印度學佛敎學硏究第68巻第1号 令和元 年12月 (9)
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ánupetāya
と
anupanīya
田 中 純 也
1
.はじめに
すでに学習を終えた家長たちによる入門を,梶原
2016が「学者たちの入門」
と定義している.その中には,「入門したい」という言葉や薪の持参によって入
門 の 要 請 が な さ れ て か ら, 師 が
ánupetāya(ŚB.11.4.1.9, ŚB.11.4.2.20), あ る い は
anupanīya(ChU.5.11.7),つまり「入門させずに」秘義を教示する場面が見られる.
加えて,入門の挙行が不明瞭な話
(BĀU.2.1, KauU.1, KauU.4)もある.しかし,その
ような文脈における
ánupetāyaや
anupanīyaの意義は明らかにされていない.
ŚB.14.1.1.26–27(師:Dadhyañc→弟子:Aśvin)には,
1年間止住した者,あるいは/
かつ,認められた者,学習した者,師に好まれた者に秘義を教示するべきである
と説かれている
1).このことから,それらの要素を備えて,すでに秘義に相応し
い資格を有していた者には「入門させずに」教示することができたと仮定するこ
とが可能であろう.本稿では,そのような観点から,上記の「一定期間の止住」
2)を手がかりに,「入門させずに」教示することの背景や意義を検討する.
2
.
ŚB.11.4.2.20
と
ChU.5.11.7
ŚB.11.4.2(Ayasthūṇa→Śaulbāyana)では,入門の要請がなされるも,
Ayasthūṇaが
「ここで,周知のように,
1年間我々のアドヴァリユであったお前は相応しい」
と語って,
「入門させずに」秘義を教示している.そのため,ここでは
Śaulbāyanaが
sattra祭中にアドヴァリユとして
1年間過ごした結果,有資格者になったの
だと考えられる.
ChU.5.11.5(Aśvapati王→家長たち)では,
Aśvapati王が「止住するのだ」と告げて
いる.一方,
ChU.5.11–24(A→家)と同型の話である
ŚB.10.6.1(Aśvapati王→家長た ち)には止住の要求がなく,「お前たちは入門した」という言葉がある.したがっ
て,
ChU.5.11.5(A→家)には家長たちが止住して相応しくなる場面が省略されて
(10)
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ánupetāyaとanupanīya(田 中)いるために
3)anupanīyaが見られ
4),
ŚB.10.6.1(A→家)では止住を経ていないため
に入門が必要とされたと理解できよう.また,
ŚB.10.6.1(A→家)には,
Aśvapati王の「私は祭式を行いたいのだ」
(ChU.5.11.5)という言葉がないことも相違点とし
て挙げられる.
ChU.1.10.6から「祭式を行おうとして祭官を選ぶ」という段階が
確認されるため,
ChU.5.11.5(A→家)でも祭官として止住することが要求された
と考えることができる.このことは,
ŚB.11.4.2(A→Ś)で
Śaulbāyanaがアドヴァ
リユ「祭官」として過ごしたことと重なる.以上のことから,
ŚB.11.4.2(A→Ś)と
ChU.5.11–24(A→家)は同一の背景を有する話として理解されると考える.
同 様 に,
KauU.1.1(Citra王→Uddālaka)に は,
Citra王 が 祭 式 を 行 お う と し て
Uddālaka
を選び,
Uddālakaが祭官小屋で学習
(svādhyāya)5)を行う場面が見られ
る.その後,
Citra王は「高慢に至っていないお前はブラフマンに相応しい」と
言って教示している.このことから,
KauU.1(C→U)においても,入門の要請以
前に祭官として止住した者を,「入門させずに」教示していると理解される可能
性がある
6).
3
.
ŚB.11.4.1.9
ŚB.11.4.1(Svaidāyana→Uddālaka)には止住を示す記述がないため,先述のように
「祭官として止住した」とは理解し難い.この話では,公でない論戦
(brahmódya)で敗北した
Uddālakaが
Svaidāyanaをコイン
(niṣká)で買収する.そして,周りの
バラモンたちが去ってから,
Svaidāyanaは
Uddālakaを「入門させずに」内密に教
示している
7).このような「公でない論戦」と「内密な教示」という特徴は
ŚB.11.6.2(Janaka王とYājñavalkyaたちの話)
にも見られる
8).
Yājñavalkyaは
Janaka王
から秘義を教わり,
Janaka王の質問に答えること
9)を約束している.そのため,
これらの話では,コインや望みを聞き入れることが秘義に対する「報酬」として
機能していると考えられる.報酬を与えることによって秘義を教わる話は,王族
とバラモンの関係の中で語られることが多い
10).しかし,そのような話とは異な
り,
ŚB.11.4.1(S→U)と
ŚB.11.6.2(JとY)では,事前に「公でない論戦」という形
で対話が行われている
11).選ばれてやって来たために挑まれる立場にある
Uddālakaや,バラモンである
Yājñavalkyaが公の論戦
12)で敗北した場合には,名
声に傷が付くなどの不利益を被り得た
13).そのような不利益を回避するための
「報酬」によって,公の論戦ではなく「公でない論戦」が行われ,さらに秘義に
相応しい資格を得たのだと推測される.以上のように,
ŚB.11.6.2(JとY)と同様
(11)
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ánupetāyaとanupanīya(田 中)の形式を有する
ŚB.11.4.1(S→U)は,同じ入門のない話でも
ŚB.11.4.2(A→Ś)や
ChU.5.11–24(A→家)とは背景を異にしていると理解されよう.
4
.終わりに
ŚB.11.4.2(A→Ś)
と
ChU.5.11–24(A→家)の
ánupetāyaと
anupanīyaには,「祭官と
して祭式のために一定期間止住をして,有資格者となっていた」という背景があ
る一方,
ŚB.11.4.1.9(S→U)の
ánupetāyaには,「公でない論戦において,不利益を
回避する際の「報酬」によって,有資格者となった」という背景があると解釈で
きる.いずれにせよ,止住や「報酬」によって秘義に相応しい資格を得ているこ
とになるため,「すでに秘義に相応しいから入門させない」ということを,
ánupetāyaと
anupanīyaの意義として理解して良いと考える.同時に,「内密な教
示」と「入門させずに」が同義である可能性も指摘できよう.
入門のない話が以上のように理解されるならば,入門が挙行される話におい
て,弟子は秘義に相応しくない者として登場し,教示までの間に資格を得る過程
を経ていることになる.その場合,「入門」と「
brahmacaryaを住すること」が同
義であるとされているように
14),
Muṇḍaka-Upaniṣad15)に見られる「
vrataの遵守
(MuU.3.2.10–11)」なども,同様の過程を示すものとして理解されることになると
考える.
1)ĀraṇyakaとUpaniṣadに見られる規定についてはDeussen(1966, 11)参照. 2)入 門 の 文 脈 に お け るbrahmacaryaを 住 す る こ と に つ い て は 梶 原(2016, 48–50) 参 照.
3)同様に,ChU.5.3.6–7では,Uddālakaの「私に教えてください」という言葉の後に,
Pravāhaṇa王が「長く止住するのだ」と言って教示する場面が見られる. 4)この場
合,ChU.5.11.7におけるprātarの語が止住を表している可能性などを,当学会発表時に東京
大学准教授梶原三恵子先生よりご指摘いただいた.この場を借りて感謝申し上げる. 5)Bronkhorst(1996, 593),梶原(2016, 84)参照. 6)Renou(1978, 15)とSöhnen (1981, 183)は,KauU.1.1における「お前に知らしめよう(vy eva tvā jñapayiṣyāmi)」のevaが 「入門させずに教示するのみ」を意味し得ると指摘している.BĀU.2.4.4などの例が必ずしも 入門と結びつかないことからも,「来い(ehi)」が入門の受け入れを示すか否かについては
検討の余地があると考える.ehiが見られる用例については梶原(2016, 47–48; 83–84)参照.
7)Bodewitz(1974, 85–88),Witzel(1987, 366–367; 373)参照. 8)Bodewitz(1974, 89) 参 照. 9)BĀU.4.3参 照. 10)Witzel(1987, 366) 参 照. 11)táto
brahmā´ janaká āsaという記述も関係するか. 12)報酬をめぐり「公の論戦」を行う
BĀU.3.2において,「手を取ること」が「内密な教示」を示しているならば,BĀU.2.1とKauU.4
も「公の論戦」と「内密な教示」を有する話として理解される可能性がある.その場合, それらも同様に入門のない話として見なされる可能性がある. 13)Bodewitz(1974, 87–88),Witzel(1987, 373)参照. 14)梶原(2016, 49)参照. 15)Olivelle
(12)
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ánupetāyaとanupanīya(田 中) (1998, 629)は,同テクストにおける入門の文脈を「ただの文学表現」であると指摘してい る. 〈略号表〉BĀU: Bṛhadāraṇyaka-Upaniṣad (Kāṇva). ChU: Chāndogya-Upaniṣad. KauU:
Kauṣītaki-Upaniṣad. MuU: Muṇḍaka-Upaniṣad. ŚB: Śatapatha-Brāhmaṇa (Mādhyandina).
〈参考文献〉
Bronkhorst, Johannes. 1996. Śvetaketu and the upanayana. Études Asiatiques / Asiatische Studien. 50(3): 591–601.
Bodewitz, H. W. 1974. Vedic dhāvayati to drive . Indo-Iranian Journal. 16(2): 81–95. Deussen, Paul. 1966. The Philosophy of the Upanishads. New York: Dover Publications.
Limaye, V. P. and Vedekar, R. N., eds. 1958. Eighteen Principal Upaniṣads. Vol. I. Poona: Vaidika Saṁśodhana Maṇḍala.
Renou, Louis. 1978. Kauṣītaki Upaniṣad. Les Upanishad, VI. Paris: Adrien-Maisonneuve.
Olivelle, Patrick. 1998. The Early Upaniṣads: Annotated Text and Translation. New York: Oxford Uni-versity Press.
Söhnen, Renate. 1981. Die Einleitungsgeschichte der Belehrung des Uddālaka Aruṇi. Ein Vergleich der drei Fassungen KauṣU 1.1, ChU 5.3 und BṛU 6.2.1–8. Studien zur Indologie und Iranistik 7: 177–213.
Weber, Albrecht, ed. 1855. The Çatapatha-Brâhmaṇa in the Mâdhynandina-Çâkhâ with extracts from
the commentaries of Sâyaṇa, Harisvâmin and Dvivedaganga. Berlin: Dümmler.
Witzel, Michael. 1987. The Case of the Shattered Head. Studien zur Indologie und Iranistik 13/14: 363–415.
梶原三恵子 2016 「ウパニシャッドと初期仏典の一接点―入門・受戒の儀礼とブラフマ チャリヤ―」『人文学報』109: 33–102.
〈キーワード〉 ánupetāya,anupanīya,入門,Brāhmaṇa,Upaniṣad