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パウロの法廷演説とテルティロの弁論(使22.1‑21;

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(1)

パウロの法廷演説とテルティロの弁論(使22.1‑21;

24.2b‑8; 24.10bc‑21; 26.2‑23)

著者 原口 尚彰

雑誌名 東北学院大学キリスト教文化研究所紀要

号 23

ページ 23‑48

発行年 2005‑07‑01

URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024330/

(2)

パウロの法廷演説とテルテイロの弁論

(使22.121; 24.2b8; 24.10bc‑21; 26.2‑23)*

原口尚彰

使徒言行録の中盤に収録されているパウロの演説は,伝道地における伝道説 教であり,修辞学的に言えば助言演説のタイプの演説が多いのに対して(使 13.1641 ; 14.15‑17; 17.22‑31),後半部には裁判の場面でなされる法廷演説の タイプの演説が見られる。本稿は使徒言行録22‑26章に出て来るパウロの三つ の演説と (使22.1 21 ; 24.10bc21 1 26 2 23)弁論家テルテイロの弁論(24.2b 8) とを修辞学的な視点より考察する。

I. 使徒言行録22章121節

〈私 訳>

22. 兄弟達と父祖達, あなた方への私の弁明を,今聞いて下さい。

(2へプライ語で語り掛けるのを聞いて,彼らは益々静かになり,パウロは言っ た。)

3私はユダヤ人で,キリキアのタルソスに生まれましたが, この町に育ち,ガマ リエルの足下で父祖達の律法について詳しく教育を受け, あなた方が今そうで あるように神に対して熱心でした。 Ⅲ私は男も女も捕らえて投獄し, この道を 死に至るまで迫害しました。 5大祭司や長老達が私について証言している通り です。私はこの人々から兄弟達に対する逮捕状を受け取り,ダマスコヘ赴きま した。そこに居る者達を引きずり出して縛り,エルサレムへ連れて行って処罰

本稿は,平成1517年度科学研究費捕助金基盤研究(C)による援助を受けた研究 の一部である。

23

(3)

パウロの法廷渡説とテルティロの弁論

するためでした。

e私が出立して昼頃にダマスコ近くに来たとき,突然,天から明るい光が私を 回り照らしました。 ?私は地面に倒れ,私に語り掛ける声を聞きました。 「サウ ロよ'サウロよ'お前は,何故私を迫害するのか。」 s私は答えました。「あなた はど蔵たですか,主よ。」主は私に語りました。 「私はあなたが迫害しているナ ザレのイエスである。」 ,私の一緒に居た者達に光は見えましたが,私に語り掛 ける声は聞こえませんでした。 ]・「私は何をしたらよいのですか,主よ。」と言う と,主は私に語りました。「立ち上がってダマスコヘ行きなさい。そこであなた がしなければならないことは,すべて告げられることになるから。」 1光の輝き のために目が見えなくなっていたので,私は同行者達に手を引かれてダマスコ ヘ赴きました。

12アナニアという律法に忠実であると,すべてのユダヤ人住民達から証言さ れている人が,私のところへやって来て立ち,言いました。 」3「サウロ兄弟, 目 を上げなさい。」私はその瞬間に目が見えるようになり,彼が見えました。 4彼 は言いました。 「私達の父祖達の神があなたを選び,その御心を知り,義なる方 を見, その声を聞くように定めたのだ。 5あなたが見聞きしたすべてのことに ついてあらゆる人々の前で証人となるためである。 ] 何をぐずく・ずしているの か。立って洗礼を受け,御名を呼んで罪を赦して貰いなさい。」

γ私がエルサレムへ戻り,神殿で祈っていると忘我状態になり, 」sその方の お告げを聞きました。 「急いで,エルサレムから出て行きなさい。彼らは私につ いてのあなたの証を受け入れないのだ。」 」9私は言いました。「主よ,会堂毎にあ なたを信じる人々を私が捕らえ,縛り上げていたことを知っています。 20証人 のステファノの血が流された時には,私自身が臨席し,賛成し,彼を殺害する 者達の衣類の番をしていたのです。」 2』すると,主は私に言われました。「行きな

さい。私はあなたを遠く,異邦人のところへ遣わす。」

24

(4)

パウロの法廷演説とテルティロの弁論

1. 修辞的状況

パウロはカイサリア経由でエルサレムへ上り,エルサレム教会の信徒達を訪 ねた(使21.7‑17)。ヤコプらエルサレム教会の指導者達の勧めに従って,パウ ロは自分の律法への態度に対するユダヤ人達の疑念を払拭するために,神殿で ナジル人の誓願を立てて清めを行い,定まった供え物を捧げるようとした(使 21.18‑26)。パウロを神殿で見つけたユダヤ人達が,彼がイスラエルの民と律法 を無視するように教えた上,神殿を汚していると主張して騒ぎを起こし,パウ ロを境内から引きずり出した(使21.27‑30)。エルサレムを警護していたローマ 軍の千人隊長が騒ぎの報告を受けて,介入しパウロの身柄を保護した(21.31‑

36)。千人隊長がパウロに群衆に対して直接話をすることを許可したので,彼は 群衆にアラム語で語り始めた(21.36‑40)。

2. 配列構成

22 1 序言(exordium) 聴衆への語り掛け 22.321叙述(narratiO)

vv. 35厳格なユダヤ教徒としてのパウロの生活(教会の迫害者)

vv. 6 11 復活の主との出会い vv. 12‑16 アナニヤによる洗礼の勧め

vv. 1721 神殿における復活の主の顕現とパウロの派遣

(1) 22章2節は,語り手による注釈であり,パウロの演説自体には含まれな

い。

(2) 序言は使徒言行録の他の多くの演説と同様に,聴衆に対する語り掛けの 言葉であり,非常に簡潔である (使1.161 2: 14; 3.12; 7.2; 13.16;

15 7; 15.13; 17.22; 23.lb他を参照)。

(3) この演説は,聴衆の敵対的反応のために叙述の途中で中断され,論証や

25

(5)

パウロの法廷演説とテルティロの弁論

結語の部分を欠いている」。

3. 修辞的種別

この演説がなされた場は正式の裁判の場面ではない。しかし.律法をないが しろにし,神殿を汚そうとしたとパウロを非難して騒いでいるユダヤ人群衆を 説得して静めるためになされているのであるから(使21.27‑30), この演説はパ ウロ自身が述べているように弁明演説(航o1oYiα)の一種であると言える(使 22.1)2。

1 (].A.Kelllhed,『ャ 八J[?(, 我'村/(""['"/ I"/('Jか[j〃"<ノ〃 〃〃("fg/J /f//t'/け〃"/ C""(・i'iノ〃

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26

(6)

ンロの法廷淡説とテルティロの弁論

4. 修辞的コメント (22.1) 聴衆への語り掛け

「兄弟達と父祖達」という淡説の出だしの呼び掛けの言葉は(使22.1a), 自分 もユダヤ人同胞であるということを強調し,民族感情に訴えることによって演 説背と聴衆の間の接点を作ろうとしている。同様の語り出し方は, ステファノ が最高法院で行った演説にも見られる (使7.2)。 このようにアラム語で語り掛 けられたユダヤ人群衆は, ますます静かになり,パウロの言葉に耳を傾けた(使 22.2)。

パウロの言莱は, 「あなた方への私の弁明を,今聞いて下さい。」と語って,演 説の目的を短刀直入に述べる。 「弁明」ということは,通常は正規の裁判におけ る被告人が,原告による自分の罪状の告発に対する反対弁論として行うことで ある (使24.1() ; 26 lを参照)。今回の弁明が行なわれた場面は後にカイサリア のローマ総督フェリクスの下で行われた審問のような正規の裁判ではなく (使 24.1021を参照),パウロがイスラエルの民と律法を無視するように教えた上,

神殿を汚していると主張して激昂し,パウロに危害を加えようとするユダヤ人 群衆が自然発生的に起こした騒ぎである(使21.2730)。パウロの課題は,裁判 官や陪審員達に対して法理を尽くして自分の無罪を証明することではなく,群 衆の誤解を解き,自分が彼らの考えているような人物ではないことを示して,怒 りを宥めて解散させることである罫。演説者が川いる修辞法には,演説者が聞く 肴の論理的思考に訴えるロゴス,聞く者の感傭に訴えるパトス,宣教者の信頼 性を論ずるエートスの三種があるが, この箇所は宣教者であるパウロの過去の 歩みを回顧することを通して自身の使徒性の正当性を強調しており,明らかに エートスに属する議論を展開している (アリストテレス「弁論術」 1356a;

I Ke]1ne[1]・ , 13‑1

(7)

パウロの法廷演説とテルティロの弁論

13771/1378a; クウインティリアヌス「弁論家の教育」3.8.48‑51)4.自己の歩み を叙述することを通して自分の信頼性を示すことは,演説者がしばしば用いる 技術の一つであった(クウィンテイリアヌス「弁論家の教育」4.2.21 ;Lausberg,

§68[=pp34‑35])5。

(22.3‑5) 峨格なユダヤ教徒としてのパウロの生活(教会の迫害者)

パウロは自分自身のこれまでの歩みについて,詳しく述べようとする。過去 の事実の有無が決定的な意味を持つ弁明演説にとり,過去の事実の叙述は不可 欠の要素である(アリストテレス「弁論術.l l4161417b;キケロ「発想論j l 9.

27; クウインティリアヌスI弁論家の教育」 3.8.1 9; 4.2.31)。今回のパウロは 自分が敬農なユダヤ人として生まれ育ったことを裏付ける事実に焦点を当て て, 自らの歩みを回顧する。彼はキリキアのタルソスに生まれたディアスポラ のユダヤ人であるが,エルサレムで育ち,尊敬を受けている教師ガマリエルの 足下で父祖達の律法について詳しく教育を受け. キリスト教徒になる以前は律 法に対して熱心だった(使22.3)。 これらの事実は,使徒言行録の記述において まだ語られていなかったものであり,読者に対してはここで初めてパウロの口 を通して明らかにされているが,エルサレム在住のユダヤ人達には周知の事実 であり,パウロは彼らの記憶を呼び起こそうとしている (使26.4‑5を参照)。

ユダヤ教時代のパウロは律法を遵守することに熱心であり,律法への熱心の あまりに教会を迫害したのであった(ガラ1.13,23; Iコリ 15.9)。使徒言行録8 9章は,パウロがステファノの処刑に賛成し(使8.3),大祭司の書簡を携えて,

キリスト教を会堂で捕らえて引きずり出し,エルサレムへしょっ引いて来て投 獄する迫害活動に従事していた事実を叙述している (使9.1‑2)。迫害者である パウロの過去は,エルサレムのユダヤ人指導者達にも承知の事実であることを,

Kenlledy,l34iSoard5,Il2;Witheringto[',665667 WitheringIDn, 665.

28 4

5

(8)

パウロの法廷浪説とテルティロの弁論

パウロは確認する(使22.45)。 この事実について,聴衆にも争いはなく,パウ ロは中断なく言葉を続けることが出来た。

(22. 6‑11) 復活の主との出会い

この部分は,パウロが復活の主と出会い, キリスト教へ回心した出来事を物 語っている。9章で語り手により三人称で語られていた出来事が(使9.19), こ こでは当事者の体験として一人称で語られている。ダマスコ途上で復活の主が 現れ,パウロを天からの光がめぐり照らした後,復活者の声がパウロに語り掛 け,ダマスコヘ行くように指示した(使22.610)。9章の叙述ではパウロの同行 者達は, その声を聞いたが,復活者の姿は見えなかったとなっているが(9‑7),

ここでは彼らが光は見たが声は聞かなかったとされている(22.9)。いずれにし ても,パウロが復活者と出会い, その声を聞き,新たな使命を与えられた神秘 的体験は,パウロの生き方を根本的に変え,以後の彼の人生を決定する出来事 であったが,間近にいて随伴現象である光の顕現に接した者達でさえ,パウロ に与えられた啓示の言葉の内容を知ることが出来なかったことを示している。

従って, ここでパウロが述べていることは,主観的には最も重要な体験であっ たが,客観的にはその事実性を証明することが出来ない事柄であった。 この部 分が,パウロに敵意を持つユダヤ人群衆に対して説得力があるかどうかは疑問 である。

(22 12‑16) アナニヤによる洗礼の勧め

パウロはここで,ダマスコでアナニアによって再び目が見えるようになった 次第を語る(特に,使22.1213)。但し, 9章に述べられている,復活の主とア ナニアとの言葉の遣り取りや(9.10‑16),パウロの目が見えるようになるように と祈ったアナニアの祈り (22.17)は省略されている。他方, この演説は,アナ ニアが律法に忠実なユダヤ人であることを強調し(22.12),アナニアが視力を回

29

(9)

パウロの法廷演説とテルティロの弁論

復したパウロに語った洗礼の勧めと派遣の言葉を伝えている(22.13‑16)。アナ ニアはパウロをイスラエルの神が選び,復活者(「義なる方」使3"14; 7.52; 22 14)に出会ってその声を聞き,すべての人々の前で主の証人となる定めを語る。

(22. 1721) 神殿における復活の主の顕現とパウロの派遣

ここでパウロは, 9章の叙述には語られていない,重要な出来事を語る。パウ ロがエルサレムへ戻り,神殿で祈っていると忘我状態になり,復活のキリスト の声を聞き, その証人として異邦人の下へ遣わすという派遣の言葉を受領した というのである(22.1721)6・復活の主による授権は,初代教会の使徒職の根拠 とされ,共観福音書の復活物語も(マタ28.1620; ヨハ20.2223; 21.15 19),パ ウロ書簡もそのことを繰り返し語っている (Iコリ9 l ; 15.8 11 ;ガラ1.15‑

16)。しかし,初期のキリスト教にとって使徒職の根拠の共通理解と言える復活 の主との出会いと派遣の言葉の受領は主観的な神秘体験であり,第三者に対し て客観的に証明出来るような出来事ではなかった。実際のところ,パウロが語 るこの使徒としての召命の体験を,聴衆のユダヤ人達は受け入れようとはしな かった。彼らは, 「行きなさい。私はあなたを遠く,異邦人のところへ遣わす。」

という主の派遣の言葉の紹介のところで騒ぎだし,パウロの言葉をそれ以上聞 かなかったのである。真蟄な宗教的体験を語る言葉も, その体験が真実である

ことを受け入れる人に対してしか説得力を持たなかったのである。

Ⅱ、 使徒言行録24章2b8節

<私 訳〉

21' 「あなた様の御陰で多大な平和を享受し,御配慮によってこの民のために

6 この部分の詳しい分析は, O.BCIz, ##DicVisio11 (IEsPaullls imTempCI vo]' Jer 11salem:AI]922, 1721 alsBEitragzurl)eutungdesl)amaskLIserlebnissEs," in Ik・ノ加灯"〃 V上,ノ'"" (FSG,Stiihlin; c(Is、 ().BOChCr/'KIIaackeriWuppertal:

Br()cI<haLIs,197(1) 113‑123を参照。

30

(10)

パウロの法廷撰説とテルティロの弁論

改善がなされましたので, ヨフェリクス閣下,いろいろな仕方で,あらゆるとこ ろで私達は感謝をもって受け止めています。 』これ以上御迷惑を掛けないため に,暫しの問,御寛恕をもって私達が申し上げることに耳をお貸し下さい。 sこ の男はペストのようなもので,世界中であらゆるユタ'ヤ人の間で争いを引き起 こしている,ナザレ人の分派の指導者です。 5彼が神殿さえも汚そうとしたの で私達が捕らえたのです。 s私達が告発するこれらすべてについて,あなた御 自身で調べ,認識することがお出来になるでしょう。

1.修辞的状況

エルサレムの神殿での騒ぎの後(使21.27‑22.29),ローマ軍の千人隊長はユダ ヤ人指導者達に最高法院の招集を命じて,パウロの審問をさせた(22.30)。しか し,パウロが言及した死者の復活をめくキって,議場が紛糾したために千人隊長 は,パウロの身柄を保護した(23.1‑11)。パウロは厳重な警護のもとにカイサリ アのローマ総督フェリクスのところに移送された(23.2335)。大祭司アナニア は長老達と弁論家のテルティロと共にカイサリアにやって来て,総督のもとに パウロを訴えた(24.1)。パウロが呼び出されて総督府での審問手続きが始まり,

テルティロが大祭司を代弁して告発を行った(24.1‑8)。ユダヤ人の代表者達は テルティロの告発発言を支持して, その通りであると言った(24.9)。

2. 配列構成

24.2b4序言(exordium) 総督への語り掛けと讃辞 24.56叙述(narratio)

v.5パウロの行状:全世界のユダヤ人の間で騒動を起こしているナザレ 派の指導者

v、6神殿の冒涜の試みと逮捕 24.8結論(conclusiD/per()rati()1

31

(11)

パウロの法廷演説とテルーティロの弁論

24章6節は,最古の写本には証言がない(P74KB他を参照)。

序言は聞き手である総督に対する讃辞を多用して,歓心を得ようとして いる (使17.22; 23.lb他を参照)7。

この演説は,パウロの行状一般と神殿を汚したと告発した後に(24.5 6), それを裏付ける論証がなく,聞き手である総督自身の取り調べと,

判断に委ねて言葉を締め括っている (24.9)8。

(1) (2)

(3)

3. 修辞的種別

この演説は,カイサリアのローマ総督フェリクスが裁判長を務める法廷で,被 告人パウロの罪状を告発するために,専門の弁論家によって行われた告発 (xaT抑Yopict)である (使24.1‑2bを参照)9.法廷演説の一種である告発におい て,被告人の罪状を叙述する陳述は非常に重要な役割を果たしている。

4. 修辞的コメント

(24.2b4) 序言(exordium) 総督への語り掛けと讃辞

職業的弁論家テルティロはこの演説を,聞き手である総督の行政的手腕を言

7 S[)ards、 117; Schneider,2344iFitzmyer,7320‑L6sch, [[I)ieDankesrede (1es 1、ertullus:Apg24,1 4,.. r7zQ112 (1931) 29f

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・ひ J白

(12)

パウロの法廷演説とテールティロの弁論

葉を尽くして過剰に賞賛することによって始めている(24.2b‑4)。修辞法におい て序言は,聴衆の行為を醸成して本論の中で展開される議論に対する準備を与 える機能を果たす(アリストテレス『弁論術j l414b;偽キケロl.ヘレンニウス に与える修辞学書』 1 3.4; 1.4.68ラ クウインティリアヌス『弁論家の教育1 4.1.

5) 10.現代人には過度に聞こえる讃辞の連続も名誉を重んじるギリシア.ローマ の文化的伝統の慣例に従ったものであった(P Fouad 26;P・Oxy、 2131 ;P.

Ry1. 114他)」'。

(24.5‑6) 叙述(narratio)

古典古代の修辞法において,叙述(陳述)は法廷演説には不可欠の要素であ り,告発は被告人の罪状を示すために過去の事実を叙述するし,弁明は被告人 自身の無罪を立証するために自分の過去の行動を語る(キケロ『発想論」 1.10.

17; クウィンテイリアヌス『弁論家の教育」4.2.630; 4.2.6684)]2・テルテイロ はパウロの行状について,全世界のユダヤ人の間で騒動を起こしているナザレ 派の指導者であることと(5節),エルサレムの神殿を冒涜しようとしたので逮 捕したと述べる(6節)。 この叙述は過去の事実そのものとその評価とを含んで いる。パウロがキリスト教徒(所謂「ナザレ派」)の指導者であり,代表的伝道 者であることは間違いがない。 また,彼の宣教活動が,一部のユダヤ人達によ る強力な反対活動を呼んだことも事実である。 (使13.44‑47; 17.1‑9; 18.1217 を参照)。他方, このことがローマ支配下の平和を乱す「騒動,反乱(6T&GLg)」

(キケロ「発想論j25.162.8.28;偽キケロ『ヘレンニウスに与える修辞学吉」2.

10 JMartin. ,4""内gRルヒルカル.擁r〃"故〃"〔ノルノf/Aひぱfj (Munchen:CII.Beck, 1974) 6()‑74;Vnlkmannl27 148; Lausberg121 135 (§§263288) .

ll Kelmedy, 135; Soards、 117;LOsch, 295319; B、Winter, #Thelmportance(Jfthe CaptatioBenEv()lentiaeintheSpeeChesofTertulluSandPaul i]1ACts24 : 1 21,'' ノT542 (1991) 508518.

12 Martin, 581 75,

(13)

パウロの法廷演説とテルティロの弁論

3.3‑4)であるかどうかは異論の余地のある法的評価の問題であるが, テルテイ ロはそのことを詳しく立証していない。第二の罪状の神殿冒涜についても,パ ウロが清めのために神殿で時を過ごし, そのことが一部のユダヤ人達に,異邦 人を神殿に連れ込もうとしたという疑念を生んだことは事実であるが(使21.

2730を参照),そのことの真偽や,パウロのどの具体的行動が神殿冒涜にあた るかという細かい議論は省略されている。 また,仮にパウロの行為がユダヤの 法に従えばエルサレムの神殿を汚す行為であるにしても, ローマ法のどの法に 抵触するのかの議論も省略されている。

(24 8) 結語(conclusio/peroratio)

テルティロは,パウロの行為が何故ローマ帝国の法秩序を犯し, どの罪を構 成するのかについての詳しい論証を省いて演説を結ぶ(24.8「私達が告発するこ れらすべてについて,あなた御自身で調べ,認識することがお出来になるでしょ う」)。 しかも, この結語自体も,パウロの罪を挙げて,法的制裁を求めるので はなく,取り調べや法的評価と判決内容については,裁判官である総督に委ね る形になっている'3・この弁論は,裁判官に媚びる讃辞に溢れる一方,実質的な 内容には乏しいと言える。

111. 使徒言行録24章10b21節

〈私 訳>

。'>長年にわたり,あなたがこの民の裁判官を務めてこられたことを知ってい るので,暫くの間,私自身の事について弁明申し上げます。 ! !あなたは私が祈り を捧げるためにエルサレムへ上ってから12Hしか経っていないことをご存じ です。 ]2私は神殿において誰と話をすることもなく,会堂においても町におい

13 Haen(rhen, 585;HeusIEI‑, !138439 34

(14)

パウロの法廷演説とテルティロの弁論

ても群衆を唆してはおりません。 13「彼らはそれらのことについて私を,今,御 前で告発することが出来ないでいます。 ! このことをはっきりと申し̲上げま す。彼らが「分派」 と呼ぶこの道に従って,私は父祖達の神に仕え,律法と預 言書に書かれていることをすべて信じ, ]5彼ら自身が待ち望んでいる神への希 望を持ち,義なる者達と不義なる者達の復活がまもなく起こると考えていま す。 16この点について,私は神と人々の前ですべてにつき落ち度のない良心を 持ちたいと努めております。 17私は長年にわたり, 自分の民に対して多大の施

しをなし,献げ物を行ってきました。 1s彼らは私が神殿にいるのを見付けたの ですが,私は大勢と一緒にいたのでも,騒ぎを起こしたのでもありません。 19し かし, アジアからやって来たユダヤ人達がいるので,彼らが私の告発をする必 要があります。 20或いは,私についてどんな不正を見出したのか,最高法院で 彼ら自身に述べさせれば良いでしょう。 2」彼らの間で私が声を一つにして叫ん だこと, つまり,死者の復活について私は裁かれているのです。

1. 修辞的状況

カイサリアのローマ総督フェリクスに対して,大祭司がパウロについて訴え を起こした(24̲1)。裁判が始まると大祭司らは弁論家のテルティロを立てて,パ ウロを告発する演説を行った(24.28)。ユダヤ人の代表者達はテルティロの告 発発言に賛同の意を表した(24.9)。これに対して,総督は被告人に発言を促し たので,パウロが自分の言い分をフェリクスに対して述べたのがこの演説であ る (24.10)。

2. 配列構成

24 10bc序言(exordium) 聞き手への語り掛けと弁明の理由 24.11 19抗弁(refutati()/confutatio)

24.20‑21 結論(C()nclusio)

35

(15)

パウロの法廷演説とテルティロの弁論

(1) 序言は裁判長の役を務めるフェリクスヘの信頼を表現し,演説の目的が 弁明であることを単刀直入に明らかにしている (使24.10b)。

(2) この演説は,独立の叙述部(11arratiO)を備えておらず,テルティロの 告発に対する抗弁の中に,パウロの過去の生活や(24.15, 17),騒ぎが起 こる直前にエルサレムの神殿や町で行った活動についての言及を含ま せている (24.1112)。特にパウロのエルサレムでの振る舞いについて は,総督のフェリクスが既に調査によって予備知識を持っていることを 前提にしている(24.11)。抗弁(refutatio/coIIfutatio) とは,論証の一 種であり,訴訟の相手方の裁判上の主張に対して証拠を挙げて論駁する ことである(キケロ『発想論」 1.42.51 ;偽キケロ『ヘレンニウスに与え る修辞学害」 1.3.4; 1.10.18; クウィンテイリアヌス『弁論家の教育』

1.13.160)。その場で臨機応変に行う抗弁には熟練が要求され,告発は 並の弁論家でも行うことが出来るが,適切な抗弁は弁論の達人でなけれ ば難しいとされる (クウインテイリアヌスI弁論家の教育」 1.13.3)。

3. 修辞的種別

この演説はローマ総督の下における公式の裁判において,大祭司らが弁論家 のテルティロを立てて,パウロを告発する演説を行ったのを受けて(使2428),

被告人のパウロが行った弁論であるので,パウロ自身が冒頭で述べているよう に, この演説は弁明演説(鍼。10V〔α)である (24̲10b)M。

14 1Iaenche'1,580581: Pesch2254、 257;Veltman, 254;KEnnedy, 136; RolGff 336; Schneider, 2,343;Weiser、 2625, 628iSchille, 431 4321DuIm, 313;Fitz myer、 731 732734;Winter, 522;Tajra, 125;WitheringtDn702, 709; BarretL 2.11{ll ;NeagGe, 2(10; Rosenblatt, 74‑77;P()rter, 154 155:Heusief439442.

36

(16)

パウロの法廷演説とテルティロの弁論

4. 修辞的コメント

(24.10bc) 序言(exordium) 聞き手への語り掛けと弁明の理由

この序言はテルテイロの弁論の序言とは異なり (24.2b4を参照),裁判長の 役を務めるフェリクスヘの功績に関する過剰な讃辞を並べるのではなく,公正 な裁判への信頼を表現している(使24.10b)」5。また,序言の後半は,演説の目 的が弁明であることを端的に明らかにしている (使24.10c)。

(24.1119) 抗弁(refutatio/Collfutatio)

パウロのエルサレムでの振る舞いについては,総督のフェリクスが既に調査 によって予備知識を持っていることを前提にして(24.11), この演説は叙述 (narratio)を省いてテルティロの告発に対する抗弁に入る。テルティロが申し 立てた第一の罪状である,帝国の平和を乱す「騒動,反乱(5T し眉)」を起こし たということについて(24.5),パウロはまず反論を試みる。パウロは「神殿に おいて誰と話をすることもなく,会堂においても町においても群衆を唆しては いず」 (24.12),神殿で「騒動を起こしてもいない」のである(24.18)。 これは,

修辞学上の推定の係争(status co''iecturae)に該当する。修辞学の係争 (GT"Lく; status)理論において,推定の係争とは(statusc(miecturae),犯罪 の事実認定について争うことである(ヘルモケネース「係争について.13.17‑39;

4.214, 298;キケロ I発想論1 1.8.10; 2.13.43; クウインテイリアヌスI弁論家 の教育1 3.6.80; 3.11.2‑3) │6。

パウロの行為が「騒動,反乱(5てddL勺)」を引き起こしたと言うのであれば,

そう主張する者がそれを立証する具体的事実を挙げなければならない。目下の

15 16

Schncider, 2.341 ; Roloff, 337;Hyldahl 、 1O6; I)oret", 155 156iOmerzu. 442‑

VDIkmalln、 3751 ; J.Martin, 3032; LausI)er9, 4849 (§§99l03)i6670 (§§

150 165}q

(17)

パウロの法廷演説とテルティロの弁論

ところ, テルティロを押し立てた大祭司らは,十分な証拠を挙げることができ ていないのである(24.23) 17.宣教地でのパウロの行状について7'ジア出身のユ ダヤ人達が知っていることがあれば,正規の法的手続きに従って彼ら自身が総 督に訴えたり.ユダヤの最高法院で証言するように促している (24 19‑20)。

パウロは自分が,皮対者達が「分派」 と呼ぶキリスト教会の指導者であるこ とを認める(24.13) 1s.キリスト教の本質は騒動を起こし,秩序を乱すことには なく, l ll約LI'』番(「律法と預言書」)に従って救世主(メシア)の到来を信じ, キ リスi、が三H1]に復活したごとく,世の終わりに死者の復活と裁きが起こると 信じることに外ならない(24.15 16; さらに, 13.3741 ; 17.31 ; 23.69を参 照) !,。この信仰について,パウロは神と人々の前に「落ち座のない良心を持ち たいと努めている」のである(24.16)。裁判官達を効果的に説得するために,抗 弁をする者は争われている事柄について最上の知識を持っているという確信を 持って論じることが必要であるとされている (クウィンティリアヌス l.弁論家 の教育.1 1.13.52)。

この議論は,修辞学の係争(6TdTLく;status)理論における蘭の係争(status (lualilatis) に該当する。質の係争(statusqualitatis) とは,行為の存在は争 わないが,行為の法的評価を争い,合法もしくは違法の主張をすることである (アリストテレス「弁論術」 1417b;ヘルモゲネースI係争について」2 l1 ;キケ DI・発想論1 1.11.14; 2.19̲57; 2.21.62; クウインティリアヌスI弁論家の教育」

3.6.51)2''。

I'"(Fh2.257 ;Withet・ingtol],71(} 711 ;Tajl・[l、 126,128; ()mcI・zu,l lli VいⅡl]1an, 25」l i ()me[、加. 』l 16.

R(J1UII, 337、

V(IIkman11, 74HI ;JMar(in, 36‑41 ; Lausbfrg, 5751I (§§ 1231311) ; 7281 (§§

171196).

38

(18)

パウロの法廷浪説とテールティロの弁論

(24.20‑21) 結語(conclusiD)

訴訟の過程で双方の当事者が多岐にわたる論証や抗弁を繰り返す結果,本来 の争点が不明確になることがあるので,両者は常に争点が何であるかというこ とを念頭に置きながら議論を進める必要がある (クウィンティリアヌス「弁論 家の教育l1 13.55)。パウロはこの裁判の本質は,復活信仰の是非についてであ ると総括する(24.21)。先にエルサレムの最高法院で行われた裁判においてもパ ウロは│司様な主張を行った(23 69を参照)。 この議論は被告人パウロによる裁 判の争点の再定義である21・このパウロの法廷戦術は非常に巧みである。 もし,

復活信仰の是非が争点であれば,ユダヤ教の教理の問題であり, ローマ総督が 主催する裁判で扱う事柄ではなく ,訴えは却下されるべきであるからである22。

1V. 使徒言行録26章223節

〈私 訳>

ユアグリッパ王様,ユダヤ人達から責められていることすべてについて,今 日,御前で弁明出来ることを私は光栄に存じます。 3あなた様は,ユダヤ人の習 慣や論争について詳しい知識をお持ちなので,寛恕をもって私が申し上げるこ

とに耳を傾けて敷きたいのです。

'我が民の問で過ごしたエルサレムでの砦い頃からの私の生活については,

すべてのユダヤ人が知っています。 5彼らは以前から私のことを知っているの で,私が私達の宗教の最も厳しい宗派に属して, ファリサイ人として生活して いたと証言しようと思えば出来る筈です。

6父祖達に神がなした約束による希望のために,私は今,被告として立ってい るのです。 7熱意を持ってH夜神に仕えている私達十二部族が得たいと臨んで

21 Winter,526;Omerzll,45() ; J.j.Ki lgalle]1, "Paulbefol・eAgripPa (AcIs262‑23) S{)mEC()11sideralio'l,"B/I) 69 (1988) 17a

22 IIaenChC]1,51)4 #Witheringt()n,711712; PDrter,157;Omerzu,451).

39

(19)

パウロの法廷演説とテルティロの弁論

いる希望のために,私はユダヤ人達より責められているのです。 8神が死人を 甦らせるということが,何故あなた方には信じがたいこととされるのでしょう か。 9でも,私自身からして,ナザレ人イエスの名に対してそのようなことを多 く行わなければならないと考えていました。 !,私はそれをエルサレムで実行 し,大祭司達の許可を得て聖なる者達の多くを投獄し,彼らを処刑することに 賛成票を投じました。 ] }あらゆる会堂でしばしば彼らを処罰して神を冒涜する

ことを強い,怒りを感じて外国の町に至るまで追って行きました。

2私は祭司長達の逮捕状を持ってダマスコヘ向かっていました。 」3正午頃 に,王様,天から太陽の光に優る光が私と伴の者達を回り照らしました。 」4私達 が皆地面に倒れた後,へプライ語で私に語り掛ける声を聞きました。「サウロよ' サウロよ お前は,何故私を迫害するのか。 トゲのついた棒を打つとあなたは 酷い目に遭うことになる。」 1亀そこで私は申しました。 「あなたはどなたです か。」主は私に仰いました。「私はあなたが迫害しているイエスである。 16身を起 こして足で立ちなさい。私があなたの前に姿を現したのは,既に見たことや将 来見るであろうことについて,奉仕者また証人として立てるためである。 』7私 はこの民と諸国民の中からあなたを選び,彼らのもとに遣わす。 !sその目を開 き,闇から光へ,サタンの支配下から神のもとへ立ち帰らせる。彼らは罪の赦 しを得て,私に対する信仰において聖別された者達の一員となるであろう。」

19アグリッパ王様,天来の幻に逆らうことなく, 2・私はまずダマスコで,次に は,エルサレムとユダヤ地方全域で, さらには,諸国民に対して悔い改めて神 へ立ち帰り,悔い改めに相応しい業を行うように告げました。 2]これらのこと のためにユダヤ人達は私を神殿で捕らえ,私に手を掛けようとしたのです。

今日に至るまで,神の助けを見出してここに立ち,小さい者達から大きな者達 まで,預言者やモーセがやがて起こると語ったことだけを語りました。 23つま り,キリス│、の御受難と死者の中からの復活の後,光をこの民と諸国民に告げ ることになると語ったのです。

40

(20)

ナ1−塵、

パウロの法廷演説とテルティロの ム塾.

2. 修辞的状況

パウロがカイサリアで裁判を待っているうちに,前任のローマ総督フェリク スの任期が満ち,フェストゥスが後任者として着任した(使24.27)。フェストゥ スがエルサレムへ言った際に,ユダヤ人指導者達はパウロをエルサレムに送り 返すように願ったが,フェストゥスは,カイサリアで裁判をすることとした(25.

1 12)。パウロが皇帝への上訴を行ったのを総督は聞き入れ,パウロの身柄を ローマの皇帝のもとに移送することとなった(24.11‑12, 21)。 しかし, フェス トゥスは,パウロを皇帝のもとに移送するための罪状について確信が持てな かったので,表敬訪問にやって来たアグリッパ王にパウロの審問を依頼した (25.13‑27)。フ"ク.リッパは,フェストゥスの陪席の下にパウロの審問を始め,発 言を促したので,パウロが語ったのがこの演説である (26.1)。

3. 配列構成

26.2‑3序言(ex()rdium) アグリッパ王への語り掛け 26.4 23叙述(''arratio)

vv. 45餓格なユダヤ教徒としてのパウロの生活 vv. 6‑8死者の復活への信仰

vv. 9 11 信徒達の迫害 vv 12 18復活の主との出会い

vv 19‑23 キリストの受難と復活の宣教と悔い改めと罪の赦し

(1) この序言は演説の出だしの言葉として,聞き手に対する讃辞を含んでい る (使17.2223; 24.3他を参照)。

(2) この波説は,聴衆の敵対的反応のために叙述の途中で中断され,論証や 結語の部分を欠いている。パウロが演説の後半で語る答であったこと は,減説後のパウロとアグリッパの遣り取りから推測出来る。それは,

(21)

(『ンロの法廷演説とテルティロの弁捕

キリストの死と復活が│日約聖書の預言者が証言していることを示し,ア グリッパにそのことを信じるように勧めることである (使26.25‑29)。

4. 修辞的種別

この演説はアグリッパ王が, ローマ総督の陪席の下に行った審問における被 告人の発言であるので(26 1),語り手やパウロ自身が述べているように, この 演説は弁明演説(姉・入。γ〔α)である(26.1,2)郷。 しかし,演説後のパウロとフ′

グリッバの遣り取りは,パウロはこの弁論に, キリストの死と復活が旧約聖;1ド の預言者が証言していることを示し, アグリッパにそのことを信じるように勧 める意図を込めていたことを示している(使26.2529)。そのことは, この弁明 演説が助言演説の要素も含んでいることを意味する鰹 '。

5.修辞的コメント

(26.23) 序言(ex()rdium) アグリッパ王への諮り掛け

この序言は当時の演説の出だしの言葉の慣例として,聞き手であるアグリッ パに対する讃辞を含んでいる(使17.2223; 24 3他を参照)。アグリッパはユダ ヤの王であるから, 当然のことユダヤ教の教理や慣習についてある程度のこと を心得ていることが期待される。パウロはそのことを捉えて幸いであると述べ るのである(20.2‑3)。 この出だしは, これから展開される弁論が,キリスト教 の教理の核心についての議論となることを暗示し,聞き手のアグリッパに心の

23 (jollzClmann,1ll; IIfle[1Che11,608JVeltman、 255; Schneider、 236937() ; l)Esch, 2.273276IWeiser、 2.618619; Schi l le, 452; JcI・Ye1 1, 590591 ;Kennc小、 . 137;

Weiser、 2,64H649; I)LII111, 323324; Bal‑rct(, 211 ,19; Schwartz, 130;Neagoc, 202;Rosenblatt, H] 85; Barrett" 2.1149; l)[)rt"、 158‑]59; Ilellsler、 1211 132 ; WitherL1p, 7475i l(.F. ()、T()()le, /lc/326r 7ソノ{'C/"ソg/"/"g/Lw/C"ノ""r"/‑ /ヤ"イハ Dfハノ"s(J (Ac22; 1‑26: 32) (I<ome; PonlilicalBil)l ical I11stitutel979) 353(i 2I Schneider,237() ; I)csch, 2,274; Soards+ 122;Willleri'lgi(m,666; FitzmyEr,75‑l f

Tajrrl, 152;HELIsIcl・, 129 130.

42

(22)

(『ンロの法廷概説とテルティロLノ〕弁論

準備をさせている。

(26 45) 厳格なユダヤ教徒としてのパウロの生活

パウロはキリスト教徒となる以前は, ファリサイ派に屈し,律法を厳格に守 る生活壷していた(使26.5; さらに,使22.3; フィリ3.56も参照)。但し, 22 章の弁明演説とは異なり,彼がエルサレムで教師ガマリエルの下で学んだ次第 は詳述せず,パ『ンロが若い時代に厳格なファリサイ人として生活していたこと は,エルサレムのユダヤ人の間では周知の事実であるとしている (使26.45)。

(26 68) 死:荷の復活への信仰

パウロは先にフェリクスの前で行った弁明において, この裁判の本質は, こ の復活信仰の是非についての争いであると総括した(24.21 ; さらに,使23.69;

25.19も参照)。今lulの演説では,パ1ンロはこの争点の11F定義を出発'I'l,iとして,さ らに議論を進めようとしている。24章においてパウロは,直前になされた告発 演説によって提示された罪状への反対弁論をしなければならなかったが,今回 の演説には告発油説が先行しておらず,パウロはi十頭で思い通りの争点の整理 をすることとなった。

パウロは復活したキリストへの偏仰を神がイスラエルの先柵に与えた約束に 遡らせる(26 67)。その約束についてここでは詳述していないが,ピシディア・

アンテイオキアの会堂説教においてパウロは,神がダビデの子孫からイスラエ ルに救い主を送ることを約束したことと(13.2223), その約束がキリストの死 からの甦りのうちに成就したことを語っていた(13.26‑41)。キリスl、の復活へ の信仰が, イスラエルの伝統的なメシア待望の成就に他ならないとパウロは主 張するのである。

(23)

パウロの法廷演説とラールティロの弁論

(26. 911) 信徒達の迫害

ユタ ヤ教時代のパウロは律法を遵守することに熱心であり,律法への熱心の あまりに教会を迫害したのであった(ガラl : 13,23; Iコリ15: 9)。使徒言行 録89章は,パウロがステファノの処刑に賛成し(使8: 3),大祭司の耆簡を撰 えて, キリスト教を会堂で捕らえて引きずり出し,エルサレムへしょっ引いて 来て投獄する迫害活動に従事していた事実を叙述している(使9: 1‑2)。ユタ ヤ 人聴衆に向けた22章の演説は,迫害者であるパウロの過去は,エルサレムのユ ダヤ人指導者達にも承知の事実であることを確認する(使22.45)。26章におい ては,パウロは自分がエルサレムで迫害活動を行った後,エルサレム外の地域 にも出掛けて行って迫害を行ったことを強調する (26 10‑11)。

(26.1218) 復活の主との出会いと宣教師としてのパウロの派遺

この部分においてパウロは宣教者としての召しを受けた中核的体験である復 活の主との出会いについて物語る。弁明演説にとり,過去の事実の叙述は不可 欠の要素であるが(アリストテレス「弁論術l l4161417b;キケロ「発想論1 1.9.27; クウィンティリアヌスi.弁論家の教育.13.8.1‑9; 4.2.31),修辞法におけ る叙述は必ずしも過去の事実を網羅的に語ることを旨とせず,後に控えている 論証を準備するのに役立つ事実を挙げることに集中する。 ここでパウロが語る 教会の迫害者であった自分が(使26: 2 11),ダマスコ途上で復活のキリストの 顕現の出来事に接してキリスト教宣教者となった経緯は, 9章に物語られて↓.

る事実の経緯や, 22章の弁明演説における│口│噸とは,大筋において一致してい るものの,細部においてはかなり相違している (使9.1 19; 22.421を参照)。

個々の演説はそれぞれの修辞的状況に応じて,語る事実を取捨選択し,語り方 を変える2$。修辞法は人を説得するための言葉の技術であるからである(プラト

25Weiser1 2.610;WithcI・ingt()n, 666IWitheI・llp, 7781 ) ; BilrrE[L 2.1159; I), Schubert, ' ''I、heFinalCycIc()ISP"ches intheBoUk[トfAc(s, ''ノノ虻87 (1968) 1 l

15.

44

(24)

パ『ンロの法廷演説とテルティロの弁論

ンIゴルギアス.1 452e‑453a;アリストテレス『弁論術l l355a;キケロ「発想 :#.1 1 67; 「波説について.i 1.138; クウインテイリアヌス1.弁論家の教育」2.15.

1 37)。

キリスト教徒を迫害するためにパウロが向かったダマスコ途上で復活の主が 現れ,パウロを天からの光がめぐり照らした後,復活者の声がパウロに語り掛 け, キリストの証人・奉仕者となる使命を告げた(使26.12‑18)。ダマスコヘ行 くように指示したとする復活者の言葉も(使9.5; 22.10),ダマスコでのアナニ アと主の会話も(9.1() 16),アナニアからパウロへの言葉にもここでは言及され ない(9.17; 22.13 16)。 また,神殿において復活の主がパウロに与えた派遣の 言葉も語られず(使22.17‑21),宣教の務めの委託はダマスコ途上の顕現の時に 集約して与えられたとされている (26.1618)26。

復活の主による授権ば,初代教会の使徒職の根拠とされ,共観福音背の復活 物語も (マタ28.16‑2() ; ヨハ20.2223; 21.15‑19),パウロ書簡もそのことを繰 り返し語っている(Iコリ9.1 ; 15.8‑11 ;ガラ1.1516)。 この演説が引用する復 活の主の授権の言梁は,使徒言行録でもここにしか伝えられていない言葉であ る。復活の主のパウロへの顕現は,十二弟子への顕現と同様に(ルカ24.4649),

主に仕える証人として立てるためである (使26.16)。パウロは特に異邦人に遣 わされており,復活の韮は, 「私はこの民と諸国民の中からあなたを選び,彼ら のもとに追わす。その目を開き,闇から光へ,サタンの支配下から神のもとへ 立ち帰らせる。彼らは罪の赦しを得て,私に対する信仰において聖別された者 達に加えられることとなる」 と語ったのだった(使26.17 18; さらに,エフェ 2.9; ヨセ・アテ8.9を参照)塾7.異邦人の回心者達が救われ, キリスト者の群れ に加わることを主が命じたということこそに,パウロがなしてきた異邦人伝道

26 Kilga1km, 185;Withel・LIp 78C.W HedriCk, 、&Paul'sC()11verSi()]1/CIll i, ' 'ノ"LI()(1 ( 1981) '127.

27 ()'T()()le, 159.

45

(25)

パ'ンロの法廷演説とテルティロの弁論

の正当性の根拠があるのである28。しかし,第三者が客観的に検証することが出 来ない主観的な体験による論証法は,復活の主との出会いを基本体験として持 つ初代教会の人々には通じるものであったが, その外にある人達に対して説得 力をもつかどうかは疑問である。

(26.1923) キリストの受難と復活の宣教と悔い改めと罪の赦し

パウロはこの復活の主の命じた通りに,異邦人伝道に従事する宣教者として,

キリストの復活について証言をして来た(26.1920)。 この異邦人伝道の故に一 部のユダヤ人達が神殿でパウロを捕らえ,殺害しようとすらしたのであった (26.21 ; さらに, 21 27‑36を参照)。しかし,パウロはキリストの受難と復活に ついて宣く伝え, 「キリストの御受難と死者の中からの復活の後,光をこの民と 諸国民に告げることになる」という│日約聖書の預言が成就したのである(26.23;

さらに, イザ42 67; 49.6;ルカ2.3032;使13.47; 28 28を参照)。パウロが 語って来た福音の核心を述べることは,聞き手であるアグリッパらに対して,そ れを信じるようにとの勧めをするための準備であった(使26.27‑29を参照) 。 しかし,パウロがキリストの死者の中からの復活に説き及ぶと,傍で聞いて いたローマ総将のフェストゥスが大声で, 「気が狂っている,パウ口よ・学問を し過ぎたためにお前は気が狂ったのだ」と叫んでパウロの話をLI』断させる(26:

24)。死者の復活という超自然的出来事をキリストのメシア性の証明に用いよう とするパウロの論法を,ギリシア・ローマ世界の知識人は理解出来ず,パウロ の狂気に帰したのであった。 この反応は, アレオパゴス演説を聞いた哲学者達 が, キリスI、の復活を証拠として援用するパウロの論理を噸笑したことと内容 的に並行している(使17.32を参照)。キリストの復活をキリストのメシア性の 証拠とするキリスト教の論理が機能するためには,超越的な神の力が自然世界

28 Ki lgal le'), 186 ]H7; Jei・vel1 , 595 29 Schneid"2375;Tfijra, 168.

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(26)

パ『フロの法廷減税とテルティロの弁論

と歴史世界に介入する余地を聴衆が認めていることが前提なのである。

これに対して,パウロは自分が正気であり, 自分が語ることは「真実で理に 適っている」と主張する(26.25)。パウロのこの演説は,告発に対する弁明とい うよりは,キリストの死と復活を中核とする福音の真理そのものの弁証であり,

伝道説教に近づいている30.総督フェストゥスによる波説の中断の後,パウロは 言葉を続けて,アグリ 、ソパに語られた事を信じるかどうか問うのであった(使 26.27, 29)。

V.棒甫

1. 使徒言行録2226章に出て来る4つの演説は,修辞学的に言えばすべて 法廷演説の種別にl瓜するが, より詳しく言うと,パウロの三つの演説は弁明演 説であり (使22.1‑21 ; 2#1.1()bc21 ; 26.223),弁論家テルテイロの弁論は告発 演説である(242b8)。これらの演説のそれぞれの修辞的状況に従ってかなり異 なった性格を持つ。パウロが激昂するユダヤ人群衆に与えた演説は(使22.1‑

21),厳格なユダヤ教徒であった自分が,復活の主との出会いによって異邦人の 使徒となった次第を詳しく語り,自分の人格の信頼性を印象付けようとする。弁 論家テルティロの弁論はローマ総督によって開廷された正規の法廷における告 発演説であり(24.2b8),パ:ンロの罪状を指摘する。これに答えるパウロの答弁 は,告発の論拠に反論し,自己の無罪を立証しようとしている(使24.lObc21)。

それに対して,パウロがアグリッパに対してなした弁明は,告発に対する弁明 というよりは, キリストの死と復活を中核とする福音の真理そのものの弁証で あり,伝道説教に近づいている31.

2. 弁論家テルテイロの弁論(24.2b‑8)へのパウロの答弁は(使24 10bc21), 非常に法的な議論を腱│射している。パウロがここで展開する議論は,修辞学の

3() (̲>')nzelmanll, 2(19; Sch]1eider, 2,378; soards, 122;Neagoe, 203"2(}6 31 Fitzml'er, 755; ()'T()()lc, 160:Neagoe, 2032()6

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(27)

パウロの法廷浪説とテルティロの弁論

係争(5Tdてし宮; status)理論における質の係争(statusqualitatis) に該当し,

「分派」とされるキリスト教会に属している事実は争わないが, 自分はローマ帝 国の秩序に対して反乱を起こしたことや,群衆を唆したこともないと述べて,告 発を退ける。

3. 2つの演説は(使22.121 ; 26.223)聴衆の否定的反応によって中断され ている。両方のケース共に,律法に熱心なあまりに教会の迫害者であったパウ ロが,ダマスコ途上で復活の主に出会い,異邦人の使徒としての召しを受けた ことを語った時に聴衆が否定的鞍反応を示している(特に,使22.621 1 26̲12 23を参照)。復活の主と出会い,その声を聞いて新たな使命を得たことは,パウ ロの使徒職の原点であるが,超越的な神秘体験であるために客観的にその真偽 を確かめる術はなく,好意的でない第三者には説得力を持たないのである。

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