はじめに むち打ち損傷関連障害(whiplash-associated disorder:以 下,WAD)は「自動車衝突事故,あるいは飛びこみ事故や偶 発事故において,後方あるいは側方からの衝撃により頸部にも たらされるエネルギー転移が加速−減速メカニズムで生じるこ と」(ケベック報告)1)と定義され,外傷性頸部症候群(traffi c cervical syndrome)ともいう。WAD の特徴として,器質的損 傷がなくても症状が出現することや,器質的損傷があっても症 状と一致しない場合があり,理学療法に苦慮する場合も少なく ない。頸部外傷直後の急性期は頸椎カラーなどによる安静処方 が一般的で,徒手的運動療法を実施する場面は少ない。一方で, 亜急性期から回復期にかけては鎮痛のための物理療法や自動運 動,徒手療法などが適応とされる。以下に,WAD に関する知 見と WAD における筋肉の損傷に対する徒手治療について私見 を交えながら述べる。 WAD の分類
WAD 分 類 は 表 1 に 示 す カ ナ ダ の Quebec whiplash-asso-ciated disorders task force report1)(ケベック分類,1995 年 発表)によるグレード 0 からⅣまでの 5 段階の臨床分類が普及 している。ケベック分類におけるグレード 0 からⅡは発生頻度 が高く,外傷性頸部症候群と認識されており,椎間板線維輪と 椎体終板境界部の剥離,椎間関節の損傷,頸椎周囲筋群の微小 損傷が存在すると推察されている。グレードⅢ,Ⅳは外傷性頸 髄神経根損傷に分類される。 被追突事故による WAD の特徴 被追突事故による WAD には以下のような不可解な点がある といわれている2)。①頸椎の器質的損傷が発生するとは考え難 い低速度衝突で受傷した場合でも症状が発現する。②画像所見 で器質的変化を認めない。③事故直後は無症状で,翌日から頸 部痛を訴える例が多い。 受傷機序解明のための医工学的研究手法の限界 被追突事故による WAD 受傷時の損傷機序については動物実 験,屍体実験,ダミー人形実験,被験者実験,コンピュータシ ミュレーションなど,種々の手法による解明が進んでいるが, それぞれ限界があるとされる。動物実験では脊椎挙動がヒトと 異なるため,正確な再現は不可能である。屍体実験では筋の防 御反応が得られないため,実際の衝突に対する頸椎への応答を 再現できない。また,ダミー人形実験では脊椎の挙動の正確な 再現は不可能である。健常人志願者実験では障害を発生させな い程度の低衝撃量となり,実際の受傷機序とはならない。コン ピュータシミュレーションは再現性の確認が困難である。 医工学的研究結果を紹介するが,上記の点を踏まえて,機序 解明には限界があることに留意しながら読み進んでいただきた い。医工学的には,志願者実験とコンピュータシミュレーショ ンにより受傷機序の解明の試みがなされている。方法は,ま ずシート着座している被験者の衝撃時の頭部から体幹挙動を, 高速度ビデオカメラやシネラジオグラフィー(連続 X 線撮影) にて撮影し解析する。これをもとに計算によるコンピュータシ ミュレーションを作成し検討するものである。 金岡ら3)4)によると,志願者における被追突実験(衝突速 度 8 km/h)では,追突時の頸部運動はすべて一旦屈曲した後 に下位椎体間から順に伸展するという。また,110 msec 付近 では,図 1 に示すように,下位頸椎 C4/5,C5/6 間は伸展位, 上位頸椎 C2/3,C3/4 間は屈曲位という S 字状に弯曲する Bi-phasic curvature を呈する。この理由として,衝突時の C5/6 椎体運動において,衝突時の C5/6 間の回転中心位置が,正常 に比べ上方移動していることが挙げられている。また,衝突時 の椎体の運動において,椎間の異常挙動が多く,各椎間におけ る回転中心位置の異常が多いことも理由となっている。その結 果,C5/6 間で椎間関節衝突(facet impingement)が生じるこ とになり(図 2),C5/6 椎間関節障害が起こるという。 衝撃に対する筋の防御反応は 150 ∼ 250 msec であるため, 衝突実験などでは衝突から 150 msec までの筋反応前までの解 析知見がほとんどである。そのため,筋の防御を考慮していな い頸椎,靭帯,椎間板で構成された実験モデルとなっている。 その結果として,C5/6 間の剪断応力が高くなると考えられる。 また,頸椎の運動学的特徴では C5/6 椎間関節がもっとも不安 定であることも,C5/6 間における椎間関節衝突に関係してい ると考えられる。
筋から考えるむち打ち損傷関連障害(WAD)の理学療法
*
平 野 幸 伸
1)加 藤 倫 卓
1)栗 田 泰 成
1)塚 本 敏 也
1)運動器理学療法研究部会
*Physical Therapy on Muscle Injury in Patients with Whiplash-associated Disorder
1) 常葉大学健康科学部静岡理学療法学科 (〒 420‒0831 静岡県静岡市葵区水落町 1‒30)
Yukinobu Hirano, PT, Michitaka Kato, PT, Yasunari Kurita, PT, Toshiya Tsukamoto, PT: Department of Shizuoka Physical Thrapy, Faculty of Health Sciences, Tokoha University
キーワード: むち打ち関連障害,広汎性侵害抑制調節,ストレッチ ング
WAD の自覚症状 自覚症状5)の第 1 は頸部痛,第 2 は頭痛,第 3 はめまいと され,その他の症状として,しびれ,眼症状,耳鳴り・難聴, 吐き気・嘔吐,四肢症状,腰痛,バレーリュー症候群による自 律神経症状などがある。 頸部筋に関しての知見5‒8) 1.WAD の罹患筋として胸鎖乳突筋,僧帽筋,肩甲挙筋,頭 半棘筋および頭板状筋などが挙げられている。これは頸部,後 頭部痛発症に関連すると考えられる。 2.筋紡錘は上部頸椎抗重力筋に豊富に存在し,特に頭半棘筋, 頭板状筋,頭最長筋,大後頭直筋に集中している。このことは 外傷時の衝撃に対する頸部異常筋緊張やその結果誘発される頭 頸部痛およびめまいの症状出現に関与していると考えられる。 3.頸部筋固有受容器からの感覚入力は姿勢反射に広く寄与し, 外側楔状核に投射する。頭半棘筋や頸板状筋は楔状核に単シナ プス結合している。これらの神経学的特徴は痛みに対する筋の 防御的反応や異常筋緊張による姿勢異常を誘発しやすいと考え られるため,アライメント異常発現に関連する生理学的特徴と して捉えられる。 4.大後頭神経は下斜筋・大後頭直筋と頭半棘筋の間を通るた め,これらの筋の絞扼を受けやすい。この解剖学的特徴は頭痛 発現に関連するとされている9)。 5.慢性 WAD 患者の上部僧帽筋,頭板状筋,頭・頸半棘筋, 大・小後頭直筋,多裂筋は脂肪浸潤が多く,特に大・小後頭直 筋と C3 レベルの多裂筋が顕著であるとの報告がある。この事 実は WAD 患者の頸部,肩甲帯部の筋力低下,頸部アライメン ト異常の原因のひとつと考えられる。 6.WAD 患者は頸部筋紡錘に存在する交感神経系β 受容体刺激 により,頸部固有受容器が興奮し,筋の過緊張が生じる。この ことは後頭筋緊張,頭痛発現に関連する特徴として捉えられる。 7.C1-4 Ⅶ層内側の中心頸核(CNN)は頸部筋紡錘から Ia 求 心性入力と前庭神経入力を統合し,対側下小脳脚を経由して小 脳へ投射している。これはめまいの発現に関与する神経学的特 徴と考えられる。 いずれにしても,後頸部筋を主体とした筋群の状態異常が症 状発現に関与している可能性が考えられる。 頸部痛を有する者(以下,頸部痛者)の特徴 ここで,WAD を含めた一般的な頸部痛者の特徴について述 べておく。頸部痛者ではタイピング課題や頸部屈曲動作時,頭 頸部深層にある頭長・頸長筋などが抑制され,胸鎖乳突筋・斜 角筋などの表層筋群の過緊張が認められる。一般的に,頸部痛 者では屈筋群(胸鎖乳突筋や肩甲舌骨筋・頸長筋など)・伸筋 群(後頭下筋群や頭板状筋)ともにタイプ I からタイプⅡ B 線 維への形質転換が起こっており(速筋化)10),頸部痛者は健常 者と比較し低い負荷で筋疲労しやすいといわれている(易疲 労化)。 図 1 被追突時の頸椎椎間挙動解析(文献 4 より一部改変) 被追突,志願者実験(衝突速度 8 km/h)では,すべて一旦 屈曲した後に下位椎体間から順に伸展する.110 msec 付近で は下位頸椎は伸展位,上位頸椎は屈曲位という S 字状に弯曲 する Bi-phasic curvature を呈する. 図 2 被追突時の頸椎挙動イメージ(文献 4 より一部改変) C5/6 間で椎間関節衝突(facet impingement)が生じる.
WAD に対する評価方法 1.問診 自発痛を安静時痛,運動時痛に分けて聞いておき,その時間 や部位,症状を誘発する刺激や,ADL 上問題点,痛みと関連 する気力,睡眠,食欲などの変化について問診する。留意点と して,痛みの部位については頸椎椎間関節痛のパターンが文献 による違いがあることを念頭に置いておく11)。 2.視診 静的姿勢観察としては,前方観察では前額面上の頭部傾斜, 肩甲帯左右差,頸肩部筋隆起左右差など,後方観察では前額 面上の肩甲骨位置,背側筋隆起左右差などが挙げられる(図 3)。また,側方観察では矢状面上のアライメント,胸郭後弯と 頸部前弯の程度などをチェックしておくとよい。このとき,頸 部肢位視診時の留意点としては頭部前方位(Chin Protractive Position)が特に重要である(図 4)。 動的視診として自動運動を実施し,頸部屈曲(図 5)・伸展 (図 6)時の運動を側方から観察する。また,肩拳上・屈曲に よる肩甲帯運動についても後方から視診しておく(図 7)。自 動運動の視診の留意点として,疼痛が出現する肢位・運動方向 と疼痛出現の再現性および疼痛発生部位の確認をしておく。 3.触診 各筋の触診については,圧痛点,筋硬結,筋浮腫,筋膨隆度, 筋スパズム,筋萎縮などを考慮しながら実施する。触診の留意 点としては,圧痛部位の確認を 3 次元で考慮することや,左右 差および痛みの程度・性質を確認することも重要となる。特 に,触診は 3 次元的に触診指の深達度を捉えることが重要で, 頸部の浅・深層の理解をはじめ,背部筋に対する層構造もイ メージすることが大切である12)。また,姿勢や平衡機能に関 与する後頭下筋群は特に重視してみておくとよい12)。 4.運動検査 自動関節可動域(range of motion:以下,ROM)測定時に は短縮痛,伸張痛,収縮痛を見ておく必要がある(図 8)。また, 他動的に頸椎伸展,頸椎伸展+側屈,頸椎伸展+側屈+反対 側回旋を実施し,ROM 制限はもとより,エンドフィール,痛 みの出現について検査する(図 9)。このとき,運動痛の確認, 疼痛部位の確認,疼痛部位の触診へと進めるとよい(図 10)。 レビュー文献の紹介 WAD に関するふたつの理学療法レビュー文献の内容につい て紹介する。Teasell ら13)によると基本訓練プログラム(ス 図 3 後方観察による肩甲帯部の視診 後方から前額面の肩甲骨位置などを観察する. 図 4 側方観察による頭部前方位の視診 側方から頭部前方位を観察する. 図 5 頸部自動屈曲運動の視診 動的視診として側方から頸部屈曲・伸展運動を観察する. 図 6 頸部自動伸展運動の視診 動的視診として側方から頸部屈曲・伸展運動を観察する.
図 7 肩甲部自動運動の視診 後方から肩挙上・屈曲による肩甲帯運動を視察する. 図 8 運動検査例 頸部運動検査時の痛みの出現例. 図 9 運動検査の方法例 頸椎伸展(A),頸椎伸展+側屈(B),頸椎伸展+側屈+反対側回旋(C)の運動検査方法例 図 10 運動痛の確認(A),疼痛部位の確認(B),疼痛部位の触診(C)
トレッチ・筋力増強など)は短期的な疼痛の軽減に対しては有 効であるとしているが,長期的な症状回復に対しては十分な効 果はみられないとしている。また,急性期においては,積極的 な筋力増強は,疼痛軽減に対して逆効果であると報告してい る。Sterner ら14)によると,急性期の ROM 制限と痛みの相 関はなく,急性期は,自動的治療が有効であるとし,慢性期は 不均一な筋緊張増加が認められるという。 筋へのアプローチ 筋に対するアプローチとして,筋力増強,疼痛抑制手技,ス トレッチングなどが考えられる。損傷部位の病期に合わせたア プローチを考慮する必要がある。 1.急性期 急性期には積極的筋力増強は実施しないほうが機能的予後が よい。ストレッチングによる過度の伸張も痛みを助長する可能 性があるため,軽いロングプレスメソッドを基本とする。廃用 予防としての軽い自動 ROM の指導は実施する。後頸部痛,上 部肩痛,肩甲骨内縁周囲部位に筋硬結を認める場合が多く,痛 みを助長しない触圧覚による疼痛抑制手技を用いるとよい。 2.亜急性期∼回復期 筋の血行改善を目的に,僧帽筋(上部線維),大・小菱形筋, 肩甲挙筋などのストレッチングから開始する。また,安静や不 動によって低下した頸部や肩甲帯周囲の筋力増強が必要不可 欠である。疼痛抑制は随時実施し,触圧覚刺激のみでなく痛 み刺激による広汎性侵害抑制調節(diff use noxious inhibitory controls:以下,DNIC)アプローチを考慮に入れて実施する。 【例 1】頸部痛に加えめまいを訴える場合の後頭下筋群治療 急性期は後頭下筋群への触圧覚刺激による疼痛抑制,後頭 下筋群へのロングプレスメソッドなどを実施する(図 11)。亜 急性期∼回復期では DNIC,後頭下筋群のストレッチング(図 12)を実施し,自己筋力トレーニングを指導する。 【例 2】頸部痛を訴える場合の頭板状筋治療 急性期は頭板状筋への触圧覚刺激による疼痛抑制,頭板状筋 のロングプレスメソッドなどを実施する(図 13)。亜急性期∼ 回復期では DNIC,頭板状筋の ID ストレッチング(図 14)を 実施し,自己筋力トレーニングを指導する。 筋へのアプローチ時の留意点 以下に筋アプローチに対する留意点を列挙する。 1.筋力増強は,運動量減少に伴う全身の廃用性筋委縮や不良 図 11 急性期の後頭下筋群に対する筋アプローチ方法例 左図:触圧覚刺激による疼痛抑制,右図:ロングプレスメソッド 図 12 亜急性期から回復期の後頭下筋群に対する筋アプローチ方法例 左図:DNIC アプローチ,右図:ストレッチング
姿勢に伴う体幹筋の筋力アンバランスなどを考慮して,頸部の みを対象とせず全身的に実施する。 2.ROM 訓練は,拘縮を防ぐため早期から開始する必要がある が,疼痛増強や新たな疼痛誘発に留意し,運動速度・角度など に配慮する。 3.頸椎カラーに依存させず,鎮痛薬効果も考慮しておく。 4.被追突事故などでは賠償・補償にからむ詐病を考慮する。 ま と め WAD 患者の筋から考える理学療法について,筋関連知見を 解説し,徒手による理学療法の臨床推論における評価法,治 療法に関して,私見を交えて紹介した。臨床における実施につ いては,個々の症例に合わせた評価,治療を実施してくことが もっとも大切であることを付記しておく。 文 献
1) Spitzer WO, Skovron ML, et al.: Scientific monograph of the Quebec Task Force on whiplash-associated disorders: redefi ning “whiplash” and its management. spine. 1995; 20: 8‒73.
2) 山下敏彦,村上孝徳:外傷性頸部症候群─病態と治療指針─.北 海道整形外科外傷研究会会誌.2006; 22: 97‒104.
3) Kaneoka K, Ono K, et al.: Motion Analysis of Cervical Vertebrae
during whiplash loading. spine. 1999; 24: 763‒770.
4) 金岡恒治:乗用車被追突衝撃時における頸椎椎体間挙動解析─頸 椎捻挫受傷機序解明に向けて─.筑波大学大学院博士学位論文. 1998,pp. 1‒65. 5) 遠藤健司(編):むち打ち損傷ハンドブック─頸椎捻挫から脳脊髄 液減少症まで─(第 2 版).丸善出版,東京,2012. 6) 伊藤文雄:セラピストのための基礎研究論文集(3)筋感覚研究の 展望.協同医書出版社,東京,2000.
7) James M, Jon TN, et al.: Clinical commentary: Characterization of acute and chronic whiplash-associated disorders. J orthop Sports Phys Ther. 2009; 39: 312‒323.
8) Jing XL, Lars ET, et al.: Muscle spindles in the deep muscles of the human neck: A morphological and immunocytochemical study. J Histchem Cytochem. 2003; 51: 175‒186.
9) Netter FH:ネッター解剖学アトラス(原書第 5 版).相磯貞和 (訳),エルゼビア・ジャパン,東京,2014.
10) James E, Gwendolen J, et al.: Fatty infiltration in the cervical extensor muscles in persistent whiplash-associated disorders: a magnetic resonance imaging analysis. Spine. 2006; 31: 847‒855. 11) Cleland J:エビデンスに基づく整形外科徒手検査法.柳澤 健,
赤坂清和(監訳),エルゼビア・ジャパン,東京,2007.
12) Drake RL, Vogl AW, et al.:グレイ解剖学アトラス(原著第 1 版). 塩田浩平(訳),エルゼビア・ジャパン,東京,2012.
13) Teasell RW, McClure JA, et al.: A research synthesis of therapeutic interventions for whiplash-associated disorder: Part 1 ‒ overview and summary. Pain Res Manage. 2010; 15: 287‒294. 14) Sterner Y, Gerdle B: Acute and chronic whiplash disorders- A
review. J Rehabil Med. 2004; 36: 193‒210.
図 13 急性期の頭板状筋に対する筋アプローチ方法例
左図:触圧覚刺激による疼痛抑制,右図:ロングプレスメソッド
図 14 亜急性期から回復期の頭板状筋に対する筋アプローチ方法例