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コモン・ローにおける反独占思想(3) 利用統計を見る

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(1)

コモン・ローにおける反独占思想(3)

著者名(日)

谷原 修身

雑誌名

東洋法学

38

1

ページ

115-144

発行年

1994-09-10

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000543/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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コモン

ローにおける反独占思想日

六 コモン・ローにおける取引制限的契約  q D 総   説  前節において、一七世紀前半のイギリスにあって、イギリス法の唯一の根源をコモン・ローに求めることを確信を 持って宣言したことから、後世において﹁コモン・ローの託宣人﹂として評価されるに至ったクック︵ω冒国α≦餌巳O鼻o︶       ︵−︶ の反独占思想を概観することを試みた。クックの反独占活動は、コモン・ローに基礎を置いた憲法原理を武器として 国王の特許政策に真正面から立ちはだかり、イギリス臣民の﹁営業の自由﹂を守るために恣意的で専制的な特許権賦 与を阻止せんとしたものであり、まさに﹁最初にして最強の反独占の闘士﹂と呼ぶに相応しいものであった。彼は生 涯の言動を通して、コモン・ローが初期の段階から独占に対する反対の歴史で飾られてきたとする考え方を誇示した     ︵2︶ のであった。     東 洋 法 学      一一五

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    コモン・ローにおける反独占思想口       一一六  しかし、既述したように、クックには﹁先例発明家﹂という好ましからざる別称があるのである。彼が非難の矛先 を向けた﹁独占﹂は、国王の恣意的な特許権賦与の結果として特定の商人が得た特定の商品の専売権に限定されてい た。その上、彼がこれらに対して反対する理論的根拠として引用したコモン・ロi上の先例も、彼の専ら我田引水的 な解釈によるものであり、彼以外の人によって引用される場合には、独占を肯定するための論拠となりうる可能性さ       ︵3︶ えあったと言われている。このように、クックの存在の偉大さの故に、後世の法学者の間にコモン・ローに対する過 大評価の傾向が生まれ、何時しか、コモン・ローは常にあらゆる独占行為から臣民の自由を守るための論拠として機        ︵4︶ 能してきたとする誤認が生じたとも言われているのである。  しかしながら、コモン・ローが常に独占行為を嫌い、臣民の営業の自由を守ることを目的としてきたとするのは全 くの仮想的偶像でしかなく、実際には、法令および慣習によって制約を受けている各時代の経済的秩序を維持するこ とを主たる目的としてきたと言うのが真実である。ただ、コモン・ローの一般的傾向を指摘するとすれば、個人の活 動の自由と経済的な独立性を希求して、社会における競争的勢力に刺激を与えることを目標としていたと言うことが できよう。換言するなら、コモン・ローの主たる機能は、私人問の紛争を解決するための裁判規範と言う点に求めら れ、社会一般における取引制限的行為の発生を防止することには役立たないのである。従って、実際に取引制限的行        ︵5V 為の発生を防止することを目的とした包括的な政策のための枠組を提供すると言うこともなかったのである。このこ とは、以下のような指摘によっても証明されるであろう。第一に、コモン・ローはイギリスの社会が、ギルド社会か ら産業革命時の相対的に競争志向的な経済社会へ移行しようとする動きを見せた時、これを妨げることを試みなかっ

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たことである。第二に、その反面として、一八五〇年代以降のイギリス産業界において次第に注目されていた結合お        ︵6︶ よびカルテル化の動きを阻止することも試みなかったことである。  要するに、クックの活躍した時代におけるイギリス臣民の経済生活は、身分︵ω$εω︶という準封建的な原理によっ て拘束されていたのであり、コモン・ローはこのような社会の現状を肯定するものとして存続していたのであった。 しかし、産業革命という極めて大きな社会的変革の後では、産業界ばかりでなく市民の日常生活においても、契約 ︵8旨轟9︶という個人の自由な意思に基づいた取引形態が主要なものとなったのである。このような変化に対応し て、コモン・ローの独占概念も大きく変わることになった。すなわち、それまでの独占概念が対象としていたのは、 単独の商人による食料品の買占め︵8旨①ユ轟︶および国王による特許権賦与に限定されていたが、契約の理論化およ び一般化に伴って、複数の商人による取引制限的契約︵09霞8富ぎおω嘗巴旨9霞銭Φ︶ないし取引制限的結合 ︵8営亘醤江o霧ぎお雪轟一導9嘗銭の︶という新しい競争制限的形態が独占の対象とされることになったのである。 換言するなら、この契約という個人の自由で積極的な意思の発動形態を通して生じる競争制限的効果を﹁独占﹂とし て把握し、これを規制することの必要性が認識されたのである。このような新しい独占形態の規制が現代の反トラス ト法の出発点であることを考えるなら、ここにおいて、コモン・ローは現代反トラスト法と命脈を通じることになっ       ︵7︶ たと言うことができよう。  以下に、この現代的反独占思想の出発点となった取引制限的慣行に対するコモン・ローの展開について概観するが、       ︵8︶ まずは、フォルケ︵勾○冨巳勾扇○巳犀o︶によって体系化されたコモン・ロi上の取引制限的慣行の分類を紹介するこ     東 洋 法 学       二七

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コモン・ローにおける反独占思想日 一八 ととする。  国 独占による取引制限   ㈲独占者の意思に無関係なもの。    @国家による許可     ①特許権 ②パブリック・フランチャイズ︵評9。写き畠幕ω︶    ㈲自然    @偶然   ⑧独占者の意思によるもの。    ⑥個人の活動     ①成功した競争㈱公正なもの ㈲不公正なもの ②取引をしないとする約定を有する競争の買収    ㈲団  体     ①全競争者の結合 ②独占となりうる一部の競争者の結合㈱成功した競争 φ○公正なもの 0り不公正なも      の ㈲取引をしないとする約定を有する他の競争の買収  囮 取引制限的契約の履行によるもの   ㈲受約者︵実際には発生しにくい︶   ⑧第三者︵ここでは議論の対象外︶

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 ◎約束者︵取引の完全な停止もしくは取引方法に対する制限を含む︶   ⑥単独の約定    ①個人の受約者によるもの ②結合によるもの ③結合の一部としてのもの   ㈲契約に付随する約定

   ①営業の売却㈲買い手による約定㈲売手による約定 ②組合㈱組合の継続中の組合員による約定㈲

    脱退した組合員による約定 ③親方と徒弟との関係㈲徒弟による約定 ωその関係の継続中は他の取引     を絶つこと 0りその関係の解消後に取引を絶つこと ㈲親方による約定 ④結合の形成 ㈱売り手間㈲     買い手間 ㈹売り手および買い手間 圃 国家によるもの  ㈲独占の許可   ①特許権   ②パブリック・フランチャイズ  ⑧特定の職業に対する立法による規制 國 公益企業によるもの 図 競争によるもの 圃 結合によるもの    東 洋 法 学      二九

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  コモン・ローにおける反独占思想日 ㈲売り手もしくは買い手のすべてによるもの。 ⑧残りの者に対する一部の売り手もしくは買い手によるもの。 ⑥すべての買い手および売り手の間のもの。 ⑪残りの買い手および売り手に対する一部の買い手と売り手の間のもの。 ⑧すべての買い手と売り手の間のもの。 ご一〇  ω 取引制限的契約の定義  人類を含めた地球上のすべての生物は、その消費の対象とされる資源の稀少性の故に、常に競争を強いられてきた のである。そして、﹁必要は発明の母﹂という諺があるように、人類は﹁競争に勝つために﹂あるいは﹁競争に負けな いために﹂発明の才能を十分に発揮して、種々の手段を発明することにエネルギーを注いできたのである。ここで論 じる取引制限的慣行︵器ω鼠&<①寓匿Φも鍔o膏8︶も、人類による積年の発明の集大成とも言うべきものである。従 って、これらの諸慣行の歴史は人類の取引活動の歴史と同様に古く、幾世紀を経て変遷を繰り返してきたものである。  この取引制限的慣行は、一言で言うなら、賢明な人類が自己および自己が所属する団体の利益のために、市場にお        ︵9︶ ける需要と供給の均衡および競争の結果に干渉することを試みることの総称であると言えよう。従って、この法理を 理解する上で重要な鍵を握っているのは..R匿Φ..という言葉である。この点について、イギリス法の体系的な解説書 とされるホウルズベリー︵国巽一R=巴ωぴ霞く︶の﹃イングランド法︵島Φい餌名ω9国轟鼠&︶﹄では以下のように説明

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されている。この旺匿Φは二つの意味を有しており、第一は物と物あるいは物と金銭との交換︵突魯碧讐轟︶を意味 し、第二は教養︵浮R巴費邑、専門職︵一8旨a震98ωδ房︶および農業以外のもので、利益を得る目的で営まれる 薯ω冒8ωを意味するとされる。しかし、この言葉は広く適用されるものであり、その適用される状況を常に考慮すべ きであるとされ、単に売買行為に限定されるのではなく、製造をも含むものと考えられる。更に、労働組合の場合に は、この言葉は労働者の労働を含み、。.おωR巴暮○津轟留..という表現においては、あらゆる寓&ρ9ω冒①器も38ω巴9       ︵−oV を含む広い概念として利用されているとされる。  以上のように、極めて広い概念としての實a①に対する制限的契約は、契約の構成要素である﹁いつ﹂﹁どこで﹂﹁誰 に﹂﹁何を﹂﹁いくらで﹂という五つの要素を含んでいる。そして、契約の当事者が全く制約を受けることなく、自己 の自由な意思に基づいて行動しえる場合に﹁取引の自由︵ヰ8aB9寓包o︶﹂が存するとされるのである。そして、 このような自由は、﹁契約の自由︵酔①80目98旨声9﹂を支持するコモン・ローによって保護されてきたのであ る。かくして、取引制限的慣行は、この﹁取引の自由﹂に対する反対概念としてコモン・ローの攻撃の対象とされて きたのである。そして、これらの慣行は結果的に取引量を減少させる効果を有するものとして認識されてきたことも     ︵11︶ 事実である。  この取引制限的慣行の内で、取引制限的契約と呼ばれるものは契約当事者が取引もしくは一定の営業を継続する権 利を自らの約定によって制限されることを意味している。このような契約の発生要因を歴史的事実に基づいて分類す るなら、以下の三つに分けられる。第一は、組合︵℃貰9R路邑や雇用関係にある者が、その契約を解除した後に組

    東洋法学       

一二一

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    コモン・ローにおける反独占思想口       一二二 合もしくは使用者と競業しない︵き#08ヨ冨8︶ことを約束する場合である。第二は、営業の暖簾︵讐&謁εの 売り手が将来において、買い手と競業しないことを約束する場合である。第三は、製造業者もしくは商人が一定の商        ︵1 2︶ 品の生産量を制限するか、販売価格を決定する場合である。特に第三の場合は、一八世紀後半の産業革命の結果とし ての大量生産により、販売競争が激化したために、競争者間で競争を回避する手段として考案されたものであった。 これを特に﹁競争制限的契約︵8p霞碧房ぎおω霞巴筥98ヨも9往9︶﹂と呼び、その現代反独占政策の観点からの       ︵13︶ 重要性が認識され、他の二つの場合とは区別されるのが一般的である。そこで、本稿でも、この第三の場合を取引制 限的結合︵8目亘墨江○諺冒おω賃巴旨oP轟8︶として次節で論じることとする。  ⑥ 契約自由の原則との関係  この取引制限的契約の法理は、コモン・ローの﹁営業の自由﹂を支持する考え方に基づいて発展してきたものであ り、基本的には人間の活動の自由を保障することを希求したものである。しかし、この取引制限的契約は基本的には 契約当事者の自由な意思に基づいたものであり、個人の活動の自由を保障するという観点から見る限り、奨励される べきであっても、規制すべき理由はないはずである。しかるに、この契約がコモン・ローの下で伝統的に規制されて きたということは、同じ経済的自由主義に基盤を持つ﹁営業の自由﹂と﹁契約の自由﹂との間に社会政策上、優劣関 係が存在することを意味すると言えよう。そこで、以下に、経済的自由主義の一つである﹁契約自由の原則﹂のコモ ン・ローにおける展開を概観し、取引制限的契約の法理との相克関係を明らかにすることとする。

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 まず、契約法の著名な研究者であるアティヤ︵やψ︾岳旨げ︶の所説に従って、契約自由の原則を含めた経済的自由 主義︵Φ8ぎ巨巳まR呂ωB︶の考え方が発生した要因について概説する。アティヤは、アダム・スミスの出現以前に おいて、﹁経済的自由主義﹂と呼びうるような確立した思想体系が存在しなかったことは否定しえないとしても、クッ クの時代に、既にコモン・ローにおいて経済的自由主義に相当する考え方が存在していたことを主張している。すな わち、その考え方というのは以下のような自由を唱えるものである  財産所有、取引および営業、利子を取ること、        ︵14︶ 独占および結合から免れること、自己の意思決定、政府および法令による規制を受けないこと。更に、クックの時代 においては、この経済的自由主義の考え方が社会全体に浸透する以前に、特にコモン・ローに関係する法律家の間で 強く支持される傾向があったことも指摘されている。彼はその理由として以下の点を挙げている。  第一に、クックの華やかな活躍を目の当りにした当時の法律家達が、国王の大権から政治的・経済的自由を勝ち取 ることを自らの任務として自覚したことである。第二に、イギリスにおける法律職が極めて利己的であり、かつ競争 的であったことである。すなわち、法廷弁護士︵9三雪R︶は事件の依頼人の利益のためにのみ活動するのであり、 もし無能であるとするレッテルが貼られるなら収入を得る道が閉ざされるばかりでなく、裁判官として登用される見 込みも失われることを意味するのである。かくして、当時においても、法律職における自由、競争および進取の気性 ︵①旨R賓一器︶を尊重する気風が強く、身分の低い者や貧しい者でも出世できる数少ない職業の一つとして広く認識さ        ︵15︶ れていたのである。第三に、特に国もしくは政府による規制や制限が強い時代においては、法廷弁護士はそれらの規 制を免れることを欲する商人から弁護の依頼を多く受けることである.ちなみに、一七・一八世紀には独占、ギルド

    東洋法学       

一二三

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    コモン・ローにおける反独占思想日       一二四 および結合などの自由な通商や取引を妨げる可能性のある慣行に対する法律家の攻撃が一段と積極性を増したが、こ        ︵16︶ れも、これらの慣行から自由であることを欲する商人が増加したことによるものであったとされる。  次に、経済的自由主義に対する契約法自体の対応について、アティヤの所説を分析する。彼は、イギリスの契約法 のルーツを中世に求めることは可能であるが、現代法の一般的原理の殆どが一八・一九世紀に形成されたものである       ︵17︶ ことを指摘する。更に、この一八・一九世紀の契約法の形成に関して大きな責任を負っていた裁判官に対して大きな 影響を与えたのが、自然法︵轟ε墨=四類︶の理論と﹁自由放任主義︵一巴ω紹臥巴お︶﹂の原理であったとする。まず、 自然法の理論は、人類は自己の財産を所有する権利を有することを前提としており、その帰結として、人類が自己の 財産を売買し、取引するための契約を締結する権利をも有することを認めることが重要である。次に、自由放任主義 の原理は、法令による干渉は極力避けるべきことを意味したことである。かくして、これらの考え方を契約法に適用 する限り、契約法の主要な機能は契約当事者の合意した約定を確実に執行させることにあるのであって、その執行の 結果が公正かつ妥当であるか、更に﹁公共の利益︵冨巨8ぎ9お8﹂を害しないかは問題とはならないことになる。 換言するなら、契約法は﹁契約締結の自由︵ヰΦ80日98旨声&轟︶﹂を専ら促すことを企図しており、その意味で ﹁契約の自由﹂および﹁契約の神聖性︵ωき&昌98昇轟9﹂という標語は、契約法全体が基本的なものとして志       ︵18︶ 向すべきものと言うことになるとする。  しかし、アティヤは以上のような主張の後に、当時の裁判官が契約履行の結果の正当性や公共の利益に対する配慮 を全く欠いていたと考えることは誤りであるとする。すなわち、当時の裁判所が考えていた﹁契約の自由﹂の概念が

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正確に定義づけされたものでないばかりでなく、政治的・経済的理論による影響を受けた極めて制限的なものであっ たこと。更に、このような制限的な解釈が伝統的に適用されてきたのが、この取引制限的契約の法理であるとするの である。換言するなら、契約自由の原則の一方の要素である契約締結の相手を自由に選択できることは、産業もしく は通商上の競争が一層激化したことによって一層促進されることになったが、他方の要素である契約内容選択の自由 については、常に公共の利益の観点から判定され、制限されることが伝統とされてきたと言うのである。そして、こ の傾向は、特に一九世紀以降に顕著となった産業上の独占による公共の利益の侵害を防止するために、一段と強めら       ︵19︶ れることになったとしているのである。  以上が経済的自由主義に対するアティヤの概括的な指摘であるが、この契約自由の原則と取引制限的契約の法理と の関係についてのホウルズベリーの解説文を以下に引用する。   ﹁人は欲するように、欲する場所でいかなる合法的な営業もしくは職業をも営む権利を有するというのが、コモ  ン・ローの一般原理である。コモン・ローは契約の自由に対して干渉するという危険を犯してまでも、営業に対す  るすべての干渉に対して細心の注意を払ってきたが、それは個人の活動の自由に対するすべての制限を、国家の利        ︵20︶  益を害するものとして反対することが公序であるからである。﹂  更に、戦後間もない我が国において、英米法における取引制限の法理についての概説を試みた田中和夫氏の論文で は、この法理と契約自由の原則との関係について、以下のように説明されている。   ﹁換言すれば、営業制限の特約に於ては、営業の自由と契約の自由という二つの公益が相衝突し、その有効無効

    東洋法学       

一二五

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    コモン・ローにおける反独占思想日       一二六  を決するに當っては、この二つの公益の要求を調和せしめなければならない。そしてその時の一般の思想がその何  れに重きをおくかに従って、裁判所もその影響を受けざるを得なかった。   契約の自由といふことが、英國に於て叫けばれるやうになったのは、自由放任思想が盛となってからのこと、即  ち第十九世紀にはいってからのことである。近世に於ては、中世的束縛と國王の個人に対する濁占権の特許とに基  く弊害が強く感じられて、営業の自由が強く要望された。この考へ方が長く影響を及ぼして、第十九世紀の中頃ま  で、裁判所は契約の自由よりも営業の自由の方をより重く見、営業の自由を高唱して出来る限り制限特約を無効と       ︵21︶  したのである。﹂        ︵22︶  最後に、我が国の代表的な経済史家の一人であり、一九七〇年代において、法学者との間で﹁営業の自由論争﹂を 展開した岡田与好氏は、この問題について以下のように説明しているので引用する。        ヤ   ヤ   ﹁﹃営業を制限する契約﹄のうちにふくまれる、①個人の自由︵営業の自由︶を制限する側面と②個人の自由︵契        ヤ   ヤ  約の自由︶を拡張する側面との矛盾・衝突を背景として、このように、国家は、個人の自由の尊重を共通の建前と  しながら、︵1︶営業の自由の原則をより重視して、契約の自由を制限する方向と、︵2︶契約の自由の原則をより  重視して、営業の自由の制限を放置する方向、という対照的な政策選択を行うことが可能であり、必要でもあった。  ﹃契約の自由﹄、﹃契約の神聖﹄ω讐&蔓98旨鍔9という、自由放任主義の法イデオロギーが︵1︶から︵2︶へ       ︵23︶  の政策転換を媒介したのであって⋮⋮﹂。

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 ㈲ 違法性の根拠   ①署窪。℃呂身︵公序︶の法理        ︵24︶  既に、特許独占に関するコモン・ローの考え方について述べたように、コモン・ローの基本的な考え方は、マグナ・ カルタ︵竃お墨O貰$︶によって確認されたものとして、人間の﹁営業もしくは取引︵q畳①︶﹂は自由であることが 推定されること、更に、この自由︵蹄Φ80ヨ︶はコモン・ローによって熟知・承認されている限定的な制限によっての み縮小されうることである。すなわち、ここで言う自由は、コモン・ローが国家の利益もしくは公共の利益のために       ︵25︶ 例外的に認めている制限以外の恣意的な制限からの自由を意昧するのである。そしてこの取引もしくは営業の根幹 をなす人間の行為は﹁契約﹂に収約されるので、この﹁営業の自由﹂の概念は﹁契約の自由﹂を内包していることは 明らかである。従って、コモン・ローは当然のこととして、人間の自由な意思の発現である﹁契約﹂の効力を最大限 に認めるように配慮してきたことは言うまでもない。しかし、この﹁契約の自由﹂を無制限に認めた場合、自らの意 思で自己の﹁営業権﹂を放棄するような契約を締結することも自由であるとして認めざるを得なくなるのは明らかで ある。そこでコモン・ローは、前項で論じたように﹁公共の利益﹂の視点から個人の諸々の自由に対して制限を加え        ︵26︶ ることを試みてきたのであり、その根拠とされたのが..陰び一8℃9昌。、の概念である。  この公序︵冨90冒一一昌︶の法理は、コモン・ローにおいて早い時期から存続していたが、いくつもの名称を持っ        ︵2 7︶ ており、場合によっては無名の状態であることもあったのである。そして、一八世紀になるまで、裁判所が今日、公 序のルールもしくは法理として言及されていることに類似した原理に訴えようとした場合に、既に例証された広い概

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一二七

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    コモン・ローにおける反独占思想日       一二八       ︵28︶ 念以外の物を発見することは不可能であったと信じられている。ホウルズワースは、コモン・ローにおいて、この公 序の法理が最も頻繁に利用されるのは契約法の分野においてであり、この用語の下で契約の無効︵ぎく呂9蔓︶の主要        ︵29︶ な原因が分類されていることを指摘している。更に彼は、この法理が政治家によって政治的手段として利用される可 能性のある、あいまいで不確実なものであり、法的権利の決定には不適切なものであるとする批判のあることも明言 している。しかし、彼は、この法理が実際に使用されるのは﹁法の政策︵旨一一q9跨巴㊤毛︶﹂の意味においてのみで あり、契約もしくは条件が確立している法の原理に反するが故に違法であるとするための正当な根拠とされるべきも       ︵30︶ のであることを明らかにしている。  コモン・ローは、本来的に私人聞の紛争を解決することに主眼を置いた﹁私的な︵賓貯簿①︶﹂性質を有しており、公 序のような公的な基準を適用することを基本的に嫌ってきたが、その例外として、契約法の領域において古くから継       ︵31︶ 続して公序の法理が適用されてきたのが取引制限的契約の法理に対してであった。この取引制限的契約の法理は、経 済的環境の変化に最も敏感に反応してきたが、この公序の概念の変化による影響を最も強く受けてきたと言われてい ︵32︶      ︵33︶ る。この公序の概念に対する現代的な考え方としての評価を受けているジェッセル︵ω一﹃O①oお①ぢ霧9の見解を以 下に引用しておくこととする。   ﹁ある契約が公序に反するものとして無効であることを宣言する諸原則を恣意的に拡張すべきでないと言うこと  を忘れてはいけない。何故なら、もし公序が他のことよりも一層強く要求することがあるとするなら、それは成年  ︵B窪○瞭色鎚の︶にして十分な判断力を有する者は最高の契約を締結する自由を持つべきであり、自由にして自

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発的に締結された彼らの契約は、裁判所によって神聖なものと判定され執行されるべきものであるからである。そ れ故に、この至高の︵冨轟B窪旨︶公序を、この契約の自由に対して軽々に干渉すべきでないこととして考慮すべ     ︵34︶ きである.﹂  この公序の法理は常に不安定であり、しかも危険な基盤を有しているだけに、裁判所もこの法理の拡張的な適用に 反対の立場を表明し、一般大衆に対する損害が耐えられないような明瞭な場合にのみ適用されるべきであるとするの        ︵35︶ が一般的となった。   ②染物屋ジョ!ン事件  コモン・ローは早い時期から、この営業活動を制限することを約する契約に対して敵意を示してきたが、記録に残       ︵36︶ されている最初の判決は﹁染物屋ジョーン事件︵O器Φ○二〇ぎU閲R︶﹂であった。この事案は、染物屋︵身R︶であ るジョーン︵冒ぎ︶がホーム・タウンにおいて六か月間、染物業︵身色轟︶を営むことを停止することを約した約定 ︵げo巳︶に違反したとして訴えられたものである。本件の記録は不完全であり、ここで違反したとされる約定が、営 業の譲渡を補足する通常の契約なのか、それとも、徒弟制︵8RΦ旨一8警邑に伴うものなのかは明らかではない。  判事は、本件のような営業を制限する約定がコモン・ローに反することを明言したが、当時はギルド制が確立して おり、その組織内においてのみ営業が認められていたばかりでなく、徒弟制の下で習得した唯一の技能の行使のみが        ︵3 7︶ 認められていたことを考慮する限り、この営業を制限する契約は職人から天賦の職業を永久に奪う効果を持つことに

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二一九

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    コモン・ローにおける反独占思想口       一三〇       ︵38︶ なる点で正当な判決であったとされている。換言するなら、本件は表面的には、当事者が自発的に自己の営業活動に 制限を加えたことを意味するものと解されるが、結果的にはギルド制もしくは徒弟制という職人に対する非自発的な        ︵39︺ 要素を考慮した判決であったと言えよう。かくして、取引もしくは営業を制限する契約を例外なしに公序に反すると いう理由でコモン・ロー上、違法であるとする立場が形成され、一八世紀初頭まで維持されたのである。   ③ミッチェル対レイノルズ事件  一六・一七世紀の経済環境の変化に対応して、この取引制限的契約の違法性に対して新しい角度から見直すことを        ︵40︶ 試みたのがミッチェル対レイノルズ事件判決であった。本件の事実は以下のように極めて単純なものであった。被告 レイノルズ︵勾o春○匡ω﹀は原告ミッチェル︵寒一叶畠9に対して、ロンドンの教区にあるパン製造所の賃借権を五年間 譲渡することを約し、その間は同一教区においてパン屋を営業しないこととし、この約束に違反した場合には五〇ポ ンドの違約金を支払うとする約定を与えた。被告がこの約定に反してパン屋を営業したので原告が損害賠償を請求し て訴えたのが本件である。被告は、ギルド制度によって定められている徒弟期間︵8鷺Φ9一8跨邑を終了した者は、 その職業に従事する権利を有しており、いかなる約定もそれを阻止することはできないとして抗弁した。  パーカー首席裁判官︵○露無冒ω広8悶巽貯段︶は、結論として、この制限的契約を合法と判示したが、この種の契約        ︵唄︶ の違法性を判断するためのルールを確立した。まず第一に、法令もしくは慣習による非自発的な︵ぎ<o一目鉦曼︶取引 制限と契約当事者の自発的な︵<o一彗雷曙︶取引制限に分けた点である。そこで、この非自発的な取引制限について は、新しい発明の保護などの公共の利益に合致するようなものを除いて原則として無効とした。更に本件のような自

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発的な制限的契約については、王国全域において営業を制限する一般的な︵鴨希鍔一︶ものと、特定の地域での営業を 制限する部分的な︵B岳豊ものに区別した。そこでパーカーは、一般的な制限は双方の当事者に利益をもたらすも のではなく、抑圧的であるに過ぎないとして、常に無効であると判示した。しかし、部分的な制限には二種類あり、 十分な約因︵8諺こR蝕9︶のないものは無効であるが、約因のあるものは有効であるとした。かくして、取引制限 的契約が有効なものとされるのは部分的制限の場合に限られ、しかも、その制限を正当なものとするだけの十分な約          ︵42︶ 因を有する場合である。  第二に、この自発的な取引制限的契約を無効とする基準として、制限を受ける当事者の生計の手段とその家族の暮 しを絶つこと、更にその有能な職人を社会のメンバーから除外することによって社会が被る損失の二点を挙げた。す なわち、パーカーが自発的取引制限的契約に反対したのは、これらから発生することが予想される独占の弊害に対し        ︵43︶ てではなく、制限された者が本来的に社会にもたらす利益が得られないことに対する恐れに対してであった。このよ うに、取引制限的契約を非難するルールの緩和は、一七世紀に多少の特徴を示していた独占の危険に対する認識が本 格的な高まりを見せる以前に始まったと言うことができよう。しかし、パーカーも独占の危険に対して全く配慮しな かったわけではなく、以下のような指摘から、その点を伺うことができよう。   ﹁他の理由は、これらの自発的制限がもたらす大きな濫用である。例えば、会社は取引における排他的な有利性       ︵44︶  の故に永久に機能し、その有利性を少数の者の手に導くことになる。﹂  このような独占的効果に関する違法性の基準は、初期の判決において裁判所が社会から有能な職人による貢献の機

    東洋法学       

=三

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    コモン・ローにおける反独占思想日       一三二        ︵45︶ 会を奪うことの損失について言及した時、既に暗黙の内に認めていたのである。かくして、コモン・ロー裁判所は取       P      ︵46︶ 引制限的契約の結果として独占的効果をもたらすものについては、公序違反として反対してきたのである。  第三に、パーカーは取引制限的契約の違反基準として、その契約が不合理的で︵巨お霧o轟亘①︶不公正で︵q旨巴目︶ あることを要求していることである。このことは、彼が意図したのは、一八世紀初期の取引に関する輸送および通信 の状況から判断して、本件の営業制限的契約の実質的弊害の有無を決定することであったということを物語ってい ︵47︶ る。  以上のようなミッチェル対レイノルズ事件判決において確立した原則は、少なくとも一世紀の間、裁判所によって 踏襲されたのである。しかし、その問における経済環境の変化が、この原則の変化を促したのである。すなわち、国 内の取引活動が拡大し、個人の取引活動が一定地域に限定されなくなった結果として、取引制限的契約に関する一般 的制限と部分的制限の区別が困難なものになったのである。更に、商人および職人のギルド体制が徐々に崩壊し始め たことにより、商人の経済活動に対する種々の規制を緩和すべきであるとする要求が高まったのである。このような 動きは、取引制限的契約を抑制する伝統的な考え方に対しても反省を促す結果となったのである。一七世紀初期に確 立した﹁すべての人の営業は、その生活︵生命︶を維持するものであり、人は自己の生命を奪われないのと同様に、       ︵48︶ 営業を奪われるべきではない﹂とする考え方は、依然として受け継がれていたことは確かである。しかし、すべての 人は、自己の有体財産を売る自由を有すると同様に、自己の技能︵R臥け︶を売る自由をも有するとする考え方が次第 に勢力を得てきたのである。その結果として、取引制限的契約に対する厳格な規制が、契約当事者の活動の自由を制

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      ︵49︶ 約することになる点が指摘されることになったのである。   ④ホーナー対グレーブス事件  前述したミッチェル対レイノルズ事件判決において確立された原則を一層緩和させるための起爆剤となったのがホ       ︵50︶ ーナー対グレーブス事件判決であった。本件は、歯科医師が直径二〇〇マイル四方での施療活動をしないことを約し たが、それに反して営業を行ったことが争点であった。チンダル首席裁判官︵O匡R冒答8↓旨α巴一︶は、契約に関 する一般的合理性︵閃窪R巴お霧o惹巨窪8ω︶の基準を導入して、これを以下のように説明した。   ﹁しかし、より重大な問題は、これが合理的な取引制限であるか否かである。我々は、それが合理的であるか否  かの問題に適用できる基準として、その制限が当事者の利益を公正に保護するに過ぎず、一般大衆の利益に干渉し  ない程度のものであるか否かを考慮することよりも優れたものを知らない。当事者に必要以上の保護を与えるいか  なる制限も、どちらの当事者の利益にもなりえず、制圧的であるに過ぎない。もし制圧的であるなら、法の観点か       ︵51︶  らは不合理である。一般大衆の利益を害するいかなる制限も公序を理由として無効である。﹂  本件判決は、表面的には公序違反を判断基準としているが、具体的に合理性︵8器o冨亘98ω︶の基準を導入し、そ の内容の分析を試みている点で画期的である。   ⑤ノーデンフェルト事件       ︵5 2︶  取引制限的契約の法理が現代的な法感覚に基づいて、本格的な攻撃を受けたのがノーデンフェルト事件であった。 本件事案は以下の通りである。鉄砲や弾薬などの武器の発明者であり製造業者でもあったノーデンフェルト︵Zo巳窪−

    東洋法学       

二壬二

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    コモン・ローにおける反独占思想口      一三四 δ5は、その営業を原告会社に売却したが、その際に、二五年間、直接もしくは間接に武器の製造・販売を停止する ことを約束した。数年後に、ノーデンフェルトは鉄砲および弾薬を製造・販売する会社の取締役に就任したので、彼 の営業を購入した会社が差止命令を求めて訴えたのが本件である。当時は、武器・弾薬の主な買い手は各国政府であ ったので、この制限的契約は一般的制限に分類されることは明らかであった。  貴族院︵=o拐①9一〇巳ω︶のマクノートン卿︵■○巳言四8禮辟窪︶は、過去の判例の立場を変更して、営業の売 り手と買い手の間の一般的な制限的契約は必ずしも無効ではなく、コ応無効︵冥冒織碧δ<○芭﹂となるに過ぎず、 もし、当事者と一般大衆の双方にとって合理的な利益をもたらすなら有効であると判示した。その上で、本件の制限 的契約については、この営業を購入した買い手がその営業を継続している限り、買い手の所有権の保護のために二五 年間の競業避止義務を売り手に課すことは、必要な範囲を越えるものとして無効であるが、この契約によってイギリ スの会社が武器の製造・販売に関する権利を取得し、貿易を増大することになる点で公共の利益に資するものと判示  ︵53︶ した。そこで、本件判旨を理解する上で重要な役割を果たすと思われる部分を訳出する。   ﹁大衆は、すべての人が自分の営業を自由に継続することに関心を抱いているが、そのことは個人も同様である。  個人の営業活動の自由に対するいかなる干渉も、自己の営業活動に対して自らの意思で課すいかなる制限も公序に  反して無効であるというのが一般的な原則である。しかし、そこには例外があり、個人の行動の自由に対する契約  による制限および干渉は、特殊な場合の特殊な状況によって正当化されることがある。すなわち、もし、その制限  が関係当事者の利益および大衆の利益に関して合理的であり、当事者に十分な保護を与えると同時に、大衆に損害

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      ︵54︶  を与えない程度に構成されている場合にのみ、それは十分な正当性を与えられるのである。﹂  このマクノートン卿の主張は、公序を考慮して、営業の制限の一般性と合理性を調和させることを試みているが、 そこには、すべての取引制限的契約が当事者に十分な保護を与えると同時に、一般大衆に対して損害を与えることが ないとする楽観的見方が表明されている。しかし、このような契約によって、当事者の利益と一般大衆の利益が相反 するのが常であり、本件においても、この点が中心的な問題点である。ともかく、この判決における合理性の原則の 表明は、もはや競争が公序なのではないこと、あるいは契約の自由は営業の自由よりも重要な目的であることを宣言        ︵55︶ したものと見ることができよう。  このノーデンフェルト事件判決によって、この取引制限的契約に関する現代法の基礎が確立されたと言うことがで        ︵56︶ き、それは以下のように要約することができよう。  ①例外とされる特殊な状況がない限り、すべての取引制限的契約は公序に反し無効であること。  ②特殊な状況がその制限を正当化しえるか否かは裁判所によって決定される法律問題である。もし、その制限が正 当化されないなら、それは公序の問題であり、裁判所は必要があれば、そのことを指摘し、公序に反する合意を執行 しえない。  ③その制限は、契約当事者および一般大衆の利益という点で合理的な場合においてのみ正当化しえる。  ④その制限が当事者間で合理的であることの挙証責任は、それを主張する者に課される。その約定が当事者間で合 理的であるにも拘わらず、公共の利益を害する点で無効であることの挙証責任は、通常はそれを主張する締約者に課

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    コモン・ローにおける反独占思想日      一三六 される。しかし、その合意が一たん法廷に出されるなら、法律問題としてすべての状況を精査することは自由である。  以上のように、一九世紀末までの取引制限的契約をめぐるイギリスのコモン・ロi上の展開は、この法理が競争的 な経済秩序を維持するための有効な手段として認識されていなかったことを示すものである。しかし、前述したよう にノーデンフェルト判決では、このような取引制限的契約の結果として発生することが予想される独占の危険に対し て言及され、その危険を予防するために競争の重要性が指摘された。すなわち、競争はもはや公序であること、更に        ︵57︶ 少なくとも、﹁契約の自由﹂は﹁営業の自由﹂よりも重要な目標となりつつあることが宣言されるに至ったのである。  ㈲ アメリカにおける展開   ①コモン・ローの継受  アメリカ合衆国は世界中から自由を求めて移住した移民による多民族国家であるが、その正式の出発点はイギリス の植民地としてであった。アメリカは、一七世紀初頭に最初の植民地が現在のヴァージニア州に成立して以来、一七 七六年に独立宣言を発するまで、政治、経済、文化の各方面においてイギリス本国の支配下に置かれてきたのである。 従って、植民地時代の法制度は言うに及ばず、独立後においてもイギリスのコモン・ローの影響を受けざるをえなか       ︵58︶ ったことは否定しえないであろう。そこで以下に、著名なギルモア︵○声耳9一BOお︶の見解に従って、アメリカ法 に対するコモン・ローの影響について概観することとする。  ギルモアは、植民地時代のアメリカ法の発展を観察し、﹁直接的に、その︹法の︺成長が徐々に前進的にそしてある

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      ︵59︶ 意味で理性的におこなわれたにちがいない﹂とする仮説が誤りであることを指摘し、アメリカ法が独立後に独自の発 展を遂げたことを強調しているのである。彼は、アメリカ法の発端を一八○○年頃に求める仮説を打ち建て、植民地       ︵60︶ 時代の二〇〇年間の法制度の発展は単に興味ある物語に過ぎないものと考えているのである。すなわち、アメリカの 独立革命の成功と集約化された連邦政府の設立が政治的法制度の構築に向けての新しい出発となり、連邦および州の 法制度の創設に貢献したと理解している。そして、このような事実がアメリカの法制度をイギリスやヨーロッパ諸国 のそれとは異なったものとし、ヨーロッパの﹁暗黒時代﹂という無秩序の時代の後に見られたような、素人の手にな       ︵61︶ る無思慮な法の発展過程をアメリカが経験することはなかったとしているのである。  以上のように、ギルモアの主張は、独立革命を契機としてアメリカの法制度が独自の方向性を示し始めたことを強 調しているように見えるのであり、そのことは以下のような彼の指摘からも理解しえるであろう。   ﹁われわれは、植民地として監督されていた二百年間を、かつてそれが存在しなかったかのごとくにかなぐりす  てた。革命後の世代のアメリカの法律家たちは、新しい国土のために新しい法をつくるという課題に、十八世紀の  確信的合理主義者として⋮⋮﹃哲学者﹄として、立ち向った。アメリカ法は、十八世紀末にはじまるその歴史の発  端から、それ自身が全体としてなんらかのまとまった意味をもつ体系でなければならないとの考えを自覚的かつ自  己批判的にもちつづけてきた。アメリカ法は、⋮⋮イギリス法を特徴づけたところの、混沌とした、無秩序な、無  計画なそして常軌を逸した混乱状態において成長することを許されなかった。アメリカの法律家たちは、現在もま       ︵6 2︶  た過去においても、つねに合理化、一般化、理論化を追求する人びとである。﹂

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    コモン・ローにおける反独占思想口       一三八  しかし、ギルモア自身の言葉を借りるまでもなく、﹁アメリカの法律家たちが新しいスタートをきることの必要性を       ︵63︶ いかに痛感していたにせよ、ひとつの法体系を一夜にしてつくりあげることは不可能である﹂ことは言うまでもな        ︵6 4︶ い。その上、﹁イギリス法は、独立革命後の時期のアメリカの法律家が多少とも知っている唯一の法であった﹂ので、        ︵65︶ ﹁アメリカ法は、ある意味において、そしてある程度まで、イギリス法を基礎とせざるをえなかった﹂ことも否定し えない事実である。問題は、いかなる程度までイギリス法を基礎とすべきであるかであったが、結局は明確な結論を 得ることなしに、イギリス法を選択的に継受することになったのである。すなわち、独立戦争の後、反英・親仏の感 情がアメリカ国民をとらえたために、イギリス法の継受を断念して、大陸法系に依存すべしとする立場も一時的には 勢力を得たが、結局は、①言葉のハンディキャップがあること、②未だアメリカ独自の法体系を確定するだけの力量 が備わっていなかったこと、③連邦派は次第に親英的立場を強めていったこと、などの理由からイギリス法を選んだ    ︵66︶ のである。   ② 判例の展開  以上のようなアメリカ法発展の背景を理解した上で、以下に取引制限的契約に関するアメリカ法上の展開を概観す る。一八九〇年のシャーマン法の制定までは、アメリカの反トラスト法の解釈および運用はイギリスのコモン・ロー        ︵6 7︶ の直接的な影響を受けたことは否定しえない。従って、この取引制限的契約の法理に対する裁判所の対応もコモン・ ローの展開に沿うものであった。その基本的な立場は、ミッチェル対レイノルズ事件判決を踏襲するものであったが、 一般的制限と部分的制限をめぐる論争は二〇世紀に至るまで続けられた。この論争の主な理由としては、アメリカ合

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衆国では実質的に州が国家と同一地位に置かれていることが挙げられる。従って、州全体における制限的約定はイギ        ︵68︶ リスの一般的制限と同じものとして無効とされたのである。その法的根拠としては、①州の住民の営業および技能を 発揮する機会を奪うことは一般大衆に不利益を与えること、②州の住民が自身および家族の生計を支えるために他の        ︵69︶ 営業に従事するか、他州へ移住することを強制されることは州の政策に反すること、に求められたのである。       ︵70︶  合衆国最高裁判所は、ウィンザー︵≦ぼω自︶判決において、この取引制限的契約の法理に対するアメリカの基本的 な立場を表明した。本件事案は以下の通りである。カリフォルニア州の会社が蒸気船をオレゴン州の会社に売却した が、その際に買い手は、この船をカリフォルニア州で十年間使用しないことを約束した。その後、買い手は、この船 をカリフォルニァ州とオレゴン州の航行可能なすべての場所で使用しないとする約定を得て第二の買い手に売却した。  合衆国最高裁判所は、①この合意が太平洋沿岸の通商の全体的利益を促進すること、②この約定は一般大衆から制 限された買い手が貢献する利益を奪わないこと、を理由としてこの制限的契約を有効なものと判示した。  この船の売買が行われた当時、この船の価値はカリフォルニアよりも南部地方の方が高かったことが予想される。 そこで、カリフォルニァ州の会社は、もし買い手がカリフォルニァ州で競業する計画であったとするなら、この船の 売却を渋ったにちがいない。従って、買い手が競業しないとする法的に執行可能な約束をするのを許すことは、船の       ︵71︶ 売買を容易にし、コロンビア川︵OO一qBび一蝉国<R︶交通の利便を与える結果となったと言うことができよう。しか し、本件判決に対しては、結局は特定の州において特定のビジネスに従事しないとする契約を無効としている点で批          ︵7 2︶ 判されているのである。

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一三九

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    コモン・ローにおける反独占思想口       一四〇        ︵73︶  最後に、ダイヤモンド・マッチ対ローバー事件では、ネバダ州とモンタナ州を除く全州において、九九年間、マッ チの製造・販売をしないとする契約が有効であると判定された。本件では、蒸気と電気の利用によって達成された改        ︵74︶ 善により取引および通商が拡張され、この法理に関する古い考え方を緩和する必要があることが強調された。本件判 決は、この契約を部分的制限として扱ったが、一般的制限に対しても﹁合理の原則︵ε一①OP$ω9︶﹂を適用して柔        ︵75︶ 軟に対応すべきであるとする立場を表明した。  以上に概観したように、取引制限的契約の法理のアメリカにおける展開は、基本的にはイギリスのコモン・ローの 考え方に沿うものであるが、アメリカの経済社会の流動性および変動性の顕著さを反映して、このような取引制限的        ︵76︶ 契約を規制することの社会的意義が弱められてきたことは否定しえない。それと同時に、取引制限的結合による弊害 に対する社会的認識が高まり、これを規制することに全精力が注がれることになったのである。

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543

︵註︶  谷原修身﹁コモン・ローにおける反独占思想口﹂東洋法学三七巻二号一七四頁。  妻旨餌Bい①響旦9毛俸国oo8巨。ぎ︾B98”↓﹃Φ国<o一&20団浮Φ浮R日き>旨痒εω什︾9 ぎ一〇〇 〇PO一〇  H9α●  Hび一血こ℃bO  =餌拐ω・日げoお一FOP9ゴP昌 一〇〇♪菊①℃ユ導Φα

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9876

22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10  害崔4P一ω  一びこ‘Pま  菊○一蝉且園肉o巳パρ閑Φω嘗巴算ω○昌↓寅αρ一NOoピ5い菊Φ<。︵一り旨︶PH。㎝︶8叶Φ曽 甲○をま①味o同。ρ≧弩O鋤ヨ9①一一ZΦ一一勺ζ●曽①ω博↓﹃①鍔ゑo胤菊Φω巳。牙Φ↓轟αΦ零霧江8ω9 D鼠竃oぎoo一陣Φρ 一38PN  浮二〇︷缶巴ωげ①曇↓冨霊≦ω○噛国鑛一きρ。 。昼田筐Op<〇一●。 。・ 。曽一8ド署●。 。∼。  勾o一曽&因肉2涛ρ8。簿。堕P。o 。  ○●OOげ①ω匡お帥O出φ国噛Ooρ↓げΦ一蝉妻○眺OO旨轟oρω巳’国&岳oP一㊤㎝ρマωO“ Z・汁Φρ器Oo日ヨト菊Φ<.﹄3︵一8N︶  コω>自醤戸↓冨田ωΦきα閃巴一〇暁閃おaOBO胤02霞碧戸一SP悪。一旨∼一一〇 。  一げここP一一ω  Hげ置‘P一置  ℃φ>江葛F︾ロ目時○身o賦28甚Φい鋤ゑo噛09霞8ρ鼻7国&8P一〇〇 。P℃。o 。  Hげ一α40戸o 。∼O  一互αこOやO∼に  国巽一〇胤=巴ωσξざOPo凶叶‘P嶺  田中和夫﹁英米法に於ける取引制限の法理﹂季刊法律学、第三号︵昭和二三︶三七〇頁。  この論争は、我が国の法学界の通説が﹁営業の自由﹂を憲法二二条に規定する﹁職業選択の自由﹂と同一視し、国 民の経済活動に対する国家の干渉からの自由を標榜したものと理解していること︵渡辺洋三、今村成和氏等に代表さ れる︶に対して経済史学の立場から批判したものである。岡田与好氏は、職業選択の自由は個人の本質的自由権の一 要素として概念構成できるのに反して、営業の自由を人権として概念構成することはできず、資本主義的市場経済秩 東 洋 法 学 一四一

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26 25 24 23 34 33 32 31 30 29 28 27 39 38 37 36 35 コモン ロ⋮における反独占思想口 四二 序のために国家が国民に対して制度的に保障したものと理解したのである。  岡田与好﹃経済的自由主義ー資本主義と自由﹄︵東京大学出版会、昭和六二︶二四頁。  谷原、前掲論文、 一六四頁。  ミφ=o一αω≦o辞ダ>=一ωけo曙9国昌閃一鋤昌αい鋤ヨく○一●轟”一8♪℃9ω㎝O  この..2σ一一〇もo一一昌..の邦語訳としては、﹁公序良俗﹂﹁公序﹂﹁公益﹂などがある。田中英夫﹃英米法のことば﹄︵有 斐閣、昭和六一︶一四頁、W・ゲルダート著、末延・木下訳、前掲書一六七頁。但し、田中和夫、前掲論文、三五八 頁は、﹁公の政策﹂と訳している。本稿は﹁公序﹂と訳することとする。  ℃R昌類。≦営臣①一ρ勺仁び一一〇勺o一一身ぎ9Φ国昌覧一昏Ooヨヨ8い四ヨ富国碧ダじ菊o∼刈①︵一80 。︶  ミφ冨民三磯げ戸悶仁び一一〇勺o一凶昌ぎ国昌屯一ωげU鋤ヨG 。o 。い。ρ勾①<4NOo 。︵一〇旨︶  薫ω国o崔ω妻o濤戸oPgfく○一。o

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 H玄血←P誤9β08N  =RσRけ国o<窪犀四ヨP日げΦωげRヨき︾9きα些ΦΩ器ω一8一日訂o曙900目冨窪一〇P謹HO≦蝉貯勾Φ<こ一〇ま︵一〇〇 。O︶  >、ρ○仁①ω“>霧8ω、鍔毛o︷Oo旨声oける。 。円α●国q往op一。刈一︸P。 。ω。 。  ℃o一一〇〇厨、勺村嘗q巳Φωo胤Oo簿鍔o戸一ω浮。国象江OPPN逡  即冒自轟きαZニヨR8巴肉Φ四警R一轟Oo≧留ヨ讐o昌︵一〇 。胡︶ダ刃一函ρ&㎝ この判旨に言及する邦語の文献、田中 和夫、前掲論文三七〇頁、岡田著、前掲書二四∼二五頁。  ℃o目oo閃ω、℃ユ昌9巳oω900p霞曽oρo℃。o一汁‘P8q  K8吋−ωoo犀N=①pく。㎝ω︵にに︶  =9 。号巳圏畏ρ国日巳。蜜BΦ耳言﹃おΦ旨Φ耳ωZ・茸。O。ヨ℃9ρお=費<。い肉Φ<甲︵H8。︶薯①ω。 。∼①認  ωけ8げΦ昌男勾oω9℃ユ蓉昼一Φωo︷>耳津歪ω叶い鋤§H8ω︸P置︶po9刈  困一9器こ円お匡80F↓﹃ΦOOヨ巳op冨妻o賄認ω霞巴導○暁ギ&Φ−>げΦひQ﹃9 D一餌&閃8pO巨o>轟一鴇一ω口。。。9署●

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 o o∼O ︵40︶ 困一9箒一く勾Φ矯昌○匡ρ一〇魯巧ぎωμo 。一︵嵩一一︶旧園国昌閃菊8。ω≒︵内・ω。一刈一H︶ ︵41︶薫自四日一①け蔑P8●9・も℃●命∼蕊 ︵42︶ Hげ置。 ︵43︶=きωω円げo邑FOつ9什。も。嵩 ︵44︶ N“国轟菊①ワω囑︵零甲嵩一一︶ ︵45︶ 缶勉島ω●↓げoHΦ一FoPo一けこP一〇 〇 ︵46︶ 国巽一≦閑冒日のぴoP9“やβ ︵47︶ ρOOげΦω三お節ρ国。ω●男一一〇〇計OP9梓4すo

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︵48︶ U巽身<。≧一ΦPミ国轟菊8●旨Oω︵一〇〇N︶ ︵49︶=き巴W・↓ぎ邑F8●o一け”マ一。 。 ︵50︶ 頃○ヨR︿φ声くΦω刈ゆぎ堕一ω一国p閃菊8bo 。刈︵一〇 。o 。一︶ ︵51︶一ω一田ひQ●勾①忌。 。叉H。 。。 。一︶ ︵5 2︶Z。巳Φ氏Φ一け‘鼠賃ぎZ。巳の氏Φ一叶○巨ω帥︾ヨヨ巨籏90Pロ。 。。昌︾。ρ㎝ωU ︵53︶ O.O●○げΦω霞お俸ρ国●ω扇一噛ooゴoやo一fPG oO① ︵5 4︶ ︾拐○器、U四譲900昌轟9認巳国&臨9一8曾薯。器“∼ωo 。㎝より引用。 ︵55︶ 妻一田9 DヨいΦ叶妻一Poやo一け←も。臨 ︵56︶ ︾霧○器、一曽矩o︷Oo導声o“oPo一fPG oo o㎝∼G ooo① ︵57︶ ≦旨壁日いΦけ≦一Poマ9け‘マ臨∼& ︵58︶ 植民地時代の法について、①極めて素朴で単純な法が存在したとする説、②イギリス法の模写に過ぎなかったとす  る説があるとされる。田中英夫著、前掲書一九六頁。

東洋法学

一四三

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                                   ハ       68 67 66 65 64 63 62 61 60 59 76 75 74 73 72 71 70 69 コモン ロ:における反独占思想口

同同同同同同G

右右右右右右・

ギルモア著、望月礼二郎訳﹃アメリカ法の軌跡﹄︵岩波書店、昭和五九︶二頁。  田中英夫著、  =蝉づωω。↓げO目Φ一一押OP9け  U§一8<φお讐蔓”εZ●肖b合︵一〇 。9︶ 例えば、カリフォルニア州は州法によって、 無効として禁止した。○鉢Ω<Oo8綾5おレ零♪5胡  ⊂aopω霞蝉妻びo蝉&Oo●く。ゆ○氏δ一ρ一〇ω田9“曽︶ミ8①一Z。国、一〇〇 〇〇 〇篇O“O︵一〇〇一︶  ○お磯○昌ωけ8ヨZ餌く蒔簿一〇pOρ<。≦ぎωoぴo 。刈qψ︵NOとく巴一。︶①合.旨い国創o 。窃︵一〇 。お︶  =鋤ユ㊤昌団一曽匠ρOPO一け‘℃P一①∼嵩  >B器鋤鍔浮8pgO8霞碧房ぎ勾①ωq巴旨。︷学&。﹂=巽<。い●勾Φ<、葛㎝︵一。 。。。︶  ∪一鋤BO⇒αζ讐Oげ○○<菊O①げΦび一8Z。K。ミρZ。め。合O︵一〇 。O 。刈︶  >B四ω鋤一≦国簿OPOPq什‘P一G QO  国鋤二ぐく・区冒9ΦぴO唱●O一什‘℃緬9POけ①一〇 〇N  寓9 DPωω●月げ○﹃①≡︾OPO一叶4PNO 一一頁。 一二∼一三頁。 二二∼一四頁。 二八頁。 一.一七頁. 二八頁。    前掲書二五三∼二五四頁。         も’ω① 一四四 全州に及ぶ取引制限的契約を ︵未 完︶

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