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一 条 南 大 路 興 福 寺 旧 境 内

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Academic year: 2021

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一 条 南 大 路

0 6 9 , 5 4 1 -

5 5 9 , 5 4 1 -

Y-15,670 Y-15,665

0 2m

H=84.00m

地山 大土坑1

土坑 土坑

大土坑2

廃棄土坑1 廃棄土坑2

(江戸初期)

大土坑2(室町)

大土坑1(室町)

廃棄土坑1

(江戸初期)

埋甕 埋甕

廃棄土坑1から、9点みつかりました。い ずれも台と歯を一木で作り出すタイプです。

中には「×」が刻まれたものもあり、個人 の所有物であることを示すための印と考え られます。

廃棄土坑1・2から、破片が合わせて 30 点以上出土しました。中には、外面を黒漆 で塗った上に、赤漆で文様を描いたものや、

外面と内面を黒と赤で塗り分けたものなど がありました。

廃棄土坑1から、ウナギ属の腹椎が1点出 土しました。骨は焼けていて白色化してい たのですが、江戸時代の当地の住人はウナ ギの丸焼でも食べていたのでしょうか?

大土坑1の埋土には、大量の瓦が含まれて いました。これらは「興福寺」という文字 が瓦当面に表出された軒瓦で、鎌倉〜室町 時代のものです。当調査区が確かに興福寺 の境内であったことを示す遺物といえます。

    発掘調査でみつかったのは、中世から近世にかけての遺構でした。

生活用品が数多く廃棄された「ゴミ穴」(廃棄土坑)の発見により、中世

〜近世の興福寺旧境内での暮らしの一端があきらかになりました。

2014.4.14 ー2015.2.18(530 次

漆器

「興福寺」銘瓦

ウナギの骨!?

数々の器

廃棄土坑1・2からは、美濃焼・唐津焼・

備前焼・信楽焼に加えて中国製の磁器など、

様々な産地の土器・陶磁器が多量に出土し ました。日常の食器以外に、茶道具の茶入 や中国製の観音立像といった、ちょっと目 を見張るようなものまで含まれています。

右京一条二坊四坪

右京二条二坊一坪

0 30m

西

一条南大路

平 城 京 の 造 営 に 関 わ 大 溝 見 !

一 条 二 坊 四 坪 二 条 二 坊 一 坪

一 条 南 大 路 興 福 寺 旧 境 内

2014.9.16 ー 10.2539 次

大溝を埋め立てるための敷葉・敷粗朶工法。大きく3層に 分かれ、上層と下層は枝(粗朶)を、中層は葉を主体とし、

念入りに埋め立てられていました。

 現在の近鉄奈良駅東向商店街の入口で、

ビル改築に伴っておこなわれた調査です。

『興福寺流記』という古記録によると、奈良 時代には興福寺境内の果薗・園地があった とされる一帯に位置します。

代 の ゴ て 穴 か ら 生 活 用 品 が 数 多

 本調査区では、奈良時代の遺構として、平城宮の 佐伯門(西面中央の門)から西に伸びる一条南大路 がみつかりました。路面は削られていましたが、路 床と道路側溝が残っていました。

 平城京の造営時に大溝を埋め立てた敷葉・敷粗朶 のうち、上層とその上に盛り上げられた黒色砂質土 は、一条南大路の路床部分に限られることもわかり ました。後に路面になる部分の地盤をしっかりと固 めるための工事だったのでしょうか。

 大溝を埋め立てた敷葉・敷粗朶の最終工 程層(黒色砂質土)の中から、70点近くに 及ぶ斎串が集中する遺構がみつかりました

(左写真★の地点)。形も長さもバラエティー に富んでいます。一条南大路を造成する直 前の、溝の埋め立て工事の過程で何らかの 祭祀がおこなわれたと考えられます。

平 城 京 右 京

 奈良文化財研究所本庁舎の建替事業に伴っておこ なわれた調査です。調査区の大部分に秋篠川旧流路 が存在すること、平城京の造営時に旧流路を踏襲し て大溝が整備されたこと、大溝は最終的に敷葉・敷 粗朶工法によって埋め立てられたことなどがあきら かになりました。

調査区

平面図

土層断面図

(南壁)

奈良放送局NHK 奈良女子大学

猿沢池

奈良合同庁舎

県文化会館

近鉄奈良駅

北円堂

東金堂 五重塔 美術館県立

奈良県庁 県警察本部

調査区

下駄

赤線は道路の側溝で、道路幅は70大尺(約25m)におよびます。

写真奥が平城宮で、西から撮影。

あ き し の が わ

し き

し き

さ え き も ん い ち じょう みなみ お お じ      

ろ め ん

ぐ し

さ い し そっ こ う

し き

し き

し き し き

ひがし む き

え ん え ん しき ば しき そ

ば ん ろ しょう

はい き ど こう

くろ うるし あかうるし

ふく つい

まい ど

が とう めん

けい だい

ひょうしゅつ

はい き ど こう

び ぜん しが らき じ き

ちゃ いれ かん のんりゅう ぞう

から つ

はい き ど こう

(2)

平 城 宮 跡 資 料 館 ミ ニ 展 示

第Ⅰ期

第Ⅱ期

2015. 2016.

2016. 2016.

時 間 : 9時 〜16時半

場 所 : 平 城 宮 跡 資 料 館   企 画 展 示 室 入 場 無 料・月 曜 休 館

12 5

1 31

2 13

3 31

西大寺 東大寺

興福寺

第Ⅱ期

で展示する 調 査 地 点

(月曜が祝日の場合は翌平日休館・12/28〜1/4の間は休館)

西室 北円堂院 興福寺旧境内 一条二坊四坪

二条二坊一坪 一条南大路 平城京右京一条二坊四坪

二条二坊一坪 一条南大路

興福寺

●は礎石建物 ○は掘立柱建物 

大 房

小子房?

北円堂

南大門 中金堂

中門 講堂

A区 北室

B区 C区

西 西室

大房小子房 中室

奈良時代の伽藍配置図(復元)

発行日・2016 年 2 月 13 日 / 企画編集・奈良文化財研究所 展示企画室 / デザイン・澤村真理子 / 印刷・能登印刷株式会社     興福寺では、僧の生活空間である僧坊が中室・

北室・西室の3つに分かれ、西室は大房と小子房とい う大小の建物からなります。北円堂院とは、北円堂と それを取り囲む回廊も含めた空間全体を指します。

現れた西室の北端部分。奥の西室大房は礎石 建物で、親柱の桁行1間分を確認しました。

手前の掘立柱建物は、小子房推定位置よりも 大房に近接しすぎているため、小子房ではな い可能性も残ります。A 区を西から撮影。

 興福寺では、これまでに「興福寺境内整備基本構想」に 基づく寺観の復元・整備事業にともなって、中金堂院、南 大門、北円堂院などの発掘調査がおこなわれてきました。

今回は、西室(西僧坊)の建物規模を明確にすることと、

北円堂院未調査地の様相を把握することを目的として A 〜 C 区の調査区を設けました。

 西室の規模は研究者によって復元案が異なり、明確では ありませんでしたが、2013年度におこなった西室南半分の 発掘調査成果とあわせることで、西室大房の建物・基壇規 模をあきらかにすることができました。

 北円堂院については、北面回廊の創建時のものとみられ る遺構を検出し、基壇の造成方法に関わる知見を得ること ができました。また、南面内庭部では、灯籠の基礎を据え 付けた痕跡を確認しました。

 調査区内の各所で、土師器の皿を大量に含 む穴(土坑)がみつかりました。穴によって 時期が異なり、平安〜江戸時代におよびます。

儀式などで用いられた後にまとめて投棄する 行為が、時代を超えて連綿と続いていたので しょう。

西 室

北 円 堂 院

興 福 寺

2014.9.29 ー 2015.1.16(540 次

け い だ い

だ い も ん ほ く え ん ど う い ん

に し む ろ に し そ う ぼ う

た い ぼ う

ほ く め ん か い ろ う

な い て い と う ろ う

こ う

だ ん ちゅう こ ん ど う い ん な ん

時 の 姿 の 解 へ 一 歩 ず つ …

たい ぼう しょう し  ぼう ほく えん どう いん

かい ろう きた むろ にし むろ

にし むろ おや ばしら けた ゆき ほっ たて ばしら しょう し ぼう

そ せき

なか むろ

参照

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復旧と復興の定義(2006 年全国自治体調査から).

■実 施 日: 2014年5月~2017年3月.. ■実施場所: 福島県

■実 施 日: 2014年5月~2017年3月.. ■実施場所: 福島県

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