戦国大名の買地安堵について : 若狭武田氏を中心に
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(2) 武田氏家臣の買地安堵の関連を明らかにすることへ以上である。. 提示することへ及び久保EE氏の仕事に導かれて、武田氏の買地安堵・と. 料として、武田氏給人の土地売買の全体的特徴を概観しておきたい。 まず、売買当事者の階層を、﹁給人﹂・寺庵(寺僧)・百姓の三者. の収集されたものに管見に入ったものを加えた七五点の売券を基礎資. ているが(前掲論文二節)、売買当事者の階層や、売買対象得分の性 格に関してはあまり関心を払われていない。そこで、本節では水藤氏. 庵. 4. 10. 1. 百. 姓. 5. 16. 8. 3. 32. 20. 42. 10. 3. 75. びつつ、知行制との関連においてもつ買地安堵の意義をより具体的に. 入間田論文は'実は若狭の事例についても、藤井譲治氏の論稿を参 照されながら多くの紙数が宛てられているが、論文の性格上やむを得. に分ける。売券面の売主・買主一人l人について武EE氏給人であるか. ﹁〓). ないとはいえ、若狭と四国・東国との地域差に対しては十分注意が向. 否かを検証することはきわめて困難であるか(2)多少の問題はあろう が、敢えて単純化して、有姓者を﹁給人﹂とした。こうすることによっ. 寺. (7). けられていないし、武田氏家臣の買地安堵についてはまったくふれら. 1. れていない。. Hi. は位置づけられようとしていた村落土. の末端に位置づけられていた、あるい. てへ武田氏直臣の国人級在地領主はもとより、何らかの形で武Ef]権力. 15 H. なお、若狭武田氏に関する先学の業績としては'藤井氏の他にへ牧 野信之助﹃福井県史﹄(一九二〇年)をはじめ、黒崎文事米原正義︰) 水藤(2)各氏の論稿があるが,本稿の関心からは藤井・水藤両氏の. 豪層の多-を拾うことができると考え. ﹁給人﹂と表記する。右の基準に従っ. るからである。ただ'有姓者のすべて が武田氏給人とはいい切れないので. て七五件の売買を階層別に整理したの. が表Iである。この表をみるにあたっ. ては'大きな史料的制約を考慮しなけ. ればならない。すなわち'七五点の売. 券のうち六〇点が寺社文書で占められ. ていることである。しかし、そうした. 制約の中でさえ、﹁給人﹂のかかわる. 売買が、売却・買得合わせて全体の四. 九%(三七件)にも達している事実は、. ﹁給人﹂層の土地売買が相当広範に展. 開していたことを物語るものといえよ. 53. 研究に直接学ぶべきところが多い。藤井氏は若狭において加地子売買 が展開していたこと、加地子収取が惣及び大名権力の保証のもとに実 現されていたことなどを明らかにされたが、買地安堵を知行制の中に 具体的に位置づける視角が十分でないように思われる。水藤氏の論稿 は武田氏関係文書や売券・寄進状の検討を通じて、武田氏の戦国大名 化を多面的に跡づけようとされた労作であるが、若干の疑問もある。 この点は本文でふれることにする。. 第l章若狭における給人層の土地売買 第一節全体的特徴 戦国大名の買地安堵を知行制との関連において考察しようとする時、 まず、大名給人の土地売買の実態を明らかにしておく必要があろう。. 28 「給 人 」. 計. 汁 明 不 姓 百 庵 寺 「 給人 」 買主 売主. 水藤氏は長禄三年(一四五八)から永禄一三年(一五七〇)に至る合 計六五点の若狭の売券を収集整理され、さまざまな角度から分析され. 表I若狭における土地売買の階層別件数.
(3) 4. 寺. 庵. 4. l 百. 姓. -. 2. -. 6. 10 不. 明. -. 1. 1. -. 1. 3 8. 4. 26. 3. 34. 75 汁. 12. -. 16. 32 5. 1 3. ll. jo 蝣 18. 16. 42 2. 主. 「 給 人」. 主. 15 4 負. 28 6 姓. 12 百. 3 9 庵. 5 寺. 8 「給 人 」 売. でいたことを示すものに. まさに全階層を包み込ん. 若狭における土地売買が. きがみられない。これは、. 百姓の三者間に決定的開. そこでは﹁給人﹂・寺庵・. 買得分の内訳であるが、. 響をうけないのは寺庵の. う。右の史料的制約の影. 一九%、買得で二五%が加地子を対象とするものであり、他層に比べ. 例は全体の四割にも及ぶ。これを﹁給人﹂層に限ってみると、売却で. 名主職の四件を加えれば、農民的所職・中間得分権を対象とする売買. なくとも三五%を占めていた事実は確認しておく必要がある。これに. ざるを得なかったが、それでも加地子を対象とする売買例が全体の少. たものであるQ得分の判定規準を狭くとったため半分近くを不明とせ. 合計四種の得分を措定した。表Ⅱは'これらの得分を階層別に比較し. 明記されることが多いので、この二つはそのまま独立した種別とLt. 期して不明とした。この他へ名主職と名抜地の売買は売券にその旨が. るましく候﹂などとあるのみでいずれとも断定し兼ねるのは、慎重を. ろう。以上、十分な実証にはなり得ていないが'若狭における拾人層. れば比率が低いとはいえへ加地子売買はかなり進んでいたとみてよか. *il凧. 他ならない。 次に、売買される得分. の土地売買の広範な展開、及び加地子売買の無視し難い比重を'全体. の内容について検討した い一.得分の種別としては 領主的得分と農民的得分 から厳密に判別すること. 析にはおのずと限界があるので、具体的事例に即して給大層の土地売. 史料の偏在や絶対数の不足という状況における亮券のみの統計的分. 第二節田辺氏・野崎氏の土地売買. 的特徴として指摘しておきたい。. は困難なことが多い。こ. 買の実態を検討し、その背景についても言及したい。. に大別できようが'売券. こでは、本役・公事・段 移動する場合を領主得分. を本拠とする田辺半太夫家に伝えられた戦国∼近世初頭の文書二〇通. 田辺氏は三方郡山東郷一帯に一族が族生した家で、そのうち佐田村. S f c *. の売買、買主に本役又は. が、﹃三方郡誌﹄に収められている。この中で、本稿の関心からは次. -田辺氏. 公事の負担義務が移る場. の三点が注目される。. 銭のいずれかの収取権が. 合を中間得分たる加地子 の売買と認定し、ただ単 に﹁於此田地諸公事ハあ. 54. 汁 明 不 名抜地 知地子 名 主職 領 主得分 得分. 表Ⅲ若狭における土地売買の得分内容(数字は売買件数).
(4) 一式段. 通慶散田分. 高名之内. 同正蔵主. 同蔦大夫. < .' . ? ). 三富虞. A若州三方郡山東郷内□景名一園 但従泉福寺買返之謹文_井此名職地類二段'越前龍門寺宗信清券、. 同. 同佐EB村百姓中. 同小田総庵前. 同佐田村百姓中. 馬人夫. 2 ^ 3 耶. 同小田武射田. Iffi⋮十︰昆喧. 一畠参段. 知如件へ 天文十二年七月九日 田辺又四郎殿. 経済的危機に立ち至ったことをうかがわせるものである。同じ三方郡. 二反を売却していたことが知られる。これは、田辺氏がかなり深刻な. ところが、Aによれば田辺氏はこれ以前に同名の名主職及び名内耕地. は田辺氏にとってきわめて由緒のある名であったことが推測される。. 宛人田辺又四郎のことと思われる。とすれば、A∼Cにみえる宗景名. れぞれ宗景又四郎・宗景太夫・宗景と称されているのは明らかにCの. ここではAも含めてとりあえず検討の対象とする蝣oにおいてそ. は一般にみられる武田氏の買地安堵の形式と矛盾しないので(後述)、. わず文言・表記にも疑問が残るため全面的信頼はおけないが、B・C. いずれも﹃三方郡誌﹄でしか知られないもので'特にAは形式も整. 真理(花押). 儀に買徳三ケ庭井謹文等在之、永代可致知行之旨、被仰出候、仇下. 右傾々'雌為清券明白、依盗人取失、重御判披下者也、但此内新. 以上. 同鍛冶. 在庭井根□. 清主泉福寺. 但宗景居住虞. 〓貰虞. ﹁式日蝣蝣3C). (花押). 宗景名. 熊谷出雲守〓汀在之. 一屋敷憂慮. 此外散田分田畠等'道慶屋敷、鍛冶屋敷、囲旭清却畠一所、何モ任. (花押). (武川信穏). 讃文之旨、宗景又四郎永代知行不可有相違之通へ彼男仁可申聞者也、 仇状如件、 (ママ). 天文十年卯月二十六日 熊谷三郎兵衛尉殿. ゥ ・ j r ^ i. B若州三方郡山東郷之内所々買徳之事酎Sh'謹文等最前加披見へ離 遣判、盗人取失明自之段へ重被成其意得候'宗景大夫於干子々孫々、. 熊谷三郎兵衛尉殿. (花押). (武ーl︼信ffi). 天文拾二年七月九日. 永代知行不可有相違之旨へ可申聞候也へ仇状如件へ. C. 二軍名. 同名之内. 若州一二方郡山東郷之内宗景名井所々貫徳目録之事. 一重段. 同慈明院. 活主龍門寺宗心 同名之内. 同世宗庵. 同名之内. l豆段. 同名之内. l武段. l妻段.
(5) べきではなく'戦国期土豪層の経済状況の一端を示すものではなかろ. 器をはじめ、椀・皿などの食器から衣類に至る日常生活用異を三一種 百数十点も質に入れたり売却しているの鶴)決して特異な事例という. の御賀尾浦(現神子)刀祢大音氏が、具足・宵・太刀などの武具・武. いる。佐田村田辺氏が同村百姓中から畠などを買得したのも'これと. なくなった世久見浦惣中から、今度は鰻綱堵を買得する立場に転じて. した際、惣中1四名の筆頭に署名していた田辺氏が、永禄一二年(一. 九二)﹁当御代臨時課役等迷惑﹂によって世久見浦惣中が山畠を売却. 層の負担能力の限界に近いものであったことに起因すると思われる。. つあった土豪層がこれを買得集積していくというtlつの道筋がうか. 収奪強化が百姓の土地放出を促す中で、﹁百姓中﹂との距離を広げつ. 同様の事情だったのではなかろうか。ここに、領主権力(熊谷氏)の. (8). 五六九)地頭と思われる熊谷治部太夫の斌課した﹁金子﹂を支弁でき. (l9). うか。これは、軍役を中核とする大名権力の過重な課役が、彼ら土豪 文亀二年(一五〇二)若狭の﹁国衆井百姓等﹂が武田氏の﹁段銭以下. がえよう。. 苛政﹂に抵抗して小浜に押し寄せ、武田中務大輔父子を放死せしめた I S ). 事件は'段銭以下の武田氏の課役が、国人と﹁百姓﹂(実質は田辺氏 や大音氏のような土豪層と思われる)の共闘を成立させる程に過重で. 2野崎氏 野崎氏は、EB辺氏と同様若狭では数少ない中世文書を伝える土豪ク. (5). あったことを物語っている。前節にみた給人層の活発な土地売買(売. ラスの家で、三方郡耳庄佐野を本拠としていた。同氏の買地の性格を 次の蓋N'哩よって検討しよう。. 台壱所作l在所山子裕二在之. D永代責渡申作職山田之車. 却)の背景の一つとして考えてお-必要があろう。 さてtEB辺氏は重大な危機をどのようにして克服したかは明らかで ないが、Aによれば'以前手放した宗景名名主職と名内二反の地を買 戻すとともにへ﹁此外散田分田畠等﹂を新たに買得して武田氏の安堵. 右彼下地者'依有要用、作職永代喜渡申虚実正也へ但毎年大塩長門. を得るに至ったのである。さらに、CにはAにみえない買地が七筆あ (5). り、﹁新儀に買徳三ケ虞﹂の文言もあるところから、AとCの間にも. 守殿へ'年貢壷斗五升納所候て、作職末代可有御知行候へ此上ハ菟. サ. まいる. 耳庄之内庭々買得目録之事. (花押). (此間i?C). 野崎二郎右衛門尉殿. 天文拾互.川年二月l日. 命時(花押). 角申候者有間敷候、仇後日之永代責券之状如件、. (為脱力). 新たな買得があった可能性がある。すなわち、田辺氏は宗景名放出の あと、また土地集積を再開したものと思われる。ところが、永禄四年 (2). (一五六1)当時田辺又四郎の所有していたのは宗景名1円・道慶散 田・下田白田二反・白田一所でありtCと比較すると若干減少しているo このように田辺氏の所有する所職・得分は戦国期を通じて複雑な動き をみせており、絶えず変動していたといえよう。 ところで、CによるとEB辺氏は彼の居所と思われる佐田村の﹁百姓 中﹂から土地二筆を買得しているが、これに関連して想起されるのは' 三方郡世久見浦刀祢田辺氏の事例である。すなわちへ明応元年(一四. 56.
(6) 一参段者. 同大塩次郎右衛門尉. 清主山本中務丞. 責・段銭負担義務を負っていたことからもうかがえる。なお、野崎氏. 最i:;択摘㍑錆諸般摘締結:<﹂(摘録謹. l壷段者. は武田氏から買地安堵をうけている限りにおいて武田氏給人というこ. 左. 将. (. 文. 明. 八. ). ⑥l片山大郎左衛門尉正次・1四九. 諏. 利相富分、任倍書整旨'可収納之由御奉書事. 賀茂庄司森雅楽助借物五十貫文、質券之地若州賀茂庄年貢'本. 的・*- '蝣="^サ ̄州t^"=公文. F④l片山太郎左衛門尉正次は欄は九十八. 諏 ' 蝣 E * r. の証左を示す。. 地安堵の存在と'在地領主によるそれである。まず前者についてへそ. この所論で無視されていることが二つある。すなわち、幕府による買. 寄進が武田氏による保護-傘下にあった﹂とされている(一五八頁)0. なく、明らかに守護武田氏であ﹂り、﹁この地域における土地の売買・. 入間田氏は前掲論文において、﹁諸寺院の寄進状、売券類に十五世 紀後半から出現する公方罪科文言の主格は'地頭や在地領主などでは. 第一節武田氏による買地安堵の確立. 第二章武田氏の買地安堵. 土豪層に属する田辺・野崎両氏の事例をもって国人領主も含めた給 人全体の土地売買を論じることには多少の問題もあるが、売券を通覧 すれば、程度の差はあれ知行分の絶えざる変動へ及び収取関係の複雑 化は、国人級給人にもみられたと考えられる。. のではなかろうか。. O S :. 分有することを意味する。若狭ではかかる事態が意外に進行していた. とができるから、右の事実は、武田氏給人が相互に重層する得分権を. 同木村. 卸判上者、向後如何様之族雌有出来'. 何年貢段銭如先々可納所也へ. 院分へ三段半山田少者木村方分、. 畝町堀迄廿八所分二一段ハ吉祥. 此内四段八畝者入江方、二段七. 一武段者川ケ処別間 永作職分 一重町参段山川少作之. 右燦々へ任代々持侍旨、被成. 左衛門尉(花押). 永代知行不可有相違之由へ披仰出者也への下知如件へ. 天文廿二年十一月十日. 野崎次郎右衛門尉殿. i . S 3 ). Dによれば'野崎氏は山田一所の作職買得によって同地の年貢一斗 五升を大塩長門守に負担することとなった。大塩氏は遠敷郡□田縄村. を本拠とする武田氏給人であるが耳庄佐野も知行していた。したがっ て野崎氏は以前から大塩氏との問に年貢負担関係があった可能性は小 ( S I. さ-ないが'Ejで買得した山田は実は大永五年(l五二五)﹁三野 (佐野カ)住人﹂弥三郎なる者が売却したものであって'少な-とも この地に関しては、本来大塩長門守と弥三郎の間に存した年貢負担関 係がそのまま大塩・野崎両氏の関係に転化したものといえる。ここにへ 土豪が百姓からの土地集積の過程で武田氏給人との問に新たな年貢負 担関係を生じてい-動向をみることができる。そのことはtEにおい. 57.
(7) て、幕府権力が土地売買保障者としてまだ確実に意識され、現実に機. 7. -. 芝EE太郎左衛門預銭瑞ji榊貰文事、高無沙汰`㌔. 能していたことは明らかであろう。しかし、一六世紀に入ると、﹁政. 1. 同前(清規州). 所賦銘引付﹂に続-﹁斌草案之引付﹂・﹁披露条々事﹂・﹁別本紙引. ll. ㊤一・田辺四郎右衛門尉貞次同日(文明十・九・廿一). 8. 若州山東郷内州措㌫撃欝棚鷺⋮任買得当知行之旨、. ∼. 1540  ̄ 1553. 急増する。水藤氏がさ. 例が一六世紀に入って. ると武田氏の買地安堵. かのように'表Ⅲによ. なる。これと符合する. 関係記事が見当らな-. 付﹂・﹁捲川親俊日記﹂・﹁雑記﹂など明応から永禄期に至る幕府政 所沙汰関係諸史艶いずれにも、前にFを抄出した条件を満たす若狭. 15. 同前(諏訪)市迎院殿御弼(文明﹁六). >2b %. 可申請御下知N々. 6. 今号撫内. 1526  ̄ 1539. まざまな角度からの検. 討の結果、一五世紀末 1六世紀初頭を武田氏. の戦国大名化の画期と. されたのは至当な見解. であり、武田氏による. 貫地安堵の急増は'幕. 府による安堵機能を凌. 事実上最高の土地安堵. 駕して、若狭における. 権を確立したことを物. 語るものといえよう。. さて、入間田氏は公. 方罪科文言の主格をす べて武田氏とみなされ. 58. 天 下一 同 1. } 6%. 中 7. 言. 徳政 種 別. ④一若州山東郷番頭包松-八十五l毒芥川. 1. lつくて山文明八咋買得之虞'去年よりC孫三郎押領、. 5. (三筆略). 1498 - 151 1. 被召出彼等'可預御糾明之由'1々. 3. これは、幕府法廷にもち込まれた売買貸借関係の訴訟を記録した ﹁政所賦銘引杜5'臥中から、訴人と論人(㊨,④)、又は訴人と論所. 対象地(④・㊤・④)がともに若狭に関係のあるものに限って抄出し たものであ毎これによれば,文明年間の若狭においては、武田氏給 人から番頭クラスの百姓に至る幅広い階層の問で、土地売買の保障者へ. 14. 国 8. 1554  ̄ 1567. 貸借にかかる係争の調停者として幕府(将軍)を明確に意識していた ことが知られる。ここで'売券にみえる徳政文言をみてみよう。表Ⅲ は'徳政文言のみえる売券の比率と徳政の種別について、武田氏によ る買地安堵件数と合わせて年代別に整理したものである。絶対数が少 ないためその信頼性に問題は残るが、一五世紀中は徳政文言のみえる. 1484  ̄ 1497. } 5 % 1512 - 1525. 天下 一 同 国 中 天下 一 同 永 地 1. J 2 1# 2. 天下 一 同 1470  ̄ 1483. 天下一同 1 6 1456 ′ 1469. 文. 率 政 徳. 比 売券数 売券数 n w & 堵件数 間 期. 確率が高いこと、及び徳政種別としては天下一同徳政が多いこと、が 認められよう。これは、この時期に若狭の土地売買当事者にとって' 幕府の発布する徳政が、のちにみられるようになる武田氏の徳政(国 中徳政)よりも相対的に強-意識されていたことの表象ではなかろう か。以上のことから'一五世紀段階においては、若狭の諸階層にとっ. 表Ⅲ武田氏治政期の徳政文言と武田氏の買地安堵件数.
(8) たがへ水藤氏は逆に武田氏家臣とされた。氏は若狭における売券の罪 科文言の主格として、公方・上様・守護・御屋形様・御代宮殿・地頭・ 領主などを抽出され、上様など明らかに武EE]氏を指す語は﹁例外とし て除﹂き、他はいずれも同じ存在であるとされた。以前笠松氏は売券 の罪科文言の主格としての公方を、領主へ地頭と実態的には変わらな い'在地に密着した身近な権力、すなわち在地裁判権をもつ在地領主 とされてお塩)水藤氏はこの笠松説に嘉する(但し水藤論文には笠. て意識され、現実に買地を安堵していたのは幕府、武田氏、在地領主 の三者であ㌔)このうち幕府のみ一六世紀に入る頃からその機能を後. 退させていき、武EEj氏が領国内最高の安堵権を実質的に確立したと考. ていたが、この点については次章で詳述する。. えられる。なお、在地領主もまた依然として独自の貴地安堵を実施し. 第二節買地安堵の方法 武田氏が拾人や寺社に買地を安堵する場合、前章に掲げた史料Bと. C、あるいは後掲LとEのように、武EB氏当主の判物(宛所が被安堵. 者でないBは特殊例でその意味は後述)と、武田氏家臣が奉下知状形 式で発給し武田氏当主が柚判をすえる買得目録のセットで実施するの I S ). がもっとも一般的である。しかし'時には次のような例もある。. 松論文を参照された形跡はない)。しかし、笠松氏の所論は氏自身断 わっておられるように、守護の1国裁判権を考察の対象から除外され た上でのものである上へ水藤氏の論証そのものにも疑問が少なくない. (武川化光). B-C、屯∼Eが1括安堵であるのに対して、これは個別安堵とい. 如件. 沙弥宗勝(花押). 土地売買が武田氏の傘下に入ったとみなしたり'水藤氏のように若狭. えよう。表Ⅳは、管見に入った武田氏の買地安堵例(寄進地などとの 一括安堵も含む)をまとめたものである。. (西福寺文書二九). における買地安堵の主体を在地領主のみに帰してしまうわけにはいか. ところでCやEのような形式の文書の発給手順については、水藤氏. 覚阿上人. 1f福寺. 天文五年柑四月廿l日. 心候、任信家責券井寄進状之旨、全寺務'永代知行不可有相違之状. G兵部少輔知行山下分之内田地壱段大、為当寺定燈料買得之由、得其. 同じ勢井村の地を対象とする同村百姓の亮券でありながら'罪科文言 の主格として公方・上様・御代宮殿・時之地頭など多様なものが記さ れている事実は(長源寺文書二・六・八・一六など)、少なくとも公 方を武田氏か在地領主かといった二者択丁的'固定的に理解すること が無意味であることを示唆するものではなかろうか。公方の語に込め られる具体的権力は個々の地域'あるいは時期によって区々であり' 場合によっては勢井村のように武田氏も代官も含めた、﹁地下﹂に対 比される公権力を漠然と示すこともあったtと考えた方がよいと思うa. ない。罪科文言の多様なあり方を虚心にみれば明らかなように'若狭. の綿密な考証がある(前掲論文六九∼七一頁)。それによれば、①安. したがって、入間田氏のように二、三の事例から一五世紀には若狭の. における買地安堵の主体として、武田氏(上様・守護・屋形)と在地. 究の余地がある)に安堵対象を書き上げた目録を提出、②奏者の祐筆. 一. 領主(領主)の両者が併存していたのであり(地頭・代官と領主の性. 堵申請者が奏者(Cの真理へ豆の左衛門尉'奏者の呼称については研. 以上要するに、T五世紀までは若狭における土地売買の保障者とし. 格については後述)、このことは後掲表Ⅳ・Vに明確に示される。. 59.
(9) (Nalに同じ). 〟. 34. 目録任御判旨,永知行不可有相違(目録). 36. (史料K) 任白井八郎次郎伊胤清券之旨,可令知行,殊為新寄 進,苑行覚阿上人畢 白井石見守清胤売券明鏡之上者,任仏国寺殿御判之 旨,高野堂厳阿弥永代知行不可有相違 於向後寄付井寺僧等令買得田地在之者,為所寄進, 前々可相准者也. 明通寺115. 任慈済寺御寄進状之旨,妙興寺知行永代不可有相違. 妙興寺6 西福寺29. (史料G) 寺家修理之為調法倍付之問,縦範囲中徳政延公事以 下之法申付,不依高利小利-一一末代不可有棄破 任売券之旨,全寺務永代知行不可有相違. 〟. 116. 〟. 31. 〟. 35. 4. 為新寄進,苑行飯盛寺上坊乗憲僧都畢. 飯盛. 為新寄進,条々被相定畢(目録でなく「条々」 ) (史料B・C). mn与 田辺. (寺内寄宿乱妨停止,諸役免除などを含む判物). 妙光寺5. 寺 '. 1 9. t'†m -'f. 西福寺 ′!. CO?7, 44. (史料L・E). 8. 目録之趣被成御判上者,永代無相違可有知行(目録) 為扶持苑行沼田菊松丸畢,任清券之旨,無他妨永代 知行不可有相違. 3. 任先御判等之旨,為新寄進,妙興寺知行不可有相違. 神宮寺 妙興寺. 任証文之旨,為寺領前後共仁永代知行不可有相違. 氏による買地安堵は、安堵をうけようとする者の申請から始まるとい う点を、自明のことのようであるが確認しておきたい。すなわち、戦. 神宮寺30. が目録と安堵文言を清書して武田氏当主に提出へ③当主の祐筆が安堵. 任証文之旨,永代寺領不可有相違者也. 判物の本文を清書、④決裁の日に祐筆が日付を入れて当主に提出、. 妙興寺4・5. 国大名の買地安堵は(どの種の安堵も同様)へけっして何らかの政策. 任大方殿御寄進状之旨,妙興寺知行永代不可有相違. 的意図のもとに統l的に行われるものではなく、大名にとってはあく. 仏国S蝣】. ⑤当主が判物と目録の柚に加判、⑥目録に奏者が自署して発給へとな. (元信柚判,奉書文言はない). までも受動的なものであり、また個別的臨時的なものであっ. 神宮寺26. る.これに一つ加えるとすれば、申請者は必ず亮券等の支証をあわせ. 任証文旨,寺領永代不可有相違. て提出し、武田氏による審査をうけたはずである。このようにも武田. 備考(判物の安堵文言など).
(10) 表Ⅳ武田氏の買地安堵 Na. 年 月. 日. 1. 永正 10. ll.19. 2. 〝 14. 12.20. 3. 〝 15.12.13. 4. 〝 16.ll.19. 5. X tK 3.ll.17. 安堵 者 元. 元. 被安堵 者. 安 堵 判物. 方. 法. 目 録 (発給者). 安. 堵. 対. 信 神. 宮. 寺. ′ ′. 仏. 国. 寺. 南 部. 家. 行. 御買得所 々. ′ !. 妙. 興. 寺. ○. 粟. 元. 隆. 遠敷郡 内所 々買得 田地. ′ ′. 神. 宮. 寺. ○. 光. ○. 当寺諸寄 進買得 田畠山林等. 屋. 在々所々寄進 買得田畠山林等. ○. 〟. 象. (Na l に同 じ). 6. 〝. 4. 8.26. ′ ′. 香川大和守. 7. 〝. 4ー 10.23. 〟. 西村 次 盛. ○. 8. 〝. 5 ー3. 1. ′ ′. 西. 寺. ○. 四郎兵衛尉膳忠. 賀茂 庄半済一 円散在買 得. 9. 〝 5. 9. 5. ′ ′. 高野堂厳阿 弥. ○. (註文別紙在之 ). 賀茂庄 之 内龍通寺 田地豆 段山林屋 敷等 , 井彼在所之 内名田買得田. 10. 〝. 8. 3.21. ′ ′. 明. 通. 寺. ○. 粟. 明通寺 領 井寄進買 得田畠山林等. 8. 8 .13. ′ ′. 妙. 興. 寺. ○. ( 目録別紙在之). 21 12 天文 5. 4 ー. 〟. 西. 福. 寺. ll. 13. 〝. 福. 新左衛門尉光経. 鳥羽庄内買得之 田地 遠敷郡 今昌庄多 田村新 田董反百歩. 屋 元. 勝. ○. 遠敷郡 之内買得之 田地九 段 兵部少輔 知行 山下分之 内田地萱段. 5. 9 .20. !′. ′ ′. ○. 14. 〝 6 .ll.27. !′. 〟. ○. 15. 〝. 8 . 8 .26. 6. 〝. 9 . 2.23. !′. 17. 〝. 9 ー3 .ll. ノ ′. 飯. 盛. 寺. ○. 右. 18. 〝. 9 . 6. 1. ′ ′. 羽. 賀. 寺. ○. 粟 屋. 19. 〝 12 . 7. 9. 〟. 田辺又四郎. ○. 真. 20. 〝 16 . 3 . 8. ′ ′. 妙. ○. 諸寄進 講買徳 所 々買得. 信. 豊 神. 宮. 寺. ○. 妙. 興. 寺. ○. 光. 寺. 西福寺常 住借付米銭興行 之頼子 ! 買得之 円畠 山林等 藤井保領 家分之 内下地 二段 (Nol I - 5 に同 じ) ( 目録別紙在之) 京. 進. 光. 理. 21. 〝 19 . 6 .20. ′ ′. 谷. 田 寺. ○. 大 和. 22. 〝 19 .10 .20. ′ ′. 沼 田菊松 丸. ○. 〟. 23. 〝 22 .ll.10. 〟. 野崎次郎右 衛門尉. ○. 左. 衛. 若. 守. 門 尉. (Na il に同 じ) 所々別 当職 井買得等 寺領.井諸寄 進買徳 田畠 山林等 山東郷 之 内所々買得 など. 耳庄新庄之 内EEl畠買得 耳庄之 内処 々買得. 荏(1)寄進地のみを対象とする安堵例は除外した。 (2)典拠の項の数字はF小浜市史。社寺文書編の文書番号.ただし, Na7は「尊経閣古文書纂」 29 (東京大学史料編纂所写真帳), Na17は『大飯郡誌。所載飯盛寺文書, No.19・23は『三 方郡誌」所収田辺半太夫文書・野崎胸太郎文書。. -61-.
(11) 第三節買地安堵申請の背景 買主が権力に買地安堵を申請する目的は、いうまでもな-貫地に対 する他者のあらゆる侵害の排除にある。その他者の侵害の具体的あり 様は、売券や買地安堵関係文書に示される。若狭でみられるその種の 文言としては'次のようなものがある。 H㊥万l為本主之由申'寄事於左右、錐及競望、不可能許容者也(棉 宮寺文書二六) ⑨某号師弟親類へ違乱之輩不可在之者也(明通寺文書一二〇) ㊤活主難有相違之儀、不可有異儀(後掲史料L) ( 証 ). ④但於後目へ本名として出銭くわや-等之事申候共'此燈文之旨に まかせ承引有間敷候(明通寺文書一〇七) ㊤縦難有本名主職退転之儀、為新寄附之条、更不可有相違(西福寺 文書一九). ㊥は売地に対する売主本人の'⑥は売主の血縁・法縁の者の、それ ぞれ潜在的所有権が意識されている。笠松・勝俣氏らは徳政を支える ( S ). 社会的通念として'原始以来の﹁土地と本主のt体観念﹂を提示され た。この魅力に満ちた説に対して、最近菅野文夫氏は、中世後期には 永代売買は買戻しを許さないとする法理が確立しており、しかも、得 分権を対象とする中世の土地売買の中に'﹁土地と本主のl体観念﹂ を措定するのは正しくない'﹁本主権﹂が発動されるのは、永代売買 が質契約と同質の経済的機能-加地子負担を債務の返済とみなす-を. 有するからであり'﹁非日常的状況﹂の到来を契機に永代売買が買戻 し可能な質契約に転化するのだとされ毎勝俣説の弱点をついた好論. と思われるが、若干の疑問もないではない。氏は﹁塵芥集﹂がl三世. 紀の相論と﹁寸分の狂いもな﹂い原則によっていわゆる両売を禁止し. ているのは、永代売買における請戻し権を否定する社会的通念が中世. を通じて一貫して存在したことを示すものと評価されているが、翻っ. てへ三世紀も経ってなお分国法によって両売を禁じなければならない. 程に﹁本主権﹂が根強く存在し続けたとの解釈も可能ではなかろうか0. の通りであるし、そこに勝俣氏のいわれる開発地に対して開発者のも. またへ中世の土地売買が得分権を対象とするものであるとの指摘はそ. つような﹁呪術的土地所有観念﹂を措定するのも確かに問題であろう0. しかし'次の売券(妙楽寺文書一九)をみてみよう。. I永代責渡富田郷田地之事. ・* ̄- v荘レ=㍑出Ht. 右田地者、堆為重代相伝、依有要用へ直銭五貫文仁責渡所実正明白 ㊨_ 也へ但巳前之清券者参段董通仁員候間、其内書技量段責渡上者へ(毎. 快栄(花押). ;-・-﹂的. 年本投銭式百文へ公方- I納所候繭へ後々末代可有知行者也、(罪科 文言略) 永禄九榊年十1月廿l日 西蔵房栄漁まいる. 62.
(12) 右の売買は加地子を対象とするものであり(e一)、それは以前買得 したものであるが(㊨)'売主快栄はこれを重代相伝の田地と称して いる(㊥)。つまり、たとえ得分権を対象とする売買でも'売買当事 者にとってはあくまで土地の売買と意識されており、またへ買地であっ てもー何年前の買地かは不明であるが文字通り数代も前ではなかろうー ﹁重代相伝﹂の地に転化し得たのである。そこに、呪術的意味ではな いにせよ'菅野氏のいわれる質契約とは別の、﹁本主権﹂になり得る、 成熟した﹁土地﹂所有権を認めることはできないだろうか。 H-㊤を理解する上できわめて示唆的なのは'﹁塵芥集﹂の次の条 文である。 (九八条). l一はいとくの所帯、書くたしをとり、ちきやうせしむるところに、 くたんのしょたいへようく有によってうり地になす、しかるに、. が生きていたことを、H-◎は示している。すなわちへ売主に﹁相違. 之儀﹂があっても彼からの買地にその影響が及ばないことを武田氏が. 保障したものであって'清却地と売主の一体観念を前提とするものと いえよ態H6はこの観念が本名主と名抜地の間にも存在したこと. をうかがわせるものであるし、HI④は本名主の名抜地に対する潜在. 的支配権を示すものである。買地安堵の例ではないが、永禄九年(1. 五六六)武田義統は白井勝胤に給地を宛行う際、﹁自然立帰先領主、 錐企如何様之愁訴,這不可能許容者也﹂と述べてい毎これはおそ. らく﹁先領主﹂の﹁本主権﹂にもとづ-愁訴を想定し'武田氏がこれ. を否定したものと思われる。かかる﹁本主権﹂の主体が、H-④∼◎. の.ことく売主本人及びその縁類なのか'あるいはHI㊥から類推され るように売主以外の㌔㌻り以前の本主)なのかは必ずしも判然とせ. うりぬしさいくわあるのとき成敗をくわへ、所帯等けっしょせし. においても根強く潜伏していて'それが、たとえば売主の関所といっ. ずへその究明は今後の課題とせざるを得ないが'﹁土地﹂-内実は 得分権であっても土池と意識される-と人の一体観は、戦国期の若狭. 券(西福寺文書四)に﹁為其賀茂庄百姓等請人軸判形加へ長責渡候﹂. 的碓な徴証は示し得ないが、白井伊胤が賀茂庄内の田地を売却した売. 百姓と買主の間における矛盾にあったと考えられる。この点に関する. なお、買主の権力への安堵申請のより基本的背景は'加地子負担者-. の法的根拠に位置づけようとするものであった。. を徹底的に粉砕して'自己の判物を領国における土地所有確認の最高. にとってみれば、彼の員地安堵は客観的、結果的には、そうした観念. 安堵申請をさせた原動力の一つであったと考えられる。t方、武田氏. したことは認めてよいように思う。これが'買主をして武田氏に買地. た﹁非日常的状況﹂の到来を契機に頑をもたげようとする状況が存在. む'とかにんのうり地たるにより、おなし-けっしょになるも. (下略) 一書-たしをとらさるかい地の事へかのうりぬしとかあるのゆへへ. (f?^W). けっしよの地となるへ(下略). ここから、売主が罪科を得た場合'彼の売地も開所となる原則が存 在することもそしてこの原則は伊達氏の書下による安堵によって否 定され得ることtが指摘できよう。伊達氏領国に比べてはるかに職の 分化が進展していた若狭においても、﹁塵芥集﹂とまった-同じ法理. 63.
(13) とあって、同庄百姓が請判を添えた例がある。これは加地子収取の可 て売券のみではけっして楽観できたわけではなかったのである。買得. 否がまさに百姓の動向にかかっていたことを物語るもので'買主にとっ 分の安定的確保のために権力の保障が希求される所以である。. 第三章買地安堵と大名領国制 第一節買地安堵と知行制 戦国大名は'軍役体系の根幹にかかわる家臣給地の売買を原則的に 禁止することが多武田氏も例外ではなかっ㌔)しかし,既述のよ うに武田氏給人の土地売買は広範にみられ、給地を対象とする売買も 珍しくなかっ㌔)このような給人所領の変動は、戦国大名にとってで きをだけ正確に把握したいはずである。この欲求は、前章で述べたよ うに、買主の申請をうけて実施する買地安堵によって、限界はあるに せよ一定程度実現するところとなった。本節では、武田氏が買地安堵 によっていわば図らずも掌握することとなった給人員地をどのように 処理したか、またそれは知行制との関連でいかなる意義があるのか考 えてみたい。 K若州遠敷郡今盲庄多田村新田之内憂段百歩事、任清券之旨、為給分. (花押). (武川元光). 苑行西村与三右衛門尉次盛挙者、永代知行不可有相違状如件、 大永四年十月廿三日. この文書(表fcg^)で、武田元光は西村次盛の貫地を安堵するの に'﹁為給分宛行﹂うという表現をとっている点が注目される。これ. は表Ⅳ恥22の武田信豊判物に﹁為扶持宛行﹂とあったり、寺社に対す る買地安堵を﹁為新寄進宛行﹂(表egoo)などと表記するのと軌を 一にするものである。同様の例は若狭周辺にも容易に見出し得る。た. ( 唱 ). 歪頂越前の朝倉孝景は、永正二年六月l三日付三田村小三郎宛判 物の中で﹁所々買得目録封裏芝、仇為新恩知行不可有相違﹂と述べて. いるし、美濃でも同1五年九月二1日付土岐政房判物に﹁令買得田地. 等之事へ為新給可全領知﹂とみえる。これらに共通する論理は、売買. ・﹁扶持﹂・﹁新患﹂にすり替えて、これを﹁宛行﹂という封建領主. という、純粋経済的私的行為によって生じた買地を、大名側は﹁給分﹂. 権の発動によって﹁安堵﹂(札、知行制に組み込もうとするもので、い わば買地の給地化といえる。. それでは、武田氏はこのようにして安堵した給人の買地をどうした であろうか。. 1・-1ト︰. L若州三方郡耳庄之内へ野崎次郎右衛門尉抱分買得付永作職之事県-¥!. 清主錐有相違之儀、不可有異議、井国中買地方臨時之′諸役申付族. (花押). (代目'蝣2C>. 堆在之'不混自余令免除者也、然者任支謹目録親譲之旨へ無他妨 永代知行不可有相違之状如件、 天文廿二年十一月十日. (3). これは前掲史料Eと対をなす武田信豊の買地安堵状であるが、この. 中に﹁国中買地方臨時之諸役﹂とあるのが注目される。これによって、. 武田氏は㌶員地役〟とでも汎称し得るような賦課を実施していたこと. が知られるのである。ちなみに朝倉氏も﹁買得目録十分二という、お そら-朝倉氏の安堵-把握した買得目録に算出確定された得分を規準. -64-.
(14) ㍉. とする役を斌課していた。 4. 6. ). 以上のように、武田氏や朝倉氏は、買地安堵によって掌握した給人 の貫地を知行制の中に明確に位置づけていたのであるが、先に指摘し. (実茂). 以上布施肥後守殿へ渡清券補任のうつし﹂. ' . V ). 永代責野中塩漬之事. 合壱上者. 右件塩演者、錐為見定大夫先祖相侍私領、依有要用、限永代七貰伍. たように、この買地には農民的所職'中間得分権が含まれていたこと は改めて注意する必要がある。この点を'前掲史料Dに即して再検討. 百文二、三宅孫右衛門尉殿二責渡申所実正明自也、殊公方年貢相副. 領主堅可預御罪過者也、仇永代責券状如件、. 責渡申上ハ'於此下地不可有相違候、若号子々孫々違乱撃在之、為. L青<﹂<=・). してみよう。すでに述べたように、野崎氏はこの買得の結果大塩氏と の間に年貢負担関係を生じた。大塩氏の取得分がどの程度武田氏によっ て把握されていたかは別にして'弥三郎1命時1野崎氏と転売された 作職得分は、少な-とも命時、又は野崎氏が武田氏に安堵申請しない. 延徳昔年八月十六日甲的繭村.J定率郎判. 見定散田内、塩漬壱昇へ永代責渡申者也、但在所者、鼻のわき八昇 目也'然上ハ令補任所之状如件へ 明鷹七年棚畑田修理亮 九 月 七 日 賢 清 判 三宅孫右衛門尉殿 (裏書略). この文書(妙楽寺文書三)は、端裏書へ及び天正四年丁二月六日布. 施実茂売券等請取証文(同文書二四)によると'布施実茂の親が妙楽 寺快栄に預けた銭を快栄が返済できな-なったため、その代償として 妙楽寺から実茂へ塩浜一昇の売券と﹁補任状﹂を渡すことになった際、 妙楽寺が書留めた写しである。さて、後半の﹁補任状﹂に当る部分は、 この場合必ずしも明確ではないが、後掲表Ⅴに示す他の例と同様、買. 65. 限り、武田氏の知るところではなかったはずである。この得分は、野 崎氏が七年後に武田氏からうけた買地安堵の対象には含まれていなかっ たが(前掲史料E参照)、もしこれが武田氏から安堵されるに至ると すれば'それまで大塩氏の取得分の背後に隠れて武自民の眼に触れな. か-して、武田氏の貫地安堵の意義は次のように考えることができ. かった中間得分が、野崎氏の買地という姿で武田氏の前に現われ出 ることを意味する。 る。すなわち'買主の申請にもとづく受動的なものであったにせよ、 在地に形成されたさまざまな剰余を、重層したまま並列的に把捉して 知行制に組み込むことを可能にしたのである。いわば、武田氏は領国 における加地子売買の盛行の中に身を委ねたままで、結果的に知行制. 塩漬壱昇同補任. 為心得書留上書押紙有之. 'iJS網). 第二節在地領主の買地安堵と大名権力. の基礎の量的拡大を実現し得たのである。. M.
(15) 安. 堵. 対. 象. 備. 甲崎南村塩浜壷昇. 考. (安堵文言 など). (史 料M ). 典. 拠. 妙楽寺. 3. 賀茂 庄半済】 円散 田五 段半. 売 券相副令補任註. 西福寺. 5. 太良 庄本所方鳴滝村 山畠. 彼者 任売券之旨, 孫権守 口相違可為知行候 (,S8 A. 高. 居. 国富庄地頭分犬熊野浦 田地武段. (地頭政所瑞泉の寄進状 の袖判). 鳥. 犬熊 区有 1. 太良庄半 済方助国名 四分一. 為此売 券補任 , 永代知行不可有相違者也. 高. 鳥. 居. 国富庄地頭分羽賀村 貞永名四分 費 田地董 段. 永 代買得 , 同任代 々相伝 支証 , 年貢等勤之 , 奥坊 台尊永知行不可有相違之 旨, 被 仰下畢. 羽賀寺. 16. 宮川保新保村 中島名抜地小. けいそん孫 太郎前 より売 けんの状之 旨ニまか せ , 林五郎左衛門尉ニ宛行所実地. 龍泉寺. 1. 末 野田地壷段. 某知行分 末野 品 皇欝. サUH寺. 4. 抱分之札. 田地董 段. 御買 徳之 由候 , …. ‥…為後 日苑状如件 飛川 村田地壷段. 飛川村平大夫抱之内田地壷段御買得之 由 , 得 其意候 , ‥ .….仇補任之状如件. 妙興寺. 7. 寓EEl郷 田地四段 ( 2 筆). 右坪段買得云々 , . ‥… .仇補任状如件. 妙楽寺. 12. 鉢 興寺 田辺屋敷東郷 田地壷 段. 明通寺 125. (中村親毘 の寄進状の抽判). 富田郷柄 在家名 田地参段大. 任彼 証文 井寄進状之 旨, 永代知行不 可有相違 之 由, 被仰 出候 , 仇令補任状如件. 妙楽寺. 14. 富田郷内 田地壷段. 彼任 清券之 旨, 永代知行不可有相違 之 由, 被 仰 出者也 , D,令補任之状如件. 谷田寺. 5. 妙興寺 二位公 狂寄進申之 由, 得其心候 , .‥ 永知 行不 可有相違者也 , 仇補任之状如件. 妙興寺. 9. (N0. 9 に同 じ). 主三宅氏に対してその買得分を安堵した、貫地安 堵状といえる。この補任状の発給者畑田氏は、当. 該塩浜があったと思われる甲崎浦に拠城を構えて. いた武士で、彼こそ前半の売増罪科文言にみえ る﹁領主﹂にあたると思われる。すなわち、罪科 文言で武田氏以外に処罰者としてあげられている. 在地領主も'確かに貫地安堵を実施していたので ある。表Vは在地領主による買地安堵例を、寄進 地安堵とあわせてまとめたものである。これによ れば'形式としては﹁補任状﹂・﹁宛行状﹂がもっ とも1般的で'時に寄進状袖判(^・3)や、 被官奉補任状柚判といった(恥U3.CMへ武 田氏とまったく同じ方法もみられた。また安堵者 自身が売主である場合は'売券とは別に宛行状を 出すか(﹂<")'売券の中に〝補任文号只を記す などしている(lォ). ところで、売券の罪科文言には領主の他に地頭・ 代官もあったが(前章)、﹁或領主或代官等﹂(万. ・ .I , . I :I . I : I . . I . : I . . . .I .' = . . ' ' . ' ' . . ' ' : I : : I . : : . .' ' ・ . : .I : . :. からも'たとえば武田氏直轄領の代官のような存 在で、在地性が比較的弱く単なる年貢徴集者に. すぎないと考えられるのに対して'領主はへたと. ニ∴㍉﹁蝣/蝣'∴I'. 収取者としてより村落に密着した支配を実現して いた在地領主にふさわしい名辞である。表Ⅴの安 堵者のうち、先述した畑田氏の他、賀茂庄の白井. 66.
(16) 表Ⅴ若狭における在地領主の貫地・寄進地安堵. tra m 腎. 三 宅 孫右 衛 門尉. 補. 任. 状 3. 4. ll. 白井伊胤. 三. 苑. 行. 状 3. 10.l l. 3. 桑 [ ] (原元正). 孫. 4. 12. 3 .19. 某. (得 良 御 前神 社 ). 寄 4. 6. 1. 山県勝政. ? (孫権 守 カ). (売 券 に 「補 任 」 の 文 言 ) 6. 享禄. 2. 正 11. 某. 奥. 浄 泉 奉 安 堵 状 柚 判. 7. 〝. 4ー11. 1. 粟 屋元行. 林 五 郎 左衛 門尉 8、 天 文 6 . 4. 6. 寺 井家忠. 谷 田 寺 上 坊. 状. 西 意 坊 快 栄. 雲 外 庵 納 所 代 奉 補任 状. 谷 田 寺奥 坊 重 増. 諾意 連 署 奉 補 任 状 柚判. 妙 興寺二 位坊. 補 13. 13. 6.24. 14. 〝 15. 3.13. 任. 〝 12. 3. 7. ?. ? (= Na 10). 寺 井家思. (. S. ). t. S. J. 氏、太良庄半済方の山県氏へ宮川保の粟屋氏、末 野・飛川村の寺井氏撃いてはいずれも安堵対象. 地の﹁領主﹂であった徴証が認められるLt国富 圧の某清光(帆-*・to)と富田郷の某(﹂蝣',招、 I 2も同じであろう)も'同l地域で二度買地安堵 をしているので、やはり﹁領主﹂と考えてよかろ う。. それでは、この﹁領主﹂の買地安堵と武H氏の それとはいかなる関係にあったのだろうか。表Ⅴ 恥2で自らの清却地について宛行状を発している 自井伊胤は、その売券の罪科文言で﹁此以讃文、 御屋形様之御前にて盗人可有御成敗候﹂とて、武 田氏による処罰を示して違背なき旨を誓約してい る(西福寺文書四)。この例からすると、﹁領主﹂ の買地安堵は武田氏のより高次の保障を前提にし ておりへ両者はいわば重層関係にあるといえよう。 しかし、この場合は売主が﹁領主﹂自身であるか らへ彼の違犯行為を処断するのは水藤氏の指摘の 通り武田氏以外にはない。また、罪科文言に﹁御 屋形様﹂の文言が記されることが、そのまま武田 氏の買地安堵をうけることと同義でもない。事実、. 白井氏の清却地が安堵対象となったのは、売買か ら一九年後のことであって(表Ⅳ恥8)、この間 武田氏は、白井氏の土地売却、員地安堵の事実は 預り知るところではなかったし'買主三郎五郎に とってE見地の保障は、白井氏の売券と宛行状のみ (これに賀茂庄百姓の論判が加わることは既述) であったと思われる。史科Mも、売券と補任状が. 67. 〟. 12. 行. 判 抽 状 進 等 〝 10 .12.20. 寺 ll. ? (= 対 b 13 ) 武 田信 当. 通 7.12.13. 明 〝. 坊 10. 蔵 〟. 西 7. 2. 2. 〟. 大永. 苑. 状 任 補 〝. ? 9. 状. 5. 等. 抽 状 進 清光. 守 権. 郎 五 永正. 郎 2. 台. 判. 7. 9 . 7. 方 堵 安 者 堵 安 明応. 坊. (関 連 文 書 に 「苑 状 」 ). 被 1. 清光. 法 安 堵 者 日 年. 月 NQ. (荏)典拠の項の数字はF'小浜市史』社寺文書編(N0.4のみ諸家文書編二)の 文書番号oただし, Na3は京都大学文学部陳列館架蔵影写本「高鳥 居文書」 0.
(17) 武田信豊は父元光のあとを襲って家督を嗣いだ天文八年(1五三九Jt. が要判によっ互安堵した洞春院寄進買得目録に﹁売券瓜生殿裏判在﹂ とみえるのも'同様の事情を物語るものといえよう。. ていたと考えられる。そのことは、何よりも彼らの買地安堵が補任状、. 述べて'おそら-﹁領主﹂の代替り、もし-は改替によって﹁判形﹂-. いて、﹁就其領主等替目各々依無判形、錐為競望'不可能許容者也﹂と. m j r l 一. の安堵判物が存在しなかったことを示唆する。要するに、﹁領主﹂の. 神宮寺の﹁諸寄進買得田畠山林等﹂を安堵する判物(表Ⅳ恥1 5)にお. セットで塩浜所有権の移譲の際の支証とされている。これは、武田氏. いけれども、現実にはそれのみで買地を保障する法的機能を果たし得. 買地安堵は'けっして武田氏の安堵権を原理的に排除するものではな. 宛行状という、封建領主権を直裁に表現する形式をとっていた事実が. 補任状のない買地であっても、そのことを理由に競望に及ぶのを禁止. 被安堵者田辺氏に発給せずへ熊谷三郎兵衛尉を介した間接的安堵の形 式となっている点がまず注意をひく。これはへ田辺氏が武田氏の直臣. けは他の武田氏のE員地安堵例と変わるところがないがへA・Bは直接. ところでへ先に掲げた史料A-Cにいま一度注目してみよう。Cだ. している。これは﹁領主﹂の補任状がない買地の所有権の不安定性を. ). しかし、白井氏の安堵した貫地がのち武田氏の安堵対象となったよ. 雄弁に物語っている。. 押. (爪川蝣JC). 花. 示すと同時に、武田氏が、自らの判物がそれら﹁領主﹂の補任状を超 越する安堵機能を有することを宣言するものでもあった。. (. うに'﹁領主﹂のいわば〝補任圏.に属する買地が、その後の買主の 安堵申請によって武田氏の掌握するところとなる事態もみられた。. N. 飯盛寺上之坊乗憲僧都相抱所々別当職井買得等目録之事 (別当職にかかる二ヶ条略). ではなかったことによるものと思われへおそらく、熊谷氏の披官か、 そうでなくても熊谷氏の政治的支配下にあったと考えられ毎次に、. (加斗は). 一同半済之内白屋名分之事捕仕fE之. 出雲守は宗景名一反を田辺氏へ売却すると同時に、同地の﹁領主﹂と. 史料Nなどから補任状のことではないかと推測される。つまり'熊谷. 谷出雲守は前後の記載から﹁清主﹂に当ると思われる。また﹁〓付﹂は、. Cの二筆目に﹁熊谷出雲守〓灯在之﹂とあるのが注目される。この熊. s t a a :. 丁同国貞名之内妻段付今徳名之内妻段何モ川代状在之、. 右、任讃諸等之旨、永知行不可有相違之由'被仰下所如件、 天 文 九 年 三 月 十 1 日 右 京 進 ( 花 押 ). されていたことが予想される。武田氏は、これをいわば大名としての. たものであるが(表fcsg^)'貫地にかかる後半二筆に﹁補任(状) 在之﹂とあり,これ以前に加斗庄半済方﹁領主<.!/>)による買地安堵がな. 氏を通じての間接的安堵にとどめたtとの想定も不可能ではなかろう0. 氏の立場を考慮して直接田辺氏に判物を下すことを避けへ敢えて熊谷. 買得分をl括して武田氏に安堵申請し'これをうけた武田氏は、熊谷. かろう。田辺氏はその熊谷氏の頭越しに'熊谷氏からの貫地も含めた. してこれを安堵したものと思われる。熊谷三郎兵衛尉と同出雲守の関 係が明確でないが、田辺氏が熊谷氏の支配下にあったことは認めてよ. 安堵権によって確認保障したものであり'これはへ﹁領主﹂の買地安. これは、飯盛寺乗憲の所持する別当職及び買地を武田信豊が安堵し. 堵機能の大名権力への包摂を意味するものといえよう。越前朝倉点景. 68.
(18) このことが認められるとすれば、﹁領主﹂の﹁領﹂の中に武田氏の安 ﹁領主﹂の関係によって規定されるものであったといえよう。. 堵権が何らの障害もなしに侵入し得たのではなく、それは武田氏と. 〇一又ひ-わんのかい地、ちきに書-たしをなすのとき、しう人かの しょたいにけいはういたすへからすへかきのするところのしそん のしんたいたるへき也、. は、表Vの示すところである。 むすび. 以上、冗漫な叙述を連ねたので、本稿で述べたかったところを要約. し、あわせて残された課題を示しておきたい。. 室町戦国期の若狭では加地子を対象とする土地売買が広範に展開し. ており、その渦中にまき込まれた武田氏給人の知行内容は量的に不断. に変動するとともに、収取関係の複雑化もみられた。かかる給人の知. の主人=伊達氏直臣が阻止しようとする動きのあったことがうかがえ. て、買主から武田氏のもとに買地安堵申請が出されてくる。これに応 える形で実施される武田氏の貫地安堵は'受動的個別的臨時的なもの. 念﹂へあるいは加地子負担者たる百姓との対立矛盾などが背景となっ. ら掌握する手段はもち合わせていなかったが、﹁土地と本主の1体観. る。武田氏の田辺氏に対する買地安堵も、そうした状況における一つ の妥協的方法であったとも考えられる。. であったとはいえ'その対象に加地子得分権が少なからず含まれてい. 行分を、武田氏は統l的施策1たとえば検地のような-をもって上か. 武田氏の安堵権が在地領主の﹁領﹂内に及ぶいま一つの契機として、. 右の﹁塵芥集﹂第一〇三条によると、伊達氏陪臣がその主人の頭越. 買主が武田氏と直接関係をもつ者である場合が考えられるOたとえば、. ることによって、それまで武田氏の目に触れなかったさまざまな在地 剰余を、貫地という形で、たとえ相互に重層する折職でもこれを並列. しに直接伊達氏の買地安堵をうけようとする志向、そして、これをそ. 芝田氏の件者弓削与一は、芝田氏の﹁〓付﹂を副えて田地二反を内藤. な知行制のあり方は、いわば中世的職秩序をそのまま容認し、その固. 安堵はあ-までも受動的なものであり、おのずと限界があった。武田. 蝕しっつあったと思われるが'-り返し述べたように、武田氏の貫地. 地という形で武田氏の把握するところとなった例といえよう。 以上のようにして、武田氏の安堵権は次第に在地領主の﹁領﹂を侵. 堵申請が武田氏に出された結果、芝田氏の﹁領﹂内の地が、明通寺買. 1三・二六)。これは最終的買得者明通寺が武田氏祈願寺(同文書 五九など)という、武田氏と密接な関係をもつ寺院であったため、安. 視したのである。. そ武田氏も朝倉氏も'買地のみを対象とする役まで設定してこれを重. る方策としては、もっとも現実的かつ有効なものであった。だからこ. 武田氏や朝倉氏にとって'給人間でさえ重層する職を分有することも あり得た状況の中で、複雑な在地剰余を最大限に権力のうちに吸収す. 氏・甲斐武田氏・今川氏などのように検地を実施した形跡のない若狭. 指すべき封建権力としてはむしろ反動的ともいえる。しかし、後北条. 定化の上にはじめて安定的に維持されるもので、いわゆる一職化を目. 的に把握し、知行制の基礎に組み込むことが可能となった。このよう. 高持に売却し、内藤から同地を買得した明通寺がその売券を﹁御屋 形様元光御披見﹂に入れてその安堵をうけるに至った(明通寺文書一. 氏による領国内の1円的貫地安堵体制が最後まで実現しなかったこと. 69.
(19) 買地安堵は買主による安堵申請をまって実施されるという基本的性 格ゆえに、その申請が武田氏のみに出されるとは限らず、文明期頃ま では幕府に出されることもあった。1六世紀に入ると幕府権力は後退 したものの、在地に密着した支配を実現している在地領主による貫地 安堵は、武田氏のそれと並行してみられた。彼らの買地安堵は﹁補任﹂ ﹁宛行﹂というその形式に象徴されるごと-、封建領主権の行使とし て実施されるもので、それのみで買地保障の法的機能を十分果たし得 るものであった。 しかし'﹁領主﹂支配下の土豪の中から直接武田氏の安堵をうけよ うとする動きもみられるようになり、あるいは他の武田氏直臣や祈願 寺など武田氏と直接関係のある者に買得された場合には、武田氏に安 堵申請が出され、これまたそれまで武田氏の目に触れなかった﹁領主﹂ の﹁領﹂内の土地(剰余)が新たに把握されるに至るのである。 か-して武田氏の買地安堵は、知行制の基礎の量的拡大をもたらす のみならず、領国内在地領主のテリト-1侵蝕にも道を関-ものであっ た。ただし'あくまでもそれは武田氏の側から政策として強行し得る ものではないという限界があり、﹁領主﹂による買地安堵が消滅する ことはなかった。 本稿でふれ得なかったことは多々あるが、もっとも重要なのは'研 究史で重視されている徳政との関連である。徳政文言の消滅と買地安 堵急増の時期的1致といった皮相的指摘にとどまるのでな-、武田氏 の徳政そのものの究明が先決であろう。また、入間田論文でも力説さ れているように、戦国争乱における両極をなす﹁公方﹂と﹁地下﹂の うち﹁地下の沙汰﹂についてはまったく言及できなかった。戦国期の 買地安堵は大名-国人-村落の三つのレベルのそれを有機的に関連さ せて考えることが不可欠だと思われるが、貧しい力では若狭において 十分検証し得なかった。いずれも、史料の制約を克服する方法論の練 磨によって解決すべき課題であろうが、若狭以外に同様の経済発展が. みられる地域の事例研究をすすめることも一つの方策であろう。これ らについては他日を期したい。. 注 (-)代表的なものとして以下の諸論稿がある。笠松宏至﹁中世の政治社会忠. ﹃日本中世法史論﹄東京大学出版会、一九七九年、に所収)へ村田修三. 想﹂(﹃岩波講座日本歴史7中世3﹄岩波書店、一九七六年、のち同. ﹁惣と土一撲﹂(右掲岩波講座)へ脇田晴子﹁徳政令と徳政免除-所有の. 論理をめぐって-﹂(﹃橘女子大学年報﹄四'一九七六年、のち同﹃日本. 中世都市論﹄東京大学出版会へ一九八一年、に所収)、勝俣鎮夫﹁地発と. 徳政一校﹂(同﹃戦国法成立史論﹄東京大学出版会'一九七九年)、同. rl摸]岩波書店'1九八二年、中部よし子﹁戦国時代における地方大名. の徳政とその背景﹂(﹃日本歴史﹄四二六へ一九八三年)0. 出版会、l九七四年、に改題して所収。. o)r地方史研究し八〇'1九六六年tのち藤木﹃戦国社会史論﹄東京大学. の研究﹄名著出版へ一九七六年)0. (3)﹁戦国大名後北条氏における知行制﹂(後北条氏研究全編﹃関東戦国史. のち下村F戦国・織豊期の社会と文化﹄吉川弘文館へ一九八二年、に所収). (4)﹁戦国・織豊期徳政の一形態﹂(﹃国学院雑誌﹄七七-八、一九七六年t. F日本文化の社会的基盤﹄雄山闇も1九七六年へのち有光有学編﹃今川氏. (5)﹁戦国大名今川氏の徳政について﹂(木村修一先生喜寿記念論文集2. の研究し吉川弘文館tl九八四年へに所収)0. (6)二撰5一按と国家﹄東京大学出版会へ一九八l年。 九七二年)0. (7)﹁戦国時代の加地子﹂(赤松俊秀教授退官記念﹃国史論集﹄文功社、1. 70.
(20) (9)﹃戦国武士と文芸の研究﹄桜楓社へ一九七六年、第三章﹁若狭武田氏の. らず'名主加地子から派生したという意味で'私はその本質は農民的得分. で、一応独立させて整理した.なお、名抜地はそうした収取関係にかかわ. で迎え撃った粟屋勝久の活躍を記した﹁佐柿国吉之城粟屋越中以下龍城次. as)永禄六年(1五六三)越前から侵攻した朝倉軍を三方郡佐柿城(国吉城). と規定すべきであると考える。. (8)﹁若狭武田氏の消長﹂(﹃l東谷史学Jl一二、l九七六年)0 文芸﹂。 (2)﹁武田氏の若狭支配﹂(﹃国立歴史民俗博物館研究報告﹄二、T九八三 午)。. 本)四通へ野崎文書(東京大学史料編纂所影写本)二通、清却目録の体裁. 東郷内各地に田辺一族が賭眠していた様がうかがえる。但し、郷規模の国. 村の同勝安・長助へ及び佐田村の﹁我々﹂(田辺半太夫一族)がみえ、山. に龍城した﹁地侍﹂を列記するが、その中に山上村の田辺孫左衛門、菅浜. この戦闘に参戦した田辺半太夫が著したもののようである。同書は佐柿城. 第﹂(﹃改定史籍集覧﹄三一、﹃三方郡誌﹄にも所収)は、奥書によると、. をとるもの一通(﹃小浜市史﹄社寺文書編所収へ西福寺文書四七号-以. 人領主というより、近世になると帰農する村落土豪層とすべきであろう。. 除外されたと田心われる天正朔の五通と、高鳥居文書(京都大学文学部影写. (")水藤氏よりlO通多いのは、氏が武田氏清政期に属さないという理由で. 下同書所収文書は﹁西福寺文書四七﹂のどと-略記I)の計l二通を追加. 井県郷土誌懇談全編﹃若狭漁村史料﹄所収、大昔文書二三九号)0. (IS)年月日欠(後欠)御賀尾浦刀腐人質売却雑物注文(福井県立図書館・福. し'氏の収集分から、本来越前敦賀郡西福寺に伝来したと考えられる二通 (西福寺文書六・七)を除いた結果である。. (<﹂)﹃実隆公記﹄文亀二年六月二〇日条。. (2)例外的に無姓者で﹁給人﹂とした者が、a﹁生守村左衛門有景﹂(明通 寺文書九五)tb﹁与次郎殿様﹂(同文書九六)、C﹁三郎五郎殿﹂(西. 万大夫から買った畠1所をAの﹁円旭清却白空所﹂に比定すると、残りは. よりの買地を除く宗景名内の三筆をAの﹁宗景名l円﹂に含め、侍竹庵・. 万大夫及び佐田村百姓中からの買地三層となり、これが﹁新儀に買徳三ケ. (﹂)Oの二軍のうちAに直接みえないのは七筆であるが、この中で龍門寺. ことから生守村の土豪と考えた。bは売主杉行茂からかかる尊称で呼ばれ. 虞﹂に当る可能性がある。なお、﹃三方郡誌j所収文書に誤読がままみら. ﹁生守左衛門有景方﹂の尊称が付されていること、及び花押をもっている ていることから、行茂の同族、もしくはそれ以上の地位にある者と思われ、. れることは、後掲史料Fが同書所収のものは東京大学史料編纂所影写本と. 福寺文書四)の三人いる。aは連券にあたる売券(明通寺文書一二〇)で. であるが、その清価二一貰文は七五件の売買例中二位に当る高額なもので'. 無姓の一般百姓とは考え難い。Cは白井伊胤が五反半の田を売却した相手. (2)名抜地は一般には本年頁・公事を名内の他の耕地に転嫁して売却される. (22)永禄四年五月八日某勝長安堵状(﹃三方郡誌﹄所収へ田辺半太夫文書)0. え、Aの文面の不自然さの責任のいくらかは同書にもあると考えられる。. 校合すると四ヶ所の誤読(廿1一一十もその一例)があることからもうかが. ところに生じるものであり、年貢・公事負担義務がないという意味では領. 渡辺文書四号)。田辺氏が世久見浦刀癖であったことは、長享三年四月一. (2)明応元年一二月三百世久見惣中山畠売券(r越前若狭古文書選﹄所収、. これも百姓ではないと思われる(白井一族かも知れない)0. 主得分と同質とみなし得る。しかし'若狭においては'たとえば富田郷柄. 〇日世久見浦枕網申請文(同文書三号)に'﹁当刀禰田辺新左衛門尉殿﹂. 在家名抜地三反大が本役三石と段銭の負担義務付きで売買・寄進されてい たように(妙楽寺文書一三∼一五へl八)'必ずしもl律には扱えないの. ni.
(21) とあることより明らかである。 (20﹁水禄二l年六月1日世久見浦惣中網堵売券(前掲﹃若狭漁村史料﹄所収、 渡辺文書言う)0 (﹂)前掲﹁佐柿国吉之城粟屋越中以下龍城次第﹂に'佐野村の野崎備前の名 を記す。 (ァ3)Q-aともに、野崎文書(東京大学史料編纂所影写本)。なお、Eは. は本文で述べた百姓から買得した加地子などの諸得分権をめぐって給人相. 互が重層関係になるケースは、拾人間の土地売買の盛行(表Iによると給. 人相互の売買頻度は高い)とあいまって意外に多かったのではなかろうか。. (S)桑山浩然校訂﹃室町幕府引付史料集成﹄上巻、近藤出版社、1九八〇年、 所収。. (8)﹁若狭郡県志﹂(杉原丈夫・松原信之編﹃越前若狭地誌叢書3下所収). 相﹄塙書房'一九六六年、三六六貢)。なお'この他論所が若狭にあり訴人. 補任された芝田太郎左衛門貞信のことであろう(網野善彦﹃中世荘園の様. 若狭国人と判断した。⑥の芝田太郎左衛門は寛正三年太良庄尻高名名主に. 若経をいずれも明通寺へ寄進しているところから(明通寺文書七四・七六)、. (ァ8)ョ⑥の片山正次は、文明八年﹁若州営河中寺堂田﹂を'翌々年に大般. 巻三'古跡部、下中郡大塩氏城地の項に﹁在下中郡口田縄村山上へ伝言、. ﹃三方郡誌﹄にも収めるが、誤読・脱漏がままみられる。. 武田家之属士大塩長門守吉次所築之城祉也、所領口田縄・奥田縄・須縄・. も若狭関係者であってもその訴人が奉公衆や将軍家祈願寺など将軍に直結す. 入江氏は、前掲﹁若狭郡県志﹂によると'三方郡田井村に﹁入江屋敷﹂. 郡世事庵=)訴人が若狭以外の者である場合は'いずれも幕府に提訴され. ても(武田氏給人大塩氏2・同熊谷氏s.同山東氏32︰小浜問丸8・三方. 付﹂の条数へ以下同じ-沼田氏94・長久寺63)や'論人が若狭関係者であっ. る場合(本郷氏471前掲﹃室町幕府引付史料集成﹄上巻所収﹁政所斌銘引. 尾崎及三方郡佐野村等是也﹂とある。. があったと伝え、またへ永禄一一年(一五六八)朝倉氏が若狭に侵攻した. る可能性が高いと考えて除外した。. ("*^大永五年l二月三〇日弥三郎売券(前掲影写本野崎文書)0. 際、﹁田井入江左京﹂も防戦に加わったとされるところから、田井村を本. (S3)﹁中世在地裁判権の一考察﹂(﹃日本社会経済史研究中世編﹄吉川弘. (8)いずれも前掲﹃室町幕府引付史料集成﹄上巻所収。. 拠とする土豪と推測される。木村氏に関する徴証はない。 売買の結果へ給人間に重層的収取関係の生じた例として'永正三年(一 五〇六)白井伊胤が賀茂庄五反半について本役一石'段銭請料七斗五升の. (53)水藤氏はまず罪科文言の主格のうち武田氏を指す語を例外として除かれ. 文館、一九六七年、のち笠松前掲著書に所収)0. と'天文五年(一五三六)某信家が給地山下是光名内の一反大を'段銭四. ているが、これはあまりに盗意的であるし、大半が公方と書かれているか. 収取権を留保して六石の﹁徳分﹂を三郎五郎へ売却した例(西福寺文書四) 五二文の収取権を留保して熊谷直政に売却した例(同文書二七・四二)が. ていることをもって裏付けられるとされるが、少なくとも代官・政所は公. る。また、公方年貢の﹁取得者﹂が公方とも地頭・代官・政所とも呼ばれ. 方年貢の徴集者ではあっても取得者ではないし、公方年貢取得者の公方と. ら他の地頭・領主・代官もすべて公方と同じ存在とみなすのも短絡にすぎ. の形で分米の一部に組み込まれており、のちには段銭を対象とする売買さ. ある。右の二例は段銭が加地子と同質化したことを意味するもので(藤井. えみられるようになる(同文書四二、明通寺文書一五七・l五八)。かか. 罪科文言の主格の公方が同1存在である保障もないのである(笠松前掲著. 氏も前掲論文でこの点を指摘されている)へ特に前者においては段銭請料. る加地子化した段銭、領主得分(本年頁)から分割された加地子へさらに. 72.
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