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(1)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 六一同志社法学六三巻

インド ネ シ ア ・ ア チ ェ に お け る E U 主 導 の 監 視 団 派 遣 と そ の 意 義

欧州安全保障防衛政策︵ESDP︶の下でのEUによるシビリアン・ミッションの成功例として

辰 巳 浅 嗣

︵六一︶ はじめに

  EUが欧州安全保障防衛政策︵ESDP︶として非軍事的ミッションを開始したのは︑二〇〇三年︑ボスニア・ヘル

ツェゴヴィナに派遣されたEU警察ミッション︵EUPM︑二〇〇三・一〜〇五・一二︶が最初である︒以来EUは︑

地域・民族紛争の解決と安全維持に寄与するため︑世界中で二二の軍事的ないし非軍事的ミッションを展開してきた︒

これらの活動は同年公表された欧州安全保障戦略︵

European Security Strategy , ESS

︶に基づくものである︒二〇〇四

年六月︑欧州理事会は﹁二〇一〇ヘッドライン・ゴールズ﹂を発表し︑緊急時におけるEUの迅速な対応能力を高める

ため︑戦闘集団︵

battle group

︶を組織した︒さらに二〇〇九年二月には︑﹁シビリアン・ヘッドライン・ゴールズ﹂︵C HG︶に従い︑﹁文民能力計画﹂︵

civilian capacity plan

︶を採択した︒このように︑EUは一九九九年ヘルシンキ欧州

(2)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 六二同志社法学六三巻一号︵六二︶

理事会において最初のヘッドライン・ゴールズを発表して以来︑着実にESDP活動の充実を図ってきた︒二〇〇九年

一二月に発効したEU新条約︑いわゆるリスボン条約では︑ESDPは共通安全保障防衛政策︵CSDP︶と改称され︑

さらなる発展を遂げている︵本稿では︑取り扱うテーマの対象がリスボン条約発効以前の活動であるため︑ESDPと

いう呼称を用いる︶︒

  インドネシアのアチェ紛争は︑一九七〇年代半ばに成立したスハルト政権時代からの紛争であり︑そのため三〇年戦 争とも呼ばれる︒この間︑一万人以上の死傷者を出し︑数千人が家を追われ︑政府当局による人権抑圧が行われた

︒そ 1︶

の解決のために派遣された﹁アチェ監視団﹂︵

Aceh Monitoring Mission, AMM

︶は︑非武装のシビリアン・ミッション

であり︑ESDPの枠内で実施されてきた活動のうち︑アジアで関与した最初の︑かつ唯一の活動である︒アフガニス

タンに派遣している活動︵EUPOL︑〇七・六〜︶を初め︑ESDPの下での活動がすべて成功しているとは言い難

いが︑アチェ紛争に関しては︑著しい成果を生んだ︒本稿では︑このアチェ監視団の活動をフォローし︑なぜ︑いかな

る条件ないし環境のもとでEUが紛争解決に寄与し得たのかについて検討する︒

  なお︑本稿は︑二〇一〇年一月八〜九日インド・ニューデリーのジャワハルラル・ネール大学において開催されたア ジア太平洋EU学会︵EUSAAP︶における口頭報告

“A Brief History and the Future of the CFSP/ESDP ”

を基に︑

今回同志社大学法学部教授・梅津實先生の退任記念論集のために再構成し︑論文として初めて公表するものである︒梅

津先生は︑一九九八年から一〇年間︑文科省私立大学学術フロンティア研究﹁ワールドワイドビジネスの総合的研究﹂

の一環として同志社大学で実施された﹁政治・国家と企業に関する研究﹂の代表研究員としてリードして下さり︑その

後もわれわれ国際政治統合研究会のメンバーを温かく指導し︑見守って下さっている︒先生のご健康・ご多幸を切にお

祈り申し上げる次第である︒

(3)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 六三同志社法学六三巻︵六三︶ 一.アチェ紛争略史

2︶

  一九四五年八月一七日︑インドネシアは独立を宣言し︑スカルノ︵

Sukarno

︶が初代大統領に就任したが︑オランダ

が暫定共同政府案を提案するなど実質植民化を企図したため︑独立戦争が継続した︒一九四九年一二月二七日︑オラン

ダ領東インドの主権が移譲され︑インドネシアは正式に独立を達成した︒独立戦争中︑スマトラ島北部のアチェの人々

はオランダとの武装闘争に参加し︑インドネシアの独立に寄与したため︑スカルノはその貢献を評価し︑アチェに特別

州の地位を付与することを約束していた︒しかし約束は実行されず︑アチェは北スマトラ州に編入された︒一九五三年

九月二〇日

︑ アチェの人々はイスラム国家樹立を求めて反乱を起こし

︑その結果五九年には特別地域

special

territory

︶として認知された︒ところが︑六八年三月二七日大統領に就任したスハルト︵

Suharto

︶将軍は︑スカルノ

以上に独裁体制を強化し︑中央集権化を進め︑七六年一〇月︑アチェの特別の地位を剥奪するにいたった︒七〇年代初

頭アチェで発見された天然ガスや︑その他の木材・鉱物資源による利益もアチェの人々にはほとんど還元されなかった︒

このため︑スルタン王朝の末裔ハッサン・ディテロ︵

Hasan M di T iro

︶は七六年一二月四日︑自由アチェ運動︵

Garaken Aceh Merdeka, GAM

︶を組織し︑アチェの独立を宣言した︒スハルトは軍事的手段によりアチェと戦うことを決定した︒

八八年以来

GAM/ASNLF

Aceh /Sumatera National Liberation Front

︑アチェ・スマトラ民族解放戦線︶によるゲリラ 活動が頻繁に起こった︒九〇年︑アチェは軍事活動地域︵

Military Operations Area

︶に指定され︑以後一〇年間戒厳令

下に置かれることになった︒この措置は︑九八年五月二一日スハルト大統領が退陣し︑副大統領ハビビ︵

Bacharuddin.

J. Habibie

︶がその後継者となり︑同年八月七日に解除された︒

  九九年一〇月二〇日大統領に就任したワヒド︵

Abdurahman W ahid

︶は︑アチェへの特別自治制度の導入を図るとと

(4)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 六四同志社法学六三巻一号

もに︑アチェに対して天然資源の利益の還元率を増加する法案を策定し︑アチェでの住民投票実施を提案するが︑イン

ドネシア議会により否決された︒翌月︑一五〇万人のアチェ人がバンダ・アチェに集結し︑﹁住民投票の実施または独立﹂

を求めたが︑これに対し軍部が出動︑多数市民が殺戮された︒二〇〇〇年一月︑インドネシア政府とGAM間の交渉が

再開され︑国際NGO・人道対話センター︵のちアンリ・デュナン・センター︑DHC︶がその交渉を支援した︒こう

して六月二日

︑﹁アチェのための人道的休戦に関する共同合意﹂

Joint Understanding on a Humanitarian Pause for

Aceh

︶が調印された︒この合意は実際には守られず︑状況は改善されなかった︒

  二〇〇一年七月二三日︑メガワッティ︵

Megawati Sukarnoputri

︶が大統領に任命され︑七月︑アチェ特別自治法に

調印したが︑同法は石油・ガス収入の七〇%をアチェに与えるものとされた︒実際にはそれは十分機能しなかった︒二

〇〇二年二月︑和平交渉が再開され︑一二月三日には︑日本︑アメリカ︑EU︑世銀が共同議長となり︑東京で﹁アチ

ェにおける和平・復興に関する準備会合﹂が開催された︒同月九日︑休戦協定︵﹁敵対行為の停止に関する枠組み合意﹂

COHA︶が調印されたが︑相互不信から武装解除は行われず︑翌春和平交渉は決裂した︒二〇〇三年五月︑再び東京

で開催された和平交渉も︑GAMの非武装化等の合意形成に失敗し︑再度アチェに戒厳令が出され︑政府軍の弾圧は一

段と強化された︒同年一二月九日︑ジュネーブ会議では︑当事者のほかアンリ・デュナン・センターにより合同治安委

員会︵JSC︶が設置され︑国際監視団による監視が開始された︒二〇〇四年五月一九日︑戒厳令が解除されたが︑状

況 は 変 わ ら な か っ た︒ と こ ろ が

︑ 一

〇 月 二

〇 日︑ ア チ ェ の 和 平 実 現 を 公 約 し て い た ユ ド ヨ ノ︵

Susilo Bambang

Y udoyono

︶が新大統領に就任し︑まもなく一二月二六日︑アチェからさほど遠くないインド洋スマトラ沖で大震災が

発生した︒不幸にも約一七万人ものアチェの人々が津波に呑まれたと言われる︒

  ユドヨノ政権の成立と津波の被害を契機として︑二〇〇五年一月末︑政府とGAMの和平交渉が真剣にヘルシンキで ︵六四︶

(5)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 六五同志社法学六三巻 開始された︒この交渉は危機管理イニシアチブ︵CMI︶のもとで行われ︑経費は欧州委員会の予算から捻出された︒ CMIの議長はフィンランド前大統領アハティサーリ︵

Martti Ahtisaari

︶であった︒彼はコソボおよびその他の紛争の

調停者としてその手腕が高く評価されていた︒五月一八日︑非常事態宣言が解除され︑七月一七日︑ついに両当事者は

﹁合意覚書﹂︵

Memorandum of Understanding, MoU

︶に合意した

3

  八月一五日︑MoUはヘルシンキで調印され︑ここに約三〇年に及ぶ戦いが終結した︒同合意に基づき︑九月九日︑ EUの閣僚理事会︵以下理事会と言う︶はアチェ監視団︵AMM︶の設置に関する統一行動︵

Joint Action

︶を採択し︑

一五日以降その活動を開始した︒AMMには︑MoUの合意どおり︑EU加盟国の他︑東南アジア諸国連合︵ASEA

N︶加盟国五ヵ国︵後述︶が参加し︑その他スイス︑ノルウェーも加わった︒この結果︑年末までにGAMの武装解除

と非正規政府軍︵

non-organic government forces

︶のアチェからの撤退が首尾よく進行した︒二〇〇六年三月︑MoU

の規定に従い︑インドネシア議会において︑アチェの自治権拡大︑資源歳入の増大︑四月選挙に向けた州政党設立を認

めるアチェ統治法が可決された︒一二月一一日︑第一回の直接選挙が実施され︑独立派反政府軍の闘士であったユスフ

Irawandi Y usuf

︶がアチェ州知事に選出された︒選挙はEU選挙監視要員により監視された︒

二.アチェ紛争に関するEUの関与と基本姿勢

  二〇一〇年八月一五日︑EUの外務安全保障上級代表キャサリン・アシュトン︵

Catherine Ashton

︶は︑﹁合意覚書﹂︵M

oU︶の調印とアチェの和平進展を祝う五周年記念日に宣言を発表し︑アチェにおける平和と安定の進展は﹁最も悲惨

な環境の下でも︑交渉と堅固な意志をとおして平和は達成しうるということを例証するものだ﹂とのメッセージを伝え

︵六五︶

(6)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 六六同志社法学六三巻一号

4

  本稿ではMoU調印後のアチェに対するEUの監視活動に焦点を当てるが︑それ以前からEUはインドネシアの政情

不安と人権侵害に強い関心を示してきた︒例えば︑二〇〇〇年一月︑ワヒド大統領就任後の民主的改革を歓迎し︑経済

制裁措置の解除を実施する一方︑モルッカ諸島︑イリアン・ジャヤ︑東チモールおよびアチェにおける紛争と人権侵害

に重大な関心を持っていることを強調している︒二〇〇一年一月︑インドネシア政府とGAM間の暴力行為の中止に関

する延長措置を歓迎する議長宣言を発表し︑二〇〇二年五月には︑両当事者による共同宣言の採択を歓迎する議長宣言

も採択している

︒一二月︑両当事者間で休戦協定が調印されたとき︑欧州委員会は人道対話センターをとおして和平プ 5

ロセスを監視する協定を支持した︒二〇〇五年一月には︑前述のとおり︑アハティサーリ前大統領をリーダーとして設

置された﹁危機管理イニシアチブ﹂︵CMI︶に対して財政的支援を行った︒また︑MoU調印後は︑直ちに﹁暫定監

視団﹂︵

Interim Monitoring Presence or Initial Monitoring Presence

︶を設置した︒この活動は正式にAMMが発足する まで継続した

6

  EUが公表した一連の宣言において︑EUは強力かつ統一的なインドネシア国家を支持し︑力でなく対話をとおした

当事者間の紛争の平和的解決を望むとの意思を表明している︒ここに明確なのは︑EUがアチェ紛争解決に取り組む姿

勢として︑まずインドネシアの国家的統一への支持︵つまりアチェの独立を認めない方針︶と︑インドネシア政府に対

する紛争の平和的解決への強い要請である

︒ 同じことは

︑ 先に言及した

A M M 設 置に関する理事会の統一行動

2005 / 643 /CFSP

︶でも強調されている︒西芳実氏は︑アチェ紛争に対する国際社会の対応の特徴として以下の三点を指

摘している︒

⒜ インドネシアの主権の尊重︑ ︵六六︶

(7)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 六七同志社法学六三巻 ⒝ ︵政府およびGAM双方に対する︶非軍事的対応の要請︑

⒞ 人道支援の一環としての仲介役および後方支援の姿勢を明確に示し︑それぞれの役割を分担︒

  EUの対応は独自の行動指針というよりも︑国際社会全体の基本姿勢に呼応するものと言えるであろう︒因みに西氏

はこのような国際社会の対応によってアチェ問題への関心が維持され︑その結果︑紛争当事者の孤立化・暴走を防ぐの

に寄与したと評価している

7︶

三.EU主導のアチェ監視団︵AMM︶の設置とその運営

  若干の重複を恐れずAMM設置の経緯を資料に基づいて述べておきたい︒合意覚書︵MoU︶の調印を目前に控えた

二〇〇五年七月一二日︑インドネシア外相は政府を代表してASEAN五ヵ国︵タイ︑シンガポール︑ブルネイ︑マレ

ーシア︑フィリピン︶に対してAMMへの参加を要請した︒GAMもEUの参加を支持した︒このほかスイスとノルウ

ェーがEUと協調して監視団の活動に参加した

︒EUがこの種の活動でASEAN諸国と連携するのは初めてのことで 8︶

ある︒七月一八日︑EUはMoUの履行を監視するため監視要員を提供する用意があることを決定し︑九月九日︑EU

の理事会は︑AMMの設置に関する統一行動を採択した

︒前述のとおり︑MoU調印後すでに暫定的な監視活動は開始 9︶

していたが︑AMMが正式に発足するのは九月一五日からである

︒監視団の任期満了は二〇〇六年三月一五日︑つまり 10

その活動期間は六ヵ月間と予定されていた︒但し︑活動期間を延長するか否かは︑同日までに評価すればよいことにな

っていた

11

  AMMは軍事的ミッションではなく︑シビリアン・ミッションであるため︑武器は携行しない︒しかし若干の監視要

︵六七︶

(8)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 六八同志社法学六三巻一号

員は軍事的な後ろ盾を受ける︒武装解除のような一定の技術的任務を遂行するために必要とされるからである

12

  以下︑監視団の運営に関して︑理事会統一行動︵

2005 / 643 /CFSP of 9 September 2005

︶に即して︑その要点を記述す

る︒任務および活動状況については︑章を改めて述べたい︒

  監視団の本部は本部事務所と本部職員から成り︑指揮︑統制︑派遣団支援といった︑すべての必要な任務を提供する︒

本部︵HQ︶はバンダ・アチェに置かれ︵第四条a︶︑監視活動を実施するため︑アチェの各地に一一の地区事務所が

設置された︵同上b

︶︒その役割は︑AMMを通して求められる支援を行うことにあった︒監視団には機動性に富む四 13

つの武装解除部隊が設置された︵同条c︶︒

  AMMはEUおよびその加盟国︑ASEAN加盟五ヵ国ならびにスイス︑ノルウェーによる国際監視団であり︑とも

すれば単なる混成部隊のような印象を与えるかもしれない︒けれどもここに注目されるべきことは︑AMMの指揮命令

系統の統一性である︒AMMには参加を希望する国が招聘されうるが︑﹁EUの決定作成の自律性とその単一の制度的

枠組みを損なわない﹂ことが条件とされる︵第一〇条第一項︶︒﹁AMMの構造は統一的な指揮命令系統を有する﹂︵第

八条第一項︶︒あくまでもEUの政策決定手続きに従って運営されるのである︒具体的には︑EU共通外交安全保障政

策︵CFSP︶の下に設置されている政治安全保障委員会︵PSC︶が︑AMMに対して︑その本来の任務として政治

的統制と戦略的指導を行う︵同条第二項︶︒監視団長はスタッフの規律統制に責任を負う︵第五条第四項︶︒監視団長は

直接の上司である理事会事務総長兼CFSP上級代表︵SG/HR︶に対して報告を行い︵同条第三項︶︑SG/HR

は監視団長に助言を与える︵同条第四項︶︒PSCは︑理事会の責任の下に︑監視団の政治的統制と戦略的指導を行い︑

理事会はPSCに監視団の目的および機関に関する決定を行う権限を付与する︒監視団の目的および任務終了に関する

決定は理事会が行なう︵同条第一項︶︒PSCは定期的に理事会に報告を行なう︵同条第二項︶︒PSCは監視団長から ︵六八︶

(9)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 六九同志社法学六三巻 定期的に監視団の行動に関する報告を受ける︵同条第三項︶︒このようにすべてEUの政策決定の手続きに従い︑CF

SPおよびその下で行われるESDPの制度的枠組内で実施される︒さらに︑ESDPのもとでの監視活動が共同体の

対外活動との一貫性を確保すべきことにも言及している︵第一三条第一項︶︒アチェ監視団がEU主導の監視団︵

EU-led

Mission

︶と呼ばれる所以である︒

  さて︑この監視団長には︑AMMの設置と同時にピーター・フェイス︵

Pieter Feith

︶が選任された︵第五条第一項︶︒

彼はオランダ出身の外交官で︑EU理事会事務局︵政治軍事副局長︶から出向した︒ボスニア・ヘツツェビナに派遣さ

れたNATOの駐留軍IFORの司令官付き政治顧問として活躍し︑イラク戦争EU専門家チームの隊長を務めるな

ど︑アフリカおよびバルカンでの平和ミッションのベテランであり︑CFSP担当上級代表ハヴィエル・ソラナの助言

者である︒彼の下に三人の副団長がおり︑うち一人はASEAN加盟国の出身である

14

  団長の任務はAMMに対して作戦行動上の統制を実施し︑AMMの諸活動の日常的な運営および調整を行い︑監視団

のスタッフ︑資源︑情報の安全管理に当たることである︵同上第二項︶︒監視団のすべてのスタッフは加盟国の当該機

関またはEU機関の権威の下に置かれ︑自らの義務を遂行し︑もっぱら監視団のために行動する︒国家当局は軍事行動

上の統制を監視団長に移譲する︒監視活動期間中も終了後も︑スタッフは監視団に関するすべての事実および情報に関

して︑最大の裁量権を行使する︵同上第三項︶︒

  監視団のスタッフは加盟国およびEU諸機関からの出向による︒参加各国とEU機関は出向する監視団スタッフに関

する経費︵給料︑医療補償︑日給以外の諸手当︑旅費︶が含まれる︵第六条第二項︶︒国際スタッフとローカルスタッ

フは必要に応じて契約に基づき採用される︵同条第三項︶︒第三国も︑適当な場合︑監視団スタッフを出向させること

ができる︒第三国は自国から出向するスタッフに関連する経費︵給料︑医療補償︑諸手当︑旅費︶を負担する︵第六条

︵六九︶

(10)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 七〇同志社法学六三巻一号

第四項︶︒

  AMMに関する予算は九〇〇万ユーロと定められ︵第一二条第一項︶︑その支出は︑EU一般予算に適用される手続

きと規則に従って運営される︵同条第二項︶︒別途EU加盟国およびその他の参加諸国が六〇〇万ユーロを直接負担し

た︒フェイス団長によればそれは﹁加盟国の希望であった﹂︒このためGAMの総予算は一五〇〇万ユーロに上った

15

しかし︑監視団の準備段階では︑二〇〇五年度のCFSP予算ですべての経費を賄うには不十分であった︒加盟国およ

び理事会法務部の抵抗により︑ECの対外援助予算の資金がまったく使用できなかったからである

16

四.AMMの任務と活動状況

  監視団の任務は︑危機管理イニシアチブ︵CMI︶により達成された合意覚書︵MoU︶の履行状況を監視すること にあるが︑EU理事会の統一行動︵

2005 / 643 /CFSP of 9 September 2005

︶はその任務として︑より具体的に以下の八つ

の事項を規定している︵第二条︶︒

⒜ GAMの除隊を監視し︑武装解除および武器︑弾薬︑爆薬の破壊を監視︑支援する

⒝ 非正規政府軍︵

non-organic

︶と非正規の警察部隊︵

non-organic

︶のアチェからの異動︵

re-location

︶を監視す

ること︵MoUの規定どおり︑正規軍・正規警察の撤退を含まない︒註

3

参照︶︒

⒞ 活動的なGAM構成員の再統合︵社会復帰

reintegration

︶を監視すること︒

⒟ 人権状況を監視し︑上記諸任務の文脈における分野での支援を提供すること︒

⒠ 法律の改正過程を監視すること︒ ︵七〇︶

(11)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 七一同志社法学六三巻 ⒡ 係争対象となっている恩赦について裁定すること︒

⒢ 苦情および申し立てのあったMoUの違反について調査・裁定すること︒

⒣ 紛争当事者と連携し︑良好な協力関係を確立・維持すること︒

  アチェ監視団︵AMM︶の主要な目的は︑上記の⒜⒝すなわち︑GAMの反政府軍兵士の武装解除︵

armament

︶と 除隊を確認することと

︑他方の当事者であるインドネシア政府軍のアチェ撤退に関する監視活動である

17

︒ラスナー

Juergen Rathner

︶とハスドゥラ︵

Peter Hazdra

︶の共著によれば︑バルカン諸国におけるESDPの活動とは異なり︑

AMMの任務は単にMoUに具体的に記載された数の兵器の引渡しを監視し︑回収した兵器を破壊することである︒当

事者間の調停や交渉を任務とせず︑その必要がある場合︑両当事者および調停を本務とする危機管理イニシャチブ︵C

MI︶に委ねる︒また︑求められる武器の数は︑すべての当事者が出席する︑いわゆる安全取極委員会︵

Commission

on Security Arrangement, COSA

︶によって合意されねばならなかった︒AMMは武器を受領するか︑使用不能の状態 にするかを決定した

18

  そのためAMMには二二七名の文民専門家が派遣されたとされるが

︑文献により若干の差異があり︑AMMに関する 19

Fact Sheet

によれば二一九名の非武装の国際職員から成り︑うち一二八名はEU加盟国およびノルウェー︑スイス出身

であり︑九一名はASEAN五ヵ国出身である︒監視要員は作業の進行に伴い減少した︒AMMは性質上完全に公平で

あり︑いずれの当事者を代表したり支持したりするものではない︒また︑監視要員はそれと識別できるようにAMMの

ロゴの入った白いポロシャツを着用する︒彼らはパトロールを行い︑両当事者と連絡を取り︑必要な検閲と調査を行な

20

  AMMが公式に活動を開始した二〇〇五年九月一五日当日︑GAMの武装解除に着手し︑GAMは七九の武器を放棄

︵七一︶

(12)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 七二同志社法学六三巻一号

した

︒J・ラスナー/P・ハスドゥラによれば︑統一的ではないがそれぞれ独立した四つの機動的非武装化部隊︵MD 21

ʼ

s︶はGAMの非武装化に責任を負い︑またGAMの武器の破壊をインドネシア政府に対して立証する責任を負っ

︒九月二七日︑GAMの武装解除の四段階中︑第一段階が完了した︒この時までに二四三の武器がGAMにより引き 22

渡され︑破壊された

︒一二月一九日︑CFSP上級代表︵当時︶ハヴィエル・ソラナは︑GAMがMoUの定めた八四 23

〇の兵器の引き渡しを終え︑最終段階︵四段階︶が完了したことを歓迎する声明を発表した

24

  一方︑政府軍および警察部隊の撤退については︑MoUの協定において︑﹁非正規︵

non organic

︶部隊の撤退﹂が当

初の監視活動の対象とされた︒MoUの規定によれば︑正規軍とは︑アチェに正規に配置されていない︑地方軍強化の

ために派遣された要員を指す︒これに従い︑インドネシア政府軍︵TNIの兵士六六七一名と警官︵POLRI︶一三

〇〇名が︑予定より二週間早くアチェから撤収し

︑一〇月一五日︑第二段階が始まった 25

26

  ラスナーらによれば︑アチェにおける武装部隊︵

T entara National Indonesia, TNI

︶の撤退のスケジュールはAMM が提供した︒移動︵

re-location

︶の監視は︑相異なる︑しかし関連し合う以下の三つの活動を展開して行われた︒

*監視要員はTNIと警察の撤退計画の前提条件として︑現時点の勢力の基準線を確認せねばならなかった︒

*撤退の監視︱監視要員は着手地点︵

point of embarkation

︶だけでなく︑撤退する部隊の位置︑規模︑性格︑なら

びに移動される装備についての知識を必要とした︒総計二五八九〇名の兵士と五七九一名の警察官がアチェから異

動した︒*最終的な勢力状況の確認︱これは監視団長が紛争当事者︑EU︑ASEANの参加諸国およびアハティサーリ議長

に提出した﹁コンプライアンスに関する最終査定﹂︵

Final Assessment of Compliance

︶の一部であった

︒二〇〇五 27

年一二月三〇日︑ソラナは︑越年することなく非正規のインドネシア政府軍がアチェからの移転を完了し︑MoU ︵七二︶

(13)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 七三同志社法学六三巻 の完全な順守を果たしたことに敬意を表した

28

  MoUによれば︑一四七〇〇名の正規軍兵士の他︑九一〇〇名の正規警察部隊が残留することと定められていた︒A

MMによる監視活動の終了時点でアチェに駐留している警官は︑九一〇〇名の警官と訓練を終えた二四三三名の士官候

補生︵

cadet

︶の計一一五〇〇人で︑彼らはみな正規の警察部隊であった︒インドネシアの別の地域から五七九一名が 赴任したが︑うち三〇〇〇名は現役の戦闘員︵

active combatant

︶であった

29

  次に恩赦の進捗について見てみよう︒一四〇〇名のGAMの政治犯に対する恩赦も︑和平協定︵MoU︶の重要な要

素であった︒だが一〇月四日に行われる予定であった約一〇〇名の兵士に対する恩赦は︑一〇月現在︑十分進展してい

なかったため︑EUはインドネシア政府に早期に関係書類を処理するよう要請した︒実は︑前年九月に起こったジャカ

ルタのオーストラリア大使館爆破事件にGAMが関与している可能性があったため︑インドネシア政府は恩赦に慎重で

あった︒その事情も承知しつつ︑フェイス団長はインドネシア政府がこれについて規定どおり実行するよう希望した

30

  再々の引用になるが︑ラスナーらの研究によれば︑AMMは人権監視の任務を狭義に解し︑武装解除︑除隊︑再統合

︵社会復帰︶に関連する事項のみを取り扱った

︒その他の侵害はインドネシア国家人権委員会

Indonesian National

Commission of Human Rights

︶または人権問題に従事するNGO

ʼ

sに委ねられた︒二〇〇五年八月三〇日の大統領令

では︑GAMの元構成員に対する一般的な恩赦とともに︑一五〇〇名のGAM政治犯に対して恩赦が認められ︑解放さ

れた政治犯には︑再統合政策により医療・帰郷・現金ないし現物の支援が提供された

31

  当初AMMの監視活動は二〇〇五年一二月末で終了する予定であったが︑三回に亙って延長措置が講じられ︑最終的

に任務を完了したのは二〇〇六年一二月一五日であった︒延長措置は監視活動の遅延や停滞が原因ではなく︑﹁︵アチェ

における︶来るべき地方選挙を考慮し︑またGAMの支援を受けたインドネシア政府の要請による﹂ものであった︒こ

︵七三︶

(14)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 七四同志社法学六三巻一号

の時点で残された課題は︑GAMのメンバーの社会的再統合︵社会復帰︶︑人権の状況︑法改正︑議論の余地のある恩

赦の事例に関する規則︑MoUに対する苦情ないし申し立てられた異議の扱いを監視することであった

32

五.アチェ地方選挙の監視活動

  二〇〇六年三月︑欧州議会による承認を受けて︑アチェの自治権の拡大︑州政党の設立などを内容とするアチェ統治

法が施行された︒これに基づき︑アチェの地方選挙が施行されることになり︑一二月一一日︑インドネシア政府の依頼

によってEUはアチェ州に選挙監視団︵EoM︶を派遣することになった︒知事および一九の地区行政官のポストを選

出する選挙である︒団長には欧州議会のグリン・フォード︵

Glyn Ford

︶議員が選任された︒フェレーロ・ワルドナー

Benita Ferrero-W aldner

︶欧州委員会委員︵EU対外関係・欧州近隣政策担当︶は︑︵AMMに加えて︶選挙監視団は

和平プロセス強化のためのもう一つの重要なステップであり︑﹁私はアチェ州における平和・発展・民主主義に対する

継続的な強い支持を表明するためのミッションを派遣することを決定した﹂と述べている

33

  EoMのコアメンバーは監視団長と七名の専門家から成り︑二〇〇六年一一月初旬︑アチェに到着した︒一六日から

三三名の長期監視員がアチェ全域で投票日および選挙後の期間を含めて選挙運動期間と選挙前準備を監視することにな

る︒約四〇名の短期監視員︵インドネシア駐在のEU加盟国大使館勤務の外交官を含む︶は︑投票︑投票用紙の計算︑

投票の結果の編集を監視する︒EoMは一月初旬までアチェに滞在し︑第二ラウンドが必要な場合︑二〇〇七年初旬に

戻ってくる︒欧州委員会はその経費を充足するため﹁民主主義と人権のための欧州イニシャチブ﹂︵

European Initiative

for Democracy and Human Rights

EIDHR

︶から二四〇〇万ユーロを利用できるようにする

34 ︵七四︶

(15)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 七五同志社法学六三巻   EU理事会は監視団の派遣を含めて︑来るべきアチェ地方選挙に対するEUの支援を強調した

︒また理事会は総括に 35

おいて︑一二月一一日︑アチェ州における平和と安定の著しい進展を歓迎するとのコメントを出し︑その顕著な成果が

一二月一一日に実施されるアチェ地方選挙であり︑アチェにおける和平プロセスの重要性を考慮してEU選挙監視団を

派遣したことを強調した︒この選挙の結果︑独立派反政府軍の闘士であったユスフ︵

Irawandi Y usuf

︶がアチェ州知事

に選出されたことは︑冒頭に記したとおりである︒彼は武装解除のための安全保障調整委員会におけるGAM側の代表

委員を務めていた︒AMMのフェイス団長はAMM終了に当たって行われた記者会見において︑ユスフは几帳面に真摯

にMoUの条項を尊重することと確信していると述べ︑﹁アチェの独立はリストに挙がっておらず︑インドネシア内に

とどまるであろうから︑アチェの地方政府は完全にジャカルタの支援を受けることができるであろう﹂とコメントして

いる

36

  選挙監視を含め︑アチェの一連の監視活動がほぼ成功裏に終わった後︑残された若干の懸念は︑長年の紛争の一因と

もなっていたアチェ産出の天然資源の問題について言及しておきたい︒すでに一九九九年一〇月二〇日︑ワヒド大統領

が就任した時点で︑彼はアチェ人に対する天然資源の利益還元率を増加する住民投票の実施を提案したことがあるが︑

当時のインドネシア議会により拒否され︑それがアチェ人による大規模デモへと発展し︑軍隊の出動に至った経緯があ

る︒アチェには鉱石︑ヤシ油︑ゴム︑コーヒーが算出され︑これらの収入の還元は重要な関心事である︒最終的には︑

アチェに戻るのは天然資源の歳入の七〇%に相当することになった︒フェイス団長は︑記者会見の席で﹁これらの収入

を管理することは慎重でプロフェショナルな管理が必要である﹂と述べた

︒アチェ統治法においても資源歳入の増大が 37

盛り込まれたが︑アチェに入る金額が多大であるため︑汚職等の可能性を排除するためにも︑天然資源に関する強力な

管理が必要が指摘されたのは当然である︒

︵七五︶

(16)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 七六同志社法学六三巻一号

六.アチェ監視団の成功要因について

⑴ 紛争解決への重要な契機としてのスマトラ沖地震と津波被害

  二〇〇四年一二月二六日に発生したスマトラ沖地震と津波は︑インドネシア︑スリランカ︑インド︑タイ等アジア全

域ならびにアフリカ東部にまで甚大な被害を及ぼし︑震源地に近いアチェでは一七万人もの人々が津波に飲み込まれた

ことは︑冒頭に述べたとおりである︒スマトラ沖地震に対して︑国際社会は直ちに緊急支援会議を開催し︵二〇〇五年

一月六日︶︑国連を中軸として国際支援を展開した︒

  悲惨な津波被害はアチェ紛争に著しい影響を及ぼした︒紛争当事者であるインドネシア政府およびGAMはともに紛

争の継続に対して疲弊感を強めた︒まさに不幸中の幸いであるが︑このことがアチェ紛争の解決を促進したことは否定

できない︒国家ないし国際機関等による地域・民族紛争の解決の試みが成功するか否かは︑真に紛争の平和的解決を願

っているか否か︑偏に当事者の意思に掛っていると言えよう︒アチェ紛争の監視活動が成功裏に終わったのも︑第一に︑

震災・津波と長年の政争に辟易し︑紛争を解決するほかないという世論と政情がうまく噛み合った結果だと思われる︒

  本稿では津波被害に対するEUの支援について詳細に論じないが︑復興支援は欧州委員会の手により︑主に緊急人道

支援と長期的復興支援という形で行われた︒委員会はEUのアチェ再建活動を調整するため︑バンダ・アチェにヨーロ

ッパハウスを設置した︒EUの基金は主に住宅補修・建設︑公共インフラ・サービスの設立︑経済活動再開︑被災者へ

の生活支援に充てられた︒委員会の基金は世銀とともにマルチドナー信託基金︵

Multi-Donar T rust Fund

︶をとおして

つぎ込まれた︒委員会は同基金の最大の寄付者であり︑運営委員会の共同議長であった︒その他︑インドネシアでは︑

委員会の人道支援局︵ECHO︶がWHOによる疾病早期警戒システムの設置に資金援助を行なった

38 ︵七六︶

(17)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 七七同志社法学六三巻   二〇〇五年九月九日︑EU理事会がAMM派遣を決定した当日︑理事会が出したプレスリリースでは︑﹁AMM設置

により︑EUは三〇年に及ぶ紛争により損傷され︑津波の結果荒廃したアチェにおける和平プロセスの実現を誓約する﹂

ことが強調されている︒委員会の基金は前述のとおり主に住宅補修・建設︑インフラ整備等に充てられるが︑同時に﹁新

設の再建機関︵

Reconstruction Agency

︶とアチェ地方政府の能力強化にも向けられる︒これはプロジェクトの履行に 役立ち︑アチェの自治政府のためのより新しい措置を助長するであろう

Jack Straw

﹂︒イギリスのストロー︵︶外相は︑ 39

EU理事会議長職としてAMM活動の開始を歓迎し︑﹁平和の確立は去年一二月の悲惨な津波以後のアチェの再建と復

興に大いに寄与するであろう﹂と述べている︒また︑ピーター・フェイス団長も︑すべての作業が完了した後︑アチェ

における津波後の復興と和平プロセスの間には相互関係が存在したことを指摘している

40

  もっとも︑単に震災・津波のせいでアチェに平和がもたらされたわけではない︒本稿冒頭に触れたように︑震災発生

以前の二〇〇〇年一月以降︑国際NGO・人道対話センター︵後のアンリ・デュナン・センター︶が果たした役割も無

視することができない︒また︑震災発生直後の二〇〇五年一月以降︑アハティサーリを団長とする危機管理イニシアチ

ブ︵CMI︶の枠組みのもとで五次にわたる真剣な和平交渉が展開されたこと︑特に第三回交渉においてGAMが独立

断念を宣言したことの意義は大きい︒その結果が同年七月の合意文書︵MoU︶として結実したのである︒また︑Mo

Uに従い実施されたAMMの任務が︑武装解除などの監視活動に限定されたことは︑その成功の確率を高める大きな要

因であったと考えられる︒いずれにせよ︑震災・津波の発生がCMIによる和平交渉を加速化し︑AMMの活動を順調

に進展させる上で︑大きな転機をもたらしたことは否定できないであろう︒

︵七七︶

(18)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 七八同志社法学六三巻一号

⑵ EC/EU諸機関の統合的活用

  ピーター・フェイス団長は︑AMMの任務完了に際して開かれた記者会見の場で︑AMMの成功要因として︑﹁AM

Mは広範な手段︵装置︶を持ち︑過去二年以上にわたってこれらすべてその手段が展開され︑利用されてきた﹂ことを

指摘している︒すでに見てきたように︑欧州議会はアチェ統治法を承認した上で︑欧州議会議員グリン・フォードをア

チェ選挙監視団長として送り込んだ︒欧州委員会は二〇〇五年︑危機管理イニシアチブ︵CMI︶を財政的に支援し︑

双方の紛争当事者に︑草の根団体︑女性グループ︑

Ulema ’s

︵インドネシアの宗教指導者︶の評議会︑および人権団体

などの非国家アクターを含むよう奨励した︒委員会はAMMに参加しないが︑MoU和平に基づきインドネシア政府に

よって設置されたプログラムに基づいて︑プロセスの持続的履行を確保するための支援パッケージを準備した

41

  EUのアチェに対する震災復興支援は当時の欧州共同体︵EC︶のもとで委員会を中心に展開され︑一方アチェの和

平プロセスおよびAMMによる監視活動はEUのもとでESDP活動として実施されたが︑先に述べたように︑実際に

は双方が有機的に連動して活動した︒もともとアチェ和平に関して︑AMM派遣以前︑二〇〇二年および二〇〇三年の

段階でも︑和平復興準備会議︵東京︶では日米︑世界銀行と並んでEUが共同議長を務め︑EU側議長として欧州委員

会が参加した経緯がある︒より具体的には︑委員会は︑AMMの元政治犯と戦闘員を社会復帰させるための緊急対応機

構︵

Radid Reaction Mechanism, RRM

︶を立ち上げて資金援助するとともに︑改正されたアチェ特別自治法︵

Special Autonomy Law of Aceh

︶の枠内でアチェにおけるガバナンスと民主主義を強化することが和平プロセス支援の重要な

領域であることを確認している︒委員会はまたRMMをとおして︑GAMの元戦闘員および元抑留者に対する社会的再

統合の支援を提供し︑MoUに関するコミュニケーションおよび情報のツールの提供するなど︑AMMに関わってきた

42 ︵七八︶

(19)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 七九同志社法学六三巻   欧州共同体︵EC︶と欧州同盟︵EU︶に分断され︑いわゆる三本柱からなる寝殿造りの構造の下にあったリスボン 条約発効以降の状況で︑フェイス団長が指摘するとおり︑﹁EU諸機関の三つの柱すべてが協力して活動した

﹂のである︒ 43

そのこと自体︑AMMの成功要因の一つとして指摘されて然るべきであろう︒

⑶ ASEANとの緊密な連携とEUによる統合的体制の確立

  EU閣僚理事会は︑任務がほぼ終了する段階で︑AMMがアジア初のESDP活動であることに言及しながら︑それ がEUとASEANの協力強化にとって重要な新たな次元を加えるものであると表明した

︒EU主導のアチェ監視団 44

は︑ASEAN諸国と一体的なミッションとして緊密に協力して活動することができた︒第三章で検討したように︑そ

れは完全に統一されたミッションであった︒実際AMMの政治的統制と戦略的指導は︑EU理事会の責任下で政治安全

保障委員会︵PSC︶によって行われた︒AMMはASEANから出向する監視要員を統合した︒レイスナー/ハスド

ゥラは︑﹁地域機構からの監視要員をEUのミッションに統合することは︑きわめて珍しいことだ﹂と述べて︑その事

実を高く評価している

︒ソラナ上級代表もまた﹁EUとASEANの合同の監視団は︑明白かつ客観的な促進者として 45

の価値を立証した﹂と評価している

46

⑷ 団長のリーダーシップと先取的なAMMの取り組み

  次に指摘すべき点は︑状況を先取りするような姿勢で監視を行うことができ︑それが履行のテンポに影響を与えたと

いうことである︒そのため迅速に推進するのに役立った︒レイスナー/ハスドゥラは︑AMMの成功要因として﹁AM

Mは和平交渉が始まったまさにその日から活動を開始した︒こんなに迅速に展開されたミッションは未曾有だ

﹂という 47

︵七九︶

(20)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 八〇同志社法学六三巻一号

事実に言及している︒これに関して︑フェイス団長自身︑次のように語った︒﹁二〇〇五年一五日︑︵MoUの︶調印を

見越して︑当監視団を計画し準備するのに︑四週間しかなかった︒われわれはヘルシンキで進行中の和平交渉の責任者

であるアハティサーリ︵前︶大統領により警告されていたが︑残された時間はほとんどなかった︒そこでわれわれは八

月一五日までに何とかすべてやり遂げ︑完全なミッションを開始した︒けれども当事者たちによって悪用されるような

妨害も空白もなかった﹂︒二〇〇六年一二月一八日︑すべての交渉が終了した機会に︑AMM団長ピーター・フェイスは︑

成功にいたった要点に言及しながら︑﹁危機管理ミッションを完了できることが︑そうたびたびあるものではないだけ

に︑ここに帰還できたことは幸いである﹂と述懐している︒彼の自負は︑AMMが可能な限り短期間に活動を終えるこ

とができたということにある︒記者会見において︑﹁あなたのモットーは︑いいミッションは短期のミッションでなけ

ればならないということだが︑実際には予定より長く駐留したではないか﹂と少々皮肉な質問を浴びせられた︒彼は三

度にわたるAMMの任期延長が自治法の改正や地方選挙のための環境整備などに起因することを説明した上で︑それは

まったく正当化しうることであり︑状況の一層の安定化に寄与したと答えた︒実際彼は︑AMMのミッションはかなり

時間通りに完了したと確信している

48

  以上のような成功要因に加えて︑筆者は︑EUがアチェの独立に言及することなく︑終始インドネシアの領土の一体

性・統一性を尊重しつつ︑他方でその国でアチェ人を孤立しないように配慮したことを指適しておきたい︒第二章で述

べたように︑その手法はきわめて現実的であり︑両当事者に対して受け入れられ可能性を高める結果になったように思

われる︒アチェ紛争の収拾に臨むEUの基本姿勢は決して誤っていなかったと言えるであろう︒ ︵八〇︶

(21)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 八一同志社法学六三巻 むすび   EUが国際紛争や地域・民族紛争の解決に本格的に着手したのは︑冷戦終焉後のことである︒爾来二〇数年︒近年は

シビリアン・ミッションの外︑軍事的ミッションにも手がけている︒国家であれ国際組織であれ︑民族の確執のこもっ

た紛争や緊張の糸をほぐすことは︑並大抵ではない︒筆者自身︑旧ユーゴのボスニア紛争やコソボ紛争について研究し

たことがあるが︑いかに人道的見地からといえども︑単なる外交手段では独裁政権の牙城を突き崩すことは容易ではな

い︒また︑国際統合の発展した欧州といえども︑調停の過程に互いの国益や利害関係の絡むことも少なくない︒その意

味において︑本稿で検討したアチェ紛争の事例は︑むしろ例外的とさえ言っていいようなケースであろう︒紛争の両当

事者において予め国際調停を受け入れる姿勢が整っていることは希有である︒もちろん︑だからと言ってアチェ紛争に

おける監視活動の成果が過小評価されるべきではなく︑本稿で吟味したAMMの役割は正当に評価されて然るべきもの

である︒そのことを理解した上で︑今後のEUのあるべき姿に言及しておきたい︒

  EUはいまや完全に政治的な実体である︒ソラナは﹁ESDPはもはや野望︵

aspiration

︶ではない︑それは現実で

ある︒EUはグローバルな挑戦の処理において重要な役割を帯びグローバル・アクターである﹂と述べている︒同じ文

脈で︑彼はESDPをさらに強化するための教訓を指摘しているが︑それによれば︑ESDPの力は合意︵

consensual

を基礎として引き出される︒したがって︑第一に︑ESDPの枠組みで行われるミッションは単一の国家の利益に基づ

くのではなく︑他の人々の問題に対する集団的な関心に基づくべきであると言う︒また︑第二に︑手段なくして何事も

実現することができず︑シビリアン・ミッションであれ︑軍事的ミッションであれ︑職員と能力を持つことが不可欠で

あると力説する

︒これに関連して︑欧州議会は加盟国に︑有能な職員をESDPのシビリアン・ミッションに利用でき 49

︵八一︶

(22)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 八二同志社法学六三巻一号

るようにする努力を倍増することを提案している

︒リスボン条約の発効を機に︑新設の欧州理事会常任議長および外務 50

安全保障上級代表のもとに新たな︑より効率的かつ実効性のある政策決定の可能性が開かれることを期待する

51

Press Release, Memo/05/310, Brussels, 9 September 2005.1︶  2︶ 本稿におけるアチェ紛争の略史は︑若干の事実関係を除き︑概ね以下に依る︒

Michael Renner, “Conflict and Peacemaking in Aceh: A Chronology”, Worldwatch Institute, http://www.worldwatch.org/node/3929. 和平に関する事項の一部は以下を参照し追記した︒西芳実﹃アチェ紛争における和解の真相﹄東京大学大学院地域文化研究専攻第一二 回シンポジウム﹃平和構築と地域研究﹄第六報告︑“Comparative Genocide Studies,” http://www.cgs.c.u-tokyo.ac.jp. 同報告はアチェ紛争にお

けるインドネシア政府軍の弾圧について︑ジェノサイドの視点から研究し︑和平に至るプロセスに言及している︒なお︑本稿脱稿後入手し

たカトゥリ・メリカリオ著・脇坂紀行訳﹃平和構築の仕事﹄︵明石書店︑二〇〇七年︶は︑マルティ・アハティサーリ前フィンランド大統領

によるアチェ和平交渉について詳述している︒同著を参照し︑初校時に必要最低限加筆した︒

3︶ おける合意内容は︑以下のとおりである︒

アチェにおける政治改革インドネシア国内における大幅な自治権を認める新しいアチェ統治法の公布と︑自由かつ公平な地方選挙の実

*国際的な人権水準を支持するとのインドネシア政府の誓約 構成員に対する恩赦と社会への再統合︵reintegration 諸規定履行のための適切な安全上の取極は弾薬・爆薬ならびに三〇〇〇人の軍隊をすべて除隊︵demobilize︶し︑八四〇 の武器を解除decommissioning︶することを約束した︒インドネシア政府は︑非正規軍および警察部隊のすべての要員︵すなわちアチ

ェに正規に配置されていない︑地方軍強化のために派遣された要員︶を撤退させることを約束した︒但し︑一四七〇〇名の正規の軍隊

と九一〇〇名の正規の警察部隊のみ残留する︒

*アチェ監視団︵Aceh Monitoring Mission, AMM︶の設置 *紛争解決のメカニズムに関する合意

  http://www.consilium.eu.int/uedocs/cms Upload/ MoU Aceh.pdf ︵八二︶

(23)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 八三同志社法学六三巻

Press ReleaseBrussels, 15 August 2010, 12803/10, Presse226.4︶  Press ReleaseBrussels, 17 January 2000, 5039/1/00, Rev1, Presse3.5︶  General Report 2000Chapter VI:section133/46 Press ReleaseReference-PESC/02/67, Date17/05/2002. Press Release: Reference-PESC/01/8, Date12/01/2001. General Report 2001Chapter VI:section137/49 etc.

“First phase of re-location and decommissioning completed”, Press Release:27 September 2005. Press Releasec/105/230, Brussels, 96︶ 

September 2005, 12137/05, Presse230.

7︶ 西芳実前掲論文︒

Press Release, c/105/230, Brussels, 9 September 2005, 12/37/05Presse2308︶ ︶脇坂訳著︵前掲︶によれば︑ンドネシア政府と国連

に不信感を抱いておりSEの介入を歓迎したはインドネシア政府と友好関係にあった警戒心をもって

いたため︑特にの関与が重要であった︵同訳者一〇一頁︶

Council Joint Action 2005/643/CFSP, Official Journal of the European Union L234/13, 10.9.2005.9︶ 

10“First phase of re-location and decommissioning completed”, Press Release:27 September 2005.︶ 

11Council Joint Action 2005/643/CFSP, Official Journal of the European Union L234/13, 10.9.2005.︶ 

12ibid. Agence Europe, No.9029, 17 September 2005.︶  13︶ 註︵

8︶ ︵ Sigli, Birenen, Lhoksemawe, Langsa, Tapaktuan, Blang Pidie, 9︶と同一︒地区事務所はアチェの以下の一一地区に設置された Meulaboh, Lamno, Banda Aceh, Kutacane, Takengon.このほかMedanに兵站事務所が設置された︒

14Juergen Rathner/Peter Hazdra, “The Aceh Monitoring Mission-an Innovative Approach to DDR” in Peter Hazdraed., ‘Small Arms-Big ︶ 

Problem:A Global Threat to Peace and Development’, Vienna, 2007, p.105.

ハスドゥラは軍事オブザーバー︑人権監視要員等として活動し︑一一年間選挙監視にも携わってきた︑実務経験豊かなオーストリアの法律 社会人類学者であるhttp;//www.eueomcambodia.org/English/Core.html︶︒監視団長ピーター・フェイスがインドネシアにとって植民地時代

の宗主国オランダ出身であることは︑交渉にまったく影響しなかった︒脇坂前掲書一六六頁︒

︵八三︶

(24)

インドネシア・アチェにおける主導の監視団派遣とその意義 八四同志社法学六三巻一号

15 Press Release:27September 2005.“First phase of re-location and decommissioning completed”︶  16Juergen Rathner/Peter Hazdra, op.cit., p.106︶ 

17Agence Europe No.9029, 17 September 2005.︶  18Juergen Rathner/Peter Hazdra, op.cit., p.108︶ 

19Agence Europe No.9026, 14 September 2005.︶ 

20ANNEX Fact Sheet 27 September 2005.︶ 

21Agence Europe No.9029, 17 September 2005.︶ 

22Juergen Rathner/Peter Hazdra, op.cit., p.108.︶ 

23Agence Europe No.9038, 30 September 2005.︶ 

24Press Release S418/05, Brussels, 19 December 2005.︶ 

25ibid.︶ 

26Agence Europe No.9043, 7 October 2005.︶ 

27Juergen Rathner/Peter Hazdra, op.cit., p.109.︶ 

28Press Release S 423/05, Brussels, 30 December 2005.︶ 

29Press Conference on the occation of the end of the EU-led Aceh monitoring missionAMM;S360/06, Brussels, 18 December 2006.︶ 

30Agence Europe No.9043, 7 October 2005.︶ 

31Juergen Rathner/Peter Hazdra, op.cit., pp.109~110.︶ 

32Joint Action 12166/06; Press Release:2748/2749 Council Meetings;General Affairs and External Relations, Brussels, 15 September 2006, p21.︶ th

33Europa-Press Release; Reference: p/06/1570, 16/11/2006.︶ 

34ibid.︶ 

35Press Release:2711 Council Meetings;General Affairs and External Relations, Brussels, 27 February 2006, pp15-16.︶ th

36Press Conference on the occation of the end of the EU-led Aceh monitoring missionAMM;S360/06, Brussels, 18 December 2006.︶ 

37ibid.︶  ︵八四︶

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