<書評と紹介> 山根純佳著『なぜ女性はケア労働を するのか : 性別分業の再生産を超えて』
著者 矢澤 澄子
出版者 法政大学大原社会問題研究所
雑誌名 大原社会問題研究所雑誌
巻 635・636
ページ 92‑95
発行年 2011‑09‑25
URL http://doi.org/10.15002/00008820
書 評 と 紹 介
近代工業社会/近代家族において一般化した 男性=賃労働,女性=家事労働という性別分業 を問い直し,その解消により男女の不平等の是 正を目指すことは,現代フェミニズム実践の基 本的なテーマとなってきた。サービス経済化・
少子高齢化が進む脱工業化社会においては,家 事労働の外部化が進む一方で,「他者を世話し,
気遣う」という生命・生活・仕事の再生産にと って欠かせない育児・介護・看護等のケア労働 の需要や負担が増している。今日,社会経済の 持続的発展の基本要件として,ケア,ケア労働 をどのように位置づけ(承認・評価し),ケア の平等化にむけて男女(ジェンダー)間,公私 の諸主体・行為者(世代,エスニシィティ,階 層)間でこれをどのように公平に配分するかは,
フェミニズムの理論実践を超えた社会政策上の 喫緊の課題となっている。とりわけ性別分業に よる「女性のケア労働の負担」をいかに軽減す るかは大きな問題であり,国内外で活発な議論 や取組みが続いている。
本書は,「なぜ女性はケア労働をするのか」
(「なぜ女性はケア労働者になるのか」)という
現代フェミニズム・ジェンダー研究上の基本的 問いに向き合い,最新の研究成果を基に性別分 業 の 下 で 主 に 女 性 が 行 な っ て き た ケ ア 労 働
(「依存的存在としての他者を世話する労働」)
について理論的に考察し,ケア労働をめぐる性 別分業の解消に有効な政策課題(方策)にも言 及した研究書である。今日,ケアをめぐる性別 分業はグローバルな再編過程にあり,男女間,
女性間での差異(格差)と多様性を伴って「家 庭から労働市場に拡大して」いる(2−4頁,
以下数字のみ記す)。著者はそうした現実を捉 え,ケア労働(本書の対象は主に育児,介護)
をめぐる性別分業が拡大・再生産・変動するメ カニズムと,これを規定する構造としての「言 説・資源構造」(諸構造)の体系的な解明を試 みている。
著者の理論的視点のコアにあるのが,ポスト 構造主義フェミニズムの理論家ジュディス・バ トラーの「エージェンシー」概念(1990=
1999)を批判的に再構成した「行為者の能動 的実践」としての「エージェンシー」という鍵 概念である(25−32)。著者は,行為者として の女性・男性が家庭の内外で行なうケア労働を
「行為者の構造に対する解釈にもとづいた能動 的実践」(「エージェンシー」)と定義する。そ して,ケア労働をとおして行なう多様な「交渉 実践」による,性別分業の再生産と変動の可能 性を多方面から探っている(ii)。
本書前半(1−3章)では,国内外の先行研 究の系譜(「物質的構造論」「主体的選択論」等)
の批判的検討と,ケア労働・性別分業をめぐる 近年のジェンダー分析の2つの潮流(言説分析 と資源・機会配分分析)の整理を行ない,「エ ージェンシー」概念を基軸とした本書の分析枠 山根純佳著
『なぜ女性は
ケア労働をするのか
――性別分業の再生産を超えて
』
評者:矢澤 澄子
書評と紹介
組みを提示する。後半(4−6章)では,家庭 での子育てと労働市場でのケアワーカーの高齢 者介護に焦点を当て,ケア労働をする行為者の 多様な能動的交渉実践(エイジェンシー)によ る性別分業の拡大・再生産・変動のメカニズム について考察している。
各章の内容を概観しよう。第一章「性別分業 の再生産論の到達点と課題―『能動的実践』と は何か」では,研究の分析枠組みを明らかにす るための主要な先行研究として,江原由美子の ジェンダー秩序論(2001)を取り上げ,社会 学の構造化理論等(「言説による実践の構造化」)
によって性別分業再生産メカニズムの解明を試 みたその理論を批判的に検討する。そして,江 原の「カテゴリー還元的再生産論の乗り越え」
を目指して,本書のテーマに迫る上で有効とさ れる主な基本概念,「エージェンシー」,「構造」
「 権 力 」「 実 践 」 等 の 意 味 関 連 を 提 示 す る
(74:表1--1)。
第二章「性別分業再生産におけるエージェン シー―なぜ女性は家庭に入るのか」では,マル クス主義フェミニズムの「家父長制」理論(女 性はケア労働を強いられているとする「物質的 構造論」)の限界を検討した上で,「稼ぎ手」男 性の存在を前提とした近代家族における「世帯 単位の合理的選択」として女性が「家庭に入 り」,性別分業を再生産するエージェンシー
(再生産実践)について,2つの「構造」(「資 源」「言説」)との関係から明らかにする。
第三章「言説に対する批判的解釈実践―なぜ 女性はケア責任を重視するのか」では,「ケ ア=女性の責任」とするキャロル・ギリガンの 実証研究やケア倫理学の議論(「女性は主体的 にケア労働を選択している」とする「主体的選 択論」)を批判し,「ケア労働からやりがいを得 られない」「負担が大きい」など「多様な声」
の再検証から,「ケア=女性の責任」とする言
説に対する女性の「批判的解釈実践」が,性別 分業を問い直し,変動を促す契機ともなること を示す。
第四章「家庭における交渉実践と変動―ケア 労働の配分をめぐる交渉と権力」では,本書前 半での考察を基に,まず社会学者アーネとロー マンによるスウェーデンの夫婦間におけるケア 労働分担の実証研究(1997=2001)に依拠し,
家庭における男女の権力資源,権力作用,交渉 実践,意識の多様性を明らかにする。また舩橋 恵子の育児をめぐるジェンダー・ポリティクス の国際比較研究(2006)を基に,家庭でのケ ア分担をめぐるさまざまな夫婦間の交渉実践の 変遷を検証し,女性が経済資源を得ることによ り交渉力を獲得し,平等なケア分担の実現によ って実際に性別分業を変化させていることを明 らかにする。それらをふまえ,家庭における女 性の交渉実践により性別分業にどのような変動 の可能性があるか,またその構造的限界とはな に か に つ い て 理 論 的 整 理 を 行 な っ て い る
(205:表4--2)。
第五章と第六章では,筆者が行なったケアワ ーカーへの面接調査のデータ解析から,日本の 労働市場におけるケアワーカーの交渉実践と構 造の変動・再編過程を考察する。第五章「女性 ケアワーカーの交渉実践」では,女性の実践を とおした「ケアの社会化」の事例として,既婚 女性(主に被扶養の主婦)が担う福祉ワーカー ズ・コレクティブの実践をとりあげる。そして 女性ケアワーカーの交渉実践が,日本のケア労 働市場におけるジェンダー構造をどのように変 えるのか(変動の可能性)について論じる。第 六章「男性ヘルパーの交渉実践と性別職域分離」
では,介護職という女性職に参入した男性ヘル パーの交渉実践をとりあげる。ここでは介護保 険制度実施後のケア労働とジェンダーをめぐる 言説の変動や,性別職域分離の再編過程につい
として,「これらの女性,男性ケアワーカーの 実践も,男性稼ぎ手構造のもとで女性が家計補 助的に働くという資源配分構造を変えるもので はない。また介護労働の低賃金構造は,男性の 介護労働への参入,継続を困難にしている」
(281)と指摘し,日本の労働市場におけるケ ア労働が,家庭と労働市場の双方で温存されて いる性別分業のマクロ構造の制約下にあること に言及している。
終章では,これら変動を制約する「構造」
(「性別分業」)の「性支配性」について考察し,
「ケアをめぐる性別分業の拡大・再編」という 現象に対して,「よりよいケアの社会化」に向 けて求められる課題を示す。まず家庭における 性別分業の性支配性とは,女性の「選択の結果 の不利益」と男女の「交渉力の格差」として現 出しており,性別分業はその意味で「結果の不 利益」と「交渉力の格差を伴った分業」である とする。またケア労働市場のジェンダー構造に ついては,家庭の性別分業構造を介して「低賃 金=非正規労働=女性労働」というジェンダー 構造が再生産されており,他方では「ケア労働 市場のジェンダー構造が,家庭における性別分 業を再生産している」ことを指摘する(286-- 289)。
ではこの「家庭と労働市場の構造の再生産関 係」,つまり性支配の循環的関係性を断ち切る 方策とはなにか。マクロな社会構造について著 者は,①女性の労働の価値を低く評価するジェ ンダー化された評価構造の見直し,②賃金格差 の是正と社会保障制度の見直しによる男女間の 経済資源配分の是正,③ケアサービスの社会的 整備によるケア資源配分の是正,④「働き方の 見直し」(ワークライフバランス)による時間 資源配分の是正の4点をあげる(289--291)。
またケアの社会化,制度化が進む介護労働市場
者の権限の再配分,③専門性の階層格差の解消 の 3 つ の 方 策 ( 政 策 課 題 ) を あ げ て い る
(291--293)。これらの方策は,これまで日本 の女性労働問題研究やジェンダー視点に立った 社会福祉・社会政策研究等の分野で,多くの論 者がマクロ・ミクロの実証的データに基づき導 き出してきたジェンダー平等達成への方策と一 致するところも多く,評者も(細部の議論は別 として)これらの方策の意義や必要性について 異論はない。
本書は,「なぜ女性はケア労働をするのか」
というリサーチ・クウェスチョンを明確にした 上で,その解明に体系的な視点と分析枠組みを もって意欲的に取り組んだ研究書である。また 終章では,日本の家庭と労働市場の現実をふま えた政策課題にも言及しており,フェミニズム 理論の継承を目指す著者の実証的・政策的問題 関心にも期待がもてる。
最後に,評者が感じた若干の疑問点について 述べる。疑問点のひとつは,上記に要約した終 章での結論的考察や方策への言及が,1−4章 までのエイジェンシー概念を導きの糸とした理 論的考察の内実とどう関係づけられるのかとい う点である。終章での考察とここで言及されて いる方策は,主に5−6章での日本の介護労働 をめぐる現状分析から導かれたものである。こ れらと,1−4章までの子育て・介護を包摂し た女性のケア労働全般と性別分業をめぐる内外 の先行研究の批判的検討,そこから導かれた理 論的考察との関連づけは必ずしも明確ではな い。終章では,本書前半で提起された著者独自 のエイジェンシー概念を核にすえて,行為者の
「解釈実践」「交渉実践」と「諸構造」の間にあ る現実の深い溝を埋めるどのような「能動的実 践」の展開がありうるのかについて改めて問い,
「エイジェンシー」の視点から両者を橋渡しす
書評と紹介
るための,より掘り下げた理論的考察や論証が 欲しかったように思われる。
ふたつめは,本書が対象とした子育てと介護 の,ケア労働としての差異と共通性について,
著者の理論的実証的認識がどこまで明確にされ ていたかという点である。言うまでもなく,ケ ア労働,女性のケア労働負担の様相は,時代と ともに大きく変化し,また各国,地域における 制度・政策・慣行上の位置づけはさまざまであ る。本書が対象として論じた子育て・介護にも,
制度・政策・慣行上や行為者相互間の関係性の 特質にはひと括りに論じられない多くの差異
(多様性)が内包されている。それらの差異や 共通性の理論的解明には,ケア労働をめぐるエ イジェンシー概念のさらなる彫琢,つまり「解 釈実践」「交渉実践」「構造」等主要概念の現実 分析に資する分節化や概念間の関連の明確化,
国際比較研究の積み重ねなどが求められよう。
本書が掲げる「なぜ女性はケア労働をするの か」という問いをめぐる考察は,「女性,男性 はどんなケア労働をどのようにするのか」をめ ぐる新たな今日的問いへの探究を経てより深め られていくのではないかと思われる。
今日,少子高齢化の下で,性別分業をめぐる 言説の変化や女性雇用の拡大,ケア労働(子育 て,介護)の市場化,制度化がグローバル/ロ ーカルに加速している。著者は,能動的行為者
(女性,男性)によるケア労働の実践が「男性,
女性のアイデンティティや価値」を変化させ,
行為者のケア実践の積み重ねは「性別分業の変 動力となる」と明言する(284)。本書をとお して著者は,変化する時代潮流と性別分業の下 にあるケア労働の諸困難を見据えながら,ケア 労働の平等な配分を志向する未来への希望のメ ッセージを発している。この点においても本書 は,「ケア」「ケア労働」「よりよいケアの社会 化」や「性別分業」をめぐる今後の学際的議論 や実践に一石を投じる社会学的探究の書といえ よう(i−iii頁,序章)。
(山根純佳著『なぜ女性はケア労働をするのか
――性別分業の再生産を超えて』勁草書房,
2010年2月刊,xxii+305頁,定価3,300円+
税)
(やざわ・すみこ 元東京女子大学教授)
参考文献
Ahrne, Goran and Hemmt Christine Roman,
1997=2001,日本・スウェーデン家族比較研究会訳
『家族に潜む権力―スウェーデン平等社会の理 想と現実』青木書店
Butler, Judith,
1990=1999,竹村和子訳『ジェンダ ー・トラブル−フェミニズムとアイデンティテ ィの攪乱』青土社江原由美子,2001,『ジェンダー―秩序』勁草書房 舩橋恵子,2006,『育児のジェンダー・ポリティク
ス』勁草書房