エジプト口語アラビア語の諺
「異文化」を見る窓として
竹 村 和 朗
(東京大学)
The Proverbs of Spoken Egyptian Arabic A Window into a “Diff erent Culture”
Takemura, Kazuaki
e University of Tokyo
This paper discusses the proverbs of spoken Egyptian Arabic, of which I selected one hundred and twenty samples from published proverb encyclope- dias and studies. Proverbs are sayings in and on everyday life, and in Arabic are o en called “people’s proverbs” (al-amthāl al-sha‘biyya). Even in contem- porary times, proverbs have an indispensable role in their conversations and importance for the learners of the language. The paper starts from the fol- lowing question: “how can we understand the proverbs of spoken Egyptian Arabic, whose linguistic system and cultural background considerably diff er from our own?” It suggests that there is a concern that Japanese speakers may wrongly or improperly interpret Arabic proverbs due to the wide linguistic and cultural difference between the two societies. A straightforward trans- lation may lead to an interpretation that is unconsciously based on our con- ceptions and ways of thinking, although an insipid alphabetic ordering of proverbs hardly seems a solution, being useful only in indexing.
us, in this paper, I present some categorical schemes that can help an understanding of these proverbs in a way that is closer to their local meaning and ways of thinking. First, I divide the proverbs from my sample into two categories: “common proverbs,” and “proverbs of a different culture.” The former includes easy-to-understand proverbs with the tone of maxims and aphorism, while the latter covers proverbs that are not immediately under- standable, requiring certain knowledge of their society’s natural environment, value system, human relationships, social organization, and so forth. e label of “a diff erent culture” is adopted because I perceive the necessity to recognize our position to view the proverbs and draw such a line among them.
Keywords: Spoken Egyptian Arabic, proverbs, cross-cultural understanding, translation, language
キーワード : エジプト口語アラビア語,諺,異文化理解,翻訳,言語
Ⅰ. はじめに
1. 日本の諺,エジプトの諺
日本の諺の一つ,「船頭多くして船山に登 る」がエジプトにもある,としばしば言われ る。確かにエジプト口語アラビア語の諺の中 には,この諺に非常に似通ったものがある。
アラビア語で「
ϕήϐΗ Ϧϴδ˷ϳήΑ δδ ϲϠϟ ΐϛήϤϟ
」と 言い,「船頭二人で船沈む」を意味する(文 末一覧表57番。以下,〜番と記す)。しか しながらこの二つは,本当にまったく同じ諺 なのだろうか。この諺をローマ字による転 写表記で記せば,「el-markib illī bi-rayyisēn tighraq」 と な る。 冒 頭 の「el-markib」 は「船」,続く「illī」は関係代名詞であり,「bi- rayyisēn」は前置詞の「bi-(〜に伴う)」と「二
人の船頭」を意味する「rayyisēn」が結合し たものである。これらが主節「船頭が二人い る船は」を構成し,動詞「tighraq」は「(水 に)沈む)」ことなので,文全体として「船 頭が二人いる船は沈む」となる。ここでは,
「rayyisēn」と「tighraq」の二点をもう少し 詳しく見てみよう。
日本の諺では「船頭多くして」と言うよう に,特定の人数ではなく「多数/複数」いる ことが示唆される。これと異なり,エジプト の諺の「船頭」は,双数形をとることから,
「二人」に限定されていることがわかる。「二 人」という数字は,「一人以上」という意味 では「多く」と共通する。しかしアラビア語 における双数形は,我々が英語の文法教育の 中で慣れ親しんできた単数形,複数形の中 間に位置する範疇であり,「一つ」でも「三 Second, “the common proverbs” are further divided into three groups based on the length, or the number of words, of a sentence: the short (2–3 words), the medium (4–5 words), and the long (6–10 words). is grouping accentuates and makes one realize the rhythmic melody of Arabic proverbs.
“ e proverbs of a diff erent culture” are divided into three groups based on their topics: “general society-culture,” “family relationship,” and “religion.”
is categorization will serve to suggest a better approach to understand—or a small window through which we can see—the proverbs of spoken Egyptian Arabic, which shows characteristics that both resemble and diff er from those of another language or culture.
Ⅰ. はじめに
1. 日本の諺,エジプトの諺 2. 諺の配列
Ⅱ. 諺とは何か 1. 様式化された言葉 2. 異文化の理解
Ⅲ. エジプト口語アラビア語の諺 1. 先行研究史
2. 主要先行研究
Ⅳ. サンプルについて 1. 選定過程 2. 分類法
3. 凡例
Ⅴ. 通文化の諺 1. 短(2-3語) 2. 中(4-5語) 3. 長(6-10語)
Ⅵ. 異文化の諺 1. 社会・文化 2. 家族 3. 宗教
Ⅶ. おわりに 附録:諺一覧表
つ以上」でもない,「二つ」に限定された物 や事柄を示す形態である。「船頭」は,「頭
(ra’s)」と同じ語根(r-’-s)から派生した名 詞で,単数形を「rayyis」,複数形を「ruyasā」
と言う。仮に複数形であれば,「el-markib illī bi-ruyasā」となり,日本の「船頭多くし て」とより近くなる。しかしこの諺は,ど の文献においてもかならず「二人の船頭(bi- rayysēn)」と言われる。ここには,「わずか二 人の間でも」意見の相違が生じ得るというエ ジプト的認識が込められているのではないだ ろうか。
もう一つ注目するべきは,「tighraq(沈む)」 という表現である。日本の諺が「船山に登る」
と言う時,我々は海や川を進むべき船が山に 登ってしまうという,半ば滑稽な光景を頭に 思い描き,物事が見当違いの方向に進んでし まうことの喩えとして理解する。このことは
「岩に乗る」「舟を流す」「沖に乗り出す」と いう別の言い方を挙げれば,よくわかるだろ う。他方,エジプトの諺は,「船は沈む(el- markib…tighraq)」と実に直接的な物言い をする。エジプト口語アラビア語において,
動詞「ghiriq」は「水の中に沈む」ことを意 味 し, 使 役 を 表 すII型 動 詞「gharraq」 は
「水に浸す」ことを,受身を表すV型動詞
「itgharraq」は「水に浸される」こと,能動 的働きかけを表すX型動詞「istaghraq」は
「没頭する,時間を費やす」ことを意味する。
このように,総じて「水に沈む,浸る,漬か る」ことに関連した言葉であり,「el-markib
… tighraq(船は沈む)」と言えば,文字通り,
船が水の中に沈んでいく光景を示唆する。こ れは,「見当違いの方向に行くこと」よりも はるかに厳しい状況を表しており,むしろ
「物事や事業の頓挫,破綻」などを意味する のではないだろうか。
結局のところ,「山に登る」にせよ,「沈 む」にせよ,日本とエジプトの諺のどちらに おいても,船は目的地に辿り着かない。そし てまた二つの諺は,同じような単語(船,船
頭)を用いて,同じような構文(XとYが 組み合わさると,Zの結果を得る)で表わさ れ,同じように人間の集団行動や組織に内在 する欠陥や問題性を言い当てている。つまり,
用語や主題,形式など多くの点で,「同じ諺」
と言われ得るだけの共通性や類似性を備えて いる。しかしそれぞれ微妙に異なる言葉遣い によって描き出された意味内容には,多少の 違い,「ずれ」も見られる。このように,諺 には異なる言語や文化の間で「通じる」とこ ろもあれば,それぞれの言語の構造や文法的 特性,諺の中で用いられる題材や慣用的な言 葉遣いなどの違いによって,「ずれる」とこ ろもある。この「ずれ」こそ,諺の通文化間 比較の面白さであり,同時に難しさでもある。
この「ずれ」が大きい時には,単純に一つ 一つの単語を訳出しただけでは,諺全体が 指し示す意味内容がわからない,あるいは,
わかりづらいものとなる。異なる言語や文 化の間にあるこの「ずれ」をよく表すのが,
「
ϑϭήΧ ΐΤϤϟ ΐ ΐ ˷ ΔϠμΑ
」,すなわち「恋人の玉 葱は羊(baṣalit el-muḥibb kharūf)ff 」(68番) という諺である。これはわずか三語からなる 簡潔な名詞文で,語順に「玉葱」「恋人」「羊」という三つの名詞が並んでいる。「恋人」が
「玉葱」を修飾して「恋人の玉葱」になり,
合わせて主語を構成し,「羊」を述語とする。
その意味内容は,「恋人や友人同士の間では,
玉葱のようなありふれた素朴な食材も,羊の ようなご馳走のように思われる」ことを示し ている。「愛は人を盲目にする」という点で は,日本語の諺の「あばたも靨」と似た意味 内容を持つ。しかしこの二つの間にも,いく つかの「ずれ」が隠れているのである。ま ず,諺に用いられる題材が大きく異なる。「あ なたも靨」は,外見上の問題,とりわけ美醜 を判断する際の一般的基準である顔の造作に 関わるものであるが,「恋人の玉葱は羊」は,
食材を題材とし,素朴/豪華という食材に対 する認識の対比を利用している。また「あば たも靨」の主題は「愛と盲目」であり,特に
異性間の恋愛感情を述べるものであるが,「恋 人の玉葱は羊」は,「愛と盲目」と同時に「食 事と歓待」を扱うものであり,異性間の愛情 だけでなく,同性間の友人関係までを包含す る。そもそも「羊」が「ご馳走」であること は,伝統的に羊肉文化圏にない我々には若干 理解しづらいが,羊はエジプトにおいて食用 に供され,広く流通しており,また人口の大 多数を占めるイスラーム教徒にとってはアブ ラハム(Ibrāhīm)の故事に因んで毎年の犠 牲祭(‘īd al-aḍḥā)で屠られる動物,すなわ ちハレの食材であることを思い起こす必要が あるだろう。
このように諺の通文化間比較や翻訳に際し ては,「通じる」ところ,「ずれる」ところの 両方を意識する必要がある。それらを意識し ながらエジプト口語アラビア語の諺を日本語 に訳出し,理解され得る形にして示すこと。
これこそが本稿の目的である。
2. 諺の配列について
本稿では,エジプト口語アラビア語の諺を 124篇提示する。各諺には,「資料」として 役立てられるよう,アラビア語表記,ローマ 字の転写,片仮名での近似音表記,逐語訳的 な意味内容,用法や文脈などの解説,主要参 考文献における同一あるいは類似表現の収録 箇所が記されている。文末には,本稿で扱っ た諺の一覧表を附記した。
諺の配列については,先行研究と異なる手 法をとった。従来よく見られたのは,アルファ ベット順にならべた事典形式や主題別に共通 する諺をまとめた文化論的分類であった。こ うした手法はある程度共通の理解がある当該 社会内であれば有効であろう。しかし日本語 話者としての我々が,言語体系や社会・文化 的背景のまったく異なるエジプト口語アラビ ア語の慣用表現を理解しようとする場合に は,従来の手法は十分ではない。かえって,
我々の視点や発想に引き付けすぎた誤解に到 る危惧があった。
そこで本稿では,ここで取り上げる124 篇の諺を,意味・用法や文化的背景などの諸 観点から判断し,二つの群に分類した。やや 誇張のきらいがあるが,第一の群を「通文化 の諺」,第二の群を「異文化の諺」と呼ぶこ ととする。前者は,諸文化にある程度共通す ると思われる表現,すなわち格言や警句など を含む。後者は諺の理解のために,この社会 に関する背景知識―イスラームの世界観や そのほかの共有される価値観,血縁や婚姻に もとづく社会構成原理など―が不可欠と考 えられたものを含む。
言うまでもなく,この区分はよりよい理解 を得るための,一種の見取り図にすぎない。
「通文化」という呼称は,諺が多くの言語で 見られる言語表現の一様式であり,人間理性 や分別の結晶化である以上,構成要素や形態 が異なる社会・文化間においても共通性が見 出される可能性を示す。これに対応した項目 を「異文化」とするのは,設定者としての
「我々」の視点や立場を強く意識しているか らである。「異文化」は,文化相対化の技法 である。これは一見特殊に見える事柄に対し,
我々の論理とは異なる仕組みとひとまず認識 することで,我々が陥りがちな性急な判断,
自文化中心主義的思考をさし控える効果が期 待される。つまり,あえて「異文化」と認識 することによって,その事柄をそれ自身の文 脈から理解する姿勢を得られるのである。こ れらの点から,本稿では「通文化の諺」と「異 文化の諺」という区分法を採用した。
本稿の構成は,以下のようになる。第2 章「諺とは何か」,第1節「様式化された言 葉」では,諺という慣用表現やアラビア語,
エジプト口語アラビア語における諺など,本 稿の主題となる基本的な語彙や概念を定義す る。第2節「異文化の理解」では,上述の異 文化理解の認識論について,より詳しく論じ る。第3章「エジプト口語アラビア語の諺」,
第1節「先行研究史」では,特に19世紀末 から姿を現し始めた,エジプト口語アラビア
語の諺研究を概観し,時代的な傾向を検証す る。第2節「主要先行研究」では,各諺の解 説で参照される5つの主要先行研究を紹介す る。第4章「サンプルについて」,第1節「選 定過程」では,本稿で取り扱われる124篇 の諺(サンプル)の収集と選定の過程につい て述べる。第2節「分類法」では,「通文化」
と「異文化」の二大区分と,主題や構造的特 徴による下位分類について詳述する。第3節
「凡例」では,各諺の表記方法について説明 する。第5章「通文化の諺」では,構成する 単語の多寡によって諺を三分し,第1節「短
(2-3語)」,第2節「中(4-5語)」,第3節「長
(6-10語)」として,一つずつ提示していく。
第6章「異文化の諺」では,諺を主題別に分 類し,第1節「社会・文化」,第2節「家族」,
第3節「宗教」として提示する。第7章「お わりに」では,異文化理解に伴う翻訳の問題 について再考する。
Ⅱ. 諺とは何か
1. 様式化された言葉
本節では,基本的な語彙や概念について整 理する。まず諺は,格言や俚諺とも言われ,
英 語 で は「(a) proverb」 や「(a common/
old) saying」があてはまる。アラビア語では,
「単数形mathal/複数形amthāl」と言う1)。 時に「民衆の」を意味する形容詞をつけて,
「民衆の諺(al-amthāl al-sha‘biyya)」とも言 い表される。日本語の辞書の定義によれば,
諺は「古くから言い伝えられてきた,教訓ま たは風刺の意味をふくんだ短い言葉」(『大辞 泉』,988頁)である。一般に,諺は独特の 教訓調を持ち,冗長な散文ではなく,韻律を
備えた短い文章の形をとる。また,独創性が 求められる詩文と異なり,諺はすでに定型が 存在しているので,逆に数多ある表現の中か らその場の雰囲気や話の文脈にあった適切な ものを選ぶ機知が求められる。
文法的には,諺は「句(phrase)」ではな く,完結した「文(sentence)」の形をとる。
慣用句は二語以上の単語が組み合わされるこ とで特定の意味をなす表現であり,諺と似た 特徴を持つが,異なる言語表現として理解さ れる。言語学者のアラン・ダンデスは,諺の 構造的特性に着目して,諺を「主題(topic)」 と「評 言(comment)」 の 組 み 合 わ せ で あ る「単 一 叙 述 要 素(single descriptive
element)」を最小構成要素とする言語表現,
と定義している(Dandes 1994: 50)。たとえ ば「Money talks(金が物を言う)」の場合,
「money」 が 主 題,「talks」 が 評 言 と な り,
この二つによって単一叙述要素が構成され,
この場合は一つの諺となる。
本稿で扱うエジプト口語アラビア語は,ア ラビア語の中でもエジプト方言の話し言葉の ことである。この言葉は,国内のエジプト人 や国外に居住するエジプト出身者によって話 されるだけでなく,国内外で生産・流通され,
広汎な地域で消費されるテレビ番組や映画,
歌謡曲などのメディア作品にも広く用いられ ている。中東におけるエジプト口語アラビア 語は,ここ数十年の湾岸産油国の経済的興隆 や衛星報道番組の登場もあり,かつてほどの 影響力は失われつつあるようだが,それにも 関わらずいまだに広く用いられ,聞きとられ る言葉の一つである2)。
アラビア語は広義には,「正則アラビア語
(al-lugha al-‘arabiyya al-fuṣḥā)」と「口語ア
1)「アラブ古典のことわざ」を執筆した堀内勝によれば,mathalはアラム語のmathlāやヘブライ語
のmāthâlと共通する古セム語に由来し,「本物,実物ではないが,それで模倣する,たとえとする」
といった意味である(柴田ほか編『世界ことわざ大辞典』,1130頁)。
2) また近年では,特にデジタル・メディアの発達により,携帯電話のショート・メッセージやインター ネット上のソーシャル・メディア・サービスを通じて,アラビア文字あるいはローマ字で「書かれ」
また「読まれる」ことも多くなっている。
ラビア語(al-lugha al-‘arabiyya al-‘āmmiyya)」 に分けられる。前者は,主に聖典クルアー ンや古典著作の言葉である「伝統的正則ア ラビア語(fuṣḥā al-turāth)」や,現代の出 版・通信メディアにおいて用いられる「現 代標準アラビア語(fuṣḥā al-‘aṣr)」を含む
(Badawi & Hinds 1986: IX)。後者の口語ア ラビア語は,文字通り,地域ごとに異なる話 し言葉だが,一つの地域内においても若干の 差異が見られる。教育水準は主要な指標の 一つであるが,高等教育において用いられ,
文人や知識人の言葉とされるのが,「文化人 口語(‘āmmiyya al-muthaqqafīn)」である。
基礎的な学校教育を受け,読み書きができ る 層 が 用 い る の が,「教 育 口 語(‘āmmiyya al-mutanawwirīn)」であり,ほとんど公的 な教育を受けていない,最も庶民的な層が 話すのが「庶民口語(‘āmmiyya al-‘āmma)」 であり,「文字教育を受けていない者の口 語(‘āmmiyya al-ummiyyīn)」とも呼ばれる
(Ibid.; Al-Baṭal 2009: 26)。 こ れ と は 別 に,
もっぱら農村部や都市街区に特有のアクセ ントや表現,国内の地域差である「方言(al-
lahja)」,特定の職業集団が用いる符牒表現な
ども存在する。
一般的に口語アラビア語は,文法や発音 規則の省略,外来語の導入,独特の慣用表 現などいくつかの特徴を持つ。なによりも,
人々が日常生活の中で実際に「話し言葉」と し,「母語」とする点は明記されるべきであ ろう。この中でもエジプト口語アラビア語は かなり特徴的であり,正則アラビア語および 他の地域の口語アラビア語と明確に区別され る。その理由は多数あるが,たとえば一部ア ルファベットの発音の変化(jīm( がgīmとな り,qāfがāfあるいはgāfになる),定冠詞
「al-」の発音が「el-」あるいは「il-」となる こと,本来「a, i, u」の三種である母音にi とuの音が訛ったeとoが加わること,「ay」
の音が「ē」になり,「aw」の音が「ō」にな ること,名詞文が多いこと,動詞未完了形の
冒頭に「bi」をつけると現在進行形を表すこ と,能動態を多用することなどが挙げられる だろう。たとえば,「軍隊」を意味する単語
「al-jaysh」は,エジプト口語では「el-gēsh」
となる。片仮名で近似音を表記すれば,正則 の歯切れのよい「アル=ジャイシュ」に対し て,エジプト口語では「エル=ゲーシュ」と いう間延びした音になる。
エジプト口語アラビア語と諺の関係につい て,エジプト人文学者アフマド・アミーンは,
『エジプト慣習伝統表現事典』の中で以下の ように述べている。
諺とは文学のひとつであって,短い表現,
すぐれた意味,立派な比喩,暗喩を特徴と しており,いかなる民族においても不可欠 のものである。諺は民族のすべての階級か ら生まれ出るものであることを特徴とし,
この点で詩や芸術散文と異なる。何故なら 後者は文学においては貴族階級からしか生 まれてこないからである。
各民族の諺は,歴史家や倫理学者,社会 学者にとって重要な根源資料である。彼ら は諺によってその民族の精神,習慣,思考 様式,人生観などを知ることが出来る。何 故なら諺はその民族が生まれ育った環境 から普通生まれるものであるからだ。(引 用文は,池田1978: 331。引用者による一 部修正あり。原文は,Amīn 2009 [1953]:
71-2)
諺 を 歴 史 家 や 社 会 学 者 が「民 族 の 性 質
(akhlāq al-umma)」の特性を探るための「根 源資料(maṣdar muhimm jiddan)」と見な す視点には,この文章が書かれた1950年代 という時代性が透けて見える。この大時代な 断定はさておき,ここはエジプトにおける諺 と民衆の密接な結びつきを確認できる。
諺は,人々に話されることで生を得る。こ のことは,口頭伝承や詩文の伝統を持つエジ プト口語アラビア語の世界において,一層
顕著である。諺は「民衆の諺(al-amthāl al- sha‘biyya)」とも呼ばれ,「世間の見方(ra’y
al-nās)」を表す知恵として,いまでも生活
の中で頻繁に用いられている(Sha‘lān 2002:
10)。 多 く の 場 合,「諺 に 言 う よ う に(‘alā ra’y al-mathal)」という前置きがあるが,時 には唐突に会話に指し挿まれることもある。
たとえば,エジプトで現在最も人気がある男 性喜劇俳優の一人である,ムハンマド・ヘ ネーディーが主演した2009年公開の映画,
『ラマダーン・マブルーク・アブー・エル=
アラメイン・ハムーダ(Ramaḍān Mabrūk Abū al-‘AlamaynḤamūda)』(Good News
Group製作)では,ヘネーディー演じる厳
格な教師の主人公が,母親に連れられて花嫁 候補の女性のいる家へ「お見合い」に行く場 面がある。そこで何事にもこまかい性格の主 人公は,結婚や結婚相手に対する自分の価値 観や要望を口早に述べていく。その中で,「こ ういうことはきちんと言っておかなければな らない。諺に言うように,初めに条件あれば,
終わりに光ありだ」と言うのである。これは 本稿でも扱う諺(40番)である。ともすれ ば聞きのがしてしまうようなすばやい台詞回 しであるが,この諺を差し挟むことで,何事 にも口やかましい主人公の性格をうまく表現 している。
諺は日常の会話に変化や緩急を与え,笑い を引き出す。このことは,たとえば「外国 人(ajnabī)」」である筆者とまわりのエジプ ト人との会話においても同じ作用を引き起こ す。むしろ外国人がエジプト口語アラビア語 の諺を知っていることへの驚きの分,その効 果は一層高いと言えるだろう。先の「初めに 条件あれば,終わりに光あり」という諺など は,エジプトでの生活につきものの値段交渉 で,話を切り出す時に使える表現である。ま た,客人の歓待を美徳であり義務であると心 得るエジプト人に,歓待心を抑えてもらうの はむずかしい頼みである。そういう時には冗 談めかして,「諺に言うように,あなたの友
人が蜂蜜でも,すべてを舐めつくすな」(63 番)と言ってみれば効果があるかもしれな い。適切な文脈で口にすれば,おそらく前半 部の「あなたの友人が蜂蜜でも」を言うだけ でも意図は通じるはずである。相手が機転の きく人であれば,後半部を継いでくれること だろう。
エジプト口語アラビア語の世界において,
諺は日常会話の理解を助け,会話を円滑にす る潤滑油である。このことは諺の習得が,口 語の学習課程の中に組み込まれていることか らもわかる。エジプト口語アラビア語の自習 用テキストとして評価の高いサミア・ルイス の『私にアラビア語で何でも話して:エジプ ト口語アラビア語の上級学習課程5』(Louis 2009)では,最終章となる8章2節に,「言 い回しと諺(awṣāf wa-amthāl)」が組みこま れている。このテキスト自体が上級学習課程 用であり,その最終章という位置づけを考え れば,諺の学習が口語理解のための重要な段 階として認識されていることがわかるだろう。
2. 異文化の理解
このように諺は日常会話の重要な要素であ り,特にこの話し言葉を外国語,すなわち非
=母語として学ぶ者にとっては,欠くことの できない学習領域である。しかしひとたび諺 の学習を始めればすぐに気づくように,諺の 中には素直でわかりやすいものもあれば,逐 語訳を与えられても意味がわからないものも ある。本田孝一とイハーブ・イベードによる
『パスポート 日本語アラビア語辞典』の「こ とわざ」の項で用例として紹介される「忍耐 は幸福の鍵」(2004: 261, 17番)などはわか りやすい諺の典型である。おそらくそれゆえ に,用例として採用されたのだと推察される。
異なる言語間に存在する諺表現の構造や 内容の類似は,日本語とアラビア語に限ら ず,いかなる言語間にも存在するものであ る。後述するように,過去の諺収集者のうち ブルクハルトやハンキ,ビストゥールースは
エジプト口語アラビア語の諺を英語に翻訳し ており,英語の諺との比較を強く意識してい る。しかし時に英語に引き付けすぎたため に,諺が本来持つ意味や文化的背景を見失っ てしまうことがある。その一例が,「あなた の心が愉しむための時間,あなたの主に仕え るための時間」(79番)という諺である。ハ ンキとビストゥールースは,これを英語の諺 の「勉強ばかりで遊ばないと子供はだめにな る(All work and no play makes Jack a dull boy)」と交換可能なものとして紹介してい る。しかし,元来のアラビア語の諺には,現 世と来世の時空間的分割,および最後の審判 を媒介とした二つの世界の連結という一神教 的な世界認識がある。他方,英語の諺にはそ うした意味合いはなく,学びと遊び,労働と 余暇の均衡を主題としているだけである。つ まり,本来その指示内容が等しくない二つの 諺を,彼らは不用意に結びつけてしまってい るのである。
この翻訳の難しさや曖昧さ,二つの言語を 分ける境界線の不透明さにこそ,異なる社会 文化,異なる言語の諺を学ぶ時の最大の困難 がある。繰り返すまでもなく,ある言語にお ける諺は,当該社会において共有され,内面 化された価値観や社会感覚を前提としてお り,そうした価値観を長い年月をかけて結晶 化させたものである。したがって,これを翻 訳する作業は,異文化理解のそれと同じく,
自文化中心主義的な解釈の落とし穴に陥らぬ よう,できる限り丁寧に,現地の文脈に即し て理解するよう努めなければならない。
しかし同時に,そしてこれは諺全般に見ら れる特徴なのだが,諺の中には逐語訳が与え られれば難なく理解できる「わかりやすい」
ものも存在する。筆者にはこうした諺が,人 間の論理的思考,つまり人間理性の普遍性と いったものを証明するもののように思われ る。もちろん一見わかりやすい諺にも深い意 図が隠されていたり,本稿冒頭で示したよう に,一見対応するように見える諺との微細な
「ずれ」があったりするため,言葉遣いや意 味内容,用法を丁寧に読みこむ必要がある。
このように,我々日本語話者にとってはやや 縁遠いエジプト口語アラビア語の諺を,丁寧 な読解からいくつかの概念分類に仕分けする ことによって,これを適切に理解し,彼我の 距離を縮めていくことが,本稿のねらいであ る。
この翻訳の作業には,「文化の媒介者」,言 わば「トリックスター」として,二つの異な る言語世界を行き来することが求められる。
この作業の難しさを,異文化の「理解」とい う点について考察した,哲学者・社会学者の アルフレッド・シュッツの言葉の中に見出す ことができる。
他集団に接触するよそものは,内集団の 文化パターンの言葉を出身集団のそれに翻 訳しなければならず,しかもそれが可能な のは,出身集団の文化パターンの内に翻訳 し得る等価物が存在する場合に限られる。
もしそれが存在するなら,翻訳された言葉 は理解され記憶されるだろうし,繰り返し によって認識されもするだろう。それらは 結局「自分のもの」になることはないが,
「なじんだもの」にはなる。だがそれでも4 4 4 4 4 4
なお4 4,よそものはこの新しい文化パターン4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
についての彼の解釈が内集団の成員に通用4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
しているものと一致するなどと考えるわけ4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
にはいかない4 4 4 4 4 4
。それどころか4 4 4 4 4 4
,彼はものの4 4 4 4 4 見方4 4,身の処し方に根本的な齟齬があり得4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
ることを考慮に入れておかなければならな4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
いのである4 4 4 4 4。このようにして新しい文化パ ターンの解釈機能についてしかるべき知識 を身につけたとき,はじめてよそものはそ れを自身の表現の図式として採用すること ができるようになる。(シュッツ 1980: 50,
傍点は引用者)
シュッツはここで,「出身集団の文化パター ンの内に翻訳し得る等価物」が存在する場合
には,翻訳された言葉を理解し認識すること ができるが,それでもなお,内外の文化集団 間には「ものの見方,身の処し方に根本的な 齟齬があり得ることを考慮に入れておかなけ ればならない」と述べている。ここには,翻 訳は可能だがそこには誤訳の可能性がつねに 伴う,という観察が見られる。この点を,社 会人類学者の大塚和夫がアラブ・イスラーム 世界と日本の関係性で考察している。
大塚は「日本語によるイスラームの理解 をめぐって」という副題の論考(大塚 1989)
において,イスラームにおける唯一絶対神 の「アッラー(allāh)」という言葉/概念を,
どのように日本語に翻訳するかと問うた。そ こでの大塚の答えは,日本語の文化的語彙の 中にすでに存在するような「神」や「神様」,
「アラーの神」といった言葉で表現するので はなく,あえて片仮名による外来語表記とし て「アッラー」と表記する道であった。諺の 翻訳の問題にひきつけて考えれば,この姿勢 は,翻訳しがたいものをあえて翻訳せずに残 すことで,そこに単純な語彙変換ではこぼれ 落ちてしまうものが存在することを示す方法 を意味している。筆者は,大塚が残したこの 道標に従うことにしたい。それは,単純に片 仮名表記を増やすという意味ではなく,翻訳 の際にこぼれ落ちてしまうかもしれないもの に,つねに思いをめぐらす姿勢を意味する。
シュッツの言葉を用いれば,翻訳する時には つねに「根本的な齟齬」があるかもしれない と留意する姿勢になるだろう。
シュッツの言葉は厳しさに満ちているが,
一筋の明るい見通しもうかがわせる。努力の 末ついに理解が得られた言葉は,「結局「自 分のもの」になることはない」が,それは「な じんだもの」にはなる。自分の身体に少しず つなじませていくことで初めて,「よそもの はそれを自身の表現の図式として採用するこ とができる」のである。もしエジプト口語ア ラビア語の諺を本当に理解し,時には自分で も口にしてみたいのなら,まずはその言葉遣
いを覚え,意味や用法をよく学び,その文化 的背景を読み解くことが不可欠である。そう してこれを,少しずつ自分の頭と身体に「な じませていく」しかない。いつの日か会話 の中でうまく諺を口にすることができた時,
我々は初めてそれを「自身の表現の図式」と し得たと言えるのかもしれない。
Ⅲ. エジプト口語アラビア語の諺
1. 先行研究史
諺を扱う研究には,大別すると二つの群,
あるいは二つの方向性や傾向が見出されるよ うである。一つめは,諺を収集し記録する行 為や著作群を指し,「諺誌(paremiography)」 と呼ばれ得る。もう一つは,収集よりも分析 や比較に重点が置かれた著作群を指し,「諺 学(paremiology)」と呼び得るだろう。前 者の諺を記録する行為は,人類史の揺籃期 にまで遡ることができるが,西欧文化の文 脈 で は, 中 世 の 宗 教 改 革 運 動 期 を 生 き た エ ラ ス ム ス の 主 著『格 言 集(Adagiorum collectanea)』(1509)などが近現代の諺研 究に到る重要な契機と位置づけられている
(Mieder and Dundes 1994: vii)。 欧 米 諸 国 では主に19世紀以降,「諺誌」の範疇に含 まれるような,諺の全集や事典が数多く出版 されるようになった。そしてそれらを土台と して,隣接する学問領域である人類学や民俗 学,言語学や文学研究においても諺が議論さ れるようになり,結果としてさまざまな下位 領域を持つ「諺学」が育まれていった。特 に1980年代以降には,ドイツや東欧・北欧 諸国の言語学者による,諺の国際比較や構造 論・記号論的分析の隆盛が見られた(ibid.:
viii-ix)。近年では,成句や常套句,警句や
挨拶などあらゆる形の慣用表現を研究対象と す る「慣 用 表 現 学(phraseology)」 が 言 語 学者の理論的関心を集めているが,諺研究は その重要な下位分野の一つを構成している
(ibid.: xi-xii)。
全世界的に見られる諺誌から諺学への流れ は,エジプト口語アラビア語の諺研究におい ても同様に働いているようである。表1から 見てとれるように,初版を1830年とするジョ ン・ブルクハルトの『アラブの諺』を嚆矢と する,諺選集や事典形式の「諺誌」的著作群 の出現は,主に19世紀末から20世紀前半 という時期に始まった。アメリカの民俗学者 チャールズ・ファーガソンとジョン・エコル スは,同じく19世紀末から20世紀前半ま での英・仏・独語のエジプト口語アラビア語 の文献や研究論文,諺を解説した章を含む口 語アラビア語の学習書を15冊紹介している
(Ferguson & Echols 1952: 72-74)。 表1に
含まれるいくつかの著作が重複しているが,
この時期の語学学習書にすでに諺が取り入ら れていることがわかり興味深い。
近年になりエジプト人民俗学者イブラー ヒーム・シャアラーンが,エジプト口語アラ ビア語の諺に関する全6巻の膨大な全集,『エ ジプト民衆諺大全:および慣用句』(Sha‘lān 2002)を上梓した。彼の諺への情熱は,第 一巻の序文に記されているように,1968年 に発表した論考「エジプト,民衆,真実(miṣr
…al-sha‘b…al-ḥaqīqa)」 が 出 発 点 で あ り,
その後の多年の努力が実を結んだものであ る。アフマド・タイムールの諺事典,『口語 の諺』を土台としつつ,自身の出身地である
表1 エジプト口語アラビア語に関する主要先行研究
著者名 初版 書名(原題) (日本語訳) 収録 地域
1 Burckhardt, John
Lewis 1830
Arabic Proverbs: or the Manners and Customs of Modern Egypt, Illustrated from their Proverbial Sayings Current at Cairo.
アラブの諺:あるいは 近代エジプトの風俗と 習慣:カイロで用いら れる諺表現から
782 カイロ
2 Al-Bājūrī, Maḥmūd
‘Umar 1893 Amthāl al-mutakallimīn min
‘awāmm al-miṣriyyīn
エジプト庶民によって
話される諺 3000- カイロ 3 Shaqīr, Na‘ūm 1894 Amthāl al-‘awāmm fī miṣr wa-al-
sūdān wa-al-shām
エジプト,スーダン,
シリアの庶民の諺 ― 書名三ヶ国
4 Hankí, Joseph 1898 Arabic Proverbs アラブの諺 559 カイロ
5 Al-Makkī,
Muḥammad Shukrī 1910 Majma‘ al-amthāl al-‘āmmiyya 民衆諺大全 600- ―
6 Singer, A. Pauline 1913 Arabic Proverbs アラブの諺 169 3と同じ
7 Rāghib, Fāyiqa Ḥusayn
1939,
1943 Ḥadā’iq al-amthāl al-‘āmmiyya 民衆諺全集 1330,
1161 都市,農村
8 Taymūr, Aḥmad 1949 Al-amthāl al-‘āmmiyya 口語の諺 3000- 都市,農村
9 Al-Ḥifnī, Maḥmūd
Aḥmad 1951 Al-mūsīqī fī al-amthāl al-‘āmmiyya 民衆諺における音楽 96 ―
10 Jacob, Jean A. 1963 Maximes et Proverbes Populaires Arabes: La Famille
アラブ民衆諺の知恵:
家族 212 ―
11 ‘Uways, Sayyid 1990 Amthāl wa-ta‘bīrāt miṣriyya: dirāsa
‘ilmiyya thaqāfi yya ijtimā‘iyya
エジプトの諺と慣用 句:科学的・文化的・
社会的研究
― ―
12Ragab, Abdel Salam
et al. 1999 Old Egyptian Sayings エジプトの古い諺 39 ―
13Sha‘lān, Ibrāhīm
Aḥmad 2002 Mawsū‘a al-amthāl al-sha‘biyya al- miṣriyya: wa-al-ta‘bīrāt al-sā’ira
エジプト民衆諺大全:
および慣用句 3000- カイロ,
下エジプト 14 Bestourous, Hezkial 2005 e People’s Proverbs of Egypt エジプトの民衆の諺 1492 上エジプト
15Muḥammad al-
Baṭal 2009
Mawsū‘a al-amthāl al-sha‘biyya al- miṣriyya: dirāsa fī shakhṣiyya miṣr al-thaqāfi yya
エジプト民衆諺大全:
エジプトの文化的性格 の探求
3000- ―
下エジプトの農村地域ゼフター(zi ā)を調 査地として,市街地や村々を歩きまわり,喫 茶店にたむろする男性,さらには諺の宝庫で ある女性から直接聞き取りを行い,諺を収集 した(Sha‘lān 2002: 19)。そのため,シャア ラーンの『エジプト民衆諺大全』は,農村や 農業に関わる諺を多く収録し,民衆が諺を理 解する仕方や用いる文脈の説明を豊富に含ん でいる。
シャアラーンは,諺を民俗学の研究対象と する理由について,簡潔かつ情熱的な言葉で 書き綴っている。曰く,「民衆の諺は,この〔民 衆〕文化の最重要要素の一つに数えられる。
なぜならそれは,知識における礎石を表す か ら だ(wa-tu‘addu al-amthāl al-sha‘biyya min abraz ‘anāṣir hādhā al-thaqāfa, li-anna- hā tamthulu hajar al-zawāyā fī ma‘rifa)」
(ibid.: 10)。そして諺は,表現の簡明さ,富 裕層や支配階級に限られず社会のあらゆる層 と結びつく点から,まさに「真実の民衆の魂
(wa-hiya bi-ḥaqq rūḥal-shu‘ūb al-ḥaqīqa)」
(ibid.: 14-15)なのである。
彼の指摘によれば,エジプト口語アラビア 語の諺を集めた事典や全集は,調査方法や収 集地域,被調査者の社会階層やジェンダーの 違いなどの点で異なる。その中でも彼自身が 参考にした先行文献は,以下の3つであっ た。一つめは,マフムード・アル=バージュー リーの『エジプト庶民によって話される諺』
(1893)で あ る(表1の2番)。 こ れ は, 収 録された諺数が3000篇以上と多く,また本 書にしか記されていない稀少表現が多い点が 評価されている。ただし,調査地域が都市部 に集中しており,農村部への意識が欠けてい る点に難がある(Sha‘lān 2002: 42-44)。現 在では絶版となり,入手は困難である。二 つめは,英語で著されたジョセフ・ハンキ の『アラブの諺』(1898)である(表1の4 番)。収録数は559篇と比較的少ないが,英 語の諺との比較が充実している点が評価され る(ibid.: 50-51)。現在でも再版されており,
入手可能である。三つめは,同種の諺事典の 最高峰であるアフマド・タイムールの『口語 の 諺』(1949)で あ る(表1の8番)。 初 版 は著者歿後の1949年で,私家版として著さ れた原稿をもとに発行された。1956年には,
同学の志による出版委員会により,収録を大 幅に増した増補版が出版された。3000篇を 超える収録数に加えて,20年以上にわたる 調査,歴史書や詩文の古典に通暁した著者の 含蓄ある解説の点で,他の追随を許さない
(ibid.: 59-66)。2010年にエジプトの大手出 版社シュルーク書店から再版されるなど,現 在でも広く流通している。
一方,諺を議論の素材とする「諺学」的傾 向をよく表す例が,ムハンマド・アル=バタ ルの近著,『エジプト民衆諺大全:エジプト の文化的性格の探求』(Al-Baṭal 2009)であ る。その副題が醸しだすエジプト文化論の気 配は,シャアラーンのまったく同名の事典の 副題『および慣用句』やタイムールの『口語 の諺:アルファベット順配列と解説』のそっ けなさと著しい対照をなす。アル=バタルの
『エジプト民衆諺大全』は,「大全(mawsū‘a)」 の名が示すように,3000篇以上の諺を収録 している。しかしその重点は,諺を一つずつ 丁寧に解説するような「諺誌」の方法にでは なく,主題別に関連する諺をまとめて提示し,
エジプトの文化類型や文化的性格を示すこと に置かれている。このことは,内容構成に明 確に反映されている。第1章ではエジプト口 語アラビア語の諺の「成立と発展」の概観を 述べ,第2章「主題別分類」では,主題別に 諺をまとめて提示する。第3章「言語学的・
様式論分析」では諺の言語構造の特性を解説 し,第4章では「英語の諺との比較」を行い,
第5章では本書で扱った諺の「アルファベッ ト順索引」を提示する。
アル=バタルの著作の特徴は,当該分野の 代名詞と見なされる,タイムールの『口語の 諺』と比較すれば一層際立つだろう。偶然に もアル=バタルの『エジプト民衆諺大全』は,
『口語の諺』の初版が出版された1949年か らちょうど60年後の2009年に出版されて いる。かたや『口語の諺』は,アルファベッ ト順に配列され,一つずつに解説が附せられ る,19世紀的な「諺誌」の伝統を受け継い だ諺事典である。シュルーク書店の2010年 版は,600頁を超える分厚い大判の堅表紙本 であり,いかにも事典という趣を呈してい る。他方,アル=バタルの著作は,前者に匹 敵する収録数でありながら,各諺の解説では なくその文化的文脈からの理解や他言語との 比較,諺の発展史や構造分析を満遍なく収め たものである。こちらはエジプト国際出版・
ロングマン社の「文学シリーズ」の一つとし て刊行され,250頁ほどの小ぶりな略装本の 体裁をとる。この二冊の概観や重量は,無論,
研究価値の軽重ではなく,各自が目指す方向 性の違いを見事に体現している。アル=バタ ルの著作が体現するように,いまやエジプト 口語アラビア語の諺研究は,諺そのものの提 示や解説だけでなく,諺が用いられる用法や 文脈,他言語との比較から得られる当該言語 や社会の特性の探求など,諺に対する多角的 な視点が求められる段階に到達しているので ある。
尚,日本語におけるエジプト口語アラビア 語の諺の研究は,萌芽的段階に留まっており,
管見の限り単一の研究書が出されるまでには 到っていない。これは,正則アラビア語の諺 やエジプト以外の地域の口語アラビア語につ いても同様のようである。同分野についてお そらく日本で最も流通しているのは,小説家 曽野綾子の新潮新書『アラブの格言』(2003)
であろう。しかしこれは英語文献から訳出し た諺を主題別にまとめたもので,一般読者向 けの随筆集に近い。日本国内にも「アラブの
諺」への一定程度の関心がある証左と言えよ う。
現在確認される論考のうち,最も「諺誌」
的な傾向が強いのが,「湾岸アラブ」,特に著 者自身が滞在していたアラブ首長国連邦にお ける諺を紹介した片倉邦雄(1990)である。
アフマド・タイムールの諺を40篇選抜して 紹介した藤井章吾(2001)の手法もまたこ ちらに近い。奴田原睦明(1985)は中間に 位置し,『エジプト人はどこにいるか』と題 した自伝的著作の一章において,自身が滞在 した下エジプト農村で収集した諺を提示しな がら,「エジプト農民」に固有の精神性や人 間類型を論じている。池田修(1978)の論 考は文化論的な傾向が強く,支配や階級,金 銭や家族関係などの主題別に諺をまとめ,「ア ラブ的性格」を論じている。
これらの研究に共通する不満点は,アラビ ア語の文字や音を示す表記や転写がなく,日 本語による訳だけを紹介している点である。
また,意味内容からの単純な比較や,各著者 の関心にもとづく「アラブ」や「エジプト」
に固有な民族性や精神性を論ずる内容が多い ようにも見受けられる。今後,日本語におけ るエジプト口語アラビア語の諺研究を進展さ せていくためには,まずはこの点を改善し,
原語表記や転写を積極的に取り入れていく必 要があるだろう3)。
2. 主要先行研究
第5章以降で124篇の諺を仔細に検討す るが,その際これまで述べた先行研究の中か ら5つを,意味や用法の確認や比較のため に用いた。その5つとは,Burckhardt 2004 [1830],Hankí 1998 [1898],Taymūr 2010 [1949],Sha‘lān 2002,Bestourous 2005で 3) 例外的に,『世界ことわざ大辞典』(柴田ほか編1995)に収録された「アラブ」や「アラブ古典」
の諺には一部ローマ字転写による発音表記が併記されている。堀内勝の手による「アラブのことわ ざ」の項(805-818頁)は本稿でも用いたブルクハルトの『アラブの諺』から主題別に100篇紹介 したものである。同じく堀内による「アラブ古典のことわざ」の項(1130-46頁)は,定本とされ るアルニマイダーニーの『諺全集』などにもとづき,自然や動物,人物や部族を題材としたたとえ や慣用表現,金言や小話を100篇紹介している。
ある(表2)。
すでに前節で触れたものも多いが,あらた めてこの5つをならべると興味深い特徴が 見られる。まず,初版年次はブルクハルトを 先頭に1830年,1898年,1949年,2002年,
2005年と塩梅よく分散している。一つめの ブルクハルトの『アラブの諺』は,1830年 に初版が刊行され,幾度も再版され現在でも 入手可能である。今回参照したのは,2004 年刊行のドーヴァー社版である。本書は序文 に「翻訳者の覚書」とあるように,実際には 一種の翻訳であり,元来は18世紀初頭のカ イロを生きた文人シャラフッディーン・イブ ン・アサドが集めた諺のようである。1810 年代のカイロに滞在していたブルクハルトは イブン・アサドの原稿を,知人のシャイフの 抜書帳に収められた10枚ほどの紙に見出し た。これを現地の知識人の手を借りながら,
訳出し,解説を附し,公刊したのが本書で ある(Burckhardt 2004: iii-iv)。本書はアル ファベット順に配列され,アラビア語による 諺本文の表記,意味の翻訳,単語や社会状況 などの詳細な解説が附されている。収録され た時代の古さゆえに歴史的資料としての重要 性が高いが,本書の諺は本稿の124篇のうち,
わずか9篇にすぎない。このことはこれら9 篇の諺の起源の古さを証明するとともに,諺 が盛衰するもの,まさに「生きた言葉」であ ることを如実に物語っている。
二つめのハンキの『アラブの諺』は,1898
年に初版が刊行され,現在も再版されている。
本稿では,1998年発行のヒッポクレーネ社 版を用いた。収録された諺の出所や収集方法 の詳細は,ほとんど知られていない。シャア ラーンによれば,元来二つの序文があり,そ の一つには著者ハンキが自らの言葉を数行書 き綴っていた。これはヒッポクレーネ社版に は付属していないが,シャアラーンの紹介に よれば,調査に関する情報は特に記されてい ないようである(Sha‘lān 2002: 51)。もう一 つの序文は,同時期にエジプト全土を管轄す る灌漑局長官を務めたとされる,イギリス人 のブラウン少佐(Major R. H. Brown)によ る3頁の序文で,その末尾において「ハン キ氏は,相当な忍耐と苦労をもってエジプ トに流布する諺の一覧を作成し,それを翻 訳し,類似する西洋の諺との比較を行った」
(Hankí 1998: 7)と触れられている。当時の エジプトは実質的なイギリス支配下に置かれ ており,イギリス人である著者はその状況下 のエジプトに滞在し,諺を収集する機会を得 たようである。シャアラーンは,ハンキの調 査は自ら通った社交クラブに集う富裕層に 限定されていた,と推測している(Sha‘ān
2002: 18)。諺の配列はアルファベット順で
も主題別でもなく,何の基準も見られない。
著者の序文には,アラビア語のアルファベッ トによる配列は,アラビア語を知らない読者 には意味をなさないし,章分けは重複を生 むので採用しなかった,と述べられている
表2 準拠した5つの先行研究
著者名 出版 書名 言語 収録 備考 地域
1 Burckhardt, John Lewis
2004
[1830] アラブの諺 英語 782 18世紀カイロの文人Sharaf al-Dīn
Ibn Asadが書きためたものを翻訳
18世紀カ イロ 4 Hankí, Joseph 1998
[1898] アラブの諺 英語 559 著者のエジプト滞在中に収集したも
のを翻訳
カイロ,
富裕層 8 Taymūr,
Aḥmad
2010
[1949] 口語の諺 アラビア語 3000-
Burckhardt, Hankí, Singer, Al- Makkī, al-Bājūrīを参照,著者の 解説に含蓄。
カイロ,
古典
13 Sha‘lān,
Ibrāhīm 2002 エジプト民衆
諺大全 アラビア語 3000- Taymūrを主に参照。著者による農 村部の現地調査からの収集分を含む
カイロ,
下エジプト 14 Bestourous,
Hezkial 2005 エジプトの民
衆諺 英語 1492 著者が生まれ育った上エジプトで収
集(英語への翻訳も自身で行う) 上エジプト
(ibid.: 51)。内容は,アラビア語による諺本 文の表記,逐語訳,英語での類似する諺,解 説と充実している。本書に掲載された諺のう ち,本稿の諺と共通するのは31篇である。
収集の年代や経緯を考えれば,これらもまた 比較的古い言葉遣いだと言えるだろう。
三つめのタイムールの『口語の諺』は,著 者 が1930年 に 歿 し た 後, 発 足 し た「タ イ ムールの著作の出版委員会(lajna nashr al- mu’allafāt al-taymūriyya)」によって,1949 年に初版が刊行された。その後,同委員会に よる増補や修正を経て,1957年に大幅に収 録数を増加させた第二版が刊行された。この 第二版が現在の再版の元となっているが,残 念ながら初版は現存しておらず,国立図書 館にも遺族の手元にも残っていない(ibid.:
59)。著者はトルコ系貴族階級の家に生まれ,
父に副王官房長官を務めたイスマーイール・
タイムールを,異母姉にエジプトにおける女 性詩人の先駆者アーイシャ・アッ=タイムー リーヤを持つ。こうした出自ゆえにタイムー ルは広範な庶民層と直接接することは少な かったようで,諺収集に関しても当時公刊さ れ て い たBurckhardt 1830,Al-Bājūrī 1893
(表1-2),Hankí 1893,Al-Makkī 1910(表 1-5),Singer 1913(表1-6)に依拠していた
(ibid.: 61-2)。したがって著者の最大の貢献 は,稀少な諺の収録ではなく,むしろ古典に 通暁した著者が各諺に附した含蓄のある解説 にある。著者は前近代の膨大な詩文や文芸作 品,諺関連の文献の中から,現在の諺に通じ るものや類似物を抽出し,諺に見られる言語 的な連続性や変遷の様を明らかにしている。
本書はアルファベット順に配列され,アラビ ア語による諺本文の表記と解説が附されてい る。本稿においては,115篇の諺が『口語の 諺』と共通する。これは本書の包括的な性質 とともに,後述するように本稿の諺の選定過 程において第一に参照されたのが本書であっ た点に由来するだろう。
4つめのシャアラーンの『エジプト民衆諺
大全』は,先述の通り,2002年に全6巻の 分厚い事典全集として出版された。本稿で扱 うのは,アルファベット順に配列された第一 巻収録分である。前述したように,本書は『口 語の諺』を土台として,下エジプト農村地域 において行った実地調査から得られた諺を相 当数収録している(ibid.: 19)そのため農村 や農業に関わる諺が多く,また民衆が諺を理 解する仕方やそれを用いる文脈の解説が豊富 である。本書もまた事典形式にアルファベッ ト順に配列され,アラビア語による本文表記 と解説が附せられている。本稿においては,
5冊中二番目に多い87篇が共通する。
最後に,5つめとなるヒズキヤール・ビス トゥールース(Hezkial Bestourous/Ḥizqiyāl Bisṭūrūs)の『エジプトの民衆諺』は,2005 年にアメリカのプレザント・ワード社から刊 行された。本書裏表紙の奥付によれば,著者 は1912年に上エジプトのアシュート県に生 まれ,1984年に歿した。長くアシュート大 学で英語と歴史の教鞭を取り,本書以外にも 小説や翻訳書などの著作物がある。キリスト 教徒であり,福音主義教会の助祭として活動 した経歴も持つ。本書出版の労を執った娘の レイラの序文によれば,著者は生来の諺愛好 家であり,友人と好んで諺比べを行うよう な人柄であった。早くも1960年代には,自 分が集めた諺を草稿にしたためていたよう である(Bestourous 2005: 13)。その草稿は 著者の歿後,夫人の手元に残されていたが,
1999年に彼女がアメリカに住む娘のもとへ 居を移した際に娘に譲られ,その後出版され た(ibid.: 14)。本書の諺の配列は,アルファ ベット順ではなく主題別の章に分けられ,章 の総数は112におよぶ。各諺はアラビア語の 表記と,標準的な転写法ではないが発音に忠 実なローマ字による転写,逐語訳,転じた意 味や用法の短い解説が附せられている。本書 からは3番目に多い85篇が収められている。
以上,本稿が参照する5冊の主要先行研 究を概観してきた。これらは当該分野におい
てすでに高い評価を得ており,再版により入 手も比較的容易である。ただしそれ以上に筆 者が重要視したのは,諺本文のアラビア語表 記があること,および各諺に解説があること の二点である。特に後者は,諺を現地社会の 言語・文化的文脈から正確に理解するとい う本稿の目的にとって最も重要な要素であ る。この点からいくつかの研究は,収録数が 多くても参照の道具になり得なかった。たと えば,前出のアル=バタルの『エジプト民衆 諺大全』やエジプト人社会学者サイイド・オ ウェイスの『エジプトの諺と表現』('Uways 1990,表1-11)は,主題別の文化論的分類 を取り,各諺に対する解説がないため除外し た。アフマド・アミーンも『エジプト慣習 伝統表現事典』の「諺(al-amthāl)」(Amīn
2009: 71-81)の項目で相当数の諺を主題別
に紹介しているが,解説されているのは一部 だけであるため,参照対象としては不十分と 考えた。古代エジプト風テーマパーク「ファ ラオ村」を主宰するラガブ博士らによる『古 いエジプトの言い回し』(Raghab 1999,表 1-12)は,アラビア語による諺本文と逐語訳,
意味を備え,イラストによる図像表現もある など条件を満たしていたが,収録数が39篇 と少ないことと,収集過程などの点で他の資 料ほどの確実性がないため,参考対象から外 した。
一つ例外的なものとして,エッ=サイー ド・バダウィーとマーティン・ハインズによ る『エジプト・アラビア語辞典』(Badawi &
Hinds 1986)を挙げる。これは口語アラビ
ア語に関する専門辞書であり,その内容の確 かさには定評がある。用例として諺(ローマ 字による転写表記,対訳,英語の諺)が掲載 されており,本稿で用いる124篇の内,87 篇が収録されていた。収録されている諺の収 集に関する経緯が不明であるため,確認のた めの利用にとどめたが,参考のため巻末一覧 表には収録頁数を附した。また本辞書での ローマ字転写表記は,学術的に認められてい
る一つの基準的転写方法であるため,項目作 成時に参考にした。
結果として参照した5冊は,18世紀から 20世紀後半まで収集年代が分散し,地域的 にも都市カイロと上下エジプトの農村部の両 方を包含している。言語の点でも,英語に翻 訳されて他言語との比較に意識があるもの と,現地研究者によりアラビア語で書かれた ことで意味や用法の機微をよく伝え,古典に まで遡ることができるものまでを含む。本稿 の124篇のうち,ブルクハルトは9篇,ハ ンキは31篇,タイムールは115篇,シャア ラーンは87篇,ビストゥールースは85編 が共通している。
Ⅳ. サンプルについて
1. 選定過程
筆者が諺に興味を抱くようになったきっ かけは,エジプト人の語学教師ムハンマド・
シャウキー氏によるエジプト口語アラビア語 の個人授業の一環として,慣用句と諺を習い 始めたことによる。アラビア語言語学を専門 とするシャウキー氏は,不惑前の歳ながら外 国人学徒に外国語としてのアラビア語を教授 する職に従事し,この分野における実務経験 を相当程度積んでいた。諺学習の中で彼が発 した言葉,「文法が言葉の身体であるなら,
諺はその魂である(law el-qawā‘id gism el- lugha, el-amthāl rūḥ-hā)」は,筆者の諺探 求を支える精神的土台となった。シャウキー 氏はアフマド・タイムールなどエジプト口語 アラビア語の諺に関わる先行研究を渉猟し,
膨大な数の表現の中から,現在も用いられて いるもの,あるいは少なくとも耳にしたこと があるものだけを選び出した。彼自身,デル タ北東部の小さな地方都市の出身であり,上 京してカイロ大学で言語学を学ぶようになる につれ,地方の方言や庶民の言葉遣い,特定 の職業に従事する者の符牒表現に強く関心を 持つようになった。この点で,彼の取捨選択
には一定の信頼がおけると考えている。
筆者はこの学習過程を通じて,約350篇 の諺や慣用表現を詳細に学んだ。この中から,
一つの独立した文章の形をなしていないもの は,慣用句として除外した。一例をあげれば,
「彼の手は長い(īd-o ṭawīla)」は「すりを働 く」ことを表し,「彼女の舌が長い(lisān-hā ṭawīl)」は「嘘つき」を意味する。「海をタヒー ナにする(‘amal el-baḥr ṭaḥīna)」とは,「見 慣れたものをまったく別のものに変えてしま う」ことであり,「彼の目は黄色い(‘ayn-ō ṣafrā)」 と は「邪 視(ḥasad)の 力 を 持 つ」
ことを意味する。「アッラーが開く(yi aḥ
allāh)」は売り買いの交渉の時,値段がおり
あわず,特に売り手が相手の言い値を拒絶 する時に用いる文句である。「腹の犬が鳴く
(kilāb fī baṭnī bithawhaw)」 は, 日 本 語 で 言うところの「腹の虫が鳴く」に相当するだ ろう。明らかに句の形をとるものから,一見 すると文章のように見えるものまで形態はさ まざまに異なるが,一つの文章として定式化 された表現になっていないものは慣用句と判 断し,除外した。
残った諺を前節で紹介した5冊の先行文献 の中に確認し,そのいずれにも収録されてい ないものは,内容の検証ができないため除外 した。この作業の後に残ったのが,本稿で扱 う124篇の諺である。このような選抜の経 緯のため,統計学的な意味ではエジプト口語 アラビア語の諺という母集団を代表するもの ではないが,便宜的な意味において「サンプ ル」と呼ぶこととする。
2. 分類法
前述の通り,諺の分類法は先行文献によっ て異なるが,大別すれば,アルファベット順 と主題別の二つに分けられる。たとえばタイ ムールやシャアラーンの事典ではアルファ ベット順が採用され,諺の冒頭の語にした がって,アラビア語のアルファベットのア リフ(alif)f ,バー(bā),ター(tā)の順に
並べられている。その際,名詞文であれば,
冒頭の名詞につけられた定冠詞のアル(al-) は無視され,名詞自体の第一字が判断基準 となる。ただし関係代名詞(illī)や条件詞
(in),アリフで始まる命令形はすべてアリフ の項目に含まれるため,アリフの収録数が突 出して多くなっている。ブルクハルトもアル ファベット順を採用するが,各項目は厳密に はアルファベット順ではない。主題別を採用 しているのがビストゥールースで,諺が持つ 主題や意味にしたがって,112もの下位項目 を作っている。一例を挙げれば,「病と健康」,
「愛と恋人」,「客」などである。中には複数 の項目に重複して収録される諺もある。ハン キは前述の通り,法則性がない無雑作な配列 である。
この二つにはそれぞれ利点と欠点があり,
一概にどちらが優れているとは言えない。む しろシャアラーン(Sha‘lān 2002: 37)が指 摘するように,分類法は,諺の傾向や分布を すばやく理解するための道具,すなわち「見 取り図」として考えるべきである。そうした 中で一つの有効な見取り図となりうるのは,
シャアラーン(ibid.: 34-5)が紹介する,ア ブー・サアド・アル=アービー(Abū Sa‘d Manṣūr bin al-Ḥusayn al-Ābī,1031年歿) により編纂された『真珠の散文(Nathr al-
durr)』の分類法である。アル=アービーの古
典的著作の中で展開されたこの分類法は,ア ラビア語世界で培われてきた主題別分類の典 型として考えられる。アル=アービーは彼が 扱う諺を主題別に21の章に分けたが,その 内容を見るとさらに6つの類型にまとめられ る(表3参照)。
この分類法は,一般的にも,また本稿のサ ンプルを理解する上でも大変有効である。表 3の右2列には,本稿のサンプルの分布を示 した。第一項目の「人間関係」にサンプル の4割が集中する傾向は見られるが,全体 として各類型へのサンプルの分布は分散して いる。ここから諺全体における主題別の関心