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智山學報 第51 - 016森口 光俊「仏法者のための月輪観法 : 十住心と十牛図による」

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全文

(1)

仏 法 者

た め

月輪

観法

十住

十牛 図

によ る

森  

  光  俊

  [

1

] 序

 禅

修業

につ い て

の よ

われ る。 臨

は 「悟 りを

る修 業

(覚の 完 成、 直指人 心見性 成仏 )、

洞は 「

悟 り

に成る

修業」

(成 仏の 完成、威儀 即 仏法 、 修証一如)である と。 これにな ら え ば、 真 言は

りの全

を生 きる

修業」

(如 実 知 自心 、三密ユ ガ修業 、当相即道 即事 而真)と言 うべ か。

 

私は禅の 家風ゴ ッ ゴ ッ と した鍛錬 的

修業

し とする。 しか し、禅 家の 打 坐面壁 、 空中瞑黙 よ り、

言 家の 「月輪

観法」

を 自己の 意識の 集 中の た よ り ともな り、 禅 定 に入る に よ り優れ た方 法である と考 える。 「本 不生

(生 死 相 対 的あ りか たの 超越)を象 徴 する梵字

ア字観 法」は真 言行 人に独

で 一で は ない

え、 シン プル な月輪

観法

に摂在 さ れ うるの で取 ら ない Q

 

又、 月輪 観 法や ア字 観 法は 「本有

と 「修生」の 本 有に寄 り、 修生 を忘れ て 「即 事而 真 」を称 し、 ま たある人々 の

心や流

の イ ヤ シの た め にあるの で もない 。 日々 に

如実知 自

せ ん が た めの修 行であ ること は言

ま で もない 。

 

大 師 空 海の原 点は

の ご と くで

る。

   

そ れ仏 法 遥か にあらず、 心 中に してすな は ち近し。

   

真 如

て てい

くんか求 めん。

  

わ れ にあれば発 心

れ ばすなは ち到る。

  

暗他

らざれ ば

信修

すれ ば た ち ま ち に証す。

   

哀れなるかな、

れ な る かな、

眠の 子。

  

苦 しい か な、 痛い か な、 酔 狂の人。

狂は

は ざる を笑い 、

睡は

(2)

智 山学報 第五十 一輯

  

嘲 う

Q (般若心経秘鍵)

 

大 師 (以下、空海)は 「十

論」

(広〉

蔵宝

鑰 」 (略)にお い て 々 の 心の

か た、

識の発 展の相 (心 続生、 展転勝 心、 心 品転昇)を十の

心 (境 位、 階梯 )に示 し、

十 住の心、 至 高 絶 対の 智 慧 (覚り〉にい た る

道程

をあ き らか にする。

如実知 自

心 (至高 絶対の智慧 (覚 り)の動 態 その もの で ある宇 宙 森 羅万象世界 と そこ に生 きる人、 自ら がそれ を内在して い る こ とを如実に知るこ と)の 階

である。

観法

は こ の

第十住

心 (略)に お い て ア

字観法等

と ともに密

教独特

修業

として

示されて い る。

 

十 住 心の階梯は

劫 」 (≡妄執 :密教独 自の断惑論の三)、 「六無 畏 」 (自己 が 真 実の 己 を発 見する過程における六の 境 地)に配され、 月輪 観 法は 「般

の 十

 

s 六空

」:月の十六分 等の観 想 を なす。 第 九 住 心 以 前の 無 我、空の 階

を自 己もの と して調御、 通 達 しない か ぎ り、 「衆 生秘

密」

(目 を開 くこ との無い 自ら が みずか らの真 実 相を覆い して い る)で ある か ぎ り

十 住の

密 荘厳

り、 如 実 知

心 も

虚 空 法

界」

もあ りえ ない と

える。

菩提

心 (覚 りを求め る心の実)に通 達 すれ ば、 「

信 修す

れば

と言

こ とが大 前 提で あ るQ

 

禅 家 に

りを得る を

究 明」 と言い 仏 道 をな らふ とい ふ は、 自己 をな らふ な り、

己 を な らふ とい ふ は、 自己を わする る な り。

己 をわする る とい ふ は、 万 法に証せ らる る な り。 (道元禅師)

と言

 

臨済 末、 梁 山廓 庵禅 師の

は 、十 図に よっ て 己

究 明の楷 程 を明 示 し、

後の 生 涯 ;痴聖 の 遊

を証 してい る。

我である牛を調 御 して 武

涯 とその生 を示 して直截で ある。

 

当論 は宮 坂 宥 勝 : 「密 教 世

秘 蔵宝 鑰 ) と上 田閑照

田聖

: 「十

によ っ て

教の 瞑想 修 業 を仏 法 者の ための 一

生 を対

と した

月輪観法

と して

考察

する もの である。

ll

] [

は その た めの論 考を と

え たが 、 用 語 をは じめ稿 を作 す に十分でない ので両 者の対

の要点の み を 記 して別 稿にゆずる。 (

2

(3)

仏法者の た めの 月輪法 (森口)

 

[1 ]

十住 心 と十 牛 図に よ る如 実

知 自

心、 己事 究 明の構 造

  (

1

 

十住 心 と十

図の

 

「秘蔵 宝 鑰

似 ド.十住 ) と

(以 下.十牛)両 者の 如 実 知

、 己 事 究 明の 要 項

坂の す ぐれ た現代 達 竟訳 と十牛

図に付せ られ る題 と対 比 して掲 げ、 対 応の要 点 を述べ る。 両者の 十 階梯 と対 応は次の ごと くであ る。 十 住 心

      

1

・倫 理以前の

 

P

 

2

理 的世界

   

1

    

/ {

2

      

/ /

  

1

       ;

 

3

宗 教心の 目 ざめ 1/       13       丿       L  

4

:無 我を知る     

4

 

5

:お の れの 無 知 を除 く       

5

1

π

l

l

 

10

無 限の展 開       

10

尋 牛

跡 見牛 得 牛 牧牛 騎牛 帰 家

忘牛存

人 人

牛倶 忘

返本 還 源 入廓 垂 手 (1十 住 心の 如 実知 自心 も十牛 図の 己

事究

明 も

か ら見た覚へ の 階梯で ある。   .

無 我な る 主

体」

を獲 得 して何 如 に現

を生 きる か が十 住 心、 十 牛 図の 修 行の 目的で ある。

3)

覚 り

へ の 階

は無我な る 主

何如

に獲

するか、 無 我な る主

は世

如何

に と らえるか 空)、 主体が捕 らえた その 虚 空 法 界 (+ 住)で ある現 実 を

何に生 きるかに

る。

 

共 通する

10

階梯の キ イ ワー ドは、

4

:無 我、

7

8

牛) :空、

10

:虚 空 法 界 (覚 り:我 即大 日、真人 )で ある。 十

は キ イ ー ー ド

1

4

4

(4)

智 山学報 第五十一輯 一

7

7

10

境位

さ れ そ れ ぞ れ

つ ぎの

境位

地に展 開

を もっ て配される

4

).十住 心の 階梯 は

三劫 」、

無畏

」に配さ れて もい る。 月

輪観

十住

10

におい て、

真齧

行者

:既 に初 地の 隙

にある

薩の観 法 と して提 示 され てい る。

小 の と され る 三

妄執

る とい

う菩薩

真 言

行者

修 す

法である。

般 若の 十 六 空

義」

を配 する月の十六 分

次 第

と して

観想

を な

。 空

雷 う

「迷

われ にあれ ば

心 すれ ばす なは ち到る

は十

10

.の

言の行

地の

にある

菩薩

修業者

位にお け る意で もあ る。 空 海の

行者

する

自負

巧妙

さがある。

如実知

自心、真 言 家の 見 性 成 仏は

1

か ら は じまるの で ある か ら。

5

).十

月輪

を心の

、 その

をア

す なはち

本 不 生

で ある とする。

皿」に述べ る如 く月輪 を虚 空 法界 と解 する こ とに よっ て、

我 一

空 妙 有一 自性 清 浄一本 不生 一 虚 空法 界一心 月輪と して 、 それ らが

る 世界 とその もの で ある個 と、 その者の修 業と覚 とい

存 在の全構造の解は得られ る。

6

).月

は虚 空

法界

如来

なる仏

その ものであ り、 世

は その

動である。   空 海の核 心は虚 空法 界 : 日如 来なる仏 格 その もの で あ り、 世 界はその 活

であるこ と にあるが、 十

は総 合

源 的この仏

を想

しない 。

7

10

入 的 人 剛 (とし て の境 位) と

宮坂論

に言

。 秘

宝庫

は開か れたが

        

。 十

の 第十 図の

現 によれ ば、 それは、 マ ン ダラ と しての 仏 (像)

翻承

で ある。 我々 は

者と して悲

に生 き られ た 大 師 空海に その 実像 を見るの で あ る が、 十牛は ま さ に

1

10

の 己

究明の

覚後

の生 :

聖の遊

人 その もの 、

修業者

に おげる己

事究

萌の

完成

(4 )

(5)

仏 法者の た めの 月輪観法 ( を如 実に示 して い

8

).

輪観

法で は月 輪 を虚 空

法界

(十住) :縁 起の

無常

我な る森 羅 万

が 生成

変化

して

る生

命体

と しての

宇宙

普 遍の原 理 界 」 と解 する。 そ こ そ れ な るの :

なる主体で ある

本不生

なるが 生 きる。 入 擲 垂 手 なる

位、 「

相 即 道

 

而 真 」の 生で ある。 この 生 の 在 り方 につ い て の

の 理

N

3

)に示した。 (9>.

7

住一

8

牛。 十 住の

7

. 一切 空 あ る 空観 哲 学境 位

8

. 円窓

なはち人 牛

倶忘

の無我の主 体の境 位 を示 す。

 

十住は

7

.の 一切 空である

位 :無

の 主

に開か れる世 界を、

8

.現象 と実在、 自他の 一元 的 な生

と、

9

絶対宇 宙 法 界個 別 的 象を展 開して い る境 位 とに二 分する。 十牛

9

.返 本 還 源 (天台止観の 用 語)は 十住の

8

9

を摂 在 する。 また 、 十牛は

8

9

10

の境 位 を 三つ の段 階では な く相

相入の

面で あるとする。 (1◎.

1

. は仏 教、 禅に おける

心 (尋牛 ) か らは じ まる。 い か なる者にあっ て も当

の こ とである発心 にい た る まで の 苦 闘をこ こ で は 問わない 。 十 牛の

修業者

に出発 して い る。

発 心即 到」の 深意 は重い 。 空 海はそ こを十住 の

1

3

.に考 察 され た。 尋牛

1

.は十住の

1

3

. を前 提とす る。

 

当稿は

九 住 心 以

の無

、空の

階梯

己 もの して調

、 通 達 し ない か ぎ

生 秘

密」

る か

十住の

秘 密 荘

で ある

り、

実 知 自心 も 「自性清 浄

も 「

不生

虚 空法 界 」 もあ りえない との立場 か ら

考察

する。 (

11

).

4

4

牛の境

で ある。 こ こに到る まで も遥かに して遥かである。 十 牛の

1

3

. を対 応、 摂在 すべ きで ある と

える が

1

、 発 心 を

広義

(6)

 智 山学 報第五 十一 輯 して十 住の弟

3

.に配 する。   .

5

住一

5

牛。 真 実 を見

っ てい る か ら迷

がある。 無 我 をかい ならす と ころ に真 実が 開ける。 自己の究 明が他 者へ の 目を開 くの で あ る。

a3

).

6

住一

6

7

無我

をかい な ら

とこ ろ に開 ける

実 :万法 唯 一 、 心 外 無 別法。 目は大 空のか な たに 、 その

地に

常楽我

浄の

家郷

がある。

2

 

十 住心 と十

図に よ る如 実 知 自心、 己事 究 明の構 造 (a) 十   第 十住心 第九 , 一一一 住心

 

1    ノ       , ’ ’  ,’    「’ ’  ず   ,’    ,一 7                ,’ ’、’/ / ’ 旨 ノ// 1 

1

/ 鸛’鴇 /

滋       、

:: 一                 

、   、、  、    、   馬    、    、  」  、    、    し   ・丶 q   、

\ \丶

li

紛 第一住心 (b) 両者によ る修 業と覚 りのイメージ

0

1

10

個 人内在 す覚 り 。 斜度 は修生 (修行 )。 斜 線の は自我。 白部は虚 空 法界 一垂手

月輪 観

住 心、

十牛

図に つ い て

 (

1

 

6

(7)

仏法者の た めの 輪観法 (

0

.「虚 空 法 界 」 宇 宙 普 遍の原 理 界 0 − 1 .生 「盲目 の意志 」 0 − 2 .不安の の pa

O

3

.超 自我の 自覚無 我 O − 4 .宇 宙 普遍 原 理界の 自覚 0− 5 .「さ とり」有相の 生と 死 の ←  一一一> pa

  (

2

 

輪観法

図につ い て a .月輪

法にお ける虚 空法界 につ い て

 

月輪に

徴 する 「虚 空法 界」

 

:縁 起の場 :無 常、 無 我な る森 羅万

が生

       

変化

して る生

体 とし て の

宇 宙 普遍 の 理界

   無

我一

真空妙有

自性清浄

本不

生 一虚空法 界一 心月輪

b

. 心 品転昇

  

0

. 虚 空

   

O

1

. 自我一 〇−

2

.発

   

0

3

.超 自我 :

 

無 我の 自覚一 〇−

4

. 空 :虚 空

界の

一 〇−

5

.虚 空法 界 を生

   

きる。 c . 月輪 観 法 図の理解 無限の 零 水平軸は個 人が

内蔵す

相対

を越 え た

りの 心 :無 我 :

界の

(8)

  智 山学 報 第五 十一 輯 にお け る

実像

限の零水 平 軸上の 波線は相対の

苦楽

に揺れ る自我の 意識。 個 人の

実像

限の零 水 平 軸 と

りの

法界

道交す

る (加持)。 自我 を超

する とき意 識は無 限の

零水 平軸

収斂

法界

に還

本 す

る 体 不生)。

りは

相 :人 が そ れ を

持続

的に生 き死ぬ とこ ろ に

りは顕 現 する 如実知 自心 )。 * 無 相、

相は通 と異に

る。

自行

観 法

相とする。

  (

3

観法 と十 住 心、 十牛図 との 対 応

0

.無 相 :月輪に

象徴す

虚空法 界 」 :縁 起の

無常

無我

な る

羅 万

      

が 生

変化 して ある生命体 としての

宙普

遍 の原理界

       

「心 月

」。

0

1

. 生 ま れ た 目の意志。

    

1

0

2

:相 対 的 生

苦 楽

、 生 死の 在 り方。

   

[(

1

住)

1

.       

2

3

0

3

:超

自我

自覚

     

4

5

6

7

8

0

4

相 対 的 自我

に よ る

宇宙普

の原 理の

自覚

   

8

9

    

9

牛]

O

5

相 : 「さと

り」

完成

宇宙

普 遍の原理

を生 きる、 その もの と

    

して の 死。 一

10

  [

N

]仏

法 者の ため の 月輪観 法

   (

1

 

仏 教の人 間

 

9

世 紀の 仏 教 者、 日

の 空 海

774

835

、 中 国の 臨

済禅師

(?−

866

>は

如 実 知 自心二 。ジ。チ ジ 。.」

真正 の 自己 を 生 きよ」 と言っ てい る。 悲 喜 苦 楽にゆ れ る

自分

わ ない で よい の か。 そ れを超 えた、 実の如 くの 「真 実の

自分 を 知るべ 言 う 。 a .

1

りとは、い は く

の如 く自心 を知る な

。 (大日経、 秘蔵 宝鑰所引)

  

2

心に

りおよ び一

切智

を尋

。 何を もっ ての

に。

本性清浄

ホ.       (

8

(9)

仏法者の た めの 月輪 観法 (口)

   

シ。ウ シ。ウ ジ。ウなる が 故に。 心は内にあら

にあ らず、 お よ び中 間に

   

も不 可得な り。 (大 日経、秘蔵宝鑰所 引)

  

3

.一切 有 情の

い て、 一 浄性 あ り 。 衆 行みな備 なわ れ

   

り。 其の躰、 極

に して 皎

然 明白

ン メィハクな

。 乃 至、 六

   

れども、 亦、

変易

。 月の十六分の 一 の如し。 (秘蔵宝 鑰 )

  

4

.心は

月輪

の な お

軽霧

キ.ウ。の 中にある が ご と し。 (秘蔵宝鑰)

  

5

は生 死の

に纏。 ,わ れ、 心は愛 欲の河に溺る。 貴 き もの は恐

。 .

   

し、 賎 しき もの は飢 寒 す。 (理趣 経開 題)

  

6

.妄 心 もし起 ら ば、 知っ て 隨 うこ とな か れ。 妄 もし

む時んば心 源空

   

寂な り。 (秘蔵宝 鑰)

  

7

.心の本 源を知 り、 理の

修業す

れ ば

煩悩

を清めて心の本 性を

   顕

。 (秘 蔵宝 鑰)

  

8

. もし人、 仏 慧ブ ッ テ を求め て

菩提

心 (覚 りを求める心の真 実)に通 達

   

すれ ば 、 父 母所生ブ モ . シ.ウの

に速 や か に大 覚の位 を証 す。 (菩提 心論

 

。     即身成 仏、秘蔵宝鑰所 引)

b

1

.君 達 よ、

易な

め はい くら もある。 悪

の さ さ や きに魅せ られた     い の か。

    

酒に酔い しれ たい の か。 自 ら作 り出した

幻影

酒 に。

  

2

.君 達 よ、

達の恐れ不

はどこか ら

るのか。

えて も見た まえ、

   

全 て幻

にす ぎない では ない か。 君が 君の こ こ ろ に作 りだ してい るの

   

にす ぎない で は ない か。 その 幻 影か ら逃れ 、慰め られた くて 更に幻

   

め るの か。

  

3

正の

君達

よ、 その

悲喜

こ もご もに揺れ動い て 、 死の時を待っ

   

て い るの だ

正の君は どこ に

る の だ。 恨み妬み 、 喜び、 自らを たぶ

   

ら か し、 聖に も入 り

に も入る。

  

4

.君 達 よ、 自か らを幻 影よ り

き放て よ。

え られて い る 自分 を

よ。

   

そ こにい る

正 の

己 を生 きよ。 (臨 済録。 取 意。 岩波、 角川文庫 )

(10)

智 山学報第五十 一輯

 

空 海や

臨済

は現

の 我々 が追い めて止 まない 自意識 他 者 との差

、 個 性や理性とかの

る とする自我そ れ 自体 を疑っ て い る。 仏

で もある。

 

自我

は どの よ

るか。 例 えば、

を見る。 人は単に花 が そこに

る と は

ない 。 必 ず、 その花は美 しい か醜い か、 芳ば しい か な どの

価値

を く だす。 そ して不快な ものは拒 否、 嫌悪 し、 好ま しい もの に対 して は そ れ を手 に入 れ たい な どの

望 を もつ 渇愛。 ,。ウ)。

 

善 悪 :好 悪 :黒

:長

:生死 :男

:全ての

相対的

に生 き、 そこ で の

価値

決定

か ら免 れ え ない 。 自意 識、 自我、 我々 人 間の

EGO

は、

るべ き もの を見て も見 ない い て 聞か ない 。

悲劇

直視

で きない 。

他者

め きに耳 を閉じる。

らが生 きて い る場所で ある地球 と

然を

壊 して 自らに悪 を

してい るこ とさえ目を閉 じる。 自我はすべ ての もの の 中心にな ろ

とする本性を もつ 。 他のすべ ての もの を

己 に

従属

させ 、 自己の 支配 力 の も とにお こ とする。 認 識主体 とい うそ れ も 自己 中心 的、 我 欲 的である こ とを免 れ ない

   「

々 は

認識

し、 意

し、

行動

する とい うことを 自覚 して い る。 その と

  

き、 これ らの こ と をする主体 を外 界や他人 と区別 する。 つ ま り、 この 主     体は外 界や他 人 と対立する、 これ が 自我であ る。」(cf.デ カ ル ト.)

 

人 間 :

自我

である

々は、 日

の中で 自分の為に、 自ら を

ま し、

き一

して、 ひっ そ りと咲 くほ のか に白い ど くだみ の花に 目を向 けない 。

呼吸

してい る

は空

れ、

の 心は目の

われて しま う。 そ して自分が死 すべ

者 と して

を生 きてい る とい

う事

も認め

、 一 、 その よ

己を

い その不 安に慄 く。 自我はその ようにい つ もあ る。

 

空海は、 人 間が 自分の もの と考 える 空 想 の 自我の心 、

る が ま ま にある宇 宙 自然と遥か に離れ た心を越 えた

る心、

羅 万

宇宙 的本

質」

えた。 (

10

(11)

仏法者のた めの 月輪観 法 (森ロ)

 

と して在る。 造 ら れ た る もの は壊れ、 命 ある は滅する

ま りで ある。 存

する全て の物、 こ と は、 永 遠に生 じ滅 して 生成 変化 して止 まない 。 その よ

にあ りつ つ 、 それぞれ に充 実 した生

の 展 開を見せてい る (無 常)。

 

こ の ように在る万 物 は、生 成

変化

しつ つ 関係 性 い て 厂無 我

なる森 羅万

と して、

限に生命を産 出 し しつ つ 無 限に豊か な生の

を もっ て さま ざ まな まな生の諸 相を展 開 してい る。 世

、 万物は

る が ま ま にある

宇宙 自

法爾 自然ホ ゥージ ネ。

と して 調 和あ る一つ の宇 宙 的生命 体 :「虚 空法 界. ,ウホ .。イ」 と してある と捉 える。

 

た と え ば老 子 は言 う。 「山 も緑、

も緑、 緑 一天 地 が、 そ の緑に は無 限の 変化がある。 その

限の変 化 をその ま まに

ん で

は天 地 を

め出 してい る。 そこで は、 どの 草

もわれこ そ

本 当

だ と主張 して他 の

を排 斥 する ようなこ とは しない 。

各 自

己の緑を も ち な が ら他の 緑 と 一 っ て、 夏の 山野 を限 りな く充 実 させてい る。」(老子。

p

193

 

青 葉、 山、 ほ と とぎす

で あ る。 そ こ には何の作 為 的 な意 志や 、価

意 識 もな く、 くど くど しい や 理屈 ず けも、 わ ざ とら しい こ とも何 ひ とつ 無い 。 人 間の ように

作為

を弄 し、 己の

在 を固執した りする こ と も

い 。

は お か ら そ うあ 。 (cf.福 永、 老子 p .

53

)。

初 鰹 」 と言

の は私たちで ある (無 我)。

 

は、 こ の よ

にある森 羅 万 象の 全体 的 あ りかたで あ る 厂

宙 普 遍の原 理」を考え た。 そ して、 人は それ を本 性 と して 内

して い る

在であ りそ れ を真 実に知るべ である : 「

如実知 自

心 」であ れ と言

。 彼は こ こ に立 っ て、 生成変 化 して止ま ない 人 間の 、 その

真実

にお け る能 動 的な

宇 宙 的生命を生 きる人

間」

を全

肯定

し、 そ こ か ら発 言 し行 動 した。 (虚空法界)

   (

2

 

自己の

 生 れて以来、 こ の時まで家 庭 と少、 中、 高校とい う社 会の中で人 間の文 化、 知識 を学んで き た。 現 代が持つ さ ま ざ ま な文化、 人 間像 を受容、形 成 して き

(12)

智 山学 報第五十 一輯 た。 主体 的では な く、

容 とい

形で。

る とは、教 育カ ルチ ャ ー と は その ような もの で ある。

倣し

ぶ こ とか ら今の ス テ ッ プが

る。

 

ひ らが な、 カ タカナ 、漢

、 英 語、 数 学、 社

音楽

何 時

の 段 階で どの よ

倣 し

習得

して きたの であろ うか。 お は しの使い 方、 上品さ、 きちん と したあ り

、 まともさ、 人 間味 あふ れ た心な ど

ん で きた か どうか。 あ な た が こ の よ

に して、

こ こにい る。 本 来、 漢字や

語は、 あ なた とい う人 聞一人一人の た めの道 具にす ぎない 。 それ らの道 具 を

分で

使

っ て、 自分の 生活 を、 人 生を、 自分で歩 く、 自分で

える、 自分 を表 現す る、

分 を

創造

る とい

う時

を迎 えてい る。

くの者は その ままの 自己で、社 会 人に な るこ と、

に入 れ る こ と

々 、 老い るの は嫌だ とい い な が ら老 人になっ て し ま

。 そ して

人の

居場所

もない 。

特殊

な 日本の現 代、 入々 の 日々 に所

の ない 間 が余っ て きてい る と言

くが社 会の なかで 自分 を、 自分の 停 泊 地 を見い だせ ない で 、 一

、 一 あ りあ ま時 間を ど

使

か が

れてい る。 経 済 成 長 と余る時 間の果て、 少

の非

、 成人の 狂 気が テレ ビを にぎわ してつ い 思い をさせ られ る。

 

とこ ろ で かっ て、 死を

自然

淋 .の こと・と して、 自分の心を知る こ と、

分 とい う もの の本 質、 意味を知るこ との た め に 、けっ し て坐 臥せずたて膝で あ け

れ た

修行

の 人々 が あっ た。 自己の

完成

越、

りを

め る、 仏 道 修行。

修行

と言 う言葉が高 僧や特

な人々 の もの であっ た り、 古 め か し い と思 わ れ るの は お か しい 。 人は

々 な経 験を通 して人 と な る。 その 時の 、 その経験の全てが

己の

の ため の 一を進めて い るのだ とい

制 さ れ た

人 間観

を、

々はい ま

な くも

で ある。 自己の

成が 一

の こ とでない こ とは

れ に も明らか なの で ある か ら。

 

我々 は出生 以 来、 現

実社 会

のなかで

らが堅

にな し自か らを信 じる

我 によっ て悲

苦 楽に揺れ動い てい る。 その ような私であ りなが ら、 注

すれ ば、時に 、山で あ り水であ り緑で ある瞬 間の 自己 を確 認 するこ とがで る。

自然

との

や、 安 ら ぎを事 とするの で は ない 。 日常の

遊 にあっ て も許 さ れ た

との 問の

び 、

れ た人、智 友との交わ りの瞬 間に もその こ と

12

(13)

仏法者の た めの 月輪観 法 口) は確 認 出 来る 。 次の ように 自己を制

し、 世

じる人 もい る。 「ふ っ と

になる

感 覚

えて お くの で

。 過

も体に記憶 さ せ て 、 その 状

を作 りだ せ る よ

に し た。 も

一 人の 自分 を宙に浮かべ て ちっ ぽけな 自分 を客 観 視 する の です。」 (清水 宏保 .H12 .

8

2

.ア サ)

 我

々 は、 日

の 現

にあっ て静かにたちどま りさ

すれ ば、 自分 が宇 宙 的 い の ちの 元基である清 浄の

地、 水、 火、 風、 空

と して 輝 く

の 生死 を生 きつ つ る者である こ とを確認で きる。

 

湿っ た暖かい 土、 そ れは最 上 の もの で あり不 可欠の もの で あ る。

  

清らか な冷たい 、 そ れ は最 上 の もの であ り不 可 欠の もの で あ る。

  森

っ て くる豊か な風、 そ れ は最上の もの で あ り不 可 欠の もの で ある。

  深

、 広

葉樹

針葉樹

も入 り

じっ た原 生の

い の

静寂

、           それ は最上の もの で あ り、 不可欠の もの である。

  

黄金 色の

である火、 その源 を太 陽にも ち光 と熱を与 えて くれ る もの で           ある火、 それ は最上 の もの で あ り不 可 欠の もの で ある。    そ して こ の意 識、 僕とい う存 在を産み 出し僕 とい う存 在がやが てそこ に

      帰

っ て ゆ く永 遠に不滅で ある もの 、 そ れは最 上の もの であ り不

      

の で ある。」

          

(山尾三省 .「五 つ ノ根 」)

   (

3

 

月輪観 法の 目 的 :

りの 全

を生 きる修 行 と は何 か

 

如実知 自

;相 対の 世界 を 生 きる 人 間の 己的な

我 を越 えた 心、 こ の 内在す る宇 宙普遍 の心 を真 実に知るこ とがで き る か、 無 我の主体を 生 き る ことがで きるか。

 

も、

臨済

言 う

  

1

.人 間は、 空 海の説

自我

えられて、

動物

の 心に もなる。

  

2

. 生 と滅、 変

無我

空」

宇宙

遍の原理。 その よ

る     永 遠 と一体 となっ た時に、 なにも欠い てい ない 真実の人 間と して有 り

(14)

智 山学報 第五十一輯      得る。

  

3

っ た

っ た もし あ な たが望 む な らば、 その方

る。

  

4

.方法が 有る と言っ た。 そ ん なこ とよ

も、 もと も と、 まる ごとの君、

   

い て はい ない 、 その あ なた が、 そこ に宇 宙の風 を呼吸して い      るのだ。

   

自らが自ら を知らない とい

こ とにつ るの だ。

 

空 海、 臨 済は

如 実知

心」

と言っ て 、

々 が

高見

に立つ こと は

しい と

えるこ とを否

した。 先覚 者 達、

海は

我 を越 えた

高見

か ら その 時代 に発 言 し人 間の可 能性 を全面展 開した。 だが、 難 しい 。

 

しか し、 知る と知 らぬ は大 きな違い と も言

、 我 々 は 西

の 思想 ;

我 を追及 して理性と合 理に基づ い て 、 近 代 科 学が追 及 し た人 間の 文化の進 歩 発 展 とい

まされて 、 た さま ざま な人 間の欲 望を ま と もに制御で き ない とい

題 と状

を抱 えこ ん で い る。 我々 の今は、 あ り余る もの に 自己 を見

っ て、

分に、

自然

に、

他者

えて 、

御 身大

切に衣食 足 りて 礼 節は 関係

い かの時代の よ

である。

 

ン の 広

写真

家、 オー、 トス カニ ー二 よ れ ば欧州

ン ドと古 着 を さりげな く着こ な した原宿の

少女

は 、

未来

よ りも

大昔

の 、猿に なっ て この 世の産ま れ た時まで戻 りたい とい

。 世 界の

者の

くが

困 と 戦 禍にあ えい でい る。 階級 差 別や失 業に悩んでい る。 そ うし た問題にさ ら さ れ

に生活 してい る世

で唯一の存 在が 日の若者である。 現実 感 と目的を 失っ て想像の世界に遊ぶ 、 こ ぎれい な 天使 と言 う。 (ア サ ヒ. ’

98

10

3

 

れい な 天使ほ ど、

さ れ や

い 。 最 悪の バ ラエ テ ィ

番 組

に洗 脳さ れて、 自我の欲 っ する ま ま、 現 実感 と 目的を失っ て幻想の 世界を さ ま よ

。 ほ ん と

   猿

にな

たい の であろ

か。 空

によれば心の十の

程、

段 階

分 を

しめ よ

るの か a .虚 空

界 :

宇宙普

遍の原理 を生

る こ と。

   

:人間の

尊厳

無我

高見

何 如

に生 きる か にある。

実知 自心の

成 (

14

(15)

仏法者の た めの 月輪 観法 (森口) で あ る。

 

仏教は ブ ッ ダ以

人 間の 問題を人 間の現 実の 中で人 間 自 らの

実践

に よっ て

解決

して

た。 人 間の 尊厳 を意 志 して歩み続 けた。 ブ ッ ダの

え を生 きる

にそ れ が問わ れてい る。 空 海は 山に 入 り

に出て

りの 全 身を生 き た。 悲 し み を悲 しんだ。 ブ ッ ダの 教 えを 生 きる方の 日常で あ る。 月輪 観 法を修 し覚 りの 全

を生 きるこ と、 無 我の 高 見を生 きる こ との具 体は次の 如 くである。 無我 の 主体と して 自己の 日常と世

に常に 目

めて い る こ とで ある。

b

私の 人 生の

日の で きごと一

成功

の 要

り、 倦

、 快 楽、 金、 対 人 関係、 仕 事、 遊び一 の

知覚

と意

とが変

した。 私は もはや 自身の 一

部 分 とた た かっ てい ると は感 じな くなっ てい る。 自身の存 在の な か に 私は、全 体 的な統一 を感 じてい る。 い つ も、 分 離、 区別 が もはや

存在

しな く なる瞬 聞に は一 その時 私が な にをしてい ようとも一 空 問、平 和、 寂 静、 喜び、 明る さ に み ち み ちてい る」。 −

Lam

 

Das

一 c .

は今まで禅 宗の い わ ゆる悟 りとい ふ

を誤 解 して た。 悟 り とい ふ

は如 何なる場 合に も平気で死ぬ る事か と思 っ てい たの は 間違ひで 、 悟 りと い ふ事は如何なる場 合に も平 気で生 きて

であっ た。

 

因み に 問ふ 。

子に仏

あ りや。 日、 苦。

  

また問ふ 。 祖 師西 来の

は奈何。 日、 苦。

  

また問ふ 。

      

。 日、

苦」

  

岡子 規

d

.「あ らゆ る ものは変 化 する こ と を、 人 間はこ の 流 転 する世界 に捕 らえ ら れてい る こ と を、 無 知 と恐 怖の な かで我々 は利 己心の 錯 覚の た め に、 変 化 と 消 滅か らのが れ ようと してい るこ と、 この錯 覚が 、 我々 を 一 思想 や、 教

や、

特定

望や、 人

や、 政

治制度

や、

宗教体系

に固

させ よ

と して い る こと、

     

。 我々 の

済は、 わ れ わ れの 状 況を理 解 すること に、 我々 の 邪 悪 な

を追 放 する こ とに、 我々 の 責任に、 創 造 的に生 きる我々 の道徳 的

(16)

智 山学報 第五 十一輯

勇気

に、 われわれ の 慈 悲にある こ とで ある。

 

結 局の とこ ろ、貧 困、病 気、

知、 不

、 恐

悪、

己心の

克服

は 、我々 自

の 掌 中に、 そ して心の

にある。 我々 は、 これ らの諸 問題 と、 そしてそれ らが もた ら

す無用

し み を

ることがで きる。

 

我々 が 同情して

じ、 誠

え、

由に交 流 し、効果 的に調 整 し、そし て人

実現

の た めに、 最

まで こつ こ つ と ま じめにや りとお

こ とがで き る な らば、 我々 は

服で きる。 も し我々 が

世界に たい する責 任 」を

自覚

す るこ とが で きる な らば、

々 は

克服

で きる。 それが仏 教の メ ッセ ー ジで ある。 それ が今日、 仏 教が提 起 する課題である」。        一 ハ パ ース ンズー

 [

V

月輪 観

  (

1

 

輪観法

ガ チ。 ヵ . ポ 。

次第

        

輪観

数息観

ス ソ効 .

1

.室 内 明るか らず

か らざら

しと

2

.壁 面 に

かい

座 した目の 位

、 高か らず 低か ら ざる所に月の 円形 (

25

30c

, 白色 、 線描) を

ヵ けよ。

3

.壁 面の

月輪

礼拝

ラィハ イし終わ りて、 月輪よ り

1

5

2

Om

着 座  せ よ。

4

.深 く

を落 して 座 具に座せ。 左の 足を折 り右の 股上 に置 け。 痛め ば適 時 替 えよ。

5

と心 を

想 に 入 るべ く調 えよ。 上

を前

左 右 して安 定 なる体 を求め  よ。

  背

ば し、

をぬ くべ し。 両

腕を

田タ.デ。の

、 中空

 

にて

左 手平

上に

右手平

両親指

わせ宝

ホゥシ.

になし、

か ず離れ ざる もの とすべ

は上 口腔に

くべ し。

6

口よ り、

か らゆっ

くり全

て の

吐 き

出せ。    内臓を腹 底 (腹式 呼吸 :丹 田呼吸 :出息の出し終わっ た とこ ろが丹田である。) (

16

(17)

仏法者の た めの 輪観法 (口)  に安 着せ しめ よ。

7

.出入

呼吸

口 よ りして、静かに柔らか く、 ゆっ た りと なすべ し。

  

完全に出

し、 一 止を お く、

れ ば

自然

に入

息す

は丹田か ら

し丹   田 に 入 る。

 

「数 息観」 :数 息観 を作 さん に は、 目 を 閉 じ両視 線を

鼻端

に置 け。 丹田

  

(腹式)呼吸 の 出 入息の 出息 を一 つ と して十 息ソ クを数え よ。 十 息の

  

数を明

に 、途切 れ る こと な く意識 する こ とに集 中しこれ を繰 り返 すべ

  

し。 禅 定三昧ゼ .ジ.ウザ、マイに入 る初門 な り。

8

.壁 面の

輪 を

想せ よ。 自我 を超 えて無 我 なるこ と月

しと

諦観

テ ィ  ヵ ンせ よ。

  

想え、 月の明照なる如 く自心 も照朗な り。 想 え、 月の

清 涼

な る

く自心

  

も清 澄な り。 想え、 月の 潔

な る如 く自心 も白

な り。 想 え、 月の 清 浄

  

なる如 く自心 も浄性な り。 想え、 月の円満せ る如 く

心 も満

な り。 想

  

え、 月の

く自心 も独

な り。

9

。 目 を開 き、 目 を閉じて

し く

徹見

, ,ヶ.すべ し。 心 眼に明ら か に、 こ れ を  徹 見すべ

10

.月す なはち是れ我が心、 我が心 すな は ち是れ月な り。 月

にすべ て   な し。

  

心意の働 き、 是れ月

な り。 唯だ月輪の み を観 想 して他 物な か ら しめ よ。

  

全 て の思

像.ウ ゾ ゥを去れ。

11

し心、

めば、 つ とめて先の 月輪の徳 性Fク セ ィの

音読

せ よ。

12

.月

、 空

らかに

前 する こ と を得ば、 月

引摂

イ. 。,ウ

 

して 自らの胸 中に置き、 心 中に透徹 して実の

くに

察せ よ。 心 眼を もっ  て実像の 如 く観察せ よ。

13

.心 中に実像の如 くに定ま れ ば、

し く して 、 再 び心 中よ り引 き出して 眼

 前

の壁 面に置 け。

14

い で 、 月 輪を拡 大せ よ。

己の

きさ、

い は室 内に満つ る大 きさ に

 

せ よ。 国土 より更に、 宇 宙大 に満つ るまで。

各 自

に応 じて次第 に増 広

観 察

(18)

智 山学報第五十一輯   すべ し。 月 輪の 中に自身着 座せ り。 月輪、 時空 を超え たる 「虚空法 界 」な

 

り。

15

し、

く観想

して心

身疲

れ、

観想

を止め ん と

る とき、

月輪

を もと

 

く縮小 して心 中に月

め置 き、

わ りて座を立つ べ し。

   (

2

輪観法

実際

a .我々 は

しつ つ る。

真実

の 自己を

明 し よ

と してい る。 い ずこ に向かっ て究 明するの か、 自心に

尋求

するの で ある。

 

自心 に

尋求

する と は、

くに

心 を

るこ とで ある。

くに

心 を知ると は、 「無 我

の 地 平に開 か れる 自

を知る こ とで ある。

 無

我に よっ 開か れ る

自身

と は

よ る利己 心

相 対 的価 値 限 定を超え た 心の全 身で ある。 こ の心の全 身すな はち

自性 清 浄ジ シ。ウ シ,ウ ジ,ウ」 で ある こ とを尋 求 する の で ある。

  

,イゴわ れ にあれば発 心ホ. シ .

れば

な はち到る。

  

暗他

にあらざれ ば信 修 すれ ば た ち ま ちに証 す。 (空 海〉

b

.調 身、 調 息、 調 心 を基本 と して

月輪 」に象徴 する 「清 浄 」すなは ち 「自 心

で ある こ とをこの

身体

を もっ て

体得

しよ

と してい る。 足 や

背筋

の あ ち らこ ち らが

い 、

が お さ ま ら ない 、 そ れ よ りも心が定ま ら ない 。

 

実 習 して もその 繰 り返 しで これ は なん だ と思 う。 難 しい の で は、 わ か ら ない の で は なくて取 りか かるその気 持 ちが問題 なの だ。

 

身体を通 して 月輪と心とが一体となる と言 うその

浄の 意

や 、 「

心 :

自性

清浄」

が わ か ら ない 。 た ち ど ま る時わ か るの は、 私の人生 の

日の で きご と一 成功、 性の要 求、 怒 り、 倦 怠、 快 楽、 金、 対 人 関係、 仕 事、 遊び一 を 生 きてい る こ とである。 自我に埋 没 してい る私である。 c .調

も難 しい 。 調心 とな る と

識が と だえる。 一 定した意 識の

は ほ とんど無い 。

呼吸

えるこ とは 三、 四 で と だえる。 それ だけの 意 識の (18)

(19)

仏 法者の た めの 月輪観法 (森口) 持 続で しか ない の瞬 間の私は何 処へ い っ て し まっ たのか。

 朦朧

.,。ウとして

気付

い た

で あるの か。

気付

何秒

かの

も 私 なの 。 二 階の音 が 私 なの か、 道路 をバ イクが 走っ た と

じた

間が

な の か、 膝が痛い と感 じた時の 私が私なの か。 ふ っ と思 い 出 したあの こ との 怒 りが うずい てい る。 眠 くなっ て きてい る 、 これ が 私 なの か。

d

.今、月輪観を修行 してい る私 、呼吸の 数 をか ぞえる こ と だ けに集中 して、 その こ と だけが持 続 してい る意識である私が あ る。 その

続す る意識 を断つ

断片 的

で ある

無数

瞬間

が ある。

懸命

に集 中 しようとして い る私。 それ らの い ずれ が私なの か、 同じ なのか、

違 う

のか。 e . あ ら ゆ るもの は変化 する : 「無常

である。 我々 は この 流 転 する世界に 捕 らえら れて、無知 と恐 怖の な かで 「利 己心の 錯 覚」の た め に、 常に変 化 と

滅か らの が れ よ

と して い る。 この

錯覚

が、

々 を 一

の 思 想や、 教 説や、 特 定の展 望 や、 人物 や、 政

治制度

や、

宗教体系

に固

させ よ

と してい る。 これ らは

真実

なの であるの か 。             

0

1

. 生 ま れ たこ と :盲目の 意 志。

         

0

2

.不 安の 自覚 :相 対 的生 ;苦 楽、 生 死 の

り方。

f

.意志 し て、 い ど ま なけれ ば眠 りの怠惰 な時が 流 れ るだけで ある。 伸び き っ た

背筋

が頭 頂 に

緊張

して 通じて い る。 視 点は軽 く鼻 端 を捉 えて い る。

えるだけの意

識」

持続

してい

g

.深い

が ゆ っ た りと

まっ て、 血流は 四肢を透 過 して と どこお る とこ ろが ない 。 数 えるこ と に集中 し た その 数 を忘れ 、「肉体の溶 解の感 」に うな

く。 心と

体が融 合 した感

の 中に、

肉体

と私 を

れ た

続 する意識の み が

る。

(20)

智 山学報第五 十一輯

h

. ゆっ た りと した、 ふ く よか な優しい 暖か さの な かに明 晰な意 識が ある。 外か らの感

的 出来

を明 晰に感 じなが ら、 それ らは この 時に

続 してい る 意

障害

とは な らない 。

えども

聞け

ども きか

嗅 げ

どもか が ない 。

か ない 静かで 柔ら か な

限の空 間の 中に

明晰で静か な

識」の み が

る。

i

.透

して 月輪を視る。

輪 と意 識が 一

体」

と なる。 こ の ま まで あ

た い 、 満た さ れ た思い に

える。 こ こ まで は、

修行

の 意志 を もっ て

修す

もが

到達す

る とこ ろ である。

j

めて の

輪観

に、 こ こに

ち に繰

返 し到れ る か。 そ して その

続の獲 得が

定 的に

己の もの と して確立 で きるか が課 題 となる であ ろ う。 「日常の 自己とは異 なる求め るべ き 自己の 発 見

、 その

ま り

る。   人生の毎日の で きごと一 成功、 性の要 求、 怒 り、 倦 怠、 快 楽、 金、 対 人 関 係、 仕

、 遊び一 私の

自我で は無い 意 識 」、 真 実の 自己の ある こ と。

や 無 我になろ うと懸命 にな っ てい る の で ある。

k

りへ の

:修 行は、 その楷 程で生 じる

体と精神の合 一 に よる 自己の 純

びや 、 神 秘 的段 階は越え ら れ なけれ ば な らない 。

結果

的に生 じる

能力

(鋭 敏な視 覚、 聴覚、 臭 覚、 直感、 生 理 心 理的特 異な能 力、 超 自然の 出来 事の 知) を

るこ とを目

る もの で もない 。

粋な精

地に到 達 すること をの み求めて、 求め る とい

思 い も無い 。

無 思 量ムシ リ。ウ」(無我にな ろ と してい る 我 も無 いを目的とる。

1

.思

すべ き もの、 知

すべ きもの はすべ て消 え失せ て、

最後

にの

っ た

最高

真実

、 そ れ は 生 じもせ

、 滅 しもせ

、 来た らず、 去 らず、

られた もの で もな く、 変 化 も し ない 。 い か なる形で も現

せ ず、 時間的にも空間 的 (

20

(21)

仏 法 者のた めの月輪観 法 (森口) に も無 限、 無辺で あ る。 そ れ はすべ て の 「相 対 的 限定を離れ無 我 」である。 静

。。ヶジ.ウであ り、 孤であ り、独

で あ り、清 浄である。 こ れ が

無我の主 体 」である

る。 (cf.梶山、 中公)。

                     

0

3

.修 業 :

超 自我

の 自

:無 我。 m .壁 面の月輪を観想せ よ。

  

想え、 月の明 照 な る如 く自心 も照 朗な り。 想 え、 月の 清 涼 なる如 く

  

も清澄な り。 想 え、 月の

白なる如 く自心 も

白質

な り。 想え、 月の清 浄

  

なる

く自心 も浄性な り。

え、

の 円満せ る如 く自心 も満 体な り。 想

  

え、 月の

如 く自心 も

独尊

。 n .動かない かで柔らか な無限の 空 間に明 晰で

かな意識の み が ある。 か く して 、 この 明 晰で静か な意識 :心眼は、動か ない かで らか な無 限の 空 間の に月輪が放つ 無 我の光り を視る であろ う。 o .月輪、 空 中の月の

く明 らか に現 前 する こ とを

ば、 月輪 を引 摂i , ・ 一。ウ して 自らの 胸 中に置 き、 心 中に

透徹

ト ゥ . . して実の如 くに

観察

せ よ。 心 眼を も っ て実 像の

観察

せ よ。 透 徹 して、 月

と意識は既に 一

p

.私の 心 中に清 浄 月輪が 不

に在る。

月輪が私で あ り、 私が 月輪で あ るお 月

浄で る よ

に私は

浄、清 澄で ある。

自我

である私 を超 えて無 我 で ある か ら、私は如 来、 仏 を

め と して森 羅万 象の 普遍 を内在 する者なの で ある。 自我によ る 人間の

執着

、 煩悩、 汚れ を

れて い るか ら

「自性清

で ある。

 

私の 人 生 の 毎日の で きご と一成 功、性の 要 求、怒 り、 倦 怠、

快楽

、 金、 対 人 関係、 仕

、 遊 び 一

と意

した

 

は もは や 自身の 一が他の部 分 と たたか っ て い る とは感じ な くなっ てい る。 自身の存

のな か に私は

全 体 的な

を感 じて い る。 い つ も、 分 離、

(22)

智山学報第五

別が もはや

在 しな くな る瞬 間に は一その時 私が な にをしてい ようと も一

間、 平 和、 寂

び、 明るさにみ ちみちてい る。

       

0

4

.相

我の超

に よる

宇宙普遍

原 理 界

自覚

q

.胸 中よ り

月輪

き出イだ して もとの

如 く

置せ よ。 r .月 す なはち是れ

が心、 我が心 す なは ち是れ月な り。 心月輪の

べ てな し。 心 意の

き、 是れ月輪 な り。 唯だ月

のみ を観 想 して

他物

な か ら し め よ。 全て の 思惟、

影像

れ。 s .次い で、 月輪 を拡

せ よ。

己の大 きさ、

い は室 内に満つ る大い さ に なせ 。 国土 よ り更に、 宇

宙大

に満つ る まで 。

自に応 じて次 第に増 広 観

す べ

 

すな は ち時 空を超 えた る無限の

空 法

界」

な り

無常

我 なる森 羅 万 象が 生成 変化 して ある 生

体 と して の 「宇

宙普

遍の 原 理 界」 な り

 

月輪の 中に 自

身着

座せ 。 月輪の 中に不

に座 して い る 自ら を観

せ よ

t

.月輪 中の不

己 を

虚 空法

界」

な る月

な りと諦観せ よ。

 

自身

空 を

えた無 限の 「虚空

界 」な り。 自

は無

我な る森 羅 万象が 生成 変 化し てある生

命体

と して の

宇 宙普遍の 原 理界 」その もの な り。

 

あ くが れ に 、悲 しみに、 快 楽にたぶ らか さ れ ることな く目

めて い る

間 瞬間 に生 の

の充 足がある。 ひと

吸ひ と

吸、

瞬 間

を生 きてい る人

け難が たい 不 思 議

 

世界は、 自分は、 他 者は、 森 羅万

我の 根 底か ら無限の 虚 空法 界に、 生死 を

えた もの と して

あ る が ま まに 「法爾 自然」〉在る の で ある。 空 海は

無 我の主

体」

で あ る こ の君 を 「仏

言 う

     0

月輪

象徴す

虚空 法

界」

無常

我な る森

 

が 生成

変化

し て

る生

命体

と しての

宙普

遍の原理界 」 :心 月輪。 (

22

参照

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   ︵大阪讐學會雑誌第十五巻第七號︶

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