『宇治拾遺物語』新羅国后考
著者 廣田 收
雑誌名 同志社国文学
号 84
ページ 68‑79
発行年 2016‑03‑20
権利 同志社大学国文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015434
﹃ 宇 治 拾 遺 物 語 ﹄ 新 羅 国 后 考
廣 田
收
はじ めに
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ の説 話の 中に は︑ 表現 上同 文性 の強 い同 一説 話 のみ なら ず︑ これ は結 局程 度の 問題 にす ぎな いの だが
︑併﹅ せ﹅ て﹅ 類似 説話 の指 摘さ れて いる 事例 が多 い︒ 同一 説話 のよ うに
︑表 現の 近似 して いる 事例 は表 現を 直接
︑そ のま ま比 較す るこ とに よっ て︑ 当該 の説 話の 独自 性を 浮か び上 がら せる こと がで きる
︒と ころ が︑ 類似 説話 の場 合に は︑ 同一 説話 と比 べて 表現 上の 異同 が大 きい ため に︑ 構成 の次 元で しか 比較 でき ない
︒説 話の 比較 を有 効な もの とす る方 法は いか に可 能で ある か︑ 改め て考 える 必要 があ る︒ 一 第一 七九 話の 論点 本稿 では
︑﹃ 宇治 拾遺 物語
﹄︵ 以下
﹃宇 治﹄ と略 す︶ 第一 七九 話
﹁新 羅国 后金 榻事
﹂を 考察 の対 象と した い︒ これ も今 は昔
︑新 羅国 に后 おは しけ り︒ その 后︑ 忍て 密男
︵み そか おと こ︶ をま うけ てけ り︒ 御門
︑こ の由 を聞 き給 て︑ 后を とら へて 髪に 縄を 付け て︑ 上へ つり つけ て︑ 足を 二︑ 三尺 引上 げて 置き たり けれ ば︑ すべ きや うも なく て︑ 心の うち に思 給け るや う︑
﹁か ゝる かな しき 目を 見れ ども
︑助 くる 人も なし
︒ 伝へ て聞 けば
︑こ の国 より 東に
︑日 本と 云国 あな り︒ その 国に 長谷 観音 と申 仏︑ 現じ 給也
︒菩 薩の 御慈 悲︑ 此国 まで 聞え て︑ はか りな し︒ 頼み をか け奉 らぱ
︑な どて かは 助給 はざ らん
﹂と て︑ 目を ひさ ぎて
︑念 じ入 給程 に︑ 金の 榻︵ しぢ
︶︑ 足の 下に 出で 来ぬ
︒そ れを 踏ま へて 立て るに
︑す べて 苦し みな し︒ 人の 見る には 此榻 見え ず︒ 日比 あり て︑ ゆる され 給ぬ
︒ 後に 后︑ 持給 へる 宝ど もを
︑多 く使 をさ して
︑長 谷寺 に奉 り
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ 新羅 国后 考
六八
給︒ その 中に 大な る鈴
︑鏡
︑か ねの 簾︑ 今に あり とぞ
︒か の観 音︑ 念じ 奉れ ば︑ 他国 の人 もし るし 蒙ら ずと いふ 事な しと なん①
︒ 本話 を一 読し た私 の疑 問は
︑次 のよ うな もの であ る︒ 怒っ た国 王は なぜ
︑た だち に后 を処 刑し たり 追放 した りし なか っ たの か︒ 国王 はな ぜ︑ 后の
﹁髪 に縄 を付 けて
︑上 へつ りつ け﹂ たの か︑ であ る︒ おそ らく それ は︑ 女性 の美 貌を 表す 髪を 吊す こと が︑ 后に 苦痛 と恥 辱と をも たら すも のだ から であ ろう
︒ 一方
︑后 を犯 した 男の こと は何 も描 かれ てい ない
︒﹃ 宇治
﹄の 説 話の 関心 は︑ 男﹅ に﹅ は﹅ な﹅ い﹅
︒興 味は
︑一 貫し て后 の言 動に ある
︒と は いえ
︑説 話の 関心 が后 とい う立﹅ 場﹅ に向 けら れて いる とい うよ りも
︑ 女性 とし ての 危難
︑試 練に 焦点 が当 てら れて いる と見 える
︒し かも
︑ なぜ
﹁忍 て密 男を まう け﹂ たこ とに 対し て︑ 后に は罪 意識 が希 薄な のか
︒す なわ ち︑ いさ さか もわ が罪 を懺 悔す るこ とな く︑ 后は 長谷 寺の 観音 によ って 救わ れる のか
︑と いう 疑問 であ る︒ まる で﹁ 困っ たと きの 神頼 み﹂ であ るか のよ うに
︒そ れは おそ らく
︑平 安時 代か ら鎌 倉時 代に かけ て︑ 貴賤 を問 わず 女性 が現 世利 益を 願っ た尊 格が 長谷 寺観 音で あっ たこ とに 必然 性が ある から であ る︒ ここ に﹃ 宇 治﹄ を貫 く思 考の 一端 が露 見し てい る︒ 簡単 に研 究史 を辿 ると
︑本 説話 につ いて
︑﹃ 宇治 拾遺 物語 全註 解﹄ は﹁ この 話は 今昔 物語 巻十 六第 十九 話と 同話 であ る︒ なお
︑長 谷寺
霊験 記上
・三 国伝 記︵
?ママ
︶な どに も見 える
︒つ まり 長谷 寺観 音の 広 大な 利生 記を 語っ てい る話 であ る②
﹂と いう
︒さ らに
︑新 大系 は﹁ 類 話一 覧﹂ にお いて
︑同 話︵ ︶ とし て﹃ 今昔 物語 集﹄
︵以 下﹃ 今昔
﹄ と略 す︶ 巻第 一六
﹁新 羅国 蒙国 王咎 得長 谷観 音助 語﹂ 第一 九を
︑同 話︵ ︶ とし て﹃ 長谷 寺霊 験記
﹄︵ 以下
﹃霊 験記
﹄と 略す
︶上 巻第 一二 を挙 げ︑ 類話
・関 連話 には 該当 なし とし てい る③
︒ま た︑ 新編 全 集は
﹁も とも とは 長谷 寺観 音の 霊験 利生 の宣 伝話 とし て流 布し てい たも のら しく
︑﹃ 長谷 寺霊 験記
﹄上 一二 話の 叙述 はま こと に詳 細で ある
﹂と 評す る④
︒ いわ ば本 説話 は﹃ 今昔
﹄巻 第一 六第 一九 とき わめ て類 似し てい る が︑
﹃霊 験記
﹄上 巻第 一二 は︑
﹃今 昔﹄ と比 べて
︑増 殖さ れた とこ ろ があ ると 指摘 され てき たと いえ る︒ そこ で︑ 同話
︵
︶と され る﹃ 今昔
﹄巻 第一 六第 一九 とは 表﹅ 現﹅ に おけ る比 較を 行な い︑ 同話
︵
︶と され る﹃ 霊験 記﹄ 上巻 第一 二と は︑ 構﹅ 成﹅ にお ける 比較 から 考察 を進 めて みる こと にし たい
︒す なわ ち︑ 同話
︵
︶と 同話
︵
︶と では
︑比 較の 水準 を変 えて みよ うと いう 提案 であ る︒ 二 同一 説話 との 比較 同話
︵
︶と され る﹃ 今昔
﹄第 一六 巻第 一九 の本 文⑤
と︑ 対照 表を
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ 新羅 国后 考
六九
表現 の次 元で 作成 する と︑ 次の よう であ る︒ この とき
︑表 現上 の異 同か ら︑ それ ぞれ のテ キス トの 特質 が顕 著に みて とれ る事 項を
︑太 字で 表示 して みる
︒
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ 第一 一九 話
﹃今 昔物 語集
﹄巻 第一 六第 一九 これ も今 は昔
︑新 羅国 に后 おは しけ り︒
今ハ 昔︑ 新羅 ノ国 ニ国 王ノ 后有 ケリ
︒
ઃそ の后
︑忍 て密 男を まう けて けり
︒
其ノ 后キ
︑忍 テ竊 ニ人 ニ通 ジニ ケリ
︒ 御門
︑こ の由 を聞 き給 て︑ 后を とら へて
国王
︑此 ノ事 ヲ聞 テ︑ 大ニ 嗔テ
︑ 髪に 縄を 付け て︑ 上へ つり つけ て︑
足を 后ヲ 捕ヘ テ髪 ニ縄 ヲ付 テ︑ 二︑ 三尺 引上 げて 置き たり けれ ば︑
間木 ニ釣 リ係 テ︑ 足ヲ 四︑ 五尺 許引 上テ 置 タリ ケリ
︒ 后︑ 辛苦 悩乱 スト 云ヘ ドモ
︑ すべ きや うも なく て︑
更ニ 可為 キ方 无ク シテ
︑ 心の うち に思 給け るや う︑
自ラ 心ノ 内ニ 思ハ ク︑
か ゝる かな しき 目を 見れ ども
︑助 くる 人 もな し︒
「我 レ︑ 此ク 難堪 キ咎 ヲ蒙 ルト 云ヘ ドモ
︑ 我レ ヲ可 助キ 人无 シ︒ 而ル ニ︑ 伝ヘ テ聞 ケ バ︑
﹁此 ノ国 ヨリ 東ニ 遥ニ 去テ
︑日 ノ本 ト 云フ 国有 ナリ
︒ 伝へ て聞 けば
︑こ の国 より 東に
︑日 本と 云 国あ なり
︒
其ノ 国ニ 長谷 ト云 フ所 有ケ リ︑ その 国に 長谷 観音 と申 仏︑ 現じ 給也
︒
観音 ノ霊 験ヲ 施シ 給フ
︑在 マス
﹂ト
︒ અ菩 薩の 御慈 悲︑ 此国 まで 聞え て︑ はか り なし
︒
菩薩 ノ慈 悲ハ
︑深 キ事 大海 ヨリ モ深 ク︑ 広 キ事 世界 ヨリ モ広 シ︒ 頼み をか け奉 らぱ
︑な どて かは 助給 はざ ら ん﹂ とて
︑
然レ バ︑ 憑ヲ 係ケ 奉ラ ム人
︑何 ドカ 其ノ 助 ヲ不 蒙ザ ラム
﹂ト 祈請 シテ
︑ 目を ひさ ぎて
︑念 じ入 給程 に︑
目ヲ 塞テ 思ヒ 入テ 有ル 間ニ
︑ 金の 榻︑ 足の 下に 出で 来ぬ
︒
忽ニ 足ノ 下ニ 金ノ 榻出 来ヌ
︒ આ
然レ バ︑ 后︑
﹁此 レ︑ 我ガ 念ジ 奉レ ルニ 依 テ︑ 観音 ノ助 ケ給 フ也
﹂ト 思テ
︑ それ を踏 まへ て立 てる に︑ すべ て苦 しみ な し︒
其ノ 榻ヲ 踏ヘ テ立 テル ニ︑ 苦シ ブ所 无シ
︒ 人の 見る には 此榻 見え ず︒
此ノ 榻ヲ 人見 ルコ ト无 シ︒ 日比 あり て︑ ゆる され 給ぬ
︒
其ノ 後︑ 日来 ヲ経 ルニ
︑后 被免 ニケ リ︒
ઇ後 に后
︑
后︑
﹁偏 ニ︑ 此レ
︑長 谷ノ 観音 ノ助 ゾ﹂ ト 知テ
︑ 持給 へる 宝ど もを
︑多 く使 をさ して
︑
使ヲ 差テ
︑多 ノ財 物ヲ 令持 メテ
︑ ઈ長 谷寺 に奉 り給
︒
日本 ニ送 テ長 谷ノ 観音 ニ奉 ル︒ その 中に 大な る鈴
︑鏡
︑か ねの 簾︑ 今に あ りと ぞ︒
其ノ 中ニ
︑大 キナ ル鈴
・鏡
・金 ノ簾 有リ
︑ 于今 彼ノ 山ニ 納メ 置タ リ︒ ઉ
実ニ 長谷 ノ観 音ノ 霊験 不思 議也
︒ かの 観音
︑念 じ奉 れば
︑他 国の 人も しる し 蒙ら ずと いふ 事な しと なん
︒
念ジ 奉ル 人︑ 他国 マデ 其ノ 利益 ヲ不 蒙ズ ト 云フ 事无 シ︒ ઊ
人専 ニ歩 ヲ運 ビ︑ 首ヲ 傾テ 礼拝 シ可 奉シ ト ナム 語リ 伝ヘ タル トヤ
︒
右の 比較 表に みえ る異 同を 手が かり とし て︑ 幾つ か論 点を 挙げ て 問題 を整 理し てみ よう
︒
︵
︶﹃ 宇治 拾遺 物語
﹄の
﹁み そか 男﹂ 比較 表の に つい て︑
﹃今 昔﹄ は︑
﹁新 羅ノ 国﹂ の﹁ 国王 ノ后
﹂が
﹁忍 テ竊 ニ人 ニ通 ジニ ケリ
﹂と 始ま る︒
﹃今 昔﹄ は﹁ 忍﹅ テ﹅ 竊﹅ ニ﹅ 人ニ 通 ジ﹂ たこ とに 対し て︑ 国王 はこ れを 罰す る︒
﹃今 昔﹄ は一 貫し て帝 を主 語と して 叙述 する
︒し かも
﹃今 昔﹄ は︑ 帝に も敬 語を 用い るこ とが ない
︒巻 第一 六の 標題 は﹁ 本朝 付仏 法﹂ とあ り︑ 仏菩 薩の もと に︑ 帝も 后も 衆生 にす ぎな いと いう 認識 が貫 かれ てい ると いえ る︒ これ に対 して
﹃宇 治﹄ は一 貫し て后 を主 語と して 叙述 する
︒﹃ 宇 治﹄ は︑
﹁そ の后
︑忍 て密 男を まう けて けり
﹂と いう
︒﹃ 宇治
﹄は
︑
﹁后 おは しけ り﹂ と敬 語を 用い てい なが ら︑ 第二 文の
﹁密 男ま うけ
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ 新羅 国后 考
七〇
てけ り﹂ だけ は︑ 敬語 を用 いて いな い︒ ここ にい う﹁ 密男 を儲 く﹂ とい う表 現は
︑后 の行 動を 表す にし ては
︑い かに も卑 俗な もの 言い であ る︒ この 表現 は︑ 近世 的な 語法 かと も感 じら れる が︑ 早い 時代 の用 例と して は︑
﹃後 撰和 歌集
﹄︵ 雑四
︑一 三〇
〇番
︶に
︑ 神無 月の つい たち 頃︑ 妻の みそ か男 した りけ るを
︑ 見つ けて
︑言 ひな どし て︑ つと めて
︑よ み人 知ら ず 今は とて 秋は てら れし 身な れど もき りた ち人 をえ やは 忘る ゝ⑥
とい う事 例が ある
︒高 群逸 枝氏 は︑
﹁み そか 男︑ みそ かび と︑ みそ かご と﹂ につ いて
﹁語 義か らい えば 姦夫 ひ︱ いて 姦通 を意 味す るが
︑ ただ
︑こ こに は︑ 家夫 長権 や夫 権か らの 処刑 の意 がと もな わな いこ とを 特徴 とす る﹂ とい う︒ そし て︑ 妻と いつ ても 娶嫁 婚下 の依 存的 な妻 では なく
︑妻 問の 女︑ 恋 愛関 係の 女で あり
︑夫 の側 には
︑家 夫長 権も ない ので
︑そ の妻 がみ﹅ そ﹅ か﹅ 男﹅ した こと は︑ 本夫 に飽 きた から とみ るほ かは ない
︒ しば しば 他の 女を 妻問 う以 上︑ 互﹅ 角﹅ の﹅ 問﹅ 題﹅ とも され るわ けで あ ろう⑦
︒︵ 傍点
︑廣 田︶ とい う︒ 興味 深い こと は︑ 妻が
﹁み そか 男﹂ した のは
︑妻 の不 貞で はな く︑ 男が 妻に
﹁飽 きは てら れし
﹂ゆ えだ と理 解さ れて いる こと であ る︒ ここ には
︑古 代に おけ る婚 姻の 倫理 観が うか がえ る︒ 一方
︑﹃ 宇治
﹄に おけ る事 例は
︑他 に二 例あ るが
︑い ずれ も第 二
九話 の中 に︑ 昔︑ 博士 にて
︑大 学頭 明衡 とい ふ人 あり き︒ 若か りけ る時
︑ さる べき 所に 宮仕 ける 女房 を語 らひ て︑ その 所に 入臥 さん 事︑ 便な かり けれ ば︑ その かた はら にあ りけ る下 種︵ げす
︶の 家を 借て
︑﹁ 女房 語ら ひ出 して
︑臥 さん
﹂と いひ けれ ば︑ 男あ るじ はな くて
︑妻 斗︵ ばか り︶ あり ける が︑
﹁い と︑ やす き事
﹂と て︑ をの れが 臥す 所よ りほ かに
︑臥 べき 所の なか りけ れば
︑我 臥し 所を さり て︑ 女房 の局 の畳 をと りよ せて
︑寝 にけ り︒ 家あ るじ の男
︑我 妻の みそ か男 する と聞 きて
︑﹁ その みそ か男
︑こ よひ なん 逢ん とか まふ る﹂ と告 ぐる 人あ りけ れば
︑来 んを かま へて 殺さ んと 思て
︑妻 には
﹁遠 く物 へ行 て︑ 今︑ 四五 日︑ 帰ま じき
﹂と いひ て︑ 空行 きを して
︑う かゞ ふ⑧
︒ とあ る︒ この 事例 は︑ 博士 とは いえ 大学 頭と いう 身分 の男 が︑ まだ 若か った 時の こと とす る︒
﹁宮 仕け る女 房﹂ に求 愛す るに あた って
﹁下 種の 家﹂ を借 りる
︒と ころ が家 主は
︑自 分の 妻が 浮気 をし てい ると 誤解 する
︒つ まり
︑﹃ 宇治
﹄第 一七 九話 にお いて
︑新 羅国 の后 の過 ちが
︑大 学頭 の借 りた 家の 主の 妻の あや まち とが
︑同﹅ 列﹅ に﹅
﹁み そか 男﹂ と表 現さ れて いる ので ある
︒ ちな みに
︑こ れと 同話 とさ れる
﹃今 昔﹄ 巻第 二六
﹁藤 原明 衡朝 臣︑ 若時 行女 許語 第四
﹂に は︑
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ 新羅 国后 考
七一
而ル ニ︑ 其ノ 家ノ 男ハ
︑﹁ 我ガ 妻ノ 女︑ 他ノ 男ニ 竊ニ 娶グ 也﹂ ト聞 ケル ニ︑
﹁其 ノ蜜 男︵ マヲ トコ
︶︑ 今夜 ナム 構ヘ テ合 ハム ト 為ル
﹂ト 告ル 人有 ケレ バ︑
﹁構 テ其 ヲ伺 テ殺 ム﹂ ト思 テ︑ 妻ニ ハ︑ 遠キ 所ニ 行テ
︑今 四五 日ハ 不来 由ヲ 云ヒ 令知 テ︑ 虚行 ヲシ テ伺 フ所 ニテ ゾ有 ケル
︒︵ 略︶
﹁我 ガ妻 ノ女 ノ許 ニ︑ 此様 ノ指 貫 着タ ル人 ハ蜜 男︵ マヲ トコ
︶ト テ不 来者 ヲ⑨
︒ とあ る︒ この
﹁密 男﹂ につ いて
︑旧 大系 は﹁ よみ は︑ 古本 説話 集
﹁密 夫﹂ の普 通の 訓及 び 一一 の﹁ 間男
﹂に よる
︒宇 治の
﹁み そか 男﹂ は︑ 宇津 保物 語・ 後撰 集に 見え る同 語と 共に
︑か な文 学系 の用 語︒
﹁蜜
﹂は
︑﹁ 密﹂ の通 字﹂ と注 して いる
︵頭 注七⑩
︶︒ そう であ れ ば︑ 旧大 系が 与え た﹁ マヲ トコ
﹂と いう 訓み は︑
﹁ミ ソカ ヲト コ﹂ と訓 むこ とも 不可 能で はな い⑪
︒
︵
︶﹃ 今昔 物語 集﹄ の﹁ 咎﹂ 比較 表の に つい て︑
﹃今 昔﹄ は︑ 処罰 され た后 が︑ 今自 らの 置 かれ てい る状 況を
﹁我 レ︑ 此ク 難堪 キ咎 ヲ蒙 ル﹂ と理 解す る︒ これ に対 して
︑﹃ 宇治
﹄は
︑﹁ かゝ るか なし き目 を見
﹂る こと と理 解す る︒ この 表現 の違 いは 何を 意味 する ので あろ うか
︒ ここ で︑
﹃今 昔﹄ にお ける
﹁咎
﹂の 用例 を瞥 見し てお きた い︒ 漢 字表 記か らす ると
﹃今 昔﹄ は︑
﹁咎
﹂﹁ 過﹂
﹁失
﹂﹁ 非﹂ とい う四 種類
の漢 字に 対し て︑ いず れも トガ とい う訓 みが 与え られ てい る︒ 紙幅 の関 係か ら︑
﹃今 昔﹄ にお ける
﹁咎
﹂﹁ 過﹂ に限 って
︑天 竺部
・震 旦 部を 中心 に用 法の 明確 な典 型的 事例 を見 てみ よう
︒ まず
﹁咎
﹂か ら︒
① 王此 ノ事 ヲ聞 給テ 思ス 様︑
﹁太 子ト 憂陀 夷ト ノミ 此レ ヲ見 テ︑ 余ノ 人皆 此レ ヲ不 見ザ リケ リ︒ 定メ テ此 レ天 ノ現 ゼル 也︒ 諸ノ 臣 ノ咎 ニ非 ズ︒ 阿私 陀ノ 云シ ニ違 フ事 無﹂ ト思 シテ
︑大 ニ嘆 キ悲 ビ 給テ
︑日 々ニ 人ヲ 奉リ テ太 子ヲ 誘テ 宣ハ ク︑ (巻 第一
﹁悉 達太 子在 城受 楽語 第三
﹂) 死人 のあ った こと を﹁ 定メ テ此 レ天 ノ現 ゼル 也﹂ と認 識す るの は︑ 天の 示す 凶兆 とし ての 咎徴 と捉 える から であ る︒ だか ら﹁ 諸ノ 臣ノ 咎ニ 非ズ
﹂と 言え るの であ る︒ この 事例 は︑
﹁咎
﹂の 用字 法に ふさ わし い︒
② 今昔
︑天 竺ノ 舎衛 国ニ 五百 ノ群 賊有 リ︒ 重キ 咎有 テ︑ 波斯 匿王 此ノ 群賊 ヲ皆 捕ヘ テ︑ 各目 捿︵ クジ
︶リ 手足 ヲ切 テ︑ 高禅 山ト 云 フ山 ノ扶
︵フ モト
︶ニ 追ヒ 棄タ リ︒ (巻 第一
﹁舎 衛国 五百 群賊 語第 三八
﹂) この 事例 は︑ 処罰 の対 象と して の﹁ 咎﹂ であ り︑ 法的 な文 脈に おけ る用 例と 見做 せる
︒
③ 国王
︑﹁ 我レ 愚ニ シテ 孝子 ヲ殺 ムト 思ヒ ケリ
﹂願 クハ 十方 ノ仏
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ 新羅 国后 考
七二
ケ︑ 此ノ 咎ヲ 免シ 給へ
﹂ト 申シ 給テ
︑女 ニ宣 ハク
︑﹁ 我ガ 太子 ノ 物ヲ 云フ 事ハ 汝ガ 徳也
﹂ト 宣テ
︑ (巻 第四
﹁天 竺貧 女書 写法 花経 語第 四〇
﹂) この 事例 は︑ 孝子 を殺 害し よう とし たこ とを いう
︒
④
⑤而 ルニ
︑亦
︑師 弁ガ 年来 ノ妻 有テ
︑強 ニ肉 食ヲ 勧ム ルニ 依テ
︑ 亦食 シツ
︒其 ノ度 ハ久 ク其 ノ咎 無シ ト云 ヘド モ︑ 遂ニ 其ノ 後五 六 年ヲ 過テ
︑師 弁ガ 鼻ニ 大キ ナル 瘡出 ヌ︒ 日来 ヲ経 ルニ
︑大 ニ乱 レ テ︑ 死ヌ ルニ 及ブ マデ 癒ル 事無 シ︒ 此レ
︑偏 ニ戒 ヲ破 レル 咎也 ト 知テ
︑
︵巻 第七
﹁震 旦邵 師弁 活持 戒語 第四 七﹂ ) 新大 系は
﹃冥 報記
﹄が
﹁無
㆑験
﹂で ある と注 する
︒す なわ ち﹁ 咎無 シ﹂ は﹃ 今昔
﹄の 独自 の表 現と いえ る︒ また 新大 系は
︑﹁ 此レ
﹂以 下が
﹁恐 怖ノ 情︑ 本集 の強 調﹂ であ ると し︑
﹃冥 報記
﹄が
﹁或 恐以
㆓
破戒
㆒之 故也
﹂と する と注 する⑫
︒こ の④
⑤の 事例 が︑
﹃冥 報記
﹄と は異 なる
﹃今 昔﹄ 独自 の表 現で ある
︒す なわ ち⑤ の事 例は
︑鼻 の瘡 が戒 律を 破っ たこ との 徴と して 現れ たも ので ある こと を示 す︒ ここ では
﹁咎
﹂は 徴の 義で ある
︒
⑥ 慶植
︑此 レヲ 聞テ
︑泣 キ悲 ムデ
︑歎 キ迷
︵マ ド︶ ヒケ ル程 ニ︑ 日来 ヲ経 テ病 ニ成 テ死 ニケ レバ
︑行 ムト 為ル 所へ モ不 行ズ 成リ ニ ケリ
︒此 レヲ 以テ 思フ ニ︑ 飲食 ニ依 テノ 咎也
︒ (巻 第九
﹁震 旦隋 代人 得母 成馬 泣悲 語第 一七
﹂)
この 事例 は︑
﹁飲 食ニ 依テ ノ咎 也﹂ とあ るか ら︑ 結果 をい うも のと 見做 せる
︒徴 候の 義と いえ る︒
⑦ 此レ
︑偏 へニ 年来 ノ殺 生ノ 咎ニ 依テ 現報 ヲ致 セル 故ニ
︑鷹 ノ嘴
︵ハ シ︶ ヲ具 セル 男子 ヲ令 生メ タル 也ト ナム 人語 リ伝 ヘタ ルト ヤ︒ (巻 第九
﹁震 旦睳 仁叉 願知 冥道 事語 第三 六﹂ ) この 事例 は︑ 妻が 異貌 を備 えた 子を 産ん だこ とに つい て︑ それ は
﹁年 来ノ 殺生 ノ咎 ニ依 テ﹂ 現じ たこ とだ と捉 えて いる
︒こ の事 例は 罪と いう 義に 近い 用法 であ る︒ それ では
︑次 に﹁ 過﹂ の用 法に つい て見 よう
︒
① 其ノ 家ニ 一人 ノ婢 有リ
︒少 ノ過 有テ
︑長 者此 レヲ 打チ 縛バ テ︑ 倉ニ 籠テ 衣ヲ 不令 着ズ
︑食 ヲ不 与ズ シテ
︑僅 ニ少 ノ水 許ヲ 与ヘ テ 置タ リ︒
(巻 第一
﹁婢 依迦 旃延 教化 生天 報恩 語第 七﹂ ) 婢は 長者 から
﹁少 ノ過
﹂に よっ て︑ 打た れた り縛 られ たり とい った 処罰 を受 けて いる
︒す なわ ちこ の﹁ 過﹂ は︑ 処罰 の対 象と なる 事柄 を示 すも ので ある
︒
②
﹁前 世ノ 殺生 ノ罪 ニ依 テ地 獄ニ 堕ヌ
︒現 在ニ 呪誓 ノ過 ニ依 テ悪 報ヲ 受ク
﹂︒ 微妙 自ラ
︑﹁ 昔ノ 本ノ 妻ハ
︑今 我ガ 身此 レ也
︒羅 漢果 ヲ得 タリ ト云 へド モ︑ 常ニ 熱鉄 ノ針
︑頂 ノ上 ヨリ 入テ 足ノ 下ニ 出 ヌ︒ 昼夜 ニ此 苦患 難堪 シ﹂ ト語 ケリ ( ︒ 巻第 二﹁ 微妙 比丘 尼第 三一
﹂)
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ 新羅 国后 考
七三
新大 系は
﹁仏 神を あざ むい て無 実を 言い 立て た罪
﹂と 注す る︒
③ 若シ 尊者
︑閻 浮ニ 返リ 給ハ ム時 キ︑ 我ガ 形ヲ 以テ 諸ノ 比丘 ニ告 テ︑ 善ク 口ノ 過ヲ 助ケ テ妄 語ヲ 出ス 事無 カレ
︒
︵巻 第二
﹁満 足尊 者至 餓鬼 界第 三七
﹂) 新大 系は
﹁口 ノ過
﹂に つい て﹁ 口が 犯す 罪過 で︑ 妄語
・両 舌︵ 二枚 舌︶
・悪 口・ 綺語
︵卑 猥語
︶の 四つ とさ れる
﹂と 注す る︒
④
⑤今 昔︑ 天竺 ニ一 人ノ 人有 リ︒ 国王 ノ為 ニ犯 ヲ成 シテ
︑其 ノ過 ヲ負 ヘリ
︒国 王此 ノ人 ヲ捕 ヘテ
︑頸 ヲ切 ラム ト為 ル程 ニ︑
︵略
︶ 其ノ 時ニ
︑国 王此 ノ人 ノ過 ヲ免 シテ
︑三 宝ニ 帰依 シ奉 ル事 無限 シ︒
︵巻 第四
﹁為 国王 負過 人供 養三 宝免 害語 第二 二﹂ ) 新大 系は
﹁国 王に 対し て罪 を犯 して
﹂と 訳出 し﹁ 在家 信者 だっ た厨 士は
︑国 王か ら命 じら れた が︑ 殺生 戒を 守っ て王 命を 拒ん だ罪 とい う﹂ と注 して いる
︒過 は罪 であ るが
︑仏 教に おけ る戒 律違 反の 罪の 義で ある
︒
⑥
⑦正 法蔵 ニ問 テ云 ク︑
﹁汝 ガ病 ハ︑ 過去 ニ汝 ヂ国 王ト 有リ シ時
︑ 多ノ 人民 ヲ悩 セリ シニ 依テ
︑今
︑其 ノ法 ヲ感 ゼル 也︒ 速ニ 昔ノ 過 ヲ観 ジテ 懺悔 ヲ至 サバ
︑其 ノ罪 ヲ除 テム
﹂ト
︒我 レ︑ 其ノ 言ヲ 聞 キ畢 テ︑ 礼拝 シテ 過ヲ 悔フ
︒ (巻 第六
﹁玄 奘三 蔵渡 天竺 伝法 帰来 語第 六﹂ )
﹁速 ニ昔 ノ過 ヲ観 ジテ
﹂に つい て︑ 新大 系は
﹁﹃ 咎﹄ に同 じ﹂ と注 す
る︒ この 文脈 では
︑﹁ 過ヲ 観ジ
﹂る べき もの であ り﹁ 礼拝 シテ 過ヲ 悔フ
﹂べ きも ので ある
︒先 に用 例を 検討 した こと から すれ ば︑ 過は むし ろ罪 に近 い意 であ る︒
﹃今 昔﹄ は︑
﹁咎
﹂か ら﹁ 祈禱
﹂︑ そし て
﹁救 済﹂ へと 儀礼 性が 貫か れて いる
︒
⑧ 而ル ニ︑ 冥途 ニ至 テ︑ 罪ヲ 勘ヘ テ︑ 牛ノ 身ニ 成ラ ムト ス︒ 其ノ 時ニ
︑侯 均訴 テ云 ク︑
﹁我 レ︑ 昔︑ 師ノ 所ニ シテ 戒ヲ 受ケ キ︒ 亦︑ 薬師 経ヲ 受持 シキ
︒亦
︑薬 師ノ 形像 ヲ造 リ奉 レリ
︒我 レ︑ 何ゾ 過 無ク シテ
︑牛 ノ身 ト成 テ苦 ヲ受 ケン
﹂ト
︒ (巻 第六
﹁震 旦夏 ノ侯 均造 薬師 像得 活語 第二 四﹂ ) この 事例 は︑ 堕地 獄の 因と なる 罪の 義で ある
︒
⑨
﹁貞 観十 一年 ニ︑ 法義 ガ父 ノ使
︑禾 ヲ苅 ル︒ 法義
︑即 チ目 ヲ見 張テ 私︵ ヒソ カ︶ ニ罵 テ︑ 不孝 也︒ 過︑ 杖八 十ナ ルベ シ﹂
︒
︵巻 七﹁ 震旦 華洲 張法 義依 懺悔 活語 第四 八﹂ ) この 事例 は︑
﹁杖 八十
﹂の 体罰 を必 要と する 罪過 の義 であ る︒
⑩ 而ル 間︑ 此ノ 女子
︑一 月余
︑更 ニ不 飲食 ズシ テ遂 ニ死 ヌ︒ 父母 悲ミ 難ク ト云 ヘド モ︑ 力不 及ズ
︒此 レ偏 ニ年 来ノ 殺生 ノ過 也ト 思 テ︑ 其ノ 後ハ 年来 ノ殺 生ノ 罪ヲ 悔ヒ 悲テ
︑永 ク殺 生ヲ 止メ テ︑ 家 挙テ 戒ヲ 持シ 善ヲ 行ジ ケリ
︒ (巻 第九
﹁震 旦韓 伯瑜 負母 杖泣 悲語 第一 一﹂ ) この 事例 も︑ 戒律 違反 の罪 の義 であ る︒
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ 新羅 国后 考
七四
すな わち
﹃今 昔﹄ にお ける
﹁咎
﹂は
︑吉 兆と して の休 徴に 対し て 凶兆 であ る咎 徴の 義を 原﹅ 義﹅ とす るの に対 して
︑﹁ 過﹂ は法 的処 罰や 宗教 的な 罪過 を意 味す る︒ 派生 的な 用法 にお いて
︑﹁ 咎﹂ と﹁ 過﹂ との 意味 する とこ ろの 交差 する 事例 もあ るが
︑仏 教説 話集 であ る
﹃今 昔﹄ の用 語に は︑ 原﹅ 則﹅ 的﹅ に﹅ 使い 分け があ ると いえ る︒ その こと から すれ ば︑
﹃宇 治﹄ にお いて は︑ 后は わが 行動 につ い て反 省す るこ とは な﹅ く﹅
︑た だ﹁ かな しき 目﹂ と感 じて いる にす ぎな い︒ 心情 的な もの が救 いの 契機 とな ると ころ に﹃ 宇治
﹄の 特質 があ る︒ ただ
︑見 方を 変え れば
﹁か なし き目 を見
﹂る とい う表 現は
︑平 安時 代の 物﹅ 語﹅ 的﹅ 表﹅ 現﹅ だと もい える
︒﹃ 今昔
﹄の
﹁国 王﹂ に対 して
﹃宇 治﹄ は﹁ 御門
﹂と 和文 化さ れて いる こと とも 対応 して いる だろ う︒
︵
︶﹃ 宇治 拾遺 物語
﹄と
﹃今 昔物 語集
﹄と の間 にお ける 他の 異同
﹃今 昔﹄ は︑
﹁忍﹅ テ﹅ 竊﹅ ニ﹅ 人ニ 通ジ
﹂た 后を
︑観 音が 許す
︒な ぜな ら﹁ 菩薩 ノ慈 悲ハ
︑深 キ事 大海 ヨリ モ深 ク︑ 広キ 事世 界ヨ リモ 広 シ﹂ だか らで ある とい う︒ これ に対 して
﹃宇 治﹄ も︑
﹁密 男を まう け﹂ た后 を観 音が 許す
︒な ぜな ら﹁ 菩薩 の御 慈悲
︑此 国ま で聞 えて
︑ はか りな し﹂ だか らで ある とい う︒ 45
﹃今 昔﹄ は︑
﹁然 レバ
︑后
︑﹁ 此レ
︑我 ガ念 ジ奉 レル ニ依 テ︑ 観
音ノ 助ケ 給フ 也﹂ と観 音の 霊験 が強 調さ れて いる
︒と ころ が﹃ 宇 治﹄ には この 条が ない
︒ま た︑ は と 同様 で︑
﹃今 昔﹄ は︑
﹁后
︑
﹁偏 ニ︑ 此レ
︑長 谷ノ 観音 ノ助 ゾ﹂ ト知 テ﹂ 観音 の霊 験が 強調 され てい る︒ とこ ろが
﹃宇 治﹄ には この 条も ない
︒ 観音 の顕 現と 救済 につ いて
︑后 は宝 物を 長谷 寺に 奉納 する
︒
﹃今 昔﹄ は﹁ 日本 ニ送 テ長 谷ノ 観音 ニ奉 ル﹂ とい う︒
﹃宇 治﹄ は︑
﹁長 谷寺 に奉 り給
﹂と いう
︒ これ は
・ と同 様︑
﹃今 昔﹄ は︑
﹁実 ニ長 谷ノ 観音 ノ霊 験不 思 議也
﹂と
︑観 音の 霊験 が繰 り返 し強 調さ れて いる
︒ま た﹃ 宇治
﹄に はこ の条 はな い︒
﹃今 昔﹄
﹃宇 治﹄ とも に長 谷寺 観音 が﹁ 他国 の人 も﹂ 霊験 があ る こと をい うが
︑﹁ 他国 の人
﹂に 新羅 国后 も含 まれ てい る︒
﹃今 昔﹄ は︑ 独自 に﹁ 人専 ニ歩 ヲ運 ビ︑ 首ヲ 傾テ 礼拝 シ可 奉シ トナ ム語 リ伝 ヘタ ルト ヤ﹂ とい う話 末評 語を もつ
︒広 く貴 賤道 俗の 信仰 を集 めて いる こと をい う︒ 以上 のよ うに
︑﹃ 宇治
﹄は
﹁后 おは しけ り﹂ と敬 語を 用い てい な がら
︑﹁ 密男 をま うけ てけ り﹂ と︑ ここ には 敬語 がな い︒ 物語 自身 が︑ 后の 密男 を非 難し てい ると いえ る︒ にも かか わら ず︑ 后は 長谷 観音 によ って 許さ れる
︒し かも
︑懺 悔も 悔過 もな く︑ ただ
﹁心 のう ちに 思給 ける
﹂こ とだ けで
﹁頼 みを かけ 奉ら ば︑ など てか は助 給は
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ 新羅 国后 考
七五
ざら ん﹂ と思 って
﹁目 をひ さぎ て︑ 念じ 入給
﹂う ただ けで ある
︒こ こに は言 挙げ もな く︑ 誓約
︵う けひ
︶も なく
︑念 仏も ない
︒ 要す るに
︑﹃ 宇治
﹄は
︑﹁ 困っ たと きの 神頼 み﹂ とも いう べき
︑何 でも 許す とい う観 音の 心の 広さ を顕 彰し てい る︒ これ は﹃ 今昔
﹄の 考え るよ うな 厳密 な意 味で はな いが
︑世 俗に おけ る信 仰の 形と いう こと がで きる
︒ もう ひと つ﹃ 宇治
﹄の 要点 は︑
﹁他 国の 人も しる し蒙 らず とい ふ 事な し﹂ であ る︒
﹁吉 備真 備﹂ の伝 説に もあ るよ うに
︑長 谷観 音の 霊験 は異 国に あっ ても 変わ らな いと いう 信仰 であ る⑬
︒ 三 類似 説話
﹃長 谷寺 霊験 記﹄ との 比較 一方
︑類 似説 話と され る﹃ 霊験 記﹄ 上巻 第一 二の 内容 は次 のよ う であ る︒ 紙幅 の都 合上
︑概 要を 記す
︒
「村 上天 皇御 宇﹂
﹁新 羅ノ 国﹂ に﹁ 照明 王﹂ がい た︒ 帝王 は﹁ 容 顔﹂ の優 れた 第一 の后 を寵 愛し た︒ 時に
﹁近 臣﹂ に﹁ 義顕
﹂が いた
︒ 折し も﹁ 隣国
﹂か ら﹁ 新羅 国﹂ が攻 撃を 受け た︒
﹁帝 王﹂ は義 顕を
﹁后 ノ御 宮仕
﹂と して 残し
︑戦 さに 出掛 けた
︒つ いに 義顕 は﹁ 忍テ 后ヲ 犯奉 ル﹂ こと にな る︒
﹁御 門﹂ は﹁ 逆鱗
﹂し て﹁ 后ノ ミヅ ラ﹂ を括 り︑ 地上
﹁四
︑五 尺許
﹂の 高さ に吊 り下 げた
︒后 は﹁ 今ハ 人ノ 力︑ 及ベ キニ 非ズ
﹂だ から
﹁仏 神ニ 祈申 バヤ
﹂と 考え て﹁ 深ク 帰依
シ給 ヘル 僧﹂ に相 談し た︒ 僧は
﹁是 ヨリ 東遥 ニ去 日本 ト云 国﹂ に
﹁長 谷﹂ とい う﹁ 観音 利生 ノ霊 場﹂ があ る︒ 早く 日本 に向 かい
﹁一 心ニ 祈﹅ 念﹅ シ給 ヘ﹂ と進 言し た︒ そこ で︑ 后は
︑﹁ 深ク 信ヲ 取テ
︑目 ヲヒ シギ 掌ヲ 合テ 祈﹅ 念﹅ シテ 云ク
①﹁ 菩薩 ノ悲 願ハ 大海 ヨリ モ深 ク︑ 虚空 ヨリ モ広 シ︒ 中ニ モ長 谷ノ 観音 ハ威 験ヨ ニ勝 レ大 悲普 ク施 ス︒ 他国 トテ 捨給 事ナ ク︑ 我苦 ヲ除 給ヘ
﹂ト 泣々 申サ セ給 ヘバ
︑ 忽然 とし て﹁ 童子
﹂が 現れ
︑﹁ 金榻
﹂を 出し て后 の足 に踏 ませ た︒ この 童子 は食 物を 用意 し﹁ 菩薩 ノ助
﹂も あっ て后 は元 気を 戻し た︒
﹁帝 王﹂ が様 子を 見に 行く と︑ 后と 出会 った ころ を思 い出 し︑ 后を 赦し た︒ 后か ら事 情を 聞い た王 は︑
﹁長 谷寺 ノ御 利生
﹂と
﹁深 ク帰 依﹂ した
︒王 は使 者を 遣し て﹁ 天暦 六年
︵壬 子︶ 歳︑ 春三 月ノ 比﹂ に﹁ 三十 三ノ 宝物
﹂を 贈っ た︒
②其 状云
︑﹁ 大極 皇后 献ズ 宝財 ヲ于 粟支 神国 摩阿 舎那 山長 谷寺 之 寺ニ 上︒ 跪讃
/嚢 風テ 霊徳 ヲ㆒
︑親 拠㆓
苦身 ヲ㆒
︑竊 冀㆓
天命 ヲ㆒
︑果 施ス
㆓威 神ヲ
㆒︑ 生仏 雖モ
㆑尊 ト︑ 無縁 ヲバ 不㆑
救︑ 貴哉 誡哉
︑秘 石ノ 尊容
︑霊 威通 哲︑ 遠ク 来ル
㆓疎 国ニ
㆒︑ 答ル ニ㆑
之ヲ 無シ
㆑由 シ︑ 只伝 テ㆓
風気 ヲ㆒
︑聊 カ送 ル㆓
宝財 ヲ㆒
︑数 成ス
㆓本 誓ヲ
㆒︑ 迥述 ブニ 其志 ヲ㆒
︑薩 埵納 受シ 玉ヘ
︑幸 中六 年二 月日 とい う︒ その
﹁三 十三 ノ宝 物﹂ とい うの は︑
③花 瓶・ 火舎
・閼 伽・ 錫杖
・大 鈴・ 大磐
・大 鏡・ 栴檀 香・ 沈水
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ 新羅 国后 考
七六
香・ 蘇合 香・ 麝香
・金 簾・ 銀花
・瑠 璃灯 爐・ 瑪瑙 鉢・ 車渠 盥・ 馬瑙 鉢・ 水玉
・火 玉・ 真珠 瓔珞
・豹 皮・ 虎皮
・象 牙・ 犀角
・螺 貝・ 龍 鬚・ 師子 頭・ 孔雀 尾・ 羊毛 莚・ 三枝 丈・ 七穴 石・ 二寸 丁子
・一 寸 米・ 土用 桶︹ 土用 桶ト ハ何 哉︒ フシ ン〕
④此 等ノ 物︑ 度々 廻禄 ニ焼 ト雖 猶︑ 金簾
・銀 花・ 馬瑙 鉢・ 龍鬚 ナム ドハ 今ニ 残レ リ︒ とい う︒ 観音 を﹁ 実︵ マコ ト︶ ヲ至 シテ 念ジ 奉ル 人﹂ は﹁ 異国 他国
﹂ まで 及ぶ
︒以 上は
﹁此 山ノ 流記
﹂に 見え る︑ 云々⑭
とい う内 容で ある
︒ 周知 のよ うに
﹃霊 験記
﹄の 正確 な成 立年 代︑ 成立 過程 は未 詳で あ る︒ 鎌倉 初期 の成 立と すれ ば︑
﹃宇 治﹄
﹃今 昔﹄ とは
︑成 立時 代の 近 いテ キス トと して 比較 にふ さわ しい
︒分 析の 手続 き上
︑ま ず表 現に 即し て事 項群 を取 り出 し︑ さら に基 本的 な事 項群 を取 り出 すこ とが 丁寧 な手 順で あろ う︒
﹃霊 験記
﹄と
﹃宇 治﹄ を基 本的 事項 群に おい て簡 潔に 比較 して みよ う︒
﹃長 谷寺 霊験 記﹄ 上巻 第一 二
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ 第一 七九 話 新羅 国に 照明 王が いた
︒ 第一 の后 は容 貌に おい て優 れて いた
︒
新羅 国に 后が いた
︒
︵后 を︶ 見る 人は 誰も が心 動い た︒ 近臣 義顕 は︑ 后に 仕え た︒ 隣国 が新 羅国 を攻 めて きた
︒ 帝王 は戦 に向 かっ た︒ 義顕 は后 を犯 した
︒
后は 密男 をも うけ た︒ 帝王 はこ とを 知り
︑怒 った
︒
︵帝 王は
︶后 を木 に釣 り下 げた
︒
御門 はこ とを 聞い て︑ 后を 捕え
︑髪 に縄 を付 けて 釣り 上げ た︒ 后は
︑僧 に助 けを 求め た︒ 僧は 后に 長谷 観音 を祈 念せ よと 后に 申し 上げ た︒
后は 長谷 観音 に願 をか けれ ば助 けて くれ ると 考え た︒ 后は 祈念 した
︒①
后が 目を 閉じ て祈 念し た︒ 童子 が出 現し て︑ 后の 足下 に金 榻を 踏ま せた
︒
金の 榻が 出現 して
︑后 の足 下に 金榻 を踏 ませ た︒ 金の 榻を 踏ん で立 つと
︑苦 しみ はな かっ た︒ 誰に も童 子も 金榻 も見 えな かっ た︒
誰に も金 榻は 見え なか った
︒ 帝王 は后 を見 て︑ 悔過 して 免し た︒
数日 後︑ 后は 許さ れた
︒
︵后 は帝 王に
︶事 実を 答え た︒ 帝王 は長 谷観 音に 帰依 した
︒
︵帝 王の 書状 の内 容︶
②③
後に 后は
︑使 を派 遣し て宝 物を 長谷 寺に 送っ た︒
︵帝 王の
︶献 上物 は現 在に 伝わ る︒
④
その 中の 大鈴
︑鏡
︑金 の簾 は今 に伝 わる
︒
︵長 谷寺 の観 音の 不思 議︶ 誠を 致し て念 じれ ば異 国で も︵ 霊験 は︶ あら たか であ る︒
かの 観音 を念 じれ ば︑ 他国 の人 の験 があ る︒
︵以 上の こと は︶ 流記 に見 える
︒ わが 国は 因縁 の深 い地 であ る︒
事項 から する と︑
﹃霊 験記
﹄の 特徴 は︑
①か ら④ の詳 細な 記事 に 集約 され てい る︒ すな わち
①后 の祈 念が
︑祈﹅ 請﹅ 文﹅ その もの をも って 記録 され てい るこ と︒ また
︑② 后の 布施 が︑ 仏前 に跪 いて 行な う讃﹅ の﹅ 言﹅ 葉﹅ その もの をも って 記録 され てい るこ とに ある
︒し かも
︑③
④ 施入 され た三﹅ 宝﹅ がど のよ うな もの か︑ 具﹅ 体﹅ 的﹅ に﹅ 列挙 され てい るこ と にあ る︒ 一方
︑表 現か らみ ると
︑﹃ 霊験 記﹄ は﹁ 忍テ 后ヲ 犯シ 奉ル
﹂と 表
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ 新羅 国后 考
七七
現さ れて いて
︑義 顕の 方に 后を あや まつ 責を 求め る︒ 主語 は男 にあ る︒ さら に︑ 帝王 が后 を許 す経 過は
︑﹁ 武ク ハゲ シキ 御心 ニモ
︑昔 ノ情 ヲ思 出テ
﹂出 御し
︑﹁ ナツ カシ ウヲ ボシ メサ ルレ バ﹂
﹁情 無フ 罪 シツ ル事 ヲ悔 テ我 御過 ニ成 シテ
﹂許 すこ とに なる
︒さ らに
﹁帝 モ深 ク帰 依シ 給ケ リ﹂ とあ り︑
﹃霊 験記
﹄は 帝の 信仰 と布 施を 描く
︒い わば 帝の 発心 譚と して 描く とこ ろに 特徴 があ る︒ そう であ れば
︑﹃ 宇治
﹄に
︑祈 請文 にも
︑讃 の言 葉に も︑ 施入 の 品物 にも 興味 のな いこ とが 明ら かに なる
︒ まと めに かえ て
﹃霊 験記
﹄が
﹃今 昔﹄ や﹃ 宇治
﹄と どの よう な関 係に 立つ のか は 不明 であ る⑮
︒つ まり
︑今 指摘 でき るこ とは
︑三 者の 間に 共有 され て いる 枠組 みと
︑表 現及 び構 成の 異同 であ る︒ その 中で
︑こ の説 話の 場合
︑特 に大 きな 問題 は︑ 誰が 中心 人物 か が異 なる こと であ る︒ 例え ば︑
﹃霊 験記
﹄は 帝を 主語 とし て叙 述す るが
︑﹃ 宇治
﹄は 后を 主語 とし て叙 述す る︒
﹃霊 験記
﹄は 僧が 后に 長谷 寺観 音の 利益 を説 き︑ 祈念 する こと を勧 める が︑
﹃宇 治﹄ は后 が︑ なぜ かす でに 長谷 寺観 音の 霊験 を信 じて おり
︑教 えら れる こと もな くみ ずか ら祈 念し てい る︒
しか も︑ 末尾 は﹃ 霊験 記﹄ は︑ 后の みな らず 帝の 信仰 を顕 彰す る が︑
﹃今 昔﹄ は貴 賤道 俗の 信仰 を広 く集 めた こと をい う︒ その よう に考 えて くる と︑ 帝を 主語 とす る﹃ 今昔
﹄や
﹃霊 験記
﹄ に比 べて
︑﹃ 宇治
﹄は 女性 の后 を主 語と して 叙述 する こと によ って
︑
﹁新 たな
﹂説 話を 生み 出し てい ると いえ る︒ すな わち
︑﹃ 宇治
﹄と
﹃今 昔﹄ とが 双方 とも
︑共 通の 祖と 想定 され てい る﹃ 宇治 大納 言物 語﹄ から 分岐 した テキ スト であ ると すれ ば︑ 誰を 中心 人物 とす るか
︑ 焦点 を当 てる 人物 を変 えて 語り 直す こと によ って 説話 は新 たに 生成 され ると いえ る︒ 注
①
三木 紀人・浅 見和 彦校 注﹃ 新日 本古 典文 学大 系 宇治 拾遺 物語
﹄岩 波 書店
︑一 九九
〇年
︑三 五五
~六 頁︒ 本文 は新 大系 の本 文校 訂に 従い
︑表 記の まま とし た︒
②
中島 悦次﹃宇 治拾 遺物 語全 註解
﹄有 精堂
︑一 九七
〇年
︑五 二七 頁︒
③
①
に 同じ︑五 三二 頁︒
④
小林 保治・増 古和 子校 注・ 訳﹃ 新編 日本 古典 文学 全集
宇治 拾遺 物 語﹄ 小学 館︑ 一九 六〇 年︑ 四三 九頁
︒ち なみ に︑ 池上 洵一 氏が
﹃霊 験 記﹄ 一九 話中 五話 が﹁ 対外 霊験 譚﹂ であ るこ とに 注目 し︑
﹁長 谷寺 にお ける 対外 霊験 の強 調﹂ が﹃ 霊験 記﹄ だけ の特 徴で はな く︑
﹃三 宝絵
﹄の 時代 から 建保
・弘 安の 時代 に至 る﹁ 寺の 基本 戦略
﹂で あっ たと され る︒ 特に 馬頭 夫人 の説 話を 重視 され てい る︵
﹁長 谷寺 対外 霊験 譚の 構造
﹂﹃ 国 文論 叢﹄ 第三 六号
︑二
〇〇 六年 七月
︶︒ なぜ 主人 公が 后な のか
︑后 をめ
﹃宇 治拾 遺物 語﹄ 新羅 国后 考
七八