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ているところである さて お 前 さん 方 はいったいどうしているか もし 私 のいう ことがよくわかっておれば 推 (お)しても 戸 口 から 出 ず 拽 ( ひ)いても 門 内 に 入 らないで 人 それぞれの 跟 下 (あしもと)から 自 然 にひときわすぐれた 光 りが 出 てき それを 樂

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(1)

黄檗

隠元禅師

の禅思想

第一章 語 録 第一節 中国編

第一 黄檗山萬福禅寺語録 下 性 光 編

元旦の上堂説法。

「大王の言葉は糸のようで、それが一度口に出されると、取り消したり改めたり することができず、少しでも口から出ると、家が栄え国が泰(やすら)かになる。 口にまかせて一ことでもいうと、草が偃(ふ)し風が行くように世の中に拡がっ て、人間の社会も天上の天人たちもご恩を浴び、いたるところにご恩をこうむる。 そこで天上にあっては、天の中の聖といわれ、人間の中にあっては人の中の尊と いわれ、物の中では物の中の貴といわれ法の中では法の中の王といわれる。さあ、 いってみるがよい、禅僧にあっては何といわれるか。」 払子(ほっす)を立てて 「わかったかな。めでたい瑞祥となって、宇宙いっぱいにみなぎり、雲のように雨 のように三千世界をその恩恵でおおうであろう。」 といわれました。

修行期が終了した日の上堂説法。

「わが宗門の家風ははなはだつつましやかではあるが、禅寺としての規律や礼儀は 堅く守られ、しかも自由に修行することができる。一と筋の道は天まで通り、根源 をしっかりと捕らえてそれることがない。これこそ山僧(わたし)がいつも実行し

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ているところである。さて、お前さん方はいったいどうしているか。もし私のいう ことがよくわかっておれば、推(お)しても戸口から出ず、拽( ひ)いても門内 に入らないで、人それぞれの跟下(あしもと)から自然にひときわすぐれた光りが 出てき、それを樂しむことができよう。決して他人の家にとどまることはあるまい。 まだよくわからないようならここで決着をつけるがよい。東に行ったり西に走った り、あたかも流れる水に破れ布(ぬの)がただよい、いたるところでひっかかって いるようではいけない。そんなことではいつまでたっても決して自由自在に解脱す ることはない。昨年の冬、諸上座(おまえさんがた)は千里の道も遠いとは思わず、 ここにやって来られた。今日は悟られてそれぞれの地方に出かけられる。山僧(わ たし)は少しばかり言葉を述べてお前さん方の旅立ちをお祝いしよう。よく聞くが よい。胸の中に何か一つでもとどこおっておれば、どんなに水をそそいでも消えな いであろう。闍黎(おまえさんがた)、みだりに妄想を抱いてはならぬ。空手(か らて)でやってき空手で去ってゆく、横に行こうと直(ま っすぐ)に進もうとき れいさっぱりとしてさえぎるものはない。」

羅山和尚が黄檗山に上って来られた時の上堂説法。

「進むにも退くにも礼節と音樂があり、暖かな日と和(なごや)かな風が立派な建 物にいっぱい。社会に出ては目上の人に、よく仕え、家庭では孝養をつくす。青い 山、緑の水はめでたい雲でこめられ、お互いに触(ふ)れあっている破れた素焼の もろい盆。千年にもわたる大空は光り輝いている。もし耳で聞こうとしたならいつ までも聞きえない。目で聞いたなら聞こえないというところはない。汝等諸人(お

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まえさんがた)、みんなそれぞれ目を持っているので、きっと目で聞くことができよ う。さあいってみるがよい。羅山和尚と黄檗(わたし)の二人には一枚の舌もない。 ついたりたたいたりして何を話しあっているかと思うか。眞夜中に太陽が宇宙を輝 かし、夜明けに眞黒な漆(うるし)が天地いっぱいに拡がっている。」

上堂説法。

一人の僧が 「禅宗の祖師方のお教えについて、一つ一つの異なった教え方についてはお尋ねい たしませんが、臨済宗の家風についてお尋ねいたします。」 と申し上げますと、禅師は打ちたたかれて 「一棒で一打ちすると一条(すじ)の痕が出来る。」 といわれました。その僧がさらに 「臨済禅師のいわれる金剛王宝劍とはどのような一喝でしょうか。」 と問いますと、禅師は 「闍黎(おまえさん)をたち斬ってしまう。」 といわれました。その僧がさらに 「踞地獅子の喝とは。」 と問いますと、禅師は 「天地をふさいでしまう。」 と答えられました。さらに僧が 「一喝しても一喝の用(はたらき)を作さざる喝とは。」

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と問いますと、禅師は 「お前さんの疑うままにして置こう。」 と答えられました。さらに僧が 「一喝探竿影艸とはどのような喝でしょうか。」 と問いますと、禅師は 「お前さんが修行の旅の僧であることがわかった。」 と答えられました。さらに僧が 「臨済禅師のいわれる四喝については禅師のお教示をいただきましたが、絶対的な 禅宗の教えというのは。」 と問いますと、禅師は 「三十棒ほどたたきたいところだが今日はゆるしてやろう。」 といわれ、次のように法を説かれました。 「まだ何ともいわない先に知る。しきりにたたいてもわかってくれず、心をつかう ばかりである。どう問いどう答えることができるか。次から次へと事が起こって急 がしくて目の玉を引きぬかれ、舌先で相手にもてあそばれても自分では気がつかな い。大衆(おまえさんがた)、仏法は面倒なことでなく端的である。長い間、人を 得なかった。行住坐臥、日常生活の中にあって、その人の他に人もなく、その外に 教えることもない。どうしてわかってくれないのか。この世は出来ごとは海中の漚 (あわ)、悟りに入った者といってもそれはいなずまのようなものである。まずこ れは何かを知ることだ。禅僧の行爲(おこない)は霜夜の皎月(あかるいつき)、 さらけ出した真赤な眞心は雪の積った嶺の一本の松のようにその妙(たえ)なる本

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性をあらわしている。正しい目で看みてくると、それでもまだ途中にとどこおって いる。さあ、いってみるがよい。自分の家に帰った時のように心が安(やす)んだ 時の一言を。」 しばらく黙っておられましたが 「本当にわからない時こそわからないことがないといえよう。はたして先ず知る所 は何を知ることであろうか。」 と、いわれました。

上堂説法。

「祖師の一人が次のようにいわれたことがある。坐禅する者は一人しかいない場所 でも到らねばならぬ。半人の場所でも到らねばならぬ。一人もいない場所でも到ら なければならない。悟りを得るために精(せい)を出し過ぎて、かえってそれだけ のききめがないことがある。おおいに天上の月をむさぼり見て、掌(て)の中の橈 (かじ)をとりうしなうことがある。黄檗(わたし)はそうではない。一人しかい ない場所にも到らない。半人しかいない場所にも到らない。人の一人もいない場所 にも到らない。これは黄檗(わたし)が場所を占めないからではない。この大地に 住む生物も無生物もすべて黄檗(わたし)の一本の毛孔の中にいて、そこから流れ 出ているものであるからで、どうすることもできぬのだ。再び考えるまでもない。 汝等(おまえさんがた)、心の底からこのことを信ずることができるか。かやぶき屋 根のいおりからまだ一歩も出ないのに天下は平定しており、南に北にと征討の兵た ちはおおいそがしだ。」

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修行期が始まった日の上堂説法。

「あちらこちらの禅堂では修行期が始まって目に見えない縄で自分で自分を縛っ ているが、黄檗(わたし)の寺では炉開きをして立派な修行者を招いている。これ らの修行者たちは赤裸(はだか)で丸出し、山が聳えるように独歩し、大地はすべ てこの一人の僧の眞実を見抜く眼である。眞赤に燃えた炉をどこに置いたものであ ろうか。すべての大地はこの眞赤に燃えた炉である。ここでほんのわずかでも見破 ることができたなら、銀山や鉄壁でもより倒してしまい、千万の家々もいっせいに 門戸を開いて長短、高下が無くなる。どうして生死とか去来とかいうことがあろう か。ありはしない。少しでもためらい疑ったなら火星が眼の中に落ちたようであり、 数かぎりない金の鍼(はり)がはね回っても開かないであろう。何か一つでも胸の 中で礙(つか)えると、明るい天のはげしい燄( ほのほ)が生じ、どのように打 ちたたかれようと消えてしまわない。消えてしまわないので、生き死の場に臨んだ 時、それを解決する力が出ない。開けないのが常であって、自然の運命にまかす外 なくあいまいで終るだろう。禅僧は急いで目をつけるがよい。一日を一日で過し、 一月を一月で過し、ある期間はある期間で過し、一年を一年で過してはならぬ。あ あ! 年を取ってしまった。これはいったい誰がまちがいを起したのであろうか。閻魔(え んま)さんはわが家の父母であり、赤牛や青牛の地獄の鬼たちはお前さんたちの兄 弟ではないか。むだ飯を食った代価のお錢(かね)を少しでも溜めておさめんと、 すぐさま鉄棒が飛んで来る。その時になって黄檗(わたし)がお前さんのために何 も説いてきかせなかったといってはならない。しかしその事はしばらく置いておき、

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今日炉開きにあたって骨身にこたえるような一言をいってみよう。冷たい時は火を 燃やし、熱い時はそれを取り払う。これは黄檗(わたし)の特別な教えではない。 汝諸人(おまえさんがた)の皮膚の下には血が通っていなければならぬからである。」

上堂説法。

「今日は十月二十三日、黄檗(わたし)はもともと寺から出かけるのが大儀だった し、寺から出かけるのはみんな弟子たちのためだった。何も私が一々あえて教え示 すことはない。寺から出かけないからといって、決して人をあなどったからではな い。なぜかというと、この地上の人々の道は皆黄檗(わたし)の手の中にあるから である。ただ一筋の道を打ち開いてどこにでも行けるようにさせているからである。 もし自由に放っておかなければ、ひとひねりすることができぬからである。大地が 沈んでしまうと、釈尊も気を飲み声を呑み、徳山や臨済禅師も目をみはるだけで口 は開いたままになってしまう。汝等諸(おまえさんがた)人、こうなったならどう するか。」 といわれ、さっと拄杖(つえ)を手にされ、とんと拄杖を立てられ 「わかったかな。すべての山なみは五岳にいたって盡き、あらゆる川の流れは海に 帰着して消える。」 といわれました。

上堂説法。

「ここに純如和尚が鼓思王檀家のため山僧(わたし)をまねいて法座に上らせ、法

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事を執り行なわせて亡くなった方の法要をして供養したいといわれている。もし仏 事について何かいおうとすれば、上座(あなた)がそう心に思われる前にすでにお 話したことになり、お弔いしたことになる。もし信ずることができたならそれが恩 を知ることになる。もし信じなかったら一つの筋道をつけて、これに答えることに しよう。」 といわれ、払子(ほっす)を立てて 「太陽が昇り夜が訪れる。それはこの場の風景から離れた別のことではない。死ん で行き生れて来る、それはここから離れて別のところで起こるのではない。天地は これを根本とし、万物はここから生れてくる。仏や祖師方はこれでもって智慧の命 を伝え、禅僧はこれでもって天地を立て、亡くなった方々はこれによって清淨な蓮 に乗って極楽世界に生れてゆく。現に生きている親族はこれによって子孫に幸福を あたえ、四生(胎・卵・濕・化の四つの生れ方による生物)六道(地獄・餓鬼・畜 生・阿修羅(あしゅら)・人間・天上の六つの世界)、優れた者も劣った者もこれで 身も心も安らかにならないものはない。だが、これはただ半分をあげて説いたまで で、残りの半分はどうだ。」 といわれ、払子(ほっす)を放げられて 「ひとたび起きた心がおさまると八万四千といわれる悩みがさっと 息 や み、ハッ としたせつなの悟りは限りない妙(たえ)なる意味をはっきりとあらわす。それが 全くあらわれることがないなら、さっとおさまる力もあらわれることがなく、さっ とおさまることがなければ、どうして全くあらわれることを知ることができようか。 全くあらわれるところが、そのままさっとおさまる時であり、さっとおさまる時が

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そのまま全くあらわれる時である。もともとこの二つは二つが一つになるのではな い。どうして二つがあろうか。このことが眞実であれば、鼓思居士は昔日(むかし) 生れてもまだかつて生れず、即今(いま)死んでもまだかって死んではおられぬこ とになる。生れてまだかって生れていない、それはいってみれば眞昼がそのまま夜 の 三更 まよなか ということであり、死んでまだかって死んだことがなく、それは いってみれば眞夜中に太陽が赤々と照っていることだ。もしこのようによかったな ら、碧(あお)い蓮の咲いた清淨な極樂で正坐しているようなものだ。」 といわれました。

上堂説法。

「禅を知識として知ると、恐るべき落とし穴に堕(お )る。働きの無い死んだ禅の 道はけわしくせまくて行くべき道ではない。傲慢で人を軽侮しているような教えは 人をあやまらせる。片側しか見得ない男のいうことについていってはならない。教 えの一番大切なところをいろいろと解釈し、経典をあれこれと引っぱり出して説明 するようなことはみんな外道か悪魔のすることである。汝等諸人(おまえさんがた) はけなげな心で出家し、正しく修行の旅をつづけているが、これからも邪(よこし) まな心で悪を追いかけるようなことがあってはならない。ここに来たからには、悪 魔の仲間入りしたなら、未来永劫に地獄の世界に堕ちて救われることがないであろ う。たいへん哀しいことだ。ここにやってきたからには、道を道とし、禅を学ぼう としないで、柴を搬(はこ)び石を運んで、小事にこだわらず、どこに行こうと心 のままなことを知るがよい。このことがよくわかったなら直に心が喜びであふれる

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であろう。わからなかったからといって当て推量してはならない。」

上堂説法。

「ここに東金寺の妙蔵老和尚が母陳氏のたに山僧(わたし)を招かれて説法し法要 するように頼まれた。もし法要のことをいうならば父母がまだ生れぬ前から法要は すでに終っている。どうして今更山僧(わたし)があれこれ説くまでもない。きっ と悟りを得た人に笑われることであろう。だが、こういうことを記憶している。 昔 日 むかし 、那吨(なた)太子が肉をさいて母に還し、骨をさいて父に還し、その 後で本来の姿をあらわし、大神通力をめぐらして父母のために説法されたと。大衆 (おまえさんがた)、骨や肉をさいてすでに身体は無いはずだ。いったい何をあら わし、何でもって説法したというのか。ここのところがよくわかったなら、きわま ることのない父母の恩に報(むく)い、骨をおって養ってもらった父母の恩に酬(む く)いたことになる。あるいはもしまだわからないなら、山僧(わたし)はその人 のために説得して、子と母が再び相見ることができ、骨も肉も 元 もと のままに してみせよう。」 といわれ、払子(ほっす)を立てられ 「わかったかな。急いで進んでこの教えをわがものとし、ためいきをついて嘆くこ とはない。ふりかえってみるといたるところにわが母の家があり。一本の毛の先で 身体をおどらせても、その毛の先はみんなとがってはいない。」 といわれ、拄杖(つえ)をたてられて、法座から降りられました。

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上堂説法。

「釈尊が天を指(ゆびさ)し地を指されたことは今は問題にしませんが、雪山(ひ まらや)で修行されたのは何故(なぜ)ですか。」 と僧が問いますと、禅師は 「闍黎(おまえさん)を凍(こご)らせてしまった。」 と答えられました。その僧がさらに 「そうでしたなら、忽ち明星を見てしまったでしょう。」 といいますと、禅師は 「かすんだ目でものを見てはならぬ。」 とたしなめられますと、その僧はすかさず喝と一喝しました。禅師は 「無意味な言葉をもてあそぶではない。」 といわれ、ついで次のように法を説かれました。 「美しく飾られた 家屋 いえ に住まず、自ら進んで雪山に入ってゆかれ、たちま ち目に屑(くず)をつけられて失敗された。これも風流の一つかな。諸大徳(おま えさんがた)、山僧(わたし)はすべてを語りおわった。私のいうことに不服な者 がおるなら、どうか前に出て釈尊のために恥をそそいで欲しい。もしいなければ山 僧(わたし)から重ねて新らしく批評をしよう。夜中に星を見て悟ることも無いで もないが、正しい眼で見ると、これはもともとわが家の売れ残り品に過ぎず、何の 彼のととりたてていうほどのことでもない。惜しいことに山僧(わたし)はその場 に居あわせていなかった。もしその場にいたなら、三十棒をくらわせて釈尊にぐう の音(ね)もいわせなかったであろう。」

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といわれ、修行僧たちをかえりみられ 「わかったかな。頭を大空にあげてみるがよい。誰が恩に報(む)くゆる人なのか。」 といわれました。

授戒を受けた弟子が上堂説法をお願いしました。

「よくやってきた佛の子たちよ。大戒はすでに円滿成就した。努(つと)めてこ れを保ち持つ者を菩薩という。どうか名前だけでなく実(み)のあるように。ま た花だけでなく果(み)がなくてはならぬ。菩薩の智慧が明らかなことは太陽が 高々とあがった眞昼の時のようであり、どこまでも照らさないところはない。菩 薩の心は大地のように厚く、載(の)せないところはない。菩薩の行爲(おこな い)は泰山のように重(お)も重もしく高く、あらゆる所から仰(あお)ぎ見ら れる。菩薩の大願は滄海(おおうみ)のように深く、すべての川の水を残らず注 ぎ込む。菩薩の戒は滿月のように淨(きよ)らかで内も外もはっきり照らす。菩 薩の威光は冰雪(こおり)のようにきびしく、表も裏も清淨である。菩薩の姿は 春の膏(あぶら)のように潤(うるお)うていて、何物もお蔭をこうむらないも のはない。菩薩の本性は虚空と同じで、すべてのものを包み込み、眞理からみて 行き届かないという所はなく、事物からしても備わらないものはなく、機(はた らき)として役に立たないものはなく、ものとして満足させられないものはない。 もしこのように信じ、このように行ない、このように悟り、このように拡めてゆ けば、ただちに文殊や普賢菩薩と手をとりあって一緒に行き、昆廬遮那(びるし ゃな)仏[大日如来]と同じお堂で一緒に坐ることになろう。これこそ本当に一人

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前の男がなすべき仕事をなし終ったといえよう。さらに今一ついい残した事があ る。ひとこと諸人(おまえさんがた)のために説こう。」 といわれ、払子(ほっす)を立てて 「昨日忘れてしまったが、今日は想い起して来た時、さてこれは戒か戒ではないか、 さあいってみるがよい。修行と悟りを設けるか、かつて煩悩に汚れ染ったかどうか。 あまり注意もせずに本来の智慧の眼をひねり出し、一人々々昆廬遮那仏の頭の上を 歩いて行く。」 といわれました。

両親の法事をすませ、上堂説法を請われた。

「十五日は眉が開けて天にまで通じた。十五日以後は鼻水がもれてつまってしまっ た。きょう十五日は前も後もみんなふさがってしまった。一本の紅花を取り出し、 顔を洗って鼻の先にあてたが、はなはだ近いのだが、誰も知らない。すべての行動 が目の前に形をあらわしているのに。ぼうとしてはっきりしないまま外に求めてい るのはおかしくて笑いたくなる。こうした時が汝諸人(おまえさんがた)の身も心 も安(やす)らかになった処か、汝諸人の身も心も失ってしまった処か。もしそこ のところがわかったなら生死がはっきりあらわれ、生死に役立ち、永い間の恨みや 親しみは消えて平等になってしまい、遠く父祖の代からの業(ごう)を超えるので あろう。山僧(わたし)はこう言ったが、それで劉氏の父母の法事をすましたこと になろうか。昨夜、霜がおりて骨まで通る寒さだった。枝の先は春の季節の到来を それとなく知らせている。」

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大仏の開光供養にあたっての上堂説法。

「清淨な妙法身はよく大きな仏事をなされる。口から百千の光りを放って善男善女 を救われ、あのかつての布施に感じられて、金帯を両手であたえられる。捨てにく いものをよく捨てられて転物の主となられる。涵清は性善と同じで、また如来(仏) の使者(菩薩)にあてられ、錦の上にさらに花を添えたように美しい上にも美しく、 最上位の金(紫磨)を重ね鏤(ちりば)めた万福の姿をした最もすぐれて美しい大 家がここにあり、大家がすでにここにあれば自ら作り、自ら受け、自ら飾り、自ら 厳 いか めしい。仏・法・僧の三宝について求めず、人間や天上へ生れるようにと 報(むく)いを求めない。このような荘厳を無相の荘厳と名づけ、このように作す 者を無作の妙用と名づける。山僧(わたし)はこのように説いた。是はその功を喜 び賞(ほ)め、その作された事でその人を稱(ほ)めたのである。功はいい加減に えらんで爲したのではない。幸福はそれぞれ帰るべき処に帰っている。ただ今日、 仏の知見を開き仏の智慧の眼に一点をそそぐのには、どういったものだろうか。」 払子(ほっす)で空に点を打たれ、 「わかったかな。もしこの天眞仏を明らにすることができたなら、日常の動作から いつも光りが出てくるであろう。」 といわれました。

正月元日の上堂説法。

「正しい大道が尊ばれ、戦いの気配はやっと消えてき、自分の欲に打ちかって、な さけ深い世の中になり、戦争で兵器を手にすることは永くやんだ。天子の五恩は庭

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の石にまで及び、その徳は世の人々にあまねくゆきわたった。だれも聖天子のご政 治を樂しみ、だれもみんな一緒になって太平の幸福を受けた。それ故に言う、一つ になって私心をもって計らうことなく、あらゆる方向からの計らいを打切り、一人 に慶(よろこ)びがあると多くの人たちにもそれがおよぶといわれている。わが禅 宗の修行者たちはこれをどう思うか。私も年をとってぼけてき、考えもなくなって きた。天地を載せて出しひときわ新しくしたいものだ。」

修行期が終った日の上堂説法。

「足の下に浮ぶのどかな雲がなくなると、天空(おおぞら)に十二の峰々が目出度 い色どりを現わし、その面影には春の姿をそれとなくくりひろげている。仏法を聴 いている頑(かたくな)な山石、そのすぐれた機(はたらき)を示す活水の竜、清 らかな池の水の中で竜が小波をたてているが大浪とはなっていない。いたるところ で禅の教旨(おしえ)を説いているが、もしそのような人がいるなら、仏や祖師の 禅はいつまでも伝えることができようし、人間も天上も幸福になるであろう。もし いないなら、山僧(わたし)は泥水の中にはいって皆と一緒になって魚蝦(えび) を捕らえよう。黄檗(わたしは)いつも漆(うるし)桶をとって水をかえているが、 なかなかなくならない。たとえ徳山禅師や臨済禅師が私の前にやって来られても、 咳嗽(せき)一つすることさえ許さないであろう。今日はこの堅牢(かた)い関所 を打ち破り、一筋の道を切り開いて汝諸人(おまえさんがた)が自由に飛び跳ねる ままにしてあげよう。三匹の驢(ろば)が御殿の上を行き来し、一群の水牯牛がお もいのままに山野を走り回るのによく似ている。身体いっぱいにあらわれ、とどめ

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るものはない。それに触れると、一つ一つが雷が 吼 ほ えるように激しい音を出す。 もし私のいうことを素直にそのまま受けとれたなら、ただ片方の鼻がわかったよう に半分だけわかったことになるだろう。すべてまだ見得ていないようなら、どうか 動搖(うご)かさないで欲しい。もし動搖かしたなら他人の田を損じたり荒したこ とになるから、けたはずれの禅僧に出会ったなら、いつものようにまっしぐらに鼻 をつかんで連れて来て、朝に八百、暮れに三千ほども棒で打ちたたき、たとえ一万 倍の報いがあろうとも、また彼をゆるさない。何故かというと、ここで再び罪を犯 してはならぬからである。諸人(おまえさん)にわかるかな。いったん手がけたか らにはとことんやらねばならぬ。牛の鼻の孔から縄をといてやってこそ俗でなく風 流だといえよう。可憐いそうだ、いつまでも愚癡(ぐち)な男よ。一日中、牛に 騎 の っていながら牛を知っていない。」

釈尊が誕生された上堂説法。

「まだ兜率天から離れておられないのにすでに王宮に降って来られ、まだ御生母の 胎内から生れ出られていないのにすでに人々を救済し終られた。ここのところがよ くわかったなら、山僧(わたし)の拄杖子(つえ)と、生き方を共にするものであ り、同じ生命に生きるものであり、気分を同じうするものであり、同じ杖につらな ったものである。それ故、ある時は一丈六尺の黄金仏となすこともでき、ある時は 一本の拄杖(つえ)となることもあり、いわゆる二つが別なるものでないし、二つ に分けることもないし、別ではなく、断ち切れるものでもない。このように釈尊の 誕生をお祝いすれば天地とともに長く久しく、このようにして生きとし生けるもの

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に慈悲の雨をそそがれたなら、恒河の砂ほどいるすべてのものに慈悲の恩恵を受け させるであろう。もしそうでなかったなら、釈尊が天上天下唯吾独尊といわれたと ころがよくわかっていても、すでに第二義門に落ちてしまったことになる。正しい 眼を開いて見るなら、ただ拄杖子(つえ)の通訳となりえたにすぎない。それ故に、 雲門老和尚は一棒の下に打ち殺して、犬に食わしてしまい、天下の太平をはかられ とされたのである。雲門老和尚は肘(ひじ)の後側に霊妙な箭(や)を握っておら れたとしても、賊が逃げ去った後になってから弓を引かれたのにはなはだよく似て いる。苦労されたがなんら手柄がなかったといわれてもしかたがない。よく調べて みると、ただ拄杖子(つえ)の鋒先に過ぎない。インドや中国の天下の老和尚とい われる和尚方は、この日をそれぞれこの一点をもてあそぶようにして恩に報ゆると されている。これでは子を養って父に及ばないような家は一代で衰えてしまうとい うことを知らないようなものだ。たとえめづらしく妙(たえ)な言語で言っても、 それはただ拄杖子(つえ)の脚を切るに過ぎない。山僧(わたし)は今日このよう にいったが、さて果して誕生日をお祝いする言葉になったかどうか。拄杖子を手に し得たものかどうかな。ごうごうと音をたてて雷雨が青山に降ってきたが、でも青 山とは一つの谿(たに)を隔てている。」

七月十五日の中元の日に厳父の法要があり上堂説法を請われる。

「家法を長い間この肉身の中にしまっておいた。まっしぐらにそれに逢ってなおざ りにしてはおけない。きらりとひらめく電光が天地いっぱいに輝き、縦横無盡にふ るう劔気が眉間(みけん)にあらわれている。向(む)くか背くかが心の中にある

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と雲は開いたり合(あ)ったり、道理が眞理にぴたりと契(かな)うと毎日往(い) ったり還ったりする。一碗のご飯が天上から降ってくる。口で咬(か)んでこれま で閉じることはなかった。 諸禅人(おまえさんがた)、口がすでに開かれた。食事のご飯を大衆(みな)と一緒 咬むより外はない。いわゆる一匹の牛が欄を打ち開けると、多くの牛たちが草を食 べ出す。張家の三男が負債を払い切らないと李家の四男が錢をかえす。この意味は 言葉では表現できないし、あざやかに相手に先んじて行動を起す。少しでもこれに 触れればすべてのものが完全となる。悟った者は一人々々解脱(さと)り、送った 者はいたるところでひっかかる。これでもって遠くを追うと天地にふさがり、これ でもってあの世[冥土(めいど)]のたすけにしたなら三途(さんず)[地獄、餓鬼、 畜生の三悪道]も同一点に帰着し一つになるであろうし、これでもって自分を救って ゆけばすべて心のままになり、これでもって他の人を助けてゆけば助からないもの はいなくなるであろう。山僧(わたし)はこのように法を説いたが、水に落ちて他人 をひっぱるようなものだ。岸辺にいて手を出して一緒に助けようとする者がいるか。」 といわれ、拄杖(つえ)を立てられ 「まったくこの木上座(つえ)によって、かすかに現われるもはっきり現われるも、 また親しいものも疎(うと)いものも一つに貫(つ)らぬかれる。」 といわれました。

亡くなった母堂の法事を終え、上堂説法を請われた。

「人生ではその根本を重んじる。徳に報くゆるを賢といってたたえる。根本のとこ

(19)

ろを追求し見極めねば、子としてのありかたもただいたずらこどに過ぎない。すべ てのものの中で人は最も貴い。すべての行ないのうちで孝行こそ最も先になすべき ことである。きわまりない父母の大恩はどんなにつとめても報いきれない。寝返り をうって眠れないので、急いで黄檗山へ上ってきて老僧(わたし)の前に這(は) うようにして、母堂の法事を請われた。その孝行の心は天までとどいたことであろ う。止(や)めるがよい、止めるがよい。説くべきではない。仏法は妙(た)えた る法であって言葉では十分に言いおおせぬ。この木上座(つえ)にお願いして丁寧 にお前さんに説かせるようにしよう。この杖は立てると過去、現在、未来の三際に わたり、横しまにいだくと三千大千世界にゆきわたる。力(ちから)をしぼって正 しい眼で一撃すると根源にまで通り、放り出すと一つ一つが現われ、挑(は)ねて みると一つ一つが完全である。根本的に頓悟する者は、その場ですぐさま金色の蓮 花台の上に坐ることができよう。その上、ただあなたのご母堂の法事をしただけで はなく、多くの母御の法事をもなしたことになる。山僧(わたし)の法事はすでに 終った。さて人々の法事はいかがしたものであろうか。」 維那職の和尚が 「悲しみの情を起させる風が地上に起ってきた。」 といわれますと、禅師は 「お棺のかたわらで泣く孝行息子がいる。」 といわれました。

(20)

修行期が始まる日の上堂説法

一人の僧が 「今日から修行期が始まりました。何かこれまでとは異なったことが何か加わるで しょうか。」 と問いますと、禅師は打ちたたかれて 「一輪の眞赤な炎がほとばしり出た。」 といわれ、次のように説法されました。 「今日、力強く大きく修行の炉が開かれた。迷った者が来ようと悟った者が来よう と、その 違 ちが っていても一つである。その一つであることがはっきりわかれ ば、海上の舟に坐している君子、世間から遠ざかって森に住んでいる野人、白色の 牝(め)牛、狸(たぬき)、泥まみれの猪(いのしし)、かさかきの犬、みんなそれ ぞれはっきりしており、不足なく生きており、いまさら修行させる必要はない。い ってみればこれまでの代々の悟りをえた人と少しの変りはない。それはどうしてか。 ここで一つということを知れば万事片がつく。代々の悟った人たちもここから出て いるからである。いい加減に投げ出された糞の山でも手まかせにひねってみると悪 いものでもない。だが、その一をはっきりさせても二がわからず、一に多があり、 二が二でないことを知らねばならぬ。もし一に執着(しゅうちゃく)してしまうと、 たいへんとりみだし、妖怪(ようかい)どもがあれこれと姿を現わして来る。この ところから入り、急いで桃符(お守り札)をひっぱり出すがよい。私は釈尊がいわ れるままにすることを尊んでいる。諸人座(おまえさんがた)、さあいってみるが よい。ぴったりとあてはまる時を待ってするがよいか、 即今 すぐさま するがよ

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いかを。」 といわれ、しばらくして 「たまたま雨露が草の上にたれたと思ったら、たちまち山の頂上に風が吹きだし雷 が鳴りだした。」 といわれました。

上堂説法。

「インドの霊鷲山で釈尊が説かれた仏法がその後、一つの花から紅や紫のたくさん な花が咲き出したように、曹溪山で六祖慧能禅師が垂(た)れられた禅法が、あら ゆるところに一滴の水が流れでるように国中に拡まって行った。鱗のはえた竜のよ うに優れた禅僧たちが波に乗って浪を起し、多くの俊(ひい)でた修行僧たちが葉 をつみ枝をたずねて歩くように修行の旅をつづけた。さてこの時、世界をひっくり かえし、その門庭を賑かしたことはないでもない。ただ香気がただよい、雲が散り、 水が乾いた時はどうか、いってみるがよい。蝦蟆(がま)や遊蜂(はち)はどこに 行こうとするのか。ここのところをはっきりさせることができたなら、黄檗(わた し)の前にやって来て面会しても心苦しくはない。また修行僧の一隻眼[悟った眼] をくらますことはあるまい。もしそうでなかったなら、安閑として何もせず、むな しくその日その日を送ってはならない。汝等(おまえさんがた)、黄檗(わたし) がひどい言葉を吐いてお前さん方に説いているのがわかるか。たまたま花のもとで 明月を見ていると、思いがけず東風(こち)が寺院の西側を吹いて過ぎ去っていっ た。」

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禅師の誕生日の上堂説法。

「眞理としての仏身(法身)は宇宙いっぱいにみちあふれており、智慧としての生 命(いのち)[慧命]は虚空(こくう)と同じ。心に思うことが別であれば溪(たに) と山は異なってみえ、心が円満であればすべてのものは同じとなる。両の眸(ひと み)に日月をかけ、一棒のもとに蛇と竜とを見分ける。これをもって私の長寿をお 祝いすれば禹門の川の正しい流れが通ってくる。諸人(おまえさんがた)、わかるか な。黄檗(わたし)はいつものように鉄の橛子(くい)のようだ。その上、斧でさ いても開かないし、矢で射ても入らない。今日、たまたま弥陀禅者がご仏飯を仏前 に献ずるのに出逢い、唇の皮が濕(しめ)ってき、身体(からだ)中がほがらかに なってき、おぼえず虚空にいっぱいとなった。ある時、怒り吼えると庭の泉石も震 い動き、ある時、踊りあがると山も川もはっきり輝いてくる。さて、いってみるが よい。這個阿師(このわたし)はどのようなよいところがあって人間や天人からお ほめの言葉を受けるにたえるようになったのか。私は青山の高くそびえているのを 笑うが、青山は私が痩せてかどだっているのを嫌っている。」

冬至の日の上堂説法。

一人の僧が 「達磨大師がわざわざ中国に来られた理由については問いませんが、冬至はいかが なものでしょうか。」 と問いますと、禅師は 「山々に目出度い色彩(いろどり)があらわれてきた。」

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といわれました。その僧がさらに 「そうでしたなら、鷓鴣が鳴いていて、たくさんな花が新らしく咲いているといっ たところでしょう。」 といいますと、禅師は打ちたたかれて 「一句々々が腸(はらわた)を断ち切るようにこたえてくる。」 といわれ、次のように法を説かれました。 「蔭と陽とがまだ分かれないその先の遠方へ行く、これはいささかあたっているよ うだ。寒さ暑さがたがいに移り変った後、しいてそれぞれ主人公となる。どんな働 きがあるというのか。もしそのような者がいるなら、仏や祖師がたの師匠となられ てもよい。もしいないなら、山僧(わたし)は人間や天上の世界に向って一筋の道 を開いて、このよい時節に応えよう。冬至を迎えてすべての陰が無くなり、すべて のものが根源に帰って、欠けるところも餘るところも無くなり、陽がまたやって来 るとどれもこれも昔のように光り輝いてくる。南に昇り北に降り、東に涌き西に 没 しず んでも、それは本来の姿の現われであってキリで穴をあけるのに苦労するこ とはない。戸や窓を大きく開けると、海はひろびろとし天は高く、見るもの聞くも のをはるかに越えて山は青く水は緑である。黄檗(わたし)ははからずも身体をあ らゆる所にあらわしている。明らかな悟りの眼をもった禅僧なら勝手に笑うもよい し泣くもよい。大衆(おまえさんがた)、いったい何を笑い、何に泣くというのか。」 といわれますと、その僧すぐさま一喝しました。禅師は 「よく笑うことができても、よく泣くことができないな。」 といわれ、しばらくして、

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「これまでの一くだりの陽春の一曲を、古今の誰とうまく歌いうるだろうか。」 といわれました。

弥陀勝会の日の上堂説法。

「中国の戦国時代、六つの諸侯から国の王様に宝物が贈られたそうですが、王様は 受納されたでしょうか。」 と一人の僧が問いますと、禅師は 「それはいったいどういう宝であったか。」 と問われました。その僧は答えることができず、黙っていますと、禅師は 「死にそこないめが。」 といわれました。その僧が 「どうかお教示ください。」 といいますと、禅師は 「半文(もん)の値打ちもない奴だ。」 といわれ、次のように説法されました。 「ここに瑟江の善信(信者)が弥陀勝会の法要を無事終えられ、山僧(わたし)に 法座に上って禅を説き、西方極樂世界へ往(ゆ)く手引きをしてくれるようにたの まれた。もし極樂世界へ往く手引きをというなら、お前さん方の足もとには七宝が あり、いくら取っても取りつくすことはない。いくら使ってもつきることはない。」 といわれ、払子(ほっす)を立てられ 「諸人(おまえさんがた)、見えるかな。」

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といわれ、香台をたたかれて 「聞こえるかな。もし見得たなら阿弥陀仏はその場その場に現われてこられ、もし 聞き得たなら観音菩薩がそのたびごとに心に彰(あら)われて来られる。水鳥も雲 の林も般若(はんにゃ)[智慧]を語り、風そよぐ木の枝も月下の渚(なぎさ)もみ んな摩訶(まか)[大、ここでは大衆]を演じて見せておられ、極樂世界ははっきり とここにあることを物語っている。いわゆる一つが眞実であればすべてが眞実であ り、一人々々がことごとく本来の生れながらの眞人であり、一ケ所が似(に)せもの であればあらゆるところが似せものであり、みんな空論をもてあそんでいるという 外はない。なおざりに二つのものを断(た)ち切っていただけでは、千手大悲の観音 菩薩でも寫し描(えが)くことができないであろう。山僧(わたし)はこのようにいっ たが、弥陀勝会のお手伝いになっただろうか。」 といわれ、しばらくして 「清淨(きよらか)[彼岸]とか汚穢(きたない)[此岸]とかいう東西の土地を踏み やぶってしまうと、一つ一つの蓮花が足を捧げるようにもたげて行くであろう。」 といわれました。

授戒を受けた弟子たちが上堂説法をお願いしました。

「よく来た授戒を受けた弟子たちよ、仏教の戒の源は清らかでその誓願(ねがい) は大きく、その行爲(おこない)は深いところから発しており、すべての生きとし 生けるものに利益を与えている。月が大空にかかり万国を照らすようなものである。 一人が頭をあげると一輪の月はいよいよ明らかになってくる。 諸人 おまえさんた

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ち 、それがわかるか。ただこの心の戒はだれもがそれぞれ本来完全に具えたもの であり、もともと清淨で自分にそなわったものである。悟ったからといって毛の先 ほども増さないし、迷ったからといって一本の毛ほども減(へ)らない。だから釈 尊は夜明けに明星を見られて「一切の衆生は皆如来(仏)と同じ智慧と慈悲をそな えているが、ただ妄想と執著とによって悟ることができぬのだ。」といわれた。そ ういったからといって悟るということはないではない。言葉に出すと、二つに分か れるからである。妄想と執著を離れて別に智慧や慈悲があるのではなく、智慧や慈 悲を離れて別に妄想や執著の無いことをよく知って置かねばならない。海水が漲 (は)ってくると船はいっそう高くなってくるし、泥土が多いと作られる仏像はい よいよ大きくなる。一つが明らかになると一切が明らかになり、一つを見ることが できると一切を見ることができ、一たび悟れば一切を悟り、一たび入ると一切に入 ることになる。もしこのことがよく会得(わか)ってくればいつの世にもこれ以上 のことはない。これはただ戒が完全に成就されただけでなく、それとともに生とか 死の悩みもやんでしまうであろう。山僧(わたし)は今日眞実に告げ知らせた。さ て深く信じ得るかどうかな。」 といわれ、しばらくして 「この肝腸(はらわた)を瀑布(たき)に懸(か)けてみると、身体中が手や眼に なって梅の梢にあらわれてみえる。」 といわれました。

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尊父の法要をすましての上堂説法。

「まだ法座に上らない以前に尊父の霊の救済は終りました。法座に上られて、この 上何をなさいますか。」 と、一人の僧が問いますと、禅師は 「お前さんがまだ問わない以前に私はお前さんにすでに答えてしまったではない か。」 といわれました。その僧がさらに 「ほとんど問うまでもなかったことですね。」 といいますと、禅師は棒で打ちたたこうとされますと、その僧は身をかわして 「一句がよくわかればそれ以上のことはありません。」 といいました。禅師は 「法華経譬喩品の喩えにある羊、鹿、牛の三車の話を持ち出すまでもない。」 といわれ、次のように法を説かれました。 「ここに伯登何居士が 山僧 わたし に禅を語って尊父の法事をするように 請 こ われたが、もし法事のことを取り上げて話すとすれば、居士が法事をしようと心を 動かされる以前にすでにしてしまったことなる。敵も味方も差別がなく、我れも他 人も一つであって、生とか死とかの姿は無い。どうして去ったとか来るとかの 路 みち があろうか。ただこの世の両親の法要だけでなく、はかり知れない大昔から の父母にいたるまで、ともにすでに法要を終った。どうして科がわざわざ口を開い てああだこうだと説いて法要をする必要があろうか。おおいに靴をへだてて癢(か ゆ)い所をかくようなもので、どうもぴったりとしない。だからといって孝行の至

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誠にそむいてはならない。ここに少しばかり述べて慰(なぐさ)めとしよう。よく 聴(き)くがよい。人の一生は夢のようなもので、誰もこの身がもともと空(くう) であることを知る者は少ない。心にはっきりと明らめると、死も生も二つの別のも のではなく、そのさまよう姿は山の洞穴からわき起る雲のようなもので、はっきり していることは大空に昇る太陽のように、世界のいたるところにゆきわたって残す ところは無く、昔から今にいたるまでくらますところはなく、あたかも雲が青山の 中にあり、太陽が暮れて落ちてもあいかわらず天から離れることが無いようなもの だ。これをもって何居士の法要をすませた。如来(仏)の御前にまっすぐに入って ゆけ。山僧(わたし)はこのように法を説いたが、さて法要をすませたことになる かな。」 といわれ、しばらくして 「限り無いこの世のながめは駒がわずかな隙間を過ぎるようにあっという間に過 ぎてゆき、枝にとまった 黄鳥 うぐいす は誰のために啼いているのであろうか。」 といわれました。

一月一日の元旦上堂説法。

「暦が新しく配られて、すべての物が新らしくなった。金の炉には靄がたちこめ、 香炉の香がにおってきた。山僧(わたし)は手をさしのべて重ねて香をひねって明 (みん) 王朝の天子をお祝いする。」 といわれ、 払子 ほっす を立てられ 「諸人(おまえさんがた)にわかるか。ただこの一つまみの香で天は清くなり地は

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やすらか。山は高く水はおだやか。はげしい雷のように、また太陽の明らかのよう に、あらゆる国々の邪悪な人々( 肝胆 こころ )を打ちこわし、吾が王朝の天地 を輝かす。山僧(わたし)はこのようにいうが、さて君主をお祝いしたことになる かな。」 しばらくして 「目の前に麻や葦(あし)のようにたくさんな人が立っておられるが、骨をきざむ ように深く朝恩を知っている者がどれほどいようか。」 といって法座から下りられました。

修行期が終った日の上堂説法。

「修行に参加していた僧たちは皆んな今日から自由に解(と)き放されます。さて 一言何とか云って下さい。」 と僧がいいますと、禅師は 「眉毛は相変らず八の字に開いている。」 といわれました。その僧がさらに 「大地はことごとく悟っています。どうして修行期を解(と)いて、どうしようと するのですか。」 と問いますと、禅師は 「闍黎(おまえさん) と答えられました。さらにその僧が 「修行期を解いたり結んだりしなければ、学人(わたしたち)が昆廬遮那(びるし

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ゃな)仏の頭上を行くことができないのでしょうか。」 と問いますと、禅師は 「足もとがしっかりしている。三十棒をくらわすにもってこいだ。」 といわれ、次のように説法されました。 「ここに瑟江の翁居士が母上の林氏に命ぜられてさっそうと黄檗山に上ってこら れ、身を潔(きよ)めお斎(とき)の席を設(もう)けて説法を願われ、母上の篤 (あつ)い仏教への誠をなぐさめ、全く壊れることのない仏教への堅い心をますま す固くされました。思うに母堂林氏は仏の教えを受けられて十年、次第に淨(きよ) らかな金錢を積み立て、仏と僧とに供養として布施(ふせ)されました。この汚れ た俗世間の中で生きてこられたが、その中での汚れに染まることなく、立派にやっ てこられ、女の身として救える者には女の姿で仏法を説いてこられた。今更(さ) ら山僧(わたし)が何を解くことがあろうか。それはそうではあるが、今日は上元 (一月十五日)で幸福をお請(ねが)いする日であり、また修行期の終った日であ るので、一言述べてこれから修行の旅に出かける人たちの餞(はなむけ)としよう。 私のいうことをよく聴(き)くがよい。今宵は夜通し灯火がもやされ、つぎつぎに 昔のよき人たちのことが憶い出される。いささか杖(つえ)をひねって過去、現在、 未来の究極の意味をきわめ、眉をのべてこの世(大千)を耀やかせ、本来の境地の 景色にいっそう彩(いろどり)を加え、本来の世界の生き生きとしたところをいよ いよ新鮮にするであろう。門戸を大きく開けると、山や溪(たに)はいっそう碧(あ か)さをましてくる。いったいどの闍黎(ぼんさん)が憂えしおれているといいう のか。私の言葉は説きおわった。よくわかったなら修行期はすでに解(と)かれ、

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大疑もすでに釈(と)かれ、大きな悟りもすでに開け、生死の一大事もすでに終っ た。東に行こうと、西に去ろうと、どこに行ってもよくないところがあろうか。そ うであるなら喜ばしいことは喜びにまかせ、憂れしおれるときは憂れしおれるがよ い。もし誰かが「如何なるか是れ父母未生前本来の面目」と問うたなら、 汝等諸 お まえさんがた 人はどのように答えるかな。」 といわれますと、僧たちがともに喝と一喝しました。禅師は 「道ばたに春風がさっと吹き起ると、威音王仏がこの世に出てこられる以前の遠い 遠い昔の世界が動きだした。」 といわれました。

父母の追善供養を終って上堂説法を 請 こ われた。

「父母の骨折り労(いたわ)れた心に酬(むく)いようと思うなら、根本の源(み なもと)を追求すべきである。根本の源を追求してゆけば、すべてのものが同じ根 本の源から出ていることがわかる。人がこのことをハッと悟るなら、これこそ眞に 恩に報ゆたといえよう。諸人(おまえさんがた)、さてこのことの眞の意味がわかる かな。あてどなく物を探り求めることの無いところこそ、あてどなく物を探り求め るによいところであり、眼をつけるところのないところを眼をつけるところだ。悟 りに入った者たちでもここにくるとどうしたらよいかわからなくなる。ただ自分か ら知ることがこれに近いといえるであろう。これでもって心が空(くう)となり、 ハッとして天上や人間の世界を越え、性、淨、円、明となり、銀の山や鉄の堅い壁 を打ち破れば、内の障(さわ)りも外の障りも一切の障りもその場ですぐさま消え

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てしまい、自分の莬(うらみ)、他人の莬、大昔からの莬もすぐさまなくなってしま う。眞空、一切の眞空、清淨、円滿、一切の円滿、光明、一切の光明はその淨、空、 円、明の中でその莬と親、得と喪、生と死、去と来とを求めてもついに得られない であろう。これこそすべてこの大覚円滿菩提の姿である。これまでの悟った方が証 明されるところもこのことを証明されているのであり、現在目の前の修行僧たちの 修行するところもこれを修行しているのである。山僧(わたし)はこのように法を 説いてきた。存在と滅亡とは二つとも利益するところが無いでもないが、ただ何か の縁にあって感ずるがままに一句を述べてみよう。」 といわれ、しばらくして 「雲は大天にかかって洗うように淨(きよ)く、月は河川にその姿を寫しとどめて いたるところまどらか。」 といわれました。

一文程居士が兄の法要をすまし、上堂説法を請われた。

「一人の人の霊魂が身体を離れて仏法を求め、生死無き悟りを示した。どうか和尚 さま、慈悲の心をもって生死無き悟りの眞意をお示し下さい。」 と程居士がお願いされますと、禅師は 「足下(あしもと)に私などというものが無くなれば皆淨土の世界だ。」 といわれました。居士はさらに 「そのようでしたなら亡くなられた霊もご恩をうけることでしょう。」 といわれますと、禅師は

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「頭の上に青天をいただかないものがいるだろうか。」 といわれ、そこで次のように説法されました。 「人は死や生に幾く万遍か出会ったことであろう。それなのにこんどはどうしてさ らにつまずくことがあろうか。悠々閑々として生れる以前の本来の面目をひろいと ると、ハッと無生死を悟る。その一刹那が 諸人 おまえさんがた にわかるかな。 一つの心が生じなければすべてのものには 咎 とが はないし、一つの心がこの世 に起らなければ世界はあっさりとしていて、声も色も無く、すべてのものの先はは っきりして、見ることや聞くことを離れて塵芥のこの世の外に光り輝いている。天 地はこれを根源とし、万物はこれを母とし、聖者や賢者の悟りに入った人たちはこ れを宗旨として尊び、生とし生きている者はこれを先祖としている。徳山の棒、臨 済の喝、雪峰の毬、玄沙の虎、秘魔の杈(さ)、禾(か)山の 鼓(く)、趙州の茶、 雲門の餅といったそれぞれの悟りを得て昼日中に賊を働こうとするようななかな かのしたたか者たちはわずかばかり無生死のところを盗んで手に入れると、いたる ところで目出度いことを起したり、災害を生じたりする。ここで琦上座(わたし) が一声咳ばらいをしないで、いっせいに私の手許に収め、話しぶりがすらすらと運 ばない人たちの前に取り出して示してみせよう。よく聴くがよい。話しぶりがすら すらと運ばない人たちでも少しはわかるであろうかどうか。泥牛が夜中の月の下で 田畑を耕し、木馬がながいながい春の日の中でいななき回っている。」 といわれました。

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禅師が福廬寺に行かれますと、上堂説法を請われました。

一人の僧が 「人(にん)[主体]を奪って境(きょう)[客体]を奪わないということはどういう ことでしょうか。」 と、臨済禅師の有名な人境、奪不奪の禅の問題をふりかざして問いかけました。禅 師は 「睛(め)のたま をひんむいて世界を輝らしてみることだ。」 といわれました。その僧が 「境は奪うが人は奪わぬとはどういうことですか。」 と問いますと、禅師は 「世界を踏み倒して全身を現わすことだ。」 と答えられました。その僧が 「人も境もともに奪いさったなら…。」 と問いかけますと、禅師は 「賑やかな花街(かがい)の三百里四方が焼けてしまい、あの限りないみやびやか な名残りがすっかり灰になってしまった。」 と答えられました。その僧が 「人も境もともに奪わなかったならどうでしょう。」 と問いますと、禅師は 「どうか今日は暖かで、どこに行っても、歌声(うたごえ)をあげて平和が樂しま れておりますように。」

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と答えらました。 その僧が礼拝しますと、禅師は 「人と境のさらに上のところについてどうして尋(たず)ねないか。」 と促されますと、その僧は一瞬何かいおうとしました。禅師は 「まあ止めて引込むがよい。」 といわれ、次のように法を説かれました。 「ひとたび宮中の門をくぐると、何も彼もめずらしいものばかりだ。玉をちりばめ た高棲、宝石で飾られた御殿が仙薬霊芝(れいし)と向いあい、玉のように光り輝 くめずらしい石、それが雲を切るようにして急な斜面をみせ、奥深く静かな 懸崖 がけ はなかなか上りにくいところだ。一つ一つ心に思うことみな根源に帰ってゆ くので別にものがあるのではなく、一つ一つがそれぞれ姿をあらわしている。母親 から生れたままの姿を知ってから後、いったい誰が人の後にしたがって外に向って 走るようになったのだろうか。諸禅徳(おまえさんがた)はもはや外に向って走る ようなことはあるまい。ただ山僧(わたし)が黄檗山を離れて福廬寺に入り、霊厳 や西山を訪れたのは、そこでの林や峰がいりまじり、人も境もまじりこんでおり、 一つ一つたずね歩いてみるとはっきりして来た。さあいってみるがよい。この私の やり方は外に向って走っているのか、外に向って走っていないのか。もしこれは外 に向って走っているのだというなら、もともと一つとして我が外に物があるのでは ないので、見られる姿などどうしてあろうか。もしこれは外に向って走っているの ではないというなら、心は大虚空を包んでおるので、よく心を包むものはない。い ったい、ここにどのようにいりまじっていて分解しがたいものがあるといのか。諸

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人(おまえさんがた)ひとつこれを奪ってみるがよい。もしうまく奪うことができ たなら、お前さんが山を見ようと水を翫(もてあそぼう)とお前さんの身分に過ぎ たことだとはおもわない。奪うことができなかったら、お前さんのしたことは皆外 に向ってめぐり回り、山の神に笑われずにすることはできはないであろう。」 といわれましたが、誰も答えるものがありませんでした。禅師は 「むつかしいことだ。千の峰々をわたり歩いて帰ってくることは。大空では白雲が いつものように青山にかかっている。」 といわれました。

禅師が城山菴に着かれ、上堂説法があった。

「拄杖(つえ)があるところが私の生涯である。春の雲を払いのけると一点の瑕(き ず)もそこにはなく、城山が大空に独りその姿をあらわして来る。法王の家ともい える城山菴を中心に村々が取り囲み、戸を大きく開くとこの世が看(み)られる。 目いっぱいに見える春の青葉、秋の黄葉は他でもない。他でもないというが、それ ならそれは何だろうか。もしこのことがよくわかったなら、あれこれとかぎりなく 受け入れることができるであろう。仏法は仏教にしたがって行なわれ、いたるとこ ろに説法の旗が建てられ、仏教が拡がって行くであろう。さあいってみるがよい。 ぴたりとその人のためになる一言を。獅子が吼(ほ)える時には美しい若葉がいっ そ青々としてき、象が行くところにはどこも真紅な花が落ちて道が飾られている。」

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禅師が鎭海寺に上られ上堂説法があった。

「槎(いかだ)に乗って海を渡るのは、並みをはずれて親しく自分を知ってくれる 友人が欲しいからであり、拄杖(つえ)をついて山に登るのはその道に達したやり 手の禅僧に会いたいからである。自分を知ってくれる親しい友人に遇えば、ますま す評価が高くなってくるし、やり手の禅將に逢えば禅の道がますますあらわれてく る。天地いっぱいに、眼や耳で、また身体を通し身体のいたるところに、かくすこ となく、禅の道があらわれてくる。評判が高くなると国でも家でも、年寄りも若い 者も、その名を聞き姿を見るとみんな帰依(自分の身心を投げ出して信棒する)す る。だからその教えは天下いっぱいに拡がり、その名は後の世にまで伝えられる。 みんな自分を知ってくれる知音とやり手の禅僧即ち作者がお互いに禅の道をあげて 示すので、そうなるのである。今日、山僧(わたし)は海をすでに渡り、山にもす でに登った。さあいってみるがよい。誰が知音であるか、誰が作者(やりて)であ るかを。鼻の無い眠った牛が海島で横たわっている。網や縄(なわ)でもう一度引 っ張ることもあるまい。」

北山の檀信徒の方々が上堂説法をお願いされました。

「学ぶことが早かったとか遅かったということより、早くその道に達した者を先学 とする。眞の道はあれやこれらにあるのではなく、その道を明らかにした者こそ貴 ばれる。学ぶことがその堂奥に達していなければ利益するところがどうしてあろう か。その道を明らかにしていなければぼんやりとして何もわからない。ぼんやりと して何もわからないようでは、前世からの業(ごう)もぼんやりとしてはっきりと

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せず、どうしたらよいかわからなくなる。利益するものがあると、これにあやつら れてそこから脱け出すことはむつかしい。お前さん方にそれがわかるかな。ただ父 母からまだ生れ出ない前のそのものがどうしてわかるかな。死んで焼かれてしまっ た後のことをどうして明らかに知ることができるか。もし直ちに生死を眞二つに切 ってしまい、その二つがはっきりしたなら生死もお前さん方を手のうちにまるめこ むことはできぬであろう。行くか止(とどま)るかどちらにするかむつかしいだろ う。いわゆる生死の流れの中にいて、黒い宝玉が独(ひと)深海で耀き、悟りの岸 にうずくまった月の輪が弧(と)青空に明らかである。山僧(わたし)日たまたま に着いた。北山の檀信徒の方々にうやうや招待され、法座に上って法を説くように すすめられ、おもわず以上のように説いてきた。さて悟りの眼を持たれた禅僧がこ こにおられたなら、一緒に悟りを証明しあおうではないか。もし無ければ山僧(わ たし)自分で証明しよう。南山を踏み越えると北山が動揺する。生死の一大事をは っきりと明かす一瞬の間、ここにおられる信者の方々が山僧(わたし)のいおうと する本旨をくらまさせることなく聞かれたなら、春風をひろいおさめて自由に往(ゆ) き来されるであろう。」

禅師が茶林寺に着かれますと、上堂説法をお願いされました。

「そよそよ風が吹いてくると三月(新暦の)は春の最盛り、わざわざにやってきた のは名高い賢者がおられるのでお訪ねしたのだ。一たび雷が眞夜中の夢を破った。 そこでそれぞれ五葉の蓮(禅宗の五家)が開いた。けなげで感心なことはひとえに けなげで感心なことに出逢うし、世にもまれなことは世にもまれな縁を感じる。町

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中は仏さまのような人々が並び、口々に極楽は西方だという。諸人(おまえさんた ち)は知っているか、山僧(わたし)が今日説法するのは、お斎(とき)の席をか って述べるのではない。また水の流に棹(さお)さして説くのでもない。自分自身 の無差別の心から流れ出たもので、諸人といっしょに平等性智(自己と他人との平 等性を理解する智)を証明しようではないか。汝等(おまえさんがた)はさて信じ 得るかどうか。もし自己を信じ得れば他人を信じ得るであろうし、もし他人を信じ 得ればただ町中の人々がみんな仏さまであることを信じ得るだけでなく、山河、大 地、草木、畜生も、ガンジス河の砂の数ほど多く仏さまの一つでないものはない。 この故に、この法は平等であって高下ということはない、といわれる。これはとり もなおさず三千年前の釈尊の心の中から流れ出てすべての人々をおおってしまった ものである。もし誰かが、黄檗山の和尚がこのように法を説くのを見て、和尚は風 を見て舵(かじ)を取り、水の流れにそって船を進めているというかも知れないが、 それも無いではないが、ただ陸地で舟を進め、山の頂上で浪をたて、仏や祖師の爪 牙(はげしい教え)をほどこし、禅僧の鼻柱をひんむくことはどうもできないよう だと。山僧(わたし)は、お前さん方の悟りの眼をもった禅僧だと知るというであ ろう。どうしてか。私はそうだがお前さんはそうではない。お前さんはそうではな いが私はそうだ、だからである。その道の大家である禅者ならば破れたすり鉢[価値 ねうち のつけようのないもの]を人の目の前に取り出しても格別におかしくはな い。」

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禅師が万安の福善堂に着かれ、上堂説法されました。

ここは黄檗山に大蔵経の下賜を求め、万暦二十九年、六十五歳の老いの身をひっ さげて北京におもむかれた中天正円老和尚の出身地であり、山僧(わたし)は今日、 中天老和尚の居られた祖翁の門に入り、その殿堂に上って感慨無量である。眞昼の 太陽は大空にあり、私の心境は 朗 ほが らかに耀いている。老和尚の誠心は一つ一 つすっかりその全貌をあらわしている。諸人(おまえさんがた)、それが見えるか。」 といわれ払子(ほっす)を立てられて 「中天老和尚は今、山僧(わたし)の払子の上におられ、光りを放ち大地を動かし ておられ、福善堂の基礎を固められ、人々の菩提(さとり)を完成するように努め ておられる。山僧はいささか払子の先をふって、老和尚が六十年前に誓願された御 心に触れ、終始を通じて変らなかったいわゆるその御心をすっかり見ることができ た。その限りなく長い間、去ることも来たることもなく、そこにとどまることも無 く、このようにして三世にわたってのご誓願をよく知り、いろいろ便を越えて仏に 特有な十種の智力を成就されたことを知るのである。ここのところを進んで受け止 めたなら、天地をささえて大獅子吼することができ、すべての生きとし生けるもの を済度(すくう)ことができるであろう。もしまだよくわからないなら、山僧は屎 腸(はらわた)をひっくりかえしてみせ、諸人(おまえさんがた)の笑うのにおま かせしよう。中天老和尚は福善堂を出られてから黄檗山に入られ、さらに東嶽に行 かれ、印峰、荊田といたるところで寺院を建立された。ただ黄檗山では四十年余り 出 入 ではいり された。思いこがれ見捨てられることがなかったのは、仏教が説かれ る法席を重んじておられたからである。それ故、和尚は六十五歳の老齢になられて

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