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【解説】ヒロシマ原爆展-ヒロシマ・ナガサキ被爆60周年-

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1.あの日の広島

1945年(昭和20年)8月6日、月曜日の朝は、雲もなくよく晴れて、真夏の太陽がのぼると気温はぐ んぐんと上昇した。午前7時9分、警戒警報が発令され、多くの市民が防空壕などに避難したが、1機 のアメリカ軍機が高空を通過していっただけだったため、この警報は午前7時31分には解除され、市 民は防空壕を出てそれぞれの仕事にとりかかった。 通過した軍機は原爆投下のための天候観測機であった。 広島市は、中国地方の行政・経済の拠点であり、学都そして軍の施設が集中していた街であったた め、当時、4万人を超える軍の関係者などをあわせて、35万人余りの人が広島市内にいたと考えられ ている。 8月とはいえ戦争中のため、学校の休みはほとんどなく、中学生以上の生徒は連日工場や建物疎開 作業現場などで働いていた。この日も、約8,400人が、建物疎開作業を手伝うことになっていた。ま た、国民学校(現在の小学校)では、3年生以上の子供たちは、すでに学童疎開で郡部へ分散してい たため、市内には主に低学年の児童が残っていた。

2.広島に原爆が投下された理由

この問題については、最近大きな課題となってきている。従来、憶測されてきたような諸理由では 歴史的事実を的確に表現したものとは言い難いことが指摘されてきた。当時の国際情勢等を勘案して 解明されなければならない。 原子爆弾の研究を進めていたアメリカでは、1944年(昭和19年)9月に原爆を日本に対して使用す ることが決められた。日本をできるだけ早く降伏させ、アメリカ軍の犠牲を少なくする、といった理 由のほかに、戦後世界で優位に立つためソ連参戦以前に原子爆弾を日本に投下する必要があった、あ るいは世界最初の原子爆弾を一日も早く実戦で使い、その効果を測定したいと考えた、などの理由か ら、原爆の使用を急いでいたといわれている。そして1945年(昭和20年)7月16日、人類史上初めて の核爆発実験に成功した後、7月25日に原爆投下の命令が出された。この命令を受け、8月2日付けの 野戦命令で「攻撃日を8月6日とし、その第1目標を広島とする」と指定された。

3.核爆発

これまでの研究から、実際に原子爆弾が爆発したのは相生 橋の東南約300メートル地点、細工町(現在の大手町一丁目) にあった島病院上空約600メートルだと考えられている。 爆発と同時に空中の爆発点の温度はセ氏百万度以上にも達 し(通常爆弾の最高温度はセ氏約5,000度)、百万分の数秒後 には周囲の空気が白熱状態に輝く火球が現れた。この火球は、 1秒後には直径約280メートルまで広がり、その3秒後まで強 い熱線を放射して、約10秒間輝き続けた。また爆発の瞬間、 強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空 気がものすごい力で膨張し、爆風となった。また、爆発によ 爆風 50% 熱線 35% 10% 5% 残留放射線 初期放射線 エネルギーの内訳 広島平和記念資料館WEB SITE(http://www.pcf.city.hiroshima.jp/)に基づいて加筆・編集したものです。

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Ryukoku University Research Exhibit hall Padma Center for Humanities, Science and Religion って生じた異常な空気の乱れにより発生した雲(原子雲)が上昇気流によって吹き上げられ、成層圏 の下端に達すると放射能を帯びた雲の柱がキノコのように数キロメートルも横に広がった。 発生したエネルギーのうち、約35%が熱線に、約50%が爆風に、約15%が放射線となった。

4.原爆被害の特質

1.強烈な爆発作用による「大量破壊」「大量殺戮」 2.大量被害が瞬間的かつ斉一的にひき起こされること 3.社会的欠損や経済的欠損が著しいうえに、熱傷や放射線による後障害によって継続的に健康 がそこなわれたり、その不安がつきまとい、これらが複雑にからみあって、被爆者の健康や 生活の回復にさまざまなハンディキャップが課せられていること *死亡者数 約14万人(誤差±1万人) 1945(昭和20)年12月末現在 (当時広島市には約35万人がいたと推定されている。) *建物の被害状況 原爆が市街地のほぼ中心で爆発したことと、建物の約85% が爆心地から3キロメートルの範囲内にあったため、被害は 市の全域におよび、建物の90%以上が焼失または破壊された。

5.原子爆弾の原理

物質を構成している原子の中心にある原子核を人工的に壊すと、大量のエネルギー(高い熱や人体 に危険な放射線)が放出される。 ウラン235(またはプルトニウム239)の原子核は、1個の中性子がぶつかると分裂し、この時2個か ら3個の中性子が飛び出すと同時に、膨大なエネルギーを放出する。 飛び出した中性子は、別のウラン235(またはプルトニウム239)の原子核にぶつかり、同様に分裂 し、エネルギーと中性子を放出する。この核分裂がごく短い時間に次々と広がると、瞬間的に非常に 強大なエネルギーを生み出すことになる。この原理を兵器として利用したのが原子爆弾(原爆)であ る。

6.原子爆弾の誕生

原子爆弾の研究はドイツなど各国で始められていたが、アメリカでは1942年(昭和17年)から「マ ンハッタン計画」という暗号名のもとで、実際に原爆の製造が進められた。この計画は多額の国家予 算と膨大な人員を投入して極秘のうちに進められ、1945年(昭和20年)7月16日には、アメリカ・ニ ューメキシコ州アラモゴードの砂漠で人類史上初めての核爆発実験に成功した。 (1946年8月 広島市役所調査) 全壊・全焼 47,969 (62.8%) 全壊 3.818 (5.0%) 一部損傷 6,180 (8.1%) 半壊 18,107 (23.7%) 半焼 253 (0.3%) 建物総数 76,327 (100%)

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7.核実験

1945年に行われたアメリカの世界初の核実験以降、旧ソ連、イギリス、フランス、中国も核兵器開 発に成功し、核実験を繰り返した。核実験は、多数の被曝者を生み出し、地球に甚大な核汚染を引き 起こしていたが、1963年の「部分的核実験停止条約(PTBT)」の締結により、核実験の方法は、大 気圏内の実験から地下実験へと移った。 その後、東西冷戦の終結にともない、旧ソ連が1990年、イギリス・アメリカが1992年、フランス・ 中国が1996年を最後にそれぞれ地下核実験を停止した。1996年9月10日には、核爆発実験を禁止する 「包括的核実験禁止条約(CTBT)」が国連総会で採択されたが、コンピュータによるシミュレーショ ン実験(模擬実験)や核爆発を伴わない実験(臨界前核実験)は禁止されなかったため、1997年、ア メリカは核兵器のない世界の実現を求める国際世論に反して臨界前核実験を実施し、ロシアも同様の 実験を行っていたことがその後明らかにされた。 また、インドは核拡散防止条約(NPT)とこのCTBTを現在の核保有国5か国が核を独占するため の不平等な条約と位置づけ、条約調印を拒否してきた。そして、1998年5月11日、13日には地下核実 験を実施し、核保有国として名乗りを上げた。これに続き、インドと領土問題等で対立しているパキ スタンも5月28日、30日と核実験を行い、NPT、CTBTによる核不拡散体制は今、存続の危機を迎え ている。 このインド、パキスタンによる実験を含め、世界ではこれまで少なくとも2,092回(2003年末現在) の核実験が行われたことになる。 大気中実験 年代別実験回数と内訳 地下実験 臨界前実験 178 150 100 50 1945 1950 1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 0 各国の実験回数と内訳 217 815 20 207 508 20 以上 23 22 46 164 21 24 1 3 2 大気中核実験 地下核実験 臨界前核実験 1052 アメリカ 735以上 旧ソ・ロシア 45 中国 210 フランス 46 イギリス 3 インド 2 パキスタン

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8.広島型原子爆弾

広島型は、細長い形をしていたので「リトル・ボーイ」と呼ばれ、核分裂物質としてウラン235が 使われていた。このウラン235は臨界量より少ない量の二つの固まりに分けられ、一方の固まりが火 薬の爆発力によって他の一方の固まりにぶつかり、一瞬のうちに臨界量以上になるように造られた (ガン・バレル方式)。 臨界量以上に達すると、きわめて短い時間に核分裂が連続して起こり、火薬の爆発では及びもつか ない巨大なエネルギーが一度に放出された。放出されたエネルギーはTNT火薬に換算すると約2万ト ン分の破壊力に相当すると思われたが、その後、建物の破壊状態や爆弾構造の研究結果などから、実 際には約1.6万トン相当だったと考えられている。このように巨大なエネルギーを放出したにもかか わらず、爆弾に詰められていたウラン235(10∼35キログラム)のうち、わずか1キログラム弱が核分 裂したものと考えられている。

9.世界各国の核開発

アメリカが第2次世界大戦中、日本に投下した原子爆弾は、核兵器の威力を世界中に誇示した。 その後東西冷戦体制の中で、核開発競争は激化し、アメリカに続き旧ソ連・イギリス・フランス・ 中国の各国が原爆実験に成功し、核兵器は世界へ拡散していった。こうした核兵器開発競争は、地球 を破壊し人類を滅亡させるに余りある核兵器の製造・蓄積と、核実験による地球環境の破壊、さらに 核実験場周辺に多数の被曝者を生み出した。さらに、1998年5月、インド、パキスタンが相ついで核 実験を行ったことにより、世界は核兵器保有国がさらに増えていくこともあり得る危険な局面を迎え ている。

◆アメリカの核開発

1939年 8.02 アインシュタイン書簡 10.21 第2次世界大戦に突入したドイツに原爆開発で先んじられることを恐れ、ウラニ ウム諮問委員会発足 1942年 8.13 軍部主導によりマンハッタン計画発足 1944年 9.18 ハイドパーク協定 1945年 7.16 ニューメキシコ州アラモゴードで原爆実験に成功 8.06 広島に原子爆弾投下 8.09 長崎に原子爆弾投下 1952年 11.01 マーシャル諸島エニウェトク環礁で水爆実験に成功 1997年 7.03 臨界前核実験を実施 (以降2001年12月までに15回実施、ロシアも同様の実験を実施していることを発 表している) 2002年 2.14 イギリスと共同で臨界前核実験を実施

◆旧ソ連の核開発

1949年 8.29 セミパラチンスク核実験場で原爆実験に成功し、アメリカの原爆独占を終結さ せる 1953年 8.12 水爆実験に成功

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◆イギリスの核開発

1940年     原爆生産の可能性を検討する科学者委員会が設置される 1943年     アメリカのマンハッタン計画に参加 1946年     原子力研究所を設立し、独自の原爆開発計画を推進 1952年 10.03 オーストラリアのモンテベロ島で原爆実験に成功 1957年 5.15 クリスマス島で水爆実験に成功 2002年 2.14 アメリカと共同で臨界前核実験を実施

◆フランスの核開発

1957年     ソ連の核ミサイル誕生により、自国の安全保障のため、ド・ゴール大統領の下、 核開発に着手 1960年 2.13 サハラ砂漠で原爆実験に成功 1968年 8.24 水爆実験に成功 1995年 9.00 南太平洋での核実験を再開(以降、1996年1月までに6回実施)

◆中国の核開発

1958年     旧ソ連の協力により原子炉を運転開始 1959年     中ソ協定破棄後、独力で核開発に着手 1964年 10.16 中国西部地区で原爆実験成功 1996年 6.00 CTBT採択前のかけこみ核実験を実施 1997年 6.17 水爆実験に成功

◆インドの核開発

1974年 5.18 ポカラン砂漠で原爆実験に成功 1998年 5.11 熱核反応装置(水爆に相当)実験に成功

◆パキスタンの核開発

1998年 5.28 チャガイで原爆実験に成功

10.核兵器の進化

東西冷戦体制のもと、各国の核開発競争はとどまるところを知らず、1985年ころまでに核保有5か 国によって蓄積された核兵器の総量は、爆発威力にしてTNT火薬22,000メガトン(220億トン)分と 推定され、これは、広島型原爆の147万発に相当するものであった。単純計算すると、約2千億人の死 者をもたらし、地球上の人類を35回以上殺せることになる。 また、技術的にも飛躍的な進歩を遂げ、特にミサイル誘導技術が改良されて命中精度が上がり、核 兵器の威力は著しく増大している。1991年1∼3月、中東のペルシャ湾周辺における湾岸戦争で使われ た巡航ミサイル(CM)トマホークは、核弾頭を搭載できるとともに、コンピュータに目標地点までの 飛行経路が記憶されており、自動的に進路を修正しながら飛び、ほとんど正確に着弾する。 核兵器運搬手段としても、敵のレーダー電波を反射しないように特殊加工を表面に施した「ステル ス(stealth)」爆撃機や、密かに海中から弾道ミサイルを発射できる潜水艦などが開発されている。 50年に及ぶ核兵器開発競争は、小型化、運搬手段の長射程化、命中精度の向上と複数弾頭化、戦 略・戦術核兵器の多様化の道を進んできたのである。

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11.核兵器の種類

核兵器体系は、核兵器(爆弾、弾頭)、運搬手段、誘導装置などからなる。核兵器には、原爆(原 子爆弾)と水爆(水素爆弾)があり、水爆は広島型原爆の何千倍もの圧倒的な爆発威力をもつ。核兵 器の開発は、まず原爆から水爆という順序で進められた。

○戦略核兵器と戦域・戦術核兵器

核兵器には、戦略核と戦域・戦術核との区別があり、概ね爆発威力の大きいものが戦略核、小 さいものが戦域・戦術核と分類されるが、その基準は必ずしも厳密なものではない。その区別は 次に述べる運搬手段の性格によるところが大きく、敵本国を直接攻撃できる大陸間弾道ミサイル (ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)、戦略爆撃機に搭載されるものが戦略核兵器である。 それよりも射程や航続距離の短い、敵本土以外の目標を攻撃するための中距離弾道ミサイル (IRBM)、準中距離弾道ミサイル(MRBM)、中距離爆撃機に搭載されるものが戦域核兵器であ る。さらに短い射程のミサイル(SRBM)その他に装備されたものが戦術核兵器である。その種 類は極めて豊富で、戦闘爆撃機搭載の核爆弾、空対地・空対空・地対空の各種ミサイル、陸海軍 用核砲弾、核魚雷、核爆雷、核地雷等々、あらゆる分野で通常兵器と並んで装備されている。な お、核地雷や核砲弾、SRBMなどは、戦場核と呼ばれることもある。

○核兵器の小型化と中性子爆弾

1960年代以降特に進展をみせたのは、核兵器の小型化である。その一例として、レーガン政権 下で脚光を浴びた中性子爆弾があげられる。中性子爆弾は正式には放射線強化弾頭といい、熱線 と爆風の威力を小さくした代わりに、中性子の量を大きくした放射線殺人兵器である。 今後の核開発で最も注目されるのは、核兵器のなお一層の小型化である。1キロトン以下、さ らには10∼100トン以下のミニニューク、マイクロニュークの開発で、それは未臨界核実験とも 無関係ではないといわれている。

12.核兵器の運搬

○ICBM

大陸間弾道ミサイル(Inter Continental Ballistic Missile,ICBM)は、6,400キロメートル以上の 射程をもつ弾道ミサイルである。通常は1万キロメートル前後の射程をもち、水爆弾頭を装備し た地上発射のミサイルである。次に述べるSLBM、戦略爆撃機とともに、戦略核兵器の「三本柱」 をなす。

○SLBM

潜水艦発射弾道ミサイル(Submarine Launched Ballistic Missile,SLBM)の開発は、原子力潜水 艦の開発と並行して進められてきた。ICBMは自国の領土に基地をおき,たとえそれが地下基地 でも偵察衛星の発達で、相手国にその位置が知られてしまう。これに反してSLBMは常時海中を 移動する原子力潜水艦から発射されるので、探知されにくいばかりでなく、相手国の領海近くに まで接近することが可能である。このため相手国の核攻撃から生き残って反撃する戦略核兵器と して重視されている。

○原子力潜水艦

原子力潜水艦には、核魚雷を装備して相手の水上艦艇や原子力潜水艦を狙う攻撃型原潜(SSN)と、 SLBMを装備して数千キロメートル遠方の相手の陸上施設を狙う戦略原潜(SSBN)の2種類がある。

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○戦略爆撃機

長距離爆撃機はICBMなどのミサイル兵器が登場する以前から戦略兵器としての役割を担って きた。第2次世界大戦末期に日本全土はグアムやサイパンから飛来したアメリカの戦略爆撃機 B29によって徹底的に破壊された。広島・長崎に原爆を運んだのもB29であった。この時の爆弾 積載重量は最大5トンであったとされる。 アメリカの最新鋭の戦略爆撃機B-2は、最大速度マッハ0.9、兵器搭載量22トンで、レーダーに 探知されにくい「ステルス」構造になっている。

○MIRV

複数弾頭個別目標ミサイル(Multiple Independently Targetable Reentry Vehicles,MIRV)は、1 基のミサイル(ICBMやSLBM)に3個から10数個の核弾頭を積載し、それぞれあらかじめ定めた 別々の目標を攻撃するよう設計されたものである。複数の核弾頭(再突入装置)と誘導制御装置を 備え、かついくつかの小型ロケットを装備した「バス」と呼ばれるものを打ち上げることになる。 3段からなるブースター・ロケットでバスを第1攻撃目標を狙うコースに打ち上げると,バスは1 個弾頭を発射するごとに,小型ロケットを用いて第2,第3の目標にコースを定めて,あたかもバ スが停留所ごとに乗客を降ろすように,次々と弾頭を発射する仕組になっている。

○IRBM/MRBM/SRBM

射程の長さにより、次のように分類される。 中距離弾道ミサイル(Intermediate-Range Ballistic Missile,IRBM) 射 程 2,400∼ 6,400キ ロ メ ー ト ル     準 中 距 離 弾 道 ミ サ イ ル ( Medium-Range Ballistic Missile,MRBM)

射程800∼2,400キロメートル  短射程ミサイル(Short-Range Ballistic Missile,SRBM) 射程800キロメートル以下

○巡航ミサイル

ICBMやSLBMがロケットエンジンであるのに対して,巡航ミサイルはジェットエンジンによ り飛行する。速力は亜音速で自己誘導装置を構えた無人機といってもよい。本土復帰以前の沖縄 米軍基地にはメースBという中距離誘導核ミサイルがあった。巡航ミサイルの航続距離は近年 5,000キロメートル近くまでのびて戦略兵器の範疇に入りこんできた。 巡航ミサイルには海中発射式(SLCM)、空中発射式(ALCM)、地上発射式(GLCM)がある。海中 発射式は、潜水艦か水上艦艇から魚雷発射菅などを用いて発射される。空中発射式は戦略爆撃機 に搭載し,相手の防空レーダー網の手前から発射する方式が考えられている。

13.核による被害

広島・長崎への原爆投下以後、核兵器が実戦で使用されたことはなかったが、放射能による被害は、 開発・製造・実験・配備などの過程でも発生し、世界各地のたくさんの人々を犠牲にし、今なお後障 害で苦しめている。 かつては豊かな自然の中で人々が自給自足の暮らしをしていた太平洋マーシャル諸島では、たび重 なる核実験により美しい自然が破壊され、島から移された島民は、残留放射能によりいつ故郷に戻れ るか全くわからない状況にある。また、核実験場周辺の住民や核実験に投入された兵士(アトミッ ク・ソルジャー)、核開発の最前線だった核兵器製造工場やウラン鉱脈地帯の精錬所の従業員、その 周辺住民なども核実験の放射能による後障害に苦しんでいる。

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14.核の事故

1950年 8.05 米国で核兵器搭載のB29墜落。火薬が爆発。19人死亡。 1957年 9.29 旧ソ連ウラル地方の核廃棄物場で爆発。広範囲に放射能汚染。 10.10. 英国のプルトニウム生産炉が火災。環境汚染広がる。 1958年 2.05 米国のB47が核兵器落下。未回収。 1961年 1.24 米国ノースカロライナでB52が火災により水爆2発落下。 1963年 4.10 ボストン沖で米国原潜スレッシャー号沈没。129人死亡。 1965年 8.19 米国でタイタン・ミサイル炎上。53人死亡。 12.05 沖縄近海で米国の空母から核兵器搭載のA4E機落下・水没。 1966年 1.17 スペイン上空で水爆搭載の米国B52墜落。放射能汚染。 1968年 1.21 グリーンランドで水爆搭載の米国B52墜落。放射能汚染。 5.21 アゾレス群島沖で米国の原潜スコーピオン号沈没。99人死亡。 1969年     中国の原爆工場で事故。放射能汚染のため一時閉鎖。 1970年 2.00 旧ソ連ゴーリキ市西の原潜建造所で爆発。数人死亡。放射能汚染。 1973年 6.08 米国のハンフォード核工場で大量の放射能漏れ。 1976年 10.25 旧ソ連バルト海海軍基地で地下核爆発。40人以上死亡? 10.27 米国オークリッジ核工場で火災。200人以上が避難。 1978年 1.24 旧ソ連原子炉衛星、カナダ北西部の湖に墜落。放射能汚染。 1979年 3.28 米国ペンシルバニア州のスリーマイルアイランド原子力発電所事故。 7.06 ムルロアのフランス核実験場で爆発事故。2人死亡。 1980年 8.21 旧ソ連原子力潜水艦(E1型)K-66、沖縄近海で火災事故。9人死亡。 1986年 4.26 旧ソ連(現ウクライナ共和国)のチェルノブイリ発電所爆発事故。31人死 亡。「死の灰」がヨーロッパ全域にわたり、地球的規模の放射能汚染を引き 起こした。 9.11 旧ソ連の原子力潜水艦がミサイル誤射。中国領に着弾。 10.03 旧ソ連原子力潜水艦K-219、西大西洋で原子炉の一部が爆発、その後沈没。 乗員4人死亡、116人は米艦に救助される。 1988年 9.30 米国サバンナリバー核工場で28年間に30件の重大事故。 1989年 4.09 旧ソ連原潜ノルウェー沖で火災・沈没。42人死亡。 11.02 旧ソ連核実験場セミパラチンスク等が高度の放射能汚染と報道。 1993年 4.00 ロシア・トムスク核施設・プルトニウム再処理工場で爆発事故。 1995年 12.00 福井県、動燃の高速増殖原型炉「もんじゅ」ナトリウム漏れ事故。 1996年 1.00 フランスが核実験をおこなってきた南太平洋のムルロア環礁から、放射能 漏れを確認。 1999年 9.30 茨城県東海村のウラン加工施設で国内初の臨界事故が発生し、放射線被曝 により、2000年4月までに2名が死亡 2000年 8.00 ロシア北方艦隊の原子力潜水艦「クルスク」がバレンツ海で沈没。118人死 亡。 2003年 4.00 イラク中部にある原子力関連施設で「イエローケーキ」と呼ばれる精錬ウ ランの貯蔵庫が略奪を受け、精錬ウラン容器のドラム缶を持ち出された。 施設周辺住民が被曝した可能性が高い。 この他にも世界中の核関連施設で環境汚染が報告されています。

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15.核兵器の拡散

第二次世界大戦の末期、核兵器の開発に成功したアメリカは広島・長崎に原爆を投下し核時代が始 まった。アメリカが核の独占を図るも、1949(昭和24)年に旧ソ連、1952(昭和27)年にイギリス、 1960(昭和35)年にフランス、1964(昭和39)年に中国と、次々に核実験に成功し、これらの国々は 大量の核兵器を製造・保有してきた。核保有国の増加は、偶発的な核爆発の危険性や核技術の漏洩の 可能性を高め、地球全体を巻き込む核戦争の危機を増大させるものである。 この際限のない核拡散の流れを止めるため、1970(昭和45)年3月、核不拡散防止条約(NPT)が 発効し、188カ国(2003(平成15)年8月現在)が批准、一定の効果を果たしてきた。しかし、この条 約に未加入のインド・パキスタンが核実験を行い、核武装能力を持つにいたった。同じく未加入のイ スラエルも核武装能力があると見られ、中東各国を刺激している。2003(平成15)年1月には、北朝 鮮が条約からの脱退を宣言し、(核保有を認める発言を含め)核開発に走っているといわれる。今、 条約はその基礎から揺らごうとしている。

アジアの核の現在

広島市立大学 広島平和研究所 専任講師 秋 山 信 将 冷戦後の米ロによる核軍縮の動きは、ヨーロッパにおける核の脅威を大きく低下させた。 その一方で、アジアにおける核の脅威は低下するどころかむしろ高まったともいえるかもし れない。アジアには、中国、北朝鮮、インド、パキスタンなどの核保有国が存在し、しかも 核拡散の懸念が非常に高まっている。 中国はアジアで唯一NPTによって公式に認められた核保有国である。現在中国がどの程 度の核戦力を保有しているかは、中国政府が具体的な数字を公表していないために明らかで はないが、20基のICBM(大陸間弾道ミサイル)、150基の中距離弾道ミサイル、300基ほど の短距離ミサイルを保有していると見られている。また、新型のミサイル(東風31)の実験 なども行うなど軍事力の近代化を進めている。 北朝鮮はNPTに加盟しながら極秘裏に核開発を進めていたが1991年に衛星写真によって 使用済み核燃料からのプルトニウムの抽出が明るみに出ると、北朝鮮の核開発をめぐって国 際社会の懸念は深まり、米朝間の緊張は次に第高まった。94年には、それまで何度か実施さ れてきたIAEAの査察が不満足な結果に終わるとさらに緊張が高まり、米朝間は一触即発の 危機に包まれた。この危機は、カーター元大統領の訪朝によって一応回避され、その後の米 朝交渉の結果ジュネーブにおいて両国間で「合意された枠組み」が合意され。その枠組みに 沿って北朝鮮は核開発を凍結し、その見返りとしてこれまでの黒鉛減速炉に替わって軽水炉 2基の提供を受け、またその完成までの間エネルギー源として重油を提供されることになっ た。しかし、最近北朝鮮がプルトニウムではなく、高濃縮ウランによる核兵器開発を進めて いたことが明るみに出、また核開発再開宣言を出すと、アメリカ側も強硬な姿勢を打ち出し、 この「合意された枠組み」は事実上崩壊した。現在北朝鮮は核弾頭数個分の核分裂性物質を 保有し、また、核弾頭の運搬手段としてはノドンという中距離ミサイルを保有し、テポドン という長距離弾道ミサイルの開発を進めているといわれている。こうした危機的な状況を回 避すべく、米朝に中国、韓国、ロシア、そして日本を含めた六者協議が今年8月末に持たれ ているがその行方は予断を許さない。 この両国の核戦力に影響を与える可能性があるのが、米国が推進しているミサイル防衛で ある。

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16.非核地帯

非核地帯とは一定の地域や空間を限って、その地域内における核兵器の製造・実験・配備を禁止す るとともに、地域外の核保有国のその中での核実験・配備・使用を禁止するものである。 非核地帯は、条約によって設置されるもので、1959年の南極条約が最初で、定住者のいない地域で は1967年の宇宙条約、1971年の海底非核化条約と続いた。また、定住者がいる地域では、キューバ危 機をきっかけに、中南米から核戦争の脅威を除こうとした1967年のラテンアメリカ核兵器禁止条約 (トラテロルコ条約)が最初で、1985年には太平洋諸国が南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約) を締結した。 東西冷戦制の終結により、非核地帯設置の動きが広がりを見せ始め、新たに1995年に東南アジア非 核兵器地帯条約が、1996年にアフリカ非核兵器地帯条約(ペリンダバ条約)が締結された。これに伴 い南半球はほぼ全域が非核地帯で覆われることになった。 非核地帯条約を実効性のあるものとするためには、当該地域の国々だけでなく、核保有国の条約へ の参加が不可欠である。 1 南極条約 1959.12 署名 南緯60度以南の地域におけるすべての核爆発及び放射性廃棄物の処分を禁止するもので、42か国 が署名=批准。核保有国は5か国すべてが議定書に署名=批准。 2 ラテンアメリカ核兵器禁止条約 (トラテロルコ条約) 1967.2 署名 条約適用範囲内の33か国すべてが署名(うち32か国が批准)。核保有国は5か国すべてが議定書に 署名及び批准。 3 南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約) 1985.8 署名 オーストラリア、ニュージーランドや地域の島諸国でつくる政府間組織「南太平洋フォーラム (SPF)」構成14か国及び2地域のうち11か国及び2地域が署名(うち10か国及び2地域が批准)。核 保有国は5か国すべてが議定書に署名。 4 東南アジア非核兵器地帯条約 1995.12 署名 東南アジア諸国連盟(ASEAN)の10か国が署名(うち8か国が批准)。核保有国は5か国すべてが 議定書に署名していない。 5 アフリカ非核兵器地帯条約(ペリンダバ条約) 1996.4 署名 アフリカ統一機構(OAU)加盟53か国のうち49か国が署名(うち2か国が批准)。核保有国は5か 国すべてが議定書に署名。

(11)

17.核実験への抗議回数

区 分 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 合 計 0 1 0 1 2 0 3 13 10 11 9 12 14 9 11 12 13 14 13 14 10 11 7 6 6 0 0 0 0 5 5 4 5 2 4 1 1 229 0 0 0 0 1 1 4 5 9 9 21 23 14 8 9 12 16 6 0 20 15 7 1 0 0 0 0 0 0 1 2 0 3 0 0 0 1 188 1 0 1 3 1 7 9 2 3 2 2 1 6 3 5 7 7 8 7 8 8 8 6 6 0 0 0 6 1 0 0 0 0 0 0 0 0 118 1 0 0 2 2 1 1 1 4 1 3 0 1 0 0 1 1 0 0 1 1 0 0 0 2 1 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 30 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 1 1 3 0 1 1 2 1 1 1 0 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 18 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 2 2 1 1 6 6 9 19 21 27 23 36 37 38 20 26 33 39 29 21 44 34 27 15 13 8 1 2 8 3 6 11 4 8 2 5 1 2 588 アメリカ ロシア フランス 中 国 イギリス インド パキスタン 合 計 *米国に対する抗議には、核実験の予告に対する1回(昭和59年5月31日分)、臨界前核 実験実施表明に対する1回(平成9年4月10日分)及び臨界前核実験実施予告に対する5 回(平成9年6月28日分、平成9年8月28日分、平成10年3月6日分、同年9月4日分、平成 11年9月29日分)を含む。 *フランスに対する抗議には、核実験の再開表明に対する1回(平成7年6月15日分)を含 む。 ロシアの通算回数には、旧ソビエトの181回を含む

参照

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