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死産を体験した母親の悲嘆過程における亡くなった子どもの存在

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原  著

死産を体験した母親の悲嘆過程における

亡くなった子どもの存在

The existence of the deceased children in the grieving

process of mothers who have experienced stillbirth

蛭 田 明 子(Akiko HIRUTA)

* 抄  録 目 的  死産を体験した母親が悲嘆の過程において亡くなった子どもの存在をどのように捉えているのか,母 親達の語りを記述すること。 方 法  質的記述的研究。一人2∼3回,非構成的な面接法を用いてインタビューを施行した。インタビューテー プを逐語録に起こし,各研究協力者の体験を記述し,亡くなった子どもに関連するテーマで共通性を見 出した。その後亡くなった子どもを中心とした体験を記述・構造化し,質的帰納的に分析した。 対 象  周産期の喪失を体験した両親の集まるセルフヘルプグループに参加していた,死産を体験した5名の 母親。 結 果  死産による喪失初期の子どもの存在は,母親にとって《苦悩を伴う存在》であった。その構成要素に は,〈かわいい我が子〉,〈死者としての子ども〉,〈命を救えなかった子ども〉,〈社会では軽視される子ど も〉,〈目の前にいない子ども〉があった。しかし時間の経過とともに,子どもの存在は《人生を共に歩む 存在》として位置づけられていた。その構成要素は,〈母親としてのアイデンティティを育む語りにおけ る子どもの存在〉,〈安定した子どもの位置づけ〉,〈母親の人間的成長を促す子どもの存在〉であった。 結 論  喪失の初期には,子どもへの愛情を抱きながらも後悔や罪悪感,傷つき,空虚感といった苦悩が強 かったが,時間の経過とともに,子どものことを語ることや思い出の品を通し,子どもを自分の人生に 組み込み,人間的成長を遂げていた。この過程においては,死産という生きて共に過ごす時間をもたな かった子どもとの死別であっても,常に子どもの存在に向き合う母親達の姿があった。 キーワード:死産,母親,苦悩,組み込む,人間的成長

聖路加看護大学大学院看護学研究科博士後期課程(St. Luke's College of Nursing, Graduate School, Doctoral Course)

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Abstract Objective

To describe the mothers' stories following the stillbirth, especially the meaning of the existence of the de-ceased children for them in their grieving process.

Methods

A descriptive, exploratory qualitative study was used. Unstructured interviews were conducted 2 or 3 times for each participant. Tape-recorded interviews were transcribed and analyzed qualitatively and inductively. Data analysis started from description of each mother's experience. Then, common themes were found relating to the mother's feelings about the deceased child. Finally, structured descriptions of the mothers' stories were derived from the data.

Participants

Five mothers who have experienced stillbirth and have participated in self-help groups for bereaved parents. Results

In the early grieving stage, the theme of "existence of anguish" emerged. The theme of anguish had 5 compo-nents − 'my lovable child', 'my child is dead', 'child whose life could have been saved', 'child disregarded by society', and 'invisible child'. In the later grieving stage, the theme emerged where mothers incorporated the children into their life and that they would "exist together" and remain connected over time. The emerged components to this theme are as follows: 'existence of the deceased child in the storytelling which cultivates identity as a mother', 'giv-ing the deceased child a comfortable place', and 'existence of the deceased child who encourages the mother's per-sonal growth'.

Conclusion

In the beginning of the grieving process, mothers suffered strong anguish from the deceased children− such as regret, self-blame, getting hurt, and emptiness. However, it was found that the bereaved mothers described positive change by incorporating the deceased children into their life through storytelling and mementos as time goes on. The positive change means personal growth. In this process, mothers always faced the existence of the deceased children, even though they didn't have any time with their visible living children due to stillbirth.

Key Words: stillbirth, mother, anguish, incorporate, personal growth

Ⅰ.は じ め に

 周産期の死別は,「公認されない死」(Harvey, 2000/ 2002),あるいはsilent loss(Bennett, 2005)などとし ばしば言われる。それは,他の喪失とはあまりに異な る,以下のような周産期の喪失の特殊性が理由にあげ られる。  一つには,亡くなる子どもの存在そのものが,周産 期の死別の場合社会においてほとんど認められていな いということである。妊娠の週数によらず母親は,胎 内に我が子を育み,愛着の絆を深めていく。しかしそ の関係性は公には目に見えず,まして女性をとりまく 周囲の人々は,胎外で共に生きる時間を共有したこと がないか,あっても短時間であるので,亡くなった子 どもとの関係・思い出を持ちにくい。そして流産や死 産においてはとりわけ,胎児は生きてこの世に存在し, 誰かと関係をもった実存の人間ではないので,生き て産まれる前の子どもを亡くした母親の悲しみはそれ ほど深くないと考え(Thearle & Gregory, 1992; Harris, 2004),その死をあまり重要視しないのである。  二つには,周産期に子どもを亡くすということは, 他の死別に比べ滅多にあることではなく,周囲の人 はどのように母親に接していいのか分からない。その 為亡くなった子どもの話題を避けたり,話を聞こうと しないなど,今女性が体験している喪失をまるでな かったかのように振舞うことがある(De Montigny & Dumas, 1999)。  一方で,周産期の喪失はスティグマなこととして捉 えられやすく,女性達自身もその体験を積極的に語ろ うとしないという側面もある。妊娠・出産という女性 性に関わる出来事における喪失は,亡くなった子ども に対する母親としての罪悪感とともに,女性としての 自信の喪失,母性の獲得の失敗感をもたらし(Kenyon, 1988;Harris, 2004; 仁 志 田,2005;Bennet, 2005), 女性達は苦しむのである。  Harvey(2000/2002)は,死別悲嘆からの回復過程に おいて他者にその体験を語ること,そしてその語りが 他者に受け容れられることの重要性を述べているが, このように亡くなった子どもの存在そのものが認めら れず,女性達自身も周囲の人々も,双方が黙して子ど

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もの死について多くを語らない状況にある周産期の喪 失においては,それは容易なことではない。  また,最近の死別の研究においては,故人を過去の 人として忘れるのではなく,その喪失を今の自分の 人生に組み入れ,統合すること,故人を情緒的に再 配置すること,これらの重要性が主張されるように なってきている(Worden, 1991/1993; Neimeyer, 1999)。 このような死別に対する新しい理論枠組みは,Klass (1993)やTalbot(1998-99)らの子どもとの死別(周産 期に限定しない)を体験した両親の研究において提唱 され(Davies, 2004),子どもが亡くなった後も,多く の両親が亡くなった子どもとの絆を維持していること が報告されている(Sormanti & August, 1997; Riches & Dawson, 1998; Saiki-Craighill, 2001; Meert et al., 2005; Woodgate, 2006)。しかしこうした研究は,生きてと もに過ごした時間のある子どもを死別の主たる対象と している。周産期の死別の場合には,先述のように社 会において子どもの存在そのものが実存として認めら れにくく,子どもとの絆を維持するよりもむしろ,亡 くなった子どものことを忘れるように働きかけること も珍しくない。  このように周産期の喪失では,他の死別による悲嘆 からの回復過程に重要であるとみなされている事が, そのまま通用しにくい状況にある。周産期の喪失の 領域において,先進的な欧米に比べ,研究,ケアの実 践ともにやや立ち遅れていた日本でも,近年は女性達 の喪失の体験やケアに関連した研究が徐々に行われる ようになってきている(大井,2001;岡永,2005;太 田,2006;米田,2007)。しかしその悲嘆過程において, 果たして母親達が亡くなった子どもとどのように向き 合い,自分の人生にどのように位置づけ,その後を生 きているのか,という体験に焦点をあてた研究は国内 にはなく,欧米でもまだ極めて少数である。  したがって本研究では,周産期の喪失を体験した母 親達がその悲嘆過程において,亡くなった子どもの存 在をどのように捉えているのかを明らかにすることを 目的とする。さらに本研究は,胎外で生きた子どもと 共に過ごした時間のない母親の体験を知ることを目的 に,周産期の喪失の中でも喪失のタイプを死産に限定 する。これにより,亡くなった子どもの存在が死産を 体験した母親達にどのような意味をもたらすのかを探 求することは,近年重要視されている故人との絆の維 持が死産の場合にも意義のあることなのかを検討し, さらに死産を体験した母親に医療者が行うケアに,何 らかの示唆を与えてくれるものと考える。

Ⅱ.用語の操作的定義

1.死産  日本の法律では妊娠満12週以降を死産とし,その 届けを義務付けている。そのため厚生労働省による人 口動態統計は,妊娠12週以降を死産として計上して いる。したがって,本研究は妊娠12週以降の流産も 含め,死産とした。 2.子ども  本研究は周産期に亡くなった子どもを対象とするた め,特に断りがなく「子ども」と記されている場合には, 「周産期に亡くした子ども」のことを述べている。既 存の文献において周産期以外に亡くした子どもを対象 として含めている場合にはその旨を記し,混同される ことのないようにした。

Ⅲ.研 究 方 法

1.研究デザイン  母親の語りを通じての,質的記述的研究である。そ の語りを通じて,死産を体験した母親が悲嘆過程にお いて亡くなった子どもの存在をどのように捉えている のかを記述し,亡くなった子どもの存在が母親達に とってどのような意味をもたらしているのかを探究す る。 2.研究協力者  本研究における協力者は,周産期の喪失を体験した 両親の集まるセルフヘルプグループを通じて出会った 5名の母親である。研究協力者は以下の条件を充たし ている母親を対象とした。①12週以降の死産を体験し, その後1年以上経過している方。②現在妊娠していな い方。③日本語を話せる方。  研究協力者は以下の手順を経てリクルートした。ま ず研究の主旨を説明し了解の得られたセルフヘルプグ ループのリーダーである運営者の方に,本研究に協力 して語ることで過度な心理的負担や動揺が起こらない と思われる方へ研究の内容を簡単に説明して頂いた。 その後研究の説明を聞くことに了解の得られた方に, 研究者からメールを通じてコンタクトをとり,初回に お会いした時に口頭と文書で研究の目的と方法,倫理

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的配慮,研究の公表の可能性を説明し,文書で同意を 得た。 3.データ収集の方法  本研究は,周産期の喪失という体験,及びその悲嘆 の過程の中でセルフヘルプグループへ参加するという 母親達の体験の記述を主目的とする研究の一部である。  データ収集はすべてインタビューにより行い,非構 成的な面接法を用いた。インタビューの内容は,研究 協力者の了解を得て録音した。インタビューは一人2 ∼3回実施し,1回目のインタビューの後,2回目には 焦点化した質問を含めることにより体験への理解を深 め,また研究者の理解が間違っていないかを確認し た。1回のインタビュー時間は研究協力者の様子を見 て適宜調整したが,1時間から長い場合には3時間に及 ぶこともあった。しかし長い場合でも,インタビュー 終了後,話せたことですっきりした,とポジティブな フィードバックがあった。  インタビューは研究協力者の希望に応じ,プライバ シーの確保できる大学内の小部屋,あるいは協力者の 自宅で行った。 4.データ収集期間  2006年4月から10月であった。 5.データ分析の方法  インタビューテープを逐語録に起こし,各研究協力 者の体験を記述した後,亡くなった子どもに関連する テーマで共通性を見出した。そして亡くなった子ども を中心とした体験を記述・構造化し,亡くなった子ど もの存在を母親達がどのように捉えているのか,亡く なった子どもの存在が母親達にどのような意味をもた らしているのかを,質的帰納的に分析した。 6.データの信頼性・妥当性の確保  インタビューは5名の研究協力者に対し,研究者が 一人で行った。データの信頼性と妥当性を高めるため, データの収集,分析の過程において,ローデータの段 階より母性・助産領域,及び社会学領域の専門家,さ らに周産期の喪失に造詣の深い研究者らによるスー パービジョンを受けた。また体験の記述をした後に, 記述した内容が実際の体験と矛盾していないか,研究 協力者に確認して頂き,内容の追加・修正を行った。 7.研究協力者への倫理的配慮  本研究における研究協力者は死産による悲嘆を体験 している人々であり,デリケートな問題である故に, 以下の倫理的配慮により対策を十分に講じた。  第一に,研究協力を研究者から依頼する段階におい て,口頭と文書により以下を説明し,文書により同意 を得た。①研究協力は任意であること。協力しないこ とによりグループとの関係に影響が及ぶことはないこ と。②研究協力の継続に対し迷いが生じた場合には, セルフヘルプグループの運営者に相談できること。③ 語りたいことだけを語って頂くこと。④インタビュー により心理的な負担や動揺が生じた場合には,状況に より速やかにインタビューを中止すること。研究者で は対応が困難である場合には,セルフヘルプグループ の運営者にフォローアップを依頼すること。また希望 により,心理の専門家を紹介できること。⑤データは 厳重に管理し,逐語録の段階からすべて匿名とするこ と。⑥公表の可能性があるが,匿名性は厳守すること。  第二に,研究者は研究協力者の心理状態に細心の注 意を払い,インタビューを行った。インタビューにあ たっては支持的・受容的な態度で臨み,研究協力者の 語りのペースを尊重し,語りを遮らないよう心がけた。  なお,本研究は研究計画書が聖路加看護大学研究倫 理審査委員会において承認を得られた後に,実施した。 (承認番号05-058)

Ⅳ.結   果

1.研究協力者の属性  研究協力者の属性を表1に示した。  なお,本文中において,各研究協力者は大文字のア ルファベットで,その協力者の子どもは同じ小文字の アルファベットで記した(例:Aさんの子どもはaちゃ ん)。 2.母親達の体験  母親達の体験を図1に示した。 1 )苦悩を伴う子どもの存在  子どもを亡くした後,女性達は子どもに面会し,我 が子をかわいいと思い,母親としての実感を体験して いた。しかし様々な要因が愛すべき存在としての子ど もの立場を脅かし,かわいい我が子でありながら通常 とは異なる親子の在り方に,母親達は苦悩していた。

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 (1)かわいい我が子  5名の協力者達は全員が,分娩後子どもと面会をし ている。しかし,子どもに面会し,子どもを抱くこと に,誰もがみな最初から迷いがないわけではなかった。  例えば17週で人工死産をしたBさんは,子どもと会 うことに最初は「怖いイメージ」があり,迷っていた という。しかし分娩を担当してくれた助産師が,「会 いますよね」と自然な流れで面会を設定してくれた。 その時のことをBさんは次のように語っている。「全然 動かないし,泣きもしないけど,ちゃんと赤ちゃんの かたちをしてて,うーん,お母さんになれたんだなあ, てすごいうれしかったですね。お腹にいる内はまだ胎 動を感じてなかったし,子どもの死に向かって出産を するから,すごく生産的でない作業をするような気が していたんですね。痛いうえに子どもを産んで,でも 生きてないし,て思ってたけど,実際産んでみたら得 るものが大きくて,全然そんなことなかったなあ,む しろ思ったより得るものがあって,あー,やっぱり赤 ちゃんはかわいいんだなあ,命って尊いんだなあ,と か,そういうのを子どもが教えてくれたというか,贈 り物として持ってきてくれたな,て思って」。  またAさんは,妊娠中に子どもが18トリソミーであ ることを知り,妊娠中から様々な葛藤を抱えつつ過 ごしてきた。そして「産んですぐはaちゃんのことを 受け入れられなくて,やっぱり口唇裂で口が切れてた り,皮膚がふやけて皮が剥けてたり,気持ち悪いなん て思っちゃったりして,抱っこできなかった」という。 しかしその翌日,「自分はきちんとお別れしていない」 と思い子どもに会いに行く。そして妊娠中に編んだ帽 子やベビードレスをaちゃんに着せ,初めて「すごく かわいい」と感じ,「ごめんね,昨日はごめんね,aちゃ んがママのところに来てくれてうれしかったよ。(a ちゃんが)あったかいうちに言ってあげたかった」と 泣きながらaちゃんを抱きしめたという。  一方で,「ただかわいくてしょうがなかった。第一 声がかわいい,って。とにかくかわいいなあと思っ た。本当にいい顔してましたよ。」(Cさん),「見た瞬間, 受け取った瞬間,驚くほどかわいかったですね。親ば かっていう気持ちがその一瞬で分かったというか。そ れから一晩,私は寝ずにdを眺めたり抱っこしたりし て過ごした」(Dさん)と,子どもを目にした瞬間から の湧き上がるような愛情を語る協力者もいた。  妊娠中からのヒストリーにより,子どもと会うこと に対する感情は様々である。しかし本研究における協 力者は全員が,最初は抵抗を感じても子どもと会うこ 表1 研究協力者の属性 ケース 初経産 死産時週数 死産の原因 喪失からの期間 A 経産 40週 IUFD(18トリソミー) 17週で羊水穿刺により診断はついていたが、中絶は希望 せず。また、児の状態によらず、分娩時帝王切開はしない 方針であった。 1年2ヶ月 B 初産 17週 人工死産左右両側の巨大な卵巣腫瘍と胞状寄胎のため決断。 1年8ヶ月 C 初産 10ヶ月 分娩時の医療事故IUFDとなった後大学病院に搬送され、最終的にCPDで帝 王切開となった。 3年 D 初産 39週 IUFD陣発して入院時にIUFDと分かる。(原因不明) 1年3ヶ月 E 経産 34週 IUFD34週の健診で初めて胎児水腫の可能性を指摘され、その3(胎児水腫) 日後大学病院紹介受診時にIUFDと分かる。 1年11ヶ月 人生を共に歩む子どもの存在 ・母親としてのアイデンティティを育む  語りにおける子どもの存在 ・安定した子どもの位置づけ ・母親の人間的成長を促す子どもの存在 苦悩を伴う子どもの存在 ・かわいい我が子 ・死者としての子ども ・命を救えなかった子ども ・社会では軽視される子ども ・目の前にいない子ども 子 ど も と の 絆 時   間 図1 母親達の体験

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また死者であるがゆえにさまざまなことに躊躇し,そ のことを後日悔やんでいた。  (3)命を救えなかった子ども  本研究における協力者たちは,医療事故で子どもを 亡くしたCさんを除き誰もが,自責の感情や罪悪感に ついて語っていた。この感情は,子どもとの別れを終 え,子どもが実際いなくなった後にむしろ強く感じて いた。  例えば18トリソミーで妊娠中から子どもの死も覚 悟していたAさんは,aちゃんが亡くなった直後は「覚 悟していたから大丈夫です」と気丈に振る舞っていた が,「1ヶ月くらい経つと,aちゃんどうしてここにい ないの,てなって。胎動がなくなって病院に行った時, 心臓がまだ動いていたのに,あの時すぐに帝王切開 してくれ,て言っていたらここにいたのかもしれない。 見殺しにしたのは自分だ,障害児だって分かっていた から見殺しにしたんじゃないかとか,すごい自分を責 めるようになった」と直後よりも少し時間が経ってか ら徐々に自分を責める気持ちが強くなっていったと述 べている。  また突然の死産であったDさんは,子どもを亡くし てしばらくの間「自分が楽であってはいけないような 気がしていたんですね。dが死ぬまで苦しんだんだか ら,自分が楽しかったりしてはいけないような気がし て,自分は苦しむべきなんじゃないかとずっと思って て」と,自分を罰するかのように自分の感情をしばり つけることで,亡くなった子どもへの罪を償おうとし ていた。  こうした感情,特に自責感は,悲しみの初期の子ど もの死に対する囚われが強いときには大きいものであ るが,時間とともに徐々に弱まるようである。しかし 胞状寄胎のために人工死産を選択し,「結局は赤ちゃ んの命を犠牲にして自分の命をとったみたいな感じだ から。殺したのは私たち」と述べていたBさんが,「申 し訳なさは多分最後まで残るんだろうなあ」と述べ, Dさんが「今も自分が楽しいな,と思った時に,ほん のちょっと,あーいいのかなあ,て思う時がたまにあ りますね。直後ほどじゃないですけど」と語るように, 命を救えなかった子どもに対し申し訳なく思う罪悪感 は,母親の気持ちの中で消えない感情である。  (4)社会では軽視される子ども  Aさんは,「母子手帳に(aちゃんの)名前を書いたと とにより,かわいいという思いを強く感じるように なっていた。ことにBさんのように胎動を感じる前に 亡くした場合には,子どもに会うことが母親としての 思いをより確かなものとしている。  (2)死者としての子ども  子どもと会い,抱き,かわいいという感情を抱きな がらも,しかし今目の前にいるのはやはりあくまでも 亡くなっている我が子である。生きて産まれてきた子 どもであれば当然のように一緒に過ごし,当然のよう に写真を撮ったり,手型・足型を取るなどの記念とな る品物を残すという行為を,本研究における協力者達 はあまりできなかった。  例えばDさんは,「dの手型や足型だったり,髪の毛 とか爪とか写真とか,そういうものを残せていないん ですね。それが後々になってどれだけ必要か,分から なかった。写真はね,撮ってもいいんですよ,て声を かけて下さったんですけど,私が今まで過ごしてきた 中で,亡くなった人にこう,カメラを向けるという習 慣がないのもあったし,やっちゃいけないような気が して残せなかったんです」と,一般の死別の慣習に照 らして躊躇したことを語っている。またEさんは,「自 分の子どもなのに,たまたまとれている髪の毛もも らっていいか(スタッフに)聞いちゃう感覚。後から 手型・足型はとっておけばよかったとかいろいろな こと思うけど,その時は思いつかないんですよね」と, たとえ子どもとともに過ごしていても,写真や手型・ 足型をとるということをその時はまったく思いつけず, 自分の子どもの髪の毛を手に入れることにすら自信を もてない状況を語っている。  このように,かわいい我が子でありながら,初めて 我が子に会ったときにはすでに亡くなっているという 事実が,子どもを死者として扱う立場に母親達をまず おいてしまう。このことは,Bさんの次の語りに顕著 である。「生きた赤ちゃんじゃないから,死んだ子ど もに会う,ていうのをすごく言いにくい,という感じ がありましたね。もしまた子どもが亡くなったら,一 緒に過ごさせてください,て言いたいですけど,その 時はやっぱり,死んだ子どもに会う,ていうのがやっ ぱり気が引ける感じがして,常識として変に思われな いだろうかというのがあって,結局あまり会えなかっ た」。  結果的に,母親達は子どもと過ごす限られた時間の 中でどのように我が子と過ごしたらよいのか分からず,

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しても,戸籍に名前が残らないっていうのが辛かった ので,みんなの記憶に少しでも残してほしくて,名前 はこうつけました,みたいなのを仲のよかった人には メールしました」と,出産後すぐに友人たちに子ども の死を知らせた。このように直後から子どもの死を周 囲の人に知らせているのはAさんだけで,Aさんを除 く協力者達は,子どもを亡くした後しばらくは,子ど ものことを聞かれるのが怖くて自宅に閉じこもってい た。しかし,お子さんは?と聞かれることに対し,「い ません,て答えるのは,私自身が子どもの存在をなく しちゃってる」とDさんが述べているように,母親達 はみな,子どもの存在を隠すことを望まず,やがて子 どもが亡くなったという事実を家族以外の社会の人に も語るようになっていた。  しかし,勇気をもって子どものことを語る母親達に 対する周囲の反応は,お悔やみの言葉どころか無視, あるいは軽視,ときにはただ好奇な目を向けるのみで あった。例えば子どもを亡くしたことを親しい友人に メールで知らせたAさんであるが,「メールに対する 返事がなかったり,はぐらかされる,ていうかそうい う感じの返事しか返ってこなくて,悲しいなあ」と周 囲からの反応のなさを寂しく思っていた。また,Dさ んやEさんは,子どもが亡くなったことを伝えたとき の,相手の「また次産めばいいじゃん」という亡くなっ た子どもは次の子どもで代替できるかのような言葉に 傷つき,さらにDさんは,「こういう風に死産したん だ,ていうことを伝えたら,『性別分かるんだー』っ て。普通にねえ,まるまる10ヶ月お腹の中にいたん だ,ていう話をしているのに。お腹の中で亡くなっ た,ていうだけで,その言葉で私は,人間としてみて もらってないんだなあ,て感じた」,「娘を亡くしたん です,て言ったときに,相手は産まれた後の子どもが 亡くなったと受け取ったみたいで,何歳だったの,て 聞いてきたので,妊娠中で,予定日間際で,ていうこ とをいったら,『あー』って吐き捨てるような感じで。 産まれる前に亡くなったことは悲しくない,みたいな 感じに受け取れちゃった。そのあー,ていう言葉だけ で」と周囲の人の言葉に怒りすら感じたという。  こうした社会の反応に対しEさんは,「身内を亡くし ている人だっているのに,なんでちょっとは私の気持 ちとか想像してくれないんだろう,なんであんなこと 言うんだろう」と,死産により子どもを亡くした悲し みを理解されない辛さを語っている。  亡くなった子どものことを家族以外の外の人に対し ても語ることは,子どもの存在を事実として社会に知 らしめるうえで大きな意味をもっていたが,それは傷 つき辛い思いをするという痛みを伴うことであった。 (5)目の前にいない子ども  目に見える姿で目の前に子どもがいないということ は,本研究における協力者達に二つの辛さをもたらし ていた。  一つは,現に目の前にいて生きている子どもと,亡 くなった自分の子どもの対比が際立つような状況に よって引き起こされる,空虚感である。例えばBさん は,「命日とか出産予定日だった日とかも落ち込むけ れど,それは他人をみて思うことじゃない,自分達 だけのことだから。でももし子どもがちゃんと産まれ ていたらこれくらいかな,もうちょっと大きいのか な,ていうくらいの子がうろうろしているのを見ると, あーあ,てなんかすごくむなしくて,がくっと落ち込 んで,泣いてしまう,ていうのはけっこうありますか ね」と述べる。またDさんは,妊娠中に友達になった 妊婦仲間が数人いたが,「あの人たちの子どもはdの友 達なんだ,dが喜ぶかもしれない」と勇気を出して会っ たことがある。しかし仲間がそれぞれに子どもを抱い ている中,「ぽつんと私だけ一人で座っている,しゃ べっている,あーほんとに私だけ子どもいないんだ, てつくづく実感させられた。みんな子育てしているの に,私は子育てしていない」と感じ,「とにかく辛かっ た」という。  このように,目に見えるかたちで成長していかない 我が子や,子育てしていない自分の現実をまざまざ と思い知らされ,むなしいと感じる一方,協力者達 は,自分も本当は母親なのに,という思いをもってい る。しかしCさんが「中々手元にいないと母として認 めてもらえない現実があるから」と述べるように,目 の前に子どものいない自分を母親とは認めてもらえな い辛さを体験している。Bさんが「今なら別にワーワー 泣きながら話すわけじゃないし,普通に今の状態とか, 目には見えないけど子育てしているつもりで日々こう やって過ごしているんだ,みたいなことを言えると思 うけれど,それを聞かされたほうはどう思うのかな, というのがあって話せない。○歳になったね,ていう ようなことでも言ってくれれば話しやすいけど」と述 べ,Cさんが「(周囲の人の中で)亡くなった子どもの 存在は知っているから話せない場というのはないけれ ど,あんまり聞いてくれたりとかもないですし,語る

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場,ていうのは中々ない」と述べるように,時間の経 過とともに女性達は,必ずしも子どもを亡くした悲し みを語りたいというわけではなく,普通の母親のよう に,ただ自分の子どものことを話したいと思っている。 しかし目の前にいない子どもの話題は周囲の人にふっ てもらえず,自らも子どもの話題を口にできないでい た。 2 )人生を共に歩む子どもの存在  セルフヘルプグループやインターネットを通し同じ 体験をした人々と子どものことを語り合う中で,母親 としてのアイデンティティを育み,また時間の経過と ともに,共に人生を歩む存在として子どもの位置づけ が安定し,子どもの存在により母親達は人間的成長を 遂げていた。 (1)母親としてのアイデンティティを育む語りにお ける子どもの存在  Aさんは,「私の場合,同じことを何度でも話したい。 aちゃんのことを言わずにはいられない」と友人の間 を語り歩き,「話しの聞ける人」を探し求め,子どもの ことを何度でも話せる場としてセルフヘルプグルー プを見つけた。Bさんも,「亡くなった子どものことは 私と家族くらいしか知らない。もっとたくさんの人に 自分の子どものことを知ってもらいたい」と繰り返し セルフヘルプグループのお話会に参加し,自分でブロ グを開設した。Cさんも,「子どもの話がしたかったん ですよね。ほんとに尽きることはないじゃないですか, 我が子の話は」とインターネットで体験者との交流を 始め,セルフヘルプグループに参加するようになった。 このように子どものことを語りたいという思いは,す べての協力者に共通する思いであり,この思いが協力 者達をセルフヘルプグループやインターネットへと導 き,継続して参加する原動力となっていた。そして本 研究における協力者達はこの繰り返しの参加の中で, 「子どもが子どものお友達のお母さんを連れてきてく れた」とBさんが述べるように仲間を得て,やがて「会 に行かなくても話のできる友達がいる」と,セルフヘ ルプグループから徐々に卒業していった。そしてこの 仲間の存在が,女性達には大きな意味を持っていた。  この仲間の意味とは,この仲間の間では皆が当然の ように亡くなった子どもの母親として振舞うことがで きるということであった。例えば,「自分の子どもの つもりで編みぐるみを作ったんですよ。それを旅行に 一緒に連れていったりとか,その子のためにと思っ て手作りのものを作ってみたりとか」(Bさん)という, 亡くなった子どもとの日々の過ごし方をはじめ,「亡 くなった子どものことを夢にみたとか,亡くなった子 どもに関連した不思議な出来事があったとか,そうい うことを共感できると癒される。実際肉体はなくなっ てしまったけれど,魂として残っていてその子達は元 気だ,ていう,まあ想像の世界かもしれないけどそう いうスピリチュアルな部分で話していると,子どもが 想像できてかわいいと思える」(Eさん)という,スピ リチュアルな側面で今子どもとの間に起こった出来事 を,ためらうことなく披露しあえた。また,「お母さ ん達とつながっていたかった。家族とは勿論話すけど, 子どもを愛するがゆえの自然な感情をお母さん達だと 素直に話せる」(Cさん)というように,亡くなった子 どもの母親ならではの感情を吐露することができた。  このように,語りを通して子どもの存在を認め合い, 母親としての思いを共有できることは,Cさんが「母 としてねえ,まず認めてもらえる,ていうのがすごく うれしかったですね」と述べているように,子どもの 母親である自分を他者に肯定される体験であり,こう して本研究の協力者達は,子どもが亡くなった後も母 親としてのアイデンティティを育んでいた。  (2)安定した子どもの位置づけ  子どもが亡くなった後の日々の暮らしの中で,子ど ものお骨をはじめ子どもの写真や子どもの思い出とな る品は,家族の中で重要な位置を占めていた。  例えばAさんは,「写真とかにみんな話しかけている 感じ」という。「誕生日のときに,もうすぐ誕生日だね, なんてパパが話しかけていていたり,クリスマスの食 事のときに,aちゃんも仲間に入れてあげなきゃ,て」 とイベントには必ず写真が添えられ,家族の一員とし てaちゃんは存在する。またBさんは子どものかわり となる編みぐるみを作ったが,「雨が降ってきたよと か,お母さん今日疲れたんだとか,そういう話しかけ を自然にしている。主人と一緒のときも,お父さん がまたこういうこと言っているよとか,お母さんがま たあんなことやってとか,人形に言ったりしてますけ ど。旅行に行っても主人が人目を気にせず編みぐるみ を出して一緒に写真を撮ったりするんですけど,そう いうのがうれしかったりして。大分そういうので,目 には見えないけど子育てしているつもりで,上手につ きあっていけるようになってきた」と述べる。このよ

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うに本研究における協力者達は全員が,亡くなった子 どもを家族の一員とみなし,イベントには写真や子ど もの代替となるものを参加させていた。  そして,子どもを亡くして1年以上が経過して,協 力者達の気持ちには少しずつ変化がみられた。Aさん はその変化を次のように語る。「最初はほんとに辛す ぎちゃって,お線香あげるのも悲しくて,お供えす るとなんか胸がきゅんとなってできなくて,aちゃん のお骨も見られなかった。aちゃんに話しかけるのも, いない,ていうのを認めちゃうような気がしてできな かったんです。今はaちゃんおやすみーとか,おはよ うとか,普通に言えるんですけど。今ここに子どもと していないというか,人間としていない悲しみは和ら いできた,ていう感じ。存在が見えないのには少し慣 れてきたかも。生きている上の子がただいまー,て学 校から帰ってきたりするのと同じで,こういうかたち でaちゃんがいる,ていうのが当たり前,ていう感覚」。 そしてAさんは今,「見えないところに多分いるんだろ うな,て思う。いつもそばにいてくれるから,お骨は どっちでもいいかな,と思って」と,aちゃんが亡く なって1年以上が経過し,それまでaちゃんの象徴で あったお骨を手放し,納骨を済ませた。  またEさんは,「お誕生日を迎えるにあたってすごく 気持ちが昂ぶってくるというか,なのに周りの家族は 平気なように見えて,その辺でじたばたしちゃったの は1歳のお誕生日の頃だったのかな,て思います。お 祝いしてあげよう,て言いながらすごく悲しかったけ ど,今年はほんとにお祝いしてあげよう,ていう思 いがあるのかな,て自分では思っているんですけどね。 変わったな,て思います」と述べている。  このように,直後から亡くなった子どもは自分の子 どもであり家族の一員ではあるのだが,直後とは違っ て時間の経過とともに伸びやかに,自然なかたちで子 どもと向き合えるようになり,共に人生を歩む存在と して子どもの位置づけが安定したものとなっていた。  (3)母親の人間的成長を促す子どもの存在  子どもを亡くした経験が自分にもたらした変化につ いて研究協力者の誰もが語っていたが,その語りは, どれもが肯定的な変化についての語りであった。  例えば「死ぬのが怖くなくなった」という言葉は, ほぼ全員が述べていた。その理由は,「死んだら会え る」,「子どもが待ってくれている」というものであっ たが,死に関連する話は,死に対する恐怖についての みならず,死を自分の人生に組み込み,自分の生き方 についてまで言及するものであった。Aさんは,「死ん だら会えるとは思うんだけど,一生懸命生きないと死 んだときに,あのときママさぼっていたでしょう,て 言われちゃうのがちょっと恥ずかしかったりするから, ダメだしされないような人生を歩まなきゃと思ってる。 胸を張って死ねるように生きていかないとなあ,て」 と述べ,Dさんは「自分の最期がくるまで,自分の人 生をちゃんと送らなくちゃ」と述べるなど,亡くなっ た子どもに恥ずかしくない生き方をしなければという 思いを抱いている。  また,自分の人生観の変化を語る協力者もいた。B さんは,子どもを亡くすという体験を通し,子どもは 授かれば元気に産まれてくるものだ,という考えを覆 されたという。「何も悪いことしてなくても,心臓が とまってしまったりとか,異常に妊娠していたりとか, てことがある。今までは自分で頑張れば,我慢すれば, 勉強だとかそういうのってそれで結果が出せるみたい なのがあったけど,もっと根本的なところでどうしよ うもできないことってあるんだな,ていうのが分かっ たから,それだったらありのままを受け入れよう,て 思う」と自分の人生のこれからを考えている。  さらに,人に対する態度の変化を語る協力者もい た。Dさんは,「以前と変わったと思う。母親になった, ていうか,子どもの前では恥ずかしいことしたくな い。子どもの前,てなるともう,毎日dはいつも見て ると思うから,dが見てるから,て思うと人に対して 優しくなる。子どもを亡くす,ていうことじゃなくて も,多分みんなそれぞれ辛い部分が生きていく上では あって,私が自分の辛さを分かってほしいと思ったか らには,みんなもそれぞれそういうことがあるだろう, て思うから,そういうのを考えるようになった」と人 の痛みを分かろうと努力している。  Dさんは,「dに,人間として成長させてもらった気 がします」と述べているが,子どもを亡くした後のこ うした変化は,まさに亡くなった子どもの存在が母親 達にもたらした人間的成長である。

Ⅴ.考   察

1.亡くなった子どもの存在が母親達にもたらす意味  Neimeyer(2002/2006)は,死は愛情関係に終止符を 打つものというより,別の形へと変化させるものと表 現した方が適切であり,必要なのは愛する人の思い出

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を遠ざけるのではなく,大切にすること,故人との関 係を目に見える身体的な存在から目に見えない 象徴 的な絆 に移行させることだという。本研究における 協力者達は,さまざまなかたちで自分の子どもを人生 に位置づけ,子どもとの絆を自然なかたちで維持して いた。  Bさんは,子どものかわりとなる編みぐるみをつく り,編みぐるみに対して何かを手作りしたり,話しか けたり,共に出歩くという行為を通して子どもと向き 合ってきた。自分と死者を連結するものとして象徴的 な意味が,生命のない品物に付与されるこうしたもの を,Worden(1991/1993)は 想いをつなぐ物 と呼び, これはウィニコットの名づける子どもが成長して親か ら離れていくときに持つ移行対象に似ていると述べて いる。移行対象となる品は,子どもにとって安心・安 全を感じさせてくれるものであるが,子どもが成長す るに連れて不要となる。Bさんはこの象徴となる品を 通し,「目には見えないけど子育てしているつもりで, 上手につきあっていけるようになってきた」と述べて いるが,実際に子どもの母親として生きた経験もなく, 一方で社会では認められにくい母親としての自分と子 どもの関係を新たに築き,母親としての自分をBさん が確認していく過程においては,この象徴となる品が 必要であったのだと思われる。またAさんのように子 どもの死から1年が経過し,亡くなった子どもは「見 えないところに多分いるんだろうな」と思えるように なると,納骨をすることに抵抗がなくなることは才木 (1999)の報告と同様であり,それは子どもの位置が 母親の中に定まったのだと才木は述べる。  こうして子どもを自分の人生の中で共に過ごす存在 として位置づけるようになると,子どもの存在を意識 して母親達はこれからの人生を考えるようになってい た。やまだ(2007)は,死者とともに生きるとは,こ こにいない死者と不在のコミュニケーションをするこ とであると述べているが,本研究における協力者達は 誰もが,母親として亡くなった子どもと対話をし,「子 どもに恥ずかしくない生き方をしたい」,「子どもに恥 ずかしくない人間になりたい」,と語っていた。ここ からうかがえることは,死産という喪失であっても, 他の死別同様に亡くなった子どもの存在を忘れるので はなく,自分の子どもとして自分の人生の中に死者を 位置づけることは,意義のあることであるということ である。母親達は,亡くなった子どもの存在と向き合 うことで,自分自身のこれからの在り方を考え,自己 のアイデンティティを再構築し,人間的成長を遂げて いる。  死産を体験した母親達のケアは,1990年代以降の海 外におけるガイドラインの作成をはじめ,日本におい ても亡くなった子どもとの面会や子どもとの思い出を 作ることなどが勧められるようになってきているが, 子どもと会うことが悲嘆や抑うつを高める,PTSDの リスクを高めるとする研究もあり(Hughes et al., 2002; Badenhorst & Hughes, 2007),亡くなった子どもとの 関係を取り結ぶケアに対する考え方は一様ではない。 そして実際,子どもを亡くした直後の女性達や家族の 反応はさまざまであり,ケアの場面において医療者は 戸惑いを覚えることもある。しかし長期的な視点で捉 えれば,亡くなった子どもに会い,子どもの存在を忘 れないことが,その後の母親達に必ずしもネガティブ なことではなく,むしろポジティブな意味のあること として体験されているということが本研究では示唆さ れた。亡くなった子どもの存在を,その後どのように 意味づけていくのかということを視野に入れて母親達 と関わることで,医療者のケアに今後より一層の根拠 が蓄積されていくものと思われる。 2.亡くなった子どもの存在を人生に組み込むことを 困難にする死産の特徴  本研究における協力者達は,喪失の直後には苦悩 の方が強くても,母親として常に子どもの存在と向 き合い,たとえ死産でも子どもを自分の人生に組み込 み,共に歩もうとしていた。しかしその過程において は,死産という生きて共に過ごしたことのない子ども との死別ならではの特徴があった。以下に,死産の特 徴について考察すると共に,死産を体験した母親への ケアを提言する。 1 )子どもと会い,母親役割を遂行する機会の少ない こと  出産した子どもを抱き かわいい と感じ,また子 どもと一緒に過ごす時間を得たとしても,子どもはあ くまでも 死んだ子ども として最初から目の前に存 在し,母親として子どもに何ができるのか分からずと まどう姿が本研究の協力者の語りからはうかがえる。 またBさんの,「死んだ子どもに会う,ていうのを言 いにくい。常識的に変に思われないだろうか」という 語りにあるように,母親達の中には子どもとの面会す ら,自ら希望することにためらいを感じていることが

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あると思われる。  才木(1999)は小児がんで子どもを亡くした母親が, 自分は母親として精一杯よくやった という思いに 支えられ,深い悲しみから少しずつ抜け出していくと いうことを述べ,一方Woodgate(2006)は,さまざま な理由で子どもを亡くした母親のインタビューから, 子どもとのよい思い出が少ないほど母親達の苦しみは 大きかったと述べている。つまり母親として何が子ど もにできたかということは,子どもの死後母親達が少 なからず罪悪感を子どもに対し抱く中で,その後の悲 嘆のプロセスに影響を及ぼすと考えられる。死産の場 合には, 母親としての関わり にも, 子どもとの思 い出 にも限界がある。したがって,せめて母親とし て希望するだけ子どもと共にいられる環境と時間が保 証されていることが望まれ,医療者にはそのアレンジ を担う役割がある。  さらに太田(2006)は,死産で子どもを亡くした母 親のケアニーズとして,更衣,沐浴,授乳,歌を歌う などの,母親としての行動への支援のニーズを挙げて いる。子どもに会うという面会の設定だけではなく, たとえ亡くなっていても,母親として子どもに対して できうることを提案してもらえることは,母親にとっ て非常に大きな意義があると思われる。 2 )亡くなった子どもの語りを受け容れてくれる相手 の少ないこと  Rubin(1984/1997)は,死産で子どもを失うことは, 母子の関係の拡充と更なる発展を終了させるが,すで に妊娠中に母親が発達させてきた母性性の中での自己 の傾注と,子どもとの絆は消えないという。つまり, たとえ死産というかたちで子どもをなくし,目に見え る子どもの実体がなくなっても,母親としての自分の 思いと,子どもの存在を心の中から消すことは難しい のだと思われる。このことは本研究の協力者の誰もが, 亡くなった子どものことを語りたいと思っていたこと が裏付けている。Woodgate(2006)は,さまざまな理 由で子どもを亡くした母親が,子どもの思い出をシェ アできる友人や家族と共に語ることによって,より一 層子どもの存在を自分たちの世界に生かすことができ ると述べているが,本研究における協力者達も,たと え死産であっても子どものことを語ることを通し,子 どもの存在を現実のものとしてとどめておきたいと考 えていた。その子どもの存在があるからこそ,子ども が亡くなった後も母親としてのアイデンティティを育 み続け,母親としての自分が肯定されることはうれし いと感じるのであろう。  しかし死産においては,亡くなった子どもに面会し た人や,子どもの思い出をシェアできる友人はほとん どいない。さらにDさんが「人間としてみてもらって ないんだなあ,て感じた」と述べているように,死産 で亡くなった子どもの存在というものは社会において は軽視されており,「また次産めばいい」と言う言葉に みられるように,亡くなった子どもはあたかも代替で きるかのような存在としてみなされている。そのため, Cさんの「語る場,ていうのは中々ない」という言葉に みられるように,社会では子どものことを語りたくて も語ることは難しい状況であった。だからこそ,セル フヘルプグループやインターネットを通し同じ体験を した母親達と語る場が,本研究の協力者達には必要で あったのだと思われる。そしてこの語りたいという思 いは,子どもを亡くした直後よりもむしろ時間を経て, 徐々に強まってくるようであった。なぜならば,女性 達は喪失の直後は子どものことを聞かれるのが怖くて 自宅に閉じこもっており,子どもが亡くなったことを すぐに社会の人に伝えることはできなかったからであ る。  したがって,母親達が子どものことを語りたいと思 うようになった時に,いつでも語れる場にアクセスで きる環境があることが望まれ,医療者にはそのリソー スを紹介できることが求められる。また,子どもの存 在を受け容れてくれる他者の存在が稀少な死産である からこそ,医療者は数少ない亡くなった子どものこと を知る人であり,母親達の語りの聞き手となれる存在 である。 3 )子どもの思い出の品が少ないこと  死産であっても,また他の死別であっても,母親 達にとって子どもの思い出となる品や子どもの遺品 は,重要な意味を持っている(Riches & Dawson, 1998; Grout & Romanoff, 2000; Lundqvist et al., 2002; Cote-Arsenault, 2003; Meert et al., 2005)。 こ う し た 品 々, ことに写真は,自分が親であったことや子どもの存在 を具体的に証明し,見失いそうになった親としてのア イデンティティを確かなものにしてくれる(Riches & Dawson, 1998)。本研究において写真を残せたAさん が,「写真とかにみんな話しかけてる感じ」といい,イ ベントには必ず写真を添えると述べていたように,死 産であっても家族の中で写真の果たす役割は大きいの

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だと考えられる。  しかし出会ったときに子どもは既に亡くなっている ということが,子どもの思い出となるものを極端に少 なくするということも,本研究では明らかであった。 Dさんは,スタッフに写真は撮ってもいいと言われた ものの,亡くなった人にカメラを向けることは「やっ ちゃいけないような気がして」と躊躇し,撮れなかっ た。また手型や足型,爪や髪の毛など,「残せるもの はなんでも残しておけばよかった」と協力者達は後日 後悔しているが,その必要性は「その時には分からな かった」,「思いつきもしなかった」と述べている。  死産というタイプの死別ではなければ,特別意図し なくても通常は写真が何枚かは残される。しかし死産 に限っては,写真は勿論,子どもの思い出の品は意図 しなければ何も残らず,またそれが必要であると思っ た時には子どもの実体は既に存在しないのである。限 られた時間の中で,子どもの写真や思い出の品を残す ことに迷いを感じる母親は多いが,後々母親達が必要 に思うことがあるということを医療者が知り,これら の品を残すことの意味を母親に説明し,またたとえそ の時に母親達が希望しなくても,必要なときに手に入 れることができるように残しておくことは,医療者に 求められる重要な役割であろう。

Ⅵ.研究の限界

 本研究は,セルフヘルプグループという自分の体験 を語る場に集まる女性達の集団から対象をリクルート しており,サンプリングには偏りがある。

Ⅶ.結   論

1 .死産による喪失初期の子どもの存在は,母親に とって《苦悩を伴う存在》であった。その構成要素 には,〈かわいい我が子〉,〈死者としての子ども〉, 〈命を救えなかった子ども〉,〈社会では軽視される 子ども〉,〈目の前にいない子ども〉があった。 2 .時間の経過とともに,子どもの存在は《人生を共 に歩む存在》として位置づけられていた。その構成 要素は,〈母親としてのアイデンティティを育む語 りにおける子どもの存在〉,〈安定した子どもの位置 づけ〉,〈母親の人間的成長を促す子どもの存在〉で あった。 3 .喪失の初期には,子どもへの愛情を抱きながらも 後悔や罪悪感,傷つき,空虚感といった苦悩が強 かったが,時間の経過とともに,子どものことを語 ることや思い出の品を通し,子どもを自分の人生に 組み込み,人間的成長を遂げていた。この過程にお いては,死産であっても常に子どもの存在に向き合 う母親達の姿があった。 謝 辞  本研究にご協力下さいましたお母様方,並びにセル フヘルプグループの運営者の方々に,心よりお礼申し 上げます。また,本研究を進めるにあたりご指導下さ いました聖路加看護大学の堀内成子教授,伊藤和弘教 授に感謝致します。なお,本研究は2006年度聖路加 看護大学修士論文の一部に加筆修正をしたものである。 引用文献

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参照

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