• 検索結果がありません。

中山間地域における集落主体の地域運営とグリーンツーリズム 利用統計を見る

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "中山間地域における集落主体の地域運営とグリーンツーリズム 利用統計を見る"

Copied!
28
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

中山間地域における集落主体の地域運営とグリーン

ツーリズム

著者

藤井 敏信

著者別名

FUJII Toshinobu

雑誌名

国際地域学研究

2

ページ

127-153

発行年

1999-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00003906/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

国 際地 域 学研 究 第2 号1999 年3 月

中山間地域 におけ る集 落主体の

地域運営 とグリーンツーリズム

藤 井 敏 信* 127 | 。 は じ め に 国 際的 な 規模 で展 開し てい る 、い わ ゆ る グロ ーバ リゼ ーシ ョ ン化 は、 地 域 の社 会・ 経済 の構 造的 な変 化 を もたら す。 特 に産業化 を伴 う 近代 化 が、 市 場の拡 大 を伴 う場 合 、共 通 に みら れ るの は、都 市の 拡大 で あ る。 市 場 の全体 的 な規 模 か ら の制約 もあるが 、 もと も と市 場 経 済や交 通 圏域 の広 域化 が、 都 市へ の資 本・ 情報 の集 積 と共 に、 農 村 か ら都 市へ の人 口移 動 を現 象 す るこ と は、 産業 革命以 来 の 古典 的 な図式 とい っ て よい。 問題 は、地 域 や国 を問 わ ずこ の「 向都 離 村 」 の変化 が急 激 で、 政策 的 ・ 計画 的 な対 応が 不充 分 ま ま都 市・ 農村 地 域の生 活 環境 の 混乱 、 国土 全 体で の 非効率 的 な空 間 ・資 源利 用 や 環境生 態 系 の不可 逆 的 な破 壊 につ ながっ てい る場 合で あ ろ う。我 が 国 で も、 周知 の とお り高 度 経済成 長期 に 始 まる大 量 生産・消費 の「 マ ンー シ ステ ム」 の急 速 な 浸透 は、 昭和40年 代 から の人 口 の大 移 動 を もたらし た。 大 都 市圏 の成 長 拡大、 農村地 域 の衰 退縮 小 に よ り居 住環境 の悪 化 、地 域 維 持機 能 の低下 等 、 さ まざ まな 局面 で深 刻 な過疎 過 密現 象 が起 こ っ た。 こ の間 のフロ ーへ の対 応 に と もなう、 都 市・ 農村 空間 の 構造 変 化 は、 かっ て 経験 のな い もの であ っ た。 地 域社 会 も大 き く変 化 ・ 解体し 、 地 域を 支 える コ ミ ュニ ティ とし て、 新 たな 役割 を見 い だ せ ない でい る。 し かし 今 日で は低 成長 期 に入 り、 こ れまで の よう な大 都市 圏 へ の集中 や 空間 的 拡大 は望 め る状 況 にな い。「都 市化 社会 か ら都 市型 社会 へ (都市 計 画審 議会 答申97年 )」 に示 さ れる よう に、施 策面 か ら もスト ック の重 視、 再 整備 が 打 ち出 さ れて い る。 環境共 生 、 参加型 の地 域づ く り、 な どの試 みが 各 地 か ら報 告さ れ てい るが、 筆 者 は住 民 参加 や情 報 公 開な どの動 き も組 み込 んだ、 基 本的 な視 座に たっ て、 地 域 の計 画 を模 索 する 機会 が よ う や く到 来 し た と考 え てい る。 多様 な生 活 スタイ ル の選択 が可 能 な地 域社 会 の形 成に向 け て、 分 権化 社 会、 成 熟化 社会 にお ける都 市 と農 村 のあ り方 を、 そ れ ぞ れの持 続性 を重視し つつ 相互 の補 完的 関 係 か ら捉 え る視点 が求 めら れ てい る。 本 稿で は農村 部、特 に人 口 減少、高齢 化 が 進 む中 山間地 域 を対 象 にお い て、農 村 集落 が主 体 となっ て観 光施 設運 営 を試 みる事 例 を紹介 し、 そ の課題 につい て検 討 す る。 中 山間 地 域 と は、 まと まっ た平 坦 な 耕地 が 少 ない 地域 の こ とで 、 国土 全 体 の総面 積 の過 半 を占 め て い る。 全人 口の15% が住 み、 農業 生 産 の40% を担 っ てお り、 自然 環境 の 保全 で も重 要な 役割 を果 *東洋 大学 国際 地域学 部:FacultyofRegionalDevelopmentStudies,ToyoUniversity

(3)

128 国際 地域学 研 究 第2 号1999 年3 月 たし て い る。 こうし た地 域 で は、 過疎 化、 高 齢化、 耕 作放 棄地 の 増加 、地 域 社会 機 能 の弱 体化 な ど に より 、生 活 の維持 が困 難 に な る といっ た、 深刻 な事 態 が共通 の 問題 となっ てい る。 調 査 で訪 れ た 岡 山県 作 東町 の長 期構 想計 画書 の中 に は次 の よう な指 摘 があ る、「人 口 減少、高齢 化、後 継 者 不足 に よ り、 将来 展望 が描 けな い。 経 済の 大 きな 流 れは変 えら れな い ので、 開 き直 って 現 在 の住 民 の 生活 の豊 かさ を活 かし て ゆ く方向 で …… 」。H召不ロ40年代 に始 まる大 都市 圏 へ の人 口集中 が もた らし た 過 疎 過密 現 象、 地 域変 動 が、 あ る意味 で ク ライマ ッ クス を迎 えて い る状 況 を表し てい る。 対 応 す る よう に、危 機的 状 況 を打 開 す る施策 の 展開 が 各地 で試 みら れて い る。 中 で も特 色 あ る 地 域 資 源を 活 かして 、 雇用 を創 出し 、 人 口流 出に歯 止 めを か ける た め、 公 営 あ るい は第三 セ クタ ー に よっ て 観光施 設 を整備 ・運 営 し、 都 市 から の観光 客 を呼 ぶ「 観光 立村 」 に活 路 を見 い だ そう とす る 地 域 は少 な くない。 し か し、 市場 で の競 合 に対 応し にく い公 営や第 三 セ クタ ーに よ る施設 運営 に は、 一 定 の限 界 が あ るこ とも明 ら かに なっ て き てい る。 特 に周辺 に都 市的 な 中心 地 の ない農 村地 域で は、 従来 の よう な 公 的 施 策が 頭打 ち となっ てい る。 地 域 社会 の 解体 が迫 り つつ あ る中 山間 地 域にお け る、「 住 み続 け られ る ムラ」の可 能性 を どの よ う に見 い だし て ゆく の か。 そ れは ひ とつ に、 かっ ての激 し い人 口 流出 へ の外的 な対 応 と は様 相 を 異 に し た、 地 区・ 集落 内部 か らの 構造 的 な変 革 にか かって い る と思 わ れる。 こう し た 試 み を行っ て い る 地 域 事 例 を3 つ取 り挙 げ た。 長 野 県 王 滝 村 滝 越 地 区 で はレ ク リエ ー ショ ン 施設「水 交 園」の 管理 運 営 につ い て(平成7 年 調 査)、 岡 山県 作 東町 小房 地区 で は 農村 型 リ ゾ ー ト「能 登香 の 里」に展 開に つい て( 平 成8 年調査)、 奈良 県三 郷 町南 畑地 区で は農業 公 園「 の どか 村 」 の運 営 につ い て(平 成9 年 調 査)、 そ の活 動内 容 を紹 介 し、 合 わ せて3 地 区 の比 較 か ら、 中 山 間地 域 にお け る集落 を主体 とし た 地 域振 興 の可 能性 を検 討 す る。II.2 つ の 事 例 ll−l. 事例1 圏 域限 界 地 にお け る観光 立村 と地 域 経営 一王 滝村 の 地域 経営 と滝 越 地 区の 試 み1. 地 域 の概 況 (1) 王 滝村 の 位置 と概 要 王滝 村 は本 州 の ほぼ中 央 部、 長野 県 の 西部 に位置 し、 木 曽御 嶽 山 の南麓 に広 が る。 木 曽御 嶽 山 を 背 に南 山 麓 に広 が る総面 積3l2.71kiifの山 村 であ り、全 体 の92% が山 林で 占 めら れて い る。北 東 の 山地 部 は御岳 県立 自 然公 園 に指 定さ れてお り、 現在 は御 岳 山 を中 心に 観光立 村 を柱 とし た地 域 づ く り を お こなっ て い る。 木 曽 福島 町が、 王 滝村 を 含 む2 町5 村で 構成 さ れた 圏域 の中 心 地で あ るが、 中 心都 市 とし て の 雇 用等 の求 心 機能 は弱 い。 圏 域全 体 で も総人 口3 万 弱 と小規 模で 、 高齢者 比 率、 単身 世 帯比 率 と も高 く、人 口 も全体 とし て漸 減 の 傾向 に あ る。 村 の 中心 地 は、上 条 、下 条、中 越地 区 で、王 滝川 の 河岸 段丘 上 の ゆ るい 傾斜 面 に広 が り、農 地 と

(4)

-藤井: 中山 間地 域 にお け る集落 主体 の地域 運営 と グリ ーン ツーリ ズ ム 129 集 落 と が 比 較 的 ま と まっ て い る。 一 方 調 査 対 象 とし た 滝 越 地 区 は 村 の 最 西 端 に 位 置 し 、 一 帯 に 広 が る 林 産 地 の 入 り 口 とし て 独 立 し た 集 落 形 態 を 成 し 、「 隠 れ 里 」 の 雰 囲 気 を も っ て い る 。 村 の 歴 史 を み る と 、 江 戸 時 代 に は 、 豊 富 な 木 材 資 源 に 着 目 し た 幕 府 の 直 轄 地 とし て 厳 し い 伐 採 制 限 が な さ れ る 。 そ の こ と が 今 日 の 木 曽 美 林 の 産 地 形 成 に つ な が っ て い る 。 寛 政4 年 に は 行 者 に よ り 御 嶽 山 の 王 滝 口 登 山 道 が 開 か れ た 。 こ の 御 岳 信 仰 に よ る 入 山 は 現 在 の 御 岳 一 帯 の ス キ ー 、 リ ゾ ー ト 開 発 の 契 機 と な っ て い る 。 明 治2 年 に は 、 王 滝 村 は 尾 張 藩 か ら 名 古 屋 県 に 、 さ ら に 筑 摩 県 へ 組 み込 ま れ 、 明 治22 年 町 村 制 実 施 に よ り 長 野 県 西 筑 摩 郡 へ と 目 ま ぐ る し く 移 り 、 最 終 的 に 昭 和43 年 郡 名 変 更 に よ り 木 曽 郡 王 滝 村 と な っ た 。 こ う し た 名 古 屋 県 か ら 長 野 県 県 へ の 再 編 の 経 緯 や 、 王 滝 村 が 木 曾 川 水 系 で あ る こ と 、 また 観 光 客 の 多 く も名 古 屋 方 面 か ら 来 村 す る こ と な ど は 、 今 日 の 地 域 開 発 を 基 底 す る 課 題 に つ な が っ て い る。 さ て 、 村 で 行 っ た 住 民 ア ン ケ ー ト 調 査 ( 平 成8 年4 月 「 公 報 王 滝 」) に よ れ ば 、 ま ず 「 現 状 の人 口 総 数 や そ の 減 少 傾 向 」 に つ い て は 、71% が 不 便 や 不 安 を感 じ て い る 。 不 便 や 不 安 の 理 由 に は 「 集 落 の 運 営 」、「 学 校 教 育 」、「 老 後 」、「 後 継 者 」が あ げ ら れ て い る。「 村 へ の 定 住 意 志 」に つ い て は 、「 住 み 続 け た い 」 が50% と い う 回 答 で 、 な か で も若 年 層 で は転 居 希 望 が 多 く 、 全 体 と し て は 現 状 の 人 口 の 逓 減 傾 向 を 裏 づ け る も の と な っ て い る 。「 希 望 す る 村 の 公 共 事 業 」 に つ い て は 「 農 林 業 ・観 光・地 場 産 業 な ど 産 業 の 振 興 」 が 第 一 で 、 つ い で 「 道 路 の 整 備 」、「 産 業 振 興 を 含 む 定 住 の 促 進 」、「 住 宅 ・ 宅 地 」 の 順 で あ る 。 ま た 、65 歳 以 上 の 高 齢 者 人 口 が18 % (1990 年 ) を 占 め る た め 、「 高 齢 化 社 会 に 対 す る 不 安 ・ 問 題 」 も多 い 。「 介 護 」 の 体 制 強 化 、「 年 金 」、「 施 設 」 の 整 備 な ど が 対 応 策 と し て あ げ ら れ て い る 。 (2) 地 域 の 変 化 村 の 人 口 の 変 化 を み る と、 大 き く2 つ6 の ピ ー ク が あ る(図1 )。 一 つ は 、 戦 後 の 林 業 振 興 に よ る 引 き 揚 げ 者 の 受 け 入 れ5 期ヽ もう 一 つ はヽ 牧 尾 ダ ム (御 岳 湖 ) の4 十 建 設 に と も な う 労 働 者 の 流 入 の 時 期 で あ 畑 賠 る。 い ず れ も 村 に と っ て は 大 き な 出 来 事3 で あ っ た が 、 し か し 人 口 の 増 加 は 林 業 振2 興 や ダ ム 建 設 に よ る 労 働 需 要 に よ り 、 外 部 か ら の 流 入 に よ る も の で 、 大 正 末 か ら1 昭 和40 年 の 間 、 も と も と の 人 口 に は あ ま り 変 化 が な か っ た と 考 え ら れ る。そ し て 、 大9 大14昭5 昭ioiigi5昭22 昭25昭30 昭35昭40 昭45昭50 昭55昭60 平2 図1 王 滝 村 の 人 口 変 化 高 度 経 済成長 の影響 を受 け て大 都市 圏 で の市 街化 が 進 む昭和40年 以 降 に構 造的 な人 口 減少 に転 じ て い る。 村 に は昭和13 年 よ り昭 和55年 まで の公民 館 報 、村 報 を まと めた復 刻版 が あ り、村 の変遷 を知 る格 好 の 資料 となっ てい る。 これ によ り地 域 の様 子 を みてい こ う (以 下 「 」 内 は復刻 版 よ り引用 )。

(5)

130 国 際地 域学 研究 第2 号1999 年3 月 ● 昭和13 年 の記事 に は「 昔 か ら王滝 村 は読 書 の村 、 新聞 雑誌 の多 くい る村 と云 わ れー 」 とあ る。 近 隣の 町村 に比 べて、 圏域 の 限 界地 にあ るこ と、 御岳 信仰 や 林業 労働 で 来村 す る漂 白者 と交流 す る機 会 が あっ た こ とな どが、 あ る い は活字 を通し た情報 文化 活 動 を比 較的 盛 んにし た ので あ ろ う か。 戦 前 に は中 国 東北部 に 移 住し た村 から の開拓 民 に よる新村 の 生活 の 様子 が、 毎 回公 民 館報 の 裏面 を賑 わし て いた。 ● 戦 後 の民 主体 制 へ の移行 は村 に も新し い 空気を吹 き込 んだ。 昭 和21年 に は村 の変 革 を考 え る 「青 年同 盟」が結成 さ れ、「若 草会 」と称 す る進歩的 な 集団 も活 動 を開 始し て い る。 この よう な 背景 の も とで 公民 館 が設 け ら れ、教 養講 座 、文 化祭 、館報 の発 行 な ど積 極的 な活 動 を展開 する。生活 改 善(昭 和23 年 )運動 で は冠 婚葬 祭 の廃 止 が提 唱 さ れた。「村 造 り」とい う言葉 も昭 和24年 の記 事 に み ら れ る。 し かし こう した 動 き も社会 の 安定 とと もに 沈静化 して く る。 む らづ く りを担 う主 体的 組 織 とし て活 動 を始 めた 青年同 盟 も、 活 動 の場 が狭 めら れて次第 に運 動 が不 活 発 に なり、人 数 も減少 し て 昭和29 年 には解 散 す る。 公 民 館報 で は「 各 方面 に大 きな 批判 を投 げ か け、明 日 の村 づ くり につ ながっ てい るだ け に大 き な問題 」と論評 し て い る。 この時 期 に村 を支 え る若 い勢力 が実質 的 に消 滅 し た こ とに、 現 在 に至 る課 題 であ る「担 い 手」 不足 の 予 兆が示 さ れてい る。 ● 昭 和25年 に は観光 協会 が 設 立さ れ、 観光 地 とし て御岳 一 帯 を売 り出 すこ とに なっ た。 その翌 年 に は木 曾川 上 流域 が総 合 開発 特 定地 域 に指 定さ れ、牧 尾 ダ ム建 設 問題 が起 こっ た。 全村 の3 分 の1 の 約140 戸 が 移住 を よぎ な くさ れ るとい う、村 の社 会、経 済に とっ て多 大 な影響 を及 ぼ す計 画で あっ た。 牧 尾 ダ ム は戦後 の総 合 開発事 業 とし て愛 知用水 を整 備し 、 知多 半島 一 帯 の潅 漑開 発 を行 う 目的 で 建 設 され たダ ムで あ る。 こ れに よ り水没 戸 数のう ち3 分 の2 が村 外 に転 出 する こ とに なっ た。 当 初 、 村 はダ ム反対 期 成同 盟会 を結成 し 「村 民 の死活 問題 で あ る と同 時 に、 村 の存立 さ え も左 右 す る重 大 問 題 であ る」 とし て 、全 村 を あげ た反 対運 動 を繰 り広 げ る。 その後 の数年 間 は この問 題 に対 す る意 見 、 考 え方 や同 盟会 の運 動 報 告 など が公民 館報 の中 心 テ ーマ とな り、 そ の内容 か ら も緊 迫 し た様 子 が窺 える。 しかし 、昭 和32 年 に は2 年 間 にわた る水 没地 区 の 個人 補 償交渉 が妥 結 し、 ダ ム建 設 工 事 が始 まっ た。 水没 集落 地 区 か らの 離村 の様 子 は、地 域 社会 の構 造 が確 実に変 容 し てい く こ と を伝 え てい る。昭 和33年 に は公共 補 償、個人 補 償協 定の 調印 が行 なわ れた。そし て、こ の公共 補 償 に よ り、 林 道 や牧 場、 植林 な ど村 の総 合 開発 や 再建 計画 が はじ めら れ るこ と になっ た。 御岳 高 原 ス キ ー場 の 整備 も関 連事業 とし て行 な わ れてい る。 ● ダ ムに よ る関連 事業 も一 段 落 し た昭 和37年度 に は、 早 く も財 源 が逼 迫し、 交 付団 体 に な る。 昭和41 年 には 山村 振興 事業 の指定 をう け、 道路、 林 道の 開発 整備 、簡 易 水道 拡張 、 観光 セ ン タ ー、 国民 宿 舎、 公 民館 の建 設 な どが実 施 さ れた。 また御 岳山一 帯 の 観光 開発 計 画が 県 より提 案 さ れ、 別 荘団 地 計 画が す すめら れ た。 し かし この よう な観 光 開発 、 過疎 対策 にもか かわ らず 、人 口 の流 出 は進 み、昭 和44 年 に は、 新 た に林業 構造 改善 事 業 の指 定 を受 け る。 こ の間、 別 荘団 地、 国 設 ス キー場 の開 設 に より、 御 岳 高原 は 信 仰 の山 か ら観光 の 山へ と変 貌 す るこ とに なっ た。 ●産 業 、生 活両 面 か ら、地 域 ぐ る みの 観光 立村 を全面 に 掲 げ るこ とで、 村 の方向 づ け がな さ れ る よ

(6)

藤 井:中 山間 地 域に おけ る集 落主 体 の地 域運 営 とグ リー ンツ ーリ ズム 131 う に なっ て今 日 に至 る。 (3) 観光 立村 の 活動 観光 立村 の展開 に際し て 、村 で は、 まず大 きく エリ ア区 分 をお こ なっ た。 そ の中で 「 お んた けス キー場 」のあ る ハイ ランド エ リ ア、 村 の中 心 部 に近 く スポー ツ公 園 や「い の ぶた」牧場 の あ るス ポ ー ツ エ リア、 そし て滝 越地 区一 帯 の ウ オー タ ーエ リ ア が設 定 さ れた。 観光立 村 を成 立 させ る には当 然 で はあ る が、村 の 自然資 源 をで きる だけ活 か す こ とが必 要で あ る。 そ の中 心 とな るの は御岳 を中 心 とし た 一帯 で あ り、 既述 の よう に ス キー場 、別 荘 地、 登 山な どが 整 備 さ れてい る。 さら にこうし たハ ード と ともに ソ フトの サ ポート も併 せ て行 わ れ、御 岳一 帯 で のイ ベ ント行 事 とし て、 御神 火祭 、 御嶽 神 社 例祭 、「 ス ター ウオ ー ク」等 を 実施し てお り、昭 和58年 に は 村民 有 志 によ る木曽 御嶽 太鼓 が 設立 さ れ てい る。 一 方、中 心 地 の集 落 周辺 で は、 観光 農業 を 組 み合 わ せたレ ク リエ ー ショ ン施 設を 整備 し て い る。 そ の代表 例 が「 いの ぶ た」 牧場 で あ る。 特 産物 「 い のぶ た」 の 生産 とと もに、 観光 目的 で 近 く の スポ ーツ公 園 な ど との複 合利 用 も図 ら れてい る。 村 で は、 星 に一 番近 い村 とし て「 銀 河王 滝 」 を宣 言し 、 地域一 帯 に イ メー ジ ボード を 掲げ る と共 に、 星 をメ イ ンテ ーマ に自 然、 芸術 のイベ ン ト を、 ス ポ ーツ公 園 を会場 とし て毎 年中 旬 に行 っ てい る。昭 和63 年度 に は4 日間 の 入場者 が 約1: 万5 千 人 を超 え、夏 休 みを利 用 し た家族 連 れで賑 わっ た。 都 市 との 交 流活動 は、 従来 より林 間 、臨 海 学校 市 民休暇 村 等 を通 じ て、 静岡 県、 名 古 屋市 等中 京 地 域 との間 で行 わ れてい る。中 で も 昭和38 年 よ り始 まっ た静岡 県 の 御前 崎中 学 校 との交 流 は、既 に30 年 を越 える。 こ うし たこ と も観光 立 村 の発 想 ・ 展開に つ なが って い る。 2 。地 域 経 営の 展開 観 光立 村 に基 づ く施 設 の運営 に つい て、 まず ダ ム残村 補 償か ら展 開し た スキ ー場整 備 と その公 営 企 業化 、 さ ら に滝 越地 区で のレ クリエ ー ショ ン施 設 「 水交 園」 の地 区 住民 に よ る自主 運 営形 態 の二 つ の事 例を みてい こ う。 (1) ス キ ー場 開 発 と経営 ス キー場 の歴史 は古 く、 昭和 の初 期 に 村 内 の青年 が 整備し たこ とか ら始 まる。 本 格的 な出 発 は、 昭和36 年 に牧 尾ダ ム の残村 補 償事業 とし て、御岳 高 原 に村 営 第一 号 リ フト が建 設 さ れて から であ る。 昭和42 年 に は、 国 設 ス キー場 の経 営が 村 営化 さ れ、 昭 和45年 から ス キ ー場 の整 備 は、 村 活性 化 の主 要事 業 とし て位 置づ け られた。そし て 、 山村 振 興事 業 の一環 とし て、御 岳 の国 有 林地 に新 た な スキ ー 場 が建 設 さ れ、 その 後、 年々 増加 す る ス キー ヤ ーに対 応 する よう に関 連施 設 の 整備 を行 っ て きた。 昭和57 年 に は最上 部 第 フリフ トが ゲレ ン デ とと もに完 成し 、 シ ーズ ン36万 人 の ス キー ヤー を迎 える に至 った。 その後 、 昭和59年 の長 野 県西 部 地 震 によ り大 きな 被害 を被 っ た が、 復興工 事 に よ り昭和61 年 に は37万 人 に回 復し た。 昭 和63年 か ら は人 工 降雪 施設 を 整備 し、 早 期営 業 とシー ズン の延長 を はか り、 平 成元 年 に はゴンド ラ を建 設し 、 施 設 の充 実 を図 っ てい る。 昭 和61年 に は地方 公 営企 業法 の 適 用 によ り、公 営企業 とし て独立 し 、平 成4 年国 民 宿舎 会計 を 統合し 今 日 にい た ってい る。 平成8 年 度 の来 場者 は59万人 とな り、 ス キー場 は村 の主 要産 業 とし て定 着し た。

(7)

132 国 際地 域学研 究 第2 号1999 年3 月 過疎 地 で の公 営企業 の 運 営に は、 地 域内 雇 用の確保 も主 要な 目的 で あ る。 公 営企 業 の地 区 別 従業 員 数 を み ると、平 成8 年4 月で は127名、この内常 勤 従業 員 は29名 、さ ら にそ の中 で12 名 が村 内 居 住 で あ る。 村内 居 住者 の割 合 につ い て公 営企 業 という 性 格か ら、 村当 局 とし て は もう少 し 高 く て も よ い との意 見で あ った。 し かし 現 在、 経営 面で は厳し さ を増 し てい る状 態 にあ るとい えよう。 スキ ー場 の入 込者 数 は約60 万人 とこ こ数 年一 定 であ るが、 純 益 は急速 に ダウ ンし てい る。 加 えて 資本 支出 も増 大 し てい る (図2 )。 こ うし た事 態 を招 いた の は、 自 然資 源 を活 用す る観光 産業 の 特性 に よ る ところ が大 きい。 観 光 産 業 は、 基 本的 に まず 観光 客 の居 住 す る都市 か らの交 通 ア クセ ス条件 、 そし て ス キー場 の設 備 や宿 泊 施 設 な どの整 備水 準、 お よび そこ で提 供さ れるサ ービ スの質 に依拠 す る。 経済成 長 からバ プ ル期 へ と観光 産業 は急速 に拡 大 し て きた が、 こ の産業 の将 来性 に 着目 し た商業 資 本が、 近 傍 で かつ 有 利 な 交通 条件 を もつ場 所 で ス キー場 の 開発整 備 を進 めた。 これ に対 応 す る形 で、 村 で も より 高度 の施 設 整 備 をお こなっ て きた。 し かし 、 バブ ル崩 壊後 の景 気 の落 ち込 みに より観 光客 の延 びが、 設 備 投 資 に 対 応し た見 込 み客数 より低 く出 る よう になっ た (図2 )。 特 に近 年 の落 ち込 み は顕 著で あ る。 主 なス キ ー客の 居住 す る名 古屋 地 方 から は、 中央高 速 道路 の整 備 に より、 他 の遠 隔地 へ の ア クセ スが 容 易 にな っ たこ とや、 幹 線道 路 か ら村 の スキー場 へ の アク セス が、 冬季 に は「30分 が2 時 間30 分 に (村 当 局)」 と、 極端 に悪 くな るこ とが ネ ッ クとなっ て い る。 今 後 も こうし た傾 向 が継 続 す る な ら、 補填 財 源 の調 達が 困難 に な り、 経 営 不 振 に陥 る 危 険 性 が あ る。 (2) 滝 越 地 区 に お け る 水 交 園 の 試 み 観 光 立 村 の ゾ ー ン 区 分 で 。 ウ オ ー タ ー エ リ ア と さ れ た 滝 越 地 区 は 、 王 滝 村 の 最 西 端 の 集 落 に 位 置 す る 。 世 帯 数15 戸 、 人 口24 人 ( 平 成7 年 ) で 、 こ の 十 年 は 高 齢 化 に よ り 漸 減 し て い る( 図3 )。 集 落 一 帯 は ま と ま っ た 景 観 と し て 可 視 的 な 広 が り を も ち 、 地 理 的 に 孤 立 し て い る こ と も あ っ て 、 地 域 の ま と ま り は 強 い と推 察 さ れ る 。 滝 越 地 区 は 前 述 し た「 牧 尾 ダ ム 」 騒 動 の 影 響 は 直 接 受 け て い な い 。 昭 和32 年 の 公 民 館 報 に は 滝 越 地 区 に つ い て 「 道 路 が な く 、 森 林 鉄 道 10 5 O 咽 万 人 、 億 円 10 15 40 30 20 10 0 一 入込者(十万) 一 純損益(億) 一 資本収支(億) 年 度 図2 御岳 ス キ ー場 の 経 営 状 況 60616263 平 平1 平2 平3 平4 平5 元 平 6 年 度 図3 滝 越 地 区 の人 口 ・ 世 帯 数 の推 移

(8)

藤 井:中 山 間地 域に おけ る集 落 主体 の地 域 運営 とグ リー ンツ ー リズム 133 が 唯一 利 用 で きる交 通手段 で あっ たこ と。 学 校統 合 によ る分 校廃 止が 問 題 にな っ てい るこ と( 昭和34 年 に廃 止)。 水 温が 低 く、毎 年 冷害 に あ う こ と。 村全 体で は、 他域 へ嫁 ぐ 率が 高い こ と。」な ど の 記 述 があ る。昭和34 年 には滝 沢分 校 が 廃止 さ れ、児 童 は森林 鉄 道で 通学 する よう に なる 。昭 和50年 森 林 鉄道 廃 止の後 、村 営 バ スを運 行 す る こ とに なっ たが、 冬季 にな る と、低 学 年 は家 族 とと もに宿 舎 に、 高 学年 は中 心地 区 の寮 に宿 泊し てい る。 従 っ て村 の中心 地 との距 離 は大 き く、 こ の よう な最 も川上 の 集落 とし て、 従来 か ら の隔 離さ れた立 地 条件 にあ っ た こ とが 、 次 に述 べ るよう な観 光施 設 群 「水 交 園」 を、 単 独に集 落 全体 で運 営 し てい く 試 みに つ ながっ た と言 えよ う。 滝越 地 区 の農地 は約6ha で あ るが、 昭 和40年 代 におい て 既 に不 在地 主 の増 加 や高齢 化 の 進展 に よ り、一 部 で荒 廃し 耕作 困難 な状 況 に なっ て い た。 そ こで昭 和40年代 後 半 に「滝 越 地 区 そば生産 組 合」 を結 成し、 不 在地 主 から 農地 を賃 借し 、 そば の集 団転作 に 取 り組 ん だ。夏 の開花 期 に は白一 色 の景 観 を生 み出 すこ とで、 新 たな 観光 資 源が 加 わ る形 に なっ た。 昭和47年 の山村振 興 計画 で 、 すで に滝 越 地 区に は学生 村 の構 想 が提 案 さ れてい るが、 さ まざ まな 観 光施 設 の整 備が 進 んだ のは 昭和50年 代 の後半 で あ る。 まず昭 和56年 に 県単 の「 過疎 地域 振興 事業 」 が 導入 さ れ、 農業 用水 路 を順 次改 良し て渓 流 を作 り、 イ ワナ、 ア ナゴ を放 流し 、夏 期の 子供 達 の川 遊 び、 魚 のつ か み取 りの施 設 が整 備 さ れた。 続 い て、昭 和58年 度 に は第3 期 山 村振 興農 林漁 業対 策 事業 に より、 野外 調理 施 設1 棟 と淡水 魚 養 殖施 設 ( イワ ナ)が 整備 さ れてい る。 この川 魚 と そばを 結 びつ け る とこ ろか ら水交 園 の構 想 が生 まれ た。 そ の後 、 渓 流を 釣 り場 にし た「 釣 り キチ峡 谷」、 テ ニ ス場 、王 滝 川 ダム の ボート に よる水 面 利 用 な どの関 連施 設 が順 次整 備 さ れて いっ た。 昭和58 年 に打 ち出 さ れた「 水交 園 」 の構 想 は、 こ れら諸 施設 を 農地 (ソ バ畑 ) も含 めて、 複 合的 に利 用 する もので 、厨房 付 き屋 外調 理場 、魚 のつか み どり場 を 中心 とし て 、渓 流を 釣 り場 にし た「釣 り キチ峡 谷」 や、 淡水 魚 ( イワ ナ) 養殖 施 設、 テニ ス場、 王 滝川 ダ ム の ボート に よる水 面利 用 な ど 一 帯 の関 連施 設 の総称 で あ る。 さ て こ れら の運 営 管理 であ る が、 集落 全 体 で活 性化 組合 を 組織 し、 村 との「 管理 運営 契 約」 を結 んで、 集 落 の共同 経 営 の形で 行 っ てい る。 その際 居 住者 のほ とん どが60 歳以 上 とい う 高齢化 によ る 耕 作 困難 の 中で 、観光 客 を対 象 にし た施 設 の 維持 運営 を、地 域 で 自主 的 に行 っ てい く には優 れ たり ー ダ ーシ ップ が不 可欠 であ る。 当 初 から構 想 の推 進役 であ り、 活性 化 組 合長 のM 氏 が その人 であ る。 滝 越 地 区生 まれで、 昭和10年 代 は関 電 で ダ ムエ 事 や 水資 源関 連 の仕事 に従 事し 、 その 後昭 和47年頃 まで 農業 と営林 署 の仕事 で生 計 を たて てい た。 現在 は観光客 を対 象 にし た民宿 も経営し て い る。 観 光 客 への 働 きかけ は 観 光 ガ イド ブ ッ クに よる。宿泊 は集 落 内で の民 宿 で受 け 入 れる。年 間 で 約6 千 人 の 宿泊 客が あ る。連休 から の シー ズ ンが 始 まる と、高 齢化 の 進 んだ 集落 に毎 夏「 子供 の歓声が 流 れる のが 嬉し い」 とM 氏 はい う。 し かし 、 年 間 の売 り上げ 額 は約 一 千万 円 で、 原 価や販 売費 、管 理 費 を 除 く と利 益 はほ とん ど上 が ら ず、 運営 は決し て 楽で はな い。 シ ーズ ン中 は、一 日 あた り2 人 の組合 員 とボラ ン テ ィアで切 り盛 りし てい る。 ボラン テ ィア は、 村 が 「雪 を まく公務 員 」 と題し て 、東 京 の 地球 緑化 センタ ー を通し て 募集 し、 応 募し て き た若者 で あ る。夏 はレ ジ ャー、冬 は ス キー場 で働 く。宿 泊 は村 営 住宅 、時 給800円 を 支給 す る という 条件 であ っ

(9)

134 国 際地 域学 研究 第2 号1999 年3 月 た。 平 成7 年 度 は3 名 が 入村 し 、 そ の内 の一名 が夏 に は水 交 園を手 伝 う こ とにな った。 現在 (調 査 年 度 )月6 万 円 で、 養殖 場 な ど水 交園 の 維持管 理 に従事 し てい る。 集 落内 で は働 き手 とし て貴 重 な 存 在 であ り、 彼 自身 も手 ご た え を感じ て い る。 し かし、 一 方 で仕事 に慣 れる につ れ、 さ まざ ま な新 し い 方 法や工 夫 が浮 か ぶが、 財 政 的 な制 約 な どが大 きな壁 に なっ てい るとの こ とであ っ た。 平 成8 年 度 より隣 接 の国 有 林地 に オ ート キ ャンプ 場 が建 設 さ れた。 こ れ によ り観光 客 に 入 り込 み 数 の増加 が 期待 さ れて い る。 3 。 小 括‐ 公 から共 へ の経 営形 態 の変 化 以 上 、戦 後 から の王 滝村 の観 光立 村 に向 けた地 域経 営 は、 おお きく次 の3 段 階 に分 けら れる。 第1 期 : ダ ム補償 に よ る公共 事 業、 ス キー リフト の設 置 第2 期 : ス キー場 等 の運 営 展開 →公 営 企業化 第3 期 : 交水 園等 施設 自 主 運営 (滝 越 地区) 第1 期 は 国 策 によ りダ ム建 設 が なさ れ、地域社 会 の構造 に他 律的 な大 きな変化 が生 じ た 時 期 であ る。 今 日 の観 光立 村に よる地 域 経営 は、 そ のダ ム残存 補 償 に よる スキ ー場整 備 に始 まっ て い る。 第2 期 の公 営企 業化 は、 村 の 公報 に記 さ れた「 外部 資本 を し めだ す」 とい う 言葉 にあ ら わ れ てい る よ うに、 村 とし て の まと まり の 確認 が基 本にあ り、 そ こに はダ ム建 設 に よる地 域 社会 の 分 裂 の記 憶 が隠 さ れて い るよう に 思 われ る。 公営 企 業は村 の産 業振 興 の推 進 母体 となる よ う に期待 さ れ、 ま た一 定 の役 割 を はたし て き た。 村で は基 幹産業 とし て多 大 な資 本投下 も行 なっ て きた。 し かし みて き た よう に、 景気 の動 向 やレ ジ ャ ー産業 の不確実 性 に対 応が 困難 にな りつつ あ る。 こ れに対 し、 第3 期 に おい て村 が 施設 を建 設し た水 交 園 は、 そ の運 営 管理 を滝 越 地 区集 落 で 結成 し た組 合が お こ なう とい う、 経 営形 態 を とってい る。 ア イ デア や工 夫 な どに個々 の柔軟 な企 画 が 要 求 さ れる観 光産 業 の特 性 と、 地 域 の自 然資 源の特 性 を習熟 し てい る地 域 住民 の 関与 が か み合 っ た新 た な観 光 の展 開が 試 みら れて い る。1 期-3 期を通 し て、 公共 から民 間 へ、 公的 組 織か ら 公営 企 業、 そし て コ ミュ ニ ティ 組 織 の運 営 へ の変化 を、 そこ に みる こ とが で きる。 ││−2 . 事 例2 農 業 生 産 組 織 と 地 域 社 会 の 活 性 化- 岡 山 県 作 東 町 小 房 地 区1. 地域 の 概況 高 齢化 、 過疎化 が進 行し 、 農作 業 等 に慢性的 な人 手 不足 が 課題 となっ てい る中 山間 地 域 で は、 住 み続 け る ため の産業 振 興策 とし て、 従来 の田畑 中 心 の農業 か ら、 イ) 一 方で付 加 価値 をつ け た産 品 に 特化 す る農業 へ の転 換( た とえ ば一 村一 品運動 )、 ロ )他方 で生 活基 盤 を も巻 き込 ん だ地 域 の資 源 の 総合 的 な活 用( 農村型 リゾ ート 事業 ) に 活路 を見い だ すこ とが 求 めら れてい る。 作東 町小 房和 田地 区 で の試 み は、 後者 に 属する。 農家46 戸 で 組織 す る小 房和 田 営農 組 合 が主 体 と な っ て、地 域 ぐる みの 農業 経 営 を展 開 する中 で、 リゾ ート 事 業 に着手 し、 町 か ら観光 施 設 の管 理運 営 を委 託さ れ て、新 た な むらづ く りに取 り 組んで い る。

(10)

藤井: 中山 間地 域 にお け る集落 主体 の地域 運営 と グリ ーン ツー リズ ム 135 作 東 町 は 岡 山 県 の 北 東 部 、 兵 庫 県 と 接 す る 中 山 間 部 に あ り 、 そ の 中 で 小 房 地 区 は 、 町 の 中 心 部 か ら や や 離 れ た 北 端 の 山 間 地 に 位 置 し て い る 。 地 区 の 東 、 北 及 び 西 の 三 方 は 尾 根 で 、 町 境 と な っ て い る。 北 東 に は 滝 山 、 西 に は小 房 山 が あ り 、 両 山 の 間 の 渓 谷 を 流 れ る 小 房 川 が 、 下 流 部 で は 両 山 の 山 麓 に形 成 さ れ た 耕 地 の 間 を 緩 傾 斜 で 南 流 し て い る 。 滝 山 の 南 西 麓 ( 小 房 川 の 左 岸 ) に リ ゾ ー ト 事 業 の 中 心 地 で あ る 此 田 (た わ だ ) 池 が あ る 。 地 区 か ら の ア ク セ ス は、 中 国 縦 貫 自 動 車 道 が 町 中 央 部 を 横 断 し て お り 、 最 寄 り の 美 作I .Cに よ り 京 阪 神 、 山 陰 地 域 へ の 交 通 の 便 は 比 較 的 良 い が 、 一 方瀬 戸 内 海 側 へ は 路 線 バ ス で 岡 山 市 ま で2 時 間 を 要 す る。 小 房 地 区 総 戸 数59 戸 の う ち 、農 家 は43 戸 。 平 成7 年 の 総 人 口 は163 人 、 過 去15 年 間 の 減 少 率 は9 % で あ る。65 歳 以 上 の 人 口 の 高 齢 者 比 率 は22 % ( 昭 和55 年 ) か ら31 %( 平 成7 年 ) へ と 上 昇 し て い る 。 農 地 は 、 集 落 を 南 流 す る 小 房 川 に 沿 っ た 沖 積 平 野 に、 ま た 、 一 部 滝 山 の 山 麓 ( 此 田 池 の 南 部 ) の 急 傾 斜 に 展 開 し て い る 。耕 地 面 積 は 、田23.0ha 、畑 で8.0ha 。圃 場 整 備 率 は 田 で90.0% 、畑 で17.1% で 、 集 落 内 は ほ ぼ 完 了 し て い る 。 稲 作 、 黒 大 豆 等 の 生 産 を 中 心 とし て 、 集 落 営 農 へ 取 組 み 、 特 産 果 樹 と し て ユ ズ の 生 産 育 成 や 、 豆 腐 、 コ ン ニ ャ ク、 み そ な ど特 産 物 の 加 工 も 行 っ て い る 。 就 業 状 況 に つ い て み る と 、 い ず れ の 中 山 間 地 域 に も 共 通 し て い る こ と だ が 、 零 細 な 水 田 経 営 と 兼 業 に 依 存 し て お り 、 高 齢 化 が 進 み 、 跡 継 ぎ の い な い 農 家 が 多 い 。 ま た 年 齢 層 で は 、 農 業 従 事 者 、 リ ゾ ー ト 事 業 従 事 者 は 高 齢 者 、2 次 、3 次 産 業 従 事 者 は 大 半 が 壮 年 以 下 と 、大 き く 分 か れ て い る。後 者 に つ い て は 、 周 辺 地 区 で の 工 業 団 地 が 就 業 の 機 会 を 提 供 し て い る。 2 。 小 房 和田営 農 組合 の活 動(1 ) 小 房和 田営 農 組合 の設 立 町 の最 北端 の 山間 地 にあ り、立 地 条件 に恵 まれてい ない 地 区一帯 で は、 昭 和40年 頃か ら 若者 が都 市 部 へ転 出し 、 農家 も近 く の工場 団 地 に 進出し た 小企 業 に勤 めだし た こ とから、 兼業 化 と過疎化 が 生じ てい た。 耕地 は不整形 ・ 狭小 な 棚 田で 、 農業 用 排水路 も未整 備 であ り、 農 作業形 態 の変 化 と、 こうし た 営農 環境 が対 応 で きず、 農業 労働力 が不 足 す る事 態 にい た っ た。 危 機感 が つの る状況 にあっ て、 営 農 体制 の改 善 を図 る必 要 に迫 ら れた 地 区で は、 農業 改良 普 及所 によ る地 域診 断 (昭 和52年) や助 言 を受 けて 、共 通 の課題 を もつ 周辺 一帯 の地 区 と とも に、 昭和56 年 旧粟 井 村 全域 の農 地 (受益 面 積8Iha) を対 象 とし た圃場 整 備組 合 を発足 させ た。 県 営 の圃場 整 備事 業 は、昭和57年 、第1 工 区 であ る小 房・和 田 地 区20.7haから工 事 が始 め ら れたが 、 この 間、 圃場 整 備事 業 に伴 う仮 換地 作業 な どを巡 っ て真 剣 な論議 が 続 けら れた。 意見 の対 立 もあっ たが 最終 的 に は「土 地 は公 の もの とい う気 持 ち から ( 私有 地 とい えど も と もと は)説 得し 、実 施 に こ ぎつ けた 」(リ ーダ ーの ひ とりM 氏 )とい う。 事 業 は平成4 年 まで 継続 す るが 、 こうし たこ とが が 契 機 とな り、地 区 住民 の地 域 に対 する 危 機意 識 の共 有 と連帯 感 が芽 生 え、 第1 工 区 の圃場 整備 の 完 了 後、 昭 和59年4 月小 房和 田営 農 組合 が 設立 さ れ た。

(11)

136 国 際地 域学 研究 第2 号1999 年3 月 (2) 集 落 営 農 とブ ロ ッ クロ ー テ ー シ ョ ン へ の取 組 み 組 合 は 大 字 小 房 と 大 字 小 野 の 和 田 の 連 合 体 で あ る。 圃 場 整 備 事 業 の と き 両 地 区 が 同 一 工 区 に 属 し た た め、 営 農 組 合 の 設 立 に 当 だ っ て も 引 き 続 き 構 成 員 を 変 更 す る こ と な く 、 両 区 の 名 を連 ね て 「 小 房 和 田 営 農 組 合j と し て 発 足 し た 。 組 合 の 主 な 事 業 は、 水 稲 ・ 麦 ・ 転 作 作 物 の請 負 耕 作 や 共 同 作 業 、 機 械 化 営 農 、 耕 地 の 受 委 託 営 農 で あ る。 事 業 の 早 い 段 階 で は 、 経 営 の 集 約 化 を め ざ し て 、 当 地 区 の 水 田23ha の 利 用 権 を一 人 に 集 中 さ せ 、 大 規 模 経 営 農 家 を 育 成 し よ う と す る 構 想 が あ っ た 。 し か し 圃 場 整 備 は完 了 し た も の の 、 傾 斜 地 で ま と ま っ た 農 地 の 拡 が り が 確 保 で き な い こ と、 加 え て米 価 の 低 迷 に よ り将 来 展 望 が 描 け な い こ と な ど を 理 由 に 変 更 し 、 代 わ り に 組 合 員 全 員 の 協 働 で 集 落 営 農 を 推 進 す る こ と に な っ た 。 組 合 で は、 農 地 の効 率 的 な 活 用 や 、 低 コ ス ト の 営 農 を 図 る た め 、 農 業 機 械 の 共 同 利 用 化 や 組 織 的 な 転 作 の 団 地 化 に取 り 組 ん だ 。 集 団 転 作 と 個 別 転 作 の 奨 励 金 の 差 が 大 き い こ と も 、 集 団 転 作 に 踏 み 切 っ た 理 由 で あ っ た。 農 業 機 械 の 個 人 で の 購 入 は 、生 産 費 の 上 昇 を 招 く こ と か ら 、共 同 購 入 を 図 り 、 ト ラ ク タ ー2 台 、 コ ン バ イ ン2 台 、 田 植 機1 台 、籾 乾 燥 機・籾 す り 機 】台 等 各 種 補 助 事 業 を 利 用 し て 導 入 し た 。 ま た 参 加 農 家 の 水 田23ha を 水 利 な ど 地 形 的 な 条 件 か ら5 ―6 ブ ロ ッ ク に 集 約 し 、3 年 サ イ ク ル の ブ ロ ッ ク ロ ー テ ー シ ョ ン を 実 施 し て い る。 転 作 地 は 組 合 が 無 償 で 借 り受 け 、 作 付 作 物 は 組 合 で 決 定 し 、 栽 培 は共 同 作 業 で 行 う。 収 穫 物 の処 分 権 は 組 合 が 持 つ こ と と し た 。 平 成6 年 の 転 作 作 物 は 黒 大 豆 、 飼 料 、 レ ン グ で あ っ た。 作 業 従 事 者 に は 組 合 が 賃 金 を 支 払 う 。 と り わ け受 委 託 作 業 は 兼 業 化 ・ 高 齢 化 が 進 む 中 で 、 次 第 に 大 き な ウ エ ー ト を 占 め る よ う に な っ て き て い る。 平 成6 年 の 水 稲 作 で は 、 全 作 業 受 託 が3.5ha(20 % )、 部 分 作 業 受 託 平 均3.9ha (23 % )、 合 計 で7.4ha (43 % ) を 占 め る。 オ ペ レ ー タ ー は8 人 で 、 平 常 は 農 外 勤 務 に 従 事 し 、 日 曜 日 に 作 業 を 行 う 。労 賃 は オペ レ ー タ ー8 千 円/8 時 間 、補 助 者5 千 円/8 時 間 で あ る 。ま た オペ レ ー タ ー に よ る受 託 作 業 の 効 率 化 と米 の 有 利 販 売 を 図 る た め、 コ シ ヒ カ リ と ヤ マ ビ コ に 品 種 統 一 を 行 い 、 防 除 、 収 穫 な ど の 作 業 を計 画 的 に 実 施 し て い る。 特 産 物 の 生 産 に も力 を い れ 、 昭 和62 年 に は町 の 特 産 果 樹 で あ る ユ ズ を 、 共 有 農 地 に 植 栽(1.4ha ) し た 。 営 農 組 合 で の 共 同 購 入 ( 補 助 事 業 、 農 業 改 良 資 金 な ど の 活 用 ) は、 各 農 家 に お け る 大 型 農 業 機 械 の 導 入 に 歯 止 め を か け 、平 成2 年 産 水 稲 で は 、10a あ た り の 生 産 費 が97,480 円 と 、岡 山 県 平 均 の 生 産 費 の58 % に抑 え る こ と が で き た 。 (3) 営 農 組 合 業 務 の 拡 大 以 上 の 事 業 の 展 開 に よ り 、 農 業 経 営 の 近 代 化 に は 一 応 の 成 果 を み た が 、 過 疎 化 、 高 齢 化 の 現 状 は 依 然 改 善 さ れ な か っ た 。圃 場 整 備 の 実 施 に よ っ て 水 田 経 営 の 近 代 化 を 図 っ た もの の 、1 戸 当 た り の 水 田 面 積 がO.53ha で は 限 界 が あ る 。 農 産 物 価 格 の 低 迷 も 農 業 所 得 を 減 少 さ せ た 。 打 開 策 を 組 合 で 話 し 合 う 過 程 で 、 集 落 を 活 性 化 さ せ 、 農 家 経 営 を 安 定 さ せ る た め に は、 小 房 地 区 の 自 然 環 境 を 活 か し た 観 光 事 業 を 始 め る 必 要 が あ る 、 と 考 え る に 至 っ た 。 転 作 等 の 共 同 作 業 を 通 じ て 醸 成 さ れ た 共 同 意 識 を も と に 、 都 市 と の 交 流 を 図 る活 性 化 対 策 に 取 り 組 む べ き だ と し て 、 集 落 で 昭 和62 年 「 活 性 化 事 業 計 画 」 を 作 成 し 、 地 域 活 性 化 事 業 推 進 委 員 会 ( 営 農 組 合 長 が 委 員 長 に 就 任 )

(12)

藤井: 中山 間地域 にお け る集 落 主体 の地 域運 営 とグ リー ンツ ーリ ズム を発 足 させ た( 図4) 。「 なに かや ら ね ば、 ゲ ー ト ボ ールだ け で はだ め」、「43戸 が か みあ わ ねば」 といっ た危 機 意識 が共 有さ れ る中 で、“自 然 を取 り 入 れた ふ る里づ くり ” を目 指し た地 域 づ く り が ス タ ートし た。 実行 組 織 とし て 、 組合 内 に活 性化 部 と婦人 部 を設置 す る とと もに 、組 合 規 約 に 此田 池 周辺 開発 に関 す る事業 、 花 いっ ぱい運 動 に 関 する事 業 を加 えた。 業 務 拡 大 に伴 い、非 農家 も出資 し て 組合 に加 入 し た。 こ の結 果、 組 合 員数 は農 家43人 、 非 農 家3 人計46人 に なっ た( 平成5 年)。 3 。 能 登 香の 里の 整備 ・ 運営 (1) 地 域活 性化 事業 の展 開 地 域 で は、住民 が 河川 上流 域 の生 活 者 とし て、 備 を集 落 で行っ た。 軋田 池 (16ha) 周辺 は里 山的 な景 観 に優 れて い る。 池 を 囲 む 山 林 に は、ツ ツジ、山桜 等 の樹 木 があ り、 これ らの手 入 れ を行い 、 自然 景観 が楽 し めるエ リア として 整備 を 進 めた。 工 事 は 地 元業 者 が請 負い 、工 事費 の1 割 を 地元 が 労働 奉 仕で まかなっ た。 さ らに 炭焼 小 屋、 焼 き肉施 設 の建設 、 水車 小 屋、炭 焼 き窯 、 キャンプ 場 、 菖蒲 園 と、着 々 と整 備 が進 むに従 い、 行政 の 理解 が得 ら れ る よ う にな り、平 成 元 年 から は県 の「 農村 型 リゾ ート事業 」 に よ る補助 を得 て、 紙 副 組 合 長 書 記 』 匹 ¬ 性 化 部 生 産 部 婦 人 部 農 産 加 工 係 生 活 改 善 係 ¬ 地 域 活 性 化 事 業 推 進 委 員 長 監 事 理 事 生産部: 垂 ・ | | 股 作 業 受 委 託 係 作 付 栽 培 係 機 械 係 花 い っ ぱ い 係 た わ 田 池 周 辺 開 発 係 生 産 係 図4 小 房 和 田 営 農 組 合 機 構 137

ど 」

下 流 域 な ど地 区 外 の人々 を受 け 入 れ るた めに 、 従来 より非 農家 もふ く めた 住民 全員 が 参加し て、 自 然 と水 を守 る運 動 を展開 し てい た。 特 に、 年 間2 回 程度 、女 性 や子 供 が中 心 となっ て 河川 や道 路 の 清掃 を全 戸 で行 う と とも に、 昭 和61年 か ら“ 粉 せっ け んを使 う里 運 動” に も全戸 参加 で取 組 んで き た。「 ムラ 」 とし て の ま とまり が も と も とみら れる地 区で あ った とい えよ う。 組 合 に組織 化 さ れた 地域 活性 化部 は、 農村 型 リ ゾート と体 験 学習 の里 づ くりに向 け て、 在 住す る 町 の職 員 の主 導 のも とで、 女性 や 若者 から も意 見 を収 集し 、 此 田池 周辺 を 拠点 とす るリソ ート 公 園 構想 を まと め、 実施 す る こ とにな っ た。 まず昭和62−63年 に此田 池周 辺 道路 整 表1 主要施設の名称 。面積 施 設 の名 称 ・ 面 積 紙 す き施 設 木 造平 屋Il6 ㎡ 水 車 小 屋 木 造 平 屋5.82 ㎡ 休 憩 棟 木 造11.64m' ×2 棟 休 憩 棟 木 造46.57㎡ ×1 棟 便 所 (3 連 式Z-3 ×2 基 炊 飯 棟 木 造17.5ni'×1 棟 ふ る さ と交 流 館 「 谷 本 屋 」 木 造 平 屋125 ㎡ ロ グ ハ ウ ス「 た わ だ 」 木 造 平 屋2 階 建162.3 ㎡ 便 所 木 造19 ㎡ 藤 棚 一 式 八 ッ 橋L =51.2mW =0.85m コ テ ージ1 号 荘 木 造 平 屋39.5 ㎡ コ テ ー ジl 号 荘 木 造 平 屋39.5nf 展 望 棟 木 造 平 屋ll.5rrf 出 逢 橋L =33mW =1.5m 能 登 香 の家 木 造 平 屋406.52m'

(13)

138 国際 地域 学研 究 第2 号1999 年3 月 す き実 習棟、 ロ グ ハ ウス管理 棟 、貸 別 荘、 遊 覧橋、 公 衆ト イレ 棟施 設 の充 実 が計 ら れた。 整 備 さ れ た 主 要施 設 の内 容規 模 を示 す( 表I )。総 事業 費 は1 億9 千 万円 余、う ち県 費補助 金 が8 千3 百 万 円 、 町 負担 額 が1 億 百万 円で あ る。 事業 実施 に要 す る用地 は地元 が 無 償提供 し た。 なお 、 別途 事業 として 、観 光 バ スに よる団体利 用 を 促進 す るた め、平 成5 年度 に宿 泊施 設 へ 至 る 進 入道 路 を町事 業 で建 設 (事 業 費1 億5 千 万円 )し、 此田池 へ の アプ ロ ー チ とな る橋 や、 駐 車場 は 県単 事 業 で整 備し て い る。 現 在 で は 此 田 池 に は カ モ を 放 ち 、周 囲 に は 水 車 小 屋 、 バ ー ベ キ ュ ー場 、 炭 焼 き小 屋 を 配 し 、 橋 を 渡 っ た と こ ろ に 手 す き 和 紙 工 場 、 農 業 体 験 田 を 設 け、 此 田 池 周 辺 で の 炭 焼 、 魚 釣 り 、 山 菜 作 り 、 椎 茸 栽 培 な ど さ ま ざ ま な 体 験 的 レ ク リ エ ー シ ョ ン が 楽 し め る よ う に な っ て い る ( 図5 )。 図5 能 登 香 の里 主 要 施 設 配 置 図 リ ゾ ート 事業 の名 称 は「 能登 香 の里 」 であ るが、 その命 名 の由 来 は、 集落 の すぐ 南東 部 に 位置 す る 能 登香 山 (標 高397m )が 古 く万 葉 の歌 人 に詠 まれ た こ とに よ る。 宿 泊施 設 は、 明 治期 に建 設さ れた民 家 を10年間 の無 償で 借 り受 け、「 ふるさ と交 流 館谷 本 屋 」とし て 改 修利 用し て い る。 さら に会 議 、講 演、 宿 泊の た めに タバ コ を栽 培し てい た丘 陵 に「 宿泊 研 修 館 能 登 香 の里」 を建 設 し た。 宿泊 者 は岡 山県 南、 京阪 神 から の家 族 連 れな どで、 来 客者 も年々 増 加 し て い る。 う ち研 修宿 泊客 は約3 割 とのこ とで あっ た。 (2) 施 設 の運 営 リゾ ート関 連施 設 の運 営 は営 農 組合 が 主導し、 地 域 活性 部が 独 立採 算制 で 実施 し てい る。 整 備 事 業で 建 設 さ れた施 設 は町 有 財産 で あ る。 従っ て制度 上、 町 は施 設 を貸 借契 約 によ り営 農 組合 に無 償 で貸 付 け、 そ の上 で貸付 施 設 の管 理運 営業 務 を組合 に委 託し て い る。 現 在 はまだ施 設 は新し く、 維 持管 理 費 はほ とん ど不 要で あ るが、 今 後老 朽化 に伴 い 修繕 の必 要 が生じ た際 に は、 もっ ぱ ら組 合 が 負担 す るこ と にな る。 施設 の運営 は次 の3 つに 区分 し 、 そ れぞ れ組合で 担 当者 を決 めてい る。 ● 宿泊 施 設利 用者 の対 応 ;宿 泊施 設 はい ず れ も炊 飯施 設 を完 備し 、利 用者が 自炊 する か、 組 合 に 食 事提 供 を依 頼 する か は選択 にして お り、施 設利 用 申込 時 に決 めて もらう。 施 設利 用 の申 し 込 み は、 地区 内 に事業 所 を もつ建 設 業者 が 取 り扱い(事 務 員 が常 勤)、 受託 の可否 はそ の場で 回 答し て い る。 宿 泊 の連絡 を受 けた地 域 活性 化部 長 は、婦 人 部長 に対 応 を依 頼し 、婦 人 部員 が 自炊 の 場合 は施 設 の開扉 ・閉 扉及 び料金 徴 収 を行 う。 食事提 供 の場 合 は食 材 を持 ち込 んで そ れぞ れ の炊 飯施

(14)

藤井:中 山 間地 域に おけ る 集落主 体 の地域運 営 とグ リー ンツ ーリ ズム 139 設 を 利 用 し て 食 事 を つ く る 。食 事 を 提 供 し た り 自 炊 者 が 食 材 を 要 望 す る 場 合 は 、当 日 の 担 当 者 が 、 地 区 内 で 確 保 で き る 食 材 と 作 東 町 粟 井 のA コ ー プ よ り 仕 入 れ た 食 材 を 利 用 し て い る 。 宿 泊 者 の 中 で 料 理 提 供 を 希 望 す る 者 は 約70 % で あ る 。 ● 施 設 区 域 の 開 発 整 備 ; 地 域 内 で の 散 歩 道 の 整 備 ・ 樹 木 の 枝 打 ち 、 草 刈 り 等 を 適 宜 行 っ て い る 。 ● 炭 焼 き 、紙 す き 施 設 管 理 : 炭 焼 き は 、炭 出 し 回 数 が 年15 回 程 度 、I 回 の 生 産 量 が60kg 、炭 の 用 途 は 焼 き 肉 等 の バ ー ベ キ ュ ー 用 で あ る 。 一 方 、 紙 す き は 、 日 −3 月 の 冬 期 間 に 行 い 、申 し 込 み に よ り10 回 程 度 稼 働 し て い る 。 (3) 事 業 の 展 開 と 課 題 事 業 の 状 況 と 個 別 の 課 題 に つ い て 次 に ま と め て み た 。 ● 施 設 の 利 用 状 況 宿 泊 施 設 の 宿 泊 利 用 状 況 を み る と ( 表2 )、 平 成4 年 は1,277 人 で あ っ た が 、 平 成6 年 に は2,073 人 と 、62% 増 加 し て い る 。 施 設 の 種 類 別 で も 増 加 し て い る が 、 中 で も コ テ ー ジ が 最 も 多 い 。 宿 泊 研 修 施 設 で は 、 日 数 の 増 加 は 僅 か で あ る が 人 数 で は2.2 倍 と な り 、1 件 当 た り 、 平 成4 年12 人 が6 年 に は23 人 へ 増 加 し て い る 。 こ の 傾 向 は 来 村 者 が 施 設 の 利 用 価 値 を 評 価 し た 結 果 と い え よ う 。 利 用 者 の 県 外 比 率 は 当 初 よ り 高 く 、か つ 逐 年 そ の 比 率 を 高 め て お り 、平 成6 年 の 営 業 日 数 で は68 % 、人 数 で60 % と な っ て い る 。 宿 泊 施 設 の 休 憩 ・ 日 帰 り 研 修 等 に よ る 利 用 状 況 を 、 営 業 日 数 と 利 用 者 数 に つ い て み る と い ず れ も 表2 宿 泊 施 設 利 用 状 況 (単位: 人) 施 設 名 H2 H3 H4 H5 H6 宿 泊 施 設 ふ るさ と交 流 館 谷 本 屋 300 (103) 539 (521) 158 (105) 224 (99) 274 (183)

靉脱 脂唐 泌濾 言 説

鎖 詣 袋態 尚尚

難 願 言鯨

朧 言言94

ロ グ ハ ウ ス た わ だ 796 (346) 544 (382) 516 (258) 480 (250) 388 (245)

面懸脂粉席顛継 難 難 朧袋 朧6S

冒 鏃難 頭顛談

朧 誼朧 鎖

コ テ ー ジ 162 (102) 102 (47) 191 (67) 279 (222)

頭 脳 脂 添

朧 誰 継自齢 朧

龍 龍 頭 詔畿綴諾 諾 詣 詣M 鸚{

能 登 香 の 家 501 (246) 689 (439) 1,132 (604)

譲 言 果 賜 頭 難 詣 詣諾 諾難9 難 脱 灘撚

計 1,096 (449) 1,245 (1,005) 1,277 (656) 1,584 (855) 2,073 (1,254)

朧 朧 朧 麟

順 順 越頗噫 諒

朧朧 厠 贈

・・・・・・・・・・・・・ j・・・・ j ・・・・・・・ r ¶¶ r r r r j j j j - ・ j j j r r r r U r r rχΓΓ a % ・・・「・ 朧 朧 副 靉 蝋 キ ャ ン プ 場 235 ( ) 82 (12) 100 (16) 120 O 46 (15) バ ー ベ キ ュ ー ハ ウ ス 421 O 492 (32) 366 (34) 453 (154) 300 (65) 利 用 者 総 計 1,752 (449) 2,055 (1,049) 3,227 (706) 3,353 (1,009) 3,810 (1,334) ※ 宿 泊 施 設 の 上 段 は 宿 泊 者 数、( 内 ) は 県 外 者 内 数 、E ヨ は 会 議 、 研修 等 の 利 用 者 数

(15)

140 国 際地 域学 研究 第2 号1999 年3 月 や や減 少 傾向 にあ る が、一 日 当 た り利 用者 数 は平 成4 年 の16人 が6 年 には18人 とや や増 えて い る。 日帰 り利 用者 の県 外比 率 は6 年で29 % であ る。宿 泊客 は全来 訪客 の 約3 割 とい う。 特記 すべ き は、 箕面 市(大阪 府)の「 自 由学 園 」の 利 用で あ る。5 年生 数 十人 が、 毎 年田 植 え、草 取 り、 稲 刈 り等 の 体験 農業 に訪 れて い る。 滞 在 中 に転 作 田で のサ ツマ芋 ・ ト ウモロ コ シ の栽 培 、 つづ か ず ら を原料 と す る編 篭 の制 作な ど もお こな い、 土 産 とし て持 ち帰っ て い る。 こう し た体験 農業 は引 き続 き学 校 行 事 とし て 継続 が予 定さ れ てい る。 組 合 で はさら に行事 を充 実 さ せ るた め、椎 茸採 取 後 の廃 材 を利 用 し た かぶ と虫 の飼育 を計 画し てい る。 ●出 役 者数 出 役 は、作業 の内容 をも とに時 間 単 位で 処理し てお り 、平 成6 年 度 の実 績 は、全 作業4,620時 間 を 日 に換 算(8 時間 )する と578日 と な る。こ れ は都市勤 労者 の 年間 就業 日 数 を200日 と仮定 す る と、「約3 人 分 の就業 機会 を創っ た」(地 元 ヒ ア リン グ)こ とにな る。 接客 業 務 は女性 が、 その 他 の業務 はお お む ね男 性 が担 当 して お り、 出 役者 に対 し て は男 女 と も時給6 百 円 を支 給し て い る。 こ の こ とは、 集 落 の女 性 が単 に家 計 を補 助 す る ばか りで な く、 調理 等 接客 の た めの組 織化 を通 じ て、 むら の ま と ま りを活 性 化 させ る役 割 を担 っ てい る こ とを示し てい る。 ●域 外 へ の働 き かけ 事 業 の成 功 に は、都 市 住民 へ の情 報 提供 が不可 欠で あ る。 大阪 の近 鉄百貨 店 で行 わ れ る岡 山県 物 産 展 に も毎 年 参加 し、“能 登香 の里 小房 ”を宣伝 す ると とも に、 地区 の各 所 に道路 標 識 な ど を掲 げ て 来 村 者 の た めの環 境づ くり を行っ てい る。 文書 に よる呼 び かけ は予 算 の枠 もあ っ て、 県作 成 の パ ン フ に頼 っ てい る状 況で あ るが 、 幸い マ ス コミ により報 道 さ れ るこ とが多 く、 また視 察 者 (平 成4 年27 団 体547 人、 同5 年14団 体286人 、 同6 年23団 体355人) の口 コミ に よる部 分 も大 きい 。 他地 域 と の交流 を 進 め、 箕 面 市 との 姉妹 縁組 も行 って い る。 都市 か らの来 村 者 の期 待 に応 えて、 有 機野 菜 の栽 培や 、平 成4 年 度 か ら は「有 機無 農薬 農業 集団 産 地育 成事 業」 を導 入し て、 営 農 組合 の直 営 に よ る有機 無 農薬米 の生 産 に取 り組 んで い る。 同 時 に地 域で 収 穫さ れた 農産 物 を 素材 とし た 豆腐 、 コンニ ャク、 味噌 な ど の商品 化 に も力 を入 れ、 ヒ マ ワリ の実 や 山菜 な ど手づ くり産 物 の 製造 に つい て も検 討 を進 めて い る。 ま た組 合婦人 部 が 中心 とな り、地 域 に “花 いっ ぱい運 動 ” を展開 し 、小 房花 園 (休 耕 田 の活 用 ) に季 節 の花 を植 え、 道路 わ き に はヒマ ワ リ( フラン スの バレ ン タイ ン市 姉妹 縁 組で 譲 り受 け た種 子 ) を 植栽 し て い る。 ●運 営 上 の課 題 営 農組 合 の試 みに つい て は大 きく2 つ の課題 が指 摘で き る。 ひ とつ は経営 面で の課 題 で あ る。運 営 が委託 さ れてい る宿 泊施 設 な どか ら得 ら れる収 入 の一 部 は、 施 設 管理 の た めに交 代 で出 役 す る組合 員 に賃 金 とし て 支払 われ る。 し かし 現 在 まで の ところ 、 十分 な賃 金 が支 払 わ れてい る とは い えな い。「山 菜採 りや釣 りで遊 ぶ。田舎 の静 け さが 喜 ばれて 、繰 り返 し利 用 して く れ る来 訪 者 は増 えつ つ あ るが、 採算 ベ ース に乗 せ るの は難し い。」(地元 ヒ ア リン グ ) という。 維 持管 理 のた めに純 利 益 は思っ た ほど上 が らず、 来訪 者 が増 えれば今 度 はた ち まち 人 手 不

(16)

藤井 :中 山間地 域 にお け る集落 主体 の地域 運営 と グリ ーン ツー リ ズム 141 足 が 課 題 と な る 。 そ の 理 由 と し て は 、 イ )宿 泊 料 金 が 安 く (2500 円/ 日 ) 抑 え ら れ て お り 、 夏 場 の 宿 泊 客 数 は 多 い が 、 冬 場 に は 少 な く 、 年 間 を 通 し て み る と 、 低 料 金 で 十 分 な 利 益 を 生 み 出 せ る ほ ど の 宿 泊 客 数 を 確 保 で き て い な い こ と 、 ロ ) 収 入 の 大 部 分 が 電 気 ・ 水 道 ・ 燃 料 費 や 消 耗 品 の 買 い 替 え な ど の 維 持 管 理 費 と し て 消 え て い く こ と 、 が 指 摘 さ れ る 。 宿 泊 施 設 な ど の 管 理 は 、 農 家 の 婦 人 達 が 担 当 ・ 協 力 し て い る 。 宿 泊 客 が 夏 場 に 集 中 す る た め ( 表3 )、 そ の 時 期 は 大 変 忙 し く な る 。 し か も 夏 場 は 、 農 作 業 に と っ て も 忙 繁 期 で あ る 。 ま た 土 日 も 同 様 に 人 手 不 足 が 生 じ る 。 従 っ て 安 定 的 な 入 り 込 み 客 数 を 確 保 す る た め に 、 オ フ シ ー ズ ン の 集 客 努 力 や 一 度 利 用 し た 客 が 再 度 来 る よ う な 反 復 利 用 促 進 、 さ ら に は 、 広 告 ・ 宣 伝 な ど の 情 報 提 供 ネ ッ ト ワ ー ク を い か に し て 確 立 す る か が 課 題 と な っ て い る 。 表3 宿 泊 施 設 月別 利 用 状 況 (単位: 人) 年 度 4 月 5 月 6 月 7 月 8 月 9 月 10月 日 月 12月 1 月 2 月 3 月 4 99 129 51 176 331 87 138 41 55 45 88 87 5 109 94 90 184 333 SI 246 80 88 48 83 148 6 148 149 286 308 528 133 199 107 89 22 15 Ill い まひ とつ は、 宿泊形 態 のあ り方 に関 し て であ る。 現在民 家 を 改修 し た谷 本 屋 と研 修 宿泊 の能 登 香 の里 が あ るが、 谷本 屋 が手 作 りの サ ービ スで 、 少人 数 の収容 で あ る のに対し 、 能 登香 は擬民 家 風 で 、 調理、 娯 楽 サ ービ ス(カ ラ オヶ 等) に近代 的 な設備 が な さ れてお り、 団 体 の収 容が 可能 となっ て い る。 こ うし たあ る意 味で 対照 的 な宿 泊 形 態を どの よう に 方向 づ け るか は、 今後 の滞 在型 リゾ ー ト のあ り方 につ なが る課題 で あ ろ う。 4 。 小 括 ―農村 型 リゾ ー トの 課題 小房 で 農村 型 リゾ ート事 業 が 展開 さ れ た背景 には、 次の4 点 が 挙 げ ら れよう。 第一 に、 高齢化 ・ 兼 業化 が 進 む中で 、地区 の将 来 に対 す る危 機 意識 が共 有 さ れて いた こ と、第二 に、当 地区 で は転作 、 受 委託 、 機械 の共 同利 用、 オ ペレ ー タ ー の活用 な どに よっ て、 文字 どお り営 農 組合 に よる地 域 ぐる みの農業 経営 が展 開さ れ てい た が、 そ の組 合 を主 導す る数人 のり ーダ ーシ ップ の もとに 地域 の ま と まり が形成 さ れてい たこ と、 第三 に、 此 田 池 を中 心に自 然 地形 や 観光 資 源が あ り、 ま とま りや すい 「 ど んづ まり」 の囲 涜 さ れた集 落 で あっ た こ と、 そし て 第四 に 、 こう し た地元 の 意向 を 町行政 が 正 面 か ら受 け 止 めて施 策 を展 開し 、加 えて 時宜 をえ た県 の補 助 事業 のサ ポ ート があ った こ とで あ る。 「 現在 あ る資 源 を活 かした り ソ ート事 業 の 展開 は、自 ず から容 量 が 限 ら れてい る。ほ ど ほど に ゆっ く り進 めて い きたい 」 とリ ー ダー の ひ とりM 氏 は語っ てい た。 自然 の豊 かさに 魅 かれ て地 区へ の移 住 を検討 す る者 も現 れ た とい う。 中 山間 地 域で の こうし た試 みは、 い まだ地 域 の後継 者 とな る若 者 を引 き寄 せ る まで に は至 っ て い な い が、 地域 の将 来 に一 定の 基盤 を築 く可 能性 を有す る もの とい え よう。

(17)

142 国 際地 域学研 究 第2 号1999 年3 月 11−3 事 例3 集 落 によ る有 限 会社 の設 立 と農業 公園 の建 設 一三 郷町 「信貴 山の どか村 」1. 農業 公 園 の建設 と有限 会 社の 設立 (1) 地域 の 概要 と建 設・ 整備 の経緯 奈良 県三 郷町 はヽ大 阪府 との県 境 の山 麓 に位置し 、大 阪か ら は車 で30分 であ る。町全 体 で みる と、 周辺 諸 都 市 の住宅 地 とし てヽ 大 和 川沿 い の平 坦部 から丘 陵部 にか けて 開発 が すす み、人 口 は増加 し てい る。 し か しヽ 現 在農業 公 園 「 の どか村 」 の位 置 す る南畑 地 区 は、生 駒 山系 の高 地 にあ り、農 家 数52戸 、標高 約350 メート ル の 山間 の農 業集 落 で、都市 へ の通勤 可 能圏 域 に もかか わ ら ず、周辺 地 域 に 比 し て交 通 条件 が不 便 なた め に、 離村 な ど による 過疎化 が 進行 し てい た。 通作 道路 も未整 備 な狭 小 な 耕地 や 傾斜 地畑 を 抱 え、農 作 業 の機 械化 も困難 な 中で 、 耕作放 棄 地 が発生 し、 生 産 意欲 の低 下 や 兼業 化 の 進行 な どが課 題 となっ てい た。 そ もそ も「 の どか村 」 の開 発 は、 過疎化 を集 落 ぐ る みで く い止 める た めに、 雇用 の場 の 確保 など を目的 とし て起 こ し た もので あっ た。 昭 和61年 か ら、 農地 の拡大 等 農業 基盤 の整備 を目的 とし て、 県営 農地 開発 事業 が 広域 一 帯 で 実施 さ れる こ と になっ た。南 畑地 区 で も、事 業 に より造成 さ れる 農地 約40haの利 用 を巡 って 討議 を重 ね、 先 進 地 の見 学 や研 修 を行 って い る。 農産 物 価格 の停滞 、 後継 者 の不足 、 地区 外就 労 な どが 予想 さ れ る状況 下 に おい て 、 開発農 地 の将 来的 な可能 性が 問題 となっ てい た。 平 成4 年 に は、南 畑 地 区で も 事業 が実 施 さ れたが 、 そ の際、 集 落 が ま とまって 、農 地 を保 有し つ つ、 農業 公園 とし て 土 地 を企 業 組 織 に貸与 し て 新 たに事 業 をお こな うこ とになっ た。 そし て 全農 家52戸 の出資 によ り、 昭和62 年 農 業生 産 法 人 「農業 公 園 信貴 山 の どか村 」 を、 有 限会社 とし て 設立し てい る( 資本 金2 千8 百 万 円 )。 また、三 郷 町が 敷 地内 に建 設し た、レ スト ラ ン等の 公共施 設 の運 営 管理 を、「三 郷 町農 業 公 園信 貴 山 の ど か村 の 設置 及 び管 理 に関 す る条例 」 に基 づい て、 こ の有 限会 社 で受 託 し てい る。 な お、 広 域 農 地 開発 で 南畑 地 区 に造成 さ れ た農 地40haの事業 費 は、 農家 が2 割 負担(内 町が1 割 負担 )、 他 の1 割 は「 の どか村 」 が負 担し てい る。 の どか 村 の設 立 に至 る過 程 (表4 ) を み る と、 まず人 口 流 出対 策 とし て、 町で は昭 和46年 度 に 農 業振 興 の施 策 を打 ち出し てい る。 こ の整 備計 画が認 可 さ れる まで に は10年以 上 もかか っ てい る が 、 認 可 と同 時 期 に南畑 地 区が 農業 構 造改 善 事業 地 区に指定 さ れた(昭 和58年 )。 こ の時点 で 農業 公 園 の 基 礎調 査 が 、大 学研 究 者 グル ープ に より 実施 さ れてい る。 の どか村 開発 の直 接 の契 機 は、 上 記 の よう に 農地 開 発 事 業 に よ り 造 成 さ れ た農 地 の有 効 利 用 で あ っ たが 、 そ の計 画 は事業 が始 まる 少 な くと も3 年前 か ら、 行政 サ イド を中 心 に動 き出 し てい た も の と考 えら れる。実際 に 農業 公 園 の基 本計 画 が策定 さ れる の は、4年 後 の昭 和62年度 で あ るが 、その 間 に観 光振 興 計画 (昭 和60年 ) が策定 さ れ、 検討 が なさ れて い る。 (2) 農業 公 園「 の どか村 」 の 経緯 昭和63 年 から開 発 地 区にお い て、 圃場 ・ 園地 ・施設 の 整備 を 進 め、平 成4 年H 月 に、 入 園料 大 人500 円、小 人300円 で総 合 オ ープ ンし 、その後 もフラ ワ ーパ ー ク、鑑賞 温 室、ハ ープ 園、し ょう ぶ 園、 リ ン ゴ狩 り、 サ ツマ イ モ掘 りな ど の体 験学 習農 園、 木工 、 園芸 の体 験 館、レ スト ラ ン、 野 外 バ ーベ

(18)

藤井 :中 山間 地域 に おけ る集 落主 体 の地域 運営 とグリ ー ンツ ーリ ズム 表4 農業 公 園 「 の ど か 村 」 の 沿 革 143 年 度 内 容 昭 和46 年57 年58 年 か;;59 年60 年61 年62 年 μ63 年 平 成 元 年/;2 年3 年I)4 年5 年6 年7 年8 年 農 業 振 興 地 域 の 指 定 と整 備 計 画 を 樹 立 ( 三 郷 町 ) 農業 振 興 構 想策 定 ( 三 郷 町 ) 農業 振 興 地 域 整 備 計 画 認 可 (ft 水 省 ) 南 畑 集 落 農 業 構 造 改 善 事 業 の 指 定 ( 農 水 省 ) 農業 公 園 設 置 に つい て の 基 礎 調 査 を 京 都 大 学 農学 部 教 授6 名 の グ ル ープ に 委 託 (三 郷 町 ) 県 営 の 広 域 農 道 整 備 事 業 に 着 手 ( 奈良 県 ) 信 貴 山 、 高 安 山 地 域 観光 振 興 計 画 策 定 ( 三 郷 町観 光 協 会 ) 県 営 の 広 域 農 地 開 発 事 業 (西 和 広 域 ) に 着 手 (奈 良 県 ) 農業 公 園 整 備 基 本 計 画 策 定 ( 三 郷 町 ) 農業 生 産 法 人 「 農業 公 園 信貴 山 の ど か 村 」 が 、 有 限 会 社 と し て 地 元 農 家52 戸 の 出 資 に よ り 設 立 ( 南 畑 地 区 ) 農村 地 域 農 業 構 造 改 善 事 業 の 指 定 ( 農 水 省 ) ふ る さ と づ くり 特 別 対 策 事業 に 着 手 ( 三 郷 町 ) 農業 生 産 法 人 の 加 入 者 数 が 増 加 、 計60 名 とな る( 南 畑 地 区 ) 農業 農 村 活 性 化 農業 構 造 改 善 事業 に着 手 ( 三 郷 町 ) 県 営 農 地 開 発 事 業 「 南畑 地 区 」(40ha) 完 成/一 部4 年 度 ( 奈 良 県 ) 農業 農 村 活 性 化 農 業 構 造 改 善 事業 ふ る さ と づ くり 特 別 対 策 事 業 ( 三 郷 町 ) 体 験 農 園 等 の 整 備 事 業 農 業 公 園 「 の ど か村 」 総 合 オ ー プ ン 三 郷 町 「 農業 公 園 信 貴 山 の ど か 村 の設 置 及 び 管 理 に関 す る 条 例 」 に よ り、 町 が 設 置 し た 公 の 施 設 を 農業 生 産 法 人 ㈲ 農業 公 園 信 貴 山 の ど か 村 に 管 理 運 営 を 委 託 (三 郷 町 ) 炭 焼 バ ー ベ キュ ー ( ―棟lSO ㎡ 、160 人 収 容 ) 増 築 キ ャ ンプ 場 の 開 設 い ち ご、 ミ ニ ト マ ト 用 ビ ニ ー ル ハ ウ ス2 棟 新 設 平 成5 年 度 農 業 法 人 育 成 指 導 事業 い ち ご、 苗 床 用 ビ ニ ー ル ハ ウ ス1 棟 新 設 菖 蒲 園 専 用 臨 時 ゲ ート 新 設 特定 農業 法 人 に 認 定 さ れ る 朝日 農業 賞 奈 良 県 候 補 に 選 定 さ れ る キュ ーハ ウ ス、 アスレ チ ッ ク施 設 、 そ れ に集落 営 農 を行 う 生産 農場 な ど、 多 様 な施 設・ 農 園の整 備 を 行っ て き た。 平 成4 年度 の入 場目 標 は10万人 で あ っ たが、12月 末 まで に約9 万 人 が来 園し 、売 り上 げ 額 も約1 億5 千6 百 万 円 と、滑 り 出し は順 調 であ っ た。当 初 は7 人 の 専従 者 の ほか、1 日平 均26人 が農 園で の生 産 や接 客 サ ービ スに 従事し て い た。 報 酬 は携 わっ た労 働日 数 に応じ て支払 わ れる。 平成5 年 度 に は 施 設 の全 体 が ほぼ完成 し、 入 園者 も20万 人 と飛 躍 的 に拡大 し た (表5 )。 こ うし た 事業 展開 に は、 指 導力 を 発 揮 する リ ーダ ーの存 在 が不 可 欠 であ るが 、 の どか村 の建 設 に 表5 入場者数と売上額の推移 年 度 入 園 者 数 売 上 金 額 入園者1人当り消費金額 社員1 人当り売上金額 平 成4 年 度5 年6 年7 年8 年9 年 ( 目 標 ) 113,068 202,289 158,982 168,263 187,134 190,000 192,329,136 318,797,195 275,107,529 285,496,407 300,077,196 344,400,000 1,707 1,576 1,730 1,696 1,603 1,812 29,120 34,496 31,191 32,369 32,252 37,742 資 料 :「 農 業 公 園 信 貴 山 の ど か 村 第10 回 定 期 総 会 議 案 沓 」

参照

関連したドキュメント

山元 孝広(2012):福島-栃木地域における過去約30万年間のテフラの再記載と定量化 山元 孝広 (2013):栃木-茨城地域における過去約30

山元 孝広(2012):福島-栃木地域における過去約30万年間のテフラの再記載と定量化 山元 孝広 (2013):栃木-茨城地域における過去約30

日本においては,付随的審査制という大きな枠組みは,審査のタイミング

いわゆるメーガン法は1994年7月にニュー・ジャージー州で起きた当時7

D

① 農林水産業:各種の農林水産統計から、新潟県と本市(2000 年は合併前のため 10 市町 村)の 168

1アメリカにおける経営法学成立の基盤前述したように,経営法学の

C 近隣商業地域、商業地域、準⼯業地域、⼯業地域、これらに接する地先、水面 一般地域 60以下 50以下.