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ショウセツ『シマントガワ』ニミルコウドケイザイ セイチョウ

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

ショウセツ『シマントガワ』ニミルコウドケイザイ セイチョウ

高木, 彰彦

九州大学大学院人文科学研究院歴史学部門 : 教授 : 政治地理学

https://doi.org/10.15017/1146

出版情報:史淵. 139, pp.177-202, 2002-03-30. Kyushu University Faculty of Humanities バージョン:

権利関係:

(2)

小説﹃四万十川﹂にみる高度経済成長

封司

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﹁憂

はじめに

 本稿は笹山久三氏の小説﹃四万十川﹂シリーズを素材として︑そこに描かれている高度経済成長期における遠

隔地山村の変貌過程を把握しようとするものである︒政治地理学を専攻する筆者にとって︑こういつた試みは初

めてのものである︒そこで︑本稿執筆の動機を冒頭に記しておきたい︒それは︑九州大学に赴任して二年目の二

〇〇〇年度から︑大学院重点化に伴う新設科目﹁現代文化論﹂を担当したことに起因する︒﹁空間動態論﹂という

授業科目名のもとに︑哲学・史学・文学を学ぶ他専攻の大学院生に何を教えるのか試行錯誤する過程で︑まず前

期は世界︑後期は日本をそれぞれ扱うこととした︒日本については︑文学作品を素材として近・現代史を地理的

な視点から取り上げることで︑哲学・史学・文学にわたる院生の関心領域に多少なりとも接点をもてるのではな

いかと考えた︒後述するように︑笹山久三氏の﹃四万十川﹄シリーズは︑高度経済成長時代における山村の変貌

を扱うのに格好の素材であった︒

 本稿は︑こうした観点から取り組んだ昨年と今年の講義ノートを踏まえて︑論文にまとめてみたものである︒

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長一七七

(3)

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長一七八

その意味で︑本稿は︑筆者の研究活動の延長というよりもむしろ教育活動の延長ともいうべきものである︒

 日本の地理学において︑こういつた文学作品を素材とした研究は一九八○年代以降みられるようになってき      ︵1︶た︒杉浦︵一九九二︶や杉浦編︵一九九五︶など︑これまでにもいくつかの研究成果が刊行されている︒杉浦編

︵一 繼繻ワ︶によれば︑地理学において文学を扱った研究は︑最も取り組みの遅れた分野であるという︒一般に新

しい分野に対して研究が取り組まれる場合︑方法論的な側面から検討が始まるのが通例だが︑この分野の場合︑

そうした側面に十分な蓄積があるとは言えず︑杉浦編︵一九九五︶の﹁はしがき﹂においても︑方法論的検討よ

りもとにかく各人がそれぞれの観点から作品を取り上げて解釈してみることが肝要だという趣旨の記述がなされ

ている︒筆者の執筆動機が教育的理由によるものであるため︑本稿でも︑そうした方法論的な検討よりも︑この

作品から﹁高度経済成長﹂を可能な限り読みとってみることを重視してみたい︒      ︵2︶ 杉浦︵一九九五︶が長塚節の小説﹃土﹄を取り上げたように︑作者の実体験を踏まえた写実主義的な文学作品

は︑その舞台となる時代と場所の特徴を忠実に描いていることから︑その作品を読み解くことによって︑その時

代と場所の特性を的確に把握することが可能になると考えられる︒本稿で﹃四万十川﹄シリーズを取り上げるの

は︑後述するように︑それが作者の実体験を踏まえた作品であり︑作者の生まれ育った山村における昭和三〇年

代の様子を的確に描いていると思われるからである︒

一︑ ャ説﹃四万十川﹄シリーズについて

 ﹃四万十川﹂シリーズは︑一九八八年に刊行された第一部﹃あつよしの夏﹄から一九九六年の第六部﹃こころの

中を川が流れる﹄までの六冊から成るシリーズで︑主人公山本篤義の小学生時代から四〇代半ばまでの半生を描     ︵3︶いた作品である︒作者笹山久三氏は横浜市での郵便局勤務のかたわら︑このシリーズをはじめとして︑自身が生

(4)

まれ育った四万十川流域を舞台とした小説を数多く執筆している︒﹃あつよしの夏﹄は氏の著作活動の端緒となっ

たもので︑昭和六二年度の文藝賞受賞作品である︒この作品は翌年﹃四万十川1あつよしの夏﹄として出版され      ︵4︶た︒文藝賞の﹁受賞のことば﹂において︑作者は執筆のきっかけを次のように述べている︒

 父の七十五歳の祝いと︑母の六十一歳の祝いに︑五組の兄妹夫婦が集まったのは去年の夏のことだった︒

孫と私達の従兄二人を含めて二十四人の宴の中で︑父が︑これまでの生店を語った︒苦しい生活の中︑五人

の子供を育てた苦労を︑今は懐かしんでいた︒

 父や母の苦労を書き残したいと思いたったのは︑その時からだ︒︵中略︶父や母の苦労は︑四万十流域に住

む人達の苦労に通じている︒そしてそれは︑過疎地に生きる人達の哀しみにも︑逞しさにも通じているのだ

と思う︒︵後略︶

 したがって︑﹃四万十川﹂シリーズの主人公山本篤義は作者自身の分身であり︑作品に登場する父母兄弟も作者

自身の家族がモデルとなっていることがわかる︒小説の舞台も作者が生まれ育った高知県幡多郡西土佐村であ

る︒先に引用した﹁受賞のことば﹂で︑﹁父や母の露悪を書き残したい﹂と語っていることから︑作者は︑当初か

ら受賞作の﹃四万十川1あつよしの夏﹄に留めず︑続編を書く構想を持っていたことを読みとることができる︒

その構想は︑その後第六部で完結するまで続くのだが︑このシリーズを通して作者が書き残したいのは﹁父や母

の苦労﹂を含めた﹁過疎地に生きる人達の哀しみと逞しさ﹂そのものなのだろうと思われる︒以下︑四万十川シ

リーズの概要について簡単に説明しよう︒

 第一部﹃あつよしの夏﹄は一九八八年一月に出版されたもので︑篤義の小学校三年時における夏休み前後を描

    小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長      一七九

(5)

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長一八○

いた作品である︒全体が︑︵1︶くろい子猫︑︵2︶うばが谷の大蛇︑に分かれており︑前半の︵1︶では︑飼い

猫キイが産み落とした子猫のうち捨てられる運命にあるクロを守り通すことによって︑また︑後半の︵2︶では︑

貧しさが故にいじあられている同級生浅野千代子をかばうことによって︑成長していく篤義の姿が描かれてい

る︒ 第二部﹃とおいわかれの日々に﹂は一九八九年六月に出版されたもので︑小学校四年生の秋から五年生の秋ま

での︑およそ一年間にわたる篤義の心情の変化を描いている︒この一年の間に篤義は辛い別れを何度も経験する︒

四年生の三月︑山本家の家事を支えていた姉朝子が中学を卒業して遠方に集団就職する︒五年生の夏休み後︑両

親が出稼ぎに出た友人太一は祖母を残して両親のもとへと引っ越す︒両親が炭焼きを行っていた長尾も去った︒

 第三部﹃青の芽吹くころは﹄は一九九一年一月に出版された︒中学校に入学した篤義の︑同級生月子との恋を

中心とした思春期を描いた作品である︒篤義が慕うテッちゃんは都会での生活に失望して村に戻り︑農林業で生

計をたてようとするものの︑結局行き詰まり︑再び都会へと出かけることとなる︒中学校二年生の一年間に満た

ない間にも村では確実に過疎化が進行している︒

 第四部﹃さよならを言えずに﹂は一九九三年六月に出版されたもので︑高校↓.一年生となり︑級友茜に恋しなが

らも就職に迷う篤義の姿を描いている︒栗栽培で成功した父秀男は篤義が後を継ぐことを望み︑篤義自身も村に

留まることにこだわり続けていくつかあった就職話を断るが︑結局横浜の郵便局に就職し村を去る︒

 第五部﹃ふるさとを捨てても﹄は一九九五年↓.月に出版されたもので︑一九七〇年代半ば︑郵便局に就職して

数年経ち︑職場の組合運動に悩む篤義を描いた作品である︒篤義は職場での運動に悩みながらも︑時折故郷に帰

省し︑自然と触れあうことによって都会での生活への意欲を取り戻していく︒

 第六部﹃こころの中を川が流れる﹄は一九九六年一一月に出版されたもので︑シリーズの完結編である︒四〇

(6)

代にさしかかった篤義は父と母の相次ぐ死に見舞われる︒しかし︑篤義は体の中に両親が住み着いていると感じ︑

心の中に子供時代の豊かだった四万十川が流れる感覚を抱く︒そして︑その感覚がある限り︑困難に立ち向かお

うと決心するのである︒

 このように︑本作品の第一部から第四部までは︑四万十川流域の西土佐村が小説の舞台となっている︒第五部

と第六部は横浜の郵便局という職場における組合活動が小説の中心となるものの︑時折︑篤義が帰省する際に︑

故郷の環境の変貌が克明に描かれているので︑全編を通読することによって︑四万十川流域におげる︑およそ四

〇年間にわたる自然および生活環境の変貌を読みとることができる︒

 山本家の家族は父秀男︑母スミ︑長女朝子︑長男和夫︑次男篤義︑次女鈴子︑二男光男の七人家族である︒こ

の家族は︑高知県西土佐村の四万十川と目黒川の合流点を少し目黒川沿いに遡った津野川という集落に住んでい

る︵第−図参照︶︒父の秀男は地元の営林署に勤めていたが︑結核が悪化したため退職し︑それまで住んでいた︑

津野川のさらに上流にある津賀︵空中左端︶の地を離れ︑四万十川本流の上流に位置する姥が谷に移り住んで︑

薪作りを営んでいた︒手術後は力仕事ができないため︑現在の津野川に移り︑商店を始めた︒﹃第一部 あつよし

の夏﹄は津野川に移り住んでしばらくたった時期を描いている︒

 やがて︑経済の高度成長やエネルギー・燃料革命の進行とともに︑薪炭業は衰退し︑河原の砂利取りで生計を

立てていた人たちなど︑土地を持たぬ者は都会へと移り住み︑土地を持つ者は出稼ぎに出始める︒こうして︑山

村の生業は急激に変化し︑過疎化が進行する︒篤義も姉をはじめとして多くの別れを経験することになる︒第二

部の最後で︑台風によって家を失った秀男は︑痩せ細っていく村の将来を築くために︑村に残り農業で生計をた

てていく決心をする︒第三部および第四部では︑村の過疎化の進行と︑それに逆らうように栗農園作りに励む秀

男の姿が描かれている︒第五部では︑舞台の中心は横浜の郵便局に移るが︑時折帰省する篤義の目に︑荒廃する

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長一八一

(7)

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長一八.

 卿

 欄

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1

(8)

故郷の自然と栗農園で成功した父の姿が映る︒第六部では︑故郷はすっかり近代化し︑公共事業が村社会にどっ

ぶりと根を下ろしていること︑栗農園は外国産に押されて衰退し︑今では園芸が村の農業の糧となっていること

を篤義は知る︒﹃四万十川﹄に描かれているのは︑国の経済成長に翻弄されたこの村の︑こうした四〇年間の姿で

ある︒ 作者の笹山久三氏は一九五〇年︑西土佐村の生まれだから︑小説の時代がその実体験を踏まえたものだとすれ

ば︑第一部が小学校三年生の篤義を描いていることから一九五九年目第六部が故郷を離れて二四年目の年とその

翌年が描かれていることから︑一九九二年と九三年︑したがって一九五九年から一九九三年までのおよそ四十数

年間の時期が描かれていることになる︒しかし第一部から第一.一部までには︑明確に時代を確定できるような記述

は本文中には登場しない︒このうちはっきりと年代が特定できるのは第四部で︑卒業を間近に控えた篤義が︑安

田講堂事件などに象徴される学生紛争をめぐって高校の教師と議論する場面が描かれている︵一五一〜一五四

頁︶︒学生運動が頂点に達した一九六九年冬に高校三年生であれば︑生まれは一九五〇年ということになるから︑

作者の実体験をほぼ踏まえた年代設定になっていることは間違いない︒

二︑小説の舞台西土佐村

 高知県幡多郡西土佐村は︑一九五八年四月津大村と江川崎村とが合併して成立し︑今日に至っている︒高知県

の西端部に位置するため︑県都高知市からも隣接する愛媛県の松山市からも百キロメートル以上離れた僻遠の地

である︒そのため︑これまで開発の波にもさらされず自然環境の改変はほとんどなされてこなかった︒第−図に

みられるように︑村内には急傾斜の山地が卓越し︑その間を縫うように四万十川やその支流が嵌入蛇行を繰り返

して流れている︒平坦地は川沿いにわずかに見られる程度であり︑集落の多くは川添いの狭い平坦地を中心とし

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長一八一.一

(9)

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長

て分布している︒

 第−表および第2図から︑

西土佐村の人口および産業別

就業者数の推移をみてみよ

う︒人口︑世帯数とも一九六

〇年の︑それぞれ八︑四六九︑

一︑九〇八をピークに急減

し︑一九九五年には︑それぞ

れ四︑〇六一︑一︑四〇一と

なっており︑人口は半分以下

になってしまった︒とりわけ

一九六〇年代の減少率が大き

いことがわかる︒この間︑農

業就業者数は今日でも最も多

いものの︑その数はかつての

三分の一ほどに過ぎない︒一

九六〇年までは増加していた

林業もその後は激減した︒代

わって徐々に増えてきたのが

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性口女人 709602690500833116307015075321︐    ︐    ︐    ︐    ︐    ︐    ︐    ︐    ︐    ︐3443322222業造製99720128199676706518     1  1  1  り乙  1 性口男人 450465340668817635257124743109︐    ︐    ︐    ︐    ︐    ︐    ︐    ︐    ︐    ︐3443222221業設建06440607609582122030 112223334

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調

(10)

建設業やサービス業である︒小説

中にも記述がみられるように︑一

九六〇年代には出稼ぎが顕著とな

り︑七〇年代には公共事業が定着

する︒農業は主人公の父親が手が

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するものの︑今日では停滞気味で

あり︑野菜の施設園芸が主体と         ︵5︶なっている︵第3図参照︶︒

 主人公の生家のある津野川地区

は旧津大村の中心地であり︑四万

十川の支流目黒川沿いに位置して

いる︵第−図︶︒子供たちが通う小

中学校および中村高校西土佐分校

もこの津野川地区にある︒主人公

一家が以前住んでいた津賀地区は

津野川から目黒川を直線距離にし

て三キロメートルほど上流にさか

のぼった場所にある︒また︑主人

   業業業   口産産産

一口数人次次次人帯業一二三業業.総世就第第第農林.

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小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長 0

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(11)

小説﹃四︑力十川﹄にみる高度経済成長一八パ

公の少年時代には吊り橋だった津人橋は今日では赤い鉄橋となっている︒旧江川崎村の中心地江川崎地区は図中      ︵6︶の上方にあり︑ここには予土線の江川崎駅がある︒主人公の父秀男や母スミは︑毎日どちらかがこの駅から宇和

島まで商品の買い出しに出かけていた︒今日でも役場や農協など村のおもな施設はこの江川崎地区に集中してい

る︒ 今日︑この西土佐村は四万十川観光の中心地として広く知られている︒篠原︵一.○○○︶によれば︑四万十川

の観光が脚光を浴びるようになったのは︑一九△.一年にNHKが﹁土佐四万十川一清流と魚と人と﹂という番組      ︵7︶を全国放映してからのことだという︒さらに︑﹃四万十川1あつよしの夏﹄が文藝賞を受賞し︑その後テレビドラ       ︵8︶マとして放映されたり︑映画化されたりしたことも︑観光ブームに拍車をかけたと言われている︒

三︑子供たちの暮らしと的確な自然描写

 ﹃第↓部 あつよしの夏﹄では︑高度経済成長の影響はそれほど描かれてはいない︒一九五〇年代の末︑村はま

だまだ貧しかった︒篤義の級友千代子は家の手伝いのためにしばしば学校を休み︑白米のみの弁当を持ってくる

ため︑いつも﹁塩飯千代子﹂と呼ばれていじめの対象となっている︒篤義はそんな千代子に︑かつて弟妹の面倒

をみるために学校を休まねばならず︑それが理由でいじあられていた姉朝子の姿を重ねている︒

 日本の農山村部の子供たちの多くがそうであったように︑津野川の子供たちも自然の中で遊び育った︒しかし︑

貧しいが故に︑彼らの遊びは生業をも兼ねていた︒﹃あつよしの夏﹂には次のような記述がある︵四六頁︶︒

津野川の男の子たちは︑その成長過程で︑かならず川漁に手を染める︒朝子のような女の子でも︑コロバ

シ漁を手がける者は少なくない︒子供たちは︑あるときは食べるために漁をし︑あるときは売るために漁を

(12)

  する︒自分で漁った魚が︑彼の家族の食卓に上るとき︑彼は︑言いようのない誇らしさに包まれる︒それを

  売って金に換えたとき︑彼は︑その手に︑わずかなお金だけでなく︑自分で稼いだ喜びを︑しっかり握るの

  である︒

 このようにして︑津野川の子供たちは生業と遊びを兼ねて川漁に興じるのである︒篤義の父母やさらに以前の

世代もおそらく同様な子供時代を過ごしたにちがいない︒したがって︑自然環境とともに育ったここの子供たち

の自然を見る眼は的確である︒例えば﹃第二部 とおいわかれの日々に﹄には︑四万十川について︑次のように

書かれている︵六九頁︶︒

   洪水の作用で砂利の溜まる地域も︑砂の溜まる地域も河原で遊ぶ了供なら誰でも嗅ぎ分けることができ

  た︒それは︑激流の力の方向と地形との関係で理論的に分かるのではなく︑経験的に分かるのだったし︑そ

  れを探すのも︑相撲場や砂遊びの場所を設定する必要からだったのだが⁝⁝︒

 また︑﹃第一部 あつよしの夏﹄には︑こんな描写もある︵五九頁︶︒

   予土線に乗って︑窪川を発ち江川崎に向かう途中︑はじめのころに現れる川は︑岩肌の目立つ早瀬である︒

  それは︑江川崎に近づくに従って人きな淵と︑その対岸に川原のある風景をもつようになるが︑その傾向は︑

  下流に行くにしたがって顕著になる︒中流域にもなると︑流れが山肌にぶつかった所には︑広く深く長い淵

  を形成し始める︒そして︑その対岸には大きな川原が現れる︒淵と淵は︑早瀬で結ばれているが︑それは︑

    小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長      一八七

(13)

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長八八

四万十が少しでも猛れば恐ろしいばかりの様相を呈する︒⁝⁝兄弟の目指す釣り場は︑目黒川が︑四万十川

に合流した淵の対岸である︒そこは︑川幅八○メートルほどの深い淵が︑ニキ山陽ートルにわたって続き︑

その淵に沿って幅百メートルを超える川原が腕艇と続くところである︒この川原を土地の人は︑﹁あじろの川

原﹂と呼んでいる︒

 自然描写の地理的特色が何と正確になされていることか︒子供たちにとって︑こういつた地形上の特徴を的確

に把握することが︑川漁の成果を増大させることにつながるからである︒

 一方︑四万十川の洪水の説明も見事である︵一一五〜一一八頁︶︒作者は︑四万十川の氾濫の原因を︑蛇行によ

る水捌けの遅さ︑水源の広さと山々の急傾斜であるとし︑さらに︑この地方に多人な被害を及ぼす︑﹁四万十上り﹂

と呼ばれる夏台風が偏西風に流されずゆっくりと北上するため︑被害が増人すると指摘する︒

 篤義の家は︑四万十川の支流目黒川に注ぐ﹁ほばご谷﹂と呼ばれる小さな谷川沿いにある︒﹁四万十上り﹂の影

響で四万十川本流の水位が上昇すると支流の水が逆流を開始する︒そうなると篤義の家は真っ先に水害に見舞わ

れることになるのである︒﹃第二部 とおいわかれの日々に﹄では︑家の借金をようやく払い終えた直後に水害に

見舞われ︑山本家は再出発を余儀なくされる︒

 もとより︑作者の自然描写の美しさがこの作品の優れた点であることは言うまでもないが︑実体験を踏まえた

自然環境の的確な把握がなされているからこそ︑作品全体を叙情的な自然礼賛に陥らないリアリティあふれた内

容にしているのだと思う︒

(14)

四︑貨幣経済の浸透・生業の変化

 しかし︑こうした子供たちを取り巻く豊かな自然にも︑変化の兆しが訪れる︒﹃第二部 とおいわかれの日々

に﹄では︑津大橋ドにある網代の河原は砂利採取の舞台となっている︒この砂利取りで生計をたてているのが︑

篤義の級友太一一家である︒彼らのやり方は︑河原の砂利をスコップと竹筑でベルトコンベヤに積み︑ベルトコ

ンベヤから小型トラックの荷台へと砂利を運びこむというものである︒しかし︑この網代の河原にもクレーン車

が現れた︒砂利採取のスピードはまるで違うから︑太一一家の商売は成り立たなくなり︑太一を祖母に預けて両

親は町へ移る︒やがて太一は泣く泣く祖母や篤義と別れ︑両親のもとへと引っ越すことになる︒

 太一の叔父から﹁砂利を集めれば銭になる﹂と言われ︑太一と篤義は網代の河原に砂利集めに出かける︵六六

頁︶︒河原に置かれたクレーンに対して︑太一は︑クレーンのように人規模に砂利を取ると﹁河原が痩せる﹂と叔

父から言われたと篤義に語る︒篤義の五年生の夏︑一九六一年は︑五九年からの岩戸景気が引き続いた好況にわ

いた年であり︑前年の一二月に閣議決定された﹁国民所得倍増計画﹂が積極的に推進された年であった︒日本全

体が未曾有の工業発展を遂げようとしつつあり︑そうした発展のための受け皿として日本の国土全体が大規模に

開発されようとしていた︒ここの河原で採取される砂利もそうした開発の一端をなす道路やビル建設の材料とし

て使われるものなのであろう︒もちろん︑それまでにも河原の砂利石は採取されてはいたが︑この年からクレー

ンを利用したいっそう大量の採取が始まり︑そのことによって細々とした砂利採取が生業として成り立たなく

なっていく様子をこの小説は強調している︒右肩上がりの日本経済の余波がこの遠隔地山村にもこういった形で

及んでいたのだ︒

 このように第二部では︑忍び寄る高度成長の影が度々描かれている︒出稼ぎの記述︑引っ越しの記述︑村を出

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長一八九

(15)

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長九〇

る人々の何と多いことか︒

 篤義の父秀男も借金返済のために岐阜のダム⊥事現場に出稼ぎに出かけるが︑出稼ぎ先で事故にあい︑入院す

る羽目に陥る︒母スミは夫の看病に出かけねばならず︑店の手伝いを頼んだ﹁北山のばあちゃん﹂も︑冬休みに

なり子供たちに店をまかせられるようになると︑町に出て働いていた子供に呼び寄せられて津野川を出ていって

しまった︵六二頁︶︒

 冬になり︑姉朝子の中学卒業が近づくにつれ︑篤義は元気がない︒朝子が卒業後就職のため村を出ることを

知ってしまったためだ︒母は家に留まって家事を手伝ってほしいと望むが︑朝子は自分が家を出ることによって

家計の負担が減ることになるし︑学校と会社との関係が悪くなるから今更断れないと二.口う︵五一︑一頁︶︒

 砂利取りに出かけた際︑元気のなさを指摘された篤義は太﹈と口論になる︒姉が家を出ていくことを告げる篤

義に︑太一は﹁弱虫に決まつちょる︒おらは︑父ちゃんも母ちゃんも出て行ったがぞ︒おらは泣かんがぞ⁝⁝︒

泣いてももんて来んけん︑こらえよるがぞ︒姉ちゃんぐらいで何ぞ!﹂︵七五頁︶と篤義をなじる︒正月を前にし

て太一は両親の帰郷を待ちわびているものの︑一方で正月の後は再び別れが待っていることを思うと涙ぐんでし

まう︒ありふれた家族の絆を奪う時代の大きな流れに抗えないことを︑二人とも良く知っているが故にやりきれ

ない気持ちになるのである︒篤義は姉と口論になり︑近所の子から﹁親に見捨てられた﹂と馬鹿にされた太一は︑

悔しさから相手の家の井戸に小便をしてしまう︵一一八頁︶︒

 経済成長の進行とともに︑この村では︑生活の中に占める出稼ぎの比重が次第に大きくなっていく︒土地を持

つ者は出稼ぎに出て︑土地を持たぬ者は離村する︒出稼ぎに出られて一人前という風潮がいつの間にか支配的に

なる︒出稼ぎに出た者や都会に就職した若者たちが一斉に帰省するのが盆と正月である︒篤義は正月の訪れに︑

単なる﹁ハレ﹂の気分にとどまらない︑都会の臭いを感じ取る︵八四頁︶︒

(16)

 篤義は︑大晦日から正月にかけての時期に︑この津野川に都会のかけらが来るような︑そんな華やいだ雰

囲気が訪れることを漠然と感じていた︒夏には︑出稼ぎに行っていた男たちが戻って︑牛や耕転機を操る姿

が集落を賑わしたが︑この時期の雰囲気は少し違っていた︒町へ出ていた若者たちがきれいな洋服に身を包

んで歩いている姿が目立つのだ︒見とれてしまうほどきれいになって里帰りした女や︑すっかり大人になっ

て買い物に来る男たちは︑この一時期集落に都会の匂いを残して去って行った︒正月が近付いて︑若者たち

の里帰りが始まると︑集落の話題も︑どうしてもそのことに集まる︒

 正月が過ぎて︑若者たちが町に戻って行くと︑華やいだ空気も︑里帰りした子供たちの話題も寂しさに溶

けるように消えて行った︒そして︑父親たちも飯場に戻った︒

 高度経済成長時代はエネルギー源が石炭から石油へと転換した時期︑いわゆる﹁エネルギー革命﹂の時期でも

あった︒日本の一次エネルギー供給量をみると︑一九六一年冬石油が石炭を上回り︑以後その差は拡大していく︒

安価な石油は産業用のみならず家庭向けの暖房用としても急速に利用されるようになる︒また︑石油から得られ

る液化石油ガス︵LPG︶︑いわゆるプロパンガスが調理用のエネルギー源として急速に普及したため︑燃料用と

しての薪炭材の需要は急速に低下していく︒それは︑かつての山本家のように︑山を転々とし薪炭材に生活の糧

を求めた人々の暮らしを急速に成り立たなくさせていった︒

 篤義と太一は夏休み間近のある日︑炭焼きで生計を立てている級友の長尾の家に遊びに行く︒一緒にあゆを獲

りに行くためだ︒長尾の家では父親が朝から酒を飲んで︑独り言を言っている︵一八一頁︶︒

﹁誰っちゃ好きで行ったがじゃないがぞ⁝⁝︒誰っちゃ︑好きで行ったがじゃない!﹂︵中略︶

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長 九一

(17)

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長一九.

﹁くそ⁝⁝! 騙しやがって⁝⁝﹂

 意味の解らない篤義が長尾に尋ねると︑長尾は︑小作だった父親が満州に移民したこと︑敗戦後帰国しても土

地もなく炭焼きを始あたこと︑最近は炭の売れ行きが悪いことなどを話す︒すでに篤義の家にもプロパンガスは

導入されていたのである︒やがて︑長尾の一家も村を出ていく︒長尾と時期を同じくして︑太一も飯場暮らしの

両親に引き取られる︒大好きな祖母を村に残したまま︒

 高度経済成長という︑この時代の巨人な流れは遠隔地の山村の生活を大きく改変しつつあった︒これから出稼

ぎに出ようとして山本商店に立ち寄った近所の男が秀男と交わす会話の中に︑そうした時代の大きな流れとそれ

に抗うことのできない村人たちの心情がよく現れている︵二五一頁︶︒少々長いが引用してみよう︒

﹁どこが生活の場所か分からんなったがよ⁝⁝︒出稼ぎ言うても︑出ちょる方が長いけん﹂

 白髪の混ざり始めた頭を短く刈り込んだ男が︑長い世間話をやめて︑突然つぶやくように言った︒

﹁いつ頃からかねや︒みんな出稼ぎに出始めたがは⁝⁝﹂

﹁いつの間にかじゃ︒気が付いたら出稼ぎなしじゃ生活できんなつちよった︒地元でつこうてもらおにも︑夏

場にゃ家のことをせにゃいけんけん︒こっちの都合で出入りはさしてくれんもんねえ﹂

﹁雇う方の都合で出入りさせられることはあっても︑雇われる方の都合は聞いてもらえんけんねや︒おらが出

稼ぎに行った時も︑六十を超えたがは使えん言うて︑戻されたもんがおったけんねや﹂

﹁そうよ︒それ考えたら先が暗うなるがよ︒百姓だけの収入じゃ︑二か月も暮らせん︒米じゃちたいした収入

にはならん︒田んぼが狭いけん︑なにせ⁝⁝﹂

(18)

﹁このまんまズルズル出稼ぎに流されたら︑子供らが住めんなるぞ︒いずれ⁝⁝︒何かせにゃ︒人が減ったら

公務員も減る︒商売も廃れるで︑生活そのものが成り立たんなるかもしれん⁝⁝︒おらは︑そんな悪循環の

始まりを感じるがよ﹂

︵中略︶﹁分かつちょるがよ︒おんちゃん︒出稼ぎ先でそんな話になることもあるんけんね︒出稼ぎのもんは︑どこの

地方のもんでもおんなじこと考えちょるがよ⁝⁝︒けんど︑いまやめたら食べれん︒ずっとそうかもしれん

けど⁝⁝︒雑木林が銭にならんなったし︑銭もかかるようになってしもうた︒生きるいうがは︑いつつも今

のことに追われることじゃけん︒なにせ⁝⁝︒いつ頃からじゃろ︑こんな具合に考えるようになってしもた

がは⁝⁝﹂そう言った男の表情がわずかに揺らいだ︒

﹁そうよねえ︒薪や炭が売れんなって︑反対に燃料を町から買うようになったけん︒これだけでも大けな違い

じゃもんねや⁝⁝﹂

﹁それだけじゃないがよ︒出稼ぎに出るけん︑牛の世話に不自由して︑耕転機をこうた︒正直︑この銭はおら

の田んぼが作る米の何年分かの値段じゃ︒高い機械をこうても︑作る米の量が増える訳じゃないし⁝⁝︒馬

鹿ばかしい思うてもしようがないけんね︒こればっかりは⁝⁝﹂

︵中略︶ 近頃︑農村の近代化が叫ばれ︑有線放送も﹁石鹸で︑手を洗お﹂のテーマソングや﹁冷蔵庫﹂の宣伝紛い

の歌を流すようになった︒

このように生活の隅々まで貨幣経済化され︑消費支出の増加がさらなる現金収入の必要性を促し︑山村の社会

   小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長      一九モ

(19)

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長一九四

生活は激変したのである︒

 ﹃第五部 ふるさとを捨てても﹄において︑都会での生活に疲れた篤義は心を癒すために︑六年ぶりに故郷に帰

る︒時は一九七〇年代の半ば︑日本経済は高度成長から安定成長へと転換する頃である︒篤義は村の変貌ぶりに

驚く︒子供たちの遊び場席稼ぎの場でもあった山や川が自由な場所ではなくなっている︵三四頁︶︒山芋も松茸も

自由には採れない︒川では減少した鰻の放流を始めたというし︑舟着き場も自由には使えない︵六五頁︶︒了供た

ちの自由な空間だった山や川の管理化がしだいに進行していたのだ︒

 ﹃第二部 とおいわかれの日々に﹄の冒頭で︑新玉様の伝説が語られた後︑﹁この里や村も︑巨人な時代の流れ

に逆らうことだけはできなかった︒むしろ︑山里であるが故に時代から受け取らねばならない悲哀があった︒︵一

〇頁︶﹂と︑前置きのように語られて第二部の物語は始まる︒巨大な流れとは高度経済成長だったのだ︒

 しかし︑父秀男は︑貨幣経済が浸透し︑出稼ぎが常態化していくなかで︑この流れに逆らおうとする︒﹃とおい

わかれの日々に﹄で︑洪水によって家を失ったあと︑秀男は山を切り開いて巌巌を作る決心をする︒﹃第一.一部 青

の芽吹くころは﹄と﹃第四部 さよならを言えずに﹂に描かれる︑篤義の中学および高校時代には︑秀男は山に

栗を植えており︑篤義もその手伝いに精を出す︒そして篤義が六年ぶりに里帰りする﹃第五部 ふるさとを捨て

ても﹄では︑秀男の栗栽培は成功し︑表彰されるまでになるのである︒日頃︑﹁石にかじりつくがを止めたら︑生

きるがも止あにやあいけんがよ﹂を﹇癖のように言っていた秀男の努力がまさに実を結んだのである︒

 とはいえ︑こうした成功は一方で追随者を生みはするものの︑他方ではいわれなきやっかみをうけることにも

なる︒川で舟着き場を以前のようには使えなくなったのも︑そうした農村地域の保守性による側面もある︒こう

した保守性の故であろう︒秀男の努力は︑例えば大分県のコ村一品運動﹂のように︑村レベルでの集団的努力

にはつながっていかない︒﹃第五部﹄では︑父と墓参りに訪れた篤義に︑近所の男がこう語る︵九四〜九六頁︶︒

(20)

﹁︵ O略︶将来のことをやるゆとりが︑ずっとなかったけん︒今も今日や明日のことだけよ︒あんたみたいに

は︑やれんがよ﹂

﹁︵ ?略︶たしかに︑今となつちゃあ︑村興しをやろうとする力は︑行政の側にしかないかも知れんけんねや﹂

︵中略︶﹁暮らしが乗じゃったがよ︒何もかもが暮らしのことよ︒暮らしに追いかけられるように出稼ぎに出て︑それ

か村の未来を壊すことにつながっちよったとしても︑一人制とりにとつちゃあ暮らしに追いかけられること

しかなかったけんねや﹂

 ﹁暮らしが敵﹂であり︑先見の明を思うゆとりすらなかったと男は言う︒こうした会話の後︑県道の工事現場を

見て︑篤義は︑今では出稼ぎに代わって公共事業が村の主な仕事になっており︑土建業者のみが羽振りのいいこ

とを知る︵一〇二頁︶︒

 こうして︑この村は.巨大な時代の流れに逆らおうとせず︑飲み込まれていく︒

    五︑伝説の語るもの

 伝説や古い言い伝えばどこにでもある︒そうした伝説は幼い子供たちにとっては︑現実味をもった出来事とし

て受け止められる︒物質文明の浸透を伴う経済の高度成長は︑そうした伝説の存在感を低下させる過程でもあっ

た︒﹃第一部﹄および﹃第二部﹄では︑主人公が小学生であるため︑作者は意図的にいくつかの伝説を物語のなか

に挿入させており︑それが効果的に使われている︒

 ﹃あつよしの夏﹄では︑篤義一家が以前住んでいた﹁姥が谷﹂は平家の落人を守る姥にまつわる伝説から地名が

    小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長      一九五

(21)

小説﹃四万を川﹂にみる高度経済成長一九六

ついたと述べられている︒﹁上家﹂という集落は平家の﹁平﹂の二﹂を上からドへと移して﹁半﹂家としたのだ

と言う︵一一五〜一一六頁︶︒その半裂集落の上流には︑平家の若武者の死を悲しんだ土地の娘が身を投げた﹁お

きみが淵﹂の伝説が今も残ると言う︵こ六頁︶︒

 ﹁姥が谷﹂には大蛇にまつわる伝説もあり︑この大蛇は落人を守った姥の化身ではないかと言われていた︒そし

て篤義も姥が谷に住んでいたころ大蛇を見たのだった︒作品中では︑この大蛇が篤義の心のなかに巣くう勇気の

なさ︑怯えを象徴する存在として描かれている︒千代子を守るため級友とけんかした篤義は︑自らの気持を担任

の教師への手紙に綴るが︑その中で︑千代子を守るために立ち上がって以来︑篤義は教室に住み着いていた大蛇

がいなくなったと書いている︵一九〇〜一九三頁︶︒

 また︑﹃とおいわかれの目々に﹄では︑冒頭で︑新玉二兄弟の末っ子丹後による魔物退治の伝説が語られる︒伝

説の魔物は今でも生きていると教えられ︑篤義はそれを信じている︒前述した出稼ぎに出かけようとして店に立

ち寄った男は︑秀男とひとしきりしゃべった後︑別れ際にこう語る︵一︑五三頁︶︒

﹁銭が魔物になり始めたねや⁝⁝﹂

 男は︑軽く言い残すと道路の方に歩いた︒︵後略︶

 男は確かに﹁銭が魔物になり始めた﹂と言ったのだ︒気になった篤義は自転車で男を追い掛け︑話しかける︵一

五五頁︶︒

﹁おんちゃん︒新玉様の伝説知っちょる?﹂

(22)

 篤義は︑自転車を押して歩き出しながら問い掛けた︒知っていてほしいと思った︒

﹁知っちょるよ﹂

﹁あの魔神は︑お金なが﹂

﹁お金じゃないがよ︒猫の化物よ﹂

﹁猫の化物はおらん⁝⁝︒おらの父ちゃんは︑もっと現実の何かじゃ言うたぞ︒それが伝説になって変わって

ハっ鰐﹂努ド︶や昔コ・つ解﹂ぎ:::一

﹁ぼう︑あの時代は銭が人を泣かす時代じゃなかったがぞ⁝⁝︒現実の︑もしかしたら山賊か⁝⁝︑もっと別

の飢饅かもしれん︒けんど︑銭じゃないねや﹂

﹁おんちゃん言うたに︑さっき︒銭が魔物になり始めた言うて⁝⁝﹂

﹁聞きよったがか⁝⁝︒それは︑別の話よ﹂

 男は︑面白そうに篤義を見下ろした︒

﹁何で銭が魔物なが﹂

︵中略︶﹁おせ︵大人︶になったら分かるがよ⁝⁝ぼうが生活を始めたらねや⁝⁝﹂

 男は︑そう言って軽く笑った︒篤義は︑少しがっかりした︒大人の世界に住んでいる魔神の正体も︑大人

にならなければ分からないのだろうか︒なぜだか︑そんなものならずっと分かりたくないと思った︒︵後略︶

 男が語った︑﹁銭が魔物になった﹂ことの意味を知るには篤義は幼すぎる︒だが︑﹁銭が魔物になる﹂とは︑ま

さに貨幣経済の浸透そのものである︒これこそがこの小説全体を貫く主題なのであろう︒そのことは︑同様なご

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長一九七

(23)

    小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長      一九八

とを﹃第五部 ふるさとを捨てても﹄において︑篤義は弟の光男に︑﹁人間が弱くなった﹂﹁物が化け物みたいに

強くなった﹂と語る場面︵一一︑九頁︶があることからもわかる︒

    六︑自然の荒廃

 高度経済成長のもたらしたもの︑それは人規模な国土の改変であった︒前述したように︑﹃第二部 とおいわか

れの日々に﹄では︑それまで細々となされていた四万十川の砂利取りが大型クレーンによって大規模になされる

ようになる︒篤義が河原の砂利取りで生計を立てている太二家の手伝いに河原へ行った際に︑太一は大型ク

レーンによる砂利採取を批判して︑﹁河原が痩せる﹂と言った︵六七頁︶︒そう一一一.nわれて篤義は痩せてしまった河

原を想像してみる︵六八頁︶︒

  ︵前略︶篤義は︑道具置き場に向かって歩きながら︑この河原がぐり石の原になって痩せこけてしまった風景

  を想像していた︒浮かんだ風景は何故か殺風景で暗い風景だった︒︵中略︶つかの間の白昼夢に見たものは河

  原が死んだ風景だった︒この河原が︑烏だけが似合う場所になることなど空想する方がどうかしてるんだと

  思った︒

 篤義にとって︑物質文明による自然の破壊はまさに殺風景な死んだ風景だった︒

 また︑﹃第六部 こころの中を川が流れる﹄では︑作家としてその名前が知られるようになった篤義が講演の依

頼を受け︑久々に故郷に帰るのだが︑そこで以前遊んだ谷や川を訪れ︑あまりの荒廃ぶりに驚く場面が描かれて

いる︵六一頁︶︒

(24)

﹃だれかが悪いとは思わない﹂

 四万十川の河原で思ったことが︑何か違うと思った︒人間の理性が︑それそのものとして機能し得ない︑

別の力が︑この谷を壊してしまったのだとしか思えなくなっていた︒別の力︑それは︑なんなのだろうか

:::o

その日の午後︑篤義は︑高校の教師となった弟の光男に午前中見た光景を語る︵六三頁︶︒

﹁谷が︑えらいことになつちょるねや﹂

﹁おお︑もっとすごいことになつちよったがぞ︒谷が埋まつちよったがじゃけん︒洪水のたんびに泥が流れ

て︑今は石が残ったがよ︒石が流されて︑元に戻るには︑四十年︑五十年のことじゃないろう﹂

﹁なんで︑そんな荒っぽい工事をやったが?﹂

﹁気がつかんかったがよ︑山の奥のことじゃけん︒それに︑気がついても︑なかなか言いづらいもんがあるけ

んねや﹂﹁なんで?﹂

﹁土木関係が︑大きな顔になったがよ︒公共事業が︑村の産業の中心じゃけんねや︒分校で教えよるときに︑

調べたことがあるがよ︒生徒の親の七割が︑土建業者のドで働きよるがぞ﹂

﹁七割も?﹂

﹁そう︑ちょっきり七割じゃったえ︒公共事業がないなったら︑やっていかれんようになつちょるがよ︑もう︒

むだな工事も多いがよ︒山を荒らしたけん︑沢や谷に土砂が流れるろ︒その対策が︑砂防ダムじゃ︒砂防ダ

  小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長      一九九

(25)

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長一︑

ムを作っても︑それが土砂で埋まったら︑土砂はその上を流れていくけんねや︒必要なけん︑公共事業があ

るいうがじゃないがよ︒公共事業を持ってくることが先にあるがよ︒﹂

﹁そうか︑ここもゼネコンの論理か﹂

﹁そう︑それよ︒目黒川沿いは︑まだ開発の手が入っちょらん︒けんど︑時間の問題じゃろ︑この川筋も﹂

﹁そうか⁝⁝︒ずっと前に︑他人の山で山芋を掘ったり松茸を採ったりしたら︑問題になる言いよったが︑そ

れも︑昔よりひどいことになったがか﹂

﹁今じゃ︑集落の会議にかけられらえ︒金になるもんのことは︑万事が︑そうじや﹂

﹁やっぱりねや﹂

 思わず︑溜息をついた︒川の流れも︑川瀬で弾ける光も︑木陰に宿る青い光の幕も︑小鳥の鳴く声も︑遠

い記憶のままだった︒それでも︑一見しただけでは見えないものの何もかもが変わってしまった︒暮らしも︑

人のつながりも︑そして川の中のことも⁝⁝︒

 長年親しんだ篤義の目には︑四万十川の自然は生態系が破壊された自然としか映らない︒しかし︑四万十川は

﹁最後の清流﹂と呼ばれ︑都会から多くの観光客を集めている︒都会人の目には清流に見えるのである︒そして︑

彼らの手によって︑豊かな自然はいっそう荒廃していく︒

おわりに

 中村︵一九九二︶が述べるように︑﹁高度成長とは︑生産と設備投資の飛躍的増加︑エネルギー革命︑重化学工

業化︑太平洋ベルト地帯の形成︑国際競争力の強化というような経済や産業の変化だけを意味していたのではな

(26)

 ︵9︶かった﹂︒﹁人口はなだれを打って農村から都市に移動し﹂︑﹁国民の生活の様式︑水準と意識とはこの二〇年足ら

ずの間に急変して西欧化し︑所得の分布はいちじるしく平等化した﹂︑要するに︑数百年あるいは千年半もわたっ

て連綿として続けられてきた私たちの生活様式そのものが︑急激に変化し欧化した時代であり︑そうした生活様

式の急変が国土の隅々にまで行き渡った時期であった︒

 その結果︑伝統的な生活形態を比較的色濃く残していた目黒の農山村部の生活は激変したのであった︒そのこ

とは︑僻遠の地︑西土佐村においても例外ではなく︑農林業︑とりわけ薪炭も含めた林業の衰退︑世帯主による

出稼ぎの恒常化︑新規学卒者の集団就職による離村︑さらには出稼ぎに代わる収入源としての公共事業の常態化

がみられるようになった︒こうした大規模な変化がわずか三〇年ほどの間に︑国土の津々浦々で進行したので

あった︒ こうした国土および国民生活の激変は経済的側面にのみ帰せられるべきものではない︒世界の先進各国におい

てフォーディズム的発展様式が興隆したこの時期は︑日本においては︑安保闘争後の脱イデオロギー的な経済成

長政策という︑政府自民党によって強力に押し進められた政治的選択の結果でもあった︒それは︑冷戦という国

際政治上の秩序に基づいた︑日米安保体制によって初めて可能になった政策でもあった︒経済の高度成長が政府

の財源を豊かにし︑そうした豊かな財源が地方自治体への継続的な公共投資を可能にした︒つまり︑﹁五五年体

制﹂と呼ばれる目下の政治体制は偶然の結果でも何でもなく︑冷戦およびフォーディズムと密接に関連した体制

だったのである︒

 仮に﹃四万十川﹄に描かれている︑篤義の少年時代とともにあった美しく豊かな自然への回帰が正しい選択で

あるにしても︑我々はもはや回帰できないところまで︑わずか一世代の間に来てしまったのである︒私たちが今

行わなければならないのは︑こうした激変を少しでも書き留あ︑その意味をきちんと理解することであろう︒筆

小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長二〇一

(27)

    小説﹃四万十川﹄にみる高度経済成長      ↓〇二

者が﹁空間動態論﹂講義でこの問題を取り上げたのも︑こうした問題意識からではあったが︑当初の目的がどこ

まで達成されたのかと問うてみるといささか心許ない︒しかし︑冷戦が終了し︑ポスト・フォーディズムと忌.口わ

れる今日の時代だからこそ︑こうした努力を積み重ねる必要があるのである︒

︵1︶ ①杉浦芳夫﹃文学のなかの地理空間−東京とその近傍﹄占今書院︑一九九.︑︒②杉浦芳夫編﹃文学 人 地域−越境する地

  理学﹄占今書院︑一九九五︒

︵2︶ 杉浦芳夫﹁小説﹃﹂﹄の歴史地誌学﹂︑前掲︵1︶②一一ヒー↓六二頁︒

︵3︶ ﹃四万十川﹄シリーズの六冊はいずれも河出書房新社から出版されている︒本稿で引用する作品中の頁は︑第↓部から第五

  部までは文庫本を用いている︒文庫本の発行年は︑第一部から順に︑一九九.︑年︑一九九ご.年︑一九九五年︑一九九七年であ

  る︒第六部の文庫本はまだ刊行されていない︒

︵4︶ ﹃季刊文藝﹄二六巻︑五号︑一九八七︑二一四頁︒なお︑執筆のきっかけについては︑第四部︵文庫版︶の巻末に寄せられ

  た︑﹁四万十川のたあに﹂という作者自身による解説文にも記されている︒そこでは﹁父の古希の記念に︑何もしてやれてな

  いという思いを込めて描いた小説が文藝賞になり︑それがテレビドラマ化され︑第二部を軸に映画も作られた︒﹂と書かれて

  おり︑父親の年齢に異なりがみられる︒家族全員が集まったことや︑第六部での父親の年齢に関する記述から判断すると︑﹁四

  万十川のために﹂に記されている年齢が正しいのではないかと思われる︒

︵5︶ 篠原重則﹃観光開発と山村振興の課題﹄古今書院︑二〇〇〇︑一二〇頁︒

︵6︶ 予土線は一九七四年に窪川・江川崎間が開通した︒それ以前は字和島線と呼ばれ︑江川崎駅が終点だった︒

︵7︶ 前掲︵4︶︑九一頁︒

︵8︶ 同書︑九一.一頁︒テレビドラマはTBS系の﹁あつよしの夏物語﹂︑映画は恩地日出夫監督による﹁四万十川﹂で︑それぞれ

  一九八八年︑一九九〇年に放映された︒

︵9︶ 中村隆英﹃昭和史H一一九四五一一九八九﹄東洋経済新報社︑一九九三︑六七四−六七五頁︒

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