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Title 地域介入の論理 - ケネディ政権と東南アジア - Author(s) 松岡, 完 重点領域研究総合的地域研究成果報告書シリーズ : 総合 Citation 的地域研究の手法確立 : 世界と地域の共存のパラダイムを求めて (1997), 33: 1-16 Issue Date

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Title

地域介入の論理 ケネディ政権と東南アジア

-Author(s)

松岡, 完

Citation

重点領域研究総合的地域研究成果報告書シリーズ : 総合

的地域研究の手法確立 : 世界と地域の共存のパラダイム

を求めて (1997), 33: 1-16

Issue Date

1997-01-31

URL

http://hdl.handle.net/2433/187703

Right

Type

Journal Article

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地 域 介 入 の論 理

一 ケ ネ デ ィ 政 権 と 東 南 ア ジ ア ー

松岡 完

1.は じ め に 東 南 ア ジ ア が 外 界 か ら一 つ の実 体 と して 認 識 され た の は さ ほ ど古 い こ とで は な く、 事 実 上 第 二 次 世 界 大 戦 で イ ギ リス が 「東 南 ア ジ ア 司令 部 」 を創 設 した こ と に 由 来 す る。 しか も、 そ の 地 理 的 範 囲 す ら当 時 は さ ほ ど 明 確 で は な く、 戦 後 の 冷 戦 の 場 と して もそ れ は 一 種 の 「虚 像 」 で あ っ た と指 摘 され て い る。(1)し か し、 ア ジ ア で 冷 戦 を 戦 い 始 め た 米 国 は 共 産 中 国 封 じ込 め の 必 要 か ら、 ほ ど な く東 南 ア ジ ア を 一 つ の 地 域 と して つ く りあ げ る必 要 を 痛 感 す る に い た っ た 。 そ れ が 最 初 の 頂 点 に 達 した の は1954年 、 東 南 ア ジ ア 条 約 機 構(SEATO)が 設 立 さ れ た と きで あ る 。 こ の 集 団 防 衛 機 構 の 目 的 は 、 共 産 主 義 の拡 大 阻 止 の た め東 南 ア ジア に 「ド ミノ の 駒 の 列 を つ く り、 必 要 と あ ら ば 、 駒 が 一 つ 倒 れ て も耐 え られ る よ う にす る こ と」 で あ っ た 。 だ か ら直 接 の 共 同軍 事 行 動 だ け で な く、 「非 共 産 諸 国 の潜 在 的 軍 事 力 の 結 合 」 が 求 め られ た し、 「目的 は 限 定 され て い るが 、 北 大 西 洋 条 約 機 構 の 線 に沿 っ た … … 特 別 の 政 治 的 連 合 」 と して の 役 割 も重 要 で あ っ た 。 地 域 の 諸 国 が 経 済 面 の集 団 化 に よ って 繁 栄 を 達 成 す る こ と 、 人 種 的 ・文 化 的 な共 通 点 を 軸 に 緊 密 な 関 係 を 樹 立 す る こ と も期 待 され た 。 こ う した 多 面 的 な地 域 統 合 の 発 展 は 遠 い 将 来 、 東 南 ア ジ ア に 日本 ・韓 国 ・台 湾 ・イ ン ドな ど も加 え 、 「米 国 の 影 響 力 と力 に 結 び つ い た 一 つ の 地 域 」 を 生 み だ す はず で あ っ た。(2) SEATO誕 生 の 契 機 と な った イ ン ドシ ナ の 危 機 は 、 ベ トナ ム の南 北 分 割 と い う犠 牲 の 上 に い っ た ん は 収 束 した が 、1960年 代 に は よ り激 しい戦 争 に 姿 を 変 え た。 南 ベ トナ ム(の ちベ トナ ム共 和 国)と い う 国 家 を 創 出 し、 この 国 へ の 単 独 で の 介 入 を 深 め て い っ た 米 国 も、1961年 に は 事 実 上 戦 争 の 主 役 に 躍 りで た 。 そ れ は米 国 で ケ ネ デ ィ(JohnF.Kennedy)政 権 が 発 足 し、 フル シ チ ョフ(NikitaS.Khrushchev)首 相 の ソ連 と の 間 で 冷 戦 が 急 激 に 頂 点 に 向 か お う とす る時 期 で あ っ た 。 激 化 す る冷 戦 の さな か 、 ケ ネ デ ィ政 権 の も とで 東 南 ア ジ ア の 統 合 は どの よ う に 引

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き 継 が れ 、 あ る い は 変 質 させ られ た の か 。 以 下 で は 、 ベ トナ ム 戦 争 史 の 中で 決 定 的 な 年 と な っ た1961年 に 焦 点 を あ て て 、 米 国 の東 南 ア ジ ア政 策 を ふ りか え って み た い 。 2.中 立 化 構 想 の ゆ くえ ケ ネ デ ィ の分 身 と い わ れ た側 近 ソ レ ンセ ン(TheodoreC。Sorensen)は 、 ケ ネ デ ィ政 権 が 発 足 時 に 直 面 した コ ン ゴ 、 ラオ ス 、 ベ トナ ム 危 機 の いず れ も 、 「こ の 年 が 終 わ る ま で に破 局 が 訪 れ る だ ろ う と不 吉 な 予 測 が な され て い た 」(3)と 述 懐 して い る。 就 任 直 後 の ケ ネ デ ィ も、 この 3つ に キ ュ ーバ を 加 え た 「地 域 で わ れ わ れ は 針 路 を 変 え 、3か 月 後 に は い ま よ り も ま し な 立 場 に た た ね ば な らな い 」 と確 信 、 す ぐ さま 特 別 作 業 班 を 組 織 して 対 策 を 急 ぐよ う 指 示 した 。(4) と こ ろ が ラ オ ス 特 別 作 業 班 が2月 初 め に は始 動 した の とは 対 照 的 に 、 隣 国 ベ トナ ム は4月 ま で 独 立 の作 業 班 が 編 成 され ず 、 ラ オ ス 作 業 班 に 任 され て い た 。(5)ベ トナ ム 政 策 形 成 に深 くか か わ っ たW・ バ ン デ ィ(WilliamP.Bundy)国 防 次 官 補 に よれ ば 少 な く と も1961年 前 半 ま で 、(6) ラ ス ク(DeanRusk)国 務 長 官 に い わ せ れ ば 政 権 の 最 初 の1年 半 、 ケ ネ デ ィ は ベ トナ ム で は な くラ オ ス に 没 頭 せ ざ る を え な か った 。(7) 1961年 春 、 モ ス ク ワ で フ ル シ チ ョフ は トンプ ソ ン(LlewellynE.Thompson)米 大 使 に 、 ラ オ ス は 「熟 した リ ン ゴ の よ う に 」(8)自 分 た ち の 膝 の 上 に 落 ち て くる だ ろ う と語 った 。 そ れ ま で 米 国 は左 派 を 含 む 連 合 政 府 な ど論 外 と して き た が 、 ケ ネ デ ィ は 次 善 の 策 と して 「い か な る外 国 との 提 携 も外 国 の 支 配 も ま ぬ が れ た 、 中 立 か つ 独 立 の ラ オ ス 」(9)を め ざ した 。 ラ ス ク の 述 懐 に よ れ ば そ の 目的 は 、 「北 ベ トナ ム と そ の 近 隣 諸 国 と の緩 衝 地 帯 と な る よ う な 、 東 南 ア ジ ァ で のr平 和 の 島 」 を つ く る こ と」(10)で あ っ た 。 か わ っ て1961年 秋 ま で に は ベ トナ ム 情 勢 が 著 し く悪 化 、 米 国 に よ る軍 事 介 入 の 可 能 性 が 真 剣 に 検 討 さ れ る よ う に な った 。 大 統 領 の 厚 い 信 頼 を 得 て い た イ ン ド駐 在 大 使 ガ ル ブ レイ ス(John K.Galbraith)は 、 「南 ベ トナ ム の 放 棄 に も、 わ れ わ れ の大 規 模 な 軍 事 介 入 に もつ な が らな い 」 第 三 の 道 と して 、 ベ トナ ム の 中 立 化 を 提 唱 した 。(11)ボ ウ ル ズ(ChesterBowles)国 務 次 官 は さ らに 、 「急 速 に 悪 化 す る東 南 ア ジ ア で の 力 の 均 衡 」 を 食 い 止 め る に は ラ オ ス ・ベ トナ ム に 限 らず 「東 南 ア ジ ア 全 域 で 中 立 の 帯 」 を実 現 す る しか な い と主 張 した 。(12) しか しそ こ に は 少 な く と も二 つ の 問題 が あ っ た 。 そ の 第 一 は、 ソ連 が 東 南 ア ジア 中立 化 を 呑

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む か ど うか 、 た とえ そ うで もそ れ を 北 京 や ハ ノ イ に 受 け入 れ さ せ られ るか で あ った 。 しか し ワ シ ン トンは 、 ラ オ ス や ベ トナ ム で は 「ソ連 が 鍵 を 握 って い る 」 とい う前 提 、 そ して こ う した 紛 争 が 「た ん な る 自生 的 な 闘 争 で は な く、 国 外 か ら ソ連 と(ソ 連 の 援 助 を 受 け て い る)北 ベ トナ ム に 支 援 され た 戦 争 」 だ とい う前 提 に た って い た 。(13)「 北 ベ トナ ム あ る い は 中 共 が 、 戦 闘 拡 大 の 危 険 を と も な い ソ 連 や 米 国 の 参 戦 問 題 を 生 じ させ る よ うな 決 定 を行 う こ と に 対 して は 、 ソ 連 が か な りの 抑 制 を 及 ぼ して い る … … 可 能 性 が 強 い 」(14)と 見 られ た の で あ る。 ケ ネ デ ィが 最 も信 頼 す る安 全 保 障 担 当 補 佐 官M・ バ ンデ ィ(McGeorgeBundy)は 、 「決 定 的 な 対 話 は フル シ チ ョ フ と の も の だ 」 と確 信 し、 む しろ 北 京 に 対 す る 彼 の 立 場 が 有 利 に な る よ う側 面 か ら援 助 す べ き だ と考 え た 。(15)民 族 解 放 戦 線 、 い わ ゆ る ベ トコ ン も、 パ テ トラ オ も、 「共 産 陣 営 の 東 南 ア ジ ア で の 実 行 機 関 」(16)以 上 に は 映 っ て い な か っ た 。 鍵 は ソ連 に 、 「ラオ ス だ け で な くベ トナ ム を 越 え た と こ ろ に 、 つ ま り中 立 の 東 南 ア ジア とい う可 能 性 に 目を 向 けれ ば 、 両 国 の 共 通 の 利 益 は 最 大 に な るか も しれ な い 」(17)と 納 得 させ られ る か ど うか に あ った 。 ラオ ス 交 渉 を 担 当 したハ リマ ン(W.AverellHarriman)も 、 「ラ オ ス 合 意 を も と に して 、 イ ン ドシ ナ全 域 を対 象 とす る よ り広 範 な協 定 を め ざ す もの を つ く りあ げ る こ と も で き よ う」(18)と い う意 見 で あ った 。1954年 の ジ ュネ ー ブ 会 議 の よ う に 、 大 国 の 主 導 権 と合 意 で 一 時 的 な 平 和 と安 定 が 買 え るか も しれ ず 、1955年 の オ ー ス ト リア と 同 じや り方 で 紛 争 を 終 結 さ せ られ る可 能 性 も あ っ た 。 ラオ ス 交 渉 の 成 否 は 、 世 界 的 規 模 で 米 ソ両 超 大 国 が 対 立 す る利 害 を 乗 り越 え 、 永 続 的 な 和 解 に 到 達 で き る か ど うか の 試 金 石 な の で あ っ た 。 東 南 ア ジ ア 中 立 化 に と も な う第 二 の 問 題 は、 敵 に も味 方 に も 「西 側 の 意 志 と力 を 試 す テ ス ト」 (19)と 見 られ て い た ラ オ ス で 、 ケ ネ デ ィが 少 な く と も表 面 的 に は 後 退 と と られ か ね な い 立 場 を と っ た こ と に起 因 して い た 。 東 南 ア ジ ア 各 国 は 程 度 の 差 こそ あ れ 、 「こ の 地 域 で 共 産 陣 営 に立 ち向 か う だ け の 力 を 備 え た 唯 一 の 国 」(20)で あ る米 国 の 行 動 を 注 視 して い た 。 ケ ネ デ ィ は 、 中 立 の 東 南 ア ジ ア と い う壮 大 な構 想 が 「わ れ わ れ が 探 求 す べ き 究 極 の 目標 」 で あ る こ とは 認 め な が ら も、 「い ま だ そ の 時 期 で は な い 」 と結 論 して い た と い う。(2DW・ バ ンデ ィ も の ち に 、 「ケ ネ デ ィ大 統 領 の 任 期 中 は 、 ラ オ ス 方 式 を 南 ベ トナ ム に あ て は め る な ど と考 え る こ と は と う て い 現 実 的 で な い よ う に 思 わ れ た 」(22)と 述 べ て い る 。 こ と に 「東 南 ア ジ ア に お け る 自 由 世 界 の 集 団 安 全 保 障 体 制 の 基 石 」(23)で あ るタ イ 、 そ して タ イ と 同様 に ラ オ ス と国 境 を 接 し、 しか もそ の 存 続 を 米 国 の 力 と意 志 に 依 存 して い た ベ トナ ム は 、 文 字 ど お り 日 ご と に懸 念 を 強 め て い た 。 チ ャ ン ・バ ン ・チ ュ オ ン(TranVanChuong)駐 米 大 使 は 「昨 年 共 産 主 義 者 は 自分 た ち に な ん の 危 険 も及 ば ぬ ま ま に ラオ ス 奪 取 の戦 い を 遂 行 し

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た 。 今 年 は ベ トナ ム の 番 だ 」(24)と 断 言 した 。 こ う した 不 安 を放 置 す れ ば 「ラ オ ス の 病 が 残 り の 東 南 ア ジ ア に堰 を 切 って 広 が る の を 阻 止 」(25)で き るか ど うか は あ や しか った 。 シ ュ レジ ンガ ー 大 統 領 顧 問(ArthurM.Schlesinger,Jr.)は の ち に 、 「中立 化 は この 地 域 の 最 善 の 策 だ った 。 ケ ネ デ ィ大 統 領 は ラ オ ス 中立 化 とい う正 しい 路 線 を 追 求 した と思 う。 私 は この 路 線 が ベ トナ ム に も拡 大 され て い た ら と思 う」(26)と 悔 や ん で い る 。 しか し、 ベ トナ ム を 訪 れ た ジ ョ ン ソ ン(LyndonB.Johnson)副 大 統 領 が い う よ う に 「ア ジ ア 人 が 東 南 ア ジア の た め に な に を す るか を 決 め る鍵 」 が と り もな お さず 「米 国 へ の 信 頼 感 」(27)だ った とす れ ば 、 そ れ は し ょせ ん 無 理 な 相 談 で あ った 。 ラオ ス 中立 化 で 低 下 した 米 国 の 威 信 が さ らに 打 撃 を こ う む れ ば 、 東 南 ア ジ アで 「共 産 支 配 へ の 水 門 を 大 き く開 くこ とに な るだ ろ う 」(28)と 思 わ れ た か らで あ る 。 3.米 中対 決 の 舞 台 ワ シ ン トンの 常 識 で は 「ベ トコ ンが 南 ベ トナ ム 内 部 で 自然 発 生 した 真 に 革 命 的 な 運 動 で あ る 」 と い うの は ま った くの 「擬 制 」 で あ っ た 。(29)ベ トコ ンの 力 の源 泉 は 、 ハ ノ イ か ら ラオ ス 、 カ ン ボ ジ ア を 経 由 して 、 北 緯17度 線 を 越 え て 、 と き に は海 路 を用 い て や って く る支 援 と 指 導 、 そ して 人 員 の 浸 透 で あ り、 「北 か らの エ ー ジ ェ ン トの 指 導 が な く、 ハ ノ イ か ら受 け取 る指 令 が な け れ ば 、 今 日の ベ トナ ム に は 戦 争 な ど な い は ず 」(30)だ と考 え られ た の で あ る。 「戦 争 を ジ ェム 政 権 へ の 不 満 の表 れ だ とす る解 釈 が 間 違 っ て い る こ とは 、 デ ー タ が 証 明 して い る 」(3Dと ノ ル テ ィ ン グ(FrederickE.Nolting,Jr.)大 使 は主 張 した 。 安 全 保 障 問 題 で ケ ネ デ ィの 顧 問 を つ とめ た ロ ス トウ(WaltW.Rostow)は の ち に 、 情 勢 悪 化 の 根 本 原 因 は 、 「ベ トコ ン に 人 気 が あ った た め で は な く、 開 か れ た 国境 が あ り、 そ の 背 後 に ベ トコ ン用 の 安 全 な 別 天 地 と資 源 が あ っ た た め 」(32)だ っ た と述 べ て い る 。 そ れ 以 上 に 、 ハ ノ イ の 背 後 に存 在 す る 、 東 南 ア ジ ア の 恐 怖 の 本 当 の 源 泉 は 中 国 に あ った 。 チ ュ オ ン大 使 が 訴 え た よ う に 「赤 色 中 国 も、 ソ連 も、 パ テ トラ オ も、 ベ ト ミン も 、 み な 同 じ手 の 指 」(33)だ と い うの が 、 ほ ぼ 西 側 世 界 の 常 識 で あ っ た 。 一 部 に は 、 ハ ノ イ政 権 が ユ ー ゴス ラ ビ ア の よ うに モ ス ク ワや 北 京 と侠 を 分 か つ の で は な い か との 観 測 も あ っ た が 、 む しろ 当 時 ボ ー ・ チ ・ミ ン(HoChiMinh)は ソ連 と蜜 月 の カ ス トロ(Fide1(冶stro)の イ メ ー ジ で 見 られ て い

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て お り、 「中 国 と北 ベ トナ ム の 激 烈 な 調 子 か ら、 わ れ わ れ は 彼 らが 地 域 覇 権 を 求 め て い る の だ と考 え た 」 と マ ク ナ マ ラ(RobertS.McNamara)国 防 長 官 は 回顧 す る。(34) ケ ネ デ ィは そ の 最 初 の 一 般 教 書 で 「ア ジア で は 、 中 共 の無 慈 悲 な 容 赦 な い圧 力 が 、 地 域 全 体 の 安 全 に 一 手 に 入 れ た ば か りの 独 立 を 守 ろ う と戦 っ て い る イ ン ドや 南 ベ トナ ム の 国 境 か ら ラ オ ス の ジ ャ ン グル に ま で 脅 威 を 与 え て い る 」(35)こ と に 警 鐘 を 鳴 ら した 。 「中 国 は こ の 時 期 、 実 際 に ア ジ ア 全 域 で 攻 撃 的 な 、突 き押 し一 点 張 りの 姿 勢 を と って い た 」(36)とW・ バ ンデ ィは い う。 ボ ウ ル ズ が 東 南 ア ジ ア 中立 化 とい う方 策 を 提 唱 した の も、 結 局 は 「非 共 産 主 義 の ア ジ ア 人 た ち に 支 え られ る 中立 の 帯 」 こそ が 「中 国 を 現 在 の 国 境 内 に 封 じ込 め るた め の わ れ わ れ の 最 良 の 希 望 の 一 つ 」'とい う理 由 か らで あ った 。(37) つ ま る と こ ろ、 米 国 が ラ オ スや ベ トナ ム で 求 め た の は 「共 産 主 義 の 中 国版 が 東 ア ジア に 拡 大 す る の を 阻 止 す る こ と 」(38)で あ った 。 「1961年 と62年 、 東 南 ア ジ ア で の彼[ケ ネ デ ィ]の 主 要 な 関 心 の 一 つ は 中 国 に あ った 」(39)と ボ ウ ル ズ は い う 。彼 に よ れ ば 、 い ま や 北 京 は 「そ の 周 辺 諸 国す べ て に と って の 最 大 の 脅 威 」(40)と な って い た 。 バ ンコ ク の ヤ ング(KennethT. Young)大 使 に よ れ ば 、 次 の10年 の 世 界 の 様 相 を 決 め る 問題 は 「東 南 ア ジ ア が 攻 撃 的 、 好 戦 的 な 中 国 の 影 響 圏 と な るの か 」 ど う か な の で あ った 。(4D東 南 ア ジ ア 中立 化 を 提 唱 した ボ ウ ル ズ で さ え 「2年 、3年 、5年 、 あ る い は10年 後 に は 、 い ず れ に せ よ わ れ わ れ は 中 国人 と戦 わ ね ば な ら くな る だ ろ う し、 問 題 は ど こ で 、 い つ 、 ど の よ う な 戦 い に な るか に す ぎ な い 」(42)と 述 べ て い た 。 東 南 ア ジは 「中 ソ の 領 土 的 、 イ デ オ ロギ ー 的 な 領 土 的 に は ア ジ ア で の 、 イ デ オ ロ ギ ー 的 に は 全 世 界 へ の膨 張 を 阻 止 す るた め の 決 定 的 な 隆 路 」(43)に ほか な ら な か っ た 。 この 東 南 ア ジ ア に 吹 き荒 れ る民 族 解 放 戦 争 の嵐 に対 す る 防 波 堤 が 、 ほ か な らぬ ベ トナ ム で あ っ た 。 ロ ス トウ や ヤ ン グ らは 「将 来 を 一 戦 争 か 平 和 か を 決 定 す るい くつ か の テ ス トケ ー ス の 一 つ 」(44)と し て ベ トナ ム に 注 目 した 。・ソ レ ンセ ン は 、 双 方 と も 「こ の 国 の 失 敗 成 功 の 結 果 が ベ トナ ム だ け に と ど ま ら な い と信 じて い た 」(45)と 回顧 す る 。 こ の 頃 キ ュー バ 、 コ ン ゴ、 東 南 ア ジ ア な ど 「発 展 途 上 世 界 全 体 が 発 酵 状 態 」(46)に あ った か らで あ る。 ケ ネ デ ィ 自身 、 は や くか ら第 三 世 界 を 「民 主 主 義 と共 産 主 義 との 危 険 な戦 場 」(47)と み な し て い た 。 新 政 権 は 、 こ の 地 域 が 旧 植 民 地 主 義 国 の 後 退 に よ って 危 険 な真 空 地 帯 に な り、 共 産 勢 力 が 着 実 に 前 進 して い る こ とを 強 く懸 念 した 。 この 脅 威 に対 応 す る戦 略 を 編 み だ す こ とが ケ ネ デ ィの 課 題 で あ っ た 。 そ れ が た と え ば 、 「グ リー ン ・ベ レー 」 を は じめ 鳴 り物 入 りで 始 め られ た 「反 乱 鎮 圧 戦 略 」 で あ り、 「進 歩 の た め の 同盟 」 の よ う な 大 々 的 な 社 会 改 革 の 試 み で あ り、

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そ して 東 南 ア ジ ア地 域 統 合 を め ざす 政 策 で あ っ た 。 4.地 域 一 体 化 め ざ す 戦 略 ケ ネ デ ィ 政 権 の 中 で も東 南 ア ジ ア の危 機 を と くに 深 刻 に 捉 え て い た 一 人 が 、 タ イ 駐 在 大 使 ヤ ング で あ る 。 彼 は 、 タ イ=ビ ル マ 国 境 か ら 中 国 南 部 に 接 す る地 域 に 広 く散在 す る村 落 を 、 国 境 を 越 え て 結 び あ わ せ る こ と 、 そ れ に よ って 防衛 力 を 強 化 し住 民 の 福 利 を 向 上 さ せ る こ と を 提 唱 した 。 この 扇 状 の 地 帯 は 米 国 の 「投 球 を 待 ちか まえ る ア ジ ァ の キ ャ ッチ ャー ミ ッ ト⊥ で あ る と 彼 は 考 え た 。(48) しか し、 どの よ うな 形 に せ よ 東 南 ア ジ ア を 一 体 の もの にす る こ と は 、 米 国 が か な りの 努 力 を 払 わ ね ば不 可 能 に思 え た 。 東 南 ア ジ ア の 運 命 を 決 す る に つ い て は 「ア ジ ア の 諸 国 民 が 鍵 と な る 役 割 を 演 じ る こ と に な ろ うが 、 同 時 に 東 南 ア ジ ア で 今 後1、2年 の う ち に何 が 起 き る か は 、 私 や 諸 君 の よ うな 米 国 人 に よ っ て も ま た 決 定 され る こ とに な ろ う」(49)と ジ ョン ソ ン 副大 統 領 は 議 会 で 述 べ て い る。 ボ ウ ル ズ は、 国 別 で は な く地 域 全 体 を 対 象 と した や り方 を 国 務 省 に 導 入 す べ き だ と主 張 した 。 (50)ワ シ ン トンで はU・A・ ジ ョ ン ソ ン(U.AlexisJohnson)国 務 次 官 代 理 が 、 バ ンコ クか ら は ヤ ン グが 、 各 国 に駐 在 す る大 使 や 軍 事 援 助 顧 問 団 長 が 公 式 に も非 公 式 に も緊 密 な 協 力 体 制 を 確 立 し、.地域 作 戦 セ ン タ ー を 設 立 す べ き だ と訴 え た 。(51)1961年 夏 、 そ れ ま で の ラ オ ス 、 ベ ト ナ ム 特 別 作 業 班 に 加 え 、 ス テ ィ ー ブ ズ(JohnM。Steeves)極 東 担 当 次 官 補 代 理 を 長 とす る 東 南 ア ジ ア特 別 作 業 班 が 新 設 さ れ た 。 そ れ は な に よ り も 「東 南 ア ジ ア の 状 況 は 不 安 定 で あ る た め 、 こ の 地 域 全 体 を 対 象 に した統 合 さ れ た 戦 略 を 選 択 しな け れ ば な ら な い 」(52)と い う考 慮 の 反 映 で あ っ た 。 ロ ス トウ に よ れ ば 、 「SEATOの 復 活 」 こ そ が 「米 国 が[東 南 ア ジ ア]本 土 へ の 過 剰 介 入 を 回 避 しな が ら、 長 期 に わ た って この 地 域 を 保 持 す る基 礎 づ く りを 行 う 、 考 え られ る唯 一 の 道 」 で あ った 。(53)加 え てSEATOに は 、 ヒル ズ マ ン(RogerHilsman)国 務 省 情 報 調 査 局 長 に よれ ば 、 東 南 ア ジ ア ば か りで な く広 く第 三 世 界 で 「間 接 侵 略 に対 す る 防 衛 に お い て 地 域 的 組 織 が 参 加 す る先 例 と な る 」(54)よ う期 待 が か け られ た 。 ベ トナ ム介 入 の可 能 性 が 取 り沙 汰 さ れ た と き もケ ネ デ ィは 、 介 入 す る の な ら 「SEATO軍 で な け れ ば な ら な い 」(55)こ と を 強 調 した 。

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ラス ク と マ ク ナ マ ラ も、 「米 軍 と と も に他 の 諸 国 の 軍 隊 を 関 与 させ る こ と が 重 要 」(56)だ と認 め た 。 東 南 ア ジ アで と くに 重 要 視 され た の が ベ トナ ム と タ イ で あ っ た 。 か つ て フ ィ リ ピ ンの ゲ リラ 鎮 圧 に 名 を は せ た ラ ンズ デ ー ル(EdwardG.Lansdale)は 、1941年 の 日本 の 南 方 侵 略 の 経 路 を 引 くま で もな くタ イ は マ ラ ヤ と ビル マ を 結 ぷ 陸 橋 、 ベ トナ ム は 空 路 と海 路 を つ な ぐ道 で あ り、 そ の い ず れ を 失 って も 「近 隣 諸 国 の 防 衛 上 の 立 場 を 非 常 に弱 体 化 させ 、 西 太 平 洋 と イ ン ド洋 の 防 衛 線 は 大 き な 危 険 に さ ら され る こ とに な る」 と説 い て い る 。(57)ラ オ ス情 勢 の 悪 化 で 、 この 両 国 の 確 保 は 「東 南 ア ジ ア の 残 りの 地 域 を保 持 す る た め の鍵 」(58)と な っ た 。 両 国 が 抱 え る ラ オ ス と の 長 い 国 境 線 を 考 え て も 、 こ の 両 国 は 「当 面 の 一 そ して 最 重 要 な 一 問題 地 点 で あ り、 米 国 に と って も重 大 」(59)な 地 域 で あ っ た 。 タ イ もベ トナ ム も、 張 り子 の 虎 も 同然 のSEATOよ り、 米 国 との 二 国 間 の 防衛 条 約 の 締 結 や 米 軍 の 駐 留 に よ って 安 全 の よ り大 き な 保 証 を 得 よ う と して い た 。 この 両 国 に 台 湾 を 加 え れ ば 、 ア ジ ア で 強 力 な 反 共 の 三 角 地 帯 が 誕 生 す る は ず で あ っ た 。 実 際 に 、 タ イ とベ トナ ム が 共 同 で ラ オ ス に軍 事 介 入 す る計 画 が 出 現 し、 台 湾 は1個 師 団 の 派 遣 を 打 診 した 。 しか し 問題 は、 タ イ と ベ トナ ム に よ る ラ オ ス 介 入 に つ い て テ イ ラ ー が 懸 念 した よ う に 、 こ う した 諸 国 の 間 に共 通 の 政 治 基 盤 が ど こま で 形 成 され う るか で あ った 。(60) ケ ネ デ ィ は 、 ベ トナ ム 防 衛 へ の 支 援 は 「で き るか ぎ り多 国 籍 の も の に した い 」(6Dと の 意 向 を示 して い た 。 実 際 に 台 湾 や パ キ ス タ ン は経 済 援 助 を 、 ニ ュ ー ジ ー ラ ン ドは 教 育 ・農 業 分 野 の 支 援 を 、 タ イ が コ メ の 供 給 を 申 し出 た 。 軍 事 的 領 域 に 限 って も、 ゲ リラ対 策 の 立 案 に マ ラ ヤ や フ ィ リ ピ ンか ら協 力 を 得 る こ とが 、 ア ジ ア 反 共 諸 国 の 協 力 体 制 確 立 に つ な が る と して 歓 迎 さ れ た 。 台 湾 か ら森 林 伐 採 隊 を 派 遣 す る 「人 間 枯 葉 剤 」 作 戦 も検 討 され た 。 そ れ は 台 湾 の 商 社 に 森 林 の 伐 採 を 委 託 し、 「最 小 限 の 経 費 」 で ゲ リラ 浸 透 を 防 ぐ 「防火 帯 」 を つ く りだ し、 切 り 出 し た 木 材 は ベ トナ ム 内外 の 需 要 に あ て 、 ゲ リ ラ に つ い て の 正 確 な情 報 を 入 手 し、 台 湾 の 退 役 軍 人 の 失 業 救 済 に も役 立 つ とい う 一 石 数 鳥 の 妙 案 で あ っ た 。(62) イ ギ リス は 軍 事 行 動 に は 躊 躇 を 示 しな が ら も 、 米 国 に よ る ベ トナ ム介 入 の 拡 大 に は理 解 と協 力 姿 勢 を 見 せ 、 ゲ リラ 戦 対 策 の 専 門 家 トンプ ソ ン(RobertG.K.Thompson)を 長 とす る使 節 団 を ベ トナ ム に 派 遣 した 。 ヒ ュ ー ム(AlexanderF.Douglas-Home)英 外 相 に い わ せ れ ば 「反 乱 鎮 圧 の 方 法 に つ い て トンプ ソ ン が 知 らな い こ と は な に ひ とつ な く、 彼 は 役 に立 つ は ず 」(63)だ か らで あ っ た 。 ケ ネ デ ィ も 「マ ラ ヤ の先 例 は 顕 著 な 成 功 で あ り、 わ が 国が 直 面 す る 問 題 地 点 の い くつ か に そ れ を 適 用 で き な い だ ろ う か 」 と考 え て い た 。 さ し あ た りそ の 対 象 は 、 キ ュ ー バ 、 べ

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トナ ム 、 そ して イ ラ ン で あ った 。(64) こ の 頃 、 ワ シ ン トン の 目か らす れ ば 「お そ ら くマ ラ ヤ と ベ トナ ム の 間 に は な に が しか の 類 似 が あ った 」(65)と い う。 現 地 を 視 察 した ト ンプ ソ ンは 、 こ れ が 「人 々 の 心 と精 神 を 争 う戦 い 」 で あ る と し、 い ま は 「患 者 に大 き な 外 科 手 術 を 施 す べ き 時 で は な い 」 と論 じた 。 彼 は した が っ て 「治 療 法 は 外 科 的 と い う よ り内 科 的 で あ るべ き」 だ と して 、 い わ ゆ る 戦 略 村 計 画 を 中 心 とす る平 定 計 画 を ジ ェ ム に 提 出 した 。(66)し か しそ れ は か え っ て 米 英 間 の 紛 争 の 種 に な り、 米 国 の 東 南 ア ジ ア 政 策 を 阻 害 して い くの で あ る 。 5.統 合 を 阻 害 す る もの ヤ ング は タ イ の サ リ ッ ト(YhanaratSarit)首 相 に 、 米 国 に と って 東 南 ア ジ ア は 西 欧 と は 異 な り、 投 入 す る資 源 に み あ う結 果 が 得 られ な い 「赤 字 地 域 」 で あ り、 しか もそ れ は 「車 軸 の よ う な も の 」 で 、 「軸 を 失 え ば 車 輪 は ば らば らに な って しま う 」 危 険 が あ る と語 っ た 。(67)「 中 国 を 抑 え ら れ る よ う な 、 ま った く新 しい 社 会 防 衛 の シ ス テ ム 」(68)を 見 い だ し、 米 国 の 東 南 ア ジ ア 政 策 を 成 功 に導 くに は、 ベ トナ ム、 タ イ 、 ラオ ス 、 カ ン ボ ジ ア を 「一 つ の 地 理 的 単 位 と み な す こ とが 必 要 」(69)に な った 。 テ イ ラ ー も、 ベ トナ ム 、 タ イ 、 ラ オ ス に 共 産 勢 力 の ラ オ ス 浸 透 に 反 対 す る と い う 「共 通 の 大 義 」 を 樹 立 し よ う と考 え て い た 。(70) しか し実 際 に は この 地 域 は 、 歴 史 も、 文 化 も、 そ の 置 か れ た 立 場 も ま った く異 な る諸 国 の 集 ま りに す ぎ な か っ た 。 ボ ウル ズ が チ ュオ ン駐 米 大 使 に 述 べ た よ う に 「東 南 ア ジ アの 人 々 を 一 つ に ま とめ あ げ 、 自分 た ち が 運 命 共 同 体 だ とい う感 覚 を 持 た せ る 」 の は 、 じつ に 「容 易 な ら ざ る 」 事 業 で あ っ た 。(71)テ イ ラ ー や ロ ス トウ ら も 、 「ベ トナ ム人 、 カ ンボ ジ ア 人 、 タイ 人 の 間 に 共 通 の 感 情 が ま った くな い 」 こ と、 そ して 「こ の 地 域 が き わ め て異 質 な 諸 国 で な りた って い る 」 こ と 、 した が って 東 南 ア ジ ア を 一 体 化 す る に は 「政 治 的 ・心 理 的 に 重 大 な 障 害 を 克 服 す る こ と が 必 要 」 で あ る こ とを 痛 感 して い た 。(72) そ の 典 型 が 、 ベ トナ ム と隣 国 カ ンボ ジ ア の 間 に 絶 え る こ との な か っ た 軋 礫 で あ っ た 。 国境 を 越 え た ゲ リ ラ の 浸 透 を 阻 止 す る た め に も 、 ハ ノ イ や 北 京 の 力 の 南 進 を 食 い 止 め る た め に も、 ベ トナ ム と カ ンボ ジ ア の 緊 密 な 協 力 体 制 を 打 ち立 て る こ と は 重 要 で あ った 。 しか しゴ ・ジ ン ・ジ ェム(NgoDinhDiem)と シハ ヌ ー ク(NorodomSihanouk)、 二 人 の 指 導 者 の 積 年 の憎 悪 や 、

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国境 付 近 で の少 数 民 族 や 難 民 の 処 遇 を め ぐ る対 立 、 歴 史 的 な 領 土 紛 争 は 、 そ れ を ま っ た く不 可 能 に して い た。 ベ トナ ム は カ ン ボ ジ ァ領 内 に ベ トコ ンの 基 地 が あ る と告 発 し、 カ ン ボ ジ ア は 事 実 無 根 と反 発 した 。 ジ ェ ム は シハ ヌ ー ク と の 合 意 な ど不 可 能 だ と 断 言 した し、 シハ ヌ ー ク は ジ ェ ム を 「独 裁 者 」 「西 側 の 手 先 」 と糾 弾 した 。 「両 国 の 指 導 者 が 現 在 の ま ま 権 力 の 座 に あ る か ぎ り、 緊 密 な 関 係 が 生 じ る見 込 み は ほ とん どな い 」(73)と 国 務 省 は 嘆 息 せ ん ば か りで あ っ た 。 タ イ とカ ンボ ジア との 関 係 も 「長 い 間 東 南 ア ジ ア の 緊 張 の 源 」(74)で あ った し、 同 じ反 共 国 家 で あ る タ イ と ベ トナ ム の 関 係 で す ら、 タ イ が1959年 に 国 内 の ベ トナ ム 人 数 万 人 を 北 ベ トナ ム に送 還 して 以 来 、 す き ま 風 が 吹 い て い た 。 SEATOが 軍 事 行 動 を 起 こ そ う に も、 タ イ ・フ ィ リピ ン ・パ キ ス タ ンの 積 極 姿 勢 に 比 べ 、 オ ー ス トラ リア ・ニ ュ ー ジ ー ラ ン ドの 態 度 は せ い ぜ い 懐 疑 的 、 イ ギ リス は 「い か な る軍 事 介 入 へ の 参 加 に もま った く消 極 的 」 で 、 フ ラ ン ス は 「き っ ぱ り と介 入 を 拒 否 」 して い た 。(75)ア ジ ア の 加 盟 国 は英 仏 両 国 へ の 不 信 感 を 強 め 、 タ イ に い た って はrSEATOに か ん して 「こ とを 起 こす 』 決 意 」 を 表 明 、 英 仏 の 除 外 も し くは全 会 一 致 方 式 の 変 更 が な され ね ば 組 織 脱 退 も あ り ノ う る と示 唆 した 。(76)苛 立 つ ラ ス ク は ア ル フ ァ ン(HerveAlphand)仏 大 使 に 、 「東 南 ア ジア の 喪 失 は 、 欧州 に と っ て よ り も米 国 に と って は るか に 重 大 で あ る 。 わ が 国 は 、 われ わ れ が と も に協 力 で き る こ.とを 望 ん で い るが 、 東 南 ア ジ ア 喪 失 が 問 題 に な り欧 州 の 友 人 た ちが そ う した 事 態 を 回 避 す る た め の わ が 国 の 政 策 に 賛 同 しな い 場 合 は 、 わ れ わ れ は 別 の 道 を 行 か ね ば な ら な い か も しれ な い」(77)と ま で い い は な った 。 せ っか くの イ ギ リス の 協 力 も、 た い して歓 迎 され て は い な か った 。 ジ ェ ム が トン プ ソ ン使 節 団 の 活 動 を 利 用 して 、 国 内 の 改 革 を 求 め る 米 国 の 圧 力 を か わ そ う と して い る こ と、 第 三 国 の 関 与 が か え って 「混 乱 を 生 じ さ せ 、 時 間 を 無 駄 に 失 わ せ 、 その 結 果 南 ベ トナ ム の 喪 失 に つ な が る 可 能 性 が あ る」 こ と 、 な に よ り も トンプ ソ ンの さま ざ ま な 勧 告 が 「米 国 の 現 在 の 政 策 と合 致 し な い 」 こ と な どへ の 懸 念 の た め で あ った 。(78)ベ トナ ム とマ ラ ヤ で は 「共 産 主 義 と い う根 本 の 疾 病 は 同 じ」 で あ っ て も、 「治 療 法 は 患 者 に 合 わ せ ね ば な ら な い 」 とい うの が 太 平 洋 軍 司 令 官 フ ェ ル ト(HarryD.Felt)の 判 断 で あ っ た 。(79) 東 南 ア ジ ァ で の 共 産 勢 力 膨 張 を 阻 止 す る に は 、SEATOは 現 在 は む ろん 「お そ ら く今 後 も まず 答 え と は な らな い だ ろ う」 と 考 え る ジ ョ ン ソ ン副 大 統 領 は 、 「こ の 地 域 の 集 団 安 全 保 障 に つ い て 新 しい 方 法 を 試 み る用 意 を し な くて は な ら な い 」 と提 言 した 。(80)SEATOと は ま っ た く別 の 枠 組 み に よ る多 国 籍 軍 の 導 入 、SEATOの 縮 小 な い し解 体 、 二 国 間 の 相 互 防 衛 条 約

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網 の 充 実 、 米 国 に よ る 単 独 で の 軍 事 介 入 、 タ イ ・カ ン ボ ジ ア ・ビル マ に ベ トナ ム ・フ ィ リ ピ ン も加 わ って 地 域 防 衛 を 図 る 「独 立 国 家 地 域 」 構 想 な ど も登 場 した 。 ボ ウ ル ズ は 、 「ア ジ ア に新 しい力 の 均 衡 を構 築 す る た め の よ り創 造 的 な努 力 」 を 求 め 、 イ ン ド ・パ キ ス タ ン ・日本 な ど の 協 力 に よ っ て 「ふ らつ い て ば か りの現 在 のSEATOに か わ る存 在 」(81)が もた ら され るの で は と期 待 した 。 ロ ス トウ は、 当 面 は 無 理 と して も 、 将 来 的 に は 「日本 か ら イ ン ドに及 ぷ ア ジ ア 諸 国 が 非 軍 事 組 織 を 創 設 す る 可 能 性 」(82)に つ い て 考 え を め ぐ ら して い た 。 夏 に は ラ ス クが ヒ ュ ー ム 英 外 相 に 、 ビル マ 、 タ イ 、 ベ トナ ム な どが 、 「イ ン ドの よ うな 国 の 支 持 も得 られ 、SEATOが 消 滅 して もか ま わ な い よ うな 、 地 域 的 組 織 を 形 成 で き る の で は な い か 」(83)と の 希 望 を 語 った 。 秋 に な って も、R・H・ ジ ョ ン ソ .ンは 「新 しい、 ア ジ ア人 だ け の 組 織 」(84)新 設 の 必 要 を 強 調 した し、 タ イ政 府 も、SEATOと は 「異 な っ た形 態 の 組 織 を 設 立 し う る 」(85)と の 希 望 を 表 明 して い た 。 現 実 問 題 と してrSEATOの ア ジ ア の 加 盟 国 は も は や 一 そ ん な こ とが 一 度 で も あ った と して の 話 だ が 一 そ れ が た い して安 全 保 障 に な る とは 考 え な くな っ て い る 」 と す れ ば 、 米 国 が み ず か ら東 南 ア ジ ア の 安 全 を 確 保 す る しか なか っ た 。 だか ら 「国 際 共 産 主 義 者 の 公 然 た る 侵 略 か ら南 ベ トナ ム を 防 衛 す る とい う 、 米 国 に よ る 断 固 た る、 公 的 な コ ミ ッ トメ ン ト」 を 求 め る声 は 、 日 ご と に 強 ま って い っ た 。(86)そ の 背 後 に は、 東 南 ア ジ ア で 「本 当 の危 険 を 示 す 徴 候 が 前 途 に 横 た わ って い る 」 とい う危 機 感 と、 「この 潮 流 を 変 え る こ とが わ れ わ れ に 課 せ られ た 挑 戦 で あ る。 米 国 の 力 の み が 一 この 言 葉 の 意 味 す るす べ て に お い て 一 来 る べ き10年 に そ れ を 可 能 に で き る 」 とい う強 烈 な 信 念 が あ った 。 結 局 の と こ ろ東 南 ア ジ ア で 「問 わ れ て い る 問 題 は 、 米 国 の 巨大 な力 の どの 部 分 が ア ジ ア に 存 在 す る か で は な く、 米 国 が そ の 力 を 効 果 的 に用 い る だ けの 指 導 力 と意 志 を 持 って い る か ど うか 」 に す ぎ なか った 。(87)ワ シ ン トンは 「東 南 ア ジ ア で は 、 米 国の 指 導 力 に か わ る も の は 存 在 しな い 」(88)と い う こ とを あ ら た め て思 い知 ら され た の で あ る 。 6.お わ り に 1961年 、 米 国 は ベ トナ ム介 入 の 度 合 を 着 実 に 深 め よ う と して い た 。 ケ ネ デ ィ政 権 は 、 と き に SEATOの 活 用 を も くろ み 、 ま た そ れ 以 外 の 手 段 を 模 索 しな が ら、 東 南 ア ジ アで 力 を 構 築 し

(12)

な お そ う と して い た の で あ る。 そ れ は な に よ り も共 産 中 国 の 存 在 の た め で あ り、 東 南 ア ジ ア の 反 共 諸 国 の不 安 に 対 処 す る た め で も あ っ た。 しか し、 ア イゼ ンハ ワー(DwightD.Eisenhower) や ダ レス が 経 験 した よ う に 、 ケ ネ デ ィの 眼前 に 立 ち は だ か っ た の も ま さ に 「東 南 ア ジ ア と は 政 治 的 な実 体 とい う よ り、 米 国 流 の 地 理 的 な表 記 で あ る」(89)と い う単 純 な 、 しか し苛 酷 な 現 実 で あ った 。 号 令 一 下 、 同 盟 国 を 糾 合 す る こ と な ど不 可 能 で あ る こ と、 地 域 一 体 化 を め ざ す 努 力 が 十 分 な 効 果 を 上 げ な い こ とが 明 らか に な っ た 結 果 、 米 国 は 日一 日 とベ トナ ム 単 独 介 入 に 向 か う道 を 踏 み しめ て い くの で あ る。 こ と の 本 質 は 、 欧 州 で あ ろ う と ア ジ ア で あ ろ う と 、 米 国 に と って 同 盟 国 の 存 在 が す で に 飾 り 物 に す ぎ な い とい う こ とで あ った 。SEATO諸 国 の 協 力 は 、 そ の 戦 力 へ の 期 待 で は な く 「な ぜSEATOに 訴 え な い の か 、 あ る い は な ぜ 米 国 が この 重 荷 を 単 独 で 担 うの か を 国 民 に 説 明 す る の は む ず か しい だ ろ う」(90)と い っ た 配 慮 に よ る もの で あ っ た 。 同盟 国 の 支 持 は 「こ の よ う な 状 況 で は 、 国 内 で き び しい 党 派 的 批 判 を 避 け るた め に も、 世 界 で 米 国 以 外 の 諸 国 か ら強 い 反 対 を 受 け な い た め に も」(91)不 可 欠 だ と ケ ネ デ ィは 述 べ て い るが 、 それ 以 上 の 意 味 は そ こに は な か った の で あ る。 そ の 背 後 に は 、 国務 省 極 東 局 で ベ トナ ム 問 題 を 担 当 した ウ ッ ド(ChalmersB.Wood)が 述 べ た よ うに 、 同盟 国 で あ ろ うが 国 連 で あ ろ うが 、 「わ れ わ れ は お お い に敬 意 を 払 わ ね ば な らな い が 、 しか しそ の た め に 面 倒 に 巻 き込 ま れ た り、 い か な る 国際 組 織 の 決 定 を 求 め た り して は な ら な い 」 と い う考 え 方 が 存 在 して い た 。 米 国 は ベ トナ ム と東 南 ア ジ ア に テ コ い れ を行 うに あ た っ て 「わ が 国 の 同盟 国 か らの 同 意 と是 認 を ひ ろ く求 め る べ き」 で は あ って も、 同 時 に 「自 由世 界 の 指 導 者 と して 、 戦 時 状 況 で 行 動 に は 責 任 を 保 た ね ば な らな い 」 の で あ っ た 。(92)そ れ こ そ は ま さ に 世 界 秩 序 の 護 持 者 と して の 誇 りそ の もの の 表 明 に ほか な らな か っ た 。1960年 代 の 米 国 の 悲 劇 を 招 来 した の も 、 ま さ に こ の 考 え 方 で あ っ た 。 (1)矢 野 暢 『冷 戦 と 東 南 ア ジ ア 』 中 央 公 論 社,1986年,pp。27-30. (2)拙 著 『ダ レ ス 外 交 と イ ン ド シ ナ 』 同 文 舘,1988年,pp.179-82. ( (

3)Theodore C. Sorensen, Kennedy, New York: Bantam 4)Memo, Rostow to M. Bundy, Jan. 30, 1961, U. S. Dept.

the United States, 1961-1963, I, Vietnam 1961,

Books, 1966, p.715. of State, Foreign Wasihngton, D. C. : Relations U. S. of Government

(13)

Printing Office, 1988, p.197.

( 5)William C. Gibbons, The

Legislative Roles and

Univeresity

( 6)W. Bundy in Press, Kenneth

U. S. Government and the Vietnam War:

Relationships, II,

1986, pp.

Perspectives of John

18, 35.

1961-1964,

W. Thompson, ed. , The Kenned

F. Kennedy, Lanham, Executive Princeton, N. J. : Presidenc Md.: Un ivers i ty and Princeton : Seventeen Press of Intimate America, 1985, p. 246.

( 7)Rusk in Michael Charlton & Anthony Moncrieff, Many Reasons Why: The American

Involvement in ( 8)Roger Hilsman, Vietnam, To Move a New York: Nation: Hill The & Wang, 1978, P.65.

Politics of Foreign Polic in the

Admini-stration of John F. Kennedy, New York: Dell

( 9)Telegram, Dept. of State

Documents (10)Dean (11)Paper Rusk, Reference As I Saw Prepared by Publishing, 1967, p.130.

to Embassy in Moscow 1722, April 12,1961,

System, It, New Galbraith, R-696D. York: W. W. Norton, "A Plan for South 1990, p. Vietnam," 429. Nov. 3, Decalssified 1961, FRUS, 1, pp. 474-5.

(12)Memorandum, Bowles to Rusk, Oct. 5, 1961, ibid. (13)Hilsman, op. cit. , p. 133;

, pi). 322-5.

Memorandum, R. H. Johnson to Rostow. Sept. 5, 1961, FRUS, I,

p. 293. (14)Special National Certain United SEATO Intelligence Estimate 10-3-61 Undertakings in South States-Vietnam (15 )Memorandum, M. Bundy (16)SNIE 53-2-61, "Bl oc Relations, ,"Probable Communist Vietnam," Oct. 10, 1961, USGPO, 1971, Book 11, to President, Feb.7, 1961, JFKL, Support of the

Vietnam," Oct. 5, 1961, USVR,

(17)Memorandum, (18)W. Averell History, (19)Briefing (20)NIE Bowles Harriman p. 34. Paper, 50-61, to Rusk, quoted "Laos ," Reactions to U. S. Dept. of p. 315n. Presidential

Communist Effort against the

11, P.292.

Oct. 5, 1961, FRUS, I, 324.

by William H. Sullivan, John

n. d. , JFKL, "Outlook in Mainland POF. Southeast Asia," Office Defense, Files. Government of F. Kennedy March 28, 1961, Library, Oral FRUS, I, pp.

(14)

60.

(21)Hilsman, op,cit., p.424.

(22)W. Bundy in Thompson, op. cit. , 249. (23)Background Paper, VPT-B-1, "General

421A.

Background

(24)Telegram, Dept. of State to Saigon 684, Nov.25, (25)Telegram, Bangkok to Dept. of State 2111, [May (26)U. S. Congress, Senate,

Before the Committee on

Causes,

Forei

Ori ins and

n Relations

2nd Session, May 9, 10 & 11, 1972, USGPO,

Papr: 1961 201, Tailand," , FRUS, I, 1961, DDRS, n. d., DDRS, P-669. R-780C.

Lessons of the Vietnam

Unites States Senate,

1973, P-133. 1980-War:Hearings 92nd Con ress (27)Memorandum, Vice (28)USIA Report, to Asia," (29)Hilsman, (30)W. Bundy President to R-28-61, June "Pr ess 2, 1961, Lyndon President, May 23, Reaction to Vice B. Johnson op, cit. , p.428.

in Charlton & Moncrieff,

(31)Telegram, Saigon to Dept. of (32)Rostow, JFKL, OH, pp. 81-2. (33)Memorandum of Cocnversation (34)Robert S. McNamara, In Retros

1961 , USVR, 11, p. President Lyndon Library, National op. cit. , p.87. 162. Johnson's Security Files. State 699, Nov.24, 1961, DDRS, R-812.

at Dept. of State, April 8, 1961, FRUS, I,

pect:The Tragedy and Lessons of Vietnam,

Visit p-65-New York: Times Books, 1995, P.33. (35)President's 1961, Public Annual Message Papers of the to the Congress on Presidents of the the State of United States:

the Union, Jan-30,

John F. Kennedy, 1961,

USGPO, 1962, p.23.

(36)L Bundy in Thompson, op, cit. , p.267.

(37)Draft Memorandum, Bowles to President, Nov.30, 1961, FRUS, I, p.701. (38)W. Bundy in Charlton & Moncrieff, op, cit. , p.179.

(39)Bowles, JFKL, OH, P-33.

(40)Paper by Bowles, "Some Requirements of American Foreign Policy," July JFKL, POF.

(41)Paper by Young, "A Sketch of a New Approach to Southeast Asia," n. d.,

1. 1961,

(15)

(42)Memorandum of Conversation, April 29, 1961, USVR, 11, P-66.

(43)Memorandum, Young to Taylor, Oct. 27, 1961, JFKL, National Security Files. (44)Talking Paper, "President's Meeting with Khrushchev, Vienna, June 3-4,1961,"

n. d. , JFKL, POF.

(45)Sorensen, op. cit., p. 732.

(46)Walt W. Rostow, The Diffusion of Power: An Essay in Recent History, New York: Macmillan, 1972, p.134.

(47)John F. Kennedy, "A Democrat Loods at Foreign Policy," Foreign Affairs, vol.36, no. 1 (Oct. 1957). n. 50.

(48)Young, "A Sketch of . . . . "

(49)Statement by Vice President, May 24,1961, LBJL,Vice Presidential Security File. (50)Paper by Bowles, "A Review and Appraisal of Our First Five Months,"July 5.1961,

JFKL, POF.

(51)Memorandum, Young to Taylor, Oct. 27, 1961, JFKL, NSF; Memorandum, U. A. Johnson to Bowles, June 24, 1961, U.S. Dept. of State, Foreign Relations of the United

States, 1961-1963, XXIII, Southeast Asia, USGPO, 1994, p.10.

(52)Memorandum, Taylor & Rostow to President, July 27, 1961, ibid., I, p.248. (53)Memorandum, Rostow to President, Aug. 17, 1961, JFKL, NSF.

(54)Memorandum, Hilsman to Rusk, Nov. 16, 1961, FRUS, I, p.625. (55)Notes of Meeting at White House, Nov. 11, 1961, ibid., p.577.

(56)Memorandum, Rusk & McNamara to President, Nov. 11, 1961, USVR, 11, p.362. (57)Memorandum, Lansdale to Gilpatric, May 10, 1961,JFKL,NSF.

(58)"A Doctrine of Deterrence for SEA The Conceptual Framework," May 9, 1961, JFKL, NSF.

(59)Memorandum, Vice President to President, May 23, 1961, USVR, 11, P-164. (60)Memorandum, Taylor to U. A. Johnson, Aug. 22, 1961, Gibbons, op. cit. , p. 64. (61)Notes of Meeting at White House, Nov. 11, 1961, FRUS, 1, p.578.

(62)Memorandum, Lansdale to Taylor, n, d. , ibid., pp-523-4,531.

(63)Memorandum of Conversation at Quay d' Orsay, Aug. 7, 1961, ibid., p.268. (64)Telegram, Dept. of State to Saigon 1115, March 1, 1961, ibid., P.41.

(16)

(65)Schlesinger in Causes, Origins, ... , p. 120.

(66)Paper by Thompson, "Appreciation of Vietnam November 1961-April 1962," Oct. 27, 1961, National Archives, RG 218.

(67)Memorandum, Young to Taylor, Oct. 27, 1961, JFKL, NSF.

(68)Telegram, Bangkok to Dept. of State 274, Aug.22, 1961, FRUS, XXIII, p.26. (69)Paper by Young, "Viet Nam: Some Suggestions for Dealing with the Crisis and

President Ngo," April 29, 1961, JFKL, NSF; DDRS, 1975-317C.

(70)Memorandum, Taylor to U. A. Johnson, July 31, 1961, Gibbons, op. cit. , P.61. (71)Memorandum of Conversation, Bowles & Chuong, Feb. 13, 1961, FRUS, I, p.33. (72)Memorandum of Conversation, July 19, 1961, ibid., pp.232-3.

(73)Dept. of State Research Memorandum, RFE-1, Sept. 29, 1961, USVR, 11, pp. 289-90; "Backgro

und Paper for President's Meeting with Prince Norodom Sihanouk, New York, September 25, 1961," FRUS, XXIII, p.159.

(74)Position Paper to Vice President's Trip to the Far East, VPT-B-6, Cambodian Relations," n. d. , DDRS, 1980-421A.

(75)Notes of Meeting, President & Dwight D. Eisenhower, April 22, 1961, ibid., 124B.

(76)Memorandum, U.A. Johnson to Rusk, Sept. 26, FRUS, XXI I I, p.26.

(77)Memorandum of Conversation at Dept. of State, Nov. 13, 1961, ibid., I, p-585. (78)Letter, McGarr to Felt, Nov. 18, 1961, NA, RG 218;Telegram, Saigon to Dept. of

State 597, Nov.5, 1961, JFKL, NSF.

(79)Memo, Felt to Lemnitzer, Dec.5, 1961, NA, RG 218.

(80)Memorandum, Vice President to President, May 23, 1961, USVR, 11, P-162. (81)Bowles, "Some Requirements ...," JFKL, POF.

(82)Memorandum, Rostow to Steeves, July 25, 1961, JFKL, NSF.

(83)Memorandum of Conversation, Rusk & Douglas-Home, Aug. 6, 1961, FRUS, I, p. 268n. (84)Memorandum, R.H. Johnson to Rostow, Sept. 11, 1961, ibid., XXI I I, p.20. (85)Memorandum of Conversation, Oct. 3, 1961, ibid., P.892.

(86)"Forestalling a Crisis in South Vietnam," Feb.1, 1961, JFKL, NSF. (87)Young, "A Sketch of ...

(17)

(88)Memorandum, Vice President to President, May 23, 1961, USVR, 11, p.162.

(89)Memorandum of Discussion at White House, July 28, 1961, FRUS, I, p. 252;Memorandum,

U. A. Johnson to Bowles, June 24, 1961, ibid., XXI I I, p.9.

(90)Draft Memorandum for President, Nov. 8, 1961, ibid., I, P.564; Memorandum, Rusk & McNamara

to President, Nov. 11, 1961, USVR, p. 362.

(91)Notes on NSC Meeting, Nov.15, 1961, FRUS, I, p.608.

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