フランスのろ う教育 ― その歴史 と現状 ―
L'ёducatlon des Sourds en France son histoire et sa situation actuelle
佐 野 直 子
SANO Naoko
キ ー ワー ド
:ろ
う教 育 、 フ ラ ンス 手 話 、 国 民 教 育 、 少 数 言 語 、 二 言 語 教 育Mots‐ Clёs:Education des Sourds,Languc des Signes Fran9aisc(LSF),ЁducatiOn nationale, Langue ininoritaire,Enseignement bilingue
(Key words:DeafEducation,French Sign Language(LSF),National Education,Minority Language,Bilingual Education)
R
sume
On parle souvcnt de llё ducation des Sourds en France au 18ё me siёcle, comme ёtant la prcmiёre tentative de scolarisation en groupe de ce public dans des ttblissements Sp6ciaHs6s.
Par contre, soǹvolution au 19ёme siёcle et sa situation actuclle sont pcu connues au Japon,et pourraient y devenir un modё le tres intёressant.
Dans cet article, nous donnerons prenliё rement une vue d'ensemble de l'histoire de l'̀ducation des SOurds pour p ciser les sttets de discussion,ct ensuite,■ ous examinerons la situation actucne de l'6ducation des Sourds en France depuis les anndes 70. Et pour flnir9■ ous pr6senterons une tentative d'cnscignement bilinguc LSF‐ Fran9ais par une association,cn precisant ses possibilit6s ct ses difflcult6s.
1.は
じめ にフランスは、
18世
紀 に世界で初 めて 「ろ う教育」、すなわち、「ろ う者」に対 して、集団 で、専門 の施 設で教育が行 われた ことで有名 である。 しか し、19世
紀以降、フランスでろ う教育 が どの よ うに変化 し、現在 どの よ うな教育が行 われてい るかについては、 日本にお いてほ とん ど知 られていないのが現状 である。確 か に、 フフンスの現在の 「聴覚障 害者」 に対す る教育政策は、いわゆるイ ンテ グ レー シ ョンが主流 であ り、北欧や北米 の よ うなバイ リンガル・ バイカルチ ュラル教育のモデル ケース と して参考にな るような部分は少 ない といえよ う。 しか し、
2世
紀 にわた って繰 り 広 げ られ た 「手話法」対 「口話法」の論争、「ろ う教育」と「国民教育」との関係、そ して 現在 「フラ ンス手話 (Langue de Signes Francaise,LSF)」 を一つの言語 と して認 め る立場『 言語政策』第
2号 2006年
3月か ら行 われてい る、 フランス手話 と書記 フランス語 のバイ リンガル教育の試 みな どは、過 去 と現在 の 日本の ろ う教育 に さま ざま な示唆 を与 えるもの と思われ る。
本論文では、まず 、 フランスの ろ う教育の歴 史 を振 り返 り、次に
70年
代以降 の聴 覚障 害者 に対す る教育 の法整備や 現状 を概観 して、 フランスの 「ろ う教育」 にお ける論点 を考 える。 その論点は、 ろ う教育 で使用す る手段 をめ ぐっての 「口話法/手
話法」論争 に とど ま らない。それ以外 に も、「ろ う者」観 、「教育」観 に直接 関わ る以下の よ うな問題軸 があ げ られ る。・ ろ う者 は「教育」の対象 なのか、それ とも「慈善」「福祉」「治療」の対象 とみなすのか。
。その対象は 「集団」 としてのろ う者 なのか、それ とも、個々の事情に対 して 「個別」に 対応す るべ きなのか。
・ フランスにお け る 「ろ う教育」の対象 とされ てい る人々 とは どのよ うに見な されて きた のか (「聾唖者」
?「
聴覚障 害者」?「
ろ う者」1)?)
。教育の責任は国が担 うのか、それ とも宗教系施設や
NPOな
どが積極的 に担 ってい くベ き な の か 、 そ して 教 育 とは何 な の か (「教 育6ducation」 ?「
再 教 育=リ
ハ ビ リr6ёducation」 ?)。
そ して最後に、非常 に小 さな試 みなが ら、フランス手話 と書記 フランス語の二言語教育 を行 つている自主教育運動 の事例 にお ける可能性 と困難 を紹介 したい。
2.フ
ラ ンス 「 ろ う教 育 」 の 歴 史2.1
前近代における「聾唖者」へのまなざ しとその教育「聾唖者」に対 して、読み書きや話 し方を教 える試みは、 ヨーロッパでは
16世
紀頃か ら始 ま った と言 われ てい るが2)、 そ の試 みが注 目を集 め るよ うになったのは18世
紀 に入 つてか らである。18世
紀 の啓蒙思想 の時代 に、哲学者た ちは、「聾唖者」 を慣習 によって 汚 され た音声言語 を知 らない 「原始状態」に置かれた人間 とみなす一方で、教育 によって 文明化 され うる対象 ともみな し、関心 を持つ よ うになったのである。また、「聾唖者」同士 が使用 す る「手話」 に対す る関心 も急速に高まった。大航海時代以降、世界の言語の多様 性が明 らかにな るにつれて、言語 の起源や、「普遍言語」へ の探求な ど、言語の普遍的特質 に対 す る研 究が発展 していたが、そ の中で、「聾唖者 」 の使 用 して い る 「身振 りこ とば (mimique)」 こそが人類 に普遍 の言語なのではないか、と知識人たちの注 目を集 めるよ う になったか らであ る (ノ ウル ソン 1998:304・ 319)。その よ うな「聾FI者」と「手話」に対す る関心 は、
18世
紀半ば頃に、 ド=レ
ペ神父lAbb6
de rEp6e)を 始 め とす るフランスの教育者たちが、「手話3)」 を「聾唖者」の教育 に使用す ることで強 く結びつ く。 ド=レ
ペ による教育の画期的 な点 とは、「聾唖者」を (その身分を 問わず)一
定の 「集 団」 とみな した点 と、その集 団 を教育す る特別な方法 として、「手話」を積極的 に使用 した点 にある。
ド
=レ
ペ の教育はめ ざま しい成果 をあげ、フランス王ルイ16世
や オー ス トリア皇帝 フランツ2世
な どの時 の施 政者や、哲学者 たちな ど多 くの人 々の 注 目を集 め、「フランス式」といわれた彼 らの方法による聾学校が ヨー ロッパ各地 で設立 さ れ た。一方 、 ド
=レ
ペ の登場前 は、「聾唖者 」に対す る教育 は、主に貴族の子弟に対す る個人指 導 と して、遺産相続 の資格 を得 るた めに発話 訓練 を行 うといった方式の方が主流 であった (指文字や文字 は使用 され ていた)。 この よ うな考え方 による教育方法は、18世
紀後半に ドイ ツ語 圏 のノ、イニ ッケ(Heinicke)に よって精緻化 され たた めに「 ドイ ツ式」 といわれ、主に ドイ ツ語 圏 と英語圏で試み られていた。
ド
=レ
ペ の 「フランス式」教育 とハイニ ッケ の 「 ドイ ツ式」は互いにその長所 を主張 しあって対立 していた。 しか し、ド
=レ
ペ の方法 は効率性や 効果の点で勝 ってお り、また、ド
=レ
ペ は、 自分の教育方法 を秘密 に したハイ ニ ッケ とは異な り、自らの教育方法 をすすんで公開 してその普及に努めたため、18世
紀末 ご ろに は 、「フラ ンス式 」 の方 が ヨー ロ ッパ全 体 で も優 勢 にな っていた (エ リク ソン 2003: 130‐132, Lane 1989:112)。
2.2
フラ ンス革命後の「 ろ う教育」の変遷フランス革命 の さなかの
1791年
、ド
=レ
ペの興 した聾学校 を引き継 ぐ形 で、国立聾唖 学院(Institution Nationale des SOurds‐Muets)が
設 立 され た。 ここにおいて、集団 とし ての 「聾唖者」は、国家が責任 をもつて、手話によって教育 され る、 とい う「ろ う教育」の一つ のモ デルが提示 され た。それ は、全 フランス国民に対す る義務 。無償教育 をめざし た革命初期 の啓蒙主義的な「公教育」論 の流れ4)ゃ
、革命思想 を広 く一般大衆に伝 えるた めに、フラ ンス国内のにお けるさま ざまな「僅言●atOis)」 といわれ る話 しこ とばに よって 革命思想 の翻訳 が試み られ た流れ5)と も重 なる とい え よ う。
しか し、 フランス革命 の進展 と、その後のナポ レオ ンの ヨー ロッパ支配によって、言語 と国民 との関係 は大き く変化 していった。国王が処刑 された後、「フランス国民」を統一す るのは フラ ンス語である、 とい う認識 、すなわち、あ る言語を読み 。書き 。話す ことが、
ある国民で あ るこ との重要 な指標 とされ るとい う、近代に特徴的な言語観が生まれた。そ
『言語政策』第 2号 2006年
3月の過程 で、最初は革命思想 とい う普遍的な理念を伝 えるための手段 として利用 されていた
「僅言Φ
atOis)」が、今度はその存在こそがフランス国民の統一を妨げるものとして敵視さ
れ るよ うに な り、 そ の根 絶 が め ざ され る こ とにな った6)。 この よ うな状 況 下 にお い て、啓 蒙思想 下 で「普 遍 言 語 」と しての可能性 が注 目 され て いた「手話 」も、そ の研 究 が進 んで 、 個 々の 手 話 の規約 性 が 明 らか にな るにつれ 、次 第 に音 声言 語 で あ る 「国語 」 に比 べ て劣 っ た存在 で あ るだ けで な く、 あつて はな らない存 在 とみ な され るよ うにな って い った。 そ し て、「聾 唖 者 」に話す こ とを教 える とい う可能性 が再び ク ロー ズア ップ され てい くこ とにな る。
また 、「聾唖 者 」 を 「欠 損者 」、また は 「退化 した者 」 とみ な し、「教 育」の対象 で はな く
「慈善 」、ま た は「治療 」の対象 とす る考 え方 も、フラ ンス革命後期 か らす で に生 まれ て い た。革命 後 、国有化 され た聾pI学 院 を 「教育施 設 」 とみ なす か、「 自然 の孤児 (Karacostas
1990: 63)」
で あ る 「聾唖者 」 た ち を収容 す る 「施 療 院 」 とみ なす か につ い て議 論 がお こつた。そ の結 果 、国 立聾 唖学院 は 、当時 の内務 省 の管轄 とな り、「慈善 」路線 が前 面 に出 るこ とに な った。 この 「慈 善」「福祉 」の文脈 は現在 も続 い てお り、ろ う児 のた め の施 設 は 国立 。県 立 。私 立 の別 を問 わず 日本 で い う「厚 生 労働省7)」 の管轄 にな って い る。さ らに、 イ タール 医師(Itard)が パ リ聾唖学院 に赴任 した
1800年
か ら、 ろ う教 育 の 「医 療化 」 が女台ま った。 イ タール は 「聾唖 者 」 に対 して 、聴 覚 を刺激 した り、人 体 実 験 まが い の無謀 な外 科 手術 を試 み るな どに よつて 、「聴 覚 障 害 の治療 」 とい う方 向 を打 ち出 した8)。また、 パ リ聾 学院 の生 徒 た ちに肺 結核 な どの患 者 が多 いの は、発 話 を行 わ な い た め に呼 吸 器官 が発 達 しない た め だ と して (実際 には寄宿 舎 の環境 が劣悪 だ つたせ いで あ る とみ な さ れ てい る)、 発話 訓練 を、「衛 生」や 「体 育 訂1練」の文脈 に位 置づ けた (エリク ソ ン
2003:
158‐159)。「聾唖者 」は、その豊か な手話表現 のた めに、特 に性的衝動 を抑 え られ ない「過 剰 な本 能 」 を もつ者 とみ な され (S6guillon 1994:12,39)、 寄 宿舎 生 活 の 中で 、そ の身 体 を厳 し く管理 され る よ うにな った。
「聾 唖 者 」 を欠損者 とみなす 「病 理 モデル」 は、近代 医学や科学 の発展 につれ て次第 に 精級化 され てい った。 フ ラ ンスで も、「耳 が聞 こえな い」 とい う病気 に対 して 、こ とば を話 させ る とい う「治療 」 を施 す 、 とい う「口話 主義」的手法が導入 され た。
1827年
に は、パ リ聾唖 学 院 にお い て発 話 訂1練が必修 とな り、1832年
には、パ リ聾唖学 院 で は最 高 学年 にお いて は発 話 訓練 を集 中的 に教 えるた め に、 ろ う者 の教師 は最高学年 の担任 を もて ない よ う ロー テ ー シ ョンにす るな ど、手話 法 と 口話法 の両方 を使用す る 「混合 法」 が取 り入れ られ るよ うに な った9)。一方 で、パ リや ボル ドーの国立聾唖学院 は、前述 した通 り、ろ う児 に対す る「救済施設」
と しての意味合い を持 つていた。それ は貧 困層出身のろ う児 10)が自活 してい くために無償 で職 業訓練 を施す とい う役割 を担 うこ とで もあつた
(Presneau 1998:144)。
しか し、 こ の よ うなあ らゆる社会階層 のろ う児が集 ま り、寄宿舎で集 団生活 を行 う施設に、 自らの子 どもを入れ ることをいや が るブル ジ ョワ層のろ う児の保護者 も現れた。保護者たちは、子 どもを家庭 の中に と りこみつつ、幼児期 か ら口話法による訓練 を行 う通学施設の設立 を求 めた。 つま り、ド
=レ
ペ の登場前 に行 われていた、富裕層 に対す る個人指導 としての発話 訊1練、 とい う「ろ う教育」の も う一つ のモデル が、再び脚光 をあび るよ うになってきたの で あ る。19世
紀半ばには、このよ うな保護者 の要望 を受 けて、私立 (主に宗教系)の
ろ う 児 向 け通学施 設 も急速 に増 えてい くが、そ この教師はほとん ど手話 を知 らなかった。手話 で教育で き るよ うにな るた めには、パ リ聾唖学院でかな り長い問勉強 しな くてはな らず、そ の よ うな教員養成制度が全 く整 っていなかったか らであ る。つま り、
19世
紀後半の フラ ンスでは、18世
紀末か らの二種類 の教 育―「富裕層 のろ う児 に対す る個人指導の 口話法教 育 と、貧 困層 のろ う児 に対す る集団指導の教育(Lafon 1980:9)」
―のた めの施設が競合 す るよ うにな っていた (第1表
)。「大 き な施 設 」 「小 さな施 設」
責任 主体
主に公立
(国立 /県 立な ど
) 私 立 (主に宗 教 系)教育方 法 手話法 また は混合 法 口話 法
就 学形 態 寄宿制 通 学制
就 学年 令
9歳
頃 か ら入 学(実際 に は もつ と 年上 で あ る こ と多 し)幼 児期 か ら
就 学層 あ らゆ る階 層 、特 に貧 困層 富裕 層
職 業 訓練 あ り な し
第
1表
19世
紀後半にお け るフランス ろ う教育の二つの施設(CuXac 199o:103よ
り作成)この よ うに、フランスにお けるろ う教 育は、言語ナシ ョナ リズム、医学・科学・進歩志 向、社 会階層 間の対立、教育観や子 ども観 の変化な ど、近代化 に ともな うあ らゆる問題を 反映 させつつ、「手話法」 と「口話法」、「公的施設」 と「私的施設」、「教育」 と「慈善・治
『言語政策』第2号 2006年
3月療」の間で 1世 紀ものあいだ揺れ動き、時に激 しく対立していたのである。
2.3
ミラ ノ国際会議 とフラ ンスの ろ う教育これ らの対 立に決着 をつ け るべ く開催 された のが、
1880年
の ミラ ノ国際会議 で あつた11)。 この会議 は 「純粋 口話教育」の絶対的 な優越 を掲 げ、手話 の全面的 な禁上 を採決 した ことで有名 であるが、この決議 の影響 をもつとも うけたのはフランスであつた12)。
̲番
参加者数 が多 か つたイタ リアは、当時国家 統一 を成 し遂 げた ばか りで、「言語問題」に強い関 心が払 われ てお り、「聾唖者」 にもイ タ リア語 を話 させ るこ とに強 く執 着 していた
(Cuxac
1990:101)。 また、その ほかの国はほ とん ど参加者 を出 してお らず 、それ ほ ど強い影響 は 受 けなか った ことが考 え られ る。 しか し、フランスにおいては、 この会議 の決議 は決 定的 な役割 を果 た した。 この決議 に基づいて、国立聾唖学院 を管轄す る内務省 が、そ の教育方 法に介入す ることがで きたか らで ある。当時 、 フランスは
1871年
の普仏戦争 の敗北 によつてナポ レオン3世
の帝政が倒れ 、対 独復讐 に燃 える極 めて愛国主義的 な共和政が成 立 していた。「 ドイ ツ法」と言 われ た 口話主 義を取 り入れ ることははばか られたが、「純粋 口話法」とされれ ば、む しろフランスの共和 国理念や 当時 のナ シ ョナ リズムの高揚 との親和性 は高かつた。 なぜ な ら、 ろ う児 に対す る 積極的 な 口話教育 は、「フランス国民」以外の固有のアイデ ンテ ィテ ィ (地域集 団な ど)を
持つ こ とを許 さず 、「国語」の もとで強力 な近代国民国家体制を作 り上 げよ うとす るフラン スにお いて、あ らゆる困難 を乗 り越 えて 「フランス語」 を習得す る国民の、究極 のモデル ケー スの役割 を果た しうるか らである (Furetノ OzOuf 1977:326)13)。 それ はまた、科学 による「現代 の奇跡14)」 と して、キ リス ト教権 か ら脱却 しよ うとす る共和国 を支持す る役 割 も果 た していた と思 われ る。「聾唖」で あることは、フラ ンス人 とい う「人種」の「退化」として扱 われ 、それに抗 して戦わな くてはい けない もの とされた。そ こにおいては、ろ う 児 に発 話 させ ることが最大の 目標 とな り、そのためには衛 生医学・視聴 覚技術・ 言語学な
ど、 当時急速 に発展 していた最新の科学的知見が総動員 された。
一方 、
1880年
代初頭 は、フランスは全 国民 の「義務・ 無償・世俗教 育」制度 を うちたて た時期 で もあつた。1882年
3月28日
の法律 では、第4条
で 「6才
か ら13才
までの男女 児童 に対 し、初等義務教育 が施 され る」 ことが うたわれたが、そ こには 「盲者、聾唖者に 対 して初等教育 を与 える方法 は、行政令 によって定め られ る」 とい う文章が付加 されてい た。 つ ま り、 ろ う児 は 「(義務)教
育(6ducation)」 の 対 象 か ら除 外 され 、「 リハ ビ リ (r66ducation)」 の対象 とされたのであ る(Gi1lot 1998:46)。 ろ う児 のための施設 は内務省(日本でい う厚生労働省
)の
管轄のま まであつた。 その内務省 は1884年
に管轄施 設 の教 諭 にな るた めの免状 を創設 したが、免 状 取得 のためには 口話 訓練技術 が必修 とな り、 ろ う 者がろ う学校 教師 にな る道 は閉 ざされ た。ろ う者 の教師 は聾唖学院か ら去 り15)、 手 話で教 育 を受 けた年長 ろ う児 か らの、 日話法 で教育 を受 ける年少 ろ う児 の隔 離 の必要が説 かれた(Moody 1998:31)。
さらに1889年 7月
に、内務省 は 「純粋 口話法」 をろ う児 の唯一の教 育方法 と して公式 に認 可 し、 ろ う教育 の現場 において手話 は禁止 され ることにな った。また、そ の教 育 を主に担 つたのは、「小 さい施設」である私立 キ リス ト教 系の有償 の専門 施設で、そ の数 も十分でなか ったため、特 に農村地域 のろ う児 に対す る教育の普及 は遅れ た 16)。 ろ う児や その他 の障 害児 に対す る教育の無償・ 義務・ 世俗化 を求 める運動や 調査、
審議 が行 われ 、そのための法案 も提出 され たが、議会 で可決 され るこ とはなかったCVialノ
Hugon 1998,Vialノ
Plaisanceノ Stiker 2000)。 ろ う者 は、近代化 の過程 で、一方 で圧倒的 な 「障害」 を乗 り越 えて 「国語」 を習得 す る国民のモデル ケース と して手話 の使用 を否定 されなが ら17)、 他方では 「国民教育」の枠組みか ら除外 され るとい う、二重の排 除 の構造 を背負 うこ とになったので あ る。3.ろ
う教 育 の 現 状3.1
ろ う児 の教育のための さまざまな機 関19世
紀末以来 の「ろ う教 育 」の状況 に大 きな変化 が起 こったのは1970年
代である。1975 年、「障害者基 本法い°75・534 30juin,loi d'Orientation en faveur des handicapё s)」 力`公 布 され 、第
4条
で 「障害児 お よび若い障 害者 は教育の義務 のもとに置 かれ る」 として、障 害者教育 の義務化 を うた った と同時に、障害者教育が、可能であれ ば 「国民教育」の枠組 みの中に「イ ンテ グレー シ ョン」す る形 で行 われ るとい う流れが明記 され た。さらに、1982 年1月 の国民教育省通達 (Circulaire n° 82・2 et 82‐048 du 29 janvier 1982)に よつて、障害児 の普通学校 へのイ ンテ グレーシ ョンを促進す る具体的な政策が打 ち出 された。従来 の、特別 な施設 に特定の障害者 を集めて教育す ることは、子 どもを地域社会か ら引き離 し、
隔離す るこ とにつなが ると懸念 されたか らであ り、財政上 もその方が安上が りである とい う事情 もあった。
国民教育省 の管轄下の学校 において、障害児のイ ンテ グ レーシ ョンを推進す る流れ は、
近年 ます ます 強 まってい る。「聴覚障害者 」であることは、現在生徒 たちが抱 えてい る さま ざまな困難 の 中の一つで あ り、それぞれ 個別 にきめ細やかな対応 を とる、 とい うのが、イ
『言語政策』第
2号 2006年
3月ンテ グ レー シ ョン政策の基本である。 その一方 で、生徒に対す るインテ グレーシ ョンのた めの対 策 は急速 には進 まず 、その後 も多数のろ う児 の生徒が、「厚生労働省」管轄 の専門施 設で教 育 を受 けてい る (第
2表
)。1905年
就学 ろ う児 数1998年
就 学 ろ う児 数「厚労省」管轄国立施設 607 750
「厚 労省」管轄県立施設 300 1250
「厚 労省」管轄私立施設 3162 9000
合 計 4067 11000
普 通 小 学校
+CLIS
750中 等 学 校
+SSEFISな
ど 1900合 計 2650
第 2表
1905年 と 1998年 のろう児の就学状況
CVialノHugon 1998:32,Gi1lot 1998:58よ り
)一世紀近 く、「国民教育」の文脈か ら切 り離 されていた「ろ う教育」は、ここで新たな局 面を迎 えた。すなわ ち、「教育」を受 けたいので あれば、普通学校へのイ ンテ グレーシ ョン を行 うが、そ うでな けれ ば従来の「福祉」「保健」の文脈で、ろ う児 に対す る特別 な施設で
「治療 」 を うけるとい う新たな三分法が立ち上がったのである。 しかも、この二つの選択 を管轄す る省庁が異なってい ることは、ろう教育の統一的 な政策 を考 えるにあた って大 き な障害 とみな され てい る18)。
現 在 、 子 ど も は そ の 障 害 が 判 明 した時 点 で 「県 特 殊 教 育 委 員 会
(Commission
Dёpartementale de l'Ё ducatiOn Spё
ciale,CDES)」
に登録 され る。そ こで、障害の度合 が認 定 され 、 どの よ うな学校・施設で教育を受 けるかについて指導を受 け、保護者がその 教育方 法 を決定す る。普通小 中高校 は、家族か らイ ンテグ レーシ ョンの要求がある場合、障害児 を差別 な く受 け入れな くてはな らない とされている 19).ろ う児の選択肢 としては、
国民教 育省 管轄の普通学校 にイ ンテ グ レーシ ョンす るか、「厚生労働省」管轄の施設に入 る かに大 き く分かれ るが、イ ンテ グ レー シ ョンの方法や 、手話や
LPC(Langage Parlё
Comp16t6、 フランスの 「キュー ド・ ス ピーチ」)の
使用の有無 な どで、その教育方法は さらに細 か く分かれ る。
普通学校 へ のイ ンテ グ レー シ ョンの方 法は、個人イ ンテ グレーシ ョン(普通学級 に一人)、
集団イ ンテ グ レー シ ョン (普通学校内の障害別 統合学級)、 完全イ ンテ グ レー シ ョン (全て の時間 を普通学級で)、 部分 イ ンテグ レー シ ョン (いくつかの教科 を普通学級 で
)な
ど、さ ま ざまな形 態 が あ る。 また、従来の普通学校へ の個人イ ンテ グレーシ ョンの場合 には、そ の生徒 に対 してなんのサポー トもない まま教室 に入れ られ る、いわゆる「原始的インテグ レー シ ョン(int6gration sauvage)」 の状況に陥 ることがあ るため (Glllot 1998:50、 「随 行者(accOmpagnement)の
な いイ ンテ グ レー シ ョンが あって はな らな い」 と提 起 され た (Gillot 1998:13)。1999年
、国民教 育省 は障 害者統合教育 のための総合計画(Plan Handiscol)を
開始 した。そ こでは、個人イ ンテ グ レー ションが推奨 され 、個々の障害児に必要な さま ざまな援助を 行 うための受 け入 れ計画が練 られな くて はな らない と明記 された。イ ンテ グ レー シ ョンの ための随行者 の派遣な どのサー ビスは、「厚生労働省」の管轄で活動す る「特殊教育 と自宅 治療 のためのサー ビス (Service rOducation spё ciale et de soins a dOmicile,SESSAD)」
が担 ってい る。
3歳
か ら20歳
までの聴 覚障害児へのサー ビスは、「家庭教育お よび統合 教育の支援 サー ビス(Service de soutien al'6ducation familiale et lintё gration sc61aire,SSEFIS)」 と呼ばれ、学級の中での手話 通訳、キュー ド通訳、ノー トテーキングな どの実質的な補助だけでな く、聴能 。発話訓練、
カ ウンセ リングな ども行 う20)。
一方、個人イ ンテグレー シ ョンが困難 な児童 の場合には、国民教育省管轄の普通学校内 に、障害別 の特別 クラス を作 ることが認 め られ てい る。「統合学級 (Classe dint6gration scolaire,CLIS)」 は、
1991年
に、集 団イ ンテ グ レー シ ョンのために創設 され、初等教育 において さま ざまな障害を もつ生徒の特別 クラスを編成す る。聴覚障害児のためのクラス はCLIS2と
呼 ばれ る。中等教育における聴覚障害児のための特別クラス「統合教育ユニ ッ ト(Unit6 pёdagogique dintё gratiOn,UPI)」 はそれ よ り遅れ、2001年
に創設 され た。 こ れ らの クラスは特殊教育免状 をもつ教師 によって運営 され、それぞれの障害にそったカ リ キュラムがある。聴覚障害児用のカ リキュラムは、「個人イ ンテ グレーシ ョン」を可能にす るために、特 に 口話 フランス語の訓練 に重点が置かれている ①alle 2003:42)。SSEFIS
のサポー トも受 け られ る。
「厚生労働省 」管轄の施設 は、まず全国に
4つ
ある (パ リ、ボル ドー、メ ッス、シャン ベ リー)国
立聾学院 (Institut National des」eunes Sourds)が
ある。予算 は国 と社 会保険 か ら出 されてお り、イ ンテ グ レーション した児童への援助や中等教育・職業教育 (寄宿制『言語政策』第 2号 2006年
3月度もあ り )を 行つてい る。パ リ国立聾学院か らは大学進学者は出ていない とい う。全国に 15程 度あ る公立
(県立 。行政地域立 )の 施設 と、全国に 100程 度の私立、または非営利 団体経営 の施設は、予算は県保健福祉局 (DDASS)に 依ってい る。また、 これ らの施設は 1988年
の政令 (D6cret n° 88・423 du 22 avril 1988,rannexe xxIV quater)に
よつてそ の設備や職員の種類 。人数な どを細か く規定 されてい るが、実際にそれ を視察 。監督す る 人材の不足 な どか ら、 その中身や教育方針 な どにかな りの格差がある とされ る (ただ し、さまざまな先進的 な試 み も、非営利団体 の教育施設 で行 われ てい る)。 また、地域 に よつて その数 に大 きなば らつ きがあ り、
1998年
の時点で 、96あ
るフランス本 国の県の うち20
の県に これ らの施設 が1つ
もなかった (Glllot 1998:69)。 これ らの 「厚 生労働省 」管轄 の施設 では、聴能 。発話訓練な どの 「医療措置」 を行 うと同時に、普通学校 の免状 を持つ 教師に よる学科教育 も行 われてい る。3.2
ろ う教育のための教 員養成1976年
、健康省 (日本の厚生労働省)令
によつて 、ろ う者 が当省 管轄施 設 の教師 になる 道が開かれ (Dalle 2003:47)、 ろ う教 育の現場 にお け る一世紀 に及ぶ「手話 の禁止 」が (事 実上)解
除 され るこ とになった。しか し、ろ う教育 に携 わる教員 になるた めの資格免 状 は、80年
代 まで多々の組織 のた めの多様 な資格 があつたため、極 めてわか りに くく、特 に管轄2省
庁 に共通の国家免 状の設立が求め られた。 しか し、「厚 生労働省」は管轄施設 で教 える ための 「聾児教育教諭免状 (Certi■cat d'Aptitude au ProfessOrat de l'Enseignement desJeunes SOurds, CAPEJS)」
を1986
年1に倉」謬:し (Docret n° 86・1151 du 27 octobre
1986)、 国民教育省 は教員免状保持者 に対 して出 され る資格 として、
1997年
に 「適応・統合教育 の特殊教育免 状 (Certi■cat d'Aptitude aux Actions Pё dagogiques Sp6cialis6es d'AdaptatiOn et dlntogration Scolaire,CAAPSAIS。 聴覚障害 は
option⇒
」 を設 置 して 以来21)、 共通の免状 は未 だに作 られていない。 しか も、国民教育省の出す特殊教育のため の免状 は、すでに (普通学校 の)教
員免状 を有 してい るものに出 され る形 であるた め、ろう者 には事 実上道 が閉 ざされている22)。
CAPE」 Sは
シャンベ リー大学にあ る「国立聾児教育教員養成セ ンター (Centre National de Formation des Enseignants intervenant auprёs des Jeunes Sourds,CNFEJS)」
で 取得す る こ とがで き る。 このセ ンターは大学学士 (licence,修 学年限最 低3年 )取
得者が 入学で き、修学期間は2年
である。 この資格 はろ う者 も取 ることがで き、1997・98年
にお いて学生 の2割
が ろ う者であった。 しか し、ろ う者の教師 は依然不足 してお り、その 「教師」 と しての立場 も不 明確 であ る。 また、そ もそ も大学 に進学す る聴 覚障害者 は、後述す る とお り極 めて少数で あ り、そ の よ うな 「成功 した」聴覚障害者 は、多 くの場合普通学校 で 日話教育 を受 けた者 で ある。そのためフランス手話 は得意ではな く、「ろ う者 のための手 話 を使 う先生」にな りたが らない とい う。「マイ ノリテ ィの、マイ ノ リテ ィによる、マイ ノ
リテ ィのた めの教育」 を実行 しよ うとす る際の構造的 な問題がここで も確認で きる。
3.3
フランスの ろう教 育における手話の位置 づけろ う教育 の現場 にお け る手話 の位置づけも極 めて複雑 な状況である。
1976年
に「手話 の禁止」が事実上解除 されて以降は、教育現場への手話導入 に対 して積 極的 な政策 が とられてい るよ うに も見 える。1985年
、社会保険省 と国民教育省 によって作 成 され た報告書 「聴覚障害児 の教育 におけるコ ミュニケー シ ョン手段 と教育的解決」 が出 さえしたCapport Boui1lon
ノDelhonl
ノFournier
ノ KettleL Ministё res de l'Education Nationale et des Affaires SOciales,dё cembre 1985)。 そ こで、「フランス手話 の使 用 は、絶対的 に優先 され な くてはな らない」と明記 された。この ことは、「フランス手話」と「フ ランス語」を教科 として習得す るだけでなく、この二言語 を教育の手段 として使用す る「二 言語教育」へ の大 きな弾み となった。
1987年
には、CAPEJS養
成 プ ログラムにお いて フ ランス手話 が必修科 日となった。さらに、
1991年
には、「公衆衛生 と社会保障 についての措置法」、いわゆるファビウス法(Loi n° 91・73 du 18 janvier 1991,Loi Fabius)の 第
33条
において、「若いろ う者 はその 教育 において、二言語 コ ミュニケー シ ョンー手話 とフランス語―と、 日話 コミュニケー シ ョ ン との間で選択す る自由を有す る」 とい う条文 が盛 り込まれた。 これは、フランスにおい て、初 めて法律 によって フランス語 と少数言語 の 「二言語」による教育を認 めた条文 とし て画期的な もの とされ る23)。2000年
代 に入 り、教育現場 にお ける手話の導入 に対す る認識 はさらに進展す る。2002
年2月 12日
には、 当時の教育相 ジャ ック・ ラングが記者会見において 「手話に対す る古 い不正 を償い、その教育的、文化的な正 当性 を認め、 しかるべきレベルまでそれ を教 える 手段 を提供す る」 とい う、 フランス手話 を国民教育の枠組みの中で教育言語 として認 める 談話 を発表 した24)。 そ して2005年 2月
に制定 され た「障害者の権利 と機会の平等、参加 と市 民権 のための法律(Loi n・2005/102 du llお
vrier 2005)」75条
において、「全ての関 係 す る生徒 が フランス手話の教育 を受 けることができるよ うに しなければな らない。(中 略)そ
れ (フランス手話)は
職業教育 も含む資格試験や選抜試験 において任意選択科 日と『 言語政策』第
2号 2006年
3月して選択す ることがで きるもの とす る。その行 政機 関にお ける普及 は援助 され る」 とい う 条文が教 育法典 (Code de rёducation)に 挿入 され る と定め られ た。
「フ ランス手話の教育」に対す る理解は進 みつつあるが、ろ う児が 「フランス手話 によ る教育」を選択す る余地 はほ とん どないのが現状 であ る。
1998年
の「ろ う者 の権利 」レポ ー トに載せ られた、管轄2省
に よって行 われ た5000人
のろ う児 に対す るア ンケー トに よ ると、純粋 口話教育 を行 う9つ
の施設 で教 育 を うけているのが5%、 32の
「二言語教育」を実施 してい る施設 で教育を受 けてい るのが
4%、
残 りの91%が 64の
施 設 で、 日話教育 を基本 に さま ざまな身振 りによるコ ミュニケー シ ョン (フランス手話、 フラ ンス語対応手 話、キュー ドス ピー チLPCな
ど)を
使用す る教育 を受 けてい るとい う (Gi1lot 1998:73)。しか し、「二言語教育」を行 つてい ると してい る施設 において も、ろ う者 の教員 はせいぜい
2人
ほ ど しかお らずQlonica COmpany 1999:25)、
その位 置づ けは 「補助 教員」「手話 を教 え る教員」にす ぎない。 ろ う者が取得で きる免許CAPEJSは
、「厚生労働省」管轄の 施設で教 え る資格 で しかな く、教科教育法 を修 めていないためである (Dalle 2003:54)。十分 に 「二言語教育」 を行 つてい るといえる教育施設 、す なわち フランス手話 と書記 フラ ンス語 による教育 を実践 してい る施設は十数校 にす ぎない とい う (Moody 1998:38、 Dalle
2003:49)。
法律 はで きたが、それ を保障す るための教員養成や教育施設 な ど制度面 の整 備が追 い付 いてい ないのが現状 で ある。この よ うな教育は、成果があがつているのだ ろ うか。
1998年
の 「ろ う者 の権利‑115
の提案」レポー トには、シ ョッキングな数字が示 され ている。す なわち、重度難聴者 (sourds
profonds)の 8割
が読 み書きがで きず、重度 難聴者の うち大学 に進学 したの は5%、
とい う報告 で あ る (Gi1lot 1998:75)。 フランスの ろ う者 は、深刻 な学力不足 と、それ に とも な う雇 用不足 に悩 ま されてい る。最近では、移 民家庭のろ う児 な どで、親 の言語 も、フラ ンス語 も、手話 も習得できていない「非言語状態 (a・lingue)」 にある人々 の存在 も指摘 さ れてい る。 また、テ レビメデ ィアでの手話使用 は 日本 と比べて も少な く、現在、月曜か ら 金曜 までの10時 50分
か ら5分
間のニュー ス番組 (国営放送Fr 2)と
、本曜 日10時
35 分か らと土曜 日9時 40分
か らの30分
の番組 「日と手 (Ltuil etla main)」 (国営放送Fr
5 http:ノ/www.france5,fr/oeil・et・mainめ のみ で ある。一般 の番組 では、宇幕入 りまたは手 話通訳 つ きのものは少 な く、情報格差の問題 も大きい と思われ る 。
4「
少数言語」 と してのフラ ンス手話(LSF)と
自主教育運動『 言語政策』第
2号 2006年
3月「五 月革命」 といわれ る
1968年
の学生運動 に始ま る社会運動 の大 きな うね りは、 フラ ンスの言語 の多様性 に対す る意識 をも変革 した。「僅言 (patois)」 と してフランス革命以 来蔑 まれ 、その存在 を否定 されて きた フランスの さま ざまな少数言語 (ブル トン語、バス ク語 、オ クシタン語 な ど)が
、その社会的認知 と「相違への権利 (Droit a la di∬6rence)」を求 めて政 治・ 教育運動 を展開 した。 ろ う者 の 「相違への権利」 とフランス手話 の復権 を 求 める運動 は、これ らの少数言語運動 に も影響 されつつ、
70年
代以降か ら次第 に盛んにな つた。1971年
のパ リで行われた世界 ろ う者大会、やは り60年
代 か ら復権運動 が盛 んにな つて いた ア メ リカ の ろ う者 との交流 の再開、 ろ う者劇団(International Visual TheateL IV「)の発展 な ど、言語 。文化的マ イ ノ リテ ィ と してのろ う者の主張は次第に形 を整 えていく。 これ らの運動 は、先述 した よ うな教育現場 における「手話の禁止」の解除や手話通訳 の普及 な どに大 きな役割 を果た した。
さらに、
1990年
代 は、ヨー ロッパ の少数言語 のあ り方について さま ざまな議論が行 われ るよ うにな り、それ に伴 って手話 に対 しての認識 も大きく変化 した。1991年
の ファビウス 法で、手話 とフランス語の 「二言語」 によるコ ミュニケー シ ョンで教育 を受 ける権利 が認 め られ たのに続 き、フランス手話 を一つの 「少数言語」 として認知 しよ うとい う方向性が あ らわれて きたのであ る。1992年
、 ヨー ロッパ審議会(Conseil de l'Europe)において、各国 の少数言語 を教育・ メ デ ィア・ 裁 判 な どの公的な場面で保護 。使用す ることをめざす 「ヨー ロッパ少数 。地域言 語憲章 (Charte EurOpёenne des langues rё gionales et minoritaires)」 が採択 され 、各国 にその批准 がゆだね られた。 フランスでは社会党政権の誕生 した1997年
か らその署名 。批准 についての議論が始ま り、
1999年
、言語学者ャルキ リーニによって、この憲章が批准 された場合 に適用 され るべ き言語 の リス ト「フランスの諸言語(Les langues de France)」が作成 され た。その リス トには植 民地の言語や移民の言語 を含む
75も
の言語が並べ られた ことで大 きな議論 を呼んだが、
リス トか らは もれた ものの、注にお いてフランス手話の 存在が言及 され ていることも重要な点である(Cerquiglini,1999)25)。 そ して、「障害者 の権 利 と機 会 の平等 、参加 と市民権のための法律(Loi n° 2005・
102 du llお
vrier 2005)」 75 条 にお いて、「フランス手話 は完全な言語 と して認め られ る」 と明記 された。現在、「言語 と して の手話」は認知 されつつあるといえるだろ う。フラ ンスでは、「少数言語」の復権運動 は、当該言語を学校教育の中に導入 させ る運動を 中心 に展開 され て きた。運動 は、一方 で少数言語が 「国民教育」の枠組みの中で教育 され るこ とを求 め (大学入学資格試験 の科 目へ の導入な ど)、 も う一方で、
60年
代終わ りか ら、『言語政策』第
2号 2006年
3月特に初等 教 育において非営利 団体 が少数言語 とフランス語 の二言語教育 を行 う自主教育運 動 を展 開 した。 フランスの教育 システ ムは公 立
=無
償 。世俗/私
立=有
償・ 宗教 系 とい う 二本立 て になってい るが、その中で 自主教育運動 は、無償 。世俗教育であ りなが ら公教育 とは異 な る教育・ 教員養成 システ ムを作 り上げた。 そ の成功 に影響 され る形 で、公 教育の 中で も少数言語 とフラ ンス語 の二言語教育の導入が進 んでい る。2005年
現在、少数言語 と フランス語 の二言語教 育 を受 けてい る生徒 は、 自主教 育 と公教育 を含 めてフランス全 上で40,000人
にのぼる26)。ろ う者 の運動の中で も中心的な 目的 は、ほかの少数言語 と同 じく、「フランス手話 による 教育」 の導入であ る。 ただ し、 ろ う者 の場合 は、非営利 団体 に よる教育施設 は 「厚生 労働 省」の管轄 になって しま うとい う問題が あつた。「手話」をまが りな りにも積極的に使用 し、
「集団」 として専門の施設での対応 を求めれ ば、「治療」の文脈 、 さらには私的な 「慈善」
の文脈 に組み入れ られ て しまい、ろ う児 を「教育」 しよ うとすれ ば、普通学校 の中にイ ン テグレー トす ることで 「口話主義」 に よる「個別」対応 になって しま う。 この よ うな フラ ンスの聴覚障害者 に対す る教育の二項対立に対 して、「手話」を使用す る「ろ う者」と して の 「教育」 を、公立学校の中で認 可す ることをめざす 、あた らしい方 向の 自主教育運動 も 現れた。
フラ ンス手話 と書記 フランス語 の二言語教育の試みは、
1984年
に2LPE(Deux Langues Pour une Education二
つの言語、一つの教育)によって、 シャロン=シ
ュル=ソ
ーヌ とポワテ ィエ で始まつた。
2LPEは
、その教育方針 と して以 下の4つ
を掲 げた(Dalle 2003:37)。(1)ろ う児 の生徒 は普 通学校 の 中で、一つまたは複 数のクラス を構成す る。つ ま り、「集 団イ ンテ グ レーシ ョン」 を行 う。
(2)フ
ランス手話 は クラス内の コミュニケー シ ョン言語 である。フランス語 は書記表現、ノー トと り、資料検索や (黒板 での
)コ
ミュニケー シ ョン媒体 と して使用 され る。 フラン ス語 とフランス手話 は2つ
の教科 として も教 え られ る。(3)教
育 プログラム は国民教 育のもので、その教育方法が異な るのみである。(4)教
育チームは フ ランス手話 を十分 に会得 した教師によって形成 され、そ こにはろ う 者の教 師 が高い割合 で含 まれ る。当初 、全 国的 な組 織 と して始 ま った
2LPEで
あった が、財 政 問題や 受 け入れ 学校 の確 保 の困難 、 さ らには 内部 の対 立な どに よ り、数年後 には全 国組織 と して は解 体 して しま った鰊 oody 1998:38)。 現在、国民教育の枠組 みの中で、フランス手話 と書記 フランス語 の「二 言語教 育」 を行 ってい る団体仏ssociatiOn)は 、ポ ワテ ィエの
2LPEと
、 トゥール ー ズの IRIS(Institut de Recherches sur les lmplications de la langue des Signes, 手話言語研 究所。当初 は2LPEト
ゥールー ズ支部 と して創 設 、88年
にIRISに
改組)などがあ る。本論 文では、IRISに
ついて紹介 したい。IRISは
、手話 に関す る研 究・活動 をお こな う団体で あ る(http:〃 ass.iris.free.frの 。聴 者 。 ろ う者 に対す る手話教室、ろ う者や手話 についての情報・ 資料セ ンター 、ろ う者 の生活サ ポー トな ど様々な活動 を行 つてい るが、中で ももっとも重要なものが、幼児か ら高校 まで の手話 に よる教育であ る。IRISに
よる教育 の特徴 は、そ の現実主義的な折衷策 にある。 まず、IRISは
独 自の プロ グラム に よって ろ う者 の教員 を養成す る。1999年
現在 でIRISの
教員8名
の うち5名
がろ う者で あ る。ろ う者 の「教員」はCAPEJSの
資格 は持 つてい るが、国民教育の中で教 え ら れ る「教員免状」 を持 ってい るわ けで はない。 しか しIRISの
教員 は トゥールー ズ学 区に おいて、個別 に学校 と契約 を結び、教師 として教科 を教 えることを認可 されている とい う。教育施 設 は 自前 の ものではな く、
トゥールー ズ近郊 の小 。中・ 高校 と契約 を結 び、そ こ の教室 を借 りて、
IRISに
所属す るろ う者 の教師 を派遣す る。教師の給与 はIRISか
ら支払 われ る。教科学習はろ う者の教師が教 えるが、体育や課外学習、また給食な どはその学校 の設備 を使 い、聴者 の生徒 と一緒 にな る。その意味では国民教育への 「集団イ ンテ グ レー シ ョン」 と形式は同 じであるが、教室では「 リハ ビリ」 と しての聴能 訓練な どは行 わず、ろ う者 に よる手話 での 「教育」だけを行 ってい る点が大 き く異なる。
もち ろん
IRISの
活動 には さま ざまな課題 も多い。以下の よ うな問題 が指摘 され てい る。・独 自の設備 をもたず に普通学校 に間借 りしているため、学校の一存 によって教室 自体の
「転校 」 を余儀 な くされ る (これ まで にたびたび起 こって い る)。
・ さま ざまな手話能力 のろ う児が さま ざまな年齢で転出入す るため、手話能力の レベルや 学カ レベル の差が大 き くな り、統一的なクラス運用が測 りに くい。
・ 国民教育省 と「厚生労働省」の狭間にある教育方針 を「非営利団体」が行 うことによる 制度上 の不備・不安定。
。自分の子 どもが 「ろ う者」の社会に入つてい くことを、子 どもが奪われて しま うかのよ うな感 覚 を持 って しま う保護者 もまだ多 く、聴者の保護者 が手話による教育 をあま り望ま ないた め、需要がのびず、継続 して子 どもが
IRISに
通 わない (Dalle 2003:52‐53)。『言語政策』第
2号 2006年
3月この よ うな さま ざまな困難 に直 面 してい る
IRISで
あるが、「国民教育」の枠 の中でその 施設 を利 用 しつつ 、「治療」の文脈 をもたない独 自の教育プ ログラムと教員養成 システ ムを 有す る活動 は、 日本 にお けるろ う児へのバイ リンガル・バイカルチュラル教育運動 に とつ ても参考 にな る戦略 を持 ってい るもの と考 え られ る。5. 1冬オフリに
フランス のろ う教育 は、 日本のそれ と同 じよ うに、現在変革のただ中にある。子 どもの 数の減少 に よる 「特殊 学校」の統廃合 とイ ンテ グ レー シ ョンヘ の流れ 、その一方 で よ り強 まる「言語 的少数者 」 としての主張、「言語」 と しての手話へ の関心、自主教育運動 にお け る二言語教 育の試 み な ど、 日本 との類似点は多 い。本論文 ではふれ られ なか ったが、人工 内耳の問題 も大きな議 論 を呼んでい る。「ろ う教育」の問題 だ けでな く、現在 「公 教育」そ のものの あ り方が問 われ、激 しい論争が行われ ている点 も、 日本 と似た状況 にある といえ る。
国民の 「平等」 をめ ざ し、その もとで少数者 を抑圧 して きた近代国民教育制度 は、現在 各国で岐 路 に立た され てい るとい える。そ して、 さま ざまな条件の子 どもた ちに対 して ど のよ うな教育が行 われ るべきなのか、 よ り広い視野にたつた分析が さらに求め られ るだろ
う。
本論 文 では、対象 となる人 々についてのカテ ゴ リーを区別す る。「聾唖者
sourds et muets/sourds―
muets」 とは、特 に19世
紀 までの概念 で、耳が聞 こえないために言語を習得 す ることが で きない と見な され た人 々 を指す。「聴覚障害者 dOficients
auditifs」 とは、特 に
1975年
以降 に出て きた概念で、多様 な障害の 中で も、特 に聴 覚 に障害 を持 つ人 々の ことを指 す。「ろ う者 Sourds」 は、本論文 ではフランス手話 を用 いて生活 し、フランス手話に よって教育 を受 けたい と望む人々のことを指す。また、「ろ う児 」 は、「ろ う教育」の対象 とな る子 どもた ちのことで、まだ 「聴 覚障害者」 とな る のか、「ろ う者」 になるのかはわか らない人 々を指す。16世
紀 の ヨ‐ ロ ッパ とは、 ラテ ン語以外 の 「俗語」による布教活動や教育活動 が急速 な発 展 を遂 げていた時代でもあった。「話 しことば」が 「書記言語」へ と形 を整 えつつ あつた時期 に、一般 大衆のみな らず新大陸 にお ける「野蛮人」や「聾唖者」を教育対象 とす る ことが可能 になった ことは注 目すべ きであろ う。さま ざまな「話 しことば」が書 記化 された ことは、単 に 日常使用 してい る「話 しことば」にもとづ く教育を可能 に した だ けで な く、それ ぞれの 「話 しことば」にあ る文法・音韻規則の定式化 にもとづ いて、その こ とばを 日常使用 しない人々にも教 えることを可能 に したか らである。特にスペイ ンで最初に 「聾唖者」に読み 。書 き 。話す ことを教えよ うとい う試みが起 こったのは、
15世
紀 末に「カ ステ ィー リャ語文法」がネ ブ リーハに よって編まれて以来、「話 しこと注 D
ばを書 く」意識 、「カステ ィー リャ語 を知 らない者 にカステ ィー リャ語を教 える」意識 が非常 に高かった こと、また、その綴 りが英・ 仏語な どとは異な り、非常に 「表音的」
に作 られてお り、いわば音韻論的思考が発達 していた ことも関係 していると考 え られ る (Presneau 1990 : 26)。
3)こ
こで い う「手話 」の内実 は さま ざまで あ った。 ド=レ
ペ の考案 した ものは、フラ ンス 語や ラテ ン語 な どをそ の文 法 的 な要 素 を含 めて 手指 で表 す「方 法 的手話」で あ り、それ こそ が「普遍言語 」の可能性 が あ る もの と考 えて いた。それ に対 し、ろ う者 が使 用す る「慣 用的 手話」こそ が重要で あ る こ とを指摘 したのは、ド
=レ
ペ の弟子 で国立聾 学院の 教師 に な ったベ ビア ンで あ った。また 、指文 字 以外 は使用 しな い とい う方針 の教 育 もあ った(レイ ン 2000)。4)フ
ラ ンス革命 期 の公 教育論 とそ の変遷 につ いて は、 コ ン ドル セ他 2002。5)「
パ トワ (patOis)」 に よる革命 思想 の翻訳 の試 み につ い て は 、原1995(主
に フ ラ ンス 北西 部 の少数言 語 ブ レイ ス語 につ い て)、Boyer,θ
ι′′.1989(フ
ランスの南部 全 体で 話 され るオ クシタ ン語 につ い て)な
ど参照。6)フ
ラ ンス革命 期 後 半 か らの フ ラ ンス語 単一言語 主義 と「但 言 (patOis)」 根 絶政策 につ い て は、 コン ドル セ他2002: 261‑276,de Certeau′
θιaF.1975参
照。7)フ
ラ ンスで は省 庁 の名称 は政 権 交代 の折 に変 更 され る こ とが あ る。特 に 日本 の「厚 生労 働 省 」 に あた る省 は、20世
紀 に な って 「内務 省(Ministёre de l'Intё
rieur)」 か ら、社 会厚 生 事業 を管 轄す る省 が 分 立 して以来 、「社 会 事 業省 (Ministёre des Affaires Sociales)」 、「連 帯・ 健 康 。社 会 保 障省(Ministёre de la Solidarit6,de la Sant6 et de la Protection Sociale)」 な ど、 たびたび改 編 され て きた。
2006年
現在 、 ろ う児 の た め の施 設 の管轄 は 「健康・ 連 帯 省(Ministёre de la Sant6 et de la Solidarit̀)」とな って い る。
8)イ
タール は、1800年
に南 フ ラ ンスの 山村 で発 見 され た 「ア ヴェ ロ ンの野生児 」 の 「再 教 育=リ
ハ ビ リ訓練(r66ducation)」 を試 み た人物 で あ る。イ タール は、「野生 児 」に対して「聾唖者 」に対 す る よ うな発 話 訓練 な どを施 したが、はか ばか しい結果 は得 られな か つた。 晩年 は手 話 法 に よ る教 育 に対 して理解 を示す よ うにな った とい う。「聾唖者」
と「野 生児 」に対す る一 見奇妙 な 関 心 の一致 につ いて は糟谷
1995参
照。イ ター ル の「野 生児 」や 「聾唖者 」 に対す る 「治 療 」 の実体 は、イ タール1975,Lane 1989:121‑142
参 照。9)も
つ とも、国 立聾 唖 学院 で は1850年
代 まで手話 は普 通 に使 われ て お り、 ろ う者 の教師 も数 多 く存在 した。「口話 主義 」 に よ る 「訓練 」 の成果 ははか ばか しくない上 に、ド
=
レペ の頃 か ら積 み 上 げて きた伝 統 と実績 があったた めであ ろ う。
1850年
のパ リ聾 学校 男 子 セ クシ ョンは 、7人
の教 師 の うち4人
が ろ う者 だ った とい う (Presneau 1998:175)。
10)1850年
代 に行 われ た調 査 に よ る と、 ろ う児 の半数 以上 が 当時 教 育 を受 けてい なか った とい う報 告 がな され てい るが 、それ で も国立聾学院 にい るろ う児 た ちは「も し彼 らが聴 者 で あ った ら、教 育 を受 け る こ とが で きなか った であ ろ う」とい う貧 困層出身 が大部分 で あ った とい ぅ(cuxac 1990:lo3)。
H)ミ
ラ ノ会議 とそ の 背 景 にっ いて は、あ 物"ι ど′
a″″″力
"οゴοgゴθЮノ.″ 腸.′ 1980, Surdiιびs′νb.イ
2001,エ
リク ソ ン2003:157‑165,Cuxac 199o参
照。12)フ
ラ ンス にお け る19世
紀 後 半 か らの手 話 に対す る激 しい嫌 悪感 の理 由につ い て 、 Cuxac 199oは興 味 深 い分析 を行 って い る。医学 的配慮 (発話 しな い こ とは健 康 に悪 い)や 、 手話 に対す る偏 見 と音声言語 の至 高性 な どが ミラノ会議 で 主張 されたが、それ以 外 に も裏 の理 由 と して、 当時 、 「身 体」 に対す る差恥 心
/拒
絶感 が急 速 に高 ま う てい た こ と、1860年
の サ ヴォ フの フ ラ ンスヘ の併合 (サヴォ ヮの都 市 シ ャ ンベ リー に は国 立 聾唖 学院 が創 設 され た)や 1870年
の普仏戦 争 の敗 北 に よ り、国家 の言語的統 一 がか つ て な い ほ ど強 く求 め られ 、 そ のた めに国内 の少数言語 を徹底 して破壊 しよ うと して16)
『 言語政策』第
2号 2006年
3月いた こと、そ して、 「富裕層 の小 さな施設」 と 「あらゆる社会階層のための大きな施 設」 の競合 にお いて、手話 を使用 す る「大 きな施設」の方 が明 らかに教育的効果 が得 られ 、 ろ う児達 の学業的 。社 会的成功が得や す い ことに、富裕層 が危機感 を感 じた こ とがあげ られてい る。 「この よ うな矛盾 は、 日話法の独 占に よつて しか解決 で きない もので あつた。 ミラノ会議 は、不条理 によつて 、 ものごとを再び秩序づ けた のである (Cuxac 1990: 104)」 。
13)こ
れ は 、 日本 で も見 られ た現 象 で あつた (水原1994:109‑H2)。
14)当 時の写真入 り月刊誌 ι
a/uiθ″」
sιrびθの 1906年 H月 号で、 「現代の奇跡一聾者は『間 き』、唖者は話す」とい う特集が組まれ、パ リ国立聾学院における科学・医学の粋を集 めた日話教育が紹介されている。そして、その記事は「これこそが現代の奇跡、本当
の奇跡 なの で はない か―す な わ ち、科学 のそれ で あ る」とい う文 章 で締 め く く られ てい る。15)1878年
にパ リで開 かれ た第一 回 国 際聾唖教 育 学会 をき つか け に、 特 に純粋 口話 教 育 の 手 法 につ い ての研 究誌 「国際 聾 唖 者教育誌(Revue lnternationale de l'Enseignement des Sourds―Muets)」 が、1885年
に創 刊 され た。 そ の第3巻 9号
に は、「進 歩 に は、な に が しか の犠 牲 が伴 うもの で あ る」 と して 、パ リ国立聾 学 院 の ろ う者 の教 師 が去 っ た こ とが記 され て い る(」
aval 1887:286‑287)。
1905年
の時点の調査では、 ろ う児 の3分
の1以
上が未就学 で あ つた とい う。 しか し、それ で もいわゆる 「障害児」 の中では、ろ う児 の就学率 は非常 に高かつた。 視覚障害 児 の
5分
の4が
未就学であ り、その他の障害 を もつ子 どもに対す る教育施設 はその当 時全 く整備 されていなかったた め、データを とることもで きなかった (Via1/Hugon1998:32)。
一方 で、
19世
紀終 わ りか ら20世
紀 の初 めにか けて、 ろ う者 のた めのスポー ツサー ク ルや 同人誌 の発行 な ど、ろ う者団体が次々に設 立 されたこ とも見逃 してはな らない。手話 は教育の場 では完全 に否 定 されたが、 これ らの場所で使用 され続 けて きた と考 え られ る。
1998年
6月 に、国会議員 ジロー氏による首相宛 て レポー ト「ろ う者の権利‑115の
提案 イιθ″οル あ
ssに
お ―″J ρrρροsゴ″ο″sl」 が提出 され た。 この レポー トは、フランスのろ う者 をとりま くさま ざまな問題 について幅広 く調査 し、それ を もとに
115の
提案 を行 つた もので、 フランスのろ う者 問題のバイ ブル ともいわれ る。 「115 の提案」では、フランス手話の使 用の権利 の主張 (提案14)や
手話通訳 の養成 (提案26)な
どの他 に、提案70か
ら99ま
でを教育 システムヘの提言 に当ててい る。そ こで まず最初 に批判 されてい るの は、 ろ う教育 を管轄す る省庁 が二つ あ り、その連係が と れ ていない点であ り、提案70に
おいて省庁横 断的な常設委員会 を設 立を求 めている(Gil10t 1998 : 12) 。
1999年 H月
の国民 教育省 と厚 生 労働省 共 同通 達 (Circulaire conjointe du ministё re de l'6ducation natiohale et du ministёre de l'emploi et de la solidaritё n° 99‑187du novembre 1999)に
よる。SSEFISは
、後 述 の 「厚 生 労働 省 」 管轄 の 医療 教 育施 設 に併 設 され て い る こ とが多 い。また 、
o歳
か ら3歳
まで の幼 児 に対す る早期 教 育 をサ ポー トす る、SAFEP(Service
d'accompagnement familial et d'6ducation prёcoce,家
族 へ の随行 と早期 教 育 サービス)を併設 して い る ところ もあ る
(ONISEP 2001:23)。
この免 状 は、
2004年
に 「障 害 状 況 にあ る生 徒 の特別 支援 、適応 教 育 、就 学 の た めの教手 手ジ 色力ヽ
(certificat d 'aptitude professionnel pour les Aides Spё cialisOes , les Enseignements Adapt6s et la sc。 larisation des 61ёves en Situation de Handicap, CAPA―SH)」 に 置 き 換 え られ た (dёcret n° 2004‑13 du 5 janvier 2004)。1979年
のデ ク レ(Dёcret n° 79‑479 du 19 juin 1979)に よ り、中等教育免状 の志願者 について裁 定す る国立適性委員会 が設立 され たが、この委員会は一貫 して ろ う者の志願 を拒んでいる。それは、ろ う者があ らゆるタイプの生徒を教えるに適 さない
(ろう 児 しか教え られない )と みな されてい るか らだ とい うが、 「全国ろ う児の親の会
(Association nationale des parents d'enfants sourds,ANPES)」 の 会 長 で あ る ダル 氏 は 、 「ろ う者 が 通 訳 をつ け て聴 者 の 生 徒 を教 え る とい うこ とを 、逆 は よ くあ る に も
かからわらず、全く想像 していないことに注目すべきである。すなわち、自称『バイ リンガル』施設の多くは、手話をよく知らない聴者の教師をやとって、通訳の助けを
求 めて い るので あ る。(Dalle 2003:47)」 と批 判 して い る。
23)し
か し、 フ ァ ビ ウス法制 定 の後 に公 布 され た政令(dёcret n°92‑H32 du 8 octobre
1992)や通 達(circulaire n° 93‑201 du 25 mars 1993)で は、フ ァ ビウス法 が認 めた 「二 言 語 の コ ミュニ ケー シ ョン」 と「 口話 コ ミュニ ケー シ ョン」 の間 の 「選択 の 自由」 と は、話 しこ とば と して の フラ ンス手話 と書記 言 語 と して の フ ラ ンス語 を用 い て教 える、とい う二言 語 教 育 を選択 で き る とい う意 味 で はな く、読 み 。書 き・ 話 す フ ラ ンス語 の 習得 に あた って 、 フラ ンス手 話 を コ ミュニ ケー シ ョンの道 具 と して使 用 して もよい、
とい う「選択 の 自由」が想 定 され てお り、「二言 語 コ ミュニ ケー シ ョン」 とい う表 現の 曖 味 さが批 判 され てい る
(Dalle 2003:43)。
24)談
話 の 内容 は、国 民教育省 の ホー ムペ ー ジhttp:www.education.gouvo fr/discours/2002/signeo htm彦舞月照。
25)そ
の後 、 この憲 章 は フラ ンス に よって署名 され た が、その直後、憲章 が フラ ンス憲法 に違 反 す る とい う憲法裁 判 断 が下 され 、未 だ に批准 には至 ってい ない (佐野 2001)。26)フ
ラ ンスの少 数 言 語教 育 につ いて は、「公 教 育 にお け る地域 言 語連盟(Fёd6ration pour les Langues Rёgionales dans l'Enseignement Public,FLAREP)」 ホー ムペ ー ジ http://www.flarep.com/2雰Л照。参 考文 献
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