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ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察 - サントリーニ島の現地調査を基に -

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(1)ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と 持続可能な観光・発展の事例考察 −サントリーニ島の現地調査を基に− A case study for restoration of “Traditional Settlements” and Sustainable Tourism & Development in the area of Aegean Sea, Greece - according to the field research in the Island of Santorini -. . 石 本 東 生. 【キーワード】ギリシャ経済危機、南エーゲ海、サントリーニ、イア、過疎 化、修復・復元、トラディショナル・セトゥルメンツ、洞窟住居、洞窟ホテ ル、経済危機の最中にも揺るがない観光力、持続可能な観光・発展 【Key Words】Greek economic crisis, Southern Aegean Sea, The Island of Santorini, Oia, Depopulation, Renovation & Restoration, Traditional Settlements, Cave house, Cave hotel, Steady power of Tourism even in economic crisis, Sustainable Tourism & Development In March & April 2013 the breaking news regarding serious financial crisis of Cyprus, the famous resort island in eastern Mediterranean, reminded us once again of so severe economic damage of European countries. Also, in previous year, in May & June 2012 Greece had confronted the most serious political & economic situation, so to speak, 地域創造学研究. 25.

(2) 論文. after the First General Election in which any Political Party was not able to establish new Government. And then this crisis influenced so hard the Greek Inbound Tourism in first half of fiscal year 2012. However, the Greek tourism industries of which income compose approximately 15% GDP of this country is not capable to revive its economy? And all of the travel destinations & sectors in Greece, without exception, fail in gaining inbound tourists? Is there any popular & attractive destination which can revive the Greek economy? If it(or they) exist (s) , what is a factor of good condition for inbound tourism? They are main theme of my research in recent years after 2010. Actually I was so surprised that I had found some limited destinations in which secure stably larger number of foreign visitors through statistical study & field work over there in May & June 2012. They were islands on South Aegean Sea and Cretan island. The purpose of this research is to make an investigation into major factors of their good condition for international tourism, even in so strict financial situation. Actually I paid attention to the development of Heritage Tourism & restored Traditional Settlements in Southern Aegean Sea, particularly the island of Santorini, the village of Oia which had groaned owing to DEPOPULATION in the middle of 20th Century. However, like a miracle, now Oia and Santorini have become the most attractive island destination for international travelers from all over the world.. 26.

(3) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. 1.はじめに 1-1.キプロス経済危機とその背景 今年(2013年)3月、4月と東地中海のリゾート観光国として有名なキプ ロス共和国が経済危機に瀕し、国家財政破綻の寸前にまで至った。この危機 を引き起こした問題はキプロス国内の経済にあったというよりも、2010年年 頭に起こった隣国ギリシャの経済危機が発端である。ギリシャでは財政逼迫 により国債の利回りが急激に上昇したことから、EU、IMF、ECB( 「三者」 という意味から「トロイカ」と呼ばれる)から財政支援を受けても、国債の 償還が極めて困難な状況であった。結果、ギリシャは2012年4月に債権者側 代表のIIF(Institute of International Finance)並びにトロイカとの協議の 末、「秩序ある債務再編」を行うに至った。言わばギリシャ国債の額面切り 下げ(50%)である。そして古くからギリシャとの間には歴史的、民族的、 経済的、文化的にも密接な関係にあり、現在でも同じギリシャ語を公用語と して使用するキプロスでは、国内の銀行がギリシャ国債を大量に保有してい たために、強烈なダメージを受けたのであった。今年4月、ギリギリの切羽 詰まった状況で政府は、キプロス国内の銀行における顧客の預金(10万ユー ロ〔約1,280万円〕以上の)をカットして銀行の株式に転換する法案を議会 に提出、過半数で可決し、EU、ECBからの支援を取り付けるに至った。 このキプロス危機は、今一度ギリシャ経済危機に端を発する欧州経済の傷 の深さを露呈する出来事となった。 しかし、ここ数年において今回のキプロス問題にも増して世界経済の行方 に深刻な陰を落とし、世界の人々が固唾を飲んで見守った出来事はと言えば、 昨年、2012年5月そして6月に行われた2回のギリシャにおける国政選挙で あっただろう。前回の選挙から約2年半ぶりに行われた同年5月の選挙では、 それまで緊縮財政を推し進めてきた連立与党が大敗。逆に多くの国民が厳し い緊縮増税の政策に反対姿勢を表し、 「ユーロ離脱、旧来のドラクマに回 帰!」を標榜する極左勢力への支持が急伸した。しかしながら、双方とも単 独では過半数を取れず、連立構想の努力も実らないまま政権樹立には至らな かった。そこから1ヶ月後の6月半ばに再選挙が持ち越された。1 地域創造学研究. 27.

(4) 論文. この時期から、ギリシャの『ユーロ離脱説』が、世界的にも急速に現実視 されるようになり、 「ギリシャは危険な国!」との報道が激化。欧米を中心 とする世界各地からの観光客が激減。すなわち「ギリシャ観光の危機」へと 発展したのである。2 1-2.本稿の目的 では、「経済危機によってその国の観光は失われるのか? 観光にはその 経済危機を乗り越える力はないのか?」この点がギリシャ危機以降の筆者の 研究テーマである。ゆえに筆者は、昨年5~6月、つまり世界中の人々から 最もギリシャが危険視された時期に、現地の調査を試みた。その調査資料に よる考察が「経済危機下にも好調なエーゲ海・クレタ島における観光力の要. 因とエコツーリズムの展開 ‐ トラディショナル・セトゥルメンツとクレ タ式食文化の観光資源化 ‐ 」 であった3。そして本稿は同研究の追論となる。 先回はクレタ島の事例を取り上げたが、今回は同じくエーゲ海に浮かぶ世界 的にも人気を博すリゾートアイランド、サントリーニ島の事例を取り上げる。 この経済危機で、多くの人々がギリシャを敬遠しがちであるが、見方を転 換すると、経済危機に直面するギリシャという観光立国がどのように観光業 を促進しつつ危機を乗り切っていくのかを追跡することは、実に重要な研究 であると筆者は考えている。当然、観光分野の振興だけで国家経済、金融シ ステム等が健全化するはずはない。事実、先述の通り、EU、IMF、ECBの トロイカによる融資もなければ国は立ち行かないし、公共セクターの民営化、 公務員制度改革など、山積する課題には待ったなしの改革が必要である。し かしながら、ギリシャ経済と国民生活の再生には、同国GDPの約15%を占 めるほどの基幹産業である「観光業」の復活が必須であることは間違いない。 今や、日本のみならず国際間でも産官学をあげて様々な領域分野で「持続可 能な発展」が問われている時代である。そして「持続可能な観光」という言 葉は、自然環境を損なわない観光という概念で使用されることが多いが、極 度のリセッションや増税により貧困や自己破産に陥り、自殺者も急増してい るギリシャ社会が観光産業の発展により豊かさを取り戻すことができるとす 28.

(5) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. れば、それは実に、持続可能というより「社会再生可能な観光」事例となり 得るのではないだろうか。 このような研究目的を以て、以下本論を2部に分け、前半では「統計デー タに見るギリシャのインバウンド・ツーリズムの推移」、続いて後半では 「エーゲ海の珠玉『サントリーニ島』の持続可能な観光と発展」というテー マにて、考察を進めていきたく思う。. 2.統計データに見るギリシャのインバウンド・ツーリズムの推移 2-1.ギリシャ経済危機とメディア報道がもたらす社会への影響 さて、昨年(2012年)5月末~6月にかけての筆者の現地視察調査前には、 テレビ、新聞、インターネットのニュースサイト等では、ギリシャ政府の緊 縮財政に反対する民衆のデモ、およびデモ隊と機動隊の激しい衝突の様子な ど、連日心痛むような報道ばかりが繰り返されていた。当時筆者は東京のギ リシャ政府観光局に勤務していたが、旅行会社や一般コンシューマーの方々 から、ギリシャ観光の安全性に関する問い合わせ、あるいはギリシャ行き旅 行商品に相次ぐキャンセルへの対応など、相談やクレームがひっきりなしで あった。その時点での日本国内における旅行会社、および旅行者の不安、ひ 「ギリシャは暴動が頻発する危険な国」 いてはツアーキャンセルの理由は、 という認識によるものが大半を占めていた。 しかし同時期に、所変われば見方も異なる興味深いメディア報道、さらに 筆者が現地で取材した内容に関して2件ほど紹介したい。 ① ドイツ自動車協会とReise-Monitor社による観光市場調査の結果 2012年3月17日のDeutsche Welle(internet edition)は、ドイツ自動車協 会とReise-Monitor社によるドイツ国内での観光市場調査に関して次のよう に伝えている。4 ⅰ)ギリシャは「ドイツ人観光客が好むデスティネーションのベスト10」か ら転落。それまで例年ギリシャは10位以内であったが、今年は12位に後 退した。 ⅱ)ちなみに、同年のベスト・デスティネーションに名を連ねたのは以下の 地域創造学研究. 29.

(6) 論文. 国々である。 1位:スペイン(人気度10.3%) ,2位:イタリア(人気度9.8%),3位:オー ストリア(人気度6.1%) ,4位:トルコ(人気度4.1%)… 12位:ギリ シャ(人気度1.8%) ⅲ)さらにDeutsche Welleはこれらの結果について、調査実施者であるド イツ自動車協会副総裁マックス・ステック氏の分析を次のように伝えて いる。 ➢ 例えばドイツ、オーストリア、トルコ、フランス等の国々への外国人観 光客は、50%を超えるリピーター客の支持を得ているが、ギリシャの場 合は34.0%に止まっている。 ➢ その主要因は、 「ギリシャは危険な国」との認識ではなく、「交通機関の ストやデモによる足止め」 、 「遺跡、博物館などのストによる、見学不可 能」⇒ すなわち、ギリシャ政府による「スト&デモの制御」がなされ れば、ギリシャは再び素晴しいデスティネーション生まれ変わる。 ➢ 加えて、同調査ではドイツ人観光客のデスティネーション評価として以 下の表1のようなデータを報告している。 デスティネーションに対する ギリシャの 評価項目 「休暇旅行先として安全な国」. 2位. 「自然が美しい国」. 3位. 「豊かな観光名所、観光資源」. 1位. 「海の美しさ、マリンリゾー ト」 「サービス、ホスピタリティ」. 備 考. 順位 . 1位:スペイン 3位:トルコ 1位:クロアチア 2位:イタリ ア 2位:イギリス&アイルランド 3位:フランス. 3位. 1位:クロアチア 2位:トルコ. 3位. 1位:トルコ 2位:スペイン. 表1 ドイツ人観光客の海外デスティネーションに対する評価(2012年) 30.

(7) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. このように、ドイツ人は比較的冷静な目で、ギリシャの観光デスティネー ションが持つポテンシャルを評価していることが確認できる。 ② クレタ島西部のアグリツーリズム拠点「ヴァモス・ヴィレッジ」におけ る取材 このヴィレッジには毎年 オランダ人の観光客が多く 訪れ、また旅行を契機にこ の地が気に入り、定年後に ここへ移り住むシニア世代 も少なくない。 昨年(2012年)5月末に 筆者が訪れた折、複数のオ ランダ人シニアカップルと 写真1:「ヴァモス・ヴィレッジ」内のゲストハウスの一つ. 出会ったが、彼らが口を揃. 「オランダのテレビ局はギリシャの政情不安を危険視し、ユー えて言うのに、 ロ離脱も取り沙汰される中、連日『ギリシャ国内の銀行システムは今や全く 機能しておらず、クレジットカード等でのキャッシングも不可能! 快適な リゾートなど今やギリシャにはあり得ない!』と伝えていたので、クレタを 訪れるのが怖かった…。しかし、実際に来てみたら、クレタ島はまったく平 穏無事で、銀行も何の問題もなし。あの報道は何だったのか? と訝しく 思った」との事だった。 2-2.現地調査で分かるメディア報道と現実のギャップ では、実際に現地を調査してみて、アテネをはじめギリシャの各地は、メ ディア報道の如く暴動で悲惨な状況、観光インフラもズタズタ、危険で観光 すらできない…ような状況だったのか? 率直に言って答えは「ノー」であ る。筆者の16日間のギリシャ滞在中、アテネの中心部に近い大学通りでデモ 隊に2度出会ったが、まったく平和的に行われており、一時的に交通渋滞が 起きた程度で終わっていた。 地域創造学研究. 31.

(8) 論文. 一方で、市内の中心であ る国会議事堂前広場やシン タグマ(憲法)広場周辺も、 さぞかし過去数回の激しい 暴動で大変な状況かと想像 していたが、以外にも早く 回復しているところが多く、 驚いた次第だ。写真2~4 で確認できるとおりである。 このような「メディア報. 写真2:国会議事堂前広場の向かいに位置するシ. 道と現実のギャップ」に関. ンタグマ(憲法)広場。アテネ市の中心的広場. して、筆者は以下のような分析を行った。 ① デモやストライ キ、抗議集会の場所 とタイミングの問題 確かに日本でギリ シャにおける過激な デモや暴動のニュー ス等をテレビやイン ターネット動画で見 る限りは、 「ああい う騒ぎには巻き込ま 写真3:シンタグマ(憲法)広場横に建つ3件のファイブスターホテル. れたくはない!」と. 思うのが当然であろう。そして、自然と「ギリシャ全土がああいう状態…」 と連想してしまうのも無理はない。しかし、そういった暴動はアテネ市中心 部の国会議事堂前や憲法広場の周辺だけで起きていることであり、他の地方 都市ではほとんどあり得ない状況である。. 32.

(9) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. また、メディアの性格として「話題性」と「視聴率」の観点から物事が必 要以上に強調される問題が ある。アテネ中心部での暴 動自体も過度に強調されて いたことも筆者は指摘した い。その意味で、経済学者 として著名な東京大学大学 院の伊藤元重教授が、2012 年9月8日付の産気新聞に 記しているコラムは実に興 味深いので、以下に引用し. 写真4:アテネ市中心部、エオル通りのカフェ、レストラン街. たい。 「経済危機で揺れている欧州政府の本拠があるブリュッセルに来ている。 世界的に注目されている欧州危機だが、日本で見聞きすることと、現地で得 られている情報の間にはだいぶギャップがある。たとえば、日本のテレビに は、政府の財政改革案に激しく抗議するデモの映像が映し出されている。こ の映像だけ見ていると、ギリシャの国内はさぞかし混乱しているだろうとい う印象を持ってしまう。しかし現地の人に聞くと、デモ隊の近くにカフェが あり、デモでのどが渇いた人はそちらでビールを飲んでいるそうだ。そして 一息ついたらまたデモに加わるという。デモ隊の映像だけを切り取って報道 すれば深刻なように見えるが、その人たちがその横のカフェでのんびりビー ルを飲んでいる映像が一緒に流されれば、ずいぶんと違った印象を持つだろ う。(中略)危機を危機として見ることは大事だ。ただ、あまりに過激な報 道に踊らされない方が良い。報道は、時として興味を引くために、針小棒大 な描き方をすることがあるからだ。…」 筆者も全く同感である。 ② デモ、ストライキ、抗議集会自体の減少 ところでギリシャにおけるデモ、ストライキ、抗議集会等の頻度が先述し た2012年5月の国政選挙以降、相当に減少していることが分かった。以下の 地域創造学研究. 33.

(10) 論文. 図1は2012年3~7月の期間、政府に反対するデモ、ストライキ、抗議集会 等の頻度に関するデータを筆者が収集し、労働者組織別にまとめたものであ る。5. 図1:労働者組織別デモ、ストライキ、抗議集会頻度の変化 40 35. 頻度(回数). 30 25 20 15 10 5 0 薬店・ 港湾 弁護 薬剤 局・船 士 師 舶. 重工 鉄道、 医療・ 空港、 業系 バス 小売 病院 航空 労働 会社・ 業者 関連 関連 者 組合. 旅行 会社 関連. その 他. 0. 0. 0. 1. 2. 0. 2. 0. 2. 0. 4. 0. 0. 2. 11. 1. 0. 0. 2. 0. Taxi. 考古 学者. Bank. 公務 員. Mar-12. 0. 1. 0. 7. 1. 5. 4. 31. 3. 6. 0. Apr-12. 2. 1. 1. 8. 2. 2. 1. 36. 6. 1. 0. May-12. 0. 0. 0. 24. 0. 1. 0. 31. 0. 9. Jun-12. 0. 0. 0. 7. 1. 0. 0. 3. 4. Jul-12. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. この図1を見ると、3~5月の3か月間に労働者組織の抗議運動は頻繁に 起きているが、6月に入ると落ち着きを見せ始め、7月にはほとんど起きて いない。これらは当時の社会情勢を如実に物語っている。というのは、先述 の通り2012年5月半ばに行われた国政選挙の結果、どの政党も過半数を取れ ず連立交渉さえも決裂したため、1か月後の再選挙に持ち越された。すなわ ち、その1か月は形式的な暫定政権が組まれたものの、実質的には無政府状 態と言って過言ではなく、デモやストライキの矛先が無くなった格好である。 また6月17日に行われた再選挙の結果、ギリシャの将来にはユーロ圏内そし てEU内存続は自明の理との主張を貫く中道右派の新民主党が急進左派を抑 えて勝利し、安定的な連立政権の樹立に漕ぎ着けたことから、内政的にも平 穏を取り戻し、7月にはほとんど抗議運動は息を潜めたのである。結果、7 34.

(11) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. 月以降のインバウンド観光は急速に回復を見せ始めた。 ともあれ、日本ではキャンセルの絶えなかったデスティネーションのギリ シャであるが、「暴動」の印象が強い首都アテネでさえも、報道と現実の間 には少なからぬギャップが存在することはこの目ではっきりと確認すること ができた。 2-3.経済危機発生前後のギリシャにおけるインバウンド・ツーリズムの 推移. 図2:2003-12年の外国人訪客数の推移 18,000,000. 100.00. 16,000,000. 外国人訪客数(人). 12,000,000. 60.00. 10,000,000. 40.00. 8,000,000 6,000,000. 20.00. 4,000,000. 0.00. 2,000,000 0. 前年比増減率(%). 80.00. 14,000,000. 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012. -20.00. 年 外国人訪客数. 前年比増減率. このような状況下で、近年ギリシャにおけるインバウンド・ツーリストが どのような数字で推移しているのかを図2で概観したい。 以上の10年間のデータを見ると、最近5年間は1500~1600万人の間を推移 していることが分かる。UNWTOのランキングでは15~17位にランクインし ている。特に先に述べてきた「ギリシャ危機」という意味から、欧州の旅行 業界においては2012年5~6月時点で「前年比4割減もありうる」と、かな 地域創造学研究. 35.

(12) 論文. り悲観的な事態が予想されていた。しかし、結果的には5.5%程度のマイナ スに止まっている。その主要因は、やはり同年6月半ば以降の国政の安定で あると考えられる。むしろ若干マクロスコピックな見方をしてみると、年間 訪客数は2003年当時から比較すれば緩やかにも上昇しているほどである。 そして、ギリシャが世界中から「危険視された時期」に国内各地デスティ ネーションにおいて、訪客数のどのような変化があったのかを推し量るため に、次の図4ように2007年から12年までの「国内主要空港における外国人到 着客数の推移」グラフを作成してみた。また、同図のデータを前年比増減率. 図3:ギリシャ地図(地域区分図) 36.

(13) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. で示したのが図5。さらには、図5における6年間の増減率%(+-)を合 計値として示したのが図6である。6 ここに取り上げた国内主要空港へは、毎年4~10月の観光シーズンに欧州 各国から相当な数のチャーター便が、アテネを経由せずダイレクトに到着す る。同データはそれらの空港のみでカウントされた数字となるため、各デス ティネーションへの訪客総数を算出するには、他の交通手段を利用してこれ らの都市へ移動する旅行客が加算されるべきことは至極当然である。事実、 特にエーゲ海、イオニア海(ギリシャ本土の西、イタリア側のアドリア海に 繋がる海)の島々においては、観光シーズンは様々なルートのフェリーボー トや高速船が運航している。そのため、これらのグラフの値は、各地を訪れ 図4:2007~12年 ギリシャ国内主要空港 における外国人到着客数の推移 4,000,000 3,500,000. 到着客数. 3,000,000 2,500,000 2,000,000 1,500,000 1,000,000 500,000 0. 国内主要空港名と2007~12年の各年データ 2007. 2008. 2009. 2010. 2011. 2012. る旅行客すべての数字を表しているわけではないことをご了解頂きたい。 しかしながら、各地名あとの括弧内の地域名から分かる通り、これらの17 都市はそのほとんどが島々に存在する。つまり欧州の旅行会社が、アテネで 地域創造学研究. 37.

(14) 論文. 図5:2007~12年 主要空港における 外国人空路到着客の増減率(%) 25.00 20.00 15.00. (%). 10.00 5.00 0.00 -5.00 -10.00 -15.00 -20.00 -25.00. 国内主要空港と2007~12年における外国人到着客の前年比増減率(%) 2008. 2009. 2010. 2011. 2012. 図6:2007~12年における外国人空路 到着客増減率の+-合計(%) 30.00. 増減率(%). 20.00 10.00 0.00 -10.00 -20.00 -30.00 -40.00. 国内主要空港. はなく地方都市に、それもエーゲ海やイオニア海の島々にチャーター便で直 接入るツアーを造成する理由は、その島自体に滞在する利便性のために他な らない。その意味では、やはり各デスティネーションの人気度を計る重要な 指標となり得るのである。 38.

(15) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. これらのデータから、筆者は以下のように分析した。 ① アテネはギリシャにおける空の玄関口であるが、近年は外国人到着客の 減少が著しい。2007年以降12年までの間に、一度も前年比プラスに転じ た年がない。ちなみに現在でも国際定期航空便に関しては、アテネ空港 発着が8~9割、北部の中心都市テサロニケ空港が1~2割といった割 合である。定期便は地方都市へはほとんど飛んでいないのである。つま り、近年ギリシャへの旅行客の「アテネ離れ」が鮮明だと言えよう。そ の理由としては、先述したとおり、アテネ市の中心部「国会議事堂前」 や「シンタグマ(憲法)広場」におけるデモ、抗議集会、暴動などのネ ガティブなイメージが、海外に広く伝わっているためであろう。 ② ①の分析は、同じ本土でアテネに次ぐ第2の都市、北部のテサロニケで は増減率がプラスに転じていることからも説明できる。 ③ 反対に、ギリシャが経済危機に陥った2010年年頭以降も、クレタ島の2 都市(イラクリオン、ハニア)や南エーゲ海のロードス島、コス島、ミ コノス島、サントリーニ島は各島とも好調な伸びを示している。特にク レタ島2都市の合計数は、年によってはすでにアテネの数字を若干上 回っている。シーズンだけでここまで到着客数を確保しているというこ とは、そのデスティネーションとしての人気が確立されていると言えそ うだ。 ④ 北エーゲ海の島々、およびイタリア側のイオニア海に浮かぶイオニア諸 島に関しては、シーズン年により、また島によって変動が大きく、空路 到着客数としての安定性に欠けている。 ⇒ 以上の分析から、筆者は次のように判断した。すなわち、未だ終息を見 ないギリシャ経済危機の最中にあっても、決して全国的にすべての地域がダ メージを受けているというわけではないこと。特に、クレタ島や南エーゲ海 の島々は、その影響すら小さく、むしろプラスに転じている地域も存在する ということなどに注目すべきである。 日本はギリシャから遠く離れており、残念ながらギリシャに関するニュー 地域創造学研究. 39.

(16) 論文. スソースがごく限られているため、ネガティブインパクトの強い報道に対し ては、旅行会社やコンシューマーもそれを鵜呑みにしてしまう傾向にあるこ とは、仕方のないことかもしれない。また、当時ギリシャ政府観光局のス タッフであった筆者も、各方面からご心配の声やご意見を多数賜った。 「当 該政府観光局が現地の的確な情報を日本においても発信していくことが求め られる」との旨であった。その頃は、必死のまきで情報を収集しつつ対応し たことであったが、現地を調査しつつ、今また諸データを分析しながら、今 後は研究者としての自覚を新たにさせられている。 では、クレタ島や南エーゲ海の島々における「好調な観光力」はどういっ た要因によるのだろうか? 前者のクレタ島に関する考察は、すでに発表済 みであるため、今回は南エーゲ海の島を事例に取り上げてみたい。特にエー ゲ海の島々の中でもその珠玉とも呼ばれるもっとも代表的な島、サントリー ニ島にスポットを当ててみた。. 3.エーゲ海の珠玉『サントリーニ島』の持続可能な観光と発展 3-1.世界的な人気を博すサントリーニ島とその地理的概要 サントリーニ島は毎年のように観光地として世界的な賞を様々受賞してい る。最近では2012年の年末、英国BBCの公式ウェブサイトにおいて「世界 の最も魅力的な島 ベスト5」の筆頭に選ばれ、今年13年に入って3月には、 トリップアドバイザーの″ Travelers’ Choice 2013″に お い て「 世 界 の 人 気 の 島 トップ10」で5位にランク インし、ヨーロッパ部門と しては栄えある1位に輝い た。 他 に も 島 内 の ア コ モ デーションが次々に様々な 形で世界的な賞を受賞して いる。今や世界中から多く 40. 写真5:サントリーニ島フィラの街。眼下にエーゲ海を望む.

(17) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. のリゾート客、クルーズ客が妬むほどの憧れをもって訪れるエーゲ海、否、 地中海きってのデスティネーションである。 サントリーニ島はエーゲ海のほぼ中央部に円周状に浮かぶキクラデス諸島 の南端に位置する7。アテネの外港であるピレウス港より約210㎞、クレタ島 から120㎞の距離。紀元前2000年という石器時代からエーゲ海で最も古い文 明がこの地に発生し、海上交通の要所として繁栄した。 紀元前1500年頃に島中央部の火山が大爆発を起こしたため中心部が海底へ 陥没し、カルデラ状の地形に変形。今日では、サントリーニ本島の他にテラ シア島とアスプロニシ島が内側に絶壁を連ねて環状に続き、その中に新旧2 つのカメニ島が黒々とした溶岩をむき出しにして並んでいるが、このような 島々の地形は長期にわたる火山活動によって生み出されたものであって、も ともとは本島のプロフィティス・イリアス山を核とする円形の一つの島で あったと考えられている。8 サントリーニ島の面積は76㎢。島内に13の集落が存在し、人口は約7千人。 ピレウスやクレタと船 の便で、またアテネと の間に空の便で結ばれ ている。また、夏期の 観光シーズンには、主 にヨーロッパ各地から 多数のチャーター便が ダイレクトに入ってく る。 東 地 中 海 お よ び エーゲ海のクルーズで は決して外せない、最 も魅力あるスポットと して高い人気を誇って いる。 図7:サントリーニ島の地図 地域創造学研究. 41.

(18) 論文. 3-2.サントリーニ島の歴史上特筆すべき時代 ① 石器時代の繁栄 エーゲ海文明の発祥地-アクロティリ遺跡- そのサントリーニ本島南端の 海際には「アクロティリ」とい う名のエーゲ海最古の遺跡が発 掘されており、7年の歳月をか けて建設が進められていた博物 館が2012年4月に竣工した。同 博物館は遺跡全体を覆い尽くす 設計の壮大な施設となっており、 写真6:アクロティリ遺跡(博物館)内. アクロティリ自体は世界文化遺. 産に登録さえされていないものの、先史考古学上非常に重要な遺跡である。 遥か4千年前のものとはいえ、切石が緻密に美しく積み上げられた2階建、 3階建に及ぶ建造物群が存在する。さらに住居地区と公共建造物地区とに区 分けされた都市機能まで持ち合わせていた。 我が国における地中海先史考 古学の第一人者である周藤芳幸 「これらの はこう記す(1997)。 建築は後期青銅器時代の爆発に 先立って住民が退去した直後に 火山の噴火物によって埋没した ため、そこで営まれていた当時 の生活の様子はあたかもその時 点で封印されたように克明に保. 写真7:アクロティリ(博物館)内、2階建ての民家跡. 存されており、遺跡から得られる考古学的な情報の量は、同時代の他の遺跡 の比ではない。アクロティリが『先史エーゲ海のポンペイ』と呼ばれる所以 である。そして、この情報量のおかげで、アクロティリが少なくとも内的な 構造という面では、極めて都市的な集落であったことが分かるのである」と。9 周知のとおり、紀元79年、イタリア南部ヴェスヴィオ火山の噴火時に、火 42.

(19) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. 山灰が降り積もり火砕流に飲み込まれてその歴史を閉じたかに見えた古代 ローマ都市ポンペイ。しかし幸いにも地中に埋もれたがゆえにその全貌を保 たれ、18世紀半ばの発掘により約千七百年ぶりに再びその姿を現わし、歴史 考古学研究上、世界的にも非常に貴重な発見となったのがポンペイ遺跡で あった。10 そのポンペイよりもさらに千五百年以上も遡る古代エーゲ海文明、その様 子を豊かに伝えるアクロティリ遺跡(博物館)が2012年春オープンしたこと は、今後のサントリーニ島の観光力をより高める重要な観光資源の誕生で あった。 ② その後、現代までのサントリーニ島 その後の歴史上、サントリーニ島は度重なる地震で集落は被害を受けたも のの、紀元後16世紀後半から18世紀初頭には、ギリシャ正教のキリスト教文 化がこの地に根付き興隆した。 しかしながら、先のアクロティリが「先史エー ゲ海のポンペイ」と呼ばれるほど煌めきを放っているのに比すると、その後 のサントリーニの歴史において、同様に特筆すべき時代をあげることは少々 困難である。むしろサントリーニは次に来るべき未来の繁栄を信じて、悠久 の時をひっそりと待ち続けた、と言うべきだろう。本稿においては、しいて 中間の歴史は割愛し、19世紀末期以降の近現代のサントリーニへと飛ぶこと をご了承いただきたい。 3-3.島内第2の街イア(Oia)とその歴史 ① 魅惑の観光スポットが秘める「過疎化」という過去 現在のサントリーニ島において中心の街となるのはティラ島中部のフィラ (Fira) 。そしてそれに続く第2の街が同島北部に位置するイア(Oia)である。 イアの街は中世よりサントリーニにおける5つのCastle Townsの一つで、 Castellia(カステリア)と呼ばれていた。現在はフィラと並び、サントリー ニ観光においても最も魅力的なスポットの一つで、カルデラの絶壁にへばり 付くような「洞窟ホテル」から眼下に望む紺碧のエーゲ海と、その西の水平 線に沈む夕陽の美しさは、世界中から訪れる旅行客を魅了してやまない。 地域創造学研究. 43.

(20) 論文. ところが、このイア地区にはつい40年ほど前まで「過疎化」で苦しみ、荒 廃しきっていたという歴史がある。その状況から、どのようにして世界中の 人々を魅了する街と生まれ 変わったのか? そこには、 おそらく「経済危機の最中 にも揺るがない観光力」そ して「持続可能な観光発展」 のカギが隠されているので はないだろうか? 筆者は そう思いつつこの地での調 査を行った。 写真8:サントリーニ島北部イア地区の街並 ② 海運業の拠点として繁栄を迎えたイア イアの興隆期は19世紀終期から20世紀初めにかけての時期。当時イアには 商船団が数多く寄港し、東地中海においてロシアとエジプトのアレクサンド リアを結ぶ航路の格好の中継地点として繁栄していた。つまり、前述のアク ロティリの時代から3500年もの年月を経て、サントリーニは再び日の目を見 ることとなったのである。 イアは歴史的にも船舶所有者の街であったと見られている。例えば、1890 年にはイアの人口は2500人 に満たなかったが、130も の船舶がイアの居住者所有 であり、カルデラ下のアル メニ港には小さくとも商船 用のドックが造られていた。 その時代、イアには13の行 政教区が設けられ、銀行1 件、税関、様々な伝統工芸 写真9:イアのグーラス集落 44. の工房、後背地からの重要.

(21) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. な農作物を販売する店舗も存在した。 では、以下に当時のイアの市街地について詳しく述べることにする。 3-4.イア地区内各集落の特徴と建築様式&景観. 図8:イアの居住地区分図 イアの市街地は、ある軸線に沿った線状構造の集落であり、その軸線は現 在大理石が敷き詰められた街のメインストリートとなっている。集落はそれ を中心にカルデラの絶壁側と尾根側に広がっている。その集落は以下のよう な4つの居住区に分けられ、全体で約960個の建物が存在していた。11 ① 船舶所有者の居住区 カルデラの断崖の最上部にあたる平坦な区域。イアにおいて海運業で成功 した船舶所有者等が建てた邸宅群がこの居住区に集中している。特に広い中 庭を持ち、新古典的、またヴェネツィア的な建築要素を取り入れている。エ ントランスの前面も柱形以外の部分に赤色火山岩を貼り込むなど、とても豪 華な造りとなっている。これらの家屋で特徴的なのは、雨水を集めて取り込 む機能的な集水・貯水システムが取り入れられていることである。 ② 船員の居住区 先の「船舶所有者の居住区」に接する下方となり、カルデラの急峻な断崖 面にあたる。密集して複雑に入り組んだ居住区となっている。船員の居住区 地域創造学研究. 45.

(22) 論文. は殆どがサントリーニに典 型的な「洞窟住居」によっ て構成されており、住居内 部は応接間と居間、寝室が 仕切り壁を隔てて繋がって いる。同時に独特の彫細工 を残している。 ③ 農 業 従 事 者 の 居 住 区 (ペリボラス) 上記二つの居住区と比べ ると新しく市の南部に拡大 図9:修復・復元当時のイア地区の様子。左の列3枚の写真は船舶所有者の邸宅. した区域で農業従事者等が. 居住した。「船員の居住区」よりは比較的傾斜がゆるやかで、土地を確保し やすく、農作業用の用具や家畜も飼育しやすかったという理由がある。しか し今日は殆ど他の集落と一体化し、境界線も区別できない。ワイン工房とそ の他農作業場も存在した。 ④ アムディ港、アルメニ港 そこから下方、海までは断崖絶壁が続き、海岸部にはアムディ(Ammoudi) そしてアルメニ(Armeni)と呼ばれる二つの港がある。港まではとても険 しい断崖をジグザクに辿っていく長い階段の小路が造られている。 3-5.伝統的家屋「洞窟住居」が造られた理由 ところで、19世紀終期から20世紀初頭にかけて、イアをはじめサントリー ニの各地区・集落で「洞窟住居」が造られるようになった理由は何であろう か? それには、先のアクロティリにまで遡るようなサントリーニの地理的 特異性が大きく影響している。 というのも、歴史上度重なる火山噴火を起こしたこの島の土地は比較的軟 らかな火山灰層で厚く覆われており、且つカルデラの断崖の急斜面では、宅 地を求めること自体も困難であった。そのため、海運業が盛んだった当時、 46.

(23) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. 富裕な船主等を除く一般の船員たちは、断崖面に横穴洞窟を掘って住居とし た方が、より安価に広い住まい空間を比較的容易に造ることができたのであ る。そして彼らは岩盤に洞窟を 掘りぬいただけではなく、エン トランスレベルには、屋根が主 にドーム型をした石造りの拡張 (継ぎ足し)部分を設け、立派 な玄関ホールに仕上げていた。 建築形式としてはドーム型屋根 の他に、十字ドーム型のものも 多く見られる。これにはやはり サントリーニが中世にはキリス ト教の拠点であったことが影響. 図10:カルデラの断崖面に建つ船員の居住区 伝統的洞窟住居群. しているとみられる。それらがイアをはじめとした島内の各集落において独 特の景観を形成することとなった。 3-6.繁栄した海運業の終焉とイア、サントリーニの過疎化 ところが、このように麗しいイアの繁栄もつかの間、海運業の世界でより 安全に長距離を航行する「蒸気船」が「帆船」よりも優勢になるにつれ、ギ リシャ&エーゲ海における海運業の中心はアテネの外港であるピレウス港に 移っていき、イアは衰退の一途を辿ることになる。1940年には1348人であっ たイアの人口が、1977年になるとたったの306人まで減少していたのである。 また、1928年と1956年には地震による被害もあり、さらには1942年冬の過酷 な天候時には作物が育たず、食料が途切れ、餓死者も少なからず出た。そう いった天災の影響もあり、その後次第にサントリーニを離れる人々が増加し た。つまり、イアのみならずサントリーニ島全体の集落が典型的な過疎地と なり、寒々と荒れた果てた孤島へと様変わりしていった。 3-7.トラディショナル・セトゥルメンツとしてのイア 地域創造学研究. 47.

(24) 論文. しかしその後、イアの繁栄を復活させるきっかけとなる出来事があった。 ギ リ シ ャ 観 光 省 と ギ リ シ ャ 政 府 観 光 局(Greek National Tourism Organisation)がイア地区の各集落に目を留め、1976年より荒れ果てた集落 の大規模な修復・復元プロジェクト(第1期工事)に着手したのであった12。 1992年にようやく第4期工事を終了したが、計16年の歳月をかけて、イアは. 写真11:未修復の古い教会跡。屋根が典型的な十字ドーム型をしている いわゆる「トラディショナル・セトゥルメン ツ」へと変貌したのである。以下にその具体 写真10:現在でもイアのグーラス集落に残る洞窟群. 的なプロジェクト例を挙げる。. ① 約60件の伝統的家屋が修復・復元されており、総計200におよぶベッド 数が確保されるほどのゲストハウス群に転用されている。それらはイア、 ペリボラス、アムディの各集落に分散しているが、且つそのすべてがカ ルデラの断崖側で「オーシャンヴュー」の家屋が修復・復元工事の対象 として選ばれた。また、このプロジェクトには「船舶所有者の邸宅群」 は含まれていない。その対象家屋選定の条件は以下の通りである。 ⅰ) 「空き家」あるいは放棄された家屋であること。 ⅱ)個々の建造物が持つ建築様式が重要視された。 ⅲ)原型は留めていなくとも、周囲の建造物との比較からほぼ原形に近 い姿が想定可能な家屋。あるいは、所有者の記憶や資料から復元可能と 判断された建造物。 48.

(25) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. ② 1件の古い喫茶店はゲストハウスの「レセプション兼オペレーションオ フィス」として改修された。 ③ ギリシャ政府観光局とギリシャ中小企業局の監督下で、レセプションオ フィス隣の古商店が「伝 統織物」の工房に改修さ れた。ここでイア在住の、 あるいは他の町々からの 婦人たちが、伝統織物の 技術を訓練且つ習得する ことで、その技術の継承 保存にも一役買うことと なった。ここで作られた カーペット、ブランケッ トなどは、政府観光局運. 図11:右写真が修復前、左写真が修復後. 営のゲストハウスで使用され、またその宿泊者に限って販売された。 ④ 「海洋博物館」がイアのメインストリートに面するある船舶所有者の邸 宅を改装して作られた。先述の通り19世紀から20世紀初頭、東地中海に おける商船団の基地ともなったイアらしく、当時の帆船の舳先となった 女神像など、数々の個人コレクションの寄贈によって得た船舶関連の珍 しい品々を展示した。 ⑤ イアの古いワイン工房跡“Cannava”は、レストランに改装された。現在 は文化イベントも催されるホールとしても使用されている。 ⑥ グーラス集落はイア地区内でも最も古くまた美しいところで、イアの中 核とも言える。ヴェネツィア統治時代のサントリーニには5つのキャッ スルタウンがあったが、そのうち一つのキャッスルがここに存在した。 1920年当時の写真素材からは、グーラス地区がとてもよく景観保存され ていたことが確認できるが、先述のとおり、その後商船団の基地として の役割低下 ⇒ 島内人口の本土への流出、そして1928年と56年の大地震 などで、その後はほぼ廃墟となっていた。 (図12参照) 地域創造学研究. 49.

(26) 論文. ⑦ ギリシャ政府観光局がグーラス集落の修復工事に着手した1976年時点で は、地震の被害によるものか、この地区の中心的教会であったパナギ ア・プラツァニ教会はその基礎部分を残すのみで殆ど全壊状況であった。 小さなゾードホス・ピギ教会も被害が大きかった。しかし、グーラス集 落は当時からギリシャ文化省の国の重要景観保存地区に指定されていた. 図12:修復工事以前のグーラス集落. 写真12:現在のグーラス集落。図12とほぼ同じ場所. ので、古城の城壁部分とゾードホス・ピギ教会は完全に修復された。 ⑧ また、公共インフラとしての汚水・上水、貯水池がイア地区内に完備さ れた。 ⑨ その他、メインストリートを大理石の舗道に造り替え、さらにアムディ 港に桟橋を建設した。. 50.

(27) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. 図13:グーラス集落内、古城の城壁部分と地震被害の大きいゾードホス・ピギ教会 写真13:現在の城壁とゾードホス・ピギ教会。完全に元通りに復元された 3-8.プロジェクト終了後のイアの街 初期の第1&2期プロジェクト(1976~1980年)においては、ギリシャ政 府観光局の指揮の基、以上の工事が完了した。この期間に同工事に関わった 現地の職人たちが、貴重な修復・復元の技術を習得する機会を得たことは、 同時にサントリーニの伝統的家屋の建築技術を後代に継承するためにも、こ の上ない賜物であったと言えるだろう。 後期の第3&4期プロジェクトは、2つの民間建設会社に委託され、引き 続き修復・復元工事が継続された。その代表的な工事の1つが「耐震用擁壁 補強工事」である。修復・復元された「トラディショナル・セトゥルメンツ」 全体の7割に当たる建造物において施工された。 同プロジェクト終了当初は、復元された伝統的家屋は政府観光局直営のゲ ストハウスとして宿泊客を受け入れるようになったが、それ以降順次民間に 払い下げられ、ホテル、レストラン、カフェ、商店などの経営がより活発に 進められるようになった。さらに、他の未修復の古民家に対しても民間によ るリノベーションの動きが一段と加速し、街全体が年々活気を取り戻して いった。 ただ近年は、イアの街並みは「トラディショナル・セトゥルメンツ」とし 地域創造学研究. 51.

(28) 論文. て、その景観保存および建築、改修が国の特別法により厳しく保護・制限さ れており、いずれの建築・建設計画も国の審議委員会により承認されない限 りは、施工は出来ないことになっている。 3 - 9. 現 在 の イ ア 地 区 グーラス集落のホテル例 筆者は昨年5~6月の現 地調査の際、イア地区の中 核となるグーラス集落にあ るホテル「エスペラス・ト ラディショナル・ハウシズ」 (Esperas Traditional Houses) を 視 察 し た。 以 写真14:ホテル「エスペラス・トラディショナル・ハウシズ」の客室例. 下の写真は同ホテルを撮影. したものである。 このホテルも当時の洞窟住居をほぼ忠実に再現しながら、ホテルの客室と して整備していった。当時の家屋の建 築素材としては、赤あるいは黒の石材 と石灰を混ぜた火山灰が特に強度の高 いモルタルとして使用されていた。典 型的な洞窟住居の玄関は狭いものの、 奥深く掘られている。住居の手前部分 は必ず 「居間」となっており、また「寝 室」は必ず奥の部屋になっている。居 間と寝室の間には、ちょうど玄関部分 と同じタイプの壁が設けられ、その壁 の中央にはドアが、そして両脇に左右 対象となる窓が一つずつ作られている。 写真15:ホテル「エスペラス・トラディショナル・ハウシズ」一部外観 52. 通常、台所はとても小さく、低い丸.

(29) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. 写真16:カルデラの断崖面に建つホテル「エスペラス・トラディショナル・ハウシズ」 屋根の下にある。居 間と繋がっており、 居間にいる家族と直 接会話ができるよう になっている。トイ レは中庭の方で、本 住居とは別棟になっ ていた。13これらの 洞窟住居や煙突、各 住居を結ぶ外階段な どの凹凸が複雑で、 遠景がとりわけ美し. 写真17:トラディショナル・セトゥルメンツは、今、新たな役目を担う. い。. 地域創造学研究. 53.

(30) 論文. 4.結論と今後の課題 4-1.結論-サントリーニ島の「持続的な観光・発展」に関して- 以上、第2部 の結論としては、 「ギリシャ ⇒ 経済危機 ⇒ デ モ ⇒ 暴動 ⇒ 危険、観光は困 難、観光に値し ない国」といっ た図式の判断に は、かなり誤り があるとも言え よ う。 さ ら に、. 写真18:イア地区の中心部を縦断するメインストリート。大理石の石畳. こういう「危機」と言われる時期にこそむしろ好調なデスティネーションに 注目し、その「観光力」の要因を調べ、分析することが特に重要だと筆者は 強調したい。 その意味で、第3部では南エーゲ海・サントリーニ島、中でもイア地区の 事例を調査、考察してきた。主に過去の過疎化問題から脱却した「街づくり の特徴」という観点からの事例研究であったかもしれない。しかし、最後に 付言したいことは、イア地区にしてもフィラ地区にしても、ひいてはクレタ 島、ロードス島、ミコノス島などエーゲ海における屈指の観光デスティネー ションに共通して言えることであるが、地域の古い街並みを修復・復元し、 そこに新たな息を吹き込み、逆にハイセンスでモダンな利用法を取り入れて いる点である。つまり、一方で 「伝統を大切に重んじ」ながらも、他方で「旧 態を排除」して「現代感覚」を常に忘れずに前面に出しているところだ。さ らに、毎年冬のオフシーズンには、ホテル施設内外の再塗装をはじめ徹底し たメンテナンスを行い、翌シーズンの収客に備えていることは、「シーズン」 と「オフシーズン」が明確に分かれていない日本の人々にはあまり知られて 54.

(31) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察. いない点であろう。 また、ヨーロッパの有名な観光都市に通ずる点かもしれないが、 「トラディ ショナル・セトゥルメンツ」の立地として特筆すべきことは、街全体が復元 された伝統的集落であり、ありふれた街並みにポツポツと古民家がみられる ような類のものではない。すなわちトラディショナル・セトゥルメンツとし ての「統一性」の問題である。ギリシャにおいても、それぞれの地域の個性 ある街並みを統一的に生かし、街づくりに励んでいる観光地ほど根強い人気 を誇っているのである。そのようなヘリテージ・ツーリズムへの明確なコン セプトをもった街が、島が、南エーゲ海とクレタ島には格段に多くみられる。 このような長年の「街づくり」の努力が要因となり、経済危機に苦しむギリ シャにあっても、とりわけ以上の地域が好調なのではないだろうか。そして 同時に地域と街を再生し、一定の規制の元に発展させているという意味では、 「都市における持続可能な観光と発展」の一つのモデルとなるのではないか と筆者は考えている。 事実、サントリーニやクレタに見られる地域開発のフィロソフィーが、他 の島々やギリシャ本土のペロポネソス半島南部のラコニア、マニ地方、中部 のピリオン地方などへ拡大し、観光集客力をアップさせている事例も出てき ているのだ。ゆえに、今後も同様な観点から注目すべき事例への調査研究を 継続していく所存である。14 4-2.今後の研究課題 今後さらなる調査・研究を要する課題としては、次のような点に取り組ん でいきたく思っている。一つには、サントリーニ島内のイアやフィラにおけ る景観保存地区で、行政はどのような建築規制を行っているかに関して。他 方、保存地区内の既存の建築物において、メンテナンス、修復・復元などの 費用に対する公的援助の有無、有るとすればその財源、規模に関する点であ る。これらは日本のトラディショナル・セトゥルメンツ例、および地方自治 体においても参考になる点が少なくないはずだ。 また、本稿ではサントリーニにおける「ホスピタリティ」や「食文化」15、 地域創造学研究. 55.

(32) 論文. 「ワイン&オリーブオイルの生産、販売」など、ソフト面に関して述べるに は至らなかったが、今後これらのテーマでの論考も追って進めていきたい所 存である。 最後に、2012年5~6月の現地調査の折には、アテネに本拠を置くYades Greek Historic Hotels のVice Chairman, バーバラ・アヴディス(Barbara AVDIS)氏に、ホテル・インスペクション関連で多大なご協力を賜った。 また、本稿執筆の際には、ギリシャ政府観光局日本・韓国支局の青木恵子、 小玉久美の両氏に最新の情報提供等ご協力をいただいた。この場を借りて、 厚く感謝と御礼を申し上げたい。 【参考文献】. ‐ Preservation & Development of Traditional Settlements(1975- 1992) Cultural Heritage Showcase, The G.N.T.O Programme, Greek National Tourism Organisation, Athens 2009. 本稿第3部における内容、およびイ ア地区トラディショナル・セトゥルメンツ修復前&修復中の写真や図面等 は、この報告書から多数引用させていただいた。 ‐ Haitalis D, Getting to Know Santorini: Complete Tourist Guide, Ekdosis Haitalis, Athens 1997. ‐ Walter L. Friedrich, Fire in the Sea: The Santorini Volcano, Natural History and the Legend of Atlantis, Cambridge University Press, Cambridge 2000.. 注. 1 2012年6月17日に国政再選挙が実施され、連立与党が急進左派に勝利し、安 定的な政権が樹立した。その結果、欧米をはじめとする観光市場にも安心 感が広がり、6月下旬以降は外国人訪客数も全国的に増加した。 2 石本東生,「経済危機下にも好調なエーゲ海・クレタ島における観光力の要 因とエコツーリズムの展開 ‐ トラディショナル・セトゥルメンツとクレ タ式食文化の観光資源化 ‐ 」,日本国際観光学会論文集第20号,東京 2013年,81. 3 石本東生,「経済危機下にも好調なエーゲ海・クレタ島における観光力の要 因とエコツーリズムの展開 ‐ トラディショナル・セトゥルメンツとクレ タ式食文化の観光資源化 ‐ 」,81-88. 4 ドイツ自動車協会 & Reise-Monitor社の市場調査による2012年欧州観光動向 分析,Deutsche Welle, March 17, 2012 Internet Edition. 56.

(33) ギリシャ・エーゲ海地域におけるトラディショナル・セトゥルメンツの復元と持続可能な観光・発展の事例考察 5 ギリシャ国内の各種イベント、ストライキ、デモ等の情報サイトhttp:// www.apergia.gr/(Ημερολόγιο Απεργιών)よりデータを収集し、筆者が作 成した。首都圏、地方を問わず、発生したものは1日1件あたりでカウン トし、労働者組合・組織のカテゴリーごとに集計している。 6 図2,4,5,6のグラフは、ギリシャ旅行業協会(SETE: Association of Greek Tourism Enterprises)の公式ウェブサイトhttp://www.sete.gr/ に掲 載されているギリシャ観光関連データを基に、筆者が作成した。 7 図3「ギリシャ地図(地域区分図)」において四角の印で囲んだ2地点を参 照。地図中央部の印が首都アテネ、そしてその南東部に印した島がサント リーニ島。 8 周藤芳幸, 「ギリシアの考古学」,同成社,東京 1997年,100. 周藤芳幸・ 村田奈々子,「ギリシアを知る事典」,東京堂出版,東京 2000年,64. 9 周藤芳幸,「ギリシアの考古学」,同成社,東京 1997年,104. 10 マリア=ロザリア・ボリエッロ,「ポンペイに生きる」序文,ポンペイ展 ‐ 世界遺産古代ローマ文明の奇跡 ‐ Vivere a Pompei図録、2010 東京,1924. 11 図 8 ~13の 出 典 は、 上 記 参 考 文 献 のPreservation & Development of Traditional Settlements(1975- 1992)Cultural Heritage Showcase. 12 当時、ギリシャ観光省 ギリシャ政府観光局は、イアの集落以外にも、ギリ シャ全土で16箇所に及ぶ伝統的な石造りの集落を再生するプロジェクトを 実施した。その事業報告書が上記参考文献のPreservation & Development of Traditional Settlements(1975-1992)Cultural Heritage Showcaseである。 13 現在のトイレは、ホテル宿泊客の利便性のため、洞窟の客室内に設けてあ る。 14 Alice Hatzopoulou, Stefanos Gerasimou, Sustainable Development of Greek Mountainous Traditional Settlements, WSEAS Transaction on Environment and Development, Issue 9, volume 2, 2006, 1226-1229. 15 Myrsini Lambraki, Cretan Cuisine for Everyone, Myrsini’s Edition, Athens 1998. 石本東生,「ユネスコ無形文化遺産『地中海ダイエット』とギリシャ における観光政策 ‐ 食文化を新たな観光資源へ ‐ 」,日本国際観光学会論 文集第19号,東京 2012年,111-117.. 地域創造学研究. 57.

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