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1.日本の腎生理学の研究

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今井(司会) これまでの日本における腎臓研究 の回顧をするというテーマで,生理学,病理学,腎 炎,腎不全の 4 つの分野で座談会をして,それを日本 腎臓学会誌に掲載するということになりました。 本日は「日本の腎臓生理学の研究」を振り返ると いうことで,星先生,杉野先生,越川先生の 3 人の先 生にお越しいただきました。 皆さんもご存じのように,最近の分子生物学の進 歩によって,ヒューマンゲノムもほとんど完全に明 らかになったという状況のなかで,腎臓の研究その ものも非常に進展しております。 しかし,若い人が腎臓研究を始めるに当たって, これまでの古いことと言いますか,その基礎になっ ていることを一足飛びに飛び越してしまって,最先 端のことに手を付けるという傾向がなきにしもあら ずです。 そのため,研究のバックグラウンドがおろそかに なることも懸念されます。そこで,腎臓の研究の歴 史を振り返るとともに,これまでその歴史の真った だ中にいて活躍されてきた先生方のお話を記録にと どめておくことも,非常に重要ではないかというこ とで一連の座談会が企画されたわけです。 たまたま本年日本内科学会の 100 年を記念する行 事が行われ,日本内科学会誌が 100 年を回顧するな かで腎臓の研究を取りあげて,つい最近それが出版 されたわけです。それをみますと,今回の企画とか なり重複する部分がありますが,その重複をあえて 避けることはしないで,今日はそれなりに先生方の 特色を生かしながら,いろいろお話を伺いたいと思 います。 だいたい研究の進歩と申しますのは,方法論の進 歩と切っても切れない関係にあります。そこで,日 本腎臓学会の生理関連の仕事を,方法論の進歩と関 連づけながらお話を伺っていきたいと思います。

日本腎臓学会の創設をめぐって

今井 まず皮切りに,日本腎臓学会がどういう契 機で,どういうふうにして創設されたのだろうか。 その創設の時期と腎機能の研究がパラレルに行われ ていたというような話を私は耳にしているわけなの で,日本腎臓学会創設前後の経緯についてまずお話 を伺いたいと思います。 資料として日本腎臓学会誌の第 1 巻第 1 号と第 2 巻 第 1 号の表紙(図 1)がありますが,これを見ると第 1 巻第 1 号が 1959 年に出ていて,これが「the Japanese Journal of Renology」となっております。そして 1960年に第 2 巻第 1 号が出ております。これは「the Japanese Journal of Nephrology」となっていて,初 めて Nephrology という言葉が出てまいります。 そこで杉野先生あるいは越川先生もご存じだと思 いますが,日本腎臓学会が発足したきっかけと言い

今 井   正

自治医科大学薬理学副学長(司会)

杉 野 信 博

東京女子医科大学名誉教授 

星     猛

東京大学・東北大学・静岡県立大学名誉教授  於:日本腎臓学会事務局(2002 年 6 月 28 日)

越 川 昭 三

昭和大学藤が丘病院客員教授 

シリーズ/座談会:日本の腎臓研究を振り返る

1.日本の腎生理学の研究

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ますか,そのへんのことをお話しいただきたいと思 います。もともとは日本循環器学会に所属していて, そこから日本腎臓学会が分かれてきたということを 聞いているのですが。そのへんのことと,Renology から Nephrology に代わったのはなぜかということ を,お話しいただきたいのですが。 杉野 日本循環器学会から分かれるプロセスに関 しては諸誌に書かれているので省略しますが,ご承 知のように,日本腎臓学会の発足に際しては大島研 三先生,吉利和先生,上田泰先生,それから浅野誠 一先生の 4 人の方が主となって企画運営されたわけで す。そのときに学会名は日本腎臓学会という名前に するとして,横文字をどうするかということがいろ いろディスカッションされたことを思い出します。 大島先生は,その当時神経学会に Neurology とい うのがあったものですから,neuron に 相当するのは nephronだから,Nephrology がいいのではないかと, 最初から思っておられ,その議論のときに主張され たそうです。当時イギリスの教科書などに Renology という言葉がすでにあったので,おそらく発足のと きは委員の方々のなかで Renology と決められたと思 う の で す 。 そ れ が 2 巻 目 ま で の 間 に , や は り Nephrologyのほうがよいというふうに主張されたの は,初代の理事長の大島先生だったと思います。そ れで以後,「the Japanese Society of Nephrology」と いうことになったと記憶しています。 今井 Nephrologyという言葉は日本で造ったとい うことになるわけですね。その Nephrology という言 葉が出たのは 1960 年なのですけれども,「American Society of Nephrology」 ができたのが 1968 年ですか ら,それより 8 年先行しているわけです。そのよう な早い時期に学会をつくったということ自体もすご く先進的なことでありますが,言葉そのものも日本 が造って,それを世界が踏襲しているということで, まさに言葉のうえでも日本が誇るべき業績の一つで はないかと思います。

クリアランス法

今井 これから研究の話に入っていきたいと思う のですが,先ほど杉野先生がおっしゃった上田先生 とか吉利先生,浅野先生,それから大島先生を含め て , 主 と し て 腎 機 能 の 研 究 が ベ ー ス に な っ て Nephrologyと言いますか,腎臓学会ができたという 図 1 日本腎臓学会誌 Vol.1(1)と Vol.2(1)の目次 Vol.2(1)で Nephrology という用語が初めて使われた。

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ことを私どもは聞いておりますが,そのへんはいか がなんでしょうか。例えばクリアランスの概念とか, そういうものを持ち込んで,日本で臨床研究を始め たというのも,その頃なんでしょうか。 杉野 まだ東大の第 2 内科におられた頃,大島先 生を中心とした腎臓研究グループが,当時は金子好 宏先生がご一緒で,動物,主にイヌとかラットでク リアランスを研究されて,それを臨床に使われたの が,日本では最初ではないかと思いますが。越川先 生何かございますか。 越川 そのとおりだと思います。私がインターン のときに,昭和 27 年ですが,第 1 内科を回りました。 そのときに盛んにクリアランスを研究されていまし た。私の指導医師がたまたま吉利先生の研究室の先 生だったものですから,毎週のようにクリアランス をやらされました。 星 その指導者は何という先生ですか。 越川 高橋政夫先生です。その頃のクリアランス は非常にオーソドックスな方法で,まず水を 1l 飲ま せ,尿道にカテーテルを入れる。PAH(バラアミノ馬 尿酸)とチオ硫酸ソーダを点滴して血中濃度が一定に 達した頃に 30 分毎に 2 回採尿と採血をするという方 法でした。このとき使っていた GFR 物質はすでにチ オ硫酸ソーダでした。今,杉野先生のお話に出た大 島先生と金子先生が,イヌリンの代わりにチオ硫酸 ソーダを使う方法を,その前の年に発表されて,第 1 内科でもそれを採用し始めた頃だったようです。 研究室で先生方が話しているのを聞くと,その前 の年までイヌリンを使っていたらしいのです。イヌ リンのときは苦労したよという話をよく聞きました。 ですから,クリアランスの測定は昭和 24 ∼ 25 年頃に 始まり,昭和 26 ∼ 27 年あたりからチオ硫酸ソーダに よる GFR 測定に代わったのではないかと思います。 今井 いまイヌリンの話が出ましたが,イヌリン はたしかに理想的なマーカーなのですね。最近,腎 臓学会でも折田先生を中心にしてイヌリンを GFR の マーカーとして使うことが検討されているのですけ れども,その頃イヌリンで苦労したというのは,結 局どういうことなんでしょうか。 越川 私の聞いたのではイヌリンの測定に苦労し たようです。安定した値が出ないということでした。 今井 私が動物実験でイヌリンを使ったときに苦 労したのは,イヌリンの濃度をすごく高くしないと いけないということです。それでイヌリンの溶解度 がものすごく低くて,臨床に使うとなると,例えば 冷蔵庫に保存しておくと沈殿してしまう。それを注 射すると非常に怖いのではないかという印象を私は 持っていたのです。 最近それが製剤的にも安全性が確保されて,それ でまたイヌリンに戻ってきた。それと,いま越川先 生がおっしゃったように,測定法も簡便かつ正確に なってきたということもあると思います。ですから, ずーっと長い歴史の間で,臨床的にはチオ硫酸ソー ダがマーカーとして使われたということですね。 杉野 いまお話のチオ硫酸ソーダとか,PAH が日 本全国の腎臓関係の施設に普及するために,第一製 薬の子会社の第一化学という会社が,検査試薬を市 販し出して,多くの病院が購入して使いましたが, 非常に便利でした。最初のうちは自分で溶液を作り, 病院の薬局で消毒していたものですから。

ストップフロー法

今井 というわけで腎臓学会の発足の頃から腎機 能ということで,臨床的な研究も盛んに行われたわ けですね。 次に,最初に方法論ということを申しましたけれ ども,クリアランスのあとに出てきたのが,ストッ 今井 正 先生

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プフローという方法論だと思います。 実は日本腎臓学会誌第 1 巻第 1 号を見てびっくりし たのですが,越川先生が,ストップフロー法を使っ て利尿薬の作用を研究した,すばらしい大論文が掲 載されているのです(図 2)。 不勉強で今回文献を探してみて初めて,越川先生 のすばらしい研究が第 1 巻第 1 号のトップを飾ってい るのを知りました。 越川先生はそれ以外にいろいろと日本の臨床にお ける腎機能の研究のリーダーシップを取ってこられ たし,またあとでいろいろお話が出ると思いますが, 多くの優れた研究者を育ててこられました。越川先 生は非常に謙虚な方で,ご自分では腎生理は関係な いようなことをおっしゃいましたが,とんでもない 話で,この論文を拝見すると非常に先進的な研究な のです。 そこでこのストップフロー法にかかわる研究のご 苦労話を越川先生にお伺いしたいのですが。 越川 ストップフローというと生理の先生方は, Solomon達が研究していた単一ネフロンのストップ フローをきっと思い浮かべるだろうと思うのですが, 私が行いましたのは whole kidney を使ったストップ フロー法です。腎臓全体の尿流を一時的にストップ して,尿細管の中の液の再吸収分泌が平衡に達した 頃を見計らって尿流を再開するという方法です。実 際にはまず,片側の尿管を露出しておいて,カテー テルを入れておく。そしてマニトールで利尿を付け て,だいたい 1 分に 15ml ぐらい出るようになったと ころで,尿管をクランプする。 今井 それはイヌですね。 越川 そうです。尿量が 15ml ぐらい出るようにな ったところで,尿管をクランプして 5 分ぐらいおき ます。クランプを開くとすごい勢いで尿が出てくる。 それを 1 ml ずつぐらい小さな試験管に採っていくと, だいたい 1 分で 20 本ぐらいのサンプルが採れます。 その 20 本ぐらいのサンプルについて,電解質とかア ンモニア,total CO2, PHなど,あらかじめ PAH を点 滴静注していますので,その PAH も各サンプルで測 定します。そうすると各サンプルが出てきた順番に distal, proximal というように,どこで何が再吸収さ れ,何が分泌されているかがわかる。そうしますと, 例えば利尿薬が尿細管のどこに働いているだろうと か,薬剤がどこから分泌されているだろうとか,そ ういったことがわかるという方法です。 こんな方法で本当に尿細管の部位がわかるのかと いうことがいちばん問題になります。ご承知のよう に尿細管というのは長さが一定ではありません。非 常にばらばらですし,また proximal の液はいったん 図 2 ストップフロー法によるアセタゾラミドの作用部 位の検討(越川昭三. 日腎会誌 1959;1 : 28-48.) 杉野信博 先生

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distalを通って出てくるわけですから,distal での修 飾を受けているということもあります。それからフ ローを止めている間も再吸収が続いていますから, GFRも続いているわけです。こういうことですから, 正確とは到底言えない。しかし,尿流が速いためも あって,proximal の液もあまり大きな修飾を受けず に出てきますので,distal のアンモニア分泌の山はも ちろん,proximal の PAH の山も,しっかり見ること ができます。 マイクロパンクチャーというと,先ほど言いまし たように,生理学の先生方がやられているわけです が,それをするには特別な装置と高価な微量測定が 必要です。ところが,ストップフロー法は,誰でも できると言いますか,特別な装置がなくてもできる というので,その頃は poor-man’s micropuncture と 言われました。要するにあまりお金をかけなくても できるということで,そういう悪口を言う人もいた わけです。しかし,作用部位がわかるという意味で はかなり有用といえます。Pitts の生理の本にも何カ 所かにストップフロー法の成績が記載されています。 私は利尿薬が尿細管のどこにどういうふうに作用 するかということにこの方法を使ったわけです。ス トップフロー法が発表されたのが 1958 年の AJP です。 その前の年にクロロサイアザイドができました。そ れまでは水銀利尿剤とアセタゾラミドしかありませ んでしたが,新しい利尿剤ができたというので,そ れじゃストップフロー法でこの 3 つの利尿剤の作用の 特徴を確かめようというので,行ったのです。 今井 サイアザイドでストップフロー法を行った というのは初めてですか。 越川 そういうことになります。先ほど,4 先生 が集まって日本腎臓学会を創設したというお話が出 ましたが,このストップフロー法の成績は,実は昭 和 33 年の秋に香港でメルク主催のクロロサイアザイ ドの国際シンポジウムがあり,そのシンポジウムに 吉利先生が発表するデータを作ろうというのでやっ た仕事です。このシンポジウムのときに先ほどの 4 先生が香港で,いよいよ日本腎臓学会の独立を決行 しようという最終決定を話し合ったと聞いています。 今井 そのとき集まって,4 人で決起集会を開いた という話ですね。 越川 そう伺っています。そのシンポジウムに発 表したのが,このストップフロー法なのです。吉利 先生がご発表になりました。 杉野 その当時,日本では循環器学会に腎臓は入 っていましたが,循環器学会の理事長に京大の前川 孫二郎先生がおられました。そして大島先生は腎臓 学会の分派活動をすることを非常に気にしておられ たのですが,前川先生は非常にスケールの大きな方 で,決して妨害しないで,むしろプロモートしてく ださった。そういう点を大島先生は前川先生に大変 に感謝しておられます 今井 ストップフロー法の論文をみますと,現在 の知識とだいたい同じで,ストップフロー法の限界 を越川先生はご存じですから,近位側のほうはそこ そこに意味付けは難しいということをおっしゃって います。例えばアセタゾラミド(ダイアモックス) も主に近位尿細管に働くのではないかということを, この時代にすでに出しています。遠位側の情報のほ うがわかりやすいのですが,遠位側での作用ははっ きりしなくて,むしろ,近位側の可能性があるとい うことを報告していますね。 越川 その頃,酸 – 塩基平衡の研究がまだ初期の 頃でしたから,サンプルの pH, CO2,アンモニアは必 ず測ることにしました。こういう酸 – 塩基平衡のパ ラメーターの動きがいちばんはっきり出るのがダイ アモックスです。proximal でも distal でも,pH は上 がりますし,distal のアンモニア分泌は抑えられる。 total CO2はむしろ proximal のほうでたくさん出てき 星 猛 先生

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ています。 水銀利尿剤のザリルガンではこういう変化はほと んど出ていません。クロロサイアザイドはその中間 というようなデータです。 今井 それは現在の知識でもそのとおりという, 見事なデータです。それから測定するパラメーター も非常に多岐にわたって pH,CO2,ナトリウム,ク ロライドと,それぞれ測っておられる。それは本当 にすばらしいと思います。 越川 本当はループ利尿剤とか,カリウム保持性 の利尿剤とか,アミロライドとかを。 今井 それはまだ出てなかったのですか。 越川 出ていませんでした。それらが出てきたの は 1960 年代に入ってからです。そういうものもやっ ておくべきであったと思うのですが,その頃には他 の仕事を始めてしまっていました。ストップフロー 法も案外手がかかるのです。コントロールで 20 本の サンプル,利尿剤投与時で 20 本と計 40 本の検体が出 ます。CO2や NH4は時間をおくと変化してしまいま すから,手早く処理する必要があります。というこ とで,ループ利尿剤もアミロライドもできませんで した。 今井 クリアランスによって GFR, RPF,それをも とに尿細管再吸収,あるいは尿細管分泌などがわか ってきた時代に,限界はあるにしても,ストップフ ロー法でさらにネフロンレベルまで,ある程度のと ころが細かくわかってきたということですね。 これは余談になりますが,私もストップフロー法 を学生と一緒にやったことがあります。フロセミド の作用と,それにプロスタグランジンの合成阻害薬 を併用するとどうなるかという研究をイヌを使って 行ったことがあります。それでもある程度のきれい なデータが出て,ループ利尿薬の作用が,インドメ サシンを併用すると抑えられるということがわかっ た。そういうことで,ストップフロー法も使い方に よっては現在でも役に立つのではないかと思います。 もう一つ余談になりますが,その頃人間でストッ プフロー法を試みた人がいるのです。いまそれをや ったら倫理問題になるかと思います。要するに尿管 を圧迫してフローを止めるわけです。その間マニト ールを静注する。そのときにサンドバッグみたいな ものを腰に当てて,外から腰を締めて,尿管を圧迫 し,ストップフロー法を行うという試みが外国であ ったのです。その後,普及しなかったところをみる と,人間ではちょっと無理かなという気がしますね。 そういうことで,そういう時代に越川先生は本当に すばらしい研究をされたと思います。

マイクロパンクチャー法

今井 次に方法論の発展からいきますと,マイク ロパンクチャーという方法論ができました。これは もちろん人間ではできません。動物を使ってマイク ロパンクチャーをやるという方法が発展してきまし た。それによって腎生理もかなり進歩したというわ けです。 このマイクロパンクチャー法を日本でやられた数 少ない人がいるわけですが。これは杉野先生とか星 先生がアメリカに行って,そのテクニックを身に付 けて,日本でその方法をさらに進めたということを 伺っていますので,そのへんのいきさつを話し合い たいと思います。 まず杉野先生お願いします。

杉野 私が Harvard 大学の Biophysics の Solomon 教授のところに留学したのが 1959 年の春 3 月です。 それから約 2 年間トレーニングを受けたわけです。当 時このラボでマイクロパンクチャー法を両棲類で行 っていました。有名な Giebiseh と Windhager とか, 皆前後して一緒でした。日本からは吉村寿人先生(京 越川昭三先生

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都府立医科大学),もうお亡くなりですが,あの方も 約 1 年間行っておられたのです。 私が行ったときは,もうマイクロパンクチャー法 を始めて 3 ∼ 4 年ぐらい経っていた頃なものですか ら,いろんなセットアップが全部できていて,着い た日からすぐ手伝わされました。もっぱらシングル ネフロンのストップフロー・パーフュージョン・テ クニック,要するにオイルでもって尿細管をブロッ クして,そこの間に一定のパーフュージョン・フル イドを入れて,それを時間を追って吸収を見て測定 した。そしてマイクロ電極とか,マイクロオスモメ ーターとか,超微量のサンプルを測定することがで きました。対象は Necturus という両棲類を使ってい ました。 この教室のマイクロパンクチャー法の始まりは, 私の聞いているところでは,フィラデルフィアの Bottという女性の先生がそのテクニックの元祖らし いのです。その弟子として,ドイツの Wirz とか, Giebischたちが習いに来ていたという話を聞きまし た。 今井 カウンターカレントで有名な Wirz ですか。 杉野 そうです。濃縮力のですね。 星 Richardsのグループが最初に始めたようです ね。 杉野 Bott は Richards の共同研究者でしたね。 星 Richards 一派ですね,これは。 今井 教科書的には Richards がマイクロパンクチ ャー法を始めたように書いてありますね。 杉 野 当 時 私 が 行 っ た 頃 は 米 国 の 良 き 時 代 で , NIHのグラントを海外にもくれた時代なので,私は 帰るときに Solomon 教授の斡旋で 3 年分のグラント (HE6495)をもらって,日大の地下研究室を借りて そのお金でマイクロパンクチャー法のセットアップ ができました。 今井 そういうことがあったのですか。 杉野 それができた時代なのです。 星 それは貴重でしたね,あの時代はものすごく。 今井 NIHのグラントと言ったらかなり大きなグ ラントですね。日本の予算規模から言ったら,かな り大きい。 杉野 NIHから毎年研究報告書を出され,チェッ クを受け,また隔年に係官が来日し審査を受けまし た。 今井 星先生はマイクロパンクチャー法はどこで 習って,研究に利用されたのですか。 星 僕の場合はネフロンのマイクロパンクチャー 法はあまりやっていないのです。アメリカでは,尿 素の腎内処理を主に研究しました。そのほか,共同 実験で,むしろ純生物学的な問題について実験をい くつかやったのです。その一つはアミーバーについ てですが,あれは淡水に棲んでいるのですが,細胞 の中はかなり高張なのです。ところが水はどんどん 細胞内に入ってくるのです。その水を出さないとい けない。実際にその水をエネルギーを使って汲み出 している。その機構をアメリカでやっていたのです。 ですからマイクロパンクチャー法と言っても,ア ミーバーの細胞内液胞を突っついていた。ただ,数 nlの微量液の浸透圧や電解質の微量測定技術につい ていろいろ学びました。 今井 杉野先生に話を戻しますが,先生はマイク ロパンクチャー法をやった後,Solomon 教授のあと Edelman教授のところに行かれたのですが,その前 にたしかチャペルヒルに行っているのですね。 杉野 日本で NIH のグラントをもらっている間に, furosemideとか,いろんな情報が出てきて,あるい は濃縮力が非常に重要になってきた。そうすると両 棲類で実験しているのではそれができないと言いま すか,濃縮力がないですから。これはどうしても哺 乳類でやりたいと思って,たまたま以前一緒だった Giebischや Windhager が Cornnell 大学の Pitts 教授の ところへ移って,そこでラットでマイクロパンクチ ャーをやったものですから,そこへ 1 年間習いに行 きました。そこでマイクロパンクチャー法でラット の近位尿細管と遠位尿細管 proximal と distal のサン プルを取る技術を習いました。それをまた日本に帰 って少し続けました。 今井 酒井文徳先生とアメリカで会ったのはその 頃ですね。 杉野 そうです。そのときにチャペルヒル,North Carolina大学の Gottschalk 教授の教室で同様に哺乳 類 の マ イ ク ロ パ ン ク チ ャ ー 法 を や っ て い た の で , Giebischの紹介で行きました。そこでたまたま酒井 教授とか,星教授とお会いして,3 人でいろいろ楽し い思いをしました。また,同教室にはドイツより

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Thurau, Gertz両氏が客員教授で来ていて,知己とな りました。 今井 星先生の先ほど言われたアミーバーの話は その頃やっていたのですね。それが 1960 何年ですか。 星 1963 年ぐらいです。 今井 資料をもとに,酒井文徳先生の話を少しし ようと思うのです。 1960年代,対向流系の理論が提唱され,ドイツの Ulrichのグループ,Windhager のグループ,それから Berlinerなど,いくつかのグループが腎の髄質機能を やった。マイクロパンクチャーは表面からみえる尿 細管を刺すわけで,表面のことはそれである程度わ かりますが,腎の髄質にチャレンジしなければ尿の 濃縮機構はわからないということで,いかにして髄 質のマイクロパンクチャーをするかという,そうい う時代だったと思うのです。 その当時は腎の髄質のパンクチャーというのは砂 漠のスナネズミ,psamomys という動物がいますが, それは非常に髄質乳頭が長くて,腎盂を開くと乳頭 部の先端が見える。幼若なハムスターでもみえる。 そういう動物を用いて辛うじて 1mm ぐらい露出し た乳頭部をパンクチャーするという仕事を,彼らは していたわけです。 酒井文徳先生はアメリカに行かれて,ラットなど で も っ と 上 の ほ う が 見 ら れ な い か と い う こ と で , NIHの Berliner のところに行って開発したのが,有 名な酒井法と呼ばれているものです。図 3 に示すよ うな 2 段構えの方法です。 まず腎皮質部の横に窓をあける。そして腎の髄質 がのぞけるような格好にする。その間出血しますか ら,組織の接着材で接着をして出血を止める。その 間腎髄質乳頭部をつまみ出して,ひっくり返して, 反対側の乳頭部を露出させる。そしてそのまま 1 回 閉じて,傷が治ったところで,またお腹を開いてそ の反転している腎乳頭部をマイクロパンクチャーす る。 これはすばらしいアイデアで,腎髄質の長い部分 をパンクチャーできるという意味で画期的な方法だ ったのです。それを酒井先生がアメリカにいる間に Berlinerのところで開発した。その頃杉野先生は酒井 先生とお会いしたのですね。 杉野 そうです。それで日本に帰って 3 人で腎生 理集談会みたいなものを,定期的にやろうじゃない か,と相談して,帰国してから越川先生や本田西男 先生たちに呼びかけて,スタートできたわけです。 その発足時の運営には,中山書店にお世話になりま した。 今井 それが日本の腎生理学の基礎と言いますか, スタートになったわけですね。 杉野 昔の物語です。 今井 非常に面白い話を伺いました。

尿細管の電気生理学的研究

今井 今度は星先生にお話をいただきたいと思う のですが,星先生の代表的な 2 つの論文を紹介したい と 思 い ま す 。 星 先 生 は い ろ い ろ 仕 事 を な さ っ て , Robert Pitt賞を受賞されていますが,その受賞の理 由となったのが,この 2 つの論文であったと私は理解 しているのです。 1つの論文は,細胞間短絡路が生理的に近位尿細管 で,非常に重要であるという論文です。これは世界 に先駆けて明らかにしたすばらしい論文だと思いま す。あと 1 つのほうは,グルコースとナトリウムの共 図 3 酒井の腎乳頭部反転露出法

(Sakai F, Jamison RL, Berliner RW. Am J Physiol 1965; 209:663-8.

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輸送,その後アミノ酸についてもいろいろ研究され ていますが,その共輸送を電気生理学的に見事に証 明された。そういう 2 つ論文です。 この論文を中心にして,星先生にその前後の裏話 を含めていろいろお伺いしたいのです。まず細胞間 短絡路の仕事ですが,これは先ほどの酒井先生と共 同研究をされたわけですが,それはどういう状況で, どういうアイデアで行われたのですか。そのへんを 伺いたいのですが。 星 酒井先生と共同研究をするようになった,そ の理由をお話し申し上げますが,私どもはちょうど 同じ頃東大の助教授になったのです。酒井先生は薬 理で,私は生理の助教授になったのですが,教授会 のときいつも末席のいちばん端っこのほうで,2 人座 ってぼそぼそといろいろな話をしていて,2 人とも腎 臓に非常に興味があるということを,お互いに了解 し合ったのです。それでせっかく隣の教室にいるの だから,何か共同研究をしようという話になったの です。 当時の腎臓生理の状況というのは,いままでの話 にもありましたが,Pitt の有名なモノグラフのなかに も書いてありますが,要するに腎臓は何をする臓器 であるかということは,だいたいわかっていたわけ です。クリアランス法で Homer Smith 一派がものす ごく広範な仕事をして,その成果をまとめた Homer Smithの著書は,当時は聖典みたいな,バイブルみた いなものでした。そして,腎臓は複雑ですが,どの 部分で何が行われるかということも,おおよそわか っておりました。基本的に糸球体での濾過と尿細管 での再吸収で,そしてものによっては分泌がかかわ って尿として出てくるということは,おおよそわか っておりました。何を(what)し,どこで(where)やる かということはわかっておりましたが,しかし,腎 臓の機能は非常に複雑で,その機能がいかにして (how),どのような機序で行われるかということは, まだその当時は全然知識はなかったのです。 それで酒井先生といろいろお話しして,どうせ一 緒にはじめるのなら,誰も研究していないことをや ろうではないかというのが,まず第 1 点でした。 第 2 点は,いまミクロのテクニックの話がいろい ろ出ましたが,腎臓というのは大変複雑な臓器です し,生きた状態でいろいろ基本的な機能に関する情 報を取らないといけない。それにはいままでにない ようなミクロのテクニックを導入しないといけない ということです。ちょうどその頃,たしか 1953 年に 導入された Ring-Gerard の細胞内微小電極法という方 法が普及してきたのです。それをフルに活用する方 法はないだろうかというので,2 人で相談して始めよ うとしたのですが,哺乳動物のネフロンを出したら すぐ駄目になって使えない。 今井 ラットではやってみたのですか。 星 ラットですね。非常に難しくて,テクニック がわれわれにはなかった。それで酒井先生は「良い 材料がこの世の中にある,天の恵みだ」と言って, イモリを持ってこられたのです。これがまたすばら しいのです。 今井 イモリを見つけられたのは,どういうきっ かけなのですか。 星 酒井先生は Richard の仕事を非常に高く買って いて,ああいうふうな仕事をやりたい,それには土 管のような太いネフロンでないととてもできないと いうので,いろいろ比較検討しているうちに,日本 のイモリ(Triturus)がそれに匹敵するということを彼 は発見したのです。それ以来彼は大変イモリを愛し ましてね,寝ても覚めてもイモリだったのです。 今井 酒井先生のお話を生前にいろいろお聞きし たときに,やっぱり糸球体を研究したかったという ことで,糸球体のいちばん大きい動物を片っ端から 探したというのです。そして両棲類の糸球体は大き いということがわかった。いちばん大きいのはアト リという鳥ですかね,それがいちばん大きいという 話を聞きました。 星 あの方は非常に精力的に,ほうぼうに行って 調べられるのです。 今井 必死になってあっちこっちに行って,あり とあらゆる動物の糸球体を調べられたということの ようですね。 星 酒井先生の一つの特徴は,そういう探検性で す。第 2 番目はものすごい技術家だということです。 細かな技術がうまくて,人の気が付かないような大 変難しい物事をやってのける。私もその点を大変に 敬服している一人です。 それで少し話を先に進めますと,いかに(how) やるかというときに,まず細胞から基本的情報を取

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らなければいけないのですが,これには超微小の技 術を使わざるを得ない。それでいちばん最初にやっ たのは,まず腎細胞も機能を営んでいるわけですけ れども,ちょうどその頃は細胞生理学が次第に確立 されてきた時期なのです。つまり細胞というのは, 細胞膜に囲まれていて,Na+-K+ポンプで中のイオン 組成を維持している。そのことが基本であるという ことがだんだんわかってきた。それじゃ腎臓の細胞 はいったいどういう基本的性質をもっているのだと いうことでやったのが,最初の仕事なのです。それ はここにはありませんが,文献には引用していると 思いますが,酒井先生との最初の仕事はそれなので す。ドイツ語で発表したものです。 今井 Jpn J Pharmacol 1961;11:65. の論文ですね。 星 そ れ で す 。「 Membranpotential an der Nielentubuli des Triturus pyrrhogaster」という論文 です。その結果を要約しますと,腎臓の細胞という のは,一般の興奮性細胞,筋とか神経とかと,基本 的な細胞電位やその性質は全く違わない。全く同じ なのです。そういうことがわかったのです。細胞の イオン透過性はカリウムだけで,その点も神経とか 筋と変わらない。 しかし,Solomon の研究室から出ている論文をみ ますと,近位尿細管というのは,イオンをすかすか 通す性質を持っていて,管内にトレーサーを入れて 観察すると,30 秒位のハーフタイムで内外が平衡に 達するくらい速やかに置き換わる。その論文には漏 洩性(leaky)だと表現してある。 われわれとしては,近位尿細管は物質輸送が機能 ですから,その物質輸送機能を調べるには,まず透 過性をきちっと調べていかなければいけない。それ で,透過性が調べられる方法を考えなければいけな いというのが,次のステップだったのです。 いったい近位尿細管は本当に漏洩性(leaky)でい ろいろなイオンを簡単にすかすか通すのだろうかと いうのが,最初の疑問でした。しかし,細胞電位の 性質を調べてみると,どうもそうではないらしい。 筋や神経細胞と共通した一般的な性質を備えている わけです。それで次に,それではどうして leaky なの だろうということを明らかにしようとしたのです。 私はその仕事を始める前に,心筋で仕事をしてい ましたので,電気生理学を相当やってきました。そ のテクニックを腎臓に応用してみようということで, 行ったのがこの 1 番目の仕事で,われわれ自身も実 は驚いたのです(図 4)。これは,神経と同じようにネ フロンの 1 カ所に微小電極を介して微小な電流を注 入すると,その影響が非常に遠くまで及ぶことを示 したものです。400Òm のところまで及んでいます。 ですから,いったいこれは何だろうということにな ったのです。 今井 それは距離が遠いほど抵抗が大きいという ことなのですか。 星 神経の場合ですと表面の膜抵抗が大きく,内 漿の抵抗が小さいと遠くまで及びます。これを解析 するためには,神経はケーブルセオリーという学説 があって,それを応用して解析します。海底ケーブ ルでどこまで信号が到達するかを計算するものです から,神経では非常に簡単なのですが,腎臓の場合 は構造が複雑で大変なのです。 それで平板モデルというのを考えました。図 5 に あるように,開いてその 1 カ所に電流を流したときに, どういうふうにして電流が遠くに及んでいるか,そ してそのときの膜抵抗と内漿の抵抗との関係がどう なっているのだろうかということを考えて,いろい 図 4 イモリの近位尿細管細胞に 6 × 10-7A 電流を投入した 場合に,距離をおいた他の電極の電位変化 電位が半減する距離はおよそ 400Òm であり,膜抵抗が大き いことを示す.(Hoshi T, Sakai F. Jpn J Physiol 1967; 17:627-37.)

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ろ調べたのです。そうすると,膜抵抗が非常に大き いのです。それがわかった。膜抵抗はこの論文にも 書いてあると思いますが,われわれのモデルが正し いかどうかは,まだ若干の問題はあるのですが,と にかく第 1 近似としてこういうモデルを使っていろい ろ計算してみたところが,あんまり神経の膜の抵抗 と変わらない,830 Ω cm2という値が得られました。 もし腎臓のネフロンというのが,そういう大きい 抵抗の膜で,均質に覆われているとしたら,管腔側 膜と基底側膜と両方ありますから,管腔内の 1 カ所に 注入した電流は,はるか遠くにまで及ぶ。 ところが実際に管内に電流を注入して管内の電位 を測ってみると,あっという間に,その下の B とい うのがそうなんですが,滅衰してしまい記録されな いのです(図 6)。これはおかしい。つまり全体は一様 の膜で覆われているのではない。そのときは本態は わからなかったのですが,細胞外のシャントと言っ てみたのですけれども,何か短絡通路があって,そ の細胞外通路でシャントされているのだろう,そこ を通ってイオンが自由に流れているのだろうという, そういう結論なのです。 それが本当にパラセルラーだということをはっき り同定したのは,実は Frömter です。彼は胆嚢上皮 を開いて非常に巧妙な方法で,細胞間間隙であるこ とを同定したのです。 今井 その頃は先生はパラセルラーというイメー ジはなかったのですか。細胞外であるということは あるが,細胞がくっ付いているという・・・。 星 その可能性は考えましたが,そこだとはまだ はっきり言えませんでした。それで,いったいそれ は何だろうということで,実は慈恵医大解剖の吉村 先生が腎臓細胞の電顕のことを非常によく研究して おられたので,先生のところに,細胞内を貫通して いるような管は細胞内にあるのかどうかを聞きに行 ったのです。 今井 そういう管を想定してですね。 星 そうするとやはりあるのです,電子顕微鏡で 見ると。最初はそれかと思っていたのです。酒井先 生もきっとそれだろうという話でした。 今井 近位尿細管には,基底側の陥凹と言って深 く細胞内に入り込んでいる管構造が多数みられます。 星 そのほかに細胞内には細管構造が多く見られ ますが,よく見ると,そういうのはみんなつながっ ているようにも見えるのです。 今井 それが一見上までつながっているように見 えることもありますね。 星 そうなんです。しかし,どうもそれではない らしいということがわかってきたのです。そうこう しているうちに,今度は小腸でも細胞間短絡路とい うものがわかってきて,シャントの抵抗が小腸でも だいたい 100 Ω cm2ぐらいなのです。われわれが予想 していたのが 100 Ω cm2なのです。膜抵抗は 800 Ω cm2ですが,その 1/8 という抵抗なのです。そのこと はグルコースの論文に記載されています.グルコー ス誘発管腔電位と膜電位変化からサーキット・アナ リシスというのを行っている。これでいろいろ検討 していきますと,膜抵抗 836 Ω cm2として計算してみ ると,管の抵抗はだいたい 100 Ω cm2ぐらいなのです。 小腸のパラセルラーの比抵抗とだいたい同じなので す。それで杉野先生一派がご覧になったような,あ あいうイオンが leaky というのは,細胞外短絡路を通 っているのだろうという考えに,だんだん移ってき たわけです。 図 6 細胞内に投入した電流による電圧の減衰(A)と尿 細管腔に投入した電流による電圧の減衰(B)との 違い B は減衰が速く,抵抗が小さいことを示す. (Hoshi T, Sakai F. Jpn J Physiol 1967;17:627-37.) 図 5 電位変化を解析するために尿細管を切り開いて平板

にしたと仮定したモデル

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今井 先ほどの胆嚢上皮の仕事は,昔「Science」 に掲載されたのでしょうか。 星 はい,「Science」に載りました。 今井 論文を読んでびっくりしました。胆嚢上皮 の表面を電極で細胞 1 個のうえをなぞっていくのです ね。 星 スキャンするのです。 今井 そうするとちょうど細胞と細胞の境のとこ ろで,ぼーんと抵抗が落ちる。それで細胞と細胞の 間隙がリークするところだというのを見事に出した。 これには感激した覚えがあります。すばらしいです ね。 星 それから,細胞の電気生理学的な特性,基礎 的な状態というのをきちっと確かめたうえで,それ ではイオンを輸送するときに,いったいどういう情 報が得られるかという研究が,2 番目の論文です。ま ず代表としてグルコースをやってみると,やっぱり 予想した通り管腔内に注入すると顕著な脱分極が起 こるのです(図 7)。 今井 グルコースをやったときに,その前の状態 ではクリアランス法とか,ストップフロー法とかで, グルコースが近位尿細管でほとんど完全に再吸収さ れるということがわかっていたわけですね。 星 それはよく知られていました。 今井 ただ,Na+依存性というか,細かなメカニズ ムは知られていなかったわけですね。 星 そうです。 今井 それを先生は,どうして起こると考えたわ けですか。 星 そのときにすでに大変重要な生物学的原理に 関する概念が生まれていたのです。第 1 は化学浸透共 役という概念です。これは一次性の能動輸送の機構 がそうです。要するに ATP を使って能動輸送すると いう機構です。第 2 番目は浸透・浸透共役と言って, ある物質のオスモティックな勾配による流れが,他 の物質とカップリングすることによって,そいつを 汲み上げていくという能動輸送の機構です。そこで も Na+依存性ということがだんだん出てきたのです。 最初にそれが明らかにされたのはもちろん小腸で, クレーンが明らかにしたのです。われわれはたぶん 腎臓もそれに違いないというので,もしそうである ならば,必ずグルコースが輸送されるときには,Na currentがあるはずだとすると,ナトリウム電流が流 れるはずです。そうすると,もちろん電位変化も起 こるし,電気的ないろいろな変化が起こるだろうと いうことで実験したら結果が出たのです。 今井 まさに電気生理学的にナトリウムとグルコ ースのカップリングを見事に示したわけですが,こ れも世界最初の仕事ですね。 これと平行してなのですが,Frömter らがやはり, グルコースと Na+との共輸送を調べたのですが,こ れは遅れて仕事をしたのですか。 星 彼らはわれわれの何年か後になると思います。 今井 Frömterは先生のこの仕事を見て,それを さらにリファインしようと思ってやったのですね。 星 私はイモリを使って検討したのですが,彼の すごいところは,哺乳動物で検討しなければいけな いいうので,徹底的にラットの腎臓に挑戦したこと です。これは大変苦労したと思います。ラットの腎 臓で難しいのは呼吸による動きです。マイクロの仕 事というのはそれが最大の敵ですから,本当に大変 だったろうと思います。 もう一つは,われわれも苦労したのですが,なか なか針が入らないのです,硝子微小電極というのは 大変重要です。そのために彼は大変苦労して,僕ら 図 7 イモリの近位尿細管の膜電位に及ぼす管腔内のブ ドウ糖の効果 灌流液に 5.5mM のブドウ糖を加えると脱分極が起こる. (Maruyama T, Hoshi T. Biochim Biophys Acta 1972;282:

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よりはるかにシャープな電極を作った。それを見せ てもらいに行きました。見てくれと言うから行った のですが,とても感心しましたよ。執念を持ってや らないとできないことです。サッカーと同じでゴー ルに入っていかない。あの執念には僕も本当に感心 しました。 今井 それはぜひ若い人に聞かせたいですね。 杉野 ラットの場合は,気管内挿管して適量の空 気ないし酸素吸入をするでしょう。気道確保の呼吸 管理をおろそかにすると,パンクチャーをしている のに,だんだん血流が悪くなってきます。そうする と水や電解質の flux なんか全部変わってしまう。だ から,必ず厳重に呼吸のほうをチェックしておかな いと駄目なのです。 星 労力は本当に大変なのですね。偉いと思いま すよ,Frömter はそういう困難を乗り越えて敢然とチ ャレンジしたのですから。 今井 そのきっかけになったのが星先生のすばら しい,きれいな仕事ですね。これを見たら誰も疑う ことなく,これは哺乳類でもあるだろうと,当然考 えるわけです。 星 Frömterは僕のあとをずーっとフォローして いて,次々と,アミノ酸も全部同じようなデータで confirmしてきているのです。 その後に実はもう一つ話があるのです。腎臓とい うのは丸い管ですから,電気的にみると二重のダブ ルケーブルなのです。double membrane cable と言っ て,基底側膜があり,管腔側の膜があるでしょう。 それをダブルとしてみて解析をしないと本当のこと はわからないのです。それをわれわれはその後やっ たのです。まず電位の分布の式が,2 つの積分の式の 積になるのです。これは大変難しい。それを解くた めに,実は宮沢賢治のお孫さんにあたる人が岩手大 学工学部にいて,その人のところに度々 YS11 で飛ん で行って,教えてもらって,解いたのです。それが 果たして本当かどうかというのがまた問題で,その 点についても執念をもって追求したのが Frömter で す。そうしたら,やはりお前の言うとおりだと言っ て , そ の 式 が 出 た の で す 。 彼 は そ れ に 感 激 し て , 「Pflügers Archiv」というドイツの有名な生理学の雑 誌があるのですが,それに私に捧げるという論文を 一つ書いてくれました。そんなことで Frömter とは 大変付き合いは長いのです。 今井 その後,お弟子さんの吉富先生も Frömter の研究室へ行って,それから私と一緒に研究をした 東北大学の根東先生もお世話になりました。 星 あなたが非常によく育てたと言って,彼は非 常に褒めていましたよ。 今井 科学的に厳密な先生でした。また非常に優 しくてなかなかの人格者でした。先生のグルコース の仕事が 1972 年に実は出ているのですが,私がダラ スにいた頃この論文が出ました。あとでマイクロパ ーフュージョン法の話はしますが,その頃やっとマ イクロパーフュージョン法で管腔内の電位が測れる という状況だったのです。まだ針を刺すということ もできなくて。管腔内電位がやっと測れた。それ以 前は leaky で電位が測れない。leaky というのは,ピ ペットと尿細管とのつなぎ目が leaky になって,そこ で leak してしまって測れないのです。近位尿細管で は先生が前の仕事で示したように非常に leaky ですか ら,ボルテージを測ったとしても –2 とか –5mV のレ ベルでしょう。それを測るというのは,結構難しく て,leaky になってしまう。それがやっと測れるよう になって,NIH の Burg のところと Dallas でほとんど 同時に結果が出た。 それ以前というのは,マイクロパンクチャー法で の近位尿細管の管腔内電位というのは,まちまちな 報告があった。先生とか Frömter はタイトな報告を しているのですが,–40mV とか,いろいろなのがあ って,めちゃくちゃでした。それが単離尿細管でき ちっとタイトにして測ると,–2 ∼ –5 mV であるとい うことで,これは先生達がすでに確認していること を,マイクロパーフュージョンで確認したのです。 話はずれてしまうのですが,その頃,ラットに対 するマイクロパンクチャー法で何でボルテージが –40mVという数字が出たのだろうという話になっ た。それ以前に Rector もそういうデータを出してい たのです。それで Rector にあけすけに聞いたのです。 いま –5 mV というのがだいたい当たり前なのですが, 何で –40mV なんていうのが出るのですかと聞いた ら,偉い人がまず –40mV だと言ったらしいのです。 刺していくと –40mV ぐらいになることがあるわけで す。細胞内電位を拾ってきて記録して,それが正し いと思ってということなのです。結構そういうふう

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に権威者に引きずられてエラーのデータが出ること があるということを,そのとき知りました。 私がお話ししたいのは,Dallas にいるときボルテ ージが測れるようになって,Kokko が,灌流速度を 遅くすると電位が下がる,速い流速であったら –5 mVだが,流速を遅くすると 0 mV になるというデー タを出したことです。 その頃星先生の論文を見まして,それは結局グル コースではないか,つまり流速が遅くなるとグルコ ースが再吸収されるため,管腔内のグルコースレベ ルが落ちてしまう。だから流速依存性というのは, 実はグルコースの消費によるのではないかという仮 説を出したわけです。 そのときに Kokko は信じなかったので,星先生の この論文を Kokko のところへ持って行って,日本人 が英語の抄読会で説明するというのはちょっと違和 感があったのですが,星先生の論文を読んで,こん な論文があるというので,やっと説得しました。実 際に同じフローの速度にしてグルコースを除いたり, 入れたりすると,電位がたしかに変わるというのを マイクロパーフュージョン法で初めて確認したので す。 ですから,これは私にとっては非常に印象深い, 思い出深い論文なのです。もちろん国際的に見ても すばらしい論文であるわけですが。

イオン電極による研究

今井 方法論として,イオン電極の話をしていた だきたいと思うのです。大阪医大の藤本守先生にも お越しいただければよかったのですが,藤本先生は 主に近位尿細管でマイクロパンクチャー法を一生懸 命やっておられて,やはり両棲類が多かったでしょ うか,カエルの近位尿細管が主な仕事で,イオンエ レクトロードをやられて,日本での腎生理のイオン エレクトロードということではかなり業績を上げて おられます。星先生も吉富先生と一緒にイオンエレ クトロードをやっておられたのですか。 星 腎生理で大変重要なことは,尿細管でいろい ろ物質を輸送しますが,そうすると管内液の濃度が 変わっていくわけです。ですから,どうしたってマ イクロパンクチャーをやり,そして濃度を測るとい うことが必要なのです。 われわれも,実はフレムフォトメトリーをやった のです。それはマイクロカテーテルで微量を吸って, 本当に 7Òl ぐらいの微量ですね,それを測るのはどう するかというと,炎光をたいておいて,そこへ瞬間 的にサンプルを入れるのです。そうすると一瞬,ピ カッと光るわけです。ワンフラッシュ・フレムホト メトリーといってその光を光電子増信管(フォトマ ル)でピックアップして,それで分析をする。それが また大変難しい。本当に大変なので,気の毒になる ような難しい方法なのです。 しかし,そのうちにだんだん H+感受性の硝子がで きてきて,管にして火の中で引いて,さらに先端部 に加工を施して,それを微小伝極として使う方法で す。それから,昔から pH 電極にソルトエラーという のがあった。ソルトエラーというのは何かというと, 本当は H+濃度だけに感受してもらいたいのですが, 他のイオン,例えば Na+があると誤差になってくる。 その誤差をうんと強調したような硝子管がだんだん 生まれてきた。それで作ったものが Na+感受性の硝 子電極なのです。 だから最初はそういう特殊な硝子を使って,それ をぴっと引いてうまく使ったのですね。これもなか なか難しい。何が難しいかというと,抵抗がかなり 大きくて静電的な影響を強く受けるのです。だから, そばに寄るとふーっと電位が変わったりする。その うちにレジンが出てきた。 抗生物質のなかに,例えばカリウムのみを取り込 む抗生物質があります。そういうのはレジンとして 硝子微小電極の先に詰めると,イオン・セレクティ ブな電極になるということがだんだんわかってきた。 あと僕らがやりましたのは,最初難しい頃のものは もう捨てまして,だんだんレジンになってから使っ た。これは割り合いと簡単に使えるようになってき た。吉富君なんかがやられたのは,もちろんレジン です。あと布川君が来ましたが,彼はナトリウムを 調べた。これもみんなレジンでやりました。 今井 日本だと湿気が高いのでレジンを詰めるに も,いかに湿気を防ぐかというので,苦労をしたよ うですね。 星 何しろかなり抵抗が大きい電極ですからね。 われわれが使っていた普通の微小電極の比ではない

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のです。それこそ何千メガとかいうのですから,と ても大変なのです。絶縁物を扱っているようなもの ですからね。 今井 藤本先生は主にカリウム電極を使って,あ とクロールですか,それで仕事をされた。そして, 逆輸入と言いますか,Giebisch の研究室でテクニッ クが必要だというので,藤本先生のところから研究 生が Giebisch のところに行って,またそれは別の面 での発展をしていったというふうに理解しています。

マイクロパーフュージョン法

今井 マイクロパンクチャー法,イオンエレクト ロードなどの話が一応終わりましたが,そのあとテ クニックとしては,単離尿細管灌流法というのがで きました。酒井先生は腎乳頭部を反転して刺すとい う,非常に努力を要する仕事をされたわけですが, その後,NIH の Burg が 1965 年に開発したテクニック なのですが,もともとは尿細管のメタボリズムをや っていたらしいのです。杉野先生はスライスを使っ たメタボリズムを少し手がけられたわけですね。 杉野 ボストンにいましたとき Berliner, Burg らと 交流しましたから。 今井 そういうような仕事をしていたらしいので すが,そのときにコラゲナーゼで細胞をばらして, それでいくつか近位尿細管の細胞と分けて,酸素消 費とか代謝を研究していたらしいのです。それを学 会に報告していたら,誰かが,1 本ネフロンが取れる のだったら,それを灌流してみたらどうかという質 問をしたらしいのです。それで,そうかというので, 灌流をすることを思い立ったらしいのです。 最初コラゲナーゼで処理した腎からとった尿細管 でやったら,ほとんどずるずる細胞が抜けて灌流で きなかったということで,コラゲナーゼ処理は駄目 だというので,単純なスライスを作って,そこから ディセクションするという仕事を始めたらしいので す。そのとき酒井先生と同じで,ありとあらゆる動 物でやったらしい。 そのなかでぶつかったのがウサギだった。ウサギ は結合組織が弱いのです。神経もウサギの神経を取 り出すというのは,割り合い行われているらしいの ですが,それは結合織が弱いということらしい。そ ういうことでウサギにたどり着いて,ウサキでディ セクションできるというようになって,それで単離 尿細管が生きたまま灌流できるという状況になった のです。 それは 1965 年でしたが,その頃はまだマイクロパ ンクチャー法全盛の時代ですから,誰も信用してく れない。はたして生きている細胞かどうかというの は,誰も信用してくれなかったのですが,一応集合 管の比較的息の長い細胞を使って,仕事をしていた。 私がアメリカに行った頃は,Kokko が Burg のとこ ろで修行して,そして Dallas に行ったところだった のです。私はアメリカに行って Rector のところでマ イクロパンクチャー法をやりたいと思っていた。目 的は Na 利尿ホルモンを証明しようということで行き ました。そのころ Na 利尿ホルモンを Rector のところ でマイクロパンクチャー法で証明したというすごい データが出たものですから,そこに行ったのです。 その仕事は国際的な追試にあって,再現できない ということになって,クエッションマークがついた のです。そういう意味で Rector はその頃何かペシミ スティックになって,それで方法論を変えなくては というので,Kokko を呼んで,単離尿細管灌流法を やらせていたのです。 私が行ったときにはマイクロパンクチャー法は終 わってたのですが,Rector のすばらしいところは, データが否定されたのですが,なぜ否定されたのか, なぜエラーが起こったのかということを,きちんと やったことです。結局マイクロパンクチャー法の限 界があって,その限界ぎりぎりのところで判断して いたから駄目だったのだということでした。例えば, イヌリンで測定する近位尿細管の水再吸収でも,プ ラトーがあるわけです。プラトーの近くで何かの変 化をみていたのだというのです。そういうところで の変化を,ある先入観で,ナトリウレティック・サ ブスサンスを打てば変わるのではないかという潜在 意識でみてみると,偏ったデータをセレクトしてし まうのだということを確認した。どうして間違った のか確認したところがすばらしかったと思います。 私が行ったときは,Rector はマイクロパンクチャ ー法には限界があるから,これ以上やっても仕方が ないという考え方だったのです。それで Kokko を呼 んで仕事をさせた。私はその方法論をみて,これは

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面白いと思って Kokko のところで仕事をしたのです。 そして Dallas に 4 年いて,日本に帰ってきたわけで す。もともと私は小児科にいたのですが,小児科で はとてもこんな研究はできないということで,たま たま曽我部教授から自治医大の薬理に助教授として 来てくれ,研究設備は完備してあげるからというの で,それに引かれて帰ってきて,マイクロパーフュ ージョン法をそこでセットアップできた。そのセッ トアップするときは,実はいまから考えると大変で した。 アメリカでは単離尿細管で仕事をしていたもので すから,それを日本に帰ってきて学生に見せてくれ というわけです。学生実習のプログラムのなかに組 み込まれていました。見学の学生を後ろに控えさせ ながら,太いヘンレ上行脚をディセクションして, ブメタニドが効くかどうかを見せるというわけなの です。そういう厳しい条件があったので,早くセッ トアップして動かさないと駄目だと思って一生懸命 やったものですから,研究設備がうまくセットアッ プできました。ということで,日本に単離尿細管灌 流法を導入することができたわけです。ですから, 偶然というよりやはり縁があると思うのです。酒井 先生の尿の濃縮機構という話が,ずーっと私の心の 中 に も あ り ま し た し , Dallas に 行 っ た と こ ろ で Kokko,Rector のモデルができたというようなこと があって,それでは髄質にチャレンジしようという ことになったわけです。 髄質は非常に大変なのですが,先ほど星先生は忍 耐力ということをおっしゃいましたが,まさに忍耐 力なのですね。忍耐以外には何事もないということ で,1 日朝から晩までやって 1 本尿細管を取って流す というようなことをやっていました。その後共同研 究者が出てきてくれて,その仕事も発展したという ことなのです。 それが日本でのマイクロパーフュージョン法の研 究の始まりです。

糸球体機能の解析

今井 次の話題に移ります。これは比較的新しい 話になると思います。糸球体機能の研究が,クリア ランスから始まったわけですが,しばらく糸球体機 能に直接チャレンジする生理学的方法がなかったの です。糸球体というのは腎の表面から少し深いとこ ろにある。そうすると糸球体のマイクロパンクチャ ーがなかなかできない。ところがミューニックウイ スターという変種のラットがいて,腎の表面で糸球 体が見える。それをパンクチャーできるということ がわかった。市川家國先生は Brenner のところに行 って,糸球体のマイクロパンクチャーをやった。そ れは糸球体は見えなくても,例えば近位尿細管で, ストップフローにして圧を測るということによって, グロメロラル・プレッシャーがある程度わかります し,糸球体濾過量もそれでわかるわけです。ウイス ター・ミューニックラットでは糸球体を直接刺すこ とができるということで,かなり仕事が進んだわけ です。 なお,日本の腎生理学のいちばんの始まりという のは,実は江戸時代なのです。1805 年に伏屋夷萩と いう人が死体の腎動脈に墨汁を入れて灌流した。灌 流すると,尿管というか,膀胱から出てくるのがき れいな透明な尿であった。糸球体はまだその頃わか っておらず,ボーマンが糸球体と言い出したのは 1842年ですから,それより 40 年も前に腎臓には濾過 機能があるということを,世界に先駆けて見つけた という記録があるわけです。 市川先生の話に戻りますが,市川先生がアメリカ に行ったときに,実は日本には糸球体濾過に関して こ う い う す ば ら し い 仕 事 が あ る と い う こ と を , Brennerに言ったのです。それで Brenner と市川先生 で , い ま 言 っ た 伏 屋 夷 萩 の 仕 事 を 総 説 と し て 「Kidney International」に紹介してくれているのです。 そういう日本の腎臓研究の草分けの話を市川先生は 紹介しているのです。これはすばらしいことだと思 います。 あと,現在東北大学の伊藤貞嘉先生は,星先生が 先ほどおっしゃったように,単離した糸球体,それ を灌流して,しかも糸球体の輸入細動脈と輸出細動 脈とを灌流するだけではなくて,マクラデンサが付 いた尿細管も一緒に流すということをやられた。こ れは本当に根性のいる仕事なのですが,主にアメリ カ で 仕 事 さ れ た わ け で す 。 そ れ に よ っ て tubulo-glomerular feedbackという現象を詳細に解析したと いうことで,やはりこれは日本人の研究として,す

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ばらしい研究であったと思います。

分子生物学的研究

今井 その後いろいろと分子生物学が進んでいっ たわけですが,また越川先生に戻りますが,分子生 物学の腎生理からみた仕事のなかで,東京医科歯科 大学の丸茂先生をはじめとするグループの仕事,具 体的には水チャンネルのクローニング,それからク ロライド・チャンネルのクローニング,そういう腎 の濃縮機構に critical な分子をクローニングして,世 界的な業績をあげたわけです。 そのグループの引き金となったのは,越川先生だ と私は思っているのです。東京医科歯科大学のグル ープをどうやって刺激して,どうやって集めていっ たかという話を,越川先生にお聞きしたいのですが。 越川 私が東京医科歯科大学と関係したのは主に 昭和 40 年代の 12 年間で,昭和 51 年からは昭和大学に 移りましたから,その後武内重五郎先生が教室を育 てられたのです。武内先生が 1990 年に退官されてか らは,丸茂先生が指導されたので,私は東京医科歯 科大学の分子生物学には何ら貢献していないと思っ ております。 今井 先生は非常に謙虚な方ですからそう言われ ますが,東京医科歯科大学の第 2 内科の人達の話を聞 きますと,やっぱり越川先生がいたので,腎臓をや る気になった,特に腎臓生理をやる気になったとい うことは,誰でも言うわけです。そういうことで越 川先生の力は非常に大きかったと思っているのです。 杉野 私も証言します。いま腎臓学界の第一線に いる東京医科歯科大学系の人達は,若い頃越川先生 に stimulate されたということを,みんな言いますね。 越川 確かに,東京医科歯科大学の腎臓学は全く のゼロからのスタートでしたから,初めの頃は大変 でした。腎生理の面についていえば,丸茂先生が Ussingの装置を自作してガマの膀胱の短絡電流を測 定したのが始まりでした。自治医大の浅野先生,杏 林大学の遠藤先生がその頃のガマグループのメンバ ーです。 その流れが,飯野・佐々木・秋葉先生に引き継が れていったのです。その頃から私は,電解質学には 生理学的な研究は必要だが,臨床家はその成果を常 に臨床に還元することを考えるべきだということを 言っていました。 分子生物学時代になって,それが端的に実現した のが,Na チャンネルの Liddle 症候群です。Na チャン ネルがクローニングされた後,佐々木先生達は,私 が在任していた昭和 40 年代に Liddle 症候群の症例報 告をしたことを思い出して,その患者を探すことを 始めました。探し出すことに成功して,その家系に ついての遺伝子解析を JCI に発表しました。それを読 んだときは嬉しかったですね。研究の成果をあげる ことも立派ですが,それを臨床に繋げる努力をして いることが。 今井 水チャンネルをつかまえたあとでも,水チ ャンネルの異常は絶対臨床的にあるに違いないとい うような信念を持って,いろいろ探したわけですね。 そういう意味で,単なる基礎研究だけに没頭すると いうのではなくて,臨床との関連というのをいつも 考えろという先生の教えが,やはりそこで脈打って いたのではないかと思うのです。そういう意味で, 先生が東京医科歯科大学グループの腎臓学の祖では ないかと思うわけです。 それから,分子生物学の最近のことで評価しなけ ればいけないのは,有機溶質のトランスポーターを 日本でどんどん証明していったことです。杏林大学 の遠藤仁先生のグループと,京都大学の乾先生のグ ループ,この 2 つのグループが,有機イオン・トラン スポーターをそれぞれ次々とクローニングして,明 らかにしていったわけです。そういうところで日本 の研究も進展しているということです。 遠藤先生も実は酒井先生のお弟子さんですね。ネ フロンのバイオケミストリーという話は話題として 取り上げませんでしたが,酒井先生のマイクロのテ クニックと言いますか,そういうものに誘発されて, それで生理学ではなくてバイオケミストリーのほう に進んで行って,それでネフロン・バイオケミスト リーということから,分子生物学に転向していった。 転向したというよりはその延長線にあるわけです。 そういう意味で,酒井先生の影響がそこにあるのだ なと,つくづく感じている次第です。 杉野 酒井先生は後年にフランスの F. Morel 教授 らと意気投合されて,彼の業績をよく調べろと私に アドバイスしてくれました。日本にも招かれて Morel

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