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エジプト2012年憲法の読解

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エジプト 2012 年憲法の読解

過去憲法との比較考察(下)

1)

竹 村 和 朗

Reading the Egyptian 2012 Constitution

A Comparative Study with the Previous Constitutions in Egypt (vol. 2)

T

AKEMURA

, Kazuaki

This paper presents a comprehensive Japanese translation of the Egyptian 2012 Constitution, originally written in Arabic, with annotated commentaries based on a comparison with previous Egyptian constitutions. The 2012 Con-stitution is an outcome of the Egyptian 2011 Revolution, the so-called January 25th Revolution, which overthrew the Mubarak regime that had lasted for three decades. Since the Revolution, constitution-making has been an issue of high political sensitivity. While many studies discuss its political implications, this study focuses on the constitutional text itself, reading it as a “document.” Such an approach requires a careful interpretation and evaluation of the literal expressions adopted in the 2012 Constitution and pays attention to changes in the text and their origins.

This paper consists of two parts: Part I “General Introduction” and Part Ⅱ “Translation and Commentary of the 2012 Constitution.” Part I is divided into three chapters. The first chapter is a genealogical survey of previous Egyptian constitutions. Since the first “modern” constitution in 1923, Egypt has witnessed constitutional enactments and revisions several times in the past nine decades. This chapter overviews the historical contexts of these previous constitutions and introduces their contents and characteristics.

The second is an overview of the composition of the 2012 Constitution. Like other constitutions all over the world, the Egyptian 2012 Constitution is made up of articles and composed of parts, chapters, and sections. The combination of these various elements forms the structural features of this Constitution.

The third introduces three categories to distinguish similarities from differences in the literal expressions of the 2012 Constitution. Particular emphasis is put on a comparison with the 1971 Constitution, which the

post-Keywords: Egypt, the 2012 constitution, comparative constitutional law, January

25th Revolution, Arabic

キーワード : エジプト,2012 年憲法,比較憲法,1 月 25 日革命,アラビア語

1) 本稿は,本誌 87 号に所収の拙稿「エジプト 2012 年憲法の読解:過去憲法との比較考察(上)」の 続きである。「上」では,全体解説,2012 年憲法の前文,第 1 条から第 81 条までの条文と解説を

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revolutionary 2012 Constitution was made to overcome. The three categories are labeled “preserved,” “changed,” and “new.” While “new” articles tend to attract much more attention, “changed” articles account for almost half of the total 236 articles. Moreover, these “changed” articles suggest constitutional changes that may not be obvious but that have important consequences in the future. This categorization is used as a benchmark for understanding the characteristics of the 2012 Constitution. It highlights the continuation and discontinuation of concepts and ways of thinking in the constitutional text.

Part Ⅱ provides an annotated Japanese translation of the 2012 Consti-tution; on each article are put the original Arabic text and a commentary with particular interest in its literary expressions. It also shows the articles of the previous constitutions, which have contents and themes related to the discussed article. By juxtaposing the translation and the original text, this paper intends to serve as a basic archive for those who are interested in the Egyptian 2012 Constitution and wish to pursue a comparative study of consti-tutional law. 〈第一部:全体解説〉 Ⅰ.はじめに  1. 「書かれたもの」としての 2012 年憲法  2. 本稿の構成 Ⅱ.エジプト過去憲法の系譜  1. エジプト憲法前史  2. 1923 年憲法と 1930 年憲法  3. 1952∼3 年の声明と憲法宣言  4. 1954 年憲法案  5. 1956 年憲法  6. 1958 年暫定憲法  7. 1964 年憲法  8. 1971 年憲法  9. 2011∼2 年の憲法宣言 Ⅲ.2012 年憲法の構造  1. 編ごとの概要  2. 全体構成の比較 Ⅳ.2012 年憲法の条文内容の三分類  1. 三分類の定義  2. 三分類の分布 Ⅴ.おわりに 参考文献 付録:2012 年憲法内容一覧表 〈第二部:資料本文〉 1. 凡例 2. 前文 3. 本文

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第 3 編「公権力」

第 1 章「立法権」

第 1 節「共通規定」 第 82 条〔立法権の二院構成,各議院による権限行使〕 立法権は,代議院および諮問院から構成される。 各議院は,憲法に記されるところにより,各々の権限を行使する。 〈解説〉 第 82 条は,「立法権」の二院構成を定める。二院構成を述べる第 1 項,各議院による権 限行使を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 86 条は「人民議会」のみの一院制であったた め,「新規」の条項である。

第 1 項では,「立法権」al-sulṭa al-tashrī‘iyya が,二つの「議院」majlis から「構成される」 tatakawwanu と表現される。同じく二院制をとった 1954 年憲法 51 条および 1923 年憲法 73 条と共通する表現である。本憲法では,下院は「代議院」majlis al-nuwwāb,上院は「諮 問院」majlis al-shūrā と呼ばれる。この「代議院」の名称は,古くは 1923 年憲法で用いられ, 上院の「元老院」majlis al-shuyūkh と対にされていた。1956 年憲法以降は一院制がとられ, 「国民議会」majlis al-umma と呼称され,1971 年憲法で「人民議会」majlis al-sha‘b と改称

された。

上院にあたる「諮問院」は,1980 年憲法改正で創設された立法権限のない「諮問評議会」 majlis al-shūrā に由来する。同じ majlis の語が用いられ,一般には上院的存在と見なされ るが,実際上の権限が弱く,大統領の諮問機関に近いため,「評議会」や「委員会」と訳出 されることが多い。この諮問評議会は,2007 年の憲法改正により,憲法改正や領土・主権 関係の条約締結に関わる権限を与えられたが,本憲法のように「立法権の二院構成」と規定 されることはなかった。「諮問」と訳出した al-shūrā の語は,初期イスラーム時代の理想的 統治を示す「協議」や,一般的な「諮問」「合議」など幅広い意味を持つ(本憲法 6 条では, 「民主主義および協議の原則」と表記)。 本憲法では,両議院を合わせた「国会」に相当する語が特にないため,解説では「議会」 や「立法府」などと適宜表現する。この点で,フランス語の le parlement に由来する「議会」 al-barlamān の語が存在した 1923 年憲法とは異なる。 第 2 項では,各議院がそれぞれの権限を「行使する」yumārisu ことが定められる。1971 年憲法 86 条では,人民議会は立法権を「司る」yatawallā ものと表現され,「行使する」

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yumārisu の語は行政権の監督について用いられていた。過去憲法では,1964 年憲法 47 条 および 1956 年憲法 65 条において,国民議会は立法権を「行使する」機構であると表現さ れていた。他方,立法権と「司る」の組み合わせは,1923 年憲法 24 条において,「立法権 については,国王がこれを司る」li-sulṭa al-tashrī‘iyya yatawallā-hā al-malik に前例を見出 すことができる。権限の所在を示す「司る」ではなく,その実行を表す「行使する」が選ば れたところに,本憲法において立法権にかけられた期待を読み取ることができるだろう。 〈関係条項〉

「立法権は,国王,代議院および元老院が,共同して,これを行う。」(1831: 26,清宮 1976: 74)

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第 83 条〔両議院議員の兼職禁止〕 代議院議員と諮問院議員を兼ねることはできない。その他の兼職禁止の状況は法律で定める。 〈解説〉 第 83 条は,両議院議員の兼職の禁止を定める。人民議会と諮問評議会の議員の兼職禁止 を定めた 1980 年改正 200 条を受け継いだ,「維持」の条項である。 本条は二文に分かれる。第一文では,両議院の「議員資格」‘uḍwiyya を「兼ねることが できない」lā yajūzu al-jam‘ ことが定められる。この表現は,1980 年改正 200 条や 1954 年 憲法案 69 条,1923 年憲法 92 条に同様のものが見られる。過去憲法では「上院・下院」の 順であったが,本憲法では「下院・上院」の順にし,下院を優先させている。 第二文では,議員に課される「その他の兼職」al-jam‘ al-ukhrā の禁止が定められる。 1980 年改正 200 条にはなかったが,1923 年憲法 92 条から 1954 年憲法案 69 条までの条項 に同様の表現が見られる。 〈関係条項〉 「何人も,同時に両議院の議員となることはできない。」(1831: 35,清宮 1976: 75) 第 84 条〔両議院議員の職務専念〕 法律の定める例外状況をのぞき,代議院もしくは諮問院の議員は,その職務に専念する。 その議員が有する職位もしくは職業は保持される。これらは法律の組織するところによる。 〈解説〉 第 84 条は,両議院議員のその他の兼職禁止の原則を定める。1971 年憲法 89 条に近いが, 本条からなくなった規定がある,「変化」の条項である。

本条では,両議院の議員は「その職務」mahām al-‘uḍwiyya に「専念する」yatafarraghu ことが求められる。同時に,その者が議員に就任する前に有していた「職位」waẓīfa や「職 業」‘amal はそのまま保持されることで,辞職後の就業が保障される。この規定は,1971 年 憲法 89 条の後半部の表現にほぼ等しいが,付属していた「政府および公的部門の公務員は, 議員職に自らを立候補することができる」との規定は受け継がれなかった。過去憲法では, 公務員と議員の兼職は,1964 年憲法 96 条および 1956 年憲法 114 条において,「国民議会と 政府公務は兼ねることができない」とされていた。本条では,兼職は禁止されるが,公務員

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〈関係条項〉 第 85 条〔議員の代表性〕 議員は,人民を全体として代表する。議員の代表性は,いかなる制限および条件にも拘束 されない。 〈解説〉 第 85 条は,議員の代表性を定める。1971 年憲法にはない,「新規」の条項である。 本条は二文に分かれる。第一文では,議員が「人民を全体として代表する」yanūbu ‘an al-sha‘b bi-asr-hi と定められる。動詞の nāba は「(他の者やその地位を)代表する」ことで, その能動分詞の nā’ib(複数形は nuwwāb)は「代議士」や「代表」を意味する。この規定は, 1971 年憲法にはないが,他の過去憲法には同様のものが見出される。たとえば,1882 年基 本法 6 条では「すべての議員はエジプトの地の住民すべての代表者であり,その者を選出し た地域のみを代表するのではない」と述べられ,1954 年憲法案 68 条および 1923 年憲法 91 条では,「国民すべて」al-umma kulla-hā の代表者と表現された。本条では,これらの先例 を踏まえつつ,1971 年憲法以来の「人民」al-sha‘b の全体を代表する者として議員の代表性 が規定される。 第二文では,この「議員の代表性」について,「いかなる制限および条件にも拘束されない」 lā tuqayyadu … bi-qayd wa-lā sharṭ ことが定められる。こちらは,過去憲法のいずれにも ない新規定で,第一文の意味をより明確に表すためのものであろう。

〈関係条項〉

  「両議院の議員は,全国民を代表し,単に当該議員を選出した州または州以下の地方団体の

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第 86 条〔議員の宣誓〕 議員は,その職務に就任する前に,各々の議院に対して,次の宣誓を行う。「私は,偉大 なるアッラーにかけて,共和制を忠実に維持し,憲法および法律を尊重し,人民の利益を全 力で守り,祖国の独立および領土の平和を維持することを誓う。」 〈解説〉 第 86 条は,議員の宣誓の場所および文言を定める。1971 年憲法 90 条を元に,若干の変 更が加えられた,「変化」の条項である。 本条では,両議院の議員が,職務の就任前に,「各々の議院において」amāma majlis-hi 宣誓を行うことが定められる。この点は,1971 年憲法 90 条では,「人民議会議員は議会に おいて」‘uḍw majlis al-sha‘b amāma al-majlis 宣誓するとされていたが,二院制に則った表 現に修正されている。1964 年憲法 58 条までは「公開の会議において」amāma jalsa ‘alaniyya との一節があったが,1971 年憲法からなくなり,本条でも用いられていない。

宣誓文の内容は,セミコロンに続き,「私は偉大なるアッラーに∼することを誓う」 uqsimu bi-allāh al-‘aẓīm an ~ として,一人称単数の「私」を主語とした直接話法の形をとる。 直接話法になったのは 1956 年憲法 78 条からで,それより前は間接話法で,1923 年憲法 94 条のように,「〔議員は〕∼であることを宣誓する」yuqsimūna an yakūnū ~ と表記されて いた。

宣誓の内容は,動詞と目的語の組み合わせから,以下の 4 点に分かれる。それは,①「共 和制を忠実に維持する」uḥāfiẓa mukhliṣan ‘alā al-niẓām al-jumhūrī,②「憲法および法律 を尊重する」aḥtarima al-dustūr wa-l-qānūn,③「人民の利益を全力で守る」ar‘ā maṣāliḥ al-sha‘b ri‘āyatan kāmilatan,④「祖国の独立および領土の平和を維持する」uḥāfiẓa ‘alā istiqlāl al-waṭan wa-salāma arāḍī-hi である。1971 年憲法 90 条では,②は同一表現で,③ はより簡潔に「人民の利益を守る」ar‘ā maṣāliḥ al-sha‘b とされ,①と④を合わせて「祖国 の平和および共和制を忠実に維持する」uḥāfiẓa mukhliṣan ‘alā salāma al-waṭan wa-l-niẓām al-jumhūrī と表現されていた。1971 年憲法の表現を並び替え,少し言葉を足して,本条の ①と④が作られたともいえる。こうした組み換えは過去憲法において珍しくなく,1964 年 憲法 58 条では,「共和制を忠実に維持する」,「人民の利益および祖国の平和を守り」,「憲法 および法律を尊重する」の 3 点からなり,やはり②は同一だが,その他の動詞と目的語の組 み合わせが 1971 年憲法 90 条とも本条とも微妙に異なる。 目的語も少しずつ変わってきている。たとえば,1971 年憲法 90 条の「祖国の平和」 salāma al-waṭan は,本条では「祖国の独立および領土の平和」istiqlāl al-waṭan wa-salāma arāḍī-hi と,より細かな表現になった。「忠実に」mukhliṣan の語も,1956 年憲法以降は本 条のように「共和制を忠実に維持する」として用いられているが,1954 年憲法案までは「祖 国に忠実である」yakūnu mukhliṣan li-l-waṭan と述べられていた。

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〈関係条項〉 第 87 条〔議員資格の審査,無効の条件〕 破棄院は,両議院の議員資格の争訟の審理を管轄する。破棄院への争訟の提起は,選挙の 最終結果の公示の日より 30 日以内に行われる。破棄院は,受理の日より 60 日以内に審理 する。 議員資格の無効の判決が下された場合,議院への判決の通知の日より無効となる。 〈解説〉 第 87 条は,議員資格の争訟について定める。破棄院における審理を定める第 1 項と,資 格無効の開始日を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 93 条に同様の主題を扱った条項があ るが,若干の変更が見られる,「変化」の条項である。

第 1 項では,まず「破棄院」maḥkama al-naqḍ による「両議院の議員資格の争訟」ṣiḥḥa ‘uḍwiyya a‘ḍā’ al-majlisayn の「審理」al-faṣl の権限が定められる。この規定は,先行す る 1971 年憲法 93 条と大きく異なる。1971 年憲法において議員資格争訟の権限を有してい たのはあくまで「議会」であり,破棄院は議長から送付された争訟について「取調べ」al-taḥqīq を行うにすぎず,最終的な判定は「議会の総議員の 3 分の 2 以上による表決」が必 要とされていた。破棄院は,普通司法の最高裁判所に相当し,下級裁判所の判決の「破棄/ 破毀」naqḍ,すなわち原判決の無効および審理の差戻しを命じる権限を有する高等司法機 関である。本条の規定では,議会ではなく,この破棄院が主体となって,議員資格争訟を審

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理することになっている。これは,司法府による立法府の統制の一つであり,三権分立の新 たな関係性といえるだろう。 こうした流れは,本憲法で突然加えられたものではなく,徐々に作られてきたものであっ た。かつて,1923 年憲法 95 条では,「各議院はその議員の資格審査を行う権限を有する」 として,議員資格の争訟を審査するのは,議会そのものであり,司法が介入する余地はなかっ た。これには,1831 年ベルギー憲法 34 条や 1879 年基本法 29 条の影響を見ることができる だろう。変化の兆しが生まれたのは 1930 年憲法 90 条で,国王による議会統制の強化を背 景に,「控訴審裁判所は,破棄院を設置して,両議院の議員資格の審査および無効判決を行 う」と定められた。この仕組みは 1954 年憲法案に入り込み,その第 70 条では,「選挙の無 効,議員の任命もしくは議員資格の剥奪は,憲法最高裁判所の判決によらないかぎり,定め られない」として,憲法最高裁判所の関与が述べられた。1956 年憲法はこの流れを一旦断ち, 第 109 条では,「国民議会の議員資格の剥奪は,議会の 3 分の 2 の同意がなければ認められ ない」とし,司法の介入を認めなかった。再度流れを変えたのは 1964 年憲法で,その第 62 条により「議会は議員資格を審理し,法律の定める高等裁判所は,国民議会により提起され た争訟の取調べを行う」として,1971 年憲法 93 条に繋がる仕組みを作り出した。上記の通 り,1971 年憲法では「破棄院」が名指しされ,「取調べ」を担うようになっていった。 第 1 項の後半では,この破棄院への争訟の提起が,議会選挙の結果公示から「30 日以 内」でなければならず,破棄院は争訟受理から「60 日以内」に審理するものと定められる。 1971 年憲法 93 条では議会による争訟の受理から破棄院への送付までが「15 日以内」,破棄 院による取調べが「90 日以内」とされていた。ただし,本条の議員資格争訟の期限開始日 が「議会選挙の最終結果の公示の日」であるのに対し,1971 年憲法では「議会への本件の 通知の日」tārīkh ‘ilm al-majlis bi-hi であり,この点は大きく異なる。

第 2 項では,破棄院による無効判決が当該議院に通知された日が無効の開始日とされる。 1971 年憲法 93 条および過去憲法では,最終的な判断は当該議会に委ねられていたため,総 議員の 3 分の 2 による「議決」qarār がとられた日が無効の開始日であったと考えられる。 〈関係条項〉

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「各議院は,その議員の資格を審査し,かつ,議員の資格に関して生ずる争訟を裁決する。」 (1831: 34,清宮 1976: 75) 第 88 条〔議員の金銭取引制限,資産公開,贈与〕 両議院のいずれの議員も,在任期間中,自らもしくは仲介を通じて,国有財産を買うこと もしくは借りることができず,国有財産を貸すこともしくは売ることができず,国有財産を 自らの財産と交換することができず,国有財産の委託,供給もしくは請負の契約を結ぶこと ができない。 議員は,就任および離任にあたり,ならびに毎年度末に,資産報告書を提出するものとす る。資産報告書は,その議院に提示される。 議員が金銭もしくは物品の贈与を受け,その贈与が議員資格によるもしくはこれに関連す る場合,贈与されたものの所有権は,国の公的財源へ移される。 これらはすべて法律の組織するところによる。 〈解説〉 第 88 条は,議員の在任期間中の経済活動の制限および資産公開の原則等を定める。国有 財産に関わる取引の禁止を定める第 1 項,資産公開を定める第 2 項,贈与規定を定める第 3 項,法定性を述べる第 4 項からなる。1971 年憲法 95 条にもとづきつつ,第 2,3,4 項を新 たに加えた「変化」の条項である。

第 1 項では,「両議院のいずれの議員」‘uḍw ayy min al-majlisayn について,「自らもしく は仲介」bi-l-dhāt aw bi-l-wāsiṭa のいずれにより,国有財産に関わる「購入・借入」「売却・ 賃貸」「財産交換」「委託・供給・請負契約」のいずれもが禁止される。これは,1971 年憲

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法 95 条においても,ほぼ同一の表現で規定されていた。同様の禁止は,1956 年憲法以降, 議員,大統領および大臣の三者に課されているが,遡ると,1954 年憲法案では大統領と大 臣の二者,1923 年憲法では大臣のみに課された制限であった。「議員」がこの規定の対象に 加えられたのは,比較的最近のことで,元来は行政府の構成員に対する制限であった。

第 2 項では,議員の就任・離任時および毎年度末の「資産公開書」iqrār dhimma māliyya の提出が義務づけられる。この資産公開書は,各議員が所属する議院に提出される。

第 3 項では,在任中に生じた「贈与」hadiyya について,「議員資格」al-‘uḍwiyya すなわ ち議員であることに関係した贈与であると判断された場合,贈与されたものはすべて「国の 公的財源」al-khazzāna al-‘āmma li-l-dawla に接収されることが定められる。ただし,そう した判断を下す過程や主体は特に記されない。 第 4 項では,これらの規定の法定性が定められる。 第 2 項以降は,本憲法からの新規定で,過去憲法のいずれにもない。本憲法では,議員だ けでなく,大統領(138 条)と政府閣僚(158 条)にもほぼ同様の制限が課せられている。 〈関係条項〉 第 89 条〔議員の意見の不問〕 議員は,所属する議院における職務に関連して表明した意見について,責任を問われない。 〈解説〉 第 89 条は,議員が表明する意見に対する免責を定める。1971 年憲法 98 条がほぼ同様の 内容を示すが,細かな表現上の変更点が多い,「変化」の条項である。

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ち「彼の職務に関連する彼の意見」min ārā’ tata‘allaqu bi-a‘māl-hi について,「責任を問わ れない」lā yus’alu と定められる。1971 年憲法 98 条では,人民議会の「諸議員」a‘ḍā’ と複 数形で表現されていた。 本条で扱われるのは,議員の意見の免責である。本条は「意見」ārā’ のみを取り上げるが, 1971 年憲法まではすべて「思想および意見」afkār wa-ārā’ と表現されており,1923 年憲法 109 条での導入以来,初めて「思想」の語が抜け落ちた。「免責」の点では,本条では「責 任を問われない」lā yus’alu と表現されるが,1954 年憲法案 72 条から 1971 年憲法 98 条ま では「処罰されない」lā yu’ākhadhu,1923 年憲法 109 条では「処罰を認めない」lā yajūzu mu’ākhadha と,より明確に処罰の免除が表されていた。 また,本条では,免責の対象となるのは,「議員が所属する議院における職務に関連して 表明した意見」である。1971 年憲法までは「議会もしくは委員会」とされていたのが,「議 院」に一本化されている。 〈関係条項〉 「両議院の議員は,その職務を行うにあたって,表示した意見および表決のために,訴追され, または捜索を受けることはない。」(1831: 44,清宮 1976: 77) 第 90 条〔議員の不逮捕特権〕 現行犯の場合をのぞき,議員に対するいかなる刑事手続も,その議院からの事前許可によ らないかぎり,行うことができない。会期外においては,議院事務局の許可を得るものとす る。その議院には,会期の最初にすでにとられた手続が通知される。 すべての場合において,議員に対する刑事手続の要求の判定は,多くとも 30 日以内にと られるものとする。期間内に判定されない場合,要求は受理されたとみなされる。

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〈解説〉 第 90 条は,「議員の不逮捕特権」を定める。議員の不逮捕の原則および刑事手続に必要な 許可を定める第 1 項,当該議院が許可を裁決する期限を定める第 2 項からなる。1971 年憲 法 99 条にもとづきつつ,新たな規定を追加した,「変化」の条項である。 第 1 項では,「現行犯」ḥāla al-talabbus の場合をのぞき,現職の議員がいかなる「刑事手続」 ijrā’ jinā’ī からも免れることが定められる。これは 1971 年憲法 99 条 1 項と同様である。「刑 事手続」の内容は詳しく述べられないが,かつて 1954年憲法案73条には,「逮捕」al-qabḍ,「取 調べ」al-taḥqīq,「捜索」al-taftīsh,「勾留」al-ḥabs などの語が含まれていた。 議員に対するこれらの刑事手続は,会期中であれば当該議院からの「事前許可」idhn sābiq を,会期外であれば,議院事務局の「許可」idhn を得ることが求められる。本条で は,会期外の許可権者が,1971 年憲法 99 条 2 項の「議長」ra’īs al-majlis から「議院事務局」 maktab al-majlis に変わったが,それ以外は大きな違いはない。 会期外にとられた手続は,すべて「会期の最初」awwal in‘iqād に当該議院に通知される ことになっている。この規定は,1971 年憲法 99 条 3 項と同一である。 第 2 項では,「すべての場合において」,議員に対する刑事手続の要求は,最大でも「30 日以内」に返答されなければならず,この期限をすぎると自動的に要求が「受理された」 maqbūlan ことになると定められる。この規定は,1971 年憲法になかったもので,議員の 不逮捕特権を即座に弱めるものではないが,司法権と立法権の新たな関わりを示唆している。 〈関係条項〉

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「両議院の議員は,その属する議院の同意がなければ,会期の継続中,刑事に関して,訴追され, または逮捕されない。ただし,現行犯の場合は,このかぎりでない。 両議院の議員は,その属する議院の同意がなければ,会期の継続中,いかなる身体の拘束 にも服しない。 両議院の議員の拘禁または訴追は,議員の要求があるときは,会期の継続中,停止される。」 (1831: 45,清宮 1976: 77) 第 91 条〔議員の歳費〕 議員は,法律の定める歳費を受ける。 〈解説〉 第 91 条は,議員の「歳費」を定める。1971 年憲法 91 条とほぼ同内容の「維持」の条項 である。 本条では,「議員」が,法律の定める一定額の「歳費」mukāfa’a を「受ける」yataqāḍā ことが定められる。1971 年憲法 91 条の「人民議会の議員」が「議員」になった点をのぞき, 1971 年憲法 91 条と変わりはない。同様の規定は 1923 年憲法からあるが,1954 年憲法案 75 条まで「得る」yatanāwalu の語が用いられていた。1930 年憲法 107 条には,例外的に詳 細な規定が示されている。 〈関係条項〉 「代議院の議員は,一二,〇〇〇フランの歳費を受ける。〔後略〕」(1831: 52,清宮 1976: 79) 「元老院議員は,手当を受けない。〔後略〕」(1831: 57,清宮 1976: 83)

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第 92 条〔議会の所在地,他所での開催可〕 代議院および諮問院の所在地は,カイロ市とする。 両議院のいずれも,例外的状況において,大統領の要求もしくはその議院の総議員の 3 分 の 1 の要求により,その他の場所で会議を開くことができる。 上記に相違する議院の会議およびそれについて定められた決定は,無効とする。 〈解説〉 第 92 条は,議会の所在地を定める。カイロを所在地とする第 1 項,他所での開催を認め る第 2 項,これらの規定に反する会議および決定の無効を定める第 3 項からなる。1971 年 憲法 100 条とほぼ同内容の「維持」の条項である。 第 1 条では,代議院および諮問院の「所在地」maqarr をカイロ市と定める。1971 年憲法 100 条においても「人民議会」の所在地はカイロであり,1923 年憲法以来,議会の所在地 がカイロ以外に変えられたことはない。1882 年基本法では,カイロの美称である「守護さ れたミスル」maḥrūsa miṣr の語が用いられていた。なお,1954 年憲法案までには,「所在地」 maqarr の語の代わりに「中心地」を意味する markaz が用いられていた。 第 2 条では,カイロではない「その他の場所」makān ākhar において議会の会議を開く ことが認められ,その開催条件は「大統領もしくはその議院の総議員の 3 分の 1 の要求によ る」と定められる。1971 年憲法 100 条では,「大統領もしくは〔人民〕議会の総議員の過半 数の要求による」であり,議員主導の開催要件がやや緩められている。議員の要求によるカ イロ以外での議会会議の開催が明記されたのは 1971 年憲法 100 条からのことで,1954 年憲 法案から 1964 年憲法までは「大統領の要求」のみが認められていた。1923 年憲法では「法 律による」bi-qānūn と簡潔に記されていた。本条では,1971 年憲法と同じく,「場所」は makān の語で表現されているが,過去憲法においては jiha の語も用いられている。 第 3 条では,上記の条件に相違する議会の会議およびこれに関する決定はすべて「無効」 bāṭila と定められる。1971 年憲法 100 条 2 項では,「特定の場所以外での会議には正当性が ない」ijtimā‘ fī ghayr al-makān al-mu‘add la-hu ghayr mashrū‘,「そこでとられた決定は無 効である」al-qarārāt allatī tuṣdaru fī-hi bāṭila と一文ずつ規定されたが,本条はこれらを合 わせたものとなっている。

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第 93 条〔本会議の原則公開,秘密会の開催規定〕 代議院および諮問院の会議は,公開とする。 両議院のいずれも,大統領,政府,議院の議長もしくはその議員の 20 人以上の要求により, 秘密会を開くことができる。その後,その議院は,議題に挙げられた案件の審議を,公開の 会議もしくは秘密会のいずれにおいて行うかを決定する。 〈解説〉 第 93 条は,本会議の公開性を定める。会議公開の原則を述べる第 1 項と,秘密会の開催 の権限・要件を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 106 条とほぼ同内容の「維持」の条項 である。 第 1 項では,議院の「会議」jalsāt が,原則的に「公開」‘alaniyya であることが定められる。 議院の語は,本条では「両議院」とされるが,1971 年憲法 106 条では「人民議会」,1964 年憲法までは「国民議会」,1954 年憲法案までは「両議院」と表記されていた。 第 2 項では,第 1 項の原則公開を前提とした上で,一定の条件下で「秘密会」jalsa sirriyya を開くことが認められる。秘密会の開催を要求することができる者として,「大統 領,政府,議院の議長もしくはその議員 20 人以上」が挙げられる。1971 年憲法 106 条およ び 1964 年憲法 64 条では同じだが,それより前はやや異なり,1958 年憲法 21 条では「大統 領もしくは議員 20 人」,1956 年憲法 80 条および 1930 年憲法 93 条では「政府,議会の議 長もしくは議員 10 人」,1954 年憲法案 67 条および 1923 年憲法 98 条では「政府もしくは 議員 10 人」であった。 第 2 項の第二文は,「その後」thumma,すなわち秘密会の開催要求が出された後に,当 該議院がその議題の審議を実際に「公開」か「秘密会」のいずれで行うのかを決定すること が述べられる。この規定は,1923 年憲法 98 条からほぼ変わりがない。

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〈関係条項〉 「両議院の会議は,公開とする。 ただし,各議院は,その議長または議員一〇名の要求にもとづいて,秘密会を開くことが できる。秘密会の後に,各議院は,絶対多数によって,同一の議題につき,会議を再び公開 すべきかいなかを決定する。」(1831: 33,清宮 1976: 75) 第 94 条〔年次通常会の召集,会期は 8 ヶ月以上〕 大統領は,10 月の第 1 木曜日より前に,代議院および諮問院の両方の年次通常会を召集 する。召集がなされない場合,両議院は,憲法の規定により,前述の期日に集会する。 通常会の会期は,少なくとも 8 ヶ月間続くものとする。大統領は,各議院の承認の後,会 期を閉じる。ただし代議院は,国の一般会計予算の議決前に閉会することができない。 〈解説〉 第 94 条は,議会の「年次通常会」について定める。大統領による召集を定める第 1 項, 会期および閉会を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 101 条にもとづきつつ,重要な変更

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第 1 項では,大統領が両議院に対し,「年次通常会」dawr al-in‘iqād al-‘ādī al-sanawī を 「召集する」yad‘ū ことが定められる。議会の召集権は,1923

年憲法においては「国王」al-malik が有していたが,1954 年憲法案以降「大統領」ra’īs al-jumhūriyya へ移された。 年次通常会の開始期日は,「10 月の第 1 木曜日」と定められる。これは,1971 年憲法 101 条および 1956 年憲法以来の「11 月の第 2 木曜日」より,約 1 ヶ月早い。1954 年憲法案 62 条では「1 月の第 3 木曜日」,1930 年憲法 91 条では「12 月の第 3 木曜日」,1923 年憲法 96 条では「11 月の第 3 木曜日」であった。過去憲法においては会期の開始日がおよそ 11 月か ら 1 月に定められていたことからすれば,本条の期日はかなり早めに設定されている。 第 2 項冒頭では,年次通常会の会期が「8 ヶ月以上」と定められる。1971 年憲法 101 条 では「7 ヶ月以上」であったので,1 ヶ月延ばされたことになる。「7 ヶ月以上」は 1954 年 憲法案以来のことで,それより前は「6 ヶ月以上」であった。つまり,本条の規定では,10 月初旬から 6 月初旬までが通常会の会期にあたる。他方,1971 年憲法では 11 月中旬から 6 月中旬であり,1923 年憲法では 11 月下旬から 5 月下旬であった。徐々に長くなってきてい るが,それでも 5 月から 10 月の最も暑い季節は避けるようになっている。 第 2 項の第二文では,大統領が,各議院の承認の上で,通常会の会期を「閉じる」 yafaḍḍu 権限が定められる。1971 年憲法 101 条 2 項およびそれ以前の過去憲法にも同様の 規定が見られ,1923 年憲法 96 条および 1930 年憲法 91 条では,「国王」al-malik の権限として, 「国王は閉会を宣言する」yu‘linu al-malik faḍḍ in‘iqād-hi と表現されていた。

第 2 項の末尾では,国家予算の議決前の代議院の閉会が禁じられる。一院制の 1971 年憲 法 101 条では「人民議会」を対象とする規定であったが,本条では予算議決権(第 116 条) を有する「代議院」に変えられた。同じく二院制の 1923 年憲法では,議会両院で予算決議 したため,予算議決前の「議会の閉会」faḍḍ dawr in‘iqād al-barlamān を禁止していた。 〈関係条項〉

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「両議院は,毎年一一月第二火曜日に,なんらの行為をまたずに,会同する。ただし,国王 が右の期日前に召集した場合は,このかぎりでない。 両議院は,毎年少なくとも四〇日間開会することを要する。 国王は閉会を宣する。 国王は,両議院の臨時会を召集する権利を有する。」(1831: 70,清宮 1976: 88) 第 95 条〔臨時会の召集〕 両議院のいずれも,大統領もしくは政府による召集にもとづき,またはその議院の総議員 の少なくとも 10 分の 1 の署名された要求にもとづき,緊急の案件の審議のため,臨時会を 開くことができる。 〈解説〉 第 95 条は,議会の「臨時会」の召集を定める。1971 年憲法 102 条を元とするが,文章構 成および開催の条件の点で変更が加えられた,「変化」の条項である。 本条では,両議院のいずれの「開催」in‘iqād は,「臨時会/通常でない集会」ijtimā‘ ghayr ‘ādī の形で行うことができると規定される。そしてそれは,大統領もしくは政府によ る「召集/呼びかけ」da‘wa,または臨時会開催を求める議院の総議員の「10 分の 1 以上」 の署名された要求にもとづくものとされる。 本条のこの文章構成は,過去憲法における大統領の召集による臨時会開催と根本的に異な る。1971 年憲法 102 条では,「大統領は,人民議会の臨時会を召集する。臨時会の開催は, 緊急の状況において,もしくは人民議会の総議員の過半数の署名された要求にもとづく」と 規定されていた。臨時会を開く主体はあくまで「大統領」であり,人民議会の議員は,大統 領に対して臨時会の召集を要求することができるだけであった。これに対し,本条の規定で

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議員からの要求があれば,自ら臨時会を開くことができるようになっている。また,議員に よる開催要求に必要な要件である「10 分の 1 以上」も,従来の「過半数」に比べて大幅に 緩和されている。行政権に対する立法権の自立性の強化の表れといえるだろう。 〈関係条項〉 「〔前略〕国王は,両議院の臨時会を召集する権利を有する。」(1831: 70,清宮 1976: 88) 第 96 条〔定足数は過半数,絶対多数による表決〕 代議院および諮問院のいずれも,その総議員の過半数の出席がなければ,議事は有効でな く,議決されない。 特別多数の定めのある場合をのぞき,議決は出席議員の絶対多数により行われる。可否同 数のときは,審議中の案件は否決されたものとする。 〈解説〉 第 96 条は,定足数および議決方法を定める。定足数を過半数とする第 1 項,絶対多数に よる表決の原則を定める第 2 項からなる。表現はわずかに変えられているが,1971 年憲法 107 条と同様の内容を有する,「維持」の条項である。

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第 1 項では,「その総議員の過半数の出席がなければ」illā bi-ḥuḍūr aghlabiyya a‘ḍā’-hi と「∼ではない」lā yakūnu からなる二重否定構文を用いて,議事と議決が有効となる条件 が定められる。1971 年憲法 107 条では,「総議員の過半数の出席がなければ,議事は有効で ない」と述べられるのみで,「議決されない」が含まれていなかった。しかしこれは歴史的 には例外で,1923 年憲法 99 条から 1964 年憲法 65 条まで,「過半数の出席がなければ,議 決されない」と定められてきた。むしろ,「議事は有効でない」の規定が現れたのは 1971 年憲法 107 条が初めてであった。本条は,これら二つを合わせたものとなっている。 第 2 項では,「特別多数」aghlabiyya khāṣṣa が特別に定められる場合をのぞき,議決は原 則「出席議員の絶対多数による」bi-l-aghlabiyya al-muṭlaqa li-l-ḥāḍirīn こと,可否同数は「否 決」marfūḍ とされることが定められる。これは,1971 年憲法 107 条 2 項の「議会は,特別 多数の定めのある場合をのぞき,出席議員の絶対多数で議決する」,同 3 項の「同数の場合 は否決されたものとする」を合わせた内容に等しい。遡れば 1923 年憲法 99 ∼ 100 条にも 同様の規定があり,過去憲法において連綿と受け継がれてきた原則である。 〈関係条項〉 「すべて議決は,投票の過半数によって,これを行う。ただし,選挙および推薦に関して, 議院規則で定める特例は,このかぎりでない。 可否同数のときは,審議中の提案は,否決されたものとする。 両議院は,それぞれの議員の過半数の出席がなければ,議決をすることができない。」 (1831: 38,清宮 1976: 75–76)

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第 97 条〔各議院の議長の選出・再選〕 各議院は,最初の年次通常会の初会議において,その選挙された議員の中から議長および 副議長二人を選任する。その任期は,代議院は立法期の期間,諮問院は立法期の半期とする。 これらの一人が欠けた場合,その議院は前任者の任期末までこれを担う者を選任する。 あらゆる場合において,両議院のいずれの総議員の 3 分の 1 は,年次通常会の初会議にお いて,議長および副議長二人のいずれの改選の実施を要求することができる。 〈解説〉 第 97 条は,両議院の議長・副議長の選出方法を定める。議長・副議長の選出時期と方法 を定める第 1 項,任期途中の再選要求を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 103 条に人民 議会の議長選出が定められているが,第 2 項にあたる規定がないため,「変化」の条項である。

第 1 項 で は, 各 議 院 で,「そ の 選 挙 さ れ た 議 員 の 中 か ら」min bayna a‘ḍā’-hi al-muntakhabīn,議長一人,副議長二人が選任されることが定められる。本憲法では,上院の 諮問院に民選議員の「10 分の 1」を超えない任命議員が認められるが(第 128 条),これら の者が含まれないことを意味する。「3 分の 2」の任命議員を有した 1980 年改正の諮問評議 会になかった新規定である。議長・副議長の選出における議員の互選は,1954 年憲法案 66 条以来の慣行であるが,1923 年憲法および 1930 年憲法では,上院議長の選出は国王の権限 であった(1923 年憲法 80 条では副議長は上院議員により選出されたが,この規定は 1930 年憲法 78 条の中から削除された)。 議長・副議長の任期は,各議院で異なり,代議院では「立法期の期間」al-faṣl al-tashrī‘ī, 諮問院では「立法期の半期」niṣf al-faṣl al-tashrī‘ī とされる。本憲法での代議院の立法期は 5 年(第 114 条),諮問院は 6 年(第 130 条)であるので,それぞれ 5 年と 3 年に相当する。 1980 年改正 199 条では,諮問評議会の議長・副議長の任期は 3 年とされたが,人民議会に ついては 1971 年憲法 103 条で,「年次通常会の初会議において,その会期につき」fī awwal ijtimā‘ li-dawr al-in‘iqād al-sanawī al-‘ādī li-hādhā al-dawr,すなわち毎年の選出と定めら れていた。1964 年憲法 59 条では,「国民議会の任期の終わりまで」ilā nihāya mudda maj-lis al-umma として,本条と同じく立法期が示唆され,1956 年憲法 79 条では,「翌年の年次 通常会期の開始まで」ilā bad’ al-dawr al-sanawī al-‘ādī al-tālī として 1 年とされた。1954 年 憲法案 66 条では,本憲法と同じく,下院は立法期(5 年),上院は半期(10 年の半分で 5 年) とされた。1923 年憲法では,上院 2 年,下院 1 年と明記されていた。これらと比較すれば, 本憲法の議長・副議長の任期は長い方といえる。 第 1 項末尾には,任期中に議長・副議長に欠員が生じた場合の対応が規定される。内容 的には,1971 年憲法 103 条と同じく,新任者が前任者の任期を引き継ぐことが定められる。 この規定は,1954 年憲法案 66 条以来ほとんど変わりがない。

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第 2 項では,「あらゆる場合において」fī jamī‘ al-aḥwāl,上記の任期の途上における,議 長もしくは副議長の「改選」intikhābāt jadīda の要求を,毎年の初会議において行うことが できると定められる。これには「各議院の総議員の 3 分の 1」の要求が必要とされる。議長・ 副議長の長期化を防ぐ新規定であり,1971 年憲法および過去憲法のいずれにもないもので ある。 〈関係条項〉 「各議院は,各会期ごとにその議長,副議長を選任し,その事務局を組織する。」(1831: 37, 清宮 1976: 75) 第 98 条〔議長の代行〕 代議院議長もしくは諮問院議長が大統領の職務を臨時に行うとき,その議院の副議長二人 の内,年長者がその期間の議長を務める。

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〈解説〉

第 98 条は,両議院のいずれかの議長が大統領を代行する際の議長代行の選出方法を定め る。1971 年憲法および過去憲法のいずれにもない,「新規」の条項である。

本条では,両議院のいずれかの議長が「臨時に」bi-ṣifa muwaqqata 大統領の職務を行う とき,その議長の職務をその議院の「副議長二人の内の年長者」akbar al-wakīlayn sinnan が務めることが定められる。大統領職の代行については,本憲法 153 条において,一時的 な不能であれば内閣総理大臣が代行し,辞職や死亡等を理由とする欠缺の場合には,新大統 領の選挙までの間,代議院議長,もしくは代議院の解散中の場合は諮問院議長が代行を務め ると定められている。新大統領選挙は「90 日以内」と期限が区切られているので,両議院 のいずれかの議長による代行は最大でも 3 ヶ月程度にかぎられる。 〈関係条項〉 なし 第 99 条〔議院規則の制定〕 各議院は,各々,その職務およびその権限の行使の方法を組織するための内部規則を定め る。この内部規則は官報に掲載される。 〈解説〉 第 99 条は,「議会内規」を定める。官報掲載の新規定が加えられたが,内容的には 1971 年憲法 104 条を踏襲した,「維持」の条項である。 本条では,「各議院」が,それぞれの「内部規則」lā’iḥat-hu al-dākhiliyya を制定する権 限が定められる。全体的な表現や構成は 1971 年憲法 104 条と同様であるが,「規則」の語 に「内部」が加えられた。ただし,この「内部」の語がなかったのは 1971 年憲法 104 条 だけで,1923 年憲法 119 条から 1964 年憲法 60 条まではすべて「内部規則」とされてき た。また,内部規則の語には,「その職務およびその権限の行使の方法を組織するための」 li-tanẓīm al-‘amal fī-hi wa-kayfiyya mumārasa ikhtiṣāṣāt-hi という説明が付くが,「権限」 ikhtiṣāṣāt の語が「職権」waẓā’if から変わった以外は,1971 年憲法 104 条と同様である。 1971 年憲法 104 条の表現は,1964 年憲法 60 条の「その職務の遂行の方法を組織するための」 li-tanẓīm kayfiyya adā’-hi li-a‘māl-hi をやや詳しくしたものであった。

末尾の一文では,議会内規が官報に掲載されることが強調される。 〈関係条項〉

(25)

「各議院は,その院の規則で,その権限を行使する方式を定めることができる。」(1831: 46, 清宮 1976: 77) 第 100 条〔議院の内部警察権,軍隊駐留の禁止〕 各議院は,その内部秩序の維持を管轄する。議長がこれを司る。 いかなる軍隊も,議長からの要求がないかぎり,両議院のいずれに進入すること,もしく はその近隣に駐留することができない。 〈解説〉 第 100 条は,議会の「内部警察権」を定める。議長による権限行使を定める第 1 項,議 長の要求によらない議院内の軍隊進駐の禁止を定める第 2 項からなる。1971 年憲法 105 条 に追加項目を加えた,「変化」の条項である。

第 1 項では,各議院が,「その内部の秩序の維持」al-muḥāfaẓa ‘alā al-niẓām dākhila-hu を管轄する権限が定められる。1971 年憲法 105 条と同様の表現だが,文章構成が,「人民 議会には∼がある」li-majlis al-sha‘b ~ から「各議院は∼を管轄する」yakhtaṣṣu kull majlis bi~ に変更されている。議院を主語とする分,より積極的に権限を定めているといえるかも しれない。この権限の保有者が議長である点には,変わりはない。

第 2 項では,「いかなる軍隊」li-ayy quwwa musallaḥa についても,議長の要求がないか ぎり,議院内に「進入」al-dukhūl し,「駐留」al-wujūd することができないとされる。憲法上, エジプト国軍は「軍隊」al-quwwāt al-musallaḥa と呼ばれるが,文字通りには「その武装さ れた諸勢力」を意味する。本条で述べられる「いかなる軍隊」も,直訳すれば「いかなる武 装された勢力」のことで,広義の軍隊として,公的もしくは私的な武装勢力や部隊・組織な どを含む言葉と考えられる。 これらの武装勢力には,「両議院のいずれに進入すること」もしくは「その近隣に駐留す ること」が禁じられる。「進入」dukhūl の禁止が議事堂だけを対象にするのか,敷地全体 を意味するのか,「その近隣での駐留」al-wujūd ‘alā maqraba min-hu がどのあたりまでを 含むのかは,表現上明確ではない。過去憲法の中では,1956 年憲法 87 条に参考になる規定 があり,「いかなる軍隊も,議長からの要求がないかぎり,議会への進入ができず,議会門 扉の周辺に駐留することができない」と表現されていた。「議会への進入」dukhūl fī al-majlis が議事堂と敷地全体のいずれを指すのかは判断が難しいが,少なくとも「駐留」は, 議会の「門扉」abwāb に関わる行為として,敷地についての規定であると考えられる。 〈関係条項〉

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第 101 条〔法律発案権,法案の委員会審議,議員立法手続〕 大統領,政府および代議院の各議員は,法律の発案権を有する。 すべての法律案は,代議院の専門委員会に付託され,そこで審査され,これについての決 定が議院に送付される。 議員個人により提出された法律案は,法案特別委員会が許諾し,議院が承認しないかぎり, 専門委員会に付託されない。法案特別委員会が法律案を拒否した場合,その決定には理由が 付されなければならない。 議員が提出し,議院が拒否したすべての法律案は,同一会期中の再提出を認めない。 〈解説〉 第 101 条は,議会の法律発案権,委員会を中心とした法案審議過程を定める。法律発案 権を定める第 1 項,専門委員会による審議規定を定める第 2 項,議員立法法案の手続を定め る第 3 項,議員立法法案の同一会期中の再提出の禁止を定める第 4 項からなる。1971 年憲 法 109,110,111 条を統合し,重要な追加項目がある,「変化」の条項である。 第 1 項では,「法律の発案」iqtirāḥ al-qawānīn が,大統領,政府および代議院の各議員に 認められる。1971 年憲法 109 条に同内容が見られるが,1971 年憲法では「権利」ḥaqq と 明記されたのに対し,本条ではこの語は削られ,「∼には…がある」li-~ … の構文が用いら れている。また,従来「大統領および人民議会の各議員」が対象であったのに対し,本条か ら新たに「政府」al-ḥukūma が加えられた。議会に関しては,法律発案権が認められるのは 下院の「代議院」のみで,上院の「諮問院」には,次条以降に記される法律案の審議・決議 権が認められる。二院制の 1923 年憲法や 1954 年憲法案では,両議院に法律発案権が認め られていたが,税制に関する法律は下院の専権とされていた。 法律発案権者について,1956 年憲法から 1964 年憲法までは「大統領は法律発案権を有す る」との条項はあったが,議員に関して同様の規定が存在していなかった。ただし,たとえ ば 1964 年憲法の第 67 条「議員個人が提案したすべての法律案は」のように,議員の法律 発案権がまったく認められていなかったわけではない。むしろ,「立法権」の章の冒頭第 47 条「国民議会こそが立法権を行使する機構である」との規定により,議員の法律発案権を自 明視されていたといえるだろう。本条では,議員を含めた法律発案権者がすべて明記されて いる。

(27)

第 2 項では,すべての法律案は,代議院の「専門委員会」al-lajna al-naw‘iyya に付託され, そこで「審査され,これに関わる決定が議院に送付される」li-faḥṣ-hi wa-taqdīm taqrīr ‘an-hu。1971 年憲法 110 条とほぼ同内容であるが,同条では「専門委員会」ではなく,「議会の 委員会の一つ」iḥdā lijān al-majlis に送られることになっていた。これは 1923 年憲法以来 の表現であったが,本条から所定の「専門委員会」に送られることになった。 ここで用いられる「審査」faḥṣ の語は,次条以降の「議決」iqrār とは,指示内容が異な ると考えられる。それを明確に表すのが,1923 年憲法 102 条で,「すべての法律案は,その 審議の前に,議会委員会の一つに付託される。その審査を経て,これに関わる決定が議会に 付される」と述べられた。「その審議の前に」qabla munāqashat-hi と挿入されたように,「審 査」は法律案の審議の前段階として,委員会において妥当性が確認される手続を示す。

第 3 項では,「議員個人により提出された法律案」al-iqtirāḥ bi-qānūn al-muqaddam min aḥd al-a‘ḍā’ が前項の「専門委員会」に付託されるための条件として,「法案特別委員会」al-lajna al-mukhtaṣṣa bi-muqtaraḥāt による許諾と,議院の承認が定められる。「法案特別委 員会」の存在は 1971 年憲法 110 条にも示唆されていたが,このときは単に「(一つの)特 別委員会」lajna khāṣṣa と呼ばれていた。 第 3 項の後半に付された「法律案が拒否された場合,その決定に理由を付す」との一文は, 1971 年憲法 110 条にはない規定である。その前の 1964 年憲法 67 条では,「もし議会が妥当 性を認める場合は,前条〔委員会への付託〕の規定に従う」として,可決された場合の規定 のみが述べられていた。 第 4 項では,前項の議員提出法案について,委員会を含め,議院で拒否された場合につい て,「同一会期中」fī dawr al-in‘iqād nafs-hi の再提出ができないことが定められる。これは 1971 年憲法 111 条と同内容で,過去憲法の多くにも含まれている。

〈関係条項〉

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第 102 条〔両議院による法案可決・修正〕 代議院および諮問院のいずれにおいても,法律案は,これについての表決の後でなければ, 議決することができない。 両議院は,条項の修正および分割の権利を有する。修正案は,両議院に提示される。 一つの議院が可決したすべての法律案は,他の議院へ送付される。その議院は,60 日を 超えて議決を遅らせることができない。ただし,休会はこれに含めない。法律案は,両議院 が可決しないかぎり,法律とならない。 〈解説〉 第 102 条は,議会における法律案の議決を定める。議院審議の必要性を定める第 1 項, 両議院に条項の修正および分割を認める第 2 項,両議院における法律案の可決の必要性を述 べる第 3 項からなる。1971 年憲法には相当する規定がないため,「新規」の条項である。 第 1 項では,「法律案の議決」iqrār mashrū‘ qānūn は,必ず「これについての表決の後」 ba‘da akhdh al-ra’y ‘alay-hi と定められる。1971 年憲法にはない規定だが,1964 年憲法以 前には多くの関係条項が見られ,そこでは「逐条的に」mādda mādda など細かく規定され ていた。

第 2 項では,法律案の条項の「修正」al-ta‘dīl と「分割」al-tajzi’a の「権利」ḥaqq が両議 院にあることが定められる。これも 1971 年憲法にないが,1954 年憲法案以前には,前項に 相当する規定の末尾に付されていた。なお,前条の解説で述べた通り,上院の諮問院に法律 発案権はないが,法律案の修正・分割権は等しく認められている。 第 3 項では,一つの議院から他への法律案の送付と両議院の可決による法律制定の原則が 定められる。この規定も 1971 年憲法にない。前半の「一つの議院で可決された法律案は他 の議院へ送付される」との表現は,1954 年憲法案 80 条および 1923 年憲法 105 条に前例が あり,後半の「両議院で可決しないかぎり,法律とならない」との表現は,1954 年憲法案 80 条のみに見られる。これら二文の間にある「その議院は 60 日を超えて議決を遅らせるこ とができない」,「休会はこれに含めない」などの規定は,本条から新たに加えられたもので ある。 〈関係条項〉

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「法律案については,いずれの院においても,各条ごとに採決した後でなければ,全体につ いて表決することができない。」(1831: 41,清宮 1976: 76) 「両議院は,提案された条項案および修正案を修正し,および分割する権利を有する。」(1831: 42,清宮 1976: 76) 第 103 条〔両院合同委員会の設置,代議院最終議決権〕 両議院の間に立法上の不一致が生じた場合,20 人の議員からなる合同委員会が設置され る。各議院は,半数ずつ,その総務委員会の推薦にもとづき,その議員の中から委員を選任 する。合同委員会は,不一致のある条項の表現について提案を行う。 この提案は各議院に提示される。両議院のいずれかがこれに合意しなかった場合,この案 件は代議院に提示される。代議院がその総議員の過半数により議決した決定を最終決議とする。 〈解説〉 第 103 条は,両議院の間に立法上の不一致が生じた場合の「両院協議会」について定める。 その設置と構成を定める第 1 項,協議案の提出とその後の手続を定める第 2 項からなる。一 院制議会であった 1971 年憲法には存在しない,「新規」の条項である。 第 1 項では,両議院の間に「立法上の不一致」khilāf tashrī‘ī が生じた場合に,合同協議 するための場として,各議院 10 人ずつ,合計 20 人の議員からなる「両院協議会/合同委 員会」lajna mushtaraka の設置が定められる。二院制を前提とする制度であるが,1980 年 改正では加えられなかった。類似するものとして,1954 年憲法案 81 条および 1923 年憲法 120–123 条に規定された「会議機構」hay’a al-mu’tamar と呼ばれたものがある。たとえば, 1923 年憲法では,会議機構は「国王が召集し」(120 条),「上院議長が議長を務め」(121 条), 「協議案の議決には絶対過半数を要する」(122 条)ものと定められていた。 第 2 項では,この合同協議によっても合意が得られなかった場合の代議院への付託とその 最終決議権が認められる。下院である代議院の優越は,本憲法全体の特徴であり,1923 年 憲法にはなかったものである。

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〈関係条項〉 第 104 条〔大統領による法律の公布・反対〕 代議院は,可決したすべての法律を大統領に通知する。大統領は,その送付の日から 15 日以内にこれを公布する。大統領はこれに反対する場合,前述の日から 30 日以内に,代議 院に返付する。 大統領がこの期日内に返付しなかった場合,もしくは代議院が総議員の 3 分の 2 の多数に より再可決した場合,それは法律となり,公布される。 代議院が可決しなかった場合,その議決の日から 4 ヶ月が経過するまで,同一会期中に同 一法律案を提出することができない。 〈解説〉 第 104 条は,議会により可決された法律について,大統領が公布もしくは反対する権限に ついて定める。大統領による法律の公布もしくは反対の期限を定める第 1 項,大統領による 法律の返付期限を定める第 2 項,返付後の手続を定める第 3 項からなる。1971 年憲法 112, 113 条を元とするが,文章構成や期限などに多くの変更点がある,「変化」の条項である。 第 1 項では,法律発案権および最終決議権を有する「代議院」を主語として,代議院が可 決したすべての法律が大統領に通知されることが定められる。法律の「送付」irsāl を受けた 大統領は,そのままこれを公布する,もしくは反対して再審議を求めることのいずれかを行 うことができる。1971 年憲法 112 条では,「大統領」を主語として,大統領には「法律の公 布もしくは反対の権利」ḥaqq iṣdār al-qawānīn aw al-i‘tirāḍ ‘alay-hā があると定められてい た。大統領を主体とした規定は,1923 年憲法 34 条の「国王」を主体とした「国王は法律を 承認し,これを公布する」との規定に由来し,過去憲法に受け継がれてきた。この伝統に対 し,本条では,大統領の法律の公布権を認めつつ,議会を主体とした構成に変えている。 大統領による公布・反対には,それぞれ期限が設けられ,公布の場合は「15 日以内」に行 い,反対の場合は「30 日以内」に代議院に法律を返付すると定められる。1971 年憲法 113 条 では,「大統領は,人民議会が可決した法律に反対する場合,その通知の日から 30 日以内に これを返付する」として,反対の場合の「30 日以内」の期限は共通する。これはその他の過

(32)

去憲法でも同じで,1923 年憲法だけ「1 ヶ月」と表記した。他方,公布の期限である「15 日以内」は,これまでにない新規定である。 第 2 項では,「反対」の場合に続く過程として,二つの状況が想定される。一つは,「大 統領が上述の期日内に返付しなかった場合」で,大統領が反対の意思を表明したが,結果的 に返付の手続を行わなかった場合を意味する。もう一つは,「代議院が総議員の 3 分の 2 の 多数により再可決した場合」で,審議を差し戻された代議院が再度議決をとり,法律とし て可決された場合を意味する。これら二つの状況において,問題の法律は,「法律となり」 istaqarra qānūnan,大統領によらずに「公布される」ことになる。これは 1971 年憲法 113 条に同様の規定があり,1923 年憲法 35 条から(1954 年憲法案をのぞき)受け継がれてき たものであった。 第 3 項では,前項の二つの状況の内,「代議院が再可決しなかった場合」として,その法 律案は「議決の日から 4 ヶ月が経過するまで」「同一会期中に再提出できない」ことが定め られる。この規定は 1971 年憲法になく,新たに加えられたものである。「同一会期中に再 提出できない」との表現は,本憲法 101 条 4 項の「議員提出法案は議院が拒否した場合, 同一会期中に再提出できない」と似る。ただし,本条では,議決から 4 ヶ月が過ぎれば,同 一会期中でも再審議できるため,若干制限が緩められている。 〈関係条項〉

(33)

「国王は,法律を裁可し,これを公布する。」(1831: 69,清宮 1976: 88) 第 105 条〔議員から政府への提案権〕 両議院の議員はいずれも,公的案件についての要請の提案を,内閣総理大臣,副総理もし くは大臣に対して表明することができる。 〈解説〉 第 105 条は,議員から政府に対する提案権を定める。1971 年憲法 130 条を元として若干 の表現の違いがあるが,内容の大枠は変わらない,「維持」の条項である。

本条では,「公的案件についての要請の提案の表明」ibdā’ iqtirāḥ bi-raghba fī mawḍū‘ ‘āmm が,両議院の議員に認められることが定められる。この提案の提出先は,「内閣総理 大臣,副総理もしくは大臣」,すなわち「政府」al-ḥukūma の構成員すべて(本憲法 155 条) である。1971 年 130 条では,「希望を述べる」ibdā’ raghba という慣用句を用いて,「公的 案件についての希望の表明」ibdā’ raghbāt fī mawḍū‘āt ‘āmma と述べられたが,本条では 「提案」iqtirāḥ が加えられている。この規定の原型となったのは,1956 年憲法 92 条の「国 民議会は,政府に対し,公的問題についての提案もしくは希望の表明ができる」li-majlis al-umma ibdā’ raghbāt aw iqtiraḥāt li-l-ḥukūma fī al-masā’il al-‘āmma であろう。

〈関係条項〉

第 106 条〔議員から政府へ政策説明の要求〕

代議院議員の少なくとも 20 人,もしくは諮問院議員の少なくとも 10 人は,公的問題の 審議を要求し,これに関わる政府政策の説明要求を行うことができる。

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〈解説〉

第 106 条は,議員から政府への説明責任の要求を定める。二院制への変更に伴う追加文 言があるが,大枠は 1971 年憲法 129 条を元とする,「維持」の条項である。

本条では,一定数の議員に対し,「公的問題を審議し,政府政策の説明要求を行う」 munāqasha mawḍū‘ ‘āmm li-istīḍāḥ siyāsa al-ḥukūma bi-sha’n-hi 権限が定められる。1971 年憲法 129 条では,同様の言葉遣いで,「公的問題を提起し,これに関わる政府政策の説 明要求の議論を求める」ṭarḥ mawḍū‘ ‘āmm li-l-munāqasha li-istīḍāḥ siyāsa al-wizāra bi-sha’n-hi と表現されていた。1964 年憲法 87 条までは,同様の規定の末尾に,「意見を交換 すること」tabādul al-ra’y fī-hi として議員と政府閣僚の対話を示す表現が付されていたが, 1971 年憲法から削除され,議員から政府閣僚に対する一方的な説明責任の要求権を示すよ うになった。 この要求に必要な議員数は,本条では,代議院議員の「20 人」もしくは諮問院議員の「10 人」と定められている。過去憲法においては,1971 年憲法 129 条では人民議会議員の「20 人」, 1964 年憲法 87 条では国民議会議員の「20 人」,1956 年憲法 91 条では国民議会議員「10 人」 など,10 人か 20 人のいずれであった。本憲法では両議院の間に差がつけられている。 〈関係条項〉 第 107 条〔議員の知る権利〕 代議院もしくは諮問院のすべての議員は,議院における職務の遂行に関係するいかなる声 明もしくは情報の入手の権利を有する。ただし,本憲法の第 47 条の規定を遵守するものと する。 〈解説〉 第 107 条は,議会議員の情報を得る権利を定める。1980 年改正 210 条の「ジャーナリス トの知る権利」と内容的に近いが,「新規」の条項である。 本条では,両議院の議員に対し,議員としての職務の遂行に関係する「いかなる声明もし

参照

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