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(1)

大唐西域記にみえる「多羅樹林」について

三保忠夫

*

・三保サト子

**

Tadao M

IHO

and Satoko M

IHO

On the Forest of Tala-trees Refered by the Xuan Zang's Travels

Abstract

The Xuan Zang's Travels made mention of the forest of Tala-trees in Konkanapura, south India.

A. F. Rudolf Hoernle drew a conclusion that the Tala-tree was Corypha palm. It seems his result is to the point. However there have been some mistake during the proving process.

Hoernle says, in those days, there was just Corypha palm, Palmyra palm did not exist yet in India. But Palmyra palm has already existed there in my opinion.

The forest of Tala-trees was a Corypha palm plantation.Corypha palm leaf was more exellent for writing materials than Palmyra palm one. So the plantation of Corypha palm was administered by Konkanapura.

[Key Words :Xuan Zang's Travels, Palm-leaf-manuscripts, Tala-palm, Corypha-palm, Palmyra-palm, Writing-materials, A. F. R. Hoernle] *島根大学教育学部(日本語学) **島根女子短期大学 唐の玄奘三蔵Xuan Zang(1)は,太宗の貞観3年(629) 8月,長安を出発してインド・西域に自ら梵経・胡経を 求めた求法の人である。長安に帰朝したのは同19年 (645)正月のことであった。 その旅行記,また,伝記は,大唐西域記十二巻(辯機 編,646年),大慈恩寺三蔵法師伝十巻(慧立撰彦綜箋) として今日に伝わり,7世紀前半における中国,中央ア ジア,インド等の事情を知る上では不可欠の文献となっ ている。 その大唐西域記により,前稿(2)では,当時のインド における書写素材Writing Materials について,次のよ うに述べた。 1)当時,インド(南インド)における経典類,文書 類はヤシの葉に鉄筆をもって行われていた。 2)その書写素材は,適宜,そこここの身近なところ から入手されたかと想像される。 3)ところが,大唐西域記によれば,そのような素材 に関わる記述(言及)は,「南印度境」の「恭建那 コ ー ン カ ナ 補羅プ ラ国」の次の1ケ所しかない。 城北不レ 遠有ニ 多羅樹林一。周三十余里。其葉長広 其色光潤。諸国書写莫レ 不ニ 採用一。林中有ニ 堵 波一。是過去四仏坐及経行遺跡之所。其側則有ニ聞 二百億羅漢遺身舎利 堵波一也 (大唐西域記,巻11,大正新脩大蔵経,第51巻, 934 頁) 4)広いインド大陸において,また,その旅行記にお いて,書写素材としてのヤシは,何故,ここだけに 記されているのであろうか。偶然であろうか,ある いは,それなりの訳あってのことであろうか。 5)これにつき,恭建那補羅国には,書写専用の素材

はじめに

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(2)

18 とするヤシの林,即ち,「多羅樹林」が経営されて いた,同国は,その葉を調製・加工し,大々的に他 国に輸出していた,同国は,そうしたヤシの葉の特 産地であり,その製品は同国の特産品であって他国 からも高い評価を得ていた。 これが前稿であった。同様の気候・風土の下にある南 インド一帯,また,その近辺の各地,スリランカなどに も「多羅樹」は生育し,等しくその葉を書写素材として いたはずである。従って,その記述については,偶然の 筆遣いによるもの,あるいは,恣意的な筆遣いによるも のとみなすこともできる。だが,たとい,他国・他地域 のいずれかにおいて同様の特産地が存在していたとして も,やはり,これは,その特産地としての同国について 記述したものと解釈される。 前稿においては,その「恭建那補羅国」の所在,「多 羅樹林」というヤシの実体(種類)には触れなかった。 別稿を用意していたのであるが,この過程において,ハ ーンリA. F. Rudolf Hoernleにも同趣の見解が提出されて いることを知った。しかし,彼の根拠は,私見の場合と は大きく相違する。 そこで,以下には,次のような点について私見を述べ てみたい。 ① 「恭建那補羅国」の所在 ② 書写用ヤシの種類 ③ ハーンリ A. F. Rudolf Hoernle の所説 ④ 仏書・仏書音義

⑤ Lalita Vistra 所見のTala-phalasya

「恭建コーンカ那補羅ナ プ ラ国」は,「達羅ド ラ毘荼ヴ ィ ダ国」より北方(西北) へ林野中に入り,孤城や小村を通り過ぎて,行くこと二 千余里の地にあり,また,これより西北へ大林野に入り, 行くこと二千四,五百里で「摩訶刺侘 マ ハ ラ ッ タ 国」に至るという (大唐西域記)。玄奘は,デカン高原 Deccan Plateau を 西北方面に縦断したことになる。(後掲の地図参照) この恭建那補羅国の位置については諸説があり,現在 なお確定してはいないようである。今,Thomas Watters 氏の "On Yuan Chwang's Travels in India AD 629-645" によれば,次のようにある。このオリジナルは,その死 後,T. W. Bhys Davids と S. W. Bushellによって刊行さ れた(1904-05年,Rondon)。

In all texts of the Records, and in the fang-chih, the direction from Dravida is given as north, but the Life makes it to have been north-west. M.

Saint-Martin, Cunningham, and their successors all adopt the direction given in the Life, passsing over the statement in the Records. Saint-Martin thinks it possible that Banavasi(or Vanavasa) may have been the Konkana-city of our pilgrim.1

Cunningham suggests "Annagundhi on the northern bank of the Tungabhadra river" as the capital of the country, and Fergusson can only refer the capital to some place in Mysore.2

Mr.Burgess is disposed to seek for Konkanapur about Kopal or Kokanur(? Konkanur) which is 310 miles as the crow flies from Kanchi and 335 miles from Nasik;" this seems to be also the present opinion of Dr. Fleet who was at one time disposed to identify Konkanapur with Karnul.3

But these identifications seem to be all beset with difficulties. The country Konkana was in the southern division of the Brihat Samhita, and Alberuni places it the south near the sea.4 If we

could adopt the reading of the D text, viz- T u(茶) or Ch a(茶)for Kung,the original would be a word like Dakkanapura or Thakkanapura. (Munshiram Manoharlal Publishers Pvt.Ltd.,New

Delhi,1996,p.238) (前後略す)

脚注(1∼4)にはそれぞれの典拠が示されているが, 煩雑になるので,ここでは省く。文中,"the Records" とは大唐西域記,"the Life"とは大慈恩寺三蔵法師伝, "the Fang-chih" とは釈迦方志をいう。

M.Saint-Martin, Cunningham, Fergusson , Burgess,Fleet, Alberuni といった名が挙がっている。 今,各個の詳細については言及できないが,これらを承 け,季羨林等校注『大唐西域記校注』(中外交通史籍叢 刊,1985年2月第一版,中華書局,)は,Cunningham (康寧哈姆,"Ancient Geography of India",rev.by Majumdar,Calcutta,1924,reprinted,Delhi,1979,p.632,745.) の説が比較的に肯定されるといい, 康氏認為玄奘所記此国“周五千余里”,其領域為起 自半島西海岸,越過西高止山脈深入半島腹地的一大 片区域,北為摩訶刺侘,南為達羅毘荼,東為 那羯 磔迦,西至於海,即在通加巴徳臘(Tungabhadra) 河流域,并以該河北岸的安納貢底(Annagundi) 為其都城旧址。 (888 頁) と紹介している。 玄奘は,ドラヴィダ国から北方へ(大唐西域記,巻11), あるいは,西北へ(大慈恩寺三蔵法師伝,巻4)歩を進

1.「恭建那補羅国」の所在

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(3)

め,「入ニ林野中一。歴ニ 孤城一 過ニ小邑一。凶人結レ 党作ニ 害覊旅一。行ニ 二千余里一 至ニ 荼(恭)建那補羅国一」と記 す(大唐西域記)。 タミル・ナドウ Tamil Nadu 州の「建志補羅 カ ー ン チ ー プ ラ 」辺か らカルナータカ Karnataka 州,更には,マハラシュト ラMaharashtra 州に向かう道筋として,次が考えられ る。とはいっても,これは今日の地図上に,彼の辿った と推測される方向性を求めたに過ぎない。以下に用いる 地図は下記である。

S. Muthiah, Dr. R. Ramachandran, P. Poovendran, "An Atlas of India", Oxford University Press, New York,1990.

Α)その1は,今のカーンチープラム Kanchipuram からそのまま西北方向へ進路を取り,アーンドラ・プラ デーシュ州 Andhra pradesh のクダパ Cuddapah ,ゴ ーチGooty を経てナショナル・ハイウエー7号線を跨 ぎ,カルナータカ州のベラリ Bellary方面に至るコース である。この7号線は,クルヌール Kurnoolを経て州都 ハイダラバードHyderabad 方面へ伸びている。 B)または,カーンチープラムから西北へ進むものの, 7号線寄りに道を取り,チトール Chittoor ,カディリ Kadiri,アナンタプラ Anantapurを経てベラリ方面に 至るコースである。 これら2コースとも,今日,列車が通っている。 C)ナショナル・ハイウエー4号線に示唆されるよう なルートも有力視される。この4号線は,マドラス Madras ,カーンチープラム Kanchipuram,チトール Chittorを経てバンガロール Bangaloreに至る。マドラ スとバンガロールの間は列車で6時間,バスで9時間位 である。バンガロールは,かつてのマイソール王国,現 カルナータカ州の州都で,その南東端,海抜920 メート ルの高原に位置する(3) 4号線は,タミル・ナドウ州からカルナータカ州南部 に入る動脈コースであり,バンガロールから,更に西北 へ伸びてマハラシュトラ州,即ち,玄奘が次に訪れた 「摩訶刺侘国」に至る。但し,彼は,4号線のようなル ートをそのまま進んだとは考えにくい。途中のチトラド ゥルガ Chitradurgaあたりで,あるいは,進んでも,今 の13号線との分岐点辺りで右に折れ,真っ直ぐ北上した のではあるまいか。 D)バンガロールから南西へ約140 キロメートル(直 線距離)下ったところ,標高770 メートルの盆地にマイ ソール Mysore がある。バンガロールから鉄道(Exp. 1日5本,4時間)もあり,バス網も備わっているが, ここは,むしろカーヴェーリー Cauvery河に沿って栄 えた文化都市群の1つと見てよかろうか。ここも,「恭 建那補羅国」の所在に関して注目されている。しかし, マハラシュトラへのコースから大きく外れる点が問題で あろう。 E)バンガロールから4号線ルートを外れてシモガ Simoga 方面に向かった可能性はなくはなかろう。これ は 列 車 の ル ー ト に 沿 っ て マ イ ソ ー ル 高 原 Mysore Plateau を東側から回り込んでシモガに至るものであ る。この辺りは,西ガート山脈に続く高地,丘陵の地帯 であり,湖沼も河川もあってマイソール以上に栄えてい たかもしれない。但し,マハシュトラ州へ行くには,や はり遠回りとなる。この地に,彼の求めるものがあった かどうかも問題であろう。 F)「恭建那補羅国」の所在に関しては,クルヌール Kurunol(Andhra pradesh州在)との地名も挙がって いる(4)。これは,ベラリより東北方向へ直線距離で140 キロメートルの地点に位置する。が,道筋としては,バ ンガロールから真っ直ぐ北上してハイダラバードを目指 す途中に位置する。今の7号線上でもあるが,クルヌー ルに至らず,途中のゴーチで左折すれば,すぐにカルナ ータカ州のベラリに至る(上述A)。玄奘が,カーンチ ープラを発ってマハラシュトラ州,ナーシク Nasik県方 面を目指すとすれば,此の地を経由するのも不便ではな かろうか。 玄奘が,如何なる理由で如何なるコースを選んだか, 詳しいことはわからない。不合理のように見えるコース でも,それなりの理由があったはずであるが,総じて, この辺りのコースとして推測しやすいのは,バンガロー ルを経て7号線,あるいは,4号線 または,少なくと も,この2本の道に挟まれたいずれかの道を選び, (イ)ほぼ真っ直ぐに北上してベラリ方面,あるいは, (ロ)やや北西に進んでチトラドゥルガ方面に至るコ ースではあるまいか。このコース沿いには,貴重な遺跡 も点在している。 ところで,「恭建那補羅国」の都としては,A.Cunni-ngham( 康 寧 哈 姆 ) 氏 に よ り , ト ゥ ン ガ バ ド ラ ー Tungabhadra河(湖)の北岸アナグンディAnnagundi が挙げられている。水谷真成訳『大唐西域記』(中国古 典文学大系22,1994年,初版第8刷,平凡社,347 頁), 季羨林等『大唐西域記校注』も,これを支持している。 別にはクルヌールやベラリといった地名も見えるが(5) カーンチプラからの,また,マハラシュトラへの距離や 方向性(北方,または,西北方)を考慮すれば,その 「大都城」の所在は,Cunningham氏に従ってよくはな かろうか。Burgess 氏の "Kopal"が,今の Koppal を指

(4)

20 すとすれば,これもトゥンガバドラー河(湖)に近い。 インドやスリランカなどを見渡すと,古来,都城や大 寺院は湖や大池,あるいは,貯水池を具備するのが常で あったように見受けられる。今の場合も,この大河(湖) の存在が無視できない。 トゥンガバドラー河は,西ゴート山脈の各地に水源を 持ち,デカン高原,大陸を横断する大河である。やがて, クリシュナ Krishna河と合流し,ゴーダーヴァリー Godavari 河に同様,アーンドラ・プラデーシュ州から ベンガル湾(コロマンデル海岸)に流出し,河口部 (Mouths of the Krishna)に大きな三角州を張り出して いく。カルナータカ州やマハラシュトラ州,以下,イン ドの諸州は,そうしたトゥンガバドラー河,クリシュナ 河,ナルマダ Narmada河などによって寸断されている かのような感すらある。 トウ ンガバドラー河は,その中部において一旦流れを 留め,大湖をなしている。これが,今の Tungabhadra Reservoir である。先の『校注』では,これを「海」と 称しており,Cunningham氏は,この北岸の Anagundi にその都城の旧址があるというのである。 現在の大河の流れや湖沼が,往時のままとは限らない が,ベラリ Bellaryからは,ほぼ真っ直ぐ西へ河を下っ た100 キロメートル(弱)の地であり,背後(北方)に は,バーダミ・ヒル Badami Hillが控えている。チャー ルキヤ王朝の都とされたバーダミは,西北へ100キロメ ートル(直線距離)の地に位置する。 玄奘が,ベラリを経由したかどうかわからない。だが, カーンチプラから西北へ向かい,チトラドゥルガ,ジャ ガ ル ー Jagalur辺 り を 経 て , こ の Tungabhadra Reservoirに至った可能性はある。 なお,トゥンガバドラー河(湖)北岸は,海抜300 ∼ 600 メートル位,バーダミ・ヒルでも600 ∼900 メート ル位である。今日,この辺りの年間平均気温は25.0∼ 27.5度,同降雨量は40∼80センチメートル,土壌は Black soil ,及び,Mixed Red and Black soilという。 広く,Millets 類(6)が栽培され,また,綿花や米が栽培 されている。木綿の栽培は多肥を要し,時期によって水 不足も禁物である。 「恭建那補羅国」の「多羅樹林」につき,大唐西域記 に「其葉長広其色光潤。諸国書写莫不採用。」とある。 これにつき,かつて,諸国の人々は,この国より多羅樹 の木材を購入して薄板となし,その上に文字を書写する と説くものがあったが(7),これは明らかな誤りである。 また,こうしたインド南部の書写素材に言及して,「薄 くそいだ竹で作られたこの「書物」は,祈(折ヵ)りたた めるようになっている。」(8) と説くものもあるが,阿部 登氏の御指摘通り,これも誤解である。 即ち,大唐西域記のこの「多羅樹林」とは,「多羅 (樹)」というヤシの木の葉を「書写」に利用すべく営ま れていた林であった。『望月仏教大辞典』第4巻によれ ば,この「多羅樹林」につき,「この樹木 はpalmyra tree 又は fan-palm と称し」(3531頁)とある。しかし, 私見では,これはpalmyra tree,つまり,パルミラヤシ でなく,コリファヤシCorypha (英名タリポットヤシ) であると判断される。 「多羅」の葉は,別に「貝多羅(葉)」ともいう。「貝 多羅」とは,サンスクリット(梵語)のpattra,または, patra (パーリ語 patta)の音に漢字を宛てた梵音漢訳 語である。『漢訳対照梵和大辞典』(鈴木学術財団,1994 年第8刷,講談社)には,次のようにある。 pattra[中性名詞]翼;羽毛,矢羽;乗物(車・馬 またはらくだ);(樹の羽毛),葉,花弁;(書 くために用意した)葉[∼m aropayati =紙に書 き記す];手紙,文書;金属の箔または板金; (−。)(で彩られた)飾り葉;[芳香のある特殊 の植物の葉または芳香のある葉をもつ特殊の植 物];(植物の一種,学名Laurus cassiaの) 葉;【漢訳】葉,樹葉,瓣,花葩;蓋;券,契書 Bodh-bh.,Divy.,(後略) (729頁) pattraを構成要素とする語句も多く掲出されている。 樹木であれ,野菜であれ,その葉をpattraというわけ で,本来,これをもって直ちにコリファヤシ,パルミラ ヤシのいずれかを指すわけではないが,これらが書写用 の料紙として用いられたところから,これらの葉,また, これで作った料紙,更には,書き上がった典籍,梵夾 (筴)を「貝多羅(葉)」というようになったらしい。 しかし,それだけのことなら,玄奘は,わざわざ「恭 建那補羅国」の「多羅樹林」につき,筆を費やすことは なかったはずである。大唐西域記巻11に,その言及があ るということは,そこに特別の事情があったのではない かと推測されるのである。 典籍や文書に利用される書写素材 Writing Materials としてのヤシには,大きく分けて,二種類がある。その 一は,コリファヤシ(タリポットヤシ)であり,他の一 は,パルメラヤシ(オウギヤシ,パルマイラ)である。 これらにつき,植物図鑑には次のようにある。 [コリファヤシ(タリポットヤシ)について] ‐

2.書写用ヤシの種類

(5)

ヤシ類: コリファ[属] Corypha L. ヤシ科。約8種が熱帯アジア∼オーストラリアに原産す る。幹は丈夫で高く,刺 とげ はない。葉柄は長く,両縁に 強靭 きょうじん な刺をつける。掌状葉 しょうじょうよう はヤシ科の中でもっとも大形 となり,葉身は円形または三日月状で深裂する。雌雄同 株。肉穂 にくすい 花序は非常に大きく,直立して多数分枝し, 円錐 えんすい 状になり,葉冠の上に抜き出て展開し,壮観である。 花柄は管状の苞 ほう に包まれ,花は小形で淡い黄緑色を帯び る。雄しべは6個。子房は3室。果実は通常球状。種子 はかたく,胚乳 はいにゅう は均質である。株は成熟するまで(20∼ 80年)花をつけない。花をつけ始めてから葉はしぼみ落 ち始める。果実の成熟に1年以上を要し,植物は徐々に 枯れる。 ■ C.umbraculifera L. (ウンブラクリフェラ)(和)コ ウリバヤシ/(英)talipot palm/(独)Talipotpalme 原産地はスリランカ,インド南部のマラバル海岸で,標 高600m以下の湿潤地帯に生育する。幹は高さ24∼30m , 径60∼90cm。葉柄は長さ1.5 ∼3mで幅は他種より広く, 5 ∼10cmとなり強大である。掌状葉は径2.4 ∼4.8mで, 裂片の先端はさらに裂ける。花序は長さ3 ∼6mで,植 物界では最大の花序の部類に入る。果実は径3.5cm 。種 子は球状で非常にかたく,表面は滑らかで光沢がある。 発芽日数は52∼108 日。葉は傘にし,種子は象牙のよう にかたいので,数珠玉,ボタンに加工し,また色づけし て珊瑚の類似品とする。 [栽培]別項「ヤシ類」を参照。 <仙頭照康> [パルメラヤシ(オウギヤシ,パルマイラ)について] ヤシ類: オウギヤシ属 Borassus L. ヤシ科。7種が熱帯のアフリカおよびアジアに原産する。 高木性のどっしりしたヤシで,幹は単一,刺 とげ はなく,環 状の葉痕 ようこん が残る。葉柄は重々しく強靭 きょうじん で,両縁には通常 刺がある。葉は大きくてかたく,中肋 ちゅうろく のある掌状葉 しょうじょうよう であ る。雌雄異株。花序は葉間より出る。葉柄は伸長し,数 個の筒状の苞 ほう がある。雄花序は分枝が多く房状になり, 分枝部に筒状の苞 ほう がある。雄花は,花軸にかわら重ね状 に配した小苞の腋 えき にある穴の中で束状に集まってつく。 雌花序は単一,またはまれに 2∼3本の分枝をもつ。 雌花は花軸の小苞腋に1個ずつつく。雄花の萼は離生し て3萼片をなすか筒状で3裂し,花弁は3個,雄しべは 6個,雌しべは微小かまたはない。雌花は雄花より大き く,萼片および花弁は各3個,萼片は基部で重なり,花 弁をおおう。雌しべは球状の卵形,子房は3室。果実は 大きく,球状または長方形,中果皮は多肉で繊維質,内 果皮はかたくて厚い。種子は1∼3個で胚乳 はいにゅう は均質であ る。種子は非常にかたく,発芽に時間がかかるため,や すりで種皮をこすったり,温湯につけるなどの方法で, 発芽の促進をはかるとよい。株の雌雄の識別は開花まで 容易でない。 ■ B. flabellifer L. (フラベリフェル)(和) オウギヤ シ,パルマイラヤシ/(英)doub palm ,Palmyra palm, tala palm, toddy palm/(独) Lontaropalme, Parmyrapalme 原産地はインド,スリランカ,ビルマ。 幹は高さ20∼30m ,径60∼90cm,黒色を呈し,ときに 中央の上方がふくらみ,上に向かって再び細くなる。若 木では,幹は葉および葉柄の基部でおおわれるが,古く なると葉柄の黒色の痕跡が残る。葉柄は長さ0.6 ∼1.2 で,両縁に刺がある。掌状葉は径 0.5∼1.5mで灰緑色。 小葉 しょうよう は披針ひ し ん形または剣状で60∼80個あり,革質でかたく, 先端は2裂する。雄花序は長さ約1.5m。雄花の萼は離 生し,花弁は短くへら状倒卵形。雌花は径約5cmの球 状で,萼片は腎臓形。3∼4月に開花して7∼8月に成 熟する。果実は一方がへこんだ球形,径15∼20cm,黄 色∼褐色∼黒色。果面は滑らかで,中果皮は強靭な繊維 質,種子を1∼3個含む。花軸から出る液や甘い果汁か ら糖をとり,これらからヤシ酒,食用酢,薬用物をつく る。幹は硬質のため,ヤシでの建築材としては最高で, 家具,工芸品の材料にもする。葉は屋根ふき用や敷物に, 繊維はロープとする。利用法は多岐にわたり,各地で広 く栽培されている。 [栽培]別項「ヤシ類」を参照。 <仙頭照康> (以上,相賀徹夫編集『園芸植物大事典5』, 1989年12月,小学館,による) ヤシの葉には,大きく分けて羽状複葉と掌状複葉との 二つのタイプがある。前者は,葉柄と葉軸につく小葉と からなる。後者は,葉柄の先に放射状につく小葉を節葉 という(9)。上記の二種のヤシは,共に掌状葉といってよ いが,パルメラヤシ(オウギヤシ)Borassus flabellifer L.の葉身は,「よく見るとまだ羽状複葉の時の名残りが 見られるから羽状から掌状にうつる過程の種類なのであ ろう。」とされる(10) さて,コリファヤシの掌状葉は径 2.4∼4.8m,パルミ ラヤシのそれは径 0.5∼1.5mという。前者からは,より 大きな料紙が切り出せるわけだが,これら2種のヤシに がくへん

(6)

22

つき,Institute of Asian Studies, "A Descriptive Catalogue of palm-leaf Manuscripts in Tamil", (vol.I, Part I, 1990)には,次のようにある(原文英

文)。

ヤシの葉の二つの主な種類が,書記に用いられる。 タリポットヤシTalipot palm(Corypha umbracu-liferaは,湿度の高い海岸沿いの地域に成長し,マ ドラスの北東海岸の原産(native)である。パルミ ラヤシpalmyra palm(Borassus flabellifer)は,比 較的乾燥した気候で成長し,ざらざらした(rough) きめの荒い(coarse)葉を生じさせる。タリポット ヤシの葉は,紙(paper)に比べることができ,き め細かく,滑らかで柔軟性を有している。タリポッ トヤシの葉は,滑らかで,吸収性があり,ブラシや ペンにカーボンインクを着けて書記用に用いること ができる。パルミラヤシの葉は,とても厚く,非常 に 硬 い 表 面 を し て い る 。 そ れ ら は , 最 初 に 鉄 筆 (stylus)で刻みを付けられ,その後,その刻みは ランプのスス(lamp black)で,―いくらかのもの は,油が塗られ,インクは塗られないが,―黒く色 付けされる。 (p.ⅩⅢ) 同趣の言及は他にもあるが,遡れば,George Buhler の"Indian Paleography"の "ⅤⅢ.Writing Materials, Libraries and Writers." ,"§37.−Writing Materials490"

に,次のようにある(11)

D.―Leaves.

According to the Canon of the Southern Buddhists(see above. page 20), leaves(panna) were in ancient times the most common writing material. Though the texts500 do not mention the

plants which furnished these leaves, it is not doubtful that they came then, as in later times, chiefly from the large-leaved palm-trees, the tada or tala(Borassus flabelliformis)and the tadl or tall(Corypha umbraculifera, or C.taliera), which, originally indigenous in the Dekhan, are found at present even in the Panjab. The earliest witness501

for the general use of palm-leaves throughout the whole of India is Hiuen Tsiang(7th century). But we possess clear proof that they were used even in north-west India during much earlier times. The Horiuzi palm-leaf MS certainly goes back to the 6th century, and some fragments in the recently discovered Godfrey Collection from Kashgar belong, as Hoernle has shown on the

paleogr*- phical evidence, at least to the 4th century, and are older than the Bower MS 502.

(p.113) 以下は略す。細字で500のようにあるのは翻訳前の原本 の行数である。文中にはあちこちの参照箇所が指示され ているので,これがないと困る。* 部には綴り字の aが 脱落しているようである。 ここにはデカン高原 Dekhanに固有のtada,または, tala(Borassus flabelliformis)と,tadi ,または,tall (Corypha umbraculifera,or C.taliera)とが挙げられて

いる。

コリファCorypha 属には,約8種が数えられるとい うが(前掲,『園芸植物大事典5』)(12),上の末部に見え

るコリファ・タリエラCorypha taliera Roxb. は,同じ く上に引かれているハーンリ Hoernleによれば,コリフ ァ属のコリファヤシCorypha umbraculifera L.に寸分違 わず同一だという。

There is every reason to believe that C. Tali-era and C.umbraculifTali-era are identical.

(A. F. Rudolf Hoernle,"An Epigraphical Note on Palmleaf, Paper and Birch-bark", Journal of the Asiatic Society of Bengal, LX Ⅸ, Pt. 1, No.2, 1900, p.93) これには従いにくいが,この一方,コリファ・タリエ ラは,ベンガル・コリファヤシのことだと説かれる(上 原敬二著『樹木大図説Ⅲ』,有朋書房,1170頁)。ベンガ ル地方の産で,タミル・ナドウの海岸地帯にも多いとさ れる。荒俣宏著『花の王国4 珍奇植物』には,開花し た状態の,巨大で壮麗なこの「タリエラヤシ」の全体像 が図示され,ベンガル地方産,同属にタリポットヤシが あるとする。(13) このヤシも,書写のために(for writing),最も広く 用いられた(The most widely used) 3種のヤシの一 つであるが(他の2種は,コリファヤシとパルメラヤ シ),

The leaves of Corypha taliera are thick and not very flexible. They are also prone to insect attack. (O. P. Agrawal,"Conservation of Manuscripts and

Paintings of South-east Asia". Butter worths, Boston, 1984, p.25, 26)

というように,コリファヤシより厚目で柔軟性を欠き, 虫の害を受けやすいことが指摘されている。

しかし,(南)インドでは,これを用いないという。 Although there are many varieties of palm-trees, the leaves of three kinds of palm-trees were used ¨ ‐ ‐ ‐‐ ‐‐ ‐ ∼ ‐ ‐ ‐‐ ・・ ・ ・ ・ ・

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in India, Nepal, Sri Lanka, Burma, Thailand, Indonesia and Combodia. They are the palmyra palm,talipot palm and Corypha taliera Roxb. In South India only two types namely the palmyra palm and talipot palm were used.

(G.John Samuel,"Palm-Leaf Manuscrirts in Tamil and their Preservation", Institute of Asian Studies, Palm-Leaf and Other Manuscripts in Indian Languages, 1996, p.197.) 最近の報告書であり,これによれば,そこではパルメ ラヤシとコリファヤシとの2種だけを用いたとある。 タイでも,アユタヤ時代(1350∼1767年)に,人々は バイ・ラーン Bai-larn と称するヤシの葉に,その歴史, 宗教,経文等を書いたとされる(14)。タイ語で,bai は (木の)葉の意,larn(laan)はヤシの木(の一種)の 意である。バイ・ラーンは,ロブリ Lopburi地方産のも のが有名で,その葉は,少しばかり golden green 色を しているので,これを golden leafというと説明される (既出,O. P. Agrawal 著書,28頁)。そのヤシの葉,ま た,それで作成した書物(の形態にあるもの)をバイ・ ラーン(貝葉本)というのである。 バイ・ラーン(貝葉本)は,恐らくは,それ以前から 作成されていたと推測される。これには,「ヤシ科コリ ファ亜科に属するラーン Corypha lecomtei Becc. の葉 を」用いたといい,(15)また,Corypha umbraculifera Line.を用いたという。この後者の方は,小林良生氏の 実地調査によるもので,次のように述べられる。(16) タイ科学技術研究所の副所長ナロン・チョムチャロ ウ博士及びタイ・ドキュメンテーション・センター の室長ノンパガ・チトラコーンさんによって,タイ 人がバイラーンといっている植物は,学名を Cory-pha umbraculifera Line. であり,対応する英語は talipot palmあるいは fan palm ということを教えら れた。加えて,ナロン博士はこれは他にも2種あり, 一方はタイの北部に,他方は南部を中心に生育する 種であるという。(中略)その一種は C.utan Lam, あるいは C.elata Roxb.であり,これに対応する英 語は buri palm, gebang palm または angel palmで ある。もう一種は恐らく C.laevis A.Chev. である。 (中略)筆者は,はじめ葉というので扇形の葉の部 分を使用するものと思っていたが,ナロン博士は実 際は葉ではなく,葉柄(図二)から形成されるのだ と強調された。(中略) 経典への利用についても訊ねてみた。葉柄からとれ るバイラーンは,五〇∼六〇センチメートルの長さ に切り,両端から一〇センチメートル位の所に穴を あけ,ひもでゆるく結んで一巻の経典とする。(後 略) 以下には,その生産地として,カビンブリKabin Buri やコーンキャーン Khon khaen の様子について言及さ れている。文中の(図二)には,葉の葉柄部の密生する 樹冠部の図版が示されている 文中,ナロン博士の強調された点には,皮肉なことに, 不審がある。バイ・ラーンに用いる部分は,葉柄の先に つく葉そのもののはずである。小林氏の実見記録の中に は,「興味あることに,この葉柄部は幅広い白い葉状の ものが丁度扇を閉じたように折畳まれているのである (図三)。」(12頁,図略)とも見える。「葉柄部」とはあ るが,これは,その葉が展開する直前の,まだ葉柄も伸 びていない幼葉部(幼芽部)のことであって,葉柄その ものではない。バイ・ラーンには,この幼葉部(幼芽部) を切り取り,ほぐし,調製していくのである(17)。小林 氏も,葉柄(部)と葉そのもの(節葉部)とを混同して いらっしゃるのかもしれない。

また,上に見える C.utan Lam (英名gebang palm) は,C.elata Roxb.の「異名」であるといい(前掲,『園 芸植物大事典5』,90頁),かつ,C.elata Roxb. は,ジ ャフコリファヤシ Corypha Gebanga Blume,英名Geb-ang Palmに同じものであるという(上原敬二著『樹木 大図説Ⅲ』,有朋書房,1169頁)。その英名 buri palm (ブリヤシ)の方は,フィリピンでの名称タガログ語 buriから来たものらしい(同上,小林氏,8 頁)。 但し,ジャフコリファヤシは,書写(書記)には向か ず,用いられたことがないとの発言がある。

I may add that there is a kind of Corypha palm, the Corypha elata, which grows, probably cultivated, in Bengal and Bihar. But its leaves are not suitable for the purpose of writing books, and have never been so used. Its complete natural segments are much too narrow ; they measure only about 1/2inches, and allow only strips of 3/4

inch or less to be cut from them.

(既出,A. F. Rudolf Hoernle,"Epigraphical Note on Palm-leaf, Paper and Birch-bark", p.97)

もう一方の C.utan に関連しては,インドネシア,バ リ島のロンタルヤシがある。バリ島では,この葉で工芸 品・装飾品を作り〔補説3〕,また,ロンタル文書(写 本)を作成する。即ち,Albertine Gaurの "Writing Materials of the East"(British Library, 1979, p.14)では,

Three species of palm-trees provided material ‐

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suitable for writing : the talipat palm(Corypha umbraculifera), the palmyra palm(Borassus flabellifer)and, especially in Southeast Asia, the lontar palm(Corypha utan)."

と記す。まず,コリファヤシとパルメラヤシとを挙げ, その後に,特に東南アジアではロンタルヤシだとし,こ の3種を比較して,

The leaves of the talipat palm are long and broad with a cross vein marking ; the palmyra leaf is hardly ever more than one and a half inches wide and shows a pock-marked surface ; lontar leaves seem to be a somewhat finer quality.

という。パルメラヤシはコリファヤシより硬い,ロンタ ルヤシは,幾分,より良質のようだというから,ロンタ ルヤシが最良のものということになる。

和久博隆編著『仏教植物辞典』(国書刊行会,昭和54 年10月)には,Corypha utan Lam. は,和名タラバヤ シ,「貝多羅葉」(パルマイラヤシ<ウチワヤシ・オオギ ヤシ>Borassus flabellifera, Linn. )と同様,インド人 は,針をもってこの上に経文を刻して梵夾とすとある (83頁)。タラバヤシからはデンプンを採り,花序液から 黒糖を作る。 崎山理氏によれば,しかし,ロンタルヤシはニッパヤ シであるとされる。即ち,「古代インドでは紙に代わる も の と し て , 南 イ ン ド に 多 い ヤ シ 科 の 多 羅 樹 (Borassus flabelliformis)の葉」が用いられたが,貝 葉とは,この葉を乾燥して云々, インドネシアでは貝葉はロンタル lontar といわれ, (中略)多羅樹ではなくニッパヤシの葉が用いられ ている。 と述べられている。(18) Borassus flabelliformis との学名(属名,種小名)は, 先 の G.Buhler( "§ 37.-Writing Materials") も , Borassus パルミラヤシ "tada or tala" の意で用いてい る。だが,ハーンリ Hoernleは,Dr.Prain (Sibpur王立 植物園長)の情報提供のもとに,Borassusの正式名は, 通例の flabelliformis ではなく,flabellifer であるとす る(A. F. Rudolf Hoernle, "An Epigraphical Note on Palm-leaf, Paper and Birch-bark", p.93 の注1 )。

ニッパヤシ Nypa fruticans Wurmb. は,インド,ス リランカ,オ−ストラリア,東南アジア等の汽水帯の湿 地や河川流域によく見られるヤシで,地際から直に,あ るいは,水底の幹からでも大きな(5 ∼10m)羽状複葉 を広げ伸ばしている。樹液からヤシ酒や砂糖を採り,そ の葉は,主に屋根葺き材や壁材とし,若葉をマット材や タバコの巻き紙代わりに用いた。(19) ニッパヤシの葉の表皮は硬くて耐久性に優れるが,葉 の細胞構造として,コリファヤシのような柔構造を持た ず,外力による破砕には弱いとされ(20),また,屋根葺 きに用いても,腐るのは早く,何年ももたないので頻繁 に葺き替えるのだという(21)。この葉を,メモ程度に利 用することは可能かも知れないが,書写本に用いるのは 適当ではなさそうである。 崎山氏の説に対し,阿部氏は,「ロンタールとはパル メラヤシのことである。」とされる(22)。また,産業植物 として,専らこの栽培を説くパルメラヤシ職業開発グル ープによる「パルミラヤシからの地域づくり」(23)でも, パルミラヤシの別名の一つに「ロンタールヤシ」を挙げ ている。

Bill Dalton, "Indonesia Handbook"(Moon Publicat-ion,U.S.A.,1978) には,"lontar palm (or fan- palm)" と"lontar literature" につき,簡潔な解説がある。前者 につき,一部を要約しよう。

"lontar palm (or fan-palm)" は,長い乾季に耐え る高いヤシの木で,1年に2度,雨季の初めに1度 開花し,70∼100年もの間,年平均600リッターのジ ュースjuice を採取できる。tuakや酒,シロップgul airを作る。葉は,屋根葺き材,籠,水よけ,マッ ト,帽子,履物,楽器,カバン,sirih の箱,葉柄 は,垣根,葉柄の繊維は馬具や綱,幹は,家や橋,馬 屋の仕切り,家畜小屋に使用される。 (255頁) これは,パルメラヤシを説明したものと解してもよい ような説明である。但し,原文の "This tree flowers twice a year, once at the beginning of the wet." とある 部分は不審である。インドでは,パルメラヤシは,乾季 (10∼3月)・暑季(4∼5月)の3月から5月と,12 月ごろに葉鞘に包まれた単性の花穂を出すとされるが(24) タイでは,乾季(10∼2月)の12∼2月に花房ができ, 暑季(2月中旬∼5月)から雨季(5月中旬∼10月)の 6,7月まで樹液(花序液)を採るとされる(25)。イン ドネシアの雨季は,大体,10月から3月まで,乾季は4 月から9月まで,花序液を採るのは乾季だけである。ま た,パルメラヤシの雄花は,一年で3∼9束,雌花は, 4∼5カ月間にわたって10束以上の花を着け(26),シロ ップや砂糖は,これらの花房を切って出る樹液(花序液) から作るが,雨季には,この樹液採取は適さないとされ る。 なお,楽器にも利用されるとする点につき,小スンダ 島のチモール島では,今でもロンタルヤシの葉で「ササ ‥ ‐ ‐ (ママ) ・

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ンドゥ」というチモールの代表的な楽器を作っている。 以上,書写用のヤシの種類について述べた。トコロに よってモノが変わり,名称が異なる。加えて,汎称もあ れば別名・異名もある。巨大なヤシのことだけに持ち寄 って比較することも困難である。できるだけ諸説を尊重 したが,整理していくのに困難な部分もある。 ところで,コリファヤシは雌雄同株,パルメラヤシは 雌雄異株で,二者間に大きな違いがある。花序の着き 方・形態,葉の長さ,掌状葉の大きさ,成熟・着果年数, 開花・着果期間などにも相違が見られるが,殊に注目す べきは,一にその生育・植生条件であり,一にはその用 途,利用度であろう。 まず,生育・植生条件であるが,ハーンリ Hoernleに よれば,コリファヤシ(タリポットヤシ),及び,コリ ファ・タリエラは,南インドのマラバル海岸,スリラン カを原産地とし,その野生種の限界は,北緯13度位まで である,また,西海岸ならコンカン(北緯16度)からボ ンベイ(北緯19度)近くまでなら自由に栽培され,東海 岸でも,非常にまれだが,ベンガル地方南部にまで栽培 できる,だが,南インドの中央部,あるいは,高地では 育たない,という(A. F. Rudolf Hoernle,"Epigraphical Note on Palm-leaf, Paper and Birch-bark", p.94.)。

先の『園芸植物事典5』(相賀徹夫編集)に,「標高 600m以下の湿潤地帯に生育する」とあるように,この ヤシは,湿地というほどではないが,谷間 たにあい のような潤い のある土地を好むようである(27)。何十年か経って始め て結実するが,果実 seed そのものは無数に得られ,落 下した果実は,高温多湿により,比較的容易に発芽する。 そのままでは互いに生長を妨げ合うことになってしまう が,植え替えは可能であるので,苗の内に適地に植え替 え,栽培していけば良好なヤシ園ができよう。 パルミラヤシは,ハーンリ Hoernleによれば,アフリ カからもたらされた外来種で,インドのどこでも自生は せず(does not grow wild anywhere in India),村落周 辺に栽培されて成長する,Panjab,Upper Sindh ,ま た,Rajputana や北西諸州の最北部を除くインド全域で 成長し,北限は,北緯27度か28度である,という( A. F.Rudolf Hoernle, "Epigraphical Note on Palm-leaf, Paper and Birch-bark", p.94. )。

スリランカ,インドネシア,マレーシア,タイ,ミャ ンマ−などでも,かなり古くから栽培されてきたようだ が,しかし,ところによっては自生化しており(28),野 生化自体も可能である(29)。その範囲も時代・時期によ って移動するであろうが,インドでも,早くから自生種 は存在したと推察される。 パルミラヤシは,「どのような地域や気候でも,比較 的よく育つ。水を撒いたり化学肥料を与えたりする必要 はほとんどなく,育成に手間はかからない。」(30)とされ る。乾燥した地帯にもよく見られ,スリランカの場合, その北部・東部地域,ジャフナ半島などに群生し,また, 栽培されている。これらは,暑くて乾燥度の高く,砂地 の目立つ地域である(31)。タイでも,腐植質と水に乏し い酸性の砂地,あるいは,粘土質のサトゥーンプラ半島 に最も多く栽培されている(32)「乾燥によくたえ」ると 同時に,「また水害にも強く,半年ぐらいは水につかっ てもかれることはないから,洪水の多いメコン川流域や インドに適しており,」ともいわれる(33)。タイでは,水 田地帯にふつうに見られるが,少なくとも,乾季は必要 のようである。 次に,用途・利用度の問題である。 パルミラヤシの利用価値は高く,この点,コリファヤ シは遠く及ばない。双方とも葉を傘(34)や敷物,書写素 材等に用いるが,前者の場合,幹は,家具や家に,根は 薬に,葉は,屋根材,燃料,帽子などに,葉柄は,フェ ンスや燃料に,果実は,牛や豚の飼料や食料に,種は, 燃料や食料に利用され,その植林は強風や雷を防ぐ環境 保護にもなって,全くの無駄がない(35)。特に,その樹 液(花序液)は有用で,これからは,ヤシ砂糖,及び, 酒,食用酢,薬用物などが作られる。「樹液は長ければ 八〇年間採り続けられ」(36)とされ,しかも,年平均600 リッターも採れる(Bill Dalton 氏)。 パルミラヤシは,このように貴重な生活資源,産業資 源となっているが,コリファヤシは,ライフ・サイクル (生活環)の長大であることもあって,それほどの有用 性はない。この点については,ハーンリにも詳しい言及 がある(既出,123 ∼124 頁) 。 ハーンリによれば,書写用料紙としてのコリファヤシ は,15世紀頃まで(中北部,西部),あるいは,18世紀 中葉まで(ビハール州,スリランカ)用いられたが,そ の後はパルミラヤシ(及び,紙 Paper) に取って代わ られた,それは,これら二者の利用価値の大小による作 付け転換に伴うものであったとされている(124 頁)。 インドにおけるパルメラヤシ,また,このハーンリの説 については次に触れよう。 大唐西域記の「恭建那補羅国」の条の「多羅樹林」に つき,ハーンリは,次のように述べている。

There is a notice in Hiuen Tsiang's Travels(Beal, vol. ii, p.255) of the existence of "a forest of Tala ‐

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trees" near Konkanapura in South-India.The exact site of that place is still a matter of dispute(see Indian Antiquary, ⅩⅡ, p.115,ⅩⅩⅢ, p.28); but it must be somewhere in the Conkan, which is the limit to which the Corypha umbr. grows freely in cultivation (though not wild). The pointed notice of the "forest of Talipat palms" is curious. It must have been a particular feature of that place, and must have been shown to Hiuen Tsiang as such.In the forest there was a Stupa; and Hiuen Tsiang adds that"in all the countries of India the leaves of the Talipat palm are everywhere used for writing on". Here we seem to have a clear instance of a plantation of Corypha palms, on a large scale, for the purpose of growing leaves for inland use or for export. Writing was mainly carried on in Buddhist and other monasteries, and probably there were Corypha plantations connected with most of the larger monastic establishments in South India ; only the Konkanapura plantation would seem to have been one on a particularly large scale.

("An Epigraphical Note on Palm-leaf,Paper and Birch-bark",p.124)

その「多羅樹林」を,ハーンリは "Tala trees" と訳し, "Talipat palms"と英訳し,更に,"Corypha palms",ま た,"Corypha Plantations" と置き換えている。その林 の所在については議論の余地があるが,しかし,それは Concan のどこかであり,ここは Corypha umbr.が野生 wild でなく,栽培 cultivationで自由に成長する限界内 である,ともある。 このヤシ林のヤシをコリファヤシと考える点は,結果 的に,本稿の結論と同じである。しかし,ハーンリがそ う解釈した理由は何であろうか。 大唐西域記の「多羅(樹林)」は, Tala の音訳と解 し得ても,必ずしも Talipat palmsを意味するものとは いえない。また,ハーンリは,後に,Dr.Prain宛に照会 したその回答文に,「Tala-phalaが,Talaヤシであるか Tallヤシであるか,即ち,Borassusヤシか Coryphaヤシ

かという身元確認」云々(132 頁)とある条を引いてお り,「多羅」との表記は,容易に " Talipat palms" ・ "Corypha palms" と置き換えられないことを知っていた はずである。 「多羅」との表記,即ち,Talaとは,基本的には, パルミラヤシ,即ち,Borassusヤシの称呼であろう。 例えば,G. Buhlerには,

chiefly from the large-leaved palm-trees, the tada or tala(Borassus flabelliformis)and the tadl or tall(Corypha umbraculifera, or C.taliera), which, originally indigenous in the Dekhan,

とする条がある(既出,113 頁)。tadaとtadlはヒンデイ ー語,talaとtallはサンスクリット語である。

また,O.P.Agurawal,"Conservation of Manuscripts and Paintings South-east Asia"では,Borassus flabe-llifer Line(palmyra palm) を "Sanskrit name,Tal ; Hindi, Tar",Corypha umbraculifera Lineを"Sanskrit name, Karalika, Sritalam, Tali"としている(既出,25 頁)。 大唐西域記には,次にも「多羅」との表記が見えてい る。 昔南海僧伽羅国王清旦。以レ鏡照レ面不レ見二其身一。 乃 覩下贍 部 州 摩 掲 陀 国 多 羅 林 中 小 山 上 有中此 菩 薩 像上。 (大唐西域記,巻9,大正新脩大蔵経,第51巻,925 頁) 玄奘が,那爛陀寺を発って伊爛拏鉢伐多国(中印度境) に向かう途中,ビハールの観自在菩薩像を拝した条に見 えるものである。「多羅」は高木林をなすが,ここには, この「多羅」の葉には聖語が写し留めらる,との含みも あろう。 この条の「多羅」につき,水谷真成氏は,

多羅 。ta-。la : Skt. Pa. tala. また 羅とも。高竦樹と 訳す。学名Borassus flabelliformis.シュロ科に属す る喬木。巻十一の(後略) (既出,大唐西域記,平凡社,309 頁) と注釈し,季羨林氏等も, 多羅:梵語 tala 音訳,又作 羅,為高大喬木, 学名Borassus flabelliformis。亦見本書巻十一恭建那 補羅国条。 (既出,大唐西域記,774 頁) と注釈する。 『仏教植物辞典』(既出)では,「多羅」は,Tala, 学名はBorassus flabellifera, Linnとし,音義や仏典を引 き,また,その梵語名や複合語(32語)を挙げる(タ部, 「292.多羅」,75∼76頁)。但し,本書は,この「多羅」 と「貝葉(貝多羅葉)」(ハ部,「貝葉」,83頁)とは異な るような書きぶりとなっている(37) 『望月仏教大辞典』(第5巻,昭和8年初版,同38年 四版,世界聖典刊行協会,4181頁),鈴木学術財団編 『漢訳対照梵和大辞典』(新装版,1986年,講談社,537 頁)などでも,大体,同様であり,talaはパルメラヤシ ‐ ‐ ‐ ‐ ‐ ‐‐ ‐ ‐ ‐ ‐ ¨ ‐ ‐‐ ‐ ‐ ‐‐ ‐ ‐ ‐ ^ ^ ‐ ‐ ‐ ‐ (ママ) ・ ・ ・ ・ ・

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( Borassus flabellifer , ま た は , Borassus flabe-lliformis)であって,これをコリファヤシ(Corypha palm,または,Talipat palm)とするものはない。 『漢訳対照梵和大辞典』,また,水野弘元著『パーリ 語辞典』(1970年,春秋社,118 頁)などでは,見出し 語tala(パルメラヤシ)に次いで,これを構成要素とす る多くの複合語や関係語句が挙げられている。これは, 即ち,前節に見たように,パルメラヤシが社会・経済, 庶民生活等に深く関わっていることを物語るものであろ う。(これに対し,tallの所掲はないようである) さて,こうしてみると,ハーンリは,一体,何をもっ て「多羅樹林」を "Talipat palms" "Corypha palms"と解 釈し,英訳したのであろうか。 これについては,実は,以下のような事情がある。 ハーンリの上記の論文によれば,書写素材としてのコ リファヤシ(タリポットヤシ)の葉とパルミラヤシの葉 とは,容易に(easily) 区別できるという。即ち,彼は, 130 点ほどの写本(貝葉本)につき,細かな実測を重ね た後,次のように述べている(要約)。 Corypha umbr. コリファヤシの葉は,パルミラヤ シBorassus fl.より薄く,また,幅広であり,小川 のように流れる縞模様の中にはっきりと十字形の葉 脈を有している。他方,パルミラヤシの葉は,むし ろ,あばたの,あるいは,あばた肌の様子(外見) を呈しており,この葉幅は,決して,13/4インチ ( 4.46cm) を 越 え る こ と は な く , 11/2イ ン チ (3.81cm) を越えることは非常にまれである。 パルミラヤシの写本の大多数は,11/2∼1インチ (3.81∼2.54cm) 幅であり,1インチ(2.54cm) 幅 以下は,とてもまれである。 コリファヤシの葉の通常の幅は,3∼13/4(4.46∼ 7.62cm) であり,これによる写本は,21/2∼13/4 インチ(6.35∼4.46cm) であり,13/4(4.46cm) 幅以下の写本は一般的でない。 (p.94∼95) わずかな例外もあるようだが,ハーンリは,大体,写 本の料紙幅が4.46㎝以上(または,3.81㎝以上) ならコ リファヤシによるもの,3.81㎝以下(または,4.46㎝以 下) ならパルミラヤシによるもの,と説く。従って, その写本がいずれのヤシによるものかを知るには,その 葉幅,即ち,料紙幅を計測すればよい,これは,ほとん ど絶対的なテストである "The width, therefore, is an almost absolute test"(p.95) ,という。なお,疑いが ある場合には,(イ) 葉の厚さ,(ロ) 葉脈,の二つの追 加テストを行えばよいとする。 ハーンリは,また,パルミラヤシの葉の半片(中央の ribに沿って縦長に裂かれた一片をいう)は,両端に至 って先細りとなり,得られる内の最大の切片は,長さ約 16×幅11/2インチ(40.64 × 3.81cm)である,(写本の 料紙として)調製された葉で16インチ(40.64cm) 以上 の長さを有するものは,コリファヤシである,とも述べ ている(p.96) 。 それが,ほとんど "absolute test"であるとされるなら, 疑いも生じにくく,追加テストも用意されないでしまう ことになるが,ハーンリは,こうした判別方法をもって インド各地の写本を調査・検討し,次のような結果を得 たとする(要約)。

To sum up the result of my enquiries into the use of palm-leaf as writing material, it appears thatー (1) Originally none but leaves of the Corypha umbr. palm were used throughout India.This state continued down to the 15th century.

(2) From the middle of the 15th century their use was discontinued in Western India,no other kind of palm-leaf replacing them.

(3) From the beginning of the 17th century they ceased to be used in Bengal and probably Orissa, the leaves of the Borassus fl. taking their place. (4) In Behar their exclusive use continued down

to the middle of the 18th century.

(5) The use of the Borassus flab. is com-paratively modern, and it is, and was, nowhere current in Northern India, outside Bengal and Orissa.

(6) Paper began to come into use, in the Centre of Northern India, in Western India and in Eastern India about the middle respectively of the 13th, 14th and 15th centuries.

(7)In the Centre and West it entirely superseded, in the 15th century, the writing-material previously in use, that is, palm-leaf in the West and perhaps birch-bark in the Centre. In the East it maintained a finally successful rivalry until comparatively recent times.

(p.122) 書写素材として,コリファヤシに替わってパルミラヤ シが用いられたのは,(16世紀末∼)17世紀初∼19世紀 初頭(ベンガル,オリッサ等の東部インド地方)という, 比較的近代のことであるとされる。こうした結論を承け て,また,ハーンリは,パルミラヤシそのものがインド ‐ ‐‐

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に導入されたのは,比較的近代になってからのことであ ると推測する。

But it is difficult to suppose that the employment of the Borassus leaves as a material for writing can be separated by any long interval from the introduction of the Borassus palm into India. The tree could not well have existed long in India without its useful properties being discovered. If the use of its leaves for writing grew up in the 15th or 16th centuries, its introduction can hardly be placed much earlier than the 14th

century. (p.124) パルミラヤシは,資源として,コリファヤシより各段 に有益なものだから,インドに導入されたなら直ちに栽 培,流布し,活用されるはずである,この活用以前に, ひとり書写素材としての用途のみが早くから存在してい たはずはない,書写に用いられた時点は,その導入時の 直後である,とされるのである。 ハーンリは,大唐西域記の「多羅樹林」を "Talipat palms","Corypha palms"と解釈し,英訳した。それに は,以上のような経緯があったのである。 ハーンリの論文は重厚なものであり,翻訳,重版も行 われ,東西の研究者(38)に大きな影響を与えている。こ れを批判するのは容易でない。しかし,大小の問題を抱 えているのは確かのように思われる。 その一点は,料紙の大小を基準にヤシの種類を問うの は安全ではないという点である。 ハーンリの結論は,どちらかといえば,大部の,ある いは,良質の内容をもつ大型写本を中心として導き出さ れたものであり,そもそも,こうした場合には,コリフ ァヤシが使用される傾向が強い。たとい,パルミラヤシ が存在する時代であっても,である。とすれば,この種 の大型本をもって,当時におけるパルミラヤシの存否を 論ずることは許されないことである。 内容の劣る,小型本・中型本等,あるいは,文書類な ど,後代に遺存することを期待されない場合には,パル ミラヤシが使用され,また,コリファヤシも使用された かと推測される。 コリファヤシの葉からは,確かに大型本用の大きな料 紙が切り出せる。葉の中央部を用いるのである。だが, それを切り取った後の両端も利用できる。また,幼芽 (幼葉) bud(の塊)の脇の部分に位置する葉も使用で きる。これらの短小の,また,幅の狭い葉・部分を利用 すれば,中型本・小型本等の作成は可能である。ハーン リの扱った中型本・小型本等の中にもコリファヤシの葉 によるものがありはしなかったかと畏れる。 写本の大きさ(形態)が,素材(ヤシの種類)を判別 するのに有力な手段となるかも知れないが,しかし,こ れは必ずしも万能ではないであろう。過信することは危 険である。古写本類の中には,黒ずんだり変質したりし たものがある。その葉(料紙)の模様の判然としないこ とも多い。 次の点は,インドでは,比較的近代に至るまで,本当 にパルメラヤシは存在しなかったのかという点である。 私見では,ずっと古く,否,どんなに遅くとも,玄奘の 時代,即ち,唐代(618 ∼ 907年)には,これが存在し ていたと判断されるのである。これについては次節に述 べよう。 (1)玄応音義 玄応は,玄奘がインドから帰国して訳経に入った時 (貞観19年6月),「字学大徳一人」(大慈恩寺三蔵法師伝, 巻6)として訳経に従事した学僧である。その玄応撰一 切経音義(648年頃成,25巻)には,ヤシの「多羅」「多 羅果」について,次のように見えている(〈 〉内は底 本に割り書き,/印は改行)。 多羅〈案西域記云其樹形如椶櫚極高者七/八十尺果 熟則赤如大石榴人多食之/東印度界/其樹最多〉 (巻2,大般涅槃経,第1巻に所出語) 多羅果〈其樹形似椶櫚直而高聳大者数囲花白而大若 (ママ) /若捧両手果熟即赤状若石 (ママ) 生経百年方有/花果 旧言/貝多訛也〉 (巻23,広百論,第3巻に所出語) 共に『古辞書音義集成 一切経音義』(昭和55年,汲 古書院,上,104・105 頁,下,677 頁)によった。底本 は,書陵部本である。二例共,慧琳音義に収められてお り,ここでは,前者は, 多羅樹〈案西域記云樹形如椶櫚高六七十尺果熟則/ 赤似此国石榴東印度多有国人収取食之也〉 (大正新脩大蔵経,第54巻,464 頁) となっている。宝永5年の大和本草巻11(益軒全集,巻 6)等にも引かれているが,「案西域記云」と見える書 が,玄奘の大唐西域記(辯機編),大唐西域求法高僧伝 (2巻,義浄撰),その他,何を指しているか,はっきり しない。あるいは,不特定の書籍を指すといったことも あるかも知れない。「此国」とは,中国(唐代)をいう。 但し,ザクロは,本来,イランのザグロス山脈(山系) Zagrosに因んで命名された植物とされる。 「高者六七十尺」とは,13.8∼16.1m (小尺の1尺= ‐

4.仏書・仏書音義

(13)

約23cm前後)。こうした高さをもって,また,多分,そ の樹形のすっきりした美しさも与って,このヤシは高さ を測るモノサシ(基準)にもされた。即ち,ここの経本 文には,「以仏神力去地七多羅樹。於虚空中黙然而住。」 (大般涅槃経,第1巻,同大蔵経,第12巻,367 頁)(39) と見える。「(高)七多羅樹」「長八十多羅之樹」のよう な表現はこの他の仏典にも見えている(例,方広大荘厳 経,唐地婆訶羅訳,同大蔵経,第3巻,541,584,596, 585 頁)。 後者の場合にも,若干の異文がある(同大蔵経,第54 巻,63頁)。これが相当する本文には「応如烏鵲厄多羅 果。由如是等衆多過失。」(同大蔵経,第30巻,200 頁) とある。 玄応音義や慧琳音義は,漢訳仏典の語句について注釈 を施したものである。漢訳仏典の原典は,インドや西域 などからもたらされた貝葉本 Palm Leaf Manuscripts, その他である。従って,上記の被注語も貝葉本等に見え ている訳だが,ハーンリ氏によれば,これらは,皆,コ リファヤシ(タリポットヤシ)ということになる。果た して,そうであろうか。 玄応音義の注釈によれば,「多羅」の実は,熟れれば 赤く,ザクロ大となり,食用とする,しかも,「東印度」 の境域に最多,とある。これは,パルミラヤシ(の果実) を指すと見てよさそうな表現である。これに対し,コリ ファヤシの実は,とうてい,食べられない。 パルミラヤシの果実(外果皮のまま)は,(日本の) 「リンゴの大きさと同じ」(阿部,ヤシの生活誌,182 頁, 「パルミラヤシの果実」の写真も掲げられている。)とい われ,より詳しくは,その「果実は直径一二∼一八セン チで,表皮は滑かだ。若い果実は緑色で,成長するにつ れ茶色がかり,成熟すると濃茶もしくは黒色になる。果 肉は白く,二∼四個(通常は三個)の種がある。種は幅 四センチ,長さ六センチ,厚さ一・五センチで,二つの 面の真ん中に長く浅い溝がある。種子の中は白濁し,ゼ リー状の胚乳* だ。果実が成熟すると,胚乳は硬くなり, 果肉は黄色く変わる。」,「成熟する前の胚乳は柔らかく, ほのかな甘味をもち,食用とする。これをシロップ漬け にした缶詰が日本にも輸入されている。」(上文,*印部 の注)と説明される(40) 外果皮の色につき,先には,「黄色∼褐色∼黒色」 (『園芸植物大事典5』)ともあった。 "色" の概念や範疇 は,民族や国,時代によって必ずしも一定しないが,タ イやバリで実見したところは先に述べた(41)。ただ,例 示にザクロが持ち出されているが,これが,逆に注釈に 影響を及ぼすようなこともあったかも知れない。 ところが,後者の注釈には,「生経百年,方有花果」 ともある。これはコリファヤシ(タリポットヤシ)のこ とをいっているらしい。このヤシは,かつて,100 年経 つと開花して実が着き,枯死する,と言い伝えられてい た(スリランカ)(42)。昔は,人は皆,寿命が短く,この ヤシの一生を確認したものはいなかった。そこから,こ のヤシは,人の生涯を越えて100 年も長生きするという 俗伝が生まれたのである。実際には,30年,あるいは, 50年,80年といったライフ・サイクルであろうが,長大 な時間を経て初めて花果を持つのが,このコリファヤシ である。一種の驚きをもって語り伝えられたのではなか ろうか。 後者には,また,「花白而大,若捧両手」と見える。 両手をいっぱいに広げて,こんなに大きいのだ,と説明 されたそのままを書いたような文言である。コリファヤ シは大きな房状の花序をもつ。 玄応は,学識豊かな人物である。しかし,この後者の 注釈には,パルミラヤシとコリファヤシとの混同がある らしい。パルミラヤシの説明に,特異なコリファヤシの 伝聞が付加されたかのようである。 たとい,それが仏陀の教えを伝える聖教の素材である としても,彼の場合,こと,遠いインドのこととなれば, 伝聞に頼るしかなかったのであろう。注釈の初めにも 「案西域記云」とある。混同は,やむを得ないところだ ったかも知れない。 しかし,こうした混同があるにしても,この玄応音義 によれば,当時,インドにはパルミラヤシもコリファヤ シも実在していたことになる。そうでなければ,この記 述は成立しない。特に問題はパルミラヤシである。これ が,既に,インドに実在していたからこそ,その形態や 東インド地方に多いという植生,その果実の用途等々が 伝達されていったのである。 被注語の「多羅(果)」は,従って,パルミラヤシの talaという梵音を転写した音訳語と認められよう。 注文に,「旧言貝多,訛也」とある。これは,旧訳に 「多羅」(パルミラヤシの葉)を pattra (葉)の意の 「貝多」(「貝多羅」の略)と解するのは誤りとの謂いで あろう。 (2) 慧琳音義 同じく唐代の慧琳(768 ∼820 年)にも,一切経音義 の撰述がある(100 巻,783 ∼807 年)。ここには,「貝 多」につき,次のような注釈が見える(長文であるので, 私意によって句点を加える)。 貝多〈西国樹名也,其葉可以裁為梵夾書墳籍,此葉 ‐

参照

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