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日本史

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(1)

日本史

(2)

− 20 −

第 1 問  次 の 文 章(A

D) の 空 欄 1

3

7

9

13

15

19

21

に適する語句を,後の語群ア〜ヤのうちからそれぞれ一つずつ選べ。また下 の問い(問1〜13)に答えよ。(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)

A

 藤原詮子は

962

年,藤原兼家の娘として生まれ,

978

年,円融天皇に入内した。当時の貴 族社会は,

969

年,円融天皇が即位する直前に安和の変が起こり,

1

が失脚して以降, 原氏北家の権勢が確立し,摂関政治が行われていた。しかし,父兼家とその兄兼通の対立が激 しく,詮子の地位は必ずしも安定していなかった。

986

年,詮子の子の

一条天皇が7歳で 即位すると,詮子は天皇の母であるとの理由で皇太后となった。詮子は

991

年に出家すると 東三条院と称され,これが女院の初めとなった。

  一条天皇の即位とともに詮子の父の兼家が

2

に就任し,没後は兼家の子の道隆がそれを 継いだ。

995

年に道隆が死去すると,地位継承をめぐって一族内で抗争が生じた。その際,

3

が道隆の子の藤原伊周を抑えて内覧の地位を得たのは,詮子の意向によるとされる。

  

3

は一条天皇との信頼関係をもとに公卿を指揮した。この時期,貴族社会は安定した。

問1 下線部ⓐに関連して,9世紀半ばから

10

世紀にかけて,藤原氏北家が権勢を確立してい くなかで生じた事件に関して述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配 列したものを,下の①〜⑥のうちから一つ選べ。

4

  

Ⅰ 伴(大伴)健岑・橘逸勢らが謀反を計画したとして配流された。

Ⅱ 菅原道真が天皇の廃位を企てたとして大宰府に左遷された。

Ⅲ 応天門の炎上にからみ,大納言伴善男らが配流された。

① Ⅰ−Ⅱ−Ⅲ   ② Ⅰ−Ⅲ−Ⅱ   ③ Ⅱ−Ⅰ−Ⅲ

④ Ⅱ−Ⅲ−Ⅰ   ⑤ Ⅲ−Ⅰ−Ⅱ   ⑥ Ⅲ−Ⅱ−Ⅰ

36

日 本 史

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(3)

問2 下線部ⓑに関連して,

10

世紀には地方政治が転換し,そのなかで一条天皇の時代には尾 張国の国司(守)を勤めた藤原元命が郡司・百姓等から訴えられた事件が起こった。次の史 料はその際の訴状の一部である。この史料の内容について述べた下の文Ⅰ・Ⅱについて,そ の正誤の組合せとして正しいものを,あとの①〜④のうちから一つ選べ。

5

尾張国郡司百姓等解し申し,官裁を請ふの事

裁断せられむことを請ふ,当国の守藤原朝臣元命,三箇年の内に責め取る非法の官物,䮒せ て濫行*1横法三十一箇条の愁状

一,裁断せられむことを請ふ,例挙*2の外に三箇年の収納,暗に以て加徴せる正税四十 三万千二百四十八束が息利*3の十二万九千三百七十四束四把一分の事

(中略)

一,裁断せられむことを請ふ,元命朝臣が子弟郎等,郡司百姓の手より雑物等を乞ひ取る の事

一,裁断せられむことを請ふ。守元命朝臣,京より下向*4する度毎に,有官・散位*5の従類,

同じき不善の輩を引率するの事

(中略)

望み請ふらくは件の元命朝臣を停止して良吏を改任せられ,以て将に他国の牧宰をして治国 優民の褒賞を知らしめむ。

(注)

*1濫行…不都合な行為のこと。乱行と同じ。

2例挙…定例の公出挙のこと。

3息利…利息のこと。

4下向…地方に赴くこと。

5有官・散位…有官は官職をもつこと。散位は位階だけ持っていて官職に就いていないこと。

Ⅰ 藤原元命は,定例の公出挙で高率な利息を取り立てていることが訴えられた。

Ⅱ 藤原元命は,京から子弟や有官無官の従者らを率いて赴任し,統治にあたっていた。

① Ⅰ−正 Ⅱ−正   ② Ⅰ−正 Ⅱ−誤

③ Ⅰ−誤 Ⅱ−正   ④ Ⅰ−誤 Ⅱ−誤

(4)

− 22 −

問3 下線部ⓒに関連して,この時期は貴族社会の安定を背景として文化が隆盛した。この時期 の文化について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。

6

  

① 藤原道綱の母が『更級日記』を著した。

② 菅原孝標の女が『蜻蛉日記』を著した。

③ 紫式部が『枕草子』を著した。

④ 藤原公任が『和漢朗詠集』を編纂した。

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(5)

B

7

1440

年に生まれ,

1455

年,8代将軍足利義政に嫁いだ。はじめ男子にめぐまれ なかったため,義政は弟の足利義視を後継ぎに定めたが,その後

7

は足利義尚を産んだ。

このことは,

1467

年に始まった

8

の乱のなかで義政・義視兄弟が決裂し,東西二つの幕 府が成立した要因の一つとなった。

  

1473

年,子の足利義尚が将軍に就くと,

7

はこれを後見して幕政に積極的に関与し,

乱の終結に際しては交渉の中心となった。しかし義政は

1482

年,東山山荘の造営に着手し て以降も政治への関与をやめなかった。

1489

年,義尚が近江に出陣中に死去し,翌年に義政 が没すると,

7

管領細川政元とともに幕政において中心的な役割を果たした。

  一方,

7

は京都の出入口7カ所に関所を立てて通行税である

9

を徴収し,私腹を肥 やしたなどの悪評も多い。また,高利貸を営んで利益をあげ,

1480

年に徳政を掲げた土一 揆が蜂起した際には,手数料の納入を条件として債務の破棄または債権の保護を認める分一徳 政令を出すなどした。

問4 下線部ⓓに関連して,8代将軍足利義政の時代を中心として展開した東山文化について述 べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。

10

  

① 新しい住宅様式として,東求堂同仁斎にみられる書院造が生み出された。

② 雪舟は,遣明船で明に渡った経験をもとに日本的な水墨画を生み出した。

③ 狩野正信・元信父子は,水墨画に大和絵の手法を取り入れた新しい画風をおこした。

④ 堺の千利休は,茶室で心の静けさを求める侘茶を大成した。

問5 下線部ⓔに関連して,この頃から勘合貿易は細川氏ら守護によって担われるようになった。

15

世紀末から

16

世紀半ばにかけての勘合貿易について述べた次の文Ⅰ・Ⅱについて,そ の正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。

11

Ⅰ 日本国王の明皇帝への朝貢という形式はなくなった。

Ⅱ 細川氏と大内氏が実権を争い,寧波の乱が起こった。

① Ⅰ−正 Ⅱ−正 ② Ⅰ−正 Ⅱ−誤

③ Ⅰ−誤 Ⅱ−正 ④ Ⅰ−誤 Ⅱ−誤

(6)

− 24 −

問6 下線部ⓕに関連して,室町時代に発生した一揆について述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて,古 いものから年代順に正しく配列したものを,下の①〜⑥のうちから一つ選べ。

12

  

Ⅰ 徳政を掲げた土一揆に対し,鎮圧に失敗した幕府は初めて徳政令を出した。

Ⅱ 日蓮宗信者を中心として京都の富裕な商工業者が一揆を結び,京都の町政を一時掌握し た。

Ⅲ 足利義教の代始めに起きた徳政一揆を,管領畠山満家が鎮圧した。

① Ⅰ−Ⅱ−Ⅲ   ② Ⅰ−Ⅲ−Ⅱ   ③ Ⅱ−Ⅰ−Ⅲ

④ Ⅱ−Ⅲ−Ⅰ   ⑤ Ⅲ−Ⅰ−Ⅱ   ⑥ Ⅲ−Ⅱ−Ⅰ

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(7)

C

 調所広郷は

1776

年,

13

藩士の二男として生まれた。やがて島津重豪によって登用され,

1827

年から財政再建をめざして改革に着手した。調所広郷は巨額の藩債を

250

年賦無利子 払いでの返済に切り替えて事実上帳消しにするとともに,奄美三島特産の

14

の専売制を強 化した。また,支配下にありながらも

15

を国王とする独立国であった琉球王国が清国との 朝貢貿易を行っていたことを利用し,清国との密貿易を行って利益をあげ,藩財政を立て直し た。これにより,

13

藩が同時期に藩政改革を行った長州藩や肥前藩などとならんで 末・維新期に活躍する素地を作りあげたが,

1848

年,琉球密貿易が露見すると,その責任を負っ て自殺した。

問7 下線部ⓖに関連して,経世家の一人である佐藤信淵について述べた文として正しいものを,

次の①〜④のうちから一つ選べ。

16

① 『経世秘策』を著し,西洋諸国と積極的に交易すべきことを主張した。

② 『農政本論』を著し,財政窮乏を打開するための農業政策を説いた。

③ 『稽古談』を著し,財政再建のために藩専売を採用すべきことを説いた。

④ 『農業全書』を著し,本百姓に適合的な農業経営のあり方を解説した。

問8 下線部ⓗに関して,天保期前後に藩政改革を行った次の藩Ⅰ・Ⅱと,それらの藩における 改革について述べた下の文

a

d

の組合せとして正しいものを,あとの①〜④のうちから 一つ選べ。

17

Ⅰ 長州藩   Ⅱ 肥前藩

a 藩校時習館を設けて人材育成をはかった。

b 越荷方を設置して委託販売などを行った。

c 報徳仕法を実施して村々の復興をすすめた。

d 均田制を実施して本百姓体制の再建をはかった。

① Ⅰ−

a  Ⅱ− c   ② Ⅰ− a  Ⅱ− d

③ Ⅰ−

b  Ⅱ− c   ④ Ⅰ− b  Ⅱ− d

(8)

− 26 −

問9 下線部ⓘに関連して,幕末・維新期の出来事について述べた文として誤っているものを,

次の①〜④のうちから一つ選べ。

18

  

① 老中首座阿部正弘は,桜田門外の変のあと公武合体の政策を進めた。

② 会津藩主松平容保が,京都守護職に任じられた。

③ 将軍徳川家茂の死去を理由に,第2次長州征討が中止された。

④ 将軍徳川慶喜は,前土佐藩主山内豊信(容堂)の建議を受けて大政奉還を行った。

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(9)

D

 犬養毅は

1855

年,現在の岡山県に生まれた。

1876

年,犬養は

19

が創立した慶応義塾 に入学しその後中退した。

1881

年に政府の官僚となった犬養は,明治十四年の政変の際に大 隈重信に従って退官し,翌年,立憲改進党の結成に参加した。

1890

年,第1回衆議院議員総 選挙に岡山県から立候補して当選し,以後,

42

年間にわたって議席を守った。この間,

本に亡命した金玉均や孫文らを保護・支援し,東アジア問題に強い関心を寄せた。

  犬養は桂園時代末期,第一次護憲運動において先頭にたった。一方,

1914

年に起こった 海軍高官をめぐる収賄事件である

20

に対しては曖昧な態度をとり,

1917

年には寺内 正毅内閣の臨時外交調査委員会に参加するなど,政権に対して妥協的な態度を示すことも あった。

1925

年,普通選挙法が成立するといったん政界を引退したが,後援者の要請です ぐに復帰し,

1929

年,田中義一の急死を受けて

21

総裁となった。その後

1931

年に首相に 就任して満州事変の収拾に努めたが,翌年,五・一五事件で暗殺された。

問 10 下線部ⓙに関して述べた次の文

a

d

について,正しいものの組合せを,下の①〜④の うちから一つ選べ。

22

a 金玉均は 1882

年,大院君を担いで壬午軍乱を起こした。

b 金玉均は 1884

年,閔氏政権に対抗して甲申事変を起こした。

c 孫文は 1905

年,袁世凱らとともに中国同盟会を結成した。

d

 孫文は

1912

年,新しく成立した中華民国の臨時大総統に就任した。

① a・c  ② a・d  ③ b・c  ④ b・d

問 11 下線部ⓚについて述べた次の文Ⅰ・Ⅱと,それに関連する下の語句

a

d

の組合せとし て正しいものを,あとの①〜④のうちから一つ選べ。

23

Ⅰ 桂太郎が自派の官僚や一部の政党員らとともにこの政党の結成を計画した。

Ⅱ 第一次護憲運動にともなう大正政変のあと,内閣を組織した。

a 立憲同志会  b 立憲国民党  c 寺内正毅  d 山本権兵衛

① Ⅰ−

a  Ⅱ− c   ② Ⅰ− a  Ⅱ− d

③ Ⅰ−

b  Ⅱ− c   ④ Ⅰ− b  Ⅱ− d

(10)

− 28 −

問 12 下線部ⓛに関連して,この時に成立した普通選挙法について述べた次の文ⅠⅡについて,

その正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。

24

  

Ⅰ この時の普通選挙法では,満

20

歳以上の男性に選挙資格が認められた。

Ⅱ この時は女性の参政権が実現せず,それが実現したのは

20

年後であった。

① Ⅰ−正  Ⅱ−正   ② Ⅰ−正  Ⅱ−誤

③ Ⅰ−誤  Ⅱ−正   ④ Ⅰ−誤  Ⅱ−誤

問 13 下線部ⓜに関連して,満州事変以降の出来事について述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて,古 いものから年代順に正しく配列したものを,下の①〜⑥のうちから一つ選べ。

25

  

Ⅰ 関東軍が溥儀を執政として満州国の建国を宣言させた。

Ⅱ 斎藤実内閣が国際連盟からの脱退を通告した。

Ⅲ 盧溝橋付近で日中両国軍の衝突事件が生じた。

① Ⅰ−Ⅱ−Ⅲ   ② Ⅰ−Ⅲ−Ⅱ   ③ Ⅱ−Ⅰ−Ⅲ

④ Ⅱ−Ⅲ−Ⅰ   ⑤ Ⅲ−Ⅰ−Ⅱ   ⑥ Ⅲ−Ⅱ−Ⅰ

〔語群〕

ア 応永 イ 源頼信 ウ 尚氏 エ 立憲政友会 オ 北条政子 カ 源高明 キ 段銭 ク 松前氏 ケ シーメンス事件 コ 憲政会 サ 森有礼 シ 関白 ス 源満仲 セ 米沢 ソ 立憲民政党 タ 摂政

チ 木綿 ツ 津田梅子 テ 薩摩 ト 太政大臣

ナ 日野富子 ニ 藤原頼通 ヌ ロッキード事件 ネ 宗氏

ノ 緒方洪庵 ハ 黒砂糖 ヒ 和紙 フ 昭和電工事件

へ 加賀 ホ 応仁 マ 関銭 ミ 藤原時平

ム 藤原道長 メ 津料 モ 明徳 ヤ 福沢諭吉

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(11)

第2問 次の文章(A

C)を読んで,下の問い(問1〜8)に答えよ。(史料は,一部省略

したり,書き改めたりしたところもある。)

A

 古代から交易はさかんに行われていた。8世紀に造営された平城京では市が設けられ,官 吏たちに現物支給された布・糸などが交換された。また,

貴族や寺院も各地で交易を行って いた。

1986

年から行われた長屋王邸宅跡の発掘調査では,大量の木簡が発見された。それに よれば,長屋王家は各地に私有地をもち,米などの物資を調達しただけでなく,夏に氷室か ら氷を運ばせたり,邸内では馬や犬,ニワトリなどを飼ったりしていたことがわかっている。

問1 下線部ⓐに関連して,この時期の市について述べた次の文Ⅰ・Ⅱについて,その正誤の組 合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。

26

  

Ⅰ 右京に東市,左京に西市が設けられ,市司が管理した。

Ⅱ 貴族・官人への給与には調・庸で納められた布・糸などがあてられた。

① Ⅰ−正 Ⅱ−正   ② Ⅰ−正 Ⅱ−誤

③ Ⅰ−誤 Ⅱ−正   ④ Ⅰ−誤 Ⅱ−誤

(12)

− 30 −

問2 下線部ⓑに関連して,次の史料は平安時代初期に成立した説話集『日本霊異記』の現代語 訳である。この史料から読み取れないことを,下の①〜④のうちから一つ選べ。

27

 楢磐嶋は,平城京の左京六条五坊,大安寺の西の里の住人であった。聖武天皇の世に,大 安寺の修

*1分の銭三十貫を借りて,越前の都

鹿

*2の津に行き交易した。購入した品

物を船に乗せて持って帰る途中,突然発病した。そこで船を留め,単身馬に乗って帰ろうと 琵琶湖の西岸を南下してくると,近江の滋賀郡の磯

鹿

*3の辛

から

さき

のあたりで,追いかけてく る三人に気づいた。山背の宇治橋で追いつかれ,閻

えん

おう*4の使であることがわかった。磐

嶋は牛一頭を賄

わい

として死を免れ,九十余歳の長命を保った。

(注)

*1修多羅…経典。ここでは経典を読んだり論議したりする研究組織を指す。

2越前の都魯鹿…現在の福井県敦賀市。

3近江の滋賀郡の磯鹿…現在の滋賀県大津市。

4閻羅王…閻魔王。仏教では地獄・冥界の主とされる。

① 楢磐嶋は,越前の敦賀から平城京まで途中から馬に乗って移動した。

② 大安寺の運営のための資金が,交易に使われていた。

③ 越前の敦賀では,百済や渤海からの物資も取引きされていた。

④ 平城京と敦賀を移動するには,琵琶湖の水運を用いることもあった。

問3 下線部ⓒの頃に流通していた銭貨として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。

28

  

① 乾元大宝   ② 寛永通宝   ③ 永楽通宝   ④ 和同開珎

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(13)

B

11

世紀後半以降,天皇家や摂関家,有力寺社が荘園を集積し,

を派遣するなどして 経営した。荘園は各地に散在したため,広域な流通の発達を前提として初めて経営が成り立っ た。銭貨の使用も広がるなか,

13

世紀後半には年貢を貨幣で納める銭納が次第に一般化した。

それにともない,年貢として徴収された物産が各地の市で売却され,大消費地である京都や奈 良に向けて商品として流通するようになった。

14

世紀には金融業者の活動が活発となり,特 に京都では

と呼ばれる高利貸業者が成長した。

問4 空欄

に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①〜④のうちから一つ 選べ。

29

① ア−預所  イ−為替 ② ア−預所  イ−土倉

③ ア−地頭  イ−為替 ④ ア−地頭  イ−土倉

問5 下線部ⓓに関連して,平安時代末期から鎌倉時代にかけての流通に関して述べた次の文Ⅰ

Ⅱについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。

30

Ⅰ 交通の要地では問(問丸)が成長し,年貢や商品の保管・運送などに携わった。

Ⅱ 交通の要地や寺社の門前などで定期市が開かれ,月に6回の六斎市が多かった。

① Ⅰ−正 Ⅱ−正   ② Ⅰ−正 Ⅱ−誤

③ Ⅰ−誤 Ⅱ−正   ④ Ⅰ−誤 Ⅱ−誤

(14)

− 32 − C

17

世紀後半に全国的な流通網が整うなか,

特定の商品を薄利多売して利益をあげる商人 が台頭した。そのなかで最も有名なのが三井家である。三井家は越後屋呉服店を開いただけで なく,金融業へも経営を広げ,両替商を営んだ。明治維新後は,三井銀行や三井物産を新しく 設立して金融と貿易を中心として成長し,やがて三池炭鉱の払下げを受けて利益をあげた。

日露戦争後には,コンツェルン形態を整えて財閥へと成長したが,第二次世界大戦後,GHQ の指令により

財閥解体の適用を受けた。

問6 下線部ⓔに関連して,江戸時代の商人に関して述べた次の文Ⅰ・Ⅱと,それに関連する下 の語句

a

d

の組合せとして正しいものを,あとの①〜④のうちから一つ選べ。

31

Ⅰ 生産地から商品を受け取り,手数料を取って卸売りした。

Ⅱ 業種ごとに同業者団体を作り,独自の法を定めた。

a 問屋  b 仲買  c 仲間  d 座

① Ⅰ−

a  Ⅱ− c   ② Ⅰ− a  Ⅱ− d

③ Ⅰ−

b  Ⅱ− c   ④ Ⅰ− b  Ⅱ− d

問7 下線部ⓕに関連して,明治時代から昭和時代初期にかけての金融・貿易に関して述べた次 の文Ⅰ〜Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①〜⑥のうちから 一つ選べ。

32

Ⅰ ヨーロッパ列強が後退したアジア市場への綿織物などの輸出が急増し,貿易は大幅な輸  出超過となった。

Ⅱ 急速に進んだ円安によって綿織物の輸出が増大し,イギリスに代わって世界第1位の規  模となった。

Ⅲ 日本で唯一の発券銀行として日本銀行が設立され,銀兌換の銀行券の発行が始まった。

① Ⅰ−Ⅱ−Ⅲ   ② Ⅰ−Ⅲ−Ⅱ   ③ Ⅱ−Ⅰ−Ⅲ

④ Ⅱ−Ⅲ−Ⅰ   ⑤ Ⅲ−Ⅰ−Ⅱ   ⑥ Ⅲ−Ⅱ−Ⅰ

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(15)

問8 下線部ⓖに関連して,財閥解体について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうち から一つ選べ。

33

  

① 8時間労働制など,労働条件の最低基準が定められた。

② 銀行も含め,各産業部門の巨大独占企業が分割された。

③ 持株会社整理委員会を通じて株式の民主化が進んだ。

④ 産業合理化を促進するため,重要産業統制法が制定された。

(16)

− 34 −

第3問 次のⓐ〜ⓔは中世から近代までの用語・出来事であるが,最も関係の深い場所を,下 の地図中のア〜タのうちからそれぞれ一つずつ選べ。

ⓐ 順徳上皇の配流地

34

  

ⓑ 円覚寺舎利殿

35

   

ⓒ 閑谷学校

36

   

ⓓ 前原一誠の反乱

37

   

ⓔ 官営八幡製鉄所の設立

38

   

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(17)

第4問 次の文章(A

C)を読んで,下の問い(問1〜7)に答えよ。

A

 日本では古くから自然物に霊魂がやどると考えられ,それらを神々として祀ることが広がる 一方,6世紀には百済から仏教が伝えられ,国家の安定などをはかるものとして受け入れら れた。その結果,

神々への信仰と仏教との習合が進み,次第に神々と仏を同一とする考えも 生まれた。

問1 下線部ⓐに関連して,6世紀から8世紀における仏教の受容について述べた次の文

a

d

について,正しいものの組合せを,下の①〜④のうちから一つ選べ。

39

a 蘇我馬子が建立した飛鳥寺では,従来と同じく掘立柱による建築技法が用いられた。

b 蘇我馬子が建立した飛鳥寺では,礎石の上に柱を立てる建築技法が用いられた。

c

 聖武天皇は,華厳経の教えに基づき,盧舎那仏の造立を発願した。

d 聖武天皇は,法華経の教えに基づき,盧舎那仏の造立を発願した。

① a・c   ② a・d   ③ b・c   ④ b・d

問2 下線部ⓑに関連して,平安時代から室町時代にかけての神々への信仰と仏教の関係につい て述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①〜⑥ のうちから一つ選べ。

40

  

Ⅰ 神は仏が仮に姿をかえて現われたものとする本地垂迹説が主張され始めた。

Ⅱ 吉田兼俱が儒教や仏教などさまざまな信仰を取り込み,唯一神道を完成した。

Ⅲ 伊勢外宮の神官度会家行が『類聚神祇本源』を著し,伊勢神道を大成した。

① Ⅰ−Ⅱ−Ⅲ   ② Ⅰ−Ⅲ−Ⅱ   ③ Ⅱ−Ⅰ−Ⅲ

④ Ⅱ−Ⅲ−Ⅰ   ⑤ Ⅲ−Ⅰ−Ⅱ   ⑥ Ⅲ−Ⅱ−Ⅰ

(18)

− 36 −

B

16

世紀半ば,日本で南蛮貿易が始まるなか,イエズス会の

が鹿児島に上陸してキリ スト教が伝わった。キリスト教宣教師が貿易の利益を財政基盤に組み込みながら布教活動をく り広げたため,

キリスト教の布教活動と南蛮貿易とは一体となって行われた。

  それに対して

17

世紀前半,江戸幕府はキリスト教禁止令(禁教令)を出した。幕府は禁教 を徹底するため,外交や貿易に厳しく制限を加えるとともに,

1614

年に宣教師らを呂

ソン

に追放するなど,キリスト教徒に迫害を加えた。

1637

年,潜伏していたキリスト教徒 らによって島原の乱が起こると,

幕府はその動きをいっそう強め,いわゆる鎖国の状態となっ た。

問3 空欄

に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①〜④のうちから一つ 選べ。

41

  

① ア−ヴァリニャーニ       イ−マニラ

② ア−ヴァリニャーニ       イ−マラッカ

③ ア−フランシスコ

=

ザビエル   イ−マニラ

④ ア−フランシスコ

=

ザビエル   イ−マラッカ

問4 下線部ⓒに関連して,

16

世紀におけるキリスト教や南蛮貿易について述べた文として誤っ ているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。

42

  

① 大友義鎮など,キリスト教の洗礼を受ける大名が各地にあらわれた。

② 京都では,高山右近らの協力で南蛮寺とよばれる教会堂が建立された。

③ 織田信長は,ルイス

=

フロイスに京都でのキリスト教の布教を許可した。

④ 豊臣秀吉は,宣教師に国外退去を命じ,南蛮貿易も禁止した。

問5 下線部ⓓに関連して,島原の乱後の幕府の政策について述べた次の文Ⅰ・Ⅱについて,そ の正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。

43

   

Ⅰ オランダ船や中国船との貿易を長崎の出島に限った。

Ⅱ 寺院が檀家であることを証明する寺請制度を設けた。

① Ⅰ−正 Ⅱ−正   ② Ⅰ−正 Ⅱ−誤

③ Ⅰ−誤 Ⅱ−正   ④ Ⅰ−誤 Ⅱ−誤

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(19)

C

 江戸時代後期から幕末期にかけて日本の農村社会は変貌し,階層分化が拡大しただけでなく,

村々と都市との間での人々の交流が広がり,地域秩序の動揺が進んだ。そうしたなかで,

個々 の救済や新たな秩序の形成を求める宗教的な動きが広がった。とくに儒学において政治・社会 秩序の立て直しをめざした新しい動きが生じた。その代表例が後期水戸学である。

  なかでも会沢安は,攘夷の主張が正しいのは日本という国の性格に基づく本質の問題である と主張し,

明治政府の宗教政策にも影響を与えた。

問6 下線部ⓔに関連して,この時期の宗教的な動きに関して述べた次の文Ⅰ・Ⅱについて,そ  の正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。

44

  

Ⅰ 世直しへの願望が広がり,天理教などの新たな宗教が生まれた。

Ⅱ 平田篤胤の唱えた教派神道が各地の豪農らに受け入れられた。

① Ⅰ−正  Ⅱ−正   ② Ⅰ−正  Ⅱ−誤

③ Ⅰ−誤  Ⅱ−正   ④ Ⅰ−誤  Ⅱ−誤

問7 下線部ⓕに関連して,明治期における宗教政策に関して述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて,古  いものから年代順に正しく配列したものを,下の①〜⑥のうちから一つ選べ。

45

  

Ⅰ 祭政一致を掲げて大教宣布の詔が出され,神道国教化がはかられた。

Ⅱ 大日本帝国憲法が発布され,法律の範囲内で信教の自由が認められた。

Ⅲ 地方改良運動の一環として,各地で神社の整理・統合が進められた。

① Ⅰ−Ⅱ−Ⅲ   ② Ⅰ−Ⅲ−Ⅱ   ③ Ⅱ−Ⅰ−Ⅲ

④ Ⅱ−Ⅲ−Ⅰ   ⑤ Ⅲ−Ⅰ−Ⅱ   ⑥ Ⅲ−Ⅱ−Ⅰ

参照

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