• 検索結果がありません。

いた 問題は東北沿岸の被災地に入るための手段にあった 平成二十二年春まで 防衛庁時代 の平成十三 から平 成二十二まで一〇年近く 私は有識者として防衛省陸上幕僚監部 陸幕 から オピニオン リーダー の委嘱 を受けていた 当時 その関係もあって 防衛省陸上幕僚監部監理部総務課広報室の貴島康二 1等陸

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "いた 問題は東北沿岸の被災地に入るための手段にあった 平成二十二年春まで 防衛庁時代 の平成十三 から平 成二十二まで一〇年近く 私は有識者として防衛省陸上幕僚監部 陸幕 から オピニオン リーダー の委嘱 を受けていた 当時 その関係もあって 防衛省陸上幕僚監部監理部総務課広報室の貴島康二 1等陸"

Copied!
23
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

いざ、東北沿岸へ

自衛隊岩手地方協力本部・本部長と共に(その4)

  

  

  

(1)はじめに

「危機管理の社会学」 (

Sociology of Emergency Management

) の基本的要件とは何か

  「闘い」は突然はじまった。平成二十三年三月十一日、午後二時四十六分、東北地方・太平洋沖地震( 「東日本大震 災」 )との「闘い」である。 「・・・・そもそもこの未曾有の災害に闘いを挑むこと自体が無謀なことだったのだ。自 然災害に人間が勝とうと思うことさえ傲慢なのだ。勝負は始めからわかっていた。しかし、災害そのものとの闘いで は な く、 我 々 が 闘 っ て い た の は、 災 害 に よ っ て も た ら さ れ た 個 々 の 事 象 と の 闘 い だ っ た 」。 こ の 言 葉 は、 岩 手 県 総 務 部総合防災室防災危機管理官・越野修三氏(元・陸上自衛隊第 13師団司令部第3部長《作戦幕僚》1等陸佐)の言質 で あ る( 『 東 日 本 大 震 災 津 波 ― 岩 手 県 防 災 危 機 管 理 官 の 一 五 〇 日 ―』 平 成 二 十 四 年 七 月 一 日 株 式 会 社 ぎ ょ う せ い 参 照) 。   東北地方・太平洋沿岸の各地域は、巨大地震に襲われ、観測史上未曽有の大被害を被っていた。私はまだ躊躇して

(2)

いた。問題は東北沿岸の被災地に入るための手段にあった。平成二十二年春まで―防衛庁時代(の平成十三)から平 成二十二まで一〇年近く―、私は有識者として防衛省陸上幕僚監部( 「陸幕」 )から「オピニオン・リーダー」の委嘱 を 受 け て い た。 当 時、 そ の 関 係 も あ っ て、 防 衛 省 陸 上 幕 僚 監 部 監 理 部 総 務 課 広 報 室 の 貴 島 康 二 ・ 1 等 陸 佐( 現・ 陸 上 自衛隊第7高射特科群・群長兼竹松駐屯地《長崎県》司令)にいろいろな対応をとって頂いていた。従前、陸幕から は「 先 生 と の 関 係 は 従 来 通 り で す。 」 と 連 絡 を 受 け て い た か ら で あ る。 未 曽 有 の 地 震・ 津 波 被 害 を 想 い、 し か も 一 教 員の立場を考え合せると、現地に赴いて救援部隊(自衛隊)の組織的活動を調査することなど、到底、不可能と思え た。   地 震 発 生 か ら、 ち ょ う ど 一 週 間 が 経 過 し た 一 八 日 の 夜、 陸 幕 の 貴 島 1 佐 か ら 自 宅 に 連 絡 が 入 っ た。 連 絡 の 内 容 は、 4~5日前に依頼した今回の「災害派遣」の資料に関する件であった。陸幕「広報」は、陸自のエリート集団の一角 を占める。そこからの「連絡」である。事がことだけに、 自然と身が引き締まる。陸幕からの資料を見ながら、 阪神 ・ 淡 路 大 震 災 の 時 の 記 憶 を 蘇 ら せ て い た。 同 時 に、 陸 上 自 衛 隊 の 災 害 派 遣 の 規 模 が あ ま り に 大 き い こ と に 圧 倒 さ れ た。 神戸の震災とは、すべての点で事情が大きく違っていた。被災地域は、東北地方 ・ 太平洋沿岸の全域にわたっていた。 被害の点でも、また被災地域の広大さの点でも、さらに現地に赴く交通手段の点を考えあわせても比較にならなかっ た。   常に、私が行う災害研究の争点は決まっている。学術的立場から、災害の「衝撃期」における自衛隊の「組織的対 応 」・ 「 組 織 間 対 応 」 を 捉 え る こ と で あ る。 具 体 的 に は、 社 会 学 的 視 点 と そ の 思 考 の 枠 組 を 基 に、 「 衝 撃 期 」 に お け る 緊急救援組織( 「自衛隊」 )の「動き」を捉えることにある。現地調査を基に、社会学的分析を行ない、未曽有の大災 害 の 下 で 実 施 さ れ た 自 衛 隊 の「 組 織 的 対 応 」・ 「 組 織 間 対 応 」 を 記 録 し、 「 日 本 」 と い う 国 に と っ て、 ま た こ の 国 の 人 び と に と っ て 少 し で も「 糧 」 に な る「 知 見 」( 「 生 き た 知 識 」) を 導 き 出 し、 そ れ を 後 世 に 正 し く 伝 え る こ と で あ る。

(3)

それには、既存の政治的イデオロギーや社会運動が提示する視点とは別に、公正な学術的・実証的立場から、また現 場 の 部 隊・ 隊 員 の「 目 線 」 に 沿 っ て 事 実 を 丁 寧 に 拾 い 集 め、 ① 中 国 や 北 朝 鮮・ 韓 国 等 の「 反 日 」 の 歴 史 観、 偏 っ た 特定のイデオロギー、並びに② 現実の国際環境・政治(の「事実」 )に則さない単純で非現実的な「理想主義」等に 由来する、 「自衛隊」とその「活動」に対する批判に対応( 「反駁」 )しなくてはならない。これが、 「危機管理の社会 学」 (

Sociology of Emergency Management

)といった「現場」の研究に携わる者がとる「姿勢」の一端である。   本 稿 で 言 う、 (「 領 域 社 会 学 」、 「 部 門 別 社 会 学 」 と し て の )「 危 機 管 理 の 社 会 学 」 を 規 定 す る 重 要 な 特 徴 は、 ① 米 国 に お け る 災 害 社 会 学( Disaster Sociology ) の 理 論 と 手 法 を 援 用 し、 ② お も に 災 害 の「 衝 撃 期 」 に お け る 人 間 社 会 の「 対 応 」( Responses ) の 特 徴 を 抽 出 し、 さ ら に ③ 災 害 因 が 及 ぼ す 社 会 シ ス テ ム の 急 激 な 崩 壊 の プ ロ セ ス に 焦 点 を当て、システムに潜む亀裂や欠陥を明らかにする点にある。   言 い 換 え れ ば、 「 危 機 管 理 の 社 会 学 」 が 必 要 と す る の は、 現 実 社 会 の「 具 体 的 状 況 」 を 読 み 取 る た め の「 道 具 」 的 思考であり、それは、純理論的に綿密な論理整合性をそなえた「理論社会学」の思考体系と比べ、抽象化のレベルで は大きく異なる。   また、救援の主力たる応急救援部隊( 「自衛隊」 )の「組織的対応」 ・「組織間対応」の事実を積極的に汲み取ること により、災害の「衝撃期」における人間社会の「対応」全般のあり方を記す社会学的知見が得られるのである。   そのためにも、一刻も早く東北の三陸沿岸に入らなければならない。しかし、問題は三陸沿岸( 「被災地」 )に入る ための手段にあった。一教員の立場で、私一人が出来ることなどあまりにも限られていた。しかし、状況は待っては く れ な い。 様 々 な「 壁 」 に 阻 ま れ、 ま だ 私 は 東 京 に 釘 づ け に さ れ て い た。 い や、 テ レ ビ が 創 り 出 す「 疑 似 環 境 」 ( Pseudo-Environment ) の 前 に い た。 マ ス・ メ デ ィ ア の 中 に は、 日 頃( 「 平 穏 な 社 会 状 況 」 の 中 に あ っ て ) 自 衛 隊 の 「運用」 を憲法上の問題として批判するものがある。そうした 「フーレム」 (「政治的 ・ イデオロギー的思考の枠組」 )

(4)

に立脚したメディア内容( 「報道」 )から、 (一部の例外を除き) 「衝撃期」における自衛隊を軸とした救援機関・組織 等の組織的対応や組織間対応のあり方を探るために、政治的に「偏り」のない学術的証例や実証的データを引き出す ことは、極めて難しい。   少しでも、 「現場」の情報収集に当たる( 「真実」に触れる)という意味で、 防衛庁と深い関係にある『朝雲新聞社』 に 電 話 を 入 れ た。 陸 幕 の オ ピ ニ オ ン・ リ ー ダ ー を 務 め た 関 係 か ら、 『 朝 雲 』 の 記 者 の 中 に 何 人 か の 知 り 合 い が い た か ら で あ る。 『 朝 雲 』 も「 闘 い 」 の 最 中 に あ っ た。 た ま た ま 社 内 に 居 合 せ た 記 者 の 一 人 が 答 え て く れ た。 「『 幕 』( 「 上 級 司 令 部 」) か ら の 情 報 だ け で は、 現 場 の 応 急 救 援 部 隊 の 具 体 的 動 き( 「 情 報 」) が 分 か り づ ら い。 部 隊 の 活 動 に 関 す る 詳細な情報がほとんど伝わってこないため、自分たちは、部隊( 「現場」 )と連絡をとっている。 」とのことであった。 当然の回答である。 『朝雲』の記者たちも、 通常の取材、 編集の過程の中で「動いて」はいなかった。すべてが「普段」 とは違っていた。   日本という国が未曽有の大災害に襲われ、 『幕』 (「上級司令部」 )を始め、 現場では応急救援部隊のすべてが「闘い」 の渦中にあった。言わば、自衛隊のすべての組織と部隊が東北の被災者と日本という国の盾となって闘っていた。観 測史上最大の地震 ・ 津波災害を前に、自衛隊は被災者の救援と日本の安全保障、さらにハイチにおける救援活動( 「国 際貢献」 )等に全力を奮っていた。切迫した状況の中で、貴島康二 ・ 1等陸佐からの「連絡」は有難かった。陸上幕僚 監 部 は、 こ れ ま で、 「 陸 幕 オ ピ ニ オ ン 」 の 委 嘱 と 活 動 を 通 し て 培 っ て き た、 私 と の 小 さ な 関 係( 「 繋 が り 」) を 忘 れ て はいなかった。心から、 「有難い。 」と思った。頭の中では、 「このような時期に、 申し訳ない。 」といった気持と、 「出 立の準備をいそがねば。 」といった気持とが錯綜していた。 「東北地方・太平洋沖地震」発生直後のまさに「国難」と もいえる緊迫した段階で、 陸幕の貴島康二 ・ 1等陸佐から送られてきた貴重な資料は、 私の「やる気」を大いに「振作」 した。

(5)

  し か し、 三 陸 沿 岸 の 被 災 地 に 入 る た め の 手 段 が 見 当 た ら な か っ た。 『 幕 』( 「 上 級 司 令 部 」) も 闘 い の 最 中 に あ っ た。 自 衛 隊 は、 死 力 を 振 り 絞 っ て「 闘 い 」 に 臨 ん で い た。 『 幕 』 を 始 め、 自 衛 隊( 「 部 隊 」) に 東 北 に 入 る た め の 支 援 を 頼 めるような状況はどこにもなかった。また、地震により日本経済の動脈が大きく切断されたため、国内の物流にも多 大な影響が出ていた。東京でも日常の生活物資の欠乏が懸念された。まさに、日本中が大混乱の最中にあった。私は 「北陸、中部、関西、四国 ・ 中国、九州 ・ 沖縄方面等から『東北救援』に向かういずれかの部隊の車両になんとか『便 乗』出来ないか・・・・」と考えあぐねていた。   貴 島 康 二 ・ 1 等 陸 佐 か ら 送 ら れ て き た 資 料 に 接 し て、 さ ら に、 現 場 の 空 気 を も っ と 身 近 に 感 じ る 必 要 が あ る と 痛 感 した。しかし、 未曽有の大災害の前では、 私一人が出来ることなどあまりにも限られていた。被災地域は、 東北地方 ・ 太平洋沿岸の全地域に拡がっていた。   そのため、調査の対象地域を絞り、自衛隊の救援活動( 「組織的対応」 )を綿密に取り上げようと思った。まず、宮 城県北部沿岸地域(気仙沼市、南三陸町等)に展開していた九州・沖縄の部隊(陸上自衛隊西部方面総監部隷下の第 4 師 団《 司 令 部・ 福 岡 市 》、 第 8 師 団《 司 令 部・ 熊 本 市 》、 第 15旅 団《 司 令 部・ 那 覇 》 の 各 部 隊 ) の 動 き に 注 目 し た。 それは、尖閣諸島と沖縄の領有を主張して止まない中国の「動向」が気になったからである。一九九二年二月、中国 は「中華人民共和国領海および接続水域法」 (「領海法」 )を施行し、尖閣諸島等を「中国の領土」と規定した。   すなわち、中国はこの国内法( 「中華人民共和国領海および接続水域法」 )の制定を通して、沖縄県石垣市に属する 尖閣諸島を明示的に「中国領」としたのである。   二〇一〇年九月七日、尖閣諸島沖の日本領海に侵入した中国漁船が 故意に海上保安庁巡視船に対して「接触」 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 (「衝 突 」) さ せ て き た「 事 件 」 を 機 に、 東 シ ナ 海、 南 西 諸 島 方 面 に お け る 日 中 間 の 軍 事 的・ 政 治 的 緊 張 は 一 段 と 厳 し さ を 増 し て い た。 か ね て か ら 懸 念 さ れ て き た 中 国 に よ る 南 西 諸 島「 侵 攻 」 の 脅 威 が 高 ま り を 見 せ て い た の で あ る。 当 時、

(6)

中国の「強硬」な外交姿勢と民主党政権の見せた狼狽振り、また稚拙で弱腰な対中姿勢は、世論から民主党政権にお け る 領 土 意 識 や 国 家 意 識 の 欠 如 だ と 指 弾 さ れ た( 〈 宇 田 川 敬 介『 二 〇 〇 一 年、 中 国 は 崩 壊 す る 』 二 〇 一 二 年 一 〇 月 十五日扶桑社新書 参照〉 )。   一方、未曽有の大地震と津波がもたらした甚大な被害は、三陸の東北地方・太平洋沿岸地域ばかりか、福島県内や 東京湾沿いの京葉工業地帯とその周辺の広大な地域に及んでいた。さらに、東京電力福島第一原子力発電所の事故の 「 不 安 」 が 日 本 中 を 覆 っ て い た。 東 京 や 関 東 地 方 を 中 心 に、 多 く の 外 国 人 に よ る 国 外 退 去( 「 避 難 」) が 始 ま り、 そ の 中に多くの在日米軍の関係者(軍人、軍属、及びその家族)が含まれていた。   岩手県沿岸部で調査を行った折、自衛隊岩手地方協力本部本部長・髙橋俊哉1等陸佐は、―移動中の自衛隊車両の 中 で、 「 携 帯 」 に 送 ら れ て く る 通 信 内 容 に 目 を 通 し な が ら ―、 「『 在 日 米 軍 』 の 関 係 者 の か な り が、 既 に 日 本 国 外 に 脱 出 し て い る。 米 軍 の 輸 送 能 力 の 高 さ に は 驚 か さ れ る。 」 と、 話 し か け て き た。 米 軍 は「 ト モ ダ チ 作 戦 」( 「 救 援 活 動 」) の 実 施 で 日 本 を 助 け、 同 時 に 日 本 か ら「 脱 出 」 し て い た。 現 に、 在 日 米 軍 司 令 官 夫 人 も “I Shall return” の 言 葉 を 残して国外へ退避している。   高 橋 俊 哉・ 1 等 陸 佐 は、 次 の よ う に 話 を 続 け た。 「 福 島 原 発 事 故 の 対 処 を 始 め、 自 衛 隊 の 懸 命 な 救 護 活 動 が 米 軍 を 揺り動かし、 『トモダチ作戦』の決行に繋がっている。 」と。粗食( 「戦闘糧食」 )に耐えながら、懸命に救助・救援活 動にあたる自衛隊( 「派遣部隊」 )をしりめに、中国(中華人民共和国)軍とロシア軍はさかんに日本周辺で威嚇活動 を行っていた(田中伯知『東北地方・太平洋沖地震における陸上自衛隊の災害派遣の足跡―「立正安国論」から見た 日本人の戦争・災害観―』二〇一五年(平成二十七年)五月三十一日 早稲田大学危機管理研究会・ 「平成二十四年度 文部科学省科学研究費補助金研究」報告書 参照) 。被災地では、陸・海・空3自衛隊を核に、海上保安庁、 警 察 、 消 防等の隊員による懸命な救援活動が展開された。三陸沖の洋上では、海上自衛隊護衛艦隊による懸命な救助・救援活

(7)

動が実施された。他方、岩手県沖では「トモダチ作戦」に従事する米原子力空母「ロナルド・レーガン」を的に、中 国の潜水艦部隊が集結していた。中国潜水艦隊の「動き」に、海上自衛隊潜水艦隊は―一寸の隙も与えず―、日本の 海 を「 守 り 」、 東 北 地 方・ 太 平 洋 沿 岸 と そ の 周 辺 海 域 に お け る 第 一 線 部 隊 の 活 動 を 支 え て い た。 同 様 に、 航 空 自 衛 隊 の① 警戒管制部隊、② 戦闘機部隊、③ 地対空部隊、④ 航空機整備部隊等はあえて第一線の救援活動から外れ、挑 発行動を取り続ける中国軍、ロシア軍への警戒活動に当たり、被災地における災害派遣部隊の活動( 「作戦」 )を支援 していた。   陸上自衛隊第一ヘリコプター団(千葉県木更津駐屯地)等が、福島第一原発事故の対応(原子炉建屋上空の空間放 射 線 量 の 測 定 等 ) に 追 わ れ る 中、 米 軍 は 日 本 に( 民 主 党 政 権 の 親 中 路 線 に よ っ て ほ こ ろ び か け て い た )「 日 米 同 盟 」 の政治的意義( 「有用性」 )をわが国に再確認させるとともに、中国とロシアには東アジアにおける自国の軍事的プレ ゼンスを誇示していた。 災害は物事の本質を赤裸々に暴き出す 。東北地方・太平洋沖地震は、日本周辺を取り巻く国 際関係・国際環境の厳しさと中国、ロシア、北朝鮮等の軍事的脅威を映し出す鏡となった。   自衛隊員の多くは、 身を挺して自らの国を守っている。彼らは、 日本人とその 生 い の ち 命 、 そして日本の独自な文化( 「様 式 」) や 歴 史 を 大 切 に 思 う 人 々 で も あ る。 彼 ら か ら は、 日 本 自 身 が 積 極 的 に 自 ら を 守 る 姿 勢 を 持 つ べ き だ と い っ た 意 見がよく聞かれる。   学 術 的 視 点( と く に、 社 会 学 的 観 点 ) に 立 て ば、 ① 地 震、 津 波、 干 ば つ、 伝 染 病 な ど の 自 然 災 害( Natural Disas ter )、 さ ら に ② テ ロ、 地 域 紛 争・ 戦 争 な ど の 社 会 的 災 害( Social Disaster ) に よ っ て 引 き 起 こ さ れ る 社 会 シ ス テ ム の 急 激 な 機 能 の 停 止 や 解 体 (「 変 動 」) と い っ た 現 象 は、 社 会 学( Sociology ) を 始 め 社 会 科 学( Social Sciences ) 全 般 の 理 論 や 手 法 は も と よ り、 既 存 の 社 会 シ ス テ ム や 規 範 の 中 に 潜 む 欠 陥( 課 題 ) を 赤 裸 々 に 映 し 出 す といってよい。東北地方・太平洋沖地震は、① 外交・安全保障の分野はもとより、② 学術研究のあり方を含め、わ

(8)

が国の危機管理態勢(体制)全般の在り方とわが国の「平和と安定」がいかに脆弱なものであるかを暴き出したので ある。   ま さ に、 日 本 と い う 国 が 潰 れ よ う と し て い た。 「 内 」 と「 外 」 か ら 同 時 に せ ま り く る 史 上 空 前 の「 衝 撃 」( 「 未 曽 有 の 大 災 害 」 と 中 国 の 南 西 諸 島 侵 攻 の「 脅 威 」) が、 こ の 国 に 重 く の し か か っ て い た。 こ う し た 状 況 の 中 で、 自 衛 隊、 海上保安庁、警察、消防の各組織が一丸となり、この国の盾となり、黙々と被災地の救援に携わり被災住民の「苦し み 」 と 向 か い 合 っ て い た。 こ の 時 の 状 況 を 語 る 際 に、 「 何 よ り も『 被 災 者 』 が か わ い そ う で・・・・」 と、 声 を 詰 ま らせる隊員もいた(北海道旭川市から主に岩手県北部沿岸地域の救援に赴いた陸上自衛隊第2師団司令部総務課広報 室長・橘木耕治3等陸佐が残した言質) 。   さ ら に、 「 自 己 完 結 性 」 を 帯 び た 自 衛 隊 は、 も と も と の 過 少 な 兵 力 を も の と も せ ず 中 国、 北 朝 鮮、 ロ シ ア の 軍 事 的 脅 威 や 挑 発 に 対 し て も 果 敢 に 立 ち 向 か っ て い た。 地 震 発 生 を 機 に、 日 本 周 辺 に お け る 中 国 軍、 ロ シ ア 軍 等 の「 動 き 」 は 活 発 と な っ た。 日 本 周 辺 諸 国 の わ が 国 に 対 す る 軍 事 的 活 動 と 挑 発 と を 抑 止 し な け れ ば な ら な い。 自 衛 隊 に は、 「 災 害対応」とは別に国を守るといった重大な責務が課せられていた。まさに、日本の運命が個々の自衛隊員の双肩にか かっていたのである。   前述したように、 東北地方 ・ 太平洋沖地震は既存の「システム」や「制度の運用」に潜む欠陥(問題)と物事の「本 質 」 と を 赤 裸 々 に 暴 き 出 し た。 そ れ は、 日 本 の「 危 機 管 理 」( 「 シ ス テ ム 」) の 脆 弱 性 で あ る。 貴 島 1 佐 か ら 送 ら れ て きた資料を参考にしながら、熊本の陸上自衛隊西部方面総監部(広報室長・堀部勇二1等陸佐)に災害派遣の資料を お願いした。大地震・大津波の発生とともに、九州・沖縄方面に展開する陸上自衛隊西部方面隊(からの派遣部隊約 四一〇〇名)は、宮城県北部沿岸地域の「救援」に赴いていた。さらに同方面隊からは、別途、福岡県小郡市に本部 を置く第5施設団(約五〇〇名)が福島県に派遣中であった。

(9)

  堀部勇二 ・ 1等陸佐から送られてきた( 「災害派遣」に関わる)一連の資料を分析することによって、この国の災害 対応( 「対処」 )と安全保障のあり方に重大な欠陥があることが分かってきた。それは、 ① 東北の大規模災害への「対 処 」( 「 対 応 」) は も と よ り、 首 都 圏 を 始 め と し た 大 規 模 地 震・ 大 津 波 へ の「 対 応 」、 さ ら に ② 尖 閣 諸 島 及 び 沖 縄 本 島 を含む「南西諸島」の「防衛」の在り方等を考えると、 人員や物資の迅速な輸送が不可欠になる。つまり、 緊急の「事 態」に対処する上で、自衛隊は「機動」 ・「展開」能力の早急な「改善」と「向上」が求められていることである( 「組 織的ニーズの認知」 、または「 『事前対応』の準備等に関わる事項」 )。   さらに、災害派遣の「資料」からは未曽有の大災害を前に、隊員の絶対的不足が浮かび上がっていた。例えば、陸 上 自 衛 隊 第 8 師 団 第 42普 通 科 連 隊( 連 隊 長・ 櫻 田 博 美 1 等 陸 佐 熊 本 市 北 区 北 熊 本 駐 屯 地 ) の「 編 制 」 と「 派 遣 」 の 内容を見ると、① 基幹兵力を4個中隊とし、さらに② 1個中隊が予備戦力にあてられていた。そして、この4個中 隊で順次ローテーションを組み災害派遣に対処する一方、③「戦力回復」にあたる部隊を東北の演習場ではなくすべ て九州に「帰隊」させ、南西諸島防衛の態勢をとっていた。陸上自衛隊西部方面隊(九州・沖縄部隊)は、こうした 部隊の「編制」と「運用」を織り交ぜ―自衛隊の「一〇万人派遣態勢」 (「管直人首相」の指示)に則し、約四六〇〇 名の兵力を東北へ「派遣」し、一方九州に残った過少な兵力でもって「南西諸島」防衛の任の先頭に立っていた。   この点(自衛隊の「一〇万人派遣態勢」 、 すなわち、 一〇万人の部隊を東北地方 ・ 太平洋沿岸地域の第一線に配置し、 救 助、 救 援、 救 護 活 動 等 を 行 う こ と ) の 背 景 に、 ① わ が 国 観 測 史 上、 未 曽 有 の 大 被 害 を も た ら し た 東 北 地 方・ 太 平 洋沖地震 (「東日本大震災」 )「衝撃期」 において 「民主党」 内閣の取った対応の 「稚拙さ」 (「政治的意味」 ) と、 ② 「民 主党」政権の「自衛隊」 (「自己完結型組織」 )の構造と機能に関する「知識」の大幅な欠如(または、 「認識の欠落」 ) が読み取れる。一般に、一〇万人の隊員が被災地の救援に赴く場合、その活動を支えるには3~5倍以上の兵力が必 要と言われる。例えば、行方不明者の捜索や被災者の生活支援を行うには、① 情報収集に加え、② 兵站の維持(通

(10)

信、 警 備、 部 隊 の 衛 生 管 理・ 医 療 支 援、 水・ 食 糧・ 燃 料・ 医 薬 品 等 の 輸 送・ 補 給 の 確 保 )、 さ ら に ③ 他 の 行 政 組 織・ 機 関 等 と の 調 整 等 に 当 た る、 部 隊・ 人 員 等 が 必 要 に な る。 陸 上 自 衛 隊 を 例 に と る と、 こ の 場 合、 ① 第 一 線 で 救 護 に 当る( 「闘う」 )部隊、② これを支援する部隊、③ 指揮・幕僚活動を行う司令部(方面総監部、師団司令部、旅団司 令 部、 連 隊 本 部、 群 司 令 部 ) が 本 作 戦( 「 災 害 派 遣 」) に 当 る こ と に な る。 米 軍 等 も 同 様 で あ る。 米 海 兵 隊 の「 戦 力 」 の内訳を見ると、第一線の戦闘に当る兵力は全体の一五%、残り八五%は後方支援等の任務に当る。因みに、陸上自 衛隊の兵力は約一四万人である。また、陸・海・空3自衛隊の定員は約二四万人である。   要 す る に、 「 軍 事 型 組 織 」 と そ の 運 用 に 関 わ る 基 本 的 知 識 そ の も の が、 当 時 の「 民 主 党 政 権 」 に は 根 本 的 に 欠 落 し ていた。自衛隊 「一〇万人態勢」 は、 大災害を前に狼狽した民主党政権が被災者や国民に向けてとった稚拙なパフォー マ ン ス と 言 え る。 つ ま り、 た ん な る そ の 場 の 思 い つ き で し か な か っ た。 福 島 原 発 事 故 の 初 動 段 階 に お け る 内 閣( 「 管 直 人 首 相 」) の 対 応 も 然 り で あ る。 そ れ に 対 し、 陸・ 海・ 空 3 自 衛 隊 は 文 字 通 り 国 民 の「 最 後 の 砦 」 4 4 4 4 4 4 4 と し て 黙 々 と 東 北の救援に赴いた。   兵庫県南部地震(平成七年一月十七日午後5時 46分) 、新潟県中越地震(平成十六年十月二十三日 17時 56分) 、東北 地方・太平洋沖地震等を契機に自衛隊は多くの国民の支持と期待を担って今日に至っている。この事実は、各種世論 調 査 の 結 果 を 通 し て 説 明 で き る。 例 え ば、 『 読 売 新 聞 』 が「 東 日 本 大 震 災 」 か ら 約 半 年 が 経 っ た 平 成 23年 9 月 3 ~ 4 日に実施した全国世論調査(面接方式)の結果では、 「震災」に関わる各組織・機関等の活動「評価」 (複数回答)は 次の通りである。1位「自衛隊」 ( 82%) 、「ボランティア」 ( 73%) 、「消防」 ( 52%) 、「被災地の自治体」 ( 42%) 、「警 察( 40%) 、「政府」 (6%) 、「国会」 (3%)等の順になっている。   民主党の稚拙な対応は、世論の厳しい批判にさらされ政権交替の要因の一端となった。   元 来、 地 震、 津 波 と い っ た 自 然 の 脅 威 は 非 社 会 的 な も の で あ る。 し か し、 実 際 に は、 「 自 然 」 災 害 と し て 考 え ら れ

(11)

統計的変数  ①人口規模  ②都市化 経済的変数  ① GNP  ②国民1人当たりの GNP  ③経済発展の水準  ④社会文化指数 政治的変数  ①西欧化  ②利益集団による利害の表出  ③政治的近代化  ④イデオロギー的志向  ⑤現体制下における議会の勢 力分布  ⑥水平的権力分布  ⑦政治的志向 〔災害対応機能〕 ①警報 ②緊急準備態勢 ③避難行動 ④被害状況の査定と  マッピング ⑤被災者の看護 ⑥保安 ⑦福祉 ⑧サービスの緊急復旧 コミュニケーション変数 ①人口 1000 人当たりの新聞 発行高 ②人口 1000 人当たりのラジ オ普及台数 ③リテラシー(読み書き能 力) 政治的変数  ①集権化の程度 〔独立変数(社会構造)〕 図1 災害対応機能とその規定要因 (出所)B.F.McLuckie,CentralizationandNaturalDisasterResponse,p.3.

(12)

る事象は、当該社会の「構造」を規定する統計的・経済的・政治的・コミュニケーション的条件(変数)など―つま り、 様々な社会的諸条件―との相互作用の結果であるといった視点(図1)こそが、 社会学的分析の要点となる( (自 衛 隊 岩 手 地 方 協 力 本 部 支 援『 勇 気 と 寡 黙 そ し て 祈 り ー 東 北 地 方・ 太 平 洋 沖 地 震 に お け る 陸 上 自 衛 隊 の 被 災 者 支 援 ―』 A 4 判   本 文 一 〇 四 頁   早 稲 田 大 学 危 機 管 理 研 究 会・ 「 平 成 二 十 四 年 度 文 部 科 学 省 科 学 研 究 費 補 助 金 研 究 」 報 告 書、 平 成 二 十 五 年 十 一 月、 《 東 日 本 大 震 災 ア ー カ イ ブ 宮 城・ 宮 城 県 公 式 ウ ェ ブ サ イ ト 》 及 び《 総 理 府 / N D L 東 日 本 大 震 災アーカイブ(ひなぎく) 》参照) )。   地震発生と同時に、自衛隊は強い余震が頻発する中を続々と「東北」の被災地へ前進した。ある部隊は道路を切り 開きながら、またある部隊は橋を架けながら救援に赴いた。地震発生の当日、深夜の暗闇をものともせず、果敢に凍 りついた国道340号線上の立丸峠を突破し、大槌の救援に向かった部隊がある。陸上自衛隊第9師団第9高射特科 大 隊( 大 隊 長・ 中 武 裕 嚴《 ひ ろ よ し 》 2 等 陸 佐、 岩 手 駐 屯 地 ) で あ る。 地 震 発 生 か ら 2 日 後 の 三 月 十 四 日 十 九 時 四十五分現在で、自衛隊に救助された被災者は一万九千二百八十六名に上った。まさに、その活動( 「作戦」 )は、拙 著 の 主 題( ① 自 衛 隊 岩 手 地 方 協 力 本 部 支 援『 勇 気 と 寡 黙 そ し て 祈 り ー 東 北 地 方・ 太 平 洋 沖 地 震 に お け る 陸 上 自 衛 隊 の被災者支援―』 《東日本大震災アーカイブ宮城 ・ 宮城県公式ウェブサイト》及び《総理府/NDL東日本大震災アー カ イ ブ( ひ な ぎ く )》 、 並 び に ② 田 中 伯 知『 東 北 地 方・ 太 平 洋 沖 地 震 に お け る 陸 上 自 衛 隊 の 災 害 派 遣 の 足 跡 ―「 立 正 安国論」から見た日本人の戦争 ・ 災害観―』 二〇一五年(平成二十七年)五月三十一日 早稲田大学危機管理研究会 ・ 「平成二十四年度文部科学省科学研究費補助金研究」報告書 参照)そのものを彷彿とさせた。   自 衛 隊 が 示 し た 大 規 模 か つ 迅 速 な「 対 応 」 に、 世 界 中 の 専 門 家 が 驚 愕 し た と 言 わ れ る( 図 2) 。 例 え ば、 パ リ 政 治 学 院 教 授、 北 京 大 学 客 員 教 授 等 を 歴 任 し た 文 明 評 論 家 ギ・ ソ ル マ ン 氏 は、 次 の よ う に 述 べ て い る。 「 自 衛 隊 が、 津 波 来襲から1週間以内に作戦地域へ一〇万人動員を実施してみせたのである。予期せぬ展開能力の高さに加え、人々を

(13)

驚 か し た の が 救 援 活 動 の 素 早 さ で あ り、 隊 員 が 見 せ た 高 度 な 規 律、 行 動 力、 苦 し む 避 難 民 を い た わ る 慎 み 深 さであった。 」( 「西欧知識人の見た 〈三 ・ 一一後の日本〉 『 中 央 公 論 』 平 成 二 十 四 年 一 月 号 参 照 )。 さ ら に、 ギ・ ソ ル マ ン 氏 は 皇 室 が 示 さ れ た 被 災 者 に 対 す る 深 い 思 い 遣 り の 情 が、 多 く の 日 本 人 の 共 感 を 呼 び 起 こ し た 点 に も 触 れ て い る。 具 体 的 に は、 「 歴 史 上 で 最 も 厳 し い 時 期 に 遭 遇 し た 祖 国 を 前 に、 国 家 そ の も の を 体 現 す る 皇 室 本 来 の 使 命 ( 傍 線 は 田 中 に よ る ) を 再 発 見 さ れ た の だ と も い え よ う。 」 と 分 析 し て い る( 『 中 央 公 論 』 同 月 号 参照) 。   同 様 に、 皇 室 が 示 さ れ た 被 災 者 へ の 深 い 同 情 と 労 り の 念( 被 災 者 と 国 民 全 体 に 対 す る 共 感 の 念 と そ の 相 互 的共有) について―ジャーナリストの西村幸祐氏はー、 次のように説明している。   「 東 日 本 大 震 災 か ら 丸 一 年 た っ た 平 成 二 四 年 三 月 十 一 日、 政 府 に よ る 震 災 犠 牲 者 の 追 悼 式 典 が 行 わ れ た。 二 月 一 八 日 に 心 臓 の 冠 動 脈 の バ イ パ ス 手 術 を 受 け ら れ た 図2 陸上自衛隊東北方面航空隊の初動における人命救助の状況

(14)

ばかりの天皇陛下だが、ご高齢で大手術後一月もたたなかったにもかかわらず、この式典にご臨席された。かね てより震災の追悼式典には並々ならぬ決意をお持ちだったという。   自 ら の ご 健 康 よ り も、 い や 敢 え て 言 え ば、 自 ら の 生 い の ち 命 よ り も 大 震 災 の 犠 牲 者 を 追 悼 す る こ と を 天 皇 の『 責 務 』 とされた証左である。しかし、民主党政権は、この式典で天皇皇后両陛下が会場にご入場する際、わざわざ「着 席してお迎え下さい」というアナウンスを会場に流した。追悼式典の主賓であるばかりか、国家元首に相当する 天皇のご臨席であり、この政府の対応は世界的にも全く常識外れの非礼極まりないものとして歴史に永遠に刻ま れなければならない。 貞 じょう 観 がん 十 一 年( 八 六 九 ) の 貞 観 大 地 震 は 三 陸 沖 を 震 源 地 と し た 大 地 震 で 東 北 地 方 の 大 地 を 割 り、 人 家 や 港 を 津 波 で 破 壊 さ せ た。 貞 観 大 地 震 後、 清 和 天 皇 は 大 災 害 を 鎮 め る 詔 みことのり を 発 せ ら れ、 被 災 者 を 弔 とむら っ た。 さ ら に、 清 和 天 皇 は伊勢神宮に 勅 ちょく 使 を 遣 つかわ わして、貞観大地震を始め、新羅の海賊が博多へ侵攻した事変や肥後で起きた地震も神前 に報告し国家の平安を願っていた。すなわち、大震災直後の平成二十三年(二〇一一)三月十六日の天皇のビデ オメッセージや一年後の心臓手術後の追悼式典ご臨席は、じつは、古代以来、歴代天皇が脈々と担っていた『務 め』を果たされたということなのである。 日本のメディアがそのような解説をすることは稀である。むしろ、朝日、NHKなどの既存左傾メディアは敢え て天皇の意味を報道しない。しかし、たとえば、まるで報道管制をしているかのような一般メディアの天皇陛下 の被災地訪問の報道の断片から、勘の鋭い受け手たちは送り手であるメディアが隠したがっている天皇の意味を 鋭敏に察知したのである。それが、東日本大震災のもたらした、紛れもないもう一つの時代の変化だった。時代 の 裂 け 目 か ら、 皇 室 の ご 存 在 意 義 も 可 視 化 さ れ た の で あ る。 」( 西 村 幸 祐「 『 反 日 』 の 正 体 ― 中 国、 韓 国、 北 朝 鮮 とどう対峙するか―」二〇一二年『平成二十四年』八月十五日 文芸社文庫、7~ 11頁) 。

(15)

写真1 岩手県箱崎周辺で捜索活動に従事する陸上自衛隊(陸上自衛隊岩手駐屯地・ 広報撮影)

写真2 胸まで水につかり行方不明者を捜索する陸上自衛隊第9師団第9特科連隊 の女性隊員(於:岩手県山田町)

(16)

表1 東北における陸上自衛隊の活動状況の概要(田中伯知作成) 第2師団(司令部:北海道旭川市)  第11 旅団(司令部:北海道札幌市) *第11旅団の一部は、3月16日 福島県に前進し「原発対応」に 当たっている。 岩手県北部沿岸  久慈市 宮古市等 捜索 生活支援等 第9師団(司令部:青森市)  第7 師団(司令部:北海道千歳市) 岩手県南部沿岸  山田町、釜石市  陸前高田市等 捜索 生活支援等 第4師団(司令部:福岡市)  第8 師団(司令部:熊本市)の一部  第15 旅団(司令部:那覇市)の一部 宮城県北部沿岸  気仙沼市  南三陸町等 捜索 生活支援等 第14旅団(司令部:善通寺) 牡鹿半島北部  女川町 石巻市 捜索 生活支援等 第5旅団(司令部:北海道帯広市) 牡鹿半島南部  石巻市 捜索 生活支援等 第6師団(司令部:山形県東根市) 宮城県中央部  東松島市 多賀城市  仙台市 捜索 生活支援等 第10師団(司令部:名古屋市)  第3師団(司令部:兵庫県伊丹市) 宮城県南部  名取市 山元町 捜索 生活支援等 第13旅団(司令部:広島県海田町) 福島県  新地町 相馬市等 捜索 生活支援等 第12旅団(司令部:群馬県榛東村)  第1 空挺団(司令部:千葉県習志野 市) 福島県  福島市  南相馬市 捜索 生活支援等 中央即応集団隷下部隊 福島第1原発 福島第2原発 除染 原発対応

(17)

  また、スペイン政府は平成二十三年十月二十三日、福島第一原子力発電所事故の「対応」にあたった陸上自衛隊中 央特殊武器防護隊長・岩熊真司・1等陸佐、及び陸上自衛隊第104飛行隊長・加藤憲司・2等陸佐に対しアウトゥ リアス皇太子賞を授与した。隊員が示した決死的行動( 「対応」 )に対して、中国、ロシアはもとより世界中の専門家 が驚愕した。従来、自衛隊は福島第一原子力発電所事故のような事態を想定した特殊装備や専門の訓練を施されてい なかった。堀部勇二 ・ 1等陸佐にこの点を確認した時、堀部1佐の声のトーンが少し落ちたような気がした。 (南三陸 町、気仙沼市等に展開した九州・沖縄部隊の動向を見守る)堀部1等陸佐も、明らかに、原子力災害に捨て身で立ち 向 か う 仲 間 の 自 衛 官 た ち の 安 否 を 気 遣 っ て い た。 ( 自 衛 隊 東 京 地 方 協 力 本 部 本 部 長・ 小 川 清 史 陸 将 補 と 自 衛 隊 岩 手 地 方 協 力 本 部 本 部 長・ 髙 橋 俊 哉・ 1 等 陸 佐 等 の 支 援 を 受 け )「 東 北 地 方 太 平 洋 沿 岸 部 」 の 被 災 地 に 入 る ま で の 間、 陸 上 自衛隊西部方面総監部からは数々の協力を得た。その間、堀部1佐に対して「自衛隊にも病院船があれば、今回のよ うな大災害に有効に機能するのでは ・ ・ ・ 」といった類の話を投げかけたことがあった。いずれの場合も、堀部勇二 ・ 1等陸佐・陸上自衛隊西部方面総監部広報室長の言葉の端々からは、国の循となり国民の 命 いのち を守る隊員の誠実さが伝 わってきた。東北地方・太平洋沖地震衝撃期において、自衛隊(のすべての機関、組織及び応急救援部隊)がとった 献身的・自己犠牲的対応の数々は、世界中の多くの人々の心に深い感銘を与えた(写真1 ・ 2) 。   現に、平成二十三年三月十四日、陸・海・空3自衛隊は、陸上自衛隊東北方面総監・君塚栄治陸将を指揮官に、統 合 任 務 部 隊( 約 10万 6 2 5 0 名 ) を 編 成 し、 自 衛 隊 史 上 最 大 規 模 の「 派 遣 」 態 勢 を と っ た( 表 1) 。 た だ し、 三 月 二十六日から三月三〇日の4日間の編成規模は、約 10万7000名に達した。震災後、君塚栄治・陸上幕僚長(震災 発生時、陸・海・空3自衛隊統合任務部隊指揮官)の天皇陛下に対するご進講の折、ご会食となったが、その際の陛 下 の お 言 葉 ―「 自 衛 隊 こ そ が 国 家、 国 民 の『 最 後 の 砦 』 だ っ た の で す ね。 」 ― は、 大 多 数 の 心 あ る 国 民 の 深 い 心 情 を

(18)

汲み取るものと言える。この今上陛下のお言葉は、文書に残さず、直ちに君塚栄治・陸将から各方面総監(北部方面 総 監、 東 北 方 面 総 監、 東 部 方 面 総 監、 中 部 方 面 総 監、 西 部 方 面 総 監 ) に 口 頭 で 伝 達 さ れ た。 ( 田 中 伯 知『 東 北 地 方・ 太平洋沖地震における陸上自衛隊の災害派遣の足跡―「立正安国論」から見た日本人の戦争・災害観―』二〇一五年 ( 平 成 二 十 七 年 ) 五 月 三 十 一 日 早 稲 田 大 学 危 機 管 理 研 究 会・ 「 平 成 二 十 四 年 度 文 部 科 学 省 科 学 研 究 費 補 助 金 研 究 」 報 告書 参照) 。   災害は物事の「本質」を暴露し、 「問題」や「欠陥」を赤裸々に暴露する。これが、災害の重要な社会的機能( 「働 き 」) の 一 端 で あ る。 未 曾 有 の 大 災 害 を 前 に、 民 主 党( 政 権 ) が と っ た 稚 拙 な 対 応 は、 そ の 後 の 自 民 党 の 政 権 復 帰 の 重 要 な 引 き 金( 要 因 ) と な っ た。 「 災 害 の 社 会 学 的 研 究 」 の 知 見 か ら は、 災 害 時( と く に、 「 衝 撃 期 」) に お け る 組 織 的対応( 「対処」 )が政治的条件に大きく左右( 「規定」 )されることを示唆しており、災害が重要な社会変動・政治変 動の契機となることを指示している。因に、 民主党政権の折に自衛隊幹部(高級将校)に対する思想調査( 「アンケー ト調査」 )が行われていた。このことは、関係者の間ではよく知られた事実である。     最後に、前述の第8師団第 42普通科連隊は、4月 19日付で櫻田博美・1等陸佐(第 13旅団司令部幕僚長へ転出)に かわり、山本雅司・1等陸佐が新連隊長として着任し東北の「支援」を引き継いでいる。 42連隊の場合、3月 15日か ら6月 18日にわたる「災害派遣」を通して、宮城県南三陸町、気仙沼市において救援活動の任に就き、給水支援、炊 事支援、輸送支援等の活動を行った(延べ活動人員:約3800名、派遣車両 延べ1400両) 。 《本稿あとがき》   本稿は、社会システムの崩壊(解体)を生み出す災害への事前対応を練るといった喫緊の課題を背景に、平成八年 四月に発足した① 早稲田大学社会科学研究所 (現 ・ 早稲田大学アジア太平洋研究センター) 危機管理部会 (部会主任 ・

(19)

教 授、 田 中 伯 知、 平 成 八 年 四 月 ~ 平 成 十 二 年 三 月 ) に お け る 研 究 の 経 緯 と そ の 理 論 的 成 果 等 を 継 承 し た も の で あ る。 具体的には、既存の社会科学の研究領域において「危機」や「変動」といった概念を分析の基軸とし、これにより社 会 学 の 応 用 領 域、 あ る い は 個 別 専 門 領 域( 領 域 社 会 学、 部 門 別 社 会 学 ) と し て の「 危 機 管 理 の 社 会 学 」( Sociology of Emergency Management )の「創出」を企図するものである。   現在、本研究・調査の系譜とその成果は早稲田大学総合研究機構災害研究所(所長・今村浩社会科学部教授、副所 長・ 田 中 伯 知、 平 成 十 七 年 四 月 ~ 平 成 二 十 二 年 三 月 )、 及 び 早 稲 田 大 学 危 機 管 理 研 究 会( 代 表・ 田 中 伯 知、 早 稲 田 大 学研究推進部所管)によって継承され、現在に至っている。   東北地方・太平洋沖地震を振り返りいつも思うことがある。 「田老」 (「岩手県宮古市」 )の世界最大の防潮堤の上か ら、 初 め て 壊 滅 的 被 害 を 目 の 当 た り に し た 時、 「 こ の 国 は 自 ら 滅 ん で い く の で は な い か と 」。 東 北 地 方 三 陸 沿 岸 で は、 津波災害が繰り返されてきた。過去の災害経験が全く生かされていない。大災害と中国、ロシア、北朝鮮の軍事的威 嚇が続く中、日本というかけがえのない国の「四表の静謐」 (「平和と安定」 )が崩れている。   一般に、テロや紛争、地震・津波、伝染病、社会的騒擾などから生じる社会システムの機能の急激な停止・解体と いった現象は、社会学を始め社会科学全般の理論と手法を実証的観点から検証する機会をもたらす。     研 究 史 上、 米 国 で は 第 二 次 世 界 大 戦 中 の ド イ ツ、 日 本 に 対 す る 戦 略 爆 撃 に 関 わ る 調 査 研 究 等 を 軸 に、 「 危 機 管 理 の 社 会 学 」( Sociology of Emergency Management ) の 基 礎・ 前 身 と な る 災 害 の 社 会 学 的 研 究( Disaster Sociol -ogy   「災害社会学」 )が飛躍的に発展した。 戦後、 日本社会学界は米国の学会から大きな影響を受けた。 しかしながら、 研究水準の点で敗戦国・日本と戦勝国・米国との間に大きな「隔たり」 (「差」 )が生じている。これは、 (他の論文等 で 既 述 し た よ う に ) ① わ が 国 に お け る 研 究 者 の 不 足、 さ ら に ②( 研 究 者 の 関 心 領 域 の 違 い を 始 め ) 両 国 の 社 会 学 研 究における伝統の「違い」 、及び研究者を取り巻く政治的環境、さらに③ わが国における実証的事例やデータ等の不

(20)

足、及びそれに伴う③ 理論的分析( 「理論化」 )の遅れ等、によるものである。   最後に、本稿で言う「危機管理の社会学」 ( Sociology of Emergency Management )を規定する条件と内容は、 以下のものである。 ①(米国における)自然災害、疫病、恐慌、社会的騒擾、暴動、テロ、奇襲攻撃・紛争(戦争)等の危機的状況下 における「対応」のあり方を探る災害社会学( Disaster Sociology )の手法、理論を援用し、 ②( 主 に、 「 衝 撃 期 」 の 諸 現 象 に 焦 点 を 置 き ) 災 害 時 に お け る 人 間 社 会 の「 対 応 」( Responses ) の 実 態 を 体 系 的 に分析する。 ③ 言い換えれば、危機的状況下に現れる人間性や人間活動の規則性( 「準拠図式」 )を綿密に観察し、同時に ④ 災 害 因( Disaster Agents ) が も た ら す 社 会 シ ス テ ム の 急 激 な 崩 壊( 社 会 シ ス テ ム の 機 能 の 解 体 ) の プ ロ セ ス に焦点を当て、システムに潜む亀裂や欠陥を明らかにする点にある。 ⑤ したがって、 「危機管理の社会学」においては( 「衝撃期」における) 「自己完結性」を備えた軍事型組織の対応 ( の あ り 方 ) が ど う で あ っ た か が、 分 析 の 要 点 と な る。 言 い 換 え れ ば、 わ が 国 の 場 合「 災 害 時 」( 「 衝 撃 期 」) に おける「自衛隊」の組織的対応のあり方が研究の焦点に置かれる。 (田中伯知「いざ、東北沿岸へ―自衛隊岩手 地方協力本部 ・ 本部長と共に (その2) ―」 『早稲田大学高等学院研究年誌』 第五十八号 二〇一四年三月 参照) 。」   そのため、本稿では東北地方・太平洋沖地震( 「東日本大震災」 )における自衛隊(地震・津波災害における「救援 組 織 の 主 力 」) の 組 織 的 対 応・ 組 織 間 対 応 に 関 わ る 諸 事 例 を、 社 会 学 的 視 点 に 立 ち 出 来 る 限 り ― 災 害 社 会 学 の 理 論 的 枠組にそって― 「類型」 的に描写した。 『早稲田大学高等学院研究年誌』 第五十六~六十号 (二〇一二年~二〇一六年)

(21)

の一連の論文は、以上の点に沿ったものである。 〈参考文献〉 ① 越野修三『東日本大震災津波―岩手県防災危機管理監の一五〇日』平成二十四年七月一日 株式会社ぎょうせい。 ② 桜林美佐『日本に自衛隊がいてよかった―自衛隊の東日本大震災―』平成二十三年九月一九日   産経新聞出版。 ③ 下田直春『社会学的思考の基礎―社会学基礎理論の批判的展望―』昭和五十三年十一月一日 新泉社。 〈これまでの主な関連研究〉 ① R ・ H ・ ターナー (田中伯知訳) 「地震予知と公共政策」 『都市と災害』 所収 (秋元律郎 編 「現代のエスプリ」 第一八一号) 昭和五十七年 至誠堂 ② 国 土 庁 ほ か『 浦 河 沖 地 震 の 総 合 的 調 査 報 告 書 』( 平 山 勝 英、 長 谷 川 雄 志、 吉 瀬 雄 一、 臼 井 恒 夫、 田 中 伯 知 の 4 名 が 調 査・ 執筆に当たった。 )昭和五十八年。 ③ 国土庁ほか『日本海中部地震の総合的調査報告書』 (吉井博明、 田中淳、 高梨成子、 田中伯知の4名が調査 ・ 執筆に当たっ た。 )昭和五十九年。 ④ 田中伯知「災害の社会学的定義」 『獨協大学教養諸学研究』昭和 61年。   田中伯知 「阪神大震災における組織間調整の問題―自衛隊の対応行動 (災害出動) を規定した地域の政治的要因―」 『地理』 ( 41―2)平成八年二月 古今書院。 ⑤ 田 中 伯 知「 災 害・ 事 故 時 に お け る 行 政 対 応 お よ び 情 報 通 信 の あ り 方 ― 阪 神・ 淡 路 大 震 災 等 の 経 験 を 踏 ま え て ―」 『 情 報 通 信学会誌』 ( 14―2)平成八年六月 情報通信学会。 ⑥ 田 中 伯 知「 男 鹿 地 方 住 民 の 津 波 対 応 行 動 と 災 害 文 化 ― 地 勢 学 的・ 歴 史 学 的 視 点 を 中 心 に ―」 ( 内 部 資 料、 中 間 報 告 ) 平 成 八年 福武学術文化振興財団。 ⑦ 田中伯知「阪神大震災〈衝撃期〉直後の行政は何をしたか」 『時事通信』平成八年一〇月一八日号 時事通信社。 ⑧ 田 中 伯 知「 男 鹿 地 方 住 民 の 津 波 対 応 行 動 と 災 害 文 化 ― 地 勢 学 的・ 歴 史 学 的 視 点 を 中 心 に ―」 『 福 武 学 術 文 化 振 興 財 団・ 平

(22)

成8年度年報』平成九年十一月 福武学術文化振興財団。 ⑨ 田中伯知「阪神大震災と自衛隊」 『地理月報』第441号 平成九年一二月一〇日 二宮書店。 ⑩ 田 中 伯 知「 震 災 と 自 衛 隊 ― 衝 撃 期 に お け る 対 応 を 中 心 に ―」 『 セ キ ュ リ タ リ ア ン 』 平 成 一 〇 年 一 月 号 防 衛 弘 済 会( 編 集 協力・防衛庁) 。 ⑪ 田 中 伯 知「 災 害 情 報 シ ス テ ム の 在 り 方 に 関 す る 一 試 論 ― 阪 神・ 淡 路 大 震 災 等 の 経 験 を 踏 ま え て ―」 『 学 校 研 究 』( 13) 平 成 10年3月(財)東京都私立学校教育振興会。 ⑫ 田 中 伯 知「 災 害 時 に お け る 情 報 通 信 シ ス テ ム 運 用 の あ り 方 ― 阪 神・ 淡 路 大 震 災 を 事 例 に ―」 『 研 究 調 査 報 告 』( 13― 1) 平成十一年一月 電気通信普及財団。 ⑬ 田中伯知「災害文化の形成と変動―日本海中部地震を事例に―」 『地理・地図資料』 (一二五)帝国書院 平成十一年。 ⑭ 田中伯知「自然災害と組織間対応の分析(全4編、 指導資料) 」『東書Eネット』 (東京書籍)平成十九年十一月~十二月。 ⑮ 田 中 伯 知「 災 害 と 社 会 的 対 応 ― 東 北 地 方・ 太 平 洋 沖 地 震〈 衝 撃 期 〉 に お け る 陸 上 自 衛 隊 の 被 災 者 支 援( 岩 手 )」 『 日 本 私 学教育研究所紀要』第四十八号 平成二十四年六月二十二日 一般財団法人・日本私学教育研究所。 ⑯ 田 中 伯 知「 自 然 災 害 に 対 す る 組 織 的 対 応 の 比 較 分 析 ― 阪 神・ 淡 路 大 震 災 と 中 国・ 四 川 大 地 震 ―」 ( 内 部 資 料 A 4 版 全 五二頁 約6万2000字)財団法人東京都私学財団(早稲田大学教務部を通して平成二十二年一月提出) ⑰ 田中伯知「東北地方 ・ 太平洋沖地震〈衝撃期〉における組織間対応の分析―防災教育の視点とその内容のあり方をめぐっ て ―( 概 要 )」 『 平 成 二 十 六 年 度・ 委 託 研 究 員 研 究 報 告 会 発 表 論 文 集 』 一 般 財 団 法 人・ 日 本 私 学 教 育 研 究 所 平 成 二 十 七 年三月一四日 ⑱ 田 中 伯 知「 勇 気 と 寡 黙 ― 東 北 地 方・ 太 平 洋 沖 地 震 に お け る 陸 上 自 衛 隊 第 2 師 団・ 第 9 師 団 の 被 災 者 支 援( そ の 1) 」『 早 稲田大学高等学院研究年誌』第五十六号 平成二十四年三月十六日 《 東日本大震災アーカイブ宮城 》及び、 《NDL東日本大震災アーカイブ》にて公開 ⑲『 勇 気 と 寡 黙 そ し て 祈 り ― 東 北 地 方・ 太 平 洋 沖 地 震 に お け る 陸 上 自 衛 隊 の 被 災 者 支 援 ―』 ( 著 書、 要 約 版 ) 自 衛 隊 岩 手 地 方 協 力 本 部 支 援・ 早 稲 田 大 学 危 機 管 理 研 究 会 報 告 書( 「 平 成 24年 度・ 文 部 科 学 省 科 学 研 究 費 補 助 金 」 研 究 の 報 告 書、 A 4

(23)

判 本文 66頁を含め全 68頁) ⑳『 勇 気 と 寡 黙 そ し て 祈 り ― 東 北 地 方・ 太 平 洋 沖 地 震 に お け る 陸 上 自 衛 隊 の 被 災 者 支 援 ―』 ( 著 書 ) 自 衛 隊 岩 手 地 方 協 力 本 部 支 援・ 早 稲 田 大 学 危 機 管 理 研 究 会 報 告 書( 「 平 成 24年 度・ 文 部 科 学 省 科 学 研 究 費 補 助 金 」 研 究 の 報 告 書、 A 4 判 本 文 104頁を含め全112頁)   本稿の執筆に際し、① 陸上自衛隊旭川駐屯地業務隊司令職務室(橘木耕治室長・3等陸佐、佐藤正明・2等陸尉、 松江浩伸・准陸尉、前里知次・准陸尉、白井秀輝・陸曹長、尾 﨑 貴史・2等陸曹) 、② 陸上自衛隊第9師団司令部総 務課広報室(尾形朋子室長・3等陸佐、菅原宏幸・1等陸尉、會津文彦・2等陸尉、矢吹正幸・陸曹長、秋元力・1 等陸曹、敦賀奈津子・2等陸曹、成田奈保子・2等陸曹、長尾貴宏・2等陸曹、加藤光洋・3等陸曹) 、③ 陸上自衛 隊中央即応連隊広報(町田康行・1等陸曹) 、④ 陸上自衛隊東北補給所装備計画部企画課防衛班(鳥飼晴子班長・3 等陸佐) 、⑤ 陸上自衛隊第3師団司令部総務課広報班(太田豊広報幹部・1等陸尉) 、⑥ 陸上自衛隊中部方面隊中部 方 面 後 方 支 援 隊( 塩 津 知 明 第 4 科 長・ 1 等 陸 尉 )、 ⑦ 自 衛 隊 東 京 地 方 協 力 本 部 練 馬 地 域 事 務 所( 井 上 努・ 1 等 陸 尉、 市川真也・海曹長、村上誉・1等陸曹、柳川貴幸・2等陸曹、鈴木浩司・2等陸曹、日朝智昭・3等空曹)の支援を 受けた。心より、感謝する次第である。   本稿は、早稲田大学二〇一五年度特定課題研究(基礎助成、個人研究)の「研究助成」を受けて行った研究成果の 一端である。

参照

関連したドキュメント

北海道の来遊量について先ほどご説明がありましたが、今年も 2000 万尾を下回る見 込みとなっています。平成 16 年、2004

(1)自衛官に係る基本的考え方

この条約において領有権が不明確 になってしまったのは、北海道の北

つの表が報告されているが︑その表題を示すと次のとおりである︒ 森秀雄 ︵北海道大学 ・当時︶によって発表されている ︒そこでは ︑五

平 成十年 度(第二 十一回 ) ・剣舞の部幼年の部 深谷俊文(愛知)少年の部 天野由希子(愛知)青年の部 林 季永子(茨城) ○

<第二部:海と街のくらしを学ぶお話>.

本学陸上競技部に所属する三段跳のM.Y選手は

北区の高齢化率は、介護保険制度がはじまった平成 12 年には 19.2%でしたが、平成 30 年には