仏 法 者
の
た め
の
月輪
観法
十住
心
と十牛 図
によ る森
口
光 俊
[1
] 序禅
の修業
につ い て次
の よう
に言
われ る。 臨済
は 「悟 りを得
る修 業」
(覚の 完 成、 直指人 心見性 成仏 )、曹
洞は 「悟 り
に成る修業」
(成 仏の 完成、威儀 即 仏法 、 修証一如)である と。 これにな ら え ば、 真 言は「
悟
りの全身
を生 きる修業」
(如 実 知 自心 、三密ユ ガ修業 、当相即道 即事 而真)と言 うべ きか。私は禅の 家風ゴ ッ ゴ ッ と した鍛錬 的
修業
を好
し とする。 しか し、禅 家の 打 坐面壁 、 空中瞑黙 よ り、真
言 家の 「月輪観法」
を 自己の 意識の 集 中の た よ り ともな り、 禅 定 に入る に よ り優れ た方 法である と考 える。 「本 不生」
(生 死 相 対 的あ りか たの 超越)を象 徴 する梵字「
ア字観 法」は真 言行 人に独特
で 一般で は ないう
え、 シン プル な月輪観法
に摂在 さ れ うるの で取 ら ない Q又、 月輪 観 法や ア字 観 法は 「本有
」
と 「修生」の 本 有に寄 り、 修生 を忘れ て 「即 事而 真 」を称 し、 ま たある人々 の安
心や流行
の イ ヤ シの た め にあるの で もない 。 日々 に「
如実知 自
心」
を期
せ ん が た めの修 行であ ること は言う
ま で もない 。大 師 空 海の原 点は
次
の ご と くであ
る。そ れ仏 法 遥か にあらず、 心 中に してすな は ち近し。
真 如
外
にあ
らず
、身
を棄
て ていず
くんか求 めん。迷
悟
わ れ にあれば発 心す
れ ばすなは ち到る。明
暗他
にあ
らざれ ば信修
すれ ば た ち ま ち に証す。哀れなるかな、
哀
れ な る かな、長
眠の 子。苦 しい か な、 痛い か な、 酔 狂の人。
痛
狂は酔
は ざる を笑い 、酷
睡は覚
者智 山学報 第五十 一輯
を
嘲 う
Q (般若心経秘鍵)大 師 (以下、空海)は 「十
住
心論」
(広〉「
秘蔵宝
鑰 」 (略)にお い て 我々 の 心の あり
か た、意
識の発 展の相 (心 続生、 展転勝 心、 心 品転昇)を十の住
心 (境 位、 階梯 )に示 し、第
十 住の心、 至 高 絶 対の 智 慧 (覚り〉にい た る道程
をあ き らか にする。如実知 自
心 (至高 絶対の智慧 (覚 り)の動 態 その もの で ある宇 宙 森 羅万象世界 と そこ に生 きる人、 自ら がそれ を内在して い る こ とを如実に知るこ と)の 階梯
である。月
輪観法
は こ の第十住
心 (略)に お い て ア字観法等
と ともに密教独特
の修業
として提
示されて い る。十 住 心の階梯は
「
三劫 」 (≡妄執 :密教独 自の断惑論の三)、 「六無 畏 」 (自己 が 真 実の 自己 を発 見する過程における六の 境 地)に配され、 月輪 観 法は 「般若
の 十s 六空
義
」:月の十六分 等の観 想 を なす。 第 九 住 心 以 前の 無 我、空の 階梯
を自 己もの と して調御、 通 達 しない か ぎ り、 「衆 生秘密」
(目 を開 くこ との無い 自ら が みずか らの真 実 相を覆い 隠 して い る)で ある か ぎ り第
十 住の 「秘密 荘厳
心」
であ
る覚
り、 如 実 知自
心 も「
虚 空 法界」
もあ りえ ない と考
える。菩提
心 (覚 りを求め る心の真実)に通 達 すれ ば、 「信 修す
れば」
と言う
こ とが大 前 提で あ るQ禅 家 に
悟
りを得る を「
己事
究 明」 と言い 、 「仏 道 をな らふ とい ふ は、 自己 をな らふ な り、自
己 を な らふ とい ふ は、 自己を わする る な り。自
己 をわする る とい ふ は、 万 法に証せ らる る な り。 (道元禅師)」
と言う
。臨済 末、 梁 山廓 庵禅 師の
「
十牛
図」
は 、十 図に よっ て 己事
究 明の楷 程 を明 示 し、覚
後の 生 涯 ;痴聖 の 遊戯
を証 してい る。無
我である牛を調 御 して 武骨
、「
真
人」
の境
涯 とその生 を示 して直截で ある。当論 は宮 坂 宥 勝 : 「密 教 世
界
の構
造」
(秘 蔵宝 鑰 ) と上 田閑照、柳
田聖山
: 「十牛
図」
によ っ て 、密
教の 瞑想 修 業 を仏 法 者の ための 一般
の学
生 を対象
と した月輪観法
と して考察
する もの である。[
ll
] [
皿]
は その た めの論 考を と考
え たが 、 用 語 をは じめ稿 を作 す に十分でない ので両 者の対応
の要点の み を 記 して別 稿にゆずる。 (2
)仏法者の た めの 月輪観法 (森口)
[1 ]
十住 心 と十 牛 図に よ る如 実知 自
心、 己事 究 明の構 造(
1
)
十住 心 と十
牛
図の対
応「秘蔵 宝 鑰
」
似 ド.十住 ) と「
十牛
図」
(以 下.十牛)両 者の 如 実 知自
心、 己 事 究 明の 要 項を宮
坂の す ぐれ た現代 達 竟訳 と十牛各
図に付せ られ る題 と対 比 して掲 げ、 対 応の要 点 を述べ る。 両者の 十 階梯 と対 応は次の ごと くであ る。 十 住 心十
牛
図1
・倫 理以前の咽
P
2
:倫
理 的世界1
/ {
2
/ /
1
;
3
:宗 教心の 目 ざめ 1/ 13 丿 L4
:無 我を知る4
5
:お の れの 無 知 を除 く5
1
:
躯
欝
うπ
l
l
:
讖
野
≧
こ
10
:無 限の展 開10
尋 牛見
跡 見牛 得 牛 牧牛 騎牛 帰 家忘牛存
人 人牛倶 忘
返本 還 源 入廓 垂 手 (1).十 住 心の 如 実知 自心 も十牛 図の 己事究
明 も覚
か ら見た覚へ の 階梯で ある。 .「
無 我な る 主体」
を獲 得 して何 如 に現実
を生 きる か が十 住 心、 十 牛 図の 修 行の 目的で ある。(
3)
.覚 り
へ の 階梯
は無我な る 主体
を何如
に獲得
するか、 無 我な る主体
は世界
を如何
に と らえるか (空)、 主体が捕 らえた その 虚 空 法 界 (+ 住)で ある現 実 を如
何に生 きるかにあ
る。共 通する
10
階梯の キ イ ワー ドは、4
:無 我、7
(8
牛) :空、10
:虚 空 法 界 (覚 り:我 即大 日、真人 )で ある。 十住
は キ イ ー ワー ドに応 じて1
−4
、4
智 山学報 第五十一輯 一
7
、7
−10
の三つ の境位
に配さ れ そ れ ぞ れの境
地がつ ぎの境位
と境
地に展 開す
る整
合性
を もっ て配される。 (4
).十住 心の 階梯 は「
三劫 」、「
六無畏
」に配さ れて もい る。 月輪観
は十住
の第
10
住
におい て、真齧
の行者
:既 に初 地の 隙弟
にある菩
薩の観 法 と して提 示 され てい る。微
小 の と され る 三妄執
が残
る という菩薩
、真 言
の行者
が修 す
る観
法である。「
般 若の 十 六 空義」
を配 する月の十六 分等
の次 第
と して観想
を なす
。 空海
の雷 う
「迷悟
われ にあれ ば発
心 すれ ばす なは ち到る」
は十住
の第
10
.の真
言の行者
:初
地の 階梯
にある菩薩
、修業者
の境
位にお け る意で もあ る。 空 海の真
喬行者
に対
する自負
と巧妙
さがある。如実知
自心、真 言 家の 見 性 成 仏は第
1
(准
か ら は じまるの で ある か ら。(
5
).十住
は月輪
を心の形
、 その質
をア字
す なはち「
本 不 生」
で ある とする。「
皿」に述べ る如 く月輪 を虚 空 法界 と解 する こ とに よっ て、無
我 一 空一真
空 妙 有一 自性 清 浄一本 不生 一 虚 空法 界一心 月輪と して 、 それ らが意
味す
る 世界 とその もの で ある個 と、 その者の修 業と覚 という
存 在の全構造の解は得られ る。(
6
).月輪
は虚 空法界
であ
り大
日如来
なる仏格
その ものであ り、 世界
は その活
動である。 空 海の核 心は虚 空法 界 :大 日如 来なる仏 格 その もの で あ り、 世 界はその 活動
であるこ と にあるが、 十牛
は総 合根
源 的この仏格
を想定
しない 。(
7>.第
10
住心
を「
全
入 的 人 剛 (とし て の境 位) と宮坂論
に言う
。 秘密
の宝庫
は開か れたが。 十
牛
の 第十 図の表
現 によれ ば、 それは、 マ ン ダラ と しての 仏 (像)の 澄界
の翻承
で ある。 我々 は覚
者と して悲喜
に生 き られ た 大 師 空海に その 実像 を見るの で あ る が、 十牛は ま さ に1
−10
の 己事
究明の完
成
、覚後
の生 :痴
聖の遊戯
、真
人 その もの 、修業者
に おげる己事究
萌の完成
(4 )仏 法者の た めの 月輪観法 (森口) を如 実に示 して い る。 (
8
).当
月輪観
法で は月 輪 を虚 空法界
(十住) :縁 起の 場 :無常
、無
我な る森 羅 万象
が 生成変化
してあ
る生命体
と しての「
宇宙
普 遍の原 理 界 」 と解 する。 そ こ をそ れ な るもの :無
我なる主体で ある「
本不生」
なる私が 生 きる。 入 擲 垂 手 なる境
位、 「当
相 即 道即
事
而 真 」の 生で ある。 この 生 の 在 り方 につ い て の私
の 理解
はN
(3
)に示した。 (9>.7
住一8
牛。 十 住の7
. 一切 空で あ る 空観 哲 学の境 位は十牛
の8
. 円窓す
なはち人 牛倶忘
の無我の主 体の境 位 を示 す。十住は
7
.の 一切 空である境
位 :無我
の 主体
に開か れる世 界を、8
.現象 と実在、 自他の 一元 的 な生命
の 世界 と、9
.の絶対の宇 宙 法 界が個 別 的に現 象を展 開して い る境 位 とに二 分する。 十牛9
.返 本 還 源 (天台止観の 用 語)は 十住の8
、9
を摂 在 する。 また 、 十牛は8
、9
、10
の境 位 を 三つ の段 階では な く相即
相入の局
面で あるとする。 (1◎.1
. は仏 教、 禅に おける発
心 (尋牛 ) か らは じ まる。 い か なる者にあっ て も当然
の こ とである発心 にい た る まで の 苦 闘をこ こ で は 問わない 。 十 牛の修業者
は既 に出発 して い る。「
発 心即 到」の 深意 は重い 。 空 海はそ こを十住 の1
−3
.に考 察 され た。 尋牛1
.は十住の1
−3
. を前 提とす る。当稿は
第
九 住 心 以前
の無我
、空の階梯
を自
己 もの として調御
、 通 達 し ない か ぎり
、「
衆
生 秘密」
であ
る かぎ
り第
十住の厂
秘 密 荘厳
心」
で ある覚
り、如
実 知 自心 も 「自性清 浄」
も 「本
不生」
も「
虚 空法 界 」 もあ りえない との立場 か ら考察
する。 (11
).4
住
一4
牛の境位
で ある。 こ こに到る まで も遥かに して遥かである。 十 牛の1
−3
. を対 応、 摂在 すべ きで ある と考
える が1
.牛
、 発 心 を広義
に解
智 山学 報第五 十一 輯 して十 住の弟
3
.に配 する。 .5
住一5
牛。 真 実 を見失
っ てい る か ら迷妄
がある。 無 我 をかい ならす と ころ に真 実が 開ける。 自己の究 明が他 者へ の 目を開 くの で あ る。a3
).6
住一6
.7
牛
。無我
をかい な らす
とこ ろ に開 ける真
実 :万法 唯 一心 、 心 外 無 別法。 目は大 空のか な たに 、 その境
地に常楽我
浄の家郷
がある。(
2
)
十 住心 と十
牛
図に よ る如 実 知 自心、 己事 究 明の構 造 (a) 十住心の構造 第 十住心 第九 , 一一一 住心/
/1 ノ , ’ ’ ,’ 「’ ’ ず ,’ ,一 7 ” ,’ ’、’/ / ’ 旨 ノ// 1 //
職
1
〆
/ 鸛’鴇 /趨
滋 、二
ニ
コ
::二 一 、 、 、 丶 一ミ
\:
\
、 、、 、 、 馬 、 、 」 、、 、 し ・丶 q 、ぐ
\ \丶li
競
捌
田
捌
雄
紛 第一住心 (b) 両者によ る修 業と覚 りのイメージ0
1
−10
は個 人に内在 する覚 りを求める心 。 斜度 は修生 (修行 )。 斜 線の 山は自我。 白部は虚 空 法界 一入邸垂手 。[
皿]
月輪 観法
と十
住 心、十牛
図に つ い て(
1
)
月
輪
観法
(6
)仏法者の た めの 月輪観法 (森口)
0
.「虚 空 法 界 」 宇 宙 普 遍の原 理 界 0 − 1 .生 「盲目 の意志 」 0 − 2 .不安の 自覚 の paO
−3
.超 自我の 自覚 :無 我 O − 4 .宇 宙 普遍 原 理界の 自覚 0− 5 .「さ とり」有相の 生と 死 の ← 一一一> pa(
2
)
月
輪観法
図につ い て a .月輪観
法にお ける虚 空法界 につ い て月輪に
象
徴 する 「虚 空法 界」:縁 起の場 :無 常、 無 我な る森 羅万
象
が生成
変化
して ある生命
体 とし て の「
宇 宙 普遍 の 原理界」
。無
我一空
一真空妙有
一自性清浄
一本不
生 一虚空法 界一 心月輪b
. 心 品転昇0
. 虚 空法
界O
−1
. 自我一 〇−2
.発心
0
−3
.超 自我 :無 我の 自覚一 〇−
4
. 空 :虚 空法
界の 自覚
一 〇−5
.虚 空法 界 を生きる。 c . 月輪 観 法 図の理解 無限の 零 水平軸は個 人が
内蔵す
る相対
を越 え た覚
りの 心 :無 我 :法
界の個
人智 山学 報 第五 十一 輯 にお け る
実像
。無
限の零水 平 軸上の 波線は相対の苦楽
に揺れ る自我の 意識。 個 人の覚
りの実像
であ
る無
限の零 水 平 軸 と覚
りの法界
は感
応道交す
る (加持)。 自我 を超克
する とき意 識は無 限の零水 平軸
に収斂
し法界
に還本 す
る 体 不生)。覚
りは有
相 :人 が そ れ を持続
的に生 き死ぬ とこ ろ に覚
りは顕 現 する (如実知 自心 )。 * 無 相、有
相は通 と異にす
る。自行
の観 法
を無
相とする。(
3
)
観法 と十 住 心、 十牛図 との 対 応0
.無 相 :月輪に象徴す
る「
虚空法 界 」 :縁 起の場
:無常
、無我
な る森
羅 万象
が 生成
変化 して ある生命体 としての 「宇宙普
遍 の原理界」
:「心 月
輪
」。0
−1
. 生 ま れ たこ と :盲目の意志。[
1
住]
0
−2
.不安
の自
覚 :相 対 的 生 ;苦 楽
、 生 死の 在 り方。[(
1
住)1
.2
.3
]0
−3
.修業
:超自我
の自覚
:無
我[
4
.5
.6
.7
.8
牛]
0
−4
.相 対 的 自我の超克
に よ る宇宙普
遍の原 理の自覚
。[
8
.9
.9
牛]
O
−5
:有
相 : 「さとり」
の完成
;宇宙
普 遍の原理界
を生 きる、 その もの として の 死。 一
[
10
]
[
N
]仏
法 者の ため の 月輪観 法(
1
)
仏 教の人 間
像
9
世 紀の 仏 教 者、 日本
の 空 海 (774
−835
)、 中 国の 臨済禅師
(?−866
>は「
如 実 知 自心二 。ジ。チ ジ 。.」「
真正 の 自己 を 生 きよ」 と言っ てい る。 悲 喜 苦 楽にゆ れ る自分
を疑
わ ない で よい の か。 そ れを超 えた、 実の如 くの 「真 実の」
自分 を 知るべ きで ある と言 う 。 a .1
.覚
りとは、い は く実
の如 く自心 を知る なり
。 (大日経、 秘蔵 宝鑰所引)2
.自
心に覚
りおよ び一切智
を尋求
す。 何を もっ ての故
に。本性清浄
ホ. (8
)仏法者の た めの 月輪 観法 (森口)
シ。ウ シ。ウ ジ。ウなる が 故に。 心は内にあら
ず
、外
にあ らず、 お よ び中 間にも不 可得な り。 (大 日経、秘蔵宝鑰所 引)
3
.一切 有 情の 心質
の 中に於
い て、 一分の 浄性 あ り 。 衆 行みな備 なわ れり。 其の躰、 極
妙
に して 皎然 明白
。 ウネン メィハクなり
。 乃 至、 六趣
に輪
廻す
れども、 亦、
変易
せず
。 月の十六分の 一 の如し。 (秘蔵宝 鑰 )4
.心は月輪
の な お軽霧
キ.ウ。の 中にある が ご と し。 (秘蔵宝鑰)5
.身
は生 死の縛
に纏。 ,わ れ、 心は愛 欲の河に溺る。 貴 き もの は恐怖
。 .し、 賎 しき もの は飢 寒 す。 (理趣 経開 題)
6
.妄 心 もし起 ら ば、 知っ て 隨 うこ とな か れ。 妄 もし息
む時んば心 源空寂な り。 (秘蔵宝 鑰)
7
.心の本 源を知 り、 理の如
く修業す
れ ば煩悩
の垢
を清めて心の本 性を顕
わす
。 (秘 蔵宝 鑰)8
. もし人、 仏 慧ブ ッ テ を求め て菩提
心 (覚 りを求める心の真 実)に通 達すれ ば 、 父 母所生ブ モ . シ.ウの
身
に速 や か に大 覚の位 を証 す。 (菩提 心論。 即身成 仏、秘蔵宝鑰所 引)
b
.1
.君 達 よ、安
易な慰
め はい くら もある。 悪魔
の さ さ や きに魅せ られた い の か。美
酒に酔い しれ たい の か。 自 ら作 り出した幻影
の先
に在
る美
酒 に。2
.君 達 よ、君
達の恐れ不安
はどこか らく
るのか。考
えて も見た まえ、全 て幻
影
にす ぎない では ない か。 君が 君の こ こ ろ に作 りだ してい るのにす ぎない で は ない か。 その 幻 影か ら逃れ 、慰め られた くて 更に幻
影
を
求
め るの か。3
.真
正の君達
よ、 その君
が悲喜
こ もご もに揺れ動い て 、 死の時を待って い るの だ
真
正の君は どこ に在
る の だ。 恨み妬み 、 喜び、 自らを たぶら か し、 聖に も入 り
穢
に も入る。4
.君 達 よ、 自か らを幻 影よ り解
き放て よ。捉
え られて い る 自分 を見
よ。そ こにい る
真
正 の自
己 を生 きよ。 (臨 済録。 取 意。 岩波、 角川文庫 )智 山学報第五十 一輯
空 海や
臨済
は現代
の 我々 が追い 求めて止 まない 自意識、 他 者 との差異
、 個 性や理性とかの自
分、自
分の物
で ある とする自我そ れ 自体 を疑っ て い る。 仏教
の 基本
で もある。自我
は どの よう
に在
るか。 例 えば、花
を見る。 人は単に花 が そこにあ
る と は見
ない 。 必 ず、 その花は美 しい か醜い か、 芳ば しい か な どの価値
判断
を く だす。 そ して不快な ものは拒 否、 嫌悪 し、 好ま しい もの に対 して は そ れ を手 に入 れ たい な どの欲
望 を もつ (渇愛一無明。 ,。ウ)。善 悪 :好 悪 :黒
白
:長短
:生死 :男女
:全ての相対的
世界
に生 き、 そこ で の利
己的
な価値
の決定
か ら免 れ え ない 。 自意 識、 自我、 我々 人 間のEGO
は、見
るべ き もの を見て も見 ない 、 聞い て 聞か ない 。悲劇
を直視
で きない 。他者
のう
め きに耳 を閉じる。自
らが生 きて い る場所で ある地球 と自
然を破
壊 して 自らに悪 を為
してい るこ とさえ目を閉 じる。 自我はすべ ての もの の 中心にな ろう
とする本性を もつ 。 他のすべ ての もの を自
己 に従属
させ 、 自己の 支配 力 の も とにお こ うとする。 認 識主体 とい うそ れ も 自己 中心 的、 我 欲 的である こ とを免 れ ない 。「
我
々 は認識
し、 意識
し、行動
する とい うことを 自覚 して い る。 その とき、 これ らの こ と をする主体 を外 界や他人 と区別 する。 つ ま り、 この 主 体は外 界や他 人 と対立する、 これ が 自我であ る。」(cf.デ カ ル ト.)
人 間 :
利
己的
な自我
である我
々は、 日常
の中で 自分の為に、 自ら を晦
ま し、揺
れ動
き一喜
一憂
して、 ひっ そ りと咲 くほ のか に白い ど くだみ の花に 目を向 けない 。呼吸
してい る私
は空気
を忘
れ、私
の 心は目の前
の事
や物
に奪
われて しま う。 そ して自分が死 すべき
者 と して今
を生 きてい る という事
も認めず
、 一方で 、 その よう
な自
己を疑
い その不 安に慄 く。 自我はその ようにい つ もあ る。空海は、 人 間が 自分の もの と考 える 空 想 の 自我の心 、
在
る が ま ま にある宇 宙 自然と遥か に離れ た心を越 えた「
無
我」
であ
る心、「
森
羅 万象
の宇宙 的本
質」
を考
えた。 (10
)仏法者のた めの 月輪観 法 (森ロ)
世
界
の 万物
は無
常 と して在る。 造 ら れ た る もの は壊れ、 命 ある は滅する定
ま りで ある。 存在
する全て の物、 こ と は、 永 遠に生 じ滅 して 生成 変化 して止 まない 。 その よう
にあ りつ つ 、 それぞれ に充 実 した生命
の 展 開を見せてい る (無 常)。こ の ように在る万 物 は、生 成
変化
しつ つ 全 て との 関係 性 におい て 厂無 我」
、「
空」
なる森 羅万象
と して、無
限に生命を産 出 し しつ つ 無 限に豊か な生の力
を もっ て さま ざ まな まな生の諸 相を展 開 してい る。 世界
、 万物は在
る が ま ま にある宇宙 自
然(
法爾 自然ホ ゥージ ネ。〉
と して 調 和あ る一つ の宇 宙 的生命 体 :「虚 空法 界. ,ウホ .。イ」 と してある と捉 える。た と え ば老 子 は言 う。 「山 も緑、
水
も緑、 緑 一色の夏の天 地で ある が、 そ の緑に は無 限の 変化がある。 その無
限の変 化 をその ま まに孕
ん で、緑
は天 地 を染
め出 してい る。 そこで は、 どの 草木
もわれこ そ本 当
の緑
だ と主張 して他 の緑
を排 斥 する ようなこ とは しない 。各 自
が自
己の緑を も ち な が ら他の 緑 と 一つ にな っ て、 夏の 山野 を限 りな く充 実 させてい る。」(老子。p
,193
)「
青 葉、 山、 ほ と とぎす」
で あ る。 そ こ には何の作 為 的 な意 志や 、価値
意 識 もな く、 くど くど しい 言い 訳や 理屈 ず けも、 わ ざ とら しい こ とも何 ひ とつ 無い 。 人 間の ように作為
を弄 し、 己の存
在 を固執した りする こ と も無
い 。す
べ て は おの ずか らに してそ うある 。 (cf.福 永、 老子 p .53
)。「
初 鰹 」 と言う
の は私たちで ある (無 我)。空
海
は、 こ の よう
にある森 羅 万 象の 全体 的 あ りかたで あ る 厂宇
宙 普 遍の原 理」を考え た。 そ して、 人は それ を本 性 と して 内在
して い る存
在であ りそ れ を真 実に知るべ きである : 「如実知 自
心 」であ れ と言う
。 彼は こ こ に立 っ て、 生成変 化 して止ま ない 人 間の 、 その真実
にお け る能 動 的な「
宇 宙 的生命を生 きる人間」
を全肯定
し、 そ こ か ら発 言 し行 動 した。 (虚空法界)(
2
)
自己の 発
見
生 れて以来、 こ の時まで家 庭 と少、 中、 高校とい う社 会の中で人 間の文 化、 知識 を学んで き た。 現 代が持つ さ ま ざ ま な文化、 人 間像 を受容、形 成 して き智 山学 報第五十 一輯 た。 主体 的では な く、
受
け身
の受
容 という
形で。成
長す
る とは、教 育カ ルチ ャ ー と は その ような もの で ある。模
倣し学
ぶ こ とか ら今の ス テ ッ プがあ
る。ひ らが な、 カ タカナ 、漢
字
、 英 語、 数 学、 社会
、音楽
、何 時
の 段 階で どの よう
に模
倣 し習得
して きたの であろ うか。 お は しの使い 方、 上品さ、 きちん と したあ り方
、 まともさ、 人 間味 あふ れ た心な ど学
ん で きた か どうか。 あ な た が こ の よう
に して、今
こ こにい る。 本 来、 漢字や英
語は、 あ なた とい う人 聞一人一人の た めの道 具にす ぎない 。 それ らの道 具 を自
分で使
っ て、 自分の 生活 を、 人 生を、 自分で歩 く、 自分で考
える、 自分 を表 現す る、自
分 を創造
す
る という時
を迎 えてい る。多
くの者は その ままの 自己で、社 会 人に な るこ と、車
を手
に入 れ る こ と等
々 、 老い るの は嫌だ とい い な が ら老 人になっ て し まう
。 そ して老
人の居場所
もない 。特殊
な 日本の現 代、 入々 の 日々 に所在
の ない 時間 が余っ て きてい る と言う
。多
くが社 会の なかで 自分 を、 自分の 停 泊 地 を見い だせ ない で 、 一年
の 、 一生の あ りあ まる時 間を どう
使う
か が研究
さ れてい る。 経 済 成 長 と余る時 間の果て、 少年
の非行
、 成人の 狂 気が テレ ビを にぎわ してつ らい 思い をさせ られ る。とこ ろ で かっ て、 死を
自然
淋 .の こと・と して、 自分の心を知る こ と、自
分 とい う もの の本 質、 意味を知るこ との た め に 、けっ し て坐 臥せずたて膝で あ けく
れ た修行
の 人々 が あっ た。 自己の完成
、自
己超
越、覚
りを求
め る、 仏 道 修行。修行
や行
と言 う言葉が高 僧や特殊
な人々 の もの であっ た り、 古 め か し い と思 わ れ るの は お か しい 。 人は様
々 な経 験を通 して人 と な る。 その 時の 、 その経験の全てが自
己の完
成の ため の 一歩を進めて い るのだ という
抑制 さ れ た人 間観
を、我
々はい ま少
な くも考
え確
認す
べ きで ある。 自己の完
成が 一朝 一夕
の こ とでない こ とは誰
れ に も明らか なの で ある か ら。我々 は出生 以 来、 現
実社 会
のなかで自
らが堅牢
にな し自か らを信 じる自
我 によっ て悲喜
苦 楽に揺れ動い てい る。 その ような私であ りなが ら、 注意
すれ ば、時に 、山で あ り水であ り緑で ある瞬 間の 自己 を確 認 するこ とがで きる。自然
との対
話や、 安 ら ぎを事 とするの で は ない 。 日常の交
遊 にあっ て も許 さ れ た友
との 問の 平安
や喜
び 、優
れ た人、智 友との交わ りの瞬 間に もその こ と(
12
)仏法者の た めの 月輪観 法 (森口) は確 認 出 来る 。 次の ように 自己を制
御
し、 世界
を感
じる人 もい る。 「ふ っ と楽
になる時
の感 覚
を体
で覚
えて お くの です
。 過程
も体に記憶 さ せ て 、 その 状態
を作 りだ せ る よう
に し た。 もう
一 人の 自分 を宙に浮かべ て ちっ ぽけな 自分 を客 観 視 する の です。」 (清水 宏保 .H12 .8
.2
.ア サ)我
々 は、 日常
の 現実
にあっ て静かにたちどま りさえ
すれ ば、 自分 が宇 宙 的 い の ちの 元基である清 浄の「
地、 水、 火、 風、 空」
と して 輝 く命
の 生死 を生 きつ つ ある者である こ とを確認で きる。「
湿っ た暖かい 土、 そ れは最 上 の もの で あり不 可欠の もの で あ る。清らか な冷たい 水、 そ れ は最 上 の もの であ り不 可 欠の もの で あ る。
森
を渡
っ て くる豊か な風、 そ れ は最上の もの で あ り不 可 欠の もの で ある。深
い森
、 広葉樹
も針葉樹
も入 り混
じっ た原 生の匂
い のす
る静寂
、 それ は最上の もの で あ り、 不可欠の もの である。黄金 色の
宮
である火、 その源 を太 陽にも ち光 と熱を与 えて くれ る もの で ある火、 それ は最上 の もの で あ り不 可 欠の もの で ある。 そ して こ の意 識、 僕とい う存 在を産み 出し僕 とい う存 在がやが てそこ に帰
っ て ゆ く永 遠に不滅で ある もの 、 そ れは最 上の もの であ り不可
欠
の もの で ある。」(山尾三省 .「五 つ ノ根 」)
(
3
)
月輪観 法の 目 的 :
覚
りの 全身
を生 きる修 行 と は何 か「
如実知 自
心」
;相 対の 世界 を 生 きる 人 間の利 己的な自
我 を越 えた 心、 こ の 内在す る宇 宙普遍 の心 を真 実に知るこ とがで き る か、 無 我の主体を 生 き る ことがで きるか。空
海
も、臨済
も言 う
。1
.人 間は、 空 海の説く
よう
に自我
に捉
えられて、動物
の 心に もなる。2
. 生 と滅、 変化
。無我
、「
空」
の宇宙
の普
遍の原理。 その よう
にあ
る 永 遠 と一体 となっ た時に、 なにも欠い てい ない 真実の人 間と して有 り智 山学報 第五十一輯 得る。
3
.成
っ た時
と言
っ た。 もし、 あ な たが望 む な らば、 その方法
が有
る。4
.方法が 有る と言っ た。 そ ん なこ とより
も、 もと も と、 まる ごとの君、何
物
も欠
い て はい ない 、 その あ なた が、 そこ に宇 宙の風 を呼吸して い るのだ。自らが自ら を知らない とい
う
こ とにつ きるの だ。空 海、 臨 済は
「
如 実知心」
、「
真
人」
と言っ て 、我
々 が高見
に立つ こと は難
しい と考
えるこ とを否定
した。 先覚 者 達、空
海は自
我 を越 えた高見
か ら その 時代 に発 言 し人 間の可 能性 を全面展 開した。 だが、 難 しい 。しか し、 知る と知 らぬ は大 きな違い と も言
う
。今
、 我 々 は 西洋
の 思想 ;自
我 を追及 して理性と合 理に基づ い て 、 近 代 科 学が追 及 し た人 間の 文化の進 歩 発 展 という
思想
に晦
まされて 、 た さま ざま な人 間の欲 望を ま と もに制御で き ない という
問題 と状況
を抱 えこ ん で い る。 我々 の今は、 あ り余る もの に 自己 を見失
っ て、自
分に、自然
に、他者
に甘
えて 、御 身大
切に衣食 足 りて 礼 節は 関係無
い かの時代の よう
である。ベ ネトン の 広
告
の写真
家、 オー、 トス カニ ー二 氏に よ れ ば欧州の高
級ブラ ン ドと古 着 を さりげな く着こ な した原宿の少女
は 、未来
よ りも大昔
の 、猿に なっ て この 世の産ま れ た時まで戻 りたい という
。 世 界の若
者の多
くが貧
困 と 戦 禍にあ えい でい る。 階級 差 別や失 業に悩んでい る。 そ うし た問題にさ ら さ れず
に生活 してい る世界
で唯一の存 在が 日本の若者である。 現実 感 と目的を 失っ て想像の世界に遊ぶ 、 こ ぎれい な 天使 と言 う。 (ア サ ヒ. ’98
.10
.3
)
こ
ぎ
れい な 天使ほ ど、汚
さ れ やす
い 。 最 悪の バ ラエ テ ィ番 組
に洗 脳さ れて、 自我の欲 っ する ま ま、 現 実感 と 目的を失っ て幻想の 世界を さ ま よう
。 ほ ん とう
に猿
になり
たい の であろう
か。 空海
によれば心の十の楷
程、第
一段 階 に自
分 を落
しめ よう
とす
るの か a .虚 空法
界 :宇宙普
遍の原理 を生き
る こ と。:人間の
尊厳
:無我
の高見
を何 如
に生 きる か にある。如
実知 自心の完
成 (14
)仏法者の た めの 月輪 観法 (森口) で あ る。
仏教は ブ ッ ダ以
来
、 人 間の 問題を人 間の現 実の 中で人 間 自 らの実践
に よっ て解決
してき
た。 人 間の 尊厳 を意 志 して歩み続 けた。 ブ ッ ダの教
え を生 きる者
にそ れ が問わ れてい る。 空 海は 山に 入 り都
に出て覚
りの 全 身を生 き た。 悲 し み を悲 しんだ。 ブ ッ ダの 教 えを 生 きる方の 日常で あ る。 月輪 観 法を修 し覚 りの 全身
を生 きるこ と、 無 我の 高 見を生 きる こ との具 体は次の 如 くである。 無我 の 主体と して 自己の 日常と世界
に常に 目覚
めて い る こ とで ある。b
.「
私の 人 生の毎
日の で きごと一成功
、性
の 要求
、怒
り、 倦怠
、 快 楽、 金、 対 人 関係、 仕 事、 遊び一 の知覚
と意味
とが変化
した。 私は もはや 自身の 一部 が他
の 部 分 とた た かっ てい ると は感 じな くなっ てい る。 自身の存 在の な か に 私は、全 体 的な統一 を感 じてい る。 い つ も、 分 離、 区別 が もはや存在
しな く なる瞬 聞に は一 その時 私が な にをしてい ようとも一 空 問、平 和、 寂 静、 喜び、 明る さ に み ち み ちてい る」。 −Lam
Das
一 c .「
余
は今まで禅 宗の い わ ゆる悟 りとい ふ事
を誤 解 して 居た。 悟 り とい ふ事
は如 何なる場 合に も平気で死ぬ る事か と思 っ てい たの は 間違ひで 、 悟 りと い ふ事は如何なる場 合に も平 気で生 きて居る事
であっ た。因み に 問ふ 。
狗
子に仏性
あ りや。 日、 苦。また問ふ 。 祖 師西 来の
意
は奈何。 日、 苦。また問ふ 。
。 日、
苦」
。一正 岡子 規一
d
.「あ らゆ る ものは変 化 する こ と を、 人 間はこ の 流 転 する世界 に捕 らえ ら れてい る こ と を、 無 知 と恐 怖の な かで我々 は利 己心の 錯 覚の た め に、 変 化 と 消 滅か らのが れ ようと してい るこ と、 この錯 覚が 、 我々 を 一定の 思想 や、 教説
や、特定
の展
望や、 人物
や、 政治制度
や、宗教体系
に固定
させ よう
と して い る こと、。 我々 の
救
済は、 わ れ わ れの 状 況を理 解 すること に、 我々 の 邪 悪 な神
を追 放 する こ とに、 我々 の 責任に、 創 造 的に生 きる我々 の道徳 的智 山学報 第五 十一輯
勇気
に、 われわれ の 慈 悲にある こ とで ある。結 局の とこ ろ、貧 困、病 気、
無
知、 不安
、 恐怖
、憎
悪、利
己心の克服
は 、我々 自身
の 掌 中に、 そ して心の中
にある。 我々 は、 これ らの諸 問題 と、 そしてそれ らが もた らす無用
な苦
し み を克
服す
ることがで きる。我々 が 同情して
感
じ、 誠実
に考
え、自
由に交 流 し、効果 的に調 整 し、そし て人間
の実現
の た めに、 最後
まで こつ こ つ と ま じめにや りとおす
こ とがで き る な らば、 我々 は克
服で きる。 も し我々 が「
世界に たい する責 任 」を自覚
す るこ とが で きる な らば、我
々 は克服
で きる。 それが仏 教の メ ッセ ー ジで ある。 それ が今日、 仏 教が提 起 する課題である」。 一 ハ ワー ド.パ ース ンズー[
V
]
月輪 観法
の実
習(
1
)
月
輪観法
ガ チリ。 ヵ . ポ 。次第
月
輪観
と数息観
ス ソ効 .1
.室 内 明るか らず暗
か らざらず
を良
しとす
。2
.壁 面 に向
かい着
座 した目の 位置
、 高か らず 低か ら ざる所に月の 円形 (25
−30c
, 白色 、 線描) を懸
ヵ けよ。3
.壁 面の月輪
を礼拝
ラィハ イし終わ りて、 月輪よ り1
.5
−2
。Om
.の位
置に着 座 せ よ。4
.深 く腰
を落 して 座 具に座せ。 左の 足を折 り右の 股上 に置 け。 痛め ば適 時 替 えよ。5
.身
と心 を観
想 に 入 るべ く調 えよ。 上体
を前後
左 右 して安 定 なる体 を求め よ。背
を伸
ば し、顎
を引
き肩
の力
をぬ くべ し。 両手
腕を丹
田タ.デ。の前
、 中空にて
左 手平
上に右手平
を置
き両親指
を合
わせ宝珠
ホゥシ.形
になし、先
は付
か ず離れ ざる もの とすべ し 。舌
は上 口腔に付
くべ し。6
,鼻
口よ り、腹
の底
か らゆっくり全
て の息
を吐 き
出せ。 内臓を腹 底 (腹式 呼吸 :丹 田呼吸 :出息の出し終わっ た とこ ろが丹田である。) (16
)仏法者の た めの 月輪観法 (森口) に安 着せ しめ よ。
7
.出入息
:呼吸
を鼻
口 よ りして、静かに柔らか く、 ゆっ た りと なすべ し。完全に出
息
し、 一 止を お く、す
れ ば自然
に入息す
。息
は丹田か ら発
し丹 田 に 入 る。* 「数 息観」 :数 息観 を作 さん に は、 目 を 閉 じ両視 線を
鼻端
に置 け。 丹田(腹式)呼吸 の 出 入息の 出息 を一 つ と して、十 息ジ,ソ クを数え よ。 十 息の
数を明
確
に 、途切 れ る こと な く意識 する こ とに集 中しこれ を繰 り返 すべし。 禅 定三昧ゼ .ジ.ウザ、マイに入 る初門 な り。
8
.壁 面の月
輪 を観
想せ よ。 自我 を超 えて無 我 なるこ と月輪
の如
しと諦観
テ ィ ヵ ンせ よ。想え、 月の明照なる如 く自心 も照朗な り。 想 え、 月の
清 涼
な る如
く自心も清 澄な り。 想え、 月の 潔
白
な る如 く自心 も白質
な り。 想 え、 月の 清 浄なる如 く自心 も浄性な り。 想え、 月の円満せ る如 く
自
心 も満体
な り。 想え、 月の
独
一なる如
く自心 も独尊
な り。9
。 目 を開 き、 目 を閉じて久
し く徹見
, ,ヶ.すべ し。 心 眼に明ら か に、 こ れ を 徹 見すべ し 。10
.月す なはち是れ我が心、 我が心 すな は ち是れ月な り。 月輪
の他
にすべ て な し。心意の働 き、 是れ月
輪
な り。 唯だ月輪の み を観 想 して他 物な か ら しめ よ。全 て の思
惟
、影
像.ウ ゾ ゥを去れ。11
.若
し心、沈
めば、 つ とめて先の 月輪の徳 性Fク セ ィの文
を音読
せ よ。12
.月輪
、 空中
の月
の如
く明
らかに現
前 する こ と を得ば、 月輪
を引摂
イ. 。,ウして 自らの胸 中に置き、 心 中に透徹 して実の
如
くに観
察せ よ。 心 眼を もっ て実像の 如 く観察せ よ。13
.心 中に実像の如 くに定ま れ ば、少
し く して 、 再 び心 中よ り引 き出して 眼前
の壁 面に置 け。14
.次
い で 、 月 輪を拡 大せ よ。自
己の大
きさ、或
い は室 内に満つ る大 きさ にせ よ。 国土 より更に、 宇 宙大 に満つ るまで。
各 自
に応 じて次第 に増 広観 察
智 山学報第五十一輯 すべ し。 月 輪の 中に自身着 座せ り。 月輪、 時空 を超え たる 「虚空法 界 」な
り。
15
.若
し、久
しく観想
して心身疲
れ、観想
を止め ん とす
る とき、月輪
を もとの
如
く縮小 して心 中に月輪
を定
め置 き、礼
拝終
わ りて座を立つ べ し。(
2
)
月輪観法
の実際
a .我々 は月
輪観
を修
しつ つ ある。真実
の 自己を究
明 し よう
と してい る。 い ずこ に向かっ て究 明するの か、 自心に尋求
するの で ある。自心 に
尋求
する と は、実
の如
くに自
心 を知
るこ とで ある。実
の如
くに自
心 を知ると は、 「無 我」
の 地 平に開 か れる 自身
を知る こ とで ある。無
我に よっ て開か れ る自身
と は、自
我に よ る利己 心 の錯覚
:相 対 的価 値の 限 定を超え た 心の全 身で ある。 こ の心の全 身すな はち「
自性 清 浄ジ シ。ウ シ,ウ ジ,ウ」 で ある こ とを尋 求 する の で ある。迷
悟
,イゴわ れ にあれば発 心ホ. シ .す
ればす
な はち到る。明
暗他
にあらざれ ば信 修 すれ ば た ち ま ちに証 す。 (空 海〉b
.調 身、 調 息、 調 心 を基本 と して「
月輪 」に象徴 する 「清 浄 」すなは ち 「自 心」
で ある こ とをこの身体
を もっ て体得
しよう
と してい る。 足 や背筋
の あ ち らこ ち らが痛
い 、体
が お さ ま ら ない 、 そ れ よ りも心が定ま ら ない 。何
度
実 習 して もその 繰 り返 しで これ は なん だ と思 う。 難 しい の で は、 わ か ら ない の で は なくて取 りか かるその気 持 ちが問題 なの だ。身体を通 して 月輪と心とが一体となる と言 うその
月
の清
浄の 意味
や 、 「自
心 :自性
の清浄」
の 意味
が わ か ら ない 。 た ち ど ま る時わ か るの は、 私の人生 の毎
日の で きご と一 成功、 性の要 求、 怒 り、 倦 怠、 快 楽、 金、 対 人 関係、 仕 事、 遊び一 を 生 きてい る こ とである。 自我に埋 没 してい る私である。 c .調身
も難 しい 。 調心 とな る と常
に意
識が と だえる。 一 定した意 識の持
続 は ほ とんど無い 。呼吸
を数
えるこ とは 三、 四 で と だえる。 それ だけの 意 識の (18)仏 法者の た めの 月輪観法 (森口) 持 続で しか ない 。 その瞬 間の私は何 処へ い っ て し まっ たのか。
朦朧
.,。ウとして気付
い た時
の私
が私
で あるの か。気付
く前
の何秒
かの私
も 私 なの か。 二 階の音 が 私 なの か、 道路 をバ イクが 走っ た と感
じた瞬
間が私
な の か、 膝が痛い と感 じた時の 私が私なの か。 ふ っ と思 い 出 したあの こ との 怒 りが うずい てい る。 眠 くなっ て きてい る 、 これ が 私 なの か。d
.今、月輪観を修行 してい る私 、呼吸の 数 をか ぞえる こ と だ けに集中 して、 その こ と だけが持 続 してい る意識である私が あ る。 その持
続す る意識 を断つ断片 的
、瞬
間的
意識
で ある無数
の瞬間
の私
が ある。懸命
に集 中 しようとして い る私。 それ らの い ずれ が私なの か、 同じ なのか、違 う
のか。 e . あ ら ゆ るもの は変化 する : 「無常」
である。 我々 は この 流 転 する世界に 捕 らえら れて、無知 と恐 怖の な かで 「利 己心の 錯 覚」の た め に、 常に変 化 と消
滅か らの が れ よう
と して い る。 この錯覚
が、我
々 を 一定
の 思 想や、 教 説や、 特 定の展 望 や、 人物 や、 政治制度
や、宗教体系
に固定
させ よう
と してい る。 これ らは真実
の私
なの であるの か 。0
−1
. 生 ま れ たこ と :盲目の 意 志。0
−2
.不 安の 自覚 :相 対 的生 ;苦 楽、 生 死 の在
り方。f
.意志 し て、 い ど ま なけれ ば眠 りの怠惰 な時が 流 れ るだけで ある。 伸び き っ た背筋
が頭 頂 に緊張
して 通じて い る。 視 点は軽 く鼻 端 を捉 えて い る。「
数
えるだけの意識」
が持続
してい る 。g
.深い呼
吸が ゆ っ た りと定
まっ て、 血流は 四肢を透 過 して と どこお る とこ ろが ない 。 数 えるこ と に集中 し た その 数 を忘れ 、「肉体の溶 解の感 」に うなず
く。 心と身
体が融 合 した感覚
の 中に、肉体
と私 を忘
れ た持
続 する意識の み があ
る。智 山学報第五 十一輯
h
. ゆっ た りと した、 ふ く よか な優しい 暖か さの な かに明 晰な意 識が ある。 外か らの感覚
的 出来事
を明 晰に感 じなが ら、 それ らは この 時に持
続 してい る 意識
の障害
とは な らない 。視
えども視
えず
、聞け
ども きかず
、嗅 げ
どもか が ない 。動
か ない 静かで 柔ら か な無
限の空 間の 中に「
明晰で静か な意
識」の み があ
る。i
.透徹
して 月輪を視る。「
月
輪 と意 識が 一体」
と なる。 こ の ま まで あり
た い 、 満た さ れ た思い に震
える。 こ こ まで は、修行
の 意志 を もっ て修す
る者
の誰
もが到達す
る とこ ろ である。j
.改
めて の 月輪観
の実
習の度
に、 こ こに直
ち に繰り
返 し到れ る か。 そ して その持
続の獲 得が安
定 的に自
己の もの と して確立 で きるか が課 題 となる であ ろ う。 「日常の 自己とは異 なる求め るべ き 自己の 発 見」
、 その第
一歩の始
ま り であ
る。 人生の毎日の で きごと一 成功、 性の要 求、 怒 り、 倦 怠、 快 楽、 金、 対 人 関 係、 仕事
、 遊び一 私の「
自我で は無い 意 識 」、 真 実の 自己の ある こ と。今
や 無 我になろ うと懸命 にな っ てい る の で ある。k
.覚
りへ の道
:修 行は、 その楷 程で生 じる身
体と精神の合 一 に よる 自己の 純化
の喜
びや 、 神 秘 的段 階は越え ら れ なけれ ば な らない 。結果
的に生 じる特
殊
な能力
(鋭 敏な視 覚、 聴覚、 臭 覚、 直感、 生 理 心 理的特 異な能 力、 超 自然の 出来 事の 察知) を得
るこ とを目的
とす
る もの で もない 。純
粋な精神
的境
地に到 達 すること をの み求めて、 求め る という
思 い も無い 。「
無 思 量ムシ リ。ウ」(無我にな ろ うと してい る 我 も無 い)を目的とする。1
.思惟
すべ き もの、 知覚
すべ きもの はすべ て消 え失せ て、最後
にの残
っ た最高
の真実
、 そ れ は 生 じもせず
、 滅 しもせず
、 来た らず、 去 らず、作
られた もの で もな く、 変 化 も し ない 。 い か なる形で も現象
せ ず、 時間的にも空間 的 (20
)仏 法 者のた めの月輪観 法 (森口) に も無 限、 無辺で あ る。 そ れ はすべ て の 「相 対 的 限定を離れ無 我 」である。 静
寂
。。ヶジ.ウであ り、 孤であ り、独尊
で あ り、清 浄である。 こ れ が「
無我の主 体 」である君
であ
る。 (cf.梶山、 中公)。0
−3
.修 業 :超 自我
の 自覚
:無 我。 m .壁 面の月輪を観想せ よ。想え、 月の明 照 な る如 く自心 も照 朗な り。 想 え、 月の 清 涼 なる如 く
自
心も清澄な り。 想 え、 月の
潔
白なる如 く自心 も白質
な り。 想え、 月の清 浄なる
如
く自心 も浄性な り。想
え、月
の 円満せ る如 く自心 も満 体な り。 想え、 月の
独
一 なる如 く自心 も独尊
なり
。 n .動かない 静かで柔らか な無限の 空 間の 中に明 晰で静
かな意識の み が ある。 か く して 、 この 明 晰で静か な意識 :心眼は、動か ない 静かで 柔 らか な無 限の 空 間の 中に月輪が放つ 無 我の光り を視る であろ う。 o .月輪、 空 中の月の如
く明 らか に現 前 する こ とを得
ば、 月輪 を引 摂i , ・ 一。ウ して 自らの 胸 中に置 き、 心 中に透徹
ト ゥ . . して実の如 くに観察
せ よ。 心 眼を も っ て実 像の如
く観察
せ よ。 透 徹 して、 月輪
と意識は既に 一体
である 。p
.私の 心 中に清 浄 月輪が 不動
に在る。「
月輪が私で あ り、 私が 月輪で あ るお 月輪
が清
浄で ある よう
に私は清
浄、清 澄で ある。自我
である私 を超 えて無 我 で ある か ら、私は如 来、 仏 を始
め と して森 羅万 象の 普遍 を内在 する者なの で ある。 自我によ る 人間の執着
、 煩悩、 汚れ を離
れて い るか ら「自性清
浄」
で ある。私の 人 生 の 毎日の で きご と一成 功、性の 要 求、怒 り、 倦 怠、
快楽
、 金、 対 人 関係、 仕事
、 遊 び 一 の 知覚
と意味 とが変
化 した 。私
は もは や 自身の 一部が他の部 分 と たたか っ て い る とは感じ な くなっ てい る。 自身の存在
のな か に私は「
全 体 的な統
一」
を感 じて い る。 い つ も、 分 離、智山学報第五十一輯