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カリスマ化についての一考察 : カリスマ・スティグマ・マージナリティー

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(1)

カ リスマ化 についての一考察

―― カ リスマ・ ステ ィグマ 。マー ジナ リテ ィーー

國 歳 員 臣 (昭和62年5月30日受理) (― ) 現代 ドイツの ウェーバー研究者 A・ ツィンゲル レは

,歴

史社会学 に視点 を置いてな されたウェー バーの影響 と受容の研究書において

,カ

リスマ論 について次のように指摘 している。 カリスマ論 ぐらい紋切 り型の幅広い影響力をもったものは

,ウ

ェーバーの非方法論的な著作 の諸論題のなかではあまり見当らない。ただ「プロテスタンティズム命題」 と官僚制類型だ けがカ リスマ論 と同 じ傾向をもっているに過ぎないよ) たしかに今日私たちはじつに多 くのカリスマに関する研究を見ることができる。ツインゲルレは, その受容の方向を次の三つの方向にまとめている。①ウェーバーの試みの枠内で

,カ

リスマ構図の 内的分化の方向でなされる場合

,②

この枠を越 えて

,構

造一機能主義的構想 とカ リスマ構図の

,社

会の制度化問題 を中心に据えての統合の方向に拡張・ 限定する試みとして

,ウ

ェーバー と対照をな す方向でなされる場合

,③

カ リスマ文献の誤った解釈 とその選択性の偏 りからくるウェーバー理論 の枠組みからの分離 という方向でなされる場合,の 二つである

Pま

たW・ リップは

,今

迄のカリスマ 論は

,理

論的なものであれ

,ウ

ェーバーのカリスマ論をそのまま素直に踏襲 しているか

,

もしくは それに対 して方法的な確固たる基礎を提示 しないで批判を加えるにとどまっていると指摘 している。 いずれにしろ

,私

自身にとっては

,カ

リスマの形成過程が最大の関心事であり

,こ

の点 を検討 した 研究は数少いといえる。その意味で

,カ

リスマの生成過程そのものを分析 したW・ リップの研究は, 私にとって非常に興味深いものである。 特にリップが,こ れ までのカ リスマの創造的源泉を「人格」または「社会」に帰する三分法的捉え 方を「両極的思考モデル」bip01aren Denkmodellと して批判 し

,そ

れに代わるもの として提示 した 「三極的思考モデル」tripolaren Denkmodellは注 目に値するもの といえる。た しかに後述のように, この概念はJ・カッッやE・ゴッフマンの考え方に影響されて提出されたことは明白であるが

p「

(2)

108

図 歳 己 ステ ィグマ化 J Selbststistlatisierungと い う概 念 に よ り

,ス

テ ィグマ とカ リスマの意 味転換 を示 唆 した カ リスマ形成論 は これか らのカ リスマ論 に多大 の影響 を与 える もの と思わ れ る。 そ こで この 小稿 において

,そ

の もつ意味 お よび問題 点 を検 討 してみた い。 (二) M・ウェーバーのカ リスマ概念において特 に注 目をひ くのは

,次

の二 つの側面であ る。すなわち, 一つは

,カ

リスマが

,個

人の非 日常的資質である とい うその本質において伝統 に対 する革命力であ りなが ら

,

しか も遅かれ早かれ 日常化 してい く運命 にある点であ り

,も

う一つは

,そ

のカ リスマが 不可欠の要件 として確証

,証

しBetatigungを 必要 とす る点である解特 に

,前

者の非 日常的関係性 こ そウェーバーのカ リスマ概念の特性であるといえる。 「カ リスマ

Jと

,非

日常的な もの とみなされた (元来 は

,予

言者 にあって も

,医

術師にあ って も

,法

の賢者にあって も

,狩

猟の指導者 にあって も

,軍

事英雄 にあって も

,呪

術的条件 にもとづ くもの とみなされた)。 ある人物 の資質 をい う。この資質の故 に

,彼

,超

自然的 ま たは超人間的 または少な くとも特殊非 日常的な

,誰

で もが もちうるとはいえないような力や 性質 を恵 まれていると評価 され

,あ

るいは神か ら遣わされた もの として

,あ

るいは模範的 と して

,ま

たそれ故に「指導者」 として評価 され ることになる。当該の資質が

,何

らかの倫理 的・美的 またはその他の観点か らするとき,「客観的に」正 しい と評価 され るであろ うかどう かは

,い

うまで もな く

,こ

の場合

,概

念 に とっては全 くどうで もよい ことである。 その資質 が

,カ

リスマ的被支配者

,す

なわち「帰依者」 によって事実上 どのように評価 され るか

,

と いうことだけが問題 なのである伊 ウエーバーのカ リスマ概念 は

,こ

の文章 に集約 されている。特 に注 目され るのは

,次

の二点であ る。先づ第一点 は

,カ

リスマ とは

,あ

る人物 に宿 っている とみなされる特殊 な非 日常的な資質 をさ す概念であるとい うこと。 そして第二点 は

,ウ

ェーバーに とって問題であったのは

,カ

リスマ資質 の客観的正当性評価ではな く

,そ

の資質の帰依者 による事実上の評価であった とい う点 である。特 に第二点が重要である。G・ アブラモフスキー も述べているごとく

,カ

リスマ的権威 はカ リスマ保 持者の異常な「非 日常的な」性質にたいする信仰 と

,カ

リスマ保持者 によって啓示 され るか権威 的 に創造 された,宗教的,政治的,社会的な秩序 にたいす る信仰に基づいているといえる

Pそ

れゆえに, 真正 カ リスマの本質的前提 として

,ウ

ェーバーが

,カ

リスマが絶 えず「証明 され

,承

認 され

J,帰

依 者に救済 と成果 とをもた らされねばな らない とい う主張 を行 ったことは当然 といえる。 リップは, 巨

(3)

カ リスマ化 についての一考察

lo9

このカ リスマ支配 にお けるカ リスマの証明 と承認 とい う相関関係 について言及 し,「カ リスマは道徳 的な

,も

ともと文化現象 として作用するもの」 とみている。そして

,こ

の ことはまた

,ウ

ェーバー のカ リスマ概念 は

,一

定の社会関係 を表わす「関係概念」であることを示 している。つ ま り

,カ

リ スマの資質 をもった人物がいかなる社会関係のなかか ら出現 し

,同

時 に帰依者がいかに してカ リス マを承認 してい くのか という関係性が問題 とされねばならない。 そして

,こ

の点 についての検討が リップによって試み られた といえる。すなわち

,カ

リスマ とは「人格

Jに

よ り多 く依存す るのか, あるいは「社会」にその創造的源泉 をよう多 く負 うているのか

,と

い うような相互排除的関係性(リ ップは

,こ

れ を「両極的思考モデル」として批判 してい る

)の

否定である。端的に言 えば

,

このよ うな考 え方に欠如 していた ものは,カ リスマ形成 を社会 との相互作用のなかか ら捉 える視点 である。 この ことは

,カ

リスマ というものが社会 において どの程度周縁的な存在であるのか

,あ

るいはどの 程度 まで中心的構成要因であるのか

,

といった ことがウェーバー理論 それ自体 にあい まいであるこ とに由来するといえる。 この点 を

,

リップは「非 日常性」AttFeralltaglichkeitの 規定 を検討 し

,支

配力 と特性 とい う中心性:Zentralitatの規定 に矛盾す る点 を考察 し

,次

のように指摘 している。 カ リスマ的支配 は

,

もはや中心にはな く

,周

辺 に

,そ

れ どころか社会的事象の外側 にある。 心理学的にみ ると

,カ

リスマ的地位 につけるのは

,…

…アウ トサイダーである。……カ リス マは結局

,た

だ単 に「非 日常的な もの

Jと

してだけでな く

,同

時 に,「この世界 の中で

J,こ

の世界の内奥の核 の中で効果 を示 し

,そ

して この世界 を「内部か ら」価値関係 お よび意味関 係 において粉砕 しなければならない。 カ リスマは破壊すべ きであ り

,ル

ー トにのった出来事 を こわ し

,そ

して新 しい秩序を同時 に創造 しなければな らない

p

それゆえに社会 に とって

,カ

リスマ的人間 は大 きな脅威 であ り危険な存在で もあるし

,カ

リスマ的 人 間がた とえカ リスマの承認 を獲得 した として も

,や

は り社会 に とって逸脱者 とい うレッテルやス テ ィグマを付与 され ることになるのである。 (三) リップのカ リスマ論の特徴 は

,先

述の ように

,彼

が提起 した逸脱社会学 とシンボ リック相互作用 論 に基づ く「三極的思考モデル」である。 その主要な論点 をみてみよう。 リップによると

,カ

リスマ的生成過程 は

,行

動力学的観点か らみると

,ま

ず社会的起点か ら動 き 出 し (第一極

),次

にカ リスマ的人間 と帰依者 を成立 させ (第二極

),そ

して最終状態の方向へ向っ てゆ く(第二極)と している。そして

,こ

の三極 の相互関係 について

,次

のように意味づ けている。

(4)

110

國 歳 すなわち

,カ

リスマ過程の第一極 としての社会的起点 は

,社

会構造関係 に基づいて社会的周縁 にあ り

,第

二極の最終到達点 は社会的中心領域 にあることになる。そして

,第

二極 は第一極 を第二極 に 結びつける媒介作用 として位置づ けられ

,こ

れ こそ リップの指摘する「象徴的起源の段階」であ り, 同時 に「文化的奥義の段階」であ り

,こ

こにカ リスマ化過程の成立がある としている。 さらに

,

リップのカ リスマ論の特徴は

,こ

の三極 的思考 モデルを設定 し

,逸

脱行為がカ リスマ化 され る過程 を分析・提出 した点 にある。すなわち

,

リップによれば

,こ

のモデルに基づ くカ リスマ 化過程 は

,社

会 によって もともと逸脱 した もの としてみな されていた行為形式が

,社

会の中心的行 為に変形 され るター ン・ テーブル として考 えられ るべ きであ り

,そ

の結果

,こ

のダイナ ミズムが社 会構造 に革新的な要素 を生み出す ことになる。彼 は歴史上 そのような例 は数多 く見 られ るとして, 数例 を挙 げている

Pそ

れによれば,たとえば,政治的アジテーションのためにシベ リアヘの流刑 と幾 度かの亡命 を くり返 したす えに権力 を掌握 した レーニ ン

,非

常 に才能 を評価 されていたが

,同

時 に エキセン トリックで興奮 しやすい人間 として敬遠 されて きた英国の首相チャーチルが

,第

二次世界 大戦 とい う非常事態 においてはじめて指導者の地位 につけた例

,さ

らに

,オ

ース トリアか ら流れて きた絵描 きで木賃宿 に くすぶ り

,牢

獄につながれ,「ボヘ ミヤの突貫伍長」とよばれていた ヒッ トラ ー

,等

々。た しかに彼 らの行為 は

,単

に違法な行為 であるのみならず

,一

般 に逸脱 したマージナル な行為である。 そ して重要な ことは

,そ

うした逸脱行為 がある状況の もとでは

,適

切 なカ リスマ的 資質 とみなされ ることになる点である。 このプロセスをよ り詳細 にみてみたい。 まず リップがカ リスマ過程の第一極 と考 えた社会的周縁の社会的起点か ら生 じる行為 は

,社

会 に よって否定的価値づけをなされた行為であ り

,逸

脱 の社会学者(ゴッフマンやホッホマイヤーたち) がスティグマ化 された行為 と呼んだ ものである。すなわち,「否定的属性の受取人」である。 こうし たスティグマを担 った者 は最初か ら正常性か らの逸脱 の徴 を担 った存在であ り

,彼

等 は社会の多数 者によ り迫害 された り責め られた りする。 その結果

,彼

らの自己アイデンティティはきわめて不安 定な ものになる。彼 らは「道徳的資格象」奪」 になやみ

,逃

避の手段 を探 した りす るが

,同

時 に

,彼

らはまた

,こ

のスティグマの意味する否定的価値 を無効 な もの とし

,そ

れ を再解釈 し

,さ

らに再評 価 し

,再

規定 しようとす る。すなわち

,彼

らは,「象徴的操作 によって反対評価COunter― evaluatiOn 一―否定的評価→肯定的評価―― を提出 して くる」ことになる。か くして

,ス

ティグマの担い手 は, この反対評価 によってステ ィグマを積極的に引 き受 け

,自

己の肯定的要素 として提示 し

,ア

イデン ティティを再構成 する。すなわち

,こ

の反対評価 によるスティグマの積極的受容 こそ

,

リップの言 う自己スティグマ化Selbststigmatisierungでぁる。 自己ステ ィグマ化する者たちが

,特

徴的徴すなわちスティグマの引受 けによって全 く新 しい 内容 を

,つ

まり行為が従 うことの出来 る可能性 を提供することが出来 るばか りでな く,.むし 臣

(5)

カ リスマ化 についての一考察 ■1 ろ類型化Typizitatつ ま り行為の必然性 をきわ立たせ ることに応 じて,社会 自体 の規格統一秩 序のための さまざまな関連 を打 ちたてる

P

すなわち

,自

己ステ ィグマ化 は新たな価値 を創造す ることにな り

,

これがカ リスマ化過程の第二 極である。そ して,「自己ステ ィグマ化 は逸脱行為 にあ らわれ るものであるが

,そ

れ以上逸脱意識に よつて強化 された行為の証明である」 ことか ら

,自

己スティグマ化 はカ リスマ化 を導 くという弁証 法的過程が導かれ ることになる。換言すれば

,第

二極 にお ける自己ステ ィグマ化によるカ リスマ化 は

,帰

依者集団の形成 か ら全体社会の運用 に及ぶダイナ ミックな集合行動―カ リスマ運動 を推進す ることになる。 そ して

,カ

リスマ化過程の第二極 においては

,こ

のダイナ ミックなカ リスマ運動に よって社会的周縁部 に置かれていた逸脱行為 その ものが

,社

会の中心 に移行するのである。 結局

,

リップのカ リスマ化過程の提言の中心 となっているのは

,自

己スティグマ化 とい う概念で あ り

,言

い換 えれば

,社

会 によって押 しつけられた「汚名の強制」 を自ら引 き受 けるとい う「汚名 の受容」への移行 によって生 じるスティグマのカ リスマヘの意味転換 を主張 した点に

,

これ までの カ リスマ論 にない斬新 さがあるといえるよい た しかに

,ブ

ライア ン・ ウィル ソンが指摘 しているように

,カ

リスマ概念 に心理学的・病理学的 な異常性 という特性 を主張す ることは,カ リスマの源泉 を個人の人格的特性 に環元す ることにな り, カ リスマ概念の無限定 な拡張 をもた らす疑念 もある。 しか し

,

リップは

,こ

のいわばそれ まで異常 性 を示す と考 えられていたステ ィグマ概念 を,自己スティグマ化 とい う概念 を導入す ることによ り, 単なる個人的特性 ではな く

,一

定の社会関係の中か ら「逸脱偏 向→中心回帰」のダイナ ミズムを理 論化 した といえる。 (四) 大村英昭 は,「スティグマ とカ リスマーー「異端の社会学」を考 えるために一一」において

,カ

リ スマ とスティグマを対称 的に並べる際の困難 さを

,次

の四点か ら指摘 している。先づ第一点 として, 多義的概念 としてのカ リスマに対 し

,ス

ティグマは限定的概念であること

,第

二 に

,カ

リスマはそ れ 自体

,特

異な資質ない し能力 を意味するのに対 し

,ス

ティグマは

,も

とは特異な属性 をひ とび と に識別 させ る一定の徴 (マーク

)の

意であること

,第

二 に

,日

常用語 として見た場合

,カ

リスマは 道徳的にニ ュー トラルなタームであるのに対 し

,ス

テ ィグマは道徳的判断を前提 としてい ること, 第四に,カ リスマが もつ「集合行動」collective behaviOrの含みがスティグマにはない こと,の 以上 四点である。大村 は,こ うした両者の差違 を提示 した後,この両者の相互補強的連関構造 を検討 し, それは

,基

本的 には,「パ ラマウン ト・リア リティ」ない し「 日常性」の もつ両義性

,す

なわち「 自

(6)

112

國 明な世界」 に対す るわれわれ自身の両義的態度 (脱出 と守護

)に

規定 されて生ず るとしてい るより 周知のように

,ス

テ ィグマは

,ア

ーヴィン・ ゴ ッフマンが逸脱行為の分析 に用いた異常性 を表象 する概念である。 ゴッフマ ンによると

,ス

ティグマは「つけている者の特性上の状態 に どこか異常 な ところ

,悪

い ところのあることを人 び とに告知するために考察 された」肉体上 の徴 を表わす言葉 として

,ギ

リシア人 によって用い られた という。 そ してその後

,キ

リス ト教 の時代 になって

,ス

テ ィグマに,「肉体 に現われた聖寵 の徴」と「身体上 の異常な肉体的徴候」とい う二つの隠喩の層が付 加 され

,今

日では

,不

面 目を表わす肉体上の徴 とい うよりむ しろ,「不面 目自体」を言い表わす よう になった と考 えられている!り こうした変遷 をとげたスティグマの構造的前提条件,および概念規定 をは じめて行 ったのがゴッフマンである。 未知 の人が

,わ

れわれの面前 にいる間に

,彼

に適合的 と思われ るカテゴ リー所属の他の人 び とと異っていることを示す属性

,そ

れ も望 ましくない種類の属性―一極 端 な場合 はまった く 悪人 であるとか

,危

険人物 であるとか

,無

能であるとかいう一― をもっていることが立証 さ れ ることもあ り得 る。 このような場合彼 はわれわれの心の中で健全で正常な人か ら汚れた卑 劣 な人 に貶 められる。 この種 の属性がスティグマなのである。 ことに人 の信頼 を失わせ るそ れの働 きが非常 に広汎にわたるときに

,

この種 の属性 はステ ィグマなのである。 この属性 は また

,欠

,短

,ハ

ンディキャップ ともよばれ る。スティグマは

,対

他的な社会的アイデ ンテ ィティと即 自的な社会的アイデンティティの間のある特殊 な乖離 を構成 している伊 このように

,ゴ

ッフマンは

,ス

ティグマを「われわれが期待 していた もの とは違 う望 ましくない 特異性 をもった ものJと規定 し

,ス

ティグマの社会学的特徴 として,「個人が

,わ

れわれの注意 を惹 き

,出

会 った者の顔 をそむけさせ

,他

の属性がわれわれにもつ要請 はそれが あるため無視 されるよ うな

,

しか もそれ さえなければ彼 は問題 な く通常の社会的交渉で受 け入れ られ るはずの一つの性質 をもっている」°こととしている。すなわち,「特定の期待か ら負の方向に逸脱 した」と評価 され る者 に付与 され る概念 と規定 している。 こうした概念規定だけを採用するな らば

,た

しかにステ ィグマ は

,社

会の中心的支配秩序か ら逸脱 しているとレッテルを付与 された ものに見 られ る「異常性」の 概念 ということになる。 しか し

,ゴ

ッフマンは同時 に

,ス

テ ィグマは

,こ

うした「異常性」 とい う 属性 を表わす概念 というよ りむしろ,「関係 を表現する」概念 として捉 えるべ きであることを示唆 し てい る。すなわち,「ある種の者がそれ をもつ とステ ィグマ となる属性 も,用」のタイプの人 には正常 性 を保障す ることがある」 と。つ まリスティグマは「聖痕」 と「汚名」 とを兼ねそなえた両義的概 念であ り

,ス

ティグマイコール負の逸脱

,正

常性 に対 する異常性

,

とい うような単純 な図式で考 え られ るべ きでない ことを示 している。要するに

,大

村がいみ じくも指摘 しているように '° スティグ 臣

(7)

カ リスマ化 についての一考察 ■3 マが負の方向へ と逸脱 している属性 を

,カ

リスマが正の方向に逸脱 している属性 を

,そ

れぞれ指示 するといえども

,そ

の正 。負の方向性 を含 めて

,そ

れ らはひ とび との主観的状況規定 に依存 してい るといえる。 た しかに

,逸

脱 の世界 は

,プ

ラス とマイナスの領域が相倹 って構成 されるといえる。左 の図

-1

人 物 評 価 ` 、 レベ フレ ヽ 胎 動

│レベルィ ―――十一―――――■――一――一 ││テ7条 ?ン

││万

太今

9グ は

,宝

月誠が共同体 の シンボル空 間が有する社会的行動 と人物 との 評価 に関す るカテゴ リーを暫定的 に図式化 した ものであるよωすなわ ち

,タ

テ軸 に行動 レベル

,ヨ

コ軸 に人物評価 レベル を設定 し

,そ

れ にプラスの レイベ リング とマイナ スのレイベ リングを行 い

,そ

の中 間領域 を「常人 の世界」 としてい る。 この図が示 すように

,逸

脱の 世界 と常人 の世界 との関係 は

,ゲ

シュタル ト心理学 のい う「地」 と 「図」の関係 にあ り

,常

人 の世界 が「地Jとな り

,逸

脱 の世界が「図」 図

-1

「 行 動J。「人物

J評

価 の主要 な カテ ゴ リー となる場合 もあれ ば

,そ

の逆 も成 り立 つ とい う。 いずれに して も

,逸

脱の世界 は常人 の世界 を前提 としてのみ存在す るものであろうよつそ して,リ ップが自己スティグマ化 とい う概念 を導入す ること により

,ス

テ ィグマ とカ リスマの互換性 を示 した意義 はここにあるといえる。すなわち

,自

己ス‐テ ィグマ化 によって生 じたカ リスマ化過程の場合 には

,中

心社会 との対立 は個人 によって自発的にな され るのであ り

,既

存の社会秩序 と対立す ることによ り

,日

常的な社会関係性 を欠如 した者 として 付 されていた徴 を逆 に武器に して

,社

会 を変革す ることによ り

,周

縁部か ら中心部 に移行 す るとい える。要す るに

,自

巳スティグマ化するとい う能動的な考 え方 を導入す ることによって

,そ

れ まで 受動的に捉 えられていたスティグマ概念 とカ リスマ概念の意味転換 を示唆 した点に

,

リップの考 え 方の独創性があ り

,核

心があるといえよう。 (五) こ こ まで概 観 した ご と く

,

リ ップ は

,社

会 の 周 縁領 域 か ら中心 領 域 へ の弁 証 法 的転 換 を カ リスマ 化過 程 と して規 定 して い るが

,こ

こに は ヴ ィ ク ター・ ター ナー の 「 コムニ タ ス」 概 念 に よ る影 響 が

(8)

114

國 歳 み られ る。周知 の ように

,タ

ーナーは,「分離―一過渡期――統 合」の三段階によって通過儀礼の構 成 を分析 したファン・ヘネ ップに示唆 されて

,

この概念 を提出 したのである。すなわち,「地位 と身 分の配列」か らなる構造か ら区別 され る社会生活の別 の局面 をコムニタス と名付 け

,

この両者 は社 会生活の経験的に区別 された二つの循環するフェイズであ り

,構

造 は分化 と階層性 を

,コ

ムニタス は未分化 と平等性 を特徴 とする

,対

立す る三原理であるとしたよ0そ して

,コ

ムニタスが「境界性」 「周縁性」および「構造的劣性」 において現われ ること

,さ

らに

,非

日常的な儀礼の時空間 に出現 するものであ り

,社

会構造の規範 と対立 し

,日

常的状態では存在 しえない力の源泉であるとしてい る。上野千鶴子 は

,タ

ーナーの コムニタス概念 には

,カ

オス的なもの とコスモス的な もの とが未分 化に含意 されているとし,「ノモス対 コスモス

+カ

オス」とい う聖俗理論 タイプの中にターナーを位 置づけ

,ウ

ェーバーのカ リスマ論 もこれに属す るとしている。すなわち

,カ

リスマの制度化 をノモ ス と解 し

,カ

リスマは この とき

,ノ

モスを正 当化す る根拠 としてのコスモスの属性 と

,旧

制度 に対 抗す る不定形 な形 としてのカオスの属性 との両方 を もつ もの とし

,そ

の理由 として

,カ

リスマが制 度 と非両立的概念であることを挙 げているよ°したが って,タ ーナーの提起 した コムニタス概念 は, カ リスマに相 当す る概念であるともいえよう。 しか し

,こ

の ことは

,コ

ムニタス化― カ リスマ化 を 意味 してはいない。 た しかに

,コ

ムニタスが生 じる周縁性・境界性 こそ リップのいうカ リスマ化過程の第一極であろ う。そして

,社

会の中心 と周縁の関係 を考慮す る時

,中

心 を安定 させ るための秩序の存在 に とって 周縁の成立が絶対であ り

,そ

の結果 としてステ ィグマ を付与 された逸脱者が

,不

可欠の存在 として 周縁 に位置づ けられ るのである。 そして

,こ

の逸脱 の レッテルを貼 られたスティグマ保持者が

,自

発的に自己ステ ィグマ化することによって

,カ

リスマ化が成立す るといえる。 この周縁領域 か らの 中心回帰 というカ リスマ化過程の成立 こそ

,

リップの主張であ り

,独

創的な点であ り

,

これか らの カ リスマ論 に多大の貢献 をなす といえよう。 しか し

,問

題点がないわ けではない。 こうした考 え方 によって

,カ

リスマ化過程― 自己スティグ マ化過程 という図式は理解出来 るが

,同

時に

,ウ

ェーバーがカ リスマ的支配の成立の条件 として指 摘 していた「カ リスマの証明 と承認」 とい う相関関係 を完全 に説明 しきれているか といえば

,必

ら ず しも十分 ではない。よ り具体 的にいえば

,逸

脱者がマイナスの レッテル を貼 られた ままで終 るか, それ ともカ リスマ者 に変 ってい くかは

,

リップのい う第二極の到達点 にいたるまで最終的には半」断 を下せぬ ことは理解出来 るが

,自

己を逸脱者 として認識 し

,価

値づけを行 った自己スティグマ化が カ リスマ として発現す る条件 についての説明があい まいであるということである。 この ことは

,カ

リスマ性 の受容の問題か もしれない。すなわち

,自

己スティグマ化することによ って生 じたカ リスマ性 を

,周

囲が受容するか どうかによってカ リスマ化 は達成すると考 えられ る。 臣

(9)

カ リスマ化 についての一考察 ■5 「純粋 な」意味 でのカ リスマ的支配なるものの創出は

,常

,外

面的一― とりわけ政治的 ま たは経済的―― な

,あ

るいは内面的精神的―― とりわ け宗教的―― な

,非

通常的な状況

,ま

たは内外両面 にわたる非通常的な状況の所産 であ り

,一

群 のひ とび とに共通 した 。かかる異 常 な事態か ら生 じた興奮 と

,英

雄性―― この英雄性がいかなる内容の ものであるかは間わな い一一 への帰依 とか ら

,成

立す る° 換言するな ら

,精

神的・ 肉体的 。経済的・ 倫理的・ 宗教的 。政治的危機 における「自然的」 指導者 は

,任

命 された官人で もな く

,専

門知識 として習得 し

,対

価 をえて営んでいるところ の一一語の現代 的意味 における一―「職業」の保有者で もな く

,特

殊 な

,(誰

にで も真似がで きる とい うわ けにはいかない という意味で

)超

自然的な もの と考 えられているところの 。肉 体 的お よび精神的素質の所有者であったのであるVn これは

,ウ

ェーバーが

,カ

リスマの出現ない し存立 と

,

これ を支 える基礎 について説明 した もの である。すなわち

,ウ

ェーバーによれば

,カ

リスマは「精神的・ 肉体的 。経済的・倫理的・宗教的・ 政治的」危機か ら生れ ると指摘 していることか ら明白なように

,こ

うした危機 を認識 し

,そ

して自 己スティグマ化 によって形成 された価値 を危機解消の もの とした時

,カ

リスマ性 が受容 され

,そ

の 結果

,ス

テ ィグマが転換 されてカ リスマが形成 され ると考 えるべ きであろう。 そ して この場合

,重

要なことは

,ス

ティグマを付与 され

,マ

イナスの レッテルを貼 られていた逸脱者が

,自

己 と常人の 世界 という枠組 として規定 されていた社会の既成 の拘束力・規範 を

,そ

の危機認識 と同時 に

,問

い 直 し

,社

会の中心的価値 の逆転 を可能 とする時 に

,は

じめて「中心の周縁化」 と「周縁の中心化」 をひき起 こし,〈ステ ィグマ→ カ リスマ〉の意味転換が生 じることになるとい う点である。もちろん,‐ この場合

,二

つの力が衝突す ることになる。すなわち

,既

成の規範・ 価値体 系 を維持す るためにス ティグマ強制 をもって抵抗す る「中心」に位置す る支配者 と

,そ

れに対立す る側 とである。 ここに, 自己・スティグマ化 を媒介 にしたカ リスマ化 をめ ぐっての権力闘争が出現 しうることになる。特 に, このカ リスマに対 す る帰依者達 は

,元

,既

存の社会 においては「周縁」 に位置づ けられ

,マ

イナ スのレッテルを貼 られている者が多 く

,彼

等 は

,ウ

ェーバーの指摘する「内的窮乏」innere Notと 「外的窮乏」auFere Notか らの救済 を求めて

,こ

の危機 に際 しては

,自

らも自己・スティグマ化→ カ リスマ化の運動 に参加 することになる。すなわち

,集

合行為 としての自己・ ステ ィグマ化の出現 である。これがカ リスマ的共同態の中心 となる「情緒的な共同社会関係V分 であ り

,中

心回帰のため の闘争後

,カ

リスマ支配が成立することになる。そして

,こ

のカ リスマ的支配 を支える構造的基礎 として

,こ

のカ リスマ リーダーの側から提供する証 しと

,被

支配者の側でこれを受 けとめての承認 とが必要 とされる。そして,この「証し」

Bewahrungに

よって被支配者からの自由な「承認」

Anerkennung

(10)

116

國 歳 をかちえている限 りにおいて

,カ

リスマはまさしくカ リスマ として妥当 し,「中心化 した周縁」は中 心であ り続 けることになるといえる。 最後 に

,自

己スティグマ化 によって形成 されたカ リスマ性が帰依者によって受容 されない場合を 考 えてみたい。すなわち

,マ

イナスのスティグマ を付与 されている逸脱者が

,そ

の社会の危機 にお いて

,よ

り強化 されたマイナスの レッテルを甘 ん じて受 け

,社

会の周縁部 に自己のアイデンティテ ィを置 きつづける場合である。 この時

,こ

の自己スティグマ化 自体が拒絶 され ることにな り

,マ

ー ジナルな状況に戻 され ることになる。すなわち

,赤

坂憲雄が指摘する「秩序の周縁部 に位置づ けら れたマージナル・マン」になるV9赤坂 は,「内集団の私的 コー ドか ら洩れた

,あ

るいは排斥 された属 性である否定的アイデンティティを具現 している他者」 を

,そ

の社会秩序 に とっての「異人」 と規 定 し

,そ

の異人の第四の種別 として

,マ

ージナル・ マンを位置づけ

,狂

,犯

罪者

,ア

ウ トサイダ ー

,異

教信仰者等々 をあげている乎つ 〈異人〉とは実体概念ではな く

,す

ぐれて関係概念である。〈異人〉表象の場 にあ らわれるも のは

,実

体 としての 〈異人

)で

はな く関係 としての 〈異人〉

,さ

らにいって 〈異人〉としての 関係である。 ある種の社会的な関係の軋み

,

もしくはそこに生 じる影が 〈異人〉である。 関係 としての 〈異人 〉。または 〈異人〉としての関係の考察は

,そ

の社会 を根抵にあってさ さえている隠蔽 された制度 を顕在化 させ ることへ とみちび く。みえざる制度 は

,社

会の内側 か ら異和性

,逸

脱性 をおびた もの を摘出 し

,秩

序のかなたへ と祀 り棄 てることを主たる役割 とする0 この赤坂の文章 には

,二

つの重要な指摘がある。 まず第一に

,異

人 とは

,カ

リスマ概念 と同 じく 「関係概念」である点が指摘 されている。 そ して

,第

二 に

,既

存の社会秩序体制か ら逸脱者 を排除 するもの として制度 を規定 している点である。そして

,こ

の第二の点か ら「マージナル状況

Jを

規 定するな らば

,そ

れは,「社会の内狽l10ゝら異和性・逸脱性 をおびた もの」 として摘出 され,「秩序の かなたへ と祀 り棄て られた」状況 といえるであろう。換言するならば

,マ

ー ジナル状況 は

,社

会の 秩序一価値体系が

,ど

の範囲にまで及ぶのか とい う問題 に関係するといえる。そしてその意味では, マージナ リティを規定するマージンが問題 になるのは

,実

質的には

,そ

れが社会的勢力関係 に転換 された時であ り

,結

果 として自己スティグマ化への転換 を拒絶 されたスティグマが,「差別」を強化 するもの として現実化することになる。 いみ じくも赤坂が指摘するごとくΥ

O社

会秩序 はひ とつの 〈差異〉の体系である。 自己スティグマ 化のカ リスマ化への転換の条件 である危機 とは

,

この 〈差異〉の体系の崩壊 を意味す るといえる。 それゆえに

,自

己ステ ィグマ化 によって形成 されたカ リスマ性が帰依者 によって受容 されない時, 臣

(11)

カ リスマ化 についての一考察

117

この 〈差異〉の体系 を更新することが秩序 によって求め られ ることにな り

,そ

の時,「差別の強化」

,結

果 として進行するといえる。 こうした「ステ ィグマ→カ リスマ」,「ステ ィグマ→差別」 とい

う関係 を検討す ることによって

,社

会の現実の支配構成分析の可能性が与 えられ る といえる。

(1) ArnOld Zingerle;ふ/1axヽVebers historische Soziologie:Aspekte und [aterialien zur Wirkungsgeschichte,

│ヽrissenschafthche Buchgesellschaft, Darmstadt, 1981,S 130

(2)ArnOld Zingerie i a a O,S 137∼ 145

13)W・ リップの「 自己ステ ィグマ化」概念 に影響 を与 えたのは,次の二論文である。

」。Katz;Deviance,Charisma and Rule― defined Behavior,in“ SociaI Problems"20, 1972

E Goffmani Stigma:Notes on the Management Of Spoiled ldentity,Prentice―Ha■, 1963

14)安藤英治 『マ ックス・ ウェーバー研究』未来社,1965,p273

(5) Max Weber i Wirtschaft und Gesellschaft, Grundriss der verstehenden SOziologie, vierte, neu herausgegebene Aunage,bezOgt von JOhannes Winckelman■ ,1956(世長晃志郎訳 『支配 の諸類型』倉U文社, 1970, p70)

(6) Gunter Abramowski;Das Geschichtsbild 狂ax lVebers Universalgeschichts an Leitfaden des okzidentalen Rationalisierungsprozesses,Ernst Klett Verlag,Stuttgart 1966(松 代和郎訳 『マ ックス・ ウェーバー入門J

創文社,1983,p168)

(7) Wolfgang Lipp i Stigma und Charisma,dber soziales Grenzverhalten,Dietrich Reimer Veriag,Berlin, 1985,

S 65∼66

(8) ⅢVolfgang Lipp;Charisma―Social Deviation,Leadership and Cultural Change,in“ The Annual Review of

the SOciaI Sciences of Rcligion,"voll, 1977,p 63 (9) ヽVolfgang Lipp;a a o,S 130

10 1979年の「現代社会学」12において,大村英昭が両概念 を結 びつけて「 スティグマ とカ リスマーー 『異端 の社会 学』 を考 えるために」 という論文 を発表 しているが,彼の場合 は, リップよ りむ しろカッツに示唆 を受 けた こと を明記 している。

1り 大村英昭 i前 掲論文,pp l17-119,p138

1) E Goffman,Stigma;Notes on the Management of Spoiled ldentity,Prentence― Hall,1963 (石黒毅ヨ民『ス ティグマの社会学』せ りか書房

,1973,p9)

t》 E Goffman iibid(同訳書 ppll∼12) Qゅ E Goffman,ibid(同訳書 p15) 19 E Goffman;ibid(同 訳書 p120) QO 宝月誠 『暴力 の社会学』世界思想社,1980,p27

tO

宝月誠 :前 掲書

p28

10 V Tumer;The R■ual Process i Structure and Anti― Structure,Chicago(富 倉光雄訳 『儀 礼の過程』思索社, p252)

(12)

118

國 歳 なお,上野千鶴子 は, この両者の弁証法的関係 を図式化 し,「デュルケームの聖俗理論のイギ リス版」であ ると述 べている。(上野千鶴子「 カオス・ コスモス・ ノモスーー 聖俗理論の展開」1977,思想.No640,pp108∼109) 上野千鶴子i前掲論文,pplo8∼■2.上野 は,「聖:俗=コスモス:カォス」という宗教学的アプローチに対 し , 「聖:俗― カオス:コスモス」 とする社会学的 アプ ローチが根本的に対立 している点に注目し, この二 つの矛盾 を ち昇E二課[云目皇な

4::入

甲 詠卑号辞 ヨ行]し ている 。 すな施 カオオ コ 哲 ゑ

"図

式で スモス・ ノモスJの三元説 に示唆 された ものであ り,こ こでノモス とは,世俗 的秩序の支配 する社会,コスモス とは,ノ モスを正 当化する規範的秩序の世界 であ り,全 て コスモス的 なる もの は聖なる属性 をおびてお り,そ して コスモス とノモスの両者 は,共に秩序 として カオスに 対 立す る としてい る。 そ らに上野 は,このカオス・ コスモス・ ノモスを,相互 に非還元的で網羅的 な独立 の カテ ゴ リー ととらえ,理論 的 には,次の七つの組 み合わせ によって,聖俗論 を分類 。検 討 している。① ノモス対 コス モ ス十カォス

,②

コスモス対 ノモスキカオス

,③

カオス対 コスモス+ノモス,④カオス対 コスモ ス

,⑤

コスモス 対 ノモス

,⑥

ノモス対 カオス,⑦カオス対 コスモス対 ノモス

Max Weberia a O(世

良晃志郎訳 『支配の社会学H』 倉U文社,1972,p425)

Max Weberi a,aO(同

訳書,pp 398∼399)

Max Weberia a,0(世

良晃志郎訳 『支配の諸類 型』,p72)

赤坂憲雄 『異人論序説』砂子屋書房,1985,p.16 赤坂憲雄 『同書』

,p20

赤坂憲雄 『同書』,p.19 赤坂 は,次の今村仁司の指摘 に示唆 されて,社会秩序 を く差異〉の体系 と規定 している。 「差異 は秩序の安定条件 である。 ところが,秩序の危機 においては,差異化の メカニズムは崩壊 して

,対

他的同 一化 または模倣が一挙に噴出する。パニ ックなどはその典型である。突出 した模倣欲望の働 きによって,ひとび とは,互いに模倣 しあ うのだか ら,互いに同質化 する。 それが『分身』状態 である。分身化 とは,差異 の消去 で ある,差異の消去 とは

,秩

序の崩壊 であ る。」((今村仁 司 『批判への意志』) 員 側 卿 ② 側 側 側 側

参照

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