哀 那 命 物 語 論
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(2) 28. ︵歌謡省略︶ 産. ○. た. と二. み. つど. 圭. まろ. ま. むろ. ども. いだ. 直ゆ盲づかひ たて皇つ. みこ. をぱ. ひだoみ旨. の. といひき︒爾に却ち小楯違聞き驚きて︑床より堕ち転びて︑其の室の人等を追ひ出Lて︑其の二柱の王子を︑左右. よろo. のぽ. み. −﹂たち. o. いろと. 砲. の膝の上に坐せて︑泣き悲しみて︑人民を集へて假宮に坐せまつり置きて︑駅使を貢上りき︒是に英の嬢飯豊王︑. ○肚りましじむい圭Lみ呂とあらほL. 曲も. .. ゆゑ. いさを. もは. の. あれみづか. あいろせ. い. を巷. なに. い. ろ. せ. な偉. 音音. み壮吉. 鈷けの. いかに. おも. や. キ. むく. まを. ﹂. 昌崔. こぽ. 曲も. まゐで. ことおo. ⁝﹄. ただ. の. びとへ. や. o. 二慮. くだ い. あた. 皇を. 肥. いふ志を取りて︑悉に天の下治らしめしし天皇の陵を破りなぱ︑後の人必ず誹譲らむ︒唯父王の仇は報いざるべか. そ. 天皇は︑父の怨みにはあれども︑還りてば我が従父にまし︑亦天の下治らしめしし天皇たり︒是に今単に父の仇と. お. たまひしく︑﹁然か為し所以は︑父王の怨みを其の霊に報いむと欲ほすは︑是れ誠に理なり︒然れども其の大長谷. レ. せ. 報いむと欲へぱ︑必ず悉に其の陵を破り壊たむに︑何﹂かも少し掘りたまひつる︒﹂とのりたまへば︑答へて日し. おも. 答へて白したまひしく︑﹁少し其の陵の傍の土を掘りつ︒﹂とまをしたまひき︒天皇詔りたまひしく︑﹁父王の仇を. かたへ. に天皇︑其の早く還り上らししことを異しみて詔りたまひしく︑﹁如何か破り壊ちたまひぬる︒﹂とのりたまへば︑. あキ. まして︑欠し共の御陵の錘ガ掘りて︑還り上りてか蟹毅以載したまひしく︑﹁既に掘り鶴ちぬ︒﹂とまをしたまひき︒爾. 繭に天自望詔りたまひしく︑﹁然らぼ命の随に幸行でますべし︒﹂とのりたまひぎ︒是を以ちて意郡命︑自ら下り幸で. 払ヒとま忙ま. つは︑他人を遺はすべからず︒専ら僕自ら行きて︑天皇の御心の如く︑破り壌ちて参出む︒﹂とまをしたまひき︒. あだしぴと. 皇の御陵を駿たむと欲ほして︑人を遺はしたまふ時︑其の伊呂兄意那命︑奏言したまひしく︑﹁是の御陵を破り壊. Eぽ. 天皇︑深く莫の父王を殺したまひし大長谷天皇を怨みたまひて︑其の霊に報いむと欲ほしき︒故︑其の大長谷天. ちちみi﹂. に非ざらまし︒是れ既に汝命の功なり︒故︑吾は兄にはあれども︑猶汝命先に天の下治ら﹂めせ︒Lとのりたまひ ○ て︑堅く譲りたまひき︒故︑得辞びたまはずて︑衰那命先に天の下治らしめしき︒. あら︑. 譲りて日りたまひしく︑﹁針間の志自牟の家に住みし時︑汝命名を顕したまはざらましかぽ︑更に天の下臨らす君. 聞き歓ぱして︑宮に上らしめたまひき︒是に二柱の王子等︑各天の下を相譲りたまひき︒意那命︑英の弟衰那命に. 早稲田商学第302号. 599.
(3) ぺ. ヒ. いた. か 毫. Eとおり. みこと. よ. かく婁. らず︒故︑少し共の陵の辺を掘りつ︒既に是く恥みせつれぱ︑後の世に示すに足らむ︒LとまをLたまひき︒如此奏. Lたまへぱ︑天皇答へて詔りたまひしく︑﹁是も亦大く理たり︒命の如くにて可し︒﹂とのりたまひき︒故︑天皇崩 の りまして︑却ち意那命︑天津日継知らしめしき︒ ︵﹃古事記﹄下巻より︶. はじめに1確認的に1. ここに︑﹁隷鵬航物語﹂と称したのは︑﹃古事記﹄下巻︑雄略即位前・清寧没後・顕宗天皇の条に分割記載されて いはすわけ いる︑ヲケノミコト即ち後郷位して衰那之石巣別命と呼ぱれた顕宗天皇を主人公とした貴種流離講をその骨子とす る一違の伝承である︒. ちなみに︑﹁衰那命物語﹂︵以下ヲケ物語と略︶は︑﹃古事記﹄下巻の最後を飾る天皇物語で︑したがって当然﹃古. 事記﹄全体の樟尾を締め繰るそれであるが︑かつてヲケ物語という一連の総体とLての構造と意味について︑充分. なる考察が加えられた例は︑寡聞にして知らない︒﹃記﹄の最後の天皇物語であれば︑極言すれぱそれは︑中巻冒. 頭に位置づけられた最初の天皇物語すなわちイハレビコ︵神武天皇︶物語とも匹敵する重要な意味を︑﹃記﹄の構. 造の上で担うべきものとも想像される︒しかるに︑それがなされなかった理由はおそらく︑前述のようにヲケ物語. が三分割されており︑まとまって一個の物語を形成していないこと︑また特に清寧天皇の条に記されているヲケと. 弔鵜醸款彫との歌垣における妻争いを語った﹁志毘臣物語﹂︵以下シビ物語と略︶が主とLてほとんど同一の結構 かげひめ. をもつ﹃書紀﹄の﹁影媛物語﹂との比較において独立してしぱしぱ扱われることによって他の部がなんとたく軽視. されることなどによるものであろうか︒だが︑本来シビ物語は︑どう見てもヲケ物語の一環にしかすぎない︒たし. かξシビ物語はそれ自身充分に考察に値いする重要な意味をもち︑また﹃記﹄全体の申でも有機的機能を負うも. 598. 麦那命物謡論 29.
(4) 59?. のであるがω︑シビとの妻争いの後にシビを謙殺したヲケが即位することを考えれぱ︑それはヲケの試練とその克 復による成年式的意味合いをヲケ物語に付与すると見ることが可能であろう︒. ヲケ物議を形成する三部分︵便宜的にそれぞれ流離・帰京と歌垣君臨と呼んでおく︶はそもそも一個の物語たり. ニ. れとして認識し難くなると思われる︒おそらく︑そ机故に﹃紀﹄では一括記載きれたのでは潅かろうか︒. ぞれの事件の年月の位置に分割されることは︑年月日が明記される故に︑話としての連関性を妨げられ︑一連のそ. て︑ヲケの流離や帰還などがその記載された条より遡って当該の年月の記述と照合され得るのである︒逆に︑それ. れとすることの妥当性は保証されよう︒﹃紀﹄においては︑その記述が年月日を明記する編年体である−﹂とによっ. する話は︑顕宗即位前に一個のそれとしてまとめて記されている−﹂とを見ても︑三分割されたヲケ物語を一個のそ. 皇︑この場合は雄略と清寧︑の条に挿入されることになったのであろう︒﹃書紀﹄において︑このヲケ物語に相当. 中・下巻を通しての天皇物語を中心とする話の穣成の基本に即して︑ヲケの即位前の話は︑それぞれの同時期の天. を補うべき人物の登場として記されたのが真相であろう︒そのように考えれぱ︑ヲケ物語の三部分は︑﹃古事記﹄. ケの父市之辺忍歯王子殺害の条に引き続︒き記され︑その帰還と歌垣は清寧天皇没後の後継老の空位期間にその空位. いちのべの亜L怯のま. に挿話的に並記された故であろう︒すなわち︑ヲケの流離の物語は︑その契機となった雄略即位前の雄略によるヲ. するエピソードを一連のものと認めることは︑不都合ではあるまい︒ ムさお ﹃記﹄において︑ヲケ物語が上記のように三分割されたのは︑それぞれの部分がそれぞれに相応しい歴史的時間. おり︑しかもそれぞれが明らかに有機的関連を示している廿﹂とを考え合わせれぱ︑分離しているヲケノミコトに関. ﹃古事記﹄上巻に分離しているし︑下巻冒頭の仁徳天皇物語も︑その重要な部分が中巻応神天皇の条に分割されて. 得ないというような考えをあろうかと愚われる︒しかし︑たとえば前掲のイハレピコ物語も︑イハレビコの誕生は. 早稲田商学第302号.
(5) さて︑筆考は既に︑﹁志毘臣物語論1﹃古事記﹄の構造に関連してI﹂において︑シビ物語の考察を通じて︑ヲ ケ物語の王権的構造について︑観略以下のように論じた②︒. ヲケ物語は︑﹃古事記﹄の樟尾を飾る︑近き代における王権の超越性を語る天皇の死と再生の流離譲を骨子とし. た物語であった︒そして︑それは﹃記﹄全体の天皇物語の構造の結尾とLても機能するものであった︒. シビ物語は︑ヲケ物語の一環として︑次期君主ヲケノミコトが即位を前にしてケの次元におげる周辺的負1ーシピ. を争闘によって除き空閻を浄化し︑その行為によって霊威を身につけて王となるという︑成年式的意味合いをヲケ 物語に付与するものであった︒. シビ物語の中心を為している歌垣の場面は︑そのような民俗のハレの場において公認されてきた男同士の対等の. 妻争いの論理が︑皇子の求婚を絶対的なものとする王権のハレの論理によって否定されることで︑王権のそれが民. 俗のそれを超越し︑ハレの論理を独占することを説き明かすために設定されたものと考えられた︒. さらに︑歌垣の場面におけるシビのヲケに対するもっとも歌垣的といえる醐弄的態度を﹁無礼﹂と断じてこれを. 訣殺する・﹂・とには︑王のケの次元における現世的権威が民俗のハレの場におけるハレの論理を無効として解体して. しまうという超越性が語られているのであった︒王権が︑その葎令的近代において︑ケの次元に君臨しその力で民. 俗のハレを簾願破壌しながらも︑そのハレの論理を王権のそれとして独占し︑ハレの次元にも君臨すること︑換言. すればハレの次元を支配し独占することがケのそれをも保証するという相互補完的なものであるが︑を謡るもので あった︒. それが︑﹃記﹄下巻に語られるべき王権の新しき位椙であり︑その近代の聖なる超越性なのであった︒そLて︑. そうした位相性の中巻から下巻への積み重ねに︑王権のケの時間の支配11歴史が語られていると考えられる︒. 596. 糞那命物語論 31.
(6) 32. 595. ヲケ物語の一都として組み込まれているシビ物語の考察を通じてのヲケ物語の﹃記﹄全体において負うべき構造 性に関しての見解は︑ほぼ以上のようなものであった︒. この見解はおそらく以下のヲケ物語の新たな分析においても大筋において変りはないものと思われる︒しかし︑. ヲケ物語そのものは︑なお分析の対象としての多くの部分と間題を内蔵している︒たとえぱ︑流離の地が播磨であ. ること︑即位後の亡父の仇先帝雄略への復讐謹などが如何なる構造性を保有するのかというような問題がある︒. こうした間題は︑﹃古事記﹄という書をどう見るかということと当然有機的関連がある︒その・﹂とについては︑. 既に繰り返し論じたところであるが︑倒規点を明確化するために︑略記しておきたい︒すなわち︑基本的に﹃古婁. 記﹄は︑古代王権の宗教的呪術的超越性をもって空間と時間を覆う︸﹂とで︑︑ミクロからマクロに至る全空間を同心. 円的同一構造︵入れ子式︶を有する単一の穣造論理に貫かれた複合的た聖なる祭儀的空間に整合し︑かつ繰り返し. の不可能なケの跨聞を永遠に始原に回帰し再生する聖なる祭儀的時聞に組みかえて現世に活力を取り戻すという秘. ヲケ物語におげる類型性−王の再生−. ⑩在位中の事蹟︵父王の祀りと復讐︶というようなあら筋である︒このあら筋は︑一見直ちに︑記紀物謡構成の奥. ヲケ物語の全体的筋立ては︑ほぼ次のようにまとめることができよう︒すなわち︑ω父王の被殺︑②二王子の逃 ま 走︑③途次の薔難︑④他郷での潜伏︑⑤貴種としての名告り︑㈲帰還︑ω歌垣での妻寛ぎ︑⑧悪の謙殺︑⑨即位︑. ニ. ﹃記﹄.の構造性の新たた側面を照し出すものとなるはずである︒. こうした﹃記﹄の在り様とかかわってくるものであらねぱたらないだろう︒したがって︑ヲケ物語の考察は︑また. 蹟を開示して︑現世におげる王権の君臨を語る書であると考えられる︒前述のヲケ物語の誇間題もまた必然的に︑. 早稲蘭商学第302号.
(7) 型に属するものであることは明らかである︒前章で述べたように︑﹃記﹄が王権の宗教的呪術的趨越性の開示のた. めの構造を内蔵するという視点に立てぱ︑この物語のあら筋も︑やはり一つの神話的意味をもつ類型性によって構. 造化されていると考えるべきであろう︒その類型性とは︑あら筋のω〜⑩にそれぞれ次のように該当する︒ω父神 こ. の死︑②子神の流離︑③試練︑ω他界での籠もり︑⑤子神の復活︑⑥現世への来臨︑ω成年武︵聖婚︶︑⑧現世の浄. 化︑⑨君臨︑Φ◎祝福︑である︒これは︑一連の死と再生の祭儀的過程であって︑ヲケ物語も他のいくつかの天皇物. 語と同様に︑このような祭式的理念によって根源的に内側から照らし出されたものであることは︑確かといえるで あろう︒. したがって︑主人公ヲケも︑他の天皇物語の主人公︑たとえぱ神武・応神・雄略など古代王権の確立とその継承. 上重要た位置を↑口める神話的形象と同様と考えられ︑﹃記﹄全体の構造における意味も︑それらの天皇に匹敵する 大きなものと言わ ね ぱ な ら な い で あ ろ う ︒. 今︑前記の神武・応神・雄略の三天皇物語を採り上げ︑そのあら筋と主人公である三天皇の形象を︑先程のω〜. ⑩の祭儀的過程のパターンに即して簡単に分析し︑ヲケ物語の類型性を確認しておきたい︒. まず︑イハレビコ︵神武︶は︑神代︵上巻︶に神の子として生まれ人代︵中巻︶に天皇として即位し︑神代と人 ま 代とを架橋し︑天皇の神であり人である超越的両義性を開示する初代天皇として重要な存在であることは論を侯た. ない︒そのイハレビコは︑ワカミケヌという名をもつ︒ミケヌに諸説あるものの︑神饅を意味する﹁︐︑︑ケ﹂と神を. 祭る者の記号﹁ヌ﹂︵主︶の合体したものωと考えてよいのではないか︒つまり神に捧げられ神の再生としての穀. 物そのものでありながら︑祭祀老であるという︑神と人の両義性を示しているものであろうか︒そうでなくても︑. 現世︵人代︶における穀霊であることを示すものとすることは︑おそらく異論はあるまい︒ワカは穀霊が子神とし. 594. 糞郡命物謡論 33.
(8) 34. 早稲田商学第302号. て再生した状態を示す記号である︒神武は︑この人の代に豊穣をもたらすべき再生Lた新しい霊力をもつ人の姿を. とった穀神である︒神武の父神ウガヤフキアヘズの死は神武逓歴の発端ではないが︑彼がワカという名をもつこと. は︑とりもなおさず父神の死と再生を包みこんでいることを意味するであろう︒そして︑日向より東上し熊野を苦. 難遍歴流離して︑妨げる者どもを征伐し︑現世の中心たる大和に来臨し︑兄たちに代わり即位︑土地神の娘と聖婚. する︒前記のパターンのω〜⑨を含むものである︒⑩が欠げているのは︑神武の始祖としての神性の在り様と関係 があるであろうが︑今は詳説は省く︒. イワレビコ物語は︑初代天皇の物語で︑天皇の宗教的呪術的超越性を開示し︑後に統くもろもろの天皇物謡の規. 範となり︑それらの意味を照射する原点である︒以後の天皇物謡は︑このイハレピコ物語と多くの類型性をも?﹂ とによって︑王権による時空の支配を語ることが可能となるのである︒. ホムダワケ︵応神︶は︑神による父伸哀の被殺の後︑母オキナガタラシヒメ︵神功︶の胎内にあって︑他界薪羅. へ渡り︑筑紫へ戻り誕生した︒幼童にして大和へ帰還︑その途次異母兄たちの挑戦を儀礼的死によって克服︑成人︑. 即位︒ミヤヌシヤガハエヒメとの聖婚譲があって︑諸氏蛮異の貢献・部の定立・造池・文物の渡来等の治績の記事 で終る︒⑤. 神話物語においてワカという名をもったり︑また幼董・少年として流離と苦難による試練を受けたりすることは︑. 成人式の死と再生の祭儀的過程と幻想的に交叉しており︑それらの主人公たちの霊的再生更新強化を語るものであ. をぐな. る︒㈲ホムダワケ物語も︑ω〜⑩のパターンを全て保有しており︑そこで︑ホムダワケの天皇としての霊威の超越 まよわの. 性が説かれ︑保証されているのである︒. オホハツセワカタケ︵雄略︶は︑兄安康が眉弱王によって毅されたとき︑﹁童男﹂であったが︑二人の兄と皇位. 593.
(9) つ 継承の対立者と貝される属弱王やヲケの父市辺之忍歯王らを除いて皇位に即く︒続いて皇族や豪族の娘.神異の少. 女などさまざまな出自の女たちとの聖婚謹︑葛城の;員主の神との出会い︑諸臣の服従︵治績に当ろうか︶が語ら れる︒. 雄略も神武と同じく︑その名に﹁ワカ﹂の記号をもち︑かつ応神と同じく邸位前は童形であり︑両老と等しく末. 弟である︒そして︑その物語はやはり前記のω〜⑩の要素の全てを含むものと考えられる︒ただし︑流離と籠もり. は直接的に表現されてはいないが︑イチノベノオシハを伴っての近江の蚊屋野での狩猟が︑それに当るものと考え られる︒. 宮所を遠く離れ山を越えた近江へ出かけるのが︑一種の他界遍歴︵流離︶であることはいうまでもないが︑﹁野﹂. もまた他界であり︑神のミアレの場所であって︑そこへ赴くことが魂ふりのための籠もりを意味していたことは︑. 充分考えられることである︒ω﹁狩﹂もまた成年式儀礼の一種または一部であったことが確かめられるので︑⑧霊魂. の再生更新の魂ふりの儀礼として︑流離や籠もりと意味的に交叉するものといえよう︒ワカタケによるイチノベノ. オシハ殺害の場としての近江の野における狩猟は︑ワカタケ物語にこうした意味合いを付与L︑天皇の宗教的呪術 的超越性を説き明かすべく機能しているのである︒. 雄略の神話性については︑後章でやや精しく考えてみたいが︑いずれにLろ︑雄略も前二老同様王権の超越性を 具現する存在であることに︑間違いはたい︒ くめoおくご. おら胆. ヲケも﹃書紀﹄によれぱ︑﹁来目稚子﹂︵稚は﹁若﹂と同じ︶という別称をもっていたらしいし︑受難から帰京に. 至る流離の期間は﹁少子﹂であると記されている︒もっとも︑﹁来目稚子﹂たる呼称については︑﹃記﹄には触れら. れていないので︑﹃万葉﹄巻三の三〇七の歌に伝える石室に寵もったという﹁久米若子﹂危る流離謬の主人公にヲ. 5勉. 奏那 命 物語論. 35.
(10) 36. O. 59一. ケが﹃記﹄以後において擬せられた可能性はある︒﹃記伝﹄もすでに指摘しているように︑﹁久米若子﹂が籠ったと. されるのは︑三〇七の詞書によれぱ︑﹁紀伊の国﹂の﹁三穂の石屋﹂であって︑ヲケ物謡には︑﹃記紀﹄及びその一 O. わらは. どの儀礼的習俗と関っているであろうし︑物語的にはヤマトタケル︵ヲウス︶のクマソタケル征伐の場面と共通す. かかわ. 新室宴における二王子の名告りも︑貴人がそうした室寿ぎに招かれること︑神人が身をやつして来臨することな. ケは流離の少年貴種と設定される−﹂とで︑王たるにふさわしい霊性を獲得するのである︒. 子を童としてゐるのは︑物語の上の虚構に外ならないことは言ふまでもある窒い︒﹂と指摘するのが正しく︑ωヲ. フイクツ目ソ. あったことから︑この場合も﹁少子﹂としたというのも一面的で皮相な類推であろう︒﹃古事記全註釈﹄が︑﹁二王. らず﹂と述べており︑それ故に二王子はオシハの孫であろうと推測しているが如き不自然は︑確かにあるからであ ひセき る︒孫とする推測は論外だし︑斎宮式その他に﹁火炬小子﹂とあって︑火焼きの役に当るのは︑幼童とする規則が. れぱ︑此時は三十歳の御時なり︑されぼ是も火焼なるに因て︑少子とは云るにて︑実は童なりしよしにはあるべか. ひた書. るを︑其後雄略清寧二御代を経て︑今なほ童なるべきに非ず︑衰那命治二天丁八歳︑御年参拾捌歳と下にあるに依. として形象化されていることは否定できない︒物語は︑明らかにそのことを意図し︑そのことで少年英雄ヲケの神 に旺さo 聖性を説き明かそうとしている︒というのは︑﹃記伝﹄が︑﹁既に御父押歯王の殺され賜へる時に︑逃去坐るよしあ. ヲケの別称﹁稚子﹂については以上のように疑間があるが︑ヲケが苦難と流離において︑それにふさわしく少年. たのではないだろうか︒ω. 子﹂を久米部の伝承するそれと想爆し︑同じ来目部によって流離より拾い上げられた貴種ヲケを幻想的に交叉させ. 王子オケとヲケを見出した播磨の国の国司を﹁伊予来目部小楯﹂と記したことから︑別の流離講の主人公﹁久米着. みー﹂ともち. 挿話を伝える﹃風土記﹄とも全て﹁紀伊﹂への流浪は語られていない︒おそらく︑﹃書紀﹄においては︑流離の二. 早稲田商学第302号.
(11) る類型性をもっている︒. こうしてみると︑﹃記﹄におげるヲケの形象及びその物語に見られるもろもろの類型性は︑全て前記三天皇のそ. れとして繰り返し現出したものであって︑それ以外のものは一個もないということが判明する︒このことは︑ヲケ. が三天皇と同じく王権の霊威の具現老としての歴代天皇の中でも最も典型的な形象であり︑﹃記﹄全体の構造上に. おいても彼ら同様に重要な意味を担っていることを︑示すものと考えねぱならないであろう︒天皇像がそうした類. 型性をもつことで︑それは時間を超えた共時的存在として超越性を獲得し︑空間を始原に回帰させその全体性を回 復した空間に君臨し続げることができるのである︒. 三 雄路の超克−古代の内在化1. ヲケ物語の発端と繕末は︑奇しくも雄略天皇に結びついている︒ヲケとオケの二王子の逃走の契機は︑即位前の. ワカタケによる有力な皇位継承の対立者︑イザホワケ︵履中天皇︶の皇子で二王子の父であるイチノベノオシハの. 謀殺によるものである︒ワカタケによる殺薮の身に及ぶのを避けて︑二王子の流離が始まる︒また︑その結末は︑. 郷位後のヲケによって︑亡父の讐を報ぜんとして一念発起された雄略陵破壌の命とそれに対する兄オケの儒教的理. 念に基づく諌言との融和となっている︒このようにヲケの物語が雄略の行動によって惹き起こされ︑その行動への. 報復という型に整えられていることは︑この物語にとって雄略が重要な溝造的意味を負っていることを示すものと いえよう︒. ワカタケ物語は︑﹃記﹄下巻最大の物語であり︑ワカタケも神武に匹敵する巨犬な形象であることはいうまでも. たい︒したがって︑その考察は充分に一篇の論文の対象たり得るものであるが︑それは別の機会に譲り︑今はヲケ. 590. 翼那命物謡論 叙.
(12) 鑓. 早稲困商学第302号. 物語の構造性を考える上での前提としてのそれに止めざるを得ない︒以下︑簡略には遇ぎるが︑雄略の形象の穣造 性を検討しておく︒. ワカタケの形象の神話性または古代性については︑既に多くの論じられたところであるが︑幽こ−﹂では︑特にそ. こに顕著にうかがえる両義性について述べてみたい︒ここに両義性というのは︑たとえぱ︑神話における姉アマテ. ラスと弟スサノヲがそれぞれ対比的に分担すると考えられる︑王権の超越性を説き明かしそれを支える正統︵正︶ と異端︵負︶の観念の具有である︒胸. にぎ走ま 王権における正統は︑わが国の古代信仰では神の和魂という形で表螢される観念であって︑日常の秩序を構成す. る諾観念︑たとえぱ明・善・静・平和・創造・定着・神聖・中央・文化などを統合したものである︒異端とはそれ. と対極をたす︑神の荒魂に表殻される観念︑非日常的反秩序を構成する諸観念︑暗・悪・動・暴力・破壌・流浪・. 冒漬・周辺・自然などを統合したものである︒そして︑正統は繰り返し中心から異端を生み出してそれを周辺へ放. 射し続けることで自己の活力をとり戻していくのである︒これは文化の基本的溝造であり︑王権はそれをおのれの 仕掛げとしていることで宗教的呪術的君臨支配を完遂しているのである︒㈱. 王権の語りは︑アマテラスとスサノヲの対此的存在を祖型としてそれ以降︑中・下巻を通して︑正統を天皇が︑. 異端を皇予が多く分担L続けているということ︑つまりその両義性の継承で︑王権の超越性を開示していると考え. られる︒たとえぱ︑垂仁とホムチワケ・景行とヤマトタケル・応神とオホヤマそリ・允恭とキナシノカルノミコな. どの組合せである︒その点については︑景行とヤマトタケルにおいてすでに論じたところもあるので︑ω繰り返し は避げたい︒. ﹃記﹄の天皇像の中で︑雄略が唯一の例外となり得るのは︑実にこの点においてではなかろうか︒すなわち︑古. 589.
(13) が語られていたのだが︑雄略においてはこの両義が雄略一個に収敷されていると考えられる︒. まず︑ワカタケの正統性は︑その物語のω皇后以下との聖婚②服属③神との通交④蜻蛉野の命名の部分に示さ机. おおみお. ていると思われる︒ωの聖婚講は多くの天皇物語に︑神話以来の地上に豊穣をもたらす神の資格での妻問いとして ま 語られ続けているので︑その神聖性については︑今さら言うを侯たないであろう︒ワカタケの聖婚は︑皇女ワカク. サカベから大神氏の支族引田部の娘・和現氏と葛域氏の娘︑さらには吉野の神女ではないかと考えられる蜴童女に. 及んでいる︒吉野の﹁童女﹂は︑ワカタケの弾琴につれて舞っていること︑童女とだけ記されている無名性に注意 ご^﹂ぴ すれぱ︑﹃本朝月令﹄に記す天武天皇の弾琴によって仙女が現われ五度舞ったという五節舞の起源説話に徴しても︑. やはり神女の類が想像されていたとすべきであろう︒下巻冒頭を占める近き代の開祖仁徳のチ︵霊︶を継承するそ. の娘ワカクサベ・在地の偉大なる神オホモノヌシを祀る大神氏の娘・大豪族和現氏と葛城氏の娘.聖地吉野の神女. との聖婚は︑ワカタケが地上的規模においてあらゆる領域の神々の霊と結合し一体化していることを象徴的に藷る Lき. 曲おあポた邊L. かつを. ものであろう︒まさにその霊威は王権の全地上を覆う巨大性を獲得しているといえよう︒. ②の服従譲ともいえる話は︑志幾の大県主に﹁堅魚を上げた﹂その家を焼かせて天皇の威勢を示した︑﹂と︑皇. 后・妃・采女から天皇讃歌・宮廷讃歌を奉献されたことである︒﹁堅魚を上げた﹂慶は皇統神の神殿であって︑神. 殿と天皇の住屠をイメージとして重層せることで天皇1−神の観念を絶対化すること︑そのためにその建築様式を天. 皇家が独占していることなどを示し︑固それを実現したワカタケの神に等しい威勢を語っている︒讃歌の奉献もこ. の記泰が初出で︑やはりワカタケの威勢を文化の創造を通して語るものであろう︒ ひとこと担Lの. ③は︑ωの吉野の童女との聖婚をも含むであろうが︑主としては︑葛城の;頁主大神とワカタケの出会い講であ. 58ε. 代王権の正と負は文字通り正統であり中心である天皇とその周辺にあり補助である皇子に分担され続けてきたこと. 衰郡命物語論.
(14) 錆蛉島といふ﹂となっている︒. 58?. る︒一言主がワカタケや臣下の著どもの眼前に姿を現じ︑ワカタケの幣を受け︑ワカタケを奉送するというのであ. る︒=言主は︑大和の周縁をなす葛域山に居を構える葛城氏が奉祀する威力ある託宣の神であったらしい︒帥蔦城. 氏を滅したワカタケがその神とじかに付き合いその神をなつかせたのは︑人であるワカタケに神と通じることがで. きる神性が具有されているト﹂とである︒この点について︑﹃書紀﹄は﹁有徳天皇﹂と称えている︒. ﹂と. ωは︑魂ふりの聖地吉野に出かけたワカタケがおのれの腕に食いついた虻を食った蜻蛉にちなんで︑その野を あ昔づ. 倭の国を. 位前の話で有力な皇位継承の対抗者を狩の場において偽り不意打ちに自ら矢で射殺したというのである︒﹃記﹄で. らその衿りをつかんで引き出して切り︑また穴に生き埋めにして穀すという残虐性を発揮した話である︒②も︑即. 蔦城山での怒り猪の話などに薯しい︒ωは︑二人の兄を亡兄安康天皇の復讐に積極的でなかったという理由で︑自. 一方︑その異端性は︑ω兄黒日子・白日子の残虐な殺害②イチノベノオシハの謀殺③引田都の赤猪子への求婚ω. 武にも比肩する偉大な霊威をもった天皇として︑重要な位置を占めるものというべきであろう︒. ﹃書紀﹄の伝によれぱ︑蜻蛉島と命名したのは︑初代天皇神武である︒さすれぱ︑﹃記﹄では︑ワカタケは初代神. 合わされており︑大穐の国はワカタヶによって︑豊穣の呪的生命力を付与された−﹂とにさえなっているのである︒. 語る話といえるであろう︒それも︑歌謡によって︑大和の国の宗教的呪術的な聖なる異名﹁蜻蛉島﹂のそれと重ね. であり︑文化の創造を語るものである︒ワカタケにょる蜻蛉野命名説話も︑ワカタケのそうした文化英雄的側面を. 土地に生命が与えられ︑それによってその土地はその神・貴人に属するものとなったことを説明する地名起源の話. ﹃記紀﹄﹃風土記﹄に散見する神・天皇の巡幸伝承に多く見られる土地命名の説話は︑神・貴人によって︑その. とそらみつ. 購蛉野と名付げたという話である︒ただ︑そこに記された彼の歌ったとされる歌謡には︑﹁かくの如名に負はむ. 早稲囲商挙第302号.
(15) は︑天皇または次に天皇になる人物が自らの手で敵を殺害したという話は︑これ以外にはない︒皇子または臣下が︑. これを遂行していた︒﹃記﹄の原則にてらせぱ︑これは異例である︒ワカタケのこの殺しぶりは︑ヤマトタケル︵ヲ. ウス︶の兄オウス・クマソタケル・イヅモタケルの殺害にも見られた残酷性・狡猪性が十二分に再現されている︒ こういう点について﹃書紀﹄は︑﹁大悪天皇﹂と衆が称Lたと伝えている︒. ワカタケは︑皇予の負うべき負性を皇子として負いながら他の皇子たちのように他界へ放遂されず自ら天皇にた. ることで︑王権の負を天皇の正統性の中に収敷し内在化させてしまうのである︒負の内在化によって︑天皇は両義. 佳を獲得し︑皇子に対しても絶対性を保有する存在とたる︒異端たる資格も皇子から剥奪される︒異端性は︑次に. 天皇となる皇予だげに認められるものとなる︒異端は︑このように︑正統に属し究極的にそこに収敷されるものと. 距められた︒雄略以後︑こうした異端の皇子の伝承が﹃記﹄にないことも︑以上の推察を裏付けるものではないか︒. ﹃記﹄の叙述に従へぱ︑雄略はそれ以前の古代を集約した象徴的存在ともいえるであろう︒こうした表現は︑おそ. らく︑律令制下において天皇の一身に全ての権威・権力が集中され︑儒教的遭徳が鼓吹され︑皇太子といえども臣 下の礼を執ったとされる状況に︑みあうものなのではなかろうか︒. ③は︑三輸の川のほとりで出会った嬢子引田部の赤猪子に︑ワカタケは求婚し︑いずれ迎えをさし向げるから待. つようにと約束したが︑宮殿へ帰ってすっかり忘れてしまい︑ついに彼女は八十歳の老婆になってしまったという かL硅らをと出 話である︒すでに指摘されるように︑赤猪子は︑歌謡にも﹁ゆゆしきかも白濤原童女﹂とか︑﹁神の宮人﹂と呼ぱ. れているように︑﹁水の女﹂としての聖格を付与された神の嫁であるかもLれない︒⑱しかし︑そうした聖女が人と. 結婚できないということが︑この話の中心ではなかろう︒彼女が天皇と結婚Lそナ﹂なったのは︑あくまでも雄略の. 失念によるのである︒雄略にはそういうことが起こり得るという異常性がつきまとっているのである︒. 586. 衷郡命物語論 41.
(16) 似. うち. ま寺肚. 曲も. 肚ほホ. え. な. 585. ・﹂れは︑一種の滑稽護と見てよいであろう︒八十歳になるまで持ち続けたが耐えられずに名売り出た老女を見て︑. その心根をいとLいものとして︑﹁心に裏に婚ひせむと欲ほししに︑其の極めて老いしを揮りて︑婚ひを得成した. まはずて︑御歌を賜ひき︒﹂という叙述には︑遇剰性が見られる︒八千矛の神の天語歌﹁八千矛の神の命は﹂に見ら. れる過剰な演劇佳が滑稽を表出するものであれぱ︑同様に男女のすれ違いを語っているこの話にも︑滑稽性が認め. られるのではないか︒﹃書紀﹄だけが伝える雄略の一晩に七度合っての一夜妊み譲も︑過剰栓と滑稽性に満ちたも. のである︒滑穫のもたらす笑いが日常性の破壊であり︑ケの再生の原点たり得ることは︑アマテラスの天の石屋戸. 隠れの神話におげるアメノウズメノミコトの所作で確められることであろう︒㈱こうした滑稽講も︑ワカタケ以外 には︑見当らない︒. ωは︑葛城山での狩の際︑大きな猪を射た雄略が︑怒ったその猪を恐れて木に逃げ登ったという話である︒この. ワカタケの両義性に関するその他の視点は別の機会に譲るとして︑以上の盤かな観点においても︑彼が彼以前は. かということは重要な問題であろうが︑今は省略する︒. ていることを語っているのであろう︒そのことと︑天武・持統朝の地蔽への熱心な奉幣とはどうかかわっているの. でも︑明らかである︒言い換えれぱ︑そうした土地神への畏怖という古代性が︑王権にとって一種の過剰性になっ. この話が舎人が怒り猪を恐れて木に逃げ登り︑逆にこれを見たワカタケが舎人を殺そうとした話になっていること. とねり. で︑その滑稽な怯儒ぶりを語ろうとしたものであろう︒そうした行為が法濡の道化を意味するのは︑﹃書紀﹄では︑. カタケの神への恭順佳を表わすのが目的ではなく︑絶対老であるはずの天皇が獣を恐れて木に逃げ登るということ. 話も他に類が在い︒ヤマトタケル物語の白猪にてらしても︑この猪は山の神の化身であろう︒それを恐れて神への よ 敬意を表わしたワカタケを嘉みした;漬主の神が︑姿を現わすという煩序になっているのであろうが︑この話はワ. 早稲固商挙第302号.
(17) 天皇と皇子に分担されていた王権の両義性を一身に統合した︑古代をそこに集約Lた︑そういう意味では古代の終. ヲケの流離は︑ワカタケによる父イチノベノオシハの被殺に原因する︒すなわち︑ワカタケという王権における. 古代の象徴にその物語は起因するのである︒この話は︑王権の古代性によって惹き起されたものなのである︒とい. うことは︑ヲケ物語は︑ワカタケが古代を統合した地点に立った存在であったが︑その古代を受げとって展開して. いること︑婁言すれぱ︑古代をどう受け継ぐのか︑どう変容させるのかということを︑自ら物語の中で解決すべく 語られているのだということができるのではないか︒. 端的にその答えは︑ヲケ物語の結末に用意されている︒即位したヲケによる雄略陵破壊の執行︑それはオケの諌. 言によって結果的には形式的なものになったが︵それについては後述︶︑である︒ワカタケは王権の古代性の象徴. であったが︑その墓を破壌することは︑新しい様態をとる王権による古い王権の否定とその包摂を意味するもので. はなかろうか︒天皇に殺された皇子の子が天皇になった例は︑この物語だけであることもこうしたことを説き明か. しているといえよう︒父イチノベノオシハはワカタケによって殺された︒対立者を倒すことは︑ヲウスによって殺. されたクマソタケルの名の奉献でも確かめられるように︑殺された者の霊が殺した着に転移し︑その霊を強化する. ことになるのである︒有力な皇位継承有資格老オシハの霊は︑ワカタケに奪われ︑ワカタケの霊に魂ふりされてい. るわけである︒そのワカタケに︑ヲケは復讐を果したのである︒ワカタケは︑ヲケによって否定され︑超克された. のである︒そして・オシハの霊を包摂したワカタケの霊は︑ヲケの霊の中に包含されてしまう︒オシハを超えたワ. カタケ︑そのワカタケを超えた地点にヲケは立ったのである︒ヲケは︑ワカタケには見られなかった新しい時代性︑. 儒教的理念によって装われている形象である︒そこに︑ワカタケに見られた負性はない︒それに代った新しい蒔代. 584. 末に立つ︑尉天皇像ともいえる超絶的な形象であることが確かめられる︒﹃書紀﹄にもそうした徴侯は︑散見される︒. 蓑那命物語論 43.
(18) ■おぴと. 583. 的様相がみられた︒しかし︑ヲケもワカタケと同じく天皇になったのである︒前章で見たように︑彼は天皇たる資. 格1−正統性をその類型性の中に付与された存在であった︒ということは︑ワカタケノスメラミコトは︑ヲケノスメ. ラ︑︑︑コトによって超克され︑その中に包み込まれてLまったこと︑見方を変えれぱ︑王権の古代は︑新しい王権の. 新しい時代相の中に︑内在化されてしまったことなのではないか︒王権の古代は自ら波乱を生み出L︑その波乱の もたらしたものによって超えられていくのである︒. 葎令制によって太政官制と神砥官制の頂点に立ち︑宗教的権威と政治的権力を統括した天皇は︑自らの中に異端. 性を抱え込むことが不可能に扱ったに違いない︒ちたみに︑大津皇予以後︑反逆の皇子は存在しない︒そのように. 播磨の周辺化−中心の活性化1. ●. 屯倉に関してであって︑前者では︑二王子が身を寄せていたのは︑﹁赤石郡縮見屯倉首︑忍海都造細昼﹂のもとと. みやけ. るわげである︒その点に関しては︑さらに﹃書紀﹄と﹃風土記﹄において︑注意すべき一致点が見られる竈それは︑. 迫害の難を逃れたヲケが落ちのびた先を︑﹃記紀﹄﹃播磨国風土記﹄︵以下﹃風土記﹄とのみ記す︶は︑細部に異 Lじみ 同はあるものの︑いずれも播磨の国の東部縮見地方としているようである邊播磨の国とする伝承閻の一致が見られ. 四. 化されたといえよう︒ヲケ物謡のいくつかの特異性は︑そのことと関連しているのである︒. いられないという事態を摺来したのであろう︒ヲケ物語は︑まさしくそうした新しき近代に見合う語りとして溝造. 求めるように︑.精神的欠落を補填すべく︑可逆的にワカタケのような遇剰なる異端を﹁親しき着﹂として語らずに. ての天皇の形象を要求し︑同時にまたそうした状況における古代への反動的回顧が︑新Lい時代に失われたものを. 皇子さえも官僚として組織化L︑骨披きにせずには置かないまでの政治・制度というものの力が新しい聖天子とし. 早稲田商学第302号.
(19) な.o. 王なぎ. ■. ●. ところ. みやげ. し. しており︑後老の美嚢郡志深里の条では︑二王子発見の後︑宮を建て︑﹁叉︑屯倉を造りし処を︑即ち︑御宅の村 じ. む. と号げ﹂たと記している︸﹂とである︒﹃記﹄では屯倉のことにふれていないが︑二王子が身を寄せて家の主が︑﹁志. 自牟﹂とされており︑それは指摘されるように明らかに﹁シジミ﹂の転訊と見られる臼O故に︑やはり畿内に最も近. くその境界に接している縮見の屯倉がこの物語の一つの前提になっていたと思われる︒. ︑﹂の天皇家の直轄領でありその経済的墓礎ともなったとされる屯倉の経営が︑播磨の国の印象と大きく結びつい ていたのであろう︒. 播磨の国の屯倉は︑﹃書紀﹄及び﹃風土記﹄によれぱ︑﹁加古川流域に二︑市川−揖保川の一帯に五︑千種川域に. この都合八つを数えることができる例とされている︒それは畿内に次いでの数であり︑かつ時期的にも早いもの. であったらしい︒これは︑播磨が王権の中央に近いという距難的条件ぱかりではなく︑地味肥沃に加えて水系に恵. まれていた一﹂とによるであろう︒︐﹂れは︑﹃風土記﹄の開発の記事によっても知られる︒. そうした状況に加えて︑陸海交通網の要衝でもあった働ことから︑播磨はつとに王権によって目をつけられ︑こ. れを強力な支配下促置くことに腐心したらLい︒﹃風土記﹄には︑景行・応神・履中などの天皇巡幸説話が多く記. 肚りま. さき. い肚ひペ. ナ. され︑特にその呪術的霊的支配を徹底しようとした意図が見られるが︑︸﹂れも播磨の地の重要性を証するものであ ろう︒. i﹂とむ. や直. 王権に深く浸透された播磨は︑﹃記﹄中巻孝霊天皇の条に︑二皇子を派遣して︑﹁針間の氷河の前に忌欝を居ゑて︑. 針聞を道のn一として吉備の国室言向け和したまひき︒Lとあるように︑犬和朝廷の西国平定の拠点ともなったよう. である︒鯛したがって︑播磨の地方豪族も早くから中央に出仕し近習の舎人などに任じていたと︑﹃書紀﹄仁徳天皇. 条に記されているように︑王権への隷属度も強く︑反面親密さも濃かったと思われる︒その点︑畿外でありながら. 582. 麦那命物語詮. 価.
(20) も︑非畿外的︑畿内的性格の強い地方といえよう︒播磨とは︑意識としては︑畿内に等しい領域であったようだ︒ たほO. −﹂のかた. 彗. ﹃書紀﹄大化二年正月に発布された改新之詔第二条には︑畿内についての規定が述べられている︒畿内は中国の せO. あか﹂. くLムち. あム吉か. 制に習った新しい政治的空聞であったようだ︒幽それによると︑畿内とは︑﹁東は名墾の横河より以来︑南は紀伊の. 兄山より以来︑西は赤石の櫛淵より以来︑北は近江の狭狭波の合坂山より以来﹂とされている︒赤石は播磨の国の. 性によって貫かれた空間となすことができたのである︒. 点とすることで︑そのことで支配窒問を単一の宗教的呪術的論理によって整合された複合的祭儀的空間︑王権の聖. こに隣接する境としての周辺都を設定することで︑境の向う側にハレの空間を作り出げた︒そ︸﹂を王権の聖性の原. め︑簡単に繰り返しておきたい︒王権はその支配領域のあらゆる空間のレベルにおいて︑それぞれにケの空間とそ. 王権の語りが表出する空聞構造の原則については︑既に幾度か述べたところであるが︑㈱論旨を明らかにするた. をもって貫かれた支配空間を観念の中に現出させることができたのである︒. 権は︑そうした空間構造をあらゆる空閻のレベルに政治的に作り上げることで︑王権の霊威の宗教的呪術的超越性. る︒非日常の窒間と日常の空問との宗教的呪術的交渉の在り様は︑いまさらうんぬんする必要は在いであろう︒王. 空間そのものとして区別され︑反措定的に畿外は非目常的観念に覆われた非日常空間︵異郷・他界︶となるのであ. のとLて養別することが可能になる︒それによって︑畿内は王権の現世の支配に完全に馴致され同化された日常の. 措置の中には人間的差別さえ含まれている︒㈲畿内という観念を作り出すことで︑その他を畿外やそこに属するも. 畿内は︑王権が畿外を支配するために︑さまざまな政治的措置によって特殊化された地域であるといわれ︑その. 畿内の周辺という特殊性をもった領域ということができる︒. 東の端の明石であるとすると︑播磨は︑畿内という特殊な地域に隣接した︑畿外という広範な領域においても特に. 坐. 早稲田商挙第302号. 581.
(21) 主ま. 一例を掲げれぱ︑神話において目向・出雲を地上のレベルにおける王権の神神の送迎の地という周辺部とするこ. とで︑高天原と棚の国という他界を彼方に想定せしめ︑宗教的呪術的論理に貫かれた宇宙という空問を勇出せしめ. た︒これによって︑まず宇宙が王権の聖性によって貫かれ︑統合された空聞となる︒そして︑反措定的にそれ以外 の地上は王権支配の現世︑ケの空間とされるのである︒. マクロの空間構造の原理がミクロの空間にも適用されていることは︑大和という王権の日常の中心空問を見ても. 明らかである︒そこは︑神々の盤躍する山山を周辺とし︑その彼方の地︵紀伊・河内など︶を他界とした地なので. ある︒﹃記紀﹄の伝承は︑それを語っている︒だが︑事実は逆に︑︑ミクロからマク回へという拡充適用であったは. ずである︒神話というものは・本質的にそうした転倒性をもつ︒神話的原理によって貫かれた王権の語りは︑この. 空間構造を順次マクロからミクロヘと及ぼすことで︑王権の地上におげる空間支配を呪術的に確立していくのであ る︒. .播磨は︑新しい王権が作り出した畿内・畿外という空間のレベルにおいて︑周辺に位置づげられた領域であった. のである︒前述のように︑出雲・吉備などの西国を経営する前進拠点であったとすれぱ︑それは同時に畿外から中. 央への進入をくい止める防備の拠点でもあったろう︒当然王城の外壁そのものの畿内とは︑峻別される︒前述のよ. うたその非畿外性にも拘らず︑播磨が畿内から除外された理由の一つは︑おそらくそのようなところに存したであ ろう︒. ﹃記﹄は︑播磨をそのような周辺とLて構造化しようとする意図を︑明確に示Lたのである︒前記の孝霊記の記. 事もそれであるし︑王権の負を負うヤマトタケルの母を播磨の豪族の娘としている点もそうであろう︒周辺はハレ. として︑常にケとしての中央に対して異常た霊威を放射する磁場である︒そこはまた神の︑ミアレの場でもある︒出. 580. 糞那命物謡論. 47.
(22) 充分誰測できる︒. 人に隷属する家畜であって︑その牛馬の飼育に当る人間が牛馬と等しい人の中で最も下嬢の者とされていた−﹂とは︑. でもないが︑馬飼牛飼が下賎の身分であることは明らかである︒﹃記﹄の諸伝承でも牛馬はあらゆる人に使役され. 播磨へ難を遁れた二王子は︑在地の豪族の家に身分を隠して﹁馬甘牛甘﹂となって使役されたと伝える︒いうま. 五 馬飼牛飼の転倒性−馴致の仕組み1. 権が誕生するのである︒. それ故に︑ヲケは大和へ帰還し天皇となり︑復活した新しき皇統による前章で述べたような新しき相貌を帯びた王. そして︑その周辺をそのものとして機能させる周辺化は︑相対的に中央の新たなる活性化を喚起させるものである︒. 能︵言霊ともいえる︶と効用が信じられていたのであるから︒ヲケの流離はそのような意図を帯びた語りである︒. 濃く伝えている播磨という領域に対して絶対必要とされた措置であったわげである︒字宙をからめとる︸﹂とぱの機. まな政治的軋櫟が生じていたといわれる︒㈲そうだとす渇とそれは畿外として位置づげられながら︑非畿外性を色. 播磨の周辺性を語ることは︑播磨を宗教的呪術的に周辺化させることである︒播磨ではその非畿外性故にさ童ざ. 異であり︑そこに﹃記﹄は︑歴史的位相性を設定しているのである︒. りを挙げ復活した︒流離の地としての出雲と播磨の違い・ホムチワケなどとヲケの復活の違いは︑申巻と下巻の相. くことができよみがえった︒ヲケも同じような理由で播磨へ流離の族をしたのである︒そして︑貴種としての名告. 雲が流浪の皇子ホムチワチやヤマトタケルにとってどのような空間であったかを考えれぱ︑自明のことでばないか︒ 巳とと ホムチワケは寵もりのため︑タケルは試練のためその窒間を訪れる︒そして︑ホムチワケは言問い︑つまり口をき. 螂. 早稲田商学第302号. 5フ9.
(23) らまたは甘5Lた肚け. ﹃記﹄中巻伸哀の条に︑﹁馬婚牛婚﹂が鶏と同じ家畜を対象とした獣姦の罪に挙げられているのも︑牛馬が異類. であるとともに︑人間の使われる人間杜会の最下等の動物であったからであろう︒神功皇后が新羅を屈服させて︑. ﹁御馬背﹂として年毎の貢献を誓わせたというのも︑服属・隷従を示すものであるから︑馬飼牛飼たる語が卑賎な 5ま工加 る隷属民のイメージをもつものであることは確かである︒また︑イチノベノオシハが殺され切り刻まれて﹁馬槽﹂. に入れられたというのも︑その霊が馬と等しい最も下賎なる者に駈められたことを示す︒父がそうなされたことと︑. 遺児たちが﹁馬牛甘﹂になったことは無縁ではない︒物語の当然なのである︒﹁馬槽﹂に入れられた父は﹁土と等. しく﹂埋められた︒土はあらゆる人の踏むところである︒馬飼牛飼もまた最下層の︑人とはいえたい者どもであっ. たはずである︒であるから︑新室宴の席で舞を所望された二王子が人並みに兄弟その順を譲り合って礼を尽くした. のを見て︑人人が笑ったとされるのである︒ヲケ物語の結構は︑そのように︑貴種である二王子が最も卑賎なる者. に落ちたことを強調している︒最も尊資なる者と最も卑賎なる者を重層させるのである︒﹁山代の猪甘﹂の老人に よる迫害も︑そのような機能をも果すものであろう︒. ト﹂のような例は︑ヲケ物語以前の﹃記﹄には見られないし︑もちろん以後にはたい︒中巻ヤマトタケル物譲に︑. ヲウスが童女に姿を変えてクマソタケルの新室楽に列したとある︒名告りの場が新室宴の席という状況は同じであ. るが︑ヲケ物語の場合と同等には扱えまい︒ヲウスの女へ変身は︑騎しのための自発的計略であり︑両義的超越性. 獲得という呪術的意味をもつ閨ものであろう︒いうまでもないが︑ヲケの流離も身を駈しての苦難も強力な霊的復. ・. ■. ■. ●. ●. ■. ■. 活のための籠もりであるから︑基本的にはヤマトタケルの場合と変わりはない︒しかし︑決定的とも恩われる相違. ■. は︑前述のように︑流離の貴穫が迫害によって最下層民に身を暖すことである︒. 現世において︑人の姿を採りながら神であり︑人の上に立つ最も尊貴なる存在11天皇が︑最も卑賎なる者の中に. 5フ8. 糞郡命物語諭. 49.
(24) 50 早稲細商学第」302号. 等しく交じるということは︑如何なる構造的意味をもつのか︒神話をふり返︒ってみるに︑王権はそもそもあらゆる. 時閻におげるあらゆる空間のレベルにおいて︑それぞれの様態をもちながらも︑そうした対極的な位相を抱えこむ. という両義性を保有し続げてきたのではないだろうか︒姉アマテラスに対するに弟スサノヲが王権の負性を負う存. 在であることは︑いまさら論じる必要はない︒また︑その彼が海原に君臨し︑さらには根の国に放遂されそ㌧﹂に君. 臨するというのは︑彼の負う現世の汚稜故であること︑その放遂は祓いの呪術によるものであることは︑すでに論. じ尽されている︒しかし︑その神話は︑同時に王権による宇宙の統括をも語るものであろう︒翼世の豊穣をもたら. す源泉たる高天原という聖なる天上界と現世の汚穣の源泉たる底つ霞根の国という地下界は︑王権の祖神の流離に. よって︑︒その聖性によって貫かれ聖なる一個の窒閻としての字宙に一体化される︒この字宙の尊資たる空間と汚穣. の空問とは聖なるものとして一つに統合される︒等しく王権の空間であることで差別は汰くなる︒二つの空閥は︑. 統合されながらも二つの空間としての存在・機能を許され︑王権にとって不可欠危空間として機能する︒. 王権はこのようた対極的観念を抱えこむことで︑この世をそのままのこの世としてあらLめるのである︒正なる. 空間高天原と負なる空間黄泉の国という異次元を上下に構造する一﹂とで︑この二極にはさまれた中つ国11現世には︑. あらゆる対立的観念で分類し得るあらゆる事象が存在し︑そのまま永遠にあり続けるわけである︒例を掲げれぱ︑. それにより生と死・夜と昼・豊穣と凶作などが存続するのである︒㈲このように考えてみると︑︸﹂の空間構造の仕 あ吉つひつ音. さか. 苦さ. あめつち. 組みこそ︑現世の天皇支配の状況を最も積極的に肯定しているということがいえる︒﹃書紀﹄神代下第九段第一の. 一書の天孫降臨に際してのアマテラスの神勅における﹁宝酢の隆え童さむこと︑当に天壌と窮り無げむ︒﹂は︑こ のようにして可能と杜る︒. この論理をヲケとオケが馬飼牛飼とたったという表現に適用させてみれぱ︑人閻集団という空間の上の極に立つ. 57?.
(25) 尊貴たる天皇と下の極に位置する卑賎なる馬飼牛飼が同じであることによって︑人間集団が王権の聖性によって貫. かれ統括されたこと︑その内に階級という差別を内包しながらも一僧の霊的統一体として階級を止揚させてしまう. と考えられる︒したがって︑それは︑逆に天皇と馬飼牛飼という差別を必要なるものとして容認L存続させる−﹂と. になる︒人間集団の階級性を語りにおいて無化することこそ︑日常においてその差別を存続させる仕掛けである︒ そのようにして︑王権はおのれの支配体制に集団を馴致させる︒. 最も尊貴なる者を︑その尊貴性を強化し維持するためには︑最も卑賎なる者へ︑極端から極端へ転倒︒させるので. ある︒下巻の樟尾にこのような語りを位置づげる必要が生じたのは︑おそらく律令体制の完備と深くかかわってい. るであろう︒尊制君主としての神聖と不可侵性の強化︑法令と組織の整備による被支配層の広般化と細分化が進行. し︑霊的統一体共同体としての人間集団は分裂する︒天皇は絶対化L︑そうした共同体的集団の呪術的盛衰と一体. 化した相対的存在である﹁親しき者﹂ではたく汝った︒実は︑その在り様−﹂そ天皇の存在を脅かすものであったは. ずである︒絶対化の機構が同時に王権をその基盤から疎外し︑弱体化させる危険を娃むという二律背反性をもつの. である︒なぜたら︑天皇が天皇であり得たのは︑民俗宗教の世界を基盤としていたからである︒自らその世界から. 遠去かった王権が︑取り戻さなげればならなかったのは何か︒新しい時代の状況はそれとして容認させながら︑古. き良き﹁親﹂き著LとLて天皇を復活させなけれぱならたい︒その要請を二つながら融合させた新Lい宇宙の様態. ﹃記﹄中巻における神武の二皇子弟カムヌナカハ︑ミ︑ミと兄. ヲケとオケの構造性−神話牲から道徳性へー. を言語とLて搦めとったのが︑−﹂のヲケ物語の馬飼牛飼であったのである︒. 六. 弟ヲケと兄オケという二王子の組合せは︑ただちに︑. 5ケ6. 褒那命物語諭 51.
(26) 52. 575. カムヤヰミミ・景行の二皇子弟ヲウス︵ヤマトタケル︶と兄オホウスなどを想起させる︒記紀には︑この他諸豪族. に至るまで多くの二人の兄弟の伝承がある︒神話における山幸ホヲリと海幸ホデリの組合せも含めて︑これらに共. 通して見られる対の在り様は︑弟が正統の正の記号である諾観念を負う者であるのに対して︑兄が異端の負の記号. である諸観念を負う老であることである︒そして︑この対比は絶対的であって︑筋の進行によっても変ることがた. いのである︒ただし︑上記の例のうち︑ヲウスとオウスについては︑少し説明が必要であろケ︒ヲウスが正統であ. るというのは︑兄オウスに対してであって︑彼もまた父天皇に対して異端であるという二重構造をもつ︒蘭その二. 重性の一端は︑彼の子が一代において天皇になるという伝承に依るものであろうが︑今は省略する︒. 中巻冒頭のカムヌナカハとカムヤヰの対比は︑ヲケとオケのそれに酪似している︒この二つの話が︑冒頭と結尾. として人代を繰っているのは︑象徴的意味がある︒父神武の没後︑異母兄タギシミミの謙殺の際︑兄は弟のすすめ お によって武器を執ったが︑恐れ怖じて殺すことができなかった︒代りに︑弟が武器を執って殺した︒兄は弟に劣っ. たことを恥じて︑上にいることを承知せず︑皇位を弟に譲ったというのである︒ヲケも兄オケに代って貴種として. の名告りを上げ︑それによって二人は貴種として復活し得た︒それを功とした兄ぱ︑弟に位を譲ったというのであ. る︒いずれの場合も︑弟が正を負い︑兄が負を負う者ではあることに違いはたい︒兄として為すべきを仕遂げるこ. い肚ひぴと. とができなかった者は︑下位に立たねぱならないのである︒これも儒教的発想である︒だが︑前者では︑それ故に. 兄は﹁忌人﹂となってそのまま仕えたということらしい︒兄は天皇になっていない︒これに反Lて・オケはまず弟. ヲケに位を譲ったが︑弟の死後︑即位しているのである︒前者では負はそのまま負として終わるが・後者では負は. 的な空間的なものではなく︑箱対的な可変的な時間的なものに変貌した︒それは︑王権の正と負が先天的在かつ外. 時を経て正となる︒そこには︑時間が存在を変化させるものとして登場する︒それによって王権の正と負は︑絶対. 早稲蘭商学第302号.
(27) 在的なモノーーチの継承や付着に類する呪術的宗教的由来によって成り立つものから︑人間自身の内部に起る心理的. 性格的なものに由来する道徳に︑価値的変貌を遂げたことに他たらたいであろう︒神語性が︑先の第二.三章で見. たように内在化され︑遣徳性にすり換えられていくのである︒それが王権の基盤である故に神話性を否定し捨象す. ることはできないことは︑いうまでもない︒オケの変貌は︑そのことを下巻樟尾において決定づける︒. 新しき代近代の天皇は︑道徳佳によって装われた存在であらねぱたらなかった︒下巻冒頭の仁徳天皇が聖帝とさ. れる由縁もそこにあろう︒また︑下巻の区切りを儒教的聖帝の代によるそれとする考えも妥当であろう︒腕人の姿. を採った神の人としての卓越性を︑儒教的聖天子鐘によって獲得しようとした理歯は︑新しく構築された頭家観で. あろう︒紹全ての人聞が育い紐帯︑感でも観でも︑から切り放される必要がある﹄国家という観念の下︑律令とい. う制度によって全ての人間が組織化されなげれぽたらないとき︑新しい状況にふさわしい新しい呪文︑日常の統制. 理念としての人聞的道徳︑個人を内側から規制するもの︑が求められたと考えられる︒制度の頂点に立つ天皇はそ. の完全た具現者であらねぱ︑そのレベルにおいて超越性を保持でき恋いものとなってきたのであろう︒. ヲケノスメラミコト像は︑前述のように︑雄略像の超克によって︑古代性を内在化させて︑近つ代の天皇として. 下巻樟尾に立った︒兄オケは︑そのヲケの次に天皇になった︒そこには︑雄略とヲケの関係が二重穣造的にたぞら. れているようである︒ヲケが即位の後︑父を殺害Lた雄略を﹁怨みたまひて︑其の霊に報いむ﹂と志して︑その陵 かた喧ら. の破壊を命じた︒亡父の復醤は儒教釣徳目の﹁孝﹂に当るものである︒そのとき︑自らそれを買って出て︑陵の破. 壌をその傍を掘るということで済ませた兄オケば︑その理由を大略次のようにヲケに説く︒すなわち︑亡父の仇を. 報ぜんとするのは人の子として当然であって︑これは行なわねぼならない︒しかし︑その情は私のものであって︑. 公のものではない︒公は私を超える︒雄略ば先の天皇である︒天皇の神聖性は不可侵のものであり︑それに対する. 5ク4. 糞郡命物謡誇. 53.
(28) 54. ゆ. すぺ. 礼を欠くことはできたい︒そ−﹂で公を立てながらも私の情を満たすためにそのようにしたというのである︒ そむ ﹃書紀﹄推古十二年四月の十七条憲法第三に﹁君をぱ天とす︒臣をぱ地とす︒﹂とあり︑第十四には︑﹁私に背き. ○つと. まつ. て公に向くは︑是臣が道なり︒凡て人私有るときは︑必ず恨あり︒﹂とある︒君臣の別・公私の別の厳しくある︑べ もと きことを説くのは︑儒教的道徳観による︒臣下にそのように要求する側が︑それに惇っては汰らない︒言う淀らぱ︑. ヲケは小乗的道徳に測っているのである︒父の遺骨を求めたのも︑彼が祖先の祀りを怠らない孝行者であることを. 語りている︒もちろんオケは天皇ヲケに対して輔佐の皇子として役目を発揮したのであるが︑その依るところの道. むすびに1再び確認的に1. 権の現植的君臨の超越性︑を謡るものであるということであった︒そして︑それは︑律令制の頂点に宗教的権能と. いてハレの空間として整合し統括すること︑また︑ケの次元における王権の優越が民俗の論理に優先することで王. めておいた︒すなわち︑王権がハレの論理を独占し︑その論理をもって全ての窒間を︑あらゆる空間のレベルにお. はじめに︑シビ物語の考察を通じて︑シビ物語がヲケ物語において果たしている構造的意味を以下のようにまと. 七. 念の優先・﹂そ︑律令制を支える基本であったはずである︒. オケとしてあるのである︒それが儒教的道徳に装われた天皇の立つ近つ代の最も新しい時点であった︒﹁公﹂の観. ながち︑現世日常の次元において道徳という超越性を身につける遇程であった︒雄略を趨えたヲケ︑ヲケを超えた. ら正へ転換するのである︒それは︑天皇という存在が神話的両義的超越性を遇去のものとして秘儀的に内在化させ. を負う皇子と位置づけられながら︑負の超鴬性︵正統を超える過剰性︶の発揮によって︑正なるヲケを超えて負か. 徳はヲケを超克する大乗性を示している︒私の道徳律を包みこんで公のそれはある︒オケはヲケに対する王権の負 早稿田商学第302号. 573.
(29) 政治的権能をあわせて獲得Lようとした王権の新しい時代の様相に見合った語りの様相でもあったのである︒. 本稿におげみヲケ物語の考察ば︑それに加えるに︑以下の如き物語的側面と王権構造の視点を提示Lたものであ. る︒﹁第四章播磨の周辺化﹂で見たように︑王権は畿内畿外という新Lい空間の範曉を周辺と中心という祭儀的空. 間として意味づけることで︑新しき時代の王権空間を神話的始原に回帰させ聖化Lた︒また︑﹁第二章ヲケ物語に. おげる類型性﹂で見たように︑その神話的類型性によって︑ヲケも神武・応神.雄略などと同じく﹃記﹄上巻ホノ. ニニギの生まれ代りとなって︑天皇がこの世を再生更新させる霊威を保有L続けることを示した︒︑﹂の世の時間を. も︑ハレの次元に組み換える秘蹟を見せるのである︒ヲケ物語は︑王権が新しき近つ代においてもこのようにLて. 聖性を負っていることを語るものであった︒そ牝が律令制下に絶対的専制君主として隔絶した天皇を︑相対的存在. たる古き良き﹁親しき者﹂によみがえらせる手立てであった︒−﹂の空問と時間の無時聞的聖化支配こそ﹃古事記﹄. という書の基本的な機能であることは︑はじめに述べた如くであり︑ここに再び確認し得たといえる︒この機能は︑. 中・下巻の歴史時代とそれに無時間的に並列されたと考えられる上巻の神話の保有する秘儀的.祭儀的構造を光源 とする中・下巻へ照射によって獲得ざれたものである︒. だが︑もし王権の超越性がそうした秘儀性・祭儀性によって示される宗教的呪術的霊威の側面のみであるならぱ︑. 上巻の神話だけでその秘蹟の開示は事足りるはずである︒にも拘らず︑中下巻の語りが必要とされるのは︑繰り返. されることのないケの時間が厳然として存在するからである︒王もこの次元においては人の形姿をもち︑死すべき. 存在であることは既にホノニニギとコノハナサクヤビの聖婚において説き明かされている︒天皇は︑このケの次元. −. ・. に君臨する以上︑時の経過とその変化に則応した存在であるはずである︒中巻から下巻への語りには︑︑﹂れが一つ の基本的テーゼと し て 採 ら れ て い る ︒ ・. 572. 衷那命物謡論 55.
(30) それぞれ異たった天皇が︑それぞれ独自の事蹟を残すことで︑ケの次元におげる権威の趨越性を示し続げた︒﹁第. 三章雄略の趨克﹂・﹁第五章馬飼牛飼の転倒性﹂﹁第六章ヲケとオケの構造性﹂においても︑ヲケ物語におけるその. ような状況が確かめられたが︑特に︑ヲケ物語では︑新しい近つ代に出現した偉令制という拙象的なケの空間の体. 質に応じた︑その全空間を覆い整える王の超越性としての儒教的道徳性が開示されていることが重大であった邊天. 皇はその完壁なる具現着としての外貌を取得し︑かつ宗教的呪術的霊威を内在化させることで民俗のレベルとの通. 底を保ちその同意をとりつげつつ︑はじめて近つ代の現世に君臨することが可能となったのである︒ヲケ物語は︑. このように語ることで︑中巻冒頭のイハレビコ物語・下巻冒頭の聖帝オホサザキ物語と相い応じつつ︑﹃古事記﹄. 倉野憲司﹃古事記全註釈七﹄二九五頁︒. ﹃書紀集解﹄﹁按称二来目一者伊与来目部小楯奉レ迎而為二皇子一故蓋奮庇称一﹂︒. 阪下圭八﹁柿本人麻呂−河騎野の歌について1﹂﹃目本文掌﹄七七年四月︒. ⑥に圃じ︒. 益囲勝実﹁ 聖 地 籠 も り ﹂ ﹃ 秘 儀 の 島 ﹄. 山折哲雄﹁目本神話における成年式儀礼﹂﹃講座目本の神話7目本神話と祭祀﹂有精堂︒. ホムダワケについては︑倉塚曄予﹁胎中天皇の神話ω・㊥・㈲﹂﹃文学﹄五〇巻ニニニ・四号に詳細に論じられている︒. 西宮一民校注﹃新潮日本古典集成古事記﹄三九九頁︒. 稲阻商学﹄二九二号︒③﹁読む﹃応神記・仁徳記﹄﹂﹃日本文掌﹄八二牢三月︒. 都倉①﹁古代王権の国土とその継承⇔﹂﹃早稲田商学﹄二九〇号・②﹁﹃吉事記﹄におけるスサノヲとヤマトタケル﹂﹃早. ωに同じ︒. 都倉﹁志毘臣物謡論1﹃古事記﹄の構造に関遵して1﹂﹃早稲田商挙﹄二九八号︒. 全体を締め繰る天皇物語と危り得ているのであった︒. 2︶. 注ω ︵. 3 ︵. (5)(4). (8)(7)(6). ㈹(9). 56. 早稲囲商掌第3⑥2号. 5?1.
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