ルポミシュ』をめぐって
著者 ハルミルザエヴァ サイダ
出版者 法政大学国際日本学研究所
雑誌名 国際日本学
巻 17
ページ 139‑160
発行年 2020‑03‑25
URL http://doi.org/10.15002/00023218
ハルミルザエヴァ・サイダ
はじめに
夫が長く家を空けている隙に、他の男がその妻に求婚する。しかし、帰還し た夫が求婚者を追い払い、妻を救う。口承文芸理論では、こうしたモチーフを 持つ伝承を、<帰還した夫> ‘Homecoming husband’ と呼ばれる話型(ATU974 番)に分類する。この話型の伝承には、例えば、古代ギリシアの『オデュッセ イア』、中央アジアの『アルポミシュ』、日本の『百合若大臣』等が該当し、こ れらが時空を超えて広く世界に分布している。こうした類話の広がりを如何に 説明できるだろうか。諸民族の類話は、民族から民族へと受け継がれてきたか、
それとも人間共通の思念・感性によって作り出された普遍的な現象であろう か。
筆者は、ここ数年の間、日本の『百合若大臣』をはじめ、話型<帰還した 夫>を持つ各地の類話を蒐集・研究してきた。そして、これらの<帰還した 夫>の分析結果や英語圏、ロシア語圏、漢字文化圏の研究成果を踏まえ、中央 アジアの『アルポミシュ』が各地の話型<帰還した夫>の成立過程を理解す る上で重要な要素であることに辿り着いた。それぞれの伝承の起源を追求し ていくと、隣接する地域の伝承との繋がりと伝播経路が見えてくる。その伝 播は民族移動や宗教思想の普及によるものとして説明できる場合が多い。筆 者がこれまで分析・研究してきた<帰還した夫>の中でも、『ゲセル』(1)と『ア ルポミシュ』という伝承が、アジア大陸(2)の幅広い地域に流布し、今日でも 口頭で語り継がれている点で特に興味深い対象である。
本稿では、話型<帰還した夫>の成立・伝播といった大きな研究課題の一
アジア大陸の<帰還した夫>
― 『ゲセル』と『アルポミシュ』をめぐって
環として、アジア大陸の<帰還した夫>である『ゲセル』と『アルポミシュ』
の相互関係について考察したい。
Ⅰ .『アルポミシュ』について
『アルポミシュ』(Alpomish)は、ウズベキスタン、カザフスタン、タタル スタン、トルコ等、広大なユーラシアの大地に伝わった英雄叙事詩である(3)。『ア ルポミシュ』は、古くから口頭で語り継がれてきた。その詞章は、19 世紀末 頃から記録される(4)ようになり、現在、複数の伝承者から蒐集された『アル ポミシュ』のテキストが出版されている。これらは一般的に読み物として楽し まれるが、今尚『アルポミシュ』が口頭伝承として生き残っている地域がある(5)。 以下、『アルポミシュ』の梗概(6)を紹介する。
梗概:
ボイボリ(Boyburi)とボイサリ(Boysari)という兄弟がいた。二人とも権 力者であったが、子供に恵まれなかった。遂に神秘的な力の助けにより、ボ イボリには息子ホキム(Hokim)、ボイサリには娘バルチンオイ(Barchinoy)
が誕生し、兄弟は子供同士を婚約させた。後にホキムは、大力の者だったので、
アルポミシュ(Alpomish)と呼ばれるようになった。
ある日、兄弟が喧嘩したため、ボイサリは家族を連れ、コルモク(カルムイク)
の王国に移住した。そこで、美女バルチンオイは、地元の勇士たちに求婚を迫 られ、婚約者のアルポミシュに手紙を出した。バルチンオイの状況を知ったア ルポミシュはコルモクの王国に赴いた。そこで、バルチンオイの婿を選ぶため に、弓術、レスリング、競馬等の大会が開催され、アルポミシュは優勝者となっ た。こうしてバルチンオイとアルポミシュは再会し、故郷へ向かった。
故郷に帰った二人は結婚し、幸せに暮らし始めたが、バルチンオイの父ボイ サリがコルモクの王国に残っていた。ある日、ボイサリからコルモク人に虐げ られているとの手紙が届いた。そのため、アルポミシュは再びコルモクの王国 に赴いた。そこでコルモク人との戦いに勝ったが、その後コルモク人の美女に 催眠薬が入ったお酒を飲まされ、深い眠りについた。すると、 コルモク人は寝
込んでいるアルポミシュを深い穴の中に落とした。ある日、穴の中に鵞鳥が 落ちてきた。アルポミシュはこの鵞鳥を通じて家族に手紙を送った。暫くし て、コルモクの姫トウカオイム(Tovkaoyim)が穴の存在を知った。この姫 はアルポミシュに惚れ、彼のもとに通うようになった。こうしてアルポミシュ は故郷へ帰れず、7 年も経ってしまった。結局、アルポミシュの愛馬が主人を 穴から引っ張り出して解放した。
アルポミシュは遂に故郷へ帰った。そこで、昔から仕えてきた忠実な家来 クルトイ(Qultoy)と出会い、自分の体にある特徴を示すことで家来に正体 を明かした。家来はアルポミシュに全ての出来事について報告した。アルポ ミシュの異母兄弟ウルトントズ(Ultontoz)は、彼の留守を利用して支配権を 簒奪し、その妻を自分と結婚させようとしていた。アルポミシュは老人に変 装して家に向かった。そこでウルトントズとバルチンオイの結婚式が行われ、
弓を引く大会が開催された。アルポミシュは変装したまま弓を引いてみたが、
手に取った全ての弓が壊れてしまった。そうすると、今度強い弓を引いてみた いと、故郷に残っていたアルポミシュの弓を持ってくるように頼んだ。しかし、
アルポミシュの弓はステップの泥に沈んでおり、一般の人間にはこの弓を持 ち運ぶことさえできなかった。そのため、アルポミシュの幼い息子ヨドゴル
(Yodgor)は弓を泥の中から引っ張り出し、アルポミシュは彼以外に誰も引け ない強弓を見事に引き絞って見せた。その後、ウルトントズとその仲間を罰し、
家族と一緒に幸せに暮したのであった(7)。
この伝承の発生時期に関しては、遅くとも 11 世紀初期までに発生したとす るのがほぼ定説になっている。そして、その発生地に関しては、ロシアの言語 学・文芸学者ビクトル・ジルムンスキ(Victor Zhirmunsky)は、中央アジア 或いはアルタイであったと想定した。同時に、ジルムンスキは、『アルポミシュ』
と古代ギリシアの『オデュッセイア』との間に著しい類似性が見られることを 指摘した。しかし、彼は『オデュッセイア』の当地域への伝播を歴史的に説 明できないという結論に達し、二つの伝承が多くの民族の間で伝わっていた 古い共通のプロットを基にしている可能性を検討した(8)。これに対し、ドイツ の英雄叙事詩研究者カール・ライフル(Karl Reichl)は、『アルポミシュ』と
『オデュッセイア』との相互関係について考察を行い、ギリシア文化が中央ア ジアに伝播していたため、伝播の可能性を否定できないという見解を示した(9)。 また、筆者も、これらの研究を引き継ぎ、本来の『アルポミシュ』(原「アル ポミシュ」)が、中央アジアに伝わった『オデュッセイア』と、仏典に見える「善 事太子と悪事太子の物語」が合流して生まれたとの仮説(10)を提唱している(11)。
Ⅱ .『ゲセル』について
(1)『ゲセル』の物語とは
『ゲセル』は、アジア大陸の主要な叙事詩の一つであり、チベット、モンゴ ル、内モンゴル、ブリヤート、ラダック等の諸民族が共有する文化遺産となっ ている。この伝承は、南西には、中国のチベット族地方(チベット自治区全域)、
青海、甘粛、四川、雲南各省の一部地域、ブータン・インド北東部のラダッ ク地方、シッキム地方、パキスタン北部のバルティスタン地方、インドのカシュ ミール北西部ギルギット地方、ネパール、北東には内モンゴル、モンゴル、満州、
シベリア、北西にはウイグル人やオイラトモンゴル人が居住する地域まで伝 播している。『ゲセル』は、チベット系、チベット・ビルマ系、モンゴル系、テュ ルク系、ツーングス系部族の間で語り継がれており、これまでチベット語、モ ンゴル語、ブリヤート語、カルムイク語、レプチャ語、バルティー語、ブルシャ スキー語等による『ゲセル』の存在が確認された(12)。『ゲセル』は、古くから 書面(版・抄本)と口頭で伝わってきており、今も尚、口頭伝承として生き残っ ている数少ない叙事詩の一つである(13)。
東洋における『ゲセル』の研究は、18 世紀後半、モンゴル人のスムバ・ハ ムボ(Sumba-hambo)と チャハル・ゲブシ(Chahar-gebshi)が先駆者となっ ている。ロシアとヨーロッパでは、『ゲセル』の存在について初めて報告した のは、18 世紀後半にロシア各地を探検した、ドイツの動物学者・植物学者ペー ター・ジーモン・パラス(Peter Simon Pallas)であった。19 世紀に入ると、
まず牧師・翻訳家のベンジャミン・ベルグマン(Benjamin Bergmann)による『ゲ セル』のドイツ翻訳(一部)が発表される。この翻訳のもととなったのは、ベ ルグマン自身がヴォルガ地方のカルムイク人から聞き取った伝承であった。そ
の後、ロシアの作家・外交官イエゴル・ティムコフスキ(Egor Timkovskiy)
とドイツの東洋学者ジュリウス・クラプロット(Julius von Klaproth)によ る論文が公開され、『ゲセル』に関心を持つ西洋の学者を増やすきっかけとも なった。しかし、『ゲセル』研究に拍車をかけ、真の『ゲセル』ブームを呼 び起こしたのは、東洋学者イサアク・ジェイコブ・シュミット(Isaac Jacob Schmidt)による、『北京木版本』のドイツ語訳であろう(1839 年) (14)。『北京 木版本』は、モンゴル語で書かれており、『ゲセル』の初版であると考えられる。
この版本は、国家の文化政策の一環として、1716 年に清の 4 代皇帝康熙帝の 命令で編纂され、『ゲセル』研究史において重要な役割を果たした。『北京木版 本』の成立事情は明らかではないが、口頭伝承に基づいているともされる(15)。 以下、まず『北京木版本』の梗概を紹介する。
第一章 天上界の神々は集会を行った。そして、地上の秩序を乱す悪魔、妖 怪、無慈悲な人間を滅ぼすために、帝釈天(Khormusda Tengri)の子を地上 に送ることを決定した。この帝釈天の子は人間として生まれ変わり、ジョル
(Joru, Joro)と名付けられた。ジョルは外見が醜くかったが、生まれつき神通 力が備わっていたため、幼い頃から悪魔や妖怪を次々と滅ぼすことができた。
ジョルは成長し、ある日、アルルン・ゴア(Arulga Goa)という女性と出会い、
結婚した。
センゲスルという王(Senggeslü Khan)にロクモ・ゴア(Rogmo Goa)と いう娘がいた。この娘が嫁に行く年齢に達すると、王は娘の婿を選ぶために、
弓術等の武芸を競う大会を開催した。この大会にジョルと彼の叔父である、卑 怯かつ欲深いチョトン(Chotong)が参加した。結局、ジョルは全ての競技で 打ち勝ち、ロクモ・ゴアと結婚した。そして、ジョルの姿も美男子に変わり、
名もジョルからゲセル(Geser)となった。暫くして、ゲセルは竜王の娘であ るアジュ・メルゲン(Aǰu Mergen)と出会い、この女性とも結婚した。
第二章 ゲセルは、兄のジャサ・シキル (Jasa Shikir)、そして 30 人の勇士 と共に、巨大な虎に変身した妖怪(manggus)を滅ぼし、その毛皮で兜と盾 等を作った。
第三章 ゲセルは漢土(Kitad)へ赴いた。漢土のグムという王(Güme Qayan)は、女王の死を嘆き悲しみ、国を支配することができない状態に陥っ ていた。ゲセルは女王の葬儀を手伝い、グム王を慰めた。結局、漢土の秩序 を取り戻し、故郷へ帰る前にグム王の娘ホン・ゴア(Güne Goa)を娶った。
第四章 欲深いチョトンは、ゲセルのいない間にゲセルの妻アルルン・ゴア に横恋慕したが、彼女は拒んだ。暫くしてゲセルは帰還したが、病気にかかり、
国内に疫病が蔓延し始めた。そうすると、チョトンは、自身を拒絶したアル ルン・ゴアに復讐しようと、「この疫病はアルルン・ゴアのせいだ」と中傷し た。その結果、アルルン・ゴアはリン国から追放され、彷徨ううちに、12 首 魔王に誘拐されてしまった。これを知ったゲセルは、妻を取り戻すために北 に赴いた。そして、長い旅の末、北の国に着き、12 首魔王を退治した。しかし、
故郷に帰れず、アルルン・ゴアと共に北の国に残った。なぜなら、アルルン・
ゴアに過去を忘れさせる魔法の薬を飲まされたからである。
第五章 シャライゴル(Sharaigol) (チベット語『ゲセル』のホル(Khor))
の三人の王(ハーン)は嫁を探し、各国へ鳥を遣わした。結局、カラスはゲ セルの妻ロクモ・ゴアに勝る美人が何処にもいないことを王に知らせた。シャ ライゴル王はゲセルの王国へ侵入し、ゲセルの兄ジャサ・シキルや 30 人の勇 士と戦った。結局、ジャサ・シクルと勇士はチョトンの裏切りによって殺され、
シャライゴル王はロクモ・ゴアを連れて帰った。
9 年経ってから、ゲセルは帰還した。まずは乞食ラマ(僧侶)に変身して状 況を知った。そして、ゲセルとその家族を裏切った叔父チョトンを罰し、権 力を取り戻した。その後、シャライゴルの王国へ向かった。そこで変身する 能力を活用することで、シャライゴルの王やその兵士たちを滅ぼし、ロクモ・
ゴアを連れて故郷へ戻った。
第六章 魔王はラマに変身してゲセルの王国を訪れた。ゲセルは妻のロク モ・ゴアに説得されてラマと出会ったが、実際悪人であるラマはゲセルを驢 馬に変身させ、自分の家に連れ帰った。しかし、ゲセルのもう一人の妻アジュ・
メルゲンが魔王を騙す方法を見つけ、夫を取り戻した。そして、ゲセルは帝釈 天からもらった薬を飲み、元の姿に戻った。結局、魔王を殺し、ロクモ・ゴ アを罰した。
第七章 ゲセルの母ゲクシェ・アムルジル(Gegshe Amurchila)が亡くなり、
地獄へ送られた。これを知ったゲセルは母の後を追って地獄へ赴いた。そこ で彼は閻魔大王(Erlig Qagan)を罰し、善悪を区別して悪人だけを地獄へ落 とすようにと言いつけた。こうしてゲセルの母は解放され、天上で再生する ことができたのである。
(2)『ゲセル』の起源
『ゲセル』の発生地に関しては、次の仮説が一般に認められるようになった。
チベットに生まれた伝承が、後に各地の物語へ分岐していった。そして、これ らの物語は、それぞれの民族の口頭文化の中で様々なモチーフや説話を吸収 しながら、各地の『ゲセル』へ発展していった(16)。なお、チベット語『ゲセル』
の成立時期に関しては、チャルズ・ベル(Charles Bell) (17)の 4 世紀、ジョゼフ・
ロック(Joseph Rock) (18)の 3 − 4 世紀、アレクサンドラ・ダビッド・ニール
(Alexandra David-Neel) (19)の 7 − 8 世紀、トセンデイイン・ダムディンスレ ン(Tsendiin Damdinsüren) (20)とアレクセイ・ウラノフ(Aleksey Ulanov) (21)
の 11 世紀等の仮説がある。さらに、チベット語版『ゲセル』の成立過程を複 数の段階に分けて説明する立場もある。例えば、チベット学者のジョージ・レー リッヒ(George Roerich)は、『ゲセル』の発生時期を確定できないが、物語 がチベット帝国後の時代、すなわち 9 世紀前半以降に発生した、或いは現在 の形態になったと想定した(22)。また、『ゲセル』の原型に関しては、伝承がチベッ ト北東部のタングート族、チベット族の間で生まれ、徐々に成長・発達していっ たという仮説を提唱した(23)。
ゲセルに関する物語の大部分は、チベット北東部の騎馬民族の間で発 生したと考えられる。しかし、他国から借用された多くのモチーフを取 り入れている可能性も除外できない。チベット北東部の騎馬民族の土地
は、古代から、中央アジア草原の政治的混乱からチベットの山砦へ逃げ ていった騎馬部族にとって避難所の役割を果たしていた。これらの移住 民は、自らの部族物語や歌をもたらし、これらは徐々にチベットの叙事 詩、具体的には、リン国の王、勇士「ゲサル王の物語」に組み込まれていっ ただろう(24)。
チベット学者の降邊嘉措(Jiangbian Jiacuo)は、『ゲセル』の成立過程に関 しては、より具体的な説を唱えた。彼の見解では、『ゲセル』の原型が生まれ たのは、チベットの氏族社会が崩壊し始め、奴隷制の国家権力が確立された 時代(1 世紀から 5 − 6 世紀までの間)であった。そして、『ゲセル』は、チベッ ト帝国の時代(7 世紀から 9 世紀までの間)に形成され、チベット帝国が崩壊 した以降も、さらに発達して流布していった。また、彼は、初期の原型に関 しては、初期の『ゲセル』がそれ以前にチベット人の間で語り継がれた伝承 をもとに創造され、次々に新しい構成要素を吸収していったと想定した(25) 。 また、『ゲセル』の起源を書承文学に求める仮説もある。モンゴルの作家・
言語学者のダムディンスレンは、最初の『ゲセル』が 11 世紀に詩人チョイベ ブ(Choybeb)(26)によって創作されたとし、伝承が書承文学から派生したと いう仮説を立てた。ダムディンスレンは、『ゲセル』の成立過程に関しては、
次のように説明した。
『ゲセル』はもともと書承文学であったが、後に口頭で流布し、様々な 民族の民俗モチーフを取り入れていったと考える。『ゲセル』はバージョ ン(version)が多数あるが、それぞれ特性がある。カム、ラダック、モ ンゴル、ブリヤートの吟遊詩人による各『ゲセル』は独自の発展を遂げ てきた。なお、同じ民族のバージョンであっても、それぞれ異なるもの である。(中略) 各バージョンは、特徴があり、具体的な時代と環境を反 映している。それゆえ、それぞれのバージョンが成立した具体的な歴史 的状況を究明しながら、各バージョンを分析し、物語の筋を掴むべきで ある(27) 。
また、ダムディンスレンは、レーリッヒと同じく、内陸アジアの歴史的展 開や文化形成を特徴付ける諸民族間の交流について言及し、『ゲセル』もその 発展過程において他文化の口頭伝承と影響し合い発達してきた可能性を検討 した。
中央アジアに居住する、モンゴル系、テュルク系、チベット系の諸民 族は、長い歴史的発展の中で経済面ではもちろん、共通の文化財を創造 するにあたっても密接に関わってきたのである。無論、これは、諸民族 の叙事詩にも影響を及ぼさなかったとは考えられない(28)。
このように、研究者たちは、内陸アジアに広く流布している『ゲセル』の 発祥地がチベットであることに合意しながらも、原型(urform)を始め、各 言語バリアント(variant)の成立・発展過程については不明な点を残している。
なお、これらの原型やバリアントに関しては、数百年に渡って様々な伝承の 積み重ねを経て形成してきたため、本来の物語を復元することはほぼ不可能 に近いと考えられる。それにも関わらず、本来の物語の輪郭をなぞる試みが 今も尚続いている。
(3)『ゲセル』における<帰還した夫>
『ゲセル』には、ゲセルとシャライゴル(チベット語『ゲセル』ではホル)
の王との戦争について物語る説話(章)があり、この部分は話型<帰還した 夫>に相当する。具体的には、『ゲセル』の「シャライゴル(ホル)王との戦 争」(29)には、「長年家を留守にした主人公が帰還する」「帰還した主人公が変 身する」「主人公の留守の間その妻が略奪される」等のモチーフの存在が確認 できる。明らかに、『ゲセル』のこの部分は、<帰還した夫>を持つ他地域の 伝承と類似性が見られる。『ゲセル』とその類話との相互関係に関しては、『ゲ セル』を古代ギリシアの『オデユッセイア』と比較したグリゴリイ・ポタニン
(Grigoriy Potanin)(30) と、『ゲセル』と中央アジアの『アルポミシュ』との共 通点・相違点を解説したジルムンスキ(31)の論考がある。ここで特に注目した いのは、本稿の内容と直接関わるジルムンスキの考察である。
ジルムンスキは、『ゲセル』を話型<帰還した夫>を持つ伝承の一つとして 紹介し、『ゲセル』と『アルポミシュ』が「鳥の文使い」「夫の変身」「弓を引 く試合」等のモチーフを共有することを示した。同時に、『ゲセル』には、「略 奪者の二重化(主人公の妻を略奪した人物と支配権を奪い取った人物が同一人 物ではない)」と、「妻が主人公を裏切る(妻が略奪者と結婚したが、再び夫と 結ばれた)」といったモチーフがあることを指摘し、『ゲセル』と『アルポミシュ』
の相違点についても明らかにした。彼は、伝承の類似性を踏まえ、両者が古 代の英雄物語に由来している可能性を検討したが、『ゲセル』の成立や各言語 バリアントに関わる諸問題に踏み入っていない(32)。なお、彼が指摘した共通 点と相違点が『ゲセル』の成立過程及び隣接地域の伝承との相互関係を考え る上で示唆となり得る。
「シャライゴル(ホル)王との戦争」は、チベット語、モンゴル語、ブリヤー ト語、ラダック語等の『ゲセル』が共有する説話(章)である。この事実は、レー リッヒ、ダムディンスレン、チベット学者ジェフリー・サミュエル(Geoffrey Samuel)によって指摘され、「シャライゴル(ホル)王との戦争」を、本来の
『ゲセル』物語を構成する伝承の一つと見なす根拠となった(33)。レーレッヒは、
複数の地域から収集されたチベット語『ゲセル』の比較・分析を行い、「シャ ライゴル(ホル)王との戦争」が最も広く流布している部分であるとの結論 に至った。そして、彼は、この「シャライゴル(ホル)王との戦争」が初期 の物語の一部であったと想定し、本来の『ゲセル』に関しては、次のように 述べている。
「ゲセルの物語」は、もともと騎馬民族の英雄叙事詩であった。本来の 物語を形成していた部分に関しては、確実には特定することができない が、ゲセルと中央アジアのテュルク系部族であるホル族との戦争や軍事 衝突、ツァン国との戦争や南ヒマラヤ地域における戦争、及び著名な戦 士との戦いや試合を描く部分は、騎馬民族の古代叙事詩であり、初期の ゲサル王の叙事詩に入っていただろう(34)。
また、ダムディンスレンも、チベット語、モンゴル語、ブリヤート語『ゲ
セル』の手抄本や出版本の徹底的な分析・研究をもとに、チベット語『ゲセル』
が本来序章と第五章(「プローログ」と「シャライゴル(ホル)王との戦争」)
から構成されており、各言語バリアントがこれらを持つ『ゲセル』から派生 した可能性があるとの結論に達した(35)。
以下、まずチベット語、モンゴル語、ブリャート語『ゲセル』における「シャ ライゴル(ホル)王との戦争」の概要を紹介し、バリアント間の異同を確認する。
a) チベット語『ゲセル』(アムド地方)における「シャライゴル(ホル)
王との戦争」
チベット語『ゲセル』における「シャライゴル(ホル)王との戦争」の梗概は、
ポタニンの手抄本とレーリッヒの手稿(梗概)に基づく。ポタニンの手抄本は、
1885 年にチベット北東部のアムド地方を旅したポタニンによって当地域の寺 院から収集され、現在ロシア国立図書館(サンクトペテルブルク)の手抄本 部に保存されている (Тиб. Н. С. 58 番及び 59 番) (36)。この手抄本を入手し た経緯に関しては、現地で叙事詩を聞いたポタニンが、詞章(台本)の書写・
執筆を依頼したが、その代わりに既存の手抄本を勧められて購入した。しか し、手抄本は数枚を欠いており、寺院の僧侶(ラマ)がこれを部分的に(37)書 き足した(38)。なお、ポタニンの手抄本は、魔王退治(途中から)と魔王の妻 との生活について語る部分(モンゴル語『ゲセル』の第四章)が欠落してい る。この不足部分に関しては、レーリッヒの梗概から知ることができる。彼は、
自らアムド地方から収集したもう一つの『ゲセル』を所有しており、アムド 地方の『ゲセル』の梗概を「Skazanie o Tsare Kesare Lingskom」において紹 介している(39)。
概要:
ホル(シャライゴル)の王たちは結婚相手を見つけるために、カラスを飛 ばした。カラスは各地を飛び回ってから、リン国のゲセル王の妻が誰よりも 美しいことを知らせた。これを知ったホルの王は、リン国に侵入し、ゲセル の妻を略奪した。ゲセルの叔父はこの状況を利用して支配権を強奪し、ゲセ ルの両親を召使いにした。
ある日、ゲセルの妻はカラスを通じてゲセルに手紙を出した。ゲセルは受 け取った手紙から妻の状況を知った。そして、弓を引き絞って妻の元へ矢を 一本放った。この矢はホル王の宮殿まで飛び、これを見たゲセルの妻は夫の 無事を知った。だが、魔王の妻はまたゲセルに薬を飲ませ、ゲセルは再び全 ての記憶を失った。結局、ゲセルの愛馬が主人を夢心地から現実へ引き戻した。
ゲセルは故郷に帰ってから、商人(ポタニン:乞食)に変身した。そして、
変身したまま父と再会し、国内の事情を教えてもらった後に、父に正体を明 かした。その後、簒奪者の叔父を罰し、支配権を取り戻した。
王の地位を回復したゲセルは、妻を助けるためにホルの王国へ赴いた。ホル 王国に着くと、また変身して今度乞食ラマとなった。そこで、隣国の王の娘 と出会った。この姫は乞食ラマをもてなしてあげようと宮殿に誘ったが、ラ マのために馬の手配をしている間に、ゲセルは子供に変身した。戻ってきた 姫はこの子供を見つけ、宮殿へ連れて帰った。ある日、ホル王の宮殿で宴会 が行われた。ゲセルも隣国の王と共に宴会の場に来た。そこで自らの姿に戻り、
ホル王の最も強い兵士を殺した。その後、ホル王たちを殺した。そして、ゲ セルと妻は無事に帰還し、幸せに暮らしたのである。
b)モンゴル語『ゲセル』における「シャライゴル(ホル)王との戦争」
以下、モンゴル語版『ゲセル』における「シャライゴル(ホル)王との戦争」
を紹介する(40)。この梗概は、『ゲセル・ハーン物語—モンゴル英雄叙事詩』(41)
に基づく。
梗概:
シャライゴル(ホル)の三人の王(上が白帳ハーン、中が黄帳ハーン、下 が黒帳ハーン)は、息子の嫁を探すために、カラスを飛ばした。カラスは、「リ ン国のゲセル・ハーンにロクモ・ゴアという妻がおり、誰よりも美しい。しかも、
ゲセル・ハーンはアルルン・ゴアを助けるために他国へ出かけたが、それ以 来戻ってこない」と知らせた。それを聞いたシャライゴル王はリン国に侵入し、
ゲセルの妻ロクモ・ゴアを略奪した。ゲセルの叔父チョトンはこの状況を利 用して支配権を強奪し、ゲセルの両親を召使いにした。
ロクモ・ゴアはゲセルの兄ジャサ・シキルの矢を一本取り、この矢をもっ てゲセルへ「ジャサ・シキルと 30 人の勇士は全員殺され、私は略奪されてしまっ た。早く帰って敵を殺しなさい」と手紙を送った。ゲセルはこの手紙によって 故郷で起こった出来事について知った。そして、矢を一本ロクモ・ゴアに帰し、
自分が生きていることを知らせた。ロクモ・ゴアはもう一度矢文を送り、ゲ セルに「9 ヶ月以内に帰還しなければ、白帳ハーンの妻とならなくてはならな い」と伝えた。だが、ゲセルは再びアルルン・ゴアに薬を飲まされ、全ての記 憶を失った。これを見たゲセルの愛馬はゲセルを起こそうとしたが、失敗した。
9 年も経ったある日、鶴(実際には鶴に変身した天上界に住むゲセルの姉たち)
が故郷に残ったゲセルの親戚が書いた手紙を持ってきた。この手紙から再び 故郷の出来事について知ったゲセルは、今度遂に夢心地から覚め、アルルン・
ゴアを連れて故郷へ向かって出発した。
ゲセルは故郷へ戻り、テントを張ってそこに泊まった。チョトンはテントの 持ち主について調べるために、ゲセルの父であるサンロンをテントへ送った。
サンロンはゲセルと出会い、ゲセルは父に正体を明かした。ゲセルは乞食ラ マに変身してチョトンのところへ行き、暫くの間様子をみようと乞食ラマの 姿で過ごした。彼はチョトンに苦しませられている兄の息子や自分の母に出 会った。ゲセルの母は「ゲセルは他の生き物に変身する能力を持つが、変身 しても額の上の黒子と 45 本の真っ白な歯だけは変わらない」と、ゲセルの体 にある特徴について触れ、ゲセルは母に正体を明かした。結局、ゲセルはチョ トンを罰し、権力を取り戻した。そして、ロクモ・ゴアを助けるためにシャ ライゴルの土地へ赴いた。
ゲセルは乞食ラマの姿でシャライゴルの土地に辿り着いた。だが、ロクモ・
ゴアは既にハーンと結婚していた。ゲセルはシャライゴルの黒帳ハーンの娘 であるチョイムスン・ゴア(Choymsun Goa)と知り合った。この娘はもとも とゲセルの妻になりたいと望んでいたので、ゲセルに協力した。ゲセルは今 度オルジボイ(Oljiboy、捨て子の意)という 8 歳の子供に変身した。チョイ ムスン・ゴアはハーンを説得してオルジボイをハーンの宮殿へ入れさせた。そ こでチョイムスン・ゴアとチャガン・マンライ勇士との婚礼の式があげられ、
オルジボイに変身したゲセルは婚礼の宴の世話役を勤めた。宴会でチャガイ・
マンライは、「私はゲセルの勇士 6 人を殺したチャガン・マンライだ」と名乗り、
自分の弓を出して宴会の場にいる者たちに「この弓を引く方はいるか」と挑 戦を呼びかける。オルジボイは引いてみようと出て来て弓を引き絞ると、弓 は砕け去ってしまった。その後、オルジボイはチャガン・マンライを殺したが、
暫くシャライゴルのハーンに仕え続けた。結局、ゲセルは三人のハーンやそ の兵士を皆殺しにし、ロクモ・ゴアとチョイムスン・ゴアを連れて故郷へ帰り、
幸せに暮らしたのである。
c)ブリャート語『ゲセル』における「シャライゴル(ホル)王との戦争」
以下、ブリヤート語『ゲセル』における「シャライゴル(ホル)王との戦争」
を紹介する。この梗概は、ブリヤートの語り手から収集された複数の『ゲセ ル』をまとめて作成された、いわゆる混交体テキストに基づく。混交体テキ ストの成立事情に関しては、1940 年に旧ソ連の政府が、このテキストを創作 することを決定し、創作作業をブリヤートの文学者ナムジル・バルダノ(Namjil Baldano)に任せた。バルダノは、創作作業に当たって、アーカイブに保存さ れていたブリヤート語『ゲセル』や自ら聞き取った口頭伝承をもとに混交体 テキストを執筆し、1946 年に完成版を提出した(42) 。
梗概:
ゲセルは出かけたまま、帰って来なかった。その間、シャライゴルの三人 の王は、息子のために嫁を探すように鳥を送った。鳥は各国を飛び回ってから、
ゲセルの妻に勝る美人がいないと報告した。このことを知ったシャライゴル の王は、ゲセルの王国に侵入し、ゲセルの妻を略奪した。
天上に暮らすゲセルの祖母は、ゲセルの姉たちを鶯に変身させ、ゲセルの元 に送った。鶯はゲセルに、彼の王国に起こった出来事について報告した。こ れを聞いたゲセルは、急いで帰還し、裏切り者を罰した。その後、老人に変 身してシャライゴルの王国へ赴いた。
ゲセルの妻は、シャライゴル王の求婚を拒んだため、投獄されていた。ゲセ ルは、行く途中で牢に水を運ぶ女性に出会った。その女性の器に指輪を投げ 込むことで、妻に助けに来たことを知らせた。その後、子供に変身して宮殿
に忍び込んだ。子供を見つけた上の王がこれを養うことにした。ある日、宮 殿で宴会が行われ、子供も宴会の場に来た。シャライゴル王の最も強い勇士 は、「私がゲセルの勇士を殺したサガン・マンライだ(モンゴル語では、チャ ガイ・マンライ)」と名乗り、自分の弓を出した 。その場にいる兵士たちは全 員この弓を引こうとしたが、誰も引けなかった。子供に変身しているゲセルは、
「私も引いてみよう」と弓を引き絞ると、弓は三つに砕けてしまった。その後、
ゲセルはシャライゴルの勇士や王たちを皆殺しにし、妻を連れて帰還し、幸 せに暮らしたのである(43)。
上記の梗概からも明らかなように、チベット語、モンゴル語、ブリャート 語『ゲセル』における「シャライゴル(ホル)王との戦争」の内容はほぼ共 通している。三つのバリアントの相互関係に関しては、先述した通り、チベッ ト語『ゲセル』が原型となり、そこから各民族のバリアントが派生していった と考えられる。まず、モンゴル語『ゲセル』に関しては、チベット語『ゲセル』
を翻訳してできたという説が概ね受け入れられている(44)。例えば、チベット 語『ゲセル』のテキストにおける「ホル」は、テュルク・モンゴル系民族を さすエスノニムである(45)。チベット語『ゲセル』における hor ser(ホル・セ ル)という表現は、黄色いホルという意味であり、 モンゴル語へ shraigol、或 いは shiraihor(シライゴル・シライホル)と訳される。このような例が多く、
単語レベルを超えた、テキストレベルでの一致性が明らかにされた(46)。また、
ブリャート語『ゲセル』に関しては、内容と固有名詞がモンゴル語『ゲセル』
と共通しているため、モンゴル語『ゲセル』から派生したとされる(47)。
Ⅲ .『アルポミシュ』と『ゲセル』
次に、『ゲセル』の「シャライゴル(ホル)王との戦争」と、『アルポミシュ』
との相互関係について考察する。
上記の梗概からも明らかなように、『ゲセル』には、「長年家を留守にした主 人公が帰還する」「帰還した主人公が変身する」「主人公の留守の間その妻が略 奪される」等のモチーフの存在が確認できる。これらのモチーフは、話型<
帰還した夫>を構成する要素であり、アジア大陸に広く流布している『ゲセル』
の各言語バリアントが共有する部分となっている。先述した通り、「シャライ ゴル(ホル)王との戦争」と呼ばれるこの部分こそが、最も古く、本来の『ゲ セル』物語の一部であったと考えられる。
この「シャライゴル(ホル)王との戦争」(モンゴル語『ゲセル』による)は、
中央アジアの『アルポミシュ』と、以下の表に示す複数の重要モチーフを共 有する。
上記の表におけるモチーフ①「主人公が他国へ出かけたまま長年戻ってこ ない」・②「主人公の妻が略奪される」・⑦「主人公が変身して帰還する」・⑧「主 人公の体に特徴がある」・⑩「主人公が強い弓を引く」・⑪「主人公が略奪者を 罰し、妻を取り戻す」は、話型<帰還した夫>を持つ多くの伝承が共有する 構成要素である。しかし、『ゲセル』と『アルポミシュ』には、それ以外のと ころでも、幾つか目立つ共通点が見られる。例えば、双方の伝承においてモチー フ③「他国にいる主人公が、故郷に残った妻以外の別の女性と結ばれる」・④
「主人公が他国に残った理由は、彼が薬(お酒)を飲んだためである」・⑤「他 国にいる主人公がある飛ぶものを通じて親戚とメッセージを交わす」の存在 が確認できる。さらに、モチーフ⑥「主人公の愛馬が主人公の帰還に協力する」・
モチーフ 『ゲセル』 『アルポミシュ』
①主人公が他国へ出かけたまま長年戻ってこない ◯ ◯
②主人公の妻が略奪される ◯ ◯
③他国にいる主人公が、故郷に残った妻以外の別の
女性と結ばれる ◯ ◯
④主人公が他国に残った理由は、彼が薬(お酒)を
飲んだためである ◯ ◯
⑤他国にいる主人公がある飛ぶものを通じて親戚と
メッセージを交わす ◯ ◯
⑥主人公の愛馬が主人公の帰還に協力する ◯ △
⑦主人公が変身して帰還する ◯ ◯
⑧主人公の体に特徴がある ◯ ◯
⑨主人公が子供に変身する ◯ △
⑩主人公が強い弓を引く ◯ ◯
⑪主人公が略奪者を罰し、妻を取り戻す ◯ ◯
⑨「主人公が子供に変身する」に関しても、「馬が協力する」や「子供が登場 する」という共通点がある。しかし、『ゲセル』では、『アルポミシュ』と違い、
愛馬の協力が主人公の帰還を導かない。また、子供の登場についても、主人公 が子供に変身する『ゲセル』と異なり、『アルポミシュ』では、主人公の息子 が父の代わりに活躍するといった特徴が見られる。無論、『ゲセル』と『アル ポミシュ』は、本稿で述べた点以外にも相違点がある。例えば、先述した通り、
ジルムンスキが指摘した『ゲセル』における「略奪者の二重化」「妻が主人公 を裏切る」等の点である。また、伝承を構成する場面の数についても、『ゲセル』
の方が場面の数が多い。さらに、『アルポミシュ』と違い、『ゲセル』における
「シャライゴル(ホル)王との戦争」は、より多くの冒険談からなる叙事詩の 一説話(章)に過ぎない。なお、注意すべき点は、『ゲセル』と『アルポミシュ』
が共有するモチーフ①・②・③・④・⑤・⑥・⑦・⑧・⑨・⑩・⑪は、機能・
重要度に多少の動きがあっても、双方の物語においてほぼ一定の順番で展開 されることである(48)。
『ゲセル』(「シャライゴル(ホル)王との戦争」の部分)と『アルポミシュ』
は、アジア大陸において広く伝播しており、今日でも口頭伝承の形で生き残っ ている数少ない叙事詩である。両者が共有する話型<帰還した夫>に相当する 部分は、言語や時空を超え、アジアの多くの民族に好まれて来た「大ヒット曲」
であるとも言える。しかし、『ゲセル』と『アルポミシュ』のこの部分は、完 全に無関係と考えられるだろうか。二つの伝承が行われてきた広大な地域は、
民族移動や文化交流が古くから盛んに行われてきた。このことは当地域に居住 する諸民族の口頭文化にも多大な影響を与えたに違いない。そして、『ゲセル』
における帰還した夫の物語も、文化伝播・文化交流の結果生じた可能性がな いとも考えられない。それゆえ、『ゲセル』の起源を求める際、中央アジアの『ア ルポミシュ』を取り入れた、より広い比較研究を行う必要がある。
終わりに
『ゲセル』と『アルポミシュ』との間に見られる共通点は普遍的に見られ る要素であり、これらを多元発生説(Polygenesis)で説明できるか。それと
もこの二つの伝承の間に何らかの繋がりがあり、伝承の類似性を一元発生説
(Monogenesis)で説明した方が妥当であろうか。『ゲセル』と『アルポミシュ』は、
言語・国境を超え、長期に渡って口頭で語り継がれてきた伝承であり、伝承 の成立に関する古い時代の文書や記録は現時点では確認されていない。この ような状況のもとで伝承の起源やその本来の輪郭を定めることはほぼ不可能 に近い。なお、『ゲセル』と『アルポミシュ』の場合、伝承の存在が確認され た地域は比較的に近いので、伝播の可能性も検討し、言語・国境を超えた研 究を行うべきであろう(49)。
無論、本稿は、より大きな研究課題の一段階に過ぎない。なお、アジア大 陸における話型<帰還した夫>に関する今後の研究は、当地域の民族間の文 化交流や各地域における口頭伝承の成立過程等を解明・理解する上で新たな 示唆を与えるものではないかと確信している。
(1) 本稿では、『ゲセル王伝』『ゲセル・ハーン物語』を総称して『ゲセル』という。注
(2) 主にアジアの中央部・東部。
(3) Zhirmunsky, Victor and Zarifov, Hodi. 1947. Uzbekskiy Narodniy Geroicheskiy Epos. Moscow: Gosudarsvennoe Izdatelstvo Hudojestvennoy Literaturi.;Zhirmunsky, Victor. 1960. Skazanie ob Alpamishe i Bogatirskaya Skazka. Moscow: Nauka.;
Zhirmunsky, Victor. 1962. Narodniy Geroicheskiy Epos. Moscow-Leningrad:
Gosudarstvennoe Izdatelstvo Hudojestvennoy Literaturi.;Zhirmunsky, Victor.
1974. Tyurkskiy Geroicheskiy Epos. Leningrad: Nauka.;坂井弘紀訳『アルパムス・
バトウルーテュルク諸民族英雄叙事詩』(平凡東洋文庫、2015 年);ハルミルザエ ヴァ・サイダ「『アルポミシュ』と幸若舞曲『百合若大臣』−影響関係をめぐる一 試論−」(『国際日本学』第 12 号、2015 年 1 月)を参照。
(4) この際、15 世紀頃現在の形態になったとされる『デデ・コルクトの書』(Kitab-i
Dede Korkut )のバリアント (トルコ)を検討範囲に含めない。
(5) Feldman, Walter. 1997. “Two Performances of the “Return of Alpamiş”: Current Performance-Practice in the Uzbek Oral Epic of the Sherabad School.” Oral
Tradition 12 (2); ハルミルザエヴァ・サイダ「中央アジアの語り手バクシ−過去
と現状」(『アジア民族文化研究』第 15 号、2016 年 3 月)を参照。
(6) 本稿で紹介する『アルポミシュ』は、1928 年にフォジル・ヨルドシュ・オグリ(Fozil Yoldosh O’g’li)という伝承者から記録され、1939 年に出版されたテキストである。
このバリアントは、テキストとして存在するものの中で一番完成度が高く、内容 が豊富なものであると一般的に認められている。
(7) 『アルポミシュ』は、演唱毎の詞章の異同が激しい。なお、伝承の構成がある程度 固定しており、ほとんどのバリアントは、「主人公が他国へ出かけたまま長年戻っ てこない」・「主人公が変身して帰還する」・「主人公が強い弓を引く」等のモチー フを共有する。
(8) 注(3)前掲書(Zhirmunsky)の著書による。
(9) Reichl, Karl. 2001. Das Usbekische Heldenepos Alpomish: Einführung, Text, Übersetzung. Wiesbaden: Wiesbaden: Harrassowitz Verlag を参照。
(10) ハルミルザエヴァ・サイダ「『アルポミシュ』の起源に関する新仮説」(『「人・もの・
知の往来−国際比較日本文化研究の可能性を探る−」シルクロード国際研究フォー ラム報告書』、2014 年 9 月);「話型〈帰還した夫〉の成立と伝播−『オデュッセイア』
から『百合若大臣』まで」(『軍記と語り物』第 53 号、2017 年 3 月)を参照。
(11) 本稿での紹介は、ここで止める。『アルポミシュ』についての詳細は、拙稿を参照 されたい。
(12) Stein, Rolf. 1959. Recherches sur L’épopée et le Barde au Tibet. Paris: Presses Universitaires de France;Herrmann, Silke. 1990. “The Life and History of the Epic King Gesar in Ladakh.” In Religion, Myth, and Folklore in the World’s Epics:
The Kalevala and its Predecessors. Ed. by Lauri Honko. Berlin: Mouton;若松寛訳『ゲ セル・ハーン物語—モンゴル英雄叙事詩』(平凡東洋文庫、1993 年);Harvilahti, Lauri. 1996. “Epos and National Identity: Transformations and Incarnations.” Oral Tradition 11 (1); De Rachewiltz, Igor and Narangoa, Li. 2017. Joro’s Youth: The First Part of the Mongolian Epic of Geser Khan. Canberra: ANU Press を参照。
(13) https://ich.unesco.org/en/RL/gesar-epic-tradition-00204(2018 年 4 月)を参照。
(14) Roerich, George (Yuriy). 2013. “Skazanie o Tsare Kesare Lingskom.” Kultura i Vremya 3. Moscow: International Center of the Roerichs(V. S. Dalikova- Parfionovich に よ る ロ シ ア 語 訳、 英 語 に よ る 原 著 論 文 は、1942 年 刊 行 );
Damdinsuren, Tsendiin. 1957. Istoricheskie Korni Geseriadi. Moscow: AN SSSR を
(15) 注(12)前掲書(De Rachewiltz & Narangoa)を参照。参照。
(16) 注(14)前掲書、及び Liánróng, Lǐ. 2001. "History and the Tibetan Epic Gesar."
Oral Tradition 16 (2)を参照。
(17) Bell, Charles. 1931. The Religion of Tibet. Oxford: Clarendon Press を参照。
(18) Rock, Joseph F. 1947. The Ancient Na-Khi Kingdom of Southwest China. Cambridge, Mass.: Harvard University Press を参照。
(19) David-Neel, Alexandra and Yongden, Lama. 2004. The Superhuman Life of Gesar of Ling. Whitefish, MT: Kessinger Publishing を参照。
(20) 注(14)前掲書(Damdinsuren)を参照。
(21) Ulanov, Alexey. 1997. Geseriada. Ulan-Ude: Izdatelistvo Buryatskogo Gosudarstvennogo Universiteta を参照。
(22) 注(14)前掲書(Roerich)を参照。
(23) Roerich, George (Yuriy). 2014. “Skazanie o Tsare Kesare Lingskom.” Kultura i Vremya 1. Moscow: International Center of the Roerichs(V. S. Dalikova- Parfionovich によるロシア語訳、英語による原著論文は、1942 年刊行)を参照。
(24) 注(14)前掲書(Roerich)77 頁を参照。なお、和訳は筆者による。
(25) Jiangbian, Jiacuo. 1985. “On the Year of Origin of Gesar.” Qinghai Social Sciences 6;Jiangbian, Jiacuo. 1986. Primary Exploration on Gesar. (In Chinese). Xining:
Qinghai People’s Publishing House;注(16)前掲書(Liánróng)を参照。
(26) なお、チョイベブ作の伝承に関しては、11 世紀に記録された『ゲセル』が口頭で 語り継がれてきた伝承をもとに創作されたという説もある。注(21)前掲書(Ulanov)
(27) 注(14)前掲書(Damdinsuren)164 頁を参照。なお、和訳は筆者による。を参照。
(28) 注(14)前掲書(Damdinsuren)165 頁を参照。なお、和訳は筆者による。
(29) 注(14)前掲書(Damdinsuren)を参照。
(30) 本稿では、「シャライゴル(ホル)王との戦争」と呼ぶ。「シャライゴル(ホル)
王との戦争」は、注(12)前掲書『ゲセル・ハーン物語—モンゴル英雄叙事詩』
における「シャライゴル征伐」(第五章)に相当する。
(31) Potanin, Grigoriy. 1894. “Grecheskiy Epos i Ordinskiy Folklor.” Etnograficheskoe Obozrenie XXI-2 を参照。
(32) 注(3)前掲書(Zhirmunsky によるSkazanie ob Alpamishe i Bogatirskaya Skazka 及びTyurkskiy Geroicheskiy Epos)を参照。
(33) 注(14)前掲書(Roerich 及び Damdinsuren);Samuel, Geoffrey. 2005. Tantric Revisionings: New Understandings of Tibetan Buddhism and Indian Religion.
London: Routledge を参照。
(34) 注(14)前掲書(Roerich)79 頁を参照。なお、和訳は筆者による。
(35) 注(14)前掲書(Damdinsuren)を参照。
(36) 注(14)前掲書(Damdinsuren);Burtseva, Aldana and Narmaev, Badma. 2015.
“Tibetan Version of the Epic of King Gesar in the Russian National Library. The Fifth Chapter about War Against the Hor People.” MONGOLICA-XIVを参照。
(37) 第四章は、ゲセルが他国へ向かって帰還しない経緯を説明するので、第五章と繋 がっている。
(38) 注(36)前掲書(Burtseva and Narmaev)を参照。
(39) 注(14)前掲書(Roerich);Roerich, George (Yuriy). 2013. “Skazanie o Tsare Kesare Lingskom.” Kultura i Vremya 4. Moscow: International Center of the Roerichs(V. S. Dalikova-Parfionovich によるロシア語訳、英語による原著論文は、
1942 年刊行)を参照。
(40) モンゴル語『ゲセル』は、最も古い記録となっているので、内容をより詳細に紹 介する。また、固有名詞に関しては、チベット語・ブリヤート語では多少異なる ので、モンゴル語『ゲセル』の梗概にのみ記す。
(41) 注(12)前掲書(若松寛訳)を参照。
(42) Baldano, Marina. 2014. “Nation-building Project: Consolidated Version of the Epic
“Geser”.” Vestnik Buryatskogo Nacionalnogo Universitetaを参照。
(43) Lipkin, Semyon. 1973. Geser. Buryatskiy Geroicheskiy Epos. Moscow:
Hudojestvennaya Literatura を参照。また、Khundaeva, Elizaveta. 2017. Geser.
The Buryat Heroic Epic. Ekaterinburg: Izdatelskie Resheniya を参照。
(44) Poppe, Nicholas. 1926. “Geserica.” Asia Major 3; 注(14)前掲書(Damdinsuren)
(45) 注(36)前掲書(Burtseva and Narmaev)を参照。を参照。
(46) 注(14)前掲書(Damdinsuren)を参照。
(47) 田中克彦「ブリヤート口承ゲセル物語にあらわれた二つの文化層」(『民族学研 究』29 巻 3 号、1964 年 12 月);Dugarov, Bair. 2013. “To Unginsky Geseriada's Genesis: Khongodorsky Factor.” Vestnik Buryatskogo Nacionalnogo Universitetaを
(48) 伝承者により伝承内容に異同があるので、今後チベット語・モンゴル語・ブリヤー参照。
ト語『ゲセル』の複数バリアント(口頭流伝の説唱本・手抄本・活版本)のテキ ストを確認する必要がある。
(49) 伝承の発祥地や伝播経路については別稿で論じることにする。
<ABSTRACT>
“HOMECOMING HUSBAND” IN CONTINENTAL ASIA:
ALPOMISH AND THE EPIC OF KING GESAR
Saida K
HALMIRZAEVA The hero who leaves his land to fight an enemy returns home after years of seclusion only to find his family being harassed by traitors. The hero’s appearance has changed beyond recognition, which is why no one, even his loyal servant, can identify him. For a time the hero observes what has occurred during his absence, finally revealing his identity by stringing his distinctive bow, punishing the traitors and reuniting with his family. This famous story about the return of Odysseus is widely known around the world.However, motifs, such as “the hero returns on the day of his wife’s wedding,” “the hero returns home in disguise,” or “the hero strings his distinctive bow,” are not peculiar only to the Odyssey. Dozens of tales with a similar combination of motifs have been collected from different parts of the world. They are grouped into a tale-type “Homecoming husband (Returning husband)” (ATU 974). A thorough comparative analysis of these tales and research on their historical and cultural background suggests that the original tale could have been transmitted from a place of origin (monogenesis) to other parts of the world giving birth to regional tales (variants), such as Central Asian Alpomish, Japanese Yuriwaka Daijin, and others.
This paper is a part of broader research on the tale-type “Homecoming husband (Returning husband)” and focuses on two stories representing the tale-type in Continental Asia, Alpomish and The Epic of King Gesar. Alpomish and The Epic of King Gesar, namely a part of the story depicting the war of King Gesar against the three kings of Sharaigol, are of special interest for the study of the formation of the tale-type “Homecoming husband (Returning husband)”
and the evolution of its regional variants. Both stories are disseminated on the vast territories of Continental Asia, and, unlike tales of this type in other parts of the world, are still performed and transmitted orally by specially trained storytellers. This paper, firstly, introduces a brief history of research on each story. Secondly, based on the analysis of Alpomish and The Epic of King Gesar, the paper explores the relationship between the two stories and suggests possibilities for future research in the field.