, yat siddhapratibandhena pramanenopapaditam/

tattvam saugatasiddhante siddhan nanyamate tatha// TS. 3351//

II. i. atindriyarthavijnanayogenapi upalabhyate/

prajnadigunayogitvam pumsam yidyadisaktitah// 3396//

asti hiksanikadyakhya vidyayam suvibhavita/

paracittaparijnanam karotihaiva janmani// 3397//

srutanumitadrstam ca yan na vastv atra janmani/

bhutam bhavad bhavisyac ca tad vidanti vadanti ca// 3398//

sasamvadam abhivyaktam avistah purusa iha/

vi citramantranagendraraksoyaksadisaktitah// 3399//

ma vii bhud drstam ityadi tathapy atra na badhakam/

kincit pramanam astiti tadabhavo na siddhyati// 3400//

ii. kin ca ye ye vibhavyante to to bhanti parisphutam/

bhavanaparinispat tau kamadivisaya iva// 3440//

sarvadharmas ca bhavyante dirghakalam anekadha/

sunyanatmadirupena tattvikena mahan matih// 3441//

sunyanatmadi rupasya bhavikatvam ca sadhitam/

bhutarthabhavanodbhuteh pramanam tena tan matam// 3442//

mudramandalamantrader yat samarthyam atindriyam/

pisacadakinimoksavisapanayanadisu// 3451//

srutanumanabhinnena saksaj jnanena nirmalarn/

rnunitarksyadivijnanam na cet tadgaditarn katham// 3452//

iii. yo 'srutanumitarn satyam tat paro 'rtho prakasate/

pratyaksajnatatadrupah sa tadrkpratipadakah// 3458//

pratyaksadrstaniradir yatha ' nyah pratipadakah/

asrutanumitam satyam tat parasvartham uktavan// 3459//

(4)

mudramandalakalpadi laksanam munisattamah// 3460//

yad vii 'sty eva viseso 'yam munau tadvacanesu ca/

sa drstavan svayain dharmam uktavams ca krpamayah// 3484//

yato ' bhyudayanispattir yato nih sreyasasya ca/

sa dharma ucyate tadrk sarvair eva vicaksanaih// 3485//

taduktamantrayogadiniyamad vidhivat krtat/

prajnarogyavibhutatvadidrstadharme 'pi jayate// 3486//

samastadharmanairatmyadarsanat tatprakasitat /

satkayadarsanodbhutaklesaughasya nivarttanam// 3487//

III. i. (anyatirthikanam)

agamena ca sarvajno nasmabhih pratipadyate/

lainge sati hi purvokte ko namagamato vadet// 3509//

ii. yo 'sau saddantam atmanam avadatadvipatrnakam/

svapne pradarsya samjato bodhisattvo gunodadhih// 3512//

vighustasabdah sarvajnah krpatma sa bhavisyati /

praptamrtapadah sudddhah sarvalokapiteti ca// 3513//

iii. yac catmany eva vijnanam dhyanabhyasapravarttitam/

tasyapy apratighatitvam team purvam prasadhitam// 3533//

etad eva hi taj jnanam yad visuddhatmadarsanam/

agantukamalopetacittamatratvavedanat// 3534//

avedyavedakakara buddhih purvam prasadhita/

dvayopaplavasunya ca sa sambuddhaih prakasita// 3535//

samsaranucitajnanas terra siddha mahadhiyah/

yadadhipatyabhavinyo bhasante ' dyapi desanah// 3536//

prakrtya bhasvare citte dvayakarakalankite/

dvayakaravimudhatma kah kuryad anyathamatih// 3537/

dvayanairatmyabodhe ca stryadisankalpabhavinah/

ragadvesadayo dosah samksiyante ' prayatnatah// 3538//

idam tat paramam tattvam tattvavadi jagadayat/

説 主 出 現 の 二 態

(5)

sarvasampatpadam caiva kesavdder agocarah// 3539//

iv. pancagatyatmasamsarabahirbhavan na martyata/

buddhanam isyate 'smabhir nirmanam tat tatha matam// 3549//

akaniste pure ramye 'suddhdvasavivarjite/

budhyante tatra sambuddhd nirmitas tv iha budhyate*// 3550//

narah ko 'py asti sarvajna ityddy apy na sddhanam/

pratijnanyunatadosadustam ity upapdditam// 3590//

nihsesa-rthaparijndnasddhane viphale 'pi hi/

sudhiyah saugata yatnam kurvantity adind purah**// 3591//

drste ' py abhyudayam cittadosasantim param tathd/

tatas capnuvatdm tena param vyamohanam krtam// 3565//

svarthasamsiddhaye tesam upadeso na tadrsah/

arambhah sakalas tv esa parartham kartum idrsah// 3567//

tasmaj jagaddhitadhdnadiksitah karundtmakdh/

anibandhanabandhutvad dhuh sarvesu tat padam// 3568//

karunaparatantras to spas tatattvanidarsinah/

sarvapavadanihsankas cakruh sarvatra desanam// 3570//

yatha yathd ca maurkhyadidosadusto bhavej janah/

tathd tathaiva nathanam days tesu pravarttate// 3571//

* akanista nama devas tesam ekadese suddhavdsakayika nama devah/

atra hi arya eva Buddha avasanti tesam upari mahesvarabhavam

nama sthanam/ tatra caramabhavika eva

bodhisattva utpadyate/ iha to tadddhipatyena tatha nirmanam

upalabhyata ity agamah//

** nasmabhih sarvajnoktatvam avagamya tad anusthandya sarvajnah

prasddhyate/ kim tarhi/ to sdrvajnapadaprapticchavas tadartham

dosaksayo gunotkarsaya prasddhyate/ yato

(6)

prameyatvadinam ca yath.d sddhanatvam bhavati tathd pratipaditam

eva/ yad coktam dasabhumigata (TS. 3237) iti tad api

siddhdn-tdnam abhijnena bhavatoktam/ na hi dasabhuznigato bhagavan

isyate/ kim tarhi/ bodhisattvavastha 'sau yavad dasabhumis tata

urdhvam buddhabhumir isyate//

I 78序 章 か らXXVI章 に至 る ま で、Santaraksita/Kamalasilaが 立脚 す る基 盤 は、 あ くま で も仏 教 徒 の伝 統 に 忠実 に則 る もの で あ る。 〈全 知 者 〉(sarvajna) とい う仏 教 徒 に とっ て最 奥 の課 題 を論 ず る に 際 して採 る方 法 も、以 前 のAcarya 達 が樹立 した知 識 論 体 系 に基 づ い て永 い 問 の他 学 派 との対 論 か ら も ら され た 諸 成 果 を踏 ま え た もの で あ る。 仏 陀 の こ とば や そ の超 自然 力 に論 及 す る 際 に 示 さ れ る真 理観 に つ い て も、 幾 多 の 先 人 に よ りそ の 真 理 性 が 確 認 され て き て い る <宗 義>(siddhanta)に 整 合 す る もの で こ そ あ れ、 それ に背 く もの で は な い。 そ れ な らば、 そ の〈 宗 義 〉 とは、 い っ た い い か な る もの で あ っ た の だ ろ うか。 (1) す で に先 学 が指 摘 して い る よ うに78は そ の題 目 自体 が示 す よ うに密 教 の 「摂 真 実 経 』(sarvatathagatatattvasamgraha) (STS)と の関 連 を有 す る も の とされ る。 しか し、具 体 的 に どの 点 が そ うみ な され え る の で あ ろ うか。 先 ず、 論 述 自 体 密 教 的修 法 に 関説 して い る点 が 指 摘 され てい る。 それ を更 に詳 説 す る こ とが まず確 認 の意 味 で要 せ られ よ う。次 に、Santaraksita/Kamalasilaが 直 接 的 に 言 及 す るわ け で は な い が、 対 論 者 に対 して そ の 立場 を表 明 す る際 に 見 られ る そ の 教 義 的 背 景 が考 察 され る必 要 が あ る。 そ の<宗 義>っ ま り教 義 的 背景 が、 そ の 論述 か ら顕 わ され な けれ ば な らな い。 あ る い は、 そ の論 述 の<深 秘>の 意 味 が 明 か され な けれ ば な らな い。 そ の直 接 的 記 述 と 教 理 的 背景 とい う二 局 面 か ら、78の 思想 史 的位 相 が はた して どれ だ け 『摂 真 実 経 』 系 の思 想 との近 似 を 示 す か、 とい う点 を考 究 す る こ とは思 想 史 の展 開 に お け る必 然 的要 因 を探 る上 で、 有 意義 な操 作 と思 わ れ る。 こ の よ うな見 地 か ら、 こ の課 題 に関 連 す る論 述 を抽 出 し、考 察 して お く こ と に した い。 そ の際、 方 法 論 上 の手 続 き と して、78本 論 にお け る 対 論 者 と の具 体 的 な論 議 の あ り方 は 捨 象 され る こ とに な ろ う。勿 論、 そ の論 議 の思 想 史 的 位 説 主 出 現 の 二 態

(7)

密 教 文 化 相 をな いが しろに す る とい うも ので は な い。 II 仏 陀 の超 感 覚 的認 識(atlndriyajnana)に 関 して、78は どの よ うな観 点 か ら 論述 して い る の で あ ろ うか。 特 に この 問題 を扱 う際 に密 教 的修 法 へ の言 及 が な され て い る点 は注 目 され な け れ ば い け な い。 そ の論 述 の内 に、 密 教 とい われ る 宗教 的形 態 の幾 つ か の要 素 が 仏教 的 に説 明確 認 され て い る の を見 る こ とがで き よ う。 明 呪(vidya)等 の効 力 が超 感 覚 的 で は あ る に して も 現 実 の 世 に作 用 して い る こ と を、根 拠 な く して否 定 す る こ とは で き な い。 とす るな ら、 論 理 的 に い っ て、 ど うして仏 陀 の超 感 覚 的認 識 に よ る<全 知 者 性>を 否 認 す る こ とが で き よ うか。 i.〈 般 若 の智 〉(prajna)等 の徳 性 が、 単 な る学 習 のみ な らず、 明 呪 を実 際 に諦 す る こ とに よ っ て そ の修 法 の効 果 と して獲 得 され 得 る こ と は、 良 く知 られ て い る事 実 で あ る。 ま た 〈 呪 法〉(vidya) の 内 に は〈 観 相 〉(iksauika)と いわ れ て い る技 法 も あ る。 それ が正 し く修 せ られ る と、 ま さに この現 世 で、 〈 他 心 知 〉(paracittajiana)を 得 る とも、 現 世 で教 授 され た の で も見 聞 した ので も推 理 した の で もな い よ うな過 去 ・現 在 ・未 来 の こ とを認 知 し語 り得 る と もい われ る。 更 に、 この世 に あ っ ては、 様 々 な 呪文 や 竜 王 等 の 効 力 に よ っ て、 人 々が <遍 入>(阿 毘捨avesa慧 神)の 状 態 に お かれ る こ と も疑 うべ く もな い 現 実 (2) と して知 られ て い る。 こ の世 に あ っ て、 た とえそ れ が 見 え な い か ら とい っ て、 これ らの現 実 上 の働 き を否 認 す る こ とはで きな い し、 そ れ を否 定 す る根 拠 もな い。 したが っ て、 そ の現 実 を否 定 し えな い 以上、 仏 陀 の〈 全 知 者 性 〉 も否 定 し 得 な い。 Santaraksita/Kamalasilaに と って、 聖 者 達 の行 う〈 呪 法 〉 の 効 果 は明 白な 事 実 で あ っ た。 そ して、 そ の根 拠 を問 わ れ る時、 そ の〈 呪法 〉 の 成 立 す る場 の 〈 空 〉 な る あ り方 を明 す こ とが、 それ を可 能 た ら しめ る存 在 の実 相 を 明す こ と を も意 味 す る こ と にな ろ う。

(8)

-130-ii. 存 在 の た ち顕 われ 方 を検 討 してみ る と、衆 生 の欲 望 に基 づ く迷 妄 と して 現 前 す る恋 人 の姿 の顕 れ も、 仏 の 幻化 と し ての 世 界 の顕 れ も、 構 造 的 に は等 し い もの で あ る。 〈 空〉 の場 に あ って、 欲 望 や憎 悪 の 〈 薫 習〉 に よ っ て形成 され (3) る〈 無 智 の絵 師 〉 の描 き出 す世 界 も、諭 伽 修 習 に沈 着 す る者 に清 明 な 表 出 を も っ て現 出 す る象 徴 的世 界 も、真 言 呪 諦 の効 果 に よ る超 感 覚 的認 識 も、 ま さに、 同 様 な現 象 の し方 を して い る。 こ の真 理 を認 識 して い る者 に とっ て こ そ、 仏 陀 の神 変 と して の世 界 実 現 の意 義 も明 され る。 偉 大 な る幻 術 師 は 自か ら の化 作 す くの る世 界 を幻 術 と認 識 して幻化 をな す。 そ の 神 変 に よ る幻 化 は、 そ の一 面 を捉 え れ ば〈 空 〉 の 〈空 〉 と して の表 出 で あ り、 そ の 実 際 的 効 用 か ら い えば 〈 空〉 の 〈 成 就 法 〉(sadhana)の 実 現 化 で あ る。 この真 理 が 明確 に 直 覚 され る時、 この くの 世 は 次 の 世 を また ず に成 就 者 の 世 界 とな る。 な ぜ な ら、78序 章 が 世尊 の伝 承 句 (agama)を 引用 して述 べ る よ うに、 〈 そ の方 法 を達 成 した 賢者 〉 に と って、 輪 (6) 廻 は既 に終 息 し得 る もの な の だ か ら。 iii. そ して、 そ の方 の この世 へ の顕 われ、 この歴 史 上 へ の 出 現 も、 ま さに そ の真 理 自身 の 自己 完 成 の た め の も の に ほ か な らな い。 〈輪 廻 内 の 生存 〉 に、 超 越 した立 場 か ら〈 輪 廻 界 〉 の〈 空 〉 の場 にお け る顕 わ れ方 を如 実 に示 す た め に は、 そ の方 が 〈 輪 廻 界 〉 へ出 現 され る よ う要 請 され て い た の で あ る。 そ して、 そ の 出現 の意 義 は、 ま さ にそ の方 の 慈悲 が そ の根 拠 と した真 理 に よ っ て保 証 さ れ る ので あ る。 これ を明 すSantaraksita/Kamalasilaの 論 述 は、 〈 輪 廻 内 の生 存 〉 へ の憐 れ み か ら仏 陀 の〈 全 知 者 性 〉 を論 証 しよ うと したDharmakirti以 来 の伝 統 を正 に (7) 忠 実 に承 け継 ぎ更 に深 化 す る も ので あ る。 イ ン ド思 想 界 に あ っ て、 〈 法〉(dharma)と は、 等 し く、 至福 とい う人 間 の 目的 を成 就 す る規 範 と しての真 実 で あ った。 仏 陀 の説 き給 わ れ る〈 法 〉 も、正 に こ の世 の現 実 の至 福 を もた らす もの で な けれ ば な らな い。 じつ に、 それ ゆ え に こそ、 そ の方 は〈 苦 〉 の世 界 に 出現 され た の で あ る か ら。 そ して そ の〈 法 〉 は、 非人 為 的 な 〈 夫 啓 〉(sruti)で も大 自在 天 に権 威 が帰 され る よ うな超 絶 的 真 理 で もな い、 実 際 の人 間 に して達 成 可 能 な〈 成 就 法 〉 で な けれ ばな らな い。 そ こで、 そ の 〈 法 〉 自体、 そ の真 理 性 を如 実 に実 証 す る人格 の 出 現 を待 た な け 説 主 出 現 の 二 態

(9)

密 教 文 化 れ ば な か った。 こ こに、 や は り、大 自存 天 を超 え て〈 法〉 を説 く者 と して、 人 間 の生 涯 を も って そ の<法>を 現 世 に具 現 化 す る化現 を〈法 〉 自体 顕 わ しめ る 必 然性 が あ った。 そ して、 そ の 出現 が意 味 す る もの は そ の 〈法 〉 の具 体 化 な の で あ る か ら、 そ の方 が示 し賜 われ た印 契 ・真 言 ・三 昧地 ・曼 茶 羅 等 に よ り正 し く儀 軌 に則 して修 す る こ とに よ って そ の方 が 得 られ た〈 般 若 の智 〉 ・健 康 ・威 力 とい う現 世 に お け る諸 徳 の獲 得 が 有 る、 とい うこ とは疑 い よ うもな い の はず の こ とで あ る。 そ して、 そ の方 が示 され る 存 在 の 如 実 相 っ ま り 全 て の存 在 の <無 我>な る存 り方 の認 識 こ そが<輪 廻>す な わ ち<生 存 の連 鎖>か らの解 脱 を もた らす もの な ので あ るか ら、現 象 と して の宇 宙 を何 らか の 実 在 か ら派 生 し た もの とす る哲 学 を基 盤 と し、<我>の 心身 を執 着 す る こ とか ら もた ら され る 暴 流 の よ うな苦 悩 の生 存 もそ の認 識 に よ って寂 ま る こ とに な ろ う。何 らか の も の の<本 質 的実 在>が 等 し く<空>で あ る こ とが確 認 され る時、 ま さ に この 世 に<本 性 清 浄>の 智 が達 成 され、<輪 廻 的 生 存>は 終 息 す る の だ か ら。 そ の場 に あ っ て こ そ、 神 変 に よ る幻 化 は幻 化 として機 能 し得 る。 そ して、 そ れ故 に こそ、 そ の救 世 者 が示 され る<十 善 業 道>は、 あ らゆ る 外教 徒 の そ れ を (8) 超 え る力 を もっ た行 動 規 範 た り得 る の で あ る。 そ の仏 陀 は、 大 自在 天 を も超 え て、 自在 天 に 由来 す る啓 示 に基 づ く哲 学 を破 し、<本 質 的 実在>と し て の<我>(atman)を 否 定 す る も の と して、 人 間 の生 涯 を通 じてそ れ を具 現 す る存 在 た る こ とが要 請 され て いた。 っ ま り、仏 陀 が 人 間 として 出現 され た 意義 の 一っ は、 神 に して 神 自か ら 超 え る こ との な い<輪 廻>か らの解 脱 を示 す た め、 最 終 的 に〈 無 明住 地 〉 を破 し、<十 地>を 超 え て く 仏 地>を 証 す る こ と を も って、 三世 を降 す る もの で もな け れ ば な らな い必 然 (9) 性 が あ っ た の で あ る。 III i. 仏 陀 の<全 知 者 性>が 論 理 的 に合 理 とされ るな ら、 それ を保 証 す る<聖 言>(agama)は 必 ず しも必 要 とされ るわ け では な い。<聖 言>自 体 の権 威 に 基 づ い て<全 知 者>を 肯 定 化 しよ う とす る もの な の で は な い か ら。事 実 に即 した 〈 推 理 〉 が そ の存 在 を立 証 しさ えす れ ば、 そ して そ の存 在 を否 定 す る根 拠 が提 示 され な い 限 り、 あ え て<証 言>に よ る肯定 化 をす る要 は な い。

(10)

-128-ii. も し〈 ヴェ ー ダ〉 を絶 対 的 規 範 と 認 め る と す る な ら、 ど う して 釈 尊 が 〈 全 知 者 〉 で あ る こ と を認 め な い こ とが あ ろ うか。 じっ に、"Nimitta"と 名 付 け られ る一 枝 派 に は、 賢 者 た る婆 羅 門 達 に よ り、釈 尊 が<全 知 者>で あ る こ と が 明 白 に記 され て い る。<ヴ ェー ダ>や 聖典 を絶 対 視 す る立 場 に 立 ち なが ら、 ど う して、 そ の記 述 の信 慧 性 を否 定 し さる こ とが で き よ うか。 事 実、 正 統 派 の そ の書 に は、 次 の よ うに記 され て い る の で あ る。 「この方 は、 六 牙 の 白象 を本 性 とす る も の と して 自 らを夢 の 内 に 示 し、徳 の 海 とい うべ き菩 薩 と し て出 生 せ られ る。 慈 悲 を本 性 とされ る そ の お方 は、 す べ て を知 り給 い、 晋 聞 の 栄 誉 を得 られ、 浄 善 に して、 不 死 の位 を得、 あ ら ゆ る人 々 の父 とな られ る で あ ろ う。」 と。 も し〈 ヴ ェー ダ〉 に よ る認 識 を絶 対 とす る な ら、 この 記述 が 事 実 で あ る こ と を認 め ざ る を得 な い。 勿 論 の こ と、 あ え て他 派 の聖 典 に そ の 事 実 の保 証 を求 め (10) る も の で は な い に し て も。 〔続 〕 注 (1) 渡辺 照 宏:「 摂 真 実 論 序 章 の 翻 訳 研 究」,『東 洋 学 研 究 』, 2, 1969 (『渡 辺 照 宏 仏教 学 論 集 』, 1983, 再 録)

(2) Cf. STS. C. 226: tatah samavisaty avistamatrasya divyam jnanam utpadyate. tena jnanena paracittany avabudhyati. sarvakaryani catitanagatavartamanani

janati… … (ed. Horiuchi, Vol. 1, P.125); 続 阿毘 捨 已。 則 蛮 生 微 妙 智。由此 知他 心。 語 他心。 於 一 切 事 知 三 世(大 正 大 藏 纒, 第18巻, 218頁)

多分TS自 体 は, これ を 直 接 意 図 してvv, 3396-3400を 著 して い るの で は な い。 しか し、そ れ らの 効 力(sakti)の 実 在 を 明 白 の もの と す る点 に お い て は, 奇 妙 な対 応 を な して い る。

Cf. TS. 3473:

yadi va yogasamarthyad bhutajatanibham sphutam/ lingagaznanirasamsam manasazn yoginam bhavet//

(3) Cf. 圓仁: 而世間凡夫不観諸法本源。故妄謂有生。所以随生死流不能 自出。如彼無 智謁師 自運衆綜作可 畏夜 叉之形。成 已 自観之心生怖畏頓壁予地。衆生亦復如是。 自運 説 主 出 現 の 二 態

(11)

密 教 文 化 諸 法 本 源。 書 作三 界而 自没 其 中。 身 心熾 燃 備 受 諸 苦。 如来 有 智 謁 師 既 知 已。 即能 自在 成 立 大 悲 漫奈羅。 由是 而 言。 所 謂 甚深 秘 密 蔵 者 衆 生 自秘 之 耳。 非 佛 有 隠 也。(『金 剛頂 大 教 王 纒 疏 」, 大 正, 61巻, 10c); 弘 法 大 師全 集, Vol. 1, P.538. (4) Cf. TS. 3599

mayakaro yatha kascin niscitasvadigocaras/ ceto nirvisayam vetti tena bhranto na jayate// (5) Cf. TS. 3565: (v. p.104)

TSP. ad TS. 3565: drsta iti asminn eva janmani;

TSP. ad TS. 3486: yogah samadhih/ adisabdena hah/ drstadharme 'pity asminn eva janmani/ na kevalam paraloka ity apisabdena darsayati//

(6) TSP. ad TS. 4a: etat api nirdistam bhagavata "anavaragro hi bhiksavo, jatisamsarah" ityadina ... etac canutpannaryamargan adhik rtyoktam utpannaryamarganam to santa eva samsarah. ata evoktam "dirgho balasya

samsarah saddharmam avijanatah" iti (7) P(ramdna) V (drttika). 11. 34a: sadhanam karuna:

PV-vrtti ad PV. 11. 34a: nanv idrsasya pramanasya kim sadhanam ity a, ha sadhanam karuna. duhkhad duhkhahetos ca samuddharanakamata karuna. sa bhagavatah prainanyasya sadhanam.

Cf. TS(P). 5.

(8) Cf. TS. 3495-3499 (esp. 3497)

dasakarmapathah proktah subha ye tayina punah/ samyagdrstyupaguthas to balavanto bhavaty alam// (9) TSP. ad TS. 3591: (v. p.104)

TSP. ad TS. 4: atha kim ayam (pratityasamutpadam) anyair api hiranyagarbhadibhir evam abhisambuddhah ? nety aha agatam parair iti. sarvatirthanam vitathatmadrstyabhinivistatvad bhagavata evayam aveniko

'bhisambodha iti darsayati. etac ca sarvapariksasu pratipadayisyati. TSP. ad TS. 6: nanu caviparitah pratityasamutpado bodhisattvasrayakadibhir

api nirdistah. tat ko 'tratisayo bhagavatah? ity aha gadatamvara iti. yady api to sravakadayah pratityasamutpadam gadanti, tathapi bhagavan eva tesam gadatamvarah pradhanam/ bhagavadupadistasyaiva dharmatattvasya prakasanam. na hi tesam svato yathoktapratityasamutpadadesanayam saktir asti/

(10) 大 正 大 藏 纒Vol.18, P.10a.; 弘 法 大 師 全 集, Vol. 1, P.408.

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