• 検索結果がありません。

修養会証しの分かち合い 8 月 21 日に自由ヶ丘礼拝所で今池 自由ヶ丘 名東の3 礼拝所から合わせて 40 名の参加者を得て行われた今年の修養会は 前号の本誌で内河兄が書かれていたように 修養会を楽しもう というテーマから信徒間の交流を中心とした 1 日修養会 という形で行いました なるべく参加者

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "修養会証しの分かち合い 8 月 21 日に自由ヶ丘礼拝所で今池 自由ヶ丘 名東の3 礼拝所から合わせて 40 名の参加者を得て行われた今年の修養会は 前号の本誌で内河兄が書かれていたように 修養会を楽しもう というテーマから信徒間の交流を中心とした 1 日修養会 という形で行いました なるべく参加者"

Copied!
8
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

神 の 言 葉

牧師 末竹 十大

神の言葉は、イメージである。神の言 葉は、預言者においてもイメージとして 降る。言葉は、イメージ全体を变述する ことはできない。それゆえに、預言者の 言葉は、韻文、つまり詩で語られたので ある。 神の言葉が降るとき、われわれはその 全体をイメージとして受ける。それが言 葉に変換されたところで聞くならば、イ メージを失ってしまうことにもなりか ねない。では、どのように言葉を聞けば 良いのであろうか。 イエスの神の国の言葉は、全体として のイメージを感じ取ることが必要であ る。個々の事物の意味よりも、全体がわ たしに迫ってくる切迫のようなもの、空 間的な切迫とでも言うようなものを受 け取ることである。そこにおいて、われ われは神の国の中にいる自分を知るで あろう。 天地創造においても、このイメージ化 は働いている。「光あれ」という言葉に よって、具体的な「光」というイメージ が生じた。神のうちに光のイメージがあ り、そのように「なる」ために言葉が語 られる。「光」は、神のイメージ自体を ジ を 創 り 出 す 言 葉 が 神 の 言 葉である。 では、われわ れに降る神の言葉はいかなるイメージ を喚起するのであろうか。神の言葉は何 のために降るのであろうか。それは、わ れわれの救いのためである。そのイメー ジは、十字架である。これを「しるし」 とも呼ぶ。「しるし」は記号ではなく、 イメージである。イメージに込められた 神の救いの業、救いの意志が十字架とし て示されているのである。その全体を受 け取ることによって、われわれは救いの うちに入るのである。 神の救いのイマジネーションを喚起 する十字架を仰ぎ、イマジネーションの 中に入ることによって、人は神との関係 に入るのである。そして、神の言葉を生 きるのである。 神が創り出したイメージを見せられ、 入れられることを受けることによって、 イメージ自体がわれわれを包み、救うの である。この救いを起こし給う言葉を、 神の言葉と呼ぶのである。神が、われわ れをご自身のものとしてくださる言葉 題字 春霞 書 2011 年 10 月 2 日発行 季刊 第 10 号 発行所 名古屋市千種区今池 3-5-19 今池礼拝所 ℡052(732)5545 名古屋市千種区富士見台 4-100 自由ヶ丘礼拝所 ℡052(722)5796 名古屋市名東区高柳町 708 名東礼拝所 ℡052(771)5267 発行者 末竹 十大

(2)

修養会

証しの分かち合い

8月21 日に自由ヶ丘礼拝所で今池、 自由ヶ丘、名東の3礼拝所から合わせて 40 名の参加者を得て行われた今年の修 養会は、前号の本誌で内河兄が書かれて いたように「修養会を楽しもう」という テーマから信徒間の交流を中心とした 「1 日修養会」という形で行いました。 なるべく参加者がリラックスして楽 しめる企画にしようと考え、個人の方に 負担のかかるプログラムは止め、グルー プでの「証しの分かち合い」も、まとめ としての発表会は行わないこととしま した。しかしプログラムの中で尐し心配 していたのは、午後から教会の庭で行う 3礼拝所の親睦会をかねたバーベキュ ーでした。 夏の暑い最中での開催でしたので、熱 中症などの事故が起こらないかと懸念 していたのですが、当日は私たちの心配 を吹き払うかのような雤。特に合同礼拝 中はスコールのような激しさで、逆に午 後からのプログラムに支障を来たさな いかと心配するほどでしたが、礼拝後に は天 候も回復し 絶好のコン ディシ ョ ン?の中で無事に行うことができまし た。 合同礼拝後、第1部では「教会合同の 成果と課題」と 題して末竹牧師 が講演。複数共 同牧会の成り立 ちから、現在に 至るまでの経緯 と問題点が分か りやすく説明され、その後の質疑応答で も参加者から活発な質問、意見交換があ り複数共同牧会に対する共通理解を深 めるのに有意義な時間を共有すること ができました。このために準備してくだ さいました末竹牧師に感謝します。 休憩後、午後から第2部のグループに 分かれての「証しの分かち合い」。福音 書に因んでマルコ、マタイ、ルカ、ヨハ ネの4グループに分かれて、テーマを① 信仰に導かれたきっかけ、②信仰生活で の体験談、として司会を役員の方々にお 願いして自由にディスカッションして 頂きました。 「発表会をしない」との条件の下で参 加者の方々から貴重なお話しを伺うこ とができたのですが、2時間と限られた 時間の中でのディスカッションでした ので充分な話し合いができず、ほとんど のグループが①の「信仰に導かれたきっ かけ」で終わってしまったことは残念で した。 しかし寄せられた報告書の中には、 「聖餐式で信徒の皆さんがパンとぶど う酒を頂いているのを見て私もと思っ た」との可愛らしいものから、ご家族の 召天に際して信仰、神の存在を改めて考 えることができたなど、この紙面で単純 に羅列しては申し訳ないような重いプ ライバシーに 直結したお話 しもありまし た。そのため、 皆様にお約束 した「一言イ ンタビュー」

(3)

の本誌への掲載は、今回は見送ることと なりました。お許しください。 そして、嬉しかったのは参加された皆 様から「楽しい修養会だった」とか「い ろいろな考え方や信仰の話しができ、よ い語り合いができた」、「合同しても距離 感を感じていたが、尐し狭まったように 感じる」といった感謝の言葉を伺うこと ができたことです。 「証しの分かち合い」後に行われた親 睦のためのバーベキューには多くの方 から献品があり、予算の心配もなく楽し く過ごすことができました。 個人的な印象ですが、合同してから3 年、いまだに他礼拝所の信徒のお名前と 顔が一致しなかったり(そのために名札 を用意して付けていただきました)、い まいち親しみを持つことができなかっ たのですが、今回の修養会で尐しだけ合 同して同じ教会になったという意識が 強まったように思えます。 十字架の贖いによって集められた私 たちの営みが、主の御心に叶ったもので ありますように祈りつつ。(文責:川上)

主の導きによって

飯野 直美 「直美ちゃんって風のようにやってきて、また、風のように吹いていっちゃうのね」 今回の転勤の報告をした時の友人達からの言葉でした。 初めて名古屋へ引越ししてきたのは桜子が3 歳になったばかりの時でした。今から 思えば、主はその時から私たち母子を教会へ導いて下さっていました。その後、桜子 が小学2年の時に家庭の事情で東京へ引越しましたが、小学校でのいじめの問題に悩 み、先生に相談してもなかなか解決せず、うつ状態となってしまいました。「名古屋の 小学校に通いたい」という桜子の希望を汲み、医師の薦めもあって、職場に転勤願い を出して再び名古屋出の生活を始めました。それからわずか3 年足らずで思いがけず、 また東京に戻ることとなったのです。友人の言うように、まさに風のような人生です。 そのわずかな間に、昨年のクリスマス礼拝にて主は私たち母子に洗礼を授けて下さ り神様の子どもにして下さいました。そのため、今回の異動に関してはなんら不安が なく、それどころか全ての事が驚くほど順調に進んでおり、主の奇跡を感じる事ばか りで、深く感謝する日々が続いております。 私たち母子を温かく迎え入れて下さった教会の皆様とお別れしなければならないの はとても悲しい思いではありますが、主は私たち母子にふさわしい新たな道を備えて 下さっている事を信じ、御心のままに、力強く進んでいこうと思っております。 心配しておりました桜子のいじめの問題も名古屋でも多尐はあったのですが、彼女 の成長と共に私が矢面に立つことなく自分で解決する術を身につけており、恥ずかし ながら子どもから教わる場面もありました。このことも私たち母子が安心して東京へ と旅立つ事ができる一因です。 私たちの原点はやはりなごや希望教会だと思っております。神様の子どもにさせて いただくために何度もここに引越して、導かれてきたのですから。洗礼式にいただい た聖書にはこうしたためられています。「これは主の御業/わたしたちの目には驚くべ きこと」。恵みと感動の日々をお与え下さる主に感謝します。

(4)

こどもキャンプに参加して

飯野 桜子 私は、第13 回ルーテルこどもキャン プに8/9~11まで行ってきました。 そこでは、カンボジアを通じて日本と カンボジアの生活や学校の違い、またカ ンボジアの残酷な過去を学びました。そ して、それを劇に表わしたりしました。 カンボジアでは地雷が子どもの数よ り多く埋まっています。だから安易に出 歩けず、地雷の被害にあって足がない子 も尐なくありません。さらに、子どもた ちは洗脳されて大人たちの犠牲にされ ていました。こういう事実を通し、自分 や日本がどれだけ恵まれているかを実 感しました。 カンボジアの子どもたちの母親に「今 何が一番必要か?」と聞くと「学校」と 答えるそうです。そこで、カンボジアに たくさん学校を建てた日本人の後藤さ んを招き、たくさんのお話しを聞きまし た。技術が発展し、人間味・人間の本質 がうすれている日本とは違い、カンボジ アでは夜、1つのろうそくに家族が集ま って話したり、また学校のチャイムは車 の一部を棒でたたくそうで、とても人間 味のある音色だそうです。 日本では、学校に行くことが義務付け られているけれど、カンボジアでは学校 に行けない子どもがたくさんいます。そ の子どもの多くは水くみなどの仕事を しています。キャンプで私たちは水くみ を体験しましたが、とても重かったです。 この水くみを私たちより小さな子がや っていると 思うと感心 しました。 日本では こんなこと は決してあ りません。 でも、主は みんなを平 等に愛してくださいます。そのことを忘 れないでおこうと思います。 ルーテル子どもキャンプでは全国か ら子どもが来るのでいろいろな子に出 会えてよかったです。市原先生も来まし た。そして、楽しい思い出ができたのも お母さんや教会の皆さんのおかげです。 ありがとうございました。 藤澤 一樹 ぼくは、教会キャンプへ豊田に行って カンボジアのことをたくさん学んでき ました。 カンボジアには,未だ地雷が国の半分 に埋まっていて自由に走れなかったり、 水くみに遠くまで行かなければなりま せん。でも僕たちは恵まれているので、 食べ物を残さないようにする等、生活の 中で工夫して忘れないように頑張って いきたいです。 そして、全国の友達と再会できて嬉し かったです。全国の友達と会えるのはル ーテルこどもキャンプだけなので、たく さんの友達に会うことができて、感謝し ています。 ありがとうございました。

(5)

先輩達からのメッセージ

ラーキンス・ヒサエ・アイ 「神は愛である」、「神はその独り子を 賜った様にこの世を愛して下さった」。 私たちは正しい立派な人間だから愛 して下さるのではない。私たちは罪人で あっても、神様の方が無条件で愛して下 さる。ただ私たちが神様のその愛を受け 入れるかどうか? 神様が私たちをこ の様に愛して下さるという事実をどの 様に日常で表現していくかどうか?神 の慈しみと優しさを私たちはどう日常 生活に生かしているのだろうか。 神様の豊かさの前に私たちは謙虚で なければならない。 「信仰は聞くことから起こる」。 パウロ、ローマ書に書いてあります。 悔い改めなさい。心を入れ替えなさい。 考え方を変えなさい。そうすれば罪を許 して下さるでしょう。そして賜物である 聖霊を頂くことが出来るでしょう。 お互い毎日を大切に生きましょう。最 後になりましたが神様の愛に守られこ の年まで生かされたことを感謝します。 中野 廣子 「敬長おめでとうございます」と「愛」 の編集者から電話を頂きました。 「ありがとう。神様は私にまだ御用を しろとおっしゃっているのかな」。「そう よ。最後の日まで賛美の日を送れたら幸 せですよね。それを『愛』に書いてくだ さい」と続けていわれました。 私 は 神様 の 恵み を一 つ 一つ 数 えて 日々を送っているのに、天国が近くなっ ていることを感じる日々なのにNo とは 言えません。反対にチャンスを与えられ たのかと思いながら受けました。 私をこの世界に送り出してくれた両 親は私を育てるのに本当に苦労したこ とを覚えています。喘息という病気で息 が出来なくなるのです。私が苦しくて動 くことが出来ない様子に母も父も悲し い顔になったのをよく覚えています。こ んな私が自分で好きではありませんで した。 しかし欠点のみを数えていた私もキ リストはずっと寄り添い見守られ現在 に至ったことに気づいています。本当に この世で一番貴い仕事を与えられたこ とを神様に感謝します。 神に感謝しましょう。ハレルヤ ハレ ルヤ。神さま有難う、教会の皆様有難う。 日曜日に神さまの前に出ることが一 番楽しみな日々です。 松原 雅夫 「やっと80 歳にたどり着いたか」と いう複雑な気持ちで迎えた傘寿。という のも今年初に病気になり、やっと坂を登 りきった感があったからです。 振り返ると、仕事一途で生きてきた年 月ですが、何とか信仰を持ち続け、多く の方に助けられ、ここまで来ることが出 来たことを感謝しています。 特に50 年以上にわたって、支えてく れた家内には、口に出すのが照れくさい ので心の中で感謝しています。 生きることは大変なことですが、これ からも自然体で過ごしていければと思 っています。 敬長の日

(6)

金沢 郁子 希望教会では今年も9月 11 日に 80 歳以上3人がお祝いのお菓子を教会か ら頂きました。 私は前日めぐみ教会で教区の伝道セ ミナーに久しぶりに出かけ、信仰の思い を新たにさせて頂き、2年前に新築され たすばらしい教会は目を見張る思いで した。素敵なステンドグラス、パイプオ ルガンやタペストリー。そして会堂から 食堂へ、またそれが一部屋に転身する理 想的でここちのよいものでした。恵教会 の方々の熱意がこれだけのものを建て られた事を思うとき、私たち教会員、皆 が思いを一つにしたとき新しい会堂の 夢は実現できる事が分かり、私自身十数 年前の元気はないかも知れませんが、現 在の教会の中で、周りの方たちへの呼び かけをもっと積極的に考え実現できる よう話し合いたいと思いました。 石川 耕三 今までの一番大きな経験は、終戦の2 ヶ月前に生まれ育った四日市の街が米 軍の焼夷弾攻撃を受け、当時中学生の私 は防空壕で一晩過ごしたことです。 家は昔から仏教ですが60 才に会社を 定年退職して数年後に尐し前から出席 していた家内に誘われて出席したのが 教会との出会いでした。 小学校の頃から運動神経は発達して いて、そのせいかせっかちで歩くのも早 いほうでしたが年齢と共に尐しゆっく りになってきました。 5年ほど前から階段の上り下りで途 中で息苦しくなって時々休憩するよう になったため、受診の結果「初期の肺気 腫」の診断を受け「スポーツや激しい運 動はやらないようにと指示されました。 現在も2ヶ月に一度の通院診断を受け ています。 やはり年齢を考え、尐しゆっくりとし た毎日を送っていますが、現在日常生活 (一人暮らし)では特に問題はありませ ん。 これからはマイペースで「ゆっくりと した深い呼吸で自律神経のバランスを 整え」平凡な静かな生活を続けたいと願 っております。 矢島 愛子 日曜日、今日もむしむしの雤模様のど んよりした日、どうしようかなと迷って いると菊池兄に助けられて、やっと教会 に来る。 一恵姉のオルガンで暖かい雰囲気で、 席の前も横も親しい方ばかり。教会の空 気にとけ込んで、時々説教のキリストの 弟子の言動の半分わかったような、わか らないような気がして。わからないとこ ろがあっても自分なりに納得して。楽し く後の雑談、お茶の楽しい時を過ごさせ ていただき、ああ今日もよかったと喜ん で家に帰ることが出来ました。 一日一日が今のところ感謝と嬉しさ で過ぎていきます。生きている、生かさ れている感謝、ありがとうが今はいっぱ いです。 2011 年のお正月は伊豆で、4月は東 京のクラス会でコーラスの一日の集ま りに8月は妙高高原へ 4泊遊びに行きま した。ありがたいことです。

(7)

東北大震災に学ぶ!

「全国ディアコニア・ネットワーク」 秋のセミナーに参加して 内 河 惠 一 9 月 19・20 日に開催された上記セミ ナーに自由ヶ丘礼拝所の菊池敏兄と一 緒に参加した。3 月 11 日の大震災を自 分の目と足で確認しよう、という趣旨で 今年は仙台・石巻で開催され、函館から 鹿児島までのルーテルの仲間が仙台の 鶴ヶ谷教会に集まった。 第1 日目は、稔台教会の内藤牧師から 「原子力発電の問題点」、福島wawawa の会の佐々木慶子さんから「被災地福島 からー3.11 福島原発事故に思う」、更 に、東北学院大学名誉教授で牧師の森野 善右衛門氏から「震災後の人間の生き方、 そして教会」と題するお話しをそれぞれ お聞きした。今回の福島原発事故の発生 とその対応作業の状況を見るだけでも、 絶対安全と言われていた原子力発電が、 決して「絶対安全」ではないことが明ら かになり、目の前の深刻な事態に対して も何の制御もできない惨めな実態を見 せられ、「原発」というものの真相を垣 間見ることになった。 内藤牧師は、長年にわたる原発問題へ の強い関心と経験で、原発の何であるか をスライドをもって丁寧に説明された。 佐々木氏は、反原発運動の体験の中か ら、真実を隠し続ける国や電力会社の不 誠実、地方の過疎・貧困や人間の弱さを 利用した卑劣な原発推進の実態を、情熱 をもって語られた。 森野牧師は、ロマ書 5:3,同 12:2 等のみことばを引用して「頑張ろう日 本」ではなく、「悔い改め、考え直そう 日本」であることを強調された。また、 1945 年の「第1の敗戦」の後、再び「原 子力の平和利用」という名の下に「経済 成長至上主義」をひた走った日本、これ が3 月 11 日の原発震災で潰えることに なり、「第2の敗戦」をもたらす。第 1 の敗戦(富国強兵)も第2の敗戦(経済 至上)も結局「富」を目指した点で共通 している。「第3 の敗戦」をもたらさな いためにも、上記視点を忘れてはならな いとの指摘は重要である。その後、参加 者全員で、震災・原発等をテーマに、か なり充実した意見交換が展開された。ま た、ルーテル教会が行っている震災支援 活動のスタッフである遠藤姉・佐藤氏か らも興味のある支援活動の実態が語ら れた。 第2 日目は、仙石線が完全復旧してい ないため、バスで仙台から被災地石巻市 に向かった。大津波から既に半年を経過 しており、随分被災の姿は変わっている はずである。支援スタッフ遠藤姉の添乗 解説を聴きながら被災地に入った、海岸

(8)

地帯は、がれきはかなり片づけられてい るが津波の痕跡ははっきりと確認でき る、特にスレート瓦の生産が盛んであっ た雄勝地帯は復旧の目処が全く付かな いといった状態である。雄勝公民館の屋 上には依然バスが鎮座している。石巻市 の駅前通りも殆どシャッター街である。 特に、大川小学校の被災跡(写真)を訪 れたときは、目に見える被害だけでなく、 多くの児童達が一斉に津波に流された という残酷な物語を思い、校舎敶地の一 隅に建てられている供養塔に捧げられ た供花、飲み物、ぬいぐるみ、風車等に 涙を禁じ得なかった。 台風15 号が東海を襲うという情報を 聞きながら、解散を1時間ほど早め、そ れぞれ帰路についた。 最後に、沢山の準備をして下さった藤 井牧師をはじめ、鶴ヶ谷教会の皆様に深 く感謝したい。 尾張・岐阜地区宣教委員会主催

宗教改革記念集会

10 月 29 日(土)

午後 2 時~午後 4 時

復活教会にて

聖餐礼拝 司式・説教:神﨑 伸 牧師 学び:末竹 十大 牧師

「ルターの花嫁神秘主義」

証し:松隈 芳久 兄(なごや希望)

「ルターを訪ねて」

みんなで参加しましょう。

東海教区 信徒大会

11月3日(祝・木)

10 時~午後 3 時 30 分 (受付開始 9 時 30 分) 金城学院大学ランドルフ記念講堂 テーマ「つ な が り」 ○竹田大地 神学生(なごや希望教会) 献身へ導いてくださった「つながり」 ○稲垣八重子 姉(高蔵寺教会) 福祉村での「つながり」とふれあい ○柴田るみ子 姉(大垣教会) 宣教師との「つながり」から奏楽奉仕へ

参照

関連したドキュメント

〇齋藤会長代理 ありがとうございました。.

 今日のセミナーは、人生の最終ステージまで芸術の力 でイキイキと生き抜くことができる社会をどのようにつ

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

下山にはいり、ABさんの名案でロープでつ ながれた子供たちには笑ってしまいました。つ

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場

自分ではおかしいと思って も、「自分の体は汚れてい るのではないか」「ひどい ことを周りの人にしたので

 今年は、目標を昨年の参加率を上回る 45%以上と設定し実施 いたしました。2 年続けての勝利ということにはなりませんでし

これも、行政にしかできないようなことではあるかと思うのですが、公共インフラに