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Vivian はなぜ that を選ぶのか? 映画で学ぶ間主観性理論 中島千春 ( 福岡女学院大学 ) Abstract Verhagen (2005, 2007) argues that in order to understand linguistic phenomena it is essen

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Vivian はなぜ

that

を選ぶのか?

映画で学ぶ間主観性理論

中島千春(福岡女学院大学)

Abstract Verhagen (2005, 2007) argues that in order to understand linguistic

phenomena it is essential to consider the ability of human beings to engage in “deep cognitive coordination with others (2005: 4)”. That is to say, intersubjective interaction between the speaker and the hearer should be taken into account when linguistic expressions are analyzed. Incorporating this view, this paper analyses the use of two referring expressions in English, it and that, especially when they refer to clausal antecedents, events or propositions. It and that are often considered as belonging to different grammatical categories: it to personal pronouns and that to demonstratives. However, in many cases these two anaphoric expressions are interchangeable. The same antecedent can be referred to either by it or that without significant difference in meaning. On the other hand, there are many other cases where it and that are not interchangeable as follows:

Vivian: You know your foot’s as big as your arm from your elbow to your wrist? Did you know that/*it? (Pretty Woman)

The paper proposes the hypotheses based on Verhagen’s construal configuration, and it is shown how the hypotheses can account for the anomalous cases that were not able to be accounted for by previous theories.

Key Words: 間主観性、Verhagen、指示表現、it、that

1. はじめに 言語現象は、「話し手」が「対象」をどのように捉えるかという “construal”との関 わりにおいて解釈されるものと考えられる。話し手と聞き手の間のコミュニケーショ ンという観点に立てば、しかしながら、言語現象によっては、そのような話し手(認 知主体)と対象という二項間の関係を分析するだけでは十分な説明が得られない場合 がある。例えば、次の例(1)のような場面における actually という表現について考え

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てみよう。ここでなぜ actually が使われるのかを、話し手(Andy)が対象(自分の名 前が Andy であるという命題)をどう捉えているかという二項間の関係だけでは説明 できないであろう。

(1) Miranda: There you are, Emily. How many times do I have to scream your name?

Andy: A… actually, it’s Andy. M… my name is Andy. Andrea, but, uh, everybody calls me Andy. (The Devil Wears Prada: 00:16:00)

ここで話し手(Andy)は、自分のアシスタントの名前を覚えようともしない聞き手 (Miranda)に、「自分の名前は Andy である」という命題を伝える発話を行っている。 その際、文頭の副詞 actually が加わることによって、「発話を聞き手がどのよう受け取 るか」についての話し手の思惑や配慮が感じられることになる(注1)。 このように、話し手が命題をどう捉えるかだけでなく、聞き手が発話(命題)をど う捉えるかということへの話し手の思惑や配慮、つまり、「理解(表現)の対象」に 関わる「話し手」と「聞き手」の間主観的なインタラクションもまた、表現を理解す る上で重要な要素となるのである(注2)。本稿では、談話参与者(話し手と聞き手)の 間主観的なやり取りという観点から、特に指示表現 it と that の使い分けについての分 析をおこなう。 そもそも、it は人称代名詞、that は主に直示を行う指示詞と、二つは異なる文法範 疇に属するとみなされる。しかしながら、これら二つの指示表現はどちらも文脈指示 が可能であり、命題や出来事を指示する照応表現として用いることができる。更には、 下の例のように、同一の指示対象を it と that のいずれで指示することも可能で、しか もどちらで指示をしても意味の違いはほぼ感じられない。

(2) Tom knew that Joanne wanted to sell the car, and it/that bothered him.

(Kamio & Thomas: 1999)

一方で、it と that が交換可能でない場合も多く存在する。例えば(3a)(3b)では that のみが可能であり、(3c)では逆に it のみが可能となる。

(3) a. Vivian: You know your foot’s as big as your arm from your elbow to your wrist? Did you know that/*it? (Pretty Woman: 00:14:32) b. Kit: You definitely like him. Well, he’s not a bum. He’s a rich, classy guy. Vivian: Who’s gonna break my heart, right?

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c. Loraine: Shut your filthy mouth. I’m not that kind of girl.

Biff: Well, maybe you are and you just don’t know it/*that yet.

(Back to the Future: 01:00:24) (4) a. Jordan: You are good. You know it. (City of Angels: 00:20:01) b. Jordan: You are good. You know that.

(注:下線を付した箇所は、映画の中では実際には使用されていないが、インフォー マントにより可能と判断された表現である。) (3a)の聞き手の知識を尋ねる疑問文、及び(3b)のように話し手や聞き手に知識がない ことを言明する否定文では that のみが可能である。一方で、(3c)のように、命題内容 を聞き手だけが知識として持っていないことを伝える場合には、it のみが可能となる。 更には、(4)のように it と that のいずれによる指示も可能な場合もあるが、(4)では話 し手の発話の意図によって、it と that のどちらか一方が選ばれる。本稿では、間主観 的な観点からの仮説を提案し、(3)(4)の用例における指示表現 it と that の使い分けを 仮説に基づき説明を試みる。なお、本稿では、it と that が出来事や命題を指示対象と する場合のみについて議論を行う。 まず2節において、it と that の使い分けに関するこれまでの主な理論を概観する。 3節において、本稿での仮説を提案し、続いて4節では、これまでの理論では説明不 可能であった用例について、本稿の仮説に基づき説明を試みる。5節では英語教育の 観点から、話し手と聞き手の間主観的なやり取りについて映画の場面を教材として学 習することの利点について考える。 2. 先行文献 本節では、指示表現の選択に関するこれまでの主な考え方を概観し、それぞれの理 論の問題点を指摘する。

2.1 The Givenness Hierarchy

Gundel et al. (1993)では、指示対象の認知的な地位が指示詞の使用を決定すると考え る。即ち、指示対象が、視覚、聴覚、或は言語コードを通して活性化された段階では that が使用されるが、指示対象が談話の焦点や「注意の中心」となれば、it が使用さ れると論じる。このような認知的な地位の段階を The Givenness Hierarchy と呼び、下 のように表される。

<The Givenness Hierarchy>

in focus > activated > familiar > uniquely > referential > type identifiable

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(5) a. Sears delivered new siding to my neighbors with the bull mastiff. #It’s/That’s the same dog that bit Mary Ben last summer.

b. My neighbor’s bull mastiff bit a girl on a bike. It’s/That’s the same dog that bit Mary Ben last summer. (Gundel et al. 1993:280)

まず、(5a)では、bull mastiff は直前の言語コンテクストによって活性化されただけで あって、談話の焦点には至っていないため、it の使用が不可となる。一方、(5b)では bull mastiff は談話のトピックであり、話し手と聞き手双方にとって「注意の中心」で あるため、it の使用が可能となる。更に、Gundel et al.では、談話の焦点になるために は必ず知覚による活性化が起こっているはずであるから、「活性化」という認知状態 は「焦点である」という認知状態に含まれると考える。よって(5b)では、活性化の段 階を表す that も同様に使用可能となると説明される。

(5a)(5b)のように、The Givenness Hierchy によって説明可能となる用例は多いが、他 方、説明不可能な用例も多くみつかる。例えば1節の(3b)では、「エドがビビアンを捨 てる」という命題は二人の間では既に「注意の中心」となっているにも関わらず、こ こでは it で指示することができない。これは Gundel et al.の理論にとっては反例とな るであろう。更には、The Givenness Hierarchy において「活性化」という認知段階は 「焦点である」という認知段階に含まれるとされるため、it で指示することが可能で あれば、必ず that でも指示が可能となるはずである。しかし実際には(3c)では it(焦 点)の使用のみが可能となっており、これは彼女達の理論にとっては反例となるであ ろう。

2.2 既知情報と処理中の情報

Kamio & Thomas (1999)は、話し手の知識のあり方によって照応表現の使用が決まる と論じる。即ち、命題が話し手にとって既知である場合には it、未だ処理中の情報で あれば that が選ばれると考える。例えば、下の例ではブルックリンの交通ルールが話 し手にとって既知であれば it が使用され、他方、初めて耳にするのであれば、その場 合には情報は処理中であるために that が選ばれると論じる。

(6) A: Overnight parking on the street is prohibited in Brooklyn. B1: That’s absurd!

B2: It’s absurd! (Kamio & Thomas 1999: 291)

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及び(4a)と(4b)の違いを上手く説明する。しかし一方で、(3a)のように明らかな反例も 存在する。(3a)では話し手(ビビアン)は、「足のサイズは腕までの長さと同じだ」 という自らが所有するトリビア(情報)を聞き手に伝えようとしているわけである。 従って命題は話し手にとって既知情報であるが、ここでは it の使用は不可能であり、 that のみが可能となっている。このことは Kamio & Thomas の理論では説明不可能で あろう。

2.3 話し手の選択

Maes (1996)は、指示表現の使い分けに関して、話し手が選択を行うと考える点でこ れまでの理論とは異なっている。

(7) Do you think John is at home? That/ It is doubtful. (Maes 1996: 176)

上の例では it と that のいずれで指示することも可能であるが、that で指示する場合、 話し手は it ではなく that を選ぶことで、指示対象にプロミネンス(際立ち)を与える のだと指摘する。Gundel et al.や Kamio & Thomas では、it と that の使用が、指示対象 の談話や記憶における地位によって自動的に決まると考えるのに対し、Maes は話し 手が表現上の理由から指示表現を選ぶと考える点で大きく異なっている。しかしなが ら、Maes の問題点は、that の使用によって指示対象に際立ちが与えられる理由につい て説明しない点である。 本節では指示表現の使い分けに関する主な理論を概観し、それぞれの問題点を指摘 した。照応表現 it と that の選択に関して、より説明力のある理論が必要と考える。次 節では、Verhagen の間主観性理論を概観し、その上で、本稿での仮説を提案する。 3.間主観性理論と本稿での仮説 本稿では特に、Verhagen (2005, 2007) の議論をもとにして、本稿での仮説を提案し、 それに基づき it と that の使い分けに関して説明を試みる。 3.1 Verhagen (2005, 2007) Verhagen は、ヒトのコミュニケーションにおいて、情報の交換は二義的であって第 一義は他者(聞き手)の考えや行いに影響を与えることであると考える(2005: 9-10)。 話 し 手 は 発 話 を 通 し て 、 聞 き 手 と 認 知 レ ベ ル で の 深 い や り 取 り (deep cognitive interaction)を行い、それによって聞き手との共通基盤を増やして いくのであり、 Verhagen はこれを間主観性 (intersubjectivity)と呼ぶ。従って、発話において話し手は (1)聞き手の心を読み、(2)概念化の対象に聞き手の共同注視を促し、(3)聞き

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104 手の概念化を調整していくものだと考える。これを図式化したものが図1の把握構図 (construal configuration)である(2005: 07, 2007: 60)。 図1 把握構図. (Verhagen 2005, 2007) グラウンド(Ground)は認知主体1(話し手)と認知主体2(聞き手)の二人、そ して二人が共有する知識から成る。この知識には、互いの世界観や文脈に関する知識 が含まれる。また、発話とは、一般的には、話し手が、概念化の対象に共同注視する ように聞き手に促し、その結果、二人の共通認識を更新していく(概念化の調整)こ とであると考える。グラウンドからレベル O に向かって垂直に伸びる線が共同注視を 表し、グラウンドの認知主体1と2の間の水平線が二人の概念化の調整を表わす。 例えば前節で見た例 (1)におけるアンディの発話における Actually を把握構図で説 明すると、話し手は、まず、聞き手がit’s Andy という命題を知らないだろうという読 みを行い、次に、命題に聞き手の共同注視を促した上で、聞き手にも同じように認識 してもらうように概念化の調整を行っているということになる。 3.2 本稿での仮説 Verhagen (2005, 2007)の把握構図を基に、本稿では次のように仮説を提案する。it 及 び that のそれぞれの把握構図を図2に示す。太線で示されている箇所がプロファイル される部分、即ち、注意の焦点が置かれる要素である。 本稿での仮説 it の把握構図: 概念化の対象が Level O において提示される。従って、Level O の要 素(概念化の対象)のみがプロファイルされる。 that の把握構図: 話し手(概念化者1)が聞き手(概念化者2)に概念化の対象への 共同注視を促し、Level S において聞き手の概念化を調整する。従って、Level O の要素(概念化の対象)のみならず、Level S から Level O へと向かう垂直の線(共 同注視)、及び Level S の右側半分の要素(聞き手の概念化)がプロファイルされ る。

Level O: Object of conceptualization

Level S: Subject of conceptualization (Ground)

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105 it that 図2 本稿の仮説:it と that の把握構図. 4. 仮説に基づく説明 本節では、it と that の使い分けについて本稿の仮説に基づき説明を試みる。 4.1 認識を表す動詞 know との共起 1節で見たように、認識を表す動詞 know の用例では it と that の使用分布が特徴的で ある(注3)。例えば、know を用いて聞き手の認識を尋ねる疑問文の場合には(8a)(8b)の ように、that のみが可能であるが、これを本稿の仮説に基づき説明を試みる。

(8) a. Vivian: You know your foot’s as big as your arm from your elbow to your wrist? Did you know that/*it? (=(3a)) b. You’re gonna die soon with that diet, you know that/*it?

(As Good As It Gets: 00:13:16))

(8a)において、話し手は聞き手に、「足のサイズは肘から手首までの長さと同じだ」と いう命題を知識として持つかと尋ねている。つまり、聞き手の認識そのものを問うて いるわけである(注4)。Verhagen はこれを「聞き手の頭の中を探り針で調べるような方 法 (2005: 120)」と呼び、この場合の把握構図では、足のサイズに関する命題が Level O において、命題に対する共同注視と聞き手の理解や見識が Level S において、それ ぞれプロファイルされることになる。この把握構図を表したのが図 3 である。この把 握構図からも明らかなように、聞き手の認識そのものを問う疑問文は、本稿の仮説に おける that の把握構図と一致し、従ってこのような場合は that が選ばれると考える。

図3 “do you know that?” の把握構図.

Level S: subject of conceptualization Level O: object of conceptualization

Level O: object of conceptualization

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一方、次の(9a)のように it が選ばれる場合には、話し手は「聞き手もまた命題を知 識として持っている」と想定している場合である。

(9) a. Jordan: You are good. You know it. (= (4a)) b. Jordan: You are good. You know that. (=(4b))

心臓外科医としての自信を失いかけているマギーに対して、同僚であり恋人であるジ ョーダンが励ますシーンでのセリフである。まず(9a)の you know it では、話し手(ジ ョーダン)は聞き手(マギー)に「君は素晴らしい医者だということを、自分でもわ かっている」と伝えている。即ち、「聞き手(マギー)が自分の能力を知っている」 という出来事を客観的な事実として描写しているわけである。従って Level O におけ る要素のみがプロファイルされる。 一方、ここでは(9b)のように命題を that で指示することも可能である。ただしこの 場合は話し手の発話の意図は(9a)のように it で指示する場合とは異なったものになる。 即ち、you know that の場合には、話し手(ジョーダン)は、聞き手(マギー)に「自 分は素晴らしい医者だ」という認識がないと想定した上で、そのことに気づかせる発 話となる。よって、Level O において「マギーは素晴らしい医者だ」という命題がプ ロファイルされるだけでなく、Level S においても、聞き手の命題への共同注視、及 び聞き手の概念化の調整がプロファイルされる。これは図4の(b)の把握構図となり、 本稿の仮説における that の把握構図と調和する。よって that が使用されると考える。

(a) “you know it”

図4 “you know it”と“you know that”の把握構図.

次に、例(10)のように、聞き手の概念化の否定が関わる場合を見てみよう。

(10) Kit: You definitely like him. Well, he’s not a bum. He’s a rich, classy guy. Vivian: Who’s gonna break my heart, right?

Kit: No, no. Come on. You don’t know that/*it. (=(3b)) (b) “you know that”

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(10)では、大富豪のエドに結局は捨てられる運命だと言う聞き手(ビビアン)に対 して、話し手(キット)が悲観的になってはならないと励ます場面である。つまり話 し手は、you don’t know that という発話によって、聞き手の命題に対する無知を叙述 しているのではなく、聞き手の観点や考えを調整して、話し手自身の見方に合わせよ うとしているのである。

Verhagen は、文否定に関する議論の中で、「文否定では、話し手と聞き手の相反す る二つの観点がプロファイルされるだけでなく、それら二つの観点の調整(即ち、聞 き手の観点が取り消され、話し手の観点に置き換えられる)もまたプロファイルされ る」(2007: 67-68)と論じる。同様にして、(10)の you don’t know that においても、話 し手 (キット)と聞き手(ビビアン)が有する、相反する観点(概念化)が関わってい ると考えられる。まず、話し手(キット)は、聞き手(ビビアン)が「エドから捨て られる」という観点を持っていると想定する。その上で、それとは反対の自分自身の 観点を提示し、聞き手に共同注視を促し、聞き手との概念化の調整を行うわけである。 把握構図の上では、概念化者1と概念化者2のそれぞれの概念化、両者の概念化の調 整がプロファイルされることになり、最終的には図 5 の(c)のように全ての要素がプロ ファイルされることになる。この把握構図は、本稿での仮説における that の把握構図 を含む。従って、that が選ばれると考える。

図5 “you don’t know that” の把握構図.

ここまでは、照応表現の選択が、「聞き手の心や観点を話し手がどのように想定す るか」に左右されていることを見て来た。つまり、話し手は、聞き手による指示対象 への共同注視を想定する場合には Level O のみがプロファイルされ、これは it の把握 構図と合い、従って it が選択されると考える。他方、聞き手との共同注視が想定され ない場合には、Level O のみならず、Level S の要素もプロファイルされ、従って that が選択されることを見てきた。しかしながら、「聞き手が話し手の発話をどのように 受け取るか」を考慮し、そのことで照応表現の選択がなされる場合もあり、例えば次 の例(11)などの場合である。

(a)聞き手の観点 (b) 話し手の観点 (c) 概念化の調整

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(11) Loraine: Shut your filthy mouth. I’m not that kind of girl.

Biff: Well, maybe you are and you just don’t know it/*that yet. (= (3c ))

ここでは、話し手(ビフ)は、聞き手(ロレーヌ)が「自分は軽いタイプの女性だ」 という命題を有していないと考えており、従って、命題への共同注視は想定されてい ない。しかしながら、ここでは命題は it で指示されている。 本多(2006)は、表現が聞き手に与える「効果」もまた、表現を選ぶ際に考慮される と主張する。即ち、話し手がある状況を聞き手に伝える際、発話が聞き手に与えると 考えられる影響を考慮した上で、話し手は表現を選ぶというのである。つまり、話し 手が状況を如何に捉えて表現するかは、状況だけによって決まるのではなく、聞き手 に「如何に受け取ってもらいたいと考えるか」によっても、決まるというのである。 本稿では本多の議論に従い、次のように考える。(11)では、話し手は聞き手が命題 に共同注視を行っていないとの読みを行っている。しかし、話し手は、敢えて意図的 に、聞き手との共同注視があるものとして命題を聞き手に提示するのである。聞き手 と共有される「共通知識」として提示されることによって、命題はあたかも揺るぎな い事実、真実であるかのように響く。なぜなら、話し手は命題を単なる個人的な判断 としてではなく、他者と共有する客観的な事実として提示することになるからである。 従って、ある意味、(11)での it の選択は、話し手の発話をより説得力を持つ言明にす るための修辞的な方策と言えるであろう。 本節では、it と that の選択について、本稿での仮説に基づいて説明を試みた。 4.2 二つのタイプの疑問文 本節では同じ形式の疑問文でありながら、異なる発話の意図を持つ二つのタイプ、 即ち、情報を求めて発せられる疑問文の Information Seeking Question(以後 ISQ)と、 修辞的な疑問文 Rhetorical Question(以後 RQ)について考察する。それぞれのタイプ における話し手と聞き手のやり取りを把握構図に表し、それらを比較することにより、 両タイプの発話の意図の説明を試みる。また、両タイプにおける it と that の使用分布 は特徴的であり、ISQ において it が、RQ において that が共起する傾向にある (Nakashima, 2006)。このことについても本稿の仮説から説明を試みる。

例えば、下の(12a)(12b)では、 “why did you do…?”という同一の形の疑問文が使わ れているが、それぞれは談話における機能において異なっている。

(12) a. Lucy: George, please don’t tell me you called me out of a wedding to help you pick out a suit. Please!

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George: You were at a wedding? You ran out of a wedding? Why did you do that? (Two Weeks Notice:00:27:01) b. Messinger:… Nobody likes to think of the old life. You know, what they gave up. Seth: Then, why’d you do it?

Messinger: My daughter, Ruth… . And this is my wife, Teresa.

(City of Angels: 00:54:28) (12a)のほうは、聞き手に理由の説明を求めているというよりは、話し手の驚きや相 手への非難の気持ちが表されており、それは話し手(ジョージ)の顔の表情や話し方、 イントネーションからも明らかである。従ってこの疑問文は RQ と考えられる。この ような場合、形式は疑問文であっても、実際には強い否定が表される (Quirk et al. 1985: 825) 。一方、(12b)の wh 疑問文は、答えや情報を聞き手に求める ISQ である。 同じwhy did you do…?という形式でありながら、異なる発話の意図がどのようにし て生じるのか?RQ で強い否定が表されるのはなぜか。本稿では、それぞれの疑問文 における話し手と聞き手のやり取りを、把握構図に表し、それぞれが it と that の把握 構図とマッチすることを見て行きたい。 まず(12a)では強い否定が表されるが、話し手と聞き手の間主観的なやり取りという 観点から、次のように説明できるだろう。まず、話し手(ジョージ)は聞き手(ルー シー)が「友達の結婚式の途中でも、上司に呼ばれて飛び出す」という考え方を持つ という読みを行う。それに対して、話し手は正反対の観点を提示し、自分の観点に聞 き手が共同注視を行い、概念化の調整が行われることを意図している。これは 4 節の 図5と同じ把握構図となり、that の把握構図が適しており、よって that が選ばれる。 一方、(12b)のほうは、元は天使であったが今は人間になっているメッシンジャー氏 と、天使セスとの会話であるが、こちらは聞き手(メッシンジャー氏)に「なぜ美し い天使の世界を捨てて人間になったのか?」と、純粋にその理由を問う質問である。 話し手の静かな語り口、穏やかな表情からも、発話の意図が相手を責めたり非難した りしているのではないことがわかる。話し手(セス)は、「聞き手(メッシンジャー 氏)が天使の身分を捨てて人間になった」という出来事に対して共同注視がなされて いると想定し、出来事を客観的な事実として Level O において提示し、その理由を問 うているのである。つまり、Level S での概念化の調整はここでは関わっておらず、 これは図4(a)の把握構図と同様である。従って it の把握構図が合うため、このような ISQ では that ではなく it が選択されると考えられる。 5. 映画のシーンで学ぶメリット 本節では、英語教育の立場から、話し手と聞き手の間主観的なやり取りについて映

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110 画の場面を教材として学習することの利点について考えてみたい。 一つ目の利点は、映画の場面を用いることで間主観性理論が学習者にとって理解し やすくなるという点である。映画の中のシーンでは、登場人物の置かれた状況や発話 の意図が明確である。従って、話し手と聞き手との間主観的なやり取り、つまり、「話 し手が、概念化の対象に聞き手の共同注視を促し、それによって聞き手の概念化の調 整をしていく」という過程が具体的にイメージしやすく、捉えやすくなる。例えば、 次の例では、映画の登場人物それぞれの立場を知っていることで、話し手と聞き手の 「間主観的なやり取り」が理解し易くなるだろう。

(13) Vivian: Did you ever notice how Callahan never asks Warner bring him his coffee? I mean, he’s asked me at least ten times.

Elle: Men are helpless. You know that.

Vivian: I know. Warner doesn’t even do his own laundry. (Legally Blonde: 01:06:27)

例(13)は、恋人ワーナーを巡ってライバル関係にあった主人公エルとビビアンが、こ の会話を機に友人へと関係が変わるシーンである。まず、エルと仲直りをしたいビビ アンは、ワーナーを特別扱いするキャラハン教授を批判し、エルと「インターン同士」 という繋がりを持とうとする。それに対してエル(話し手)は、ビビアンばかりがコ ーヒーを頼まれるのは、キャラハンやワーナーが自分では何もできないからなのだと いう新たな見方(概念化)を提示し、更に発話 “you know that”によって、自分が示し た新たな見方への「共同注視」を促す。これによってビビアン(聞き手)の「概念化 の調整」を行い、二人の新たな共通認識にしようとしているのである。もちろん、二 人の表情、視線、ジェスチャーなどの視覚情報や、イントネーション、声色などの聴 覚情報もまた、間主観的なやりとりを理解する上での助けとなっている。 メリットの二点目は、間主観的なやり取りについて注目することが場面の理解を深 め、それが語学学習の更なる動機付けになるという点である。(13)では、「コーヒーを 入れる」という出来事に対して、エルとビビアンとでは全く異なる見方をしている。 ネガティブな見方をするビビアンに対して、エルのコメントは前向きであるだけでな く、機知に富んでいる。こんな女性ならば、ビビアンでなくとも、誰でも仲良しにな りたいと思うであろう。このように、間主観的なやり取りに注目してセリフを分析す ることで、シーンを一度観ただけでは気づかないような登場人物の心情やキャラクタ ーをより深く理解することになる。セリフの英語をしっかり読み取ることで映画が更 に味わい深くなるというこの体験は、英語学習者の更なる動機付けに繋がると考える。

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111 6. まとめ 本稿では、話し手と聞き手の間主観的なやり取りという観点から、it と that の使い 分けについて考察を行った。Verhagen の把握構図を基に、本稿での仮説を提案し、そ れによって、これまでの理論では説明が不可能であった it と that の使い分けに関する 用例についても説明が可能になることを見た。更に、異なる二つのタイプの疑問文と 指示表現の共起関係についても、本稿における仮説から説明を行った。その上で、間 主観的なやり取りを、映画の場面で学ぶ利点について、英語教育の立場から考察した。 談話参与者の間主観的なインタラクションについて考えることは、英語学習という点 では、言外の意味を捉え、行間を読む訓練になるであろうし、主体的な思考、広い意 味でのクリティカル•シンキングの訓練にも繋がっていくものと考える。 注 1.Traugott (2003)では、actually は「聞き手の面子への配慮」など、主にポライトネ スと関わる表現として議論される。 2.本多は間主観性を発達心理学の「共同注意」「三項関係」との関連で論じる(2006, 2011)。

3.Nakashima (2005, 2011)では、it/that が命題や出来事を指示し、認識動詞 know と共 起する場合、主語と文タイプによって分布が特徴的であることを論じる。 4.Verhagen は、認識を表す動詞が現在形であり、主語が一人称や二人称である場合、

即ち I think や you know の場合、「グラウンドにおける話し手や聞き手の概念化が プロファイルされている場合なのだ(2007: 71)」と考える。

参考文献

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参照

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